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「どう見ても爆撃機…」一式陸攻はなぜ「陸上攻撃機」なのか 旧海軍独自の分類方法とは

乗りものニュース 4/6(土) 18:12 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/0e4a8cb5ec7768c8df33da7fa8882f016709aee5

 

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旧日本海軍の陸上攻撃機は、爆撃機としての役割よりも魚雷攻撃や地上目標への攻撃に重点を置いていたため、海軍内で別の機体として位置付けられていました。

海軍の機体命名法では、水平爆撃については「急降下爆撃機」、水平飛行で攻撃を行う機体には「艦上攻撃機」という呼称が使用されていました。

陸上攻撃機は海からではなく陸上から出撃し、魚雷攻撃や地上目標攻撃が可能な機体であったため、このような呼称が用いられました。

日本の陸上攻撃機は長距離飛行や魚雷攻撃に重点を置いており、時には航空機の進化とともに必要な性能を備えた機体も開発されましたが、防弾性や実用性に課題が残るまま終戦を迎えた経緯があります。

(要約)

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飛行する九六式陸上攻撃機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。 

 

 旧日本海軍の機体で、第二次世界大戦中に運用された九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機など、当時の他国では2発爆撃機のような見た目のものを、海軍では「陸上攻撃機」と呼称します。一体なぜこのように呼ぶことになったのでしょうか。 

 

【やっぱり雷撃機だ!】海面スレスレを飛行し敵艦艇に肉薄する一式陸上攻撃機(写真) 

 

 これら「陸上攻撃機」は、魚雷を抱えて艦艇を攻撃するという海軍機らしい運用法もありますが、アメリカとの戦争が始まる前の日中戦争の時点でも度々、九六式陸攻と一式陸攻は陸軍の爆撃機同様に長距離を飛行し、地上目標への爆撃を行っていました。 

 

 ではなぜ爆撃機ではなく攻撃機なのか、実は当時の海軍の命名法では、爆撃機は別にありました。「急降下爆撃機」です。海軍では元々、艦載機のうち水平飛行で爆撃を行う機体について、敵の艦艇を“艦上”から発進して“攻撃”する機体として「艦上攻撃機」と呼称していました。時がたち、1930年代から投下直前に急降下を行うことで爆弾の命中率を高めることができる急降下爆撃機という機体が開発されるようになります。それを海軍では艦載機として使い始めますが、同機種を海軍では「艦上爆撃機」または単に「爆撃機」と呼ぶようになったのです。 

 

 陸上攻撃機は“陸上”から発進する水平爆撃や魚雷攻撃の行える“攻撃機”だったため「陸上攻撃機」となります。これらの機体は元々、1930年4月の「ロンドン海軍軍縮会議」で、戦艦などの主力艦のみならず、巡洋艦・駆逐艦などの補助艦艇にも制限がかけられたことをきっかけに作られた経緯があります。 

 

日本本土を飛ぶ一式陸上攻撃機(画像:パブリックドメイン)。 

 

 ロンドン海軍軍縮条約で仮想敵国としていたアメリカの7割に補助艦保有数を制限された日本は、アメリカと将来的に海戦が発生した場合、数に劣る日本海軍を少しでも有利にするため、航空機や潜水艦を用いて、戦艦などが砲撃で雌雄を決す艦隊決戦の前に戦力を削ごうと考えます。これを「漸減(ざんげん)戦法」といいます。 

 

 その際に、地上から飛び立ちアメリカ艦隊に魚雷攻撃、もしくは爆弾による攻撃を行うことを期待され、開発されたのが「陸上攻撃機」でした。同機種では特に魚雷攻撃が重視されました。当時、敵艦よりも遥かに小さい兵器が有効打を与えられる確率が高いとみられていたのが魚雷だったからです。 

 

 第二次世界大戦の勃発直前には、航空機の技術の進歩もあり、エンジンの馬力が向上することで単発の機体でも安定した魚雷攻撃が可能になり、艦上攻撃機のほとんどが魚雷装備となりました。しかし、最初の本格的な量産型陸上攻撃機になる九六式陸攻が開発されている頃は、まだ実用的な魚雷搭載型の艦上攻撃機の完成型といえる九七式艦上攻撃機が登場する以前だったため、航空機による魚雷攻撃の利点を陸上攻撃機は先取りする形となります。 

 

 そのため、陸上攻撃機は同時期の世界の双発爆撃機にシルエットこそ似ていますが、海軍的としては陸上から敵艦隊に魚雷攻撃可能な雷撃機という扱いだったのです。 

 

 

一式陸攻の後継機である「銀河」は爆撃機扱いだった(画像:パブリックドメイン)。 

 

 つまり爆撃機としての仕事は“ついで”だったわけですが、 艦上攻撃機には陸上から発進する性格上、海上の目標に到達する長大な航続距離が求められました。その、長大な航続距離という性能が、敵の後方施設にダメージを与える「戦略爆撃機」としての利点を、第二次大戦勃発直前の日中戦争で証明する形となったのです。 

 

 ただ九六式陸攻に関しては、双発爆撃機で4発大型爆撃機並みの長大な航続距離を要求された関係で、防弾装備に大きな問題を抱えていました。日中戦争での戦略爆撃に投入された九六式陸攻は敵機の待ち伏せにあい、大きな損害を負うことになります。 

 

 一方、後継機の一式陸攻は中国での爆撃において、当時の基準では画期的だった高高度飛行性能や高速性を活かし、損害を最小限にとどめます。しかし、やはり長大な航続距離を獲得するために主翼内をインテグラルタンク(主翼の構造材そのものをタンクとすること)にしてしまったため、当初は防弾性が全く考慮されませんでした。大戦中は多少改善されることになりますが、アメリカとの戦闘では主にアリューシャン方面での戦いや、戦争後期の艦艇攻撃などで大きな損害を負うことになります。 

 

 九六式陸攻や一式陸攻は「中攻」とも呼ばれました。それより爆弾搭載量に優れ、防弾性も犠牲とせずに航続距離を伸ばしやすい「大攻」という機体の開発が海軍では度々試みられていましたが、結局どれも少数生産に留まり、終戦まで「中攻」である一式陸攻がその役割を担うこととなりました。なお、一式陸攻の後継機である「銀河」は急降下爆撃が可能であったことから爆撃機扱いでした。 

 

乗りものニュース編集部 

 

 

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(まとめ) 

日本の航空技術や軍事組織の特徴、機体の性能などに関する書き込みが多く見られました。

特に一式陸攻については、その性能や活躍に関する詳細な情報やエピソード、命名の違いなどについて多くの意見が寄せられていました。

また、日本の陸海軍の対立や間違いについての指摘、機体の設計や欠陥に関する議論も見られました。

一式陸攻を含め、日本の航空史や軍事史に対する関心や知識が多くの書き込みに反映されていることが伺えます。

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・深山や連山のような大攻の実用化や大規模生産に踏み切れなかった理由の一つに大重量に耐えられる足回りを造ることが非常に難しかったということが挙げられます。 

大重量に耐えられる足回りの製造には油圧関係の技術が不可欠ですが当時の日本はオイルシールやその周辺装置の開発に大きく遅れをとっていたのです。結局この油圧関係の技術の欠如は空母用のカタパルトや戦車の開発にも深刻な影響を及ぼすことになったと言われます。 

 

 

・一式陸攻と言うと高橋淳さんの水面ギリギリの飛行を思い出すけど、通信員にプロペラが水面をかすらないかどうかを確認させながら波高に合わせて波面から20cmレベルで飛んでいたという飛行技術が何物をも上回る説得力があった。 

 

 

・日本の工業技術力、殊に航空機技術力のそれを侮り切っていた英米が、第二次大戦劈頭の零戦の活躍に衝撃を受けたというのは、国内ではよく言われる話。 

 

しかし現実に、より多大な損害、並びにインパクトを与えたのは中攻こと九六式陸攻と一式陸攻の方。 

マレー沖海戦では真珠湾と異なり航行中、しかも戦闘行動中の、それも最新鋭の主力戦艦(キングジョージ5世級プリンスオブウェールズ)が撃沈の憂き目に遭った事から、日本の航空兵装に対する了見は完全に覆された。 

 

本来鈍重なはずの双発機が超低空侵攻により極めて精度の高い雷撃を敢行した事に、イギリス軍部の受けた衝撃は大変なものだった。 

 

両機種の性能もさることながら、元山、美幌を始めとする海軍航空隊の練度の高さもその評価は高いものがあるが、当の英国のみならず、全世界の海軍関係者が等しく大きなショックを感じた事に相違は無いと言い得る。 

 

 

・旧海軍は敵艦隊を叩くことを念頭に置いていましたので、攻撃機は陸上用であっても対艦用に雷撃能力を必要としました。 

というのも、高高度から爆弾が放物線を描くように自由落下する水平爆撃の命中率はかなり低く、水面ぎりぎりで投下し水中を直進航行する魚雷のほうが多少命中しやすかったからです。 

(でも航行中に敵艦が移動し外れたり、命中角度次第で不発など、魚雷の命中率も急降下爆撃に劣ります。その代わり急降下爆撃は威力最弱。) 

 

米軍が使用した反跳爆撃が、仮に旧海軍でも早期に採用できていたら、陸攻も魚雷の代わりに対艦反跳爆撃という「もしも」も。 

 

 

・同じ攻撃機でも日本で中攻や艦攻と呼ばれてる飛行機は英語圏ではtorpedo bomberと訳され、A-26インベーダー等がattackerと訳されてるから日本語では同じ攻撃機でも意味合いは全く違います。 

そして同じ雷撃機でtorpedo bomberと訳されるTBF/Mアベンジャーやソードフィッシュ等も航空魚雷を抱えて低空を突撃するイメージが強いですが、水平爆撃や爆雷を抱えての対潜攻撃、哨戒飛行や長距離索敵にも平気で投入されたのも一緒です。 

 

 

・攻撃機や爆撃機の区分はどの軍でも曖昧で、 

米軍でも大戦中のA-20やA-26などは、どうみても中型爆撃機だが攻撃機のカテゴリーに入れられていた。 

A-26などはマーチンB-26が退役するとB-26になりその後またA-26に戻るという慌しい生涯だった。 

海軍では攻撃機のA-3も空軍仕様に改良されたらB-65と爆撃機になってしまう。 

俗に言う戦術戦闘機などは、戦闘機の区分だが実際は攻撃機だ。 

軍も所詮はお役所で、書類上でもきっちりしないといけないのだろう。 

現場がどう使うかは、別問題なのだ。 

 

 

・現行の海上自衛隊機ならば川崎P1が一式陸攻の子孫なんでしょうね。あくまでも本来の任務は対艦対潜哨戒機。なので爆撃機じゃない。P1って偵察機と思われている節がありますけど爆雷、魚雷、対艦ミサイルのほか対地ミサイルも積めるので陸上爆撃もできます。 

 

 

・何を言いたいのか? 

シンプルに論点絞った方がいい 

攻撃機は魚雷か爆弾のどちらかを選んで 

攻撃する、爆撃機は爆装だけで雷装は 

不可というだけの違いだよ 

大戦後半に開発された流星/改は艦攻と 

艦爆の統合機といわれたが、基本的には 

天山艦攻の後継機だから。 

 

 

・陸攻と言えばマレー沖海戦を思い出す。 

 

世界で初めて航空戦力のみによって作戦行動中の敵艦艇を撃沈、それまで陸軍や海軍における補助戦力という立場に甘んじていた航空機の地位を大きく押し上げた。 

 

 

・元々は陸上雷撃機という呼び方 

艦上機は、艦上戦闘機、艦上雷撃機、艦上偵察機の3種から始まり、 

陸上機は陸上雷撃機、水上機は水上偵察機、飛行艇 

 

雷撃機は爆弾で攻撃もするからと呼称が攻撃機に変更される 

最初の十年式艦上雷撃機だけが雷撃機の呼称で以降は攻撃機 

 

ややこしいのが銀河と流星 

銀河は十五試双発陸上爆撃機として急降下爆撃を行う機として開発され、途中で雷装できるようになったが、分類は開発時の陸上爆撃機のままで命名も爆撃機の星で銀河 

 

流星は十六試艦上攻撃機として、艦上爆撃機と艦上攻撃機の統合を計画して、 

急降下爆撃も雷撃もできる機として開発される 

呼称は艦上攻撃機だが爆撃機の命名基準で付けられている、統合の象徴なのかな 

 

 

 

・まあ、97式中攻というのは、B−29による日本本土での無差別空爆に先駆けて、中国奥地の都市に無差別空爆していましたからね。 

 

そのどちらもが、ゲルニカに並ぶ暴挙ですね。 

 

私は、マドリードのソファ王妃芸術センターで、ピカソのゲルニカの現物を見た時に、人種民族を問わず、「人間は罪深いものだ」という思いを強くしましたよね。 

 

 

・まあ、防弾皆無は海軍の飛行機はあたりまえだったね 

その点、陸軍の飛行機はいちよう防弾装備は付いていた 

ゼロ戦しかなかった海軍よりも、1941の隼から鍾馗、飛燕、疾風、五式戦とまがりなりにも毎年新型を正式採用できた陸軍の方が航空の柔軟性はあったのだろう 

誉を積んだ戦闘機も紫電改が400機なのに疾風は3500機も生産されているし 

双発爆撃機は一式陸攻より全然高性能な四式重爆撃飛龍を飛ばしているし 

まあ、戦前に空軍を作っておけば防弾皆無の戦闘機や攻撃機はなかっただろう… 

 

 

・同じ双発機でもドイツのHe111やJu88は魚雷2本を積めるのに、97式や1式陸攻では1本だけなんだよな。エンジン出力が足りないのか、それとも機体構造が弱いのか、理由はなんだろうと考えてしまう。 

 

 

・一式陸攻は九六式陸攻と共に開戦直後にイギリス戦艦、リパルスとプリンスオブウェールズを撃沈して、イギリス東洋派遣艦隊は壊滅しました。 

アジアでのイギリスの植民地支配が終わるきっかけを作った名機として、記録されるべきだ。 

 

 

・河口湖の博物館で一式陸攻の胴体展示みたが、思ったより太かった。プラモデルでも作ったが、かっこいい機体だと思う。 

 

 

・知っているようで知らなかった話だ。96陸攻とか1式陸攻はもうそれだけで名が通っているので、海軍の(双発)爆撃機の呼び方かと思っていた。 

1式陸攻は魚雷を機体内に収納するために4発機並みの巣太い胴体になったようだ。だが、魚雷の吊り下げによる空気抵抗とのトレードオフでその割に性能の低下は無かったそうだ。 

ただ、両機とも、いくら双発にしては軽快な運動性と言っても双発機で雷撃するのは被害も多かったろう。共にインテグラルタンク付きのワンショットライター(こっちは1式陸攻のあだ名だが)だ。 

でも、イタリアでもドイツでも双発機(イタリアは3発機が主だが)で雷撃している。狙いは商船が主だから対空砲火が少なかったかもしれないし、航続距離が長かった事、搭載力に余力があった事も選ばれた理由だろう。それと両国共に海軍に強力な航空部隊が無かった事も一因だろう。 

 

 

・まあどんなに一式陸攻が優秀でも日本は負けた 

なぜなら海軍は漸減邀撃に成功しても、そのあとのことをまるで考えていなかった 

だから勲章欲しさに補給の限界点を超えて負けるまで前進した 

陸軍は陸軍で中国に勝ちきれないのにアメリカとも戦争を始めた 

要は陸海軍ともに軍事組織ではなく、単なる自己肥大化を止められない公務員組織に成り下がった 

それが日本の敗因です 

ちなみにアメリカのオレンジプランでは艦隊決戦に勝ったら経済封鎖で講和を強要する予定で基本その通りにした 

日米の軍人のレベルがわかって非常に興味深い 

 

 

・べつに日本独自じゃないよ。各国海軍も同じ。 

「爆撃機」は空軍の所管とされたから、海軍は「攻撃機」と称する。急降下爆撃だけは海軍に必要と認められて例外扱い。 

超音速爆撃機ミラージュIVに比肩するA3Jビジランティも、類別上は攻撃機。日本海軍が艦上機でもない大型攻撃機を持ってたのは任務の重複だけどね。 

 

 

・以前、一式陸攻は“ワンショットライター”とか呼ばれててインテグラルタンクの脆弱性が云々…って誤情報が跋扈してたけど、調べてくと米軍は一式陸攻の頑丈さを評価してて、末期に菊水作戦で襲来する一式陸攻を迎撃したF6Fのパイロットは12.7mm機銃では撃墜が難しいとして、伊江島配備の海兵隊のF6F-5N(ヘルキャット夜戦型)なんて20mm機関砲を搭載してやっとこさ「問題が解決した」と評されてた位だ。問題は鈍重な大型爆撃機を昼間雷撃に護衛無しで送り込んだり、レーダー、迎撃機、射撃指揮装置に指揮された5インチ砲、40mm機関砲、20mm機関砲の防空網に遮二無二に突撃させる指揮官の戦法だった。B-26マローダーもミッドウェー海戦の緒戦時にミッドウェー基地から魚雷を抱いて護衛無しに当時最強の南雲機動部隊に昼間雷撃を挑んで全機撃墜されてるもの。 

 

 

・>一式陸攻の後継機である「銀河」は急降下爆撃が可能であったことから爆撃機扱いでした。 

 

嘘を広めるな、嘘を。 

銀河は元々陸攻とセットになる陸爆で急降下爆撃機。 

ただ開発が遅れに遅れ採用されたころにはすでに一式陸攻が陳腐化していたため雷装を追えられ後継機に位置付けされた。 

もっとも銀河も開発当初の主力艦目標で800㎏爆弾1発から空母目標に500㎏爆弾2発に計画変更された時点で陸爆としては陳腐化していたのだが。 

 

 

 

・日本軍機は性能確保のために防御装備を真っ先に削ることが多かった。 

九六陸攻や一式陸攻も、乗員・燃料タンクなど丸裸同然で任務に赴く羽目になったのは気の毒としか言いようがない。 

 

 

・訂正するのか知らないけど、この記事の最後の方に書いてある、 

 

>アメリカとの戦闘では主にアリューシャン方面での戦いや、戦争後期の艦艇攻撃などで大きな損害を負うことになります。 

 

アリューシャン方面で陸上攻撃機が戦う場面は無かった筈。 

ソロモン諸島方面の間違いでしょう。 

 

 

・この機体の絶頂期はマレー沖だな、それ以降も海軍の陸上航空戦力の中心として働いたけど損害の方が増えて言ったイメージ、そして「海軍甲事件」上層部の情報管理の杜撰さが産んだ悲劇だけど山本長官が死ぬ時に乗っていた飛行機と言う事でその名は永遠に残る事になった、今思ったんだが海軍甲事件と海軍乙事件、共に海軍の大型機に乗っていたVIPの死亡という共通点があるんだなァ 

 

 

・「提督の決断3」では、その爆雷撃性能と圧倒的な航続距離(3,000km)で大活躍でした。トラック島に大量に配備すれば、後はアメリカ太平洋艦隊が勝手に飛び込んでくれて面白いように撃沈出来ました。 

 

 

・半分言葉遊びみたいなものだけど、当時、陸軍と海軍では爆撃機と攻撃機が反対だったのはアメリカも日本も同じ。1式陸攻に相当する日本陸軍の機体は100式重爆呑竜だし、アメリカ海軍でSB2C(偵察爆撃機)ヘルダイバーは陸軍ではA(攻撃機)25シュライクだし。アメリカ海軍で1式陸攻に相当する機体は思いつかないけど、日本陸軍では99艦爆に相当する機体は99軍偵/襲撃機と言っていたような…。 

 

 

・爆撃機も攻撃機も名乗ったもん勝ち状態だから、実はどうでもいいんだよ。 

区別しようと考えだすと、頭がこんがらがるから。 

 

A20が攻撃機でB25が爆撃機、この違いを明確にてきる者などいないだろう 

 

 

・一式陸攻はインテグラルタンク・脆弱な防弾装備のため米軍では「ワンショットライター」と呼ばれてしまいました。 

その被弾に弱い点がもろに出たのが山本五十六長官搭乗機の被撃墜です。 

暗号解読で山本長官が前線視察に出ることを察知した米軍はブーケンビル島上空で山本長官が登場する一式陸攻に待ち伏せ攻撃を行い殺害に成功しています。 

 

 

・薩摩藩が海軍、長州藩が陸軍。 

大日本帝国には成立当初から二つの軍事組織があり、終戦直前まで協力することがなかった。似通った性能の航空機をそれぞれが御用達の企業に作らせ使用していた。 

乏しい資源を奪い合っていた。 

 

 

・一式陸攻は美しい機体だが 

マレー沖海戦の栄光よりも 

山本長官機撃墜や桜花の母機としての 

悲劇のイメージが強いな 

 

 

・漸減…ざんげん?ぜんげん だと思っていたが…。 

 

陸攻というと、旧エルエスの九六陸攻シリーズは名作キットなので、また作りたくなり、行き付けの模型店で注文しようとしたら 

「メーカー注文票の値段のところ/ってなってるから、作ってないんじゃないかな?問屋に在庫あれば取れるけど…」 

と言われた。 

 

 

 

・海面スレスレを飛行する一式陸攻の写真が機体の全高より低そうな本当のギリギリでびっくりした。 

操縦技術が凄いな。 

 

 

・>主翼内をインテグラルタンク(主翼の構造材そのものをタンクとする 

 

M2ブローニング12.7㎜機銃の一撃で火を噴き、米軍からワンショットライターと揶揄されバンバン落とされた。 

旧海軍は搭乗員の生存性を考慮せず、ゼロ戦にも防弾版を付けず、特攻で若い搭乗員の命を犠牲にした 

日本は開戦前から人権思想が無く負けるべくして負けた 

 

 

・「ワンショットライター」 

イギリス人の著書に出てくるけど、「日本人が言っている陰口」として。 

 

というのが佐貫亦男さんの著書で書かれていてなんとなく納得したなぁ。 

 

 

・多分先に陸軍が使っていたからじゃないのかな?彼ら最後まで仲が悪く、同じ兵器でも同じ言葉は絶対に使わないからね。レーダー:陸軍=電波探知機、海軍=電波探信儀。 

 

 

・いや、2行で終わる話やろ。 

海軍の分類やと、水平爆撃専用が攻撃機で、降下爆撃できるのが爆撃機。 

ちなみに、陸軍は軽爆、重爆があって、単発小型で海軍の艦爆に相当するのが襲撃機やね。 

 

 

・松本零士の戦記物コクピットシリーズで一式陸攻を知りました。 

春になると桜花を思い出します。 

 

 

・いわゆる[戦闘機不要論]というものが広まっていた時期でもあるし。大陸での97式陸上攻撃機の被害拡大は。 

 

 

・今時、渋い話で、驚きました。 

たしか、すごく航続距離の長い飛行機でしたよね。 

 

 

・>「漸減(ざんげん)戦法」といいます。 

 

漸減(ぜんげん)が正しい読み方。 

 

旧軍用語で読み間違えやすい用語の筆頭だけど 

記事を書く人間がやったらアカンでしょうが。 

 

 

・世界に冠たる一式陸攻の航続距離は日本の誇り。本庄さん、有難う。 

 

 

 

・>一式陸攻は「中攻」とも呼ばれました 

 

一式はどちらかというと「一式ライター」という米軍の呼称の方が有名ですね。 

 

 

・雷撃もするから、attackerでいいと思います。 

 

 

・最後は桜花の母機となって散ってしまった…。 

 

 

・でもこんなマトがデカい機体で魚雷攻撃したな 

 

 

・空自は支援戦闘機かな。 

 

 

・みんな詳しいな。 

さすがに書き込みの成否確認まではしないけど読んでて面白い。 

このファッキンな連中が道ですれ違った電車で隣だった地味なおっさんなんだろうな。 

強靭な記憶力とそれを担保する飽くなき探求心。勉強になる。 

 

 

 

 
 

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