( 169921 )  2024/05/13 18:00:29  
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・刑務官の苦悩は理解できるが、こういう記事には「だから死刑制度廃止へ」と誘導しているのではないかと勘ぐってしまう。 

本来は刑務官の職務の一つとして、こういうこともある。だから熟慮して職に就くようにという他ないのでは。 

自衛隊にしても、警察にしてもそういう状況が来ないとも限らない。 

 

刑の執行方法を変更するという議論はあってもいいと思う。 

 

 

・普段接することのある刑務官の心理的負担の大きさは想像できないほど大きなものでしょう。 

 

一方でこのボタンを自ら押したいと願う被害者家族もいそうですね。 

私が被害者家族なら、確率100%のボタンを押したいと願うと思います。 

 

さすがにボタンを押すのは無かもしれませんが、法制度の見直しを検討するなら、被害者に寄り添ったものであってほしいです。 

 

 

・加害者が処刑される 当然です 関わる方も大変でしょう 

 

凶悪な犯罪が増える昨今 犯罪を犯せば必ず罰を受ける 死を持って償う これが周知されれば凶悪な犯罪を思いとどまる方も増えるのでは 

 

刑の執行は被害者家族がボタンを押せるルールも必要に思います 少なくとも私ならそうしたい 

 

被害者より加害者を優遇する法律 問題があるのではないでしょうか? したたかな加害者は法律も学んでいるでしょう 

 

被害者は戻ってきません せめて被害者に寄り添った法制度であってほしいです 

 

 

・私は早期退職しましたが国家公務員でした。 

もう30年以上前の話になりますが、勿論仕事内容を含めた面接を受け、その職務を全うする旨の発言をしたうえで合格し、入省時には国民の奉仕者になるとの宣誓を行いました。おそらく今も宣誓してるんじゃないかなあ。 

で、記事の内容ですが、公務員か否かに関わらず「まっとうな倫理観を備えた人間は、自分の職務を全うするもの。」だと思うのです。 

職務を全うできないのであれば、嘘を付いて刑務官になってはいけないのです。刑務官になった以上は職務を全うする義務が有るのです。あなたは刑務官の職務を果たすことで国民に奉仕することを誓ったはずなんです。 

それが出来なくなったのなら刑務官を辞めなければなりません。 

それが公務員が持つべき『まっとうな倫理観』です。 

京都新聞さんの考える倫理観とは違いますが、元公務員の意見です。 

 

 

・細かい法律云々はわからないが、現状として確定から執行まであまりに時間がかかり過ぎているのではないか、と思う。時が経てば当然事件も風化するし、死刑囚の心情も変化していく。そうした死刑囚に日々接する中で、いくら仕事とは言え、人の命を奪うというプレッシャーたるや想像を絶する。 

 

確定までの時間の短縮、そして確定後は速やかに執行する。 

 

いろいろ課題はあるのだろうが、今思いつくのはこれくらいしかない。 

 

 

・最終的に皆墓に入るとはいえ、罪人とそれ以外とを区別する必要はある 

また、死刑執行されるまでの日々自体が凶悪犯罪者にとっても罰となりうるのであれば、廃止する必要は無い 

何より、刑が確定しても再審請求等で判断の誤り等は精査され尽くす機会があるのだから、事件を重箱の隅をつつくように調べ上げるという、凶悪犯罪に対しての判断の間違いを取り除くという、いい側面も持っているのではないか? 

 

 

・ボタン押すのは誰でも嫌でしょう。しかし刑が確定している以上執行は避けて通れない道なのでそのあたりは刑務官目指す時点で覚悟すべき。しかし将来的には刑務官の負担軽減を考慮するならば、それこそAIを導入し操作を機械任せにすれば良いのでは?それでも死亡確認や絞首ロープからの取り外し作業は人間がしなければならないでしょうね。 

 

 

・思うところはあるけども、決まったことなので、そこは粛々と行うべきだと思いますね。 

ましてや裁判員制度なんかも導入して民意も多少なりとも入っているわけでは無いのでしょうか? 

少なくとも一般市民は重罪を起こして死刑判断された人間に対して憐れみはありません。 

よく検証を行って冤罪の可能性が無いのであれば、早く実行して経費削減してもらいたいとさえ思いますね。 

 

 

・絞首はね、死ぬところを真直に見るわけで心理的負担は大きいと思う。確かに複数のボタンで誰が執行したか分からないとしても気休めだと思う。 

睡眠薬で眠らせ、装置をセットアップ、翌日出勤したら死んでいたというのが許されれば負担も少なくなると思う(自分の自殺方法)。 

死刑になるのはそれなりの理由があるわけで、冤罪さえ気を付ければ、犯罪の抑止力として必要だと思う。 

 

 

・死刑になるほどの残虐を犯した者は、かなり頭がバグっているからできた事。 

 

これを人一倍正義感の強い人が就く職業の人にやらせるのは残酷なように思うけれど、それも含めて業務内容として本人たちも了承の上で従事しているのだろうから頑張ってくださいとしか言えない。 

 

ただ、日本では最重量級のストレスを受ける業務内容を公務員にさせるならば、その方々へのメンタルケアには予算を多く取ってしっかり援助をしてあげて欲しい。 

 

 

 

・死刑囚と顔を合わせる職務の刑務官には死刑執行の業務を任せるべきではないだろう。 

心理的な負担が大き過ぎる。 

AIが発達し、高度な処理もできる様になっている。機械的な部分を取り入れる方法もある。せめて他の地域の刑務官にその日のみ担当させるなど工夫の余地はあるのではないか。 

 

死刑囚は基本的に二人以上の人間を殺害する、拷問など残酷な方法で被害者を痛めつけ殺害するなどしている。赤ん坊や子供を殺害した者もいる。 

被害者の苦しみと恐怖を思えば死刑執行で心を痛める必要は一切無い。 

 

 

・遺族からしたら待ちに待った日かも知れないし、そんな生ぬるい死に方を被害者はしてないと思ったらやはり職務なので真っ当して欲しいです。警官になるならそれも職務です。死刑がもし亡くなったら遺族が報復する事が増えるかも知れない。いつも被害者は守ってもらえず加害者が守って貰える少年法も見直して欲しい 

 

 

・私が被害者遺族だったら、私が犯人の首に紐をかけたいし、執行ボタンも押したいと思う。 

当然、そう思う遺族ばかりではないでしょうから、まずは執行にかかわる権利を遺族に与えてほしい。 

そして、遺族が職員に任せたいという場合は、職員が委任される形で代行するよう、法改正してほしいと思う。 

また、ずっと言われ続けていることですが、判決の確定から執行までが長すぎます。 

刑法では6か月以内と定めれているのですから、何年も執行しないことが恒常化していること自体が違法。 

こういう違法状態を正そうとしない法務大臣は、そもそもその職を受託すべきではない。 

大臣であるなら、なおさら法に則って職務を遂行すべき。 

 

 

・政府と同じだがいつまでもブラックボックスのままではいずれ問題が起きる 

こういう刑務官の精神的負担も含めてもう既に起きてると言ってもいい 

全部一気に公にして公開すべきとは言わないが、せめて被害者家族が希望すれば執行に立ち会わせる等はしてもいいと思う 

 

 

・医薬開発・治験を行う医学者や、トサツ場、火葬場の方々など「生死」に向き合う仕事はいくつかあると思うが、プロとして目を背けてはいけない部分と、オートメーション化など仕組みで心理的負担を下げる取り組みの両面があるだろう。他の方も書かれているように、情が生まれる前に速やかな刑執行、薬物投与などによる刑執行は、今すぐにでも対応可能な策では。 

 

 

・この記事の意図は? 

書いてあることはわかるが、ネット上でフリー掲載にした意図は何なんだろうか? 

執行は法に従い職務として行われるべきであり、システムでもある。 

刑務官へ過度なストレスを与えないために、判決後は努めて淡々と職務が執り行われるようシステム的に行うべきである。 

レバーを引くのも、手動ではなくAI化で対応で良い。朝の宣告も人ではなくて、AIで良いのでは? 

死刑論の是非ではなく、執行システムの円滑化と刑務官のストレス緩和の方向で検討すべき事案と思います。 

 

 

・いくら凶悪犯かつ法律で緩された職務とはいえ、日々目にしていた死刑囚の息の根を止めるわけですから可能な限り当たりたくないものだろうとは推察します。 

死刑にはそれ自体の賛否のほかに運用自体にも問題がある。記事執行者の刑務官である負担が大きいほか、刑確定から半年で執行というのは到底守られていないこと、被害者や遺族には事後にしか伝わらないことはこれまでも幾度と話が上がっていたが、近年では麻原氏の遺骨返還に関する問題も現れた。死刑制度の維持の議論は行われるが、維持する以上は運用のほうも随時見直されるべきだと思う。 

 

 

・刑務官が職に就く前にどの程度処刑に関わる事を認識しているかはわかりませんが、江戸時代以前のように日常的な処刑が行われそれを円滑に進めるための処刑人という職があるわけでもなく、刑務官が日常の業務とはかけ離れた処刑というある意味の突発的な業務が稀にあるだけです 

そんな人たちが処刑のプロフェッショナルでいられるわけがないのだから精神がやられるのは避けようはない事なのでしょう 

死刑囚というのは処刑されてもなお新たに人の心を痛めるわけですから本当に最後まで罪深いなと思ってしまいました 

 

 

・被害者が希望すれば、被害者が執行ボタンを押す、というふうにすればどうだろうか。 

 

一律に職務とする刑務官に重責を負わすのではなく、被害者の感情を救うためにもなるのでは。 

報復として刺したりしたら殺人罪になるが、法的に認められれば、ボタンを押して恨みを晴らしたい被害者もいると思う。 

 

もちろん、その後のメンタルケアも必要に応じて実施すべきだろうが、職務として行う刑務官よりは被害者のほうが救いになると思う。 

 

 

・トム・ハンクス主演映画グリーンマイル、刑務所の看守主任だったトム演じるポールのもとに、一人の大男が送られて来る。双子の少女を強姦殺人した罪を持つ死刑囚ジョン・コーフィだ、だが心優しいコーフィは次々と奇跡を起こす。そして看守たちはコーフィの無実を知るが、グリーンマイルと呼ばれる色あせた緑色の通路を通って電気椅子に送られる、そこでは公開処刑が行われていた。電気椅子のスイッチを入れる看守も泣いていた。やがて引退したトムは、コーフィが神の使いではなかったかと後悔する。 

 

死刑執行に反対する勢力もあるが、更生の見込めない殺人犯は死を持って罪を償いしかない。 

 

 

 

・日本は死刑執行方法は絞首刑です。残忍だとか言って、手術前に行われる全身麻酔で意識喪失させ薬物投与で死に至らしめるなんてなったら、不治の病で苦痛に耐えきれず安楽死をもとめる患者の叶わぬ願いを死刑囚に許すみたいなもんで遺族感情からして到底受け入れられない。死刑執行を担う刑務官は刑務官としてプロフェッショナルであるべきです。 

 

 

・死刑の執行が未だに絞首刑だというのはどうなんだろうと思う。他国ではガス室や薬品注入等のケースもある。またボタンを押す際も3人が同時に押し、誰のボタンが執行に繋がったか分からなくしてあり、配慮が伺える。小さな子どもでも重罪を犯せば死刑になることは知っており、それなりに犯罪抑止効果はあると思う。なので刑務官の心理的負担を減らす方策を早急に検討すべきだと思う。 

 

 

・刑務官の仕事は、犯罪の内容によっては死刑執行が必要であると頭では分かっている。でも、努力し刑務官になっても、いざその状況になったら、複雑な気持ちになる、割り切る必要があると、元刑務官の人の本音をこの記事で知りました。同時に、事件の被害者の家族や知人なども、それ以上の複雑な気持ちになるのは間違いないと思います。被害者の性格などを刑務官以上に知っている以上に。ただ、本当に辛く悲しい気持ちなのは被害者本人では?誰が死刑執行をしても戻る事はできないと考えたら、やりきれないでしょう。 

 

 

・死刑自体は反対しない。 

むしろ死刑は必要だし、確定したら速やかに執行してほしいと思う。 

 

ただ刑務官の心理的負担軽減は必要だと思う。それは改善していってほしい。この問題と死刑廃止論とごっちゃになるのは良くない。 

 

でも刑務官も分かっていて職に就いているし、医師や看護師、警察官、消防士なども心理的負担は大きいと思う。 

 

 

・刑務官の負担を軽減することは重要だと思う。 

世の中には共感性が乏しく罪悪感を抱きにくい性質の人がいる。そういう人を一定数採用して執行を任せられたら…と思ったが、実際はそういうことは無理なのだろうな。 

刑務官がやらなくても良いというのには賛成で、上手い代替手段があればそれで良い。現代だとAIなどを使い一定の幅の中でランダムに“その瞬間”を決めるような仕組みも作れそうだが。今のところは人の手でボタンを押さねばならないのだろうか? 

 

 

・元刑務官も言っているが、刑務官ではなく、法律が殺すのであって、その背後には多くの国民と被害者と、その遺族が味方でいる事を忘れないで欲しい。国民の代理で行なった事に対して、特別手当2万円など少な過ぎると思う。それが例え二桁や三桁でも多くの国民は納得すると思う。 

 

 

・苦悩はあるだろうが、守秘義務がある以上は元刑務官は語るべきではない。 

厳しい言い方だが、刑務官の職務を理解した上で就いた以上は、それが仕事である。それよりも、論点は異なるが今、ロシアやウクライナ、イスラエルで戦地に出ているいる兵士も任務とは言え、人を殺害することに葛藤があるのではないかと思う。世界中の平和を望む。 

 

 

・余計な感情を持たないためにも囚人とはなるべく会話しない方がいいね。 

仕事相手ではなく、作業対象として捉えた方がいいのかもしれない。 

倫理的には問題なんだろうけど、遺族に希望者がいれば執行ボタン押してもらうってのも有りかもしれない。もし自分が遺族の立場になったら躊躇なく執行ボタン押せる気がする。 

 

 

・要するに、刑務官は日常的に接している相手に刑を執行しないといけないから、心理的負担が大きいってだけでしょ? 

だったら、現行刑務官が行っている刑執行に伴う業務は全部外注にすることを法制度化すればよい。 

もちろん業者の選定等は十分すぎるほど十分にする必要はあるが、それさえクリアすれば、(刑務官の指示は必要であろうが)死刑囚を監獄から刑場まで連れていってしかるべきセッティングをしてボタンを押すだけなら、それなりの報酬さえもらえれば希望する業者はいくらでもあるだろうし、事情を理解の上自ら希望して行うのであれば、執行者の心理的負担もほぼなくなるのではないだろうか。 

 

 

・私個人的には、死刑という制度は、絶対に必要だと思っております。犯罪に手を染める者への抑止力にもなるのではないかと思います。 

刑務官の方には、とてもストレスになり、精神的にキツイ仕事なのかもしれません。執行方法は、機械が行うなど、人の手を介さないような検討は必要でしょう。 

 

 

 

・人為的に死刑執行しなければならない理由はあるのでしょうか。絞首刑のように人がボタンを押下しなくても、たとえば低酸素状態の部屋に入ると扉は自動で施錠され、数分経てば自然と窒息するような方法もあると思うのですが。 

ただ、そのように比較的苦しまない執行だと凶悪犯罪の抑止力として十分ではないかもしれません。 

 

 

・死刑執行を担う刑務官とて、何ら感じないで仕事が出来る訳ではあるまい。 

 

死刑囚とはいえ人間の命を奪うのだから、精神的負担は大きい。 

 

だから踏み板を外すボタン操作を、ダミーボタンを含めた三人一組で行ったり、また執行に携わった刑務官は執行後、その日はそれで勤務終了としたりしている。 

死刑囚の死刑執行を担当する拘置所も、刑務官の精神的負担を減らすべくそうして工夫をしているのです。 

 

人を殺めたりする犯罪者は異常だから気にならないだろうが、正常な刑務官にとっては相手が死刑囚とはいえ、人の命を奪う事に抵抗ないはずがない。 

 

それだけ鬼になれる人間が、犯罪者以外のまともな人間でいるはずないし。 

そしたら今のようなやり方にはならんだろうからね。 

 

罪を償わせるのは当然だが、死刑執行を担当する刑務官の方々は、さぞや苦しい胸の内をお抱えになっておられるだろう。 

 

大変な仕事であろう。 

 

 

・過激と言われると思うけど、死刑が決まったのなら即日執行するべきだと思う。 

そもそもなぜ執行方法が苦しまない方法なのかも理解できない。 

例えば殺人なら同じ殺し方とは言わないけど、同じ死因になるように執行して同じ苦しみを感じるべき。 

執行官が正常な精神の人ではできない仕事であれば、AIや機械によるシステム化を進めるのが仕事だと思う。 

 

 

・中世ヨーロッパでギロチンが出来るまでは刀による斬首刑が主流だったそうです。 

ドイツでは刑を執行する際の刀に、「CAST IN THE NAME OF GOD. YE NOT GUILTY. (我、神の名においてこれを鋳造する。汝ら罪なし)」と言う言葉が刻まれていて、「死刑は執行人が殺すのではない、神の意志によって刑が執行されるのだ。」と言う暗示で執行人の心の負担を軽減していたそうです。 

 

 

・人を殺す可能性があるのは刑務官だけではないでしょう。 

警察は発砲により犯人を殺めてしまうかもしれないし、自衛官も危険な地域に派遣されて自衛の為の行動を取らざるを得ない可能性もある。 

もちろん彼らも善良な市民だから、自身に縁もゆかりもない人を殺すような状況は避けたいと思うのは当然。 

しかし死刑囚の執行は法律で定められている重要な業務であり、民主主義の手順により正当な裁判を受け、多くの人々が判決に至るまで関与し、検討を重ねた結果。 

執行者には何の責任も無い事を信じて、粛々と業務当たられることをお願いしたい。 

また死刑にいたる犯罪で、犠牲者やその親族友人らの想いもある事にも、思いを馳せて欲しいです。そのような事を勘案した上での刑務官の想いだとは分かりますが。 

 

 

・こんな考えを抱く人は、公務員を目指すべきでは無いと思います。現在の日本で死刑に処せられる人は、複数の何の罪もない人の命を奪った人です。死刑が抑止力になるとは思いませんし、命を奪われた遺族も犯人は死ねば全て解決する訳でもありませんが、人を殺した罪は自分の命で償うものです。ただ、現在の方法は刑務官に負担が大きいのも確かだと思います。方法は議論を続ける事は必要でしょう。 

 

 

・恐らく、本記事は死刑制度廃止に向けての布石のようなものだと思う。 

メディアも「京都新聞」ですし。 

ですが、記事内では特に死刑制度廃止までは主張していない。 

あくまで、刑務官の精神的負担が大きいという事までで話をとどめている。 

であれば、まずは刑務官に執行ボタンを押させない方法はないかを考えるべきだろう。 

裁判には裁判員裁判というものがある。 

一定の基準を満たした一般市民が判事の役割を担う制度だと記憶している。 

死刑にも民間執行官を募れる体制を築けばよいのではないだろうか? 

事の重大さを別にすれば、所詮はボタン押下を誰がするのかといった問題だけだ。 

IT化が進んだ現在であれば、ネットを介してボタン押下も可能だろう。 

執行後の生死判定等、残酷な光景を見せる必要もないだろう。 

現状でも必要であれば死刑の判断を裁判員にさせているのだから、特別視する必要はないだろう。 

 

 

・死刑執行が残酷な事で、刑務官の精神的な負担になって居る事は分かるが、職業選択は個人の権利。無理やりその刑務官にさせられている訳では無い。自分が選んだ職業に、予め織り込まれた死刑執行という作業を拒否するならば、仕事を辞めるべきだろう。 

 

例えば刑務官は死刑執行作業には従事しないという約定があって職務についたならいざ知らずである。 

 

黙って犯罪者を殺害する作業に従事するか、別の職業を選択するかは個人の選択である。死刑執行は社会を安全で住みやすくするための重要な処分作業なのだから、誇りをもって命を奪い、犯罪被害者の無念を晴らして欲しいものだ。 

 

 

・法務省に軍隊等の特殊部隊的な部署を作って全国を回って貰えば良いと思います。 

少なくとも執行する側で「ついに当たったか」等と言う不安は解消されますし、言い方はアレですが、適性のある人を集める事も出来ます。 

外から来た職員であれば情が移る事もないでしょう。 

 

刑場があるのは7ヶ所なので今の状況なら2チームあれば十分だと思います。 

人数が絞れればケアの質や幅も集中して良くなるんじゃないでしょうか。 

 

 

・執行する刑務官に大変な心の負担があることは理解する。職務とはいえ刑務官は普通の人間ですしね。人を殺めることに抵抗があるのは普通の感覚で、平和な生活をしている人であれば当然なこと。 

それならば今の時代らしく、機会に執行させるというのはダメなのだろうか。 

最後を迎える人間の尊厳が云々との意見があるかとも思うが、負担が大きい以上は、そういった措置があってもいいと思うんだが。 

死刑がある国な以上は反対意見も含めて色々な人に議論されるべきだと思う。 

 

 

 

・刑務官に任せるのではなく望むなら遺族に執行させれられる制度にすれば良い。赤の他人に負担を強いるのではなく、身内などを残虐な手段で殺害などされた側からすれば自らの手で処罰を下したい人は沢山いる。 

 

死刑制度の廃止だの残虐だのと声をあげる方は、自らがその様な苦しみを与えられた事がないのであろう。最愛の人やなんの罪もない身内、我が子、我が妻等を非道な手段によってもがき、苦しみ、恐怖を与えられながら死に至らしめられた側からすれば極力苦しみなどを与えられずに覚悟を決められて一瞬で楽になれる方法など生ぬるい方法ではなく、殺害された方法以上の恐怖、痛みを与えてやりたいと望むのではないか。 

 

 

・確かに、普通の精神の持ち主だと、耐えられないよね。 

執行も刑罰にすればいいのかな。執行を死刑囚とか終身刑の人にやらせる。 

精神的に苦しむか苦しまないかは、ちょっとわからないけど、無辜の公務員に不要な負担をかけるよりいいような。 

自分の罪にも、真摯に向き合うようになるだろうしね。 

 

一般市民の希望者とか被害者家族とかは、慎重にしないとね。あとからトラウマになるリスクもあるしなあ。たとえ希望しても、させないほうがいいでしょうね。 

 

 

・半年に1回とか定期的に執行すればいいのにと思う。たまにやるから戸惑うし精神負担も凄いのでは。執行する側の感覚がおかしくなりそうではあるけど、またこの季節がやってきたかーぐらいの気持ちでないとやってられないのでは。 

身内に刑務官いるけど、就職するにも結婚するにも身内に反社いないか徹底的に調べられる。そんで頑張れば執行に携わる可能性もある。だから身内には、ただお金を稼ぐ手段として考えてもらいたい、仕事に熱心にならないでほしいと思っている。 

 

 

・記事では残虐な刑罰とされるギロチンも、もともとは苦しみが一瞬で終わる人道的な方法として導入されたという。現代の医学水準からすれば、絞首よりも楽な逝かせ方はあるだろう。死刑の目的は犯人を苦しませることではないはずで、刑務官の心理的な負担を軽減させるためにも、執行方法の再検討が必要な時期に来ていると思う。 

 

 

・刑務官の抱えるストレスは想像を絶するものに違いありません。 

死刑執行とその後の処理は、刑務官ではなく、死刑囚に行わせてはどうでしょう。秘密厳守の決まりがあるようですが、それが破られたとしても刑務官の負担をなくすのが極めて重要です。 

 

 

・受刑者が再犯するのが大半だと聞いた。 

刑務所の教育では犯罪は無くせないということだ。 

死刑は執行して初めて刑に服すことになる。 

冤罪のおそれのない死刑囚は法の規定通り6ヶ月以内に執行すべきだ。 

死刑囚を長く生かすことは刑務官も死刑囚にも負担だしそもそも税金の無駄だ。 

この国の行政は税金を浪費する事に躊躇がない、もっと国民の血税であるという意識を持つべきだ。 

 

 

・法律という万人にかけられている網を手繰り寄せたら、個人に行き着くって事だよな。 

罰金にしても何にしても、それを確認したり受け取る人がいることは当然だな。 

 

人間はタンパク質取らなきゃいけないけど、食肉で働く人たちだって、好きでやってる訳じゃないと思うんだよね。仕事だからだと思うし、死刑と食肉を合わせて考えるのは、見当違いかもしれないけど、心理的負担の軽減方法似てる部分あるかもしれないと思う。 

 

 

・被害者遺族の気持ちは、想像出来ないものだと思います。 

日本では1人の殺人では死刑にならないと思います。死刑判決にも時間を掛け裁判が行われ判決されているので死刑にすべきと思っています、 

刑務官の方々の気持ちを楽にする取り組みに力を入れて欲しい。 

 

 

・ボタンを押す役が何かと辛いとか心のダメージがとか言われがちだが  

落ちてきた囚人の足を暴れないように押さえる役とか死亡確認をする医師の方がよっぽど辛いと個人的に思うが 

特に足を押さえる人は大変と思う、命が消える瞬間 強く暴れたり痙攣したりを肌に感じて排泄物なども手や体につくかもしれない 

 

 

・刑務官の仕事とは何ぞやという話で、その中にこういう仕事があるという事 

この話と死刑制度の廃止は別問題 

 

職務としてこういう仕事が無くなるのは、極刑になるような犯罪を犯す人が0になる事以外ないから実質不可能 

だから刑務官を志すなら、こういう仕事になる可能性もあることは覚悟しなければならない 

その一方でメンタルヘルスは、しっかりしなければならないと思う 

 

死刑制度廃止の議論は、被害者家族の心情が大きいと思う 

自分の家族はもういないのに、あやめたひとはのうのうと生きるのか?という話になる 

 

どちらも難しい問題ではあるが… 

 

 

 

・別に刑務官がボタンを押す必要性はない。一連の所作を終えて刑務官が退出したら自動的にタイマー(5秒以内か長くても10秒以内)で板が外れて落ちて執行できる様にシステムと構造を変えれば良いと思う。それ程難しくはないだろう。ボタンを押さなくても済む。少しは刑務官の心理的負担も軽くなるかも。 

 

 

・死刑執行のボタンを押すのが精神的に負担にならならまずは被害者の親族もしくは知り合い。 

その方たちもいないのであれば死刑を待つ死刑囚にボタンを押してもらえばいいのではないでしょうか? 

被害者の親族知り合いであれば死刑の執行の日がわかってしまうのがいろいろな問題があるのかもしれませんが、刑務官に負担させるのはかわいそう。 

もし被害者の親族であればあのひとは死刑囚を殺したんだと言われるのがつらそうだから死刑を待つ死刑囚の方がいいのかも。 

被害者の恐怖心を味わってほしいです。 

刑務所に収監されたじたいである程度静かになっているから縁も所縁もない刑務官がボタンを押すのは可愛そう。 

それか刑務官に裁判の様子のビデオ等を見てもらってそれなりの罪があり被害者に代わってボタンを押してあげているということを確認してもらうのがいいのかも。 

 

 

・死刑の執行官は自身がどうとか法律がどうとかではなく、正義の心をもって執行にあたってほしい。 

目の前にいる死刑囚が死刑判決を受けた背景には被害者がいる。 

本当ならば被害者やその遺族がそのボタンを押したいはず。むしろ、そのボタンを何度も叩きたいはずである。 

公正な刑の執行のため自分たちがいることを再認識してもらいたい。 

 

 

・話は少しずれますが・・・・そもそも死刑執行が決まったらすぐに執行命令をどんどん下すべきなんだよ。でも自民公明ズブズブ統一連合の順番だけで法務大臣に就任する大臣どもは、責任逃れで執行命令を渋る。だから判決が出ても執行されないから執行渋滞が起こる。そうして何年も塀の中で税金で食わせてやることになり、いずれは塀の中で死んでいく・・・・それだけの事件を起こした人間をその人間の命をもって償わせることは当たり前なのでないか?と私は思う。もし刑務官が執行に躊躇するのであれば、厚遇と精神面での支援ができる体制をきちんと構築した上で、執行専門の職種を新たに設ければ良いのではないか。 

 

 

・現代先進国といった国々の普通の常識・感覚として人が人を殺す事は究極の非日常であって、例え刑務官といった職業選択でもその時を目の当たりにすれば感じる所があるのは普通の感性に思える。 

 

心理的負担を軽減する方法は幾らでもあると思うし、完全機械化に近いものも技術的には出来ると思う。ただ、そういった機械的な屠殺場みたいな刑場は、それはそれで非人道的にも感じられる。 

 

個人的に感じるのは、どの様な形であれ死刑そのものが心理的負担になるとするなら、死刑制度そのものの意味を国民全体で今一度考え、感情論以外でも探求すべきものではないかと考える。 

 

死刑制度そのものには賛成の立場だが、「死刑で当然」で完結してしまっているようにも感じられる。 

 

 

・それらを含めて刑務官では? 

死刑廃止論者の意見あるけど加害者の人権は叫ばれるけど被害者とその家族身内の人権はほったらかしか? 

何も落ち度無い一般人が突然事件にまきこまれ命を落としてしまう 

まして加害者側は己の欲望のまま殺人犯して反省もしてなければ… 

冤罪では絶対無いようなら粛々と判決に従い執行して被害者の無念を晴らしてもらいたい 

 

 

・真っ当な人生を送ってこられた人ならば刑の執行をするのは嫌だろうね。個人的には少しは抵抗はありますがあまり何も感じないのはこれまでの人生で他人のことに対して興味がなくなったというか、辛いことが重なりすぎたからかな。今はないのだろうけど、ボタンを押す仕事が単発であってお金が良いのであれば参加することにあまり抵抗はないかも。 

 

 

・難しい問題かと思います。 

死刑制度は無くす必要はないと思うが、出来る限りは透明性は担保して、死刑囚の人権にも配慮する必要はあると思います。 

ただ、複数の殺人や殺人と放火事件なとを引き起こし、その殺されて残された家族や親類の心情を考えるとね。話が脱線してしまうかも知れないが、死刑もないと抑止出来ないのではないかとも思います。 

ただ、いずれにしても死刑行う刑務官に配慮した方法ややり方にフレキシブルに変えても良いと思います。 

 

 

・この種の記事と同じ日に「残忍な殺人事件」に係る報道があった。死刑制度が必要のない日本がいつやってくるのか?自問自答した。確かに「法が刑罰として、命を奪っている」のだが、そこに至った事案を受刑者が犯したのもまた事実だ。その行為が「残忍極まりない」ものであったが故に細部に至るまで精査を尽くし「法に照らし」場合によっては「最高裁まで審理を尽くして出された結論」それが「判決」なのだ。刑務官の心情も理解できる、だからこそ犯罪のない世の中が構築されるべき、それが出来るのは我々人間の理性のみ。 

 

 

・執行に関わる心理的負担が、、、と、大変な職務に向き合っている現場の刑務官の方に頭が下がります。 

一方、このままでは良くないとも思います。 

 

死刑を廃止にしろとは思いません。 

 

ただ、日常的に死刑囚と過ごしている刑務官の方に執行させるのをやめればどうか。 

 

例えば執行は別の刑務所の刑務官がその日だけ出張するとかできないのか? 

ボタンを押すとか首に縄をかけるとか直接的に関与しない執行方法はないのか? 

どうしてもボタンを押さなきゃならないなら、それ専門の人を別に厚労省から派遣することはできないのか?等々 

 

みんなやりたくないから現場に皺寄せしているようにしか見えない。 

世の中には知らない人の死刑のボタンを押すことに、特に躊躇しない人もいると思うのでバイトで雇えばどうか?など、議論の余地は多分にあると思います 

 

 

 

・個人的には死刑は賛成、しかも死刑囚はその妻の重さから苦しんて死ぬべきとの考えを持っているが、そのために刑務官が過大な負担を追うのは好ましくない。 

技術も進歩し、アメリカでは今や死刑は薬物注射が主流。 

明治の頃から、日本は絞首刑一辺倒だが、時代の流れに合わせて、せめた見た目はもっと安らかに見える薬物刑を導入して、刑務官の心理的負担を軽減すべきときに来ているのではないか。 

 

 

・被害者遺族及び関係者がボタン押す役割を希望すれば押す権利与えるのも一案かもと思った。 

いくら凶悪犯とはいえ、事件に関係ない第三者がボタン押したり遺体の処理とか精神的に負担は大きいでしょう。 

まして拘置所での生活で事件後に顔見知り 

なってるわけで、凶悪犯人の意外な一面に触れていたかもしれない。 

 

 

・刑務官の苦悩を描いた本を読んだ事が有りますが、刑務官の本来の職務は受刑者の更生が仕事ですが、死刑囚は刑の執行を待つだけで、まるで違う。刑務官もそこに苦悩するそうです。子供は学校で人殺しの子供だと虐められる事もあるそうです。死刑執行後はその日の職務は終わりで、帰宅が許され、特別手当が出るそうですが、そのままは帰らず酒を飲んでからでないと帰れないくらいの心理状態だそうです。死刑囚とは言え、前日まで普通に接していた人間同士ですから、辛くないわけが無い。死刑制度の是非は別にして刑務官の苦悩は大きいと言う事は知っておくべきです。 

 

 

・裁判員制度が有る様に、︎刑にも執行員制度が有っても良いのではないでしょうか。 

流石に一般では無く、被害者の遺族など対象に少なからず恨みを持った人から任意で、5つのボタンを押すか否か意思確認をとる制度が有っても良いかと思う。 

アフターケアは、必要かとはおもいますが。 

 

 

・友人がいわゆる刑務所に勤務しています。この記事は死刑囚の最後がきれいに書かれているけど、すべての死刑囚が刑を従容と受け入れるわけではありません。まさに土壇場で死に物狂いで抵抗して、泣きわめいて暴れる死刑囚を何名もの職員で拘束して刑場に引っ立てることだってあります。 

 

人間の死に物狂いの力って物凄いです。だから非常時は睡眠薬を吸引させて執行することだってあります。だから外部に詳細が公開できないんですよ。 

 

そんな現場に立ち会ったら、メンタルやられる職員が出ても何ら不思議ではありません。今後若手人材はますます採用難になるんで刑務官の不足が懸念されます。 

 

わが国では8割以上が死刑制度に賛成していますが、刑務官の負担が少ない方法を導入する時期に来ているのは明らかです。 

 

 

・誰かがやらないといけないし,一般論として低職位のものに負担が大きい労働が課せられるのは認知されているとおりです.それがキャリアアップのモチベーションになっているという基本的な構造はどんな職域でも同じですから,執行が嫌だと思うなら,上級職に就けるように頑張るしかないでしょう. 

 

 

・死刑は合法的な殺人という見方もあるが、廃止論者は皆自分の家族が殺されたことを想像したらどう思うか?理屈ではなく、今も遺族は極刑=死刑を望んでいる。死刑は犯罪の抑止力になってるのは確か。個人的には死刑は必要と思う。刑の執行役のやり方は心的負担を考えたら検討の必要はあるかも知れない。 

 

 

・「自分ではなく、法律が殺すんだ」 

> 全くその通りで、もっと言うと: 

「法律が殺すのではなく、死刑囚自身が自分を殺すのだ」と思います。  

「この法律を犯すと死刑になる」というのは自分でも分かっているはずだから、その犯罪を犯した時点で、事実上 死刑になるのが決まるのであって、覚悟の上であるはず。 

 

 但し、死刑を維持するには、冤罪は絶対に許されないこと、執行する刑務官に負担が掛からない方法を工夫すべきこと、をお願いしたいと思います。 

 

 

・大学は法学部でした。 

社会の発展・成熟に伴って、刑罰の本質は「応報刑」から「教育刑」に変化する…というのは、学問的には分かるのだが、どうしても感情では受け入れられませんでした。 

被害者が失った法益以上のものを加害者から奪わなければ割に合わない。 

なぜなら被害者は理由もなく殺されたり、傷つけられたり、奪われたりしたのに対し、加害者は奪われる理由があるんだからね。 

死刑執行に携わる方々の苦悩は十分理解するが、死刑は絶対的に必要な刑罰。 

人の命を奪った人間が、その命を奪われないなんて不条理はあってはならない。 

 

 

・刑務官の方の精神的負担、死刑を執行するまでに複数のひとが携わっている。 

 

執行した方の精神的負担や葛藤をもっと報道したらどうだろうか。 

その恐ろしさや苦痛をもっと知ってもらえば、凶悪犯罪は減らないだろうか。 

そう簡単ではないか…。 

逆に、死刑反対の風潮になってしまうだろうか。 

 

死刑執行の負担が少しでも減らせるにはどうしたら良いだろう。 

 

 

 

・死刑囚も、刑の執行まで一定期間職員と接することになる。人間的なふれあいがあればあるほどいざ命令が下ると担当する職員のストレスも大きい。なので、執行役は普段付き合いのない職員が担当する(別施設で執行する)とかは出来ないのか。現在の複数人のボタン方式なら続き部屋でなくてもいいのではないか。 

 

 

・1977年フランスミッテラン政権は死刑執行を停止した、バタンデール司法大臣の決定を受けて。バタンデールの主張は次の2つだ。死刑制度による犯罪抑止効果はないと統計で示した。もう一つこれが決定的な理由だと言われている。国家による殺人は許されるのか、という問いかけ。それまでフランス国民の死刑制度の支持は8割はあったらしい。だが日本と違うのは民主主義は日本のように儀式ではなく、本物になっていたのではと思う。つまり国家とは自分のことだと受け止めていた。だから「自分が殺すのか」と同意義だった。日本では政権側は民衆にとっていまだ「おかみ」だと思う。死刑執行は人ごとなのだ。我々が生まれ死んでいくこの社会は神のものでも、政権のものでもない。我々のものなのだ。戦後、この国は我々のものだと言える憲法を発布した。未だ制度だけに過ぎない。80年も掛けて怠け続けてきたのだろうか。 

 

 

・死刑執行に直接職務を果たす人の精神的な苦痛は分かるが、そういう業務があると知った上でこの職を選んで働いているのでは 

世の中凶悪犯罪は常に起きている 

誰かが取り締まり執行する人がいないと、罪人を罰することが出来ない 

 

そう見ると、昔の残虐で非人道的な拷問や処刑を行った執行人はすごいと思うわ 

今のような執行人の精神を考慮した感じでなく、直接罪人が残虐に苦しんで死んでいく様を見ていたと思うので、現在の死刑執行に比べれば遥かに凄惨だっと思うけどね 

 

 

・二点意見があります。 

まず、5人でボタンを押すのは逆効果なのではないでしょうか。悩む必要のない4人にモヤモヤがずっと残ります。 

あと、何年も担当した死刑囚にはどうしても情が移りますから、面識のない刑務官を出張させるほうがまだよいかと思います。 

もちろん私の意見のとおりである必要はないですが、見直しは必要でしょう。 

 

 

・刑務官の負担が大きいなら、殺人の場合は遺族にボタンを押して貰えばいいかなとも思う。 

死刑になると言う事は、被告が それだけの事件を起こしたのだから仕方のない事だと思う。 

何年も執行しないで居させる方が、刑務官の心の負担も大きいはず。何か変わった方法など考える時期にきたのだと思います。 

 

 

・被害者の親族や愛する人に選択権を与えてもいいと思う。もちろんやらない人はやらないと思うし、逆に執行する立場になり、ほんの少しでも気持ちが安らぐ人だっていると思う。 

これだけ機械化が進んでいる中、将来的にはAIが執行する可能性もあるような気もする。 

 

 

・無茶なことを言ってるとは自分でも思うんだけど、刑務作業として、特に凶悪犯罪での有期懲役刑の受刑者に、死刑執行の補助やらボタン押しをさせたらどうだって思う。もちろん、刑務官の人たちに監督してもらう必要はあると思うけど、執行するよりマシじゃなかろうかと素人考えとしては思う。 

 

刑務官の人たちは一般人で、死刑執行の補助やらボタン押すのやらはものすごいストレスだと思う。けど、汲むべき事情があろうがなかろうが、自分から人を傷つける、危害を加える人なら、刑務官の人たちほどストレス感じないんじゃないのかなって勝手に思う。それに、死刑執行に関わらせることで、刑務作業をする受刑者に、死刑になる犯罪をするとこーなる的な、矯正教育に繋がるかもしれないって、素人としては思うのです。 

 

 

・遠い昔なら同じ囚人が執行してたと聞くが、インタビューでもあったように自分でなく法律がするんだと考えるなら拘置所関係者が職務として行うのが自然かと。人が人を裁き死に至らせるのは野蛮と云うがその前に殺された被害者はどううなるの?このように極刑制度があるから何割かは防止に役立っているかと。 

 

 

・刑務官の方の心理的負担が大きいから死刑制度の廃止にという話の流れは止めて欲しい。 

 

ただ、刑務官が心理的に苦しむからではなく、そもそも最高刑を死刑とすべきか否かという検討はあってもいいと思う。 

 

合わせて、死刑制度が必要という前提で、死刑の方法の検討があってもいいと思う。 

 

 

・日本の死刑制度の是非には触れませんが、運用方法や執行方法の見直しがあって然りという考えを持ちます。 

 

(OECD)の36カ国については通常犯罪への死刑制度が残るのは日本と米国、韓国だけで、米国でも50州のうち23州とワシントンDCが死刑を廃止、3州が執行を停止しているのが現状です。 

 

死刑制度の存続による犯罪抑止効果を求めるのであれば、執行情報をもっと公開する事がふさわしく、現状のように秘密裏に執行され、限られた報道しか行われない現状には矛盾があります。 

 

裁判と等しく一定制限の上での公開、また被害者家族や司法の立会いや報道関係者の立会いや取材報道があって然りという考えを持ちます。 

 

 

 

・死刑は教育刑ではなく、残虐な手口で人を殺した行為への報復刑です。 

有期刑の執行は刑務所で服役させることですが、死刑は絞首刑による死をもって執行されるもので、裁判記録を熟読した法務大臣の裁断で検察官と検察事務官、拘置所長が立ち会って、刑務官によって執行されるので、密室とはいえ、正義の法の下での執行は担保されています。 

とはいっても、過去に幾人かの元刑務官が書籍を上梓したり、講演したりして、執行に関わる刑務官の苦しい胸の内を語っています。 

だからと言って死刑制度を否定するものでもないようです。 

EUは死刑制度を否定し、日本に廃止するよう求めていますが、捜査段階では逃げる、抵抗する犯人を射殺するのは普通にされていて、それがない日本とは大違いです。 

戦争して人を殺す国が、平和な国、日本の死刑制度を批判するバカなこともあります。 

死刑囚に殺された被害者、御遺族のお気持ちを尊重されねばなりませんね。 

 

 

・死刑には賛成ですが、執行を刑務官がやらないといけないのは刑務官の心的ストレスなどもあると思うしどうかと思います。 

一切人の手を借りずに出来る方法だってあると思うし最後の懺悔室だってAIで充分だし入った日から執行まで一切人と関わらないようにしてもいいと思う。 

 

 

・私は死刑制度に賛成です。何人もの人を自分の勝手な都合で殺めておいてのほほんと生きていく権利など無いです。亡くなった方にはもう意思はないとしても、遺された家族や友人、周りの人たちの感情はどこへ持っていけば良いのか。その方達が皆で情状酌量を求め死刑は反対だと仰るなら別ですが。自分なら万一にも許せぬ犯罪で家族を殺されたらそのボタンは自分で押したいくらいです。 

死刑がなくなることで人を殺める輩は確実に増えるとも思います。 

 

 

・死刑自体は賛成だが、これに関してもやり方などが大昔に制定されたまま改正されていないのが問題だと思う。 

絞首刑が残酷というのなら薬物など比較的見た目が酷くない方法に変えるとか、執行する人はやってもよいか意識を調査しリスト化してそこから選ばられるようにする、などある。 

ただ、改良の議論をする時点で人権団体やら反対派が騒ぎ出して面倒なことになりそうだから触れたくないてのがある気はする 

 

 

・刑務官の職務の一つに死刑執行という事があるのは事実だろうし、どの仕事を選ぶときにきちんと熟孝しなくてはいけない点では無いかと思います。 

 死刑執行までの時間がかかり過ぎているとも思います。確定したら即執行した方がいいと思いますし刑務所も国民の税金なのですから。 

死刑者にも権利があるという方がいますが殺された方はどうなんですかと問いたくなる。 

 

 

・いくら仕事とは言え、直接死刑執行に携わる刑務官の心労は大変なものだろう。それを少しでも和らげるために、刑務官の方々に国として定期的に継続的に専門家によるメンタルケアをほどこすようにしたらどうかなと思う。 

 

 

・死刑制度の是非については、執行者、執行面からのみで述べるのではなく、多角的に検討しなければならない。被害者と遺族の想い、犯罪の防止、諸外国の制度とのバランスなど検討すべきことは多い。世の中から、悪事が無くならない限り相応の刑罰を無くすことは出来ないのではないか。 

 

 

・執行役を一般から広く公募したらどうであろうか?もちろん、どういう罪を犯したのかよく説明し納得した上で引き受けてもらうと。 

その重大な罪について義憤に駆られる方は多くいると思うので、 

たくさんの応募が見込まれると思いますよ。 

 

 

・死刑執行に立ち会う可能性がある、全国の主要拘置所勤務になった時点で退職してください。 

自分に順番がきたら退職するのは疑問に思います。 

死刑制度に反対思想の国会議員が法務大臣に就任したこともありましたが 

現憲法に謳われていることを執行できないならその職に就くことは絶対にあってはならない。 

 

 

・勤務地の希望は出せるのに、死刑執行の可能性がある拘置所を希望しておいて執行するなら辞職だ苦悩だとか言われても共感できません。 特別手当2万ラッキーとは言えないから、苦悩と言うしかないんでしょうが。 あと、何度も執行に立ち会った方は歴が長いですよね。つまり白髪の原因は加齢です。 まぁ、人間がボタンを押すことに負担を感じるのは理解できるのでチンパンジーにでもボタンを押して貰えば?とも思いますが。 

 

 

 

 
 

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