( 172323 )  2024/05/20 15:46:43  
00

秋葉弘道社長は23歳でスーパー「アキダイ」を創業し、テレビ取材などで活躍中。

しかし、後継者不足や事業環境の悪化により廃業リスクが高まっていた。

そこで、50代で事業承継を決意し、自社の株式をOICグループに譲渡。

OICグループはアキダイを残し、秋葉社長も経営権を持ち、青果アドバイザーとして指導している。

アキダイではプライベートブランドの展開や売上高の向上など、新たな展開が行われており、事業承継の成功を実感している様子が描かれている。

(要約)

( 172325 )  2024/05/20 15:46:43  
00

創業から続く関町本店の店頭に立つ秋葉弘道社長。23歳で一念発起し、スーパー「アキダイ」を創業した(撮影:尾形文繁) 

 

後継者不足や事業環境の悪化で廃業リスクが高まる日本の中小企業。一方、M&Aを契機とした業績回復や海外挑戦といった明るい動きも見られる。 

『週刊東洋経済』5月25日号の特集は「中小企業 大廃業時代の処方箋」。中小企業の新たな生き方を探る。 

 

【年表と写真】スーパー「アキダイ」1992年の創業から30年の大変化。ロピアからの出向社員に青果の仕入れを市場で指導する秋葉社長 

 

 テレビ取材は年間300本以上。食品スーパー「アキダイ」社長の秋葉弘道氏(55)は、青果のプロとして全国区の人気者だ。 

 

 その秋葉社長は昨年、自らが持つ株式会社アキダイの全株式を、食品スーパー「ロピア」を展開するOICグループに譲渡した。50代半ばの経営者として脂の乗った時期に事業承継の決断を下した秋葉氏にその真意を聞いた。 

 

 ──そもそも事業承継をしようと考えたのはなぜですか。 

 

 23歳で自分の店を持ったときから、「50歳になったら仕事をやめよう」と思っていたんです。それまでに人一倍、一生分を全部働いてしまおうと。 

 

 実際、市場で仕入れをやり、店頭に立ち、閉店後は事務作業もやるので、2時に寝て5時半に起きるような生活をずっと続けています。店を持って以来、丸2日続けて休んだことはありません。 

 

■「社長がいなくなったらどうなるのか」 

 

 コアな仕事をずっと自分が担っていたので、40歳を過ぎたあたりから、50歳でのリタイアは現実的に無理だ、とわかってきました。 

 

 ただ、その頃から、20~30代の若い従業員が時折「社長がいなくなったらアキダイはどうなるのか」と不安を口にするようになっていたんです。 

 

 アキダイの事業は、自分が培ってきた従業員や取引先、地域との信頼関係で成り立っています。自分の娘2人やその夫、あるいはほかから来た知らない人が社長になっても、それを継げるとは考えられない。自分を信頼してくれている従業員が今後も安心して働けるよう、自分が元気なうちに道筋をつくってからやめよう。そう考えて事業承継の検討を始めました。 

 

 ──実際に事業承継が決まるまでには時間がかかったようですね。 

 

 以前からM&Aの話は来ていましたが、黒字経営で順調に成長していましたし、事業を売ってお金を手に入れることには興味がなかったので、すべて断っていました。 

 

 承継を考え出してからは、アキダイに、あるいは秋葉社長に興味がある、という話が来たら一度は会って話を聞いてみるように。 

 

 すると、アキダイや私を高く評価して声をかけてくださっている話もあるのがわかってきました。 

 

 

 青果の流通は市場など仕入れ先との信頼関係が重要で、実は新規参入が難しい。仕入れ力があり、知名度もあるアキダイと一緒に組んでやりたいという熱心なオファーをいろいろいただきました。 

 

 生鮮スーパー参入や関東進出を狙う他地域のスーパーチェーンなど、金銭的に条件のよい大企業からの話もありました。ただ、タイミングや条件が合わなかったり、先方の決定がなかなか出なかったりして、決断には至らなかった。 

 

■15分で話がまとまった 

 

 ──譲渡先にOICグループを選んだ決め手は何だったのでしょう。 

 

 十数年前に阿佐ヶ谷店を開店しました。そこはもともとロピアが大規模スーパー展開を進める際に手放した小規模店舗でした。 

 

 その際にOICグループの現会長や現社長と知り合い、その後もロピア初のテナントとして松戸店に入るなど、深いお付き合いが続いていました。M&Aを真剣に考えるときが来たら声をかけてほしい、とも言われていたんです。 

 

 ただ、ロピアは大規模店を展開する方針で、傘下に入ればアキダイの既存店舗はなくなってしまうのではと考えていました。アキダイを残し従業員を守るためのM&Aにしたいので、それは無理だと。 

 

 ところが2022年にOICグループの髙木勇輔社長と話をした際、「アキダイはアキダイのままでいいのでうちに来ませんか」と言われました。既存店舗はそのままで従業員を異動させないといったこちらの条件を全部受け入れてもらい、15分で話がまとまりました。 

 

 もともと髙木社長の、みんなが喜ぶ、やりがいのある会社をつくりたい、という考え方には共感していました。会社を大きくすることが目標ではなく、あくまでもみんなをよくするために会社を大きくする。その重要な部分が一致していたからこそ、迷いなく決断できたんだと思います。 

 

■株式はすべて譲渡したが… 

 

 ──OICグループの傘下に入ってどんな変化がありましたか。 

 

 アキダイの既存6店舗はそのままです。スーパーバリュー、ロピア、アキダイのコラボ店2店舗が加わり、アキダイとしては8店舗になりました。アキダイの株は全部譲渡しましたが、私が代表取締役社長で経営権も持っています。 

 

 またグループの青果アドバイザーとして、若い人たちをアキダイで預かりノウハウを教えています。 

 

 ロスを出さずに売り切って儲けを出そうと思ったら、仕入れの量や買値、天候といったさまざまなことを考えなくてはいけない。大規模なロピアでは学べない「小さい商い」、商人の心をアキダイで伝えていこうと思っています。 

 

 

 ──アキダイのプライベートブランド(PB)も始めましたね。 

 

 生産者を応援したい思いもあり、おすすめの青果をPBとして展開しています。これはOICの資金力があるからできたことです。 

 

 仕事は今まででいちばん忙しい。譲渡前は経営者としてやや停滞していたのですが、今はアキダイの売上高を100億円にしようとか、教育のやり方をもっと工夫したいとか、新しい欲も出てきた。 

 

 アキダイの若い従業員たちも将来の不安がなくなって、プライドを持って仕事を頑張ろう、と目がキラキラしています。事業承継を決めて本当によかった、と1年以上経って改めて思っています。 

 

 (構成:勝木 友紀子) 

 

木皮 透庸 :東洋経済 記者 

 

 

 
 

IMAGE