( 167046 ) 2024/05/05 01:38:22 2 00 【速報】曳山にひかれ小指ほぼ切断、神輿下ろす神事で骨折疑い 滋賀県内の祭りで事故相次ぐ京都新聞 5/4(土) 21:22 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/88d1fb69a6824f929db7b537aefb13df319d905e |
( 167049 ) 2024/05/05 01:38:22 0 00 大溝祭の曳山(4日、高島市勝野)
滋賀県内で4日、祭りに伴う事故が高島市と東近江市で相次いだ。いずれも命に別条はなかった。
【写真】事故が起きた急坂の難所
高島市勝野の県道で午後2時10分ごろ、「大溝祭」の曳山(ひきやま)を押していた同市の男性(71)が転倒し、左前輪に左手をひかれた。小指が切断に近い状態になるなどして、病院に運ばれた。滋賀県警高島署によると、当時は約20人で曳山を保管場所へ移動させていたという。
東近江市伊庭町では、午後3時半ごろ、神輿(みこし)が山の急斜面を滑り下りる「伊庭の坂下し」で、近江八幡市の地方公務員男性(31)が左足を負傷した。骨折した疑いがあり、治療中という。東近江署によると、山の中腹にある神社から麓へ神輿を下ろす途中で、男性は進行方向を修正する役割だった。
|
( 167048 ) 2024/05/05 01:38:22 1 00 (まとめ) 日本の祭りに関する意見や議論をまとめると、次のような傾向が見られます。 - 伝統的な祭りを継承することの重要性と、安全性への懸念が相まって議論されている。 - 祭りの中での危険性や事故に対する考え方に個人の自己責任の観点や、伝統と安全管理の間でのバランスが問われている。 - 現代の価値観や安全基準に合わせて、祭りの形式や取り組みを見直す必要性が指摘されている。 - 子どもや地域の関わりの減少、高齢者の参加や安全対策の必要性が議論されている。 - 伝統祭りの醍醐味や熱気に対する理解と、安全対策やリスク管理の重要性との間での葛藤が表明されている。
全体的には、伝統と安全を両立させる難しさや課題、個人の自己責任や地域の文化継承のあり方について、様々な意見が交錯していることが窺えます。 | ( 167050 ) 2024/05/05 01:38:22 0 00 ・どこのお祭りだったか忘れましたが大きな山車を大勢でひきスピードを出してカーブを曲がりきれず、見物人や山車をひいている人にほぼ毎年ケガ人を出しているのをニュースで目にします。直角を曲がるのにあのスピードは物理的に考えても危険だと思いますが、ひいている方々はケガをしても良い、もしくは命を落としても構わないと考えてスピードを出しているのか聞いてみたいと思っています。
・先月、高山の山王祭を見ました。 美しい屋台も圧巻でしたが、街をあげて子供からご高齢の方まで参加し全てが「ゆ〜っくりと安全に」行われていて、忙しい現代の喧騒をしばし忘れるかのような、心豊かでゆったりした時間を過ごしました。 神様に捧げる祭り…まずは、安全に配慮したものであって欲しいです。
・大昔の祭りは、命をとしてでも神を祀る、それこそ、その祀り方によって一年のその地域の命運が託されるほどのものだったし、死傷者が出ることに大きな問題は無かったのかもしれない。 ただ、現代になってその祭りが持つ本来の意味が伝わりきらず失われ、ただのイベントに化しているなら死者はおろか怪我人は出すべきでは無い。 そんな程度の物に大切な人が失われることの方が損失でふ。 イベントなだけの祭りを辞めるか、キチンと祭りの意義を持ち続けるか、主催者や参加者の心持ちが問われます。
・屋台が出てて食べ歩き それが私の中のお祭りです 同僚はみこしを担がないのはお祭りではないといい、 祭りの日は有休を使います そこは本当に全く何とも思わないですが、翌日骨折してきて “まつりだから仕方ないよね”と当たり前に言ってきたのには驚きました 人が亡くなる事や怪我をする事の捉え方も違うんでしょうね
ただ、それが通じるのは地元の方達のみと理解してもらいたいですね
・私も地域のお祭りに関わっているけれど、コロナでお祭りが中止になってその間に世代が交代したり、色んな細かいことが継承されなかったり、ただ再開すればいいというモノではないなと改めて思いました。でも、お祭りは大好きだし、これからの世代に伝えて行くためにももう一度足元を見直して行きたいと思いました。
・若い世代が地域と関われない 関わりたくないと思って人も多い そもそも若い世代が少ない そうなると必然で 高齢化と人員不足になる 今時の高齢の方は元気だけど 事故を防げない それは現場職では常識になりつつあります
そうするとますます 関わらない方が無難という選択になり ますます新しい人が入らない 中堅の人も離れていく よっぽど上手く回ってないと 祭りはこれからも事故が増えると思う
・こういった自治会の伝統的なお祭りとか、自治会の行事、ボランティア活動などのための保険があって、この保険に加入しておいてもいいのかなと思います。 掛け金は行政側と折半なので、200円もしないです。 怪我などにも補償されるので、加入しても損はないと思います。
・このお祭りだけでなく、他のお祭りでも、危険だなと思っていても抜けられないんじゃないかと思うんです。地域のつながりが強いほど、「どこそこの誰々は祭りに参加しない」って言われるんじゃないのかな。 治療できる怪我程度ならまだしも、後遺症が残ったり、命を落としたくない人はお祭りに不参加にできるようにしてあげたらいいと思うけどね。好きで参加そたい人は良いと思うけど、そうでない人を参加したいと言わせるのは、いじめの構造に似てるよね。
・昔の人は重い刀や鍬を使ったり、毎日何キロも歩いたりして体力が現代人とは違ったと思う。 そもそも人生50年で今の後期高齢者の年代の方はほとんど存在しない世界。 そういう所で生まれた祭をそのまま現代で行うのは無理がある。 今の高齢化社会、成熟した大人の社会に合った、安全で地域の人達皆が楽しめる、観光客にも楽しんでもらえる様な祭のあり方を考えた方が良いと思う。
・曳山による事故が相次いでいるようですが、注意しなければいけませんね。こういった神事は昔から続けられている伝統であり、そのやり方も受け継がれていること事でしょうから危険性に考えが及びにくい側面があるのかも知れません。ただ、安全性についてはそれぞれの地域で話し合ってルールを事前に作るべきだと思います。お怪我をされた方が快方へ向かうことをお祈り申し上げます。
・自分の地下にある祭りでも、20年前に山車に手を轢かれて指を数本失ってしまう事故がありました。山車の速さは人の歩行速度よりも少し遅いです。安全対策として、祭事長が車輪付近の安全を確認を必ずしてから動かすようにしています。山車の危険性を参加者全員が確認し、車輪付近に身体を置かない、車輪に輪止めを付ける以外触らないなどの安全対策を明確化するのが良いと思います
・日本の祭りは危険を伴うものが多い。神事で多少生け贄的な感じもする。有名なのが長野県の御柱で過去にも死傷者はあった。やる方は大変だが日本人として誇りに思ったりする。とにかく安全対策の徹底と絶やさないで欲しい。危険だから変更、廃止の流れは何とか変わらないか?いかに無事に終えるか?工夫と知恵で継続出来なると思う。
・祭りには酒がつきものであるし、酒が入れば動きも大雑把かつ大胆になる。神輿を担いでいる人に聞いてみればいいが、多少の怪我は止む得ないと答えるだろう。それが祭りに参加する人の共通認識だと思うし、伝統行事が続いている証でもある。
安全に注意し過ぎるとお葬式のようになるだろうし、日頃のストレスを発散し年に一度の祭りに力を注ぐという心境も分かる。事故を無くすのは極めて難しいと思う。
・だんじりで同僚を亡くしました。 前梃子を任されて初めての祭りでやり回しに失敗して電柱とだんじりに顔面挟まれて… 奥さんとまだ0歳の子供残してまでなんであんな祭りのために命落としたのか未だにわかりません ちなみに事故直後の悲惨な姿の彼目の前にして周りの人間って応急処置や蘇生などもできず、ただ早よ救急車呼ばんかい!と叫ぶことしかできない愚かな存在だと改めて痛感しました
・例えば、今時の会社が仕事として曳山の運航を請け負ったとすると、リスクを検討したときにこの記事の方のように転倒したときに曳山に惹かれるような位置に人がいるのは安全上問題がある、となるでしょう。最低でも人と曳山の車輪を明確に区分けするか、非常ブレーキのようなものをつけて何かあったら直ちに停止できるようになっていないと曳山の安全な運航はできない。 つまり今時の会社の安全管理の目で見たら、とてもお祭りの曳山を今のような形態で動かすのは無理という話になってしまうと思います。 昔からの伝統を守って多少の危険は仕方がないとするのか、安全対策を重視するのか考える時期に来てるのかもしれません。
・だんじりのように、明らかに危険と隣り合わせの危険な祭りは論外だが、通常の御神輿を担ぐような祭りでも、危険は孕んでいる。 祭りについても安全管理者などを置くべきだし、そういうところは法律で規定しても良いと思う。 長年続いてきた伝統的な行事であれば、それをこれからも残していくためには、そういうことも必要と思う。
・古来からの伝統を引き継ぐ事も必要だとは思うが、神輿が山の急斜面を滑り下りるとか山車に乗っかり街中走り廻る様な危険な事は、その方々を見直すべきだと感じます。三重の上げ馬神事は今後斜面を緩やかにするらしいけど、馬が気の毒でとても見ていられない。
・代々引き継がれてきた文化を否定するつもりは毛頭ないけど、お祭りのあり方も時代に合わせて変わって行くべきだと思う。最近話題の馬にしたって、祭りで命を落とす理由は何もないし、ましてや人が怪我をしたり命を落としたりするのは、祭りというより周りの人の満足感を得るための犠牲に近い。安全性を重視しなごら文化を継承していく方法を見つけないと、命の危険を犯すような祭りの担い手はいなくなるばかりでしょう。
・高齢者が参加したら当然怪我もあるでしょう 若年 中年層が参加すると当然慣れてないから怪我もするでしょう 恐らく昔は「こうすると危ないからな」と指導してくれる人も いたのでしょうがそれも少なくなったかと思われます 「怪我するから辞めましょう」というのは簡単ですが 伝統行事なのですしどうやったら現代でも存続出来るのか? 多少の路線変更は必要かと思います
・滋賀県内で開催された祭りにおいて、残念ながら複数の事故が発生した。曳山による小指のほぼ切断事故と、神輿を下ろす際の神事での骨折疑いが報告されている。これらの事故は、伝統的な祭りの中での安全対策の重要性を改めて浮き彫りにするものである。
祭りは地域社会にとって重要な文化的行事であり、参加者の安全を確保することは主催者の責任である。今後、事故防止のための具体的な対策が求められる状況である。
・今日だけで、神戸のだんじり祭りでは男性が2基の曳山に挟まれて頭蓋骨を骨折し重症を負った事件があり、滋賀県でも小指を切断して重症を負う事件があったとは、この様な祭りはとても危険性を帯びているということです。伝統の元にそんな危険性をお座なりにしていますが、何でもかんでも古い伝統に捕らわれるのではなく、少しは安全面も考え直すべき時が来ていると思います。既に祭りに参加する若者が減っているそうです。伝統を重んじるばかり安全面を軽視していれば、何れ祭りに参加する若者がいなくなってしまい。祭り自体を続けたくても続けられなくなると思います。
・TVでしか見た事はないけれど、男達が山車を担いで細い道を走り曲がり道もスピード緩めず山車が危うく倒れそうになったのを見た事があります。なぜ?あんなスピードで曲がるのは危ないのにって…スリルを味わっている様なお祭りなんだなと思って見てました。こういう事故が起こってしまうとあの光景はもう見てる方は楽しめないかなって思う。伝統行事かもしれないけれど…
・伝統の 祭りを引き継いで行く事は大事では有るが、高齢化で、教えも注意事項も引き継ぐ難しさが有ると思うし、体力的な事も関連している様に思います。今昔を比べれば、乗り物や食べ物の違いも有り、軟弱に成ってる様に思います。祭りに怪我したら気を抜いてた風に言われるが、事故で死者が出ない事を祈らないと行けませんね!
・多くの方々が、危険なお祭りは見直すべき、とのコメントを、書かれています。 全国の皆さんが、そう思っているなら、自然と各地のお祭りは参加者がいなくなり、どんどんなくなっていくでしょう。 しかし、実際にお祭りを行なっている現地の人々の熱量は凄まじいものがある様に感じます。 妻の実家が長野県ですが、御柱祭にかける思いは凄いです。 お祭りではない?かも知れませんが、花火大会って全国で人気で観客も多いですが、会場周辺に住む住民は、燃えカスが降り注いで来たり、交通渋滞や見物客のマナーの悪さに悩まされていると聞きます。 当事者とそれ以外の方々では見方が違うと思います。 当事者が「事故は残念だか、今後も続けたい」と言うなら、当事者以外の方々が巻き込まれない様にすれば、続ければ良いと思います。
・御柱祭、だんじり祭等々、ほぼ毎年けが人や死者が出る祭は現代の安全第一主義と真っ向から對立するもので、神事や祭りの為なら犠牲者が出るのはやむを得ないとする考え方であり、この祭りの参加者が個人の自由意志で参加したなら問題視発言は余計なお世話かも知れない。しかし、自治会等の組織が個人に参加を強制していたらこれは死者が出れば殺人であり、怪我人が出れば傷害罪である。意に反して参加させられ、死んだり怪我を負わされた人やなくなった人の遺族は参加の強制有無を法定で争うべきだと思う。
・昔は神への祈祷や感謝の意味合いが強く厳かでもあったお祭りなのでしょうけれども、現代は形骸化してしまっている事で人々の気持ちが変わってしまっているところが、安全性への弊害をもたらしている要因になっているかもしれない。
・それぞれの祭りや神事には当然の事ながら由来がある。 よくこうしたケガや骨折、最悪は死亡事故となるケースを毎年のように見受けるが、その祭りや神事は当初からその様な危険を伴うものだったとは思えない。 大体がより目立ちたい、派手にしたい、その場の勢いが年々重なって変化しているようなものだ。 主催者は由来を正しく理解してほしい。 参加者がケガをしたり死んでしまうようなものを、神様が許してくれているとは思えない。
・地域の祭りは、荒い老若男衆の唯一のマウンティングの見せ場という感じで取り仕切り成り立っている。こまけぇこたぁいいんだよ! 毎回、昔から続けてきた通りにやるんだと息巻くが、取り憑かれたように神前だから何か悪い問題が起きるなどとは考えもしない。バチ当たりと言われ相手にされなくなる。 長く議論を重ねたり多方面からの提案に聞く耳を持たないと毎回事故で担い手も関わらなくなり持続ができないのではないか。
・どれだけ伝統のある祭りでも、昨今のSNSなどでの拡がりから、危険性のあるものや差別的なものはすぐに問題視されるようになってきました。
その地域の人間しか参加していないようなローカルなものでも国、世界的な常識という視点で良し悪しの基準で判断され、伝統は失われていきます。少し寂しさもありますが、それも含めて現代ということなのかもしれません。
ここまで書いておいて私は失われるくらいの伝統であればそれまでだとも思っています。映像や音、文字などあらゆる残す方法がある中で消えていくものに関してはその程度ということ。
善し悪しを周りにとやかく言われ、その上で形を変えて残るか消えゆくか。伝統とはそのようなものでしょう。
・昔から怪我人や死人は、祭りにつきものです。 重大事故が起こるたびに、地元の有力者である主催者が、警察に安全対策は万全だったと報告し、祭りの参加は自己責任であり、事故の原因は個人にあったとして、主催者の責任は有耶無耶になります。
亡くなった人やその家族は、地元の有力者や警察に、事故に過失はなく、事故は仕方かなったと言われれれば、これからも地域に住む為に口をつぐむしかないと思えます。
死亡事故が発生した場合は、文化庁が専門官を派遣し重大事故として、事故原因と過失調査を厳しく行い、二度と事故を起こさないような対策がとられるまでは、祭りを許可しないなどの管理監督が必要だと思います。
祭りの安全対策が主催者に任されていることが、危険性の認識を曖昧なものにしているように感じます。
主催者の責任を明確にして、公的にペナルティを与えなければ、祭りの改善は進まず重大事故はなくならないように思えます。
・お祭りは各地たくさんあるけど、危険を伴うのにいまだに盛んだけれども、どうなんでしょうね 本当に地域の方なのか?それともお祭り専門員なのか?と思うくらい 激しいのありますよね ほどほどでいいんじゃないかしらね 少子化ですし、子どもや地域のかたが楽しめるぐらいがいいと思う
・現代は厳しく指導すると〇〇ハラとすぐになるので、言い方が優しくなりゆるくなり。昔からのこう言った事故や命の危険が伴う祭りだけじゃなく、危険がともなうインフラなどの現場でも事故が多発するようになったのではないかと思います。信頼関係をベースにした厳しい指導はやはりこれからも必要と思いますが、これがなかなか難しいのでしょうね。
・山車を引き回してするお祭りでは、勢いよく走って回せると歓声がわく、よくまわすなとなるときもあるけど、確率は低いなぁ、速度出てもわからないし、スピードガンのようなもの持って沿道に誰か立ち危険速度でカーブ前を通過したら、笛、太鼓などで合図してスピード落として曲がるなどしたらいいのかなぁ
・スペインのサン・フェルミン祭(牛追い祭り)、ブラジルのリオのカーニバル。
他にも色々あるのだろうが、リオのカーニバルなどは毎年のように死者を出している。
だんじり祭りも危険なことは承知でだんじりの上に上がり、左から右、右から左に飛び移る。
大木を坂から滑り落とす時に人が多数飛び乗る諏訪大社の御柱祭も同様で、よく死者を出すが、やってる本人たちはそんな事は承知の上でやっている。
無論、死者が出たからと言って、責任者が責任を取るなんてことができる訳が無い。
だって危険なのは承知の上で開催しているのだからな。
神事というのはそういうもので、興味のない者から見れば危険かつ馬鹿馬鹿しい事を「真面目に本気でやる」のがお祭りなの。
要するに横から口出すな。 野暮な事言うなってこと。
馬追い祭りのように動物が虐待されるのは絶対反対だが、人間が承知で危険に飛び込む神事は
やらせとけばいい。
・昔所属していた組織で大集会を行い催し物をすることになった時何をやるか意見を出し合うことがあった。そして腕相撲という簡単な物の提案があった時にケガをする恐れがあるから反対の意見が出たことがあった。結局反対意見が尊重されクイズを回答しながらスタンプを集める催しをすることになったが反対意見はでなかった。歩いてるとき転ぶこともあるからという意見はでなかったが何をするにしても人が活動する上で何かが起こる可能性はどこにでもある。事故を起こしたりケガをしたくないなら何もしない無気力に椅子にでも座ってればいいのにね。何か体験したり経験したり刺激を受けるうえでリスクは付き物じゃないかな?
・私の地元でも毎年けが人が出ます。数年前にはひき手が転倒し踏みクチャにされ引きずられて肋骨が肺に刺さり耳が潰れる事故もありました。被害にあった方は「祭りを台無しにして申し訳ない」と謝っておられましたが警察は早く死者が出て祭り自体がなくなればいいのにとてぐすね引いているらしいです
・今日多度大社で上げ馬神事が安全に配慮して実施され、すべての馬が安全に坂を登りました。それでも、動物愛護団体が執拗に抗議していました。人間が柱に潰されたり、山車に轢かれたりしても、誰も文句を言わないのは不思議なものですね。
・人を巻き込んだり、人の物を壊す結果になっているような危険度の高い祭りは全国にもまだまだある。その祭りをやめたら災害でも起こるの?たまたま被害に遭われた方は生け贄のように感じてならない。時代は進んでいるのに人の考えだけが変わっていかずに残念である。
・だんじりが曲る時コントロールを失って電柱の激突、あの電柱がへし折れるって動画見てると、本当に危険だと思う。屋根にのって踊る人は一世一代の見せ場だけど、けが人も死者もいる。しかし、最高潮の熱気と興奮の中では祭りに参加している人は一種の高揚感でそれを感じない。
・歴史あるお祭りであることは理解しますが、今一度冷静な視点で安全性については考えた方がいいかと。こういったイベントで怪我人を出すのは本末転倒な気がします。
・氏神様の例大祭は連合会(町内会が集まった組織)の人が、例大祭実行委員を務めています、よって町内会の活動とも取れますので、自治会保険が適用されます。私も先日、例大祭で神輿を担ぎましたし、こういった事故は多々いろいろな所であると思いますが、こう言ったことで例大祭そのものが廃れることがないように願います、事故だけ伝えるなら誰でもできます。 地域で対策はされていると思いますので、伝統と文化が廃れないようにしないといけません、京都新聞は料金を払わないと見れない地域のニュースがあるのに、こう言ったことだけ無料で見れるようにしている根拠がわかりませんわ。 毎回思うけど、人身事故のニュースや地域の情報、災害のニュースでも時々、料金制のニュースになってることがある。しかしこう言ったニュースは無料。 その基準を教えて欲しいわ。マジでこの新聞会社の基準がわからん。
・コメ欄見てると、危険なイベント禁止せよみたいな意見が多く感じます。
実際には、一生懸命安全にやるよう心がけてやってる中で、たまたま不運にもお怪我をされただけなのに、祭り=危険なもの/排除すべきもののように単純化されるのは少し違うような気がするのですが。
指切断というのは色んな場面での事故で発生するもので、自分が直接知ってるものでも草刈り鎌で切ったとか、機械にはさまれてとか、パイプ椅子なんて例もあります。
事故の報道とは本来、そういうことがあるから皆も気をつけようという注意喚起の意味合いがあると思うのです。
著しく安全管理を怠ったという証拠もないのに、外部から一方的に主催者や参加者を批判するのは違うのではないでしょうか。
・コロナ下で祭りの継承が希薄になったのが原因かと思いました。とは言え、今までのような酒を飲み交わしながら年配者の注意を聞くと言うような機会は少なくなっていますので、時代にあった注意喚起のマニュアルみたいな物が必要だと思いました。
・毎年日本中の荒っぽい祭りで人身事故が起きています。伝統的な祭りを継承するのは大事な事だが全く「危険予知」が成されていません。今までやって来たではなく事故を起こさないためにこれからどう対処するかを考えて下さい。
・今日はものすごい陽射しで、炎天下での祭に出るとなると逃げ場がないですから、暑さで集中力がなくなることも原因にあったのではないのかと思います。適度に休みを入れつつやってほしいですね。
・よその祭りだろうと自分のところの祭りに関係なくても、事故がおきていることを周知し、神輿を降ろすとき全員の小指を放すことを声に出し確認してから降ろす、ゆっくり行動させるとかかな。
・男の戦場などで命がけの祭りごとをしたいのでしょうから、誓約書を書くぐらいで安全対策を図ったら祭り自体の迫力魅力がなくなるということで、今後も事故は起こることは避けられないと思います。 十分に練習してほしいですが。けがをしても悔いなしでしょう。
・危険を改善できることならそれに越したことはないですが何処まで歯止めをきかせるのか。 救急車の事故がある度にメディアに晒して法定速度と信号遵守をさけびますかぁ 野球なんてもってのほか!柔らかいボールにして高速と同じくさいこう120㌔までにしてみますかぁ サッカーのヘディングは頸椎を痛めるのでファールにしましょう。 オリンピックは夏の熱中症と冬の低体温症予防のために春秋に開催爽やか ん~皮肉しか浮かばない!!! マネーゲームがなり立つものは生涯としてもよいが祭は駄目みたいな価値観の違いで他人が規制するのはどうかな? 自己責任でいいんじゃないか?日本は異常なほどの少数派寛容性の時代なんですから・・・ 皮肉ばかりで申し訳ない
・安全基準もない時代に造られた祭りに、いまの安全基準等を求める方が無理があると思う。 事故リスクを減らす対策はできるだろうけど、殆どがボランティアだろうから時間やお金はない。 参加する人も見学する人も、自由参加なので自己責任が基本だと思う。
・昔の祭りって、なんて言うか、男の人のエネルギー発散の娯楽みたいな部分もあったのかなって勝手に思ってて 神事とは言いながら、男たちがワイワイやって危ないことやってウェーイ!ってやるもんかなって。
今は昔みたいに娯楽が少ない訳でもないし、男たちも体力持て余すほど強くないだろうし(持て余してる人もいるかもだけど) 歴史も大事だけど、危なくないようにゆっくりやるとか、山車とかなら重さを軽くするとか、工夫していかないといけないのかもね。
・こういう危ない祭りって全国にいろいろあるけど、どうなんだろうね やる理由はそれが伝統、アイデンティティだからって言うだろう ただフラットに見たら安全か安全じゃないかで言うと安全じゃない 事故が起きても不思議ではない まぁ、やめたらとか言っても野暮なんだろうけどさ だんじりにしろ昨年死亡事故があった岡山の祭りにしろ、そういう事故、場合によっては死亡する事も折り込み済みでそれでもやりたいという人だけやれば良いよ ただ単に伝統だからやってるってだけの熱が薄い人にとったら、たまったもんじゃないだろうけど
・> 転倒し、左前輪に左手をひかれた。小指が切断に近い状態になるなどして、病院に運ばれた。滋賀県警高島署によると、当時は約20人で曳山を保管場所へ移動させていたという。
このリスクを回避するとなると,今のようなやり方(でかい何か(伝統的なモノ)を多数の人間が動かす)を続けるのは難しいと思う。辞めるか,「この祭としては妥当なリスクです」とするか。ただ後者の場合は世間にも認めさせる必要があると思うが・・
・死者が出ても中止にならない伝統のお祭り。 特にカーブでスピードを落とすことなく曲がるので、怪我人は想定内なはず。 死者が出ても中止にならずに翌年も開催されている行事です。
・子どもの頃地元の祭りで太鼓叩きながら近所を回っていたけどとにかく嫌だった。 今はうちの地域も子どもが極端に少なくなって子どもだけじゃ人を集められないから大人が叩いてるらしいけど昔からの伝統とはいえそこまで無理してでもやらなきゃいけないもんなのか?と疑問に思う。 祭りなんて今の若者はみんなやりたいと思ってないからやらなくて良いよ。地元を離れて生活してたら余計にそう思うわ。
・お祭りの担い手が高齢化しているのは全国的な傾向でここ数年はコロナでやってなかったお祭りもあるだろうから久しぶりの祭りで感覚は鈍ってるし体力動体視力は衰えてるしでこれまで普通にやってたことを同じ感覚でやってこういう事故につながった人がそれなりにいるのでは。
・全国の祭でこんな過激なのは 過去にも有ったはずなのに 何の教訓にも成って無いし 祭の醍醐味として考え 反省も安全対策も甘い から繰り返し起こる ちゃんと検証や安全対策を しないと祭自体危険だから 中止に成る可能性が有ると思います 今一度何の為や目的を今一度考える べきだと思います
・人間が好きで祭りやって、その結果怪我するんなら、別にどうでもいいんじゃないですかね。 崖を馬に登らせるとかは潰すべきだと思いますけど。 現実的な対応として、3Dプリントで作った超軽量神輿とか山車を使うと良いんじゃないですかね。
・一生残る身体的怪我や死亡事故を出してまで続ける意義がわからない 楽しい事は良いし神を祭るのも構わないけどそれとこれは話が違う 楽しんだ上で安全が大前提で辞めることや変えた方が良い場合は速やかに行動に移すように出来たら良いのに
・工場や建築現場など大きな事故が起これば 警察に労基が入り操業や工事が中止され徹底的な調査と 事故防止対策が求められます 祭りでの神輿は毎年のようにあちこちで事故起こしてるのに なくならないんですよね
・全国で祭りの際の事故・怪我のニュースをよく目にするようになった。 故郷のちょっと激し目の祭りでは、今のところニュースになるような事故や怪我はないが、自分が子供のときに比べて山車は早く、激しくなっているような気がする。。。
・ごく普通に毎年よくある記事。結果神事に負傷したのであってなんら人様があれこれ言う筋合いもなかろう。公的機関が道路使用許可も発令している伝統行事でこれからも存続する。
・以前、三大奇祭の一つに数えられている地元のお祭りで、その祭りでけがをするのは不名誉とされ、けがを隠すしきたりが続いていたが、ようやく最近になってけが人が多数出ていることが明らかになりつつあるという話を聞いたことがあります。
・「この祭に全てを懸ける」、「この祭でケガをしても、死んでも本望」って方はいらっしゃると思います。ただ、時代が許してくれないのは事実でして… 他のコメントにもありますが万が一見物客にケガを負わせるというのは考えものですのでなんらかの対策が必要になるとは思います。
・この記事だけで全てが理解出来るとは思えませんが、高齢化や人混みの警備など 元々は地元オンリーでやってたモノが、TVの取材やコロナ明けで人混みになってしまって 個人を守りきれないイベントになってる気がします 祀りそのものの意義を今一度確認するべきでは?
・俺の地域のだんじりは、 どちらかと云えば祇園祭の辻回しに近い形で角を曲がる。 それでも、とんでもない重量物の方向転換をするわけだから、 細心の注意を払う。 そして所定の場所にだんじりを収めた時、無事に終わった安堵感と どう表現していいかわからない疲労感が一気に押し寄せる。
・昨年なんかもそうだったけど、祭りでの事故が止まらないね‥。
コロナで「しばらくやってなかった」とノウハウが薄れた、という面もあるだろうし、基本運営は市民だから『少子高齢化でそもそも人が少なく、さらに良くわかってる人は更に少なく』という状況が、わりと全国共通だと思う。
・大阪の岸和田の祭りでは、祭り参加者専用の保険があると聞きました 一度見に行ったことがありますが、あれは保険に入っておいた方がいいですね
・今の時代、指を失うまでの過剰な見せ方の 神事なんて、そぐわないと思う。 失った人は神様に捧げたとか、思えないと思う。 結果、本人、家族が悲しむと思うし。 祭りの季節が来るたび、楽しむ気持ちになれないと思う。 ホントに見直すべき。
・神事とはうわべだけのお祭りが増えているのが現実。 先ごろ、能登地方でもお祭りが行われましたね。 「復興の一助になれば」と言っておられましたが、祭りに集まった人や見物人の方々が、祭りではなくボランティアなどを行ったほうが「復興の一助」になるような気がしますが・・・ ちなみにそう言っていた方々やその周りにいる人達は、お酒を手に顔を真赤にしている人たちばかりでしたね
・昔からの伝統ということで危険の行為を正当化する人達がいますが、いつだって当時の常識に合わせてかつての伝統は変わってきました。今の社会でおかしいだろうと思われることは無理して続けようとしたって続かないです。むしろ時代に合わわせて柔軟に変化する伝統こそ未来に残ります。
・この祭りを今後やらないか出演者、見物者ともに怪我があっても補償は一切なしのどちらかにすればいい。お金がない運営にはその道しかない。
たぶん祭りを中止することはないだろうから最悪死人が出てもやむなしというところに落ち着くのでしょう。 まさか自分がとだれもが思うことですが自己防衛ができるなら参加しない、見学は遠くからする。これしかないでしょうね。
・経験者が減ってるんでしょうか?安全を守れる人が少ないと事故も増えますよね。 ケガしてまでも祭りを続ける必要があるかどうか・・・考える必要がありそうです。
・人が集まるところは、お祭りにしても事故は付きものである。決して珍しいことでもない。統計から青信号の横断歩道で一番亡くなっている。自殺者も年間2万人に達する。統計を取れば神事のお祭りの怪我人がどのくらいいらっしゃるか判る。生きると言う事は、ある意味死と背中合わせでもある。
・派手なことやるにも技術がいる。祭りだからといって素人が集まって気合いだけで出来るものではないということかもしれません。身の丈にあった危険性の低い催しを考える必要がありそうですね。
・大溝祭りの曳山は若い衆が舵取りしながら進む訳だけど。先頭の引綱引きに加わってた参加者かな。祭りの終わりかけの事故だったけど、曳山はスピード出す場所もあるから足腰疲れてたなら年寄りは自ら引綱から外れないと周りに迷惑かけるよ。
・この手の危険を伴う祭は変え時ですね。何かあれば、重度障害になる可能性が高い。運が悪ければ死ぬ。 掛け捨ての傷害保険は掛けているだろうけど、労災なら年金が出る様なケースでも一時金が出るだけ。地域の祭といっても、コミュニティで面倒見てくれるわけではないしね。 地域に取って大事な祭りなのはわかるが、命を賭ける程のものじゃない。
・70にもなられているとか。 わたしよりは半回りほど若いけれど、70過ぎたら無理だって。 若い頃の意識が先に立つのだけれど、現実は、自分が思っていたようには体が動かない。 その結果、他人に迷惑をかけることになる。
どうしてもやりたければ、運営などの裏方に徹すべきですよ。
・こういうのは以前からあったのか、それとも神輿担ぎ手が高齢化進んで衰えてるのか。 いずれにしろ、現状は対策が必要でしょうね。こんな悲しい事故は伝統行事だからとはいえ看過できないでしょう。
・各地で祭りで事故が相次いでますね… 神事だから伝統だからとやって、怪我人が出たら元も子もないかと… 多度の馬が坂を駆け上るのも、神事だからと壁を取っ払ってまで強行。 犠牲となる人や馬が出て、神が喜ぶとは思えませんが…
・怪我のうちは良いと言う事では無く小指を無くしてる方もいらっしゃる、のも事実です。神事を止めるか中止するか安全を確認出来るまでは中止せざるを得ない、でしょうね。
・昨年神輿を担いでいるときにすぐ近くまで妊婦さんがスマホで動画撮影にきていました。万が一接触して転倒されては大変なので離れてくださいと最初注意した時は無視!!!厳しく注意すると不機嫌になり怒り出す始末・・・ 御祭りはテンションが上がり楽しいですが、各自安全に注意して欲しいものです。
・確かに残念なことではあるが ただこういった事故ですぐ騒ぐのは祭りにも参加せずニュース、ネット上から情報を得た人らが騒いでいる。 現場との空気感の違いがある。 嫌なら祭りいかなきゃよろしい、やめときなよ。 今の時代に合わせたやり方って簡単にいうが、こういうのが問題になり始めたのはここ数十年前からの話。 そんな浅い何月で何百年もの伝統を変えてしまうのですか?
話変わるが、たとえばモータースポーツ とても危険がつきものでしょう?特にバイクのレースとか。 海外では日本人が理解できぬ位の人気。日本ではさほど人気なし。だってバイクレースなんてとても危険だもの。死亡事故とか起きたら日本だったら大騒ぎだよね
結局は日本人の価値観が今やそういうレベルということ。 安全面をどうとかいうんじゃなく、ただただ視野の狭い国民になっているだけですよ
・お祭りは神に捧げる敬意です。 たとえ命を犠牲にしてでも…命がけなのです。 この人は神様に小指捧げられて喜んでると思います。 そうじゃなきゃ意味無いです。参加するには、真剣に向き合う事が大事です。ギャラリーも時には犠牲になる覚悟も必要です。 だから楽しいのです。
・だんじりの事故で、亡くなった方のお母様が、「大好きなだんじりで亡くなったので、仕方ないです。」と言って、ご自身を納得させておられました。 通行止めとかになるので、だんじりの期間が、早く過ぎないかな〜と思います。
・このような危険を伴う祭りを開催するならきっちりと責任者を立て事故が起こった際に責任者及び関係者を業務上過失傷害/致死で起訴出来るようにすれば良い。そうすれば責任を取りたく無い/取れない祭りは必然的になくなっていく。また開催する祭りや強者がいても危機管理は今よりも責任感を持って取り組むと思う。
・昔、地元の祭りで神輿の担ぎ棒と鉄柱の間に小指挟んで、取れた小指自分で拾って「スミマセン!指取れちゃいました!!」って血だらけで家に駆け込んできた担ぎ手が居た…(今思い出してもヒィィー) 昔は事件になんてならなかったし、神事だからって本人も自分不注意って大事にする気も無かったんだよなぁ…
・だんじりや諏訪の御柱祭、死者が出ても何もなかったようにやってるもんね。祭り自体がコロナ禍で簡素化されたり神輿とかかつがなくなってきているわが町では正直信じられないよね。
・祭は、どれもが危ない。止めよう。 Yahoo!ニュースで毎年様々な祭で怪我や事故の話題が散見される。元々は地域の祭が、観光の呼び物に成ってから、観光客も巻き込まれる事故もある。今までは日本人だけだったからそれほど大きな混乱はなかったけど、外国人観光客が増えると余計に危なくなる。
怪我すると直ぐに安全管理となるし、安全にお祭り騒ぎなんて無理だろ?
・だんじりの「責任者」自体が無責任。参加するなら自己責任というのはただの言い逃れや責任逃れ。祭りの行為自体が危険だと認識していながら放置し、事故があってもなんの責任も取らない。自分達さえ楽しめればよいと知らんぷり。 業務上過失致死や業務上尾過失傷害にならないのがおかしい。「神事」という宗教行事で法を捻じ曲げないでもらいたい。
・テレビもねえ、ラジオもねえ そういう時代だったら正に地域の誰もが楽しみにするイベントだったと 思いますが、今ではお荷物だと感じる事が多いと推測されます。 色々予定があるのに潰されて、仕舞いには体まで壊されて…
はっきりした実利がないと祭りの維持は難しいと思います。世知辛いとか 金目ばかりという批判があるでしょうが、そもそも昔の時代の祭りは 参加する人間に明確に実利があったと思います。参加しない人間は 人扱いされないとか、参加する人間には嫁がくるとか…
「相応の金を出さないと、こんな事やってらんないよ」それが当たり前に 時代がすぐそこまで来ていると思います。綺麗事ではすみません。
|
![]() |