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孤独の大家が語る「人が80代になって後悔すること」、なぜ今、世界中で「孤独」について関心が高いのか

東洋経済オンライン 5/5(日) 12:21 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/b4c65468240475bb6021e1e2902d5707489af25a

 

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研究によると、ハーバード大学が85年にわたり行っている幸福に関する研究で、孤独問題が1950年代から悪化していることが明らかとなっている。

SNSの普及や経済的格差の拡大が原因として挙げられており、特に若者に影響を与えている。

被験者たちが80代になった時に最も後悔していることは、「仕事に時間を費やしすぎて、大切な人たちと過ごす時間が足りなかった」ことだと語られている。

多くの女性が晩年に後悔することについても触れられており、自分の人生を自由に生きることが重要であると説かれている。

(要約)

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研究によると、多くの女性が晩年に「後悔すること」があるのだという。写真と本文は直接関係ありません(撮影:今井康一) 

 

孤独や社会的孤立が多くの国で深刻化している。個人の幸せのみならず、その経済的、社会的大きさの影響からイギリスには孤独担当相が設置され、日本でも4月から孤独・孤立対策推進法が施行された。本来人々をつなげるはずのSNSが普及しているにもかかわらず、私たちはなぜ、こんなに孤独になってしまったのか。 

『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』の著者の1人で、ハーバード成人発達研究所の責任者であるロバート・ウォールディンガー教授によると、実は孤独問題は1950年代から悪化する一方だという(インタビュー前編はこちら)。 

 

【写真】『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』の著者の1人であるロバート・ウォールディンガー教授 

 

■「何が普通なのか」がみんな気になる 

 

 ――ハーバード大学が幸福に関する研究を85年も続けているのは驚きです。 

 

 この研究がまだ続いているのは、ある意味偶然なんです。この種の長期にわたって人々を追跡する研究のほとんどは、10年を経過する前にやめてしまいます。脱落する被験者が多いからです。 

 

 私たちの研究は、85年もの間、十分な人数を維持し続けたという点で、まったく異例なものです。しかも、当初の対象者のうち22%しか脱落していません。 

 

 ハーバード大学が興味を示しているのは、もともとの被験者の約3分の1がハーバード大学の学生だったからであり、この種の研究の中で最長のものだからです。科学的にも非常に珍しい研究なんです。 

 

 ――この本は世界中で読まれているそうですが、各国でここまで孤独について関心が高いのはなぜでしょうか。 

 

 自分や人の人生でどんなことが起きているのか、それを知りたい人が多いのではないでしょうか。 

 

 他の人はどんな人生を送っているのか、自分は人に比べていい人生を送っているのかを知りたいのです。私たちは最初の被験者724人だけでなく、その家族も含めて1000人以上の人々を長年にわたって調査し、さまざまな生き方を見てきました。多くの人はそれに興味があるのだと思います。 

 

 

 よく受ける質問に、「何が普通なのか。どんなふうに生きるのか普通なのか」「こういう生き方をしたら不幸になるのか」というのがあります。 

 

 ――自分と他人の人生を比べることで、自分は人より「普通だ」「幸せだ」と感じたいと。 

 

 ただ、他人と自分を比較する回数が多ければ多いほど、幸福度が下がるという研究結果もあります。だから、毎日、他人がどうであるかを気にする時間を減らしている人ほど幸せなんです。 

 

 ――しかし、SNSによって他人のことを気にかける人が増えています。 

 

 SNSは、私たちを互いに比較させるだけのものです。そしてもちろん、私たちが比較しているのは非現実的なイメージです。 

 

 これは今に始まったことではありません。テレビや雑誌を見れば、こんな生活であるべきというイメージが出てきますが、誰もそんな生活はしていません。 

 

 そして、インターネットやSNSはさらにこうしたイメージを助長しています。これは特に若者に大きな影響を与えています。SNSで見る理想的な生活を見て、それが現実ではないと捉えられないのです。 

 

■孤独問題は1950年代から悪化する一方 

 

 ――孤独や社会的孤立の問題は、ハーバード大学が調査を始めた当初より悪化していると思いますか?  

 

 実のところ、何十年もの間、悪化の一途をたどっています。 

 

 アメリカでは1950年代から記録が始まっています。政治学者のロバート・パットナムは『ボウリング・アローン』という本を書きましたが、この本では1950年代からアメリカ社会において人々が他人への投資を減らしている、すなわち、人と過ごす時間が減っている様子を描いています。 

 

 これはアメリカの各家庭にテレビが設けられたことと関係していると考えています。人々は外出しなくなり、頻繁に人を家に招くこともしなくなりました。礼拝にも行かなくなり、クラブやその他の地域団体にも参加しなくなった。こうした状況は1950年代以降、どんどん悪化しています。 

 

 こうした傾向をさらに加速させたものの1つが、デジタル革命であり、SNSだと私たちは考えています。 

 

 ――孤独や社会的孤立の深刻さと経済発展との間に関連性はあると思いますか?  

 

 

 どうでしょう。あなたは、どう思う?  

 

 ――技術的な発展と経済的な発展はほぼ連動しているので、そう考えるのが自然だと思います。 

 

 経済発展をしているということは、格差も大きくなっているということです。日本はどうかはわかりませんが、アメリカではそうです。格差がどんどん広がる中で、人々は食料や家賃を賄うために苦慮するようになっています。 

 

 多くの人が仕事を2つも3つも仕事を掛け持ちしているので、家族と一緒に夕食を取ったり、週末にくつろいだり、人と会ったりする時間が減っています。経済的な不公平は社会的孤立を悪化させると思います。 

 

■被験者たちが80代になって最も後悔していたのは 

 

 ――では、孤独や社会的孤立は、発展途上国よりも先進国の方が深刻な問題だと言えますか?  

 

 例えば、インドを発展途上国と呼ぶか先進国と呼ぶかはわかりませんが……多くの人々が村から都会へと移り住んでいます。中国でも同じことが起きています。若者が就職のチャンスを求めて大都市に移り住むと、家族を残して出て行くことになります。 

 

 結果、例えば祖父母は孫の面倒を見ることができなくなったり、子どもができた時に必要な子育ての援助を親や祖父母から受けられなくなります。 

 

 また、村や小さな町から大都市に引っ越した場合、旧交を温めることは容易ではありません。これは、先進国は当たり前のことですが、社会的構造が急速に変化している発展途上国でも起こっていると私たちは考えています。 

 

 ――人は希望をかなえるために、そしてより豊かになるために懸命に働くのに、気がついたら以前より孤独になっていると……。 

 

 その通りです。 

 

 被験者たちが80代になった時に、自分の人生を振り返って一番後悔していることは何かと尋ねたところ、一番多かった後悔は、仕事に時間を費やしすぎて、大切な人たちと過ごす時間が足りなかったということでした。 

 

 ――ご自身は、家族と十分な時間を過ごしてきたと思いますか?  

 

 どれだけ過ごしても「十分」ではないですね。ただ、この研究をしていたいこともありますし、私の父はいつも働いていて、大人になるまで父のことをよく知らなかったので、自分自身は父親の役割を果たしたいと、時間を計画的に使うようにしました。 

 

 今となっては、それができて幸運だったし、それができる仕事を選ぶこともできました。ただ一方で、私のキャリアは多くの同僚よりも遅れていました。仕事を減らして家族との時間を増やすことを選んだからです。 

 

 

 ――それで満足ですか?  

 

 とても幸せです。だって今となっては、私がどれだけ多くの科学論文を発表したかなんて、どうでもいいじゃないですか。 

 

 アメリカには今、とても参考になる格言があります。それは、「20年後、あなたが会社で遅くまで働いたかどうかを覚えているのは、あなたの子どもたちだけだ」というものです。 

 

 ――この研究をしたことで、先生の人生に影響を与えたことは他にありますか?  

 

 人生には実にさまざまな生き方があることを知りました。私がどれだけ賞を取ろうが、どれだけお金を稼ごうが、誰も気にしない、ということです。 

 

 もちろん仕事は重要ですし、私は自分の仕事をとても大切にしています。でもそれは例えば、仕事で何か賞を得よう、と努力しようということとは違います。賞を取ったってそんなこと誰も気にしないのですから。 

 

■多くの女性が晩年後悔すること 

 

 ――著書の中ではいかに若い世代が有名になることを重視しているかが出てきますね。 

 

 今の名声とはすなわち、ソーシャルメディアにおけるインフルエンサーです。それが自分の人生を左右すると考えているのです。ただし、SNSの問題はほとんどが「作り上げられたもの」だということです。 

 

 10代や20代ならそう思っても仕方ないかもしれません。ただ、80代の被験者に話を聞くと、多くの人、特に女性が「他人の目を気にすることに時間を費やさなければよかった」と話します。 

 

 他人が自分のことをどう思うか、他人が何かについてどう思うかを気にしなければよかった、彼らの人生ではなく、自分の人生を自由に生きればよかった、と。 

 

 若い人たちにはこのことを知ってもらいたいと思います。他人があなたのことをどう思うのかなんて結局のところどうでもいいということです。 

 

倉沢 美左 :東洋経済 記者 

 

 

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(まとめ) 

ここに挙げられたコメントからは、定年退職後や人間関係、家族、孤独、自己肯定、他者との比較、SNSなど、様々な観点からの意見や考え方が見られます。

一部のコメントでは、他人との関わりを持たずに生活することでストレス軽減や自由を享受する喜びがあると述べられている一方、孤独を否定せずに自分自身と向き合うことの大切さも語られています。

また、他人との比較や他人の目を気にすることによるストレス、現代社会における孤独の増加といったテーマも取り上げられています。

自己肯定や幸福の在り方についても、人それぞれ異なる考え方や生き方があることが示唆されています。

人生の喜びや幸せにおいて、自分自身の内面との関係性が重要であることが多くのコメントから読み取れます。

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・定年退職後を機に極力他人との関わりを持たずに生活をしているが、年金生活も然程悪くは無い。 

特に孤独感を抱く事も無く、気の合わない上司や同僚のお顔を見ないで済むのが何よりのストレス軽減に繋がっている様だ。 

酒・タバコを嗜好していたが、スパッとやめる事が出来たのも、会社員で有る以上、ある程度の人事評価・効果等を意識せざるを得ない生活が息苦しさをもたらしていた様だ。 

他人の目など気にせず、比較しない事が何より穏やかに過ごせます。 

 

 

・それこそ街づくりだと思う。 

家からどこか行くとき公園があったり河原があったりするところを歩いて買い物や散歩やふらっと出かけられる、公園にベンチとかもあり出かけていれば自然と人とあいさつや世間話も出来る。 

ひとりでいたいときは家にいればいいし、ちょっと人の中に行きたければ公園や近所に出れば人がいるような街なら孤独感も少ないと思うけどね。 

歩いて行けるところに公園とベンチと綺麗な公衆トイレがあって季節感があれば外も楽しいけど。 

 

 

・今は、一緒に住んでいる者同士が家族であり、一緒に住んでなければ本当の親子でも家族じゃない風潮を感じます。 

特に兄弟が成人してそれぞれ家庭を持つと、アカの他人並みの関係になる人が最近多い気がします。 

そして、自分以外の人に干渉する時間も余裕もなかなか無いし煩わしいし、自分も干渉されるのは煩わしい人も多い。 

そして、私は仕事がら病院や老人施設などにおうかがいしますが、今の時代、子供がいてももう面倒も最後の看取りもしてもらえない覚悟は親には必要かと思います。 

 

 

・人も価値観は人それぞれ。 

そして、それらの価値は両立が難しい。 

孤独と自由。 

孤独でないのが良いなら、人付き合いを頑張るしかない。 

しかし、人付き合いは面倒。人の都合も考慮する必要がある。 

自由でなくなる。 

昔は、孤独は生活が成り立たなかったから、人付き合いは必須だった。 

人付き合いによる助け合いが必要だった。 

時代が進んで、生きるだけなら、一人でも生きていけるようになった。 

人付き合いによる助け合いは必要無くなった。 

結果、自由になった。 

しかし、人付き合いは今生きるための助け合いだけでない。 

世代間の助け合いとしての親子の付き合いもある。 

人付き合いにより、生きる喜びも高まる。 

自由と孤独は隣りあわせと言うこと。 

 

 

・独りになって、目に見えて体調が良くなった。 

活動意欲が湧いてきて、体力も付いた。 

できる限り人とは関わりたくない。 

接したら愛想良くはできるが、とても疲れるし、今どき嫌な気分になることが多い。 

寂しいと思うことはないし、むしろ人がいるのがストレス。 

元々は人嫌いだったわけでもなく、外交的で話し好きだと思われていたと思う。 

今はもうそういうのに疲弊してしまって、一人でのんびりとマイペースで生きているのが幸せ。 

そんな人、いない? 

こんなのでも孤独は良くないこと、になるのかね? 

 

 

・高校生まで祖父母と両親と三世代同居をしていました。 

農業をしていた祖父母ですが、私が小学生の頃には既に両親へバトンタッチが済んでおり、小学校から帰ると、一緒に相撲や時代劇の再放送を一緒に見ていました。 

昼間は、実家近くの畑で野菜を作り家で消費していました。頑固な祖父は、近所の方との交流も少なく、孫たちが居なくなった晩年は、記事にある「孤独」感を味わっていたではないか?と心配していました。 

そのことを、最近自分の母に話したところ、野菜を育てたりすることが楽しかったこと、野菜を作っていると、畑の近所の方や通りがかりの方と話がはずむこと、作った野菜をおすそ分けすると大変喜ばれていたことなどエピソードを聞きました。 

心配が解消され、ほっとした気持ちと、自身の今後のありようを考える機会になりました。 

また、今回の記事も参考になりそうだなと思いました。 

 

 

・時代や社会情勢に合わせて家族関係も変化していく。核家族化の極みが現在の日本だろう。今後はまた新しい動きが出てくるだろう。基本的には昔の大家族ではないが、非血縁関係の人達が連携して連絡を取り合うなど、何らかの変化を求めて来る気がします。 

 

 

・私は子供の頃友達の自分より裕福さや能力の高さを比べては良いなぁ~と羨んでました。ある日母から一言、羨ましいとかそれが増幅して妬みとかはとても卑しい心だよ、と。要するに人と比べるな、という事なんでしょうが子供の私はグサリときて以来どんなに素晴らしい人や境遇であっても羨む気持ちは封じました。私は私で楽しもうと今もお金はないのですがなんやかやと楽しみを見つけて生きてます。お陰で余計なストレスは感じません。 

 

 

・アメリカは特に孤独を良しとしない社会に思う。 

孤独から出たいという人には救いが多いかもしれないが、そうでなく孤独を望んでる人には、(孤独を望む自分は間違ってるのかなど)葛藤やいらぬストレスがないかと心配になる。 

その点、日本はまだ孤独に寛容であると思うので、そのストレスはアメリカほどではないと思う。 

しかし、孤独自体がそもそも何かしら負荷があるものかもしれないけど。 

 

 

・社会の歯車として動いていれば個人の繋がりが無くても生きていけますから、社会参加=個人の繋がりとならなくなったのも一因かと思います。 

 

生きて生活が楽になったぶん人との繋がりが軽薄になり寂しさを覚える。 

そしたらより人と繋がることを楽にするシステムを作るんでしょうかね? 

 

人の営みは面白いものです。 

 

 

 

・他人との比較で幸福が決まるなら常に変動する世界では幸福も変動してしまう。あの人より私は幸福だからと言う精神は物理的には幸福でも精神的にこれ程貧しいものは無い。絶対的幸福は存在する。人は食や音楽、旅行、芸術などよって五感が満たされる事により幸福を感ずる。味覚、嗅覚、視覚、聴覚、肌感覚の心地よさによって幸福を感ずる。しかし孤独はそれらが全て満たされても自分は不幸だと感ずるのである。五感をはるかに超えた比べる事も出来ない絶体的幸福の感覚とは人との結びつきの感覚である。 

 

 

・人は生まれる時も一人であります。死ぬ時も一人で亡くなり肉体はなくなります。後は生きている間にどれだけ人の繋がりがあるのか?自分にとってメリットとない人とは断捨離すべきでしょう。ほんとに友人は少ない物と考えて生きたほうが良いと感じますね。 

 

 

・自分も市民農園等で野菜を作っています。まあ自分で食べきれなくなるくらいできます。(今はサニーレタス、イチゴ) 

100円ショップで種を買い苗まで育てます。野菜の苗(サニーレタス、ミニトマト・・)を近所におすそ分けすると喜ばれます。 

イチゴはランナーで増えるので1株から20株ぐらい増えます。お勧めです。ただ病気が蔓延すると全滅しますが。 

 

 

・若者が本能的に自立を望むのに対し、今の環境は孤独を満喫するに充分な《周辺》が整ってしまっている。 

人々が個に甘え、個に依存すればするほど他人との距離は広まるばかり。 

それが蔓延、常態化しているのが現在。 

 

個が孤独に移行するのは簡単だ、今の時代は何も困る事はない。 

しかし孤独な環境に慣れてしまった人が、その環境から脱する事は決して容易ではなくなってしまった。 

孤独に移行する何倍も難しいし、人によっては不可能に近いだろう。 

 

孤独環境もまた依存性から始まり、サポートが無ければ抜けるのは困難となる。 

 

個人的には世界規模の計画的誘導だと考えている。 

メディア媒体や孤独に便利な環境は経済循環と共に利用されているだけだ。 

 

価値観の相違、それだけで敵味方とまで思考から操られている。 

警鐘を鳴らすメディアなど皆無で、むしろ煽り、産業もそれに倣った。 

 

結果的に今では孤独感に苛まれている人が多数。 

 

 

・46になろうとし、いっぱしの管理職をさせてもらい、子供3人に恵まれました。 

 昨年体調を崩しました。キャリアはすでにゴールが見えてきた。 

 あと一踏ん張りして花を咲かすのかどうか。 

 未だ逡巡している。 

 この記事の被験者には遠く及ばぬ仕事人ですが、ここまで家庭は全て妻任せ、仕事に人生捧げてきました。そうでなければ管理職には絶対なれなかった。 

 職場の若い世代は、気づいているので最近は本当に上昇志向持つ者とても少ない。 

  

 でもそんな仕事のガチガチの価値観染まり切ってない若い子見て最近裏ましいと思うようになった。 

 

 もう折り返し地点をとうに越して気づいた。 

 もっと家族との時間を大切にしようと。 

 

 

・>> 他人があなたのことをどう思うのかなんて結局のところどうでもいいということ 

 

ほんとこれ。みんな自意識過剰だと思う。誰もあなたのことなんて気にしてないってと突っ込みたくなる人たくさんいる。 

 

人がどう思っているかなんてどうでもいいと思えると、自分の感性、大切なものに集中できる。 

 

世間体や回りの目ばかり気にしてる人って息苦しそうだし、人のことを評価したり干渉することが多くて面倒ったらあったものではない。世の中のためにももっと自分の生活に集中してもらえたら平和な世の中になるのにと心の底から思う。 

 

SNSなんてやらないに限る。 

 

 

・他人が自分のことをどう思うか、他人が何かについてどう思うかを気にしなければよかった、彼らの人生ではなく、自分の人生を自由に生きればよかった、 

→これは日本人には難しい。 

 これを実践する人間に周囲の日本人は「自分勝手」「空気読めない」と激しく攻撃してそういう自由に生きている人間を「空気を読んで回りを気にして行動する人」に変えようとする。学校教育からしてそうだからね。 

自由に生きるのを妨害する周囲の人間の圧力(同調圧力)が日本では半端ないことを自覚しないとダメ。 

 

 

・ヒトは数百万年の間、だいたい150人以下の小集団(集落)の中で生まれ、成長し、結婚し、子を産み、育て、年老いて、死んできた。 

小集団の中での人間関係は極めて濃厚で、プライバシーはなく、集落のルール(掟)は絶対で、集団生活に適正のない者(変わり者)は集団から排除され、集落から捨てられた。 

それはそのまま「死」を意味する。 

 

現代人のDNAにも、生存のためには小集団に帰属・服従し、小集団からの孤立を(絶対に)避けるような本能が深く刻まれている。 

ヒトの本能は孤立を避けるようプログラムされているのに、現代社会は個人のプライバシーを尊重し、他人への干渉を制限する方向で進化し続けてている。 

本能が「もっと他人に干渉しろ、他人から干渉されろ」と司令しているのだから、現代人が孤独を恐れるのは当然だが、だからと言って昭和の長屋みたいな、隣人や近所との濃厚な人間関係(お節介)に戻りたい訳でもないだろう(笑) 

 

 

・経験と想定の違いに、思考の変化を考えもしなかった想定では、浅はかだったと世代に伝えても、同じ時代で過ごして無いので物が有れば、進化してれば、いつの時代の若者も考え方は同じ。感じ事は説明では理解出来ないのがまだまだ心理的な若い余裕でしょう。 

 

 

・「家族」ってそんなに都合のいいものではないよ。家族の中でも合う合わないってもちろんあるし、その合わない家族が「自分が信じる正義以外認めない人」だったら本当に疲れるよ。特に親がそういうタイプだと子供は萎縮するか反発するかで良好な関係を築くのは無理。家族が居心地がいい存在なら別に仲良くすればいいけどね。 

 

 

 

・ネット社会の影響かも? 

お金が 

ネット社会にどんどん流れている 

 

リアル社会の価値が低下し 

それにつれ 

家族共同体がバラバラになっている例が多い 

都会に行ったら帰る場所がない 

 

地域共同体は崩壊しかかっている地方が多い 

若い人が定着しない 

 

でも 

人と人が一緒にいて会話を交わす社会が 

ホントはいいと誰もが思っている 

 

ではどうすればいいのか 

お祭りなどの儀式の際に 

改めて考えてみるしかないのでは? 

 

 

・孤独、なのかな? 

自営業になってほぼ1人仕事。 

人との関わりが無くなった事でストレスは皆無。 

自然に相手との距離感を測れて関係を維持出来る人なら耐えられないかも知れないが自分には苦痛でしかなかった。 

そんな人って結構いるんじゃない? 

別居で家族とも離れてる、無責任だと思うが関係性の薄い家族との同居のほうが荷か重かった。 

子供の頃から50過ぎて今が1番楽に生きてる。 

世間一般この人ライターが考えてる生き方とは違うがこの程度で充分だ。 

 

 

・いずれにしても人はたった1人で死んでいくもの。 

結婚もできず、子もおらず、兄弟姉妹もいない、しかも人付き合い苦手な自分の先は見えています。手持ちのカードで生きて行くしかないのです。カードに孤独が混ざっていれば上手に使うしかない。1人の時間潰しが苦痛な方でないのが救いです。 

 

 

・そもそも、なぜ他人の人生と比べる必要があるのでしょうか? 

100人いれば、100通りの人生があって、全く同じなどあり得ませんよね。 

更に、誰かに代って生きてもらうなんて不可能です。 

だから、何が幸福か、何がしたいかなんて、人によって違うのは当たり前です。 

いくら大金を持っていても、人生に満足しない人もいるし、逆に野垂れ死にで 

も、自分が満足していれば、それでいいと思います。 

他人がとやかく言う事ではないし、人に言う事でもありません。 

60近くになって、残り少ない人生を考えた時、改めて思います。 

 

 

・この手の話題になるとやたらネットでは孤独万歳的なコメントが散見するけど、その人の過去のコメントみてるとやはり病的だから孤独はよくないね。 

人間は自分の人生肯定したいからしょうがないけどさ。問題は孤独で身寄りもない人間て歳を重ねるごとに命を軽く扱われるんだよね。世の中は厳しいよ。 

 

 

・昔、大草原の小さな家、ってドラマがあったけど、主人公のローラがおばあさんになって、家族がバラバラになってさみしく思っていた時、孫だか姪が聞き取って発表した物語だってね。1930年代頃らしい。 

 

 

・中年のオバサンの私には、友達はいない。 

だから孤独なはずなのに… 

快適。 

楽しそうな人達を見ても、何とも思わない。 

おかしいのだろうか…。 

好きなもの食べて、お出掛けして、買い物して、大谷翔平を観てるのがこの上なく楽しい。 

そういえば、若い頃から人に合わすのが苦手で、友達ができにくい質だった。 

もう、このまま行く。 

 

 

・お金、お金、お金⋯働くのも稼ぐ為、悪いことするのもお金が欲しいから、SNSで有名になりたいのもお金、世の中がそうしてるのか⋯分からないけど一番はお金って感じています、「楽しいから、この仕事好きだから働いてる」って聞かないし、家庭に入るのは「世間と切り離されて孤立する」って言う、どー生きれば幸せだったと思えるのか⋯健康で働けるなら良いじゃん!ではダメなの? 

 

 

・他人があなたのことをどう思うのかなんて結局、どうでも良いこと? 

うーん、それはどうかな? 

それだけで済めば、それにこしたことはない。 

ただ、アナタの大切な家族が特定の相手から嫌がらせを受けかねない状況に陥りかけた時、相手にその意思を示さなくてどうするのだろうか? 

結局のところ、そういう相手には強く出なければならないのではないだろうか? 

もし、強く出なかったら、相手はその後のアナタを見くびって来るのではないだろうか? 

 

したがって、必ずしもどうでも良いことなどと言っていられないのではないだろうか? 

時と場合によりけりではないだろうか? 

 

 

・日本はこれからだろうね。 

教員や長時間労働が常態化している方はそれで効率が上がっているかを考えた方がいいですね。 

長時間労働をやってもそれは結果的には低賃金になる。 

 

 

 

・井の中の蛙大海を知らず!何も知らない、比較しないが一番幸せなんだよね!まさに子供の頃みたいに 

でも日本人は他人から幸せだと思われ事が幸せって人が多いから、凄い疲れるんだよね 

 

 

・他人があなたの事をどう思うかなんてどうでもいい。 

全く正論なんだけど、それが凡人には難しい。 

ジョブズとか孫正義みたいに、自分の好きなように振る舞って、 

それで他人から受け入れられるのは天才だからね。 

普通の人は絶えず他人の目を意識しないといけない。 

自分の思い通りには他人は動かないし、受け入れないから。 

 

 

・私はたまたま本さえあればさほど孤独を感じないタイプですけど、集団の中にいても一人でも、自分はこんなハズじゃなかったみたいな強い感情が蝕んでいくんじゃないですかね? 

 

 

・色々と調査されてますが、元も子もないことを言えば、出来る人はたとえ10分の触れ合いでも満足出来るし、出来ない人は1年中一緒にいても出来ません。 

ただそれだけですよ。 

仕事云々ではないですね。 

 

 

・SNSが普及しているにもかかわらず、私たちはなぜ、こんなに孤独になって」 

人の息遣いが伝わってこないからだよ 

 

そんなモノ(SNS)で「一息」つける事に慣らされ、他人に対してもソレで善しと 

してしまう現代病だよ もう、戻れないし 戻らない 

 

 

・孤独については周りに人が多いときに感じることが多い。一人の時は気楽かな。 

といっても程度問題だろうね。なかなか難しい。 

 

 

・ふむ。 

 

これから第二の人生に歩み出す人は、これまでのことは変えられないけど、今これから、楽しみましょう! 

 

まだ若い人は、表向きのことを無視することは出来ないにしても、自分の内心が幸せであるかどうか、そこを基準の1つとしてはきちんと持ちましょう! 

 

(° -° ) 

 

 

・ご飯食べるのも多くの人の尽力で成り立ってる。 

孤独が素晴らしい、人がいるのがストレス。 

とか言う人ほどコメするのね。人と関わるのが嫌なら黙って離島でもいけばいい。 

 

 

・他人と比べない。 

他人の目を気にしない。 

 

すごく簡単で難しいことですね。 

私は、ありがとうの気持ちを大事に生きています。 

 

 

・もの凄く納得できた 

スティーブ・ジョブズが過去の誤った価値観の象徴として扱われる日はそう遠くはない 

 

 

 

・SNSやネット見て他人の楽しさや幸せにイラッときてしまう人はネットやらない方がいい 

 

 

・人生の幸せは、自分だけの時間をどれだけたくさんもったか、で決まるのだ 

 

 

・断言する。人と人生を比べてる間は絶対に幸せになれない。 

 

 

・人は最終的には一人で死ぬのでは 

 

 

・ここに書き込みできるうちはまだまだ大丈夫。 

 

 

・長寿になればなるほど悩んでまうからしゃ~ない。 

 

 

・世間に合わせるのをやめたよ 

 

 

・じゃあどうすればいいのか? 

 

 

・長生きしすぎなんだよ。医療の発達は人を幸福にしてるようで実は長寿という弊害を生んでいる。実は人を不幸にさせている。 

 

 

・80代で後悔?笑 

日本人男性の平均寿命は、81才。自分の父親も81才で死んだ。 

男は後悔する暇も無く死ぬから、人の目を気にしてもしなくてもどっちでもいいよ。 

こんな記事気にせずに生きれば? 

 

 

 

 
 

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