( 165340 ) 2024/04/30 14:51:05 2 00 宿題もリポートも生成AIが作った「正解」丸写し、教諭は嘆く「これじゃ無料の代行業者だ」読売新聞オンライン 4/30(火) 5:06 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/dfde8c8269f168869cedec168355a5666d66bca6 |
( 165343 ) 2024/04/30 14:51:05 0 00 「これじゃ、無料の宿題代行業者が現れたようなものだ」
【グラフ】生徒が学習でAI使用…高校教員の35%は「自由に使うべき」
東京都内の私立中高一貫校の英語科教諭(56)はため息をついた。昨年度の冬休み、中1の生徒に英語で日記を書く宿題を出したところ、現在完了形など教えていない英文法が使われ、ミスもない「素晴らしい英文」の日記が、何人もの生徒から提出されてきたのだ。
生成AI(人工知能)が使われたことは疑いようもない。この教諭は「宿題は、英語を使う習慣を身につけ、文法の復習をしてほしいから出してきた。間違いを指摘されて学ぶことは言語習得には不可欠。生成AIが示す『正解』の丸写しから得るものはない」と嘆く。
生成AIへの依存を強める生徒たちの実態を前に、この学校では春休みから英作文の宿題を廃止した。
(写真:読売新聞)
国立情報学研究所の佐藤一郎教授(情報学)は「学習に後ろ向きな生徒は生成AIに頼り切りになり、思考力や創造力の育成が阻害される。学力格差が広がる恐れがある」と警鐘を鳴らす。
大学での影響はさらに深刻だ。
龍谷大(京都)の野呂靖准教授(仏教学)は昨年7月、ある学生の発表したリポートに違和感を覚えた。日本語として誤りはないが、内容に具体性がない。挙がっていた参考文献の著者名は実在の人物だったが、書籍は存在しないものだった。
学生に問いただすと、「文章にまとめるのが苦手で生成AIに書かせた」と認めた。野呂准教授は「拙くてもいいから、自分で考えて書くのが大切」と諭し、やり直させた。
昨年春以降、全国の大学で、リポートなどで許可なく生成AIを使用した場合は不正行為として処分対象になりうるとの注意喚起が相次いだ。不正が発覚した学生の成績を下げたり、単位を取り消したりした例も、複数起きている。
だが、露見するのは氷山の一角だ。東京都内の私立大学に通う2年生の男子学生(19)は、「興味がない必修科目のリポートは基本、生成AIに丸投げ。不必要な時間をとられたり、不完全なリポートを出して単位を落としたりしたくない」と悪びれる様子もない。
2022年11月にチャットGPTが無料公開され、急速に社会に浸透する生成AI。学校でも利用するよう求める声があがる。
文部科学省は23年7月、小中高校向けのガイドライン(指針)を公表した。「一律に禁止や義務づけを行うものではない」としたことで、「学校での使用に事実上のゴーサインが出た」(都内の小学校教員)との受け止めが広がった。
今年2月に開かれた文科省主催のシンポジウムでは登壇した大学教授が「AIを使える人と使えない人の格差が開く。教育の仕事は、一人でも多くAIを使えるようにすることだ」と訴えた。
学校の情報教育を支援するNPO法人「みんなのコード」も「子供たちがAIに触れて、仕組みを理解することが欠かせない時代」として、学校向けの生成AIを無償提供したり、教員研修を開催したりしている。
文科省は昨年度、生成AI利用の研究校に全国の小中高校52校を指定した。「生成AIに意見を求めたら、高齢者や妊婦など、生徒にはない視点が出て、生徒の話し合いが深まった」と評価する教員もいる一方で、「生成AIはすぐに正解を教えてしまうので、子供が深く考えなくなる」と戸惑う声も漏れる。
東京大の酒井邦嘉教授(言語脳科学)は「思考を深めるには、相手の意図をくみながら対話をし、自分の考えを揺さぶる必要がある。意図もなく文を合成するだけのAIで代替できるものではない。生成AIが本当に子供の思考力を育むのか学校は立ち止まって精査すべきだ」と訴えている。
社会の様々な分野で生成AIの利用が急速に拡大している。利便性の向上に期待が集まる一方で、弊害も生じ、国民生活の場では戸惑いも広がっている。教育や行政、ビジネス、医療、スポーツの現場から、課題と対策を探る。
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( 165342 ) 2024/04/30 14:51:05 1 00 (まとめ) AIの登場により、教育のあり方や学習方法に大きな変化が起きています。
生成AIを使った宿題やレポート提出については、自己研鑽や批判的思考に影響を及ぼす可能性や倫理的な問題が議論されています。
一方で、AIを適正に活用することが重要であり、AIを利用することで得られる効率化や学習のサポートも確認されています。
今後の教育においては、AIを含めたテクノロジーの活用方法や学習環境の整備が重要になると考えられています。 | ( 165344 ) 2024/04/30 14:51:05 0 00 ・教員ですが、生成AIの問題は校種問わずあります。私達はよほどの確信がない限り、不正をしたか尋ねることはないので、レポートなどを宿題で出すのは今後難しいと思っています。 だから書かせるなら授業内かな…と。たまに社会に出て生成AI使うことはあるから、学校でも…と言う意見も出ますが、それだと文章力が育たずAI使っても推敲できないんですよね。
・これからはAIを使いこなす力を身に着けさせるということで使用についてはとやかく言う必要はないと思う。問題はAIが生成した文章をそのままだすことであって、おかしな文章などに気づける力、記載内容が真実かどうかを検証する力を養わせればよいのだと思う。 計算機が普及している時代にそろばんを使って計算しろと言っているようなもの。社会人になると誰も使わないのに学生に使用しろと言っても無理がある。古い文化を体験させるのはよいことであるが、新しいツールを使いこなせる能力を磨くほうがより重要だと思う。
・AIの登場は英語教育のやり方の課題を浮き彫りしたに過ぎません。学校における英語の教え方を根本的に見直す時代になったということでしょう。そういう意味では作文の宿題を止めた事は正解だと思います。 文学は別として、いずれ(既に)翻訳作業に人間の出る幕は無くなるでしょう。 コミュニケーションツールとしての英語は文法や単語の記憶より前に「音として聴き取れる」事が基本です。「勉強」とは異質なものかもしれません。 学校教育から英語を外す(英語は他の場所で身に付ける)という選択肢もあります。
・技術の進化で、人類はまず単純な肉体労働から解放されてきた。その過程で人々の身体能力は衰えているが、一方で一部の肉体エリート(アスリートなど)は過去の人類では不可能だった身体能力を身につけている。一般ピープルは余暇の楽しみや健康維持のためにスポーツを行う人もいる。 これからは単純な知識労働からの解放が始まる。大多数の人々はそれにより基本的な知的能力が退化していくだろう。一方で一部の知的エリートはより高い知的能力を身につけていくのかもしれない。知的作業は少数の職業エリート層、趣味的に知的作業を楽しむ層、そしてまったく遠ざかってしまう層に分かれていくのかも。
・時代だなと感じます。 例えば英語の日記で完璧なものを作り上げてきた生徒には提出物を返却する時にクラスみんなの前で 「完ぺきだったよ。こんなにできるなら次回のテスト期待しているよ」 と、ほめてあげるといいと思います。
AIを使うなとは言わないし、ある種AIを適正に使えるようになることは時代に合わせた教育だと思います。 しかし、同時にAIを使うことで自身の首を絞めてしまうという事をどこかで教えることも必要になってきているのだろうと思います。 課題が完璧でも大学受験の時などはAIは使えないわけですし、勿論テストの時も使えない。
時代に合わせて教育の方法を変えるのは大変だろうけれど、教育者側が合わせに行くしかないのだろうなと感じます。
・自分が中高生の頃は、スマホなんてもちろんなくて携帯がやっと普及し始めた頃。 英文を訳すのも、片っ端から知らない単語を辞書で調べるしかなかった。なので英文訳の宿題は目茶苦茶嫌いでした。 今や翻訳アプリを起動させてカメラをかざせば日本語訳が出てくる時代。もちろんよく見ると日本語として変なところもあるから、見直しは必須だけど凄い時代だなと思いました。1時間近くかかった宿題が一瞬だもん。自分でやる事が正しいけど、これだけ身近に使えるものがあると『分からないな』と思ったらアプリかざしちゃうよね。 これからの時代、ますます発展して精度が上がるAIを切り離すことはできないけど、学ぶ中でどれだけ自分を律することができるのか?自分の力でやろうとする意思を持てるか、で変わってくると思う。
・あまり嘆くことではないと思っています。生成AIが答えられない問題を出題するように教える側も変化すれば良いだけです。知の探求。答えはないことを考える問題です。辞書をひけば分かるような問題は評価ポイントを生成AIを短時間に使いこなしている点を評価すれば良いと考えます。暗記問題は答えにどのようにアプローチしてどうやってファクトチェックをしたかを評価していけば良いと個人的には考えます。もちろん暗記学習も必要だと思っています。
・過去にネズミの楽園実験があったそうです。便利で不自由がない快適な生活。ネズミは全滅したそうです。現在の世界がまさにそれだと思います。そういう意味では昭和のほうがよかったかもしれない。カーナビがないから地図で調べ、ネットがないから辞書をひく。自分で調べて考えて、相談して、失敗して悩んでまた考える。 疲れるし大変、手間も労力もかかる。でもそれが物凄く大切なことだと思います。
・技術が進化し、便利になると共に、そのような頭を抱えることも増えてきますね。
生成AIに頼るのはその場しのぎにはなりますが、自ら努力しないと力もつかないと思います。
自分も教育関係の仕事をしていますが、生成AI使用禁止!としても、目が行き届かない部分もあるので、頭ごなしに禁止ではなく、自力でやらないと絶対にできない課題を出すように工夫しています。
技術が進むにつれ、教員側も何かしらの対策をしないといけない時代になったのだなと感じています。
・昔、高校生の授業で 『教え方の上手な先生』 がいました 自分にとっては、生徒として40数年前ですが、今でも記憶に残る内容です
授業の一コマで、 ①前半は一切、筆記せずに、集中して聴く、黒板には補足メモ程度 ②後半は、先生があらためて黒板に一気にまとめを書くのを生徒がノートに書くが、先生が口頭で説明しながらなので、 ③結果、授業内容を3回聞くことができ、 ④自分が最も興味を持つことができた『地学の授業』でした ⑤おかげで、天文分野の理解を深める事が出ました
・学生の皆さんには物事の本質を考えてほしいです。 教育で求められているのは「正解」ではありません。「学ぶこと、考えること」です。テストの点数やレポートの出来は後からついてくるものです。もし、正解を出すことを求められているのであれば、テストに参考書を持ち込んだっていいわけですから。
社会人になり、独り立ちすれば自ら考え、正解のない答えを出さなければならない場面がいくらでも出てきます。そのときになって「考えること」を始めても遅いです。そしてAIは正解を出すすことはしても、「考えること」は教えてくれません。 ただ正解を出すよりも大事なことを学んで欲しいです。
・社会人10年目です。コロナ禍で在宅勤務などで時間ができたことから、英語のリスキリングを始めました。 最初は特に目的もなく「ちょっと道案内できれば良いかな…」程度の動機でしたが、やってみると面白く、すっかり趣味になりました。
DeepLなどの翻訳を使うこともありますが、やはり正解しか出てこない印象です。 一つの単語を表す言葉がこんなにもたくさんあるのだと、毎日勉強して色々な単語に触れるたびに思います。 また、英語で学んだ事柄がサイエンスや政治、色々な興味に繋がっていくことも醍醐味だと感じています。 タイパ、コスパはとても良いけれど、正解に辿り着くまでに通った道にもたくさんの学びがあることをぜひ実感して欲しいなと思います。
・心の豊かさを感じることが少なくなってしまっている気がします。時間に追われ手っ取り早く携帯に頼る。昔は本などで調べてしてた事も、そこまで到達する過程がすっぽり抜け、あっという間に携帯が教えてくれる。大変だけど本当はその答えを導く時間が、大事な時だったのかと今は思う。が、携帯が現れてからは沢山の事を直ぐ処理出来る様になったから、後には中々戻れませんよね。AIが普通の生活に入り込んだら、人間どうなってしまうのでしょう。行き着くのは明るい未来だとは到底思えません。人が持つ心が大事。そこを乗っ取られてしまったら、人としてお終いですね。
・AIは効率化の面ではすばらしいけど、利用する人がばっかりになってしまうと、食事でいえば料理を食べる人だけになって、作る人や、食材を育てる人がいなくなるようなもの。これからの人材がAIを利用することしかできず、素材となる研究や論文作成ができなくなったら、AIはAIが生んだものしか学べなくなって、しまいにはわけわからないものを生み出して世の中混乱するんじゃないか。効率的なのも大事だけど、自分の頭脳で考えて生み出すことの楽しさ、面白さも学んで欲しい。
・別にAIを使うところまではいいとして、それを自分の糧として落とし込む工程が無ければ意味はないよね、確かに。
正解を見て、どうしてこの形なのかを調べ理解する。 宿題そのものがそれなりに時間を使うものであるのは確かなので、早く終わるなら残りの時間で落とし込みの作業をするように指導するのも一案かも。 少なくとも意欲の高い子なら効果はある。AI活用という副次的な学習効果も期待できるね。
・評価基準を提出物を求める形式ではなく、テスト形式にすればよいのではなかろうか。 つまり、大学でも高校までと同じようにペーパーテストで成績を評価すれば生成AIの出る幕が少なくなる。
日々の学習に生成AIを使うのであれば、疑問に思った用語の細かいニュアンスの違いなども丁寧に説明してくれるので、とても有益だと思う。
・自分も英語関連の仕事です。例えば英語の課題なら、「英文を書いてきなさい・和訳してきなさい」はもうAI登場で形骸化されてしまった。「目の前で話しなさい」(あと「テストで訳してみなさい・要約してみなさい」も)ならまだいいかと思う。AIに書かせた文章であっても、すらすら話せるくらい音読して練習したなら、その英語表現がその人のものになったわけで、意味があると思う。自分自身や趣味などについて学生が語るのにはすごく強力な補助ツールなので。悪い点もあるが、いい意味で、英語教育の大転換点だと思う。教員の導くスキルが問われている。 ただ国語や論理性の訓練にはAIは打撃でしかないと思う。深く読み込む、要点を読み取り、論理的にまとめる。これは自力でしか身につかない。なので国語力、読解力、論理性においては、能力のかなり極端な二極化が進むと思う。
・AIの利用は止められないので、レポートの提出方法を変えるとか、試験の方法を変えるなどして、学力の測り方を変えるしかない。高い学費を払って、まったく意味のない抜け道を利用していても最終的に損をするのは学生なんだけど、学校側としても権威に傷がつく。いたちごっこかもしれないが、学校はどうしても社会に比べて旧態依然になる傾向がある。これを機に学校関係者も教え方やカリキュラムを抜本的に改善していったほうがいい。
・宿題を生成AIにさせることは、仕事でも生成AIにプレゼン資料を作成させるようになってきているので、生成AIを使うことを前提として、経論側で目を通して、後日10分程度の面接で内容について、質疑応答をすればよいかと思います。便利なツールがある時代に使うなということ自体がナンセンスなので、使うのであれば使いこなせということで、教えていない現在完了形をなぜ使うように指示したのかを問うようにしたらよいと思います。使うのは構わないが、アウトプットに責任を持たせるという考えも教育だと思います。
・仕事でもAIの出してきた答えを参考にすることが多くなってきている。勉強でも当然そういう環境にあると思う。でもAIが答えるのは広く一般的なものしかない。単純な英訳などではなくAIを使ったとしても自分で考えないと答えが出ない宿題にするべき。例えば地域の抱える問題解決へのアプローチなど。教師は本質を学ばせたい一方で殆どの学生はとりあえず良い点取って進学なり就職へつなげたいから噛み合わない。これはどうにもならないから教育のやり方を時代に合わせるしかないかもしれない。
・個人的には、AIが出来るものならAIに任せるという選択も今後の未来を考えたら大事なことだと思う。 むしろどうやってAIを活用するかを教えるべきかと。
言ってみれば、計算を手で行っていた時代からそろばんが出てきて、そろばんを教える授業が出来た、そろばんから計算機に変わったときに計算機の使い方を学んだ、、、と似てるように思う。 AIも言ってみればその延長線上みたいなもの。
現状、精度的にはAIは過信出来ないので、過信してはいけないことも学ぶべきだし、AIが言ってることが正しいかどうかの最低限の知識は必要かと思う。
ただ、間違いなく便利なものなので「使うな」と言うのではなく「こう使え」とか「上手く求めているものに答えさせたいならこういう風に聞け」とか、そういうのを学ばせるのも良いかと思う。
・使い方の問題ですね。利用を制限するのではなく、不正な利用を見抜くことが大事で教師や教授が学生のためにならない利用を見抜く力が求められると考えます。 むしろ積極的に利用して、その誤りや頼らないで作ったレポートとの差異を学ばせる事が求められると思います。 これはかつてテレビを見るなとか携帯を学校に持ち込むなといった校則があったのと同じで、今ではタブレットを使った学習が求められているのと同じですね。
・私が通っていた大学では、レポートの提出はほとんどありませんでした。その代わり期末テストでの一発勝負だったので、講義に出席しなくとも自主学習だけで単位を取ることもできたし、勉強しない人は躊躇なく落とされていました。当時は大変でしたが、今思うと社会人の必須スキルである「考えて結論を出す瞬発力」を鍛える良い手法だったのかと思います。AIの進化を考えると、評価を宿題やレポート基準にすることは難しいのかな。
・個人の意識を高めることがより重要になってきますね。 生成AIに頼ると、確かに宿題はできるが、自分があるものは何もない。 真に学力をつけたいのなら、自分で失敗を繰り返しながら学ぶしかない。 それを悟ったものだけが、学力をつけていく。
でも昔からこういうカンニング的なものはあった気がします。 手軽に手に入るようになっただけなのではないか。
これで学力格差がついても、本人にやる気がなかったにしかならない。 学校はより、教科書の内容を教えるのではなく、学ぶということをしっかり教えていかなくてはいけないと思いました。
・宿題は何のためかという話をちゃんと共有して行く必要はあるんでしょうね。 今までの様に、忘れると怒られるとか、間違ってると怒られるといった動機づけでの教育が通用しなくなるってことなんじゃないかとは思います。 宿題の内容は成績をつけるためのものではなく理解度を確認するためのものとして、AIを使ってみんな正解しちゃうと理解できてるものとして授業が進んでテストの時にえらい事になるって理解させるのがいいのかもしれない。
・著作権の問題は別にして、生成AIを徹底的に使い込ませれば、その限界も見えてくる。早い話、図書館で図書を使った「調べ学習」を進めていた時代も「丸写し」はあった。それに対応するためにあえて小さなカードを使い、カードに書ける範囲にまとめさせることで必要な情報を徹底的に洗い出させ、かつそれを軸に話し合わせた。そこまでくると「丸写し」は何の意味も成さなくなる。生成AIが悪いのではなく、まだ宿題の仕掛け方の工夫が足りないのだと思う。
・ワープロソフトの影響で、漢字を忘れる人が増え、スマホの普及で電話番号を覚えることがなくなったのと同様に、AIの普及で自分の頭で考えることがなくなるという現象が生じつつある。これは人類の生物としての進化ではなく退化の予兆の様な気がする。電気とコンピュータが無くなれば人類はその生存が危うくなるということ。ということは、将来において人を支配するなら電源を奪うことが最も効果的ということになる。おそらくどこかで誰かがもうその考えをどう実行に移すか考えている可能性がある。
・授業や学習、宿題、レポート、評価の意味を再検討し、AIの存在を前提とした目的に適した適用方法を新たに考える必要がありますね。
英作文の宿題なら、AIを相手とした会話アプリとの会話記録を提出させる 評価ならレポートではなく、試験官の目の前での行動を評価する レポートでの評価なら、ワープロでの文字入力・推敲の記録を提出させた上で評価する、レポート後の面接口頭試問と組み合わせる
など、コスト(時間・金)がかかりそうだが、AIを使えばコストは低減できるだろう。 授業の一環として学生・生徒にさせたい活動の意味を明確にして、その活動をさせる環境構築が必要。
・これからは、生成AIの利用ありき、で教育も考える時代なんだろう。
成績については、教室でのテストや質問への受け答え、日頃のディスカッションでの内容等で優劣をつけていくしかない。
日常生活や仕事において、「生成AIをいかにうまく活用していくか」で効率が劇的に上がる可能性があるので、鵜呑みにせず、うまく活用していく方法を教えることも必要だと思う。
一昔前の自分の大学生の時代であっても、興味のない科目のリポートは何かの丸写しだったこともあるし、今に始まったことではない。
ただ、初等、中等教育においては「生成AIに頼りきり」になるのは良くないと思うので、その辺の指導方法は教員の腕の見せ所ではないだろうか。
・大学生のときのテストは手書きの論述形式のものが多かった。 制限時間は90分、ノートだけは持ち込み可で、問題用紙には「〇〇について、××の思想を踏まえて1000字程度で述べよ」「△△について、賛成か反対かの意見を交えながら800字以上で書け」とだけ書いてあるみたいなやつ。
レポート課題で巧妙なズルができるのなら、試験は全部そういう形式にするか、あえて生成AIに書かせたものの整合性を述べさせるような課題にしなきゃいけないのかもね。
・宿題をAIにやらせる際の問題点はいくつかあります。以下にいくつか挙げてみましょう。 学習の欠如: 宿題は生徒が学習するための重要な機会です。AIが代わりに宿題を行うと、生徒が本当に理解しているかどうかを確認する機会が失われる可能性があります。 倫理的考慮: 生徒が宿題を自分で行うことが重要である一方で、その責任を完全にAIに委ねることは倫理的な問題を引き起こす可能性があります。教育は単に知識を取得するだけではなく、倫理的な判断力や責任感を養うことも含みます。 個別のニーズへの対応: 生徒は個々の学習スタイルやニーズに合わせて指導される必要があります。一般的なAIが提供する解答や支援は、全ての生徒に適しているとは限りません。 創造性と批判的思考の欠如: 宿題は生徒に対して創造性や批判的思考を促す機会でもあります。ただ答えを与えるAIは、このような能力の育成には貢献しづらい場合があります。
・スマホが浸透した頃からこの手の問題は潜在的に起きていたことだ。 AIだから悪いのではない。AIが生成したものを検証もせずに提出してしまうことが悪いのだと教えていかねばならないと思う。 間違うことを恐れるのではなく、間違った後にどうすれば良いのかを教えていきたい。
・生成AIはうまく活用すると自己研鑽にもつながるのですが、すべてをそれに頼ってしまうのも思考力などの低下を招くので、どのように活用するかが問題となります。現在は結構誤りも多く、支離滅裂になることもありますので。
そのためには、教える側も生成AIがどんなものかを熟知する必要があり、レポート課題も生徒に出す前にいったん自分で生成AIにかけて、どのような文章が生成されるかを把握しておく必要が出てきます。
あとは、定期試験においてレポート課題内容を少し変えたり、その課題の中から問題を出すとかで、理解度を調べるという方法もあるでしょう。
・近い将来、今の学生さんが社会人になってAIを仕事で利用する機会があると思う。その頃にはAIの技術も現在より高度化しているだろうが、忘れてはならないのは、AIはあくまでもサポートツールであって、モノを考える主体は人間だということ。楽だからといってAIが出力する情報を鵜呑みにし続けていれば、そのうち本当にAIと人間の立場が逆転してしまう。現状でも、思考の速度と論理の組み立てスキルは並の人間よりAIの方が上だから。作業効率化のためにAIを使いこなす、という姿勢は忘れないことが大事。
・英語でチャットGPT使ってますが、一般的なテーマでディベートをすれば的確な質問が来るし、こちらの言い方が多少拙くてもきちんと意図を読み取ってくれます。自分の言いたいことを素晴らしい英語にパラフレーズしてくれるので、本当に便利なツールです。言語学習には最強ですね。人間との生のやりとりが大事とは言いますが、定型的なものであれば、チャットGPTとの対話に不自然さは感じませんし、かなりの部分代替できます。チャットGPTをうまく使って英語学習ができるように、学校教育が変わっていけるといいと思います。
・私は研究者ですが、科学の業界や大学教員の間でも散々話題になっています。 ただ、皆口を揃えていうのは、今のAIは「超高度なヒトマネ」でしかなく、何も「考えて」いないため、それらしい嘘を平気でつく、という点です。 結果として本物の専門家でないと真偽が判断できず、「AIの言っていることが正しいかを判断できないとAIの回答を使えない」というのが通説になってきている気がします。 一方で、簡単な情報処理ならかなりの精度でこなしてくれるのも事実です。 結果として、今の知的労働者の中でも高度なことをしていた人達はむしろ重要性が高まり、相対的に単純なことをしていた人達はAIが取ってかわられる、という二極化が進むものと思います。 教育は、まさにそのAIが持っていない思考能力を育てるべきですが…ここに来て「正しい答えを書ければ良い」という日本式の教育の弱点を突きつけられているように思います。
・勝手にやらせればいい。きちんと自分の力で解く人と明確な差が出る。
なんでもかんでもただ質問するというやり方だけでなく「AIに質問させる」ということだってできる。
自分の部屋をなかなか掃除できなかった人がAIに対して「私の部屋の掃除が終わったと判断できるまで指示を続けてくれ」といった指示をAIに入力し、AI は「窓を拭きましたか?」「机の上を整頓しましたか?」などと質問を繰り返した。結果見事に部屋は綺麗になった。
つまりAIをコーチとして使ったわけだ。
どんなに優れた道具も使い方次第。AIだって勉強に役立てようとすればちゃんとその様に使える。
この先「AIをまともに使えない人」はどんどん淘汰されていくと思いますね、
・時代の流れは仕方ないとは思いつつも難しい問題だと感じる。 自分が学生の時、それこそ10年前ぐらいだけど読解力とか表現力と言ったことも含めて自分の力で書くってことが重要なんだと思っていたし、ある意味どんな宿題やレポートも国語と同じなんだと思ってた。 自分の考えを書く、みたいな。 でもそれがAIの書いた答えを丸写ししているのでは表現力が育たないだろうし、社会に出てからもマニュアル対応しかできない人間になりそう。 答えを見て丸写ししているようなものと大差ない気がする。
・自分で走れる人でも自転車に乗るし車にも乗る。勉強のツールとしてAIを使うのは当然になるでしょうし、社会生活でAIを常時使う世の中になってきている中で、勉強や受験とは何なのか、みんなが使う車の方が早いのにマラソンの練習をさせる意義は何なのか、道具を使わない競技の順位は道具が使える社会では重要な問題にならないのではないか、というところに議論を置いてほしい。
・AIで対応できないような宿題を出せばいいだけのような気がするけどな 絵日記などはAI使っても意味が無いし 朝顔を育てるなどもAIでは水遣りができない 感想文も「読書感想文」ではなく「(自分で書いた)絵日記感想文」にすればAIを使って答えを出すのは難しくなる 手間暇かけなくてもAI対策は可能だと思う
・生成AIはハルシネーションを防ぎつつ回答精度を高める検索拡張生成という技術があって、要は独自のデータを生成AIに与えるというものなんだけどこれからの時代はそのデータをどうやって集めてくるかが大切になると思う 教育現場もいまあるデータを元に生徒にレポートさせるのではなくて集めたデータを提出してもらった方がいいと思う
・一部の学校や企業では ネット接続が無い状態での、抜き打ち問答を重要要件として実施しております
ネットの普及で検索で明確な答えが出ない 論文とか意見文などの、思想思考を図る課題とかが多くなって十数年 論文とかもAI生成かどうかを図りかねる状態に進化したと言う状態なので 学校や企業側の査定する側がさらに工夫するしかないのでしょう
ただ教員側の判断基準へ抗議する学生や保護者も増えていて 学校側の負担増が問題視されている時代、抜き打ち試験を作り上げるのもAIとかになる予感もある
・宿題・レポートってそもそも何のためのもの? そこを、お互いに意味を理解していれば、取り組み方が変わってきます。子供達は、ある意味、私たち大人以上に期待だけでなく不安を持っていると感じるので、生成AIを使ったら、どうなるかを学ぶよい機会ではないでしょうか。 ピンチはチャンスです。正解を丸写ししてきた生徒が多ければチャンスです。丸写ししなかった生徒と、どう違うか考える良い機会にすれば良いと思います。 そもそも、大人が生成AIを使っていないのも、お互いが不安になる要因です。生成AIを沢山使うと、将来的に社会で活躍するためには使わないという選択肢はほとんどないと感じますし、できることできないことも見えてきます。教員側としては課題の出し方で評価はきちんとできます。(実体験。AIもまだ完璧ではない。)それに、昭和と違うことができます! 政治には教員がそれくらいの余裕を持てるようにもしてもらいたいです。
・自分は50代です。インターネットが無い時代に学生時代を過ごし、社会人になって約10年ほど経過してから、インターネットが「使える状態」になりました。ですので、インターネットが無かった時代の情報収集の大変さは身に染みてわかっていますし、逆にインターネットの有難みもわかっています。 ただ知識や情報はネットから収集してもそれを活用するのは自分自身ですので十分にネットの利便性を享受すればいいと思うのですが、すべてをネットに任せてしまうと、思考自体を放棄することになり、気が付けば全く使い物にならない人間になっている可能性があるように思うのです。 自分の成長に繋がる使い方かどうかが問題と思います。取捨選択したうえで、一極集中して自分を育てている自覚がある人なら、こういう使い方もいいと思いますが、安易に使っているとしたら、自分の成長を放棄しているのと同じです。
・例えば冒頭の英語の日記などは、後日、日記を提出した生徒に、自分で書いた日記を見せて、今ここで和訳して、って聞いてみるのも手だよね。自分で生成AIに書かせ、書き写した日記だと判れば訳されてしまうけど、恐らくただ書き写しただけだろうから、記憶にもあまり残っていないだろうし、習っていない文法が使われていたら判りません、と言った回答が多いのでは。 もちろん生成AIは使い方によっては有効な手段であるけれど、頼りきってはダメ。少なくとも生成された成果物を自分で見直し、なるほど思ったり、ここは違うのでは、といった自分なりの解釈をしないとね。
・宿題やレポートを出すなら、自分で考えたものと生成AIで出したものの両方を出させてはどうでしょうか。その上で、自分とAIの間違った点と、それがなぜ発生したのかを出させる。そうすれば、自身で考えることも必要であり、かつAIの活用を否定したことにもならないので、学習プロセスを学ぶ機会を損なうことがないと思います。
・生成AIも使いよう。その情報を引用するなら引用するので良いと思うし、引用するためのルールを作るべき。使う側も単なる課題レポートの作成には使えるかもしれないが、実社会の問題ともなればはっきりとした答えは無い。そのための訓練という意味合いでもあることを認識したほうが良いと思う。
・将来的にAIが多くの思考を行う世界になる。人間は上がってきた情報が正確で利用に耐えるものであるかどうかをさらに検証するチェッカーとして機能する機会が増えていく。そしてそれらを行っていく中で知識を蓄えていく。習熟のプロセスは大きく変わっていくだろう。 そういう意味で、彼らが生成AIを駆使しようとすることは安易に悪であるとは言いづらい。
今後間違いなく必要となる能力は読解力と論理思考力だろう。AIに正確に指令を出す。上がってきた情報を正確に読み取る。そのあたりの能力は万人に求められるようになる。そこが重視される教育になってほしい。
・宿題の意味によるかな。 小中学生で、宿題が自分の能力を磨くための課題なのだとしたら、宿題をAIにやらせることで、本人の力がつかなくなるだけ。違う意味で時間を無駄にしてる。
育てるという意味で気づかせるなら、宿題で出した同じ課題文を抜き打ちで授業中に書いてもらえばいい。 理解していれば、同じような文をかけるだろうし、まったく白紙なら、AIにさせても自分の身にはなってないことを自覚できるだろうし。
使いこなすことと、サボるために使うことの違いを身を持って知ることがまず大事なんじゃないの? なんのために学校に来て、学んでいるのかすらわかってないのだろうから。
大学は、単位を取るだけのためならありなんじゃないの?意味のない単位取得をさせてる大学にも問題があるかも。 後々役に立つものなら、やらなかった報いはいつか本人に返る。義務教育じゃないのだし。
・AIを良く利用する職種で働いており、生産性が上がっておりAIには肯定的です。
何を目的とした課題なんですかね? ・AIでも解答できる問いは、問いの鮮度が低い、人間が思考する必要があるのでしょうか。 ・どういう目的で、どういう能力を育みたいから この問いを出しているのか、最早それを考えるのが良い問いになるかもしれませんね。 ・採用目線では、最早良い答えを見つけるより、良い問いを見つけられる能力を求めています
・まだまだ未成熟な部分はあるけど、問題ない水準でAIが正解を作るようになるまでそう時間はかからないと思う。人間に教え込む必要がある知識教養とは何かを考え直す時が近づいてるんじゃないでしょうか。 藤井聡太さんみたいにAIをどう使えば自身の能力を拡張できるか、というアプローチは大事かと。
・「学ぶ」とは「まねる」から派生したという。AIを丸写しでも良いのではと思う。それを何回も何回もしていけば文章を書く力は付いていく。子供の頃に宿題で日記を書くように言われたがそれで文章力が上がったという自覚は無いし。
ただAIもかなり間違いが有る。その事は教える必要があって、例えれば犯罪捜査における裏付け捜査みたいな、AIが事実を言ってるかどうかを調べるというような勉強の仕方を教える事は大事。
・ワープロやパソコンの普及で文字を手で書かない人が増えたから、難しい漢字が書けない人は増えたと思う。 携帯電話の普及で自宅の電話番号や住所ですら覚えていない人も多いのではないだろうか。 それと同じようなもので、時代の変化。 生成AIが社会インフラのようになっていくとすれば上手く活用できる人が生き残るし、生成AIとかの開発側に回る人は生成AIで答えを探すのではなく自分で答えを探すようになる。
・宿題ってそもそもモラルの問題だと思います。 今までだって本当に本人がやったのかとか、計算機を使ってないかなどの疑念はありました。 AIにより実際に実力が付かずに苦労するのは本人ですし、上手く利用して学力が上がるなら便利なツール。 AI利用に関する教育をしっかり教育する必要があると思います。
・今後もAIは進化し、一般に普及していくことになるのは既定路線。今後は社会に出てもAIを使う機会はどんどん多くなると思う。 一方、AIはまだまだ完全では無いので使い方が問われる。現在では如何に上手にプロンプトを作れるか、が鍵になる。 むしろ、AIを禁止したり使うのを危惧するのではなく、そこを評価して伸ばしていく方向の方が良いのではないか、とも思う。
・学校としては、生成AIを使用しないよう事前に伝えればそれでよいのではないでしょうか。宿題の回答を生成AIで作ったとして、後々困るのは本人だと思います。自分で考え、自分で回答することで身に着くものと思います。また、その生徒たちにしたら、宿題のレベルが低すぎるのかもしれません。現代は塾などで学校よりも進んだ教育をしているところもあるようですので。事前に宿題目的を生徒に伝えたうえで、あとは本人や家庭(家庭はプリントなどで)に任せてれば良いと思います。学校もそんなところまで面倒見てなくていいですよ。
・AIがある世の中に適した学習内容に変更する必要があると思います。 暗記中心の学習はもはや不要かと。
英語はそもそも海外の人とコミュニケーションをとるために学ぶもの。 リスニングやスピーチを中心に、スマホを活用したって良いのでは? インバウンドで海外の人がたくさん来ています。観光地に行って、話しかけて記念写真をとって来るとかの方がよっぽど意義ある宿題かと。
・AIを自分の知識をサポートするものとして使うのはアリだと思うけど、理解もしていないことを丸投げするツールとして使うのは危ういとは感じます。
そのあたりはAI成果物を出して終わり、というところでは明確にならないけれど、その成果物を改めて提出した本人に対面レビューさせれば明確になる。宿題でそこまでチェックする労力を取れる余裕が教育現場にあるかどうか?という部分はあるけど、そのあたりは実力テスト等の結果との乖離でもわかると思う。
それにAI使う人でも根本的にその手段が無いなら無いで自己解決する能力が高い人ならあまり心配ない。問題なのは他者依存の癖が強い人がそういうものに安易に頼る習慣が身につくと、将来的に「自分で解決方法を考えられない人間」になりかねないので仕事の場でそれが出来る人とのギャップが大きくなる。
・小学生の頃俳句の宿題が出たとき明らかに新聞投稿からパクったような出来栄えの俳句を持ってきた生徒がいた。先生は「これは素晴らしい!天才だ!」と褒め称え、目立つ場所に貼り付けた。 生徒は終始うつむいていた。
生成AIのレポートもそのような扱いをすることも一つの対策になると思う。
・いずれ近々、英語自体が必要なくなる時代がくると思われる。米国だけ、母国語が世界共通語で羨ましかった。一科目分、必修が不必要なのだから。その分、時間を有効に使える。今後は、英語が必要な職種の人だけが学ぶスタンスに移行すると思う。NTTだったかな?コードも日本語入力でいけるシステムを開発し出したし…。とはいえ、英語力があれば即訳できるから便利だけど。例えば、プログラミングに言及すると、使う言語によって、英語でなくドイツ語が必要な場合も多いにある。「英語力をつける方法」より「正しい英文に素早く辿り着ける方法」へ時間を使う様、教育されていく気がする。簡潔にまとめると、今までは「AIが導いた英文が正しいか?」が分からねばならない…と教育されてきた。しかし今後は「AIが正しい英文の解を示せているか?」が分かる能力が必要な時代になると思う。
・より良い回答を得るために、AIへの質問を何度も修正することが効果的だ。それを生徒に教えることで、生徒により良いレポートとはどんなものか考えさせることができるだろう。別の言い方で言うと、生徒にAIが出力したレポートの採点をさせるワケだ。今のところ、何も考えない質問ではAIが隅々まで問題無いレポートを出すことはないだろうから、しばらくは有効だろう。
レポートやプレゼンテーションの核心部分や論理の組み立てとは関係無いところ、言い回しや章立てなどの文章の組み立てなんかは社会に出てからもAIにアシストさせればいいことだし、なんならその時に上手にAIを使うための訓練を学生のうちに行えるのは良いことだろう。これからのリテラシーだ。
・生成AIの利用方法を学ぶことは必要でしょう。今後は生成AIを使えるかどうかで生産性が大きく向上する職業が増えるでしょうから。
ただし生成AIは、使う人に間違いが判断できる範囲で使いこなすことが必要です。かつて手書きからワープロに移行した時も、変換された漢字やよく知らない言葉をそのまま出力して間違いを量産してしまいました。
今の生成AIはまだまだ開発の初期段階なので、人が見ておかしな出力をすることも多いのですが、入力される学習用データやパラメータの数に比例して、生成AIは更に進化していきます。いずれは上手く出力された文章なら、教育者にも見分けが付かないレベルに達すると思います。
・自分の学校から具体的な街中のスポットへの行き方とか、学校の中の教室の位置だとか、家族を紹介させるとか、chatGPTが苦手なことを作文させると良いよ。まず、プロンプトの日本語としての説明力が必要で、それを英作文させるにしてもchatGPTのアウトプットを自分で添削する力が必要。対話の中でヒントを得ながら書きたいと思っている文を書くことにつながる。
・これはやはり厳罰化を持って臨むしかないのでは?
不正が発覚した時点で提出した課題は無効扱い。大学の場合卒論で行った場合は、卒業単位に絡んでくるので卒業取り消し、などのように。メディアにおいてもAIのメリットばかり先行させて報道しているような状況に見えるが、負の側面もしっかりと報じるべき。
そして、このような問題が起きた場合、だいたい学校の管理体制が問われることが多いように思えるが、そもそもが盗用および著作権侵害が可能な装置を放置している開発側にも一定の責任を問うことも肝要。
・AIが作成したものを見破る能力が先生方にあるならば、AIに作成させた生徒が自己点検して先生方に見破られないように修正出来る様になればAIの情報を吸収出来る様になって更に高度な知識を得るきっかけとなる可能性がありますので、悪い面ばかりではなく本人に見破られ無いように修正させる方がより高度な知識を吸収出来る様になるのでは無いか、と言う視点が有っても良いでしょう。
・逆に考えれば、生成AIがあるのだから英語を習得しないでも生きていけるという結論にもなる。翻訳機を使えば意思疎通はできるし、英語を習得しなければと促す今の学校教育は違うのではないか。 ちなみに、フィリピンなど英語を十分に習得している国は、教科書や授業がそもそも英語で行われている。つまり、英語を第一言語として教育し、日本語をtraditional言語として教育の方針を転換すればすぐに身に付く。その場合、既存の学校の教員は英語で授業ができないため、すべて入れ替える必要があってそれは現実的ではない。 だから、英語教育はやめて良いと思う。
・生成AIどころかスマホ、更にはインターネット環境もない時代に学んできましたが、英語で日常会話なんかできません。生成AI云々ではなく、どんな時代、環境だろうが学ぶことの意義や意味を問うていかなければ身につくかないでしょう。 むしろ学ぶ意欲が高ければ今の時代非常に便利なツールが溢れてていいなとも思いますし。
・私が大学生の頃は誰かのノートをコピーさせてもらって、それを元にレポートを書く、というパターンだったかな。まだインターネットが普及する前でしたからね。その頃から「大学生が物事を深く考えずに安易にコピーしている」ということは言われてきました。時代が移ってツールが生成AIに変わっただけで、「ラクして単位を手に入れたい」という思いはいつの時代も同じですね。
小中学生の場合は自分で調べて自分の言葉でまとめるということ自体が教育の一部なので対応はしないといけないけど、英語に関してはいずれ高精度の逐次翻訳が可能になると思うのでAIに任せてもいいかなとは思います。私は車が動く仕組みを詳しくは知らずに運転していますし、運転方法と守るべきルールを知るほうが重要だと思います。英語も同じかな。
・こんな問題はかなり前からありましたよね。 率直に言えば、子供の思考能力の向上には全く助けにならないどころか思考の放棄を当たり前にさせるだけです。 私も29と若年ですが、若い世代にとっては凄まじく楽だと思いますよ。漢字や物事の意味が分からなかったら携帯で調べるのが当たり前だったりしたのが今や生成AI任せでいいとなったら、答えを導き出す過程で自己の思考の介入は無くなる。 更に言えば、自己の行動・発言に対する責任感の低下にも繋がる恐れがあります。自分が考えた訳じゃない、生成AIで出したから間違ってると思わなかった等、結局は自身で情報の整合性を取れない無責任な人になってしまう。
これらを踏まえると、無料の代行業者という言葉の通りです。幼き子の学業においては害しか無いと思います。
・生成AIによる不正はたしかに問題だと思う。ただ、たこうやってきちんと生徒を見ている先生たちは良いが、とりあえず提出すれば良し、みたいな適当な事をやっている先生たちの存在意義が問われているのだと思う また、エントリーシートの履歴しか見てなくて人そのものを見ることが出来ない企業の採用担当者なども、本当に人を見抜く目と実力が必要になってきている この文章では生成AIによる不正が書かれているけれど、生徒たちは易きに流れないようにする心が必要になってきているし、社会全体で人間そのものの力が必要になってきているのだと思う
・AIによる回答は確かに宿題の意味はなくなるかもですが、むしろそれについての対策をAIに求められないのかなと思いました。 例えばAIが書いた回答かどうかAIでチェック出来ないかとか、そもそもAIが入る余地のない宿題や教育法がないかなどをAIに尋ねるとか、新しいツールが生まれたならそれ自体を活用して新しいやり方を模索するのも必要なのではないかと、、、
イノベーションって、安易に規制して抑え込むより上手く取り込んで使いこなす方がかえってそのイノベーション自体がより洗練されて良い気がします。 勿論、道徳の問題やら自分で考える力などの問題もあるでしょうが、こういう問題があるからこそ、安易に規制したり悲観するより、教育システムもイノベーションが起こせるチャンスと捉えるべきなのではないかと思います。
・生成AIを使えばありとあらゆるものは苦労しなくても可能になる しかしそれと引き換えに自分自身で達成したときの喜びなどは失われる 人によっては苦労せず簡単に効率的にやれることのどこがおかしいんだという人もいるだろう 効率的にやることは悪くはないしAI自体は悪い事ではない 単にAIに全て頼りっきりになってしまうのが一番ダメだと思う 宿題や課題の意義は自分自身で考え例え答えが間違っていたとしても自分自身で考えることが大切なことだと思う 最近のスマホに頼りっきりなところやSNSにすぐに影響されたり生成AIにすぐ頼ったりするのを見ていると大げさかもしれないが人間が人工頭脳に支配される未来もあながち冗談ではないように感じる
・AIを使用できない場での試験結果で厳密に成績をつけ、落第も当然あるような状況にしないとダメでしょうね。まあその前にやってもやらなくても意味のない宿題を課すから時間の無駄→AIの使用になるのでしょうけど。ただ学生側がその宿題をやる意味をきちんと理解できているかどうかは疑問ですが。
でも本当に問題なのは学校での英語教育では実際に使える語学力が育たないところだと思います。翻訳ソフト・AIの登場で学校で学ぶ英語の無意味さがより浮き彫りになった結果でしょう。もちろん本人の努力なしに語学は身につきませんが、きちんと整理されたカリキュラムに従って小中高と英語を勉強してもろくに英会話もできない程度にしか身につかない状態を長期間にわたって放置してきておいて何を今更、といった感があります。
・この先、自分で知識を蓄積し考える事が出来る人と、思考能力が足りない人の二極化が進むでしょうね。 動物は本能的に楽な方法があるのなら、多くはそちらに進みます。 それにより習熟の機会が無くなり、素の能力が低下する懸念など知らずに。 今や辞書を引く人はほとんどおらず、グーグルで誰かが書き込んだ知識を鵜呑みにし引用したりします。wikiなどはかなり間違った記述も多く、特に政治や歴史においては、書き込んだ人の偏見や意図を露骨に組み込んだものが多いため、そのまま信じると逆に危険だと言うのに。 政治家はそれを逆手に取って、洗脳の手段にしようとかなりの人と金をかけています。今の世の中、自己責任論が蔓延り、騙す方より騙される方が悪いと言われがちな社会となっています。 便利な世の中だからこそ、怠惰を戒める精神力を鍛える事が望まれると思います。
・生成AIを使う問題は、電卓を使う問題に似たところがあると思います。
電卓を使うにも、計算方法を理解してなければ、出てきた解が合っているのか?間違っているのか?も分からない事が問題になります。 また、いちいち電卓を叩かないと分からないことも、不便さを感じます。 ただし、正確を期するために電卓を使う場合が多いのも確かです。
それもこれも、電卓を使わない縛りがあったからこそ育まれたものと思いますので、一定の制限を設けることは重要だと思います。
・そうすると小中学校では授業でプリントやレポートをやって、宿題は音読中心で提出は音声データでとかになるのかも。AIの問題もあるけどトータルでしっかり学習できるのであれば、やり方は皆で考えればいいと思う。
・企業で新人教育に携わっていますが、基礎学力の低い子が本当に増えたと感じています。特に計算力(暗算)が無い子と諺などの常識を知らない子です。例えば、2割引が計算出来ないとか時速何kmで何km走ると何分かかるかなどが求められません。授業をしていても知識を身に付けようというより目の前の試験さえ通れば良いという、その場しのぎの勉強しか出来ないなと感じる子も多いです。物心ついた頃からスマホ所持が当たり前で、すぐ手元で調べられる事が大きく影響していると感じてなりません。 最近の車の機能の進歩によって下手くそなドライバーが公道に溢れるようになったと感じていますが、同様に情報技術やAIの進化が考える能力、知識の無い人間を量産していると感じます。
・それこそ「状況に応じた使い分け」をすれば良いだけの話では…。 でも子供は経験値がないぶんその「状況を判断する能力」が乏しいから大人が導いてあげないといけないだけで。 それでも「大人の努力」を無駄にする子供は後をたたないだろうが、冷たく切り捨てるとそんな子供はいくら年齢を重ねようとその程度だからね。全ては本人に戻ってくるものと割り切るしかないよ。 いち親としては我が子がそうならないように気をつけようと思うけど。
・AIと人間のハイブリッドな世界では、人間とAIの相互補完に必要なスキルを教えていくことが重要であり、闇雲に否定するのもいかがなものだろうか。 一方、企業においてもAIは手探りな状態であり、ましてや教員養成はこれからである。ここは民間の力を活用、各学校が地元などの企業とタイアップして長いスパンでトライアンドエラーで授業を組み立て行くのも良いと思う。 そのために必要な補助金活用は有用だと思う。
・生徒が生成AIを利用することを前提にした宿題を出すべきだ。例えば「夏休みの日記を英語で書く」という宿題を出したら、英文日記の提出後、先生はその生徒に日記の内容のうちいくつかの箇所で英語で質問して英語で答えさせれば良い。生徒が自力で書いた英文なら多少間違えても翻訳過程で学んだ自分の英語で答えられるだろう。
AIの進化は止まらない。AIで容易に答えが見つかるような学習テストは今後通用しなくなるだろう。これは生徒側の問題ではない。教師や教授側が、従来とは発想の異なる独自性を持ったクリエイティブな教育を実現させる努力が必要だ。
・過渡期ではあるかなと思いますが、子どもにだけ使うなと言っても無理だと思います。むしろ、使い方を教える(大人も一緒に学ぶ)チャンスと捉えたり、問題の出し方を工夫したりするのはいかがでしょうか。 また、丸暗記したり正解を出したりことに重きを置いた教育からそろそろ脱却し、調べたり考えたり話し合ったりする過程を大切にしていくことも必要かと思います。
・このご時世、生成AIやインターネットを使えばすぐに解答を得られる。 だから勉強なんてしなくていいんだという人もいるが、個人的にはそうは思わない。 きちんと勉強して基礎知識を備えている人のほうが、同じ生成AIやインターネットを使うにしても、より効率的に高度で正確な情報を得られるからだ。 生成AIやインターネットを使いこなしたい人ほど勉強するべきだと思う。
・英語は会話は出来た方が良いし、読み書きは出来た方が良いでしょう。しかし、日本の学校の英語教育方法は未だに読み書き重視、そして読み書きするために文法も重視。では、実用的なのか?を考えると疑問です。私達は日本語で喋る時に、文法考えて喋ってません。文法知らなくても、読み書き出来ます。子供の時に親からゆっくり優しい言葉から教えてもらって、単純なことから日常の中で使って覚えて行きます。そうして得た知識の方が一生使えて、学校で習ったことは社会人になったら使わない事がほとんどです。大人になったらなったで、新たに資格の勉強をする。資格を取って実務に出たら、資格の知識はあまり使わなくて、実務で覚えてる。勉強のための勉強って無駄な気がしますね〜。教育って何の為にあるのでしょう?
・なんだかんだ言ってもAIの開発は止まらないし利用も増える。今後はAIをよりうまく早く使える人が有利なのは間違いない。使用を禁止するのではなく。利用の仕方を考えるようにしたほうが建設的だ。産業革命で手作業を機械でするようになったとき、職人が機械を毛嫌いした時のようだ。どうせ使うようになるのに、禁止しても遅れるだけ。 余った時間を他のリソースに振り分けるほうがいい。
・若いときは学びの楽しさを知る前にどんどん詰め込んでくるからね 道具のせいではなく親などが学ぶ面白さを伝えられてない 生活とのつながりや何処でどのように使うか使われているか分かってくると面白くなる
スポーツは力学と医学とつながっているから学べば成果を出せるようになる、プロなら語学、スピーチも繋がっている
課題をやっても、学校を出ても自ら学ぶ姿勢を持っていなければ人に引き離されていく
・創作することの楽しさを伝えなれない教員サイドに問題の本質があると思います。楽しみながら学ばせる工夫がなければ、AIでなくても別の手段を使うだけです。 そもそも中1の生徒に英語で日記を書く宿題を出すということは、ドレミしか習っていない生徒に作曲の主題を出すようなもの。とても高度な課題です。このような教師に習う生徒たちが気の毒としかいいようがありません。
・ものは考え様とも言えると思う。 例えば、現代において算盤の技能は必ずしも必要か?習字は?となると『必ずしも必要とは言えない』のだ。 計算は計算機ないしパソコンにやらせれば良いし、習字体だってパソコンからプリントアウトしたほうが(一般的には)綺麗だ(芸術作品は除くとして)。 結局のところ、これらは技術(便利なモノ)が一般的なモノとして受け入れられたということであり、AIがいずれそうなるのであれば、知識を持っているということよりも『AIをより的確に使える技能』の方が重視される時代になるのかもしれない。 ……………最もソレが人間にとって良いことなのかどうかは判断つきかねるが。
・少し前から学校の宿題の量が減っていることを知っていますか?日記や作文は点検が大変なため希望制や提出作品数が少なくなっています。漢字練習や計算練習も、塾の宿題のために時間が取れないという児童生徒や保護者からの意見もあり量が減りました。ただ、根本的な理由は働き方改革にもなる、という学校側の本音もあります。そして自己責任論も加わり宿題をしなくても居残りなどペナルティ的なものがだいぶ無くなりました。今後、AIを利用したものへの点検は一層ゆるくなるでしょう。そしてAIの制度が上がれば、そう簡単には分からなくなるでしょう。
・これだけ生成AIが普及すると教員側には「生成AIを使ったことを見抜く力」だけでなく「生成AIを使えない宿題を出す力」も求められるだろう。
電卓の普及により算数の宿題が「計算の答えを出す問題」から「計算の過程を示す問題」にシフトしてきたように。
問題は、教員側の過剰な労働時間と生成AIの発展速度の速さの関係から、生成AIの存在を前提にした教育方法の研究が間に合っていないことだろう。
・作文や論文などは一定の決まりがあって、そこへ独創性と一般論と論拠をバランス良く織り交ぜる事で成り立つと思いますが、その組み立ては自分の頭で悩んで捻り出していかないと絶対に身に付きません。 AIで正解と評価される文章を元に、構成力を参照して身に付けるという目的で一時的に利用するのはアリかなと個人的には思います。
しかし、そのまま提出するのは興味がどうとか効率がどうとかいう以前に、学生としてその分野を学び、修めたという証明にならず、認められないという本質的な事が、いい大学行ってる人でも解らないんでしょうか? 社会は興味のある事だけやっていくなんて事あり得ないんだから、興味の無い分野、科目なら尚更、「こなして」いく力が必要なのではないかと思います。
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