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「自分が幸せかどうかを見つめて」──トランス女性として活躍するプロデューサーから、次世代へのメッセージ #性のギモン

Yahoo!ニュース オリジナル 特集 5/17(金) 17:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/98e7fae2b1d8f833f9e4b637635903b7dedfcca4

 

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5月17日は、LGBT嫌悪に反対する国際デーで、トランスジェンダー女性の日本テレビ社員である谷生俊美さんが在職中に性別移行を経験したエピソードが紹介された。

谷生さんは家族として幸せに生きることを重視し、性別移行の選択や家族形態を守るために検討を重ねた。

性別移行を進めながら会社勤めを続ける中、「在職トランス」としての挑戦や差別への抵抗、家族や同僚とのサポートについて述べられている。

(要約)

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(撮影:鈴木愛子) 

 

5月17日は、LGBT嫌悪に反対する国際デー(「多様な性にYESの日」)だ。トランスジェンダー女性を公表している日本テレビの谷生俊美さんは、会社に勤めながら性別移行を進める「在職トランス」を経験した。「人は分からないものを差別してしまうことがある」と話す谷生さんは、いかにして人生を切り開いてきたのか。本人と、会社の先輩と同僚に話を聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:鈴木愛子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 

 

谷生俊美さん 

 

谷生さんはもうすぐ5歳になる女の子の「ママ」だ。2014年に結婚したパートナーの女性は「かーちゃん」である。2人は女の子を「もも」と呼んで慈しむ。「ママ」と「かーちゃん」による子育ては、ほかの共働き家庭と変わらない。保育所の送り迎えも交代でする。 

 

「ももが大人になっていくこの社会は、どんな人も差別されることなく、のびのびと生きられる社会であってほしいと思っています。LGBTQでも障がい者でも外国人でも、人は自分とは違うもの、分からないものを差別してしまうことがあります。なぜなら怖いから。でも知ればなんてことはなくなる。だから可視化していくことが大事なんです」 

 

結婚して2年が経つころ、「子どもを持つことにチャレンジしたい」と2人で話し合い、「妊活」を開始した。検査をすると、谷生さんは生殖能力のある精子の数が極端に少なかった。それでも顕微授精なら可能性があるという医師の助言で治療を進めた。また、進めていくうちにパートナーにも課題があることも判明し、苦労を重ねて2年半ほどかかって妊娠に成功、ももちゃんが生まれた。 

 

谷生さんは「かーちゃん」と交際を始める前におよそ1年間、女性ホルモンを投与していた。性別適合手術を検討したこともあるが、そのときどきに考えて選択した結果として、手術はしていなかった。 

 

「どんな選択をするかは、環境とタイミングもあります。私の場合、今の家族の形を守るには、手術や戸籍の性別変更は得策ではないかもしれない。そう言うと『損得でやってるのか』とか『結局男なんでしょ』とネットに書かれることも分かっていますが、そうした心ない誹謗中傷や批判は気にしないようにしています。大事なのは、自分たち家族が幸せになるように生きていくことなんです」 

 

 

谷生俊美さん 

 

トランスジェンダーとは、出生時に割り当てられた性別とは異なる性別にアイデンティティーを持つ人のことをいう。どのようなプロセスをたどって性別移行するかは人それぞれで、身体的、社会的、法的にどのようなゴールに落ち着くか、当事者自身も探りながら生きているケースは多い。 

 

谷生さんの場合、子どものころから「女の子になりたい」という願望を抱いていた。谷生さんの著書によれば、寝る前に毎晩、女の子になった自分を夢想していたという。高校時代はテレビで「ミスターレディ」が脚光を浴びていた。「自由になりたい」という気持ちが、実家のある神戸を離れて東京の大学に進学する動機の一つになった。 

 

大学院を出たあと、2000年に日本テレビに入社。報道局に配属、社会部を経て外報部で中東特派員となり、31歳から5年間カイロ支局長を務めた。各地で起こる爆弾テロや反体制派のデモ、さらには2度の戦争など、最前線からリポートした。 

 

「(テロで)殺された人たちの靴や服の残骸、肉片のようなものも目にしました。そこから中継してくれと言われるんです。むき出しの生と、むき出しの死があった。そうすると、嫌でも自分の人生について考えるんです。支局といっても日本人は私一人ですから、自分と向き合う時間はたっぷりとある。これからの人生を考えたときに、『おっさんには死んでもなりたくない』と思ったんですね。心の奥底にずっと積み重なっていた『女の子になりたい』という思いが、わーっと出てきたんです」 

 

「後悔のないように生きる」と心に決めて帰国。平日は男性の装いを大きく逸脱せず、週末に女性スタイルを楽しむようになる。38歳の夏、編成局へ異動。テレビで顔出しする必要がなくなった。 

 

「報道局を出たことによって“たががはずれた”のは事実です。ネイルをもっと派手にするとか、薄めのアイシャドーで止めていたのをもうちょっと濃くするとか。ただ、じゃあどういうふうになっていきたいかというと、はっきりと分かっているわけではないんですよ。どこにたどりつくかなんて分からなかったんです」 

 

 

谷生俊美さん 

 

会社勤めを続けながら性別移行することを、当事者は「在職トランス」と呼ぶ。現在の日本テレビは、同性パートナー制度を導入したり、多様性をテーマにした番組やイベントを独自に企画したりするなど、LGBTQに関する取り組みが進んでいる。しかし当時は前例がなく、「女性として生きたい」と口に出せる雰囲気ではなかった。 

 

「まず思ったのは、クビになってはいけないということですね。あなたを女性として雇ったんじゃないとか、偉い人の鶴の一声でクビにされるとか、全然ありえると思いました」 

 

そのころ、クリニックを受診して、性同一性障害の診断を受けた。自分が性別不合であることを疑ってはいなかったが、社内で問題になったときに「きちんとガイドラインに沿って行動している」と説明できるようにするために、診断が必要だった。 

 

谷生さんは、編成局の先輩の鈴木啓子(ひろこ)さんに、自分の気持ちを聞いてもらうことにした。鈴木さんは現在、動画配信サービスHuluを運営するHJホールディングスで取締役を務める。鈴木さんには、当時の谷生さんがどう見えていたのか。 

 

鈴木啓子さん 

 

「前提として、ターニャ(谷生さんの愛称)のことは新入社員のころから知っていて、大好きな後輩の一人なんです。いつも目がきらきらと輝いていて、前向きで。ただ、そういう思いを抱えているとは、まったく気づいていませんでした」 

 

谷生さんに「話したいことがある」と声をかけられ、いつものように食事に出かけたある日、「女性」として生きていきたい気持ちがある、と告白される。意外だったが、うろたえはしなかった。 

 

「そんなに大事なことを話してくれてありがとう、と思い、そう伝えました。大切にしている後輩にとって、自分がそういう存在であるということが、まずうれしかった。当時のターニャに対する私の理解は、ヨーロッパナイズされたおしゃれな男性というもの。フェミニンさはありましたけど、パンツスタイルで髪も短髪でしたし、本人に女性の自覚があるとは思っていなかったんです。ところが、話を聞いてみたらそうじゃなかった。なんだ、女の子なのね、と。だったら、ほんとになりたい自分に絶対なろうね、と思いました。会社に理解してもらうために、こことここに話を通そう、そのあと人事に相談だな、というようにクリアすべきロードマップとアクションを具体的に思い浮かべました」 

 

 

谷生さんが昨年刊行した著書『パパだけど、ママになりました』には、パートナーである「かーちゃん」との出会いや、ももちゃんが生まれたときの感動が率直に綴られている 

 

谷生さんからすると、「おしゃれな男性だと思っていた」という鈴木さんの反応は、「なるほど」という腹落ち感があったという。 

 

「トランスしたいという気持ちはあっても、どこかでブレーキをかけていたんですよね。そんなときに啓子さんが『加速したほうがいいわよ』と言ってくれて。そうか、と思って」 

 

「私個人の考えだと思って聞いてくださいね」と念押しした上でこう続ける。 

 

「トランスジェンダー女性として書いたりしゃべったりしながらこんなことを言うのは矛盾しているかもしれないのですが、個人的には、私みたいな存在は『絶望的』だな、と思っているんです。だって、どうやっても本物の女性にはなれないんです。DNAは変えられないから。たとえ女性にしか見えない外見になって外科的処置を施し、戸籍の性別まで変えたとしても、完全には変わらない。この意味において、われわれは絶対に実現しないことを努力し続けるんですよ。なぜメイクするかといえば、女性性という記号を身につけたいからです。女性として認識されたいからです。でも女性にはなれない。だから『絶望的』。だけど、自認する性を表現し、1ミリでも近づこうと、あらゆる努力をすることはできる。そこに希望は、あるんじゃないかな、とも思うのです」 

 

鈴木啓子さん 

 

そんな思いを知った鈴木さんは、谷生さんが女性名で仕事ができるように人事に掛け合い、それが認められなかったときは自分のことのように憤った。スカートデビューのタイミングを考えたり、自然なメイクに見えるようにアドバイスしたりもした。「妹ができたようで楽しかった」と振り返る。 

 

「ターニャの人生の役に立ちたいと思ったんですよね。私もいろんな面でターニャに助けられたから。仕事やプライベートで大変なことがあっても、ターニャと話して何度も背中を押してもらい、前に進めました。それに、ターニャの強さも賢さも知っていましたから。 

 

今もLGBTQに限らずいろんな悩みを抱えている人が職場にはたくさんいると思いますが、私から言えることは、『敵もいるけど、味方もいっぱいいるよ』ということです。何があっても淡々と受け止めて、自分の行動や発言で変えていくしかない。自分らしくあることに恐れないでほしい」 

 

 

( 171484 )  2024/05/18 00:01:19  
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LGBTQについての意見や考え方は様々で、一部の人は多様性を尊重しつつも、他の通常の男女と遜色なく権利を認めるべきだと考える声もあります。

一方で、マスコミの報道や過激な主張に対して違和感を持つ声も見られます。

特に、トランスジェンダーの権利を認めることで、本来の性別の人たちの権利が奪われることへの懸念や疑問が示されることもあります。

また、社会全体を巻き込んでの権利主張が過ぎると、様々な問題が生じる可能性があるという意見もあります。

一部の人は、自然な多様性を尊重しつつも、無理して見た目や外見を変える必要はなく、個々の幸せが尊重されるべきだと考えています。

 

 

(まとめ)

( 171486 )  2024/05/18 00:01:19  
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・皆んな幸せになるために生まれてきたんだから、LGBTQでもノーマルでも何でも良いと思うんです。 

しかしマスコミが主導となって、LGBTQの人達の一部が「〇〇を認めろ」「〇〇の権利もよこせ」的な発言して、それを目立せるような報道にしてしまっているが為、現状では、普通に地道に生きているLGBTQの人まで煙たがられてしまうという構図が出来上がっている感がありますね。 

謙譲の心。皆んながいつまでも笑顔で。そんな日本であってほしいと、常日頃から思っております。 

 

 

・好きにしてもらいたいけど、かといってうまれもっての女性に対しての配慮を忘れないで欲しい。こちらは性別移行がどこまでしてるのかわからないし、正直見た目も男性っぽいままの方も多い。職場で今ままさにトイレと更衣室を一緒にして欲しいという方がいます。トランス女性の権利をないがしろにしていると。 

 

 

・自分の知人に男として生まれ女性と結婚し子供を授かって離婚し、今度はかなり歳の離れた女性と再婚し(女性がかなり高齢)今は女性として生活しているようです。自分の幸せだけを願うなら結婚、子供を授かるなんて事する必要ないし、子供や今の結婚相手の事を考えるならただのわがままとしか言いようがありません。人権を求める前に人として生きてきた過程を振り返って傷つく人がいない場合は好きに生きて行けば良いし、傷つく人がいるなら考えて行動すべきと考えます。 

 

 

・職場環境にもよるし人にもよる。この方々はテレビ局ということで、一般企業よりも受け入れられやすかったと思う。自分はファッション業界にいたけど、その業界ではかなり当事者の方々が多いので普通に受け入れてました。ただ、本社では普通に受け入れてても、地方の百貨店のおじさんからは腫れ物扱いされたり。いろいろあるようです。自分が関わってきた方々は、皆、葛藤もありながら普通に生活し、卑屈にもならず、声高に権利を求めるみたいな感じでもなかった。ネットニュースなど見てると、権利を求めるあまり一般社会を敵視してるような方々もいて、いろいろだなと思う。 

 

 

・家族のあり方は人それぞれだし、子供自身が納得していてのびのびと健やかに育つなら別に良いのでは? 

トランスジェンダーでは無い親の元に生まれて両親が揃っているからといって、必ず幸福になるとも限らないのだし。 

 

あと、この手のニュースが出ると必ず『受け入れられない』『理解できない』という人がいますが、そう思ったりネットに書くだけなら個人の自由だけど、当人に対してわざわざそれを口に出して言った場合は、人間としての思いやりや配慮にかけると思います。 

 

 

・個人それぞれの考え方や思想には多様性があって当然だが、人間の性別は2つだけ、男か女しかいない。 

性別に多様性は無いと思う。 

普通に生きていても差別される事もあるし、嫌悪感を抱く人も人生の中では普通にあります。 

自分が暮らしにくいからと言って、周りを変えようとするのはやり過ぎ。普通の人にも多様性はあるのです。 

 

 

・カミングアウトしてどうしたいんだろうと思ってしまう。 

女性扱いされたいのか、男性扱いされたいのか。女性に男性と同じ力仕事ができるかと言われれば仕事任せる人からしたら効率的にも男性に任せるのが当たり前だとおもう。 

筋肉の付き方や骨格が違うので女性が一生懸命やってもその間に男性はその2倍3倍は運べるわけで… 

家族にカミングアウトするのはまぁ誰にも迷惑はかからないからいいけど職場でのカミングアウトはなんだかなぁと思ってしまいます。 

あとは所謂パッと見もすごい女性として見れる人なら気づきませんが、あれ?男じゃない?って人が女性トイレや更衣室にいると正直嫌です。 

自分の性はこっちです!と主張するのは自由ですが女性はこっち男性はこっちで当たり前に生きてきた私たちに理解を求めるのは難しいんじゃないかなと思います 

 

 

・普通の男、普通の女にも権利はあるので認めてほしい。幸せになる権利は全ての人にある。 

これだけトランスジェンダーが浸透し、皆、わかっている。どこに属していても一人の人間として 

相手を尊重すれば良いことです。声高に権利、権利と言えば反発も生まれ軋轢を生んでしまう。 

どんな人にも、等しく物語がある。病気の事、家族の事、言うに言えない話はどなたも抱え生きていることも理解してほしい。 

 

 

・私はゲイですが、ゲイの中にも本当に色んな人がいます。十人十色、三者三様などの言葉がありますが、本当にそんな感じです。 

 

トランスジェンダーでもはるな愛さんのように性別適合手術は終えているけど戸籍上の性別をあえて男性のままにしている人もいれば、手術もしてない、戸籍も男性のままの人もいます。女性から男性になって見た目は男性になったけど恋愛対象は男性という人もいました。 

 

当事者以外の方にとっては未知の存在ですよね。比較的近いところにいる私ですらその多様性の凄まじさに驚くのですから当事者でない方が距離を置こうと警戒したくなる気持ちは分かります。 

 

 

・どんな性別でもどんな見た目でもいいんだけど、この方が夜のニュース番組に出ている時の喋り声が聞きにくくて苦手だった。無理して声を出していると苦しさが伝わるんだよね。テレビに出るならもう少し出しやすい声で話すか発声の練習をしてほしい。裏方や執筆なら声の仕事じゃないから、そちらで活躍されたらどうかと思う。 

 

 

 

・色んな面で難しい課題もあると思います。 

職場の更衣室や、日常でも御手洗やそれこそ温泉とか、私生活を送るには問題がなくても、施設を使用する時に色んな面で、問題は多いのだと思います。 

みんながみんな、受け入れられる問題でもない部分もあると思いますが、カミングアウト含めてLGBTQの問題で悩んでる人に対して、身近に頼れる人がいて欲しいと思います。 

 

 

・カミングアウトするのはいいと思うけどそれを聞く側の気持ちにどれだけ配慮できるかだと思う。生理的なことなので普通の側から見れば非常に奇妙な事柄に見えるという現実が大前提にはある。で昨年ゲイを公表したタレントさんみたいに「聞きたくない内容であることは分かってる」という配慮がちゃんと出来てる人は割と受け入れられるんだけど、残念ながらそうじゃない人の方がずっと多い気がするんだよね。同性愛の件に限らず強く主張したいことがあるのなら聞かせたい相手の気持ちをまず考えるのは鉄則だろう。 

 

 

・少し前にテレビに出てて、心が女性ならトイレも風呂も認めるというような権利付与が問題に上がっていた時だったから、自身を女性と認識しながらも男性の生殖機能を使って我が子をもうける。ということに大きな疑問をもった。 

こうしたことをひとつの個人的選択であるということは尊重するけど、社会全体を巻き込んで女性としての権利を主張し法律までをもどうにかしようとする動きは何だかな~という感じ。 

 

 

・そもそも女性はこうあるべき、男性はこうあるべき、みたいなステレオタイプがなくなったら性別変える必要もなくなるのではないだろうか。女性はスカート履いて化粧して男性と結婚しないといけないみたいな固定観念がなくなって同性婚が認められて、恋愛する人もしない人もみんなが自由な服装や髪型や仕事を自由にできる社会になってほしい。 

 

 

・ご自身の葛藤はあったのだろうと推察されます 同時に同僚 友人の戸惑いもあったのだろうと 最近は世の中も変わりつつありご苦労も減りつつあるのかな? 言い方が適当かどうかわかりませんが やはりイレギュラーには変わりありません なので周りにまずは配慮を優先されながら生活 仕事をされる事を希望します 

 

 

・男性名で女性の姿で映画天国に出演されたときは「会社員でもこういう姿で表に出られる時代が来たんだな」と感じた程度でしたが、多くの人は驚かれたでしょう。あれから数年経って法整備も進みましたが、感覚的に受け入れられない人がいても仕方がない。時代が解決していく問題だと思っています。 

 

 

・性自認異常(性同一性障害、性別不合など)は医学的な診断名、および状態像であり、出生時に割り当てられた性別とは異なる性の自己意識を持ち、自らの身体的性別に持続的な違和感を覚える状態を指しますが、精神疾患として分類されることがあります 

たとえば、アメリカ精神医学会のDSM-5では「性別違和」として分類されています 

 

また、一部の研究では性自認異常と脳の構造や機能の関連性が示唆されており、 

これは脳の発達や機能に問題がある状態を表し、脳の構造や機能に精神疾患と関連する特徴が見られることを示しています 

たとえば、統合失調症やうつ病などの精神疾患と関連した脳内ネットワークの異常が認められるようにです… 

 

医学的な研究や議論が進行中であり、その分類や定義に不確定な要素が存在する現段階において、性同一性障害特例法を改定すれば、 

さらなる社会の混乱を招き、将来に禍根を残す結果を招くと予測されます… 

 

 

・多様性と言うのならば、本来の性別で普通に過ごしている大多数の人の権利も認めて欲しいものです。トランスジェンダーの権利を言うがまま認めていくことで、本来の性別の方の権利を奪うことになるのでは本末転倒です。 

差別はいけませんが区別は必要です。やはりある程度の線引きはしないといけません。性別を都合よく自認出来るようなことはあってはいけません。 

中には受け入れられない方もいるでしょう。それも多様性です。そのあたりも含めて報道などしていただきたいものです。 

 

 

・LGBTQに対する差別を無くせたら理想的ですけどね。現実は、カミングアウトもリスクが大きいから敢えてはしないでしょうし、まだまだ理想通りには行かないと思います。 

しかし、こうした自分のしたい事をして、前向きに捉えて行動している方を拝見すると、応援したくなりますね。やはり、楽しく自分らしく生きるためには理解してくれる仲間が必要ですね。同じ境遇の方がいたら尚、良いでしょう。LGBTQの方々が世間から認知されて差別が自然に無くなっていくような世の中になってほしいと思います。 

 

 

・性的マイノリティだけではなく多様性の時代。 

個人的にはいろいろな意味で個人の多様性が認められる、最低限の法整理に取り組むべきだろうと考える。 

 

ただ、多様性を認める、民主主義(多数決で判断する)が基本なので今の様に押し付けられている感じがするのはどうかと思う。 

 

今まで虐げられてきたから優先するとかはおかしく、今までは不公平でした、だからそれを改めて公平な機会選択ができる法整備をしましょうが正しい。 

 

今のSNS全盛の時代、ごく僅かなマイノリティの人たちの声が大きくなりすぎて、マジョリティの人ももしかするとマイノリティの人も生きづらくなってはいないか? 

 

最近、昔の部下(女性30代)が退職した。 

それは本人の実力とは関係なく、女性管理職を増やすと言う会社の安易な施策にはめられ部長まで昇格させられたが、担当部署も傷を着けない内に移動、更に大きな部へ 

 

直接話しはしていないがきつかったのだろう 

 

 

 

・性別とか性的嗜好についてはそもそも個体差があるので、おそらくハッキリとした境界はなく、自分自身で今の自分を決めるしかなきのかもしれない。 

例えば今は女性で男性と付き合ってきたとしても、たまたま何かあって男性が苦手になったとか、女性で魅力的な人に出会ったとか、そういう場合もあるだろうし 

 

たとて生まれ持った性別で生きていても苦しい現状もあるしね。 

 

LGBTに限らず、自分を本当の自分を曝け出して生きれないのは辛いもの 

それこそ、カミングアウトも何も出来ないし 

まだ時代や社会が目を向けてくれるだけ幸せなのかもしれない 

 

 

・物事、好きか嫌いかどうでもいいかの3択しかない。これに理解できる、理解したい、理解は難しいが掛け合わされる。昨今の報道を見ていると全ての人が理解できて好きでいないといけないかのように言われているのがちょっと嫌だ。私個人は理解できている、または理解しようとしているが好きではない、に当てはまります。好きではないという答えもまた多様性の一つだと個人的には思っていますが... 

 

 

・LGBTに限らず、さまざまな理由で「他の人と違う」に悩みを抱いている人は多い。それは所得かもしれないし、身長かもしれないし、肌の色かもしれない。他の人とは「異なる」点について、ことさらに騒ぎ立て、問題にする人々もいる。その結果、社会は生き苦しくなる。他人を尊重できる社会を目指したいが、その道のりは長い。急速な改革は良い結果を生まないこともあるので、ゆっくりゆっくり進んでいくしかない。 

 

 

・自分が幸せかどうかというのはとても大切。 

最近やたらと声高に多様性を認めろと言っている人が多く感じてしんどい。認めさせて何になるのでしょうか?多様性を認めろと言うなら、LGBTQに対してNOも認めるべきでは?自分を認めさせて、批判する人は認めない風潮に疲れました。この人のように自分の幸せを追求して楽しく生きるのがいいと思う。 

 

 

・生まれが男性だった人でトランスジェンダーはもう昔とは次元が違う自由を手にしている気がします。まだもちろん偏見があるだろうし、トイレや温泉とか不便はあるだろうけど。 

 

昔はほとんど夜の仕事やファッション系やクリエイターの仕事をしていたのが、今は堅苦しい肩書きのまま女性の服を着て出社している人が増えてきた。女性のトランスジェンダーはまだそこまで行ってない気がします。 

 

 

・大切な人がLGBTの問題で悩んでいたら全て 

受け止めてあけたいが、やはり性別適合手術は本当に悩むと思う。体やメンタル面の不調は本当に心配だ‥何年か前に男性→女性に 

変わった方と働いていたけど、気性が激しくてあちこち喧嘩をふっかけるから解雇に 

なった。りゅうちぇるも想像の域でしかないが、世間の声やメンタル不調、ホルモンバランスの変化など、結果哀しい選択をしてし 

まったと思う。社会が変わる事はきっと出来る、令和はそんな時代にこれからなっていくと思うが、記事にも書かれている通りに限りなく女性に、もしくは男性に近づこうとしても決して叶わない心身の問題は大変難しいと 

思う。 

 

 

・男っぽい女の人や女っぽい男の人がいてもいいと思うのだが、性別を移行と言ってもそれはどこまで行ってもカモフラージュだと思うので、今生は腹をくくってそのままの性別で生きて、来世で男にあるいは女に生まれ変わることが出来るよう、祈りながら生きていくのが良いのでは。 

 

 

・人に優しく自分に優しく。みんなが思いやりの心を以て心地よい世の中が構成されればいいかなと思います。 

とはいえアメリカからの押し付けで、行きすぎた平等意識の下で女性の人権がトランス女性により迫害されております。 

人に受け入れてほしいならば、まず自分が社会の現状を受け入れる姿勢を示してほしいと思います。 

わたしは男性ですが、MTFさんも女装さんも友達がおります。そういった社会には線引きがあることをわかってる方がほとんどです。 

過激な一部の人の一部の発言や行為がトランス全体のイメージを押し下げてることを当事者は肝に銘じてほしいです。 

 

 

・好きにしたらいいと思うけど、外見にこだわりすぎな人が多い印象。 

女性の外見にこだわりすぎるのも、なんとなく違和感を覚える。 

別に内面女性なら、それでいいと思うし、外見にまでこだわる必要ってあるんだろうか。 

ありのままの自分を、多様性として受け入れたらいいんじゃないかと感じた。 

 

 

・女性と男性って身体で分けられているものだと思う。男性が女装しようが切除手術しようが、そもそも染色体は変えられないし、生殖器官も骨も筋肉も血液も違うのでは。 

10代〜50代までの毎月の生理の痛みもおりものの煩わしさもないのに、一体何が自分を女性だと思わせるんだろう? 

そういう嫌なことは無視して、表面上の女性っぽいオシャレを楽しみたいだけとか、女性の輪に入りたいとか、社会から守られる気遣われる側になりたいとか、そういうことではないのかな…? 

 

周りに穏やかで優しくオシャレな見本となる男性がいなかったから、自分は男性じゃないな…と誤認したとか、そういうことではないのかな…? 

 

 

 

・難しい問題…多様性と言いながらも、認めすぎるとトイレとかお風呂にしても、普通の男性でも「私は女性です」と手を挙げれば女性の空間に入ることができるようになってしまうし、結局は男女分けないと犯罪だらけになってしまうわけで。 

色んな主張は分かるけど、やはり公共の場で全て受け入れることは難しいでしょうね。 

 

 

・男の肉体に産まれたのなら、いちいち見てくれを変更しなくても女性と思って生きてればいいだけでしょう 

見てくれは重要ではない いくら女性っぽい服装にして女性っぽい動作にしても無理やり感が漂う 

たとえば丸刈りの女性がいるように、頭は丸刈りでもいいでしょう 

ズボン履いている女性も多いわけだから、いちいちスカートを履かなくてもいいでしょう 

 

 

・生まれながらの女性のスタンスも考えなくてはいけないと思います。 

夜間のカフェで、カップル(片方がTジェンダー)のケンカに居合わせました。 

T側は体が男性なので声が大きく、相手の腕を掴んで女性が頭をテーブルに打ち付けられ、騒ぎになりました。 

警察官が駆けつけて収まりましたが、やはりこのような場合は性差が出てしまい、傷害事件に発展したりする可能性があります。 

トイレ、浴場等を共有するのは難しいです。 

 

 

・どんな事でもそうだけど。他人なら全然理解がある様な言動が出来る。 

関係ないから。でも実際我が子がそうならきれい事言えないだろうなって思いました。 

受け入れられない。着地点に辿り着くまで本人と同じくらい葛藤し続けるんだろうと思いました。頭ではわかってる理解しようっておもう。命より大事な子供だから。 

 

 

・最近、もう驚かなくなりました。自然体が1番。苦しまないで。時代は変わった。もし家族がそうだったとしても、話してくれたことに、良かったと思う気がする。行き着くところが、本物の女性になれず、絶望を感じると、この辺、苦しまないよう、突き詰めないように、なるようになるの精神でとも思います。 

 

 

・多様性とか、人権とか騒ぐ人って自分のフィールドでしか騒がないからおかしなことになると思うんですよね。 

多様性も人権も全員に当てはまることだし、誰にだってマイノリティな部分はありますよ。 

 

それをお互いに理解し合うだけでいいと思うし、法的に不足しているならそこを補えば良いだけのこと。 

それを必要以上に騒ぐからみんなが不幸になってると思います。 

 

一人ひとりの幸せにスポットライトを当てないと不公平ですよ。 

そんなことされても困るけど。 

 

 

・ADHDやASDと同じく脳の違いと認知の歪みの本人の意識と肉体いわゆる主観、客観的に身体的特徴と意識のカテゴライズなどもそれぞれ違うので簡単ではありません。 

ある国や、昔はある種区別差別が酷かったのはそのせいです。 

自分らしく生きられる世の中と社会的に混乱を起こすラインはどこになるのか。とても難しい問題ですね。 

 

 

・有名なJTC企業に勤めてました。 

 

取引先と対応する部署で仕事していました。 

 

ある日女性っぽいけど男性のスーツ着た方が現れたんですね。で、名刺交換しました。で、まあわしも怪訝な顔をしてしまったんでしょうね。 

 

向こうは言いました「いわゆるLGBT的な何ちゃらなんでご理解をお願いしますと。で、私も察して、言いたかったことを諦めました。 

 

「キラキラネーム」、もう慣れました。時代ですもんね。気にしちゃいけない。 

 

正直いえば、JTC企業は取引に来る人が何者かなんて、そんな気にしてはいなんですよ。 

会社名という「記号」だけっすよ、マジで。 

 

あ、でもカツラだけはやめてください。気になります。 

 

 

・今を生きているトランスの人達は性別違和に凄く苦しんでいると思うけど、今後もっと社会が進んで、"男性らしさ""女性らしさ"というジェンダー規範がなくなっていった時にトランスの人達が生まれるのかどうか気になる。自分はシスジェンダー女性だけど、胸があることにアイデンティティーを感じたことはないし、何なら膨らんだ胸に嫌悪感すらあった。でも自分の身体に違和感はないからトランス男性の苦しみはやっぱりどうしても想像できない。トランス女性が過剰に女性らしい格好をしているのを見るとトランスの人達が1番偏ったジェンダー規範に囚われている気がしてしまうけど、それはメディアが描くトランス像が偏っているからかなぁ 

 

 

・どうしてプライベートなことを大々的に主張するのかわからない。 

私もまさに『Q』に入るんだろうけど、別に入らなくていいと思ってるし、 

主張もしないし、苦しくない。これが私自身だって気に入ってる。 

枠なんかいらないよ。 

他者に理解してほしいっていうのは、自分自身に理解してほしい、裏を返せば自分が認めてないってことなんだよ。 

いろいろいていいんだと思うよ。面白いじゃん。 

 

 

 

・記事の谷生俊美さんはトランスジェンダーで肉体は男で生まれて心は女ということだと思いますが、独身時代に女性ホルモンのみ1年ほど受けていたが性転換手術は受けてなく、男性戸籍で女性と結婚して子供も作られています。 

 

つまり心は女性だけど、異性の対象は女性ということでトランスジェンダーのレズビアン?ということであってますか? 

女装家との違いがわかりずらいですね・・ 

 

逆に女性の身体で生まれ心が男性のトランスジェンダーの人が、異性の対象が男性の場合もトランスジェンダーのゲイ?ということだと思いますが・・・考えると段々と混乱します。 

 

 

・体感だけど、もう、差別はだいぶなくなってきたんじゃないかと思う。 

 

どう対応したらいいかわからない、という人はまだ多いだろうけど、LGBTQの方達にかつて投げつけられたひどい言葉は聞かなくなったし、周りの話を聞いてても、差別的な考えの人はいないから。それぞれ好きに生きればいい、という意見の人が多く感じる。 

 

多様性はもう、当事者たちが、どう穏やかに落とし所をつけるか、のステージに入っている様に思う。一部の声の大きな人たちが逆につけてしまったマイナスイメージを、どう当事者たちが融合に持っていくか。 

 

 

・日テレ系列なら福島中央テレビの直川貴博アナウンサーも女子アナになりたかった人ですね 

あの方は見ていても非常に感じがいいし日テレという会社は多様性に積極的に取り組んでいるのかなぁと思いますね 

 

 

・>「どんな選択をするかは、環境とタイミングもあります。私の場合、今の家族の形を守るには、手術や戸籍の性別変更は得策ではないかもしれない。そう言うと『損得でやってるのか』とか『結局男なんでしょ』とネットに書かれることも分かっていますが、そうした心ない誹謗中傷や批判は気にしないようにしています。大事なのは、自分たち家族が幸せになるように生きていくことなんです」 

 

気にしないようにしてて、家族が幸せなるようからいいって結論もだしてるなら、なんで外に向けて発信してるのかよくわからない。 

 

家族が幸せに生きるために今の世の風潮を変えたいならわかる。 

でもその場合は明らかに外野を気にしてるってことになるから矛盾してない? 

 

 

・カミングアウトをされることも勇気がいることだと思う。 

もちろん職場で配慮をしなければならないことがあれば最大限したいが、他の従業員の気持ちまではコントロールできないので、更衣室やトイレの使用は簡単には解決できない問題かと。 

女性の感情としては格好は女性でも男性が入ってきたとなったら、心穏やかじゃないのではないかと?今日から受け入れろと言われても簡単にはいかないような・・・ 

 

 

・トランス女性として活躍するプロデューサーが次世代へ向けて「自分が幸せかどうかを見つめて」というメッセージを送ったんやね。これはめっちゃ大事なことやと思うわ。性のギモンっていうのは人それぞれで自分にとって何が一番ええのか、どうやって幸せになれるのかを考えることが大切やな。 

 

自分らしさを大事にして自分がどうありたいのかどう生きたいのかをしっかりと見つめ直すことは誰にでも必要なことや。トランスジェンダーであろうとなかろうと自分自身が幸せを感じる生き方を見つけることが一番の目標やと思うわ。 

 

このプロデューサーさんみたいに自分のアイデンティティに正直に生きて、それで成功してる人がおるっていうのは、多くの人にとって勇気づけられる話やし、大きな希望になるんちゃうかな。 

 

性のギモンに答えを出すのは簡単なことやないけど、自分を見つめ直して、自分にとっての幸せを追求することは、とても価値のあることやね。 

 

 

・公共の浴場やトイレ等でLGBTを装い犯罪を犯した人がいました 

こんな事があると本当に悩んでいる人々が苦労してしまうなと思いました 

トイレはみんなのトイレみたいなものがありますが浴場は困りますね… 

外側から見える性別に従う方がトラブルは無さそうですが心は女性なのに体が男性でも男湯に入るのはキツいと思います 

周りは気づかないし何とも思わないと思いますが本人からしたら… 

 

何に関しても理解を得るのは難しいから悩んでいる人だらけです 

色んな人が居るということが分かるだけでも何十年も前とは状況も変わっているのでこれから色んな悩みに理解のある、または解決策のある世の中になって行くのだと思います 

そうなって欲しいです 

 

 

・つーか、この件だけじゃあないけどもう一度現代人には考えてほしいことがある。 

幸せの否定は不幸ではないという事だ。幸せでもないけど不幸でもない、それが人としての最低限のところじゃあないか? 

 

なんか現代人は幸せ幸せ言うよね?もちろん人それぞれの尺度はあるけど、幸せが普通になれば次の幸せを求めるようになる。 

この傾向は幸せの強度が高くなればなるほど顕著だろう。 

 

不幸でなければ、どちらでもなければ充分ではないか?人としての当たり前の基準値、もう一度考えてみて? 

それでも幸せのみ貪欲に求めるなら、私はその人はモンスターか何かにしか見えません。 

 

 

・無茶苦茶な事やレッテル貼りするだけの乱暴な方がいる一方で、このように道を切り開こうとしている方がいる事には心強さを感じる。 

 

乱暴さや征服欲とかそういう変な雑味の部分は受け入れないが、社会に問題を起こさないままに、あるがままに認められる社会に徐々に移行してゆく事自体は望ましいと思える。 

 

ただ、子どもの養育や出生などの部分で、まだ実績が十分に詰めていないという事実とか、その後の人生全てのイベントでの従来の価値観との摩擦をどうするか?の部分など、まだまだ馴染むまでに時間がかかる部分はあると思える。 

 

新参者として、改めて参入し始めた。と言うスタンスで運動を始めた以上、手順は踏んで欲しい。 

 

ズルくない、自然な当たり前にある存在だと納得して、持続可能な社会を皆と一緒に営めるのだと証明する事が初期世代の任務、それに続くものが道を固めて、三世代とかかけて溶け込むのが今までの普通だと思う。 

 

 

・明治以前の我が国は厠も一緒で風呂も混浴が多かったが、「野蛮」な風習から意図的にそれらが隔てられるような文化をつくられてきました。自分に備わる心だと思う単純な嫌悪感さえ、内から湧いたものでなく本質は拵えられたものに過ぎないのです。欧州北部でトイレやサウナなどが男女共用なのに戸惑う日本人旅行者も多いですね。だから、いきなりジェンダー論を振りかざす正義よりもグローバルな価値観を受け入れる為の土壌をつくる価値転換が我々にも迫られているのかもしれませんね。ただ明治維新の頃のように「神」としていただく天皇の政府というような建て前がない現代では尚更、万民の心の価値転換を行うのは容易ではないでしょう。自分が男性であるとか女性であるとか或いは両方であるというような原初的な感覚は拵えられた風習や文化や宗教に先立つ、心の本質であり、その人そのものであることを理解しようと努めるのはこれからは大切なことでしょう。 

 

 

 

・トランスの問題とは別に、身なりや振る舞いに関して女性は化粧をしスカートをはき、女らしさの固定観念の枠にはまっているべきだという考え方は良くない、個々の個性に応じて自由であって良いはずだという考え方が一方ではある。 

この方は、女性と結婚し子供も持つことができて、しかし、女性として生きたいという。 

記事を読むといわゆる「女性らしさ」の固定観念に自らを当てはめたいという願望が強いのだという風にも読める。「おっさん」には死んでもなりたくないと。 

もし世の中が、振る舞いや身なりに関して女性らしさ男性らしさという固定観念が崩れて、化粧をする男性、すっぴんで出歩く女性が入り乱れる世の中になったと仮定して、この方はそれでも「女性」になりたいのか、化粧をしてスカートを履いた男性でも奇異に見られないという社会であれば構わないのか。 

性別ではなく社会的な固定観念と自らの趣向の整合性の問題なのか。難しい。 

 

 

・谷生さんと先輩の注意深さと行動力が功を奏しましたね。企業の人事部は視野が狭く社内政治や肩書・人事制度そのものに囚われがちで、融通の効かない部署です。LGBTQや多様性を、企業や放送局がこぞってアピールする時代だからこそ、谷生さんたちマイノリティーが組織の中でも活かされる立場になり得たのだと感じます。社会の中に、ひっそりと孤立しがちな人たちにも、希望の光が差す事を願います。 

 

 

・顔と頭が男で、服装はベアトップにショートパンツという方が山手線に乗り込んできた。顔と服装とのギャップが激しく、周囲にぽっかり空間が出来ていた。世間の反応ってそんなもん。自分を通しているのだろうけど、人に気を遣わせる存在ではある。 

 

 

・ここまで優秀で、行動力があって、きっと問題解決能力も高い人が、それでもなお、必ずしも社会的に有利とは言えない、性自認の相違に向き合うのは、やはりそれがそれほどに大切なものであるからなんだろうと思う。 

この方は、トランスジェンダーのレズビアンのようだから、組み合わせとしては身体性男と女。何も言わなきゃ、普通のカップル。 

それでも、女性としての自分と、女性のパートナー。母としての自分。それを実現することに、意味があるんだよね。 

何が大切なものかなんて、正直人それぞれで、他人から見たらなんの価値もないようなものでも、至高の宝物であることもある。 

 

特に、性は全員に必ずついて回る問題で、それについての「大切なこだわり」は、面白がって扱って良いものでは決してない。 

気持ちの理解は要らないと思う。 

ただ、何かを大切にしているという事実を、尊重すればいい。 

それだけでいいと思う。 

 

 

・それで本人が落ち着いてるなら一番良いと思う。私は女(男)なの、何故認めてくれないの?と不安定になって来ると扱いが面倒くさい。 

性別に限らず誰にでも、頑張っていたけど仕方のない「お互い様」があって、自分や家族の範囲で解決できない事には何気なく手を貸し合えればそれで良い。 

 

 

・いろんな人がいて構わないのだが、この人がゼロに出ていた時は強烈な違和感しかなかった。テレビは選ばれた人が出る場所であって、何も彼をわざわざ使う必要があるのかと思った。普通に女子アナ出してる方が視聴者は気持ちよく視聴出来るので彼は画面には登場しなくてよいと思います。 

 

 

・他局でも、生まれた性は男性ですが、女性の服を着たアナウンサーの方がいらっしゃいますよね。 

今の時代には何の引け目もいりません。 

自由にしていいと思います。 

意味は違うけれど。最近は男性のタレントさんもオシャレとして口紅を塗られた方多いですよね。 

先日、男性スーツを着たNHKの男性アナウンサーが結構な赤い口紅を塗られて出演されてました。メイクさんが赤く塗りすぎたのか、ご本人の意向なのかわかりませんが。 

 

 

・今の世の中、少しでも理解してくれる人がいるならそれでいいのだと思う。ノーマルでも身内に認められない事なんて沢山ある。特に親世代はいまだに結婚して子供産んで一人前な思考の人多く、うちの親もそう。物凄いノンデリ発言したりするけど、理解出来ない人にそれは差別だとか時代遅れといっても理解させるの難しいので諦めてる 

似たような人々や理解者が多く己が羽を伸ばせる場所で輝く、のでは駄目なのかな?(二丁目とか)。今はSNSとかYouTubeとかで個人の意見発信しやすいし。 

あとトイレとか銭湯とかスポーツとかは体で区別される物で仕方ないと思う。 

 

 

・心が生物学上の性と一致しないという人はいるし、そうであるのは理解するが、スポーツに関して言えば男女の区別は生物学上の分類ですべき 

 

近年、女性の重量挙げや自転車、陸上、水泳などに女性体が男性の選手が出てきているけど、そうなってくると男女の競技の区分が意味をなさなくなってくる 

 

 

・格好は会社が許すなら好きにしていいけど、トイレや更衣室はどうなるんでしょうか。社員旅行で温泉に入ることになったら?そこの区別は身体の性別に合わせることが守られて欲しい。力では叶わない存在の前で無防備な姿になること、女性にとっては恐怖でしかありません。 

 

 

 

・「埋没系」と言って、メディアや芸能人ではなく一般人のLGBTもけっこういる。なかには外見どっちの性別か分からない不思議ながら、生物学上のなかでうまく生活を送っている人もいる。今の社会的理解が広まるなか、地味で生きるのもいいことだ。 

 

 

・この番組先日観ました!が、ちょっと違和感。パートナーが出産、産後にバリバリメイクに、イヤリングして産婦人科きて、新生児抱いて、大切にしなきゃだわみたいに受け答えしていて、なんか、そこは普通にラフにノーメイク、スウェットみたいな感じでいいのではとおもったり… 

 

 

・マイノリティの人達は人達で幸せなら良いんじゃない。 

だだ自分達がそれだからどマジョリティに意見を出しても100%通ると思わないで欲しい。 

色々な問題もあるだろうが、マイノリティはマイノリティ。 

自分達の意見や主張も大事だろうが大多数は、マジョリティ。最後は民主的な多数の意見に従うべきかな。 

 

 

・何が言いたいかはよくわからない記事だけど他人に完全に(完全の定義ですら人それぞれでよいはず)認めてもらおういうことに目標をおいては、本人も周りも息苦しくなるだけ。価値観のすり合わせなどやっては絶対ダメ。お互いに他人の価値観に口を出さない、コメントもしない関係を確立するしかないと思います。この件に限らず宗教にせよ何にせよ他人の価値観を受け入れられる(口を出さないコメントしないということ)大人を増やしていくしかないと思います。テレビの弁護士やら活動家やらは最悪の部類です。 

 

 

・トランスですが、自分としてはどうでも良いです。自分で女性と思っているので別に他人に女性と認められなくて良い。ですがトイレや温泉、更衣室、こればかりはどうしようもないです。見た目相応のトイレや更衣室に入るしかなく、嫌なら外では辞めるしかないと思います。マナーとしてどうしようもない。特に配慮や理解も他人に期待していないのでそうゆうのも自分には不要です。 

ただ自分は女性。自分は思ってるし自分の好きな服を着て化粧もする。これも他人には関係ない。 

偏見の目で見たければ見ればよくって、自分には関係ないですね。 

 

 

・最近よく見かけるけど着てる服装が怖い 

この間、女性の服装で女子トイレに居座ってる人がいました、メイクして長居してた。嫌がらせ??怖かったです。変質者かと思って外で待ってたけど出てきませんでした。心が性別違うって理解できるけど 筋膜、筋量も違うから流石に近寄れない 

 

 

・やっぱヤダなぁ、子供の立場からみても。 

子供、特に小さい頃は、他の子たちと一緒がいい。だから、みんなと違うってのが、ほんと色々ダメなんすわ。必ず仲間はずれの原因に。今の世の中、いじめはダメだけど、無視とか仲間に入れないことは禁止されてないので。 

どこまで隠し通せるか、って心情が遠からず出てくる。そうなると、、、。 

かわいそう。 

図太いくらいの精神の持ち主であればいいんだけど、、、それを願って。 

 

 

・別に、個人の性別がどうなろうが知ったこっちゃない。 

ただ、それが同僚とか上司とか部下だと、どう接したら良いの?って悩むと思う。 

絶対、それまでと同じ様に接するのは無理。 

 

そういう意味では、ハラスメントとも言えるかもね。 

 

強制的に従わされされるこっちの身になってほしいよ。 

自分自身は良いんだろうけど。 

 

 

・差別する気はないと前置きする。 

どんな宗教を信じようと自由だし、ある一定数その集団があるなら礼拝所を作ればいい。 

でも、その宗教が嫌いな人がいて、差別はしないがどうしてもその考えが受け入れられないとしたらどうだろうか。 

犬が好きな人がいるがどうしても犬が嫌いな人もいるがそういう時はお互いどうすべきか。 

ワンマンな創業者がいて職場でなら立場上周りは受け入れるが、出先で同じことをしたらどうなるのか。 

愛煙家はタバコ嫌いな人に対してどの様に行動すべきか。 

受け入れられる人と受け入れられない人がいて馬鹿にされたり、差別されたり、時にはそれでマスコミに叩かれることもある。 

それで傷つくこともあるだろうが、LGBTに限らず社会は多くの矛盾の中で動いていてその時々に合わせて上手くやっていくしかない。 

 

 

・自分のすごく身近にはLGBTQの方がいませんが、個人的には応援したいと常々思っています。もしカミングアウトされれば「そうなんだ、いいと思うよ」となると思う。ただ、公共の場たとえばトイレや公衆浴場でたまたま会った人がLGBTQだとしても、知らないので困惑するでしょうね。なぜ女子トイレ、女湯なのに男の人がいるの?となってしまう。わかれば「そうか」と思えるけど、いちいち説明してられないでしょうし、困るだろうなと思います。 

 

 

 

・素敵な話でした。ですが、今に辿り着くまでに辛さや苦労をたくさん経験されてきたとは思いますが…。 

 

先輩の鈴木さんが自然と受け入れて色々とサポートされたのが心強く、とても素敵な先輩だと思いました。 

 

 

・アメリカに住んでました。語学学校の先生は結構マイノリティのヒトいました。やっぱ、いくらアメリカでもなんでもウエルカムって感じではないみたいで、外国人相手の仕事とかにつく人が割といる感じでした。実際、先生として教えてくれてる分には、違和感なかったです。男性だろうが、女性だろうが、どんなファッション思考だろうが。 

 

 

・谷生さんの神戸時代の同級生です。 

当時は尾崎豊の歌が上手で、クッキリした顔立ちの真っ直ぐな友人でした。 

その後、大学進学を境にお互い音沙汰なくなり数年前に日テレで生まれ変わった谷生さんの姿を拝見したときは驚きましたが、気概を持って生きている姿をまた今回見て、眩しく感じました。 

お互いがんばろー!! 

 

 

・常識とかルールってのは、大多数の人間にとって有益であるから生まれるものなのだと思う。 

そこから弾かれたものが救われないのは、利害関係があるから。掬い上げようとするには多大な労力が掛かる割りに、得られるものは無い、と言っても良い。マジョリティの側には。 

 

自分は弾かれた側だから、彼らと呼ぶべきか、彼女と呼ぶべきかがどうなろうがどうでも良い、と思えるのかもしれない。 

 

 

嘲笑は下卑た行為だけど、何の根拠もない上から目線を快いものとして捉えた経験は誰しもが通り過ぎているのではないか。 

 

権利の主張と呼ぶにはささやかな、一人の人間として認められたい、とそんな叫びも、知ったことがない、っちゃ、知ったことがない話だ。 

 

書いてる途中で拭いきれなかった違和感の正体に気づいた。 

そうだ、こいつら、しっかりとマスコミっていう権力の中枢にいる連中じゃん。 

 

 

・日本国民のほとんどがマジョリティなのに なぜ今マイノリティの声の大きい人に 

合わさないといけないのでしょうか バブル前の日本の景気が右肩上がりで 

世界も平和な時代なら聞く耳も持てましたが 令和6年の今 これだけ経済が厳しく 

いつ日本も戦争に巻き込まれてもおかしくない状況で ただでさえ国民が一致団結 

しないといけない時に 個人の主義主張を言う前に 日本国民みんなでこの難局を 

乗り越えようとは思わないのでしょうか(早くて来年 日本は有事に巻き込まれる) 

 

 

・元々LGBTは個人の自由と考えて抵抗なかったのですが、世界のトランスジェンダーの方(男性→女性)の女性の人権を軽視する行動によって考えを改めました。 

最近認められつつあった女性の人権が自称女性の男性によって「女は黙って従え」とばかりに踏みにじられている感じがします。 

 

 

・元活動家ですが、一人の人間として生きる方がある意味活動になると思ったので、いわゆる活動は辞めました 

未手術トランスで「その場に応じた性別」は常識などで自然と一つに決まる為、特にストレス無く過ごせています 

会社にもカミングアウトしてます、会社が狭いので更衣室の場所が不定期で変わります 

日本人以外とも話す機会があるので、いろんな反応があるなーという感じです 

 

今一番困っているのはネットでの全体に対する誹謗中傷ですかね 

昔、健常者が活動に乗っかってくれたのは「見た目による決めつけや無駄なアドバイスや口出しに嫌気がさしたから」と思います 

最近、また誹謗中傷や、同じことをする方々を見かけますし、わざわざ騒ぎ立てている方もいます 

科学的根拠があれど「信じたくないから」信じないそうです 

元活動家としては言いたくないですが、そのような方々の性別には少々偏りがあるようです 

 

 

・まだ先は長い道のりだと思いますが、大人の思考が当たり前になれば、その子供たちも、当たり前になるんじゃないかな? 

私が幼い頃、昭和50年代にも学年に2~3人は居ましたけど人気者で皆、仲も良かったです 

 

 

・多様性って意味でも身体的にうまれもった性と自認してる性はわけて考えて欲しい。 

女の子になりたいと思う男性となりたいともなりたくないとも思わなくてそのままの性を生きている人(女性)が同じカテゴリーだとする理由がわからない。逆に何が一緒なの? 

性自認が女性だと主張する人の思う『女性』ってなんなのかな。女の格好が好きなだけとは違うの?自分の性器への違和感がある事と逆の性別への憧れだけで1番の特徴である身体的差異を覆す意味がわからない。 

トランスジェンダーの人の絶望感って戸籍が変わっても払拭できないのではないのかな。 

どんなふうに生きるのも素晴らしいことだと思うけど、性別を分けている意味が覆してまでしても正直何も変わっているようには見えないのも偏見なのかな? 

 

 

・LGBTQの方とお会いしたことがないので、実際どう言う気持ちになるかわかりません。 

でも、自由にしたらいいと思う。 

見た目にしても服装もメイクも。ただそれに対して、受け入れろとか拒否するなとか、それはこっちの自由だから強要しないで欲しいとは思う。性別だけで差別するつもりはないけど、普通に生きていても、好きな人嫌いな人はいるし、私自身も全ての人に好意を持たれているわけではない。だから、自分は受け入れられなかったとか思わないで、普通の人として堂々と生きて欲しい。 

 

 

 

・トランスだなんだと分類する必要があるのだろうか 

この人が自身を「女性」「ママ」と思うのは自由だし家族がそれを受け入れているのならお幸せなことだけども 

男性だからこそ女性と結婚して子供を授かった 

 

性別は身体に基づく区別に過ぎず、男女の差異は現実に存在する 

社会は事実に基づいてルールを決める 

 

赤の他人から見れば、「ママ」と呼ばせているちょっと変わったご家庭に過ぎない 

うちは父親をママ呼びするんですよ、って言うだけの話 

 

性自認は自由だけど、事実と異なることを他者に認めさせようとする権利は無い 

 

 

・自分が幸せであることは誰でも最優先されるべきことであるが、趣向に関することでデカすぎる声と言うのは不快に感じる。 

どういう組み合わせでいても、なんとも思わないから「私たち別に特別じゃないでしょ?!」を押し付けてこないで欲しい。 

 

 

・谷生さんは、ももちゃんという娘さんのママ(実の親)であるわけですが、子どもをもうけてから、より女性的になりたくなったり、男性に恋をしたりして、りゅーちぇるさんのように「生まれついての女性」になれないことについて、自分を責めないようにして欲しいです。 

 

 

・認めろとか、理解しろ、と言われてもハッキリ言ってわからないが答え。 

私は何を思って自分の心が女だ男だと認識してるかがわからない。 

私は普通に女の体で心も女だけど、趣味は男らしいとか言われるし、よく男みたいだねと言われる。でも恋愛対象が女になる事はない。 

体も子宮があり生理が嫌でもくる。 

保険適用で子宮摘出が出来るなら迷わずとりたい。子供なんか絶対産みたくなかったし。 

 

 

・男性が女性に変わった話って 

たくさん話題になるけど 

女性から男性になった方の話って 

あまりないね…なんで? 

 

ご本人がご本人らしく過ごせるのはとても 

良いことだと思います 

でもその為に生まれながらの女性が 

『我慢』を強いられるのは受け入れられません 

もう多様性を重視するということなら 

男女だけじゃ無く更に「男→女」とか 

「女→男」枠も作ればいいじゃん! 

女性から男性になった方に関する揉め事は 

あまり聞かないけど 

話題そのものが少ないからなの? 

 

その辺をもう少し(何故なのか?) 

ちゃんと考えて欲しいと思います 

 

 

・こんな記事は読む気がしないので申し訳ないけどコメントしますが、何でも良いのはこれらの人達だけの話しであって男と女とその性と言うのは全世界共通で人間だけではなくて生物の殆どがそれで世代交代しながら生存していってるので何もかも同じならどうなると思うのか感じるのか又それがそうなった時にそれは正常なのか正常とするからそうなのかを人類の存続と仕組みと生活、暮らし全ての問題です。 

息をしなくても生きていける、或いはエラがあるから水の中で生きていけるとか、そういう事じゃないからね、同じ人、同じ人間、人類と言うだけの同じであって唱えてる事が違うんじゃないかと世間(が揶揄してるのではなくて)言ってるだけですからね。 

あまりにも主張し過ぎると逆に反発を招く事になるんじゃないでしょうか、何でも単なる自由平等ではないですからね。 

 

 

・ゲイでもレズでもその他でもその人自身の人間性に魅力を感じれば人間関係としては成り立つしLBGTの人たちを疎外したりするつもりはないです。 

ただトイレ問題があったようにちょっとこれはNOだからねと言う人たちの声もあっていいわけです。嫌な人もいるよねという理解もないと認めるか認めないかという対立しか生みません。 

極限化しちゃう対立ではない双方の意見の受け入れ方を身につけていかなくてはと自分に問いたいです。 

 

 

・基本、自分が自認する性で生きればいいと思う。しかし、先駆者のアメリカでは、小さな子供に 

「あなたは男の子の身体をしているけれど、それは必ずしも、あなたが男の子というわけでないのよ」と「洗脳教育」したり、若気の至りのファッション感覚で性転換したりするのが一部いるらしい。 

 

本当に、今の自分の身体の性で生きることが耐えられないトランスと、流行に踊らされてるだけの、一時の気の迷いとは区別すべきだ。 

 

 

・差別と区別は違うもの 

前者は駄目、後者も駄目だと言うのは 

逆に多様性を認めてないことにもなるかも。 

体が男性で心は女性です差別しないでと女性専用トイレや更衣室に 

入ったとして、元々女性が不快と思えばたんなるわがままと言えないのかな? 

 

 

・女性である自分よりよっぽど美人でおしゃれな人でびっくり。 

この方は所属がTV局で良かったね、だし、先輩にも恵まれている。一般企業ならまだまだこうはいかないだろうけど、ここ数年で確実に世間の見方も変わってきている。 

問題なのはこれに乗じて女性用トイレや脱衣所に潜り込んでくる不届きな変質者であって、だからといって苦労してカミングアウトしてる人たちとはまったく別問題。とはいえ、それをどう分ければいいのか今のところ手立てはないから、性別関係なく使えますよっていうのを使ってもらうしかないのかな… 

性自認の曖昧な人もいると聞くし、身体的特徴も男と女の2種だけではなく、曖昧な人もいると聞く。 

TVやマスコミが理解しろ理解しろと言うと、ちょっと待ってとなるから、少しずつ少しずつ進めばいいなと思っているし、寛容でありたいと思う。 

 

 

 

 
 

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