( 167248 ) 2024/05/05 17:40:18 2 00 「休養しろ」に納得できず…三木谷氏に直電 3年契約も1年でクビ、楽天初代監督・田尾安志の無念Full-Count 5/5(日) 6:50 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/1f1ad3466bde4dc1e11514ec5a188b95f3258191 |
( 167251 ) 2024/05/05 17:40:18 0 00 楽天の初代監督を務めた田尾安志氏【写真:産経ビジュアル】
楽天初代監督の田尾安志氏(野球評論家)は2005年のわずか1シーズンで解任された。新規参入球団の1年目は38勝97敗1分。戦力的にあまりにも他球団と差がありすぎた。4月と8月に11連敗を喫したが、いずれも球団フロントとゴタゴタした。開幕から約1か月で早くも辞表を手にした4月。休養の可能性があった8月。田尾氏にとっては「納得できないことが多かった」という。
【写真】妻はロックシンガーとして活躍 若き日の宏子さんと田尾氏
2005年3月26日のロッテ戦(千葉マリン)、新規球団・楽天は記念すべき初戦に3-1で勝利した。エース・岩隈久志投手が5安打1失点で完投した。「でも次からは大変だろうなっていうのは読めていましたからね。(オーナーの)三木谷(浩史)さんはえらい喜んでいましたけど、そんなにうまくいくわけがないんでね」。2戦目(3月27日)は0-26の大敗。打線はロッテ・渡辺俊介投手の前に1安打に封じられた。「これが現実だろうなって思いましたね」。
4月15日の日本ハム戦(東京ドーム)から、4月27日のオリックス戦(山形)まで11連敗。球団フロントが山下大輔ヘッドコーチの2軍監督、駒田徳広1軍打撃コーチの2軍打撃コーチへの配置転換を打ち出した。田尾氏は反発した。「『一生懸命、みんな同じ方向を向いてやっているけど、力がないから負けるんです。それをコーチの責任にするのは困る』と言いました。だけど『何かを変えないといけない』とか言って……」。
ここで田尾氏は腹を括った。「山下さんはお金を稼ぐとかの意識じゃなくて、なんとかいいチームを作っていこうということで来てくれた人だし、ユニホームを脱ぐと言うかもしれないと思った。駒田にしてもそう。もし、そうなったら、僕もやめると決めたんです。山下さんには『僕の力が至らなかったから、こういうことになった。僕の責任でもあるので、1人ではやめさせません』と言って、その場合は僕もやめるという話をしました」。
宏子夫人にも「ここでやめなかったらパパじゃないよ」と言われたという。「その次の日、辞表を持って球場に行きました。そしたら(米田)代表が来て『山下さんが2軍監督を引き受けてくれました』って。山下さんは(この人事が)僕の考えじゃないなって思って、考えてくれたんだと思います。それで何とか続いたんです」。開幕から1か月での辞任がギリギリで回避。いきなり、そんなスタートだった。
4月に5勝19敗、5月に7勝18敗、6月は8勝14敗と、他球団との力の差がありありの結果が続いた。7月は10勝9敗1分とひとつ勝ち越した。それでも「まぁ、あそこは何とかうまくいったんですけど、ベテランが多いので夏場は無理だろうと思っていましたよ」。悲しいかな予想通り、8月は3勝21敗と大きく負け越した。8月9日のオリックス戦(スカイマーク)から8月23日のオリックス戦(フルスタ宮城)まではシーズン2度目の11連敗を喫した。
この時にもまた一悶着あった。「(球団フロントから)次のゲームも負けたら休養しろと言われた。球団の方針だから『わかりました』と言ったんですけど『じゃあ勝ったらどうするのか』と聞いたら『今まで通りやってほしい』というから『そんな薄っぺらいことしか考えられないのか』って話をしたんです」。納得いかない田尾氏は三木谷オーナーに電話も入れたという。
「オーナーは電話に出られなかったので、留守電に入れて家に帰ったら、島田(亨)球団社長から電話があって『休養の意味を取り違えていませんか。2、3日休養してほしいという意味合いの休養です』って言うから『それ、おかしいだろ』って言ったんですよ。何かそういうその場繕いが多すぎて、僕らの考えとちょっと違った。やっぱり野球人というものを全くわかっていないなって思いましたね」
8月24日のオリックス戦(フルスタ宮城)に楽天は4-1で勝利。連敗が11でストップし、田尾監督の休養はそれで本当になくなった。だが、その後、球団との溝も深まっていき「そのうちに1年で解雇という形になったんです」という。いろんな経緯があったようで「(元ヤクルト、西武監督の)広岡(達朗)さんをGMに呼んで、そうなれば僕が2年目もやる予定だったんですが、その後、広岡さんの話が根本的になくなって、僕の2年目もご破算になった」とも……。
もともと田尾氏は「僕はオーナーがやれと言っても、違うと思ったら、やりません。それが嫌だったら早くクビにした方がいいですよって話は(球団フロントに)していたんですよ」と言うが、3年契約だから、当然3年計画でチーム作りを考えていた。「1年目は与えられた戦力でやるしかないので、オフにどうなるか。自分の中で計算したものがいろいろあったので、それを実現できずに終わったのはちょっと残念でしたね」と口にした。
「まだシーズン中でしたけど、(ソフトバンク監督の)王さんや(ロッテ監督の)バレンタインに『来季に向けて補強したいんで、この選手を何とかなりませんか』って話もずっとしていました。かなり協力的で、僕が2年目をやっていたら、何人も楽天に来てもらえるだろうって思っていたんですけど、それも全部なくなったんですよね」。3年契約のはずが、まだ土台すらできていない段階の1年で終了。田尾氏にとっては、志半ばで終わった形になった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi
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( 167250 ) 2024/05/05 17:40:18 1 00 この複数のコメントからは、田尾監督が楽天の初期からの苦しい時期にチームを率いたことに対する尊敬や感謝の声が見られます。
(まとめ) | ( 167252 ) 2024/05/05 17:40:18 0 00 ・田尾さんは、自分流にこだわりすぎて周りと揉める我が儘な人、という意見が多い。そうじゃない方で、当時の楽天監督を引き受けそうな人物がいるのかな。栄光とはほど遠く、損得考えたら誰も手を挙げないミッションにチャレンジしたことはとても立派だと思う。
・岩隈、礒部以外の選手は暗黒時代真っ只中のオリックスと消滅する近鉄球団の中の末端の選手+他球団からの自由契約同然の選手で構成されてるから弱いのは当然。 むしろよく100敗しなかったと思う。 三木谷会長も色々言われてるけど、この人が球界参入に声をあげなければ、1リーグ10球団制の可能性があった訳で、その点は感謝したい。
・田尾さんは監督だったが、その上に球団社長がいてオーナーがいるわけで、オーナーからすればいくつかの事業での事業部長なり現場所長。
三木谷オーナーが楽天球団をどのように考えているか分からないが、女性をはべらせ酒を飲みながら試合中に電話して代打や投手交代などの指示を出して力を見せ付けたという話しもある。
真意は定かではないが、石井さんをGMにしながらも監督をさせたり、コロコロと監督を変えたりするのを見れば、IT会社のよくいうコンテンツのひとつとしてしか考えていないのだろう。
いくら会社が大きくても三木谷さんの個人企業だから、現場が何を考えようが努力しようが、三木谷さんに嫌われればどうしようもない。
オーナーの意向で現場が混乱するのは一般企業も同じ事で、それを理解しておかないと反骨心が反逆者になってしまう。
・結局楽天はいまだにオーナーとかGMとか編成でギスギスしているし、強くなった時も助っ人外国人とかFA選手獲得とかお金を使った印象で広島とかヤクルトとかオリックスみたいに若手を順調に育てたって感じじゃないからね、継続的な成長ができていない印象 そういう意味でソフトバンクやDeNAのような親会社が変わってチーム方針をうまく決定できているように見えない もっと頑張ってほしい
・>「ベテランが多いので夏場は無理だろうと思っていましたよ」。悲しいかな予想通り、8月は3勝21敗と大きく負け越した。8月9日のオリックス戦(スカイマーク)から8月23日のオリックス戦(フルスタ宮城)まではシーズン2度目の11連敗を喫した。 何かのテレビ番組だったかで「35歳以上のベテラン選手が17人もいた。」と田尾さんは語ってました。夏場の戦いは、予想が的中してしまった訳ですね。球場名は懐かしいなぁ。そういえば就任1年目で「戦力の10%底上げできれば優勝できる。」と公言した落合監督と04' オフに田尾新監督が「SMAP×SMAP」に出演した際、オレ流発言で「楽天は、100敗するよ。」と言っていたのを思い出しました。結果的には不名誉な記録は免れましたが。
三木谷オーナーvs廣岡GM…。誕生していたら間違いなく一悶着ありそうな人事です。「野球素人が下手に口出すな。」みたいな(笑)
・三木谷さん誰もが知る実業家で自分が出来る人間と思っていて、野球も上から操ればなんとかなると思ってたのかな? スタメンとか勝手に決めてたとか言う話もきいたことある。
プロ野球に参戦してここまで負けまくるって思ってなかったのでしょうね。 それにこの勝手な三木谷采配ってヴィッセル神戸でも会ったのかな?
本文でも書いてたけど田尾監督3年契約で1年でクビになったけど、クビになった時に三木谷オーナーに呼ばれて行ったらロレックスの時計を貰って、後の2年契約の年棒はポケットマネーから払う戸言われたら事を田尾監督が言ってました。 2年目は貰ったけど3年目は貰わんかったといってましたね。
自分なら絶対に3年目も貰うなぁ。 結局金のヤラシイ話をすると年俸一億だったから2年目は何もせずに一億ゲットした話になります。 結構美味しいよね? 金はどうでも良いと仰っていたけども。
・地元の生え抜きながら我が強く中日を出て行った山崎武司選手。移籍したオリックスでも トラブルを起こしもう過去の人となっていたが、田尾さんとの出会い、仙台との出会いで人が変わったようになった。その後の野村克也さんとの出会いも大きく、環境が変われば再起も可能だと勉強になりましたね。山崎選手の話によれば仙台はものすごく治安も良く、住みやすいとか。
・田尾監督の評価というのは、後任の野村監督がなんだかんだで愛されるチームを作り、数年掛かったとはいえCS進出までの成果を上げたことによって、判断が難しくなったと思います。
当初、田尾監督の解任に多くのイーグルスファンが反対していた印象を受けました。ところが野村監督が後任と知ってかなり反発が和らいできました。そして野村監督はマスコミ対応が上手い方だったので、だんだん野村監督のボヤキを皆が楽しみにするようになる。
そして田中投手を獲得したり、山﨑選手が活躍したり、島捕手が成長したりと、なんだかんだで戦力も整備して、Aクラス入り。いつのまにか田尾監督解任のマイナスイメージは消え去っていたのが不思議でした。
もっともその野村監督でさえ不本意な辞任をしたのだから、このチームの監督は難しいポジションだなぁと感じます。
・野球をわかっていないのも、薄っぺらいのも20年経った今も変わってはいない。すぐコーチの配置転換するのもだ。でも、楽天に来てくれたコーチたちは、本当に愛情深く選手を見守って育ててくれる。そこには感謝しかない。オーナーに同じくらいのチーム愛が有ればもっと強くなるのにといつも思う。日本の野球は、ビジネスライクではなく、浪花節的な側面が大きい。それが嫌なら早く手放した方がいい。
・楽天の初年度の監督は誰がやっても多分同じ結果になった。 旬を超えたベテランが多かったし、外国人も機能しなかった。 でも山崎・吉岡とか復活した例もあったけどね。 だから自分も当時は田尾監督の1年での更迭は反対だったのだけど この人の記事読むと、所属したチームで誰かエラいさんとケンカして飛び出すというのを繰り返しているから、今となっては続投だったとしても長続きしなかったようにも思う。
・東北初のプロ野球球団。負けても、それでも応援してくれる東北の土壌に球団の創設は良かったと思います!初年度の監督は、正直メンバーを見ても、2軍でしたよね!それでもババを引いてやってくれた田尾さんには感謝してます!どうしても、星野さんの優勝ばかりが賛辞を送られますが、1年目の悔しさが有ったから。そして我慢強く、東北の球団を応援するファンが居たからだと…現場に口を挟まれる最悪な状況にありながらも、損得無しでやってくれた、監督、コーチ人に感謝ですね。
・記憶に間違いがなければ、次の野村監督も引き受ける前に補強が出来ないならばダメだみたいなことを言っていた気がする。田尾監督も3年で戦えるチームを作ろうとしていたし実際シーズン中も動いていたんですね。野球のプロでも当時の戦力では戦えないと思っていたのに三木さんはそんなことも分からず口出しし過ぎだと感じていた。素人でも急に各球団から集められたチームのメンバーを見れば戦う前から難しいと思っていたし、各球団も当然主力級は出さなかった。当たり前である。でも、東北で初めての球団だったし毎年補強しながら強くなっていって欲しいと思っていた。田尾さんは野球解説はしていたけど、監督は初めてだったしやりたい事を試しながら作り上げていっていた。そんなのも待てないオーナーは器が小さいなあと当時思っていた記憶がある。
・まあ、田尾さんを庇うわけでもなければ、楽天の事情をよく知ってるわけでもないので、何が正しいのかわかりませんが、3年契約の1年目は現有であれこれ試して誰ならフレキシブルにやれるかとか、コンバートできるかとかを目極めるタイミングで、2年目に補強とそれらのテイストを融合できるかの実験期間で、最終年にこれまでの総仕上げと初年度ドラフトの選手の開花タイミングが合えばAクラス入り出来るかもって感じかなと。1年で切ったら、また1からやり直しなので実質4年掛かる。今の立浪ドラゴンズも内容的にはかなり右往左往しているので、状況は違うが、3年目に少し結果がついてきたかなという感じ。 実際の社会でも新入社員や他部署からきて即戦力とはいかず、やはり、2年目以降結果が出てくるかという感じなので、結果を急ぎ過ぎてもどうかと。急がば回れです。今の楽天も似たような感じで、結果を急いでコーチの配置変えても同じかと。
・元々野球が好きでしたが、小学生の時に「イケメンの新人選手」としてティーン雑誌に紹介された記事がきっかけで、それからずーっと田尾さんと中日の大ファンです。
甘いマスクとは反対に気骨、ガッツがにあふれ、自分の意見もそうですが他の選手に代わりもの申すことも度々あり、球団からすると厄介な選手だったと思います。 選手引退後もスマート、爽やかで、楽天の監督になった時には、「いかにも」三木谷さんが好きそう、と思いました。 ただ(選手には失礼ですが)やはり寄せ集め感満載のチームは初年度から三木谷さんの思惑どおりに勝てるワケもなく田尾監督は貧乏くじをひいたようでした。 野球を知らない人が野球を語るなよ、って思いました。
今の監督は若い方が多いので現実味はないですがもう一度田尾監督を見てみたいです。 できれば中日で。 絶対ないだろうけれど。
・この人は結構頭が良いから3年計画を本当に3年で戦える集団にしようと考えていたんだと思います。三木谷さんは口では3年契約といいながら経営者だから即結果が欲しくなっちゃったんだろうなぁ、まあその後チーム強化だけでなく地域の球団として色々取り組んでゆき球場にも人が来るようになり優勝には時間掛かったが人気球団に、でも田尾さんの3年目みてみたかったなぁ、
・仙台出身の楽天ファンです。楽天ができるまでのゴタゴタを考えると、田尾さんが監督を引き受けてくれただけでありがたいと思ってました。 仕事終わりに生で野球が見に行ける環境って本当に楽しくて、堀江さんはじめ関わってくれた皆さんに感謝してます。
・2005年シーズン仙台での最終戦。 カードはイーグルスvsマリーンズ。 試合終了後、フルキャストスタジアム宮城(当時)の ライトスタンドでマリーンズサポーターの1人が発した一言。 「田尾監督が辞めるらしい」 その後マリーンズサポーターから自然発生的に巻き起こった「田尾コール」 はやがて球場全体に広がった。 しかしながら田尾監督は仙台を去った。 当時、ライトスタンドにいたから強烈に覚えてる。
・どの球団でもフロントとの 折衝や食い違いはあるでしょうね オーナーは産みの親の苦しみもあるだろうが 現場は日々苦労との戦い選手も競争との 戦いに勝たなければならずそこをまとめて指導するコーチ監督の苦労は終わる事がないですよね。球団としても勝てばいいだけではなくて球場の管理 イベント グッスからCM 全てはファンの喜びが球団経営で黒字か赤字かに繋がっていきますからね 折り合わない失敗を糧にいつかは 良い球団に変わっていくと思います
・生まれたての植物も人間も球団も、はじめはとても手が掛かるし、すぐに立ち上がれるわけではなくじっくり育てるもの。イーグルスも結果ばかり重視せず、じっくり育てて欲しかった
楽天球団の設立が決まった際、仙台駅東口で多くの方々と万歳をして喜んだが、20年弱経ちまさかこんな球団になるとは思わなかった、というのが正直な感想です
・前年から5位と6位のチームのプロテクトから漏れた選手を集めたチームが勝てるわけがなかった。しかし、田尾解任は成績不振が理由ではなく、翌年以降の強化策で揉めたからだったようですね。田尾さんは選手層の薄さ、編成に対する不満を訴えるばかりで、育成について具体的な方針を示さなかったとか。でも当時の楽天の戦力なら、まず補強ですよね。
・2005年は交流戦1年目、当時は3試合毎のホーム&アウェイだった。 前年、セリーグ チャンピオンの中日のホーム、ナゴヤドームでまさかの楽天が3連勝したのは鮮明に覚えている。 この年、中日はそれまで首位を走っていたのに、交流戦で失速。とりわけ、前半は4勝14敗との散々な成績で、この年、ペナントを逃すのだが、交流戦前、落合監督が「5割で十分」と、言っていたが、この年は準備なしで交流戦に入ったので、5割なら何とかなるだろう、との判断だったのだろうが、痛い目に会うことになった。
・マーティキーナートを初代GMに迎えたけど、日本のプロ野球なのにと思った、横浜はDENAの傘下となった時に高田繁をGM、やはり日本のプロ野球OBで有能な人間へ招聘しなければ駄目なんだろう、それに田尾にまとも戦力じゃないの直ぐに結果を求めるオーナーが原因かな。
・少なくとも三木谷さんはスポーツ経営のセンスはない。 ヴィッセル神戸でも、何度もチームを降格させてるし、我慢できずに監督を交代させて、翌年成績を落とすってパターンを何度も見た。 昨年優勝できたのは、ネームバリューだけの外国人選手を使わなくなってから、口を出さずに金だけ出してれば楽天も神戸ももっと勝ってると思う。
・開幕前から100敗するだろうと言われる中、しなかったしまあ順当な船出だったと思います。 それよりも球界再編騒動の中で新規参入を果たしたことがシーズン100勝にも値したと思う。 今もしマイッタする球団が出たとして、すぐさま買い手が見つけられるか又は新規参入する企業があるかどうか…。 たとえ田尾さん以外の誰がやっても結果は最下位だったでしょう。その中で巧く立ち回われる人なら2年目もあったかもしれませんが。
・中日ドラゴンズ監督で手腕を振るって下さい。立浪なんかより余程先見の明がある。暗黒の3年間に、ドラゴンズに希望、信頼、可能性を与えてくれる。夏にオールスター前に立浪と片岡がセットで解任されるので田尾一和田ヘッドでファンに希望を与えてほしい。
・駆け出しの球団に於いて、現場に即結果を求めるなんてのは無茶苦茶な話。特に創設時の楽天はひどかった。所属していた選手には申し訳ないけど、あの戦力で勝てるわけがない。オーナー側もやり方が分かってなかったんだろうとは思うけど、開幕から1ヶ月経たないうちにコーチを配置転換とかデタラメ過ぎて当事者は気の毒以外ない。ただそんな歴史がありながらも、10年やそこらで日本一まで持っていったのは単純にすごいと思う。
・近鉄とオリックスの合併でプロテクトされた選手以外(一部プロテクトを拒否した選手もいましたが)でのチームと他のチームで戦力外となった選手でできたチーム。この成り立ちから考えて1年目から優勝争いのできるチームかどうか普通にプロ野球を知っている人ならわかるはず。三木谷氏などフロントの先見性のなさなどが当時の楽天と田尾氏の悲劇だったように思います。
・何と無く選手の 頃から 田尾さんには好感が持てた、 余り野球は見なかったけど 楽天の監督に成った時は 何と無く嬉しかったな、 田尾さんを好きでも 世に三木谷を好きな人はおらず! 野球も大分ファッションか されて 楽しんで球場に行って居る事は良い事だな、 選手達も 社会人としての自覚を持って欲しい人も居るけど まあ此れからが楽しみだな!
・こういうのは主観が入りがち。そして同じ話を何回もしているうちに記憶が美化されていったりするのは年寄の昔話でよくある事。楽天のフロント側視点だと、田尾さんは基本敗戦の言い訳に終始し、行きつくところ戦力が足りない、補強が必要という話になると。フロント側としては勝てない事は仕方ないが、長期的な育成視点が無い為に田尾さんには任せられないと判断し、育成に定評のある野村監督の招へいに動いた・・・という感じだったと思う。その後の田尾さんの経歴を見ているとどちらがより真実に近いのかは想像しやすいと思う。
・当時は初年度でよく100敗を回避したと思いましたけどね。 田尾さんが色んな人と揉めたり、我の強い人なのかもしれないですが、フロントの介入はあんまり印象よくないですね。 それでも資金力があるからFA戦士は集まってくるけど、フロントの現場介入によって自身の出番が左右されるなら行きたくならんのかなっていうのはいつも疑問ですね。 FAでせっかくお金使ってるからフロントとしても使わないとって感じなのかもしれませんが。 なんにせよロッテファンとしては今江監督が心配ですよ。
・創設初年度なんてそんなもの、誰がやっても結果はそうなっただろう。
加えて、球団オーナーの三木谷は好きなものにはとことん情熱を惜しまないが、 そうでもないものにはあくまでビジネス以上の事はしないからな。
楽天ゴールデンイーグルスとヴィッセル神戸でのあいつの対応見てるとそう思う。
・楽天の試合観ていると、星野監督以降誰やっても試合運びが同じ、これ監督変わっても何の意味もないんだなっと感じてます。正直言ってクソつまんないワンパターンの戦い方と感じているのは自分だけでしょうか、シーズン始まる前はいろいろ言っている監督もいざ、シーズン始まるといつも通りの試合作りに、素直に監督の思うままに試合をさせて欲しい
・近鉄ファンだったので楽天がどうなるか、ファンではないが気にはしていた。岩隈の活躍はうれしかったが、あのメンバーではあの成績もやむを得ないと思っていたが、いきなり田尾監督解任には驚いた。野村監督で持ち直したのは確かだが、オーナー、フロントの介入癖は今も変わっていないのでは。ビッセル神戸でもそうだが迷走しているように見えて時々ホームランを飛ばすので評価が難しいが、やはりはずれが多いように思う。
・あの時、誰が監督やってもダメだったでしょう。それほど戦力は無かったし オーナーの三木谷氏、フロントは野球、現場の事は素人で何も分かってないように見えた。オーナーは外国人補強に大金を出して大物を取ると確か豪語してたが実際はそんな事も無く大した補強も無かった。オーナーは現場に口出す前に金出せよと思った記憶があります。こんな中結果を出せと言われても無理があるし、田尾氏が気の毒で可哀想でした。今年の楽天も金を出さず大した補強もしてないのでかなり厳しいのではないでしょうか。
・楽天ってフロントがものすごい行き当たりばったりなチームだし、現場やファンのことを一切考えていないことがオリックスファンの自分でも分かる。 中長期的なビジョンがまるでないし、トップの首をすげ替えればチームは強くなると未だに思っている。田尾をはじめ、どれだけの監督が一年で交代させられただろうか。 球団創設から20年経つのにフロントの考えが全く変わっていないのは悪い意味ですごい。
・監督業はどんな場所でもハードだが、新興球団の場合はなおさらだと思う。オフィス側は試合の現場に対して結果を出せと要求し続けるが、新興球団で1年目から優勝争いに絡むという結果を生むのは酷だ。前シーズンまでは選手は皆他球団にいて、自前で長年育ててきた選手はいない。最初は知名度を上げることで精いっぱいで、選手の育成には手が回らなかったと思う。監督の能力も問題だ。オフィスも新興球団なら最低2シーズンで基盤を作るべきだった。田尾氏も楽天球団から去って以後、特定のチームに入ることはなかった。
・最下位になったとしても他球団の場合は少なくとも3年は待ってくれるのに、1年で結果が出ないから解任なんて酷いと思う。 田尾さんは監督経験のない人。 それが嫌ならば最初から監督にするなって話よ。 その後に野村さんが監督になって結果を出したのに高齢が理由で解任。 あれで楽天が大っ嫌いになった。 オーナーが本当に野球を知らない人だよね。 オーナーが変わればもっとファンが増える球団になると思う。
・野球って他の球技と比べての違いが際立っていますね。 チームのトップは、日本語では監督だが英語ではマネージャー。他の球技は全てヘッドコーチ。 そして野球だけが監督コーチ全て選手と同じユニフォームを着ている。
サッカーなどは、監督の采配が勝敗にストレートに反映するので、監督の交代が頻繁。 だが、野球は勝敗の要因が他の球技よりもかなり多くて、単純に監督の首をすげ替えるだけでは好転しない場合が多い。
田尾氏は、熱血漢かつ理論派で現場での手腕も高かったとは思うが、フロントとの意思疎通が上手くいかなかった。 フロントにも責任はあるが、フロントとの折衝を上手くこなすのもマネージャーとしての重要な役割。カッとなりやすい性格がマイナスに作用したような気もしますね。
・当時、仙台に住んでいて、初めてプロ野球が来る。ということで大騒ぎ。生まれて初めてシーズンシートを購入し、仕事帰りに球場に寄って弁当を食べながら田尾楽天を応援してました。確かに弱かったけれど、自分たちの゙球団を応援している。感がありました。田尾監督は大変だったろうとは当時から思っていました。
・結果が全ての世界
楽天初年度は参戦することが目的で結果など関係ない感じの陣容だったと思います。そもそも選手の年棒を抑えて、という感じの特番もあったくらいですから、それはそんな成績になるでしょうね。田尾監督の責任では無いのですけど、それでも詰め腹を切るのが監督の仕事でもあるので仕方がないですよね。
球団社長はオーナーの意向に沿った発言しかできないでしょうからね。
それを思うと、その後はきちんと選手も補強して、優勝も経験したので、オーナーも参戦した意味があったでしょうね。サッカーの神戸もですけどね。
・いやいや、楽天の初年度は岩隈以外は有望な選手は全てオリックスに取られて、戦力的にむちゃくちゃ不利なチームだった。よく、田尾さんは引き受けてくれたと思うし、任せたなら決してチャチャいれたら駄目だったと思うよ。
あの弱かった阪神でも、野村さんには1999から2001まで三年連続最下位でもチームを任せた。本来こうじゃないといけないよ。負けながらも野村さんは井川と今岡を育てたからね。
田尾さんも、王さんやバレンタインさんと選手の獲得の話も進めていたと。これが実現したらどうだったか、田尾楽天の反攻をみてみたかったなあと感じますね。
・ライブドアのチームもあったので、そもそもリーグに加盟できるのか、ってとこからチーム編成してるので、田尾はとりあえずの監督なのかな、と当時は思ってました。古田や掛布の名前も上がってたし、本音はノムさんだったのかな にしても一年でクビはないわ。記事にある通り広岡をGMにして補強もして少なくとももう一年やらせるべきだったとは思いますね。
・4月にちょっと負けたら、配置転換ではいくらコーチがいても足りないよ。 新監督を迎えたら3年くらい待つのも球界では常識だろう。 いくら新球団とはいえ、あまりにもプロ野球をばかにしたフロントであり、 田尾さんが気の毒でならない。
そして、田中や山崎のおかげでなんとか恰好がついたのに、 今度は野村さんも簡単に切ってしまった。 あいだにブラウンを挟んだが、星野ありきの人事だったと記憶している。
星野時代は田中の大活躍もあり日本一にたどり着いたが、 その後も相手に敬意を欠いたような残念な監督更迭が続いているように感じる。
三木谷氏はもっと現場の監督、コーチ、選手たちに感謝すべきだ。 プロ野球への愛情がないなら、さっさと球団を売却してほしい。
・田尾は「他球団では活躍出来ない、余ってるけど楽天では戦力になる選手を、他球団の監督に積極的にトレードの話をしてて、前向きな話を頂いてた、楽天をパリーグを盛り上げて行こう。」 そう言うありがたい気持ちを、他球団の監督も話していた。とテレビかユーチューブで話をしていた。 話しを聞いていても、無念さが伝わるから、尚更3年間田尾監督を見て見たかったが、1年で終わり残念だった。 あの田尾退任のゴタゴタは、野球ファンも良く思わなかったよね。 楽天は三木谷の意見が強く、今も監督退任ゴタゴタ体質が何も変わって無いね。
・そもそも楽天は当時近鉄とオリックスが合併してパ・リーグの球団が一つ減ったところへホリエモンが新規球団参入を模索していたところを阻止するべく経済界からナイトのような役割を担わされNPBから容認された急造チームであり、三木谷も球団経営なんてずぶの素人なのにただ結果を求められたわけだから現場にあれこれ注文を付けていたのは仕方ないところもあるかと。 その後星野仙一監督で優勝するまで10年ほどの間に土台作りと楽天という球団が認知されるまでに駆け回った人のひとりだった感じだがその人たちがいて今があると思うので、田尾さんのお気持ちも察します。
・オーナー側の球団経営というか選手の能力が理解出来ていない、2球団が合併する中で出来た球団で公平とは言えず当時の1軍選手のほとんどがオリックスバファローズに行ってる。強くなかった2球団を再編した新規2球団が最下位争いしてんだから勝てないって当たり前。その場しのぎのフロント方針も無意味な事は分かる。
でも田尾が引退する時の記事でもこの人自身が先走りやすい、選手の事が分かってるなら当時の1、2軍の選手入れ替えても無理だろうは明らかな訳で、それでもテコ入れしたように見せる大人の社会がある訳で選手もコーチも頑張ってんだよは通用しない、その点で山下は大人で解雇ではない監督として2軍選手を鍛え直す妥当性を判断したんでしょ、何故か田尾は勝手に辞める辞めないになってるだけ。
田尾自身のコミュ力不足による3年間は時間を下さいではなくて、フロントには従えないので嫌ならクビになら当然解雇されるよ。
・三木谷という人は、別に野球が好きだからオ-ナ-になった訳ではない。購入に手を挙げていたライブドアの堀江貴文に対抗する意味合いもあったと思う。創設1年目で結果を出すなんて、無茶を越して不可能。どんな名指導者でも無理だっただろう。球団が出来て約20年余りになるが、優勝したのは1度だけ。多いか少ないか見たら少ないというべきだろうか。本業も好調とは言い難いし、内心手放したいと思っているのでは? ただ、これだけ金と手間のかかるオモチャに手を出す物好きな企業が果たして今の日本にあるかどうかだが。
・田尾氏は物言う選手だったんで三木谷氏とはいつかはバッティングするだろうと思っていた。この記事を読んでも所詮球団社長も三木谷氏の意向に沿って発言していたんだろうと思った。楽天という会社は管理職はもとより役員も三木谷氏の意向には逆らえない。楽天=三木谷氏のワンマン会社だから。確か田尾氏が退団時に自社の悪口を言わないように釘をさされたと思うが、この記事を見て苦々しく思ってるんじゃないか。しかしその後のノムさんと星野さんでリーグ優勝を経て日本一になったんだからお二人は流石だと思った。
・まだ経営陣が 球団運営のノウハウがわかってない時代 会社経営と同じような感覚で 球団経営の素人がトップダウン方式で チームの舵取りしようとしてた時期だしね しかも田尾には監督しての実績ゼロだったから 何を言っても説得力もなかった その後、野村や星野といった 既に監督実績もあって 他との相違をハッキリ言える人が監督になって 経営陣も企業経営と球団経営の違いを 少しずつ学習して言った感じ
・田尾さんには申し訳ないが3年間監督続けていたら球団存続の危機再び起きそうな程観客動員数も減っていたのではないかな。そして、取り返しのつかないくらい弱くなっていたと思う。ノムさんが監督就任して弱小球団にマー君が入団し徐々に強くなっていった頃が一番球団が輝いていて楽しかったな。
・大谷は入団会見でオーナーの事もえらく信頼している様子だった。 三木谷氏も1年生だったとはいえ、監督や選手と信頼関係を築けていたのだろうか。 楽天初年度の戦力では勝てる訳もなく、長期的なビジョンが欠けていた様に思う。 ソフトバンクやロッテの埋もれた戦力が加入した田尾楽天見たかったねぇ。
・私は阪神ファンです。
田尾さん。 ニュースでしか知らんけど、新入団発足以降、走り回ってたよね。 岩隈や戦力補強。 東北の財界へ、ファンイベントへ。 沖原トレードで阪神に感謝してくれたのも良く覚えてる。
球界のことを何も知らない人らの集まりやったからね。 三木谷さんもライブドアの対抗で、渋々受けたのか、企業人として球団を持つことのステータスでなのか知らんけど、準備も何もなく引き受けたイメージ。 金は出すが口も出すでしたね。
田尾さんが可愛そう
・改めて思うと、球団全体が手探りだったんだと思う。三木谷オーナーの方針も、時としてどうかと思うが、オーナーだって大金叩いている以上、口出しは致し方ないかと。金出して欲しいが口は出すな、と言うのは無理な話だし。
田尾監督も当時の戦力で、極めて困難だったと思う。それでも、監督を引き受けて、フロントとぶつかりながらも一年間采配奮ってくれたのは、感謝しか無い。 田尾監督が、頑固で上層部と揉めると言うが、部下からの反発や批判等はあまり聞かない。 それだけでも、立派な事だと思う。 ひたすら保身に走り、他者を蹴落とし、私腹を肥やし、誰かを犠牲にして生き延びる人より、遥かにマシな人物ではなかろうか。
・弱小球団も設立から20年目になりました。昨日旅の途中、球場に行ったらMLBの球場のようなアミューズメントパークみたいで選手はグッズありで、丁寧に紹介されてるし、市民球団として定着したのだなと思いました。お土産に買ったユニホームピンバッジは監督の背番号でした。監督も仲間に入ってます。
・正直、田尾さんは監督というより俳優向きですよね。
現役時代はそれほど目立つこともない1番バッターだったけど、引退後はそのとびきりのハンサム度を活かしてニュース番組の顔にもなってましたし。
そもそも、コーチ業の経験がないのに、いきなり新球団の監督はさすがに無理があるでしょう。まさしく、球団の「顔」として選ばれただけかと。
・どんなチームでも改革するには3年はかかるだろう。ましてあの頃の楽天は他のチームでお払い箱になった選手の寄せ集めみたいな戦力だった。1年目は誰が監督でも結果は大差なかっただろう。チーム作りよりどれだけ三木谷社長を説得できるか、そんな手腕の方が要求されたのかもしれない。だけど野球の監督にその能力を期待するのはお門違い。野村監督なら田尾よりずっと説得力があるのは想像できる。それ以上にマスコミにも配慮できるし。でもなんだかんだいっても、マー君がエースで日本一になったウラで初代田尾監督の苦労も貢献していると思う。みんな無念をこらえて戦っているから優勝できたといえる。無念は田尾監督だけはないよ。
・僕は当時楽天を応援していましたがこの1件があってから楽天を応援する気が失せてしまいました。選手がわるいわけではないのはわかっていたのですけどね。田尾さんがあまりにも酷い扱いをうけてもうそれが許せなくて。歌手のさとう宗幸さんも田尾さん解任に大激怒していらっしゃいましたが僕も同じ気持ちでした。創設1年目のチームであれだけ頑張ってくれた監督にこの仕打ちは無いでしょう。1年目をなんとか乗り切り、さあこれから、というところで解任。それも理由は「成績不振」ですからね。三木谷のバカさ加減に呆れました。今でも腹が立ちます。 正直今でも三木谷は許せませんが前述の通り球団が悪いとは思っていないので他球団と同じように応援しています。
・寄せ集めの2流選手での1年目は誰が監督やっても最下位だったかと思う。 三木谷は野球の「や」の字も知らず最初から最高の結果だけを求めていた。 3年契約を1年で解除され田尾を簡単にクビにするとは酷いオーナーだ。 田尾が不利になるような契約内容が甘かったのかな。 野村監督に変わってからチームを安定させるには2、3年は必要と言われ三木谷も少しは理解出来るようになったが根本的な考えは変わらない人間だと思う。 もし堀江が球団を買い取っていたら面白い展開になったかも知れないし球団を潰していたかも知れないが。
・ライブドア・堀江氏が参入表明したがNPBが問題ありとして難色を示し、代わりに担ぎ上げられた楽天・三木谷氏。 2リーグ制消滅の危機を回避できたことに関しては感謝しかない。 だが旧2球団の主力選手をほぼオリックスに持っていかれた理不尽な分配ドラフト。岩隈が来てくれなかったら間違いなくシーズン100敗だった。 三木谷氏は初年度から優勝争いを出来るとは流石に考えていなかったと思うがここまで弱いとは想像できなかったのだと思う。 星野監督の時以外、現場介入が常態化していたが「金も出すが口も出す」ではなく「金は出すが口は出さない」度量があればと今でも思う。
・奥さんの言う通りで思い通りにならないとすぐやめる田尾さん、思い通りにならないとすぐやめさせるオーナー、が対立した図式ですね。 我慢強く1年を戦い抜き2年目に繋ごうとしたら「解任」ではなく、途中休養をギリギリ回避してなんとか最終戦まで漕ぎ着けた初年度だったんですね。
オーナー会議で先に手を挙げたライブドアを排除して新規参入を認められた三木谷氏「後出しジャンケンという訳ではなく」と図らずも事実を口にしました。担がれた対立候補に過ぎず、野球に対する情熱を感じませんでした。
野球に興味の無かった西武堤オーナーのライオンズにはビジョンと人脈の根本さんが居て計画的に数年で盤石のチームを作りましたが、楽天は大事な初年度に空中分解でそのイメージをずっと引きずってる感じがします。
・球団創設の時からずっとイーグルスファンですが、田尾さんの監督の時の裏側がこれで完全に明確になって納得しました。良くも悪くもイーグルスが話題に上がるといつも三木谷オーナーの顔がちらついて仕方無いのです。現在は楽天モバイルの大赤字等で、三木谷オーナーは野球どころでは無くて無関心ってコメントされる方が多いですが、少なくとも球団創設から現場介入バリバリだし、今シーズンも開幕して1ヶ月でコーチ配置転換なんてオーナーの現場介入体質は何ら変わっていないのではと勘ぐってしまいます。田尾さんには少なくとも2年目も監督やってもらいたかったし、あれから指導者の話を聞かなくなってしまったのが残念でなりません。イーグルス以外で監督やって欲しいです。そしてイーグルスを完敗させて優勝でもさせて、三木谷オーナーを後悔させて欲しいです。田尾さんには初代監督として感謝しています。応援しています。
・田尾監督は最初から目標は100敗しないことと言ってたし、結果は 97敗だったからちゃんと冷静な分析が出来た上に目標も達成している。 裏事情は今回初めて知ったがそんな中でも1年間最後まで良く やり切ったと思うな。
・楽天球団創設時は球場やクラブハウスも決まらない。キャンプなどもバタバタの状態でスタートだったかと思います。チームの体を成す、急造チームの一年目では誰がやってもあんなもんでしょう。フロントが田尾監督に横槍を入れず、もう少し放っておいた方が、もう少し雰囲気よく勝ち星も伸びたのではないでしょうか。
・選手の補強は球団やGMの仕事であって、 長くても数年で退任する監督の仕事ではないように思う。 田尾氏の気持ちや反骨心は理解できるが、もう少し、大人になるべきだったが、楽天球団立ち上げ時は監督も球団も初めてづくして、かなり苦労されたのでしょうね。
・野村監督の時も同じ。育てた選手が、翌年活躍して、上位の成績を残すという流れだったのを、三木谷オーナーは、切った。翌年、星野監督になり、リーグ優勝した。星野監督が育てた選手てはなく、野村監督時代に育てた選手だと、野村克也氏は言っていた。
・リアルタイムで見てた地元ファンです。確かにあの戦力では誰が監督やっても勝てっこないのだけど田尾さんの采配とか選手起用も正直イマイチでね。監督一年生だから監督業そのものが全て手探りだから仕方ないんだけど。次の野村さんは1年目こそ同じく最下位だったけど2年目では4位まで引き上げたからやっぱり違うわなと思ったもんです。ただ監督未経験者ならこうなるのはある程度予見できたはずで、なのに1年で首を切るのはフロントの明らかな力不足。それと野球を知らないオーナーだというのは本当でした。
・田尾さん色々あったんだね。 自分が関係者から聞いた話では、広岡さんがGMになり、東北の地元の財界もバックアップするから田尾監督が継続という話だったらしいが、三木谷オーナーが清原獲得に固執したため広岡さんが臍を曲げ、GM辞退と田尾監督続行の目もなくなったと聞いている。 で代わりに話を持っていった掛布氏には厳しい条件を出され、最終的に野村克也監督に落ち着いたそうな。 まあ人間がやることだからね、どこの世界でも色々あるわな。
・新球団の1年目でフレッシュな監督やフロントを望んだんだろうけど、3年どころか一ヶ月で現場介入するとは思わなかっただろうね。キーナートもいつのまにか消えてたし新しいスタイルは早々に諦めてあちこち声をかけて野村がようやくOK。そりゃ鶴岡と野村じゃ野村取るよね。
・楽天初年度のゴタゴタは目を覆いたくなるほどのものでした。
記事で気になったのは、駒田さんの処遇に対する業界内での受け取り方。
確か駒田さんご本人の東スポコラム俺の話を聞け、だったかな?では原当時巨人監督が駒田さんのキャリアを傷付け今後に響くとエライ憤慨して、すぐさま巨人の臨時コーチだかを手配してくれたとのこと。
藤田元司さん信者の駒田さんとしては、ますます同門の原さんに心酔することになったようですが、あの時の原さんの怒りは正確に楽天フロントに向いていたのか、誤解して田尾さんに向けられていたのか、謎ではあります。当の駒田さんがどう受け止めていたのか、コラムの詳細を忘れてしまいました。
しかし山下さんは噂通りの漢ですね、元より慕ってくれる後輩田尾さんと心中する気はあっても足を引っ張る気は毛頭ないという。
田尾さんのいうとおり、少しでも良い選手良いチーム作りに貢献したいと。
・三木谷は我慢出来ないから。最初から勝てるチームなんてまずない。3年はやらせないと。地盤作りは一長一短だけど我慢と根気がいる。本気さというならライオンズは凄かった。堤氏が根本氏、坂井氏にチーム基盤を作らせ自身も勉強会に参加していきながら球団経営を学んでいった。 やった事のない事に参加するならそれくらいはしないと。
・田尾のこういうところ大好き 弱小高校から這い上がって同志社に一般で入って二刀流で名をあげ、 中日の主軸に。社長と対立して放り出されても自分流で生きていく。 とにかくカッコいい
・当時の戦力や環境等の状況で誰が監督であったのは厳しかった。 また当時のノムさんが「田尾には指導者としての経験を積ませるべきだった」 という趣旨の発言をしていて納得だった。
田尾さんは現役時代に何人かの首脳陣に反発したが、しかし肯定的な監督もいて、そういう指導者の下で長く野球を学べなかった悲劇がある。 近藤貞雄監督はもちろん、相性悪そうな広岡監督にも戦術面を高く評価して、もし広岡政権が続いたなら西武残留だったという。
他にも、田尾さんの奥さんの母親は元西鉄職員で、当時の西鉄選手を若い頃から知っていたらしく、その縁で西鉄出身の仰木監督らは田尾さんに親しみを抱いていて、引退後の田尾さんにもOB選手のように接していた。(田尾さんも、今でもたまに仰木采配を懐かしく語る事がある)
広岡監督が楽天時代の失敗を「田尾は分析力は高いが改善ノウハウがない」と指摘していたのは、コーチ等の経験不足に起因する
・楽天1年目は、誰が監督を努めても同じ結果だと思いませんか?3年後、5年後に勝てるチームを作って欲しいと言わなかった、三木谷氏を始め、ドシロウトが球団経営するとこうなるという良い見本ですね。
・たしかに弱かったですが 元近鉄ファンから流れたもんとしては、そんなの気にはならなかったですね 弱いのは最初から分かってたので
成績より、とにかく新球団が立ち上がって、また応援できるチームができた そのことが嬉し過ぎて、 弱いとか、大したことでもなかった(笑)
その意味じゃ、田尾さんが退任の時に言った「この数字は誇りです!」というのは、別に負け惜しみでも何でもなく、 ほんとに誇りであり、そう思っていいことだったと思います
1年目の楽天は、たぶんここ30年ぐらいで最弱チームだろうと思いますが あれぐらい応援しがいがあったことは、後にも先にもないです
・いま、新庄監督や、立浪監督の奮闘を思えば、やはり楽天の始まりはオーナーがあまりにも野球を知らなかったのだとおもいます。 気の毒でもあった。だれが監督を引き受けても同じ結果だろうと思う。
でも、残念なのは、三木谷さんが田尾さんを悪く扱いすぎて、その後の楽天のイメージが悪いまま定着してしまった。 他球団に比べて、弱い、悪い、嫌い、っていうイメージがつきすぎたのが残念。マー君にも悪いけど、これが現実。
・当時の楽天はオリックスと選手を分離した時にレギュラークラスの選手がほとんどオリックス残留になってしまい、楽天に集まったのはほとんどが近鉄とオリックスの控え選手達ばかりだった。
言ってみればほぼ2軍クラスの選手達の集まりでペナントを戦うことになり、やる前から最下位はやむを得ない状況なので、これを1年でどうこうなんて簡単にできるわけがなかったのだ。
・楽天球団はその後も球場で戦う選手と監督、コーチ陣とフロントの意識統一が図れていないという印象。 成績が振るわないと短期間で監督を変えるが球団社長の交代はいずれも会社の人事によるもので解任も辞任もない。 責任をすべて現場に押し付けるようなやり方では人の心はつかめないと思うが。
・いろいろとゴタゴタした中での 新球団設立。 選手やスタッフさんへの支援したい 気持ちから、初年度にファンクラブへ 入会しました。 3年かけて田尾さんの手腕でチームが 成長していく様子を楽しみしてましたが、 1年で解雇。 無念さと怒りの気持ちでいっぱいに なったことを思い出します。 そして、ファンクラブも1年で お別れすることになりました。
・新規参入の球団なんで、見た目がさわやかで若い監督をって感じだったんだろうなと当時思ってた。球団の土台作りとか育成とかにはいかない監督人事なんで難しいかなと。
予想通りというか、田尾氏の監督の評価は難しいけどほかの海千山千の監督にあの戦力で太刀打ちするのは無理。 シーズン前に落合氏と一緒に出てたテレビ番組で、落合氏がいけて45勝みたいなこと言ったら、そんなに勝てないかな?みたいな反応してたけど実際は38勝。 戦力分析もそうだしなんとか弱い戦力を勝ちに結び付ける采配も疑問符があった。 フロントの慣れてない運営もあってかどこにこれだけ負ける原因があったかはいまだに謎。
・楽天の三木谷はその人柄を賞賛する人がほとんど誰もいない。米田純も島田亨もイエスマンの典型。デーブ大久保の時にも選手起用にまでいちいち直電で指示が飛んできて現場はやっていられなかった話は有名。
サッカーでもヴィッセル神戸が「バルセロナサッカー」を目指してスペイン選手を次々に入れてはチームがまとまらず崩壊。監督を次々に更迭して交替。最後にあてがわれた今の吉田孝行監督が一切、三木谷の介入を無視して徹底した泥臭いサッカーに切り替え、イニエスタ、サンペールらを使わないチーム運営で快進撃。三木谷もあれこれ言えなくなった。
目下、三木谷は携帯電話事業の大失敗で湯水のごとくキャッシュを流出させている状態。1,2年内に楽天G全体が危機に陥るが、誰も三木谷に助け船は出さない。虎視眈々とハゲタカたちが狙っている。
人望がない独裁の人間は落ち目になった時、後ろから蹴られる。
・>まだシーズン中でしたけど、(ソフトバンク監督の)王さんや(ロッテ監督の)バレンタインに『来季に向けて補強したいんで、この選手を何とかなりませんか』って話もずっとしていました。かなり協力的で、僕が2年目をやっていたら、何人も楽天に来てもらえるだろうって思っていた
こういうことを田尾さんは球団側に伝えていたんだろうか。伝えていれば球団側の理解が低かったということになるだろうし、伝えていなければ球団との意思疎通が十分ではなかったということになると思う。
・監督に次負けたら休養しろと通告した上で、あれは数日休めの意味だったなんて言い訳してくる球団フロント、恥ずかしくないんかな? 球界で監督が休養したら、復帰は無い事実上の解任だというのは球界の常識だと思うのだが。業界の慣例とか文化とか全く知らないフロントと現場がうまくいくわけない。
もちろん一時的な発熱や感染症陽性などによる療養欠場は別。
・新球団1年目で弱小チームの監督では田尾さんの采配力がどうしても隠れてしまう。田尾さんの監督としての真価はそれなりの球団でないとわからない。できれは中日や西武の監督を一度してもらいたいというのはありますね。
・確かノムさんも「田尾を1年で辞めさせて、一応、大監督と言われる私にして体裁を整えるんですか?そもそも田尾は新球団で連盟の許可を取るためだけの監督だったんですか?」と聞くと島田球団社長から「田尾に来年のためのレポートを書いてもらったら『戦力不足』という言い訳を並べてきた。戦力不足は分かっている。それをどうするのか?を知りたいのにそれがレポートには無かったので、解任を決めた」と説明を受けたそうです。 それでノムさんが受けたが、結局4年後に「たとえ日本一になっても今年で終わりです」と言われ、島田社長は雑誌の記事に「いつまでも専門家の野村さんに依存できないから」と理由にならない理由を説明していました。 要するに独善的なオーナーの下では、扱いにくい監督は疎まれるんだと思いました。 現在の今江監督にもその影響は続いているみたいですが。
・当時の楽天は戦力が無い事は誰もが分かっていた事だし、誰が監督をやっても最下位は免れない事は周知の事実だった。 この記事は一方的に田尾さん側の当時の気持ち等を綴った様な記事だけど、当時の楽天側は田尾さんの解任について、成績不振の責任というよりも、もうこれ以上はこの人(田尾さん)に球団を任せておけないという楽天側の総意に基づいたものだったと記憶している。 どちらの言い分が正しいのかはわからないけど、三木谷さん一代でここまで大きくなった楽天という組織の経営に関する知識、ノウハウを鑑みると、田尾さんが指導者として物足りなさを楽天側に感じさせた何かが、もうこれ以上は田尾さんには任せておけないという判断を下させたんだと推測します。
・あの時の楽天の監督を引き受けてくれただけでも凄いと思うけどね 例え野村さんだろうが星野さんだろうが似たような結果になってたと思う。 せめて3年はどんな成績だろうが田尾監督で良かった。
・楽天イーグルスの初年度は戦力的に劣っていた事は明らかだ。 誰が監督しても結果は変わらなかったと思う。 もう少し理解のあるフロントだったら、展開が変わっていたかもしれないね。
・楽天は結局初年度から現場軽視選手軽視、そしてトップダウンで動くだけの硬直した球団なんだろう。 【初代編成部長の広野功さんの話】 編成会議では田尾続投と決まったんです。それまで、オーナーには何度も我々の決定事項を変更されてきたので何回も、田尾でいきますよ、と念押ししました。オーナーは仙台ではなく東京にいたのですが、承認を得ました。しかし、会議終了後30分もしないうちに米田球団代表が「広野さん、大変です!」と血相を変えて飛び込んできた。米田は『田尾クビです!』と。『次は野村監督になります。東京でオーナーと島田亨球団社長(当時)の間で決まったそうです。もう、明日発表するということです』と米田は続けました。ほんとに、あの時は怒りでテーブルをひっくり返そうと思いましたよ。ふざけるな、なんのための編成会議だったんだと。
・田尾もかなり真っ直ぐな御方だからたった一年で見切りをつけられたんだろう。もっとね、根回しとか世渡り術とかあるでしょうって。そんなストレートに自己主張したって球団は頭にきますよ。そのままこの戦力ではねと勘弁してと頭を下げとくべきだったよ。確かに田尾の解説は的は得ているがそのままの人間性で、現場で仕事は敵はつくる。もう解説一本の残り人生だろうけどとにかく自己主張が強いのはどんな分野でもダメ。
・一般企業でもそうだけど、 戦力は有るのに勝負に勝てない→監督の責任 戦力も無いけど勝負も勝てない→会社の責任
選手の怠慢や成長を加味しても、これ以上でも以下でも無い。 人が抱えられる責任を通りこして責任を押し付けるのは『無責任』といいます。
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