( 167878 ) 2024/05/07 18:01:27 2 00 被差別部落の情報サイトに自宅写真「記事は差別助長」運営側に削除命じる仮処分命令 大阪地裁 申立人「手を変え品を変え差別する人に屈しない」MBSニュース 5/7(火) 11:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e429246fb9c59168815c9175387da3c8ac2c646f |
( 167881 ) 2024/05/07 18:01:27 0 00 代理人らの会見の様子(7日午前)
被差別部落の情報を網羅的に掲載したウェブサイトで、自宅が写り込んだ写真などが載った記事を投稿され、「差別されない権利」を侵害されたとして、大阪府内の男性が記事の削除を求めた仮処分の申し立てで、大阪地裁は申し立てを認め、運営側に記事の削除を命じました。
神奈川県川崎市の出版社の代表を務める男性は、自らが運営する自社サイトで、地名や写真、“解説文”など、全国の被差別部落の情報を載せた記事を多数投稿。地裁の決定文によると、去年10月末時点で300か所以上が掲載されています。
このウェブサイト中の記事で、自宅が写り込んだ写真を載せられるなどした70代男性(大阪府在住)は、「被差別部落を特定・暴露し、人権侵害の意図も強固。憲法が保障している『差別されない権利』を侵害している」として、去年11月、当該記事の削除を命じるよう、大阪地裁に仮処分命令を申し立てていました。
これに対し運営男性側は、「部落が差別を受けているとは考えていないし、そうした主張もしていない」「当該記事に個人を貶めるような表現はなく、記事によって差別を受け不利益を被った事実は確認されていないはず」として、申し立てを退けるよう求めていました。
大阪地裁(井上直哉裁判長)は5月1日付けの決定で、「現在もなおその地域の居住者だというだけで、否定的評価をするという誤った認識が根強く残っていることを踏まえると、当該記事は差別を助長するものだ」とした上で、「差別を受けることなく平穏な生活を送るという、人格的利益を侵害している」と認定。
運営男性に対し、当該記事の削除を命じました。
申立人の男性は7日の会見で、「絶えずこういうことの繰り返しになるかもわかりませんが、差別を許すわけにはいかない、その一言だと思います。手を変え品を変え差別をしてくる人に、屈するわけにはいきません」と現在の心境を語りました。
運営男性側はウェブサイト上で、「仮処分命令は履行しました」としたうえで、「当然のことですが、特定の記事の削除を命じられたものであって、現地を再探訪することまでは禁止されていません」とコメントしています。
この運営男性をめぐっては、全国の被差別部落の地名リストを載せた書籍の出版などを計画し、被差別部落出身者ら200人あまりなどが、出版差し止めなどを求め東京で提訴。1審・2審ともに、出版差し止め(一部の県のリストは除く)や損害賠償を命じる判決が出ています。
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( 167882 ) 2024/05/07 18:01:27 0 00 ・私が住んでいる地域には被差別部落が無い、またはあっても元々ごく小規模でほとんど知られていないか、都市化によって消滅しているため、こういった差別の事例も小学生の頃に社会科の授業でちょっと習った程度の知識しかなく、日常生活で意識することはまずありません。 一方で西日本の方へ行くと街の一角に「差別をなくそう」とか、「人権を守ろう」みたいな看板が唐突に現れる団地や住宅街がありますが、あれは住民が立てているなら自己アピール、行政側がやっているならここに部落ありますよという、形を変えた場所案内なのかなと思っちゃいます。
・私の地元は根強い部落問題が存在するエリアで、その地域に住む同級生も何人かいましたがトラブルメーカーで教師も手を焼いていました。部落の子どもを叱れば親が学校に乗り込んでくることも多々あり、一般家庭はその地域の人達とできるだけ関わらないようにしていたと記憶しています。 そして今ではその地域の同級生達の多くは県外へ出て行ったと聞きます。一般の人からしたら普通ですが、その地域の権利を行使した仕事につかず、負の連鎖を断ち切って自らの道を切り拓く姿はとても素晴らしいと思いました。
・まだまだ被差別部落に対して偏見や差別があるのは事実で、情報サイトの運営者がどのような意図を持ってサイトを運営しているかは不明だが、国民の知りたい権利に応えていると理由があっても、個人の表現の自由や情報の公開といったものより、差別を助長するものによって個人の自由権が損なわれることがないように判断したもので妥当な判決だと思う。
・大人になってからこの地域の人たちに特権があると知りました。
小学校の頃、道徳で平民の不満を解消するためにそのような身分が設定されたと知り、差別はいけないってずっと思っていました。 でも大人になってその地域の人たちの中には逆にそれを利用してうまくやっている人がいることも知り、すごく複雑だなって思いました。 その地域の人たちの差別も特権も同時に無くして行かないといけませんよね。 知人にその地域の方が何人かいらっしゃいますが(割と普通に接していますが)、特別扱い願望やクレーマー体質などなかなか個が強い人も多い気がしています。全てが全てではないですが。
・私が小学生の頃はまだまだ差別が根強く、道徳の時間もこの話ばかり、道徳の時間も今より多かったです。当時の私は知らなくていいことも余計に知らされ、友達に対して、あ~、道徳で習った地域に住んでるんだ・・・知りたくなかったなって思わなくていいことも思うようになり、子供ながらに色々悩んだ時期がありました。今息子は小学生ですが、道徳の時間はありますが、そういう差別的な授業ではなく、多様性を認める、人それぞれなんだということを教わってるようです。試しに被差別部落のこと習った?って聞いたら、何それ?って言われました。なのでそれ以上説明もしませんでしたし、それでいいと思いました。知らなくていいことは教えなくていいんです。教えるから差別がいつまでもなくならないのだと思います。ほんとはそういう地域と特定されるような団地群、施設、センターなどはなくしていくべきだと思います。
・小学校の道徳で教わり続けたから、大小の差はあってもどの地域にも存在しているものだと思っていたが、大人になって、その言葉を初めて聞く人がいらっしゃると知り、地域によっての道徳教育の違いにとても驚きました。
・かつて首都圏でも、旧東海道宿場町周辺には、宿場町を支えるため、被差別地域が存在しました。今は、先人たちの努力で解消してきました。歴史の史料、歴史フィールドワークと扱うならともかく、興味本位で扱う問題ではないです。過去に、そこが被差別地域とは知らずに建て売りを買った人もいるでしょう。
・書いてる側にそのつもりがないことと(正直本当か?とも思うが、棚上げする)悪用される可能性の有無は別問題だ。
ちょっとしたSNS個人情報の暴露が個人の生命や財産を危険に晒すこともある(泥棒が標的探ししたり、ストーカーの標的になったり)ご時世において、「書いてる側にそんなつもりはない」という弁解だけでは正当化しにくいだろうね。
事実を書いてるんだからみたいなことを言う人もいるけど、プライバシーっていうのは「事実を書かれる方が損害が大きくなる」代物だ。
・10年以上前に知り合いだったオッサンは、iPhoneの地図アプリに各地の部落や三昧(昔の小規模な火葬場)の跡地を巡って記録する変わった趣味をしていた 神戸あたりの某所では銭湯でお絵描きした人に声をかけられ仲良くなって近所の焼肉屋を紹介されたとか、離島で仕事をしたあと(一人だけ帰らず)現地の空家に泊めてもらった時に「ここって部落やろ?」「せやで」みたいな会話を普通にやってたと言ってた 本人も昔通ってた小学校が相当アレだったとか色々笑い話にしてたけど、まぁアグレッシブなオッサンだった
・寝た子を起こすべきではないのか、そういう歴史が事実としてあったと教えるべきなのか。 自分が住んでいる所にも昔そういう地域があったけど、子供にそれを伝えるべきなのかどうなのか、難しいところだ。 あったことは教えるべきだろうが、場所の特定まではする必要がないのか、そっちの地域にはあまり遊びに行かない方がいいよと伝えるべきなのか。 親としては難しいです。
・>大阪地裁(井上直哉裁判長)は5月1日付けの決定で、「現在もなおその地域の居住者だというだけで、否定的評価をするという誤った認識が根強く残っていることを踏まえると、当該記事は差別を助長するものだ」とした上で、「差別を受けることなく平穏な生活を送るという、人格的利益を侵害している」と認定。
ここのコメント欄が、「その地域の居住者だというだけで、否定的評価をするという誤った認識が根強く残っている」という大阪地裁の認定に説得力を持たせる状況になっていますね。
そういう「否定的評価をする」人たちのコメントに、ネガティブな評価のほうが多くついていることがまだ救いではありますが…
・東北出身で、ほとんど差別を感じたことはなく育ちました。 主に西日本で「部落」という呼び方が被差別者の方が住む一帯のことを指す、と知ったときは驚きました。 むしろこちらでは自分が住む集落のことを自分から「部落」と呼びます。道路に「←○○部落入口」と書かれた看板も平然と立っています。西日本出身の方がこの看板を見たら、かなり驚いて憤るだろうなあと思います。
・部落差別はまだまだ残っています。 義理の弟も、結婚の段まで行った話が、相手方の両親に出身地を伝えただけで猛反対され、あげく婚約者に泣いて断られた経験があります。一昨年前の話しで、ざらに周りからこう言った話は聞きます。
地元の役所のある課のメンツを見てみると部落出身者ばかりが集まってる。そこの課の人事権を持つ上の人間が部落を差別する側の人間だと後から分かった時は合点がいきました。
まだまだ、こんなもんじゃないです。根深い問題。どうかみんなで無くしていきたい。 男女差別。人種差別。職業差別。地方差別、、。
・こう言った問題の時は「記事を削除」は当たり前の事として「ネット上に流れてしまった誤情報などが一切出て来なくなるまで削除を続ける」事も義務として与える方が良いと思う。 例えば、車の事故で他人をケガさせた場合は治療費を払うのも当たり前 同様に事故で他人の家の壁を壊したら修理費を払うのは当たり前 コレの考え方の基本は、問題が起きる前の状態に戻す為の費用を加害者側が負担する。 って事です。 だったら、ネット上に拡散されてしまった内容が拡散される前に戻すための費用を負うのも当たり前では無いですか? ネット上から消すための費用は掛かる金額も莫大だし期間もかなり長期になる可能性が有ります。 コレを民間人や法人など関係無くネットについて不用意な発言を気軽にしない様な抑止力にするべきだと思う。 自由ってのは、義務を果たした上での権利です。 好き勝手に何しても良いし、結果に対して責任すら無いって訳ではないよ。
・50年以上前ですが小学校で全員が体育館に集められ道徳の授業として「橋の無い川」と言う映画を見せられました、その後教室に戻り担任からあの映画の場所は○○県の○○市の○○と言う場所やと説明があり、学校の近くの被差別地区を全員に教えてました、それまでは差別があることも知らなかった児童が大半であるのに何故そんな教育をしたのか、今であれはこんな教師は懲戒免職になるのではないでしょうか?
・多分、この人のサイト見たことある。 たまたま近所の神社の歴史を検索してたら、 このサイトが出てきて、こんなのいいのかなと思った。
自分もその地域のことを詳しく知らなかったけど、 見る人が見たら、わざわざ差別意識を植え付けるよなと感じました。
こういうのって、違う土地の人が掘り起こすことじゃないと思うんですよね。 正しいかどうかもわからないし。
事故物件を知るサイトとか地元のことを書いてるのを見ると、 自殺他殺じゃなく、不慮の火事とかで亡くなって家とかが書いてあると、 すごい失礼に感じるし。
逆に、ここ自殺してるけど載ってないとかあるので、 当事者が書いてないことって、本当に当てにならないし、 他人が踏み入る領域じゃない。
心霊スポット的なサイトも、地元のを見ると違い過ぎて笑います。
・この被告に該当すると思われる方の動画見た事ありますが、主張は結構まともなものでした。 何が差別を助長させているのか、似非童話についてなど、成程と思わせる説得力はある。 勿論、何処であろうと映されても堂々としていられる事が普通であるというのが望ましいだろう。
でも、何処であろうと自分が映り込んだら嫌だと思う。 本人が嫌がるならそこは配慮しないと。 周りが差別は無いと言い、実際そうであっても過去にトラウマ巻いた事があれば本人の気持ちは中々 前向きになれない事もあるだろう。
世の中に訴えたい事があるのならそれなりの配慮が必要かと思う。
手段が過激になると言いたい事が伝わらない事もあるしそれ以前の問題にもなりかねない。
・別に被差別部落を検索した訳ではなかったのだけど、その地区周辺の観光地と道路状況を調べたくて検索したら山ほど出てきてびっくりしたことがある。そもそもそこの地区が被差別部落があった場所だと知らなかったんだけど、そこの地域の動画やYouTube、探訪した人のブログみたいなのが検索上位に上がってきてた。って事は見てる人多いんだな。って思った次第です。 差別意識のある人もいれば、どんな場所なのか興味本位で見たいって人もいてるんでしょう。 最近は少なくなったと思うけど、異世界のようなバラック小屋が並んでるような地区とかありますよね。
・土地に根付いているいる情報だから動かせない。 一度被差別の場所とラベルを貼られるとラベルがなくなっても人々の記憶に残り続ける。 何世代か経って記憶が薄れた頃また貼りにくる者が出現する。 権利意識が醸成された現代だから裁判になり記事になる。
これが土地に根付いた情報でなければフワフワと漂ううちに希薄になって気付かなくなるのだけど、動かせないものだから延々と揉め事が残る。
動かせないものながら、かつて集住していた/させられていた/余儀なくしていたというだけで現代は転入/転出が繰り返されてだいぶ薄れているのも確か。
いまさらという感はある。
・諸説ありますが、時の権力者が自分の都合に合わせて、あるいは特定の技術を集約するために一部の地域に特定の人々を縛り付けたことから、その状態が形を変えながら残され続けて今に至ります。 遺伝子に問題があるとか、人として劣るとなど科学的な根拠は一切なく、単に優越感を得るがために風習として脈々と受け継がれていることを断ち切るために、あえて法制化されたと理解します。
あの人より自分は幸せだと思いたいという意識が、誰の心の中にもあるものです。それだけに、この問題は放置していても消えるものではありません。差別的なことを書くのがいけないという表層的なことだけではなく、自分の中にある人を卑しめて自分は優位に立ちたいという誰の心のなかにもある、卑屈な心との向き合い方を問われていると思います。
・この場合、自宅写真はイカンだろう。判決には同意する。
ただ、この手の「差別」問題には難しい要素もある。 引っ越し先の情報を調査する場合、土地勘が無い遠方の人にとってネット情報は無いと困る。 「被差別部落」と直接書かなくても、ネガティブな表現があった場合、それは司法の場で今後どう評価されるのだろう。情報を無くしてはいけない。
・一般の方々は差別とは無関係で生活をしていますが、差別も目に見えない形で存在しているのでしょう。 戦前からの財閥系企業には差別が引き継がれているようです。 入社試験ではその出身者はどんなに優秀であろうとも不採用になります。 勿論、理由を公にすることはありませんので一般の方々には知る由もありません。 その地区の出身者を差別するのは大昔にお上に対して反抗した一族だとか、 刑場の後始末などに従事していたとかなどの理由で現代まで脈々と受け継がれてきたのです。 まったく理由にならないような理由で差別されることは有ってはなりませんし、それを助長するような書籍の販売などはもってのほかです。 そんなところに資金を回している団体・企業もあるのかもしれません。 困ったものだ。
・昔、岡林信康さんの手紙と言う歌があった。 差別を題材にした歌詞なので、放送禁止になっている。 いい歌だと思っているから今も覚えているのだと思うけれど、聞きたくない人も当然多数いるのだろう。 昔、部落差別があった事自体を消し去るのはどうかと思う。写真は必要ないだろうけど。 また、身分制度の中でも、士農工商より下位にいるもの、ともっと下位にいるものとの差別もあったようだ。
・私の父母は関東出身で、転勤で私の生まれた地に来てから、被差別部落という存在を初めて知った、と話してくれたことがありました。それももう何十年も昔の話で、今現在もその地域が被差別部落と呼ばれ、なんらかの差別的なもの、不利益を被っている方々がいらっしゃるとは、日本は根本的にはなにも変わらないのかもしれませんね。
・部落差別が残るのは学校教育のせい。 子供たちはどこで部落差別を覚えるのだろうか? 自分がそうであったかのように、学校で詳細を教わる事になる。 もし学校で教えなければ。。。
学校で部落差別をおしえるのは、無くすためでは無く、自分が違うと言う事をアピールするために感じた。 無くすためにはどうするか?幼児には差別意識などない。その後親や学校で教わる事になる。それ以外のところで耳にすることは無いだろう。 問題は友情と後から入る知識のどちらが子供の意識に残るか。。。 友情が勝るのは間違いないだろう。 それが差別をなくす唯一の方法だろう。
・50代のおっさんです。 部落ではなかったが小学生からの友達に部落の子がいた。 小学3年から6年まで部落解放運動という黄色のゼッケンを付けて「差別を無くそう!」と発声しながら町中を歩く運動に一緒に参加していた。 終わればお菓子とジュースをくれたので遊び感覚での参加だったが親からも周りからもなにも言われなかった。 部落差別は知っていたが「大人の話」「過去の話」としか思っていなかった。 ただ子供心に「子供に黄色ゼッケン付けて目立ってやらなあかんのやろか?」と疑問に思った。 大人になっても付き合いがあったが差別とは皆無だ。 40年程の前の話だが現在でも部落差別があるとしたら不憫でならない。
・関西出身なので、道徳の時間ももちろんですが、各家庭内でも密やかに あそこのエリアに行ってはいけないとか、親から被差別部落の人達の 世の中でのトリセツみたいなの、子供に言っていましたね。 今は関東住みなので、わかりませんが、当時そういったエリアは屠殺業など あり、独特の雰囲気だったようです。 また、個人情報保護法がなかった時代なので、結婚、就職等、目には見えない壁があったようです。 本気で差別をなくすなら、そういったエリアを商業地、工業地にして 住宅を作らない事じゃないですかね?
・自宅が写真に写っていた人とかに対する風評被害が起きるような事はやめさせるのは妥当と見える。
とは言え、記録から抹消しても、記憶から消すことはできないので、何も知らないでそこにやって来た人が無意味に差別などに巻き込まれてしまうとかで、対抗できない状況は困るとは思えるよ。
・この話への感想で必ずあるのが、 ・自分は部落差別を知らなかった ・もう部落差別なんてほとんど存在しない ・そのまま放置しておけば消えるはず ・授業や行政が部落差別を扱うのはかえって差別助長になってる という論理 これは いじめなんて知らなかった→関わりたくないからなかったことにしたい これはいじめに気づけなかったことに罪悪感があることの現れだ。部落差別に対しての上記の論理も同じだと思うのだが。 差別の歴史や実態を理解して、差別をしないのが正当ではないのかな?
・別件ですが、 差別部落に建てられたアパートに、そうとは知らなくて入った人が 「差別部落であることを説明しなかったのは、重要事項説明義務違反だ」と訴えたが、 「差別部落だということを公的に説明することは、差別を助長することになるから、説明しなかったことは義務違反ではない(内容はうろ覚え)」とされたという話を聞いたことがあります。
・この運営の人のサイトかどうかはわかりませんが、非差別部落や食肉加工場を探訪と称してさらしているサイトはたくさんあります。市町村ぶらり歩きと思って動画サイトを見たら、こんな内容の動画でした。そもそも、この運営者は、どうしてそこまでこだわっているのでしょうか。ネットだけでなく、書籍でも裁判になってるのに。そこまでして、何を目的として世の中に発信したいのかをメディアには聞いてほしいものです。
・インドもカースト制度を廃止したのに身分差別が当然のように行われている。 日本もインドも風化して忘れ去られるまでには相当な時間が必要なのではないか?
大切なのは教育しない事、口伝や書物に残すと後世が知りうる事になる。 現代に必要のない負の遺産は歴史に埋もれる事が大切だと思う
・古い世代の人たちは思想も古く、 昔から差別的な意識が強い。 見栄も張る。
若い世代の多くは地域的に差別する意識などほとんどないだろう。
一方的な腐った考えに基づく、 差別をもう止めるべきだ。
陰湿で凶悪な犯罪者は別だが、
誰しも、普通の人間であり、卑下される存在ではない。
不当な差別をする方が、
醜い存在になる世界となっていくだろう。
・引っ越したりしたら今時、そんなの分からなくなるのに、信じられないぐらい安い家賃で住めるからと定住して仕事を自治体から斡旋してもらったり。 自分の地元では子供達まで使ってイベントを催して太鼓を叩いて自分達の事をアピールしたりしてるから、当事者の人達が部落をなくしたいのか残したいのか分からない。
・では次の事は不思議ではないか? その地域に特別安い銭湯がある、特別安い市営住宅がある、地域にもよるだろうが、その地域の子供たちだけ運転免許取得が無料又は補助が出る、その地域の集会所、普通は公民館、その地域は隣保館、それを言うなら解放同盟とうはもう必要ないのではないかと思うが、私はその地域の近くで育ち中学校などもその地域の友達もたくさんいたが、その友達は自分のことを、俺ら村の者はな、という村ってなんだ?と聞くと部落だと言う、知らない者にも教える、差別をなそうとするのであれば少し違うと思うな!これはその地域の人間と長年付き合わないとわからんだろうな!裁判官ごときええとこの坊ちゃんではわからん!
・100年200年前の部落差別を引きずるのはダメだというのは大前提で・・・。
住んでいる人も居住移転の自由があるんだから、引っ越せばいいのにと思いますね。 職場問題はあるけど、同じ路線の別の駅に引っ越すとか、車で20~30分程度のところへ引っ越せば、そこはもう部落差別とは関係ない土地になるかと。
以前知らずに部落のあった場所に新築マンション買おうかと思いました。 すごく交通便利なのに異様に安くて、親に相談したら治安が悪いと止められました。 今は部落だからというよりもは、土地に因縁がある分安い=安い家賃を求めた人が集まる=治安悪化という面があるかも。
・定年まで企業の人事担当でした。 いわゆる「未開放部落」の人を採用時に落とすと、その関係の人権団体の方が押しかけてきて「差別だ!」と。 挙げ句には「精神的苦痛への慰謝料」として多額の現金の要求までされたものです。 明らかに恐喝なのですが、警察も相手が人権団体だと知ると、ピタッと動かなくなります。 本当に嫌でした。 差別は当然無くさなければいけませんが、「差別を利権にしている団体」があることも事実なんです。
・昭和世代の人がいなくなれば被差別部落の問題も薄れるのでは。 大阪のお隣の県に有る部落地区には、今若いファミリー層がこぞって家を建てている。マンションだって即完売。 駅周辺は病院買い物学校も有り、大阪にも直ぐ行けるので、今の若い人はあまり考えて無いのかも。 よそ者が来たとか、あそこは部落とか大体年寄りが言う事で、若い人の方が人権教育も受けているからかあまり言わない。
・被差別部落の位置などの記録は地理が及ぼす民俗学、歴史学的見地を広く高める上で非常に貴重な情報であるのできちんと残すべき。全国的にそれを網羅することは日本の負の歴史を語るうえで欠くべからざる価値を持つ。 無論それが個人の利益を損なうことは避けなければならない。しかし「差別」といった概念の性質上、個人個人の感覚に翻弄される為、記録を残すことすら苦痛という人間が存在することは容易に想像できる。 だが、実質的に「部落差別」そのものが解消された現在、その配慮はもはや過剰な配慮ともいえる。地裁の判断は間違っていると考える。
・差別する人には罰金 差別をされた方は国や自治体から 何も もらわない・優遇されない 差別でお金や利権 優遇されている方をまず 無くさないといけない それが差別をなくす第一歩です
・運営の男性は、どうしてそこまで拘るのか、この記事では明らかになってないね。その答えを逃げてるとしか思えない男性の主張。 ネット上だけでなく、書籍でもこの男性は裁判沙汰になってる訳だし、どうして世の中に発信したいのか、そこをマスコミは聞いてほしいですね。
・記事中で運営側と書いている被告の名前、年齢、住所、顔写真、経歴、犯罪歴などを詳細に記事に書くべきではないでしょうか。また、この男の交友関係などを、彼らの名前住所氏名を含めて報じて欲しい。そういう記事を書いても、決して彼らを差別しようとか、貶めようとかする意図はない、と言っておけばいいですよ。
・中学の頃「〇〇君のところに遊びに行ってくる」と親に告げたら「あの辺には行っちゃダメ」と言われたことがあります。
「分かった」と言いつつ実際には行きましたが、当時の自分にはよく分かりませんでした(後で知りました)。
「誰がどこに住んでいようが関係ない」と今も昔も私は思いますが、そう思ってない人もこの世の中にはいるんだな…と思います。
・55年前、学校の体育館で観た「橋のない川」。小学生には判りにくい映画だったけど、高校生の頃、ようやく全貌を知り「なぜ」と考えた。私自身も祖父母から「アイヌの家には近づくな」「朝鮮人には気を付けろ」と教えられ、これも同時期「橋のない川」ではないかと気付き、「差別」を考えるようになった。50年以上経て、いまだにこの論争があるのか。「差別」を軽く実行する者が、未だに居ることが恐ろしい。
・現在アラフォーで東海エリア生まれ育ち義務教育を受けましたが道徳の時間は勿論ありましたが、被差別部落について一切教わったことがありません(1990年代です)。 20歳過ぎて当時の2ちゃんねるのスレッドなどでそういった被差別部落や在日のことを知りました。在日朝鮮人の皆さんのお話も小学校中学校で一切教わったことがなく、歴史の授業でも特に細かい言及が無かったので本当に20歳以後に【インターネットで】知りました。 唯一、中学3年生の時、何故か近くの朝鮮中学校との文化交流?みたいなのかなんなのか、体育館でその朝鮮学校の女子生徒さんが伝統的な民族舞踊をご披露されてましたが、彼女たちとの対話交流とかそんなことも一切なく、ただ舞台鑑賞のみ、でした。 本当に地域によっても馴染みがないんだと思います。
・被差別部落云々より、勝手に自宅がサイトに載ってること自体がそもそも問題にならないのかな。 ストリートビューは便利だしほぼゼンブンの家が同じような条件で載ってるから問題にはならないんだろうけど。これだって嫌な人はいるだろうし。
・近くに部落がありました。学校では差別はいけないという授業も多かったです。そういう地域がまだ存在する以上は差別はなくならないと思います。でも国もしくは自治体も別になくそうともしていないのではという気もします。
・わざわざ掲載している意味がわからない。もう取り上げなければ忘れ去られてしまうことなのに。気にしているのはかなりお年寄りの世代だけでしょう。やらせじゃないとまで思ってしまう。利権も絡んでいたりするとかいうじゃない。もう数十年たてばきっと消えてしまうんじゃない。
・こういうのは厳しく取り締まってほしいな。 倫理観が欠落して、金儲けのためなら何でもあり、ってのは社会全体も悪くすると思う。 自分がされたら嫌なことは、他人にもしない。って当たり前では? 想像力とか共感能力とか、どうなっちゃってるんだろう。
・生まれた場所がとにかく酷かったね どんな事も優先、役場から無利子で金借りたりとか 後に市と合併して解消していったと聞いたが 幼馴染が中学行った頃から人が変わった、何かにつけて「お前(私の事)と違い俺は特別なんだ、俺達は普段から酷い仕打ちを受けてたからこれからは俺達が一番だ、お前もいろいろ思ってたんだろう?」怖かったね 20年以上経ち仕事を依頼してドキドキしながら会ったが 人が変わったのような小学生時代の頃に戻ってたのが一番怖かった
・差別する側が面白半分に記事化するもんではないことがわかりそうなものだ。 違うという意見もあるだろうけど、広く公共の福祉に反していると憲法上の網をかけてしまっていいと思う。
・いじめている側がこれはいじめではありません遊びです いじめられている側が辛いので止めてほしい この構図に似てるな 相手が嫌がることをやるなと教えられてこなかったのだろうね 可哀想に
・個別の記事ではない、という争点?でなければ、何か危害があるとかなければ、やめないのだろう。 刑事罰には問えない事案なのなら、道義的な咳にんとか、モラルになり、本人の意識の問題になっていまう気がする。
・私の地元にもそういう風に言われているエリアがあるけど、 外から引っ越してきた住人もいるし、写真まで掲載して自宅特定するような ことは明らかにやりすぎ。訴えられてもおかしくないと思う。
・「ここが被差別部落ですよ」を場所を示すこと自体が差別ですから判決が妥当だと思います。 「差別を受けていると考えない」なら場所を名指しすること自体が不要のはずですね。
・いつまで江戸時代の身分差別を引きずっているんだろう。この類の記事が出るたびに呆れて空いた口が塞がらない。
時は令和、もう悪しき風習の連鎖は止めましょう。
・部落問題は 私が小学生の頃(50年前)は部落についての授業があり、差別してはいけないと先生が言ってた! でも こんな授業を聞く前は、部落問題は知らなかった。差別意識の醸成を学校が昔は行っていた事になる。こんな授業しなければ部落問題自体が忘れ去られるのにと小学生ながら思っていた! ようやく今では授業ではやらないらしい。
・全国水平社をはじめとする組織を作って様々な好待遇を受けている。これは逆差別ではないのでしょうかね。詩や府の所有地を勝手に駐車場にしたり特定の村などが駐車違反にならなかったり。もっと具体的に書きたいけどバンされそうだからこのあたりで。
・今でもその地区に住んでいると差別されてるのですか? 何十年も前に同和研修を受けたが、どこにあってどんな差別を受けているのかさっぱり分からなかった。 地区を言うと差別につながるからと言ってたが現在もまだあるのですか? こういう差別が未だにあるとは信じられないのですが。
・この運営側の男性のコメントには無理があると思う。そのようなサイトに投稿してる事自体ひやかしだと思う。 ちなみに、心霊現象などがあるような記事で事故物件なる物をのせているサイトって違法では無いのですか?所有者には了承受けているのだろうか。
・例えば、 その土地の所有者が情報サイトによって土地の値段が下がったり担保価値が下がったりした場合、その情報サイトを訴えて損害賠償請求できますかね? 例えば、 その道の人たちが所有者であったり抵当権買ってた場合、どうなんでしょうね?
・個人的には歴史的事実と現行の犯罪行為は分けて考えるべきだと思う。 そこに被差別部落があったことは事実だし、それを伝えていかないと、新しい世代が同じ過ちを繰り返す可能性がある。同時に生まれを理由とした差別は許されない。 なので、情報は情報として伝え続け、理由のない差別にたいしては重罪を課すのが正しいあり方だと思うのだけど。
・この記事と言うか、この裁判自体矛盾してないか?政府は、差別はいけないと言う事で撤廃した筈。だから出版社側に、元被差別部落とする様行政指導すれば済む。無くなった筈のものに対しての削除命令では、大阪地裁は、無くなっていないと宣言した事になる。
・偏見を持たずに現実を見たら有ってはならない問題。若い頃、この問題が内側から書かれた「橋のない川」を読んだ。この理不尽を肯定出来る人が居るとしたら心が病んでる。
・今回の判決とは関係ないですが 旧被差別地域は ふつう見かけない 隣保館、市営の銭湯など 特別な施設がありますよね。 まずはそういう施設を 無くしたらいいと思います。
・仕事先で市議会議員をしている経営トップの方にお話を伺っていたら「私は若い頃、人権運動をしていまして」と言うから、?????と言う顔をしたら、この話だった。 ちなみにGoogle検索しても本人の名前も当時の所属団体も全く出て来ない。 Google検索にも弱点があることを知りましたよ。
・小学校の道徳の授業で視聴覚室で陰気そうなドラマを年に数回見せられた。担任が何を言うわけでもなく薄暗い部屋で30分くらい見てた。今思えば余計なものを見せるから犯人(部落地区生徒)探しが始まってしまったのではないかな
・自分は国内外革ジャンマニアで収集癖もあるので今では少なくなったかつての被差別部落地域にある皮革舐めし業者の方々から得られる情報は貴重と思っています 本当に良い革は質が違います
・部落差別という言葉を初めて知ったのは、岡山県で放送していた啓発CMだった。啓発というか差別の助長だろう。地元の県ではそんな言葉は聞いたこと無い。
・戸籍制度なくせば一定の差別は解消する。戸籍制度でなくて国籍登録、婚姻(事実婚含む)登録だけにすればよい。戸籍って何に必要かわかりません。
・差別はいけないが逆差別もいけない。 特定の地域に市営住宅や異様に安い公衆浴場があるのは、公平な市民サービスと言えるのか。
・どうどうとYouTubeライブとかやって反省の色皆無。ほんと拗らせたやつはめんどくさい(-_-; 日本もも少し法律の明確化、厳格化と不当に得た利益の全額没収と被害者損失の回復など、厳格に運用されるシステムを作るべきでは無いか。
・精神的苦痛を受け症状が現出している以上、立ち上がれないだけの損害賠償を徹底的に請求勝ち取るべきです。 刑法の侮辱罪、名誉毀損罪で、検察に直告出来るんじゃないの!
・むかし、職場で差別行為があったといって糾弾というものがされてました。きつい言葉で長時間責められるのです。今の感覚なら十分人権侵害です。
・常に「被害者を装う」方が正義とみられ、いつも勝訴する。 裁判官は、どちらが正義か、と考えるのではなく、大きな 圧力を持った方を正義とする。
・昔 旅行先の市役所かな?行政の建物に「なくそう部落差別」って掲げてあったのをみて、この地域は差別意識が強いんだなとおもいました
「だめ。ぜったい」を見かけると薬物が問題になっている地域で治安悪いんでしょうねとおもう
・自分がやっていることを客観的に見ることと、それを自分がやられる側に置き換えて考えた時に、そういうつもりはなかったで済むかどうか。そういう、品性と想像力。
・たしか橋下さんが市長か知事の時も、フリーライターが法には触れないから被差別部落は掲載してもかまわないよね?とおかしなことを言っていた。橋下さんに人が嫌がること、悲しむことはしないのが当たり前とかなんとか言われていたがはたして理解できたかどうか。同じ穴の狢なんだろうな。
・部落であろうと無かろうと、赤の他人の家を撮して収集したり暴露するようなサイトがあって良いはずがない。
・そもそも、「ここが被差別部落。」みたいな一覧を写真付きで掲載している事自体が、いまだに差別が続いている証拠だと思います。 面白半分で掲載しているのでしょうか。
・金持ちや大手業界で苗字や住所による部落差別はまだ全然ある。仕事をしてない人や、あまり所得が高くない層は知るはずもないが現実問題かなり多い。銀行で〇〇大卒で派閥があるようにまだまだ全然存在する。
・歴史的事実を残すことに誤りは無いと思います 過去の同和対策法によりその後差別は無いことになっているんではないでしょうか
・学校の人権教育という名の差別意識刷り込みこそ即刻止めるべき。 何故やめないのか?止めれば差別は消え失せる。 そもそも私たちは差別など行っていない。
・某◯さんが餃子屋さんの事を取り上げた時に似ている。本人は発信しただけで、悪くないと今も思っているが、被害を受けた方は心の傷がいえる事はない。本人は発信しただけだが、その記事を読んで、余計な事をする人が必ずでてくる。
・交際の自由 ↓ 集会の自由 ↓ 徒党の自由 ↓ 徒党から排斥する自由 ↓ 排斥の自由 ↓ 差別の自由
間違ってる箇所の指摘をお願いします
・内容に差別的なことを書いていたならダメだけど、どういう人が集まっているとかもダメなの?チャイナタウンやリトルトーキョーとかは問題になってない気がするけど。
・この手の輩は、とにかく話が噛み合わない。被害当事者が迷惑だと言ってるのに全然そんな事はないとか平気で返す。法律などお構いなしだ。何か新興宗教めいた執着さえ感じますね。
・この出版社?が、何を目的に記事を書いたのかは、問われないのか? 態々、地域とか住宅を掲載する必要性が分からない。意図したものがあろう。さて、賠償額は幾ら位になるのだろうね?
・部落問題以前に、犯罪者でも無い、どころか犯罪者であっても 問題の出そうな個人情報を晒す事がそもそも問題。
色んな意味で、論ずるに値しません。
・誰も知らなければ誰も差別なんかしない。原告も被告も大事にして差別心理を蒸し返すだけで何も為にならない。
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