( 157345 ) 2024/04/07 23:58:34 2 00 小学校時代の「完食指導」、会食恐怖症に 大人になっても心に残る傷朝日新聞デジタル 4/7(日) 12:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e7c0a9469d016ea36a8c8ddbb9d0b3b98dc04ebd |
( 157348 ) 2024/04/07 23:58:34 0 00 完食を求められる給食の時間がつらく、学校に行けなかった時期があるという加藤菜々子さん
全国の保育施設で昨年、完食の強要や、給食を無理やり口に入れるなどの不適切な指導が相次いで発覚した。完食指導は子どもの心に傷を残すこともある。
【画像】叱って食べさせて幸せ?「野菜嫌いはスクスク育たない」という妄想
神奈川県の会社員、加藤菜々子さん(26)は小学生のころ、先生から「全部食べなさい」と言われるのが苦痛だった。もったいないという気持ちはあるのに、小食で量がさほど食べられなかった。
「残したら怒られる。どうすれば残したことがばれないか」。パンはそっと隠してトイレに捨てた。ご飯はおかわりをするふりをして、入っていた元のコンテナに戻した。同級生がシイタケを食べ残し、掃除の時間まで席に座らされて吐いたのを見て、自分もそうなったらどうしようと不安が募った。
「おなかがすいていれば完食できるのではないか」。朝食をハム2枚だけにして給食に臨んだが、無理だった。
小学3~5年ごろには、給食の時間から逃れたくて「おなかが痛い」などと理由をつけて学校を休んだ。
中高時代はあまり困ることはなかったが、大学生になったときに「異変」が起きた。
新入生の歓迎会や友人同士のランチ。外で食事する機会が増え、ふと学校時代の給食の緊張感がよみがえってきて、食事がのどを通らなくなった。家での1人の食事は問題なかったが、大人数や他人がいる食事の場を避けるようになった。
ネットで調べ、「会食恐怖症」を知った。
杏林大の田島治名誉教授(精神医学)によると、会食恐怖症は一般的に家族以外の人と外で食事をすることに強い不安を感じ、その不安を避けようとすることで友人関係や恋愛、仕事などに影響が出る状態が半年以上続く。社交不安症(SAD)の一つに分類されるという。
加藤さんは精神科に何回か通った。社会人になったいまでも、大勢の食事の場ではまったく食べ物に手をつけられないこともある。会食恐怖症で苦しんでいる人もいることを多くの人に知ってもらいたい、という。
摂食障害に詳しい独協医科大埼玉医療センターの作田亮一教授は「給食での一律の指導をきっかけに摂食障害になる子どもが少なからずいる」と指摘する。
「時間内に食べないと指導される」とあわてて食べてのどをつまらせた経験や、ほかの子どもが急いで食べて嘔吐(おうと)してしまった姿を見るといった経験などがきっかけになるという。作田さんは「子どもの多様性に配慮した給食指導が必要ではないか」と話す。
朝日新聞社
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( 157349 ) 2024/04/07 23:58:34 0 00 ・好きな女の子が食べられない物があって困ってる時、クラスメイトに先生の気を引かせてその隙に俺が食べてあげてたなぁ。お礼に手紙付きのバレンタインチョコをもらって嬉しかったな。その手紙には「ドッヂボールや給食の時にいつも助けてくれてありがとう。大きくなったらお嫁さんにしてね」みたいな事が書いてあった。
その子は4年生の時にお父さんの仕事の都合と言って宮崎県に引っ越していった。今頃どこで何をしているんだろう。淡い初恋の思い出。
・私の頃は完食ありきで、皆が掃除している埃だらけの中を教室の隅っこで食べ終わるまで…という光景でした。 でも、時代は変わっていきます。 こんな事で心身に影響が出たり、学校に行きたくなくなったりしたら本末転倒に思います。 今の時代、各子供の栄養価は家庭で考えるべき事なのではないですか? 指導者によっては高圧的に言われたり、無理やり口に…なんてあってはならないことです。 好き嫌いなんて大人にだってあるし、成長過程で食べるようになるものです。
・何十年も昔、私も小学校1、2年でクラスの担任が非常に厳しくて、おまけに給食の担当も兼任だったらしいけど、私は肉が食べれず、少食だったのでパンも食べきれず…厳しい担当は放課後も私がパンや肉を全部食べ終わるまで帰えらせなかったですよ。無理矢理口に押し込まれるのも毎度の事。怒鳴られながら睨みつけられながら泣き泣きの日々でした。性格も暗くなってしまって子供ながらに憂鬱な小学校時代でした。思い出したくもありませんね。確かに食べ物を残すのはいけないと思いますがあのやり方はトラウマになりますね。
・私は昭和50年代に小学生だったが、その頃にしては珍しかったのかもしれないが完食指導に当たったことが無い。もちろん出来るだけ残さないようにとは言われたが少なくとも掃除の時間まで座らされていた人はいなかった。 私は好き嫌いがとても多かったが、嫌いなものでも頑張ってひと口食べよう、そのひと口分以外は最初からよそわなくていい。そのかわり自分で決めた分は食べ切ろう。 分けられるものは欲しい人にあげよう、という感じだったかな。 おかげで徐々にではあるが食べられるものが増えたし、給食は楽しい時間だった。 逆に私の子供達は幼稚園の給食(週一回だけ業者さんが持ってくるお弁当だった)で無理にポテトサラダを食べさせられた結果、いまでも食べられない。 完食指導など百害あって一利なし。
・大人でもその日調子が悪く無くても食欲はない時だってあるのだから子供だって同じ。給食は嫌いな物が出るとだいたい残って食べさせられているのは、いつも同じメンバーで皆でグチグチ言いながら食べていました。嫌いな物が出て食べれなかった時、掃除の時間になってもホコリの舞う中で食べさせられた事があるからその食材を見たら今でもその時の事を鮮明に思い出す事があります。
・私もまったく同じだった。完食しないと許してもらえないので、食べる前から喉がふさがってしまう。結果、食べられない。小学生時代は辛かった。 中学校も給食だったが、食べ残し自由だったので気が楽になり、嘘のようにたくさん食べられた。 ただ小学校のトラウマで会食恐怖症はしばらく残ったが、食事の最初にそこそこのアルコールを一気に流し込むと数分で恐怖症が去ることがわかり、それを実行しているうちに恐怖症も完治した。私は会食恐怖症の最大の妙薬は酒を飲むことだと思う。幸いにして会食の冒頭に酒はつきものだ。個人差もあると思うが試してみてほしい。
・今、住んでいる市では、20年以上前に私の父が中心となり、食べ残しゼロの取り組みをし、それが継続されています。と言っても、この記事にあるような強制完食ではありません。一旦、配膳が終わってから、口を付ける前に、多すぎると思った生徒は、鍋におかずなどを戻しに行きます。たくさん食べたい生徒たちは、配膳分が終わり次第、おかわりをしにいく、という仕組みです。結果的に、食の細い子も配膳分は無理なく完食でき、食べたい生徒たちは思う存分食べられ、みんなハッピーだったそうです。
・昭和50年代に小学生だった私は、子供会でカレーや焦げた焼肉を、無理やり食べさせられ、気持ち悪くなってから、今だに恐怖症です。 友人、親族でも外食の約束は自分からできません。誘われるとその時まで緊張で体調崩しがちです。 小中学生時は、クラスで完食運動があり、みんなの前で、食べれないので少なくしてくださいと一人宣言させられ、毎日一口だけの給食でした。 同じような人がいることを記事で知り、少しホッとしました。 気にしないよう、これからも無理せずやっていこうと思いました。
・昔、給食の時間内に食べきれずに掃除の時間も食べされられてる幼馴染の近所の女の子がいました。 それが可哀想で先生や周りの子たちの目を盗んでは僕が一気に食べてあげ、牛乳も一気に飲み干してあげました。 お誕生日会に誘われてその子の家に行った時は食事は普通に食べれてて『〇〇ちゃん食べれるやん、よかった!』って言って安心したのをいまだに覚えてます。 その子のお母さんは僕の母に聞いて、僕が一番先な食べ物を誕生日会に準備してくれたこともあとで知りました。 何よりもあの頃の自分が凄くピュアだったのを思い出し、今の自分を見つめ直す機会にもなった気がします。
・給食の時間は本来は学校生活の中で1番楽しみになるはずなのに。 たくさん食べる人、あまり食べれない人、好き嫌いが多い人いろんな人がいると思う。 私が小学生の時は早く食べ終わった人やまだ食べたい人が余ってるパンや牛乳をおかわり出来た。 食べきれないから残って食べてる人を見たことはないから友達に分けてたのかもしれない。 基本的に完食指導は間違ってはないと思うがその中で食べきれない人への配慮や対策は必要だと思う。 お裾分けシステムを作ったり最初から盛る量を減らす事で改善はされるのではないかな。
・小学生三、四年生の二年間の担任の先生がそう言うタイプの先生でその二年間だけはあまり学校に行かなかった。みんな食べたお肉をわたしだけお腹いっぱいで食べれなくて残したらみんなの前で責められた。給食以外でも発言が悲観的で嫌味を言う先生でした。最後の二年間の担任の先生は多様性を認めてくれたり生徒に寄り添ってくれて皆勤賞でした。学校側のやり方というか教師それぞれの性格というか性質というか、それで学生時代というのは変わる。出会う人って本当に大事だなと、思います。
・残さないためにも自分が必要な量だけ取りなさい。これが最も重要な指導じゃないかと思います。 とはいえ好き嫌いが多い息子がいるので分かるのですが、自分の嫌いなものはいつまでも食べようとしない。そうすると偏食になり栄養が足りなくなるという心配があるし、本当に難しい問題。
・多様性の尊重は結構ですが、現場の教師への要求の多様性は看過してはいけないと感じます。 食事の指導なんかは家庭の躾の話であって本来教師が担うべきではない役割。 まずは家庭できちんと食事指導をし、どうしても苦手な食べ物がある場合は親が前もって教師に相談しましょう。 家庭で担うべき責任を果たしてこそ周囲にも助力を得られるというものだと思います。
・私も時間内に食べられなくて、食パンを引き出しの中にそっと隠し、あとでハンカチに包んでランドセルの中に入れて帰ることがよくありました。親に残したことがばれないように草むらの中に入って捨てる時の嫌な気持ちを今でも思い出します。とにかく強制はよくないです。食の細い人はあらかじめ申告して少なくしてもらうようなルールの方がよいと思うのですが。給食費を単純に量と金額をイコールで考えるのではなく「食のサービスを受ける費用」と考えて欲しいです。
・私も小学生の頃、小柄でかなり少食だったので おかずが多い日、苦手なものが出た日などは お昼休みになっても 泣きながら食べてたのを思い出しました。 ある程度時間が経ったら配膳室に行き 残飯のところに捨てていましたね。
ですが、基本的には クラスの男の子がご飯半分食べてくれたり 牛乳をもらってくれたりして すごく助けられていた日もありました。
量が調整できるものは 事前に盛る量を少なめにして 欲しいと伝える日もありました。 貰ってくれる子がいない時は こっそり牛乳を持ち帰ったり ビニール袋を持参してその中に入れて 持って帰って捨ててましたね。
トラウマになる気持ちすごくわかります。 時代の変化でだいぶ変わってると思いますが、こういう思いする子達が少しでも減ってくれてたらいいなと思います!
・自分は食い意地が張っていてなんでも食べられましたが、友達の何人かは、可哀想なくらい居残りさせられていました。大人になってもその光景は忘れません。今はアレルギーに対する理解も広まっているので指導は絶滅したものと思っていました。まずいものはまずいし、怖いですよね。臭いの感じ方も個人差があります。知人に大学の食堂で食中毒にあたり、以来恐怖症で、会社員になっても食堂では食べられず、昼は一人でおにぎりという人がいます。
・私も小学生の時に1年入学早々厳しい先生にあたって、給食が残せないことが苦痛で辛かった記憶があります。 周りでも嘔吐する子もいるし、それも恐怖。嘔吐が(見るのも自分がするのも)怖いって言うことも理解されないし、学校も親に行けと無理やり行かされて味方が全くいなかったのがつらかった。 書かれていることが自分のことのようで、同じように苦しんでる人がいるんだなと思った。 今でも残しちゃダメって言う変な記憶があって、少しでも残るとこっそり隠して持って帰ってしまいます。(なるべく量が少ないものを頼むようにはしています)。 人の目も気になるので食事が楽しくないです。 食事をしていると何と戦っているんだろうって気分です。
・今から40年前、当時の私は偏食がひどく給食をいつも残していました。担任だった教師は厳しく昼休みになっても独り教室にいた事を思い出しました。 親の教育がどうのこうのと言われた事もありました。 私はてっきり昭和の時代の事と思っていましたが、平成でもあっていたのですね。 食べ物の大切は充分にわかるのですが、もっと子供達がトラウマにならないような教え方も必要だと思います。
・私も小学校低学年の頃の担任の先生が 食べ残しだめな先生で、 好き嫌い多かった私は 昼休みや放課後まで食べてました…
お陰様で当時よりは食べられるものが増えて 食べ物に対する有難みも学び、 出されたものは全部きれいに食べるように 意識できるようになりました
けど、このやり方はトラウマになる人もいると思います。 食べるのが嫌いになる人も出てくると思います。
そんなふうにならないような配慮も 必要なんじゃないかと感じました。
・今の贅沢な食糧事情を考慮すると、特に戦争していた頃の日本は、とにかく好き嫌いなど言っている状況では無いですし、軍人もネズミや蛇など何でも食しつつ飢えで多くの方が亡くなっています。この問題は、贅沢になったことでそういった病気が出てきたという一面もあるし、うつ病などの精神疾患による拒食症などもある。精神疾患であれば是非精神科関係に詳しい専門医に解決策を研究して欲しいと願うばかりです。基本的に学校給食は保護者も助かるし、教師も今まで通りで良いと思う。ただ、食べられないのが精神疾患であれば、医師の診断書を提出して、親は我が子の弁当を作ってあげればよいと思います。後は将来、自分が就職して独立した際、親に頼らず自分の給料だけで生活する(インフラは当然、お客様との付合い等で結構出費する)厳しさを思い知ることと思います。
・人それぞれ食べる量も違えば、好きな食べ物、苦手な食べ物があって当然。子供だけじゃなくて大人だってそうだし。子供時代に苦手な食べ物があっても大人になったら自然と食べられるようになったりするもの。小学校の給食で無理矢理食べさせる必要なんてない。そこまで学校に求めたら先生も大変。そこはそれぞれの家庭で頑張るところじゃないかな。これくらい食べておけば午後の活動に支障が出ない、くらいの知識は家庭で教えておく必要あり。 コロナ禍も終わったことだし、小学校の給食の時間はみんなで食べると楽しいってことに重点を置いて栄養補給してほしい。
・給食の後は掃除当番がお昼休みに掃除をする決まりでした。掃除は机と椅子を後ろへ運び掃き掃除→前に運び掃き掃除→元の位置に戻します。その間食事が終わっない人は掃除の人に合わせて一緒に移動して食べてました。私は少食で少なめに入れてもらっても食べきれずいつも一緒に移動していたので昼休みをほとんど遊べた記憶がありません。苦手なレバーの日は昼休みの間ずっとレバーを見つめながら座ってました。昼休み残りあと10分とかになると先生が「給食室に返してきていいですよ」と言うのでそれまでずっと座ってましたね。今思えば掃除の時に食事はホコリが舞うし嫌だなと思いますし、完食するのが正しい世代だったので当日はそれが当たり前だったのですが、昼休みはもっと友達といっぱい外で遊びたかったなと少しさみしく思います。
・私も小学校の時に、食べきれなくて開いている教室に移動させられて、それでも食べられなかったのです。先生は「給食室に『食べられませんでした、ごめんなさい』と謝りなさいと言って昼休みが終わるころに開放してくれましたが、給食室の方にも申し訳なくて毎日泣いていました。 そのうち心が病んだようで、給食の時間がくると涙が止まらなくなり、息が苦しくなって丸くなって泣き続けました。 先生や母親には仮病だと言われ辛かったことを思い出しました。
こういう事は完全に無くなってほしいです。
・給食は嫌いでした。小さい頃から食べるのも遅く量も多く、残してもいいですかと毎日言うのも嫌味を言われ、掃除の時間も1人で食べれない給食と向き合っていました。ときには片付かないからと一つのお皿にまとめられたこともあります。黙っていたとき、『お口がないのですか?幽霊さん』と先生に言われたこともあります。現在40代ですが 人と食事をすることは苦手でお誘いで外食もたまに行きますが、残したら怒られる、体調が悪くなると言う意識はついて周り楽しむことはできません…。こうして取り上げられるようになってから、自分を振り返り、食べれなくても大丈夫と思えるようになりましたが、なかなか変えられるものではありません…。怒られてばかりで食事はつらいものでしかありませんでした。
・精神的な辛さや症状は、給食がきっかけかもしれないけど、食事は人間生きていたら切ってもきれない大事な行動です。 確かに多感な時期に食事の在り方を給食という食育の一貫とすれば個体別に色々なアプローチが必要だと自身が子を持ち感じています。 私も給食は大嫌いだった。 でもみんなで食べると美味しいね!っていつも誰かに教えて貰っていた子供の頃。 苦手な物を頑張って食べて誰かに褒められたり、食べられず母親には、もう食べなくていい!!なんて怒られたり。食事については当時の思い出を今でも沢山覚えています。 食育と言うと仰々しいですが、今はいつだって楽しく美味しく食べれる事が私の一番の幸せ。 これは絶対に私の周りにいる皆様のお陰様です。 自分ひとりでは至らなかったかも。。 いただきます!ご馳走様でした!って。 今は素直に言える。感謝です。
・私も小学1年生の頃、時間内に全て残さず食べなさいという担任の指導下にある給食の時間がストレスでした。食べるのが遅くて、周りが机を下げたりしている中、一人だけ机と共に取り残されることが見せしめのようで苦痛でした。今思えばそれが原因で自分の存在に引け目を感じて、クラスにうまく溶け込めなかったように思う。只、校長先生が良い人で悩みに寄り添ってくれ、途中から残しても良いという指導法になり、余った分は食べたい人が食べても良いという感じになりました。通信簿の名前も片親の子に配慮して、保護者名から生徒の氏名のみに変わったり、色々と配慮が行き届いていた校長先生でした。広い視点で思いやれる指導者が大事だと思います。
・人それぞれ体の大きさも違えば基礎代謝も違うから食べる量も違って当然。アレルギーがあったりもします。 残り物があるともったいないと言うけれど、必要なものを必要な分だけ摂ったらあとは余分であって 無理して食べさせたってただ不快を生むだけで、もったいないが可視化されないというだけのことで、ものを活かしたことにはなりません。 献立にまで融通は効かないと思いますが、量については個人判断で良いと思うし、好き嫌いがどう、というのは家庭で子供個人の体を把握して指導するのが筋でしょう。
・自分も食べられない食材が小学生のときあり、吐き気で戻しながら食べていた。高学年になると、かまずにすべて牛乳で飲んでしまう食べ方にかえて対処した。
残さず食べようというのは、正直きつかったが、親でさえ調理法などに相当苦労していたのを思うと給食という仕組みの限界とも思う。 こういうのを対処してほしいといえばいうほど、では給食ではなくてはお弁当にしましょうとなるだろう。 程度問題なのだが、程度の認識が人それぞれ違うのでなかなか難しい問題だと思う。
・私も今の自分からは想像できないくらい、食が細くて、食べるの遅くて、給食の時間はあんまり楽しくなかった。 みんなに合わせて早く食べなきゃと思えば思うほど、美味しさも感じなくて。 決められた時間内に、みんなと一緒に、計算された栄養の食事を残さず食べる、という食育の一環なんだろうけど。 大人になった今、私は好き嫌いがあまりなくて残すことは先ずないけど、一緒にごはんに行く友達や同僚のうち、残さず食べる人の方が少ない気がする。 給食も、傷まず、衛生的に大丈夫なものなら、お家からタッパーを持ってきて、持って帰ってもいいですよ、くらいの感覚でいいのかなと思う。
・昭和・平成初期の小学生は土曜日があった分、一日のゆとりもあって給食を食べる時間ももっとゆとりがあったんだよね。 完全週休二日制になったのはいいけど、長期休暇を削るわけでもなくそのまま平日に一時限増やしているから、子どもたちは勿論、先生たちの帰りも必然的に遅くなった。 給食も、配膳するときに少なめでとかお願いしたり、苦手なものをクラスメイトに食べてもらったり、パンを半分持ち帰ったりする子もいて、平和だった。 うちの学校ではこういう問題なかったし、給食は誰しも癒やしの時間で、いい思い出しかない。
・私も小学校で完食をする先生がいました。 昼休みも給食を前に置いて、5時間目も教室に残されました。 幸いその日は他の教室だったので見つからないようにトイレに捨てに行きました。当時は汲み取りトイレでした。 よくパンに挟んでこっそり持って帰ったりしました。 とにかく残すのは駄目で完食のみ。 嫌いな物は少しだけ入れて下さい。が出来ると言う事が判って嫌いな時は少し入れてもらい何とか食べてました。 パンは半分は持って帰って良い事になっていました。 給食は大体美味しかったですが。
・私も給食大嫌いでした。 時間内で食べきれず、後ろに片付けられた机で昼休みずっと食べていました。 1人で。 大人になってからもみんなで食事をするのが苦手で、いつも緊張して気持ち悪くなっていました。 会食恐怖症というのですね。 幸い私は子供を産んでから食欲がすごく増えて 食べることが大好きになり、克服できました。 会食は本当に恐怖でした。 なので子供達には食べることが楽しくなるように、家では嫌いなものは出さないし、残してもいいと言っています。 私みたいになってほしくないので・・・
・今でもこのようなことがあることに驚きました。 私の小学生時代。 かれこれ50年以上前ですが、その当時は当たり前でした。 今と違って脱脂粉乳の不味いミルク、パンはともかくオカズの安い肉が変な匂いをしている時などには鼻をつまんでの飲食。 まだ我々はマシでしたが、当時はアレルギー体質には無関心でしたから、そのような子2、3人はいつも泣きながら本当に苦しそうに食べていました。 結局休み時間も遊べずに最後は飲み込んでいました。 大学時代に都内の中学校へ教育実習に行きました。 その時の給食の時間。 私の頃との違いに愕然としました。 皆適当に食べて、オカズでもパンでも食べ残しを勝手にバケツに捨てておしまい。 今度は逆に勿体無いなと思いましたが、東京ではこれが普通なんだなと納得していました。 だから尚更この記事を見て本当に驚きました。 食べ物を粗末にするのもダメですが、強要するのは論外ですね。
・私は元々少食で、幼稚園の頃に完食を強要され、みんなが遊んでいる時間も残って食べさせられ、終わったら自分で職員室に持って行かされていました。 小学校は給食を最初に減らすことができたので減らしていましたが、小3〜4くらいで給食の時間になると気持ち悪くなってしまい、最終的な対策として、給食の時間に母が迎えに来て家で昼食を食べ、授業に間に合うように学校へ戻る、という生活をしていました。 自分も母になって思い返すと、母には感謝しかないです。 そして、幼稚園で完食を強要した先生には、怒りしかないです。
・近年幸せな悩みのような話題が多いと思うのですが、これは多様性という話ではなく、生きるということを学ぶという話だと云いたい。
給食は最低限の栄養素と体を作るための量を大事に平等的に用意されているもので、もしかするとそこでしかまともに食べられない子も失調は起こさないようにできている。
体に(アレルギーなど要素的に)悪影響なら仕方ないけど、力士と同じように指導的に(誘導的に)食べさせないといけない。それが子どもの義務。
会食恐怖症…また病症名が増えたようですが、結局みんなに合わせられないなら、いずれなっていたものでしょう。
こういう子はだいたいメリハリができてなかったり、比較的裕福な家庭だったりする。自分のペースというものが保障される甘えられる生活をしているからなるもの。
兄弟親戚に取られるなんて経験なければいつでも出てくるみたいに思っていることでしょうね。
・私も小学校4年生の時に担任の先生が給食を残してはいけないという先生でしたので、それがプレッシャーになり食べれない時はパン等隠しながら持ち帰ったり、やはり給食が嫌で不登校になったりもしました。5年生になりクラス替えと新しい担任になりその先生は残してもいいという先生でしたのでプレッシャーが解かれて逆に給食を食べれるようになり身長もすごく伸びました。強制は気持ちを萎縮させてしまい逆効果だと思います。
・私は学校給食では完食指導はなく、苦手なものも一口は食べようと言う指導でした。そして頑張って一口口に入れた時、とても担任の先生に褒めてもらいました。次の時も頑張ろうと思えました。私の場合は自宅での食事が完食指導主義の母で、人参とインゲンの胡麻和えがどうしても食べれず無理やり口に捩じ込まれトイレで泣き泣き吐いた記憶がトラウマで今だにインゲンが食べれません。大人になれば味覚も変わり食べれるようになるものもあります。いくら教育とはいえ無理やり口に捩じ込まれ苦しくて戻してしまうことが続けばトラウマになり一生引きずることになります。 その母も今ではその事はすっかり忘れていますがやられた子は一生忘れられない傷です。
・教師はそうやって指導するように言われていました。食べられない子が食べられるようにすることも求められ、残食が多いクラスは栄養士の先生から叱責され、残量チェックなんて言うクラスごとのものまであり、食べないクラスの教師は吊し上げです。
若かったときにはそういうものなのかと思いましたが、時代が変わったんですね。今やレストランです。だから、給食指導はしなくて良いなら、給食のとき担任以外に業務をお願いして、担任は昼休憩に入る…なんていうのは夢でしょうか。もしかしたら、これも10年後は実現するかもなんて時代の変化に驚きながら教師続けています。
・小学生の時は少食な人は食べたい人にパンとかオカズを分けることができるみたいな決まりがあって配られた量じゃ足りなかった自分は助かっていた。 好き嫌い栄養が偏ってよくはないから指導は必要だと思うけど実はアレルギーだったということもあるし少食の人もいれば逆もいる 教員には難しい指導にはなるかもしれないけど柔軟な指導をしてほしい
・過敏性腸症候群もかなり多いけどまだまだ認知されていない あとは周期性嘔吐症候群 どちらも子どもの頃によく起きるんだよね 親ですら気付きにくいから学校側が気付くのはもっと困難
第一歩として、そういう症候群(内臓や神経の発達によるもの)があるんだよという知識を拡めていくことが大事
・自分も幼稚園の時に、担任の先生に無理矢理弁当を食べさせられ、しょっちゅう嘔吐しては、それで叱責され、周りの児童から冷やかされ、とても辛い思いをしました。もう半世紀近くの年齢になりますが、この当時の光景は今でも鮮明に覚えています。これがきっかけで、まさしく会食恐怖症になり、20代前半までは外食ができず、それが原因で彼女もつくることができませんでした。30代頃から自然にその苦しみもなくなり、人並みの生活ができていますが、つまり、この症状は明らかな外的原因があるのです。こんな強要は絶対にあってはならないのです。
・まだこういう学校あるのかなぁ。私の子どもの学校は全くそういうのはないなぁ。 給食自体も美味しいみたいで楽しみにしているし、沢山食べれる子が余ったものをジャンケンで食べるくらい。食べれない子には無理強いなんてしない。 友達の子でものすごい偏食の子がいたけど、食べることは強要はされないけど、残すことが気まずくて給食時間が好きではないって子はいたけど、体育が苦手、算数が苦手なのと一緒で、乗り越えるしかない話だと思う。
・体の大きさも体質も違うのに一律で同じメニューの完食を目指すことがなんの教育なのでしょう 食べきれなかったら、次からはどうするのか考えてもらう程度で終わりでいいと思う この話だけでなく、学校教育全般、なぜ必要なのかを説明されないことが多いように感じています 特に昔は先生が言うからその通りにして、意見するような雰囲気はありませんでした 教育に対して受け身な姿勢であることが善とするから、社会人になってからの学習や運動かける時間が少ないのではないかと ただ、子供の学校ではグループワークがあったり、生徒たちが考える時間も長くなってきたようで、少しずつ変わってきてもいるのも実感しますし、今後に期待しています
・人から命令されたり強要されることは拒否し、自分の選択だけがすべてという風潮をマスコミが拡大させているが、世の中の多くのサラリーマンは上司の命令で動かなければならないのだ。しかもその成果を出すことも要求されているのだ。学校時代だけ本人の自由で実社会に出た時に、様々な外部からの要求に応えられるのだろうか。学校は社会に適応できる大人になる訓練の場である。無理やり口に押し込むような指導は不適切であろうが、完食するという指導は栄養面から言っても正しいことだと思う。食べたくなかったら弁当をもってこればよいのだ。今の給食は親の負担を減らすためにあるのである。夏休みになると給食がないという親の不満がまた記事になる。そういうご都合主義がマスコミなのだ。
・うちの子も幼稚園の時に先生から「残さず全部食べなさい」と言われて嘔吐して以来、摂食障害になってしまいました。 全部食べなきゃダメだという強迫観念に襲われ、食べる前は恐怖で心臓がバクバクしてしまうようです。 息子は今は小学生ですが、あの時の幼稚園教諭は自分のした事で息子が今だに苦しんでいる事も知らず、日々子供たちと接しているかと思うと許せない気持ちになります。 教師は自分の言動がその子の一生にどう影響するかをよく考えて頂きたい。
・昭和の小学生でした
掃除、午後の授業中を経て16時すぎまで残されて給食とにらめっこして数ミリずつかじったことも何度かあり、やはり給食は嫌な時間でした。
後から思い返してみると、産休代替の先生の時がいちばんきつくて、次にきつかったのも若い先生。 ふたりとも普段はいじめっこや宿題忘れにも軽いお小言で放免したりあまり厳しくない先生でしたが、これだけは頑として妥協なく…おそらく学年主任だとか職員室内で先輩職員から厳命されてて、形として分かる残飯を発生させられなかったのだろうなと思っています。
・学校給食はたぶん味が合わなかったのか?自分でもわからないけど完食したことはないです。一時期食べ終わった人からお昼休みとなり、ずっと食べ終わらないからお昼休みがなかった。私ともう一人いました。数日でその決まりがなくなりました。たぶん先生も時間かけても何らかの理由で食べきれない子は一定数いると認識してくれたのだと思います。でも会食恐怖症とかではないです。人前でというより環境だったり味だったりが原因かな?と今は思っています。
・自分も小学生の頃、完食指導を受けて、給食の時間が過ぎても1人で食べさせられていた経験があります。 どうしても食べられない食材があり、口に入れても飲み込めず、ずっと口の中に入れたまま、地獄のような時間を過ごしました。 当時は幼かったこともあり、「なぜこんなことをさせられているんだろう」「理不尽だ」といった怒りの感情もなく、ただ漠然と惨めな気持ちにさせられていた気がします。
今も昔も、「好き嫌いがある=単なる食わず嫌いでワガママなだけ」というイメージがあり、アレルギー等により命の危険が無い限りは食べるべきだという風潮がありますが、本人からすれば「身体が嫌がっているものを無理に食べなければならない」というのは、純粋に苦痛なのです。
「人権問題だ!」などと言うつもりはありませんが、どうしても食べられない食材や量を、無理に食べさせようとするのは止めませんか?
・私は会食恐怖症にはならなかったけど、保育園では給食困難の連続でした。 当時、固いものが噛み切れなかったり苦手な食材も多くありました。 椅子をテーブルにして廊下で食べ終わるまで教室には戻れませんでした。食べられないものはどうしようもないよね、途方に暮れて1時間とか廊下にいましたもん。見かねた調理員さんが手伝って食べてくれました。 でも、そのうち悪知恵が…トイレに捨てることを覚えました(^_^;)
小学校からは食べられる分だけ盛り付けるシステムになりかなり楽になりましたが、それでも残ったら蓋付きご飯容器の中に詰めてそっと返品してました。
中学生になったら自分もそこそこ食べられるようになったし残すことも減りましたが、とにかく男子の食欲がまぁ凄い!プリンが出ると何故か配膳時に足りなくなる始末…男子1人で何個も確保してしまう(笑)先生激怒でプリン回収してました。
・現在26歳の方の時代でさえ、無理な完食指導が行われていた事が驚きです。自分が小学生だったン十年には当たり前でしたが、当時から問題にはなっていたはずなので、こんなにも進歩がないものだとは思いませんでした。 地元の小学校は給食後が掃除の時間だったので、少食で食べるのも遅かった自分は、その中で食事を続けるのが日常でした。幸いトラウマ的なものにはなっていませんが、給食が無ければ学校はもっと楽しいのに……と惨めな思いをした事は覚えています。 食べ物を残さない事と、無理矢理に食べさせる事とは全く別です。適切な見直し、というか考え方を変えてもらえる事を願います。
・うちの息子も会食恐怖症ですが、記事にあるように給食の際の担任の厳しい指導がきっかけです。自分が怒らていなくても、周りの友達が怒られたり、嘔吐したりを見ているうちに恐怖感が植え付けられてしまったようです。 担任には何度も相談しているのですが、あまり理解されず改善していません。 明日から新学期が始まりますが、給食の時間を考えると憂鬱だそうです。 家族で外食するときでも「残しても良いか」と何度も聞いてきます。回転寿司など自分のペースで少しずつ頼めるシステムは安心できるそうです。
・私も、毎日居残りでした。皆が帰った後でも帰らせてもらえない。今思えば、食べ物の好き嫌いではなく、完食しなければいけないプレッシャーが原因でした。家では好き嫌いなく食べてましたので。一番の難関は牛乳でした。 5年生になり、初めての男性担任。数ケ月は、私の様子を見ていましたが、ある日先生は、私の牛乳を飲んでくれると言った。先生の席まで、空になった牛乳瓶に私自身で自分の牛乳をそそぎに行く。その量は私が決める。最初は一口残るくらいにしてほとんどは先生の瓶に。毎日毎日続けていくうち少しづつ先生に入れる量が減っていき最後は全部自分で飲めるようになりました。3学期にはもう給食を皆と同じ量を時間内に食べられるようになっていました。私はその先生に救われました。あの先生がいてくれて本当に良かったと思っています。今でもその話を母親とします。あんな先生ほかにいないよ、と。
・私は卵と牛乳アレルギーでしたけど普通に食べさせられていました。どんなものでも食べれないと大人になってから困ると思われていた貧しい世代に育てられた飽食時代に生きてきてようやくイラネーヨって言える時代になってきました。時代が変わる為には必ず犠牲になる人がいます、そういう方々を思うと心が痛むところではあります。
・昭和40年代に小学生でした。北海道の炭鉱町で俺が入学した時から学校給食が始まりました。見慣れない食べ物やパンに興味が湧き沢山食べた記憶があり懐かしく思います。その頃でも少食こ子はいました、牛乳が飲めない子もいました。先生は持って帰れる子に持たせたものです。おかずは食べれる子に与えたりしましたね。良く食べたなぁ。食べれない物を強制的に口の中に入れるのは拷問以外のなにものでもないと考えます。食べる時には楽しく、が基本なのです。今の子供達が可哀想に感じます。
・子どもが牛乳が苦手で、毎日1人残されて牛乳飲んでいました。味覚に敏感で、好き嫌いが多かったです。おかなも弱いので、牛乳身体に合わないんじゃないかなと思っていました。給食は基本全部食べてましたが、牛乳だけはどうしても辛くてなかなか飲めなかったみたいです。
担任の先生に、ご配慮いただけないかとやんわり相談したのですが「私も牛乳嫌いでしたが頑張って飲んでました」と返事。昭和か?こういうことって担任の先生によって方針がすごく変わりますよね。この先生、噛み合わないなとあきらめました。割と細かいこと気にしない子どもですが、やはり毎日牛乳で残されるのが嫌だったみたいで、大きくなってからぼやいてました。ちゃんと上の先生に交渉すれば良かったのかな。難しいところです。
ただ、まぁ案の定というか、そのクラス、それどころじゃないくらい、大荒れで学級崩壊おきました。あの先生だもんな、と正直思いました。
・自分は保育園時代に、嫌いなトウモロコシを1粒を無理やり口に入れられたせいで、今でも生のトウモロコシを食べる事は出来ません。ただし加工すれば摂取出来ます。アイスのコーンとかコーンフレークとか。栄養の観点とかあるかと思いますが、それでも子供が嫌って居る物を無理矢理食べさせるべきでは無いかと思う。その時点では食べれても、将来になってトラウマで苦しむ、苦しませる可能性を考慮すべきかと考えます。
・嫌いな物を無理矢理食べるのは辛いと思います。でも給食は一人一人に合わせて作る訳にもいきません。だからといってお弁当になると困る親がいる事も確かです。ビュッフェスタイルにして好きな物だけ取って食べるスタイルにしたら良いかと思うけど、そんな予算もないのもわかってる。いったいどうすればよいのでしょうか? 私が小学生の頃は、嫌な事でもみんなに合わせてそれなりにこなしてたような気がするのですが、今は何かにつけてあれもダメこれもダメで現場の先生は本当に大変だなと気の毒になります。
・昭和の話です。 小学4年の時に転校しました。産休代理の副担任の先生(男性)の完全完食指導により、不登校になりました。 お箸を忘れると食べさせないなど先生独自のルールがたくさんありました。牛乳もお腹を壊すので苦手で、酢豚や量が多くて食べきれない日はわざとお箸を忘れていきました。しかし、割り箸を手渡され5時限目が始まる直前まで給食と向き合ってました。もちろん、クラスメイトが掃除をしてる中です。食べ終わるまでトイレなど離席は見張ってるのでできません。 そんな中、馴染むようにと学級委員を指名され転校生がなんで?と登校が苦痛で休みがちになりました。そこへ追い打ちをかけるよう家に迎えに来るようになりただただ、転校して学校が恐怖の場所でしかなかったです。。元の学校へ戻れるよう掛け合ってくれた両親に感謝してますが私の小学四年生はそのまま戻ってきません。あの担任の名前は今でも忘れない。
・私も子供の頃好き嫌いが多かったですが、昼休みにドッチボールの球を取りに行くため(各学年に2個しかなかったため)、急いで食べる必要がありました。 ドッチボールメンバー全員が揃わないと先生にボールを借りれないため、遅れると仲間に『遅い!さっさと食えよー!』と、怒られる始末。 そこで身に付けたのが、奥義『無心食い』でした。 どんな苦手な料理でも、味わうことなく口に放り込み、牛乳で流し込むという方法。 大人になり苦手な料理はほとんどなくなりましたが、すだかり早食いが身に付いてしまっていて、健康に悪いと自覚しています。
・昭和の教育指導はなかなかキツかったもんなぁ~ 体罰は普通にあったし、給食はお残しは許されないとあったから無理して吐いた物もあったな。 セロリが入ったサラダとビーフシチューと鯨汁は本当に食えない、中でも鯨汁は吐くくらいダメで、臭いだけでも吐き気出るくらいの拒否反応が出る。
工夫すれば嫌いな物でも克服出来そうな気がするが、給食で無理やり食わなければいけない状態だと嫌いどころか拒否反応…トラウマになるから配慮して欲しいものだ。
・今年60歳になります。 いまだに会食恐怖症です。 小学生の給食の思い出は掃除の時間まで一人で食べ食器を給食室に持って行くみたいな。給食が始まると気分が悪くなり吐きそうになり保健室に行ったりでした。高学年になると少しは食べられるようになりましたが、家族での外食も全部食べられない恐怖でメニューも全部食べられそうな、うどん、そばでした。 中学生は自分のお弁当なので楽でしたが、修学旅行とかの行事では喉が詰まり苦痛でした。社会人になって会食も多々ありましたが、お酒を飲みながらの上司は全部食べず残す人も多かったので自分のペースで食べるようになり、少しずつ大丈夫になって来ました。 でもママ友の会とか集団で食事はやっぱり苦手で食事の事を考えると参加できずでした。なので学校の給食は一人一人に目を向けて欲しい。 子供のころのトラウマは一生消えない
・自分も完食指導で食事が恐怖となりました。当時小1の給食時間の後は小6の先輩児童が教室をお掃除してくれるようになってましたが、自分のせいでお兄さんお姉さん達がお掃除できない、と先生になじられ「吐きたければここに吐きなさい」とバケツを足元に置かれました。毎日が恐怖で学校に行く時間になると高熱を出すようにまでなりました。 現在は会食は大好きなのでこの記事の症状とは違いますが、他人から少しでも食べる事を強めに言われると何も口にする事ができなくなる時期がありました。 完食指導とは何を身につけさせるためのものでしょうか?恐怖ですか?
・介助員をしてますが、自分の勤務先の小学校では配膳が終わってからまず「減らすひと―!」と声をかけます。中には少食の児童も居るので食べる前に調整してもらいます。その後で「増やすひと―!」と声かけし、食べれる児童に食べて貰う。 自分もそうでしたが、成長期に入れば自然と量は食べる様になるので、無理に食べさせられる程残酷な事はありません。 大人だって食欲無い時はありますので。 まあふざけていて食べるのが遅くなるとか言う時は、責任持って自分で片付けて貰いましたが(笑)
・小学校時代の給食の時間が本当に地獄だった。 もともと少食で量があまり食べられないのに、量を減らすことも許されず、全て食べ切るまでお昼休みを削られて食べさせられる。その間、連帯責任と言われ、他の子も一緒に待たされる。 もちろん周りの子からは早くしろと怒鳴られる。無理やり口に突っ込んで、昼休みにトイレで吐くを繰り返してた。本当に本当に辛かった。トラウマ。残すことを肯定するわけではないけれど、強制することも違うと思う。
・最近はテレビドラマとかでも紹介されて認知度が上がったから問題視されるようになったけど給食なんて何十年も前からあっただろうから相当数の人が悩んでいたんだと思う。メンタルの問題だから治るまで時間がかかりそうだけどいつかは会食が楽しい気分で臨めるようになってほしい。
・うちのコ、完食指導から会食恐怖、不安障害になりました。学校から「味噌汁だけでも飲まないと午後の授業には参加させられない」の一点張り。それが元で不登校になりました。大人なら、昼食食べないでも許されるのに中学生だと何故駄目なの?子どもに言われて、何も言えませんでした。給食が必要な家庭もあるのは理解できますが、選択できるようにするとかもう少し柔軟な対応があれば、大事な中学生時代を棒に振らなくて良かったのになぁと思います。
・こんな事言ってたら、私たちの頃の給食は脱脂粉乳で鼻をつまみながら飲んで、食事も本当に美味しくなかったし、唯一揚げパンが出た時は嬉しかったけど、それでも残さずに食べてたなぁ。みんな貧しくて、日曜日にはクラスみんなが近所のデパートに万引きに行って月曜日の戦利品を比べっこしたりした時代。給食は家で食べられない子たちにとってはすごいご馳走だった。脂身のすごく不味いシチューでも、お腹いっぱいになったから我慢して食べてたなぁ。今は凄く裕福だと思う。、
・私は小中と完食迫る先生にはあたったことなくて、給食時間が終わればそれで終わりだった。お皿に持ったものは食べきりなさい、量が多かったりとうしても食べられない食材があれば事前に減らしなさいって先生は居たけど。私は40代だから20年以上前の話です。私は好き嫌い多かったし少食だったから、完食強要だとつらかっただろうな。 最近でも行き過ぎた厳しい指導する先生って多いのかな。 食べ物を無駄にしないとか食べ物で遊ばないとか、そういう教育は大事だけど、それは家庭ですれば良いと思う。
・皆さんどこまで学校に頼りきりなんでしょうか。 給食が始まった当時は戦後すぐの食料もないような時でしたが、今はこんなに飽食の時代になり、多様性をこんなところでも求められるようになり、教員の負担が計り知れません。
少し筋の違う話になりますが、給食費の滞納だって問題になっているのだし、ここで給食はやめて各家庭で自分の子どもの昼ご飯くらい用意したらと思います。 そうすればアレルギーがあろうがなかろうが 親御さんがしっかり責任をもって対処するでしょうし、今までどれだけ教員に甘えていたか分かるのではないでしょうか。 食育も大事ですが、そもそもご家庭で好き嫌いの有無から指導されたらいいのでは、と思ってしまいます。 お弁当を持たせる、給食を食べさせる、というのを選べるシステムにすればいろんな問題が解決すると思います。
・うちの子は小学校一年生の時に摂食障害になり家の食事でも吐き気を催すようになりました。 とてもかわいそうで。学校に伝えましたが 毎日給食を見に行く事で子供を落ち着かせようとしていた矢先、息子の耳元でお母さんが来ないと給食も食べられないの?と担任が言ってるのがきこえて、なおさらショックを受けて今でも心の傷は親子共々癒えていません。完食する事確かに大事ですが、食べられる量は子供それぞれで一年生にそれを伝える伝えられる雰囲気づくりも必要かと思われます。 とてもこの記事に共感します!
・私もわかる。 少食で親も困ってた。
クラスにもっと食べられない子がいて、 その子が戻しちゃったのが今でも忘れられない。 今はどうかわからないけど、 昔はコッペパンがすごく大きくて 明らかに牛乳の量とあってなかった。
給食って、子どもにとっては拒否できない食事。
量の調整はしてあげてほしい。
・児童虐待そのものである。 食育の名の下にクラスでは教師が絶対権力者だと生徒に植え付けるため目的でやっていることは間違いない。 被害を受けた生徒だけでなく、その光景を見た生徒も心に深い傷ができる。 私も数十年前の出来事だが、クラスメイトが下を向いて泣きながら、一人ポツんとたった一つの食材を食べるまで、晒し者されていた光景を今でも鮮明に覚えている。
・内臓の働きは遺伝的に個性が有って、特定の食物を消化吸収できないケースもありますし、アレルギーを持っている食品は口に入っただけで体が拒否します。食べられないものを無理やり食べさせると体に重篤な障害が発生する可能性もあります。
そのような知識がなかった昔はしょうがなかったのかもしれませんが、少なくとも今の時代は、食べられなものを無理やり食べさせる指導は断じて行ってはいけません。
・これはめちゃくちゃ気持ちわかります。自分は小2で入院した時にお医者さんに「完食しないと退院させないからな」って言われたのと、ちょうどその時のクラス担任がクラス全体で給食を完食したらもらえる賞目当てで躍起になっていたっていうのに遭ってしまってこの症状になりました。大学まで苦しんでいたのですが、友人の紹介でスーパーの精肉売り場でバイトをすることになり嫌々続けていたらあるきっかけで完治しました。最近になって「会食恐怖症」という言葉を聞くようになりましたが、それまで自分は異常じゃないかとずっと思い悩んでいたので1人でも多くの人が救われるのを願っています。
・昭和50年代後半、小学生だった頃、私も給食の時間は苦痛でした。 今も食べれないシイタケは地獄で噛まずにで流し込んだり、卵焼きも何か保存量が入っているのか?と思う変な味付でした。 残すと原点法で、点数が貯まるとホウキの棒でお尻を叩くかタワシ2つで顔をゴシゴシ…体罰そのもの
今はアレルギーのことも分かっていれば事前に対処できると思いますが、当時はそんなものはなく完食が正義
子供の頃食べれなくても大人になってから食べれたものもあります
学校で指導するのは完食指導ではなく、準備や片付け、衛生指導など集団生活で学べる違う側面があると思います
・人参が苦手だった幼少期。 保育園年長のとき、クラスで「魔女」と言われてた保育士から、無理やり食べさせられ、食べれないのか!と泣きながら廊下に立たされたことから、今でも人参だけは食べれない私です。 自分のこどもたちには「野菜食べろ」も「食べるな」も言わずに育てたら、なーんにも好き嫌いなく、むしろ自ら「野菜って体に良いよね!」と率先して食べています。 もったいない、という美徳は理解しつつも、体の欲するものを適量食べる、何事もこれに尽きると思っています。
・私もこの方と同じ道を進んできました。 食べるのが遅い上に少食。 毎日の給食が本当に苦痛でした。 昼休み、掃除の時間まで同じような子たちと食べていました。 パンだけは持ち帰りができたのでそれはありがたかったです。 でも大人になってから『会食恐怖症』になってからのほうが辛いかも。 会社での飲み会、仲良い友達やママ友同士のランチ会、すべて苦痛といっても過言ではなかったです。 みんなで取り分けできるようなお店にはいけるけど、一人前でがっつり出されると食べる前から『うう、、、』ってなって。緊張とトラウマからまったく喉を通りません。 私の周りに同じような人がいないので、こちらで同じような方もいるんだと知って少しホッとしています。
・うちの子の前年度の担任の先生は、基本的に厳しくて有名でしたが、先生自分にも律するところがあったようで、時代にそぐわないような言い方はしない人でした! 子供に「食べれない場合は無理はしなくていいよ!」としか言わなかったそうで。おかわりタイムの時は食べたい子に平等に配ってくれるそうで、それが羨ましくて、いつのまにか苦手だったミートソースも食べておかわりタイムで手をあげたりもしたそうです。 こどもの頃食べれなくても、だんだん食べれるようになったりするんだし、「待つ」というのも親も教育者も必要なのかもと思います。
・大昔の話ですが、完食しないと帰れなくて、放課後掃除をしている他生徒の邪魔にならないように立って、泣きながら食べていたものです。家に帰る途中でよく嘔吐して、最後に血を吐いたので強制は一時なくなりましたが、担任が変わるとまた同じで、点滴に通いながらこの生活が続き、やっと完食しなくてもいい担任の先生の先生が現れ今無事老婆です。以後様々なアレルギーだったことが解りました、むかしならともかく。今の時代に、何事も何人も他者に、強要して許されることなどありません。蕁麻疹や呼吸困難に目鯛きがちですが、強要アレルギーも、起こりうると考えていただけないでしょうか、
・昭和の頃の話だと思ってましたがこの年代の人の時もまだそんな指導が続いてたんですね。 私も子供の頃は少食で食べるのも遅かったから掃除の時間まで食べてました、完食しないと帰れなかった。 先生にはあと少しが何故食べられない!と叱責されました。 机の中にパンを隠し続けたのが見つかって親が呼び出された事もあります。 同じく好き嫌いが激しくて給食居残り組の友だちは人前では食事が出来ない大人になりました。この記事を読んで友だちは記事の人と同じだったかもしれないと思いました。
・私も未だこの症状に苦しめられてます。 もともと食が細い為一人前を食べられなく、小さい頃は無理して詰め込んで吐くなんて事も多かったです。高校生の頃は特に、男だから食事を残すなんて格好悪いと言う事から、女性と付き合うと必ず食事の機会が訪れる為積極的にアプローチをする事も出来ませんでした。大人になった今でも自分の事を既に理解してくれている一部の人以外との食事では同じ症状がでます。特に異性がいたら顕著に出てしまいます。相手は私が残そうが沢山食べようが大して気にしてないと頭で理解しようとしてるんですが、まだどう見られるかが怖く完全に克服する事が出来ません。正直一生この症状とは付き合っていくんだと覚悟してます。。
・毎回時間内に食べきれず、昼休みまで食べさせられていました。本当に苦痛な思い出しかない小学校時代。給食の独特な臭いがとっても苦手だった。お惣菜と同じような、給食室の臭いがして本当につらくて、学校に行きたくなくて、何度も体調が悪くなりました。 親はイジメとか心配していましたが、給食がストレスになっているなんて、本人ですら気づかず、大人になった今、分かるくらいです。 コロナ禍でも摂食障害のようになりました。少しは治まりましたが、普通に定食を完食できる人が羨ましいです。
・給食後の掃除時間まで給食と格闘していました。食が細くて、みんなと同じようには食べられず、給食時間に遊んだ記憶はありません。その後、環境改善なのか給食のおばちゃんたちの休憩室で見守られながら食べるようになりました。作り手の前で食べきれないことには子供ながら罪悪感を覚え、食べきれなかったらどうしよう、と思うと余計に喉を通らなくて辛かったです。中学は弁当だったので食べられる量でつくってもらい、昼休みが楽しかったです。大人になって、人と食事をするときはメニューを選べるときは量が少ないものを選んでいます。外食では時間をかけて食べても大丈夫なお店を探して利用しています。 食べる事で大変な思いをしてるとは、傍目には理解できないよなと感じます。
・小2まで少食で給食を完食出来なかった。牛乳もなかなか飲めないのに毎日出る。とにかく完食するまで終わらせてもらえなかったので給食の何が嬉しいのかわからなかった。自分も丸ごと机が教室の後方に下げられて掃除が始まるから埃の中で食べたなんてしょっちゅう でも何故かわからないが小3からめっちゃ食欲がわくようになって、給食の時間が近づくといいにおい〜ってワクワクするように笑笑 完食からのおかわりまでできるようになった 食べられるようになったからなのか、ついでに瞬足になったし、恐怖だったドッチボールも強くなった 高学年になると牛乳を吐き出させたくて狙って笑わせてくる男子との戦いはあったけど、それは楽しい思い出になってる 低学年のころは、毎日の給食やドッチボールが辛くて辛くてサザエさん症候群になっていたけど、成長とともに知らぬ間に克服していった 先生方には低学年のときは大目に見ていただけるとありがたい
・恐怖症には成りませんでしたが、どうしても苦手なものはさっと窓から捨てたり(!)、口の中で保存してあとで吐き出したり(!)などの工夫をしていた記憶があります‥ 他の生徒の机の中に食べられなかったおかずとかがごちゃごちゃっと入っているのを発見したり..ほぼ”カオス”な状況でみんなが“生きるための知恵”をひっそりと使っていたのだなあと思います。 これら実体験からも「完食指導」が指導成果を出していたとは言えず、かつ、いまだに色々な問題を引き起こしているという実態は注視すべきだと思います
・私も小学生時代の最悪の記憶は給食でした。 もちろん、美味しくいただいた時もありましたが、どうしても食べれない時に完食しないとお昼休みの時間は午後からの授業の時もそのままの状況に追いやられてた記憶が還暦を過ぎたいまもしっかり残っています。 私も、同じく会食の場が今でも苦手で辛い思いをもち続けています。そんな思いは…もうされる方のないように願いたいです。
・今50代ですが、小学校入学して給食が食べ切れず居残りで食べなきゃいけないという経験をしましたが、この方のような恐怖症とはならずに済みました。当時は居残りで食べるのが私だけではなかった事と、子どもながらに考えてこっそりお友達にあげるという手段、こっそり持ち帰る手段をとっていたからかもしれません。この方がどの程度の指導を受けたのかはわかりませんが、逃げ道を見つけ出すことも出来ない状況だったのでしょう。みんなで食事をする楽しさを感じることの出来ないこの方は可哀想に思いますが、独りで食べる気楽さはあるので、マイナスに考えず気楽さを楽しんで暮らしていけば良いと思います。
・私の小学生の時の担任も残さず食べることが絶対であり、それが原因で生徒間でトラブルやいじめにも今考えると繋がっていたように思う。 更にその担任はまわりに私のクラスは残さず毎日食べると自慢していた。 残さず食べることは大事であるが、量を調整するなどして対応すべきであると思う。
・私はもう還暦を過ぎてますが、小学3.4年の時の担任の女性教諭が田舎の農家の娘さんで、食べ物を残すのは罪悪だと言う考えの人だった。給食を食べ残すと放課後まで残され無理矢理食べる事を強要された。結局、残されていた子供の保護者が怒って抗議して、その後は何も言われなくなった。5.6年も同じ担任だったが、今思ってもくだらないと思う。成長するにつれて、色々な物が食べられる様になったが、大人になっても金を払って嫌いな物は注文しないし、食べないよな。今はアレルギーの子供もいるし、配慮されてるんだろうけど。
・私は幼稚園の年少で、給食の完食を強要されました。 果物が苦手だったところ、口に押し込められることを何度か経験し、完全にダメになりましたが、それを引き継がれたであろう年長の担任は、「完食は大事だけど食べられないものは無理に食べなくて良い」と、残すことを許してくれ、クラスにもその事を説明してくれました。
しかしその後小学校に進んでから、年少と同じことをされ、食べられなくなっていた果物を給食の他の食べ物に混ぜられ、食べるまで給食をそのまま、放課後になってもそのままで食べるまで帰してもらえないなどエスカレート。 2年も同じ担任でそれを繰り返され、それがきっかけとなりいじめの対象にもなりましたね。 こういうことが続いた小学校も、6年でようやくいじめにも対処してくれる担任に代わり、落ち着きました。
給食での「完食の強要」は、あれから数十年経った今でも思い出したくない、忌まわしい記憶です。
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