( 169484 )  2024/05/12 15:20:21  
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(まとめ) 

母親を亡くした方々が母の日や周りの母子を見ると辛い気持ちになること、また、その過程で感じる様々な思いや対応には個人差があります。

一方で、母の日は感謝の気持ちを伝える重要な日として捉える人もいます。

過去の辛い経験を振り返りつつも、時には感謝や思い出を胸に抱きながら生活していくことの大切さが述べられています。

また、誰もが異なる立場や経験を持ち、それを尊重し合いながら過ごすことの難しさや大切さについても言及がありました。

生きていく上での様々な感情や経験を共有し合い、互いに理解と支え合いをしていくことが大切であるというメッセージが多く含まれているコメントがあります。

( 169486 )  2024/05/12 15:20:21  
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・仕方のないことで、母が亡くなってから、母の日は勿論、例えば街で母と同じくらいの年齢の人を見かけた時や、仲良し母娘が買い物や、病院に付き添っているのを見かけた時等、辛い気持ちになります。もちろん母の日がなくなればいいとか、誰かを批判したいわけではないです。 

 

 

・同じ境遇の方達をネットで繋いで展覧会を開催されたことに敬意を評します。やはり、どうしてもその境遇にならないと気持ちが分からない所はありますからね。そうした方達を繋いで、自分と同じ境遇の方もいるんだと思うだけでも違うでしょうし、そこから交流が出来れば孤独感も和らぐでしょう。 

家族がみんな元気で健康に居られることが、大事だなと改めて思いました。大切な人と暮らす日々を大事にしたいです。 

 

 

・去年、母を亡くした後初めての母の日です。 

数年前から病弱だった母なので、生前の母の 

日もそれなりに花や好きな食べ物などと共に 

時間を過ごしました。 

やはり、今年は大きな喪失感と孤独は感じま 

すね。 

親友が故人を心の中で忘れずに覚えておくこと、偲ぶことが大事だよと言ってくれて、そ 

う心がけています。 

今日も花と好きな食べ物を供えて共に時間を 

過ごしています。 

 

 

・自分も20年前に母を亡くしましたが、母の日がつらいと思ったことはないです。未だに生前と同じように感謝の気持ちで仏壇にちゃんとカーネーション備えますし。ただ、街で同じぐらいの年齢の親子を見ると自分と母もあんな感じだったんだろうなと寂しく思うことはあります。ただ、いつかは親は亡くなりますから生きてる間に悔いのないよう大事にしてあげて下さい。 

 

 

・元々日本に古くからある風習というわけではないし、ひとつのイベントということで、お母さんのいる人もそうでない人も、自分に当てはめて、そんな深刻に考える必要はないと思う。今はいる人でも、順番に行けばお母さんのほうが先に亡くなるわけだし、一生赤いカーネーションを贈れるわけではないです。誰だっていつかは別れが来ます。親孝行したい時には親はなしで、後悔のないように親と接するだけだと思います。すでに母親のいない人でも、近況を報告するだけでもお母さんは喜んでくれると思います。 

 

 

・世の中には色んな母がいて、必ずしも娘や息子と良い関係であるわけではないし、 

母の日は、強制されている気になりますよね。 

毎年、何か贈らなきゃとか、だいたい給料日前だし、家計は苦しく出費も正直痛い。 

 

全国キャンペーンみたいなのは気にせず、自分が感謝したい時に気持ちを伝えればよいと思います。 

 

側にいても、いられなくても、お花や贈り物なんかなくても、子供が元気で幸せに過ごしていることが何よりのプレゼントだと。 

母になって20年経ち、改めて思います。 

 

 

・私は父がいないけど、特に父の日に何も思わない。 

他人は他人、自分は自分で普通に受け入れてたら気にならないよ。 

仕方ないじゃん、自分の父はたまたま早くに亡くなって、まだ存命してる父を持つ人がいて、父に感謝してること、それはそれでいいことに思うけどね。 

他人に自分を重ね合わせすぎるのもどうかと思うよ。 

確かに亡くなったばかりの頃は思い出して悲しかったこともあるけど、他人を羨むことより、まずその気持ちを乗り換えることの方が大切だと思うな。 

 

 

・父親がいない人にとっては「父の日」が辛いだろうし、子供が欲しいのに恵まれない人や子供を亡くした人に至っては日々町中で目にする仲睦まじい親子の姿だって辛いものだろう。 

でもそれは、親がいる人、子をもつ人が悪いって話ではないし、いない人たちに遠慮することではない。 

いなくなった母を思い出す、亡き母に産んでくれてありがとうって言う「母の日」でもいいじゃないか。 

 

 

・母を自分が21歳の時に病気で亡くしましたが、これも運命と思って受け止めています。みんな何かしらそういう辛い部分は持っていると思うから、仕方ないなと思っている。 

母の日に母を祝える人は、祝える間におもいっきり素敵に祝ってあげて、喜ばせて欲しいな、と思うだけです。 

 

 

・私は幼少期に両親が離婚をした。 

だから父親と言う存在すら知らずに育った。 

時代なのか小学校では、母の日、父の日があり親の顔を描く授業があった。 

勿論、描けないから適当な顔を描いた。 

昨今、日本では母の日以外にも色々なお祝いがある。 

父の日であったり、はたまたクリスマスだったり。 

要は自分に合った価値観で良いと思う。 

別に母の日だからお祝いしなきゃ、とかではなくて。 

私は飼っている柴犬の誕生日を一番大切にしている。 

 

 

 

・絆、繋がり、応援、ボランティア。。 

聞こえの良い言葉に合わせなくてはいけないと思い込む呪縛が人を苦しめる。あらゆる価値観を認めなくてはいけないと思うから苦しくなる。 

解釈は一人一人違って良いのだから、自分の外にある価値観に縛られている自分を解放するきっかけを手に入れることは大事。それが母親の死であってもね。マイノリティの居場所づくりとしては良いアイデアだと思う。 

 

 

・「母の日」の起源はいくつかあるが、元々、アメリカにおいてアンナ・ジャービス女史が亡くなった母を追悼する会がきっかけとなり、「生きているうちに母に感謝しよう」という運動が広まって、習慣となったと言われている。 

 

日本では、ハロウィンやクリスマスにせよ、商業主義的傾向や単なる「ムード」に終始し、本来の意味を忘れがちになる。 

 

この方が仰っている、「ムード」という言葉は、そのニュアンスを含んでいるのではないだろうか。世間で騒ぐ必要性はないということではないだろうか。 

 

東日本大震災後、「絆」という言葉が連呼された時期があったが、被災者の方の中にはその言葉が嫌いと思う方もいたようである。 

 

どのような言葉にも、その当事者になってみなければ分からない心の痛みがある。 

 

世間で殊更、騒ぐのではなく、個人で母に対して感謝すればよいと思います。 

 

 

・私も母を3年前に亡くしたので母の日をお祝いできない寂しさをふと感じます。母の写真の前にカーネーションを供えて心の中で感謝を伝えるだけで自分の気持ちが癒されました。 

義理の母への母の日や、父の日を大切にしたいと思います。 

 

 

・母の日間近に、どこもかしこもカーネーション販売が始まるとちょっとさめた気持ちになります。一気に花の値段が上がる。 

バレンタインデーもハロウィンもそうだけど、商売合戦なんですよね。 

その日だけの特別感が世に溢れているから、違和感があります。 

毎日が母の日だし、毎日が誕生日。 

何気ない日常に、旦那さんや妻や子どもや親や友達が花を贈ってくれる。自分で自分に花束を贈る。 

こういう世の中になればいいなーと思います。 

 

 

・小学校の頃に母の日あたりの授業中にお母さんに手紙を書くという物がありました 

同じクラスに3人お母さんがいない同級生がいました 

私たち母親のいるクラスメートは母の日に手紙を書く授業に少し違和感を感じました 

先生と話をして校長先生と話をしてその授業はなくなり身近な大切な人に手紙を書く授業に変わり今もそのままだそうです 

「学校は手紙を書く機会を残したいです。そのためにあなたたちはこの授業をどう生かしますか?それを考えてみましょう」 

笑顔で言ってくださった校長先生でしたが小さい課題をみんなで考えたのを今でも思い出します 

たいした事じゃないけど子供だった私たちには大きい課題でした 

 

 

・母の日も父の日も色々な思いをもって迎えられる方々がいると思います、この方は母の思い出があるだけでも幸せで生まれたときから母の温もりすら知らない方々もいます、それぞれの立場で母に父にまた人に対して感謝の気持ちを持つことが大切だと思います、ちなみに私も母を亡くしておりますが母の日と聞くと優しい母の笑顔を思い出し涙が出るほど幸せな気持ちになれます。 

 

 

・私は小2の時に母を亡くしました 

昔は近所の大人達や同居していた祖母のお陰で寂しいと感じた事はありませんでしたが、自分が初潮を迎えたり、年頃になった時に言い難い寂しさを感じた事を覚えています 

今は私も母という立場になり娘を成人させ、私と同じ思いをさせない様に健康に気をつけてこれからも過ごしていきたいと思っています 

 

 

・昨年3月に突然母を失い、いまだに悲しさや寂しさは拭えません。もちろん、昨年の母の日は色んな事が駆け巡り、それどころではなかったです。今年母を亡くして2年目の母の日を迎えます。正直複雑ですが、花を仏壇に備えにいきます。近況を伝え、感謝を伝え、安心させていけたらと思います。 

 

このイベントに関しては賛否両論あるはずですが、痛みや悲しみを共有できたらいいと思いますし、親がご健在の方にも『日々感謝』する事の大切さなどを感じてくれれば良いと思う。失ってからは後悔がほとんどだから。 

 

しかし、母にもう一度会いたい。。。 

 

 

・大前提として、母親に感謝を表すタイミングがあることで多くの幸せが生まれている。とても大事な日だと思う。ただ、誰にでも感謝したいお母さんがいるわけではないことは忘れてはいけないと思う。 

母親が亡くなっている人もいれば毒親に苦しめられた(現在進行形で苦しめられている)人もいる。母の日の贈り物や行事を義務のように扱わないこと、誰でもやるのが当たり前だと思わないことを胸に留めておかねばと思う。 

 

 

・母親が亡くなってなくても生きていても、複雑な事情で子供からお祝いや感謝の言葉も言って貰う事が出来ない親もいらっしゃると思います。 

 

私の場合は親の立場ですが、娘が心身症の症状でなかなか外出もままならないので、私も並以下の人間なので、それこそ親子で買い物したり娘と同じ年齢の方達が楽しそうにしていると悔しい悲しい気持ちになります。 

 

だけど、娘が生きているだけで、存在しているだけで有難い事、感謝しないといけないと自分に言い聞かせています。 

 

 

 

・生きていくってのは体験・経験の繰り返しなわけですよ。 

なので楽しいことも悲しいこともその人に積み重なっていく、それが年齢を重ねるということなのだと思います。 

それゆえ、ある程度の経験をしていけば身の回りの多くの事象にいつかの思い出や感情が宿っている、そんな状態にもなるのです。 

辛い気持ちももちろんわかりますが、あまりそこにフォーカスして生きていくよりも、積み重ねてきた楽しい思い出を胸に生きたほうが自身のためかなと私は思います。 

 

 

・私は現在中高生の子ども達の母で、若い頃に実父を事故で亡くしています。 

急な死で、本当に辛かったです。 

主人もまた、結婚後に実父(私には義父)を病気で亡くしました。 

でも、どちらも父の日を辛いと思ったことはないし、なくなればいいとも思わないです。 

父の日は、お仏壇にお酒などをお供えして、感謝を伝えてます。 

自分自身として、もしも私が子ども達を残して逝ってしまうことがあっても、その時は悲しんではほしい。 

でも、母としてはいつまでも悲しんで欲しくはないです。それよりも、自分の死をいつまでも辛いものと思わずに、活き活きと生きていてほしい。 

もちろん、母の日も泣いてなんかほしくなくて、最近はこんな感じでね…元気にしてるよ。って伝えてほしいと思っています。 

 

 

・子どもの時に母親を亡くした人にとっては、友達が当たり前に、母の日の贈り物を買ったり作ったりするのを見たりするのは、確かに辛かったかもしれたせん。でも、普通に生きていれば、親が先に逝く。そのタイミングが早いか遅いだけの違い。 

母が逝って、10数年経ちますが、母に会いたいと今でも思います。そうやってふとした時に思い出してあげるだけでも、母親への供養になると思うし、母の日は好物でも供えてあげて、いつもよりたくさん母親のことを思い出す日でいいと思います。 

 

 

・いつの日か、親はいなくなります。 

悲しくても辛くても乗り越えなければならない、愛別離苦の苦しみです。 

他人と比較して辛いとかではなく、生きていく上でかならず訪れる苦しみを、他より先に経験していると考えることで、苦しみを和らげる一つの手になるのかもしれません。 

辛い思いをする人のために、母の日や父の日を無くすという論は、あまりに過剰ではないでしょうか? 

昔からひとり親の世帯など幾らでもありました。 

それでも皆、強く生きてきています。 

 

 

・10歳で母を亡くしました。 

社会人になり、上司に「母の日はなにかしてあげるの?」と聞かれたので「なにもしません」と答えたら親不孝だと言われました。「若い頃は親の有り難みを知らないんだよな、親孝行できるうちにした方がいいよ」と諭されました。上司の両親は健在だそうです。 

 

親孝行できるうちに…がそもそもできなかった私。死んだ母親を想いながら、父親と必死に生きてきた私は、よっぽど親の有り難みを感じて生きてきたと思います。 

 

 

・関係がないと感情が溢れ出すまではなかなかならないから、 

亡くなった人を偲べる事ができるってことは自分にとって良好な関係があったってことでしょ。 

もう会えないのは寂しいけど、その人と関係があったから今の自分を作っているんだ、出会ってくれてありがとうの気持ちで偲べはいい。 

自分の周りで亡くなった人はいないって人も、 

今現在で親交が出来てても、いつ、関係が切れるかわからないから、ありがとうの気持ちを忘れずに関係しとけって思うよ。 

 

もし自分が先に亡くなっても、たまに思い出して涙してくれるだろう人との関係を大切にした方が良いと思ってる。 

いなくなって清々したと思われたくないよね。 

 

 

・生きていてもそうでなくなったとしても、母親の存在が無くなるわけではないので、偲んだり思い出を振り返って感謝することは出来ると思います。 

毒親とかもあると思いますが、実母に代わる存在の方がいればその方へ感謝をすると良いのではないでしょうか。 

「感謝する」のも物を贈ったりとかではなく、心の中で感謝の気持ちを想うだけで充分だと思います。 

 

 

・母の日は元々が亡くなった母親を悼み想う気持ちから生まれた行事なので、この人の感情も趣旨に沿っているのでは。 

私は父親が闘病の末、去年亡くなりました。今年の「母の日・父の日フェア開催中」の文字を目にして「あっ、父の日はプレゼント渡せないのか。なら墓石でも磨きに行こうかな」と思っていたところです。 

世間がやっているからと商業ベースに乗って型通りにせずともよく、「これは出来ないのか。じゃあこうしてみようかな」と楽しむのもいいと思います。 

 

 

・私も母を亡くした時は周りの友達がうらやましかった。おばさんになった今でも、「介護が大変」というのを聞いても、やっぱりうらやましい。 

でも母の日は、母が私を産んでくれてありがとうと思える日です。孫を抱っこしたかっただろうなとかいろいろ思うことはありますが、自分としては感謝の気持ちを再確認できる日です。本当にお辛いと思いますが、お母さんはずっと見守ってくださっていますよ。 

 

 

・母親を亡くした訳ではないのですが、私が小学校へ上がる前に母親が蒸発してしまい以降20年以上会っていません。連絡先や居場所も分かりません。母親に会いたいという感情は全く無く… 

私にとっての「母親」は育ての親である祖母だと思っていて、生前、母の日に合わせてお花を贈っていました。4年前に亡くなりましたが、今もその気持ちは変わってません。 

個人的には「母の日が辛い」と思った事はないかな。お母様、あるいはご両親が居ない方(私も含め)は、その人その人の中で一番お世話になった方を想うだけで十分だと思います。 

 

 

 

・6年前の夏お盆開け余命半年から10年花が好きな母親でした。血液がんの多発性骨髄腫で亡くなりました。完治しないため抗がん剤治療で入退院を繰り返しての10年でした。本当は土いじりは血液がん患者には菌が多いのでドクターストップされてましたが、生きがいの四季折々の花を咲かせるのが余命宣告から生きたあかしに花なか今も咲いています。 

 

 

・小学生の頃、一輪の造花とコップをお小遣いで買ってプレゼントしたのを何十年もずっと残してくれてて嬉しかったなぁ。 

生花のほうが良かったかな?と思いつつ、枯れることのない造花を選んだのは結果的に良かったのかな…とか。 

どちらにせよ、大切にしてくれてるっていうのは嬉しいものですね。 

 

まぁ、そんな母も昨年の12月に亡くなってしまったので、今年は母の日だからといって何かすることはありませんでしたが、記念日とか関係なく気が向いたら何かしらお供えしようかなとは思ってます。 

 

 

・自分の経験から、若い頃親が亡くなって日が浅い頃、自分は周りと違うと比較して、世間のイベントに自分自身で辛くなっていました。仕方がないという言葉が一番辛く刺さった記憶があります。 

年月が流れた今は、感謝に代わりかえってこのようなイベントでいい思い出を回想することにしています。それぞれ様々な時期や背景があると思います。 

 

 

・これは、全員が避けられない事ですよね。 

自分も3年前に最愛の母を病気で亡くしました。 

まだ60代でした。 

周りが母親と旅行に行ったり買い物をしたり、子育てを母親に相談したり等と当たり前にしている事が自分にはもう二度と経験できない。 

ラインをしても返ってこないし既読にもならない。 

その悲しみや喪失感は3年経ってもどうにもならないです。 

母の日イベントはそれを痛感させられたりもしますが、これは年代に関わらず年齢に関わらず抱える感情なのかなと思います。 

だからといって、それを否定している訳でも、無くせと言ってる訳でもありません。 

 

結局、人はそういうどうにもならない別れを経験する事を避けられないんだと思います。 

それも含めて「生きる」という事だと思うから、頑張るしかないんですよね。 

こういう展示を見て「しんどいのは自分だけじゃないんだ」って思えるのは良いなと思います。 

 

 

・みなさん何かしらマイノリティな部分を持ってるんですよね 

不妊治療してるとか親がいないとか持病があって、とか色々 

私もそういう一面を持っていますが、自分の気持ちに折り合いをつけていくことが大切だなって思います 

周りに変化を求めるのも1つですが、自分の気持ちと向き合うのをおろそかにしてはいけないのかなと思います 

 

 

・全く問題にする意識はないのだけれど、この週末、法事に関わって亡くなった母のことを家族とLINEすると、その度にカーネーションを持ったクマのエフェクトが現れて苦笑した。 

母の日として盛り上がること自体は全然問題ないし、一つの文化。先のLINEのエフェクトなども含めて、今・今まで通りで何ら問題はないとは思う。ただ、母の日をはじめとする何かしらの日、その色々な日に対し、感謝する人、寂しさを感じる人、偲ぶ人、〇〇の日だからこのムードという一般論の枠に、万人が当てはまるわけではないのだと感じました。 

 

 

・受け止め方は千差万別ですね。自分も20年前に母を亡くしましたが、母の日は特にこれと言って特別な感情は湧きません。月一で実家に帰る際、線香をあげたり、墓参してるので常に母に寄り添っている感覚があり、特に意識はしてません。強いて言えば、命日になると、亡くなった日のことを思い出し、少し感傷に浸ります。 

 

 

・自分も若くして母親亡くしたが、母の日は亡き母にありがとうの気持ちとこれからも心配かけないように真っ当に生きていきますの決意を改める日と決めている。 

今、お母さんがお元気な方は直接感謝の気持ちを伝えられる日だから、街中がカーネーションで彩られるのは華やかで良いと思っています。遠慮せずにお母さんが喜ばれることをしたらいいし幸せな様子をSNSに載せてもいいと思っています。自分が今となってはできないことを悔しいとか妬ましいと思うより、今できることをして幸せになることを母親は願っていると思ってます 

 

 

・昔からありますけど、公休ではないので〜の日商戦の類いと思ってます。父の日もありますし。一般的な話ではです。 

ただ個人さんの事情によってはツライ記憶が蘇るトリガーになってしまったりとあるのだとは思います。 

 

世界は自分中心で回っては居ません。 

皆なんとなく世間とのギャップにしんどさや生きづらさを感じて生きているように感じます。 

そうした中、否定ではなくなんやかや折り合い付けて渡っていけるといいかなと思いました。 

 

 

・そうですよね、お母さんがいるのといないのとでは全然違います。 

お母さんが家のことをやってくれているから、学校なり仕事なりに出ていける。 

若くして親を亡くすと心に空いた穴は大きすぎますね。母であれ父であれ。 

全国的に騒がれてるこの日にそんな辛い思いを持っている人がいることに気づきました。 

考えてみればみんながみんなお母さんと呼べる人がいるわけではないですよね。 

昔学校で〇〇参観日がありましたが、そのように「誰」と限定することが配慮が足りないとなって、いつか無くなりましたね。 

だけども、お母さんに感謝する日があるのはいいことです。 

日頃はわざわざありがとうの気持ちを表す日は他にないでしょう?誕生日?誕生日はお祝いであって感謝する日ではないと思うので。 

母の日は、お母さんのことを思い出す日として自分の今を報告する日にしてもいいのではないでしょうか? 

 

 

 

・母を亡くした立場の人は、テレビCMや番組で母の日特集を見てしまうと、程度の差こそあれ切ない気持ちになってしまいますよね。 

私は去年の母の日が母に直接カーネーションを贈る事ができた最後の年でした。 

もう余命が短いと分かり、涙を流しながら手渡したのでそれを思うと今日はちょっと辛いです。 

今年は仏壇に手を合わせてお母さんに感謝の気持ちを伝えます。 

 

 

・母を亡くして4年経ちます。このようなイベントがあると初めて知りました。母がいる周りの友達が羨ましい気持ち、母の日はSNSを見るのが辛い気持ち、同じ気持ちの方がたくさんいるというのを知り心が救われました。 

世の中から母の日を無くしたいとは思いませんが、もう母に会えない人の気持ちも察してもらえるとありがたいです。 

 

 

・自分も中学3年の時にお袋を亡くしたよ。丁度高校受験時期だったけど、私立高校受験に合格したことをお袋に言ったら、病床のお袋はとても喜んでくれたよ。そのお袋が亡くなってあと4年経ったら50回忌の法要が待っているんだよ。その頃には親父の13回忌もあるので一緒にやろうと思ってる。俺も62歳になるから両親がいないのは仕方ない。お袋、オレを産んでくれてありがとう。 

 

 

・そう言う事は、胸に収めて行かないと、その度に、子どもの日に、子どもが居ない寂しさ、敬老の日は、祖父母の居ない寂しさ… 

父の日も。 

普通は皆が…居て当たり前の幸せも、居ない寂しさも有るでしょう。 

完璧に皆居る人は、それはそれで、幸せ。 

居ない人は、仕方ないと胸に収めて、前を向いてしっかり進む事ですよね。 

その分強くなれると信じて生きて行かなくてはと思います。 

そうして、いつか自分も母に…なって子どもの日を祝える幸せを知る事も出来るでしょう。 

人の人生とは、その様なものと思うのです。 

今日は、母の日、天国のお母さん有難うと言おう。 

 

 

・私も早く母を亡くしたが、母の日をつらいと思ったことがない。 

母親が生きている人は花や贈り物をしたり、離れて住んでいるなら会いに行ったり、LINEで感謝を伝えるだけでもいい。 

母親が亡くなっているならお墓参りして会いに行くでもいいし、陰膳で生前好きだったものをあげてもいい。 

自分が母親に思いを寄せて感謝する日なのだから、母親の生死で違いはないと思う。 

 

 

・母がいなくて辛いということは、会いたいお母さん、大好きなお母さんだったということではないでしょうか。若くしてお母さんを亡くされた悲しみは一生消えないと思いますし、また、SNSの世の中では傷ついたりすることが多いと思いますが、『会いたくなるお母さんの子供』であることは宝ですし、お母さんがいなくて寂しい方がある意味うらやましい。 

亡くなったお母さんに会いたい!と悲しく苦しくなって涙が出るその時は、きっと天国のお母さんが励ましてくれている時だと思います。 

自分は逆です、母と母の日が辛い、しんどい。花屋のカーネーションやプレゼントを贈らなきゃという母の日ムードの重圧が苦しいです。 

まだお若い方であれば、近い将来ご自身がお母さんになる可能性もありますから、お母さんを目標に前進して下さい。 

 

 

・私は両親と兄弟とも喧嘩はあっても仲良く幸せに過ごしてました。 

しかし、小中学校の頃はお母さんもしくはお父さんがいない子や家庭事情が複雑な子もいました。そんな子達がいる中私は幸せな家庭のため、周り(辛い子に共感した子達)から「お前が悪い」と言われ、仲間外れや差別、八つ当たりなど虐められました。 

 

家庭事情で辛い気持ちは痛いほど分かります。ですが、それを他の皆にも同じように自重を進めることがあなたの幸せですか?皆も自分の悲しみを共感してくれて嬉しいですか?と問いたいです。 

 

 

・私も父が亡くなってから何年かは辛かったです。父のことをとても好きだったので。 

でも、父の日や母の日はとてもいい事だと思います。 

親を大切に思い感謝の気持ちを伝えれる大切な日として。だだ亡くなってしまっている場合は、亡くなってしまったことを深く考えてしまったりするので辛かったです。 

だけど今はお墓参りをし、いつもありがとうね!と伝えるだけで嬉しい気持ちになります。 

心の中でいつも話しかけていて、父だとこう言うだろう‥こうアドバイスをくれるだろうと考えることで寂しさは少しなくなりました。 

 

 

・私が小学生だった頃は母の日も父の日も学校行事として何かやってた記憶があるけれど、娘の小学校は完全にスルーでした。いろんな事情がある子たちに配慮していたと思われます。その他も母とか父とかという名称のものはひとつもありませんでした。 

母や父を失うという悲しい気持ちわかります。いろんな気持ちを抱く人がいるのもわかります。 

だけど父や母に感謝を伝える日はあってもいいと思います。 

 

 

・どうなんだろう。1人の辛いことや悩んでいる事に大勢が合わせなきゃいけないのだろうか。 

確かに辛いのだろうと思いますが、だからと言って今まである続けてきたものを否定したりやめさせる必要はないと思う。 

 

何故なら皆平等になるわけでもなければ皆がその悩みに共感するわけでもない。 

最近の多様性と言う考えはある意味今まで日が入らなかった人には良い響きで良いのかもしれませんが、これが返って歪な不平等をさらに拡げている感覚もあります。 

 

自分も生きてきて辛いこともあれば理不尽な事もありましたが、自分の辛さを皆合わせてくれとか分かってくれとか法律かえろなんて思った事はない。 

 

自分は両親亡くなっていますが、世間の母の日が辛いなんて全く思いません。 

お祝い出来る人はしたら良いんですよ。 

辛いならば見てみぬふりをする強さも必要だと思いますね。 

なんでもかんでも世間が自分にあわせろとかなんか違うと思う。 

 

 

 

・気持ちは何となくわかる。 

私は子供が生まれた時44歳で父は亡くなっており、母は重い認知症で寝たきりでした。 

 

孫を見せてもわずかに反応するだけでした。そんな母も昨年の正月に亡くなりました。 

 

私の同級生の両親はまだまだ元気な方々は少なくなく、孫を見せて可愛がってくれる様子は羨ましく感じます。 

 

母の日の今日は仏花でなく、カーネーションを飾り、私流の母の日の過ごし方をしています。 

 

 

・亡くなっている場合は、仏前やお墓にカーネーションを飾ることができる。 

でも、何らかの形で生き別れとなっていて、お花を送ることもできない人、絶縁していて思い出したくもない人… 

人それぞれいろんなケースがある。 

すべてに配慮は難しく、多数決のようになってしまうのは仕方のないことかな。 

配慮は必要だけど、自分を守るすべも身につけたいですね。 

 

 

・私も母を亡くし、2度目の母の日。 

 

先に親を亡くした方々からは、「親は大事に」「孝行したい時にはいないって事あるから、大切に」など言葉をもらっていました  

頭の中ではよほどの事がない限り、順番では先に親が逝くとは分かっていたのでそう言われるのも分かるけど、「うちの親はまだまだ元気だし、もう少し先の話だな」って自分の親は死なない、死ぬわけがない、って感覚でいました  

 

でも亡くなりました  

コロナで病室に入るのも制限され、感謝どころか最期に喋ることも手を握ることも間に合わず、病院に運ばれて数日で亡くなりました  

今でも後悔と罪悪感でいっぱいです  

私には父も兄妹もいないので一人ぼっちとなりました。なので、母の日が辛い気持ち分かります  

 

コメントでは、共感される意見は少ないようですが、私自身 実際に親を亡くすまでどこか他人事だったので、体験した者でないと分からない気持ちだろうと感じました。 

 

 

・うちの父は稼ぎはかなり多く家族は生活には苦労しなかったが、小学校以降一緒に暮らした事が無い 

贈答品を贈られることが多く私が贈った父の日のプレゼントが開けられもせずにそれらと一緒にこれ使ってと戻ってきた事もある 

 

亡くなってしまった後にまたひと目でも会いたいと思える父がいるのは正直羨ましいかもしれない 

 

 

・去年母親が末期癌で亡くなりました。いずれ親は先に亡くなるとは思っていましたが、65歳で亡くなったのでちょっと早かったなという気はします。両親はすごく仲が良かったので、父親がショックでうつ病にならないかと心配しています。自分は遠方で仕事しているので、今は月に1回は会うようにしてますが、母親の分まで生きると言ってくれたことがせめてもの救いです。 

 

 

・自分はまだ未成年ですが、諸事情で親とは離れて暮らしています。関係も悪く、2年半ほど会ってすらいません。こんな状況では母の日を祝うことなんてもちろん無く、母の日がとても辛いです。正直、亡くなってたとしても感謝を言える関係だったことが羨ましいぐらいです。テレビもSNSも母の日ばかりで、沈んだ気持ちになりますが、頑張ってこの日を乗り越えます。 

 

 

・私の場合、父が小学校の時には他界していませんでした。  

辛かったのが小学校3年生の時に「父の日」にお父さんに日頃の感謝を込めて手紙を書く時間があり、まだ子供だった私は先生に何を書いていいのか質問することもできず、白紙のままにしていると 

先生に「お父さんに何でもいいから日頃の感謝を書きなさい」とみんなの前で言われ泣いてしまいました。 

あとで気がついた教師に「ごめんね先生うっかりして、お父さんいないの忘れてた」といわれました。 

あれから数十年経ちますが、当時の感情は 

「父の日・母の日」がくるたびに思い出します。 

そもそも父の日 母の日 って必要? 

それぞれを亡くした人にはツライし、学校などで 

イベントのようにするのもやめて欲しい 

 

 

・今はだいぶ配慮されるようになったけど、昔は残酷でした。離婚で母がいなくても、授業では母の日の絵と手紙を書いたり。 

お父さん宛に書けと言われましたけどね。 

1/2成人式などもしかり、最近は未来へ向けた作文などですが、うちの子供が小学生の頃は、過去にフューチャーしたもので、幼少期の写真やエピソード、親への感謝などがメインでした。 

多様な背景への配慮は必要ですよね。 

自分からわざわざ、この日は辛いとか発信するのは、発想がありませんでしたが。 

 

 

・自分の場合は「父の日」がそう。辛いというよりは、「6月第3日曜は自分にとってはただの日」という感覚かな。 

 

すべてが満たされている人のほうが、この世には少ないよね。私は天国にいる父より今生きている母を大切にしたいし、自分自身多少体の不調はあれど大病することなく今生かされている事に感謝して日々を前向きに生きたい。父に親孝行できなかったことは天国で再会した時に謝るからそれで良いと思ってる。 

 

 

・現在5歳の一人娘は3歳の時に病気で母を亡くしましたが、保育園で母の日の似顔絵を喜んで描いてくれたようです 

もちろんママに会いたいと言うことはよくありますが、母の日に悲観せず元気にママの似顔絵を描いてくれる子に育ってほしいと思ってます 

遺影の隣に飾り、何だかママがにっこり微笑んでくれているような気がします 

 

 

 

・今年の4月はじめ、突然、母が亡くなりました。 

毎日毎日辛くて、思い出しては泣いています。 

仕事もやる気がおきず、出かける事もしなくなりました。 

「去年の母の日は」等々考えてしまうと、本当に辛くなります。 

このような取り組み、非常に良い事だと思います。 

孤独感が少しでも和らげば。 

感謝いたします。 

 

 

・先日、産休クッキーのニュースも話題になっていました。同様です。100人いたら100通りの状況があるから、一律に考えること自体、無理があるのです。「母の日」の定義は、感謝です。今は亡き母にも、今自分が居るのは母が生んでくれたおかげ、という絶対変わらない事実があるのだから、ここに感謝。今、ネット社会ですからSNSにあげるのは仕方ないです。感謝の表現だって色々です。SNSを使ってもよし。手紙にするのもよし。亡きお母様は、絶対に見守ってくれています。 

 

 

・毎年、世の中は母の日にカーネーション!みたいになるけど、温室で無理矢理育てた時期はずれの花は販売されてお母さんに渡された後に枯れ始める… 

それをしばらくして処分するお母さんの気持ちなんて考えてないよね。 

マジでカーネーションは植木でも育たない!かと言って物にしても好みもあるし。 

ケーキ買って行き一緒に会話しながら食べるのが1番嬉しいと思うよ。 

 

 

・母は亡くなりましたがしっかりと死とは何かを学んだし、残された時間もたくさんあったし、経過もしっかり目に焼き付けたからか、母の日にしんどい気持ちにはなりません。 

 

ただただ、母ありがとう、幸せにやってるよ〜と天を見上げて思ってます。 

 

私が洋服、下着などプレゼントしたものが母の日記にしたためてあったので、改めて見て、やることはやったかな?と。 

人それぞれですからね。 

 

しんどい人に寄り添えるイベントがあること、 

広まると良いな。 

 

 

・子どもの保育園は家族の日として 

だれか周りの人に感謝する日としてくれています。 

 

大人になってもインスタや街中で辛いのに 

まして幼保や小学生なら、周りの子がウキウキ描いてたら辛いよね。 

 

小学校も母、父という個別単位での日は減ってるみたいですし、離婚だけの別れではなく近年ですと災害での死別も増えているため学びの場では対応が必要かと 

 

 

・私が小学生の頃に癌で母を亡くしました。もちろん死んだ事は悲しかったけど、以降母の日にはカーネーションを持って墓参りをするのが習慣になっているのでしんどいって感じはなかったです。 

でも、子ども産まれた後に、おばあちゃん・ママ・赤ちゃんでお出掛けしてる人を見るといいなぁ、相談とか頼ったり出来るんだろうなぁと、しんどいと言うより羨ましいなぁと思った記憶があります。 

 

 

・〜の日をわざわざ悲観するのはどうかと思います。 

親がいなかったり早くに親を亡くしたり、殺されたなどすれば可哀想だし、寂しいし、色々あるだろうけど、親はいずれ死にます。 

 

じゃあ、敬老の日は?子どもの日は?身近な人が亡くなっているケースがあればどれだって寂しい感情を抱く方はいるだろうけど、わざわざムードがしんどいって声上げるのは違うと思うけどと私は思います。 

 

それぞれが、行事として行うも良し、亡くなった方を愛しむ日にしても良いのではないでしょうか? 

 

 

・私も7年前に母を亡くしているが、それを誰かと共感したいと思ったことがないのでこんなイベントがあるんだとちょっとびっくりした。 

親戚や近所のおばちゃん、家族で通っていた歯医者さんとか、まだ母を知る人がいて母の話ができるからだろうか?たまに私の知らない母の話を聞いたりして嬉しいこともある。 

 

 

・物心つく頃からシングルファザーで育ちましたが、母の日イベントは辛かったですね。小学校でお母さんの似顔絵書く時間あったり思い出書かされたり…顔を知らない私には厳しかったです。父の日はあまり大袈裟にやらないのにね。 

小さいながらに配慮してよって思ってました。先生は意外とスルーなんです。クラスに母が居ないのは私だけだったので。 

今は結婚して、義母ができたので毎年お花贈ってます。母の日イベントが出来て嬉しいです。 

 

 

・母の日だけでなく、父の日も、夏休みも、お盆も、運動会シーズンも、 

クリスマスも、年末年始も、バレンタインデーも、お花見も、 

対象外の人にとっては、つらいですよね。 

挙げればキリがない。 

だから母の日をなくす、という方向ではなく、 

母の日は、母がいない人にもスポットをあてて、どんな立場の人も全員が明るく前向きな気持ちになれるように 

メディアや企業も、もう少し思いやりのある取り上げ方をされてもいいような気がします。 

 

 

 

・5才で両親が離婚。父親に引き取られたので、小学生の頃の母の日イベントは辛かったです。クラスで母がいないのは私一人だけ。確か小学2年の頃、造花カーネーションのバッチが配られて、お母さんありがとうとリボンに書いてあった。それをみんな胸につけるように言われ付けた。「○○ちゃん、お母さんいないのに付けてる〜」と友達に言われ、先生はチラっとこちらを見ただけだった。なんとも言えない疎外感を感じた。母の日がとにかく嫌だった。4年生になって父が再婚、自分にも母なる存在が出来て真っ先に思ったのは、母の日が辛くない、という安心だった。子供にとって一大事だったのだと思う。 

 

 

・気持ちが分かる者同士で共感しあったりする機会があるのはいいことだと思う。 

でも世間に知ってほしいというのはまた少し違う気がする。 

幼稚園も小学校も昔のように母の日に絡んだイベントもお絵描きもしなくなったし子供や児童には配慮がなされている。 

母の日がしんどい人も子どもの日がしんどい人の隣で知らずに我が子の話をたくさんしてるかもしれない。触れてほしくないことに気付いてもらうことって大事かもしれないけどそれは自分の生活範囲内でできればいいことなのかも。 

 

 

・自分は今から26年前に母が亡くなりました。 

ちょうど今の自分の年齢の59歳の時に脳梗塞が発言され入院し、程なくして左右の脳が梗塞し植物人間状態になりました。 

その3年後に亡くなりました。 

どこまで理解していたのか分かりませんが、理解していたのだとしたら、思うようにいかない自分が辛かったと思います。 

とうとうその年齢に辿り着いてしまいました。 

自分もあと数十年後までには、そちらに行くと思うから、あの時どこまで理解していたのか教えてね。 

 

 

・いろんな境遇の人がいると思います 

阪神タイガースの梅野隆太郎さんは小学4年時に母啓子さん(享年34)をがんで亡くしました。それでも母の日イベントは特別な1日と。「この日があるから励みになる。母が見てくれていると、母を無くした子どもたちに見せてやりたい」ピンクの防具にも思いを込め、今日も頑張ってくれるでしょう 

 

 

・私の母親は、家のお金を持ち逃げし、私達をすてました。幼い頃、母の日に少ないお小遣いでプレゼントをあげても、気に入らないと目の前でゴミ箱に捨てるような人でした。今、結婚し、旦那のお母さんに母の日にプレゼントを持って行くと、本当に喜んでくれ「貴方達の幸せが一番の親孝行よ」と言ってくれます。 

それまでは、母の日がトラウマになってましたが、今は楽しいです。感謝しています。 

 

 

・私は母に何もしなかったから、母の日になにかしてもらいたいとか思いません。母には本当に何もしませんでした。夫の家との関係で、私が私の実家に(親兄弟、親戚縁者)にお金を出せる状態ではありませんでした。手土産ひとつ持っていきませんでした。実家に行くことさ制限されていたため、本当に何もできませんでした。母の日も父の日も辛いです。なにかしてあげたかったです。会いにも行きたかったです。辛い日です 

 

 

・私は母親の記憶が無いので思い出があるだけでとても羨ましい。うちの父親は放任で家政婦を雇ってお金で解決の人だったけれど、いないのが当たり前なので寂しいとか悲しいとかよくわからなかった。今は自分が母親になり子育てをする中で、あぁ母親がいたらこんな事もあんな事も相談したり、守ってもらえたりできたんだなと思うと昔の自分って…と泣けて来る時がある歳を取るほどね。今度もし生まれ変わるならお母さんに絶対いてほしいです。 

 

 

・別に母の日に限らずだと思うけどね。子供を亡くした人はこどもの日、配偶者を無くした人はいい夫婦の日が辛いかもしれない。人それぞれに事情はあるのだから、世間がどうこうよりいかに自分の中で感情を収めるかを考えたほうがいいと思う。人間生きてりゃ他人と比べて悔しい思いをすることなんかそれこそ無限にある。 

 

 

・これは自分がどんな状況で母を亡くしたかによると思うな。 2年前に母を亡くしたけどある程度仕方ない気持ちもあった。 70過ぎてて平均より少し足りないくらいだった、自分はアラフィフだったから。 だからもっと若くしてお母さんを亡くした人に 軽々しく気持ちが分かるとは言えないよ。 だけど悲しいね。 自分がしっかり生きてるよって報告すること それだけしか出来ないよ。 

 

 

・ショッピングモールやスーパーの母の日のギフトコーナーを見ても、テレビの母の日特集を見ても辛くはないです。 

 

他の人が母の日のプレゼントの話をしていても、温かい気持ちで聞いています。 

 

でも、不用意に「あなたは母の日に何をプレゼントするの?」という質問が飛んできたら、思いがけず感情を揺さぶられ、まだ母が亡くなったことの気持ちの整理がついていないことを思い知ります。 

 

母親に孝行できる方は、孝行してあげて欲しいです。 

 

ただ、母親を亡くした人、、亡くしてふっきれている人もいれば、まだ悲しみから抜け出せていない人まで様々な人がいます。生きていても不仲な人も。 

 

母の日に何をあげるか、、人には聞かない方が良いと思います。 

 

 

 

・母を失くした方は、母の日には白いカーネーションを捧げるということを何処かで聞いたことがあります。 

私も母を亡くして、もう少し生きていてほしかったなと思う。母親と連れ立って出かけている方が正直羨ましいです。 

母の日には白いカーネーションを仏壇に備えようかと思うのですが、そもそも売っていません。 

母は私達に介護などさせずに最後まで気丈に、一人で旅立ってしまった事が唯一の心残りです。 

 

 

・私も早めに母が亡くなりました。 

今いなくても母への感謝は永遠ですしありがとうと思っていても、母の日にはやっぱり悲しくなりますね。 

同い年の友人にはたいていお母さんがまだいる。 

亡くなって十年経っても、今も書いていて涙が出てしまう… 

 

でもそんな自分は、仕事柄世の中のお母さんたちへの感謝を伝える、母の日が1番忙しい仕事をしているという不思議。 

自分のお母さんにプレゼントを贈れない分、世のお母さま方には数え切れないほど、気持ちを届けるお手伝いをしています。 

なんで私はお母さんが早く亡くなる運命だったんだろう…と結局は全く乗り越えてはいないのだけど。 

母の日のお祝いムードが辛いとは一切思わず、ただ自分に母がいないことがふと寂しくなるだけですね。 

 

 

・我が家の娘は、七五三を祝うはずだった日に 

大好きだったママを病気で喪いました。 

小学生の低学年の頃は、母の日は外にも出たがらずでした。 

私が白のカーネーションを供えると、 

普段のカラフルな花と違うのを嫌がりましたね。 

父の日も同じ思いをする子も居ると思います。 

娘は仕事です。 

これから、白のカーネーションと、 

供え用のケーキを買いに行って来ます。 

お母さんの居ないのは貴女貴方だけじゃないよ 

我が家のお姉ちゃんも、ちゃんと成人したよ。 

みんなも、頑張り過ぎず、その日に出来る最大のパフォーマンスで頑張って下さい。 

 

 

・世の中にはお母さんを亡くした方もシングルの方も不仲な方もたくさんいると思うので、こういう思いを抱いてる人も多くいると思う。 

でも、本人がそう思っていればいいんじゃないですかね。何かで発信するということは少なからず共感を求めているからで、それって意味あるのか?と思う。 

 

私も義母にいちいち考えるの面倒だなと思う一方で、感謝を伝えられる貴重な機会だとも思うので、毎年贈っています。 

若者は損得勘定が強いのかメリットがないことはやらないのかもしれないけど。。 

 

こういうことで母の日なんてやめたらいいとか論争になるのって不毛だと思うんですよね。 

世の中の人すべてが同じ意見になることなんてないのだから。 

 

 

・母の日ムードがしんどいと言う心理は、母親が健在する人達にとっては考えもしなかった心理だと思います。 

 

お気持ちは理解出来ますが、母の日に「死んだ母の展」を開催するという発想は、みずから辛い気持ちに向かわせてしまっている側面もあるのではないでしょうか。 

 

世間が決めた母の日は何も特別な日というわけではなく、お亡くなりになった母親に365日感謝する中での一日に過ぎないと考えれば、少しは気持ちが楽になるかも知れません。 

 

 

・「死んだ」という言葉がちょっときついな。 

アートを学んでいる方だから、この企画もアートとして表現しているのかもしれないし、企画の根本的な所が「母の日がつらい」だから、暗澹としたムードになってしまうのか。もう少し優しい気持ちで亡き人を偲んだり、みんなで共感し合えるような企画にできないものなんだろうか。 

私は二十代で母を病気で亡くしてから、母の日は毎年カーネーションとか、自分も食べたいからケーキ買って仏壇に置いてます。職場では案外、母の日の話題って誰もしないですね。みんな人それぞれで、そっとしておくみたいな雰囲気が浸透してて居心地がいいです。 

 

 

・色んな人がいるなと気付かされる一方で、私は父を亡くしているが辛い気持ちにはならない。父の日は、父をあらためて思い出すきっかけをくれる日になっている。 

ちなみに母の日に皆さんそんなに何かをしてもらったりプレゼントを貰ったりしているのかと思うとちょっと寂しい。子ども3人いるんですが、今年もスルー。幼稚園で作ったプレゼントや手紙以降、わが子たちは華麗にスルー。私の方が寂しい母の日かもと思えてきたよ。 

 

 

・母の日が終わると父の日ですね。 

わたしの父は前の週まで元気にゴルフに行ったり庭の芝刈りなどしていたのに、突然倒れ6月2日に亡くなりました。出棺の際に着てもらう新しい下着を病院の近くのデパートに買いに行ったところ、華々しく父の日フェアをやっていました。 

思わず立ち尽くしてしまい涙がこぼれました。 

愛する人を亡くした人は皆、特定の日が来るとこんな気持ちになりますね。10年経つのに「父の日」を見るのが辛いです。 

 

 

・元々母の日って戦禍で敵味方関係なく、病気やケガをしている人々に手を差し伸べ、救っていたお母さんがいて、そのお母さんが亡くなった後に娘さんが、母が成し遂げたことは偉大で素晴らしかった!ってことを伝えたくて白いカーネーションを配ったんだよね。 

そこからみんなそれぞれお母さんに感謝しよう!って流れになって赤いカーネーションを贈るってなったらしいよ。 

だから、母の日は亡くなった母を偲ぶ日で良いんだと思う。 

逆に周りが便乗してるだけだよね。 

 

ハロウィンだって仮装パーティと勘違いしてる人多いけど、収穫祭だからね。 

渋谷の真ん中で収穫祭ってオカシイだろ?って思う。 

 

 

・小学生の頃に、母親を亡くした同級生がいた。 

とても気丈な子で寂しさを微塵も感じさせなかった。 

自分は大人になってから両親を亡くしたけど今思うと、母の日はとても辛かったんだろうな。 

お母さんがご存命の方々は、何かお母さんに感謝の気持ちを伝えてあげてください。 

 

 

 

 
 

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