( 158619 )  2024/04/11 15:39:05  
00

元横綱 曙太郎さん心不全により逝去 7年前から闘病生活

めざましmedia 4/11(木) 9:40 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/582a8815d5573e9ad7de5f82579d1a76724db4d2

 

( 158620 )  2024/04/11 15:39:05  
00

元横綱の曙太郎さんが心不全で亡くなったことが報じられた。

告別式は密葬で家族のみで行われるという。

曙太郎さんはアメリカ・ハワイ出身で、1993年に第64代横綱になり、人気を博した。

彼は203センチを超える長身から繰り出す突きと押しで知られ、1990年代の相撲ブームをけん引した。

現役引退後はK-1や総合格闘技、プロレスなどで活躍した。

(要約)

( 158622 )  2024/04/11 15:39:05  
00

めざましmedia 

 

2024年4月11日、元横綱の曙太郎さんが、4月に心不全で亡くなったことが分かりました。 

告別式は家族のみの密葬で行われるというこです。54歳でした。 

曙太郎さんは7年前に北九州市で倒れて以来、闘病生活を続けていました。曙さんは、東京近郊の病院に入院していたということです。 

 

【写真6枚】心不全により逝去された元横綱 曙太郎さん 

 

アメリカ・ハワイ出身の曙さんは1993年に第64代横綱になり、人気を博しました。 

 

■元横綱 来歴 

 

 

 

曙さんはアメリカ・ハワイ出身。 

昭和63年3月場所で初土俵を踏み、203センチを超える長身から繰り出す突きと押しで人気を博しました。 

平成2年9月場所で新入幕を果たし、平成4年7月場所で新大関 に。そして、平成5年3月場所で外国人として大相撲史上初の第64代横綱となりました。 

若貴兄弟とライバル関係を築き、1990年代の空前の相撲ブームをけん引しました。 

生涯戦歴は654勝232敗181休(78場所)。 

 

その後、平成13年1月場所で現役引退。 

東関部屋に残り部屋付き親方とし後進の指導にあたったのち、2003年11月に日本相撲協会を退職。 

2003年に大相撲協会を退職。同年にK-1出場を表明、その後も、K-1、総合格闘技などの試合に出場、プロレスラーとしても活躍しました。 

 

めざましmedia編集部 

 

 

( 158621 )  2024/04/11 15:39:05  
00

・1980年代から2000年代初頭にかけて、若貴、曙、貴ノ浪、武蔵丸など多くの力士が活躍した時代に、ファンとして大相撲を楽しんでいた方々が追悼の言葉を寄せています。

曙をヒール的存在と位置付けつつも、相撲界に一時代を築いた功績をたたえる声が多く見られます。

また、彼がプロレスや格闘技で活躍した側面や、豪快な試合でファンを楽しませていた姿に感謝の言葉が寄せられています。

 

 

(まとめ)

( 158623 )  2024/04/11 15:39:05  
00

・若貴、曙、貴ノ浪、武蔵丸、その他にもいろいろなお相撲さんがいたこの時代、1番相撲を見てましたし、次の場所が来るまで楽しみでした。 

若貴のライバルとして、ヒール的な位置で見られがちでしたが、相撲の一時代を築いたことは間違いないです。若、貴、曙の優勝決定の巴戦は忘れられないです。 

心からご冥福をお祈りします。 

 

 

・新幹線の車内販売をしていた時、グリーン車にお一人で通路側に乗車されていて、ワゴンが通ろうとすると全然ぶつからないのに、体を窓側に寄せてくれた。「お客様大丈夫です。ありがとうございます。」と声をかけるとニコッとしてくれた。その後もずーっとニコニコしてくれていた。あの笑顔は忘れられない。病気で闘病中とテレビで観た時は驚いた。またテレビで笑顔が観られるかと思っていたから、残念です。相撲界、格闘技、お疲れ様でした。 

 

 

・数年前に若乃花がテレビの企画で曙が入院している病院へお見舞いに行き若乃花を見た曙がビックリしながらも感動の再開を果たし元気を取り戻したシーンは胸熱だった。 

少しでも精神的に良いことがあれば苦である病気のことを忘れてしまう瞬間もあるようなので良い企画だと思った。 

ハワイ出身の大横綱安らかにお眠りください。 

 

 

・若貴時代の最強のライバル、本当に強い横綱でした。 

貴乃花が大横綱と言われるのは、曙も本当に強くしのぎを削り合ったからこそです。 

引退後色々とされてましたが、一番印象に残っているのはWWEのレッスルマニア21でのビッグショーとのSumo Match。 

一見日本人から見たら相撲を馬鹿にしているのか?と思うかもしれないが、いやいや本当にアメリカ人初の横綱を敬った素晴らしい試合でした。 

異国の地で外国人初の偉業を成し遂げた曙に対して、アメリカ人は誇りに思ってくれてるというところは日本人としても嬉しかったです。 

そして曙よりも頭半分大きいビッグショーとの取り組みはアメリカンサイズでとても迫力がありましたね。 

 

安らかにお眠りくださいませ。 

 

 

・2003年の大晦日にK-1Dynamiteを名古屋ドームで見ました。 

日本格闘技ブームのピークで43.0%の瞬間最高視聴率を叩き出し紅白をも上回ったボブサップ戦です。 

結果は惨敗でカエルのように倒れたと酷評されましたが、主役は曙だったと思います。 

若貴時代の好敵手として無類の強さを誇った横綱は白鵬や朝青龍、千代の富士らとはまた一味違った名力士でした。 

闘病中である事は広く知られていましたがまだ50代での死去は残念な限りです。 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・数年前闘病されているという記事を見て、その時に元若乃花の花田虎上さんと 

再会し元気を取り戻したみたいなことを書かれていましたが、その後 

体調が戻ることはなかったんですね。 

特別ファンではなかったが相撲での横綱時代はもちろん、 

格闘者変更を経てプロレスで三冠王者になったところまでそれぞれ印象的 

でした。ある意味馬場さんと似ている部分があって、大柄な身体を 

持て余すのではなくそれを持前の運動神経の良さと努力で活かしましたね。 

闘病後さすがに復活できるとは思わなかったができれば社会復帰できる位 

回復を願っていたので残念でした。 

 

謹んでお悔やみ申し上げます。合掌 

 

 

・自分が大相撲を見るようになったのは、小学生の頃、たまたまつけたTVで見た曙対武蔵丸の一戦でした。 

まだどちらも平幕の頃でしたが、壮絶な突き押し合いで、取組後の両者の胸が真っ赤になっていたのが衝撃でした。 

それまで子供ながらに持っていた大相撲のイメージを根底から覆され、今に至るまで40年近くの相撲ファンとなりました。 

 

心よりご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・言葉の壁や生活習慣の異なる中で来日して。その巨体を生かして規律の厳しい相撲界のトップの横綱に昇りつめた実績は素晴らしい事だと思う。引退してプロレスや格闘技の世界に踏み込んで活躍の場所を求めていたが、本来なら引退後相撲界に残り、相撲界での外国人の指導的立場で貢献する事が最大の相撲界への恩返しにもなった筈だ。色々問題も多かったが昭和時代の日本相撲界の一時代を築いた事は確かだ。54歳は若すぎる死で残念だ。ご冥福をお祈りしたい。 

 

 

・寂しいニュースだ。 

圧倒的なパワーで角界を席巻した頃は、ライバルも多くて活気があった。懐かしい。 

 

しかし相撲のトレーニングとか、生活のスタイル、ドーピング検査の甘さ、引退後の生活指導の無さなんかは、確実に力士の短命化に悪影響を及ぼしていると思う。 

 

相撲協会は引退後の生活習慣のフォローなんかも、責任を持ってやるようにならないもんかね。 

 

 

・全盛期の強さは凄かった。2、3発で100kg以上の力士を土俵外へ吹っ飛ばしてました。同じ時代にいたら朝青龍や白鵬でも苦戦したと思います。 

それにしても力士は短命過ぎる。 

250kgの力士がいますが、本来なら今すぐ減量が必要でドクターストップとのこと。 

色々考える時が来てるのでは? 

 

 

 

・思えば大関、横綱のメンツの豪華さ、強さは大相撲史上でも類を見ないほどのレベルだったのではないか。 

その中でも中心にいた大横綱だったと思う。 

特に貴乃花とは通算対戦成績が全く五分で、若手時代、ベテランになってからで偏りはあるとはいえ、当時は常にどちらが勝つか分からないほどのライバルと言えた。 

 

 

・相撲取りだった人は無理に体を大きくしようとするからどうしても糖尿病などになりやすいからね。太れば当然心臓に負担が掛かるからな。短命が多いのは不自然な事ではないだろう。曙さんも長い闘病だったね。晩年は可哀想な状態だった。今になれば相撲取りにならなかった方が長生きできたかもしれない。残念だ。謹んでお悔やみ申し上げます。 

 

 

・何年か前に、テレビの番組で元若乃花さんが入院先に訪ねて再会されるのを拝見しましたが、リハビリ頑張ると言ってましたよね。 

相撲や、格闘家の方は、やはり長年のお身体の酷使が堪えるのでしょうか、早く亡くなられる方が多くて辛いです。 

どうか天国では穏やかに過ごせますように。 

 

 

・武藤が社長となったころの全日本プロレスでは、K-1での汚名を返上するくらい活躍していた 

大仁田と電流爆破デスマッチしたり、ハッスルでボノちゃんというキャラを演じるなど、いろいろなことにチャレンジしていた 

 

 

・カロリーの大量摂取や過度な体重増加で体を支えきれず慢性的に膝や腰などに故障を抱えたり糖尿病になったり、力士そのものが体を酷使する職業だから、引退後は病気に悩まされ短命になる人も多く平均寿命も60代だが、曙の場合は近年大病も患ったり闘病もあったから、そうとう体もしんどかったのかなとは思う。 

まだ54歳は若すぎるけど、現役時代の憎らしいくらいの圧倒的な強さは未だに鮮烈に覚えているし、若貴と共に記憶に残る偉大な横綱だったのは間違いない。 

 

 

・自分は相撲の現役時代よりもプロレスラーとして活躍していた頃の方が印象深いです。 

キャリアを重ねるごとに破壊力抜群のファイトに磨きがかかり、特に浜亮太とのタッグでベルトを獲ってた頃は言葉は要らないくらいのインパクトのあるファイトを展開していたのが懐かしいです。 

元気な姿をまた見たいと思っていただけに残念でなりません。 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・一部には曙最強説を唱える人もいるくらい、大相撲時代は強かった。 

同時代には貴乃花・若乃花・貴ノ浪・安芸乃島・貴闘力らを擁する二子山部屋、武蔵丸・武双山・出島・雅山らを擁する武蔵川部屋が全盛だったが、同部屋対決のないこの力士らと違い、実力者すべてと対戦し続けて2桁優勝まで成し遂げたのは本当に凄いです。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・それこそ若貴時代と呼ばれた頃からも活躍されていました。私は体格があまり大きくない力士の方が好きでしたので曙関との対戦はどう切り抜けるんだろうと興味津々でした。でも曙関の体格では中々難しそうでした… 

当時は好きな力士のライバルさんだけど引退されてから時たまバラエティ番組でお見かけしたりするとその笑顔は反則だろうと思う愛嬌さ落差が良かった。 

曙さんはやはり時代のトップにおられた方なので訃報を知ると悲しいです。 

闘病が長く続かれていたようですのでお疲れ様でしたとお伝えしたいです。 

どうぞご冥福をお祈りします。 

 

 

・歴代横綱の平均没年齢は62歳とのことで、日本人男性の平均寿命からは20歳ほど早逝らしい。強靭な肉体を作り上げ、維持するための食生活や稽古は体に相当の負担があるのは紛れも無い事実なのでしょう。曙さんは各界から引退後もプロレス参戦など体を酷使されていました。ただその格闘技人生や闘う姿に感動し、勇気づけられた方も計り知れないほどいるでしょう。ご冥福をお祈りします。 

 

 

・曙は関取時代よりも、ハッスルでプロレスラーとして活躍されてた頃、インリン様が産んだ卵から孵化したボノちゃんとして、盛り上げてくれました。何度も見に行きましたが、身体の大きさとバワーもさることながら、インリン様には頭があがらない小芝居も上手でした。ボブ・サップと闘った場外乱闘の白熱した試合もつい最近の事のように思います。 

御冥福をお祈りいたします。 

 

 

 

・曙さんといえば若貴のライバルと位置づけされていて、二人に対しては特に闘志むき出しの表情から力強い突っ張りで苦しめました。でも取組以外では優しい表情で素朴な性格なのも伝わってくる青年という印象で憎めない方でした。 

おそらく食事や稽古・練習でいろいろと体に無理をしてきたんだろうと思います。数年前にドキュメンタリー番組で元若乃花の花田虎上さんが病気で表情が冴えず記憶力も弱った曙さんの病室に伺ったときに、曙さんは花田さんの顔を見た瞬間からみるみる表情が蘇り、二人で昔の思い出話に花を咲かせていたのを観て凄く感動したのを覚えています。 

訃報には驚いたし悲しいです。ゆっくり休んでいただきたいです 

 

 

・張り倒す、とか突き倒すという言葉がまさにそのままその通りな圧倒的なパワー。それでいて組んでの相撲も取れないかと言われればそうではない器用さ。 

貴闘力関との時間前での睨み合いは、画面越しでもその気迫が伝わってくる鬼の形相。 

平成の大横綱、貴乃花と全くの互角の相撲を展開し続け、大いに場所を盛り上げ続けたもう一人の大横綱。 

とても強かった。 

 

長きにわたる闘病生活、お疲れ様でした。 

安らかにお眠りください。 

 

 

・曙関がいい意味で若貴の『悪役』として 

相撲界で君臨していたから、あの頃の大相撲は 

個人的にも熱狂的に見るきっかけには 

なっていました。 

自分としては、相撲から直接プロレスに行けば 

もっとプロレス界でも活躍出来たのでは?と 

思ってたので、それだけは残念ですが 

相撲よりも格闘技やプロレスよりも 

闘病の方が大変だったと思います。 

謹んでご冥福を申し上げさせていただきます。 

 

 

・テレビで若乃花が曙をお見舞いに行った時に、曙がびっくりしたと同時に元気を取り戻して、みんなで飲みに行こうとお話ししていたシーンを見て、本当に実現するのではないかと思いました。同時に貴乃花との不仲を気に病んで、仲直りして飲みに行こうよという若乃花に対するメッセージにも聞こえました。 

早くに引退したけど、若貴や武蔵丸のライバルとしてヒール役のイメージが強かったですが、彼らの大きな壁となって正々堂々と戦った、むしろ好感を持つ力士でした。 

本当に本当にお疲れさまでした、ご冥福をお祈りいたします。合掌 

 

 

・相撲ファンです。 

若貴、曙時代は場所中テレビにかじりつきワクワクしたものです。 

倒れられて7年の闘病生活辛かったでしょう。 

若い時遠いハワイから来日されて頑張ってこられたのでもっともっと幸せに長生きしていただきたかった。 

今は身体も自由に動き好きな事をされてるかな。バラエティ番組で時折りみせる照れくさそうな笑顔を思い出しています。 

相撲ファンを楽しませてくれてありがとう。 

本当にお疲れ様でした。 

 

 

・若貴時代に大相撲を支えた曙さんだったので大相撲ファンとしては亡くなつたのは心に穴が空いた見たいで悲しいです。身長も高くて突き押し一筋で横綱まではい上がって努力はすごい力士でした。一緒に戦った貴乃花若乃花小錦貴闘力さんはどんな気持ちなのかなあ?大相撲協会に残らずに辞めて格闘技転身しても応援してくれるファンの為にリングで戦ってるのは印象深いです。病気と闘ってる姿見ましたが家族と一緒にリハビリしていて病気と向きあってるのが涙が出ました。病気完治してもう1度リングに上がってる所がが見たかったです。御冥福お祈り申し上げます。 

 

 

・曙は本当に強かった。 

あの若乃花が死を覚悟して取り組みに臨んでいたくらいの圧倒的な強さ。 

 

ヒール役的な存在として、若貴を立てつつ、相撲界の盛り上がりをコントロールしながら 

11回も優勝できたことがその証拠。 

 

突っ張りを封印して戦うなどの忖度もあったが、常に100パーセントで戦っていたら、 

優勝回数は倍以上になっていたはず。 

 

また土俵外では、人の良さや温かさ滲み出てくる優しい表情が印象的でした。 

 

曙という存在は、これからも後世に語り継がれていくと思います、素晴らしい相撲をみせていただき、本当にありがとうございます。 

 

心からご冥福をお祈りします。 

 

 

・故障する前、関脇から大関に上がる頃の曙は本当に強かった。ある力士との取り組みで相手が当たった瞬間に横へ変わると睨んだまま瞬時に回り込んだ。あの巨体でこんなことをされると勝てる訳がないと相手力士は感じたに違いない。その取り組みの様子は今でも脳裏に焼き付いている。 

曙にしろ小錦、武蔵丸にしろ持ってるものが違った。そういう怪物のような相手と戦って勝ってきた貴乃花は凄かったんだなと曙の訃報に接して思う。 

 

 

・外国人力士の先駆けだったし 

そこで先輩の小錦を越えて横綱になり 

あの若貴とも激戦を繰り返し盛り上げた 

 

相撲引退後はあまり安定していなかったようだが 

それでも格闘の道に進み 

やがてはプロレスラーになるなど 

波乱を乗り越え頑張っていたのは忘れない 

 

曙よなんて上から言うわけじゃないが 

 

この日本は第二の故郷かもだが 

他国で大変だっただろうし素晴らしい生き様だった 

 

合掌 

 

 

・年寄株を工面してもらうことよりも、好きな人と結婚することを選んだ男気。 

稼いだら稼いだ分だけ付け人や後輩とパーッと使ってしまう気前の良さ———自伝からも優しさが伝わってきます。 

 

曙の現役時代は自分は子どもで、貴乃花を熱烈に応援していて、いつも「曙〜憎たらしい〜!!」と思っていたのですが、あんなに実力が拮抗した戦いを毎場所毎場所繰り広げてくれたことに今では感謝しています。 

 

叶うならば、もう一度貴乃花との対談とか見たかったですね。 

 

どうか安らかにお眠りください。 

 

 

 

・相撲に詳しくはない私でも知る曙関。 

若い頃一度街中でお見かけしたことがあります。ふと視界が暗くなり「なんだ?」と思ったら、165センチの私の視線が腰?おへそ?あたりにあって、山のように大きな人が横に立っていてかなり驚きました。縦もすごいが横もすごい。山という形容がぴったりだと思いました。 

 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・入院していたのは知っていたが、とうとう回復することなく亡くなってしまったか…。あの当時は若貴を筆頭に、武蔵丸、魁皇、栃東、武双山、貴ノ浪、小錦、貴闘力、水戸泉、寺尾、舞の海と個性的な力士揃いで、今以上に土俵が盛り上がっていた。その中で横綱として一時代を築いた。格闘家・プロレスラーとしても活躍したが、親方として後進の指導に当たる世界線も見てみたかった。 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・力士の短命さにはいつも残念でなりません。 

 

たくさんの食事をとって、体を大きくし、厳しいトレーニングをしなければいけない職業ゆえに、現役時代中に心身共に疲弊してしまうのではないでしょうか? 

また、オリンピック競技などでは厳しいドーピング検査がありますが、相撲界ではどうなのでしょうか? 

もしドーピング検査などが全くない、もしくは緩いのであれば、体や筋肉を手軽に大きくする薬などの使用を行っている力士もいるのではと思います。 

 

競技の特性上、体重制限を設けるのは難しいと思いますが、とはいえ、これだけ短命でなくなる力士が沢山いる以上、何らかの制約を設ける時が来ているのではないでしょうか? 

 

命の灯を削った上で成り立っている競技、それが「相撲」であるならば、まずは医学会も巻き込んで、議論しても良いと思います。 

 

曙太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 

 

 

・角界を出て格闘家に転向したが、明暗を分けたのはやはり、サップとの決戦でしょう。視聴率も高くて、注目の一戦での負けっぷり。凄まじいラストに言葉も出ませんでしたね。その後は高田らとプロレス人気を上げるべくリングに上がっていましたね。愛されキャラな人物だと思います。 

 

 

・いつもヒール役で、辛い思いをした事も多々あると推察します。それでも、土俵の上では礼儀を重んじ、睨みはすごかったですが言動はいつも横綱として模範となるそれでした。若貴がいなければ、この人の功績はもっと突出しただろうし、逆に若貴がいたから、互いの強さを磨き抜けたのだと思います。最近の相撲界をどう考えていたのでしょうか。これからも見守ってもらいたいですね。 

 

 

・若貴人気の頃に強大な壁として圧倒的な存在感がありました。外国人力士として初めて横綱になった事も印象に残っています。引退後にプロレスラーになってからも巨体を生かした豪快な試合で楽しませてもらいました。まだまだ早すぎる逝去を残念に思います。ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・曙太郎さんは土俵やリング上での紹介や見栄を切る時の凛々しい眼光と威厳を保とうとする所作とプライベートの笑顔のギャップがとても印象的な人でした。 色々ありましたがその中でピカ一は大みそかの曙VSボブ・サップの戦いのエンディングでのKOされたシーンが忘れられません。相撲で培った体の柔らかさがうつ伏せでKOされてまるで『ヒキガエル』と揶揄されたもんでしたが 私もそう感じました。カッコ悪いけど それだけガチな戦いだったんだなと感心しました。試合はなんやショボかったけど相撲以外殆ど素人の曙だからあんな戦い方だろうなぁと思いましたよ。ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・同期3人で横綱まで昇りつめ、角界を大いに盛り上げてくれた功労者の一人。 

晩年の貴乃花にはなすすべなくやられていたが、平幕の頃はその突き押しで、若貴兄弟をはじめとする力士らを圧倒していた。 

 

引退後もプロレスラーの第一線で活躍。まさに格闘技のために生まれてきたような男だった。やはり力士やプロレスラーというのは無理な体づくりが祟るのだろうか、早逝される方が多いですね。 

 

生前のご活躍は色褪せることはありません。心よりお悔やみ申し上げます。 

 

 

・あの頃の相撲は楽しかった。舞の海が曙に挑む姿なんて、まさに壁と子供。 

引退後のK-1では努力をしていたよね。ボブ・サップとの対決は当時の話題でした。 

痛みに顔を歪めて、辛かったろうに、果敢に挑戦していました。 

どちらも昨日の事のように覚えています。 

相撲では、小錦の様に大きくなる事で相手を牽制するスタイルだった様に思う。手足の長さを活かして相手を放り投げたり、その巨体を武器に勝利を手にしていた。 

当時絶賛人気の若貴へのヒール役みたいな所もあって本人辛い時期もあったんじゃないかなぁ。 

あの大きな身体を動かす心臓の負担は並大抵ではなかったはず。 

足腰と共に痛んでしまっていたのでしょう。 

一時代を築いた立役者に、合掌。 

 

 

・全盛期は強烈な喉輪と突き押しを武器に、並の力士じゃ土俵の下まで吹き飛ばされてたのを今でも鮮烈に覚えています。 

時間前の鋭い眼光での睨み合いや、押し相撲を貫いたスタイル故に何となくヒール的なイメージを持たれてましたが、相撲をはじめ土俵の外でも非常に真面目で繊細な方でしたね。 

若貴兄弟の人気もライバル的存在だった曙がいたからこそより際立ったと思いますし、相撲界への貢献は計り知れない程大きなものがありました。 

感謝とともにご冥福をお祈りします。 

 

 

 

・現役当時、若乃花ファンだった私に取って、圧倒的なパワーで毎場所立ちはだかる曙関を目の敵の様に観ていました。 

今思えば、若貴やその他の力士達がとても輝いて見えたのは、まるでラスボスの様な存在感を放っていた曙関がいたからだと思います。 

御冥福をお祈りします。 

 

 

・若貴兄弟が大人気だった頃、曙はどちらかと言えばヒールのような立場だったかなと思います。 

 

子どもながらに私も若貴兄弟を応援していましたし、曙や武蔵丸ら外国人力士に対して負けるなと思っていました。 

 

でも今にして思えば曙という存在なくしてあの時代の熱狂的な大相撲人気は無かったですね。 

 

闘病中だったとはいえ54歳はあまりに早すぎます。ご冥福をお祈りします。 

 

 

・各界を引退してからは格闘技界に入って 

全く勝てず苦労した末にプロレスに転向して 

その後の活躍が目覚ましいものでした。 

 

やはり減量とトレーニングで心臓にかなりの 

普段が掛かっていたんですね。 

各界に残っていたら長生きできたかも 

知れないとご家族の方々は思うかもしれませんが本人のやりたいことを 

貫き通した人生って素晴らしいこと 

だと思います。 

 

ご冥福をお祈り致します。 

 

 

・長く闘病していたのは時々情報が出ていたがいつかあのときのあのときのライバルだった若貴と思い出を語ってくれたり元気な姿を見せてくれるのではないかと思っていた 

プロレス界でも一度別の世界で頂点を極めた人なのに傲慢なことがなくレスラーからも尊敬の念を持たれていたという話も出ていました 

本当に大相撲とプロレス両業界にとっての損失は計り知れない 

ご冥福をお祈りします 

 

 

・現役中の力士の不摂生(身体つくりの為でもある)は仕方がないが、引退後の肉体改善までフォローしていかないとダメなのかな。 

でも、引退後の私生活まで相撲協会がどこまで踏み込めるかもあるし、結婚していたならば健康管理は奥さんの分野でもあるから難しいよね。 

 

一時代を築いた曙のご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・相撲時代は横綱として頂点を極めた方なのに、引退後はプロレスラーになりいろんな意味で驚いたしヒヤヒヤもしました。でも、彼が土俵やリングにあがるとパーっと華やかになり「曙ー、ボノちゃーん︎」って声援が飛び交うような、とても魅力的で華がある方でした。晩年は闘病、入院生活で辛い日々だったとは思いますが、度胸と勇気を武器にして自分の直感に素直に生きた素敵な方だと思います。寂しいけれどご冥福をお祈りします。 

 

 

・一番相撲を見ていた時代の一番好きな力士でした。 

春は曙と実況が叫んだ大阪での復活優勝は劇的だったなー。 

本当に大きい方で、目の前に座られていると、背中の先が見えないんですよね。 

その背中は大きい岩のようでした。 

突き押しの豪快なイメージが強いですが、引退後の朝稽古で、当時平幕の朝青龍や高見盛ら後輩に胸を貸していた時に、当時の彼らより組んでからの小技が上手かったのが意外だったというか、さすが横綱を務めた人は総合力が違うなと感じましたね。 

思い出は尽きませんね。 

お疲れ様でした。 

感動をありがとうございました。 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・同世代の方が亡くなっていくのは、すごく残念だし悲しい限りです。 

 

私も体調不良と介護で、満足に働けない日々を数年送りましたが、薬に頼れば何とか働ける位に回復しました。 

 

私より若い方も亡くなる方が増えてきています。 

 

スポーツマンは体を酷使するので、食事や休息などその道のプロでないと管理が難しいと思います。 

 

闘病生活は精神的にもキツイと思います。 

 

今までよく頑張った!と、iyashinoとして大拍手! 

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

・ずっと危ない状態みたいだったらしいから、ああそうか、という感じだけど現役時代を見てた人の訃報は寂しい 

 

記憶が無くなっていく厳しい状態だったみたいだが、以前テレビで若乃花(花田兄)が見舞いに行った時はしっかり覚えていたのを見て戦友としての絆は残っていたんだなと思った 

 

 

・TVで過去の記憶も忘れている状態で 

若花田が見舞いに行ったら記憶が戻って 

過去の事を懐かしんで嬉しそうに話していました。 

兄弟不仲説が出ていますが次は2人で来てくれと 

言ったのが印象に残っています。 

恐らくかなわない兄弟訪問だったでしょうが 

ライバル関係は強い思い出としてあったんでしょう。 

プロレスに転向しましたが 

やはり相撲界のレジェンドなのは間違い無く 

素晴らしい功績を残されて第一人者です。 

 

ご冥福を申し上げます 

 

 

 

・まだインターネット網が発達していない時代、曙の初優勝の際にTVアナが電話で聞いた取り組み内容を横にいるハワイのご両親にライブで英語で伝えて優勝を喜ぶシーンを未だに鮮明に覚えています 

同じハワイ出身の小錦が横綱になれなかったのに曙がなれたのは単に相撲の実力だけでなく品格も備わっていたと周りに思われていたからだと思います 

ご冥福をお祈りいたします 

 

 

・曙さんの突然の訃報に驚いています。 

近年は格闘技で姿をお見掛けせず闘病生活も存じ上げませんでした。今でこそモンゴルを始めとして外国人力士が活躍していますが当時の師匠・高見山の高砂親方や小錦や曙さんにはまだ外国人に対しての偏見があったかもしれません。でもそんな状況下で初の外国人横綱になったことは偉業と言って間違いないでしょう。勇姿を見られないのが残念です。心からご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・まだ若いのに残念ですね。 

彼が現役時代、その頃から力士の超大型化が始まったように記憶しています。体重の重さは強さにつながるかもしれませんが、膝や腰への負担も大きく、健康な現役生活とは言えませんでした。 

また、心臓への負荷も甚大で、引退してから体重を絞った力士たちも、早逝の傾向にあります。一度作られた脂肪細胞(及び毛細血管)は無くならないからだそうです。安易な増量信仰はもう捨てるべきではないでしょうか? 

小兵でも筋肉質な、技で魅せるような、小気味のいい相撲が見たいですね。千代の富士は今でも最高峰だと思っています。 

 

 

・個人的に、子どもの頃の外国人力士といえば小錦か曙、武蔵丸、といったあたり。 

現役時代は若貴のライバルとして活躍。正直、日本人力士は歯が立たないと思ってみていた。 

プロレス(ハッスル)に移ってからは、なんとなく、そのエンターテイメント性から「あの曙が、、、」という少し痛々しさに近い目で見ていて興味を失っていた。 

たまにテレビで見ると、小錦や武蔵丸とは違った人懐っこさみたいなものも垣間見えて良かったのだが。 

54歳。力士とはいえ早い。やはり、力士は早逝が多い。 

 

 

・闘病中なのは知っていましたが…本当に残念、ご冥福をお祈りします 

ちょっとしたご縁で曙さんの断髪式後のヘアカットを担当させて頂き、しばらくカットや何本かのCM撮影のヘアメイクも… 

外国人初の横綱と言う偉大な方のお手伝い出来た事が僕の美容師人生で1番の思いでになると思います! 

とても家族思いの格闘技には向いてないんじゃ無いかと思う笑顔の素敵な優しい方でした。。 

改めて、ご冥福をお祈りします 

 

 

・以前番組で若乃花が見舞いに訪れた際に優しい笑顔を見せて嬉しそうに話す姿を見てこちらまで嬉しくなりました。 

自分はアラフォーですが小さい頃から祖父の影響で相撲を見ていて見始めた頃は若貴と曙の全盛期で名勝負が多かったです。 

外国人初の横綱として一時代を築きましたよね。 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・若貴ブームの頃、よく国技館に行っていました。曙は同世代なので本当に残念です。 

何年間か前に番組の企画で、入院中のところに『お兄ちゃん』こと若乃花がお見舞いに行った時、それまで無表情だった曙の表情がお兄ちゃんを見た途端に解れて本当に嬉しそうで…。まだ若いのになぁ。寂しくなるよ。 

 

 

・相撲時代は下半身のもろさはあれど、圧倒的体躯から繰り出す突き押しは圧巻で若貴時代の相撲ブームの立役者の一人でした。相撲界のしがらみを離れて格闘技デビューには驚きました。 

マケボノと言われるほど結果は振るいませんでしたが、史上初の紅白越えを果たしたという意味では立派なことです。 

そしてプロレス、第二の全盛期と言えるほどの親和性と活躍を見せてくれました。病に倒れ高次脳機能障害を負ってから表舞台からは姿を消してしまいましたが、花田虎上が見舞いに来た際は過去の鮮明な記憶を語ってくれました。 

 

外国からきて、長く日本人に親しまれた方です。本当に残念、R.I.Pです。 

 

 

・また、若いですね。 

若貴時代の悪役みたいな存在に感じていました。 

あの頃はまだ、外国人力士も少なく、日本語もたどたどしい感じでしたね。 

相撲を扱うテレビでは笑った顔を見る機会はほぼなかった気がします。 

バライティーとかに、ちょこちょこでている時は笑顔を見ることがありましたね。 

K1はなんだかやらされた感があって可愛そうな感じに見えました。 

現役を退くと筋力は落ちるが食欲はそのままだったりして、体重もそこまで減らないだろうし、筋力より脂肪が増えてしまうのだろうと思います。 

病気になりやすい身体になってしまうのかもしれません。 

短命の方が多いので、引退後の減量、健康でいられるサポートを協会もするべきじゃないのかな?と思いますね。 

 

 

・昭和の頃から関取は60歳まで生きられないと 

よく言われてるし 

フォアグラじゃないのに食べさせられて太らされていくら運動しても身体は正直なんだよね。 

糖尿病に高血圧、心不全などほとんどが生活習慣病だし引退してからのメンテナンスが大変だし下手すれば無呼吸症候群などもあるからなぁ、これから力士になる方はお気を付けてメンテナンスして下さい。元横綱曙関のご冥福をお祈りします。 

 

 

 

・ツボにはまったときの突きの威力は凄く、相手を土俵下に吹っ飛ばしていた。特に横綱昇進を決めた貴乃花との取組で、貴乃花があっけなく吹っ飛ばされた一番は今も鮮明に覚えている。また突き押しだけではなく四つ相撲も上手かった。今なら優勝20回は可能だったと思う。ハワイの先輩・小錦に引導を渡した時、そっと小錦を寄り切り、軽く頭を下げたように見えた光景も忘れ難い。病気とはいえ54歳とはあまりにも早い旅立ち。ご冥福をお祈りします 

 

 

・横綱曙は突き押し一辺倒ではなく、四つに組んでも結構器用に相撲を取ってました。 

だからこそ貴乃花と良いライバル関係だったし、11回も優勝できているんですよね。引退前の最後の皆勤場所で優勝して、その後にすぐ引退だったので驚いたのと同時に、潔くてカッコ良いと思った記憶あります。 

5年くらい前にテレビ番組で若乃花がお見舞いに訪れた時の笑顔が忘れられないです。 

ご冥福をお祈り致します。 

 

 

・なんの病気だったのかははわからないけど 

スポーツ選手が引退すると特に相撲は病気になりやすい 

一生懸命努力をして相撲に全力で挑みとてつもなく大きな体をつくってからの引退 

引退後の健康維持が相撲はすごく難しいと思う 

薄命の引退力士はかなりいる 

相撲協会は引退後の元力士の健康維持、人間ドック、食生活などそこまで面倒を見ないといけないと思う 

 

 

・若貴時代のいわばヒール的存在で大相撲を盛り上げてくれましたね。 

何年か前に、入院中の曙さんを元若乃花の花田まさるさんが訪ねて、現役時代の思い出話に花を咲かせている様子をテレビで拝見しました。 

その時もあまり良い状態では無かったですが、頑張って闘病されていたのでこの度の訃報は大変残念でありお気の毒でもあります。 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・若貴、武蔵丸、などの想い出は今でも想い出しますが、格闘技に転向した時には驚きと又試合でKO負けした時のシーンは今でも忘れられません。又テレビの企画で曙が入院先に若乃花が行き若乃花が覚えてるかとの問に覚えてますよと嬉しい表情で話されてた事を覚えますね。曙の現役時代の相撲は楽しかった懐かしく思い浮かべます。 

相撲、格闘家として楽しませて頂きました。本当にお疲れ様でした。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・小学生の頃、正月の明治神宮で曙、貴乃花をみたときがあります。 

曙の身体の大きさに子供ながら恐怖を感じたことがあります。当時は若鷹の敵役でヒールを引き受けていた曙。でも素顔はチャーミング。 

 

あとにもさきにもあの時代が1番相撲が盛り上がっていた記憶があります。 

心よりご冥福をお祈りします。 

 

 

・びっくりしました。 

闘病されていたのは知っていましたが残念です。 

 

曙関の好きなエピソード。 

関取が若い頃に巡業先のホテルの前で泣いている高校球児と遭遇。 

心根の優しい曙は思わず「どうした?」と声を掛けた。 

「自分のミスでチームが甲子園に行けなくなってしまいました。」 

「相撲には『負けて覚える相撲かな』と云う言葉がある。負けるのは決して無駄では無い。また次頑張れ。」と励ました。 

 

時が経ち、本場所を観戦に訪れたイチロー選手が曙を訪ねて来た。 

「イチローさん初めまして。曙です。」 

「横綱、実は初めましてじゃないんです。名古屋で泣いている高校球児を励ましたことが有りませんか?」 

「え?」 

「あの時の高校生は僕です。」 

 

 

・並外れた巨体であることと数年前にテレビで闘病する姿を見てから正直、長生きはできないだろうなと思ってましたが、いざ来るとなるとやはり悲しいです。 

 

3.4歳くらいのとき、テレビの相撲中継を見て貴乃花に勝って優勝したのを見たことを今でも覚えています。 

 

格闘家、プロレスラーというよりやはり曙は相撲、横綱ですね。 

 

 

・数年前から寝たきり状態で家族の方などが話しかけるもなんの反応もなかったのにかつてのライバル若乃花?が見舞いに行き相撲の話をすると目を輝かせ当時の取組などをスラスラ喋る姿を見てとても感動した覚えがあります。曙は相撲をこよなく愛していたんだなと。てっきり回復しているものだと思っていました。かつての相撲仲間によるお別れ会をしたらと勝手に思っています。謹んで御冥福をお祈りいたします。ありがとう曙 

 

 

・若貴、武蔵丸はじめ強いライバルが多い時代に力強い相撲で横綱に君臨していた名力士、土俵降りたら優しい顔をしてたのが印象的だった。 

少し前に元若乃花がお見舞いに訪れた時に力士時代を思い出していい表情をしてた、回復してAbemaの中継とかで若乃花と共演して欲しかった。 

安らかにお眠りください。 

 

 

 

・急な悲報でショックです。自分が子供の頃、大相撲の横綱と言ったら、曙と貴乃花でした。千秋楽で2人が対戦するのを固唾を呑んで見守っていた記憶があります。なんと曙と貴乃花の生涯対戦成績は21勝21敗の五分だそうです。相撲界から離れても、格闘技界やプロレス界ではその体格とキャラを生かした活躍をされました。特にハッスルでのキャラは印象的でした。強面で見た目は迫力あるのに、その愛嬌溢れる性格と優しさをずっと忘れません。最後の戦いお疲れ様でした。 

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

・曙は、ハワイの大学時代はバスケットボール選手でもっとスリムだった。 

そこから力士体系に肉体改造したから、やはり無理が掛かったのかもしれませんね。 

いずれにせよ。その身を呈して、日本の相撲や格闘技を盛り上げて盛り上げてくれた紛れも無い事実です。 

本当にありがとうございました。 

御冥福をお祈りいたします。 

 

 

・曙、貴乃花の時代はよく大相撲を見てたな。貴乃花は盤石の強さだったけど曙は強いけど脆い所もあってよく金星を提供してた。でも先人の高見山や小錦が成し得なかった横綱にまでなったハワイのレジェンドだと思います。 

 

 

・自分の祖父(昭和一桁世代)の数少ない趣味・娯楽の一つが「テレビでの相撲観戦」でした。あの世代の人は日本人力士贔屓の人が多く、小錦関や曙関が出てくると「アイツら図体がデカいだけで…」と悪態を付いていました(苦笑)自分は どちらかというと両関共に引退後にバラエティ番組等に出演していた時の印象が強く、「気は優しくて力持ち」「実は面白い」等 世代によって受ける印象の異なる方だった様に思います。御冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

・曙さん、まだ若いのに… 

貴乃花とともに曙貴時代を築いた強豪横綱だった。 

巨体を利した強力な突き押しに迫力があった。相手を一気に土俵外に持っていくほど強力だった。 

四つに組んでも、巨体を生かして相手に圧力をかける相撲で、四つ相撲でも貴乃花や若乃花とほとんど互角に戦うことができた。 

優勝10回は立派。 

名横綱と言ってよい存在だ。 

御冥福をお祈りします。 

 

 

・大関のころの曙は、正攻法の相撲でめちゃくちゃ強かった。相手力士に鋭い睨み。怖いくらいでした。 

横綱昇進して、明治神宮での土俵入り披露したときは雪が降ってましたよね。 

曙さんがお亡くなりになったとのニュースを見て、あのころを思い出しました。 

54歳は若すぎる。でも太く短くだけど、成したいこと成した人生を全うされたのではないで 

しょうか。 

本当はもっと長く生きて欲しかったけど。 

こころよりお悔やみ申し上げます。 

 

 

・相撲取りは寿命を犠牲にして太っているというのは平均寿命を一般人と比べたらわかる。 

そのリスクも子供達に伝えてからやらせるべきだと思うけどね。 

 

力士に関わらず太っている事のリスクは小学生からしっかり教えるべきだと思う。 

肥満だと高血圧や糖尿病になる確率が高いとかふんわりしたものではなく、取り込まれた資質や糖質が使われずに体内に留まっている事による内臓への負担とダメージ、そして中年になって内臓の力が弱まって来た時に急激に悪化する事、関連病の恐ろしさ等を詳しく教えるべきだと思う。 

 

結局は食事の量と質、運動との兼ね合いが大切。 

 

 

・先月はプロレスでタッグパートナーだった吉江豊さんが亡くなられたばかり 

全日本プロレスが最も集客に苦戦していた10年前にとある地方大会でのメインに曙さんと吉江さんのタッグが出て勝ったのを覚えてる 

あの頃から全日をまた応援したくなって以来ずっと追っている 

ご冥福をお祈りします 

 

 

・最後は格闘家になり自分の行く末にさ迷い破滅的になっていましたからね。元力士も後に何になるかですよね。部屋を開かない人はちゃんこ屋とか実業家になったりと頭を使った仕事に変えて行かないといつまでも体力勝負は身体が持たない。 

見ていて最後は格闘家でいつもコテンパンにやられていて痛々しくて観て居られなかったです。 

 

7年間も闘病していたとありましたが医療介護関係の身からしたら巨漢の方の介護の大変さは尋常ではありません。 

減量させられたとは思いますが、そこまでは痩せませんから。 

介護用のお風呂にも入れないだろうし寝たきりになってからは身体を拭くだけだっただろう。 

排泄オムツも規格外でサイズがあったのかな。 

排尿はバルーン管を入れたとしても便は出るから。タンカーからベットへの移乗も大変です。 

大きい人は介護生活になると周りの人にとても迷惑をかけます。私も大柄ですからピンピンコロリが理想です。 

 

 

・この若さで心不全。 

曙のあの体の大きさとキリッとした顔立ち、ヒール役の様な扱いとは違う、少し幼い危うい雰囲気があって心優しい人だったのだろうと思います。 

ショックですが、曙がいたから当時相撲は面白かった。格闘技に興味を持った方もいたでしょう。 

ありがとうございました。 

ご冥福ををお祈りします。 

 

 

 

・栃若、柏鵬、北玉、輪湖に次ぐ曙貴の時代を築いた一方の雄。平成の大横綱・貴乃花のライバルとして君臨していたのだが、貴乃花の名勝負としては”小泉首相が感動した”武蔵丸との一番の方が圧倒的に印象が強くなってしまっている。しかし、この感動の一番以降、貴乃花が足のケガで休場を繰り返したため一人横綱状態となり、長野五輪で横綱土俵入りを披露する役目を担ったのが、彼の一世一代の晴れ舞台だったのではないだろうか。 

 

 

・寂しいです。こどもの頃、祖父母の影響で相撲好きだったから、若貴全盛期を見ていました。若貴人気に対して、曙は強いけど貴乃花のライバル。どちらかというとヒール的な立場だったと思いますが、自分は一番好きな力士でした。総合格闘技はうまくいかずとも、めげずにプロレスで活躍されていましたね。病床に若乃花が訪したときに一緒に土俵に立とう、でも先に呑みにいこうって言ってましたが…。書いてても思い出はキリがない。御冥福をお祈りします。 

 

 

・若貴兄弟がいなかったら大横綱になっていたと思う。 

あの頃は相撲見るのが楽しかった。若貴、曙、武蔵丸、魁皇、貴ノ浪、武双山、安芸乃島、貴闘力等々実力者やくせ者的な力士がいてワクワクして見れた。 

プロレスラー転向後もなんかチョット面白キャラで見てました。 

曙さん謹んでご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・関根勤がモノマネして、ニッチなモノマネのトレンドに貢献した人ですね。納豆が好物で、掻き混ぜもせず、醤油をかけずバクバク食べるのを見た浜ちゃんが「お前、日本人舐めてるやろ」と突っ込みました。私にとっての歴代ベストツッコミです。愛されるキャラでした。 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・貴乃花と若乃花、曙の優勝決定戦は最高だった。毎日一緒にテレビ観戦していた祖母は若貴派だったが、私は何となく、曙に惹かれた。ヒールというより、ボスというイメージだった。「脚が長すぎるから転びやすい」という祖母の解説が印象に残っている。外国人であることで、さまざまな苦労があったと思う。しかし私の中では間違いなく、かっこいいボスだった。 

 

 

・平成初期、地方場所で若貴や寺尾関、武蔵丸関、曙関たちの姿を間近で拝見しました。世の中も相撲界もとても輝いていた時代でした。 

みなさんおっしゃっていますが、 

引退後の健康に支障が出やすい生活習慣が 

伝統として継続しているならば、 

それを早急に改めないと、 

若手で力士を志す人がますます減ってしまうのでは。 

 

 

・昔パチンコ屋のイベントに曙さんが来て、通路を歩いて握手して回る時に、客はパチンコ打ちながら左手で握手(必然的に曙さんも左手)してたんだけど、自分が立ち上がって握手しようとすると、右手に持ったハンカチを持ち替えて右手で握手してくれたのがすごく感動して印象に残ってる。 

 

 

・相撲時代の貴乃花とのライバル対決は、今でも忘れられません。その後格闘技に挑戦し、そしてプロレスへ転向。本当は相撲界にとどまりたかったのでしょうが、諸事情により、ボロボロの体に鞭打って格闘家に転向、そしてプロレスラーと、本当に苦労されたと思います。とても真面目な性格の方であったと伝え聞いています。もしあのあと相撲界にとどまり親方になれていたら、どれだけ相撲界に貢献されていたことだろうと、残念でなりません。今はただ、今までの全ての苦しみから解放されて、安らかにお眠りください。本当にありがとうございました。 

 

 

・まだ若かったのに残念。相撲、プロレスラー、キックボクシングと色々なジャンルで活躍されて相撲代表としてチャレンジする様は素晴らしかったと思います。 

ボブサップとの一戦は、負けはしましたが記憶に残る試合。とても素晴らしい格闘技人生だったんではないでしょうか。 

 

 

・47歳で心疾患、あまりに早すぎる 

太ってても筋肉さえあれば大丈夫ってことじゃなくて、やっぱり太りすぎは健康リスクが高い 

伝統ある国技とはいえ太った方が有利になるようなスポーツはいかがなものかと思ってしまう 

昔は平均寿命も短かったから、太りすぎにより短命になるデメリットも目立たなかったのだろうけど 

ご冥福をお祈りします 

 

 

 

 
 

IMAGE