( 165123 )  2024/04/29 16:54:42  
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所属グループ「Mirror,Mirror」のステージで愛嬌をふりまく雲丹うに(写真:カネコシュウヘイ) 

 

超名門校出身者ばかりの家系で、一人娘として育ったアイドル・雲丹うに。 

自身も「東京大学」を卒業し、「東京大学大学院」を修了。現在は、アイドルグループ「Mirror,Mirror」の一員として、力いっぱいのパフォーマンスを見せる。 

教育熱心で厳しい両親のもとで育ち、中学から高校にかけては部活に入らず、「東大合格」の一心で猛勉強。1浪を経ての東大進学後、青春を取り戻すべく、アイドルのコピーダンスサークルへ入ったのが、彼女の転機となった。 

 

【写真で見る】「本当は言いたくなかった」東大→東大院修了“肩書の葛藤”を抱える“高学歴アイドル”雲丹うにさん、その素顔 

 

ただ、その道のりには苦労もあった。 

東大院でプロのアイドルとしてステージデビューするも、両親には明かせずにやむなく就職。大学院修了後の約4ヵ月はアイドルと銀行員を兼業し、親元から離れた。 

「親はいつになれば、私を認めてくれるのか」とポツリ。ステージで笑顔を見せる雲丹の歩みをたどると、稀有な人生像が見えてきた。 

*この記事の前半:「東大→東大院」アイドルの“超壮絶すぎる青春” 

 

■いわゆる“前世”を持つアイドル 

 

 東大、東大院を修了。大手銀行に就職して約4カ月で退職、専業アイドルとなった雲丹うにのキャリアは異色だ。 

 

 大学時代に「友だちを作りたい」として、アイドルのコピーダンスサークルに入ったのが分岐点になった。 

 

 直近でも、クイズ番組『ネプリーグ』や、芸能人がテストに挑む『呼び出し先生タナカ』など、地上波の人気テレビ番組に相次いで出演。 

 

 ソロタレント“雲丹うに”として、忙しない日々を過ごす。 

 

 しかし、彼女のホームはテレビではない。ライブハウスを中心に活動するグループ「Mirror,Mirror」のステージだ。 

 

 グループの結成は2021年夏で、2022年1月にお披露目。雲丹自身のキャリアとしては2組目で、アイドル界隈でのいわゆる“前世”を持つ。 

 

 キャリア1組目では、軽い気持ちでプロのアイドルの世界へ飛び込んだ。しかし、現在の「Mirror,Mirror」では“ガチ”でステージに。 

 

 ただ、飛躍の背景にある「東大卒」の肩書きを名乗るのは、当初「嫌だった」という。 

 

 その真意とは、何だったのか。 

 

 超名門校を卒業した両親のもとで、一人娘として育った雲丹。 

 

 

生い立ちの詳細は、本稿の関連記事「「東大→東大院」アイドルの“超壮絶すぎる青春”」で紹介している。 

 

 小学校時代には中学受験に挑戦。 

 

 進学校へ入学してからは部活にも入らず猛勉強に励み、誰もが経験するであろう「青春」を味わってこなかった。 

 

 中高一貫校での6年間、1浪時代の1年間。のべ7年間にわたり、東大合格のためにと一心に勉強。 

 

 東大進学後にようやく、自由を謳歌できるようになった。 

 

■前グループの空中分解を経て「Mirror,Mirror」に 

 

 アイドルの世界に飛び込んだのは、東大の2年次だった。 

 

 ふと「団体生活を経験していないのはヤバい」と思い、アイドルのコピーダンスサークルに加入した。 

 

 運動が苦手なため「体育会系のサークルはムリだ」と判断し、代わりに「かわいいモノやかわいい子には興味があるし、かわいいダンスならばできるかも」と考えての決断。 

 

 大変さはあったが、中学から高校にかけての部活で「周りのみんなが味わってきた青春はコレだったんだ」と感じ、ステージへ立つ喜びを知った。 

 

 サークルは4年次に卒業。再びの転機は、東京大学大学院農学生命科学研究科への進学後に訪れた。 

 

 大学院の1年次にふと周囲から、セルフプロデュースでアイドルグループを立ち上げる話が舞い込み、再びアイドルのステージに。 

 

 ほんの軽い気持ちで加入を決心し、メンバーの1人“UNI”として活動。 

 

 しかし、グループ内の「ゴタゴタ」により、わずか「8カ月ほど」で、空中分解するかのように「解散」してしまったという。 

 

 内心では「これが最後のアイドル経験になるのは嫌だ。もう一度、チャンスがあれば」と願っていた。 

 

 そのさなか、大学院の2年次に知人経由で舞い込んできたのが「Mirror,Mirror」立ち上げの話だった。 

 

 すぐに「人生初のオーディション」を受けて、合格。2021年夏のグループ結成後は、大学院と並行して歌やダンスのレッスンに励んだ。 

 

 2022年1月にあったお披露目のステージでは、ライブアイドルとしての先輩にあたる二丁目の魁カミングアウト、クマリデパートらと共演。 

 

 空中分解を遂げたキャリア1組目とは「格が違う」と痛感し、アイドルに対して“ガチ”になった。 

 

 

 それ以降、ステージからは客席へ熱視線を。 

 

 自身のメンバーカラーである“白”のサイリウムを持たないファン、いわゆる“推し”でないファンとも「必ず目を合わせられるように」と意気込む。 

 

 キャリア1組目の空中分解を経て、2組目の「Mirror,Mirror」へ。2021年夏のグループ結成後、就職活動をしていたとは驚く。 

 

 当時は大学院の2年生で、卒業後は「アイドルを本業に」と願っていた。 

 

 それでもなぜ、就職活動を“せざるをえなかった”のか。 

 

 たどってみると、その流れと心中はやや複雑だった。 

 

■「母はいつ私を認めてくれるのか」とポツリ 

 

 東大院修了を半年後に控えた、2021年夏だ。 

 

 一人娘の将来を案じたのか、雲丹の実家では「史上初の家族会議」が開かれ、母が「あんた、就職どうするの?」とつぶやいた。 

 

 厳しい両親のもとでは、アイドルとしての活動は「内緒」にするしかなかった。家族会議の空気は重く、返す言葉もない。 

 

 当時は結局、観念して「いったん就職して、行方をくらまそう」と決意したという。 

 

 しかしいざ、就職活動をしようにも「秋採用」を狙うしかなく、候補となる企業数は多くない。 

 

 そこで「東大卒、東大院卒の肩書が重宝されそうな有名企業」にしぼって「3社」だけエントリーした結果、大手銀行の内定を得た。 

 

 2022年1月には「Mirror,Mirror」がステージでお披露目されて、3月には東大院を修了。4~7月までは、銀行員とアイドルを“兼業”した。 

 

 その後、銀行を退職直前に「ギリギリもらったボーナス」も使い、願いどおりの一人暮らしを叶えて、親元を離れた。 

 

 ただ、地上波のテレビ番組にも出演する現在となっては、両親にアイドルの活動が“バレて”いないのかは気になる。 

 

 尋ねると、父は「応援」しているそう。 

 

 実は、銀行を退職した当時、雲丹の父は「もっといい生き方があるはずだ。東大へ行ったんだし」と難色を示していた。 

 

 しかし、たまたまテレビで雲丹の活躍を見た父の同僚が、父をライブに誘ってくれたのをきっかけに、今では活動を温かく見守ってくれるようになった。 

 

 ただ、「母は応援してくれているのかな……」とつぶやく。加えて「連絡を取っていないし、私の活動を見ているかも知らない」と吐露。 

 

 

 実家で暮らしていた当時、現在の真っ白な髪色にして「『ご近所さんに顔見せできない見た目』にするのはやめなさい」と諭されて以降、会話をした記憶は「ない」という。 

 

 母は今、何を思っているのか。察するしかできないが、雲丹は「いつになれば、私を認めてくれるのか」とポツリ。 

 

 それでも、育ててくれた感謝は心の中にずっとある。 

 

 母も応援してくれていると信じて、現在は、地上波のテレビ番組でソロタレントとしても活躍するほど、活動は順調だ。 

 

 背景には「東大卒」「東大院修了」という、誰もがうらやむ肩書があるのも明らか。 

 

 しかし、雲丹自身はプロのアイドルとして、ステージに立ちはじめてからしばらくは、肩書を誇示していなかった。 

 

■「学歴は努力の結果」と悟って前面に 

 

 東大院の1年次、キャリア1組目のグループに在籍していた当時は、東大卒の肩書によって「ミーハーな人たちがたくさん来たら、嫌だ」と思っていた。 

 

 「東大のフィルター」はなしで見てもらいたい。あくまでも勝負するのはパフォーマンスで「アイドルにしては、頭の回転が速い」と驚いてもらいたかったという。 

 

 しかし、現在では「グループのためになるなら」と心境は変化。 

 

 「学歴は努力の結果」と悟り、前面に出している。グループの特典会では、地頭のよさから「話せば面白そう」として、足を運んでくれるファンもいると喜ぶ。 

 

 活動の幅が広がるにつれての苦労も。 

 

 ステージではリラックスした表情で愛嬌をふりまくが、テレビ出演では「緊張」も絶えない。 

 

 ただ、慣れない環境だけが理由ではない。そこにも、育った家庭環境が影響しているのは、雲丹らしいと思える。 

 

 東大合格を目指していた中学校時代、高校時代は、実家で「ニュース番組と、自然の風景を流す番組しか見られなかった」と回想。 

 

 当時は、学校で友人が「月9が~」と話していても「何のこと?」と聞き返すほどで、バラエティ番組などは「ほぼ見てこなかった」という。 

 

 ただ唯一、水曜日の夜だけはチャンスが。親が趣味のヨガへと出かけている間だけは『クイズ! ヘキサゴンII』と『はねるのトびら』を見られた。 

 

 とはいえ、両親の「下品な笑いが好きじゃない」との持論を理由に「みんなが当たり前に知っているテレビ番組」を見ずに過ごしてきた、青春時代の“ブランク”も。 

 

 テレビ出演時には「失礼ながら、共演者の方がわからないときもあって……」と苦笑する。 

 

 はたから見れば“超温室育ち”で、青春時代のバラエティ番組にほとんどふれてこなかった雲丹が、芸能人として知名度を高めつつあるのは数奇だ。 

 

 しかし、その純粋さも、彼女ならではの持ち味といえる。 

 

 自身で「向いている」と胸を張るアイドルとして、ソロタレントとして、その未来はきっと明るい。 

 

*この記事の前半:「東大→東大院」アイドルの“超壮絶すぎる青春” 

 

カネコ シュウヘイ :編集者・ライター 

 

 

 
 

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