( 158629 ) 2024/04/11 15:50:21 2 00 大相撲の元横綱の曙太郎さんが死去 54歳心不全 闘病生活も今月に病状悪化、若貴としのぎ削る日刊スポーツ 4/11(木) 10:06 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/6a25ae0692cd59e158c2eccfa8c3b5c22cbe6c88 |
( 158632 ) 2024/04/11 15:50:21 0 00 大相撲元横綱の曙太郎さん
大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さんが心不全で亡くなっていたことが11日、分かった。54歳だった。同期入門だった若貴兄弟としのぎを削り、2人より先に横綱昇進。かたき役になり膝の故障になきながら、長身を生かした突き押し相撲で11回の幕内優勝を遂げた。現役引退後は総合格闘家としても活躍。近年は闘病生活を送っていたが、今月に入り体調が急変していた。
【写真】家族に見守られながらリハビリに励む曙太郎さん
曙さんはハワイの大学を中退し88年春場所、18歳で初土俵を踏んだ。後に兄弟横綱となる3代目若乃花と貴乃花の若貴兄弟、大関魁皇ら「花の六三組」。2メートルを超す長身を生かした突き押し相撲で、特に貴乃花とは熾烈(しれつ)な出世争いを展開。新十両、新入幕と新三役こそ貴乃花に2場所遅れながら、序ノ口から歴代1位の18場所連続勝ち越し。92年名古屋場所の新大関、そして93年春場所での横綱昇進は、いずれも貴乃花を4場所、11場所も先んじた。優勝決定戦も含めれば通算対戦成績も25勝25敗の好敵手だった。
92年夏場所で初優勝し場所後に大関昇進。93年初場所で2場所連続優勝を果たし、第64代横綱の座に就いた。北勝海(現八角親方)引退後の横綱空位を埋めるとともに、貴乃花の昇進まで一人横綱を11場所務め、横綱3場所目からは3連覇し年間最多勝も獲得。98年長野冬季五輪では、開会式で晴れの横綱土俵入りを披露した。
一方で膝のケガに悩まされた。初優勝から2年で7度優勝も、94年の両膝故障もあり以降はほぼ10場所で1度と優勝のペースも落ちた。00年は7年ぶりの全場所皆勤と年間最多勝と復活したが、年が明けた01年初場所を両膝悪化で全休し、回復が見込めないと判断。「もう優勝争い出来ない」「横綱として惨めな姿で土俵に上がれない」と現役引退を表明した。いかつい表情ながら、謙虚な態度に横審の内館委員長も「いつも曙の悪口を言っている自分が恥ずかしくなるほど礼儀正しさに感激」と述べた。
引退後は曙親方として東関部屋で後進の指導にあたっていたが、03年11月に日本相撲協会を退職。翌日には格闘技のK-1参戦を発表。大みそかのボブ・サップ戦、チェ・ホンマンやボビー・オロゴンとの対戦など話題を提供したが、総合格闘家としては芽が出なかった。
◆曙太郎(あけぼの・たろう)69年5月8日、米国ハワイ州オアフ島出身。出生名ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ。パシフィック大を中退し63年春場所初土俵。90年春場所新十両、同年秋場所新入幕、91年春場所新三役。三役で3場所通算34勝を挙げ92年名古屋場所で大関に。4場所通過で93年春場所新横綱。横綱在位は48場所。通算成績は654勝232敗181休。幕内優勝11回、三賞6回、金星4個。96年4月に日本国籍取得。
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( 158631 ) 2024/04/11 15:50:21 1 00 (まとめ) ・相撲ファンにとっては、若貴時代や曙関といった力士が活躍していた時代が特に印象的で、多くのファンが熱心に応援していました。 ・曙関は外国人力士として大活躍し、横綱昇進も果たすなど、相撲界に多大な貢献をした存在でした。 ・彼の引退後は格闘技やプロレスなどにも挑戦し、冒険心や努力家として多くの人に感動を与えました。 ・残念ながら早すぎる崩御となり、相撲ファンや格闘技ファンのみならず、多くの人々が彼の功績と人柄を偲んでいます。 ・曙関の人間性や挑戦的な姿勢、そして相撲や格闘技界への貢献がこれからも多くの人々に語り継がれ、心からのご冥福が祈られています。 | ( 158633 ) 2024/04/11 15:50:21 0 00 ・この時代の相撲は面白かったですね。日本人横綱もいて、いろんな力士がいました。 また小さい日本人力士が大きな、外国人力士を負かすというのも、この当時は熱く応援している人がたくさんいましたね。 今は何かと怪我で休む力士が多い中、当時は風格も兼ね備えた力士がたくさんいましたが、印象深い人の一人です。
・まだ54歳だったとは。やはりお相撲さんは体の負担が大きいのですね。戦後日本経済の黄金時代に、大相撲もまた若鷹や曙を始め、「技のデパート」舞の海らを迎え、華やかな黄金時代を築きました。相撲ブームを背景に、周防正行監督の映画「シコふんじゃった。」が人気を集めたのも懐かしい思い出です。 曙関は強く礼儀正しく、真面目な努力家の印象が強い人でした。ある意味極めて保守的な日本の伝統スポーツ界に身を投じて、ストレスも多かったろうと思います。総合格闘家への転身を目指したのは、ちょっと意外でしたが、相撲だけでは満たされない何かがあったのですね。それが実らなかったのは心残りだったろうと思います。 熱い時代をありがとう…ご冥福をお祈りします。
・何年か前、入院中で当時は意識も記憶もはっきりしない中若乃花が訪ねてきて覚えてるよ、当たり前じゃないと話す場面を見ました。 身体を酷使してきたとは言え余りの変わりようにショックだったのとそんな状態でもかつてのライバルを前にして昨日の事のように話し始める姿に感銘を受けました。 曙さんの残した沢山の功績を称えるとともにご冥福お祈り申し上げます。
・あまりに早い死に、ただただ驚きです。若貴ブームと言われたあの相撲人気は、そのライバルの強い曙関の存在があって、初めて成立するものでした。あの大きな身体を活かした豪快な相撲は、柔と剛で言えば、剛を極めたもので大好きでした。そんな曙関が54歳の若さで亡くなるのは、早すぎるよとしか言いようがありません。
それにしても、先日の錣山親方の死も含めて、最近は力士の寿命の短さを痛感します。医学がこれだけ発展しているのですから、何かいい健康管理の方法がないのでしょうか?曙関のご冥福をお祈りするとともに、そんなことを思いました。
・力士の寿命が驚くほど短いことに驚く。 現役時代に身体を大きくするための無理な食生活が原因なのだろう。 そこまで体重を増やさなくても筋肉をつけることによって強くなる、という風に方向転換できないものだろうか。 子供を不健康にするために力士の世界に入れたい親御さんはいないだろうし、筋肉質のかっこいい体型なら若い人にも受け入れられると思う。 日本の伝統を残すためにも悪しき習慣をなくすことと共に考え直す時期かもしれない。
・そもそも急きょ入院した理由が蜂窩織炎と感染症だからね。生傷の絶えないデスマッチをこなすプロレスラーだったから、結局はそれが遠因なんだろう。巨漢だったから小傷への治療対処が不足気味だったのかもしれない。力士もそうだが、プロレスラーも間違いなく短命な傾向。
格闘技転向以降はともかく、横綱の現役時代は強かった。地味でも相撲協会で親方業と事務方を続けてほしかった。心よりご冥福をお祈りします。
・年寄株を工面してもらうことよりも、好きな人と結婚することを選んだ男気。 稼いだら稼いだ分だけ付け人や後輩とパーッと使ってしまう気前の良さ———自伝からも優しさが伝わってきます。
曙の現役時代は自分は子どもで、貴乃花を熱烈に応援していて、いつも「曙〜憎たらしい〜!!」と思っていたのですが、あんなに実力が拮抗した戦いを毎場所毎場所繰り広げてくれたことに今では感謝しています。
叶うならば、もう一度貴乃花との対談とか見たかったですね。
どうか安らかにお眠りください。
・曙さん、ご冥福をお祈りします。
昔NHK BSで昭和63年入門の同期生による同窓会の模様を、各人のドキュメンタリーも織り交ぜながら放送していました。
若貴関に魁皇関に、そしてもちろん曙関。
相撲界における出世という意味では上記4人が間違いなく主役ですが、同期に囲まれて屈託なく話している曙さんや貴乃花さんを見て、勝負の瞬間である土俵上とは全く違う顔を見せていました。
家族想いで友達想い。 こんな曙さんが本来の姿だとすると、 土俵上で勝負に徹していた曙さんのプロ根性を今更ながら思い知った次第です。
・大相撲の幕内経験力士の平均寿命が63歳くらいというのを以前聞いたことがある これは日本人男性の平均寿命よりも20歳近く短い 力士としての体を作るための食生活が、如何に体に無理を強いているかがよくわかる 千代の富士、北の湖、輪島、北尾、貴ノ花、貴ノ浪、寺尾、朝潮らの他にも、引退後にタレントに転身した竜虎、蔵間、荒勢らも皆早死にされた 力士も引退後の人生の方がはるかに長いわけだし、健康面に関して考え直す必要があるのかもしれないな
・若貴時代といわれたものだが、最初に頂点に登り詰めたのは曙関だった。 横綱に上がるまではほぼ突き押し一本だったと思う。 40年以上相撲を見てみたが、ほかにこういう力士は皆無だろう。 綱を射止めた93初の千秋楽では貴乃花を問題にしない圧倒的な内容だった。 優勝決定巴戦もたしか2回くらいあったが、 終わってみれば曙だった。 30歳を過ぎていた2000年の復活劇も見事だった。 ヒール扱いされていたけど、 勝負を離れたときの人なつっこい笑顔が忘れられない。 協会に長く残って指導者をやってほしかったな。
謹んでご冥福をお祈りいたします。 あちらから、ライバルの貴乃花さんほか仲間たちの力になってください。
・まじで… 悲しい… 1番好きな力士だった。
いろんな意見はあるとおもうけど、全盛期の強さで比較したら間違いなく歴代最強力士は曙だと自分は思う。 破壊的な突き、四つになっても上手さもあり、膝を壊すまではあの身体で俊敏さとスピードもあった。 そして群雄割拠のあの時代、孤軍奮闘し通算対戦成績で誰にも負け越さず11回の優勝はもっともっと評価されるべきものだ。
外国人でありなが、日本人以上に日本の心をもった心、技、体ともに素晴らしい力士、横綱だった。
ご冥福をお祈りします。
・前に見たTV番組で、闘病中の曙さんを若乃花が見舞いに行くのを思い出しました。 病気のせいか、記憶障害らしく表情も乏しくなっていたのが、お兄ちゃんを見た途端他人が見ても劇的に表情が変わったのを覚えています。 やっぱり、若貴・曙時代が個人的に一番相撲が面白かったな。 お悔やみ申しあげます。
・一度で良いから若貴兄弟と曙さんが三人で並んだ姿をまた見てみたかった。
長い腕から放たれる強烈な突き押しで土俵下まで相手力士を吹っ飛ばす破壊力は圧巻でした。日本国籍も取得していたことから親方として後進の指導をしたりなど相撲界に尽力してもらいたかった。 相撲ブームを牽引してくれて本当にありがとうございました。 これからの相撲界、プロレス界を天国から見守っていて下さい。
・若貴曙。相撲がメチャクチャ面白かった時代。自分は53才で同世代。楽しませて貰いました。 サップとの大晦日決戦はあれほど格闘技が世間の耳目を集めた試合は無かった。それも曙の知名度、信頼あればこそ。
早すぎる。自分はこれからも人生続けて世間話の度に曙という凄い力士、格闘家がいたんだと話題にし続けます。
・高見山、小錦、武蔵丸、そして曙関など外国と言えばハワイ出身が多い時代でした。もともと戦前から国の移民政策によって米国、ブラジルなどと共にハワイに移住した日本人が多く、ハワイ巡業をする中で交流が深まり、ポリネシア系の原住民にとって憧れのスポーツとなっていったようですね。相撲も含めた日本独自の封建的なルールに馴染めず苦しんだ時代でもあったようです。曙関の真面目・律儀なスタイルに多くのファンが魅了されました。心からご冥福をお祈り致します。
・相撲、レスラー、柔道家、などの格闘技選手の中には比較的短い期間に食べて食べて体重をふやしていく人も多いので、引退後もしかするとそういうのが後の病気のきっかけになるのかもしれませんね。重量級になればなるほど若くして亡くなってしまう人が多い気がします。
力士は引退後もあまり体重を落とせずにいる人多いし、ハワイ系は特に、体質とかあるのかもしれません。力士がプロレスに移行しても大成するかといえば難しい面もあって、54てまだまだ若いし、ご家族も大変だったろうと思います。ご冥福をお祈りします。
・8勝7敗でいいなら続けられるけど横綱はそれではダメと言って引退したのが印象に残っている。28~29歳は休場が増えていたけど30歳になって復活して6場所連続皆勤、その間76勝14敗、優勝2回準優勝3回という好成績を残していた。 最近の横綱みたいに数場所休んで1回出てくるみたいなスタイルが通用したなら、もっと優勝回数を伸ばせたのではないか。 長くやった武蔵丸に後に優勝回数で抜かれてしまったけど、全盛時比較では武蔵丸より格上の横綱だったと思う。
・元横綱の曙さんが闘病生活しているのは知っていました。若貴時代を盛り上げてくれた力士でした。相撲界のトップである横綱であったので名誉ある横綱の名前を汚さぬように引退しました。その後は格闘界でさまざまな試合をしていました。過去の相撲界でも50代で亡くなる人はいましたが、まさか曙さんまでとは思っていませんでした。やはり体重を支える膝に負担がかかるのでしょうか。心臓にも負担がかかりそうに思います。 天上界から故郷ハワイや日本の景色を満喫してください。 ご冥福をお祈りいたします。
・曙さんはあるイベントでお目にかかったことがあるがまさに歩く山の如く佇んでおられた姿を思い出す。現役時代は横綱曙の強さに思わず若貴を応援したが、若貴VS曙、武蔵丸の時代相撲が一番輝いていたと思う。 引退後は何かと話題を提供していただき楽しませてもらったが、ある時から闘病中としり心配はしていた。 平成の大横綱のご逝去に対して心より御冥福をお祈り申し上げます。
・優勝11回、準優勝13回、若貴時代に毎場所総当たりで、徹底した押し相撲でも、かなりの勝率を残している。 青森駅で、中学の修学旅行で函館からの列車を降りたら、ちょうど夏巡業の大相撲御一行様で、5人掛のベンチに、小錦がデーンと3つ位に座って、曙が横にちょこんと座り、武蔵丸は立って小錦を団扇で扇いで、ハワイアン揃い踏み。気前よく集合写真を撮らせてくれて、卒アルにも載っていた。サイズも心もデカかったね。女子なんか抱っこしてもらっていた。
・その昔、大阪から東京へ戻る航空機内で、偶然にも私の後ろの席に座られている曙関をお見掛けした。 当時は現役であったこともあり眼光鋭く、とてもお声掛け出来る雰囲気ではなかったが、これが力士なんだと思った。 それだけ強固であっても病魔には勝てなかったのですね…。 ご冥福をお祈りいたします。
・うわー、マジかー 曙は顔がイカついのもあってヒール役みたいになってたけどすごく優しい人なんだよな。 総合格闘家になっても中々勝てなくて悔しかっただろうし苦しかったと思う。
俺は力士時代の強い曙が好きだったし総合格闘家になってからも強い相手にも怯まず立ち向かって戦う姿も動きの速い選手に翻弄されながらも諦めずに戦う姿が好きだった。
慣れない日本で本当によく頑張ってくれた。 叩かれても叩かれても諦めない姿はカッコよかった。
ありがとう。曙。 合掌 安らかに。
・彼が横綱だった頃は、若貴ブームと重なったこともあり、相撲という競技にすごく活気があった。成績だけ見ればその後の朝青龍や白鵬の方が上だけど、あのデカい体と長い腕と気合い十分のときの迫力は、子どもながらに「こんなんズルいわ!」と思ってたっけ。世間の若貴贔屓からヒールな役回りだったけど、間違い無く一時代を築いた人。
ご冥福をお祈りいたします。
・現役時の曙はいい敵役として存在感抜群だった。曙がいなければ若貴ブームもあそこまで大きなものにはなってなかったよ。曙は凄く優しい心の持ち主だけに、異国の地で若貴の敵役として相撲ファンからはブーイングを浴びせられたりして辛かったと思うが、相撲好きな自分としてはあの時代に曙がいてくれて良かった。感謝してます。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
・その突き押しの凄まじさで「平成の太刀山」と呼ばれました。相撲ブームの中、曙が一番強かったですね。貴乃花が引退会見で語るほどに、その強さを憧れ恐れ目標とされました。けして大きくなかった貴乃花の身体が大きく膨れたのぱ、曙の突き押しを受けて飛ばされないためです。耐えて耐えて下から手繰って…という相撲をするための無理でした。でもそうしなきゃ勝てないぐらいの怪物だったんですよ。 そして上位を占める二子山軍団の強者曲者すべて相手にして横綱やってたんですから凄い力士です。 協会に残らず格闘家なんかもやってましたが!好きでしたよ。ありがとうございました。 こんなに早く亡くなってしまうなんて、残念でなりません。安らかに…。
・花田虎上さんとの対談で復活を誓っていただけに残念です。多分一般の人達は曙さんを力士より格闘家、プロレスラーのイメージが強かったと思います。その中でも格闘家としてはパッとせず挙げ句その負けっぷりがネット玩具にされていた事に私は心が痛みましたが、曙さん本人も言ってましたが100年続く相撲と言う国技で横綱は70人近くしか誕生してない、曙さんはそれくらい凄い人だったんです。心からご冥福をお祈りします。
・強い横綱でしたね。若貴との名勝負が思い出されます。優勝決定巴戦で若貴を2人続けて圧倒的に倒し優勝したときは神々しかったです。その後部屋持ち親方として頑張っておられたようですが、協会を退職されたのはわかりませんが残念でした。まだ54歳と若いのに御冥福をお祈りします。
・曙さんは、ハワイから来日し、外国人初の横綱として、道を切り開いた。1988年初土俵の同期の若乃花(花田虎上さん)と貴乃花(花田光司さん)をしのぎを削り、90年代の相撲ブームの立役者になった。晩年は、膝や腰を痛め、だましだまし相撲を取っていた。2000年11月に14勝1敗で、11回目の優勝を果たすも、怪我と戦った体は、既に限界に達していた。2001年の初場所の全休後、復帰が困難になった事を理由に現役を引退した。その後、プロレスに転向する。しかし、2017年に心不全で、一時生死をさまよう事態になった。要介護状態になり、家族の記憶を忘れる記憶障害になった。その後も、持病の心臓病と戦っていたが、今年の2024年の4月に心不全で亡くなっていたことが分かった。かつてのライバル力士、東関部屋時代の元師匠の渡辺大五郎氏、東関親方(元高見盛)にとって、とても悲しい出来事になった。
・何年か前に闘病中の曙さんに花田お兄ちゃんが病室にお見舞いに行って、何十年かぶりに再会した様子がTV番組で紹介されてたけれど、あの時もあまり長くはないのかなと感じさせる様子で見ている方も涙が出ましたね。曙さんもお兄ちゃんも涙ぐんでも笑顔の再会でお互い嬉しそうだった。横綱、曙関、お疲れ様でした。ご冥福をお祈り致します。
・若貴時代、二子山勢が誰がが曙と武蔵丸を倒してくれと思いながら見てた。貴闘力が曙には結構勝ってたから、貴乃花の優勝がかかった時はよく応援していた。 ヒール的な役割だったけど、モンゴル勢とは違って、ハワイ勢は体格にモノを言わせてやり合ってて、まさに相撲の醍醐味だった。個性的な力士が多かった時代、懐かしいです。 ご冥福をお祈りします。
・個人的に武蔵丸までが日本人よりも日本人らしい横綱だったと思います 一番印象的だったのは、曙関が小錦関を破った時記者団から恩返し達成ですねと問いかけられた時に 【意味がわからないよ恩返しでもなんでない僕は勝ちたくなかった】 の様な発言をしたと次の日スポーツ新聞で見ました 自分はこれに共感がもてました 恩返しって言葉を否定する訳ではありませんが、実際に勝負事の勝ち負けだとむしろ曙関のこの発言の方が凄く人間味にあふれていると思います ご冥福をお祈りいたします
・曙さんは当時、貴乃花、若乃花と同期生で凄く相撲を見入ってました。 曙さんは体重、身体が凄く「凄い巨大」と思ってました。 当時本当に楽しいお相撲を観せてもらいありがとうございました。 曙さん強かった。初の外国人横綱で素晴らしい功績を残された方で亡くなられて本当に残念です。
引退され大晦日にプロレスされてましたね。 あっけない負け方だったけど熱意は伝わりました。
曙さん、本当に54歳はまだまだ早いです。
素敵なお相撲観せてもらってありがとう。 天国で安らかにお眠りください。 心より謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
・本当に悲しい。同部屋に援護射撃をしてくれる力士がいない中、横綱として若貴をはじめとした二子山勢、武蔵丸や武双山、出島といった武蔵川勢を相手に本当に孤軍奮闘した力士だった。礼儀正しく後輩力士に積極的に稽古を付ける等、横綱の責任をきちんと果たした素晴らしい力士だった。あの当時、本当に相撲が面白かったです。ありがとうございました。
御冥福をお祈りいたします。
・子供の頃、小錦曙武蔵丸若貴の時代で、夢中で相撲を見ていました。私は女ですが子供の頃よく曙に似てると言われており曙をいつも応援していました。 今でもちょくちょく断髪式の動画を見て涙が出ます。 曙の目は正直者の目で真っ直ぐに生きてこられた方だと思います。 異国の地に来て外国人発の横綱として大変なこともたくさんあったと思います。 本当に大好きな横綱でした!!!!!!!!!! ご冥福をお祈り申し上げます
・曙は強かった。 稽古も熱心にやっていたと思う。 その稽古のエピソードで、巡業で色々な部屋の力士が曙と稽古している時、時折舞の海を指名していたとの事。舞の海が言うには、疲れて休みたい時に指名していたんじゃないかとの事だった。 舞の海もその稽古で曙の弱点を探ってたみたいで、ぶっつけ本番でそれを出したら勝てたと言っていた。
・まさに若貴時代の好敵手でしたね。 本当にいかつい顔で自分らが若貴を応援してる時に曙関に優勝とかされて憎たらしいなぁ って良く思いましたね。でもその反面インタビューとかではあの顔から想像できない 可愛らしい顔になって、どこか憎めなかったですね。ほんまに54歳って若過ぎますよね。 さぞまだまだやりたい事があったと思いますよ!本当に力士の方は現役時代は食べるのも仕事のうちと言いますが、肥えれば肥えるほどその後リスクもあるし、大変だと思います。 曙さんご冥福をお祈りします。
・格闘技に参戦されてた頃に空港の荷物受け取りの所でお見かけしたことがあります。間近で見るとそのド迫力も凄いインパクトでしたが、声をかける人に優しい笑顔で対応されてたのが印象的でした。安らかにお眠りください。
・相撲好きだったオカンは小兵や細身の力士がお気に入りで、お兄ちゃんや寺尾、霧島を応援していた。大きな体で彼らに立ち塞がる曙は、オカンにとって正に天敵。彼が勝てば悔しがり、負ければ拍手を送っていた。 しかし、ある時、優勝争いを続ける曙がこぼした「ボクが勝つことは誰も望んでいない」と言うひとことを聞いてから考えが変わった。 「自分の子どもぐらいの若者が一人で外国から来て、知らない土地で一生懸命頑張っているのに、私は本当にひどいことをしてしまった」 オカンを真の相撲好きにしてくれた曙関には、今も感謝しています。 亡き母にかわって心からご冥福をお祈りします。
・この何年かは病状についての情報がなかったので、かなり悪いのかなとは思っていましたが…覚悟はしていたものの残念で仕方ありません。 外国人として角界のしきたりや伝統に試行錯誤することがあったでしょうが、大相撲愛や角界への感謝、尊敬を常に表現する姿に好感を持っていました。
総合やプロレスへ進出してからは迷走する姿もありましたが、その後の欧州勢やモンゴル勢が角界で活躍できる土壌を作り上げた第一人者だと思います。早すぎます。あまりにも…。もっともっと声を聴きたかったです。お悔やみを申し上げます。
・なんと早い旅立ちでしょうか。ショックです。力士さんたちの寿命は短いですね。健康を考えず、強くなるために身体を変えていく。そして相撲の格闘技のダメージも身体に残るのでしょう。相撲協会も宮城野親方の話もいいけど、体重制限を取り入れ、あんこ型の体型より筋肉質の力士が増えるよう活動してくれないかな。 曙太郎さん、ご冥福をお祈りします。
・あー、曙!亡くなったのか…。そうか…。プロレスの世界に来て、本当に良かったと思う。K-1に行かずに始めからプロレスに来ていれば…当時のプロレスには曙をスカウトするパワーが無かったのが不運だった。プロレスに来て、マスクを被ったりペイントしたり、本当に縦横無尽だった。頭もスマートで見せ方に長けていたし、あの大きな体はリングに最高に映えた。惜しい、惜しいよ。 闘病中に花田虎上がお見舞いに行く番組があったが、本当に嬉しそうにしていた。曙にとって若貴は青春そのもの。元気なうちに3人の揃い踏みが見たかったな。
・記事には貴乃花と熾烈な〜とありますが、私は若乃花との戦いのほうが見ていておもしろかったてす。 貴乃花より小柄なお兄ちゃん相手のほうが、何が起こるかわからないワクワク感もあったし、取り組み前のにらみ合いも緊張感があってよかった。
個人的には、十両の頃(だと思う)の舞の海が曙を三所攻めで破った一戦が印象的です。 (この一番をニュースで見たのがきっかけで、相撲を見るようになった私) 曙はまだ髷も結えなかった頃だと思います。 入門してから一気に昇進したので。
これらの取り組みがおもしろかったのは、翻せば、曙がそれだけ無敵のように強かったから。 だからこそ敗れた時におもしろく感じたんだと思います。 長身で長いリーチで突っ張りを繰り出されると懐に入るのが大変で、足も長いから日本人力士がまわしをとっても持ち上げるには力が入りにくい高さで。 でも、笑うとかわいい。 相撲界を盛り上げてくれた立役者です。
・曙貴時代が懐かしい。貴乃花がトップに立てたのは本人の素質や努力は勿論だがハワイ勢特に曙という良きライバルに恵まれたのも有るのではないか。大相撲はみんな助け合って仲良くウインウインの世界ではなく生活掛かった厳しい戦いの世界といえるであろう。土俵では共にハッピーエンドに成らずどちらかが負け7勝7敗では負け越し番付下がり給与下がり生活苦。相手を蹴落とさなければ上には上がれずやって行けない世界。互助ではなく戦いで同じ世界同じ時代を過ごし共に力士として生き長らえた思い出は貴重なものとして心に刻まれるのであろう。
・お相撲さん時代は本当に強かった。ただ、若貴の敵役で辛かったでしょうね。 格闘家になって大晦日ボブサップとの一戦は伝説です。壮絶な負けっぷりに日本中が沸きました。 その後ハッスルではグレートムタとインリン様の子「ボノちゃん」でした。 父グレートムタが登場した時の無邪気に喜ぶ「ボノちゃん」の笑顔が忘れられません。個人的にはハッスル時代が一番好きだったかなぁ 54歳は若すぎるよ。 ご冥福をお祈りします。
・祖父の影響で子供の頃から相撲は見ていたものの、本当に好きと思えるようになったきっかけが曙関でした。 あの力強さ故に見ていて爽快感がありました。
小錦・曙・武蔵丸の3人が揃った時の何とも言えない可愛さが好きでした。
ご冥福をお祈りいたします。
・曙さんは若貴兄弟が老若男女の大ヒーローだったので、 ある意味ダークヒーローでした。 高身長のフィジカルにモノを言わせるパワー型の大横綱でした。 引退後はいろんな格闘技などにも挑戦されていて、 生活が苦しいのかなとも思いました。 ご苦労もあったと思いますし、体型からくる病気などもあったのかなと。 ただ54歳は若すぎますね、相撲界は特に早死にが多い。 そのあたりは相撲協会もどうしようもないのかな。 残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。
・もう閉店した福岡市内のデパートで見かけたことがある。 こっちは7割がた人が乗ってる小さなエレベーターで、扉が開くとそこには東関親方(高見山)と当時横綱の曙がいたんだ。とたんに走る謎の緊張感!
そしたら2人ともにっこり笑って後ろにいた車椅子の人を先に乗せてた。 いい人たちだった、あれで好きになった。
・横綱は皆さん、六十を前に亡くなる方が多いなあ。やはり巨体の維持に加え、現役時代からの激しいストレスなどがあるのだろうか。やはり引退後のダイエットをして長生きしていただきたい。若貴兄弟は大丈夫そうだが、キセノンもぜひダイエットして長生きしてほしい!
・うわぁ。54歳。 惜しまれます。 力士の方は職業的に体格が健康に及ぼすものもあると思うので。
ご遺族もお辛いですよね。 ご冥福をお祈りします。
相撲史に残る威圧するような有姿も、決してただ大きいだけでできるものではないし。 異文化の中でご苦労され、努力され。 相撲ファンの記憶にも鮮やかにその姿は刻まれて、残り続けるでしょう。
相撲の神が鎮座する長野で五輪開会式の土俵入りの晴れ姿。貴乃花が辞退しての経緯もありましたが、曙関がされたことでの国際舞台での意味は大きくなったと思うし、あれ良かったなと振り返って思います。 競技の舞台の魔を払い、清める、日本のローカルでの意味のある文化発信だったと思います。
・一つの時代が終わったような寂しさにかられる自分がいます。貴乃花との千秋楽決戦は当時の風物詩で手汗握る激戦を繰り広げ大いに盛り上げてくれました。ハワイの先輩小錦が大関から陥落した日の相手が曙太郎でした。寄り切りった後小錦に軽く頭を下げたシーンも印象的でした。まだまだ若すぎますよ。どうか安らかに。
・相撲引退後、総合格闘技に出場したのは失敗だったね。ボブ・サップ戦の失神KOで強い元横綱、曙のイメージが低下してしまった。プロレスでは3冠チャンピオンにもなれたし、プロレラー曙としては北尾光司より遥かに大成できたと思う。 御冥福をお祈りします。
・プロレスに転向した時はいくら設定とはいえ悲しかった。立派な横綱が赤ちゃんのデンティスター付けてボノちゃんで登場した時、もうかなり切羽詰まってるんだなぁと思いました。 ご冥福お祈りします。どうか向こうではまた大好きな相撲を取って偉大な姿を見せて下さい。若すぎます。
・亡くなったか…。 曙さんは外国人力士で初の横綱昇進。 それ以前は師匠の高見山関と小錦関くらいだったし、しかも小錦関の時には物議を醸し出したけど、横綱昇進について差別とまではいかないまでも、外国人力士の横綱昇進に対して厳しい壁があった。 「二場所連続優勝」の条件に異様に厳格だったしね。そんな状況を曙さんは文句なしの二場所連続優勝で横綱昇進を達成して、以降の外国人力士の道を切り拓いた存在だったと思います。 若貴兄弟の横綱昇進後はライバル関係で相撲界を盛り上げてくれた。 体と身長の割には足が長くて細かった印象なので膝への負担も大きかったと思います。 引退後はプロレスはじめ格闘技の世界に入りましたが、全日、ハッスルなどでプロレスしてる頃が引退後は一番楽しそうだったかな。 間違いなく相撲界の歴史に名を残す横綱でした。まだ若いのに残念です。
・あまりにも早すぎる死です 力士のあの体型では長生きは無理てすよね 糖尿、心臓、飲み過ぎによる肝臓・・・ 病気だらけですものね、横綱経験者の平均寿命は60~62程度とのデータを見たような気がする。 でも若貴時代は迫力ある相撲が毎回繰り返されてとても面白かった。 曙の強力な突っ張りを貴乃花が身体をのけぞらして耐えていたのが今でも思い出します。 心よりご冥福をお祈り申し上げます
・若貴兄弟のライバルとして、立ちはだかった曙。
当時、NHK『こどもパビリオン』なる番組で、若貴兄弟と曙の特集があったけど、曙が『ロッキー』のテーマに乗って鉄アレイで筋トレしてたのを見て、凄さを感じた。
ご冥福をお祈り申し上げます。
・外国人初の横綱(第64代横綱)でプロレスや格闘技でも活躍した曙 太郎、“マル”のあだ名で親しまれた“角界の西郷どん”こと第67代横綱・武蔵丸光洋、外国出身で初めて大関へ昇進し、タレントとしても活躍した小錦八十吉。 この日本の相撲史に偉大な功績を遺した3名の米ハワイ州オアフ島出身の力士の名前を、“アケボノ、ムサシマル、アンド、コニシキ~”と軽快なウクレレとともに歌ったのは、同じくオアフ島出身の300キロ超の巨体とテンダーな美声で人気を博した伝説的な歌手“イズ”ことイズリアル・カマカヴィヴォオレ。楽曲は「Tengoku Kara Kaminari」 歌詞の内容は、同郷ハワイ出身の力士の活躍を称えるもので、遠い日本で困難に負けずに夢をかなえたハワイが生んだ世界的なヒーロー&アイドルだと、心温まる声で歌っています。 アケボノ、ムサシマル、&コニシキ〜♪ Apple musicで無料で聴けますよ♫
・病気で寝たきりの生活になっていることは知っていたけど本当に悲しいです。 若貴の好敵手だったし、他に有力な関取がいなかった東関部屋だったので、正に孤軍奮闘した偉大な横綱でした。 ハワイ勢として初の横綱、東関親方(元高見山)の嬉しそうな顔を思い出します。
・闘病している事は知っていましたがこの知らせは辛いですね 若貴フィーバーのなかで役回りは悪役でしたがご本人は寡黙で真面目な力士であった印象です。 圧倒的なパワーで一気に相手力士を土俵の外に弾き出す姿は圧巻でした。 ご冥福をお祈りします。
・すごくショックです… あの時代の大相撲、本当に楽しかった。
ライバルの若貴や武蔵丸と熱戦を繰り広げたし、特に貴乃花とは対戦成績は全くの互角。 まさにライバルだった。
現役時代は若貴のヒール役の感じだったけど、すごく礼儀正しくて真面目な横綱で有名だった。
体調を崩してからは、一部記憶まで失った状態になったみたいだけど、若乃花が見舞いに訪れて、曙がニコリと笑って、もちろん覚えてるよー!って笑顔で若乃花と話す場面がテレビ番組で放送されたけど、あれはほっこりしたし感動もした。
54歳は若すぎる…この訃報はあまりに辛いよ…
・貴乃花よりも先に横綱になったときは、正直なところ「日本生まれ日本育ちの日本人力士びいき」から、曙を応援する気持ちにはなれなかったけれども、そのあとの二子山部屋の強豪力士相手に孤軍奮闘、さらに武蔵川部屋の台頭の中で、特に膝の故障を抱える中で、曙が、まさに気合と根性で戦い抜いた姿は感動的で、格好よかった。いつのまにか春場所優勝の「春は曙」との名アナウンスでは曙の活躍が嬉しかった。 引退後のドキュメンタリー番組で、日本に来たばかりの頃は、いじめられて、いじめられて、「とにかく勝つしかない!」と歯を食いしばって頑張った青春時代の秘話を語ってくれて、当たり前なんだけれども、曙さんも我々と同じ人間なんだなと思ったし、ずっと秘密にしてきた人間性にも心打たれた。
54歳は短い人生だが濃密で生々のことではない重厚な人生をおくられたと思う。
・54歳とまだまだ若いが、身体を大きくしたり激しいぶつかり合い等で身体の負担は計り知れなかったんだろうな?その後格闘技に行って…史上始めて外国人力士で頂点まで上り詰め、当時の若貴としのぎを削った時代は色褪せない。御冥福をお祈りします。
・若貴のいいライバル、時にはヒールをよく徹したと思います。 断髪後も総合へ行ったり、グレートムタとインリンの子?になったり 何かと話題も振りまいてくれました。 特に曙の現役時代は相撲が面白かった。力と技本当にいろいろな力士がいた。 早すぎる、、。力士の断髪後の生活改善は急務だな。
・大きくて強い曙に、日本人力士が立ち向かっていくのが面白くて、子どもながら毎場所楽しみにしていました。ヒールのような存在だったけど、普段は優しくて穏やかな人柄で、同じハワイ出身の小錦さんとともに愛された力士でした。こんなに早く逝ってしまうなんて悲しいし寂しいです。ご冥福をお祈りします。
・引退したとき、まだ閉鎖的で相撲協会に残れなかったんですよね。 この方含め、相撲協会に残れなかった外国出身の力士がいたから、今は親方になれる外国出身の力士がいる。 横綱、相撲を盛り上げた曙力士はかっこいいです。
・年寄株購入に6億円という大金をフッかけられて支払えず、協会を退職。 当時まだ子供が小さくて「物心がついてからパパが闘ってる姿を見せたい」の思いから総合やプロレスに出場した。 若貴と共に大相撲を盛り上げた功労者だったのに、このような最期はとても淋しい。
・鋭い眼光そして巨大から繰り出される両手突き。 いやぁ強い。ひいきの力士が曙に負けて悔しい事が何度あったか 土俵を降りれば朗らかでユーモアのある人柄でした 大きな大きな体で運動をするのに全身に血液を運ぶ心臓は想像以上に負担があるのでしょうか しかし亡くなるのが早すぎる ありがとう曙。
・総合格闘家として活動してた時期、毎回試合結果が良くなかったので仕方ない面はあるのだが、からかわれすぎだったように思う。脱毛症になっていた。 ただ年末の試合は常にハワイの家族が真剣な面持ちで応援席にいた。何度も挑戦する姿勢含め、男としては立派だったと思う。
・まだ若いに。闘病生活が長かったらしいけど、回復には難しかったのか。相撲時代はめちゃくちゃ強いイメージで若貴兄弟のライバルみたいな。引退後格闘技に進んでから、あまり見かけなくなっていた。お悔やみを申し上げます。
・過去に順天堂大学から力士生命予後について論文が出ている、BMI40以上の群は寿命が短く、過体重が死亡につながる。 また死因として心疾患の割合が高いことも、体重による影響と言える。 10キロ体重が重いだけでも心肺、足腰に負担がかかる。標準体重より重いぶんだけ負担は増える。相撲取りだと大人をひとり背負って生きてるのと同じくらいの負担。血圧だと1キロ体重が重いと収縮期で2-3mmHgあがると言われている 相撲協会は栄養管理の重要性について指導しないといけません。千代の富士、寺尾に続いて、曙、昭和平成の人気力士がばたばた死んでいく。体重が多いのは現役時は仕方ないとして引退後の管理が大切。 土俵も高く危険、時代はかわった、健康、安全を優先する改革を望みます。
・小さい時、両親が若貴のファンでテレビで大相撲を見ていた。 その時、幼心に単純に大きくて、力強くてすごいなあ、と思ったのが曙だった。 サップとの試合も、見ていた。 若貴とともに、相撲の1つの時代を象徴する力士だった思う。 ご冥福をお祈りします。
・曙は貴乃花と共に名横綱と唱われてましたが、曙はどう言う訳か格闘技に行き決して成功したと言えず、54歳で亡くなるとは不幸なことでした、一方の貴乃花も部屋を興し将来は理事長かと思ってましたが弟子の暴行事件等もあり、廃業して仕舞いました、相撲人気を大いに盛り上げた功労者なのに不幸な結末ですね!
・あらら、曙さん、54歳で死去とは残念です。若貴と武蔵丸を交えた優勝争い、毎場所面白かったです。今の底の浅い大相撲とは異なり、横綱の権威がありました。引退後、格闘技の世界にでて、大晦日の夜のボブサップ戦、当時視聴率が高かった紅白歌合戦に対抗。見ましたよ。蛙のように倒されたのは残念でしたが。 心からご冥福をお祈りいたします。
・この若さで残念。 外人力士として初めての横綱であり、日本人でなくても立派な横綱のなれる事を示してくれた。 最近のモンゴル出身横綱と比較すると礼儀正しく人格者といえる。 高見山や小錦のような先輩がいた事が良い影響だったのかも知れない。 御冥福をお祈りします。
・早いよ、早すぎるよ お兄ちゃんと飲みに行きたいって再会した時に言ってたじゃないか、まだ叶ってないでしょ 潮丸だってまだ早いって言うよ 若貴との数々の名勝負、優しすぎる人柄、多くの人の記憶に刻まれたでしょう 若貴が主役になってるけど紛れもなく彼も主役の一人だよ 安らかに、これからの角界を見守ってください
・奇しくも昨日、尾道にある曙さんの手形に手を合わせ、やはり曙さんの手は大きいなぁと感心したところです。
我々の世代では若貴と並ぶ大横綱でした。 とてもクリーンで、笑顔の優しい、横綱でした。 力士は身体に負担がかかるのかなぁ。
ご冥福をお祈りいたします。
・藤島部屋には2横綱1大関2関脇が在籍、それらを相手に横綱まで上り詰め優勝を果たすのは至難の業です(同部屋は当たらないからね)。しかも合併してのラインナップなんだからほぼ反則だよ。同部屋での援護射撃はまあ仕方ないとしても、今のモンゴル勢の結束はちょっとどうかなと思います。この時代の外国人力士は本当に大変だったし、立派だったよ。お疲れ様でした。
・外国人初の横綱で、あの突進力は確かに強かった。 格闘技に転身して、いりいろと話題を振り撒いてきました。 若貴も含めてライバルも角界からは離れていってしまったのは残念です。 所属していた東関部屋も後継者不在でなくなってしまい、 ひとつの時代の終焉を感じます。
・曙の豪快かつ鋭い突っ張りは代名詞でしたね。それにしても早すぎる。先代東関親方(元潮丸)も早すぎるよ、といってそう。高見山さんもショック受けているのでは。以前花田虎上さんと会った際には一緒に酒飲もうと約束したのに、できなかった。ご冥福をお祈りします。
・リンカーンの「おかん寝起きドッキリ」というコーナーで、Hi-Hiの上田さんが寝ているお母さんに曙を見せるというドッキリがあったのだが、とても嬉しそうに対応されてて、TVで見ててホッコリした覚えがある。晩年は病気で倒れ、花田虎上と笑顔で対談されてた。54歳…若すぎる…ご冥福をお祈り致します。
・昔、トラック運転手をやってる時に、名古屋場所で稲沢に部屋を構えてる曙さんの稽古中に配送に行った事がありました 間近で見て凄く大きくて、驚いたのを今でも鮮明に覚えています ご冥福をお祈りいたします
・こんなこと言っても笑われるだろうが、力士には体重制限が必要だと感じてる。 150キロ超えるような体型では絶対内蔵に負担がかかるし、長い間そんな負担をかけてたら早死するに決まってる。 120キロくらいの力士のほうが引き締まって動きも良いし、いろんな技を出せる印象がある。 そのぐらいの力士が戦う方が相撲の魅力が高まると思う。
・お相撲さんて結構短命な人が多い気がしますね。寺尾さんが60歳・朝潮さんが67歳と今の時代では、まだまだこれからと言う人が次々亡くなるのは残念です。やはり若い頃からがむしゃらに稽古に明け暮れて、取組になると猛烈な勢いで100kg越えた巨体同士がぶつかるから、肉体も酷使してるんでしょうね。曙も若貴時代ろ並んで一世を風靡した人だけに、早すぎる死が悔やまれます。
・当日若貴とのしのぎはすごがった。 またアメリカ初代横綱としての破壊力は凄まじかったのを覚えてます。千代の富士のファンでしたが千代の富士が引退後数年に飛躍しギリギリ取組はなかったですが曙の取り組みを見るたびに千代の富士の対戦したらどうだったのだろうと思って見てました。 一時代をありがとうございました。
・ボブ・サップ戦でみせた打たれ強さは、衝撃的だった。打たれ強さだけに焦点をあてれば、私の知る限りで断トツのベストバウトです。空前絶後と言えるほどの精神の強さを目の当たりにして、感服しました。押しも押されぬ横綱だと思います。
・曙のインタビュー 横綱として…、横綱だから…と横綱としての責任、覚悟を感じられる大横綱だった たしか小錦の大関陥落のかかった一番が曙で 大先輩の小錦を寄り切りマワシに手がかかった状態で頭を下げて、先輩の労をねぎらう姿は感動した 土俵を降りれば人懐っこい笑顔が素敵で 私も同世代の53歳 さみしく想います
・曙と貴乃花と闘いは対戦前にばちばちににらみ合いしていたのが印象に残っている。 もの凄いライバル意識が強くて、闘いは本当に名勝負ばかりで面白かった。 相撲と日本文化を学ぶ姿勢も素晴らしく、品位ある横綱さんだった。 54歳で亡くなるなんて早すぎて悲しい。
・モンゴル人のような「自分勝手、勝てば何しても良い」というような考えでは無く、ハワイ出身者らしく「和を大切に、横綱は受けて返してなんぼ」という日本国技の伝統を理解された人でした。 晩年格闘家としては目が出ませんでしたが、プロレスのエンターテイナーとして楽しませてくれました。 ここでもファンを大切していた姿が懐かしいです。 ご冥福をお祈りします。
・高見山以来、ハワイ力士に親しみを感じていたので、曙が横綱になってうれしかった。 日本の大相撲を盛り上げてくれて、ありがとう。 ずいぶん早い旅立ちだけれど、相撲引退後も格闘技で大活躍。頑張った人生だった。 おつかれさま。安らかに。
・先日亡くなった美容師の坂巻さんにしても今回の曙さんにしてもほんの20年前ぐらいの2000年代には大活躍してた方達が早くも亡くなっていってるという現実に時の流れの無常さや人生の儚さを感じてなんとも切ない気持ちになる これから先も自分がリアルタイムで活躍を見てきた著名人達がどんどん死んでいくんだな、そして自分の親もいつか死ぬんだな、そしていつかは自分自身も死ぬ時が来るんだなと思うとなんとも切なくなる 人の数だけ色々な人生があって誰1人として同じ人生の人なんていないけど、過程はそれぞれ違っても全ての人の人生のゴールは「死」だって考えるとなんだかんだ人生って平等だなとも思う
・早すぎるよ… 相撲ファンとして、心からご冥福をお祈りします。
ハワイ勢はとかく超重量級かつ取り口が大味で、高見山以降の功績にも関わらず、入門が無くなってしまったこと、私は仕方ないことと思っている。ハワイ勢の体格に引き上げられ、力士がどんどん大柄化していった結果、相撲がつまらないものになっていったのがあの時代だったと思うし、その意味では今の時代、適正な体格での熱戦が多く見られるのは良いことだと感じる。
ただ、曙が大相撲に刻んだ功績と衝撃は永遠に消えることはない。安らかに。
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