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「親を捨てる」って悪いこと?「家族代行サービス」依頼が急増? 3年前に母を捨てた作家「母も“自分の人生”を生きられなかった弱者」

ABEMA TIMES 4/15(月) 8:41 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f85912561ccaf26e8786ce3c0205e792dc4ce36

 

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70歳代の男性が体調不良で入院し、介護が必要になったが、30年間疎遠だった息子は「面倒を見たくない」と代行業者に依頼。

ネット上では親の面倒を見ることに限界を感じる声もあり、この問題について考える動きがある。

一方で、虐待を受けた経験を持つ作家が「母を捨てる」という本を出版。

家族代行サービスや成年後見制度など、高齢者のサポートや虐待の相談が増えており、親から逃れる手段としての制度や悩みが紹介されている。

(要約)

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「親を捨てる」って悪いこと? 

 

 ある公営住宅の一室で、代行業者が部屋の片付けを行っている。依頼したのは、この部屋に住む70代男性の息子。 

 

【映像】汚く散らかった部屋…息子が「面倒を見たくない」と家族代行サービスに依頼 

 

 男性は1月に体調不良で入院、今後の一人暮らしは困難だとわかり、30年間疎遠だった息子に病院から連絡が入った。しかし、息子は「面倒を見たくない」と代行業者に依頼。公営住宅を退去し、介護付き施設に入れる手続き、そして葬儀・お墓の手配も「家族代行サービス」が行う予定だという。サービスを手がける一般社団法人LMNの遠藤英樹代表理事は「ここ2、3年で、依頼は3~4倍になっている」と語る。 

 

 「親を捨てたい…」ネット上には親の面倒を見ることに限界を感じる子どもたちの声がある。そんな中、先月『母を捨てる』なる本が出版された。「私は何度も何度も、母に『殺された』」の書き出しから、ノンフィクション作家の菅野久美子氏が、自身の体験をもとに綴った一冊だ。『ABEMA Prime』では、当事者とともに「親を捨てる」ことについて考える。 

 

菅野さんと母のこれまで 

 

 菅野氏は3歳から母による虐待を受けていた。小学生の時には“スポーツ刈り”を強要され、中学では懇願されて私立中学に進学するも、いじめにより不登校となって家庭内暴力も受けた。高校からは精神的な支配から逃れられず、母から「地元の同級生が結婚・妊娠・出産した」という話題が増えていく。そして38歳で、新聞連載に虐待を告白し、母への“別れのメッセージ”を載せた。 

 

母から虐待受けた私 

 

 教育虐待は3歳から、肉体的虐待は4歳から始まったという。菅野氏は当時について、「母もできるだけ外にわからないように考えた」と振り返り、「父の書斎で毛布をかぶせられ、息ができず気を失う。水のたまった風呂に、頭から漬けられることもあった。ピアノなどの習い事に通わされ、練習でミスをすると定規で太ももを叩かれた。ただ、褒められると『自分が認められた』と、条件付きながら、母の愛を得られる唯一の手段だった」と明かす。 

 

親から虐待受けた私 

 

 しかしながら、次第に「母も弱者だ」と気づいていく。「母が“自分の人生”を生きられず、その身代わりとして、私にいい大学へ行かせて、脚光を浴びせたかった。『母の人生を生きなければ、存在意義がない』と骨の髄まで染みこんでいたが、孤独死の取材をするようになり、自分自身の問題と向き合わなければと感じた」と心境の変化について語った。 

 

 

教育虐待とは 

 

 強制的な勉強や過干渉など、子どもの気持ちや意見を無視した行為である「教育虐待」。家族代行サービスのLMNには、そうした相談も多く寄せられているという。遠藤氏は「最初は『いい教育をしてもらっているのに、なぜ』と思っていたが、相談が多くて驚いた。行政にも『それだけ幸せな家庭で育っているのに』と実情をつかめず、当事者も外に出さないから、余計に見えないことが多い」と述べた。 

 

家族代行サービス 

 

 LMNが行う「家族代行サービス」は、高齢者と行政、病院、業者などをつなぐ“連絡役”の役割を担う。登録料は44万円で、定期訪問・緊急時の駆けつけや、入所・入院時などの手続き代行、葬儀・供養の手配などの「生活サポート」は1回4時間程度、1万1000円(交通費別途)に設定されている。 

 

遠藤英樹氏 

 

 「『親を捨てたい』はパワーワードだが、どちらかというと、介護ができない家族の代わりに、介護から葬儀までを全部やる仕事だ」と遠藤氏は語る。 

 

 家族を代行する形で、周囲がサポートする仕組みとして「成年後見制度」も存在するが、違いはどこにあるのか。「家族代行サービスは、病院に呼ばれたり、外出できない人の行政手続きをしたりなど、リアルに家族がやる必要があるところをサポートする。成年後見人は契約行為や金銭管理など、比較的上層でのサポートを行う」と答えた。 

 

LMNへの依頼の傾向 

 

 LMNへの依頼は、家族や兄弟のいない高齢男性の“お一人様”が増えていて、家族がいても「捨てられそうだから」と自分で依頼してくることもある。また、“捨てられた親”ほど自分を“毒親”とは思っていない傾向があるという。 

 

LMN依頼件数の推移 

 

 サービス開始当初は「高齢者のサポート」が軸で、毒親などの相談はなかったが、「最近は8割程度がそういう相談」になっている。「帰るときに『ありがとう』ではなく、『肩の荷が下りた』『楽になった』と言われる。私たちへの依頼は、とにかくどうにかしてほしいとの思いから」。 

 

 また、病院からの依頼も増えてきているという。「十数年ぶりに親のことで病院から連絡が来て、『介護をしなくてはならないが、やり方がわからない』との電話も来る。もう少し行政で制度化できると楽だと、歯がゆく感じる」と述べた。 

 

 

川口正広弁護士監修の資料 

 

 日本には現状、親子関係を解消する“絶縁”の制度はない。旭合同法律事務所・川口正広弁護士監修の資料によると、親から逃げる手段として、住所を明かさず距離を置く「住民票の閲覧制限」、接触したくないことを意思表示する「内容証明で警告」、所在などの情報をわかりづらくする「戸籍の分籍」、名字を変えて情報を追うことを困難にする「養子縁組」などが考えられる。 

 

大空幸星氏 

 

 しかしながら、NPO法人「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星氏は、「分籍して1人戸籍になっても、父母の欄は残る。見えなくすることはできても、戸籍から『自分がAさんとBさんから生まれた』という過去を消し去ることはできない。親の戸籍にも『この人が抜けた』と記録が残るため、精神的にちょっと楽になるぐらいだ」と指摘する。 

 

菅野久美子氏 

 

 菅野氏は「まずは母親による肉体的な支配から回復して、セルフネグレクト状態から脱して、自分の心と体を大切にするところから」と語るが、戸籍を分けることは「あまり考えてない」。「どこかで『母も幸せであってほしい』と思っている。母も傷ついた人生を送ってきた。すごく憎いというわけではない」とした。(『ABEMA Prime』より) 

 

 

( 159903 )  2024/04/15 12:38:56  
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(まとめ) 

子供は親を見て育つという言葉が示すように、親や家族との関係は非常に重要です。

親や子供、家族同士の関係は様々な状況や考え方に左右され、複雑な問題を含んでいます。

一方で、介護やサポートが必要な時に家族や周囲の人々が対応できない場合もあります。

このような状況下で家族代行サービスなどが重要な存在になってきていることが伺えます。

それぞれの意見や経験から、家族や親子関係に対する考え方や介護に関する問題に対する意見が幅広く存在していることが分かりました。

今後も、個々の状況や価値観に合わせたサポートやケアが重要であり、社会全体での課題として真剣に取り組む必要があるでしょう。

( 159905 )  2024/04/15 12:38:56  
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・子供は親を見て育つ 

子供の一番近くにいる大人が親だから子供が持つ大人のイメージは親なんだよ。 

仕事に関しても先輩から見て覚えろみたいな指導は、この親子の構図に似ていると考えます。 

つまり見本に成る大人に子供や若年者が共感出来るかなんです。 

自分の親が悪い意味で普通じゃ無いと判断したならば親を捨てるのは当然の考えだと思います。 

宗教2世にも当てはまると思います。 

我が家の場合は私の祖父母や両親が子供に依存や過度な期待をしない人だったので 

そんな家風環境で育った私は同じように息子や娘(既に社会人)に接して普通に楽しく生活してます。 

やっぱり親の考え方に原因が有ると思いますね。 

因果応報だと思います。 

 

 

・家族代行サービス、初めて知りました。大変ありがたいシステムです。 

私は、義母を、仕事をしながら通いで介護していて本当に大変だったので、その当時にこうしたサービスがあったら、絶対利用していたと思います。 

 

 

・世の中はどんどん変化してると感じます。先日久しぶりに帰ってきた息子から親が倒れても介護はしないとハッキリ言われました。こんなに大事に育て一流の大学まで出したのにと情けなく腹立たしく一気に愛情が消える思いでしたが、この記事を見て息子の人生を応援すべきかもと考えさせられました。何より亡くなる時迄元気で誰の世話にもならないように自分の健康管理に努力したいと思います。 

 

 

・捨てる捨てないということではなくて、親子であってもそれぞれが独立した個であるという意識が、だんだんと広がっていて今の60歳以下ぐらいの人は、既に自分の子どもに対しても良くも悪くも期待していないのではないか。今、後期高齢者の人ぐらいまでは、たぶんまだ、子が親の面倒をみるという意識が少しはあってある部分では期待しているのかもしれないし、その子ども世代はそれなりには対応していると思うけれど、自分たちの時にはもうそういうこともいいよという気持ちでいるのでは。その上で、どのような社会の仕組みを作るべきなのか、サービスを設けるべきなのか。家族代行っていう言い方ではなく、仕組みとして一人で死んでいけるようにすることが求められると思う。 

 

 

・たぶんこの考え方が受け入れられるとは思わないけど、自分は人生を最高に楽しめたと満足した時に自分で終わりにさせたいと思ってます。 

動けなくなるまで生きるのは逆に辛い事かと。であれば、動けるうちに自分で自分の人生にケリをつけるのはありだと思ってます。財産整理や葬儀関係など全部自分でまとめて出来るだけ周りに手間をかけさせないで終わりにしたいです。 

 

まだまだ若いので考えているだけで実行するのも半世紀ほど先の話になる予定ですが、人生の最後を漠然と決めたので将来の不安がほんの少し取り除かれて生きるのが楽になりました。 

 

 

・医療が下手に発達したおかげで、昔なら死んでいるはずの人が大量に生き残っており、現役世代の大きな負担になっている。いいかげん、死生観と向き合って、高齢者への医療行為を制限すべきときにきている。妊娠が病気ではないのと同じく、老化も病気ではない。誤嚥性肺炎も癌も風邪から肺炎になるのもすべて老化である。 

 

 

・すごくわかる。親を捨てるなんてと思うかもしれないけど、子供は一方的に親のもとで生きていくわけだから。恵まれた環境ばかりではないよね。お金だけでない精神的な部分も大きいから。自治体の中で、そういった人達を援助してゆく仕組みが必要だと思う。 

 

 

・昔は医療がそこまで発達してなかったのもあって親も病気になって寝込めばそこまで長くは生きてなかった。でも今は生かされてしまう言い方もできる。兄弟も多かった昔は誰かが交代でも行けばよかったが、少ない兄弟、しかも独身だと他に面倒をみる人もいないだろうし。昔は自分が犠牲になってでも子供や他人を生かすようなとこもあったが、今は個が重視され、個もそれが半分当たり前になっているし。何で自分が犠牲にならないといけないの?って。悪いことではないのだが、当然自分だけで精一杯になってしまう。それが現代でしょう。技術も物資も情報も豊かになった時代だが、現実は昔よりも厳しい状況と思う。 

 

 

・昔は、有無をいわさず無条件で強制されていましたからね。 

 

今のように親子別々の生活を長くやっていたら、喩え一番近いはずの肉親であっても、最も負担が大きくなる最後の部分だけを引き受けると言うのは、ごめんなさいとなってしまうのも致し方ないのかも、と。 

 

ずっと大家族がそばにいて、時の流れとともにその変化に徐々に対応していっていた時代とは、やっぱり構築されていく心理構造自体が変わってきているんだと思いますね。 

 

 

・まず「家族代行サービス」は立派なサービスで有り、対価も発生している事から、親を捨てたことにはならない。こういう記事を書くと、そういうサービスを使う事まで「悪」という認識を与えかねないので、そこは注意が必要。あくまで代行業だ。 

それにまぁまぁの金額を支払う必要があり、親に対してこれだけのお金を払っても良い、という気持ちの人しか使えない。むしろ「親を捨てる」とは程遠いとさえ思う。 

 

私も一児を育てる親だが、一番気を付けている事は「子供の事を思っているふりをして、自分の願望を押し付けたりしない」という事だ。 

子供の事を想い高額の塾代も支払っているが、あくまで子供が希望したので行かせている。子供に将来は勉強できた方が、良い学歴を積んだ方が相対的に有利だ、という事は教えた。その上での子供の判断だ。 

「毒親」と言われる方々は、この点でかなり子供に押し付けている、という印象が有る。 

 

 

 

・父は毒親ではないですが、折り合いが悪く、今後どうしようと悩みの種です。 

代行業者があるんですね。 

もしもの時はお願いしようと考えると気が楽になりました。 

自分が今金銭的に安定しているのは間違い無く父のお陰であるので、見捨てようとは思ってないのですが、自分の気持ちを守る事も大事ですよね。お見舞いや訪問の半分でも代行してもらえたら精神的に大変助かります。 

大変良いサービスです。 

 

 

・私は子供に産まれてきてくれてありがとうと言ったり思ったりはするが、親に産んでくれてありがとうとは言ったことも思ったこともない。そもそも産んでくれと頼んだことはない。それは万人がそうです。親は勝手に産むものです。動物の本能なので。なので親には子に対して無条件で育てる責任がありますが子供は親の面倒を診る義務はないです。親は自分の事ができなくなった時期が終焉なのです。今の時代医学が発達しすぎて引き延ばしなど多少はありますが、自然ではありません。見苦しい人間にはなりたくありませんね。 

 

 

・業者に丸投げは、捨てることにはならないでしょう。最低限の責任は果たしているから。 

 

業者に丸投げとかよりそれ以前に 

物理的に金銭的に面倒を見られない業者に丸投げすらできないという状況、放置される老人が全国で激増しそう。 

 

例えば、 

小さい子供を2人育てている共働き家庭の夫婦のどちらかの親が遠方で独居老人で要介護になったけど、仕事辞めたら即破綻だし介護休暇も取れない、収入が減ったら幼い子供含む家族が破綻という状況で、親のことを引き取れない、面倒見られない、業者に払うお金すら親子とも無い、みたいな家もわんさか出てくるでしょう。 

 

子供が介護できない同居できない本人にお金がないなら仕方ありませんね、ギリギリまで独居して、孤独死してもすぐ気付かれるように連絡だけは途絶えさせないでとなるのか 

そういう事例があるたびに行政が保護に動くのか、 

 

今後はどちらかがスタンダードになるような気もします 

 

 

・昔から姥捨て山というのがありましたから「親を捨てる」ということは、今も昔も人間の性質というのは変わらないと感じます。 

『遠野物語』に興味があり、遠野市のデンデラ野を訪れたことがあります。昔は60歳をこえるとデンデラ野へ送られ(自ら向かう人も居たのでは)、老人はみなそこで共同生活をしていたと聞きます。 

現代もそうしろとは言えませんが、かなり合理的だと思います。若者は若者で、老人は老人で、そういうコミュニティを形成して生きるのは気持ち的にも楽なのではないでしょうか。 

子どもが独り立ちしてしまえば、親子の縁とかしがらみとか関係なくお互いどこでどうなろうとそれぞれが好きなようにに生きていけば良いと私は考えます。 

 

 

・お金で介護や実家の面倒ごとが解決するなら有り難いと思う反面、そのお金を自分が出すのかと思うと辛い。 

学生時代からバイト代や奨学金を家に入れて歳相応の楽しい遊べる時代を過ごせず、就職後も度々実家に仕送り。 

認知症になってからは分からずに年金2ヶ月分を数日で使い切ること複数回、生活フォローを数年続け、要介護度が上がった今は親のみ生活保護と年金で施設に入って貰っている。 

 

やっと解放された。我が子もいよいよ小学生、これからは自分の人生に向き合い、子どもや自分の為にお金を使おう、と貯金を始めたけど、実家の解体費に300万必要と言われた。もういい加減にうんざりしてしまう。 

 

 

・兄弟は他人の始まりと言われてましたが、今は親子は他人の始まりなのかも知れません。 

 

核家族前提そして個人前提の生活費しか支払わず、家族から労働者を切り離して使うようになって数十年経っています。 

 

民法だけが扶養義務を定めたまま時が止まっているけれど、現実的に物理的・精神的・経済的に親の面倒を見切れない社会になりつつある。 

 

代行業者を頼むのは誠意があるほうで、これからは連絡を受けても対応しない子供が増えて公的対応が必要になるのでしょう。 

 

 

・私は子供がおらず、夫側に甥姪はいますが、私の血の繋がった甥姪はいません。先に夫が亡くなった場合、私は一人だけ残って、夫の甥姪に私の面倒をかけるわけにいかず、財産は成年後見人にお願いしたとしても、老後の入院や死後の片付けを40歳頃からどうしようかと考えていましたが、こういうサービスがあると助かります。 

 

 

・離れて暮らす88になる母からここ数年、あれ片付けてくれなどこまごまとした依頼がよく来ます。無理難題というほどのものではないので、時間の都合がつけばやることはやぶさかではないのですが、母の中には「育ててやったのだから、子が親にその恩を返すのは当然」という考えがあるようです。もちろんその考えを全面否定するつもりはありませんが、私は親から受けた恩は、「親に返す」ものではなく我が子に「恩送り」するものだと思っています。子供を「育ててやった」、「将来自分が面倒見てもらうために子供を作り、育てたんだから親の面倒を見るのは当然」というのは、ちょっと違うと思っています。 

 

 

・私の祖母は嫁に来て直ぐに、大姑と姑の二人を介護しながら子育てをして大変だったと、幼い頃から繰り返しきかされ、「長男跡取りには嫁ぐな、下の世話程辛いものは無い。」と言っていました。 

母には同じ苦労をさせたくない、介護になったら自ら命を経つとずっと言っていました。その通りに無くなりました。 

家族を、支えてくれた祖母の母への思いやりだったと思います。 

両親を見送り、次は自分と思ったら、やはり祖母と同じ気持ちでいます。 

一生懸命いきてきたし、別に長生きしたいとも思ってない。 

子供に負担をかけるくらいならと思います。 

 

 

・配偶者の気持ちを考えると、どうしても同居には踏み切れないし、親のことは二の次になってしまう。この辺は今の日本に住んで、今の日本の低賃金で生きていくなら、少々の我慢をしてでも意識を変えていかないといけないと思う。 

親と同居というのは相当の覚悟は必要。ただ状況によっては経済的な負担を大きく減らすことも出来る。 

自分の人生を最優先して生きていく代償として、経済的に枯渇した生活を送っている人も多いと思う。家族を「経営」していくのは大変だけど、もうちょっと柔軟に考えていけばいいのにと思う。 

 

 

 

・自分の祖父は現在100歳で生きています。両親もそろそろ70歳になります。兄弟はいますが、家庭持ち他県のため私も他県より異動願いを立て実家近くへ戻りサポートを行なっています。よくそこまでできるねと言われた事もあります。が、根底には世話になった想いや単身で動けるということがあります。 

こういう形もありますが、当人たちの想い次第かな。最初から諦めるのではなく自分を産んでくれた親なのですから、きちんと後悔のないよう選択すべきですね。 

 

 

・難しい問題ですね。これを商売にするのはナイスアイデア。でも私はこんな商売はしないが。 

私事ですが、40代から面倒を見て現在60代になるが親の介護はしんどすぎ。こちらも仕事もできないし収入は減る一方。それが今まで正しいと思っていましたが、私の子どもには同じようなことは絶対させまいと思っています。 

70になればホームに入ることもお金がかかるので私は死を選びます。 

それが一番の最善策ですね。人にこの考えを押し付けるのではありません。しかし、年寄りになる我々も明るい子どもの未来を考え、年寄りの人口を減らしていかなければならないという自覚を持つべきですね。私には財産がないので、本当に早く死を選んだ方がよいと思っています。 

 

 

・毒親じゃなくても、民法にある「親族の扶養義務」を守るのは厳しい。「親を捨てる」事とは違うと思う。 

 

その民法が制定されたのは19世紀の終わりの明治時代。その頃は寿命も今より短かったし、子供の数も多く、地方も含めて家族が何世代も同じ地区また家に住んでいたので、それこそ助け合って生きてきた。21世紀の今は、1人が2人しかいない子供が、実家のある町を離れた都会で生活基盤を築いた中で、50代ぐらいから長ければ20-30年と、親の面倒をみることになる。 

 

時間的、経済的、物理的に可能であれば、面倒・介護をしたいけど、現実がそれを許さない場合も多いと思う。その「家族代行サービス」だって費用がかかるわけだから、その費用を負担するだけでも子にとっては簡単な事ではないと思う。「親を捨てる」なんて事では全くないと思う。そんな考えを持つよりは、社会全体が認識を変えていかなくてはいけないんだと思う。 

 

 

・親が子供を育てる義務があるなら逆も当然だと思っています。 

うちは自分が長男で妹が2人いるので、お互い連絡を取って行ける人間が実家に行ってます。 

亡父の東大病院までの通院は自分が車を出して連れて行ってましたし、妹たちも母の相談相手になってくれていました。 

今は母が一人で寂しいとよく言っているので、車で30分の所に住んでる自分が、休日に話をしに行っています。 

ただ、今は母も動けるので大丈夫ですが、介護状態になったらどうしようかが心配です。 

自分が年を取って息子に介護状態になって迷惑を掛ける位なら、安楽死を選ばせて頂きたいです。 

 

 

・よく「子供は欲しくない、産まない」的なことを言うと「自分の老後をどうするのか!そんなやつは他人に頼るなよ!」とか言ってくる人がいますが、なんで「子供が親(自分)の介護をしてくれる」前提でいるんだろうって思うんですよね。 

毒親とまでは行かなくとも「親の介護はしたくない」って層は確実にいるので、子供=自分の介護をしてもらうってのは考えるものではないと思います。あと介護してもらうにあたっての子供の条件は飲むこと、とかね。慣れ親しんだところから離れたくないから子どもたちがこっちに戻ってきて、何てもってのほかだしなと思うし。(親は田舎、子は都会にありがちな気がする) 

子供から介護をしたいと自主的に言わない限りは自分でケリがつけれる状態にするのが望ましいかと。 

こう考えると代行サーピスはアリですね。 

 

 

・家族代行サービスは今に始まったものではありませんが、需要は確実に増えています。 

 

成年後見制度は金銭や資産等を扱うことができる一方、意思決定の1部に意見を言う事もできます。 

家族代行サービスはあらかじめ代行できる事を決めておく必要があるものが多いです。その範囲内で代行する事になります。 

 

もし独居高齢者で身寄りが無い場合は、その本人が先に手続きや意思決定を行う事が求められますが、ここに至るまでがなかなか進まないのが現時点の問題です。 

人によっては後の事は知らんと、後始末の放棄をする人もいますから。 

 

 

・出生率も下がるし、需要は増えるでしょうね。早急な法整備が必要かと。親がこどものために入会しておくケースもあるだろうし、親子関係が悪くなくても利用したほうがいいかもしれない。そのためにもとにかく法整備ですね。 

 

 

・センセーショナルなタイトルだけど、普通の家庭というより子供の頃に虐待を受けていたなら捨てる気持ちもわかる。 

 

でも、普通に育てられたのに面倒だから捨てるにはやはり違和感しかない。 

もし介護が必要になるなら、まずは公的介護サービスを利用したほうがいいのでは? 

 

こうした代行サービスも需要があるのだから、放置されるよりは良いわけだし、存在意義はある。ただ、金銭的にこの代行サービスを利用できるのはかなり金銭的余裕がないと厳しいよね。なら、まずは公的介護を利用したほうが…とは思ってしまう。 

公的介護でも無料じゃないから、それでも費用が厳しいとなると本当難しい問題。 

 

 

・代行サービスは、良くやっている方だと思う。 

物価高での賃金低迷が続くなか、無理してどちらも破綻したり、殺人などに成っても意味が無い。 

生活保護や、高齢者施設へ自治体の対応もあるので、動けなくなる前でも、話し合って自己完結しない様、調べて欲しい。 

自治体への対応で大事なことは、毅然とした態度→動けなくなる前に、本人から依頼する方がスムーズだと思う。 

親の面倒を見るレベルは、それまで子供の面倒を見たレベルに比例しそうだが、価値観の押し付けなど、相互の隔たりは当然出る。 

 

 

・面倒な親もいますし放棄するよりは業者に依頼し面倒見てもらうのはいい事だと思いますが今ですら介護施設等もいっぱいで入居待ちのとこも有るのに数十年後に逆の立場になった時に介護施設には入れないこういう業者も手いっぱいとかで老人達が溢れてしまったらどうなるんだろうと、今は良いかもしれませが親の面倒なんて見る必要無いなんて考え方が普通になったら少し不安です、誰しも死ぬその時まで元気ならいいですがそれは難しいですし長生きしたらいつかは誰かのお世話にならないといけないし、難しい問題です。 

 

 

 

・代行サービスは、良くやっている方だと思う。 

物価高での賃金低迷が続くなか、無理してどちらも破綻したり、殺人などに成っても意味が無い。 

生活保護や、高齢者施設へ自治体の対応もあるので、動けなくなる前でも、話し合って自己完結しない様、調べて欲しい。 

自治体への対応で大事なことは、毅然とした態度→動けなくなる前に、本人から依頼する方がスムーズだと思う。 

親の面倒を見るレベルは、それまで子供の面倒を見たレベルに比例しそうだが、価値観の押し付けなど、相互の隔たりは当然出る。 

 

 

・子供を育てられないとなれば、親がいても児童養護施設等に授ける方法がある。 

逆の場合、同等の施設があるわけではないから、事情や状況にあわせ、民間の施設等を探すほかない。 

理由は、人それぞれだろうし、本人にしかわからないことのほうが多いと思う。 

無理に面倒をみることによって、悲劇的なことがおきてしまうなら、他人にお願いすることもありだと思う。、 

 

 

・親子でもできない事はできない。だから代行業者に頼むのもありだと思う。でも親を捨てるなんて表現はしたくない。だから全て代行業者に丸投げではなく、たまに様子を見に行く、顔を見に行くぐらいの気持ちは持ちたい。 

親も年をとる。昔強かった親も年をとると弱くなる。自分もいずれ同じになる。自分が年をとった時悲しい気持ちにならないよう、今自分の親にできる事はしてあげたい。 

 

 

・私は母子家庭で母が認知症になってしまい、仕事中や夜間就寝中に警察から連絡が来て母を迎えに行く事が何度かあり仕事を続けられなくなり退職したことがあります。 

その時、市役所や夜間の公的な相談センター等に連絡したのですが、全く役に立たたなかったです。 

親戚も近くにおらず、あの時は正直、心中まで考えていました。 

その後母は入院して1年後くらいに亡くなってしまったのですが、介護する家族からしたら代行サービス等の充実はもちろん、代行サービス等を利用できない金銭的に困窮している方たちにまで目を向けた対策を行政や政治家達に取ってほしいです。 

 

 

・「親を捨てる」と、このサービスを無理矢理結びつける必要はないと思う。 

30年も疎遠、虐待されていたと記事は極端な例に思える。 

少子化で共働きが増えている今、単に遠方だから物理的に世話ができないというだけでもこういうサービスを使う理由になる。 

老親は身内にはワガママだったりするから、他人が入る方がうまくいくことも多そう。 

手軽に使えるようになってほしい。 

 

 

・高校の頃に片方の親を亡くしたとき、まだ精神が子供すぎて、大人になってから、理解し合えなかった部分も含め、 

「もっと話せば良かった」「もっとちゃんと看病してあげれば良かった」 

と後悔がすごかったので今、更にもっと年老いたもう1人の方を、つい口うるさいほどあれこれ世話してしまう。自分の時間も後回しにして、走り回ってしまう。 

ただどんなにやったって、命の終え方は選べないし、後悔は絶対残るのだとも分かっている。 

何が正解かは答えなどないと思ってます… 

 

 

・結局のところは幼き頃からの親子関係が複雑に関係している。 

自分の周囲の人達の中でも、家族や身内とは何年〜数十年と疎遠な関係が続いているなどの話は時々耳に入ってくる。 

子供に依存などしては行けない。 

親にも子供にもそれぞれの人生があり、それぞれに家庭もあれば置かれている環境や状況も異なっている。 

自分にも1人息子がいる お前は自分の仕事や自分の家族を守るべく、人生を全うしろとだけ言い聞かせてある。 

 

俺たちには構うな 自分はかあさんと好きな様に今後も生きて行く。 

お前も自分の好きな様に生き、自分の人生を謳歌しろ。 

こんな気持ちを常に意識している。老後に身体が不自由になれば、介護施設に入所すれば良いと考えている。その為の資金などは貯蓄や投資でしっかりと備え準備している。 

 

 

・捨てられる親にはそれなりの理由が有るのでしょう 

愛情と1人の人として向かい合って育てた子供はそうはなら無いと思います 

何でも親の言う通りになる子供何ていない 

子供には子供の考えや好き嫌いが有る 

その上で間違った方向にゆかない様に個人を尊重して育てるべき 

勉強が好きな子供も居れば嫌いな子供も居る 

皆同じでは無いと言う事を親も理解すべきです 

 

 

・わたしは60代男性ですが、親の面倒を見るため会社を早期退職し、夫婦別居して田舎に帰っての対応となっています。 

親に言わせれば、昔はそんなもんだったということだと思いますが、小学生の頃は、お灸をすえる、小屋に閉じ込める、雪の降る中屋外に出されるなどは日常茶飯事だった親に良い感情はなく、仕方なく面倒を見ている感じです。 

年金受給までもうしばらくあるので、再就職もしましたが、年収は半分以下で、しかも2拠点生活となると、なかなか厳しいものがあります。 

これを反面教師として、自分の子供にはこういう思いをさせないよう、多少強がってでも自立したジジイになろうと思います。 

 

 

・私も母を介護4迄見ましたが自分の身体が 

これ以上は見れないとシグナルを送って来たので10以上の施設と予約、当時は何処も 

1000人待ちは当たり前状態、ある施設では 

何故予約に来たかと悪者扱いされ担当者と 

怒鳴り合い、介護士も疲れて居たのかな? 

私は腰痛(ヘルニア)、膝の故障、両肩が上がらず 母に事情を話し今後の話をしたのを 

覚えて居ます。施設に入っても毎日施設に 

会いに行き短い時間の面会でしたが母は 

無理しないでねと私が気遣って貰い 今では 

母に感謝です。介護は大変です 自分の身体を第一に介護してあげればと思います。 

介護は世間の皆さんが思って居る以上に 

大変です、経験者しか分からない事が 

沢山有ります。世間の事等気にしない事です 

世間の人は面倒は(野次馬)見てくれません 

 

 

 

・私も母を介護4迄見ましたが自分の身体が 

これ以上は見れないとシグナルを送って来たので10以上の施設と予約、当時は何処も 

1000人待ちは当たり前状態、ある施設では 

何故予約に来たかと悪者扱いされ担当者と 

怒鳴り合い、介護士も疲れて居たのかな? 

私は腰痛(ヘルニア)、膝の故障、両肩が上がらず 母に事情を話し今後の話をしたのを 

覚えて居ます。施設に入っても毎日施設に 

会いに行き短い時間の面会でしたが母は 

無理しないでねと私が気遣って貰い 今では 

母に感謝です。介護は大変です 自分の身体を第一に介護してあげればと思います。 

介護は世間の皆さんが思って居る以上に 

大変です、経験者しか分からない事が 

沢山有ります。世間の事等気にしない事です 

世間の人は面倒は(野次馬)見てくれません 

 

 

・家庭には家庭それぞれの状況があるので、一概に親を捨てることが悪いとは言えないが、大きな虐待や事情がないのに親の面倒を全く見たくないと考えてしまう人は、その子ども自身にに問題があると思う。 

 

完璧な子育てなんて存在しないし、叱られたり理不尽な思いをすることも子育ての中に入っているんだろう。親だって人間だから、子どもを通じての承認欲求などもあって当然だし。 

 

もし、愛情とか絆が感じられないから親の面倒を見たくないというのであればそれは一度きちんとカウンセリングなりなんなりで消化したほうがいいかもしれない。 

 

 

・ちょうどこういうサービスがないかなと思っていた。 

たまに日帰りで実家に帰っているが、先日実家に帰ったら数日間帰ってきて手伝えという。 

しかし、仕事も友人と遊ぶのも忙しい。 

こういうサービスを利用して、今まで通りお土産でも持ってたまに帰るのが良さそう。 

 

 

・代行サービス使うことも十分に親孝行だと思います。代行費用もけして安くない。 

家族だけどできないこと、家族だからやりたくないこと沢山あります。 

親に感謝して親の介護の一部(直接でもそうでなくても)を担うことが 

当然のことではないと思います。 

寧ろ第三者が入ることでスムーズに進むこともあると思います。 

現在、ケアマネとして仕事してますが、家族って本当に大変です。 

介護保険も万能じゃないですから。 

 

 

・子供が二人いるけど、教育にお金をかけてあげたいし、自分は働けなくなったらそれ以上長生きしたくはないので、安楽死・尊厳死の法整備をしてほしい。 

案外、そのシステムが確立したら、少子化対策にもなるのではと思ってる。老後資金と教育費のジレンマがあるから。 

 

安楽死・尊厳死は、本人の意思をどう尊重するかが一番の問題だよね。 

 

 

・昨日はまた退職代行サービスの記事が出てるなあと思ってたけど、このような仕組みもあるんですね。 

やっと世の中がそうなってきたんだなという思いです。 

登録料44万円はパッと見は高いと思ったけど、これで肩の荷が下ろせるのなら高くはないかな。 

あと、「住民票の閲覧制限」って、今回のようなケースやDVで逃げてる人などに限られてるけど、自分の引っ越し先を知られたくない人ってかなりいると思うので(知らせたい人なんているのか?)、閲覧可能・不可能を自分で選択できるようにして欲しい。 

 

 

・この件にしろ良くも悪くも世の中は団塊世代によって大きく変わった。彼らもフロンティアとして大変だったとも思うが、彼らの数に社会制度やインフラなどが迎合したのは間違いない。核家族や高校・大学への進学、地方の車社会化など彼らの主義にあったもの。その結果良く言われるように、彼らの子供世代が氷河期もして犠牲になり、そして彼らがご卒業されるにあたりその子供世代以降の世代からの揺り戻しが起きている。 

もちろん無意識なのでどうしようもないが、やり過ぎたのだとは思う。 

 

 

・この3月に母親が亡くなりました。 

父親は10年ほど前に他界しており、これで天涯孤独となります。 

母親は無くなる4年ほど前に施設に入ってもらいましたが、それまでの経緯は色々とありました。 

施設に入っているときはコロナ禍で、面会も満足に出来ず、月に1回の自宅への帰宅を約束していたのですが、期間中は4年で1回しか出来ませんでした。 

今は、満足のいく事を出来なかった事を本当に悔やんでいます。 

仕事は今思えば親を施設に叩き込んでまで頑張るような内容ではありません。 

周囲からも下に見られるような状況です。 

この判断ミスは一生かけて悔やむことになるとは思いますが、答えの出ない問題だと思っています。 

お悔やみの言葉も、責任者からだけで、周囲からは全くなく、意趣返しで転職も考えています。 

 

 

・親の面倒を診ない、また診なくてよく立場で自分の人生を全うできる人は、本当に幸せだと思います。 

成功しても失敗してもその人生が私は羨ましいです。 

自分は自身の人生にかなり制限がありました。こんな事なら親を見捨てて好きな事をするべきと後悔している自分がいますが、性格的にそんな事はできないのも解つています。親は私に感謝しているようですが、もう人生は戻ってきません。でも、精一杯生きてきました。 

私より早く亡くなっている人も、障害を持って生きている人に比べれば幸せなのだと思いますが、あーあー、私の人生残念… 

 

 

・私の父の話でいうと、8人兄弟の内の1人が祖母の面倒をみていて、残りの7人が祖母の生活費や手術代などの金銭面をまかなっていた。兄弟が多いと皆で協力出来ていいなと思っていた。私は弟が1人いるが、長年行方不明で実質、親の面倒を見るのは1人だろう。私のように1人じゃないにしても、今の人は兄弟が昔のように多くはない。自分の生活もあるだろうし、遠方に住んでたりする人も多い。だから「親を捨ててる」んじゃなくて、仕方なくそういうサービスを使ってる人も多いんだろう。 

 

 

 

・私の父の話でいうと、8人兄弟の内の1人が祖母の面倒をみていて、残りの7人が祖母の生活費や手術代などの金銭面をまかなっていた。兄弟が多いと皆で協力出来ていいなと思っていた。私は弟が1人いるが、長年行方不明で実質、親の面倒を見るのは1人だろう。私のように1人じゃないにしても、今の人は兄弟が昔のように多くはない。自分の生活もあるだろうし、遠方に住んでたりする人も多い。だから「親を捨ててる」んじゃなくて、仕方なくそういうサービスを使ってる人も多いんだろう。 

 

 

・関わりたくないというより、経済的に困難な人が多いのではないだろうか。例え縁を切る・切られるという状態であっても、介護義務という法律がある以上、子供は親の面倒をみなければならない。それを怠れば罰せられる。仕事を休めない人も多いだろうし、老老介護なんてザラだ。 

 

まだまだ不景気は続いているし、連絡が取れない親族がいる場合もある。これから無縁仏もどんどん増えるんだろうね。 

 

 

・そもそも本当に見捨てるなら、家族代行サービスとか頼まず親に場所とか連絡先を教えないですし、仮にお亡くなりになっても「勝手にしてくれ」って感じですよね。家族代行サービスを頼む人って、親は見捨てたくないけど親の住居が自分の家から遠くてなかなか駆けつけられないから頼んでいるってケースがほとんどだと思いますけどね。 

 

 

・家族代行サービス自体は子供のベビーシッターと同様利用される事に必然性はあると思う。逆に言えば育児代行サービス?などもあっても良いと思う。家族の仲が良い悪いは別にしても家族というくくりの中で自分の仕事や生活を犠牲にしてまで家族に対する義務を追わされるのはおかしいかなと。虐待は子育て、老人介護どちらでもその義務を追わされた人が極度のストレスに晒された時に起こる。家族を中心とした政策や法律に無理があるのでは? 

 

 

・私の祖父母は父の長男家族と同居していたにもかかわらず、何もしない長男にしびれを切らした私の父親が、祖父母の介護から葬儀まで、ほぼ一人でやり遂げた。 

もともと無駄に面倒見の良すぎる父だったので家族は損な役回りをすることが多かったが、何もしない長男夫婦を同時に見ていたのでこのような大人にはなりたくないと、その後、父が動けなくなり自分の番となったが、ごく自然に父の介護から葬儀まで兄弟に負担をかけることなく務めることができたし、ギリギリまで孫を連れて楽しく旅行に出かけていた。自己満足かもしれないが後ろ指刺されるような生き方、後悔はしたくない。 

今は残された母も同居し当たり前のように生活している。もちろん嫁には母の面倒をみてくれとは一切言わないし、母には重い病気になってもつらい闘病生活とならないように父と同様に基本的な病気への対応は緩和ケアのみ、ギリギリまで自由に過ごすための手伝いをする。 

 

 

・最低限の連絡は欲しいが、 

子供の人生、時間を、親のエゴで奪うことはしたくない。子供だってやりたいこと、夢がある。それを応援し、後押しはする。ただ、足を引っ張ることは絶対にしたくない。 

 

子供を育てるのは分かる。能力がないから。老人のサポートは本人たちの努力も必要だし、能力があるうちに手を打っておくべきだと思う。数ヶ月で老人になるわけではない。50超えたら、先を見越してノート書いたりするよう、みんながするべきだと思う。 

 

 

・親は勝手に産むものです。動物の本能なので。なので親には子に対して無条件で育てる責任がありますが子供は親の面倒を診る義務はないです。 

ほんとにその通りだと思います。ただ経済的な問題で収入の少ない親は子供に頼りがちです。 

あと恩着せがましい親も多い。ここまで育ててやったとか、どれほどお金をかけてやったかなどと言われてやむなく面倒見てる人も多いのでは。 

ただ、育つ過程で親に対して自然に愛情や感謝の気持ちは湧くものです。 

それらは、親子関係が良好であるかどうかは大きく関係してると思う。 

ちなみに自分の両親も子供に頼らず生きると決めていたが、自分は愛されて成長したので両親に感謝しかない。なので父の最期を家族で看取り、母も温かく看取るつもりです。 

 

 

・肉体的な疲労はね、時間が経てば回復するんですよ。 

でもね、精神的なものは時間が経っても回復しない、元には戻らないんです。 

親を捨てる、一見横暴に聞こえますが、その横暴を逆に親から受けた者は、それが正義で良いと思いますよ。 

親は神様ではないし、ましてや歳を取ったらただのワガママ・駄々っ子に幼児帰りした場合は、捨てましょう。 

自分もワガママだった頃(何をワガママ言ったかは記憶にない)は、親に捨てられ何回家を追い出されたことか。 

結局、自分に返ってくるということです。 

 

 

・親の看取りも相続も大変すぎて、自分の子供にこんな思いはさせたくない。 

でも自分の死亡届は自分では役所に出せない。 

家制度が残っているから、どうしても血の繋がった家族に迷惑がかかってしまう。 

死ぬ前に色々備えても、何も残さず迷惑かけず死ぬなんて不可能に近い。 

結局は、残された子が遺産もらえるなら残務処理してやるか!と思える程度の現金を残すために一生懸命働くか…と思っている。 

 

 

・まあ、いいんじゃない。自分もそれそうおうの覚悟をしていると思うので、 

 

わたしは自分の親の家で最後ヘルパーさんに入ってもらって亡くなるまで見ていた。施設に預けるつもりが結果そうなった。 

 

自分は、面倒見てくれる人はいないと思うってます。 

 

人にまかせれば楽です。楽した分は何処で帳尻があいます。自分も覚悟をしてください。因果応報ですから。 

 

 

 

・毒親だけに限ったことではない。 

自分の家庭を持ち、いまそれで妻はパートもしながらが子育てや諸々あれば誰だって軽いストレスは掛かるだろう。 

 

たまに、自分の老後は自分で考えるという親御さんはいて、そちらが基本だと思う。何も考えず、子どもにも伝えずどうしよう、どうしようで、結局子供に世話になる形は、子どもが不幸。もしものことも想定して自分で考えられている親は素晴らしい。 

病院に定期通院するにしても、タクシー呼ぶなりすればいいし、福祉サービスを受け入れれば良い。あれは嫌これも嫌言っていたら、何もできない。で、結局子供らがその対応に関わるほかなくなる・・。 

親を捨てるまでいかなくとも、部分的に関わりが疲れるタイプが多いのではないか。 

今後、こういったサービスの需要は拡大するのではないか。 

 

 

・毒親は自覚がないでしょう。だからこそいざ捨てられた時に「なぜ?」となるのではないでしょうか。 

自分はどうなんだろうと、いつも考えます。 

ただ、介護や認知症などで子供や妻の人生を振り回す事だけはしたくないので、自分から離れようと考えています。家から出て高齢施設かな。 

幸いにそのための資産も用意できたし、子供や妻に十分な資産も残せる。自分はすっからかんにして最低限の生活でよいです。 

ただ、子供にしたら「親を捨てた」と負い目を感じてほしくないです。その時は事故に見せかけた自殺かな。 

 

 

・捨てるわけじゃないですけど、 

別居しているとして、定期的に様子を見に行くとか、 

同居して面倒を見るとか、 

難しいところはありますよね。 

こちらにも生活があるわけで。 

なので、ホームに入ってもらって、 

たまに会いに行くってのが現実的な線かと。 

自分がその年齢になったときもそれで充分だと思ってます。 

 

 

・核家族化した結果、家族の一人が不調になると、それぞれ一人一役割出回ってる家族は機能不全になって回らなくなった。 

家族主義ではなく個人主義の社会になった結果、トラブルが起きた場合の負担を分担する受け皿がなくなりなんでも行政や民間サービスに頼ることになった。 

 

子供を育てる余裕も親を労わる余裕もなく、さらにはみんな自由に引越しをし地縁も育たずコミュニティが消えた。過去の体制に戻れとは言わないけど、個人主義、自由主義が浸透した結果、増幅した問題だと思っている。 

 

 

・将来 自分自身に家族がいないため、代行サービスを頼もうと 考えています。実験的に親がそうなれば、サービスを利用してもらって様子見ようかとも考えています。 少子高齢化が益々進むので 一番いいのは自治体がそう言ったサービスを定着化させる事だと思います。 

 

 

・まぁ自分が子供にちゃんとしてあげなかったんだから子供に冷遇されるのは当たり前だよね。 

しかしこの代行サービスすっごく高いね。 

自分も子供がいるけど子供の手を煩わせてまで生きたくないよね。 

私今30代だから死ぬ前位には安楽死の制度出来てて欲しいなって切に願う 

最後の日は皆集めてパーティーして感謝の言葉を皆に伝えてパッと死んでいきたい 

凄く幸せな最後だと思う 

 

 

・幸いなことに、私自身は親に感謝しているし受けた愛情をお返ししたいとも思っている。 

だが世の中には毒親と言われるように、子供から見捨てられても仕方がないような仕打ちをしてきた親がいることも事実。言い換えれば、子供が親を捨てる前に親が子供の人生を奪っていたとも言えると思う。 

当然一部は愛情かけて育てても周りの影響で碌でもない子に育つこともあると思うが、残りは親の子育ての失敗の影響が大きいと思う。 

 

 

・子育てして、両親も共働きで税金払って、PTAして自治会して、それに意外に子供に「学習面ではない微妙な」支援がいるってケースもあるし(数的にクラスに何人か)、じゃぁどこの誰に何ができるの?ってところになっちゃうんじゃないのかしら。 

 

任せることができるのなら任せたほうがいいし、見捨てるとは違うんじゃないかな。 

 

場合によっては子育てもそうだけれど専門家の方が問題の発見・上手な対処も、アドバイスもいいと思う。 

介護は進んでいくものだから、素人だと変わり目が判断できない。 

 

もちろん家族の変わりは誰にもできないから、そこはそこ。 

 

介護する側・介護される側の線引きを家族とケアマネジャーとで引きながらのものだと思う。 

 

働き方とか、賃金のあれやこれやで受け皿の側のキャパがおかしくならないか心配しています。 

 

 

・晩婚で子供のいない姉のことを姉のいないときとはいえ「子供産まないと高齢になった時に誰に見てもらうのか」と心配して話していたのを聞いた時将来面倒をみてもらうために私たちを産んだのか?とおもった 

介護施設などにお願いするにしても子供手を借りることはもちろんあるだろうけどその考え方が嫌すぎて母に心が寄り添わない 

それだけが理由ではないけども 

私は子供がいるけど子供の生活を煩わせたくないと思っている 

 

 

・親を捨てるとか親子の内情的なものとは別に、今後子なし独居老人が増えまくるから何かと需要あるだろうね。ケアマネの範囲拡大版みたいな。 

孤独死、行き倒れ、行方不明。亡くなる当人は良いだろうけど、周囲には迷惑でしかないので、”最後くらいは迷惑かけても許される”とかふざけたこと考えずにエンディングプランをしっかり用意してくださいね。 

 

 

 

・親を捨てるとか親子の内情的なものとは別に、今後子なし独居老人が増えまくるから何かと需要あるだろうね。ケアマネの範囲拡大版みたいな。 

孤独死、行き倒れ、行方不明。亡くなる当人は良いだろうけど、周囲には迷惑でしかないので、”最後くらいは迷惑かけても許される”とかふざけたこと考えずにエンディングプランをしっかり用意してくださいね。 

 

 

・家族代行サービス。利用したいな。両親は早くになくなったが、精神病の姉がいる。 

2人きりの姉妹で親族も遠方で誰も頼れなかった。病院に長期療養入院になって、やっと平穏が訪れた。あのまま自分1人で向き合っていたら、私が自殺していただろう。親だけではないです。精神病の兄弟の世話も我慢の限界がくる。 

 最近私自身が癌になり、姉より先に死んだら今の家族(私の配偶者と子供)に迷惑をかけたくないので、姉といっしょに死ねたらいいのになんて思う時がある。それぐらい家族という鎖をつなげる日本の風潮、制度を恨んでいる 

 

 

・3組に1組が離婚すると言われている時代… 

未成年の内に養子縁組をしなければ、離婚して疎遠になったほうの親の扶養義務は続く… 

 

何十年も会っていない親の介護連絡や死亡連絡は戸籍を辿って来る可能性がある。 

死亡については警察などから連絡あっても遺体は引き取らないでよしとされるようだが、介護については地域包括センター等にでむかないとならないそうで… 

 

親同士は、遅くても離婚して子供が成人したら他人になれるが、子供は扶養義務が続く… 

 

子供にとっては、可哀想な話だと思う。 

 

私の旦那には養育費払わず家族に対してDVの毒親だった子供頃に両親の離婚で疎遠になった父親がいる。 

旦那の父親は後期高齢者になったくらいの年齢のはず… 

子供の頃の恐怖があるそうで、地域包括センターに質問に行ったり事前に調べました。 

 

子供の親に対する扶養義務の法律、改正してもらえませんか? 

 

 

・「捨てる」ってどういうことなんだろうね。 

介護は”誰にでもできる”と思っているのからこそなんじゃないだろうか? 

代行っていうのは、いろんなことがある。 

家の建築だって医療の手術だって、ある意味で代行業でしょう。 

出来ないことをやってもらって、その代わり自分は出来ることで得た金をお礼と対価として渡す。 

真に「捨てる」とは代行サービスも使わないで、連絡を絶って一切関わらない事じゃないかな。 

代行サービスでお金払ってるんならば、捨ててないと思うなぁ。 

介護は誰にでもできるのに、その労働を「代行」などあるはずがないという大前提での話。 

 

 

・少子化で兄弟数が少なくて、子が親の近くに住んでない場合も多い。 

介護認定外の親を世話するために、仕事休める制度が日本にない。 

高齢になると、介護認定されてなくても、電球の交換など高い場所の作業できなくなる。家電や水回り、電気、スマホなどが苦手になる。そして、助けてもらいたい時は、子がいない曜日や時間帯の場合が多い。 

 

 

・壮絶な虐待で吐き気がする… 

 

未就学児の子がいますが、 

定規で叩いたりなんてとんでもない。 

ショックを受けた顔を見るだけでこちらの胸も締め付けられる。 

夫が子に求めるものが高く、怒られているのを見るだけでも「私の子に何すんの!」という気持ちになってしまう。 

 

とはいえ私も余裕がなくて厳しく接してしまうときがある。 

「自分は毒親になっていないか」と苛まれることも。 

 

教育虐待は特に気を付けたい。 

良い教育、良い学校を受けて欲しいと思うが、 

自分のためではなく、 

本当の意味で子どものためになるように自分を律していきたい。 

 

老後も子どもに負担かけないように今から経済的にも肉体的にも整えておかねば。 

 

 

・親から虐待まではいかないけど精神的口撃を受けて育ったからこういう人たちの気持ちはわかる。昔は親を敬い尊敬しなければならない。それができない人は人間の屑みたいな風潮があった。今こういうことをきちんといえる人が増えたことはいいことだと思う。手続きや金銭的援助をされているなら扶養義務も果たしている。世の中の親が全部慈愛に満ちているとは思わないでほしい。昔の人は特に結婚して子どもを生み育てることが当然とされてきたから、それに向いていない人も親になることもある(というか今も)。子どもの頃にされたことは一切記憶から抜けている人と、自分のようにずっと覚えてる人がいて皆それを抱えて生きてると思う。 

 

 

・家族を持てば親より子供や女房の方が優先になるでしょう 

 

昔のように長男が家を継ぎ、家族全員を養う生活習慣が無くなっただけでしょう。 

 

私も今年50になります。 

 

足腰も弱くなって身内や他人に介護されるようになる前には逝きたいと思う。 

 

あと20年くらいは、出来るだけ後悔しないような人生にしたい 

 

 

・親としても子供には本当にお世話されたくないよ。  

自分の人生をちゃんと生きてほしい。まだ子供は幼いからわからないけど、結婚して家族ができたらその家族を大切に幸せに暮らしてもらえたらそれが幸せ。  

たまに母ちゃんにみんなで顔を見せてね、って感じだけど。    

でもそう考えた時に思うのは  

親を捨てる、という気持ちになるのは親が子離れしてあげてないからだよね。  

自分のことはほっといて、と言えないからだよね。  

逆にほっといてね、と言える親なら子は見放さないように思う。 

 

 

・昔々は姥捨山のような悲しい話が日本中にあるわけだけど、あれって時代の先取りだったんだね。結婚や子供に関しては急速に価値観が変わってきているし、もう10年か20年もすれば、「親を捨てる」のは一般的な選択肢の一つになるんだろうね。そもそも、「子供なんていらないでしょ?」はごく一般的な選択肢になっているんだし、その先には「親の面倒を子供が見るって、意味わかんない」の時代が来るんでしょうね。 

 

 

 

・宗教と貧困で散々な子供時代だった。 

大人になって職場の人に笑い話として話したら「え、それ虐待ですよ…」と引かれ、色々考えるようになった。 

 

その後、父ががんになった。 

あんなに憎かった父親が弱々しく朽ちていく様を見て、誇らしくなるか、ざまあみろと思うか…自分の心を確かめたかったから、行政サービスも利用しながら介護して最期を看取った。 

 

涙が止まらなかった。悲しくてたまらなかった。 

どんなに憎かろうが殺したかろうが、幼い頃の小さな思い出が宝石のようで、そこはかとない血の繋がりと愛を感じた。 

 

もし家族代行サービスを利用していたら、きっと今も憎いままだったろうと思う。 

親から逃げることは、自分の心や存在とも逃げる事だと思う。立ち向かう事で、区切りがつけられる関係や人生もあると感じている。 

 

 

・私は、3兄弟の真ん中。上が浪人のうえ、東京の私立大学で湯水のごとく金を使い、下は勉強が出来ず、地元の受け皿的な私立高校に行き、そして料理人になると言い、短大、留学とこれまた湯水のごとく金を使った。 私は空気を読んで自転車で通える地元の県立高校へ行き、大学は辞退した。 自転車さえ買えず、親戚のお古を与えられた。 高校在籍あたりから10年間くらい。経済的な苦しさからか、両親は大酒を煽り、私を精神的にいじめた。無視、罵倒、嫌味の山々。  

私はいま、40代で、親は死にかけている。とてもじゃないが「いただいた恩」を動機に介護には向き合えない。心から拒否している。 

 

 

・いいんじゃないの? 

需要と供給がマッチしたビジネスなんだから。 

遠くに住んでる親を施設に入れようとしたら 

自分たちで動いたら大変だもの。 

そんなしょっちゅう遠いところを行き来できないだろうから。 

代行してくれるなんてありがたいこと。 

 

親を捨てる、 

それは長年の親子関係からどうするか選択すればよいわけで。 

ただ、自分たちも将来は代行に頼まれて 

1人入所するんだろうな、とは思う。 

お互いそれで気がラクだったらそれでよし。 

寂しいなと思うのであればそういう姿勢を子に見せてきた、もしくはそういう関係性しか築けなかったと諦めるしかない。 

 

 

・捨てられるような事をしてきた親の問題と 

親を捨てるような子供に育てた親の問題だとは思うけど 

社会生活をする上で道徳や倫理の問題だけでは片付けられない物理的な問題もあるわけだし 

家族代行サービスに依頼するというのは最低限の世話であってそもそもそれを親を捨てると表現するのは間違ってると思う 

 

 

・私は保育園頃にはいつもイライラしている母が怖くて、同居している祖母にベッタリ 

自分が母親の様になるなら子供は産みたくないと思う様になった 

その考えは今も変わらないけど、母も親としての人生=私の年齢だから、親としての判断を失敗することもあるよなぁと思ったり、働く年齢になってからはここでさらに子育てもしていたのかと考えると、母ばかりが悪いわけでは無いんだと感じる様になった 

だから私には母を捨てる決断ほできないと思う 

 

 

・親を捨てると言って脅迫するのは良くない。 

 

単純に生活ができないだけ。 

経済的に余裕があれば、ほとんどの人が親を大切にしたいと思っているけど、多くの高齢者がわがまますぎるから、こうなっている。 

 

例えば、給料から引かれる保険料で、健康保険料は高すぎる。 

この医療費を現状のままにしたいと高齢者たちが望むので、健康保険料は高くなるし、消費税も下がらない。 

 

80歳以上の高額医療は、自己負担を3割で控除無し、とするなら、 

健康保険料と介護保険料が下がって、 

親を見れる子は多くなり、 

多くの高齢者は幸せな老後になるんだろうね。 

 

 

・こんな、サービスあったんですね。義父は、職業は立派だったんだろうけど、何にも夫婦で決めてなくて、結局、兄弟(子供)のどちらかに頼ろうみたいな思いがあったんだと思うけど、お互いの家に行っては、嫁の悪口を言い、結局、財産の事もお義父さんの遺言すらなく、現在はトラブって、兄弟の仲は、無縁となってしまいました。様々なサービス使ったりして、できるなら、親は子に頼らず、死に際まで一応決めるのが、私は良いと思いますし、トラブルは避け、死に際には、ありがとう、と感謝して、死にたいですね。 

 

 

・『捨てる』という表現はやめてほしい。 

介護につなげる方法の1つで、捨てるとは違うと思います。 

 

田舎の農家出身の為、幼少期からの嫁姑舅関係、介護、ヤングケアラーを経験してきました。完全にトラウマになっています。 

 

夫は長男。 

義両親の今後のこと、毎日不安でたまらなく、動悸がして苦しい。 

 

義理親は介護経験は無く、私たちに頼る気マンマン、憂鬱です。心が壊れそう。 

このようなサービスが一般的になることを望みます。 

 

 

・人間は、生まれてくるのも一人…死ぬのも一人…私は子供を捨てて入るので 

うちの両親は孫が可愛くて子供が嫌いで家を出され一人息子(8歳の時)出ていけと言われ疎遠こそならないが、息子も都会に行く訳でもなく祖母と暮らしいる不思議な家庭です 

 

 

・自分(40代)も悩んできた。父は身体的暴力はしなかったし、普通に働いて、食べさせてくれた。そこは感謝してる。でも毎週末パチンコ、自分の稼ぎだけじゃなくて妻(私の母)のお金も使い込み、家族への暴言、ずっと皆父親に気を使って暮らしてた。今父親は70代。年々、自分中心の考えが強まって、妻(母)への暴言や行動の制限など精神面のDV、私とも誰とも会話が成り立たない(間違ったことや人の悪口を言う。否定すれば激高、仕方がないから黙っているとまた激高)、たまに子供を連れて実家に行くと子供たちに嫌味を言ったり、片方を優遇したり(幼児なのに)、で子供を守るために2年前、縁を切りました。もし母が先に死んだら、自分が父(家事など一切やらない)をどうにかしないといけないけど、お金で解決できるようにお金貯めます。親戚は「親子なんだから」など言いますが、人格に問題のある親を持つ辛さは、当事者しか分からないと思う。 

 

 

 

 
 

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