( 169820 ) 2024/05/13 16:09:00 0 00 AdobeStock
文科省の会合で慶應義塾長の提案が議論を呼んでいる。それは「大学間の公平な競争環境」のため「国立大の学費を150万円に上げるべきだ」というものだ。作家で元プレジデント編集長の小倉健一がその是非を語るーー。
「国立大の学費を年150万円に上げるべきだ」と発言した伊藤公平・慶應義塾長の提言が議論を呼んでいる。提言の内容を大雑把に述べると「奨学金の拡充と併せて、現在の学費から3倍程度値上げを求める」内容だったのだが、ネット上では「庶民の状況分かってるのか」と批判が相次いでいるようだ。
たしかに、現在、もしくは、これから国公立大学へ通わせようという親の立場からすれば、出費が増えることになる。怒る人がでてくるのは当然のことだろう。
しかし、批判を恐れずに、筆者の評価を述べれば、この伊藤塾長の主張は、合理的なもので、ポジティブな評価をしている。逆に、日本維新の会や橋下徹氏などが主張し、実現を図ろうとする教育費無償化については大きな疑問を持っている。その理由について述べていく。
伊藤塾長は、提言の中で、「国公私立大学の設置形態に関わらず、大学教育の質を上げていくためには公平な競争環境を整えることが必要」と述べている。
実は、伊藤塾長も、教育費を無償化しようとする人たちと同じ公平な競争環境をを実現しようとしている。片方は、私立の学費も、国公立の学費も税金で全額負担することで公平な競争環境を整えようとしている。もう片方は、国公立大も、私立同様にきちんと学生が学費を払うことで公平な競争環境を整えようとしている。
どちらでもいいと考えてしまうかもしれないが、実際は違う。
2016年のドイツの研究『授業料と教育の質』(バスティアン・ガヴェレクら、http://www.accessecon.com/Pubs/EB/2016/Volume36/EB-16-V36-I1-P10.pdf)を紹介しよう。この研究は、教育費が全額税負担(無償化)だったドイツで、2007年からミュンヘン大学が授業料を有料にした。このとき、有料にしなかった(つまり、全額税負担・無償化を続けた)ベルリン大学と教育の質について比較研究を行ったものだ(結果は、統計的に有意で、プラセボもなかったことが確認されている)。
すると、授業料を支払わせたミュンヘン大学で、教育への評価が大きくプラスの影響を与えていたことがわかった。授業料を払わせた方がよかった一因として、同研究では「授業料の導入によって学生のやる気や意欲が向上し、結果として自分で質の高い授業を選ぶようになった可能性があります」としている。
他にもこんな調査がある。
ジョージ・プサシャロプロス『効率性と公平性を追求した大学への資金提供』2008年だ。同研究ではこんなことが指摘されている。
<偶然にも、大学資金に占める民間資金(授業料、寄付)の割合の順位は、大学の質と一致しています。世界のトップ20の大学のうち、17校がアメリカにあり、2校がヨーロッパ(イギリス)にあります。実際、アメリカの大学はヨーロッパの大学に比べてより高い寄付金を持っています。しかし、大学の品質にとって重要なのは、公的か私的かの法的定義ではなく、教授を任命したり解雇したりする自由、そして平坦な公務員的な雇用ではなく、スター人材を維持する能力です>として、2006年の世界大学ランキングが横に掲載されている。
2006年は少し古いので、現在のもの(2023)で確認すると、トップ20に入っている学費無償の大学はスイスのチューリッヒ工科大学(11位)のみ、トップ30まで広げてもドイツのミュンヘン工科大学(30位)が入るのみだ。イギリスの大学は「無料」ではない。この状況をみても、学費の無償化が「教育の質」を上げることは決してないことがわかる。日本の東大、京大の世界大学ランキング順位の没落をみても、民間資金で運営される大学のほうが競争力を高めているようにも見える。
同論文では、さらに、次のように指摘している。
<OECD加盟国で高等教育を受ける個人は極めて効率的な投資決定を行っている>
<社会的リターンは私的リターンよりかなり低い(ものの、一定存在する)>
この論文の「高等教育」とは、主に「大学」のことであることに留意が必要だが、個人にとって、高校進学も大学進学も生涯収入が大きく増すことは統計データとして日本に存在しているのだから、原則として、個人(実態は親)から支出させるのは、当然の議論だろう。
<入手可能なファクトに基けば、(教育費無償化という)大学財政の仕組みは非効率かつ不公平である。学生から授業料を取ることで、もっとうまく、そしてもっと公平性を高めることができる。この考えは、先進国でも発展途上国でも、どんな国でも当てはまる>
<高等教育を「無料(無償)」で提供することは、多くの人にとって魅力的です。ただし、「無料」の教育が実際には無料ではなく、みんなの税金で賄われていることを説明するのはもっと難しいです。そして、最も難しいのは、「無料」の教育が実は不公平であること―金持ちも貧しい人も同じ(ゼロ円)の価格であることを説明することです>
<票を失わないために、政治家は無料教育の誘惑に負けてしまう>
<「無料」の高等教育が実際には無料ではなく、社会経済的に悲惨な悪影響を及ぼす可能性がある>
<学費を徴収する主なポイントのひとつは、学生に経済的な責任を持たせることである。学生たちは、経済的なリスクを十分に知らされ、親とともにそれに従って決断を下すべきである。学費を徴収することで、カジュアルな学生による入学の需要を減らすことが期待される>
もう結論は明らかであろう。
教育無償化(全額税負担)は、教育の質にとってデメリットがあり、国公立もきちんとイギリスのように民営化も視野に入れつつ、税金の投入は極力抑えていくべきだ。
そもそも、伊藤塾長の国公立大の授業料値上げに反発している人に問いたいのだが、いったい今現在、低い負担で済んでいるのは、まったく大学とは関係のない人たちから納められた税金が原資なのである。
いったん国民から税金で奪い、政治家、官僚、大学とが非合理的な部分が大部分と推測されるやりとり、無駄な資料づくりを経て、学生へとたどり着くものだ。そんなことをせずに、そもそも税金を取らずに、受益者が支払うようにしたほうがコストも安い。
お金がない家庭については、別途、補助する仕組みにつくりかえていくべきだろう。
目の前のお金が増えるからといって、社会全体のコストが増すような仕組みにするのは、あまりに非合理的な行動だ。
小倉健一
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