( 157957 )  2024/04/09 22:18:02  
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男性の国内最高齢・厚木市の涌井富三郎さん(110)に 国内男性で明治生まれは不在に

テレビ朝日系(ANN) 4/9(火) 15:26 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/df727c751a15931de99935354877905466d74324

 

( 157958 )  2024/04/09 22:18:02  
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神奈川県厚木市在住の110歳の男性、涌井富三郎さんが国内男性の最高齢になりました。

以前は112歳だった男性が亡くなったため、涌井さんがその座を継ぎました。

涌井さんは大正2年生まれで、現在は110歳です。

これにより、国内で明治時代に生まれた男性はいなくなりました。

(要約)

( 157960 )  2024/04/09 22:18:02  
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"男性の国内最高齢・厚木市の涌井富三郎さん(110)に 国内男性で明治生まれは不在に" 

 

日本国内で男性の最高齢だった112歳の男性が死亡したことを受けて、新たに男性の最高齢は110歳の神奈川県厚木市に住む涌井富三郎さんになったことが分かりました。 

 

 厚木市によりますと、先月31日に市内に住む涌井富三郎さんが国内で男性の最高齢になりました。 

 

 涌井さんは1913年・大正2年の11月28日生まれで、現在110歳です。 

 

 市は「大正、昭和、平成、そして令和と、激動の時代を歩んでこられた涌井様に、心から敬意を表しますとともに、これからも健やかに過ごされますようお祈り申し上げます」とコメントしています。 

 

 これまで男性最高齢だった千葉県館山市に住む薗部儀三郎さんが112歳で亡くなったことで、涌井さんが男性の最高齢になりました。 

 

 薗部さんが死亡したことで、国内で明治時代に生まれた男性はいなくなりました。 

 

 涌井富三郎さんが生まれた大正2年は7月に現在の宝塚歌劇団である「宝塚唱歌隊」が結成され、11月には徳川最後の将軍・徳川慶喜が亡くなっています。 

 

テレビ朝日 

 

 

( 157959 )  2024/04/09 22:18:02  
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(まとめ) 

書き込みを通じて、明治時代から現代に至る歴史や時代の移り変わりに対する感慨や驚き、そして長寿や生死についての考えが多く表現されていました。

多くの方が先祖やご家族の話から、時代の変遷や家族の歴史を振り返り、敬意や感謝の気持ちを述べられていました。

また、明治や大正、昭和生まれの方々への尊敬や想い、そして時代の違いによる感慨深さがみられ、自身や家族、社会への思いや考えが綴られていました。

各々の人生や時代の記憶が、新たな時代へと継承される過程において、多くの感動や思索が共有されたコメントでした。

( 157961 )  2024/04/09 22:18:02  
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・自分の子供のころは、明治中期~末期生まれの爺さん婆さんが 

たくさんいたが、もはや日本には存在しないと聞くと、いつの間にか、 

そんなに時が経ってしまったのかと思うよ。 

 

幕末の新選組隊士や徳川慶喜公が大正まで生きていたのを思うと、 

江戸時代はそんなに昔でもないのだと驚く。 

 

それと同時に、幕末から現代への科学技術の発達スピードの 

速さにも驚くよね。 

 

 

・1986年に国内最高齢の泉重千代さんがお亡くなりになった時を思い出しました。たしか慶応元年生まれで最後の江戸時代の方だった様な。当時は小学生でしたが、ああこれで地上から江戸時代の人が居なくなったんだなぁと。やがて大正生まれが居なくなり、昭和生まれも120年後位には居なくなるんだろうなぁと当時切なくなった記憶がある。 

だからドラマの「JIN-仁-」を観た時には尚一層感慨深かったです。 

 

 

・自分が子供の頃にみんなの歌で人気だった「コンピュータおばあちゃん」のおばあちゃんは明治生まれ。 

 

なので、感覚的におじいちゃんおばあちゃんというと明治生まれな感覚だけど、実際明治生まれのうちの祖父もだいぶ前に亡くなった。 

 

時間は常に流れてるから当たり前なんだけど、そんなに遠くない未来には、明治も本とか映像でしかわからない世界になっていくんだろうな。 

 

 

・自分の婆ちゃんも、明治生まれで、100歳 

誕生日まで、あと2週間後という所で、 

静かに老衰で亡くなった。 

かなり前の話しだけど、つい最近の 

ような気もする。 

穏やかな死は、長生きした人の特権なのかな。 

自分の最期もそうありたいな。 

 

 

・明治生まれではないけど、昭和61年まで、徳之島で健在だった泉重千代さん(慶応元年生まれ。戸籍法の無い時代のため諸説あり。)が亡くなった時より、今回の記事はショックと、やはり一抹の寂しさを感じます。明治がそれだけ遠くに行ってしまった証拠ですね。皆さんと接点のあった明治生まれの方は、今なお思い出の中で愛されており、きっと天国で喜んでいると思います。 

 

 

・長生きに固執する必要はないと思う。 

 

ある程度の年齢になれば、自分の行く末が見えてくるものだし、逆転の見込みが無いことも自然と悟る様になる。 

 

安楽死や尊厳死は認めるべきだと思うし、生きるも死ぬのも個人の選択だし、詰んでる方に無理に生きろというのもそれはそれで、辛いだけ。 

 

私は、認知症や加齢による衰えのために、家族や周りに迷惑や負担を掛けるぐらいなら、自分の命は自分自身でコントロールしたい。 

 

上手くいっていない時の励ましの言葉など、皮肉にしか聞こえないし、安易な「生きろ!!」という言葉など無責任でしかないと思う。 

 

 

・私の祖父も明治44年生でした。 

農家なのに戦時中は船の調理場に配属され、それが沈没してしまい、イカ釣り漁船に助けられたと言ってました。 

もし助かってなかったら私もいないので、祖父や家族やこの時代を生き抜いた方たちに感謝しかないです。 

 

もう少し色々と聞いておきたいことがありましたが、今思うと話したくても話せなかったんだと思います。ありがとうおじいちゃん。 

 

 

・いま平和な世の中で、日頃戦争とか飢餓とかを気にせず生きていられる。でもじいちゃんばあちゃんの世代はそうした危機が日常と隣り合わせで、それを経験した世代の人達が頑張っていまの世の中を作ってくれた。これが当たり前ではないってことを忘れちゃいけないね。 

 

 

・何だかとても感慨深い。私は現在65だが祖父は明治15年生まれ。祖父の親は当然だが幕末と言うことになる。今思うともっともっと話を聞いておくべきだった。平成が終わり令和も6年、当たり前だった昭和もどんどん遠ざかる一方で、令和に生まれた孫達が年老いて行く頃には昭和世代もいなくなっている。何だかこうやって歴史になって行くんだなと言う思いがある。まさに「光陰矢の如し」だ。嫌なこともたくさんあるが、せっかく生を受けたのだから出来るだけ悔いを残さないように生きたいと改めて思う次第だ。 

 

 

・昔は何かの書類に生年月日を記入する際、明治・大正・昭和・平成に丸をするようになってたけどいつの間にか明治の記載が無くなりました。確かにほぼ使わないのでしょうが時代の流れを感じました。願わくばご存命の明治生まれの女性が更に長生きされますように。 

 

 

 

・30年ちょっと前だけど、小学生の頃に地域の子供会の企画で、お年寄りから昔の話を聞こうというのがありました。 

当時80代くらいで明治生まれと紹介されていました。 

今回、明治生まれの男性がいなくなったという事は、あの時のお年寄りはほぼ皆さん亡くなっているんですよね。 

司会をしていた50代後半のオジサンも今は90歳くらい、時の流れを感じますね。 

 

 

・泉重千代さんが亡くなった時、最後の江戸時代の生まれ、と、報道されていた。 

 

今は泉氏は本当は江戸時代の生まれではなかったのではないかというのが通説になっていますが、感慨深いものがありました。 

 

今や明治生まれがいなくなるとは....まさに久保田万太郎の句の通り、明治は遠くなりにけり、ですね。 

 

 

・明治は遠くなりにけりですね。これからは人口が急減する時代に入る。西とか東とか対立するのではなく、日本列島が共存共栄する事を望みます。そう言えば名古屋の新しい中日ビルに会津の資料が展示されていました。幕末は徳川一門が分裂して敵味方に分かれた尾張と会津ですが、藩主同士が兄弟だった訳でそろそろ仲良く交流して欲しいと思いますね。 

 

 

・祖父が明治39年生まれでした。 

草競馬をしていた話や、第二次世界大戦の時点で40代だったこと、 

戦時中はガラスにテープを貼って、電球には暗幕をかけていたこと、 

当たり前のように日々空にB29が飛んでいたことなど、色々話してくれました。 

言語も今と違っていました。 

下手すると江戸時代?と思える言葉もたくさん使っていました。今の人には全くわからない言葉かも。 

池で鯉を飼い、亡くなるまで着物で生活していました。 

平成の途中まで生きていました。あっという間に明治の方々がいなくなったのだなと寂しく思いました。 

 

 

・昭和43年、小学5年の時に明治100年を記念する学校行事が執り行われた記憶がある。自分の祖父母も明治36年生まれで、まだ多くの明治生まれの人が存命だった。時は令和になり来年は昭和100年となる、今の小学生も昭和生まれの人間に当時の自分と同じような目で見ているのだろう。 

 

 

・単純に考えるとたった15年後に一番長く生きてる男性は昭和生まれになるってことですね。ここからが長い(平成生まれ以降になるのは今から約78年後)けど、激動の時代と言われる昭和生まれの1人としてなんとも感慨深い。 

 

 

・40代、まだまだ若輩者の会社員です。 

私が子供の頃は親戚にも近所にも必ず「明治生まれの爺さん婆さん」がいたり、「あそこの親父は昭和一桁生まれだから頑固なんだよ」なんてよく会話に出てきたりしたもんです。 

今ではその元気で頑固で昔気質の代名詞だった昭和一桁世代も90歳以上ですし、学園紛争で暴れバブルで稼いだ私の両親たちの世代ですが今年で76歳になるんだから。 

昭和がどんどん過去の歴史上の話になってゆくんだなと実感して、時の流れにせつなくなります。 

 

 

・祖父母は、明治生まれでした。 

祖父は、60代で亡くなって、祖母は、95歳の長寿を全うし家族の為に精一杯働きました。 

明治生まれの祖母は、料理も縫い物も上手で、布団から丹前、着物まで縫う何でも出来る人でした。 

おやつのドーナッツも、柏餅、饅頭、ぜんざいと、何でも作ってくれました。 

明治生まれの女性は、家庭の基礎を教えてくれる賢い日本の女性で有ったと思います。 

因みに、旅行も好きな祖母で、毛皮のコートを着て冬でも、旅行してました。 

亡くなっても、今でもずっと…見習いたい祖母です。 

 

 

・やや違った見方だが。。。 

 

昭和後期生まれとしては、戦前特に江戸時代は映像はもちろん写真も無い時代だけに「本当にあった時代なのだろうか?」と思ってしまうことがある。 

しかし明治になり写真として残り映像としても残りはじめるが、やはり「歴史上の教科書の世界」と思ってしまう。 

そのような中を実際生まれ、生きてこられたわけで、「あぁ教科書の世界ではなく実在する世界なのだな」と思わせる。 

 

そして昔の世界を「絵」ではなく「写真や映像」として残す技術を発明した人間も凄いわな。 

 

まとまりが無い文明だが、気持ち分かるかな!? 

 

 

・40代後半介護士の者です。 

私が20代前半の頃は明治〜大正生まれの方が利用者の大半でしたが、今は昭和の方ばかりです。 

昭和初期生まれの方でさえもう90代後半なのだから、そりゃそうだなぁ、とは思いつつ、お年寄りも時代とともに変わったなぁとしみじみ感じます。 

明治や大正初期生まれの方は普段着がモンペ?のような古風な私服を持っていたり、ぽたぽた焼きのイラストのような絵に描いたようなお団子ヘアだったり、老いては子に従えとばかりに寡黙だったり、ザ・お年寄りを地でいくような方が多かった気がする。 

昭和生まれはスマホを使いこなす方は今や普通だし、オシャレだし、良くも悪くも要求が多くて自己主張強め。 

でも生きた時代が主に戦後だから仕方ないのかなとも思う。 

我々や平成世代が年老いた時に介護現場って一体どうなってるのかなーとたまにふと思う。集団生活も独居もできないわがままな要介護老人だらけで現場崩壊してそう。 

 

 

 

・私はつい最近61歳になった。私が生まれてすぐに,私を抱っこして写真に写った母方の祖父(明治35年生まれ昭和53年没)は,当時61歳だった。この写真の祖父の年齢に自分がなったとは感慨深い。私が110歳になるまで49年もあるのかと思うと,110歳というのは,一人の人間の歩んできている人生として途方も無く長い時間に思える。自分は何歳まで生きられるだろうか。少なくとも父親の没年齢66歳。できれば祖父の没年齢76歳までは生きられたら良いなと思う。 

 

 

・103歳の男性と話す機会があるが95歳ぐらいまでは死ぬのが怖かったけど95を超えてから段々と怖くなくなり今はいつ死んでもいいと言われている。90ぐらいまではたばこも酒もたしなんでおられたようだが大病を患ったことはないとのこと。50前頃に体調を崩しやすい時期があったらしくその時は親より先に死ぬと思っていたらしい。あとは90過ぎに奥様に先立たれた時も数年体調が優れなかったとのこと。昨年末コロナに罹患されたが発熱が数日続いただけで回復された。 

 

長生きの秘訣はこれというものはないらしい。非常に元気な方だがこれぐらいの年になるとある日何かあってもおかしくはないように思う。明治生まれの男性が1人もいないという事実は110歳というのがかなり高い壁というのを物語っている。 

 

 

・明治が遥か彼方になったと思いますが、またそれだけでなく、今の年配者は親が前の戦争を経験しててその話を聞かされてたと思いますが、今の若い人たちは戦争は全く知らないんじゃないでしょうか。これによる意識のギャップが今後の日本にどのように影響するのだろうかと思います。後世に幸あれと思うとともに、若い世代の人たちには今後来るであろう激動の時代に頑張っていって欲しいですね。 

 

 

・私達が想像する以上の経験や苦労をされてきたでしょうし時代の移り変わりを生き抜いてきた事に、本当に敬意を表します。 

明治時代って、教科書でしか知らない時代ですもんね。ほんと凄い。 

曽祖母が小学生の時に老衰亡くなりましたが、確か103歳とか。寝たきりでしたがいつも笑って話して楽しくて大好きだったなぁと思い出す。 

長生き出来るなら家族がいた方がいいのかななんて思ったりもする。 

 

 

・祖母は明治生まれ。平成が始まった頃、92歳で亡くなりました。亡くなる半月程前まで矍鑠としていて、体調が悪くなり寝込んだのはホントに2週間足らず。今の時代では信じられませんが、その年齢でもタバコを吸っていました。母はまだ80代後半ですが、祖母(母からみて義母)に比べたら元気が無いですね。カレンダーを見れば、昭和もすでに99年。明治の女性はやっぱり強かったと感じます。 

 

 

・もう亡くなった祖父は明治生まれ。海軍の職業軍人でした 

先日お墓参りに行ってきましたが、もう明治生まれの方はいないんですね 

 

感慨深いものがあります。明治・大正・昭和の先祖が今の日本を作ってくれたことに感謝し、これを平成・令和とその後へと引き継ぐことが大事だと思います 

 

 

・私の父方の曽祖父は現在最高齢の涌井さんの一つ下の大正3年生まれで18年前に亡くなりました。寡黙なお爺さんで隠居部屋にいて自分と色々話したということはありませんが戦前国の移民政策で鹿児島の田舎からブラジルに渡りコーヒー豆を作りに行ったらしいです。でも農場があると聞かされて行ったら農場がなかったとか色々苦労したそうです。断片的な話しか聞いたことありませんがクリーニング屋をしてた時もあったそう。その現地で同じ日本からの移民として来ていた曽祖母と結婚して祖父が生まれた。 時代だからということもあるがドラマに出来そうなぐらい壮大な物語がありそう。今の自分の人生とは比べものにならないぐらい20代、30代は密度の濃い人生だっただろう。私が実際に会ったことのある最高齢の方は明治44年生まれの曽祖母だが明治といえど感覚は江戸時代ぐらい離れてる感覚です。 

 

 

・私の若い頃、江戸時代生まれの泉重千代さんが亡くなりました。 

1865年 慶応元年~1985年 昭和60年 120歳 

当時は、タイムマシンで連れてこられたような不思議な感じでニュースを見ていました。 

今は、人生100年時代。120歳以上生きる人もいます。 

今の若い人たちは、100年後でも生きていて、どんな世界を見るのだろうか 

還暦過ぎた私は、泉重千代さんの気持ちになりそうです。 

 

 

・明治生まれはもちろん凄いことだけど、大正二年生まれという事は二つの世界大戦を経験しているって事なんですよね。戦後80年近くになり戦争を知らない人がほとんどになる中、近代日本史の教科書に載っている世界を実際に生きていた人間が現在も生存しておられるという事に驚きと感動を覚えます。いつまでもお元気にお過ごしいただきたいものです。 

 

 

・去年亡くなった父方の祖母は108歳で、大正生まれでした。 

子供の頃に東京で関東大震災を経験して、晩年期(90代)に仙台で東北大震災を経験しました。 

母方の祖母も子供の頃に東京で関東大震災、終の住処となった埼玉で東北大震災を経験しました。 

特に仙台の祖母は親類を戦争で亡くした話や戦後の食糧難で苦労した話、豊田商事?に騙された話、死んだ爺ちゃんの女癖が悪過ぎた話など、中々波乱万丈な人生だったようで。 

長く生きるって大変。 

もしも身近に年配の方がいるならば、話を聞けるのは元気でしっかりしている内です。 

今ならバブル時代の下らなくも豪快な馬鹿馬鹿しい話をしてくれる人が多そう。 

バブルもまた歴史の一部になり、その経験が(ある意味)貴重な話になっていくんでしょうね。 

 

 

 

・泉重千代氏が亡くなった時に、江戸時代の生き証人がいなくなったと言われましたが、とうとう明治の生き証人もいなくなってしまったか。お悔やみ申し上げます。 

小学生の頃、明治100年と言われた年があったが、もうすぐ昭和100年になる。時の経つのは何と早いものだろう。 

 

 

・高校生の頃、バスで席をお譲りしたご婦人が、『わたくし96歳なのよ』と話してくれた。恥ずかしがり屋な私は、『お若いですね』と返すのが精一杯でした。身なりも、髪型もきちっとなさっていて、腰こそ少し曲がってはいたけれと、どこか今に時代にはない威厳というか、上品さと相まってオーラある方でした。恥ずかしがり屋でなかったら、もっと色んなお話し聞きたかったな。 

明治生まれの素敵なご婦人でした。 

 

 

・子どものころは、まだ江戸時代生まれの方がご存命でした。河本にわさんや、諸説あるものの泉重千代さんなど。泉さんがお亡くなりになったとき、結構大きなニュースになってた記憶があります(子どもながら、衝撃的だった)。 

 

明治生まれの男性がいなくなったと聞き、時の流れの早さを実感しました。どうか安らかに眠って頂きたいと思います。 

 

祖父は明治生まれで満州に出兵し、溥儀(ラストエンペラー)を直に見た話をよくしていました。もっと話を聞いておけばよかった…今頃になって、そう思っています。 

 

 

・私の祖父母が大正生まれでした。 

祖父が大正9年、祖母が大正12年生まれで 

2人とも100歳まで生きました。 

祖父からは満州での戦争体験を沢山聞きました。もう戦争の実体験を話してくれる世代がどんどんいなくなっていくのだと考えると…色々考えさせられます。 

祖父母とも70代を超えてもすごく健康で 

生きる活力が私たちと比べて遥かに高かったと思い知らされてます。 

それぐらい元気でアクティブで、影響力ありました。 

 

 

・昨年末に明治生まれの祖父が亡くなりした。 

明治大正昭和平成令和と時代をたくさん跨いできた彼の目にはどんなものが映っていたのだろう。 

新しいを取り入れるも大事だけど、日本の古き良き、日本の伝統を新しい時代になっても世代が変わっても守っていける世の中であってほしいものです。 

 

 

・私が小学校を卒業した時が、明治100年と言われていました。当時、明治生まれはまだまだ健在で明治40年生まれの祖母は2010年に103歳で亡くなりました。祖母の温もりと昔話は鮮烈に記憶に残っています。今の自分は15分前の事は過ぐ忘れてしまうのに・・・皆さん言われるように、今思うともっと色々話を聞きたかったと悔やみます。 

 

 

・自分の祖父は明治38年生まれ祖母は明治42年生まれですね。生きていれば119歳と115歳。 

明治生まれで戦前から戦後の激動の時代を逞しく生きてきた気概のある方々がいなくなったのは本当に寂しい。 

生きるために必死で朝から晩まで働いてきた人たち。 

時代とは言え、少し残業したくらいでブラックだとか言っていられるのは今だけなのかも。これから世界は激動の時代に入るのかもしれない。 

 

 

・明治生まれの男性がいなくなった、とのこと。時代は移ろい変わっていることを感じます。 今の若い方では「明治」と言われて、令和、平成、昭和、大正、その前の元号だ、と分かる方も少ないのでは。 

明治ということばは、牛乳や菓子メーカーの会社名として、また東京の有名大学名としてこれから先も長く親しまれる「ブランド名」ではあり続けると思います。 

数年後には、明治生まれの女性もいなくなってしまうことでしょう。いやでも時代の流れを感じます。 

 

 

・わたしの祖母は明治33年生まれで86歳で無くなりました。生きていれば124歳、東京大空襲、関東大震災、の話をよくしてくれました。 

祖母は小学校もろくに行かず、醤油問屋に奉公に行かされ苦労したらしい。 

読み書きそろばんを番頭さんに教えてもらい、年上の人より早く何でも出来るようになったそうです。 

自分にも誰にも厳しい人でした。 

私が小学校3年でそろばんを習い始めた時は、「早くはじく方が緊張感が出て体が間違えないようにしようとするんだよ」とか、分数や、体積の計算も教えてもらいました。今思うと「学校に行かなくてもばあちゃん凄かった」と懐かしい思い出です。 

 

 

・昭和の戦争時代を語れる人もだんだん少なくなってきたということですね 

戦争が終わったあとの食料難の時代がより大変だったと聞いてます。その時代を生き抜いていただいて今日の日本に繋がってることに感謝いたします 

 

 

 

・幕末から終戦と、終戦から現代はおよそ同じ年数になる。遠いようで近い幕末、近いようで遠い終戦。 

 

たったそれだけの期間でちょんまげに腰刀から飛行機乗って戦い、世界最大の戦艦で戦った。終戦までの変化の早さに驚く。 

 

終戦の何もない時から全てのものが溢れて、フードロスが社会問題になる変化にも驚く。 

 

 

・1913(大正2)年生まれの方が男性最高齢ということは、もう明治時代生まれの男性は、少なくとも日本には存在しないということになりますね。 

女性の明治生まれは、芦屋市に住む明治41年生まれの方を筆頭に数名は存命中のようですが、まさに「明治は遠くなりにけり・・」という思いがします。 

 

 

・まさに明治は遠くなりにけり。 

 

YouTubeとかで、明治時代のフィルム動画があるが、そこで生き生き動いている人たちも当たり前だが、皆さんお亡くなりに。子供達の笑顔なんて今の子供達となんら変わらない。みんなどんな人生を歩んだのだろうか。来たる震災や戦争に巻き込まれていませんように。どうか幸せな人生を過ごされましたように。 

 

時の流れ、しみじみ考えてしまう。 

 

 

・小学生だったころ泉重千代さんって方が御存命で世界最高齢でした。確か120歳。当時日本唯一の江戸生まれで黒船来航を直に知ってるって凄いなと感じたものです。それが今は大正生まれまで世代が進んだとは自分も歳をとったなと思います。 

 

 

・明治村は、1990年の10月から明治生まれの人を対象に、入村料を無料にしてきた。その明治生まれの男性が亡くなり、明治生まれは、一部の長寿の女性のみになった。その女性も、要介護の状態になり、施設生活を送っているので、明治村への入村は、非常に困難になった。明治生まれの女性も亡くなると、明治生まれの人はゼロになり、一つの時代が終わりを迎えることになる。 

 

 

・明治生まれの祖父に可愛がられ育ちました。 

ちょうど藤田嗣治らが留学した1920年代のパリに強烈に憧れを持っていたけど家が貧乏で行けなかった話などをよくしてくれました。なのでこの時代の画家の絵を見ると思い出します。 

9.11の数日前に飛行機が突っ込む悲劇を見ずに亡くなりましたが、太平洋戦争を生き抜きました。10代から大黒柱として自分の母親の面倒を見ました。 

今では信じられないくらいの大人です。 

 

 

・曽祖父が大正生まれで100歳超えてますが、未だに要介護にも認知症にもならず自立した生活をしています。 

国内の100歳人口が10万人を超え今や珍しい存在ではなくなりましたが、その約9割は女性で、男性は約1万人程度に留まります。 

90歳以上の要介護認定率は7割越えですから、男性だと健康な大正生まれというだけでかなり珍しい方になっているようです。 

雑な計算をすれば100歳以上でぴんぴんしている男性は恐らく3000人以下なので、ぴんぴんころり(きらり)への道のりは中々に険しそう。 

女性の場合はまだまだ明治生まれの方も沢山いらっしゃるのでしょうね。 

 

 

・私は40代後半ですが、祖父母4人が大正生まれ、104歳まで生きた曾祖母が明治22年生まれでした。4代遡れば江戸時代ってわりと近い気が。 

ときに、曾祖母は洋服も着てましたが、下着はパンツじゃなくずっと“腰巻き”を愛用してました。その娘の祖母も腰巻き使っていましたけど、今は手に入らないし、そもそもスースー無防備だし…使ってる人もういないんじゃないかなぁ… 

 

 

・私の祖母は大正生まれでしたが、2018年に他界しています。 

よく話す祖母だったので、中学生くらいの時に同じような最高齢のニュースを見て「昔周りは明治生まればっかりだったのに、今は明治生まれでニュースになっちゃうんだね、私は大正生まれでただでさえ少ないけど、残ったらニュースになっちゃうのかな、テレビ出たいねえ」と言っていたのを思い出しました。 

当時2009年あたりかな、ネットで調べたらそれでも明治生まれはまだ数百人はいた。(男性だけでも) 

それが今や0、本当に時の流れを感じます。 

その後の大正は勿論、昭和も遠ざかっていくのを感じますね。 

 

 

・関係ない話で申し訳ありませんが 

先に亡くなった方の生年月日を見て驚きました 

大好きだった祖母が同じ明治44年生まれでした 

生きていたら112歳だったんだ、生きていて 

くれる可能性もあったんだ、、、 

と、なんともいえない気持ちになりました 

 

 

 

・職場で知り合った70代のおじいちゃんが 

山手線の電車の車内は昔、板張りだったと言ってて驚いたことがある。 

高齢者の何気ない昔の記憶って、今の人には衝撃だったり奇妙だったりおもしろかったりする。 

 

ちなみに、今の小学生たちは驚くだろうが、 

自分が小学生の時に遠足で乗ったバスの全席に灰皿が備え付けられているのが普通だった。 

 

 

・明治大正世代の男性は戦争に行ってることも影響していると思う 

 

俺は平成生れだが祖父は明治生まれで、俺の生まれる前になくなり会った事がない 

祖父を知っている親戚に会って話を聞いた事もあるが、その方もなくなってしまった 

父のいとこの方は明治一桁の曾祖母の話をしてくれた 

 

生きていれば108歳になる母方の曾祖母は、戦争の話とか色々聞かせてくれた 

高祖父の名前も聞いた事がある 

 

明治も遠くなり、今の70~80代は明治を生きた親族の詳しい話をきける最後の世代となるかもしれない 

いずれ後悔しないように聞いておきたいものだ 

 

 

・自分の子どもの頃は文久とか慶応生まれの方がご存命で、江戸時代生まれの方がおられたことに驚いたものだが、いよいよ男性の明治生まれがおられなくなるとは、「えっ、もう?」というのが素直な感想。 

 

昭和が平成になり、そして令和になって段々加速して行く感じがする。 

 

 

・あと15年したら大正生まれもいなくなってしまうんだろうな。大正生まれの男性は戦争に行って亡くなった方が多いので、最後の男性が無くなるのはもっと早いかもしれない。 

太平洋戦争に従軍した方に直接話を聞けるタイムリミットが刻々迫っているのを実感しますね。 

 

 

・明治はけっこう昔だけど、まだいるもんだと思ってました。 

よく考えたらそうですよね… 

100年超えてるんだから、いつこうなってもおかしくなかったのですが、あまり興味持ってなかったので気にしていなかったです。 

特に関わりあるということはないですが、漠然と寂しさがあります。 

 

 

・私の子供の頃に「明治100年」と言われていました。祖父母は明治生まれだったし、市内最高齢の100何歳だかの方は慶応生まれでした。徳川慶喜逝去の時は自分は七歳だったと祖父は言っていました。15代将軍と同じ時代に生きていたということに驚きました。 

 

 

・明治生まれや大正生まれの人は昭和二桁に生まれた高齢者と違って我慢強く、とても優しい人が多い印象です! 

 

戦争や大震災と幾多もの国難を乗り越えてきた人々はやはり一味違います。 

 

落ち着いてとても礼儀正しくて好印象です。 

 

 

・明治が消え大正が消え、そして間もなく昭和の順番が来る。大正ロマンも良かったけど昭和レトロも素晴らしい!!昭和は本当に良い(時代だったよな〜東京タワー、新幹線、アポロ計画、百恵ちゃん!!それにバブル景気平成生まれの子らにも「良い時代を生きて欲しいなぁ」大人達が頑張って良き時代を残していこう!! 

 

 

・うちの爺さんも明治40年生まれだから生きてたら117歳か世界最高齢者だな 

30年前に死んでるわけだよな 

「明治生まれは頑固じじい」なんて言葉が昭和後期にまで言われてたけど今は昔なんだよね 

まさにこの世代は戦争に青春を奪われ激動の昭和時代を生き抜いた日本歴史上最も苦労した世代であり高度経済成長期を支えた貢献者でもあるんだよね 

孫の俺にはすこぶる優しくて腰も痛かったろうにわざわざアメ横まで一緒に5段切り替えの自転車買ってくれたよな 

ところであとで考えたんだけど自転車も満員の山手線に乗せて帰ったんだよなあって大人になってからすげー爺さんだったよ やはり明治生まれは 

 

 

・うちの両祖母も103歳と100歳で数年前に旅立ちましたが、田舎では一番の長寿でした。 

確かに自分の母方の祖父も明治生まれで、同級生の祖父母も明治生まれの人がいたので、時代の流れを感じる。 

我々昭和生まれも、そう言われる日も来るんだなと思った。 

 

 

 

・うちの両祖母も103歳と100歳で数年前に旅立ちましたが、田舎では一番の長寿でした。 

確かに自分の母方の祖父も明治生まれで、同級生の祖父母も明治生まれの人がいたので、時代の流れを感じる。 

我々昭和生まれも、そう言われる日も来るんだなと思った。 

 

 

・今30代半ば過ぎの僕は明治生まれの人が話題に出ると明治大正昭和平成四世代を生き抜く力という歌詞の19の熊じいちゃんの曲が頭の中で流れます。明治維新から第二次世界大戦まで激動の時代を生き抜いた人たちの声が聞けなくなると思うと寂しいですね。 

 

 

・年寄りには教訓とか礼儀とか語らせるんじゃなくて、自分が生きた時代に見たものをそのまましゃべらすのがいい。 

礼儀とかだと「それが優れている」だの「そうすべき」だのいい出すけど、そこに良し悪しはなく・・・ならばその老人が「見た」事をただただ忠実に語ってもらうのが、若者には良いと思う。 

 

 

・過去を振り返ると、近年の目まぐるしい発展に感心するばかりです。戦後まだ79年なんですよね。昭和から平成が一番様変わりしたのではと思います。今年還暦の兄弟の幼少期の写真はまだ白黒です。この先、歴史はずっと続いていきますが、平和だけを願います。 

 

 

・歴史が好きな現在30歳の私ですが小学生のころ亡くなった祖父から戦時中の話を聞いていました。 

この方は関東大震災時も10歳前後だから記憶もそれなりにあるのではないでしょうか。 

ぜひ話聞いてみたかったですね。 

 

40.50年後に孫たちに自分の昔話をするといっても今は技術革新で4k映像やら写真が昔に比べてかなり残ってしまってるから将来の子供たちからしたらあまり興味がそそられないかもしれないという懸念があります。 

 

 

・何かのテレビで徳川慶喜にあったおばあちゃん、出てたことある時は、白黒の写真の歴史が急にすく底に感じて、不思議な気持ちになった。 

 

知人が研修医の時はまだ明治生の人見るといってたけど、この方が最後だったんですね。歴史が続いてて!人はその一つの流れのたったひとつでしかないけど、そこに何を見いたせるのか、気になります 

 

 

・時代の流れを切実に感じますね。 

自分が子どもの頃は祖父母を含め明治・大正生まれの方が多くいらしたけれど、振り返れば平成が30年あまり、令和だってもう6年目。 

気付けば自分だってアラフィフ! 

記憶に残る祖父母たちのことをできるだけたくさん娘に伝えたくなりました。 

 

 

・自分の曾祖母が明治末期の生まれで、自分が小学校5年生まで生きてた。 

曾祖母は82才の若さで亡くなったが今も生きていれば112才だったのかと、このニュースを見て久しぶりに曾祖母のことを思い出した。 

多くの人が言うように、生前にもっと当時の話を聞いておけば良かったと、つくづく思う。 

 

 

・元号のある国は日本にみではあるが、時代の区切りでもあり歴史に刻まれそうだね。昭和元年生まれの方も来年は100歳。人間にとって100年は長いよね。いま100歳を超える方々に話を聞いて、時代の記憶をアーカーイブすれば、時代考証に役立つかも。本人だけでなく父母からは明治の話も聞いてるだろうし、祖父母からは幕末の話だって聞いてるかもしれない。爺さんは勝海舟や西郷どんと茶を飲んだことがある人かもしれないし。 

 

 

・面倒だとか覚えにくいとかコンピューターが西暦ではない元号を認識出来ずトラブルになるから元号表記は要らない何て事もありましたが、明治生まれの男性が居なくなった何て聞くと感慨深いので、やはり必要だなと思いました。 

これからは健康寿命も伸びるといいですね。 

 

 

 

・私の母方の祖母は明治38年生まれ、生きていれば 

119歳。(祖父は更に6歳上、祖父には会ったことがなく残念) 

私の小さい頃に亡くなってしまったが、 

自分の小さい時には、まだ周りに明治生まれの人がいた。 

 

自分の親も90歳、早いものだと思う。 

私は親と同世代に比べ、年がだいぶ離れてはいるが、 

それでもあっという間に高齢者だろうなぁ… 

 

 

・私の祖母も明治生まれだった。 

十数年前、99歳で亡くなった。 

 

一人暮らしだった祖母はたくさんいたいとこたちの中でも、特に私を買い出しなどパシリに使っていた。 

使いやすかったのだろう。 

私は当時ユーノスロードスターに乗っていて、オープンにして走らせたら喜んでいたからそれかな(笑) 

 

病院の送迎も私。 

腰の丸まったおばあちゃんを病院に迎えに行くと職員さんや仲間たちの前で得意気に車に乗り込んだ。 

 

おばあちゃんにもっと色々聞いたらよかった。ちょんまげの人を見たことあるの?とか。 

いつもおばあちゃんの話を聞くばかりだったから。 

ちなみにお駄賃は、スーパードライを2本。 

嬉しかった(笑) 

 

ちょっと思い出に浸ってしまったわ。 

 

 

・アラフィフの私の亡き祖父も明治42年生まれでした。生きてたらその方より少しだけ年上だったのかなー 

なんだか祖父を久々に思い出しました 

 

祖父は子供の頃にハレー彗星を見ており、私が小学生の頃にハレー彗星が来たとき二回目だと言っていました。私もそのくらい長生きできるかなー? 

 

 

・時代の移り変わりは、常にある事は解ってはいても何か寂しさも感じますね… 

 

112歳迄生きられた事も本当に凄い事ですが、我々が子どもながらに馴染み有った「明・大・昭」という生年月日欄も「大・昭・平・令」となり、最近では「西暦 年 月 日」と変化してますね。 

いつかは自分達も歴史の埋蔵物と成って行くのでしょうが、明治期や大正期は私には未だまだ歴史という程には昔に感じないなぁ。 

 

10.20代にはもう昔話となるのでしょうか、大東亜戦争等の昭和初期までも。 

 

 

・福祉関係の仕事をしています。20年前は、昭和生まれの人も、徐々に介護サービスを使い始めたのかぁと思ってました。今は昭和の二桁生まれの人が多くて、大正生まれは一握りです。 

そう考えると、明治は遠くなった気がします。 

 

 

・人はいずれ4ぐから、これは仕方ないこと。 

私の子どもの頃の昭和40年代は、江戸時代の慶応うまれもいた。(多分) 

私は、明治生まれのばあさんに、いろいろ育てられ清貧のよさや大日本帝国の考え方というか、当時の考えもよく指導された。 

無くなって、30年以上経つが、また、合いたいと思うな。 

人間生きていることは、死亡宣告を受けたところでもある。 

今の私、世の中に少しでも貢献したいと、遊ぶより社会に協力したいだけだな。そういう考えになってしまい、行動している。 

余命も限られている。 

そのうち動けるのは数年マイナスだと、悔いの残らない生き方をしたいだけだな。 

 

 

・さっき子供たちが歴史本を読んでて、戦国時代は面白いとか、日露戦争やら幕末が面白いとか言って盛り上がってたんです。 

1人が、第二次世界大戦が面白いって言ったのを聞いて、婆ちゃんから辛い戦争体験を聞いて育った私は胸が締め付けられるような心持ちでした。 

第二次世界大戦はじーちゃんばーちゃんの時代。すぐそこの時代。まだ面白いとは考察できない時代。 

 

時代は現代と地続きなんだなって思うし、時代時代の人々の心の傷も想像したりしますね。 

(脱線してごめんなさい) 

 

 

・自分が子供の頃は 

明治生まれの人は明治、大正、昭和の三時代を生きて凄いなあと思っていたけど、 

いつの間にか自分も昭和、平成、令和と三時代生きている。 

今の天皇陛下や秋篠宮殿下より自分は年下だから、 

上手くいけば五時代生きられるかもしれないなあと思う。 

 

 

・私の祖母は明治22年生まれでした。私は50代後半です。父は92歳です。祖母は42歳で父を産んでます。当時は驚異的な高齢出産だったと思います。父は一番上の兄とは25歳前後離れていたようです。5人兄姉ですが実際には間に何人か亡くなっているようです。すぐ上の姉とは10歳以上離れています。 

 

 

・先月100歳だった祖父を亡くしました。 

子供の頃から戦争の話や食糧危機の話を聞いていた存在がいなくなって寂しさが拭えない日々です。大正時代も15年しかなかったので遠くない未来に全員いなくなりますね。時代の流れを感じます。 

 

 

 

・明治は遠い昔としか思えないので、時代が流れたなとしか思わない。 

今後も最高齢者の年齢がほぼ変わらずに進むと、約15年後には大正生まれがいなくなる、これも時代が流れたと思うだろう。 

 

約35年後には戦前生まれがいなくなる。 

このくらいになるとその時には大きな衝撃を受けるだろう。 

その時日本は、世界は今より平和に向かっているのか。 

それとも過ちの歴史を繰り返すのか。 

 

 

・「不在に」というと外国に移住した人の中にはいるような感じもして誤解される可能性がある。単に「絶滅」と言えばいいのではないか。 

同じペースでいけば、約14年後には「大正生まれは絶滅」となる計算だが、昭和前半生まれの私としてもそのくらいまではボケずに生きたいものだ。 

 

 

・先日大正生まれの家族が亡くなった....大正生まれの芯の強い、戦争を生き抜いた立派な人だった。明治・大正・昭和初期の戦前生まれの人がどんどん減っていいる。この時代の人は質素な食生活に不便な生活が普通の世代で、よく今の時代は便利になったけど、なんだか寂しいと言ってたな。時代の移り変わりも寂しいな。 

 

 

・自分の祖父が大正2年なので、もし生きていればそんな年なのかと。「ありゃもうまずいな。足取りもおぼつかないぞ」と相撲に天覧で来ていた昭和天皇を不敬?にも嗤っていた。 

 

明治生まれの曽祖母は102歳の天寿を全うしたが、100歳の時に国から記念の銀杯を下賜された時に「こんなもの貰っても、来年はもう居ないよ」とブラックジョークを言っていたのが懐かしい。 

 

2人とも大陸、半島から命からがらに復員、引き揚げしてきたのでお上なんて何するものぞというきっぷの良さだった。 

 

 

・20数年前に亡くなった うちのおじいちゃんは大正3年生まれだったから ほとんど変わらない。 自分と心や言葉を交わした おじいちゃんが当時を語れる人もいなくなるような時代の生まれになってしまったと思うと本当に遠く なったと思う。あと、もうとっくの昔に1800年代生まれは世界から居なくなってることもあらためて気づかされた。 

 

 

・曾祖母が明治生まれで、自分が子供の頃は生年月日記入欄も「明大昭平」となっていた。 

コンピューターおばあちゃんも明治生まれ。 

それがいつしか「明」が無くなり…明治生まれの方も全員110歳を超えるようになり…年月が経つにつれてそうなっていくのは当然なのですが、寂しさを感じます。 

 

 

・江戸時代から僅か40年足らずで世界最強の陸軍を持つロシアと互角に戦い白人による植民地支配が続くと思われ絶望していた住民の方達に有色人種でも白人に勝てると自信を持たせ白人による世界支配が終わらせる独立戦争へと続く道が生まれ今の世界がある・それもこれも明治時代に生まれた方達が血のにじむような近代化を行った努力のお陰です 

 

 

・医療費を使わないで長生きするんだったらいくらでも歓迎だけどね。 

医療だけでも75歳以上の医療費が年に平均100万円以上掛かっていて 

10年生かすと一千万20年生かすと二千万掛かる。 

腎臓透析は年700万掛かるけど財布から出て行くのは一か月一万円。 

今でさえ健康保険と介護保険の補填分だけで消費税が消えている。 

高齢者の割合が増えるのはなにもいいことがない。 

 

 

・>薗部さんが死亡したことで、国内で明治時代に生まれた男性はいなくなりました。 

 

そうかぁ・・・・ 

最後の明治生まれの方だったんですね 

明治生まれという方にまだギリギリ馴染みもあった世代ではありますが、やがてそれが大正に移りその後昭和に移っていくのでしょうけど、その元号最後の方が居なくなるというのは変に感傷的な気持ちになるものなのですね 

それで明治という元号が勿論消える訳ではないのですが、何と言うか、より遠い時代になったような気はします 

 

 

・私の祖父はだいぶ前に亡くなっていますが、1912年(明治45年)生まれでした。 

1912年と言えば、明治から大正に切り替わった年です。 

明治、大正、昭和、平成、令和・・・5つの世代を生き抜いた事は凄いと思います。 

御冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

 

 
 

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