( 157623 )  2024/04/08 23:27:30  
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 東京都江東区の清澄白河駅。周辺は豊かな自然と下町情緒を残した閑静なエリアとして知られ、都心へのアクセスの良さなどから、「住みたい街」としても人気だ。そんな清澄白河は今、コーヒー店やカフェの激戦区としても注目を集めている。理由を探ると、廃れた伝統産業を上手に再利用した「街づくりのヒント」が見えてきた。(斉藤新) 

 

【地図】清澄白河駅周辺の主なコーヒー店やカフェ 

 

 清澄白河駅がある深川地域周辺は、かつて江戸の物流拠点だった。 

 

 区内では現在、東西を小名木川が流れているが、江東区史を開くと、1590年に江戸に入府した徳川家康が、行徳(千葉県)の塩を江戸城に運ぶ舟路を確保するために、この川を開削したとされている。 

 

 当時は火事が多く、1641年(寛永18年)の大火の後、幕府は防災と復興材確保の観点から、河川付近の地域に木材置き場を集めることに。その場所として選ばれたのが江戸中心から水運の便が良かった深川地域で、次第に材木や製材業で栄えるようになっていく。 

 

 この地域で80年以上にわたり暮らす深川資料館通り商店街協同組合の理事長の分部登志弘さん(85)は、「この辺りは木材や製材業で栄えて至る所に倉庫があった。今ではトラックで運べるけれど、小学校に上がる前は木材をいかだにして船頭さんが水路で運んでいたのをよく見たね」と当時を振り返る。 

 

「ザ クリーム オブ ザ クロップ コーヒー」。倉庫を改修し巨大な焙煎機を置いている(東京都江東区で) 

 

 しかし、地盤沈下や防潮水門の設置により、徐々にいかだのえい航が困難になっていき、1970年代には木材関連業者が新木場へ集団移転した。物流の中心が陸上に代わり、空き倉庫が多く残ることになったが、これが、後の激戦区誕生につながっていく。 

 

 2012年4月に清澄白河エリアにオープンした「ザ クリーム オブ ザ クロップ コーヒー」はかつて木材倉庫として使われていた建物を改装した焙煎(ばいせん)所併設のカフェだ。中には2メートルを超える巨大な焙煎機が置かれており、運営会社の寺岡宏さん(59)は、「大きな焙煎機を置くためには高い天井の建物が必要で、かつて材木置き場として栄えた清澄白河エリアに目を付けた。柱が少ない倉庫はカフェの改築にも向いていました」と話す。 

 

 

 同社では世田谷区や品川区などでも出店を検討したが、天井が高いだけでなく、煙突から出る煙への配慮から条件にあう建物が見つからなかったという。 

 

 こうした深川に残る利点に多くの関係者が注目し、14年にはニュージーランド発の「オールプレス・エスプレッソ」、15年には米国発祥の「ブルーボトルコーヒー」の日本1号店が相次いで出店、豆の産地やいれ方にこだわる店が集まる場所として認知されるようになった。現在は20以上の店がひしめいている。 

 

 清澄白河はコーヒーだけでなく「アートの街」としても地域振興に力を入れている。 

 

 1995年に東京都現代美術館が江東区の木場公園にオープンすると、以降、周辺には多くのギャラリーや工房が出来ていった。 

 

 近年は多くのコーヒー店が出来たことにより、美術鑑賞をした人たちが、コーヒーを楽しむという「相乗効果も生まれている」(寺岡さん)といい、週末になると、多くの人が清澄白河駅で電車を降りている。 

 

 清澄白河で約10年前からガラスを加工した江戸切子製品を手がける「グラスラボ」を営む椎名隆行さん(46)は「昔は『清澄白河ってどこ?』と友人に言われることが多かったですが、おしゃれな町として認知度が一気に上昇し、移住者や外国人観光客も増えています」と語る。 

 

 椎名さんは地域振興のために住民らを対象とした街歩きイベントなどを企画してきたほか、人気の街に移住してくる若者たちのためにシェアオフィス事業にも取り組んでおり、「街の盛り上がりを一過性で終わらせず、コーヒーやアートを活用し色々な人を巻き込んで、より面白くしていく取り組みを仕掛けていきたい」と話した。 

 

 

 
 

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