( 157049 )  2024/04/07 12:26:42  
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・松永さんの努力よ。 

 

松永さん、メディアでは真剣なお顔されているのが9割、10割?だけど、 

こんな事にならなかったら、毎日を笑って、時に悩んだり怒ったりする、私たちと何も変わりない普通の人だったのに。 

 

松永さんの幸せを陰ながら応援したい。 

 

 

・信号機もドライバーが目視する為に光るだけではなく、信号機の信号を車側に発信できたら良いのにと思う。信号機から数m間隔で子機を設置して、青信号から赤信号に変わるまでの時間感覚と速度制御の通知、歩行者側の信号機の切り替えに危険な車の接近の感知も使ったら交差点での暴走車に少しは対策出来ないかなと思った。 

 

 

・改めて高齢者の運転の機会を見直すきっかけになった事故でした。罪のない幸せな家庭が一瞬に消え去ってしまう残酷で悲しいことです。 

過疎地での交通事情等難しいことも有りますが、車の安全性能向上、企業側の努力にも繋がっています。 

この様に悲惨な事故が少しでも減ることを祈ります。松永様の心安らぐ時がどうか来ますように。 

 

 

・松永さんはとても立派だと思う 

ここに書いてあるコメントを読むと当事者でもないにもかかわらず罵詈雑言なのに当事者である松永さんは気持ちを抑えて真摯にコメントを重ねてる 

自分には無理かも 

 

 

・リアルタイムで池袋の加害者と同じように高齢で運動機能も認知機能も落ちながら自分の都合優先で運転している人達は日本中に沢山いると思います 

国は何人も犠牲者が出ているのに運転免許の返納を個人の判断に任せている 

警察も免許更新に行って驚いたのが視力検査さえ高齢者に激甘な事だった あんな受け答えさえ怪しい人に運転を継続させる理由は? 

返納が任意なら更新時の検査は高齢者には細かく厳しくして強制的に免許を取り上げて次の犠牲者を減らす努力くらいはして欲しい 

 

 

・自分の責任を車メーカーの責任転嫁するこの人の神経を疑った、それに高齢で医者から運転は止めなさいと言われても運転した、金はあるのに。 

警察もこれだけの大事故おこしたのに逮捕もしない。 

高知白バイ事故など警察対応は?身内をかばう体質が今も昔も変わらない。 

 

 

・5年もたったんだ。2,3年かと思った。元院長は面会の意思を示してこなかったわけか。松永さんの活動を見ているとこの現代においてSNSを使って発信することが重要。発信したことによりさらに世間の注目を浴び、世論と違った判決等は許されないという空気が生まれたと思う。そうでなくても法治国家なんだから地位や門地で判決内容が変わるなんてことはあってはならない。 

 

 

・松永さんにはこれからも幸せになってほしい。 

心からそう願ってます。あの悲惨な事故は、遺族とは全く関係のない私達でさえ涙し、加害者側のとぼけた言い分に憤り、司法のあり方をあらためて認識させられた事故です。5年経ってようやく面会する気になった加害者には相変わらず呆れるが、これが松永さんがこれからも生きていく一つのステップに繋がるようにお祈りします。 

 

 

・以前、高齢者で免許更新を母に聞きました。 

更新試験を受ける際は、小グループの中で希望する人だけが実際に運転し、残りの数人は同乗するだけだったそうです。普段乗り慣れない教習車で行うため、みなが遠慮していたそうで。 

他は一般の更新時とあまり変わらない内容で、認知症の検査のようなものが加わった程度だったと話していました。 

一般の教習所での講習となるため、まず予約を取るのが何より大変で、教官からの指示に文句を言う高齢者もいるとか。仮に体が不自由でも更新はできてしまうのだろうなと思いました。 

今はより厳しくなっているのでしょうか…。 

個々の状況に応じての講習は難しいと思いますが、高齢者の事故があとをたたない中、更新という機会にもう少し何かできないかと考えてしまいます。 

 

面会をされることで、これ以上心を乱されることがなく、少しでも休心なされると良いなと思います。 

 

 

・最愛の奥様と娘さんを奪われたのに、誹謗中傷を受けておられる事に酷く憤りを感じました。 

先日も70代の暴走車で犠牲者が出ました。 

 

お辛い中、面会されるとの事ですがどうかよい方に事態が動くことを祈るばかりです。 

 

 

 

・松永さんのインタビューを見て、私は高齢者の父親の運転をやめてもらうために説得しました。 

大喧嘩になり一ヶ月以上時間はかかりましたが、なんとか運転を辞めさせることができました。 

松永さんには本当に感謝しています。心の底から応援しています。 

 

 

・面会してもどうにもならないと思うんだけど、遺族として区切りをつけたいのなら意味もあるのかも。 

杖が無ければ歩けない人間に普通車を運転させ続けている現在の交通法規の欠陥を正してほしい。 

運転免許の年齢上限を決めることとか。 

年齢を問わず自分の足で歩行できないドライバーには障害者用の上半身だけで制御する車に限定して許可すべきとか。 

 

 

・交通事故は悲しい。私も普通に走っていて突然目の前に一時停止しない車が出てきて避けきれずぶつかりそのまま田んぼに落ちた。エアバッグが開き車は大破。ムチウチになったし車は直せないでなくなったけど、それでも走行中だから1:9で0にはならないし、ぶつけられ損。私がもし子供を乗せていて子供が何かあったら許せないけど、逆もあると考えたら怖かった。若い時も高齢者に後ろからぶつけられた事がある。事故は誰でも可能性があるから、今の車は前後自動ブレーキ付きだけどそれより自分の能力が劣って来たら 

車は運転したくない。加害者にはなりたくない。本当に交通事故は悲しい。 

 

 

・松永さんは事故そのものと向き合って、こうして加害者と会ったりしなければならなくて大変なのに、いまだ誹謗中傷するような相手とも裁判でやり合わなければならず、本当に大変だと思います。どうせ裁判では負けるとわかっているんだから、意味のない誹謗中傷などはほんとやめてほしいと思います。松永さんの貴重な時間を奪うような馬鹿な真似は本当にやめてあげてほしいと思います。 

 

 

・この手の人と、まともに意思疎通が出来る前提で話をすると、多分メンタルやられると思うよ。 

こちらの想定のはるか彼方の返答しか、返ってこないと思って対応する事をオススメします。 

区切りをつけるためには必要な事だと思うし、いままでも大変な思いをしてきたとでしょう、できれば良い結果になって欲しいと、願っています。 

 

 

・理不尽な事件が数多くあるなか、法の壁に守られて刑に関しても、被害者遺族の願うところまでいかないのは日本の法制度の現状。犯罪者高齢化や犯罪が凶悪化してるわけだから日本の法制度も変化していくべきだと個人的に思います。 

 

 

・やっと悪いことだと認識できたんですね。 

裁判で罪を認めたのも、加害者家族の勤める会社や学校に電話での非難や取引中止などの実害が出始めたからか、渋々認めた感じがしました。 

損害保険も民事裁判で和解することなく判決まで争いましたから、被害者2人の命より保身と金に執着した、醜い事件でした。 

ただ、懸念としては謝罪の言葉を一言言って、あとは自己弁護、自己保身に終始する人も多いので、結局何も変わってないこともあります。 

 

 

・この事件事故が無ければ、今も松永さんは奥様やお子さんとの普通の生活が送れたはずだった。もしかしたらお子さんがもう1人居たのかも知れないとかね。いろんな事をご家族で経験しながら生きて行くはずだったのに。 

 

他人の自分でも悲しい気持ちでいっぱいになり、加害者の不誠実な対応に怒りを覚えた。 

松永さんやご遺族は5年間闘いながら生活をして来た心労は到底自分では計り知れないもの。松永さんには本当に幸せになって欲しい。 

 

 

・本当に酷い事故だったと思います。事故の悲惨さとその後の加害者の扱われ方と主張ばかりが優先され伝えられてきた印象です。日本には法の元の平等とは存在しないと確信した事故でした。被害者家族としてひとつひとつ直向きに向き合う松永さんには思いを寄せずにはいられません。事故から目を背けない松永さんの姿勢がいつか加害者の真の自戒に繋がるように願うばかりです。私達もあの愛らしい奥様とお子様の存在を忘れる事のないように。 

 

 

・松永さん、立派だと思う。 

何の落ち度もない「幸せいっぱい、未来の希望に満ち溢れた家族」がある日突然、一瞬で消滅した…。そして、自分だけが残った。 

想像を絶する絶望感、虚無感…。 

その中で声を上げ続けて、時には心無い人間に叩かれ、それでも前に進んで。 

松永さんにとって唯一無二の大切な家族が消滅してしまった事実は変わらないけど、「被害者の権利」というもののために本当に粘り強く法と向き合い闘い続けて…。 

元院長(何故実名を伏せるのか理解に苦しむが)が、どのような面持ちで松永さんと面会するのか気がかりだが、どうか松永さんと亡くなられたご家族の思いをしっかり受け止める面会になり、松永さんにとって一歩を踏み出せる機会になることを心から願います。 

 

 

 

・松永さんは本当にすごいと思う。この方の記事を読むたび、涙が溢れてくる。 

思い出すだけでつらいであろう妻子のことでずっと闘い続けておられる。 

そのことですごくいろんなことが変わってきた。この方の努力は報われていると思う。 

松永さんを誹謗中傷する人がいるけど、負けないでほしい。 

 

 

・今までの経緯からして、面会の意思を示されてももし私が松永さんの立場だったら受け入れるか分からない。 

それくらい妻子を奪われただけでなく被告の反省の見られない姿に憤りを覚え、心ない人達からの誹謗中傷に苦しめられる毎日だったと思う。 

 

面会を受け入れることで前に進める希望もあると同時に、本当に期待できるのか恐怖もあると思う。 

松永さんの強さに感服します。 

被告はしっかり松永さん家族と向き合い、真摯に償ってほしい。 

 

 

・最近、横断歩道の塗装や道路の各白線などが剥がれたままの道路が多いような気がします。交通事故は最後はドライバーの責任だと思いますが、やれる事は行政もやってほしいです。横断歩道も車と歩行者の分離式信号の方が接触事故は減少します。この池袋の暴走事故は高齢ドライバーの問題や踏み間違え操作の怖さを教訓として再認識させてくれました。ご遺族の苦しみが無駄にならないように願うばかりです。 

 

 

・この事件は加害者の頑固なまでの自己保身により被害者である松永さんが家族を亡くされた苦痛以上に無念を晴らすために苦労しなければならなかった心癒す時間も無かった悲惨な事件だと思います 加害者本人の家族が全然表に出てこないのもすごく私は不思議です 障害高齢者にいつまでも運転を許していたわけで息子さんなど六十代ぐらいなはず、世間の常識も身内としてどう被害者にお詫びをしなければいけないか判断できるはず 

 松永さんが少しでも前向きに新たな人生を歩めますように願うばかりです 

 

 

・自分や自分の大切な家族だっていつ加害者になるか分からない、老いることの怖さ、車の怖さ、いずれも我々が簡単には避けて通れないところ。元院長はもちろん許されるわけではないが、他人事のように誹謗中傷している人の無自覚さも怖い。 

犠牲者を悼み、自らが老いること、車を運転することについて改めて見つめ直し、極めて注意深くあるべきという意識を持つ。それこそがこの事故を我々が捉える上で最も重要なポイントだと思う。 

 

 

・この事故に関する記事を読むたび、松永さんの実直な人となりに頭が下がります。 

大切な家族を失った悲しみ苦しみは想像を遥かに超えていると思われるのに、自分に向き合い行動を起こす。更に傷口を広げるかもしれないのに恐れない。そして立ち向かう姿勢に敬意を表します。 

自分もいつ被害者に、いや加害者になるかもしれません。車を運転する以上は、このような悲しい事故を常に頭に置いてハンドルを握ります。 

 

 

・松永さんがこうした被害者としっかりとした対話や、そのやり取りを通じて、こうして被害者と向き合って前進されていることやこうしたことを発信されることが、素晴らしいと感じました。 

また、この事件は高齢者の免許返納問題にも一石を投じた事件の一つであり、それによって返納数も増えたことや、この問題を考える良いキッカケになったと思います。 

それは、松永さんの功績だと思いますので、今後もしっかり歩みを止めずに、進んで欲しいと思います。 

 

 

・私は10年以上前からこういった惨劇を見るたびに、70歳以上はMT車か、ATしか乗れないならアクセルをフルスロットにしたときはエンジンが自動カットされる機能搭載を義務化すべきと思ってる。 

 

MT車は運転者の負担。 

アクセルカットはメーカーの負担。 

 

これ以上の悲劇を繰り返されないために、メーカーも負担して欲しい。 

 

 

・松永氏が抱えてきた様々な苦悩がこの面会で少しでも解消されればと願います。 

「一緒の視点で」 

なかなか言える言葉じゃない。 

 

老い先長くないとはいえ元院長には深く反省頂き、起きてしまった事実を受け入れ松永氏の為に、そして自身の為にそして今後の同様の事故のために出来る事と向き合っていって欲しいです。 

 

 

・自分が松永さんの立場になってしまった時、ここまで冷静に自制できる自信がない。 

 

どんな肩書きがあろうとも罪を犯した受刑者。この人にできることは、日本の技術力を結集し、運転免許証と本人認証がなければ車のエンジンがかからない仕組み等を開発するのが最低限の償いではなかろうか。 

 

 

 

・ここまでこぎつけた松永さんの粘り強い闘いに心から敬意を表します。 

またこのことは同様の被害に遭われた方にとっても大きな意味を持つと思います。 

今後の動向を静観したいと思います。 

松永さん、応援しています。 

 

 

・アクセルとブレーキの踏み間違えが多く発生しているのだから、中古も含めてECUに後付けで、アクセルベタ踏みすると動力伝達しないように改良入れればいいのに。メーカーの義務として。 

完全に踏み込むとクラッチを切る。80%踏み込みくらいにアクセル全開を設定しておく。 

アクセル全開が必要になる場面なんて基本的にない。そういう運転してる人は自分の運転を見直すべきだ。 

トヨタとかやらんのかね。自動運転を待ってる間にまた事故起きるで。 

 

 

・運転免許の年齢制限の上限を設けるべきだと思います!高齢化社会で、高齢者による事故が増えています。便利なのはわかりますが、運転能力がない人間が扱えば、車は凶器です。またこの人のように、自分の衰えをわかっていない、自分の非を認めない高齢者も多いです。この対策は、法的に制限するしかないと思います。 

 

 

・松永さんは表立っては冷静にしているのが人格者だと感銘を受ける。 

このお父さん旦那さんとなら幸せな未来が続いていたであろう、この方が選んだ奥様そしてそのお子さんは素晴らしい方なのだろうと想像します。 

それを奪ってしまった受刑者の身勝手で無責任な行動に憤りを感じる。 

体の機能がそこまで衰えているのに…運転支援の無い旧型の車で…何より過失を認めない頑な態度。 

残り少ない人生。飯塚氏はやはり人間であった。と言われるように真摯に向き合って欲しい。 

 

 

・75才以上の後期高齢者の免許返納が進まない事情は、便の悪いところに住んでいるからである。特に地方は公共交通機関がなく、あってもバスが1時間に1本とか1日に3本など。それなら70才以上は免許更新時に実技試験を受けるべき。3回以内に合格しなかったら免許は失効するといったように。ますます高齢者が増えているのに、高齢者による事故は減らない。昨今でも通学中の小学生が巻き込まれたり、病院やコンビニに突っ込んだり。ほとんどがアクセルとブレーキの踏み間違い。私も彼岸に墓地の駐車場の車の整理の業務をやってましたが、高齢ドライバーに駐車場で轢き殺されそうになりました。アクセルをゆっくり踏まないからスピードがでて慌ててブレーキを踏んでました。ブレーキは急でもしっかり踏む必要がありますがアクセルはゆっくり踏めば良く、急に踏む人が事故を起こしています。アクセルとブレーキの踏む認識が高齢になると曖昧になるのでしょう。 

 

 

・松永さんは凄いと思います。 

かけがえのない家族を亡くされて普通なら生きる気力すら無くなると思うが再発防止やこれからの社会を変えて行こうとする行動には心を動かされます。 

どうか高齢者が運転しないで済む事故が無くなる世の中が来る事を期待したいです。 

 

 

・高齢者の運転による悲惨な事故はあとを絶たないが、これは単なるアクセルとブレーキの踏み間違いだけでは済まされない潜在的,根本的な問題が有りそれらを解決しなくてはなかなか改善は難しい事だと思います。 

国,警察,自治体,自動車メーカー等が協議して協力し合わなければならないと考えます。 

 

 

・高齢者によるクルマの暴走事故が減らない背景には高齢者自身の認知機能と運動機能の低下の他に、こうした人間でも運転できる免許制度である行政の仕組みと、ズボラな運転ができてしまうAT車を開発したメーカーの責任は決して小さくはないと思う。 

 

更に言えばメーカーによる不意の暴走に対処するための安全機能の開発の遅延が新たな事故と新たな被害者を生んでいる事にメーカー側が瞑目してきたのも問題だし、せっかく開発した安全機能装置の装着を新型車だけでなく中古車へも搭載できるようにしなければならないのにそれを怠り、装着は義務ではなく任意として高齢者のクルマに搭載できないでいる事も問題ではないかと思う。 

 

もちろん、それらの装着に費用がかかる面もあるが、そもそもクルマを持てる層は資産がある層なのだから、安全装置の装着にかかる費用くらい負担して貰いたいと思う。 

 

 

・「同じ事故を防ぐためには、加害者と被害者の違いを乗り越えてわかりあわねばならない」 

1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故のあるご遺族が俺に言ったことで、この言葉は今も胸に突き刺さっています。 

憎しみ合っても、罵り合っても、何も生まれません。 

わかり合うことはできないかもしれないけど、この面会から何かが生み出されることを願います。 

 

 

・池袋の事故は、老年者の運転に多くの教訓を与え、免許返納とか、運転を控える等の風潮が高まり、制度にも、免許更新審査項目にも、認知症検査等が追加されました。 

自分は後期高齢者ですが、池袋の事故の二の舞を踏まないように市街地を走る時や、バックや駐車場スペースに入る時はなるべくブレーキに足を乗せる様にして、アクセルとブレーキの踏み違いを無くす様にしています。 

一度だけ緊急停止時も、ブレーキに足を乗せて居たため反射的に踏み込んだのがブレーキでした。止まってよかった。アクセルならとんでもない事になっていました。 

免許更新時の審査にも、杖使用者は脚が弱っている証拠ですから、アクセルとブレーキ間違いると大変ですから、更新対象外にするとか、簡単に判別出来る事は検討した方が良いかも知れません。 

 

 

 

・私の父も晩年は認知症で、遥か昔の記憶だけで生き現状把握もできず、周りの方に散々迷惑を掛け85歳で逝きました。 

ですから、認知症になった父の無責任さや横柄さ、それを見守る母や我々家族の心労も痛い程味わっています。 

 

それぞれ状況は異なり一概には言えませんが、認知症の方は質の悪い幼児と同じで、その言動の結果の総ては保護者、つまり母や息子の私が全面的に負うべきだと考えています。 

 

私はこの5年前の事故責任は、判断能力もない幼児ではなく、車の所持や運転を許したご家族の方にあると強く感じています。 

 

高齢者の運転免許制限や返納にしても、難しい問題はあるでしょうが、その家族の責任まで含めた法整備等を検討し、この種の事故を1件でも無くす施策をお願いします。 

 

 

・うちの父は20代からずっとマイカー持ちで車の運転をしてたんだけど、心筋梗塞をやってからすっぱりやめた。口では「最近あおり運転とかあって怖いからさ〜」とか言っていたが、本心はまたいつ心筋梗塞を起こすかもしれないし、それが運転中だったら…という心配からだったと思う。  

頑固だと思っていた父があっさりこの決断をしたのは私には驚きだったが、昨今老人の事故(アクセスとブレーキの踏み間違え)を聞くたび父が運転を諦めてくれて良かったと思っている。 

 

 

・松永さんは、この悲しい事故を悲しいだけにとどまらせず今後に…の他に、風化されて大切な二人が忘れられるのが嫌という思いもあるんじゃないかな。 

加害者の爺さんが、量刑争いの時の自我ばかりな自分とは別に、罪もない他人の大切な家族を奪ってしまったことを猛省出来る心を持っているよう人であることを祈る。 

 

 

・松永さんのニュースを見て、免許返納をした人や、返納を説得した方や、家族会議した方など、決して他人事じゃない、いろんな意味で考えさせられた事故だと思います。今回の面会のことで、松永さんが少しでも前に進めることを願ってます 

 

 

・松永さんと元院長の思いは、お二人にしかわからないので、周りが無責任な事を言うべきでは無い。この事故でもう一つ大きな問題は、アクセルとブレーキの踏み間違いの問題である。毎日のように全国で、この事による事故のニュースが報道されているのに、どの車種の踏み間違いが多いのか、なぜ踏み間違えるのか、そこの議論は聞こえてこない。高齢者の運転を暴走族のそれと同じように結論付けていないだろうか?間違える、を間違えない構造にする事が先決かと思います。 

 

 

・元院長ではなく加害者名を明記 

逮捕時も足が不自由で拘置所生活 

加齢が更に加速してまともな会話がなりなつのだろうか? 

松永さんが面会した時により一層のダメージを受けないと良いが… 

訳の分からない足腰不自由な老人のあやふやな運転で妻や娘を失った事に改めて虚しさを遥かに超えた深い哀しみと共に此の先の人生を歩むのかな?まだまだお若いのでいつか心底笑顔になれる環境に身を置くことを願っています 

 

 

・ちょっと厳しいこと言うようだけど、松永さんもそろそろ気持ちを切り替えてみてもいいんじゃないかな?仕事とかしてるの? 

もちろん、大変な事故に見舞われたのはわかるし、受けた心の傷も理解できる。 

でも、失礼ながらずーっとそのことばかりに囚われて生きてきてるように見えるんだよね。 

それも無理ないとは思うんだけど、他の同じような事故被害者やご遺族達が話題になることもなくひっそりと耐えてることを思うと、ちょっと複雑な心境にもなるんだよ。 

事故現場にモニュメントとか建てたのも他のご遺族からしたらどうなんだろう? 

ご家族のことはあなたの心の中に留めて、前向きに生きて行くのはムリなのかな? 

 

 

・奥さんは2人姉妹で、お姉さんはご病気で早くに亡くなられたんですよね。 

この事故は松永さんから2人の愛する家族を奪っただけでなく、松永さんの義理のご両親から唯一の娘をも奪った悲しい出来事。 

 

これ以降も高齢者ドライバーの事故が度々報道されていますよね。本当に本当に規制が必要だと思う。 

 

 

・顔スタンプの、 

共感した。なるほど。うーん。がありますが、この記事に うーん。を押される方、何人かいらっしゃるんですが。 

色んな人がいるんだなぁ。と思います。 

私はこの事故だけは。事故後を直視したので。忘れられません。 

松永さん これまでもよくここまでやってこられましたね。頑張りましたね。なんて言葉じゃ失礼ですが。松永さんが幸せに、また笑顔になれる日を 松永さん自身で幸せ作っていってもらえたら幸いです。 

私なら。耐えられず。死を選んでしまうかも。 

でも松永さんは、亡くなったご家族の死を無駄にしないように。高齢者危険運転!訴え続けることで、誰かの命を救う事。まなさんりこちゃんの死を無駄にしない。 

必死に活動されてきたんです。 

 

 

・5年もの月日が経ったとは信じられない思いです。この事故は皆の記憶に残っていると思います。その間も高齢者の運転について、病気や杖が必要な人の運転等についても何も進んでいないように感じます。 

恨みつらみを言いたい訳ではなく前を向こうとしている松永さんの思いをこの翁がきちんと受け止められるか、なんとなく心配だなぁと思っているのは私だけではない気がします。 

 

 

 

・高齢者の事故ってそこまで多くない。少なくとも10代のほうがはるかに多いし、その次に20代前半。そして20代後半も85歳未満の高齢者よりも多い。 

高齢者の免許返納が義務付けるのなら、単純に考えたら免許取得を30歳からにするほうが効果的。 

その辺を加味したうえで議論しなければ意味はない。 

 

 

・上級国民の院長は自分の保身のため、最後まで自身のトヨタ自動車の誤制御を主張していて他責を貫いていたが、今現在はどのような心境なのか。 

当初から自責を認め、被害者に対して誠実に向き合ったいたら、遺族もここまで苦しむことはなかっただろう。自分は上級国民としてのおごりががあったのでしょう。だが被害者・遺族にはそんなことは関係のないこと。上級国民自らの口で心からの謝罪を聞けたら遺族の思いも伝わると思う。 

私自身も交通安全に努めたい 

 

 

・あの悲惨な事故からもう5年も経ったんですね。 

当初は車の不具合だとか、謝罪しなかったりとか 

色々報道されたので事故ではなく殺人じゃないか 

と思ったものです。 

家族からも免許返納を促されてるにも関わらず 

人を乗せて運転してあの大惨事になったんだから 

いくら反省したとしても情状酌量の余地はないと 

思っています。 

 

 

・私事ですが、青信号の横断歩道を渡っていて、右折車にひかれました。 

かなり飛ばされて、やっと路肩に避難しました、寒い夜でしたが、加害者は 

車に乗って安めとも言わずに、何処かに電話して、行けなくなったとか自分の用事の心配をしていました。 

警察に行き事故処理をして、夜中の0時近くなっていたと思います。 

その加害者は菓子折りの一つも送ってきませんでした 

 

 

・>「(面会したら)お互いの加害者になってしまった、被害者側になってしまったという経験を無駄にしないように、今後の事故が防がれるための糧になるように、一緒の視点をともにもちましょうと伝えると思います」 

 

松永さんはいつも冷静だなと思います。そして、強い。 

私なら無理だなと。 

怒る事、相手に酷い事を言うのは容易いかもしれないけど 

それを抑えて行動をされています。 

心はどれだけ傷ついたのか想像もできません。 

この事故がなければお互い知り合うこともなく 

それぞれのご家庭で楽しく暮らしておられたのでしょう。 

 

面会したときにどんな話しになるのか。 

謝る、謝れるばかりでは前に進まないし進めない。 

おふたりにとって更に前を向けるものであればと。 

 

 

・松永さんを応援しています。 

応援と言う言葉が正しいのか分かりませんが、こんなコメントが松永さんに届いて力になるといいなと思っています。 

 

大切な方を失ったのに罵詈雑言を受け、どれほど苦しみ涙し、たらい回しされ疲弊し心無い司法や言葉に辛い思いをされていただろうと私では想像も出来ぬ程です。 

 

松永さん、笑えてる時はありますかね? 

寛いでゆったり自然を楽しむとか、お酒を楽しむとか、友人と話しに花を咲かせるとか… 

事故のことを次にと血を吐く努力が実るといいなと思うと同時に、松永さんが普通に笑って普通に過ごせる日がきますよう願ってます。 

 

そしてそんな日に、周りの理解があるといいな。 

特にメディアの理解。 

 

 

・松永さん、立派だな。 

もし、この面会が実現して一区切りついたら どうか 世間の目も忘れて、貴方の役割も忘れて もう一度 幸せを見つけて下さい。もう一度 愛する人を見つけて 家族を持って下さい。 

これだけ有名になると難しいのかも知れないけど 世間は勝手に言いたい事だけを言って 貴方の今後の長い長い人生なんか考えてもみないのです。 

もう一度 貴方が幸せになる事、奥様もリコちゃんもお空から見ていて 喜んでくれると思いますよ。 

 

 

・友達の運転でいろんなところに連れていってもらったが、その友達は職業も運転手でA級ライセンスももっていたし運転も本当に安全運転だったけれど、何年ぶりかで車に乗せてもらった時、高速道路でパーキングから道路に出る時左の段差に乗り上げた。それを指摘したらのりあげてない!と言い張る。まだ65歳だったけど2度と乗りたくないとおもった。帰る道だったからよかったけど目もあまり見えないと言っていた。もう運転はしていないみたいだけど、目も見えにくいのだったら返納したらいいと思う。標識が霞むとかだし。 

 

 

・今のまま何もしなければ、高齢ドライバーの事故はこれからも減るどころか、どんどん増え続けると思う。 

うちの隣に住んでいる90歳近い爺さんも未だに運転してる、怖いとは思うけど俺が言う義理はないし、たとえ息子でも法的に止める手段はない。 

 

怖いのは歳をとることより、「自分はまだ若い」と思う事。 

 

介護士をしているとこの言葉の意味が良く分かる。 

 

 

・この事故をきっかけに色々と考えるようになり76歳の父に免許の返納まではいけてませんが車を処分し運転をやめてもらいました。他の地域に比べバスが充実していても、自分はまだ大丈夫だ!の一点張りで説得に苦労し…幸い大きな事故にはなりませんでしたが、1年前に父の不注意で事故。それでも説得に半年かかりました。 

免許返納はしていないので、一声かけて貰うようにはしていますがレンタカーを使ったりしないかヒヤヒヤして過ごしています… 

 

 

 

・あまりにも遅すぎるよ。果たして本当に罪意識があって謝りたいのか、出所後のこと考えた家族の説得の結果ではないだろうか。でもそんな父親の運転を黙認していた家族にも道義的罪はあると思う。でも本当に松永さんって人間的に素晴らしい人だと思う 

 

 

・この事件は明らかに加害者の老人が悪くしかも、何の根拠も無いのに車両の責任と言って罪を認めるどころか被害者や影響を受けた関係者に謝罪する事をしない人として問題がある老人なのに元社会的に地位が高い影響力があるので、実名報道すらされていない事の方が問題だと思う。 

 

 

・ここに応援のコメントされている方々と同じで私も松永さんを応援しています。 

愛する家族を奪われた悲しみは計り知れないでしょうにこの人の努力には頭が下がるし安全運転への意識など考えさせられます。 

本当にたくさんの方々が松永さんに幸せになってほしいと願っていると思います。 

 

 

・運転も定年制にすれば不公平感は無くなる。 

地方の不便さはそれも折り込む事になるが、そこは行政でサポートする必要がある。都市部の交通渋滞も車両が減る分、渋滞緩和に繋がるし、職業ドライバーの需要も高まる。 

車両運転の定年は70歳で良いと思う。 

 

 

・元院長に過度の期待を持たない事です、人間は本心を滅多な事では明かしません。口では何とでも言えますこの元院長メチャ自己中だと思います腹の底では何を考えて居るかは誰にも分かりません。松永さんも過去にとらわれ過ぎない事も大切だと思います、これからの時間も有ります忘却は有り得ないと思いますがこれからの時間も大切だと思います。 

 

 

・この事件を風化させないことが、松永さんの生きる意味になっているんだろうなと思います。私だってきっと、夫と子供を一瞬で奪われたら、何年経っても心の時間は進まないでしょう。他のたくさんの事故や事件、災害の多くの遺族も同じだと思います。どうか、(すでにこれ以上なく傷ついているとは思いますが)、これ以上に傷付きませんよう…報道されて私の知っている中での、元院長のこれまでの言動では、面会した松永さんがさらなるダメージを受けるのでは、と懸念がありますが… 

 

 

・松永さんには本当に頭の下がる思いです。 

幸せな家庭を一瞬で奪われた辛い体験を、もう他の人にしてほしくない気持ちが伝わってくる。 

一方、これだけの悲惨な事故があったにも関わらず、相変わらず高齢者の明らかに操作ミスからの事故が絶えない。警察は何だと思っているのだろうか。高齢者の免許制度の見直しを一刻も早く実施するべき。 

 

 

・そもそも日本は被害者が訴えなければ罪にならないような事が一番駄目だと思う この事件にしても万が一車の不備であろうと運転していてやった事実は変わらない それに対しての罪をきちんと償うべきだし 体の不自由でとかで刑が軽くなるような事は駄目だと思う 罪は罪として償うべきだと思う 日本の司法は腐っていると思う 窃盗詐欺等は被害額全額返済できるまで強制労働させるとか?罪が軽すぎるから何度も来る返したりすると思う 

 

 

・活動をされる色々な方がいらっしゃいますが、松永さんこそ本当に心ある活動をされる方だと、いつも尊敬しています。 

 

辛い思いを抱えたままなのに事故に向き合い、加害者を責めず日々行動される御姿に、頭が下がります。 

 

 

・今日でも高齢者による交通事故は頻繁に起こっています。 

この事故の教訓が全く活かされていません。 

たとえ高齢者から批判を浴びてもこのような悲しい方を生み出さない法改正が必要だと思います。 

 

 

 

・本来、面会を申し入れるのは飯塚側であり、受け入れの選択権があるのは松永さんだろう。腹立たしい思いで読んだが、それでも面会を申し入れる松永さんに頭が下がる思いです。真菜さんと莉子ちゃんのことはずっと忘れません。そして、松永さんが心の安寧を取り戻せるよう願っています。 

 

 

・高齢ドライバーの事故が急増してる中の痛ましい事故でした。悲しみは消えないでしょうけどいつか心安らぐ日がきますように。 

あと、国や地方自治体は道路も常に整備して欲しい。車線が消えてたり雨の日は消えかけてれば見にくいし事故に繋がり易い。 

 

 

・申し訳ない気持ちを持っていたら、 

毎日償いの言葉を遺族に伝えても足りないのに、 

5年間も面会拒否というのに驚いた。 

事故直後に保身を第一にし、 

警察には忖度をさせた事を死ぬまで恥じてほしい。 

この加害者が真っ当な決断をしてさえいれば、 

加害者の家族含め、こんなにも悲惨な事件にはならず、被害者遺族もほんの少しは救われたかもしれないのに。 

 

 

・この事故で私も当時70歳の父の運転をやめさせました。今のご時世70歳だとまだみんな普通に運転してるけど、明らかに前と違う部分って出てきてる年齢だと思うし、首都圏だからバスがあれば生活できる。1年位かけて、やめさせた。それくらい松永さんの行動は社会を動かしたと思う。 

 

 

・面会を"受け入れる"って何なのだろうと思ってしまった。被害者が面会したいなら何度でも自由にしたらいいと思うし、加害者にするしないを選ぶ権利があるの?と。 

早く年齢で免許返納を義務付けてほしい。後期高齢者になったらでも遅く感じるくらい。家族が返納してほしいと思っていても、近くに住んでいなかったらサポートも難しく強く言えない。 

この事故から信号が青で渡る時も、車が止まるかをしっかり見るようになった。運転手の顔も見ている。時は戻せないけれど、こんなことは二度と起きませんように…。 

 

 

・『お互いの加害者になってしまった、被害者側になってしまったという経験を無駄にしないように、今後の事故が防がれるための糧になるように、一緒の視点をともにもちましょうと伝えると思います』 

なんという達観、悟りを開いている。 

憎しみややり場のない怒りの対象であろうに。 

会って話すことで少しでも松永さんの心が軽くなってくれたらいいと思います。 

 

 

・人はいつまでも憎しみ(被害者)と自己弁護(加害者)の中で生きてはいけません。被害者は赦しの心、加害者は真の悔悟と謝罪、これで両者が人間としてお互いに向き合い、そして自分自身と向き合うことができます。どうかお二人が手に手を取る日がきますように。それが天国に行った松永さん母娘の一番の供養になると思います。 

 

 

・運転免許は65歳から1年更新 

75歳で失効に法改正してほしい。 

後期高齢者は個人差はあれど判断力や身体能力は確実に衰える。 

それは如何ともしがたい事実。 

これ以上、不幸な犠牲者を出さないために 

政治が真っ先に取り組むべき仕事。 

 

 

・松永さんは 

これからも生きていかないと 

いけなくて、心から楽しんだり、 

奥さんや娘さんが 

いなくなってしまった事実を 

忘れている瞬間があっても 

もちろんいいと思うし、 

そうあるべきだと 

思います。事故の遺族として 

ではなく、一人の人間として 

生きていけますように。 

 

 

・松永さんは亡くなった家族のためにもなんとか生きようと、長く重い苦しみの中で必死で頑張っておられる。呼吸をするのも辛いと思います。面会が松永さんにとっての希望となる一歩となって欲しい。そう願います。 

 

 

 

・松永さんの仰る「今後の事故が防がれる為の糧」がどこまでのものを指すのか図りかねますが、少なくとも「高齢者の運転免許制度のあり方」に繋がればと思います 

本当に聡明でお強い方だと思うが、私如きが察するに余りある程の深いキズを抱えてらっしゃるだろうとも思う。 

 

 

・もう5年も経ってしまって刑期をまっとうして出所しそうですよね 

いまだに高齢者の事故は後を絶たず 

田舎だと運転を止めたくても止められないという現実 

面会を受け入れても、この年齢でどこまで罪の意識があるのか・・・ 

時間は戻せないけど、改めてご冥福をお祈りいたします 

 

 

・被告も初めから素直に罪を認めて反省の意思を示していれば、執行猶予は難しいとしても年齢的に収監は免れたかもしれない。 

 

事故直後はブレーキを踏んだと思い込んでいても冷静になって証言や証拠を見れば踏み間違いだったと考えるのが最も合理的だと気づいたはず。にも関わらず不合理な主張を繰り返し自らのミスを頑なに認めなかったのは「自分達の間違いは絶対に認めない」と言うこの国の官僚気質が影響したのではないかと思わざるを得ない。 

 

 

・松永さん、偉いなあ。 

会うなんて。。。 裁判であれだけ不愉快な思いをなさったのに。。。 

加害者は、本当に反省しているのだろうか。会って、有効な話が出来れば良いが、また、言い訳、たらたらだったりしたら、心を痛める事でしょう。 

果たして、松永さんの配慮が伝わる相手なのかな。 

 

私だったら、加害者を無事に刑務所に送り込めた時点で、加害者のことは忘れて、亡くなった奥様とお子さんのことだけに思いを巡らせて、生きるな。。。 

 

 

・事故加害者と被害者が、同じ感情を共有するとは、考えにくいです。 

松永さんが、加害者に対して心から亡くなった方を悼み反省してほしいとおもっていても、加害者は不運だったとか仕方がないとか、初め車のメーカーが悪いように発言していたように、責任は自分にはないと考えて会えば未だに反省してないのかと、がっかりするだけではないか、会えば傷つかないかと。 

 

 

・私だったら配偶者と幼い子の命を奪い、さらに車に全ての責任を押しつけるようなことを主張していた加害者とは面会したくないです。できない。 

それでも松永さんは面会しようとしている。 

加害者の元院長が、松永さんの決意の強さを少しでも理解できればいいんだけど。 

 

 

・このような社会的反響の大きい出来事は、我々に何かしら気付かせるため、もっと言えば、自分自身を省みることを促しているような側面もあるように感じます。 

 

遺族へ思いを馳せることもそうでしょうし、元院長の姿勢が変化していることにも着目かなと感じています。 

 

これまでの自身の考え・ふるまい・行いに対して向き合い省みることは、外野から見たら簡単ですが、いざ自分が当事者となると、プライド、見栄、保身、非難されることへの不安、これまで築き上げてきたものを失うことや周囲の人から見放されることへの恐怖などが立ち塞がり、容易ではないのかもしれません。 

 

交通事故の加害者になってしまったら、殆どの方は、被害者に謝罪と償いをし、自分の行いを反省すると思うのです。 

が、これと同様に、そういう向き合う必要があることを誰しも一つや二つ抱えていて、そこに目を向けて下さいねというメッセージのようなものに感じられるのです。 

 

 

・心って見えないから 

態度や言葉を心だと履き違えてしまう事が時折あります 

見えるが故の弊害 

 

ただ、感じる事は本当だと思います、思いたい 

松永さんの痛みが少しでも癒え、昇華する事を願っています 

 

 

・記事の内容ではないが… 

もう「元院長」や「元首相」などの前役職を付けるのはやめてほしい。特に信用を無くした人は。例えば「森元首相」とか言われると現状の疑問や疑惑の話をしているのに過去の役職を讃えているように感じる。つまりは一般人なんでしょ。 

この記事の「元院長」は「現服役囚」なんでしょ。そして服役明けには一般人なんでしょ(再犯性がない場合は)。 

 

ただし薬物・性加害など再犯率が高いものは服役明けは一般人になるとは言えども、一生監視されるようにしてほしい。 

 

 

・外野の声に惑わされる事なく、事故当初から冷静沈着な対応には頭が下がります。一方で加害者の上級国民と言われた高齢暴走元院長は事故当初自分の非を認めず反省さへ示さなかった人間。時間が彼を変えたのかな、本当に心から反省しているのならば松永さんの思いが伝わったと信じたいです。 

 

 

 

 
 

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