( 171595 ) 2024/05/18 02:08:56 0 00 Photo:SANKEI
シャープがテレビ用液晶パネルの生産を終了すると発表した。日本国内からテレビ用の液晶パネル工場が消える。“液晶のシャープ”と名を馳せた時代から一転、経営危機に陥り、ついにかつての稼ぎ頭を手放すことになった。栄枯盛衰の歴史を振り返る。(やさしいビジネススクール学長 中川功一)
【画像で見る】経営危機後、なぜ液晶を手放さなかったのか
● 「テレビ用液晶パネル」国内生産終了へ
液晶のシャープ――。
1998年~2007年に代表取締役社長を務めた町田勝彦氏は、「オンリーワン経営」「日本のものづくりを極める」といった印象的な言葉で組織を鼓舞し、液晶事業を拡大した。
この結果、シャープは液晶技術で世界に先んじ、ソニーやパナソニックと並ぶ家電のトップブランドとなった。
そんなシャープは、パナソニックなど国内メーカーがテレビ用液晶パネルから撤退をしていく中でも、唯一、堺に建設した巨大な工場で液晶パネルの生産を続けていた。
だが、それ以上に莫大な生産能力を持つ海外企業との競争の中で苦戦。直近では、22年度から2期連続で最終赤字に陥っていた。
そしてついに24年5月、シャープはテレビ用液晶パネルからの生産撤退を決定したのである。
いったい、シャープはどこで道を間違えたのか。
● 2022年、シャープは堺工場を再び傘下に
実は筆者は、2019年に出版した著作『戦略硬直化のスパイラル』(有斐閣)で、シャープが最初の経営破綻危機に陥る14年までの歴史を分析している。
その中では、町田氏という偉大な経営者の影響が色濃く、社長交代後も町田路線を否定することができずに、液晶の市況悪化とともに業績を悪化させていったことを指摘した。
その後、シャープは台湾の大手エレクトロニクスメーカーである鴻海精密工業の傘下に入り、経営再建に道筋をつけた――ように思われた。
業績不振の原因たる堺工場を切り離し、プラズマクラスターなどの技術で知られるスマート家電や、ICT機器の生産で、新たな方向に踏み出したはずだった。
だが、よほど液晶パネルが諦め切れなかったらしい。
22年、シャープは海外ファンドに売却していた堺工場を買い戻す。だが、この判断が結局、命取りとなる。
22年度、シャープは堺工場の不採算が主原因で、2600億円もの最終赤字に陥った。翌年も結局赤字となり、ついに2024年、堺工場の生産停止の判断が下されることになったのだ。
一度は決別したはずの町田・液晶路線。なぜ、シャープは再び液晶に回帰しようとしたのか。
● 売り上げの半分を占めた液晶関連事業
その理由は、シャープのセグメント別売上高を参照すると、透けて見えてくる。
「ブランド事業」は、シャープブランドで消費者向けに販売している製品事業だ。
スマートライフは、いわゆる白物家電。22年度は4687億円を売り上げている。8Kエコシステムというのは、テレビ、レコーダー、ビデオカメラなどの製品だが、ほぼテレビ事業だと言ってよい。これが5918億円。ICTは通信関連機器で、3258億円だ。
下段の「デバイス事業」とは、BtoBで企業向けに販売している部品事業だ。ディスプレイデバイスは7599億円と、全てのセグメントで最大だ。残りは、電子部品事業であるエレクトロニックデバイスが4755億円となっている。
22年度の売り上げは2兆5481億円、その半分以上の1兆3517億円をディスプレイとテレビという液晶関連事業がつくっている。
何のことはない、シャープは依然として、「液晶のシャープ」だったのだ。
● シャープが液晶に回帰したワケ
さらに、22年度までの過去3年で各事業の売上高や営業利益がどう推移したかを見てみよう。当時の経営陣の目にシャープの事業がどう映っていたのかが、より一層鮮明になる。
皆さんが経営者だったら、どの事業を有望であるとし、注力しただろうか。
恐らく、皆さんは8Kエコシステム(液晶テレビを中心とした事業)を柱にしようと考えるのではないか。明確に売り上げを伸ばしており、利益も安定して出している様子が見て取れるのは、この事業だけである。
町田体制と決別してスタートしたスマートライフ、ICT、エレクトリックデバイスはそれぞれに会社の将来の屋台骨とするには力不足だ。
スマートライフはしっかり稼いでくれる事業だが、会社の未来を開いてくれる事業にはなりづらい。いわゆる白物家電だから、技術的にも大きな革新は起こりにくいし、爆発的に市場が伸びることが想定しづらいからだ。
ICT、エレクトロニックデバイスは売り上げの規模も十分ではないし、収益性もふるっているとはいえない。
問題のディスプレイデバイスはどうか。この事業は、打ち捨てておくには大きすぎた。
ディスプレイデバイス事業の売り上げ規模は、他の事業を圧倒している。そのため、利益・損失の面で与える影響も大きく、この事業の成否が全社の業績を決定づけてしまう。
手元にあるからには、この事業にこそ、経営リソースを注がねばならない。その結果として、この事業が安定的に収益を生むようになれば、経営は安定する。
また、ディスプレイは、自社テレビに用いられる中核部品だ。テレビを今後の柱とするならば、ディスプレイを内製化し、そこから技術的な差別化やコストダウンをしていくというのは、自然にたどり着く発想だ。
液晶テレビ事業に引っ張られるようにして、ディスプレイ――町田路線に回帰していくのは、合理的な判断の行きつく先として、この会社にとって自然な成り行きだったのである。
● 液晶以外の「希望の星」がなかった
まとめてみよう。
町田・液晶路線に決別した後、シャープに残ったICT・スマートライフ・エレクトロニックデバイスの各事業の中には、結局、大きく会社を飛躍させられるような希望の星がなかった。
そんな中、依然として液晶テレビにはブランド力があり、安定的な売り上げを上げていた。かような状況の中で、再び液晶ディスプレイで勝負をしたいとシャープ経営陣が思ったとしても、それは無理からぬことだったのかもしれない。
だとすれば、シャープのミスは、液晶ディスプレイの競争力を高められなかったことではない。
むしろ、町田路線と決別したにもかかわらず、液晶以外の次なる有望製品を育てられなかったことが、現在の惨状を招いたといえる。
シャープは結局のところ、“液晶のシャープ”から、脱せられなかったのだ。
中川功一
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