( 158067 ) 2024/04/10 00:17:29 2 00 高校不合格のゆたぼん 父らは内申点「時代遅れ」指摘に「よいことは1つもない」「否定するのはおかしい」と賛否女性自身 4/9(火) 17:51 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/40b46ea0310b2562ead18102f86d173cc7410a26 |
( 158070 ) 2024/04/10 00:17:29 0 00 中学校の制服姿で動画に登場したゆたぼん(本人YouTubeより)
「“内申点”が足りず高校受験で不合格だった」とYouTuberのゆたぼん(15)が公表したことで、“内申点”のあり方に賛否が集まっている。
【写真あり】格闘技イベント『HEARTS』でリングインするゆたぼん
小学校から不登校を続けてきたが、中学3年の2学期からは登校し、高校進学を目指していたゆたぼん。3月14日に自身のYouTubeに動画を投稿し、受験で不合格だったことを報告。さらに4月4日の投稿では、入試の自己採点をした際に「一緒に受けた友達より僕の方が点数が倍以上だった。でもその友達は合格して、僕は不合格だった」と発言。
不合格だった理由について「中学1、2年と学校に行っていなかった分の内申点の分まで、僕はテストで点を取らなければならなかった。特に沖縄の公立高校は内申点を重視するというのを知っていたんで、テストの点数が勝負だった」と語り、中学の教師からも「(合格は実力的に)厳しい。もう少し受かりそうな高校がある」とレベルを落としての受験を勧められていたが、あえてチャレンジしたと話していた。今後は高卒認定試験に挑戦するという。
ゆたぼんの受験結果を受け、ゆたぼんの父の中村幸也氏は7日、Xに私見を投稿。多様性の時代において「学校しか選択肢がないのも内申点なんてもんも時代遅れ。日本の学校教育が社会に追いついてないんだから変えるべきは日本の学校教育のほうだよ」とし、「時代錯誤な内申点なんてあと数年でなくなる」とコメント。
ジャガー横田の夫で、医師の木下博勝氏も9日、ゆたぼんの不合格を受け自身のインスタグラムに「自分の弟の時と同じかぶってしまって、こころが痛くなりました」と投稿。約30年前に「合格した同級生より得点は、はるかに上」だったにもかかわらず志望校に不合格だった弟の内申点が、教師の恣意的な評価によって悪かったことについて不満を綴った。
そのうえで「公立高校の入試制度、見直すべきじゃないのかな。内申書が合否判定に大きく関係するのって、必要なのかな? 私立の判定と同じにすべきでは?推薦等だけの活用で、良いのでは?」と指摘。さらに「内申点って、その中学のレベルによって、かなりのハンデが生じるよね? 何で見直さないのかな。それとも、現在は是正されてるなかな」、「先生の顔色を伺いながら過ごす中学生は、昭和平成で終わりでいいのでは?」などと疑問を投げかけた。
このように内申点制度の見直しを訴える声に対しては賛同する声も多く上がった。
《内申点で中学生の反発を抑えようとするのは最悪手。内申点で抑え込めるのは,中位層の普通の子たち。本当に悪い子は「内申なんて関係ねぇ」子たちなので,よいことは1つもない》 《内申点とか学校の成績って嫌いです ワイはテストの点数は結構良かったけど、5段階評価で3以下だったで。90点くらいとっても2ついてたよ。先生に好かれてるかが重要だけど、ワイは嫌われてたわけだね》 《学力があり、学校へいく意欲がある子どもを 不登校で内申点が悪いからと高校入試で不合格にして「だから辛くても学校へ行かないといけない」と、子どもに圧力をかけて管理しないと成り立たないような学校の内申点のシステムもどうかと思う》
一方で、内申点の重要さなどを説く声もあがり、賛否両論となっている。
《中学から高校へ送られる内申点はテストの点数では評価できない、学ぶ態度や姿勢などが評価されますので点数が取れない子供にとっては有利な面もあります。要は日頃の行いでしょうか》 《内申点を重視する公立高校があるもの多様性?の一つなのでそれを否定するのはおかしいかと》 《内申点は無くなりません。むしろ内申点のみで評価されることの方が多くなると思います。一発勝負の試験結果より、どれだけ努力を積み重ねて来たかが評価されるのがこれからの社会です》 《内申に懐疑的なのに、何故内申重視の学校に行ったのよ?一発勝負の高校なんて山ほどあるのに》
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( 158069 ) 2024/04/10 00:17:29 1 00 (まとめ) 内申点についての様々な意見があり、学校側の判断基準や生徒の状況、家庭環境などが影響していることが分かります。 | ( 158071 ) 2024/04/10 00:17:29 0 00 ・せっかくゆたぼん本人が変わってきてるのに、お父さんは相変わらずなんですね。「日本の学校教育が社会に追いついてない」とか言ってるが、お父さんは息子さんの精神年齢にすら追いついてないですよ。 内申点は「時代遅れ」か…「最先端」か…なんて議論をする余地も必要性もないくらい、いつの時代においても重要であり当たり前の基準でしたし、これからの時代においても重要で当たり前の基準であり続けると思いますよ。
・進学校ですが、うちの子の3分の2しか内申点がない子も合格しています。進学校は当日の点を重視します。 商業、工業系は内申点と当日点を同等に重視しているらしいとの話を聞きます。ヤンキーで内申が悪い子は偏差値が凄く低い高校も落ちていて、高校の立場だと問題を起こして高校の看板に泥を塗るような危険人物は入れたくないのは当然。 内申は高校側も必要だろうし、真面目に頑張った子供達にも必要。 不登校の子も理由がきちんとしていたら、高校も切って捨てたりはしないと思う。
・内申点が重視される事が時代遅れなのかどうかは分かりませんが、 部活を頑張りながら定期テストで良い点を取る、授業に真面目に参加し課題の提出期限を守る、クラス活動に積極的に参加する、こういった事を3年間頑張って来た子がたった一回のテストで失敗しないような救済策だと思っています。 途中からすごく頑張ったのだと思いますが、受けるべき義務教育を放棄する代償はそれなりにあるのかなと思います。
・内申点って、勉強だけできても、素行が悪いとか、明らかにその学校に来てほしくない人を落とすようなもの。逆に見れば、当日のテストの点数が足りなくても、中学校在学時の態度が良く、部活頑張ったり、生徒会で活躍したりそういったことに対する評価だと思う。 大学入試なんてかなりそういった評価で合格させるところ増えてるんじゃないかな。それでいいと思う。当日のテストの点が足りなくても内申点が素晴らしければ是非来て欲しいと思う。
・高校は1つの通過点なんだろうな。、 高校卒業資格のテストをうけて、高卒の認定を受ければ、また道が開けると思う。あるいは、通信教育もあるようで。 ゆたぽんは自分の人生だから、お父さんの人生ではないのだから、高卒の認定をうけて、さらにがんばってほしいかも。大学卒業しても生きていくのは大変なので、何か自分に資格持ってると心強いと思う。自分の人生をがんばってください。
・内申点を無くしてどうするの? テストの点数や面接の受け応えだけではなく、この生徒がどのような事をやってきたか、部活動、委員会活動、その他行事への参加、協調性がどうだったのかを高校側に報告するものでしょう。最近は学校内だけに留まらない活動をする生徒もいるから、それこそyoutuberという活動も評価される時代が来るかもしれない。だから内申点の無くすんじゃなくて時代に合わせた評価基準にするべきなんだと思う。
・内申点はいります。素行の良し悪しの判断にもなりますから。特に部活の強い高校では生徒の揉め事ひとつで関係無い生徒が対外試合禁止、大会出場停止になったりしますので内申点を重要視します。それより問題はせっかくゆたぼんが良い方向に変化してきているのに父親が全く変わってない事。早く父親から離れればいいね。ゆたぼん頑張れ!
・各県によって高校入試の合否判定の方法は異なりますが、高校側は入学後に真面目に高校生活を送ることができるか、不登校や学力不振になって中退しないかを判断しなければなりません。その判断材料として調査書があります。内申点ばかりに注目されていますが、それ以外の部分も含めて総合的に判断しているはずです。今回のケースでは欠席日数も判断材料になっていてもおかしくありません。 結果的には不合格でしたが、本人にとっては良い経験だと思いますし、それだけやる気があるならば通信制高校なども通えるはずです。頑張ってください。
・合格してから学校に通う際、時間を守り継続して登校出来る人物あると言うのも入っていると思います。 この子も人のせいにしちゃダメ。 もっと前から準備していた級友がほとんどなのだから。 今の時点で不合格になっても、それでも学校に行きたいと思えば夜間高校もあるし大検に受かるための塾もある。 やはり親御さんが子供の気持ちを一番大切にしているかどうかは大きなサポートだと思います。
・ただテストでいい点とれればいい学校に行けるなら誰も学校に行かずに勉強だけしてればいいと思う人も多いとのではないでしょうか 笑 勉強だけでなく人間関係を築いたりと社会に出て大事な事を学ぶ場所なんです。それを3年間続けることは大変なことなので、我慢出来た人とそれから逃げた人では内申点で差がつくのは当たり前で、世の中や企業では勉強より内申点を重視する方が多いと思います。
・元教師です。 内申点とか内申書での合否判断は、確かにあります。でもそれって…入試テストの点数が同じだった場合に、どちらを取るかを決めなければならないようなときだけです。学校側は、その生徒のことを知らないのですから、どちらを取るかを考えた場合、中学生活が良かった方を取らざるを得ないのです。 生徒を受ける側としては、入試点数が絶対的に判断材料です。内申書や内申点は、あくまでも参考程度です。逆に内申点が多少悪くても、ボーダーラインをはるかに越える点数の生徒は問題なしに合格となります。 ゆたぼん君の場合、明らかに試験の点数不足だと思います。だって、お友達の倍以上の点数って…そんなに学力差がある方がおかしいでしょう。
・内申点は個人的にはあってもなくてもどっちでもいい派。ただ、内申点が良いというのは日頃の生活態度や授業態度が良いという評価を先生がしているということ。例えば、某有名大学の教員曰く、AO入試で入ってきた生徒の方が真面目で学力もしっかりしている子の方が多く感じるといった意見もあるそう。そして、現に仕事の採用においてあえて学生の頃の内申点を聞いていると、(偶然かどうかわからないが)内申点が高い人ほど仕事ぶりも真面目でテキパキこなしてくれる。全てにおいて当てはまる訳ではないだろうが、1つの目安になるものと捉えることはできる。
・学校の先生に非難がむかない?大丈夫かな。本人も、内申点をはねのけるだけ点数をとればよかったって言ってるんだし、お父さんが否定するのはどうなのかな。 まだ16才という子供が一発勝負で人生が決まるより、毎日コツコツ頑張ってきたことが評価されるのはいいのでは。学校が勉強以外の集団生活を学ぶ場なわけだし、それを評価するツールがひとつあるのは、義務教育の最後としてあっていいのかなと。一発勝負はその後大学受験で体験できるよ。 ゆたぼんも自由にやってきた結果で、自分で受け入れてるわけだし、不合格もそれをきっとばねにできる子なんだと思う。中1から毎日せっせと通って、委員会やら体育祭やら集団生活が上手くいくようにがんばってきた子の評価をうばってほしくないかな。 内申点なんて、こんな極端な子じゃなかったら、大きく影響しないよ。中学生なんて思春期で反抗期なんてたくさんいるけど、大概そんな事では落とされてないよ。
・確かに多様性は大切です。 ですが、人として社会で生きていくためにはマナーや協調性、社会性など必要なことは沢山あります。 学校にも組織としての多様性があり、校風や校則などそう言った中で学校生活を送ることに重きを置いていたり、学業に重きを置いていたり。 学校側も惜しい人材を不合格にしていることだってあります。 それでも、内申点にウエイトを置くかどうかも含めて学校側が決めており、内申点が必要ないと思うなら、そういう学校に行けば良いだけのことのような気がします。 最近、多様性に格好つけてTPOへの配慮ができない子供、きちんとTPOへの配慮を教えられない親が多い気がします。 病院で騒いでいても注意出来ない親。先日は大学生が旅館をメチャクチャにしたニュースがありましたが… 暴力はいけないけど、躾は大切だと思うのです。
・今まで学校に行かなかった分の内心点の分を当日のテストで補えなかったのだから仕方ないわよ。なぜ補える程の点数を取らなかったのかしら?まだまだ努力不足だったって事なのよ。この子の場合、高校に合格するとか学校に行くとかよりも鍛練に鍛練を重ねれば現実に覇王翔吼拳を出せるような気がしないでもないから、そっち方面の道で頑張って欲しいわ。
・中学3年の2学期まで不登校なら、そこから猛勉強したとしても合格しなくて当然だと思う。合格したら、きっと真似する生徒も出てくるでしょう。そして、それが広がると義務教育とは何なのか大きな問題になると思う。 ゆたぼん君に合うスタイルの進学の仕方もゼロではないと思うので、大きな学びだと思ってまた頑張って欲しいです。
・落ちれば学校の仕組みが悪い、就職もできなければ会社が悪いと言うのでしょうけど、内申点というのはいわば就職でいう履歴書や職務経歴書でしょう。採用するうえで、学力や経歴を確認し、他の人よりどう優れているか、どう貢献して活躍するかを見極めるのに、何もなければどうやって判断しましょう? 学生時代とのうちはみんなが経歴同じなのですから、欠勤等や学力等も内申点で確認し、学校側ではまじめに通学して頑張るかどうかを見極めるのは当然かと思います。内申点が重要だとわかっていたなら尚更ですね。
・その選択を選んだのは自分自身、学校側が難しいから別の学校を進めたにも関わらずそちらをとらず、受験したもの自分自身、自分自身で選んでおいて選んだ学校に選ばれなかったからって批判をするのはお門違い。他の合格者の点数と比較してどうするの?その合格した子と他は同じなの?違うでしょ?照らし合わせるなら学校側の合格基準。受験のテストでオール満点で不合格なら不服を申し立てても良いかな。
・中学の教師からもレベルを落としての受験を勧められていた。 この段階で厳しい状況の中受験したのだと思われます。内申点を言い訳に、自分に言い聞かせてるだけ。 それより、不登校なら内申点がたりず、当日頑張ってもダメだと証明した事になる。 倍以上の点数の開きの話が本当であれば、判定1があれば、どれだけ点数よくても受け入れしない等の条件がある高校受験をしたのでしょう。
・内申点て中3年生の二学期(二期制は11月末?)までの通知表の成績じゃないのかな。多分教師の主観とかではなく、テストの点数含めた観点別評価からの評定が換算されていると思われます。素行、欠席、リーダー的活動などは一般入試ではなにも加減されないかも。
つまり、ご令息が中学に戻ってからの考査点数、小テスト、提出物点などをしっかり取っていれば内申点が低いことはありえないかと。
・必要以上にSNSで自分の不満を発信されては、高校側にとっては、迷惑な話だと思います。何より高校からは、義務教育では無くなるので、総合的な試験を通して、受験生は高校側に選ばれるのであって、その事実を受け入れない限り、合格するのは難しいのではないかと思います。 また、その後の会社の就職試験も、人物重視の試験になる訳ですから、まずは勉強よりも自分自身を磨いて、謙虚になる事が大切だと思います。
・内申点もテストの点数も両方ともに必要だと思います。 テストで同じ点数だった時に評価するのは内申点で有って欲しいし、勉強以外にも頑張った学生生活は評価されるべきだと思います。 テストの点数よりも内申点を考慮とか、テストの点数を評価します、とか、それは各学校が決めれば良いだけの話なような気がします。 苦い受験を経験したから批判的になっているのだと思いますが、「時代遅れ」「良いことは1つもない」という見出しで0か100かのような議論こそ、ナンセンスだと思います。
・いつから私立が内申なしになったんだ?それは中学受験では?今時は私立だって単願推薦だの併願だの、それこそ内申だけで決まる子の方が多いくらい。又、もし成績に不服や疑問があるなら先生に聞けばいい。今は提出物を出したかどうかも先生はキッチリ付けてる。今の親世代はそこまで明確な基準の中で学校生活を送ってないので気付きにくいけれど提出物の出す出さないは明確なのでそこで差が付くこともある。うちの子は次の期末で何点取れば5が取れるのか聞きに行って教えてもらってた。学校間の差は大きくても学校内の卑怯な差は付きにくくなってます。制度のせいにする前に何が本当に問題だったのかを逃げずに見ない限り逃げと言い訳だけの人生になる。
・内申点がある事で学力で不利な子も平等に採点されるし、多様性を尊重していることになります。 不登校はいかなる場合でも内申に影響はあると思われますが、病気やいじめなどは考慮されているのではないかと思います。 しかし、ゆたぼんのような学校側にも飛び火しそうな問題を抱えている特殊な例ではそれらと同列に扱われる事は無いでしょう 現在は昔よりも不登校に寛容になり、学校へ行かなくても学ぶ場所や機会は昔に比べても多く、それこそ多様性を考慮した教育へシフトしているように思います。 父親の言う学校教育の否定の方が時代錯誤な価値観で現状と剥離した考え方ではないかと思いますね。 ただ、ゆたぼんが不合格になった理由は内申点よりも小学校卒程度の学力もないままレベルの高い高校を受験した結果です。
・中学生のとき先生に「公立高校は同じテストを受け、同じレベルの子たちが同じ高校を受験するから、内申点で差を付けないと難しい」と言われました。 社会に出ても実績だけでなく人柄や態度が評価されることもあるし、内申点が時代遅れではないと思います。 特にゆたぼんの場合は虐められているなど特別な事情があったわけでもなく、学校は必要ないと自ら行かない選択肢をしただけ。 学校に通ってた子たちより試験を頑張らないといけないのは仕方ないことだと思います。
・基本的にテスト後に、できたという子供は出来ていないことが多いです。模範解答と見比べてあっている部分だけしか見ず、解答すべき所ができていなくてもできたとしてしまう傾向があるからです。当日の点数が合格舎の倍も出来ていたとしたら、得点は満点近くであったと考えられます。もしその様な点数であれば県立高校受検者全体でもトップクラスの成績でしょう。それで落ちるとは考えられません。成績開示が出来るので自分の成績を見てみるべきではと思います。逆に、合格した友人とそれほど変わらない点数であれば内申点が響いたのでしょうが、学校に登校出来ていない生徒は成績がつけられないので内申点が悪いのは自業自得でしょうし、親の責任なのでは?それで、高校に文句を言うのはお門違い。点数を開示せずできたというのは、落ちた事に対する言い訳ですね。
・内申点を重視するべきなのかはどちらが良いとは言えませんが、少なくても自分が思うことは大事な1つの要素であること。 プロスポーツでいうと、誰よりも得点を取るサッカー選手。打っても投げてもチーム1の実力の野球選手。ただ遅刻は多いし練習もサボりがち、すぐに揉め事を起こすような選手がチームに必要でしょうか?能力値以外のパーソナルの部分であったり、大きなグループにおいて悪影響を及ぼす可能性はどの程度なのかを見るのが内申点なのかなと思います。
・何が時代遅れなのかわかりません。 学力のみに頼るテストなんて、その日のコンディションもあるし、それだけで合否を推し量るなんてそれこそ合理的かもしれないが、それで良かったら学校生活なんてそもそも意味がなくなる。行きたい学校があってコツコツ課題をこなし、小テストも頑張って、日頃から目標に向かって真面目にしてる子の後押しになる点だと思ってる。
・うちの娘は1年から第1志望だった高校に入るため、内申点上げるために頑張って、その内申点のおかげで推薦貰えた無事合格した。推薦の方が可能性が高くなるからそのために対策したけど、本来なら内申点はいらないと思っている。
都内でも地域によって高い点数を取りやすいエリアとそうでも無いエリアがある。先生の主観がないとも限らない。どうやったって公平な点数はつかない。
だったらまだ、3年の1学期と、2学期に全国共通テストでもやってその点が当日加算されるとかの方が客観的に判断出来て良い。
・内申点という考え方は、それは一つの指標としてありでもよいが、問題もある。そこはわかる。ただ、学力も観点が変容してきている中、知識偏重でない見方が増えており、採点基準も問題をはらんでいる。なので、点数が取れればいいとの考え方も時代遅れと言えなくもない。このような中では多くの指標が混在しており、選抜の多様性があってもいいとは思う。ただ、選抜する側からすると、会社の人事と同様に欲しい人材、そうでない人材を選ぶ尺度として、現状のシステムを利用している面はある。自分を認めてくれる学校もあるはず。そうでない学校を選ぼうとして、システムを変えようとするのもよいが、そのシステムの中で良い業績を上げている学校ならば、そのシステムに乗るしかないのも事実。学校を選択する側も多様な選択肢があるので、俗に言ういい学校に入りたいけど、自分に振りになるのが嫌というのはどうなのか?
・現在の「内申点」(報告書)に教師の恣意的な側面は反映されません。ようは中学3年間の学習の成績の合計であって、生活態度を数値化するようなものはありません。その学習の積み重ねを一つのパフォーマンスとして測るのがいわゆる入試のテストですが、ペーパーテストに反映されにくい日々の授業等での取り組みは、中学校での成績をもとに測るしかありません。だから、中学校の成績と入試の点数の両方を加味して合否判定を行う場合が多いのです。 確かに、ゆたぼんさんのように不登校を経験しながらも学び直しを行い、チャレンジする姿を評価し、多様な進路を保障する仕組みがまだまだできていないのが現在の学校教育システムの課題です。しかしながら、「内申点」という言葉にとらわれて批判に終始してしまっては、本来の課題とはかけ離れた部分にフォーカスされ、結果的に課題解決に向かいにくくなると思います。
・行動に問題がなく、周囲の生徒や多くの先生と良好な関係でも、一人の教師と関係が悪いと内申点が悪くなる。すべての先生が良識を持っていなければ成り立たない制度。内申点を意識し過ぎている生徒がいる状況も異常だと思う。内申点を否定はしないが、受験の合否に影響があるのは間違っている。試験による合否の境目で参考にするのが適切ん使い方だと思う。
・現職の教員としてお伝えするならば、 内申点は授業態度が良ければ高いというものではありません。教師の主観、好き嫌いによって内申点が変動するものでもありません。 日頃の授業における小テストや課題、定期テストの成績など、数値に基づいてつけられるものです。 当然、学校に行っておらず、日頃の勉強の成果を示すものが少ない生徒の内申点は自ずと下がります。 先生に気に入られた生徒が得をするなどという情報が出ていることが気に入らない。 内申点については万が一納得がいかないと言ってきた家庭に対してもきちんとした根拠をもって説明できるようにつけているものだと思います。 少なくとも私の勤めている学校では。
・内申書の扱いは地域によって異なる。入試の点数優先で同点だった場合に内申書で決める所もあれば、内申書が合否の半分を決定する所もある。それぞれ内申書の扱いを公表しているので問題はないと思う。個人的には内申書は素行不良などを知る必要な手段だと思う。進学校は入試重視で、一般校は内申書重視でいいんじゃないかな。
・かつての相対評価から絶対評価に変わったことにより、内申点の納得感は低くなった。 純粋な定期テストの点数だけでなく、提出物や授業態度が重視される。教師も人間なので、そこにはどうしてもバイアスがかかる。
だが、やはり内申点は必要だし、無くなることはない。真面目に課題に取り組むことができ、地道に努力が出来る。また、周囲と協調でき、集団生活を送ることができる人間だって社会に一定数必要な人材だ。そういった生徒が学校で評価され、進学できることも大切だ。
そもそも公立高校は、アウトローな生徒を教育するには適していない。
ゆたぼんのような子が公立高校に進学することは、むしろ、本人にとって不幸になり得る。 本人にあった学校を探すべきではなかったかと思う。
・公立、私立、共に独自の採点方法があって良いと思います。 内申はその子の、今までの学校に於いての、履歴の様なもので、そこに教師の評価や総評が加わったもの。 しかし、人間が付ける評価や視点は教師の判断に委ねられ、何を重きに置くかにより当然差は出るでしょう。 一発勝負の当日試験重視の高校、内申点に重きを置いた高校、内申点、当時試験両方で判断する高校など、例え、公立であれ個々の学校の特色を出し、選び受験するのは生徒であるべきの様な気がします。
・高校受験は不登校は不利なんですよね。内申点は何を基準にするか明かされてないと思うけど、学校に来て提出物を期限を守り提出するとか 社会に出て大事な能力を見る部分もある。 毎回のテストの点数の積み重ねもそうだし。 受験の時だけの点数が良くても 3年間の活動がちゃんと出来る方が人として信頼されるのが内申点なんだろうね。 親の影響でYouTubeとか発言とかしていて、本人の人生に影響出てしまったけど、これからが自分の人生と思っていくしかないよね。
・親が転勤族で実際中学3回変わりました。 転校生と他生徒では内心点にハンデが出るからそれを補える位、実力をつけないといけないと塾講師からは小学校の頃から言われてました。 最終福岡で受験を迎え、中3時で内申5段階中オール3以下&1もあったかもしれない位だったけど当日のテストでどうにか60越えの公立に入れた。 勉強させてくれた親には本当に感謝してます。
・不登校で、出席日数も足りんかもしれんけど中3から体調もよくなり教室には入れないけど学校に行き、先生に勉強みてもらったり独学で学び、自分で入りたい高校を選んで合格しました。当日の点数の他に学校での態度や姿勢も考慮されてたらいいなぁ~とは思いますが、そこはあてにせず受験勉強頑張ったから入れたと思っています。もし、内申があるなら子供が不登校ならその時の親はどう接していたかも、もしかしたら入るのかもしれませんね。学ぶ姿勢がなければ不合格もあるかもしれない。学校としては、学びに来たい人を入れたいと思います。 ゆたぽんが動画配信するのは別にいいとは思うけども、まずは受験勉強して満点近くとらないと厳しかったのではないかなと思います。 先生も丈に見合ったとアドバイスされていたなら偏差値高かったんじゃないかな?と普通に思う。
・時代遅れかどうかはわかりませんが。 色々な意見や考え、希望がある事は良いと思います。 ただ、学校教育という物は、社会人になる為の修練の場でもあります。 全ての努力が報われる訳では無い事を学ぶ機会です。与えられた環境の中で努力をすることを学ぶ場所ですし、社会に出たら組織で仕事をして行かなくてはなりません。 多様性の尊重は確かに大事だとは思いますが、自分が馴染めない物を全て他人のせいにしている様な気もします。 自分で選んだ道なのではないですか? 誰であれ色んな事に我慢をしながら生きています。他の大多数の学生は色々我慢しながらコツコツ学んでいるんです。人の点数をどうこう言う前に、まずはそれを知りましょう。
・中学校生活をどう過ごして来たかを内申点で観るのですから、テストの点数だけでの合否は、どの高校でもないでしょう。 点数が低くても、高校生活を送るにあたって今後の可能性を認めてもらえれば合格もありますし、点数が高くてもこの学校に不向きと見られれば不合格もあります。
受験した学校から、本校の合格は出せません、という結果です。 結果を受け取りましょう。
認めてもらえる高校を探してみましょう。
・内申点って、人生でどれだけ忍耐力があるか、節度があるかの指標だと中学の時、担任から言われました。先生の機嫌で決まるところって、今はあまりないと思います。生徒のいいところを伸ばす、ほめる、認めるという公立校になりつつあるので。
社会では嫌なことも引き受ける場面もある。頭を下げなきゃいけない場合もある。高校は義務教育ではない。社会人となる前に様々なことを学ぶ場だと。
内申がどうこう言うのであれば、勉強して海外の学校を受ける選択肢もある。滑り止め私立を確保することだってできる。無理して受けた学校なら、落ちたことを、あーだこーだ言うのはカッコ悪いなと。 少年革命家と名乗るなら、いっそ海外進学しました!のほうが潔くないかなと。
・賛否両論あるのは理解しますが、ゆたぼんさんの不登校に関しては少し我儘すぎるのでは?と感じます。
子供等の大半が学校生活を楽しみだけで過ごしている訳ではありません‥イジメみたいなものは大なり小なり経験するし、自分がしたい事だけやって社会でそれがまかり通る訳ないと理解してもらいたい‥
ルールを守らないで好き勝手する人を雇用する会社もないし、企業したとしてもそこについていく人もいないと思います。学校生活で学ぶことの大半は社会にでていく上で必要なノウハウだと思うのですが、このゆたぼんの父親は自分の子供の将来をどう考えてるのか?不思議でならない‥
・いろいろあっても、3年間、頑張って学校通って努力した子が、3年の2学期まで、自分の好きなようにやって、最後にちょろっと学校に通ったやつに負けないように、内申点があるんです。 学校に前に倣えした子がいいと言っているのではなく、楽しいことも、時にはしんどいこともある社会の縮図である学校で3年間頑張った子を評価したい。
・「物事の本質」を理解していない人の発言としか思えない。 学校・進学でも資格取得でも、「点数を取って受かった」というのは「結果」の話であり、受かるための「努力」や「工夫」が点数として現れるだけの話。
学生のように、経済的にも社会的にも親や年長者の保護下にある青年期は、将来の希望に向かって、必要なら勉強し、学校という場で社会性を身に付け。 それらのプロセスをテストや内申と言った形で評価を受ける中で、自分を見つめ直すことで成長するのが当然のこと。
半分しか学校に行ってない人が、テストの結果だけ良かったからって、3年間ちゃんと通学した人より良い結果を得られるほど、世の中は甘くないってだけじゃないの?
子供を言いくるめて、YouTubeやらせてたくせに、その結果を他人や制度のせいにするのはお門違いです。
・中学や高校のことだけ考えると内申点は不条理に感じる学生も多いと思う。それは間違ってない。
けれど、そもそも学校はなんのためにあるかって考えると、それは社会や体制の構築や維持のためにあるんだよね。 社会に出れば報連相ができる、約束やルールを守る、集団行動やコミュニケ取れる、やりたくない事も上手くやるって、仕事の出来不出来以上に重要。な場面も多い。 決して能力ありきのスタープレイヤーのみ求められるわけじゃない。 (そういう人は、そういう場面で活躍すればいい…例えば、医者とかね)
で、話しを戻すと、学校では謎な決まりや活動が多い。 校則然り、制服に体育での行進の練習、行事にクラス活動、部活動推進も入るかな。 それは、全部合わせて社会に出るための訓練や準備だったりするのよ。 なので、優秀な人=内申点が高いってので義務教育の締めを行いつつ、それ以降は能力や意志で力伸ばしてねってなってるんよ。
・やはり外部の人は内申点について良くわかっていないようですね。 かなり昔の知識をそのままアップデートできずに不平不満を言っている感じがします。 今では内申点に恣意性はほとんどありません。情報公開で閲覧することもできるため、内申にかかれることは客観的事実だけです。 ただし恣意性が残されているのは、個々の教員がつける教科の評価です。このあたりはまだ説明責任が十分問われる内容ではなく、好き嫌いが反映されかねない要素としては残っています。それでも昔に比べればだいぶ改善されましたがね。「学びに向かう力」は文科省の言葉遊びに翻弄されていますが、はっきりいって客観的な評価には馴染みません。それを数値で出せとなれば、多少の恣意性が出てしまうのも致し方ないかと思われます。
・実際に何点取ったか。高校に問い合わせれば教えてくれると思います。高校ごとの平均点も発表されると思います。自己判断だけでなく、客観的な情報を得るために高校に問い合わせるのもいいのではないかと思います。
・学校に行かなかったのはゆたぽんの生き方だったわけだから そこをカバーするぐらいのテストの点数が必要だった。 でもそれを取れなかった。それだけの話。 高校としては進学してくる子がどんな子か常日頃みてるわけではないため 中学校からの内申点を見て判断したいでしょう。 勉強や面接だけで判断なんて出来ない。 会社の面接でもそうだと思うけど合否に関わってくる判断材料は たくさんほしいわけです。高校としても優秀な生徒にたくさん来てほしいから。 ゆたぽんも先生からレベルを下げるように言われても下げなかったわけだから そこは自分の選択した結果でしかない。
・父親は自身の何十年前の学生時代の何か亡霊を追っていると思います。現実の息子の進路に重ねるので現状認識が自身の過去の記憶も混じり、先の見えない幻想の世界と現実を行き来しているのではないでしょうか。この先何十年の将来が関係してくるのは息子のほう、父親こそ誰か話を聞いてくれる人に定期的に話して自身の過去の記憶を整理した方がいいのではないでしょうか。
・会社の組織内でも業務で実力を持ちながら良い評価を得られない人も居るし、またその逆もある。人間を評価するのが人間である限り、これだけは無くならない。
純粋な力だけで成果を求めるなら、司法試験でも、司法書士でも、あるいはプロ格闘技選手でも目指せば良いかと思います。
・内申点と言っても、そこまで教師の主観だけで決まるわけでもないし、テストの成績以外の良いところなどをピックアップする意味で、決してマイナスだけではないと思う。 それと、入試に不合格の結果が出てから、内申点について不平を言うのはずるいな。 自分はもう30年以上前だけど、やはり、あまり従順な態度の生徒ではなく、入試のペーパーの点数と比べて、学校の成績が悪かったけど、それは覚悟の上で普段から学校生活を送っていた。 この子の言い分にもうなずける部分はあるけど、親がもう少し冷静になってあげるべき部分も多々ある。
・私も内申自体は必要だと思いますが、 その学校や担当の先生によって基準が曖昧なのが問題だと思う。 うちの子供の中学はかなり内申の基準が厳しくて、80点取っても「2」がついてどうしても納得がいかなかったのでお尋ねしたら、 「グイグイ来ないから。もっとグイグイ来てほしい。」という理由でどうしようもなかった。(体育会系の人だった) 好き嫌いや性格で判断しないで欲しい。 お友達の中学は3年生の2学期になると平均点そこそこでもサービスでの「4」がたくさん付いた。 同じ学区内でここまで違うとやってられない。
・同じレベルの公立高校でも、当日のテスト点数重視の高校は、校風もわりと自由で活動的な子どもが合格していました。
内申点重視の高校は、真面目で勤勉な子を集めていて、みんな休み時間も勉強していました。勉強も厳しかったです。 それぞれ、校風が違うので、学校が求める子どもたちも違うんです。 内申点制度がいいとか、悪いの話ではないと思います。
・内申点といっても主な評価は学校での定期試験の点数、席次でしかない。 素行とかなどは基本的にいいことしか書かないのが普通で、それ以外のことが書かれていれば余程のことだと思います。 あとは遅刻、欠席数ぐらいでしょう。 それでも、受験には大きく影響します。 私は内申書のため高校受験は内申点が足らず(体育の成績が致命傷)どうしても志望校を受けさせてもらうことができませんでした。 その当時は先生の意見を無視して願書を出すことはできませんでした。 結果、ランクを落とした学校を受けることになり首席合格しました。 試験では絶対的に自信があっただけに、今でも受けさせてもらえば合格したと思っています。
・高校受験のために内申点を上げる努力する子供たちもいる。テストの成績がよくなくても課題を真面目に提出したり授業に積極的に参加することで、誠実な態度から学力のみで判断されないことは悪いことではないと思う。
テストの成績だけで判断すると極端な話、素行が悪くても入学できる子供が出てくる一方で遅咲きの誠実な生徒は合格できないということも起きうるのではないか。それはそれであまり望ましいこととは個人的には思えない。
内申点を批判するのであればその方法を選ばなければよいだけのことであって、事前にわかっているにもかかわらず内申点が足りずに不合格だったことを受験システムに責任転嫁するのは、成熟した考え方だとは思えない。
私は事情により日本の中高に通学できず内申点もないため、大学入学資格検定試験に合格後、日本の大学を受験し合格した。こういう人もいますので、ゆたぼんさんがんばってください!
・どこの県の試験を受けても同じ結果なのでは?ここは日本で内申というシステムがある以上出席日数や内申点が受験に響くのは当然。もし合格して高校へ進んでいたとしても本人的に不本意な事がある度に動画で逐一投稿されるのは高校側も嫌ですよね。だから不合格なのでは?と推測します。落ちたことを愚痴るよりも、なぜ落ちたのかを熟考して次に生かしてください。まだ若いのだから今後の頑張り次第で未来はいくらでも開けると思います
・どのくらい重視するかは議論の余地があるけど内申点ってけっこう合理的だと思うけどね。
それに内申点の為に先生の顔色を伺う必要なんてない。 先生もそこまでバカじゃない。
大昔だけど自分は決して先生の言うことを聞く素直な生徒ではなかった。 むしろ先生に対してもちゃんと不平不満を言っていたけど内申点は良かった。
先生の顔色なんて伺わなくてもちゃんと勉強して学校生活を送っていれば、それなりの内申点は付くものです。
一発テストで全てが決まるより、日頃の勉強の成果、学校生活も評価してくれる内申点は、まだ一人前とは言えない高校受験生にとっては良い制度だと思う。
・これからは内申点の方が重要視されるよ。暗記型の教育は意味が無い時代。 スマホ一つで知りたい情報は手に入り暗記の必用性が無くなって来ている。 人間性、将来性、学ぶ意欲、協調性等の内申点はAO入試に取り入れられる。 企業も大卒にこだわらなくなるだろう、それよりも有望な高卒を採用し、自社で教育、訓練させた方が一流を育てやすく効果的なのも分かって来ている。
・合否判定のシステムがわかっているなら、公立高校の受験という選択がよかった(正しかった)のか。ゆたぼんのような経験を審査したり、不登校をハンディとしなかったり、主に私立高校ならば選択肢はあったように思います。 高校進学、そしてその先の大学進学を目指しているのなら、より可能性のある志望校選択が必要だったのでは。
・中学生の時に中間、期末で50点満点中50,48点でしたが5段階評価で4でした。部活の顧問でしたので授業もちゃんと受けていたしマイナスされる部分がどこかすら謎でした。 内申点は教師の好き嫌いによって左右される事は否定できないと痛感しました。 受験に関しては点数が最優先されると思います。面接で余程とんでもない事をしなければ頑張りを評価する指数は得点でしか判断できないと思われるからです。 気持ちはわかりますが、おそらく合格基準に届いてはいなかったと思われます。 ただ、頑張った事は素晴らしいことだと思うので気持ちを切り替えて頑張って頂ければと思いました。 パパは記事にしなくていいです。 あくまでもゆたぼんさんのことであって、ゆたぼんさんの足をなるべく引っ張らないように自重していただけるとありがたいです。
・テストでいい点取ればいいだけなら、なおさら学校なんて行く必要なくなりますよね。 同級生からしたら、なんであいつ学校来てないのに合格してんの?ってなりますよ。 こっちは3年間頑張ってんのにって。 努力した分評価してもらえる内申点は必要だと思います。 でもまぁ先生も1人の人間なので、気に入らない子の内申点を低くする先生がいることも事実。 内申点は必要だけど、担任に気に入られれば内申点があがるっていう仕組みは変えてもらいたいですね。
・実態として言えば、「一発試験」でだけ判定されて不合格になったりすることを、少なくとも15歳の「入試」では避けたいという考えが基本です。 真面目に3年間頑張ってきた子どもが、当日の緊張で、思うような力を発揮できないことは、想定されます。 それを補う意味で、むしろ報告書の点数は生徒に有利であるケースがほとんどでしょう。 一方で、3年間「好き勝手」にやってきて、挙句に学校なんていらないと公言し続けた受験生が、3年間の生活や学習の報告を「不利な要素」だと言い放つことは、恥ずかしいと思います。 そうまでして進学したいなら、彼が「変節した」という事実を、自ら受け入れるべきです。
・地方の進学校に進んだのだけれど。 入学後入試の結果と内申点の結果を見せてもらえたのだが。 英語と国語の点数が取れなかったけれどそれでも入試の得点だと真ん中よりちょい上に潜り込めた。 それに内申点を入れたらもう少しで不合格の順番までだだ下がりしていたな。
まぁ中学の英語教師とは反目していたし五教科以外の授業態度も悪かったし仕方ないかなとは思っているけれど。
考え方としては、その合否を左右する大きなファクターではあるけれど内申点を飽くまでも生徒個人の資質の評価と捉えるか或いは不当に評価されたという被害者意識に立つかかな。
・内申点を気にしていい子ぶって過ごす中学時代ってつまらないとは思うけど
でもやっぱり真面目にやってきた事は正しく評価されるべきと思うから内申点は必要 一発勝負で高校受験ってなる方が可哀想だと思う その日の体調や試験問題との相性、プレッシャーに強い弱いなどの性格面など 学力に関係ないところまで関係してくるから 内心点は、当日コンディションの悪い子にとっては救済になってると思う
だから決して内申点が時代遅れとは思わない
ゆたぼんに関しては、ちゃんと中学校に通い出したのでよかったなぁと安堵したところ 今回の不合格も一つの経験として学ぶ事があったと思うから、失敗と思わないで次の目標に向かって頑張って欲しいです
個人的には高卒検定じゃなくて、とにかく高校に通ったらいいのになと思う 高校生活も楽しいと思うから、是非経験して欲しかったな
・内申点は時代遅れに同意という意見もあるけど、そもそも内申点とは規律を守らせるためにあるんじゃないの? 教師にゴマを擦れば内申点が上がって~とかじゃなくて、逆に騒いで授業を妨害したり、非行に走ったり、定められたルールを守れない者を特定する側面の方が大きいと思う。
高校は義務教育じゃないので、そんな問題児は受け入れたくないのは当然だから、内申点が無くなるとは思えない。 幸也くんが高卒認定にこだわる理由は、幸也くん自身が高卒認定だけど人生に失敗してると認識していてその事にコンプレックスを抱いてるから、 息子のゆたぼんに高卒認定させた上で人生に成功させる事で「自己肯定」したいんじゃないかな?
・自分も内申点には否定的ではありますが、理由としては通う中学校によって成績の付け方の基準が全く異なることにより不公平だと考えているからです。 自分の出身中学は高い成績を取ることが難しく、周囲の他校よりも明らかに厳しかったです。そのため殆どの生徒は実力よりもランクの低い高校を選ばざるを得なくなりそれがとても不満でした。
ただ、ゆたぼんのように素行については見るべきであると思っています。彼の場合は父親がどうしようもない人間が故にこのような結果になっていると言っても過言ではありませんが、何故かその父親自身には一切自覚がありません。 学校も評判を落とすのは当然嫌なので、リスクを考えたら素行に問題あると見なされる子は避けられたとしても文句は言えないでしょう。 この父親を見ていると、やはり考慮は必要なんだなぁという裏付けにしかなっていないと思います。
・高校は義務教育ではないので、個々の学校のやり方は間違いではない。 内申点の問題点は、色々あると言われるが、希望の高校に行きたい(合格)したいなら、自己対策はすべき。 高校を批判する案件じゃない。 高校も少子化で、生徒を確保しないといけなくなるなら、内申点の、あり方も変わっていくと思う。
・既存の公立高校に行きたいけれど、既存の評価は受け入れないというのは難しいかも。 お膳立てされている高校受験だからこそ、対策はあります。 そこから逸脱しているのであれば結果はさもありなん。 能力を誇示したいのならば個人で開発なり発明なり研究なりされてはいかがでしょうか。 芥川賞なり、ノーベル賞なり、将棋なり、能力さえあれば道はあります。
・高校では中学校の内申点がない代わりに異常な校則で管理して来ます。内申書がなくなればその代わりに校則が厳しくなります。停学等の罰則つきなのは義務教育でなければ可能となるものです。憲法違反を問われないので。結局、同じことです。批判をされるのであれば、もっと頭を使いましょう。上部構造しか見ていない底浅い意見なんだなと残念に思いました。言われている通り学校教育は問題を抱えており義務教育を修了されたのであれば他の方法により学習歴を手に入れたらよいでしょう。 結局、目の前の内申書をクリアしても校則で処分されたら同じことどしょう。勿論、停学になったりしても大学受験には影響しないということはあるでしょうが、内申書相当行為を学校はして来ます。学校とはそういうところですから、内申が必要と言ってる人間はそういうことを理解してません。将棋の藤井先生は学校に行かれてないので、そのような生き方があるのは事実です
・内申点を重視することがわかってる公立高校を受けといて批判するんだったら、内申点を重視してない自分でも受かるようなところを受ければよかっただけの話です。私立高校とか定時制とか他にも選択肢はあったのに。先生にもレベル落とした方がいいって言われるくらいだから、はじめから無理だったのでは?他の受かった子ども達はしっかりと将来を見据えて普通に中学校生活を過ごしただけですよ。
・高校は義務教育では無いので、誰でもウエルカムでは無いですよ。世間の厳しさは義務教育が終わった高校から顕著に出てきます。親父は黙って子供の成長を見守れないもんですかね?学校行きたく無いなら行かなくても良いは賛同しますが、その後の行動は子供を金稼ぎに使っている様でとても良い印象は無いです。親父よ黙って子供の成長を見守る気概を見せてくれよ。
・最近の事は詳しくは無いのですが大枠は変わってないらしく、大阪の場合は公立高校は試験重視、内申重視までその比率が幾つかあって各高校がそのどれかを採用していて同じぐらいの偏差値の学校でも採用している基準が違うと同じ試験の点数でも片方なら合格、もう片方なら不合格になる可能性があるそうです。 一般的に偏差値の高い学校は試験重視、低い学校は内申重視を採用する傾向がるあるようです。 勉強がすごく出来るレベルで無く、かと言って学校に行かず内申が低いとなると上位校では学力不足、下位校では内申が足ら無いので試験がそれなりに高得点出ないと難しいし、さりおて中堅校では試験はいけても内申点不足で不合格になってしまう。 受験地は大阪では無いし内申制度も違うとしても、父親としてそうやって育ててきた以上「それでも合格できる実力」が本人に無かった事を素直に受け止めるべきじゃないだろうか。
・まず学校は塾じゃないから 成績だけいい人を集めて終わりじゃなくて 社会人になるための学習以外の集団生活の中での勉強もあるわけです そこでちゃんと皆んなとの輪を乱さずに学校生活が送れるかどうか学校は見極めなければならない 今回はその適正がなかった、ご縁が無かったということです こんなことで学校の在り方にとやかく言う親は本当にみっともない 負け惜しみにしか見えない と思ってる人がたくさんいるのではないでしょうか 当たり前だと思うスタートラインは 実は日々の積み重ねがないと辿り着けないものなんですよ
・内申点重視の高校受けて何を言っているのだろう?内申書(調査書)ってのは生徒の生活様式そのものです。今後は少子化により学力よりますます人間性重視、つまり内申書が問われる試験になりますよね。そして高校は義務教育ではありません、義務教育とは親が子供に教育を受けさせる義務です。それを放棄し学校の悪口を言いまくっている親の子供なんか受け入れる訳が無い。高校には入学者を選ぶ権利があります、それが入試です。大学でも既にAO入試が導入されたのもかなり昔、今では総合選抜型と名を変えてますが、同じ事ですよ。人間性プラス学力が求められます。
・「学校は勉強だけをするところではありません。勉強だけなら塾で良い。学校は、勉強と、様々な行事を通して社会性を身に付けなければならない場所で、このたくさんの行事を自分たちで自由に話し合って企画し実行して下さい。この高校は自由で、校則もありません。私たちは見守り口出しは一切しません。失敗もたくさん経験して下さい。卒業する3年後、自主自立を身に付けて羽ばたいて下さい。そして、自由という意味が我が儘や自分勝手とは違う意味だと気付いて卒業してくれることを願っています。」 先日の、子どもの入学式での校長先生からの言葉でした。 「自由」をはき違えることは、未来ある子どもの道を見誤り苦しめることになります。記事を読むと、今後、正しい道に導いてくれる大人にゆたぼんが出会えるといいなと願わずにはいられませんでした。
・内申点見なかったら、ペーパーテストの点数のみで人物を評価することになる。 それこそ『多様性』の否定になり、それこそ『時代遅れ』だと思うけどね。 機械を評価するのではなく、人間を評価するのだから内申点の存在は重要だと思う。
・ゆたぼんの半分以下の点数で合格者がいる →全科目の平均が50点にも満たない子でも入れる →お友達の内申がよっぽど良かったorゆたぼんの内申が引くほど悪かった ということですかね。 内申が悪くなったのはそういう生き方を選んだからだし、内申が悪くても点数取れれば入れる学校もあるんだから、分かってて挑戦したなら受け入れるしかないね。
・内申点が高いか低いかって、要は当たり前のことが当たり前に出来ているかどうかの問題ですよね。 宿題や書類の提出、授業態度、授業中の発言等……… 社会で働くなかで、書類の提出や仕事を終わらせる期限があるのが当然だし、勤務態度や人の話しをちゃんと聞いているか、会議での発言等、内申で判断されることって、社会に出たらやって当然、できて当然のことですよね。 それを学生という前段階で、子どもに伝えているだけのこと。 というより、保護者として考えた時に、自分の子どもが勉強さえできてたら、人をいじめたり、授業崩壊させてたり、人の言うことが全く聞けなくても良いのかな?
・試験当日の緊張や体調不良を考えると、3年間の努力が1日で決まるのは気の毒だと思うんだけど。 内申があって困る生徒って、そもそもそう多くはないと思う。 事情があって学校に通えないけど、こんな勉強を頑張ったっていう評価はするべきやと思う。
・ずっと不登校だったのに中学3年の後期から学校に行けた事が素晴らしいと思う。 高校は中学と違って通信制や定時制等もあるし、色々な選択肢がある。 頑張ってください。 応援してます。まだまだ若いので色々な可能性がありますよ。
・子どもだったとはいえ、自分がそのように生きてしまった結果がこの不合格を生んでしまったのかと。 親も社会の制度や人のせいにするのではなく、自分や子どもがどう生きていくのかをルールも加味して成長する必要ありますよね。
やる気になった子どもには可哀想だけど、海外へ出れば日本みたいな堅いルールはないからそれもひとつのででは?
・内申点と騒いでいますが、内申点の悪い人が騒いでいるだけ。内申点は日頃の頑張りを示す大切なものだと思います。入試本番で点数を取ればそれだけでいいとは思いません。就職でも、履歴書など提出します。その時の面接や試験だけで決まることなどありません。本当によく考えてください。本番で点をとれればあとは一切関係ない。そんなことはありません。それであれば、大学のAO入試や総合型選抜の導入もおかしいのではないでしょうか。
・教師をしていますが、内申点イコール先生のご機嫌次第、などと思っている人がこんなにいるのだと、コメントを見て驚きました。 内申点を感情でつけることなどありません。根拠をもった評価が絶対です。 「点はとるけど、話し合って意見交換をするのを目的とした授業ではまったく発言しない」などと、テストだけで計れない能力を評価しています。態度、というのも、解答を出すために多角的に考えているか、他の人の意見と比較して検討しているか、などを見ています。1、2年で欠席していても3年の授業の取り組み方次第で上がります。「先生に気に入られなかった」なんて言っている人はそもそもそういう後ろ向きな態度が取り組みにも現れていたのでは?と思ってしまいます。
・うちの子は不登校→別室登校だったので内申点は壊滅的でした。 ただ、どんなに嫌でも頑張って登校して提出物を出してって頑張っている子は世の中にはたくさんいるわけで、試験だけを見るのではなく、中学の頑張りも見る内申点は必要だと思う。 しかも今はきちんと評価基準を学校側が明記してくれている。その評価基準にあてはめられないのなら評価されないのは仕方がないのよ。 うちの子は通信制に進学しましたが、中学の先生は本当に親身になってくれたし有り難かったな。
・高偏差値の進学校になればなるほど当日の試験結果が重視されます。だって内申点自体、今は絶対評価とはいえ個々の中学校によって差異が出てしまうから。 それと評価の仕方は定期考査や小テスト、ノートや課題提出などを細かく採点化。授業中の発表が積極的だからと言って、定期考査の出来の悪い子が4や5は取れません。
・内申点は海外でもあるよ。日本よりも重視されることもある。内申点に問題があるとしたら先生の主観が入るかもしれないということ。 まあこれも社会に出ても、友達の評価でも、なんでもそうだけど。学校としても入れてみたはいいけれど、騒ぎや問題を起こしそうな生徒は避けたいのが本音だと思う。
・内申は確かに不条理な部分もありますが、 テスト結果だけで判断される訳でも無いので 必要な要素かなと感じます。 テストだけでなく努力や取り組み姿勢も加味される訳だし、そこにも意味をもたせるには 必要な要素かなと感じます。 大学受験も推薦が進んでるけど、一発勝負の 道もあるから別にそこで勝負すれば良い。そもそも進学先の高校が全てでは無いかな。
・内申点がなしとなると、生活面で頑張っている人への評価がなくなってしまうのではないでしょうか? 例えば、きちんとノートを取っているか、提出物は期限に間に合っているか、評価されることにより社会に出てもそれが生きてくるのではないでしょうか? 先生から気に入られている方が、内申点は良いのではないでしょうか? 中学まで点数が良くても我が子は、評価されませんでした。しかし、高校でもテストの点数が高くなり評価されるようになると、中学時代はなんだったのか…と疑問しか出ませんでした。 そのため、中学までの成績は気にするなと言いたいです。
・西欧諸国は公立も私学も入試がなく内申100%です。 一発逆転が可能なのは日中韓などの入試がある国です。 社会人になるにあたって、どちらが人間力を問われるかは考えるべきで、内申点が時代遅れとは全く思いません。ハーバード大学も入試はありません。中高の成績はもちろん、中高で何をしていたかなどが問われるのがアメリカの大学です。企業としてはいくら同じ大学を卒業していてもコツコツ勉強してきた人間と一発逆転で合格してきた短期間の詰め込みだけの人間とどちらを採用したいでしょうか。(私は後者でしたが) 内申点が関係ない私学が高校無償化もあったりして行きやすくなってる分、日本はある意味多様性はありますが、ただ流れとしては内申やAO入試が重要視されていくとは思います。人間は学力のみで判断されないのは重々承知すべきだと思います。
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