( 169687 )  2024/05/13 00:56:43  
00

川勝知事発言は「世の中の本音」 “百姓”復権目指す農家の思い

毎日新聞 5/12(日) 14:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/139a4c7683c3ea871c3612315c535acca356cf9a

 

( 169688 )  2024/05/13 00:56:43  
00

白石好孝さんは練馬区にある白石農園代表で、農業体験農園「大泉 風のがっこう」を運営している。

彼は「百姓」という言葉の復権を目指し、農業に対する差別的なイメージを払拭するために努力している。

過去に差別的な発言をした静岡県の元知事について、農業の歴史やプライドを守るための活動を行っている。

辞書の説明も変わることを望み、農業に関する真の意味が記されることを期待している。

(要約)

( 169690 )  2024/05/13 00:56:43  
00

自ら運営する農業体験農園「大泉 風のがっこう」で受講生にアドバイスをする白石農園代表の白石好孝さん=東京都練馬区大泉町1で2024年4月12日午後2時56分、山下貴史撮影 

 

 「百姓」という言葉の復権を目指している農家がいる。東京都練馬区で約350年続く野菜農家で白石農園代表の白石好孝さん(70)だ。ある辞書に載っていた「いなか者をののしっていう語」という意に怒りを覚えた。つい最近も農家をさげすむような発言をした知事がいた。「社会の中にある農業に対する差別的な位置づけを変えたい」。農家としてのプライドを持って、マイナスイメージの払拭(ふっしょく)を続ける。 

 

【「ヤクザも」「コシヒカリしか…」 川勝知事の問題発言】 

 

 「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物をつくったりということと違って、みなさんは頭脳、知性の高い方たちです」。静岡県の川勝平太知事(当時)が4月1日の県新入職員への訓示で述べた言葉だ。 

 

 野菜を生産・販売する白石さんはこの発言について「私たち農業の歴史の根底にはああいうものが流れていて、知事の発言は世の中の本音みたいなものがポロッと出ちゃったのかなと思う」と受け止める。 

 

 白石さんは「辞書の説明が変わらない限り、誰が何を言っても変わらない」とも話す。そして、辞書が「百姓という言葉を差別的な用語だと捉えていることそのものが差別に当たる」と訴える。いつか辞書に「百姓とは、命と環境を慈しみ、生きる者の糧を生み出す仕事」などの意味が記されることを強く望んでいる。 

 

 白石さん自身も、差別的な言動に直面した経験がある。白石さんの著書「都会の百姓です。よろしく」(コモンズ)にはこんな一節がある。 

 

 「親父(おやじ)の作業を手伝っていたとき、タバコを吸いながらキャベツの葉に傘で穴を開けて喜んでいた高校生を注意すると、彼らは『ひゃくしょ~』と言いながら、逃げ去っていったのである。その言葉には、まさしく軽蔑の意味が含まれていた。当時の農業は辱められ、社会からないがしろにされていた」 

 

 畑にいた際に「頑張って勉強しないと、あそこにいる人みたいになっちゃうよ」という子連れの親の声を聞いたこともある。 

 

 白石さんは今もアスパラガスやトマト、ナスなど50~60種類の野菜を作っている。1997年から始めた農業体験農園「大泉 風のがっこう」は盛況で、毎年124組の家族らに対し、プロの農家として栽培のノウハウを伝えている。消費者とコミュニケーションを深めることが百姓復権につながると信じている。【山下貴史】 

 

 

( 169689 )  2024/05/13 00:56:43  
00

・地元静岡の農業を始めた兼業農家の若者が農業の大変さを感じながらも「やりがいはある」と前向きに取り組んでいる姿が紹介されています。

彼の目標は安定した量の野菜を出荷することであり、地元や日本全体に貢献したいとの思いが伝わります。

農業従事者たちには温かく見守られることを望んでいる様子が伺えます。

 

 

・農業や百姓に対する意識や認識について、賛否両論が存在しています。

百姓という言葉の歴史的背景や差別的な側面を指摘する声や、農業や百姓を尊重し支持する声があります。

特に、農業に関わる様々な困難や努力を称賛し、その重要性を理解する声が多く見られます。

 

 

・また、農業には体力だけでなく知識や技術も必要であり、農家や農業従事者たちに対する尊敬や感謝の声が多く寄せられています。

自然と向き合いながら植物を育て、食料を作ることの重要性が強調されています。

さまざまな職業や産業が共存し、互いに尊重し合うことが大切だという意見も見られます。

 

 

・最後に、食糧に対する関心や国内産業の重要性、農業や漁業が支える社会への感謝の気持ちが表現されています。

農業や農家の未来に対する期待やサポートの必要性、第一次産業としての農業の重要性について多角的な意見が寄せられています。

(まとめ)

( 169691 )  2024/05/13 00:56:43  
00

・地元静岡の富士山の麓で2023年から農業を始めた兼業農家の若造ですが思いのほか農業は体に負担もくるし頭も使う大変な仕事ではありますがやりがいはある仕事だと思います。 

将来は青果市場に安定した量の野菜を出荷する事を目標にしていますがこの人のように前向きにひたむきに取り組む事が地元のため日本のために繋がって行く事だと思います。 

ぜひ畑仕事をやっている人を見たら温かい目で見てあげてもらいたいです。 

 

 

・この方の意見に賛成です。 

 

百姓とは、皆が生きていく上で、必須の職業であり、 

食べて生きていく上で、必要不可欠でとても重要な職業です。 

 

今の時代、知的であることが必須みたいな時代ですが、 

知的うんぬんより、生きていく上で食べることは必須であり、 

それを生産している、農家や百姓さんは、一番偉いと私は思います。 

 

おいしい野菜や果物を食べたときには、幸せを感じますしね! 

なりたい職業一番が、農家となるような世の中になると、 

超平和で良い社会かもしれない・・・ 

 

 

・「農業従事者」=「百姓」ではない。歴史的に見れば、江戸時代の「武士」と「百姓」(農村に住む被支配層、城下町に住む被支配層は「町人」と呼ばれた)という身分に分けられたことに発する言葉だ。だから、差別的に用いられてきた歴史がある。だから、辞書の意味もその流れに沿ったもので、歴史的に間違いではない。差別する言葉として使う、その人の心が差別の反映であり、辞書の説明に何ら瑕疵はない。 

それよりも、「城」「武士道」「刀」など武士を持ち上げる風潮の反対側に、「百姓」をないがしろにする意識が私たちの心の奥底に流れているのではないか。自分の先祖は、武士の出だと知ったらホッとする意識そのものが差別なんだということに私たち自身が気がつくべきだ。 

 

 

・作物を育てて収穫するという一見すると単純な作業の仕事に見えますが、実際に経験してみると、栽培開始から収穫し出荷に至るまでは種々様々な作業をこなす必要があります。 

私が聴いた話では「(出荷に至るまでに)多数の作業をこなす仕事だから、百の姓(名)を持つ者という意味で百姓というのだ」との事でした。 

農業に限らず この国の現場作業の人を下に見る風潮が、昨今の建設職人不足などを招いていると感じます。 

 

 

・食べ物を尊ぶ家庭で育ち、親戚にもお米農家がいましたが、百姓という言葉が蔑称だとこの記事を読んで初めて知りました。 

百姓という言葉を使う時も「お百姓さん」と両親は言っていたのもあると思いますが、命を繋ぐ大切なお仕事が軽蔑、軽視されるとは。 

 

自給率が高くない日本、今こそ国内畜産や農家さんを買い支え、見栄えが良くなくても破棄せず流通できるようにしたり、若い人でも新規参入しやすいよう法整備したり、輸入品に頼らない食に強い国になってほしいです。 

 

 

・農業や酪農は体力はもちろんいる職業だと思いますが、同時に知力もとてもいる仕事だと認識しています。 

作物を作るには天候、気候、土壌、肥料、手入れ、、素人なので分かりませんがもっと色んな要素があると思います。 

自然相手なのでうまくいかないことも想定しながら。 

それらを総合的に考えて育て収穫し、それを鮮度のよいまま流通させる。そして自身の生活を成り立たせる、、 

頭を使わないと到底できないと思います。 

サラリーマンの自分とはまた全く違う世界でとても尊敬しています。 

 

 

・まったくもって仰る通り。 

中高の頃、バイトで近所の百姓に技術を教わりながら米や畑の仕事をしました。 

 

いまはサラリーマンとして違う仕事をしていますが、気持ちは百姓だと思っています。 

百姓とういう語が差別用語だと聞いた時にも違和感を感じ、百姓という語をずっと使い続けてきました。 

 

百姓とは命を育む大切な仕事です。 

 

 

・私、実家が農家で自分は他の仕事をしてますけど、農業を良くも悪くも特別な仕事と捉えるのに違和感がありますね。 

他の色んな仕事と同じです。大変さもあるし、やりようによって面白さもあるしやりがいもあるし、楽をしようと思えばできます。大事な仕事であることは間違いありません。 

ただ、それは他のほとんど全ての仕事に共通することだと思いますね。 

 

 

・第一次産業の農業があるからこそ、その上の産業が成り立つのです。こんな簡単な事も理解できない人間、まして知事になる人までもがこの体たらくではこの国の未来はないと思います。野菜やお米、畜産、漁業。。。どれでも1日でも仕事の手伝いでいいからやってご覧なさい。どれだけ大変な仕事か。これら仕事をして日本を支える方々とそこから頂ける食品に感謝しかありません。 

 

 

・わたしは「お百姓さん」という言葉が大好きです。たくさん手をかけて作物を作ってくださっている感じがするからです。 

でも農家の方々がそう呼ばれたくないと思っておられるなら使わない、心の中でだけ「お百姓さん、ありがとう」と思うことにしようと考えていました、 

とても感動した記事でした。天候が不安定でもいろんな原価が上がっても日々お仕事してくださって感謝します。 

 

 

 

・夫の父は酪農家でした。夫が定年になったら、一緒に牛を飼おうと約束していましたが定年直前に亡くなってしまい、その約束は叶いませんでした。未だに残念で悲しいです。 

農業は暗く汚く貧しいと位置付けられて来ましたが、実際は違います。他人がなんと言おうと、私は素晴らしいと思います。生き物は動物でも野菜でも草花でも人を癒してくれます。 

たくさんの人が会社員などをしながら、空いている畑や土地で兼業農家になれば、日本の食糧事情も変わってくると思います。そういう未来を期待しています。 

 

 

・もう随分前に亡くなられた農家の高齢の男性から聞いた話です。「百姓と言うのは作物を育てる人が多くいるというが本来の意味だが、百種の作物を育てることができる人という意味もあると自分は思っている。農業は経済活動で利益を追求する職業のことで、現実的には農業でないと暮らしてはいけないが、常に百姓でありたいと思っている。」というようなことを言われました。ここで紹介のあった白石さんと同じように自分の人生にプライドをもった方の話しで、感銘したことを思い出しました。 

 

 

・今までは、外国産の農作物が大量に取れたりして圧迫されていたけども、今は海外の農作物がどんどん取れなくなってきている。 

そりゃ地下水を無尽蔵に使えばそうなるよねと。今後、食糧という資源が見直されて世界のキーになりそうだよね。 

日本も米余りとか言われてるけど、後10年ほどで大半の米農家引退で米不足が現実に起こるかもね。 

 

 

・今では百姓を農業従事者に限定して使用するが、田舎の方では明治までは林業も漁業も百姓のくくりだった。そもそも、農業だけをする人(専業農家)はいなかった。時期をずらして様々な仕事をちょこちょことやって生活していた。 

百の姓(ひゃくのかばね=たくさんのしごと)をする人のことで、自然に逆らわず、自然を使用してリスクを分散させる賢い働き方でもあった。 

 

百姓という名称を復権するのなら、農業だけではなく、一年間季節ごとに様々な仕事を取り入れた働き方を示すのが理想で、本来の姿だと思う。 

 

 

・戦後、都会の『知識階級』が食糧難に困って蔑んでいた『百姓』に土下座して食べ物を分けて貰ってたじゃん。自分の体験でなくても、歴史を少しでも知ってりゃ常識。それを知らなくて『知識階級』気取るなんて笑っちゃう。そういうこと忘れちゃうんだろうな。今、歴史的な円安で調達に買い負けて食品の高騰が起きているけど、そのうち食糧難にだってなるかもしれない。世界で一番美味しくて安心して食べられる食糧を生産してくれる日本の農家さん漁師さんに感謝と尊敬の気持ちしかない。 

 

 

・今の時代、名門大学を出て名のある会社に就職しても、キラキラの肩書を捨てて農家になる人もいる。周りにも代々受け継いでいる養豚業の商品のフロント・バックエンドを戦略的に構築して、誰も敵わない大金を稼いでいる人もいる。商品がブランド化されて味もいいのでお客はもちろんリピーターになり、お中元・お歳暮でもらった人達もまたその商品を欲しがる。俺はあんなに人に感謝される業種を見た事がない。俺は人によっては全く必要のないものを無理やり必要に思わせて買わせる仕事だが、農業のように人の命に直接関わるものじゃない。そういう意味では巷にいう「ホワイトカラー」の仕事とどっちが尊い仕事なんだろうか?誰のお陰で今日のご飯を食べられる? 

 

 

・昨年、何の知識もなく思いつきでプランター栽培をしました。ただ、家の近くの畑の土と少しの肥料を混ぜて作った土で。毎朝適当に水やりをして適当に肥料を与えて。硬いナスにゲジゲジの食べれないオクラができました。今年は本を購入し勉強しながら土を作ってみました。昔祖父が野菜を作っているのを見て、畑で種を蒔いて水をあげれば野菜ができると思っていたのですが、野菜によってはタネを撒く時期、水の量、土や肥料を変えるなど本当に難しくて野菜を作るってすごい事がわかりました。百姓の差別がなくなる様私も応援しています。 

 

 

・種まけば収穫できるほど簡単ではないはず。売物になるまでに育てる技術は相当なものだろう。それは物を作る職人さんと通ずるところがあると思う。 実家が専業農家のためか「百姓」という言葉が侮蔑的に聞こえ今でも嫌いである。 一方で「世の中の本音」にしてしまった要因は自らにもあると思う。昭和時代、農業を継ぐ子は学業より農作業を優先させ中学(良くて高校)卒業で従事する事が多かった。 知識は無くても体力さえ有れば良いと言う観念が長い間あったために物を言うこともできず、世の中の変化についていけなかった気がする。 結果として現在の後継者不足につながっていると思う。 深刻な後継者不足は国の問題もあるが、このような風土も影響しているのではないだろうか。 

 

 

・自分も農業高校に通ってたけど、農業や酪農をされてる方々だって最適な農法を見極めたり、牛にストレスを与えないよう工夫をしながら育てたり、体力的にも知能的にも大変な仕事です。 

川勝知事も辞職後はもう少し、第一次産業に関心を持たれた方がよいと思います。日本国民皆さんの生活の基盤を作ってくださる産業ですからね。 

これは農業に限らず、漁業もそうですし物作りをされている方々もそうですし、本当にこうして目の前にいろんなものが揃っていることに感謝ですね 

 

 

・私の実家は兼業農家で、私も次男だったので年に数回(田植えの日と稲刈りの日)は手伝いに行っていたのだが、お見合いで「誰が農業なんかするもんか」って断られたことがある。笑い話なんですけどね^^ 

今の農業って、特に稲作はほとんど機械でできるし、半世紀前とは全く違う。「レクサスより高い機械乗ってるんだぜ」っていうのもいいネタだし。 

私はお手伝いだが、本当に食料を作って提供してくれている人たちには感謝しかない。 

体力的には専業でやる自信はないけど、本業をおいたら、家庭菜園に精を出そうと決めている。 

 

 

 

・農業のような第一次産業から工業などの第二次産業、そしてサービス業の第三次産業へと産業構造へと変化していくのが、産業の高度化であると学校の教科書には書いてあります。ここがすでに間違ってますよね。 

農業は頭も身体も使います。機械化で多少はラクになったかもしれませんが、どんな作物をどのくらい植えて収穫するかは、経営的視点が必要だと思います。 

 

 

・祖父は若い頃に遠い島から神戸へ出て弁護士の家で書生をしていたそうです。  

私と違い勉強が好きなのに遊びほうけ連れ戻されて農業に従事し結婚、母が誕生し、母は十代で島を出て働き、島にルーツがある神戸出身の父とお見合いで結婚し私が誕生しました。  

祖父からの宅配便には野菜も入っていましたが、当時は野菜が好きではなくあまり食べた記憶がありません。  

祖父の残した家は叔父が継ぎ、庭には無農薬の島特有の大きなみかんの木があり祖父が植えたその木のみかんはとても美味しいのです。  

収穫できた年は叔父が送ってくれます。  

祖父は本を読むことも花も好きで、研究熱心だったのでしょう。 近所の人がよく褒めてくれていたようです。  

近年は昔とは違い、お店で販売されている野菜で不味いのは当たったことがありません。  

農業従事者は美味しい物を食卓に届ける為にかなり研究されていると思いますので、有り難く頂きたいですね。 

 

 

・田舎だから農家の大変さは知っている。 

みんなが食べている米、野菜など農家さんが作っている。 

作り出すまでの時間は大変だ。天候に左右されて、毎日作業している。 

猛暑でも、田んぼに朝早くから作業しているのをみて、いつもありがたさが身にしみる。 

一時期、コメ不足で騒がれた時期、都会のあまり連絡してこない人が家に電話をかけてコメを催促してきた。 

食料は人間にとって、一生必要なもの。 

それを作っているのが農家さん。 

有り難みがわからない人間にはならないよう、子供たちには育っていってほしい。 

人間は一人では生きていけない。 

それに有名大学卒業の農家さん結構いますよ。 

 

 

・漁師の小倅ながら、東京と海外勤務サラリーマン生活45年してます。 

この歳になるとサラリーマンは自ら考え工夫しなくても続け一定の収入は得られますが、農業漁業は頭を使い工夫をし続けてないと生活できる収入は得られないと思うようになりました。 

特に農業は工夫の連続だと思います。 

サラリーマンは居なくなっても人はそれほど困りませんが、農家の方がいないと食べる物に困ります。 

 

 

・広大な土地を所有しいまの農家の方の収入はおそらくサラリーマンの管理職の上の方位はあるでしょう。やり方しだいでは経費で落とせる物もあり何をもって『劣っている』と言うのはわかりません。自然相手に難しい事も多く知識も技術も必要な仕事、誇って良いと思います。 

 

 

・手に職を持つ、技術的な面も含めて様々な物がありますが、農業関係ほど難しいものはないと思っています。 

自然を相手に農作物を育て収穫までの過程は、長年と知識と経験がなければできません。消費者として、敬意を評します! 

 

 

・私も農家の生まれです。戦争が終わった途端にこの世に命を授けられた一人です。当時の話を両親に聞くと、お金があれば米を買って食べればよかったけど 

売って貰えない人たちもいたようです。現在は百姓という人も少なくなったと思いますが、いい言葉ではないですね。私は七人兄弟で、四番目の兄が家を継ぎうまい米を作るのにどうしたらよいかと夜中まで一生懸命勉強していたことを思い出しました。上の兄たちは長男は戦死、次男三男は家を出てサラリーマンをしていました。四男はコメ作りをやってはいましたが、現金収入はなかったようです。お袋が野菜を作ったりして町へ販売をしに行っている手伝いを自分も手伝っていたことを思い出しました。でも、貧乏だった記憶は全くありませんでしたねえ。一番大切なことは人への思いやりが歩かないかと思います。 

 

 

・父方の実家は林業兼農家でした 

最後は林業辞めて農家1本ですが大変ですよ 

ハッキリ言って農家だけではなかなか食べていけないです 

皆本職の仕事にパート2件かけ持ちしてます(1個は冬場のみの仕事スキー場送り迎えとか) 

昨今は熱中症もあるので、朝6時に畑仕事なんかしたら倒れるし…… 

暑さで、野菜の形悪くなってきていて引き取ってなかなか貰えないのですがただ今皆さんが食べてるようなきちんとした形のお野菜が届けられるか 

めちゃくちゃ曲がってて、挙句に見たことがない形状とかが店頭に並ぶ日が来るかも知れません 

それだけ今農家は皆さんの食卓に出せるお野菜作るって大変ですよ 

 

 

・ルソー的視点から人間らしさを考えると、「自由」というのが人間が人間に依存する状態からの脱却としていて、それを事物に転化していくことが「自由」の獲得に大切だという。都会に生活する人は他人の「機嫌」に依存することが多く、「人間関係」への悩みは尽きない。他人の機嫌などという計り知れないものの上に自分の人生の礎を気付くことは危険である。農業に従事する人っていうのはそういう意味では自由の先端を行っていると思う。ただしそれは厳しい自然の原理に拘束されており、決して勝手気ままな自由ではない、本当の意味での自由に近いのだと思う。だからこそ、そこに生活する人は何かうまくいかないことを他人のせいにはせず自分自身と向き合い、子どもも立派に成長もするのだと思う。 

 

 

・知事の発言のように、農業を軽視されている風潮がある、今農家は、肥料の高騰、資材の高騰に悲鳴を上げているにもかかわらず、世論も政府も何ら対策をしようと思わない、どの業界も同じだといえばそうなのだが、農業は国の根幹をなすものである。 

 

 

 

・うちの亡くなった祖父は、幼い僕が父の帰省に付いて宿泊した翌早朝、 

ひとり黙々と縁側で長足袋に足を通していた。 

「じいちゃん、お早うございます。なにしてるの?」 

「台風来るらしいから田んぼの水抜いてくらあ。まだ寝てな」 

 

当日の気候を読み、己のなすべき行動を想像し、作物がどうなるか予想し、 

そしてどんな辛い作業も必要とあらば断固実行する。 

 

百姓は国のもといだ。 

僕の祖父を、我が祖先代々の家業を、馬鹿にするな。 

 

 

・百姓という言葉に差別的な意味を感じたことがなかったから、辞書の説明や知事の言葉に驚いた。農家の人々がいなければ生活はできないし、頭が良くなければ農業や酪農などで生計を立てていくのは難しい時代だと思う。辞書ももっと良い説明をつけて、上に立つ人々が色々イメージアップさせて欲しい。 

 

 

・いちごの食べ放題に行きました。いちご農家の方を話をしたときに、こんなにたくさんに美味しいいちごを食べ放題にしちゃってお金になるのかという話をしました。そうしたら農家の方はそれも含めて技術を持っていると言ってました。小さい苗から多量のいちごが収穫できるように育てる技術、食べ放題してもらっても困らない量を生産する技術があるそうです。簡単にマネできるものではない。 

 

 

・舟を編むですね。言葉への敬意。その言葉が表す事への敬意だと思います。 

 

時の流れと共にその昔差別されていた者や事が実は大事で助けられていてそれをしっかりと知るということがとても大切 

 

農家や漁師さん畜産農家の方々を下などにみるものかと言いたいです。 

 

いろんな地域に出かけてその土地の方と話しいろんな物を教えてもらってそれが嬉しくて好きで仕方がないです。すべて国産の物。大事に使い大事に食べてそれを作ってくださっている方々を下にみたりするものかと言いたい。 

 

日本は第一次産業がすごく大切だとずっと思っています。 

 

 

・プロの農家が持続すること。それは意味があると思う。 

思いのある農家が強い覚悟と意思を持って変化し挑戦すること。現状維持から脱却し自ら変化をし続けるのであれば農家全体がイキイキワクワクしてくると思う。 

高齢化の進む農家の中で、プロの農家が全体を包み込む力が育てば可能であると信じている。 

 

 

・暖衣飽食の時代で、戦後間も無くの食糧不足を実体験として覚えている方も多くはこの世を去りましたが、当時は金を持っていても貨幣に価値がなく、着物や掛け軸などを持って農家へ出向き、金持ちが農家に頭を下げて農作物と交換する…そんな時代がありました。 

戦争や大災害、ハイパーインフレ…今後なんらかの要因で同じ様な状況にならないとは言い切れません。アンパンマンの歌にもありますが、誰しもモノを食べないと死んでしまいます。いま農家や農業を下に見ている人たちは、そんな状況になったらどうするんでしょうね。米不足の時の様に、文句だけは一丁前に言うんでしょうけど、文句を言っても今日食べるご飯は出て来ないでしょうね。 

 

 

・> 「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物をつくったりということと違って、みなさんは頭脳、知性の高い方たちです」 

 

こんな事を平気でいう人間の方が、よほど頭脳や知性に問題がある人間です。 

だからこそ知事を辞めさせられたのです。 

農業や酪農をやっている方々は知恵や経験、そして並々ならぬ体力や努力を備えた尊敬すべき方たちだと思っています。 

そういう方たちのお陰で、私たちは日々美味しいものを食べられているので、心から感謝しています。 

世の中が様々な仕事を一生懸命やっている人たちで成り立っていることが理解できない人間ほど、愚かな存在はないと思います。 

農家の方々にはこれからもプライドを持って仕事をしていただきたいです。 

 

 

・私が小さい頃、祖父が職業を聞かれた際「百姓です」って堂々と言ってたのがすごく印象に残っていて、百姓という言葉は農家の二つ名みたいですごくかっこいい!と思っていました。 

 

今回初めて侮蔑の言葉として意味があることを知りショックですが、大半の方は農家やお百姓さんのことを下に見ていることはないと思いますし、私の周りにもそういう方はいないので本当にごく一部の形だけがそういう目でみているということは勉強になる記事でした。 

 

 

・農業は、知識も経験も頭脳も身体も使う職業です。毎日自然に向き合い、気温や天候や植物の状態に気を配りながら美味しい食材を沢山届けてくれています。 

少しでも植物を育てた事がある人なら、どれだけ難しくて頭を使うか分かると思います。 

こう言っちゃなんだが、他の職業を馬鹿にするような無知で無教養な人にはとても出来ない仕事ですよ。 

農業関係者の皆様、いつも尊敬しています。 

 

 

・戦後の食糧難の時、百姓の家に買出しに行ってたときは百姓は強かった、その時、その時の社会状況によって立つ位置が上下します、売ってください、買ってやる、買ってください売ってやる、それぞれの立場はその時その時で違います、食料は生きる上で必要不可欠です、食に関わる業は無くならないでしょう、もっと社会的評価は上がってしかるべきでしょう 

 

 

 

・百姓、農家を下に見てる人には想像力が無いのだと思う。 

金さえ稼げればどうにでもなると考えているのだろうけど、それは現社会が今まで通り続く場合に限るわけです。金と食料の価値関係が大きく変わらない環境に限るのです。 

人間、食べないで生きていけるわけではないのだから、供給される農作物が減れば最終的には天井知らずで値上がりするのですよ。数割で済む話ではないのです。 

農家だって食卓を支えている自負はある。いざというときに限られた量の作物を誰に届けるかとなれば自分の仕事を評価してくれる人に届けるよ。 

金払えば何でも解決すると考えているような人達には絶対に渡したくない。そういうところに渡さなくても欲しい人がたくさんいれば生活できるだけ稼げる。見下す人にしっぽ振る理由は皆無。 

 

今の社会のままでいられなくなった時、それを想像したら命の糧の生産に携わる人を見下すことなんて絶対にできないはずなんだけどね。 

 

 

・自分は地方の人間なのでいろいろ感じるときもありましたね 親が土にまみれて働きながら育ててくれたので都会の人と話をすると考え方の違いに戸惑うことも多々ありました 農業にかかわらず体を使う仕事をしている人は下に見られてしまうのかもしれませんよね 何処ぞの知事のように偉くなって自分がおかしな事言ってももはや何がおかしいのかもわからなくなって更にはそれを新入社員に諭してしまう…なんかほんとにおかしいですよね 自分はどんな植物も枯らしてしまう人間なので一つ一つ育て方の違う野菜をたわわに実らす事に本当にすごいなぁと思います 物価高やら資源の枯渇やらでこの先いろいろと形を変えながら農業が復権する日が来ると思います 

 

 

・誰にでも出来ると思われがちだけど、作る人によって、本当に味が違う。 

ましてや今の日本は食料自給率も低くて、円安。燃料費高騰やインボイス制度の影響もあって、廃業を検討する人もいる状況。 

国内の農家さんには感謝しかない。農林水産全てに感謝。 

 

 

・私が大学時代から懇意にしている友人が50代前半で大手証券会社を早期退職して実家に戻り農業をしています。証券会社ではシステム系の部署の部長職でしたからそれなりに優秀だったのではないでしょうか?また農業の発展の為の活動も法人を立ち上げて仲間と一緒にやっており忙しそうにしておりますね。彼曰く今の農業は様々な知識が無いとできず日々勉強だとのこと。古くからの「百性」のイメージとはかなり違うと私は感じました。 

 

 

・母の実家は農家だが、プライドも技術も殆ど無いらしい。確かに一度として「この作物をもっと美味しく、量産して~」みたいな言葉を聞かなかった。そして自らを「BINBOU」、捨て台詞みたいに「100show」と言う。でも私は日本の農家はすごいクリエイターかアーティストと思ってる。お百姓さんとは、百も千も生命を育て支えてくれる仕事をする人たち、と教わったし。実際、とんでもなく甘いブドウや艶々の葉を持つ小松菜などは芸術品。 

 

 

・私は福島県で桃農家営んでます。 

まぁ桃食べなくても生きていけますが、昔教わった衣食住が生きてく上で絶対に必要な物と教わりましたし、絶対に必要な物。 

それなのに、川勝のふざけた発言やテレビなどでも野菜が高騰してるだの、農家からしたら、呆れてものが言えません。 

色々な職業があって、みんなが頑張ってるのわかりますが、農家のこと下に見てる人は、自分で野菜や米、鳥豚育ててみて欲しいです。 

育てればわかりますよ。 

売っている物がいかに安いかが。 

 

 

・百姓を差別する人もいるかもしれないけど、百姓を尊敬している人もいるかもしれない。一部分を切り取って報道すると、さも大半の考え、意見のように伝わるが、世の中には、多い少ないは別として、いろんな考えがあるんですよ。川勝さんのような考えもあるけど、いいじゃないですか。自分に誇りを持って生きることです。 

 

 

・あのね、世の中には働ける身体や頭があるのに働かないろくでもないやつがわんさかいて、親のすねかじりで生きているやつや、ひどいのになると、夜中中スマホ見ていて起きられなくて会社休むやつなどいるんだよねえほんとに。 

だって、不登校の原因の一つに夜中のスマホで起きられないから学校行かないなどという信じられない理由が現実にある。 

農家の人たちは朝4時ごろから起きて仕事に出る、常に自分たちの作る農作物を消費者に美味しく食べてもらいたいと努力を続けている。 

うちのじいさんの代まで農家だったからその姿はよく覚えている。 

「復権」なんて言葉使わず堂々とお仕事してくださいよ。 

庭の隅に「肥溜め」があった時代から農家の苦労はよく分かってますから。 

それとね、農家の嫁さんも大変だった。私のばあちゃんはお腹が痛いのに仕事に出て、倒れて「虫垂炎(盲腸)」が破れ腹膜炎で死にそうになったぐらい忙しかったんだ。 

 

 

・私は兼業ですが農家として四年生です。 

会社もリタイアする歳に近づいて、連れ合いの実家に稲作を止めた田んぼがいくつか有りそこを土壌改良しつつ農業を初めました。 

ゆくゆくは年金と農業で生活を成り立たせられるよう日々試行錯誤しています。 

 

たくさんの方がコメントされていますが農業(百姓)は何も考えずにこなせる職業ではないです。 

会社勤め(サラリーマン)の方が知識を必要としない職業かも知れない。毎日同じ時間に出社して、毎日同じことをテンプレートに乗っかったかのように繰り返している。決してサラリーマンをバカにしてる訳じゃなく、農業(百姓)はむちゃくちゃ大変。体力も知識も必要だし、1年・365日休みなしな感じ。 

 

それでも、消費者から感謝されることで疲れなんか吹っ飛ぶ。 

 

詐欺まがいなこと(日本の政治家たち)で生計を立てるより、はるかに誇りを持てる職業だ……とも思う。 

 

 

・農民作家の山下惣一氏(2022年に86歳で死去)の著書によれば、「百姓」という言葉は、基本的には公には使わない、使えない言葉との事ですが(農家や農業者と言い換える)、一つだけ例外があり、「農家が自分を『百姓』と自称する分には構わない」そうです。 

だから、農家や元農家が書く/描く「百姓」とタイトルが付く本や「百姓」が付くグループは幾つもあります。 

前述の山下惣一氏や宇根豊氏、星寛治氏、大野和興氏、やや若い所で、荒川弘さんのマンガ「百姓貴族」。 

といっても、荒川さんでも私(1973年生)と同世代ですから、高齢者に偏っていると言われたらその通りですが…。 

愛媛県の農家の息子より(本業は勤め人休みの日は大半、農作業に行く)。もちろん、「百姓仕事」に蔑みなどありません。 

ただし、兄と共に「勤め人並み」の収入が無理なのは分かってますから、継げませんが。 

 

 

 

・野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物をつくったりということと違って、みなさんは頭脳、知性の高い方たちです 

 

でも総務省の役人たちは県庁の役人たちに知性があるとは思ってないんじゃないかな。 

そして総務省の役人たちはより知性に劣る政治家にいいように使われるし、政治家たちは知性の欠片もない大衆の支持を得る必要がある。 

そもそも、良い人生のためには知性よりも、勇敢さとか忍耐力とか人柄や、何と言っても幸運に恵まれることの方がずっと重要。 

 

 

・確かに辞書によっては今だにお百姓さんの意味をその様に記述する物がある。そもそもそんな意味は無いのにあえて載せているのである。 

また何処かの元三流知事の様に公の場で自らの人間性の悪さを露出させ発言については反省もしないダメ人間もいた。 

しかしこれらは多くの良識ある国民からすればマイノリティであり、お百姓さんには感謝しながら作物を頂いている。悪書や悪人を壊滅させる事は残念ながら不可能、ただ多くは感謝し頂いているので、気にせずに美味しい作物を作り続けてください。 

 

 

・士農工商。 

江戸時代、百姓は、武士の次に身分が高い、と、言われていました。 

(現在は、公家、上級武士以外は、下級武士も含め、「庶民」と 

考えられているようなので、「士農工商」は無かった、とも言われますが。) 

 

人間が生きていく上で一番大事な物は「食事」です。 

江戸時代までは、仏教の影響で、肉食は禁じられており、 

農家の役割はとても大きかったのです。 

(実際には、隠れて、猪や鹿を食べていたようですが。) 

 

農家がいなくなったら、作物を作る人がいなくなり、餓死者続出です。 

(研究が進んで、田んぼや畑無しでも、食料を生産する技術も 

開発が進んでいる、とは言われていますが) 

 

川勝元知事の発言は「世の中の本音」かもしれませんが、 

農家の大切さ、必要性は、差別されてはいけない物です。 

 

 

・百姓という言葉をネガティブな表現で使う人がいることは何となく知っていましたが、辞書でもそんな風に書かれていることは知らなかったので驚愕です。 

子どもの頃にお手伝いで米研ぎをよくしていたのですが、上手にできなくてシンク内に数粒飛び散ってしまった米粒をそのまま排水口に流そうとすると「あんたにとっちゃただの数粒でもお百姓さんが一粒一粒大切に育てたものなんだよ。だから無駄にしちゃいけないよ」と親に何度も教えられました。きっと親もそうやって言われてきたんでしょうね。 

安心安全で美味しい食材がいつでも手に入るのは農業や物流や他にもたくさんの人の力があってのことです。そのことを忘れるばかりか蔑むような人は食材を買う資格ないと思います。自給自足で暮らしてみたらいいんじゃないでしょうか。 

 

 

・百姓と言われて思い出したのは、母方の祖母がよく言っていた「お百姓さん」という言葉です 

「お百姓さんが汗水垂らして丹精込めて育てた野菜やお米だから好き嫌い言わないで感謝して食べなさい」と良く諭されました 

由来は別として「いただきます、ごちそうさまでした」は食べ物(食材)を作ってくれた生産者や調理してくれた人への感謝の言葉なんだよと説明されました 

 

 

・私の実家も農家です。兼業農家ですが、昔からの百姓です。私は実家が農家であることを恥ずかしいと思ったことは一度もなく、何代にもわたって土地を守り地域に根ざして生きてきた父母やご先祖様含めてむしろ誇りに思っています。でも、都会の人は往々にして実家が農家であるというと、チョット下に見るような傾向があるように思います。 

ご近所の奥さんはことあるごとに、田舎の人はお金に細かくてケチだ、というような意味のことを言われます。聞き流していたけれど、とうとう「私も田舎育ちで実家は農家ですが。私もお金に細かいですか?」と言ってしまいました。「あら、そう。でも一般的に田舎の人はケチケチしてるでしょう」と言われた。自分で言うのもなんだが、私はどっちかというと浪費の方だし、田舎の友人達も皆お金に鷹揚です。都会育ちの友人の方が細かしくて驚くことが多いです。大体田舎では自分の土地が有り持ち家率高く余裕ある家が多いです。 

 

 

・元々百姓とは、百の姓(かばね)という意味。様々な職業の公民の総称であるが、近世に身分が固定されると農民の意味としてのみ使われるようになった。 

古代には十七条憲法で百姓をおおみたから=大御宝と読んでいたらしい。 

為政者の徳が失われ、農民の扱いが悪くなった為に百姓の意味も貶められた事だと思う。食を粗末にする国の未来は無い。政治家の見識も問われるところ。 

 

 

・米という字は八十八と書く、それは米を収穫するまでに八十八の手間がかかるからという説がある 

 

それほど大変な仕事だという事です 

 

しかもどんな作物も一度失敗したらやり直しは出来ず、次のチャンスは一年後しかやって来ない 

つまり50年百姓をやっていても50回しかチャンスは無いという事です 

 

農業にしろ漁業にしろ畜産にしろ自然相手の仕事というのはそれくらいスケールが大きく難しい仕事なのです 

 

 

・食料自給率が低い日本で、世界情勢の危機が起こって、もし食料輸入が滞ったら、国民は国産の農作物に頼らざるを得なくなります。 

その時、初めて農家の存在の有り難さを痛感するでしょう。 

食料自給は国の存続に関わる大切なことなのです。 

 

 

・農業振興の為には生産性の向上が大切。その近道は大規模化、集約化、企業化が大切だ。 

日本は戦後、小規模農家の保護に力を入れ過ぎ、農協などが集票マシン化して農業政策が硬直化したのが現在の停滞の理由だと思う。大胆な政策転換で農業の生産性を上げ、食料自給率を上げないと。 

漁業も同じだ。 

 

 

 

・苦手な物を除き、食べ物を食べる時は生産者への感謝を絶対に忘れないようにしてるし、ご飯粒一つ残さないように食べることを心掛けてる。親の教えだけじゃなく百姓の血が流れているのも理由かも。 

一次産業に従事される方がいなければ大半の人間は生きていけない、という自覚は持つべきかと思います。 

 

 

・趣味で農作物を育てています。その程度で分かったようなことを言うのも烏滸がましいですが、、野菜を安定的に育てることが、いかに難しいかをもっと消費者が知って感謝すべきだと思います。体力が必要なのはもちろん、気候に合わせて作物の様子を見ながら肥料を調節したり、芽かきや、剪定、土寄せ、害虫対策、、細々とした作業を毎日続けないと、売れるような野菜など作れないのに。 

防虫ネットの掛け方や、ツル用のネットの立て方からして、素人とプロは雲泥の差です。プロの方の畑はとても美しいです。 

農業に携わる方を馬鹿にしている人は、自分の無知を恥ずかしいと思って欲しいです。 

 

 

・実家が農家ですが、地域の町中の商店街の人たちの中には「百姓屋」と呼ぶ方がいらっしゃいました。江戸時代、街の人たちは商人だったり、城の近くの家の人たちは役職があり、城から遠くに住んでいる百姓の人たちを下に見る傾向があったことがまだ残ってるのかなと思っていました。 

農家の方を大切にしないと、食料自給率どんどん落ちてしまいますよね! 

 

 

・当時、前静岡県知事の「訓示」に対し、多くの国民は農業を侮蔑していると大批判をしていた。確かに言語同断な発言と私も思う。 

 でも何となく私は、多くのこの批判に対して複雑な思いがあります。 

 我々は「農業等(第一次産業)」に対して本当に尊敬の念を持っているのだろうかと。もし御子息が大学に行くのをやめて「農業や酪農家」になりたいと言ったらもろ手を挙げて、喜びますか?多分しないでしょう。 

一種のNIMBY的な思いが、みんなの心の底にあると思います。 

農業は社会にとってなくてはならない職業だ。だが自分の息子にはなってほしくない。と。 

 本当に批判されなければならないのは、そこにあるのではないでしょうか? 

 

 

・大変だしノウハウが無ければできない職業だとは思うけど、いかんせん労力に比して収入が少なすぎるんだよね。 

しかも鳥インフルとか疫病が発生して打撃を受ければ、農機具の借金が嵩んで借金地獄に陥るリスクもある。 

もしも年収1億の農家があれば、誰もが憧れる職業になるでしょう。 

 

 

・辞書にそんな説明が載っていることに驚きました…素直に悲しい。 

私の父は勤務していた仕事の後に、田んぼや畑の手入れをしていました。働き者のイメージです。年中、計画的に進めないといけないし、野菜の性質や注意点など理解できていないとできないことだと思います。もちろん根性も半端ないと思います。 

私たちの食はお百姓さんに支えられています。 

 

 

・農業は人が生きる基本の食を担う最も重要な仕事だと思います。天気などコントロールできない事も多く、出荷まで気の抜けない大変な仕事だと思います。尊敬して、感謝して農作物をいただいています。 

 

 

・昔から「士農工商」と言います。 

武士のいない現代では、本来農民が一番身分の高い扱いとなります。 

まぁ、現実は違いますが。 

忘れては行けないのは、世界一の金持ちも、世界で一番権力を持つ者も、食事無しでは生きられない。 

トドのつまり、食べ物を作る者が居なければ成り立たない人間社会において、一次産業に携わる者、取り分け百姓の方々が一番権力を有している事になります。 

飢饉になれば間違いなく今の立場は逆転し、馬鹿にしてる農家の方々に頭が上がらなくなるでしょう。 

 

 

・今はご飯を食べる時に『一粒のお米も残したらいかん。お百姓さんが一生懸命に作ってくれたお米なんだ』と言う親や祖父母がいないのか? 

私達は昭和30年代の生まれだが小さい頃からよく両親や祖父母に、学校でもそう言われた。今でもお百姓さんに感謝の気持ちは強いです。 

 

 

・白石さんの言葉を見て国語辞典には確かに「田舎者~」と書いて有りましたが漢和辞典には「農業者」と記入してました。50年前の辞典では、差別用語は多かったのかもしれないですね!お百姓さんと昔は呼んでたかな?お百姓さんが居ないと米も野菜も食べれない事の理解がなかったのでしょうね!魚でも有り得る事ですね!魚の名前も解らず、切身が泳いでると思ってた人も居ましたよ!年々、辞典の言葉は現代に見合う様に見直され、無くなったり増えたりしてると思います。 

 

 

 

・応援したいですね。 

 

農業があってこその、日々の「食」だと思いますし、 

農業を営んでいる方の姿が見え、その人の価値観が分かることは、 

食へ、農業への尊敬を持つために本当に必要だと思います。 

世間の人との対話をつづけていただきたいと思います。 

 

食料の一定範囲を輸入に頼ったとしても、 

生産者が見えなくていいということにはならない。 

 

 

・地方ですが、産直に出している農家は大多数が高齢者。 

この方達が作れなくなれば、産地直売ではなく、全国流通の野菜を売るようになりスーパーと大差なくなる日がそう遠くないと感じます。 

幸い、家庭菜園をやる術と畑がありますので、やれる範囲でですが家庭菜園をやってます。 

地方は近郊に畑があるんですから、1家庭1家庭菜園をやるべきだと思います。 

採りたては格別ですし、物価高対策にもなりますよ。 

小ネギやニラなんて根元残して切れば再生し続けてエンドレスで食べられます。 

サツマイモは約5ヶ月放っておくだけで大量に収穫できます。 

仕事があるから、育児があるから、疲れてるから、大人は出来ない理由をすぐ口にします。出来ない理由を言うのではなくて、やれる為にはどうするか、そう考えた方が身を助けますよ。 

 

 

・「命と環境を慈しみ、生きる者の糧を生み出す仕事」は、地球上で、最も尊くて大切な営みである。 

その事に誠実に正直に取り組み、 

そこに産まれた知恵を喜んで共有し合う世の中になれば、 

この世の争い、戦争はなくなる。 

と、思う。 

だから、私は、 

たとえ目立たなくても、威張らなくても、 

そういう人を信頼するし、尊敬する。 

 

 

・家庭菜園とか少しでも植物を育てることをした方から見れば、農家さんのすごさがわかっているのではないだろうか。 

かく言う自分もアケビで失敗し、巨峰で悩み、山椒で挫折し、そして今メロンとスイカに挑戦している農家さんを尊敬しているひとりです。 

がんばれ、農家さん。 

 

 

・世の中の本音が何処から来ているのか考えると、百姓に虐げられる貧乏百姓のイメージがあるのは、日本の歴史教科書が原因ではないか。義務教育でそこ以外で農業従事者に接する場面は少ない。知らないからこそ偏見へと繋がる。川勝元知事は園芸の趣味などやったこともないのだろう。農業の地位を上げるには、義務教育で年間通じて園芸をやらせて、国民が総じて食糧自給できるように準備しておくのは、どうだろうか。 

 

 

・子供の頃から疲れた後に食べるおにぎりのおいしさはそりゃあもう格別だと思っています。好きな具は複数ありますが疲労度が強い時ほど「塩おにぎり」が食べたくなります。 

 

今日も農業に従事している方々に感謝、感謝です。 

 

 

・勉強が出来ないとなれない仕事もある。 

農業にかかわらず中卒でなれる仕事もある。 

いづれにしてもなくても良い職業って無いと思うのでそれぞれが自分の仕事に誇りと自信をもってやっていけたら良いと思います。 

 

 

・農家だけが偉いとかではなく、どの仕事も立派。その中で言及するならば人間が生きていく上で生活に絶対欠かせない衣食住。これに携わる方はもっともっと救われてもいいと思います。 

訳の分からんユーチューバーだのTikTokだの生活に必要のないのにお金が入るシステムなどは意味不明。根絶してもいいと思いますよ。 

生きる為に必要な職業に就いてる人ほどもっと手を差し伸べて欲しい世の中であって欲しい。 

 

 

・農業は大切な産業です。 

 

が、農家のかたのなかにはケチで閉鎖的なかたが多いのも事実です。 

最近では、いろいろと新しい取り組みをされている農業従事者のかたも散見されますが、相変わらず旧態然として他人との関わり方も昔と変わらない農家のかたも依然として見受けられます。 

 

 

・農協(JA)は確かに農家、農業に従事する人のイメージを下げているね。社会に対しての啓蒙も大事だし、内部の排他的文化の改善も大事だと思う。日本の重要な産業に従事する立場だし誇りを持ってほしい。頑張られてください。 

 

 

 

・命に直結する仕事をしているのにね。 

 

私は、やれと言われても上手くできないだろうから尊敬します。「百姓」と言うのが差別用語というのは子供の頃から聞いていたので使いません。お米や野菜を作っている方は農家の方々というような言い方をします。 

川勝のような人が多勢でないことを祈ります。 

 

 

・兼業農家です。 

 

小学生のころ、母親が田の草をとっていると 「頑張って勉強しないと、あそこにいる人みたいになっちゃうよ」 というのと同意の言葉を近所のご婦人がご子息に投げかけていました、こちらに聞こえる程度の声で。 

 

社会の時間には ”水のみ百姓” と言われからかわれました。 

 

嫌な思い出ですね、現在50代ですがまだ田んぼやってます。 

 

 

・話は変わるようだけど 

消滅するような自治体の土地を、借り上げるなり買い取るなりして、大規模に農業をしてはどうかな 

と思う。 

農業輸出国を目指して。 

非常事態には、食糧が国内にあるということにもなる。 

相続したくなくて放ってあるような家々も、農地にして、まとめて広く農業をする。 

いろいろ解決すると思うんだ。 

 

 

・「百姓(ひゃくしょう)」という言葉の語源にはいくつかの説がありますが、最も一般的な説は、この言葉が「百種の職業」という意味から来ているというものです。古代日本では、農民たちは単に農業だけでなく、様々な技術や職業に従事しており、その多様な職業を持つことから「百種(ももたね)」または「百様(ももなり)」と呼ばれていました。これが時代と共に変化し、「百姓」という言葉になったとされています。 

 

もう一つの説は、中国古代の制度に由来するというもので、中国の古文書に「百姓」が登場し、それが日本にも伝わったというものです。この場合、「百姓」は「国民全体」や「一般民衆」といった意味で用いられていました。 

 

どちらにせよ、「百姓」は元々広義に一般の民衆や農民を指す言葉として使われており、今日では主に農業を営む人々を指す場合が多いです。 

 

本来は決して差別用語ではなかったのですが・・ 

 

 

・私の世代は農家にマイナスイメージなんて無い人が多いのでは? 

機械化が進んで単純な肉体労働のイメージは薄れた。更にただ繰り返し毎年同じ物を作るのではなく、いろいろ工夫を凝らす農家さんが増えたというのもある。 

学歴的にも「進学できない奴が行くもんだ」という認識は完全に過去のものだ。 

 

加えて、使い潰される派遣やコンビニバイトなどのような更に下の職業がいろいろ増えたという影響もあるだろう 

 

 

・百姓、言い方にも主観が入りますが、 

農家が居なかったらスーパーで食材を購入できるのでしょうか。 

私も農業を手伝っており、その大変さが身に染みります。 

 

例えばプログラマー、SE、高収入でも食べるのは農家が作った作物です。 

私は脱ITで自給自足まではできないが、自身で畑を用意しました。 

でも思うようにうまく行かない。。 

 

スーパーで何事もなく販売されいてる野菜が、とても懇切丁寧にお金を掛けられて育てられていることを意識できるのと、できないのとでは今後の自分たちの食生活が変わると痛恨の極みで考えさせられました。 

なんでも中国製でも良いのなら、いっそ中国へ行ってくだいさいませ! 

 

 

・育ての親からは「お百姓さんに感謝して米粒ひとつ残らず綺麗に食べなさい。残した分バチが当たる」とよく言われました。 

暑い日も寒い日も、毎日朝早くから本当に大変な仕事だと思います。 

なくてはならない重要なお仕事。 

とはいえ、自分にそれをやる度胸と根性、覚悟があるかと言われるとできません。 

尚更、感謝です。 

 

 

・私はそんな辞書を見たことがありませんが、百姓という言葉の意味を気にした事もありませんでした。 

しかし、昔の先輩が農家のお客様を対応した際に『あちらは百姓の方だよ。百姓ってゆーのは百の仕事をこなす人のこと。俺たちはせいぜい頑張っても2、3人分しか出来ないでしょ。すごいと思わない?』と教えてくれました。私は、良い先輩に恵まれたと思います。 

 

 

・農業って地味でひたすら植物や生き物を世話する。出荷をするときは人相手の商売になるからまた違う。確かに高等数式や物理理論なんて直に使わないかもしれない。大手企業に所属しているプライドや待遇は素晴らしいものだろう。生き物を育て、収穫することも意外にやり甲斐のあることなんだよ。外国の経済成長が続けば、海外の食料ばかりを当てにできないし、農家を軽んじてばかりもいられない。 

 

 

・知り合いの住む山村の集落では、農業の他に鍛冶や曲物、織物染色などの工芸、豊作祈願やお祝い事などを執り行う神官、神楽などの芸能、民間療法の医療など、ありとあらゆる事を農家の皆さんが自分たちの力で作り上げています。それこそが百姓の語源なのかと思っていました。 

 

 

 

 
 

IMAGE