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39歳で「若年性アルツハイマー型認知症」に…トップセールスマンを襲った苦悩 仕事は?家族は? “認知症と生きていく” ある男性の思い

BSS山陰放送 5/5(日) 7:12 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/0257f37e2c545b837c89c2b64e798001971d5972

 

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認知症患者が増加する中、若年性認知症に苦しむ男性が取材された。

39歳で認知症と診断され、宮城県在住の丹野智文さんは自らの経験を語り、悩みや困難に直面する中で前向きに生きる姿勢を示している。

若年性認知症の現状や対応、家族の支援についても触れられており、認知症になることで全てを諦めず、新しいことに挑戦することが重要であると伝えられている。

(要約)

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山陰放送 

 

人生100年時代と言われる今、認知症患者の数は年々増加し、中には若くして認知症と診断される人も少なくありません。 

もし、自分や大切な人が認知症になってしまったら… 

若年性認知症と向き合う一人の男性を取材しました。 

 

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「38歳のときに、同僚の名前とかを忘れてしまって、声をかけられなくなってしまいました。」 

 

そう話すのは、宮城県在住の丹野智文さん、49歳。 

一見、普通の健康な男性に見えますが、丹野さんは今からおよそ10年前に若年性アルツハイマー型認知症と診断されています。 

 

2023年公開の「オレンジ・ランプ」という映画――若年性アルツハイマー型認知症と診断された夫とその妻の9年間の軌跡を描く、実話をもとにした作品があります。 

実は、丹野さんはこの映画のモデルとなった人物でもあるのです。 

 

4月6日、認知症について知ってもらおうと島根県出雲市でイベントが行われました。映画「オレンジ・ランプ」の上映とともに、丹野さんは壇上に立ち、自らの経験を語ります。 

 

丹野智文さん 

「診断される5年前、33歳ぐらいから、徐々に人よりも物覚えが悪いなとは感じておりました。 

でも、認知症だなんて思ったことがなくて、ストレスかな?と思って、病院に行ってみました。」 

 

仙台市の自動車販売会社でトップセールスマンとして活躍していた丹野さん。 

認知症と診断された時、まだ39歳という若さでした。 

 

丹野智文さん 

「付箋に予定を書いて、パソコンの前に貼ってたんだけど、それが人よりも多くなってきて。ノートに書きながら仕事をしてたんですよね。 

でも、まだ30代だったので、まさか病気だとは思っていませんでした。 

ちょっと疲れてるだけかなとか、人よりも仕事量が多いだけかなって思ってました。」 

 

65歳以下で発症する認知症は「若年性認知症と呼ばれており、患者数は国内でおよそ3.5万人。 

その症状や進行の程度は人によって違いがあるといいます。 

 

丹野さんの場合は… 

 

丹野智文さん 

「私は、会社に行ってまず自分の席がどこだかわからなくなるときがあります。パソコンで入力するのも、やっぱり文字が書けないときがあって。パソコンで文字をおっきくして書く時もあったんだけど、もう合ってるかどうかわからないんです。 

仕事ではお客さんを後輩に渡しなさいって言われて… 

車の営業をしていたんですけど、お客さん渡すっていうことは『もう営業には戻れないんだな』と…もう人生終わったなと思いました。」 

 

 

少しずつ支障が出る、日常生活。 

その中で、家族や周囲からの過度な配慮や対応にもどかしさ、やるせなさも感じていました。 

 

丹野智文さん 

「家族が心配をして、どうしても1人で出かけるのを禁止してしまったり、財布を持つのを取り上げてしまったり。 

認知症であると、本人に失敗させないようにっていうことで先回りをしてしまう。そうすると、今度は家族や支援者がいないと何にもできなくなってしまう。」 

 

悩み、苦しんでいた丹野さんを変えたのは・・・ 

 

丹野智文さん 

「認知症を持つ人の家族の会に行って、そこでたまたま広島から来た認知症の当事者との出会ったんです。 

その人はもう認知症になって6年経ってました。笑顔で元気で人に優しい人でした。この人のように生きてみたいなと思ったことが、私が前向きになるきっかけでした。」 

 

“認知症になっても、できることはたくさんある” 

そのことに気づいた丹野さんは、認知症を受け入れ、認知症とともに生きる決心がついたといいます。 

 

丹野智文さん 

「認知症になって症状が出たときにどうするのが一番いいか。工夫するんですよ。まずは人に助けを求めてもいいです。 

私の工夫は、今は“携帯電話”です。ほとんどが携帯電話で、脳の一部になっております。こういうところに泊まりに来て、朝何時に迎えに行くよって言われても、記憶にありません。どうしてるか…アラーム鳴るようにしてます。 

うまく使うことで認知症になっても困らないんですよ。」 

 

一度は会社に辞表を提出したという丹野さんですが、職場の理解もあり、営業から事務職に転身。 

認知症と診断されたあと、現在も同じ会社で働き続けているといいます。 

 

丹野さんが変わると、家族にも変化が… 

 

丹野智文さん 

「それまではサバ缶でDHAだとか、認知症に効くっていう食べ物を食べさせられたり、脳を少しでも動かすために100から7引いて歩いてみようだとか、家族もどうにか認知症の症状を食い止めようとしていたと思うんですけど、それが私にはしんどかった。私に対しても腫物に触るような扱いだったんですよね。 

でも、私が自分で認知症家族の会とかいろんなところで素敵な出会いがあって、前向きに、元気になったんですよね。すると、うちの妻も『パパこれでいいんじゃないかな』って認知症である私を受け入れてくれるようになって。それからはもう家族もみんな普通の生活に変わりました。」 

 

 

丹野さんと同じく、若年性認知症当事者の山中しのぶさん。 

認知症をテーマにしたドラマを見ていたときに、『認知症の症状を持つ主人公に似ている』と息子さんに指摘されたことがきっかけで、2019年に診断を受けました。 

 

山中しのぶさん 

「私の中では時間の感覚のずれというのが、最初の気づきになりました。」 

 

認知症との診断にショックを受け、一時は鬱症状に悩まされたこともあったという山中さん。 

それでも、自分のように悩み苦しむ認知症患者の助けになりたいと、一般社団法人「セカンド・ストーリー」を設立。 

2022年10月には利用者が有償でボランティア活動を行うデイサービス「はっぴぃ」を開所するなど、新たな挑戦を続けています。 

 

山中しのぶさん 

「人と出会うとか人と会うっていうのがすごく元々大好きなんです。 

私の家族は、私が認知症だからとか関係なしにやりたいことをやらせてくれます。 

東京も1人で行くんですけど、初めの方は迷子とかなって、電車とかも間違えて違う方向に行ってしまったこともあるんですけど。 

本当に困ったらタクシー乗っていいって言われてるんですよ。なので、もう安心して出かけられる。 

『本当に困ってどうしようもないんだったら、タクシー乗ってお金使こうてもかまわんがや』っていう家族なので、私は本当にやりたいこともできますし、症状も本当に安定してます。」 

 

まだ根本的な治療法が見つかっていない認知症。 

それでも、認知症になったからといって悲観的にならないでほしいと丹野さんは言います。 

 

丹野智文さん 

「認知症になったときに、まず、全てを諦めないでほしいと思います。そして、認知症になったからってすべてが出来なくなるわけじゃないです。 

新しいことに挑戦することもできます。出来ることもいっぱいあります。 

出来なくなったことに目を向けるんじゃなくて、出来ることに目を向けてほしいと思います。」 

 

その人らしさを受け入れ、ありのままで生きていく。 

だれがいつ認知症になっても安心できる社会を目指すことで、誰もが過ごしやすい未来が見えてくるのかもしれません。 

 

山陰放送 

 

 

( 167245 )  2024/05/05 17:34:12  
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・若年性での認知症に関する記事を通じて、早期発見と適切なサポートが重要であることが言及されています。

認知症は進行が早いため、早めの対応が必要であるとの声が多く見られました。

また、家族や周囲の人との関わり方やサポートが大切であり、個々の症状や対処方法は人それぞれであるという意見も多く寄せられました。

認知症に関わる多くの方々が、病気への理解や対応の在り方について真剣に考え、共感や理解を示し合う姿勢が伺えました。

(まとめ)

( 167247 )  2024/05/05 17:34:12  
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・普通に人間ドックを受ける際に、オプションでアルツハイマーの検査もできるようになるといいなあと思います。特に、最近物忘れが気になってきたという人や、親がアルツハイマーで遺伝するかも知れないという人には、そういう「早期発見に繋がる検査」を勧める体制ができたらいいのかなあと。 

 

早期発見ができれば、薬で進行を遅らせる事ができるので、そしたら、自分も家族もそこまで辛い思いをせずに済むんですよね。 

 

 

・十数年前、職場近くのお弁当屋さんの40代の女性がお釣りを返してくれなかったり、弁当を袋に入れた後そのままにして渡してくれなかったりしたので、別の店員さんに若年性の認知症かも、と伝えた事があります。実際にそうだったそうで裏のヤードに移られていました。本人は思いたくないだろうけど、大きな事故が起きる前に周りが変化に気付いて助言することが大切だと思います。 

 

 

・私は71歳のアルツハイマー型認知症の母をもつ43歳の息子です。 

39歳の時から介護をし続けています。 

憶測で申し訳ありませんが、この記事の方は認知症と向き合える良い例の一つであって現実は同じように出来る人の方が少ないはずです。 

アルツハイマー型認知症の進行は早いです。赤ちゃん化して自分では食べる寝る笑う怒るくらいしか出来なくなりますし、トイレもわからなくなるから家中で排尿排便はじまります。それが一般的なアルツハイマー型認知症です。治りません。治せません。他に病気がなければ長生きします。 

厳しめの発言にはなりますが残念ながら何もできない高齢者の切り捨てを考慮する時代なのではないかと思います。記事の方もいつかは私の母のようになるわけです。人生の選択ができるようになれば家族共々良い時期でのお別れが選べるようになります。 

私の母が亡くなったらおそらく解放されたと思うだろう… 

 

 

・過去に躁うつを患っていて職場復帰して数年経つ55歳の同僚。 

自分も以前患っていたことがあり自分がケア役になっていて、元々ちょっと様子の変わっている人ではあったが、あるときパスワードロックされたと助けを求めてきたので再発行の手順を教えた。 

が、できず、一緒に情報システム部に依頼をかけてリセットしてもらい自分で再設定、これでOKですねと席から離れて数分、パスワードがわかりませんと再度助けを求められ、え?と思ったがまた情報システム部にリセットしてもらって再設定。 

が、すぐにまたわからないと。 

パスワードを教えてもらうわけにはいかないのでまたリセットして再設定するときにポストイットに書いもらいデスクに貼ったが、今度は貼ったことを覚えていない。 

周りは状況わかってるのに、上司も誰もアシストしてくれない。 

そんなのが続いて、こちらもうつが再発して休職。 

その人は翌年亡くなった。 

 

 

・認知症に対する有効な治療法を生み出す研究がもっと早いペースで進む事を切に願っています。 

障がい者の社会参加の拡充も大きな課題ですが、認知症患者が社会から離脱していくのも大きな損失として、課題と捉えてほしいです。 

 

 

・叔母も初めは、自分が若年性アルツハイマー型認知症だと認識していた。だから困った時は自分なりに対処出来ていた。 

それが段々、自分が認知症だということも分からなくなり、でも身体は元気だからどこへでも行ってしまい、24時間見守ることなんてできない家族も親族も巻き込んでみんなが大変だった。 

当時 自分は子供だったが、大病院の看護婦長をしていた程の人でも認知症って発症するんだと衝撃を受けた思いがある。 

 

 

・この男性を取材した番組を見たことがあります。もう会社の役に立てないと思って退職を願い出たら、「そんなことで社員を見捨てるような会社だと思ってるのか?営業じゃなくてもやれることあるだろ?」と言ってもらえたと。 

たまたま上司が優れていたのかフォルクスワーゲンの社風なのかわかりませんが、余裕ある対応に感動しました。 

 

 

・二十年ほど前、八王子市にある子会社の経営を任されました。親会社の作る樹脂を用いてプラスチック製品を製造する会社でした。ある時製造の管理職の人に問題が発生し、他の社員から彼が設備のスイッチを押すと怖いということでした。事故が発生したら大変なので、本人とその奥さんに説明し労災病院で調べてもらいました。病院の診断結果は軽い認知症ということでした。医師の話では、それほど進んでいないので、みんなで注意して使ってあげてくださいとのことでした。他の人が怪我でもしたら大変なので、この人に作業をさせても大丈夫だという診断書を書いて頂けませんかと頼んだのですが断られました。社員にその結果を説明し、みんなで注意をして定年まで作業させることにしました。もちろん管理職から外しました。また設備を扱うときは他の社員と一緒にやってもらいました。事故がなかったのでほっとしていますが災害補償があったら良いなと思っています。 

 

 

・今32歳。学生の頃から1秒前に考えてたことを忘れることがあった。ボーッと考え事をしてたけどふと「あれ?今何考えてたっけ?」となる瞬間が訪れる。それが30過ぎてから頻度が多くなったように思う。忘れた後すぐに思い出せることもあれば思い出せないままのことも。 

あとは調べ物をしようと思ってヤフーを開く→気になるニュースの見出しを見つけて読む→読み終わった後「何を調べにヤフーを開いたんだっけ?」となることも。大抵はヤフーを開く直前に見たページに関連する事柄が多いから、ページを戻って記憶を呼び起こそうとする。それで思い出せることもあるし思い出せないこともある。対策として最近では「調べたいことを検索するまで気になるニュースの見出しがあっても開かない」ことを意識している。それでもついつい開いてしまうことがあるけど笑 

……こういった事象は心配しなくていいレベルなのか、それとも若年性認知症の予兆なのか気になる 

 

 

・認知症の家族を介護しています。 

 

ご本人が認知症の当事者の方と出会われ、「その人のように生きてみたいな」と前向きになるきっかけを得たということがすばらしい。 

 

理解がある職場で、配置転換で、今も働き続けているという話もすばらしい。 

 

若年性認知症の方たちが、ご自身の身心におきた変化をみずから語り社会的に共有されることで、過去20年、急速に認知症の研究がすすんできました。 

それに合わせて、家族や周囲の人たちの関わり方もかわってきています。 

 

ご無理なさらず、周囲とよくコミュニケーションをとりながら前向きにご活躍いただきたいです。 

 

 

 

・高齢で認知症になる人が多い中、若くしてなった方にはやはりお気の毒に思います。何年か前にムロツヨシさんと戸田恵梨香さんの『大恋愛』というドラマがあり、号泣した記憶があります。あの時の尚さんでしたっけ、この記事の丹野さんも山中さんも求めれば支援してくれる人がいる中、認知症を受け入れ、認知症とともに生きる決心ができた方はいいですが、家族とは言え、支えてくれるだろうかと、またそのような人が周りにいないという方は不安でたまらないと思います。早期発見の上、進行を遅らせる薬に期待したいと思います。 

 

 

・仕事柄認知症の方と多く接してきてますが、ほんと家族さんは大変だと思います。  

症状は基本的に徐々に表に表れますが、まず物忘れかな?ぐらいしか思わないのが殆どです。  

しかし中には症状が一気に悪化してしまうケースも多くあります。  

家族様の中には現実が受け止めきれない方、介護施設を利用することが恥ずかしいと考える方もいます。 

御本人も家族様も将来を見据えて一番ベストな考え、行動することが大事ですがなかなか難しいのも現状です。 

介護施設は多くありますが、時間がかかってもその方と家族様が納得できる場所を選んでいただきたいですね。 

 

 

・かつて同僚に若年性認知症の方がいました。 

やはり厳しい部署にいて発症してしまったのですが、 

家族と共に、部署全員でカバーしてました。 

まず最寄駅から職場へ行けないので、駅で奥様から 

上司が引き継いで、一緒に出勤に同行、 

日中も簡単な業務しかできないので、やれる範囲で、 

任せてました。 

帰宅も同行して、奥様に引き継ぎ。 

なんでそこまで?と思われるでしょうが、 

それが、厳しい業務の結果だと認識し、 

会社の社会的責任と皆思ってました。 

幸いお子様お二人とも大学卒業して就職。 

家計も安定したので、安心して早期退職。 

現在治療に専念してるようです。 

 

 

・若年性認知症と一言で言っても、進行度合いで大分差がある。重度になって困るのは、トイレが認識出来ないので、リハパンやオムツ着用になることで、歩きながら便失禁してしまい、後始末が大変なことになる。食事も、ストレートな感情を顕にする為、立腹して周囲をぐちゃぐちゃにされることもある。専門職であっても、大変なことを、家族が家で介助するって並大抵のことではない。綺麗事では済まされない部分の現実も受け止めて行かなくてはならない。 

 

 

・看護師をしている友人から聞いた話です。 

30代女性が認知症で、怪我をして入院して来た時に、小さなお子さんたちの写真をたくさん飾っていたそうで、尋ねたら「子どもたちの事だけは、忘れたくない」と仰ったそうで。 

その人は、お箸が何に使うのかも忘れて。 

同じ母親として友人は胸が詰まる場面が多く、それまでで一番辛い患者さんだったと話していました。 

もし、自分がそうなったら、周りの人がどれだけ苦労して辛いことになるか… 

祖母が物忘れが多くなり同じ話を繰り返し繰り返ししていた時、母は優しく接していました。みんな、同じになるから、冷たくしたらダメよと言い聞かされて育ちましたが… 

きれいごとではない、あまりに辛くて八つ当たりする時が来るかも知れない。 

人と接するって、修行。 

認知症になりたくないと思っても。病気だから誰でもなる可能性があることを忘れてはいけない 

 

 

・デイサービスの送迎運転手を数年担当した時に、 

良く助手席に乗せた利用者の男性がアルツハイマー型でした。 

最初は小さく相槌を打つ程度の方でしたが、徐々に打ち解けてくれて、 

最後には「家庭や家族の事をどんどん忘れて行くのが怖い」と涙ぐんでました。 

若くしての認知症ですから、納得出来ないし諦めきれない葛藤が沢山あったと思います。 

 

 

・本人も自覚ある時は勿論、ご家族の方は大変だと思います。 

自分も歳を重ねるにつれ物忘れや言葉がパッと出てこない時が増えて若年性認知症なんでは、と思うことがあります。 

病気発症の平均年齢はあくまでも平均でとても早く発症する人もいます。 

現実は受け入れないといけないでしょうが、進行をできるだけ遅らせて普通に近い生活が長く続くと良いなと思いました。 

 

 

・人と人との繋がりが大事ですね。若くしてこうした病に罹っても、同じように罹ってしまった方との出会いが、その方の人生を前向きにしていき、そうしたことをキッカケに病気とも向き合うことが出来るようになって行く。そうすると、家族とも前向きな関係となって行ける。同じ病気で気持ちが分かち合えることの大事さを感じました。 

また、こうしたことで病気の早期発見、治療の大事さに多くの方が気づき検査を受けるようになれば良いと思います。 

 

 

・一早い認知症に対する薬の開発を切に望みます 

前は絶望的だった癌も今は一部治る病気になりましたし、人類の叡智で克服できると信じています。今苦しんでいる人たちのためにも研究開発に携わっている皆さんに感謝です 

 

 

・自分の周りには認知症になった方はいないのですが、どんな問題に直面しても、 

この方とご家族のように受け入れ、共生する という道すじを辿れるとよいなと思いました。 

 

「パパこれでいいんじゃないかな」 

…の言葉に、ご家族全員に学びがあったのではないかな、と感じました。 

当然ながら、学びがあって良かったね とはとても言えないご苦労だと思いますが、前向きにとらえていらっしゃってご立派だと思います。 

 

 

 

・若年性だとまだまだ人生も長いから大変ですね。母が84で一昨年くらいから徐々に症状が出始めました。同じことを何度も聞かれるくらいならなんとか相手にできますが、困るのは自分でしまった財布を家族が盗んだと騒ぐこと。 

一緒に探して見つかればよかったねと言っても盗んだからわかって当然。下手すると夜中に探せと起こされるのは辛いです。 

預かって必要な時に出すよと言っても譲らない。 

責められなければ割りきって相手にできるんだけどなあ。 

家族もメンタルやられます。 

 

 

・私は44歳独身男性で現在87歳の認知症の母がいます。 高齢出産なので周りの同級生の親より10歳くらい老けてます。 

結婚して親とは縁を切った10歳上の兄がいましたが昨年大腸癌で亡くなりました。(子供はいません) 

 

元々、知的障害もあったから幼い頃からずーーーーっと介護してる感じなので、認知症になってもその延長って感じでした。 

 

でも昨年、施設(ショートステイ)や自宅で3回も転倒して救急車を呼んだり大体肩骨折で左右にボルトが入って、「次転倒したら人工関節になるかもしれません」と言われ、意を決して療養型医療施設に入所させました。 

 

おそらくそこで寿命を迎えるかなと覚悟してます。 

自宅に帰るとなると私が仕事を休職しなければならないし、介護殺人を防げるので。 

昔、母をベルトで絞めたことがあります… 

 

介護は綺麗事ではありません。 

母が亡くなると天涯孤独なので少しでも長生きしてほしい気持ちもあります。 

 

 

・まだ認知症は普通の人からするとわからないように、見た目は普通ですが日常生活や仕事でも 

少しずつ忘れてしまい最近もの忘れが多いかぐらいにしか思わずそんなことを仕事の忙しさから軽く流してしまているのも事実です、あまりにひどくなってから自覚することで自分がと言う思いで人でもがくことで孤立してしまいがちですが、同じ境遇の人との交流で良い方向に進めることで世界観が変わり受け入れることで先が開けます、私も車の営業で2000台のメーカー表彰を受けてから後に完治しないがんを患い本社勤務になりました。夢の3000台殿堂入りまで 

800台までで終わりましたが、定年退職まで勤められたこと、今も2週間に一回の抗がん剤治療でがんと共存して生きてます。血液がん患者会でも救われました。少し薬の副作用で認知症もありますが、妻に迷惑をかけながら生活してます。人は人によって生きる力をもらってます。 

 

 

・勉強になる良い記事。第一にまだ軽度なうちの忘れない仕事の工夫ぶり。第二に職場の配慮と支援、御本人の努力。色んな意味で希望の持てる記事ですね。 

忘れない仕事の工夫ぶりで言いますとこれは健常者含め誰にでも当てはまることで、役に立ちますね。自分の記憶をあてにせず、メモ、ノート、スマホの活用で、間違いのない進行ができることを再認識しました。早速やってみたいですね。 

重くなってからも就労支援してる職場も素晴らしいと思います。どこの職場でもこうした配慮がある社会になるべきですね。 

 

 

・認知症とは違うのだけれど、私はトゥレット症候群(発達障害の一種)です。 音声チックがあります。  

 

小学生の頃には皆の前で担任から笑われたり、家族からも注意されたり、会社勤めをすれば同僚から変な目で見られ、電車の中ではいきなり「うるさい」と怒鳴られたり、とにかく得体の知れない明らかに普通とは違う【癖?】を何とか誤魔化して必死で生きてきました。  

そしてSNSが普及して、自分の症状が判明した時には、安堵よりも絶望でした。 病院に行ったから薬を飲んだからで治る症状でも無く一生背負っていかなければいけない私の宿命。 

だけど、それなりに幸せな事も沢山あったし、これからだって作って行こうと思っています。 

 

認知症は記憶が無くなっても感情は残ると言いますから、ご家族と沢山良い思い出を作って下さいね。 

 

 

・物事は考え方で変わってきますね。 

私は人工透析を30年くらい行っています、初めの頃はいつまで生きられるのかなとか後ろ向きの事ばかり考えていました、しかし、後ろ向きに考えても前向きに考えても何も変わらないのに気がつきました。 

それからは何でも前向きに考える様にしました、病気は変わりませんが、毎日楽しく過ごせる様になりました、今はスポーツも健全な人と同じ様にしてますし、人体実験を少しづつしながら食べ物を食べて血液検査をしながらこれまでなら食べられるとか調べていきました。 

出来る事出来ない事を調べながら、長くて付き合って行く方法を調べて行くのが必要だと思います。 

症状はみんな同じでは有りませんし、自分に合った生き方を調べるのも大切だとだと思います。 

 

前向きにに考えても後ろ向きに考えても何も変わりません、それなら前向きに考えて病気と上手く付き合って楽しい人生を送るのが良いと思います。 

 

 

・認知症もいろんな種類がありますが、私は病気そのものよりも、その人の考え方や経験、そして周囲の環境が大きく影響すると思います。 

母が認知症で困った事は、本人よりも周囲の我慢比べみたいな感じでした。 

 そして、もの忘れよりも怖いのは、色んな感覚が麻痺して来る事。 

暑さ寒さ以外に味覚も聴覚も全て衰えてきますし、想定外だったのは、重篤な病気になっても本人が痛みを感じられないので、弱ったとかシンドイとかの言葉を言わず、周りから見ておかしいと思った時には手遅れになる事でした。 

食事の量が明らかに少なくなって、病院で診て貰うとステージ4で多くの場所に転移しているガンでした。ただ、最後まで痛みに関しては不満を吐かずそこは認知症で良かったとすら思いましたが 

 認知症と診断されると本人にとって非常に不名誉な病気のイメージが強く、かたくなに拒否しますが、しっかり本人が理解できて認知症と共存出来たら幸いです。 

 

 

・鬱とかもそうだろうけど病気の本当のところはなったやつにしかわからんからね。 

認知症なんてわからないことがわからないから他人からすればさらに訳がわからない。 

自分は40半ばだったからまだマシだったかも。 

30代で発症したらもっと大変だっただろうなと思う。 

だから周囲の人が理解しようとしてくれるのには感謝しかない。 

理解してくれないで当たり前。 

理解してくれて受け入れてくれる人は本当に親切な人だと思う。 

理解してくれない人は、その感覚が普通だと思うので仕方がないと思う。 

感覚の差は本当にわかりづらいから。 

 

 

・介護福祉士です。 

「若年性認知症」そのものは、千差万別。十人十色の症状。 

単に極端なもの忘れから、暴力を伴うもの症状を持つも方まで、色々な方と接してきました。 

大事な事は、いずれもその人の「人権・プライドを尊重する事」です。 

それはダメとか。 

そうでは無いです。 

など、普通の人でも、嫌がったり、プライドが傷つく言葉をかけてはダメです。 

尊重しながら、互いに考えたり、励ましたり、笑い合って、解決する事がとても大事。 

家族会の方は、そんな経験を山程乗り越えてきたので理解され、解決方法も知ってます。 

丹野さん、山中さんの経験は、とても貴重です。これからも穏やかにすごされる事を願います。 

 

 

・若いですね。 

家族もあるし自覚がある間は大丈夫な感じです。 

僕の父は脳出血からの認知症でした初めは母の手助けもあって、ダメだなあ〜と自覚もあったのですが、母がパーキンソン病の診断を受けて体の動きが悪くなると二人とも厳しくなっていきました。介護は当時47才の僕です。仕事ー家ー親ー病院。身近な存在で助けてくれた弟と話を聞いてくれたのは会社の先輩。ケアマネやデイサービス、ヘルパーに訪問看護師、病院も助けてくれて、市役所やパーキンソン病で難病指定を受けた保健所に助けてもらった。それでも去年までの10年と少しは厳しかった。今は1人、家の片付けを少しずつ進めてます。パートナーをもとめて良いのか?1人が良いのか?考えてネット利用で今は付き合いがはじまってます。将来、僕がおかしくなったら施設に入れてもらって、亡くなりそうなら蘇生はしないように言ってます。 

 

 

 

・丹野さんの会社や同僚は凄いなぁ。 

普通ならば認知症を理由に解雇にはできないが自己都合退職になるように仕向けてくるから。 

丹野さんが辞表を出した時点で引き留めすらしなかった。 

自分の席すら忘れちゃうんじゃ誰かのサポートがないと事務仕事すら満足にはできないだろう。 

何かを教えてもしばらくしたら「これ何でした 

?」とか、時には「あれ?あなたは誰でしたっけ?」とかなるんだから。 

それでも会社に残っていいと言う会社と同僚に感心する。 

 

 

・若くして認知症と診断された気持ちを考えると心苦しくなります。少しずつ進行していく病気は本人もご家族も辛いと思います。もしこの方にお会いしたら、どのような言葉をかけていいか、、、。 

 

認知症ではありませんが、筋ジストロフィーの方と1年ほど仕事をしたことがあります。こちらも進行性の病気で身体が動かなくなっていきます。薬で進行を遅らせることはできても現在の医学では治らないそうです。そして進行性の病気は今まで蓄積したデータから自分の将来が分かるそうです。「25歳くらいで人工呼吸器を付けて、寝たきりになり、40歳前には死んでしまう。」と話されていました。 

進行性の病気を治療できる日が早く来ないかなと記事を読みながら考えていました。 

 

 

・若年性認知症の方が希望を持って生きることは素晴らしいです。ご自身の努力と家族の支えがあってこその毎日です。健康であればこれからの人生は長いです。認知症は今、薬が開発され以前よりは希望の光が見えています。しかし進行性の病であり、できないことが増えていき、物忘れを超えて時間の感覚、場所の感覚、そして人の顔や関係までわからなくなります。同時に食事の方法も分からなくなり、コップで水を飲むことも難しくなります。96歳の母はこの7年で認知症が進行し、特にこの2年は急速に認知症が進み、トイレの使い方や食事の食べ方さえわからなくなりました。介護ホームに入れて助けられたのですが、自分で何もしなくなりました。想像を絶する認知症ですが、家族はただ生きて笑ってくれていれば良いと思うようになりました。 

 

 

・この手の問題を読むたびに深刻に感じるのは「生命の尊厳と死の自由」ということを本当に真剣に考えなければならないのではないだろうかということ。 

「生きていく」とか簡単に書いてますが私個人の見解では「ムリ」です。きれいごとを並べたい人はお好きにと思いますが現実は生き地獄への道連れを増やすだけです。大多数の人は自分がそうなったら周りに迷惑をかけたくないので、人生の終焉を迎えさせて欲しいと本当に願っているように感じます。このテーマを解決させない限り未来に希望を抱いて生きていける日本人は皆無なのではないでしょうか。 

 

 

・我慢強く、働き者だった義母がアルツハイマーになって、家事ができなくなってから,義父が役に立たんと言い始め、家の家事などを娘やヘルパーさんや夫や私にも助けを求めるようになり、義母が施設に入所してからも入院中も義父はいろいろとあれしてほしいこれしてほしいという要求が続き、わがままに義理の妹2人も私も散々振り回されて、最後に私は疲れてはててしまいました。その義父は義母が亡くなって20数年たっても元気で,今もあれこれしてくれと言っています。わたしにはもうその気力はありません。 

施設で100歳まで生きてくれていたらそれでいいです。 

結局、我慢しすぎるのはよくないと最近感じ、あまり我慢せず、無理せず老後をのんびり過ごせれば、楽しいことがなくとも嫌なことがない一日を目指して 

行きたいと思います。 

 

 

・自分は認知症ではないですが、ADHDの元医療者です。患者さんに渡す書類をタイプミスしたまま渡す、カルテの確認を忘れる。最後に大きなミスをして、何をするにも同期にチェックしてもらうことになりました。結局職場から足が遠のき、今は細々と研究員をやって、土日にラクな病院の当直に行くような生活です。うちの子もADHDです。もし医療者になったら苦労するだろうなと思いながらも、最近はダイバーシティに寛容な職場も増えてきており、うらやましくもあります。 

 

 

・81歳の父が認知症。身体はある程度健康で脳だけが駄目。ゴキブリ駆除のブラックキャップを地面に落ちている羊羹だと思いこんで食べて救急車で運ばれた時には『これを毎日見るのか』と絶望した。 

割と頻繁にご近所さんから保護される。 

でも、嫌なことや大変なことがあった次の日にもまったく覚えて無くて今日もニコニコしている。あの顔を見ていられるのはあとどれだけあるのだろう。 

認知症が発症してしまえば他者の介入無しでは絶対に生きられない。 

近年まで、家族の為に頑張ってくれた父。最期までしっかり見てあげたいです。 

 

 

・ニューズウィークで興味深い記事を読んだ。 

 

アイルランドの大学が、腸内細菌を死滅させたラットに、アルツハイマー患者の糞便を溶かした液体を経口投与して患者の腸内細菌を移植した結果、ラットに記憶障害が発生し、海馬での神経細胞の産出・成長が減っていいることが観察された。 

 

患者の腸内細菌叢の分析では、酪酸生成菌が大幅減少し、様々な疾患発症に関連していると考えられているデスルフォビブリオ属が増加。このことから、損傷した腸壁が十分修復されず、デスルフフォビブリオ属が生成する毒素が血中に漏れ脳に悪影響がでると仮説を立てた。実際に患者血液の血清を、ヒト海馬の神経前駆細胞に注ぐと神経細胞の成長低下が確認された。 

 

というもの。 

 

 

これが事実ならば、ビオスリー等の酪酸菌製剤を服用して、全粒穀物、海藻などの食物繊維が豊富な食材を日常的に摂取すれば、意外に大幅に緩解するのではないか? 

 

 

・自分より家族に苦悩が増えてしまう病気になるのは本当に辛い。 

入院せず、普通に生活を送るだけに軋轢や確執が生じることも多い。 

どうしても配偶者や子供たちの精神的負担になってしまう。 

高齢者ならいざ知らず、若いときになってしまうと社会的に現役世代なのでその苦労は想像を絶する。 

 

 

・職場にすごく物忘れがひどい先輩がいました。30歳でした。 

 

お客様からお預かりしてるものを無くすなど仕事にも支障をきたすし、周りもフォローしなきゃいけなくて大変だった。職場の大勢で必死に探していても、当の本人は突っ立っていました。 

 

ふつう「どこで無くしたかな…」と自分の行動を振り返るじゃないですか?こちらが尋ねても「全然覚えてない」と言い、ひとつもヒントをくれない。 

 

プライドだけは高いので、少し強めにきくと「分からんって言ってるだろ!」と逆ギレする始末。上司は私達に「絶対若年性アルツハイマーだ」と言い、職場のみんなも絶対おかしいと思っていました。でも本人に指摘したら、逆ギレされるから誰も本人には言えない。 

 

こういうのって、タスクのある職場で気づくことが多いと思います。家族じゃ気付きづらいかも。記事の方のように自身で気付けたらベストですが、次点で病院へ勧めやすいのは家族。 

 

 

 

・同居してると日々おかしい症状に気付くが、別居してるとおそらく気付かない。 

うちの親もその時は普通に話すので、毎月通ってる病院の医師ですら認知症に気付かなかった。 

いつも会話している周りの知人も、全然気づいてなかった。 

口が達者なので、その時は普通に話してる。 

 

ただし日常は、カレンダーを見てみても曜日が分からない。 

冷蔵庫の中は、同じ食材が何個も並んでる。 

同じ食材を古い順からでは無く、目についた物から開封してる。 

牛乳なんか3パック共、開封してたりする。 

賞味期限切れは日常茶飯事。 

昔から作ってた料理も、味付けがおかしかったりする。 

ご飯の水加減もしょっちゅう間違えて、固かったり、柔らかかったりは毎日。 

 

親と別居されてる方は、特に注意した方がいい。 

帰省した際に、ちょっとでもおかしければ、かなり認知症が進んでいると思った方が良い。 

高齢で物忘れが酷くなったで片付けてはいけない。 

 

 

・素敵なお話だと思います。 

まず、丹野さんの職場にご理解があって、働き続けられるようになったのが良かったと思います。 

私もガンがリンパ節に転移して闘病中ですが、お陰様で在宅勤務を続けさせて頂いています。 

でも、立場も担当業務も返上せざるを得なくなったので、負い目はあります。 

これからも職場や地域社会が病気になった方の味方であってくれたらと、切に願います。 

 

 

・確かに認知症になった方も大変ですが、看病応援する家族が大変です。綺麗事ではない苦労があります。これから日本は高齢化も進み認知症の患者も増えていくでしょう。国は他国へ援助より国内の方達に認知症患者の施設を増やしたり国策を見直して欲しいです。 

 

 

・先日もテレビで若年性認知症の方々の日常を放送していました。 

実は他人事ではありません。 

私は60代ですから普通の認知症に入ってしまうのでしょうけど。 

ここ数年初めて会う方の顔と名前が覚えられなくなり、少し間を開けて会った時に対応に困ります。 

昔から結構物忘れ、ど忘れは多かったのですが、逆に一度お会いした方の顔は何年経っても覚えていて、相手の方に良く驚かれたものでした。 

2日前の夕食どころか、昨日の夕食も思い出すのが困難な時が有ります。 

が、自営業なのでまだ仕事をしていますし、もし今診断されて仕事が出来なくなったら私や家族だけで無くてスタッフも困ると思うと病院に行く勇気がありません。 

幸い周りから指摘されるようなことはありませんが、手遅れにならないうちに早く病院に行こうと言う気持ちとの葛藤があります。 

今は日々脳トレや良いとされる食事を選んで食べています。 

 

 

・ケア次第でほんと変わる。父が無自覚のてんかんによる転倒からの血腫の影響のあるアルツハイマーと診断されて、今はグループホーム(介護保険にある)に暮らしているが入居してから適切な働きかけを24時間受けられるようになり、おむつになってたのがトイレに行けるようになったり!自立度が明らかに上がった。メマリー飲んでるが、標準の半分で落ち着いてるから様子見。ケアで変わる。家では24時間対応で刺激できないから、認知症特化のグループホームだと人生変わるよ。ケアマネに早めに相談を 

 

 

・精神薬で認知症になるリスクが上がると出ていましたが、日本は大丈夫じゃなくても「大丈夫です!問題ないです!」と書いてあります。笑 そこから何年も経って「やっぱり害があるかもしれません」に変わっていくのがお決まり。 

 

抜粋↓ 

特に、強力なベンゾジアゼピン系の睡眠薬や抗不安薬や、抗コリン作用を含む薬剤では、認知症発症リスクや、進行のリスクが高いとされています。 

 

 

・妻が54才で認知症と診断されて通院してます。診断された時はこの世の終わりだ、地獄だって思いました。 

死んでしまった方が楽だって考えました。 

でも、全てを受け入れ 

前を向いて、何があっても挫けない 

って決めました。 

お互いに助け合いながら、生活して 

クヨクヨしないようにしてます 

新薬のレカネマブも勧められていますが、副反応や人体実験の様で相談して治療はしていません。 

 

病気が進んでも一生寄り添っていきたいと思います。 

 

 

・自分50歳ですが認知症にちかい人間だと思います。 

人の名前とか色んな事を中々覚えられなくて。 

正常から病になると心や環境も落ちてしまいますけど、受け止めて前進していて励まされました。 

周りが励まされますので、更に人生を楽しんでいって欲しいです。 

 

 

・喫煙や飲酒量や糖尿病とか、塩分、脂質の量とか、どうだったんだろうね? 

幼少期や生まれる前の両親の喫煙や飲酒、食生活も気になるな。 

本人も、両親も、 

タバコ、酒、食べ過ぎ が、なく 

そうなるケースは少ないと思うんだよね。 

どうなんだろう? 

海外では、糖尿病の進んだ状態を認知症と言う国もあるんだよね。 

脳の血管が、なんらかの形で詰まり出しているんじゃないのかな? 

 

それか、ストレスや寝不足かな? 

車のセールスなんて、ものすごいストレスがありそうだよね? 

ストレスも血液の状態を悪くするから。 

 

 

・日本人に多い、障がい者や認知症に対する「腫れ物に触る感」て過剰だな~って日々思っています 

障害も認知症も癌や難病も「事故(望まないアクシデント)」と捉えています 

事故に遭ってしまったら、さぁ今後はどうしましょうと考えます 

本人が心地好く、ストレス少なく過ごすにはどうするか 

不安な時は少しでも不安を取り除く行動を取る 

もちろん支援する側もストレス少なく、お互いがしんどくない方法を捻り出します 

 

放置でも 

軟禁でも 

相手にしないでも 

子供扱いでも 

何も出来ない人でも「ない」ですから 

自尊心を傷付けず、その日が来るまで楽しい人生を過ごして欲しい 

もちろん私もそうやって将来の老後を過ごしたい 

 

個々のホスピタリティーは違いますが、サポートが大変だと思う人は「将来、自分がサポートを受ける側になった時の事を想像して欲しい」です 

邪険にしている人は、同じ様に自分が邪険にされるんだと想像して下さい 

 

 

 

・現時点での行政の認定制度では、認知症のなかの一つの症状で受けられる認定は、要介護2までが目安となっています。例えばアルツハイマー型だけとか、レビー小体型だけとか。複数の認知症型を併発したり、脳梗塞などの循環器系の症状を既往症として発症していて、なにかしらの障害が目に見える形で表れていたりすると、一気に要介護4に認定されることもあるようです。ご自身の認知症発症に一抹の不安をお持ちの方の早期発見手段としては、健康診断とは別に、健常者の方にはなかなか足を運びにくいと思われがちな、検査施設の整っている近所の脳神経外科を年1回受診して、検査してもらうのが一番お勧めです。ある意味で、主治医作りにもつながりますので。 

 

 

・コロナ禍との関連性はわからないが、コロナ禍があけた頃から、認知症を疑うような人が身近に急増した。最初は自分がおかしいのかと思っていたが、他の方もその方に対して若年性の認知症ではないかという意見が多数を占めていた。 

コミュニケーションがとれず、どっちがまともかわからないという状況になると、もはや回避しかできなくなる。関わり合いにならない方がいいという感覚はみんなで共有できるが、その人を助けてあげたいとか、なんとかしてあげたいという気持ちを共有することはできない。人が孤独になっていくのは、自然の摂理なんだと思う。 

 

 

・若年性は悲惨だと思います現状効果が十分有る治療法は有りません。同情はしますが人生には不公平と言う公平さが厳然と存在します、認知症と生きていく自分には出来ませんそんなに甘く無い現実を嫌と言う程見て来ました。超超厳しい現実が続くのです頑張ってなどと薄っぺらな事言えません。鬼の様な言い方ですみませんが現実です本当の現実ですささやかな希望でも持てれば幸いだと思いますが。 

 

 

・ここでは「物忘れ」の症状しか書かれていないけど 

認知症の症状も様々だからね‥ 

メディアって何か‥認定症の症状を 

ここしかフォーカスしないけど‥ 

 

重度ならもう‥ 

いや軽度であっても 

精神的に攻撃性が増してたり 

他者を傷つけたりする行動が見られる 

 

もうこの場合、家族だけでは面倒見るの無理だと思う 

介護や地域包括センターみたいなのを頼る手段はあるけど‥ 

それでも家族は精神的にキつくなる 

 

 

・認知症、アルツハイマーは、ヘルペスウイルス(hsv-1、hsv-2)が関係していると何かで読んだ。 

それは本当にそうかもしれない。 

自分もあるきっかけでヘルペスに罹ったが、それ以降脳の働きがスローになってしまったし、物覚えも悪くなったように思う。 

研究を進めてもらいたいと切に願う。 

 

 

・認知症は、周りの人の理解が重要だ。本人は今まで出来ていたことが出来なくなり、混乱してしまう。周りが否定するのではなく、温かく見守ることが大事ではないかなあ。今後認知症を発症する方は、益々増えてくる。周りの温かいサポートが、重要になりますわ。 

 

 

・体の異常だから年齢や環境で 

大きく差は出るんだろうけど 

うちの祖母が60歳の時 

それまで認知症なんて 

かけらもなかったのに 

やかんの空焚きして 

火災になり全焼。 

 

賃貸に越した後もずっと 

目が離せず大変だった。 

 

本人の尊重もとっても大事っていうか 

自分なら今まで通りにさせてほしいと 

思うだろうけど 

周りは時間の経過とともに 

疲弊していきます。 

 

治療や回復法が早く見つかるといいですね。 

 

 

・母がアルツハイマー型認知症でした。初期の頃はよく電話をかけて来て、誰もわかってくれないと電話口で泣かれました。パンツを盗まれただの、知らない人に押されただの、通帳を盗まれたなどなど。警察も呼んでしまったことも。プラスチックの湯たんぽを火にかけて火事になりそうに。誰もコレを火にかけてはいけないと教えてくれなかったと自分の非は決して認めない。本人が一番辛いのだろうけれど、家族も辛かった。 

 

 

・人生の中で、必ずと言っていい程、 

「ヘビーローテーションを繰り返す期間」というのが、発生する。 

駆け出しの頃はガムシャラに吸収していく気概に満ちているが、ある程度習得でき、軌道に乗った頃に「同じような体験を繰り返す日々」に至る。 

その時に呆けて、認知症に陥るのだろう。 

人間は「刺激を受けなければ、まともに生きれない動物」だ。 

ネットでも趣味でも異性でも何でもいい。常に自分がより高みに至れる 

「刺激」を常に得るべきだ。 

回遊魚と同じで、人間も常に動き回らなければ「自滅する動物」 

であることを、早く誰しも悟れ。 

 

 

・携帯電話が使えるならまだまだって感じ 

まだ始まったばかりと思う状態ですがかかってきた電話も取れませんよ 

子機の充電台も無くなってありません(捨てたのか、しまい込んだのか?) 

トイレットペーパー1日で8ロール、リポDも1日6本無くなってます 

冷蔵庫も何度も開けられ長時間解放されるので生温くなりますから 

食材も殆ど入れられません、張り紙しても全然ダメです 

経験者ならわかりますがとにかくキレイゴトでは済みません 

肉親であっても安楽死の選択肢が欲しいと思う今日このごろ 

 

 

 

・会社の元上司が若年性アルツハイマーになりました。特定の同僚の方だけ顔が分からなくなってしまい、目の前にいるのに「最近はあいつ見かけないなあ」なんて言うので、最初は周囲も「最近ちょっと冗談がきついよねえ」と思ったりしていたのですが、本当に探せなかったのだったと後でわかり、衝撃でした。本人は混乱されていたことでしょう。周囲はまさかそんなことは思いもよらず、無知で申し訳なかったです。 

元々のほほんとした方でしたが、病状が進んでから、さらに子供のように澄んだ瞳になっていったのが印象的でした。 

 

 

・資本金一千億円以上の大企業で上司、同僚は認知症について理解しませんでした。テレビなどで報じているのは視聴率を上げるため大袈裟にしているとか言っていました。ですから、自身の母が重度の認知症で徘徊を繰返しテレビのリモコンを羊羹と言い包丁で切ろうとしたりし妻が見守ってくれていましたが、その妻が病気で倒れ入院したので私は介護休職を上司に願いましたが、日中ぐらい母親を1人で留守番させても問題ないでしょう、大袈裟な事を言うなと罵倒された。結果的に介護休暇が認められ月給が手取り5万円以下になってしまった。認知症サポーターなどの講習が企業、自治会でずっと行われていましたが、その講習会に参加しても認知症に対し理解しない輩も多々いるから、さらなる啓発を政府主体で行ってほしい 

 

 

・ここ数年コロナ禍もあって祖母にずっと会えていなかったが、特別養護老人ホームに入所してるという連絡を受けてつい先日訪ねてみた。 

以前に軽い認知症だとは聞いていたが進行していたようで、私の事は誰か分からないと言われた。幼少期から母親代わりに育ててくれてた時期もあり、いつ訪ねても喜んで迎えてくれた思い出しかなかった為、自分がおばあちゃんにとって何者かというのを説明するのは本当に胸が詰まる思いだった。結局最後まで他人として会話をし、帰りの運転中には色々思いや後悔が募って涙が出てきた。 

自分も将来認知症になると家族や大事な人の事を忘れてしまうのかと思うと非常に恐怖を感じたが、若年性だと尚更恐怖が大きいのだろうと思う。 

本人も家族も周囲の人も大変だが、少しでも助けになるような治療法が出てくればと思うものの、自分が認知症になって家族に迷惑を掛けるくらいなら早く死なせてくれとも思ってしまう。 

 

 

・考えさせられる。認知症にならないようにしたいけど、バリバリ仕事頑張ってる人が発症するケースは防ぎようないよね 

病気は悲観しても生きるしかなから、前向きになるのはいい。でも不安は残る。確実に症状は進行するだろうから、本人と家族の苦労は先の話 

今は良くても綺麗事では済まないよね。誰だって年を取って衰えていく。できればスローに衰えて欲しい 

 

 

・『認知症に効果がある』とか根拠の乏しい事を言って計算ドリルやら漢字ドリルやらやらせる(しかもそれが好きでない人にも)脳トレ、記銘力など中核症状の改善とか謳って厚労省が推進していた認知症リハビリなど(実際効果あるとはとても言えない)、当事者の気持ちを聞いて欲しいです。 

 

 

・皆さんのコメントを見ていると恐ろしくなってきました。アラフィフですが、仕事してるものの目の前の3桁の数字も覚えられないし、人や芸能人の名前も出てこない。スケジュールも覚えられず、毎日カレンダーを見て確認しています。仕事でやる事もノートに書いたり、付箋紙に書いたりして終わったら消すというやり方。昔のことは異常に覚えてるけど、今の事は覚えが悪くて、パソコンや携帯が無ければ何もできないと思う。 

 

 

・「出来なくなったことに目を向けるんじゃなくて、出来ることに目を向けてほしい」 

記憶が抜け落ちていくだけであって出来る事もあり、新しい挑戦もできると聞けばそんなに恐れる事じゃないのかなあと思いました。 

出来ることに目を向けるってアルツハイマーではなく健常者でも大切なことですね。 

 

 

・40歳くらいの時に、突然、記憶力が 

なくなる経験をしました。 

初めは、1か月〜数ヶ月先のスケジュールが 

覚えられなくなり、いちいち手帳で確認する 

ように。すぐに1週間のスケジュールさえ 

記憶出来なくなり、ついには、朝起きて、 

今日一日、何をするのかがわからなくなりました。 

母と旅行に行く予定で前の日に新幹線のチケットを 

買ったのに、翌朝、何で5時に目覚ましを 

かけたのか??仕事に行く日だったかな? 

と暫く思いだせず、そうだ旅行だった! 

と思い出して実家の母に先に駅に行くよう連絡したのに、また旅行に行くのを忘れてしまい、 

ギリギリに乗車した経験があります。 

仕事でも気をつけないと、と思った翌日、 

今までやった事のないミスをおこしてしまい、 

本当に辛かったです。 

1か月もしないうちに、元の状態に戻り、 

今は普通に生活していますが、 

いったいあれは何だったのか、 

本当に不思議です。 

 

 

・認知症に光どころか真っ暗なコメントが笑。脳で何が起きていて、治療するとしたら具体的に何をやるのか、方法は現状あるのかを考えるべき事です。脳へのダメージは様々あって、アミロイドβが蓄積する以外にも、外傷や高熱、鬱病、アルコール、薬物等、色々とあります。自我が保てなくなったら、人は終わりです。でも今は終わりでも、いつかは最低限トイレに行って済ませてこれる時代が来るでしょう。自我もない人間を間近で見ながら支えてくれる人って、奇跡でしかないと思うんです。本音を言えば、そういう人と一緒にいたいと切実に思います。誰しもそうなる事は考えて、人と向き合うべきかな。 

 

 

・子供のときから知っている近所の床屋のオヤジが認知症で入院してますが、あるきっかけで入院を世話した者です。 

そのきっかけは、ある年の1月オヤジの息子がFacebookで「オヤジがおかしい」とボヤいた記事を投稿しそれを読んだ私が「どしたんや」と聞きにいったことです。 

息子の話では、前年11月に何かオヤジの言動がおかしいと感じはじめてから、アレヨアレヨと症状が進行し今では家族みんなが寝られない状態で日常生活が困難になり疲れきっているというのです。 

3世帯同居新築の家はオヤジの異常行動により内部はボロボロ状態と言い、生活が崩壊寸前と感じたのでこれはイカンとすぐ役場の福祉へ連れて行って相談し施設へ入れることができました。 

何を言いたいのかというと人によるかも知れませんが、発症後数ヶ月で症状がアッという間に急速に進行し家族も呆気にとられどうしたらいいのがわからないこのような例もあるということです。 

 

 

 

・高齢の叔父は「自分は健康。まだまだやれる」という気持ちが強すぎで、認知になっていることを受け入れません。病院も断固拒否。「あれ?おかしいな?」という気持ちをいっさい持たず、物忘れした事も忘れます。 

こうなると大変。。 

記事の方は認知症を受け入れ、工夫して暮らしていることがすごい!それだけでも家族は一緒にいやすいと思います。 

 

 

・当人にとっては本当に悲しく辛い現実、家族にとってはこれから訪れるであろう地獄のような毎日。それは我々にも起こりうる現実である。幸か不幸か今のところそのような傾向は見られないが、何も分からないまま死んで行くのが良いのか?死んで行く事を認識しながら苦しんで死んで行くのが良いのか?二者択一のような状態ですね。どちらも不幸と言えば言えなくもない。やがて公平に訪れる死に対してどのように向き合うか?それだけなのかも知れない。誰もが等しく死んで行くのに、その過程には天地程の開きがあるように感じられます。少しでも家族に迷惑を描けないで死にたいと思うのは誰も同じ。家族からすれば1日でも長生きして欲しいと願う。出来うるならば健康にと。生きるとはこれ程に難しい事なのですね。 

 

 

・学生時代、心理学の授業で 

大学の学生時代に、精神疾患を発症させてしまう人が 

毎年、一定数、どうしても出てしまうという講義を聴いたことを 

思い出しました。 

 

その中には 可哀想ですが 

自主退学を余儀なくされる人もいるという話も聞いたことがあります。 

 

20歳前後の年齢は 脳細胞にとって「鬼門」なのかもしれません。 

 

 

・昭和からあったけど表面化してなかったのか、それとも食生活の欧米化やストレス、労働時間に睡眠の質、温暖化や家族構成などによる変化なのか、様々な傾向を分析して、その知見を先の世代に役立てられればね。 

  

 

忘れられないしつこい人も困るけど、逆は本当に辛いと思う。 

 

 

・同じ会社の人で50代後半で若年性アルツハイマーになった方が居ました 

以前まではキッチリ処理していた事が 

処理漏れが出だして、伝えたことを忘れてしまう 

会社も対外的な仕事からは外して、 

総務所属で仕事をしてもらっていましたが、結局数年経って辞められました 

年輩の方と違って体はいたって健康ですから 

その後のご家族の苦労を考えると厳しい戦いでしょうね 

 

身近な人でこう言うことがあると、 

人ごとには思えません 

 

 

・認知症=何もできない 

ではなくて支援者や介護者(介護する側)が 

何も出来なくさせているのだと思います。 

元介護職としてそう感じてました。 

なので自分が介護職をしていた時は利用者さんが 

動ける人は洗濯物を畳んでもらって食事の配膳を 

一緒にやってもらってました。 

 

 

・>サバ缶でDHAだとか、認知症に効くっていう食べ物を食べさせられたり、脳を少しでも動かすために100から7引いて歩いてみようだとか、家族もどうにか認知症の症状を食い止めようとしていたと思うんですけど、それが私にはしんどかった。 

 

家族はどうにか病気を食い止めるために、いろいろ言いますが、本人は辛いですよね。私はこの方とは違いますが、難病持ちなので気持ちがわかります。 

子供だったら、そういう方法でもよいかもしれませんが、自分で調べたり考えたりできる場合は、「こういう方法もあるみたいだよ」「食べたいものを用意するからね」くらいで、押し付けない方が良いのではないでしょうか。 

 

 

・認知症って一括りにしてますがアルツハイマーならまだ家庭で暮らす方法を模索できます。けど、他の認知症は夜寝ないで一晩中大声で叫んだり、外に出ようとしたり、性格変わって怒鳴り散らしたり、あちこちに排泄したり…正直家族が家で面倒見るのは大変だと思います。 

 

 

・どんな病でも、周りから理解が得られるのは心強い。裏を返せば、周りから理解を得られない環境は本当に辛い。実感が湧かないし、そんな事になっているなんて、全く信じられないんでしょうね。もっともっと知識が広がることを切に願います。 

 

 

・「認知症でも良いじゃん」「〜でも良いじゃん」は結局「生きてれば何でも良いじゃん」ってことで、それで気持ちとしては穏やかに、普通の状態、楽になれるんだよね 

 

理想以外だったことを受け入れることで「普通」になれる 

だって、生老病死は当然だから 

病気は普通のことだから 

 

受け入れるまで大変だったね、でもこの方もそれを受け入れて、目指してた人みたいに優しく笑ってるんだね 

偉いね、乗り越えて感激 

 

人生、辛いことあっても、乗り越えて優しく笑えるのは目指すべき生き方だと思う 

みんなで優しく笑えたら良いね 

 

 

 

・認知症の75%はアルツハイマー、早ければ20歳後半から始まり、 

ピークは60歳代。 

 

アルツハイマー進行阻止剤が保険適用になった時、現役世代に 

負担をかけるなという批判の声が大きかったと記憶していますが 

 

現役世代にも多いし、家族遺伝性認知症もある認知症なので、 

両親の兄弟迄広げて見るとかなりの確率でアルツハイマー型 

認知症は発見できるとか・・・ 

 

 

・認知症というのを社会的に受け入れていくことはある程度出来ると思う 

でも、会社としてどこまで受け入れてあげられるだろうか 

認知症の人がいると理解していても、いざ自分が客だったとして 

「担当、認知症でご迷惑かけるかもしれませんが理解と協力を」と言われてどこまで許容できるだろうか 

 

 

・年々増加っていうのは病院行くか行かないかの違いも大きいと思うけど、昭和の時代と比べて明らかに増えてるのであれば、原因を探って元を断つようなことをしないと笊だよね。 

 

今の子供達や若者が同じ轍を踏まないようにしていかないと。 

 

 

・ショートステイで少し働いた時に若年性の利用者さんいましたけど、見た目は普通の人と変わらないけどトイレを部屋の中でしたりしてました。トイレに連れて行っても便器わからない時もあったり。 

迎えに来た奥さんの事もわからなかったり… 

家族の方はほんと辛いだろうなと思います。 

 

 

・産まれた瞬間からトイレもわからず 昼夜問わずとにかく泣き叫び 寝る、食べる、怒る、しか出来なかった私を仕事しながらも、母は育ててくれました。その恩が少しでも返せればと思い日々介護してます 

成人までの20年間母は常に味方で居てくれました。そんな母も今や私のことは分からなくなってしまいましたが それでもあなたは優しい人ねと言われます そのたびにあなたの息子ですと伝えると急に怒って子供なんか居ないわよ!と怒鳴り手がつけられなくなりますが 終わりが来て欲しいとは思ったことないなー 

 

 

・祖母は年齢いってから認知症になったけど 

足腰は元気だから、知らぬ間に外に出てしまって 

行方不明になりかけた事は何回もある。 

 

一緒に住んでた従姉妹が仕事帰りに見つけて連れて帰ったけど、顔とか出てる所が傷だらけで『なんで、傷?』と聞いても本人は何処を通ったか覚えておらずで。 

田舎に住んでいて近所みな顔見知りな上、祖母が認知症になってきているのは知ってたから『◯◯らへんを歩いてたよ』と知らせに来てくれて、その都度見つけ出すことが出来たけど 

年間1万人くらいは認知症の行方不明者がいるから、その1人になってたかもしれないと叔母は言っていた。 

 

知人の祖父も認知症で徘徊があり 

全ての服の裏に住所・名前・緊急連絡先を書いたワッペンをアイロンプリントで貼り付けていたって言ってたな。 

 

車で20分くらいかかる所で警察に保護された事もあり、そのワッペンで連絡が来て迎えに行った事もあるって言っていた。 

 

 

・認知症、鬱、注意欠陥多動性障害や自閉スペクトラムといった発達障害···どれも周囲の理解が得られませんと生きていく事さえ難しい事になりますね。 

 特に認知症は、酷いと身体が動きません。会社も辞職or解雇かの選択を周囲から迫られるでしょう。鬱や発達障害は本人に責任能力があるので解雇は難しいですが、周囲からの理解はかなり難しいです。一部の人からの理解を得られても、仕事はそういった人だけと行っていく事は無理でしょう。  

 理解をするという事はその人の為にそれ迄は無かった負担を強いられる事になるわけです。  

 話し合いが持たれても、必ず中には話し合いが終わった後にそっと近付いて来て、俺は(私は)出来ないよと言って来る人間もいます。 

 人の痛み、弱い者の痛みをわかろうとはしない人間はいます。同じ状況の・同じ悩みを持つ人と関わっていく事が活路を見出だす事に繋がるかもしれませんが···。 

 

 

・認知症もガンも周りに助けてくれる人がいてこそなんだと思います。血縁関係だけでなく、人間関係が希薄になり、単身世帯が増えてる現代で自分がこれらの病気に罹患したら…選ぶ選択は一択だなと思う 

 

 

・認知症なんだろうなって人、中年にも結構いる。 

元々、学校とかより自由が好きで社会人になる前から 

酒もタバコも、薬物もやり、 

好き放題毎日過ごしてきた人 

自分の思い通りにストーリーを仕立てあげ、悪者を仕立てあげてきた人って 

中年になったあたりから 

他人の言う事を自分がいつも言ってるのに気が付いてなかったり 

物事の分別つかない…… 

学歴は底辺ではない分、巻き込まれている人、若い認知症の言うことをすっかり信じて損する人もいる 

 

若い人の認知症は、自分が正しいみたいに言いとおして、結局会社がつぶれちゃったり…… 

 

その人の人生のシナリオは、中年になってから認知症がひどくなり、終わり…… 

あの人も認知症なんだ!と、知ったとき 

ずっとモヤモヤしていた気持ちがスッキリした。 

若い認知症とは一緒に働きたくないけど 

普通の性格の認知症の人もいるんですね 

 

 

・実際に介護している人のコメントは見ててもわかります。 

どれだけの人で介護しているかわかりませんが 

先が見えない中で一人を一人でとなればストレスたまりまくりで 

こっちが認知症になったり鬱になったりしないかとも思います。 

さらに家族だけのサポートは金銭面だけみても相当に裕福でないと 

難しいし共倒れになってしまいます。 

また某自治体の収支報告をみてもこれらに関する支出が極めて多く 

今後は国としてサポートしていくことを遅いながらも今から考えて 

いかないと単なる老人としての年金支給では済まなくなるはず。 

人生100年時代だと?! 

 

 

 

 
 

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