( 158487 ) 2024/04/11 13:07:28 0 00 AdobeStock
岸田文雄首相の長男・翔太郎氏がひっそりと秘書活動に復帰していたことが話題だ。翔太郎氏をめぐっては「休日・深夜を問わず発生する危機管理の迅速かつ、きめ細かい報告態勢、党との緊密な連携、ネット情報・SNS発信への対応など諸要素を勘案し、秘書官チームの即応力の観点から総合的に判断した」と、岸田首相が2022年秋に首相秘書官に任命した。だがその後、首相の外遊の同行時に公用車を使い、パリやロンドンの観光名所を訪れたり、現地の百貨店で買い物をしたりしたことが問題視されたほか、官邸内で撮影した「不適切写真」の流出など、世間に資質を疑問視され、任命から8カ月で更迭された。自民党の不記載問題を巡り「500万円以下は処分なし」という決定を下した同じタイミングでネットなどでは「身内にとことん甘い」「国民をなめているのか」などと批判の声があがった。一方でそんな翔太郎氏を擁護する声もあがっている。ルポ作家の日野百草氏が取材した--。
「復活に期待している支持者は多いと思います。まだこれからの跡継ぎですから」
都内、党員として長く自民党に籍を置く70代の会社経営者が語る。復活とは岸田文雄首相の長男で元・首相政務秘書官(国家公務員特別職)の岸田翔太郎氏(33歳)のことだ。経営者自身は都心に住むが、一族は広島県の出身なので「地元」という意識で応援したいと話す。
「失敗も経験ですから、お父様のそばで学ぶことはやはり大きいと思います」
岸田首相が自分の息子を首相政務秘書官に抜擢。翔太郎氏の起用に「政治家としての活動をよりよく知る人間」「適材適所」であり、SNSによる官邸発信など期待したいと岸田首相は語ったが、一般親族らと2022年の年末、首相公邸で忘年会を開き、一部の参加者が赤じゅうたんの敷かれた階段に寝そべった写真を撮ったり、岸田一族一同で組閣したかのようなひな壇写真を撮影したりの行為や、外遊の不適切な行動により2023年辞職、わずか8カ月ほどの短命人事となった。
辞職は事実上の更迭であったとされる。岸田首相は自分が息子を切ったことを「けじめ」と語ったが、公務員のボーナス(期末手当および勤勉手当)が満額支払われる基準日6月1日付辞職による世論の反発にともなう返納騒動など、最後まで尾を引く形となった。
しかし翔太郎氏、ついに岸田文雄事務所の秘書として復活した。国会周辺、議員会館など報道記者や政治関係者にたびたび目撃されている。
翔太郎氏、辞職当初は「一からやり直したい」と地元広島に戻るとされていた。その地元広島の私立修道高校から慶應義塾大学を2014年に卒業後、三井物産勤務を経て2020年、岸田事務所の公設秘書となった翔太郎氏、再び父親である岸田首相のそばで秘書として「学ぶ」ということか。
「それだけ優秀な子ですから、やはり帝王学のためには首相であるお父様のそばで、国の中心で政治を学ばれたほうがいいと思いますよ。4代目ですからね」
自身も一族でグループを組織する経営者の彼は「世襲は当然」と語る。
「血縁があったほうがいいに決まっているじゃないですか、上に立つような一族なら、みなそうでしょうよ」
岸田家は昭和3年に当選した岸田正記衆議院議員から岸田首相で昭和、平成、令和と3代続く政治一家である。いずれ翔太郎氏が後継者として議員になれば4代目となる。
しかし自民党の支持者でも「困る」とする声もある。首都圏、自民系無所属の市議会議員の話。
「困るよ。ただでさえ自民党が逆風なのに翔太郎さんは困る。悪目立ちとまで言わないけど、目立ちすぎる」
自民党は翔太郎氏の辞職当時、旧統一教会との関係や物価高騰への対応に非難の声が高まっていた。
以来、2023年の岸田内閣の支持率は広島サミット前後の40%台をピークに翔太郎氏の辞職した6月以降30%台を推移、一連の自民党各派閥の政治資金パーティーによる裏金問題などで2024年3月には25%となった。※NHK世論調査
「うちの支援者の中にだって「500万円までは税金払わなくていいだろ」とか冗談めかして言ってくる人もいる。直接言われるのは地方議員だ」
自民党派閥の裏金問題は安倍派の幹部らには離党勧告や党員資格停止などの処分を下したが、不記載500万円未満の議員は処分なしとなった。また岸田派は「会計責任者のみで議員による直接の不記載なし」として岸田首相自身も含め処分なしとなった。また「次期選挙不出馬で責任をとった」として二階俊博元幹事長、「私(岸田首相)が直接、電話した」が関与は確認できないとして森喜朗元首相も処分なしとなった。
これについて岸田首相は「最終的には国民や党員に判断してもらう」とした。
「これでは安倍派に対する粛清に見えてしまう。岸田派と重鎮、そして逆らわないヒラ議員だけ「処分なし」では国民も納得しない。とくに地方議員は選挙が厳しくなる、まして国政選挙ともなると、不戦敗の選択も当然だ」
自民党は衆院東京15区の補選を事実上の「不戦敗」として候補を立てず、小池百合子東京都知事率いる都民ファーストの会が擁立した乙武洋匡氏の推薦にまわる方針を示した。衆院長崎3区も不戦敗を選んだ。「国民や党員に判断してもらう」と言われても、判断しようにも判断できない状態にある。
「乙武氏は自民党が参院選で擁立しようとして女性問題で断念した。そういう経緯があるのに乙武氏の推薦にまわる、まして小池知事の都民ファーストとあいのり、乙武氏の過去は問わないと言っても、それで納得する都民、党員がどれだけいるか」
乙武氏推薦にまわったはずの国民民主党は「自民推薦なら乙武氏支援せず」として反発している。こうした混乱のさなか、岸田翔太郎氏が政治の舞台に「復活」となった。
「早いよ。タイミングも悪い。裏金問題もうやむやで、安倍派の粛清で終わろうとしている。それで岸田首相はお咎めなし、息子が秘書に復活して永田町をウロウロしている、示しがつかない」
言葉が強い。しかし、それほどまでに自民党の地方議員、党員の危機感は強いということか。
冒頭の経営者のように肯定的な支持者の中には「翔太郎さんは若いから、長期的な観点でみるべき」との声もあったが、息子の翔太郎氏がどうこう以上に、自身と自分の派閥を処分なしにして、責任は「国民や党員」の判断に逃げる、それでいて不戦敗で直接の審判は受けない。
4月8日発表、最新の岸田内閣の支持率はついに23%(NHK世論調査)。この結果もまた、そうした岸田首相の姿勢そのものが問われている気がしてならない。
日野百草
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