( 173112 ) 2024/05/22 17:43:12 2 00 「東大」の地位を脅かす「幻の移転案」その顛末 戦前の「東大一極集中」は東京にあったから?東洋経済オンライン 5/22(水) 13:01 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/611fd8603975598e449886a7ebcbf83ed163917e |
( 173113 ) 2024/05/22 17:43:12 1 00 日本社会では、学歴に対する価値観が根強くあり、特に「東大」は尊敬される存在である。
東大一極集中の背景には、東京の文化や知的活動が集中していること、そして東大出身者が社会で有利な立場にあることが影響している。
田中は「日本列島改造論」を掲げ、大都市に集中する大学を地方に分散させる必要性を訴えていた。
東大移転論は当時は実現困難であったが、巨大災害などが起きた場合に再び議論される可能性もある。 | ( 173115 ) 2024/05/22 17:43:12 0 00 東京大学本郷地区キャンパス、共同通信社ヘリから2023年12月10日撮影(写真:共同通信)
多様な生き方や考え方が認められる世の中に変化しつつあるとはいえ、いまだ日本社会では無意識のうちに学歴が高いか、低いかでその人の価値を見定める傾向があります。特に「東大」に対しては、誰もが一目をおく存在であることに変わりはないようです。 歴史的には、国家のエリート養成機関として設立された東大に対抗し、独自の教育で東大より優位に立とうとする大学もありました。それでも東大の絶対的地位がさほど揺るがなかった理由について、甲南大学法学部教授の尾原宏之氏は著書『「反・東大」の思想史』で、さまざまな理由や経緯があるものの、「東大が東京にある」ゆえの一極集中がこの状況を形成する一つのきっかけになったのではないか、と考察しています。
【写真】慶應義塾、早稲田、京大、一橋、同志社。東大の一極集中に対し、かつて昂然(こうぜん)と反旗を翻した教育者・思想家がいた
本記事では同書より一部を抜粋、再編集し、幻に終わった田中角栄の「東大移転論」などを振り返ります。
■哲学者が説いた東大一極集中の論理
昭和の戦前期、全国の旧制高校生の進路志望は東大一極集中の様相を呈していた。1936(昭和11)年、哲学者の三木清はその原因について根本的な考察を加えている。
三木は「学生の東大集中には十分の理由がある」という。だがその理由は、東大の整った設備やすぐれた教授陣、教育内容では必ずしもない。高校生が教育内容に関心を持っているかどうかは、実のところ怪しい。
東大に人気が集中するのは、「今日の日本では凡(すべ)ての文化が殆(ほとん)ど東京に集中されてをり、文化生活の豊富さにおいて他の都市は東京とは全く比較にならぬ」からだ、というのが当時の三木の見立てであった。
娯楽や遊興の豊富さといった卑近な話だけではない。勉学についても、東京は「知的文化的生活」を提供してくれる唯一の都市だった。
「学生は単に学校でのみ学ぶものでなく、また社会から学ぶものであり、そして東京の如きは都市そのものが大学である」
入手できる書物、鑑賞できる芸術作品、そして、その気になればたやすく接触できる知識人・文化人の数を見ても明らかだったのだろう。
一方、「地方には殆ど文化都市といふものが存在しない」と三木は指摘している。「東大集中」は、政治・行政だけでなく文化も東京に一極集中したことの結果だというのだ。
「東大を出ることと東京にゐること」は卒業後の就職においても有利なので、浪人してもそれを上回るメリットがあった。
■関東大震災と東大の危機
1923年に発生した関東大震災では、東大にも大きな被害があった。工学部や医学部の実験室などから出た火が燃え移り、震害を含めて本郷キャンパスの建物の3分の1が失われたという。
震災直後、東大は研究・教育機関として当面立ちなおれないのではないか、という見方が広がった。
とりあえず学生をほかの帝大に転学させるアイディアも浮上し、九州大では東大工学部の学生を引き取る案が協議された。
東大当局も乗り気で、転学希望者について、東大に在籍したまま京大や東北大で勉学を続けられるよう便宜を図る決定を下した。
ところが、転学希望者はほとんどいなかったようである。『東京朝日新聞』は、「焼けても恋しい 東京の帝大 地方の大学へ転校者尠(すくな)し」という記事を掲載し、転学希望がごく少数にとどまったことを報じている。
75万冊の図書館蔵書が燃え、実験設備が焼けてもなお学生は東京、東大にいることを選んだということだろう。三木が東大一極集中の背後に見た東京の魅力の強さの一例といえる。
東大側もこの点には自覚的だった。関東大震災の後、この際東大を郊外に移転させる案が浮上したが、学内からの強い反対もあり、頓挫した。
文学部教授の松本亦太郎によれば、東大の指導的役割は東京都心に位置することによって維持されている、というのが大きな反対理由である。
「伯林(ベルリン)に伯林大学の光があり、巴里(パリ)にソルボーン(ソルボンヌ)の光が輝く如く、東京に東京帝国大学の光が無ければならない」と移転反対者はいう。
なにより、東大が郊外に去った隙をついて私学が躍進する懸念があった。裏を返せば、東大に打撃を与えようと思うならば、まず東京都心から引き離すのが有力策になりうる、ということでもある。
■田中角栄の“東大移転論”
東大の地位を脅かしかねない都心からの移転案は、高度経済成長期にも浮上した。
戦後の東大移転案というと、70年代後半に登場した米軍立川基地跡地への理系学部などの移転案(頓挫)が知られるが、それ以前に田中角栄が主唱していたことは意外に忘れられた事実である。
池田勇人内閣で大蔵大臣を務めていた田中は、1964年の参議院大蔵委員会で、「東京や大阪にある大学」を「理想的な環境」に移転させるアイディアを語った。
「大蔵省の諸君は大体東大の出身者ですから、自分たちの学校を移そうなんていう気にならぬ」ので田中が独自試算し、東大移転に最低600億円、世界的な大学にするためには1000億円かかるとの見方を示した。この年設置される国立学校特別会計を推進する理由の中で述べられたものである。
田中の東大移転案は新聞各紙で報道されたが、大蔵・文部の事務当局は、予算が膨大な上に東大側が移転を望んでいないとして打ち消しにかかった。
だが田中は手を緩めず、東京の過密解消のための中央省庁移転を検討する内閣の方針に乗じて、東大などの地方移転をぶち上げ、具体案を検討することが閣議で了承される。
翌1965年、佐藤栄作内閣でも蔵相に留任した田中は、学校の地方移転に国からの借入金を認める国立学校特別会計法改正案の国会提出の際、記者会見で「東京大学移転の機が熟した」と語った。
田中は、大河内一男東大総長が文部大臣を訪ねて移転賛成の意思を示したこと(愛知揆一文相は「“移転のムード”だけはできた」と発言)、すでに山梨県では富士山の裾野3300万平方メートルに東大を誘致する動きがあることを示し、本郷は医学部だけ残して総合医療センターにするべき、などと語った。
実のところ東大側は、過密解消を目的とした移転には反対であり、全面移転も考えていなかった。
田中の前のめりは、用地に絡む思惑もあったのかもしれないが、東大移転が田中自身の提唱する「列島改造論」的構想の一部であることが大きい。
■構想の背景に「日本列島改造論」
のちに刊行される『日本列島改造論』は、大都市の大学が「名声と人材」を集める一方で地方大学が停滞していること、東京への大学集中が人口集中の一因であることを指摘した。
そこで、東京の大学を「地方の環境のよい都市」に分散するとともに、まったく新しい「学園都市」も建設する。
田中は、最新学術情報へのアクセス環境、教授が長く定着できる居住環境などを整備すれば、地方小都市であっても「世界的な水準の教育の場」になりうると説いた。
同時に、現在の地方大学を「特色のある大学」に変える必要もある。その地方大学でしか研究できない分野があれば、研究者や学生はイヤでも東京を離れて地方に移らざるを得ない。
太平洋ベルト地帯の大都市に集中した産業と人口を地方に分散させ、高速道路・高速鉄道のネットワークでつなぐ「列島改造論」そのままの大学改革論である。
1985年、脳梗塞で倒れる7日前のインタビューでも、田中はかつての東大移転論を蒸し返した(この時は「富士山の麓はうるさいから、赤城山麓でもいい」と発言)。
本郷の跡地を医療センターにする案も以前と同じで、「そのときになれば全部テレビで脳外科の手術ができるようになります」とも語っている。本人の前途を考えても含蓄(がんちく)のある発言である。
田中の東大移転論は、大学の自治が重んじられる時代には実現困難である。当時の文部省も東大当局も、移転には東大側の自主的な立場、自主的な拡充計画が不可欠と考えていた。
だが、もし今後東京で巨大災害が発生するなどして、停滞した首都機能移転論が再び盛り上がれば、東大はどうなるだろうか、という想像を喚起する話ではある。
尾原 宏之 :甲南大学法学部教授
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( 173114 ) 2024/05/22 17:43:12 1 00 ・東大の優位性はその歴史にあり、東京一極集中が問題であるとの指摘が多数ある。
・明治時代には東京大学が外国人教授により発展し、その中で軽井沢が愛される避暑地となっていたことも取り上げられている。
・大学の都心から郊外への移転については、関東大震災がきっかけとなったケースも見受けられ、移転先が学生にとって遠すぎる場合には都心回帰が起こる可能性も指摘されている。
・東大には国を支える高給公務員を育成する役割があるという意見や、都心にメインキャンパスがあることが重要であるとの指摘もあり、地方移転論もあるものの、東京一極集中が機能しているとして肯定する意見もみられる。
・田中角栄氏の大学移転構想や地方に大学を誘致する際の学生へのサポートについての考察もあり、地方に立派な大学を作る場合には学生のバイト先の確保や給付型奨学金の必要性が指摘されている。
・また、学歴社会や東京一極集中に対する批判や、大学間の格差の議論、東京大学の移転論、首都圏の耐震性への懸念など様々な視点からのコメントが寄せられている。
(まとめ) | ( 173116 ) 2024/05/22 17:43:12 0 00 ・東大の優位性はその歴史にあると思います。 それよりも、東京一極集中が問題です。
企業の東京移転は本社移転をはじめますます顕著です。 文化庁の一部が京都に移転しましたが、焼け石に水です。
北陸新幹線の敦賀延伸では、東京一極集中に拍車がかかりました。 新幹線網は東京と大阪から両方で工事を進める方法もありました。
いろんなことで東京優位になっており、東京一極集中がますます進んでいます。一つずつ変えていかないと収まりません。
・戦前と言うか、明治期は「お雇い外国人」に、様々な技術を伝授してもらうだけでなく、教授として高度な先進的な教育を学生に施して貰っていた。そのメッカが東大。例えば、法体系を学んだのはドイツとフランスだった。ドイツ(プロイセン)は王国なので、ドイツ王国の憲法を参考にして日本帝国憲法を作ったのは有名な話。 そのドイツ人教授たちが愛した避暑地が、軽井沢だったのも有名な話。森林の風景が、故郷のドイツの風景と被ったとのこと。そのため軽井沢に別荘を設け、夏には軽井沢にで避暑で赴き、東大の学生たちを招待した。その学生たちが出世して、教授に成ったり、大企業の重役に成ったり、役人や政治家になって、軽井沢に別荘を持つようになったので、国内有数のハイソな別荘地となった。今でも、歴史と伝統があり、人気の別荘地となっている。
・戦後の学制改革のときに、旧制高校と旧制大学をくっつけて新制大学にしてしまったのがそもそも間違い。 本郷は大学院大学に改組し、駒場はリベラルアーツを4年間学ぶ場にした方がいい。 アメリカ流がすべていいわけではないが、法学部も医学部も十分な教養のバックグラウンドを作ってから学ぶべき。 理系はすでに大学院進学がデフォルトになっている。 普通に就職する文系学生はリベラルアーツだけでも問題ない。
・都心から郊外への大学校舎の大掛かりな移転は、関東大震災が始まりと思います。 既に池袋の校舎が出来上がっていた立教大学は、発祥の地である築地を引き払った。東京工業大学は、震災を機に蔵前(現在の台東区)から東急沿線の大岡山へ移転(同窓会を「蔵前工業会」と称するのたそのため)。
但し移転先が遠すぎると学生に嫌われ、都心回帰が起きてしまうのは仕方ないでしょう。青山学院大学の事例もそうだし、東洋大学は白山校舎の再開発に加えて、廃止された小学校を活用して赤羽(北区)に校舎を新設した。 旧帝大だと、千里丘陵に校舎が点在する大阪大学や、医学部だけ移転せず箱崎地区に残った九州大学はどう評価するべきか…
・東大が東京になかったら、日本一の大学であり続ける事はやはり難しかったと思うなあ。施設や教授が一流であっても、高校生なんてそんなん分かっちゃいないしね。日本の首都にある国立大学はそりゃ一番だろう、そういうイメージがある事ってやはり大事よ。
・田中角栄氏はどこの大学も郊外に移転させようとした。筑波大学(東京教育大)が典型であるが,何十年後と長くかかったものが多いがその他結果的に移転した大学が多数ある。 それが頓挫したのは,なんと東大ではなくお膝元の新潟大である。医学部だけは移転しないと言って氏がそれを認めてしまう。結果この手(医学部だけ市内)も数多くあり。
・大学も一緒。少し論点がズレますが、人口減少をカバーする為には、集中して助け合って暮らさないと生活が不便になります。 公共交通機関の消滅と 追いつくことのないインフラ整備がその典型でしょう。 理想と現実の狭間で生きています。
異種の研究者たち同士の勤務後の雑談や飲み会が 各人のテーマの進捗に役にとても立っていると、京都の研究者からよく聞かれます。そういうのもノーベル賞の下地の一つだとか。地方に分散してしまうとそれはムリかも。
・東大移転しなくて良かったです
文京区本郷キャンパスは山の手の高台で良い場所です。元は加賀藩前田家の大名屋敷です
目黒区駒場キャンパスも台地の良い場所です。隣には明治以降華族になり前田侯爵邸洋館が残されていて駒場公園となっています。
東大キャンパスは旧前田家と縁が深いですね
・東大の力の源泉はやはり高給公務員の養成学校でもあり、それを独占してきた事が背景にあるだろう。文学部や医学部など高給公務員と縁のない学部もあるが、大学教授などになると国との関係も出て来る。赤門の同窓と言うのは価値がある。民間企業でも同じだ。 ただ、その高給公務員の地位が揺らいでいる。高給を食めるのは天下りが出来る地位に就いた人だけだ。それまでは組織の利益拡大に滅私奉公しなくてはいけない。これは辛い。 その意味で東大ブランドは崩れつつあると思う。ただ、東大の価値は東京一極集中が補ってくれる。それでも、首都機能の分散が遡上に登るような事になれば、その有利さも減少するだろう。 何学部とは言わないが入試で最高難易度でも学会の評価はいま一つだ。世界的評価では西の大学に及びもつかない。そう言う事が起きる時代だ。ただ、一般的な日本人は保守的だから、東大を崇め奉る気風が残れば権威は守れるかもしれない。
・東京は日本の首都で中枢部、明治維新以降は政治も経済も文化も中心になっている。江戸時代迄は経済は大阪、政治は江戸、文化は京都で分散だったようです。東京大学の前身は徳川幕府の学問所がルーツですからね。郊外移転したのは国立だと東京教育大学(現つくば大学)位かな。私学だと早慶明治立教法政は新設学部以外は都市部に残留、青山は分散し、中央のみ全面移転した。その結果都市部残留組に学生が集まるようになってしまった。やはり田舎の郊外では魅力薄いからね。あと仮に明治維新で天皇が京都御所に住み続けて大阪が首都になってたら、関西は全く違う感じで発展したと思うね。大阪首都構想がありましたからね。大学もまた違う感じになってたと思います。
・田中角栄の構想の裏には、やはり学歴コンプレックスがあったと思う。大卒でない総理大臣は戦前を除けは、今尚この人だけ。官僚の大半が東大卒というやっかみもあったと思う。まあ東大卒には決して思いつかないアイデアだった。ただ世界的なレベルで見ると、東大の評価は必ずしも高くない。学術関係なら京大の方が抜きん出ているし、ノ-ベル賞受賞者の数を見ても明らかである。官僚養成を目的として作られた以上は、ある程度は仕方ないことなのかも知れないが。
・東大が日本一であることは今後も変わりないよ。ただ、東大行くよりも医学部(理科3類以外)に行く方が将来性があるので大学名よりも医学部出て医者や医学研究者になる方が良いと考える人は今後も増えて行くと思う。 後、日本は今後ますます衰退していき、東南アジアと大して、変わらない国にまで落ちぶれる可能があるので、そんな国の一番の大学がどうしたってことになるんじゃないかね。アジアやアフリカの発展途上国の一番の大学なんて日本人も欧米人も知らないようにね。
・私も出身者だが,結果的にいって,利点は設備でも(総体としての)教員でもなかったと思う。師と仰ぐべき一部の教員から教わり,先輩や同級生とともに学んだことに価値を見いだす。私は大学院で最後まで売れ残った劣等生だったから,客観的にみてみな私よりも優秀だ(笑)。
個人的には,創立100年事業とかには反対だった。新制大学の年数しかないからだ。私は,大学進学率がうんと高まった「新制の低学力層」だからだ。私は投稿文中では通称で「旧帝大」と書くことがあるが,内心では否定している。敗戦後に大改革をしないまま,ズルズルと来てしまった。
過去になんどか投稿した内容とかぶるが,東京大学を「分散」する方法のひとつは,大学院大学にすることだと私は考えている。学士課程を持たず,大学院だけをもつ大学であり,より研究に集中できるだろう。入学者は,みな他大学の卒業生となり,大学院入試で徹底的に競えばいい。
・大学を田舎に引き込ませるにあたって、 学生のバイト先を確保しなければならない。 或いは全学生を給付型奨学金の対象にするか。
親戚の子がつくばでバイトもできず、 実家が太いからやっていけてたのを見ると、 大人の都合だけで考えてはいけないと思う。
・本郷キャンパスだけでも東京ドーム(謎単位)10個分以上 駒場や茗荷谷の面積も相当な物。 どこかに移転するにも無理ゲーじゃないですかね。
というか、東大の敷地面積って実習林屋農場、大型研究施設まで多岐に渡り 現状でも日本国土の0.1%。1/1000もあるんすよ。 政治家の意向でどうにかなるレベル超えてるのよね。
・田中氏の構想はやはりダイナミックだな。 東大でもなく場所も異なりますが、筑波というカタチで学園都市構想が結実しましたし。 ご自身の地元・長岡に、長岡高専・長岡技科大、財界が設置した大学院大学である国際大学があるのはご愛敬って事で。
・いかに地方に立派な大学を作っても、足元がムラ社会で、しょっちゅう誰かに見られている環境では、学生はのびのびできないと思います。 父が転勤族だったので、東京と地方の生活を交互に経験しましたが、盛り場が1つしかない地方都市では、「昨日お前あそこにいたろ?」という言葉を頻繁に投げかけられ、息苦しさを感じました。 東京生活の最大の利点は、盛り場が多数あり、外出中に顔見知りに会うことがまずないことです。
・ここにあることが、学生の質を確保してるんだよ。中央大学は八王子に移して、また法学部を戻してる。東大がめの上のたんこぶと思う輩の企みだなー。ここにあることが歴史の文化遺産でもあるんだ。大事にしょう。
・昔は東の東大、西の京大と言われたが 試験日が同じに成ったかなにかで東大が日本一と成った筈だよ 要は研究者より不景気でも安定的な官僚を目指す人達が多く成り東大に集中したはず
・そう今なら、大学の自治なんてないから、役所が指導すれば案外にゆうこと聞くのでは。もっとも、大阪学芸大附属小学校の連続殺人事件でOBの国会議員が建て直しにあれだけ動いたの見るとやはり無理だと思う
・まあ世界一の都市圏である大東京に君臨してるからこそ、東京大学が国立大学で日本一の大学になり得ているというのは、あながち見当外れでもない。
私学トップの早稲田もまた新宿高田馬場という大東京の中心に君臨して、「早稲田」という地名を大学名にしている。
東大と早稲田が日本のツートップ大学。
それに比べると、都落ちして京都にある京大は一格落ちる。 また半分以上が神奈川県の横浜日吉にある慶應もまた早稲田に比較して、 一段階落ちる。京大は永久二番手国立大。慶應は永久二番手私大。
大東京にメインキャンパスを構え、学生の大多数が学ぶ東大と早稲田が 日本の最強ツートップ大学だね。
・>政治家の意向でどうにかなるレベル超えてるのよね。
そこまで国がテコ入れして、高下駄はかせてもらって、ノーベル賞や理数系の国際的な学術賞に東大出身者はほとんどいないんだよな。
いちばん最近ノーベル賞とった真鍋先生は東大出身だが、東大で大型計算機を貸してもらえないイジメに遭ってアメリカ国籍取っちゃったひとだし。
・場所は重要だよ。人が集まる都心そのものが一つの価値。人がいるから文化があるし学問もある。学問が先にあるのではない。
・東大は勉強のためを考えたら 八王子に移動したほうがよい 勉強に打ち込む、研究のために大学はある 英国、アメリカは郊外にある 研究所も郊外が多い、繁華街はビジネスマン 金融関係などばかり 八王子で研究に明け暮れるのが 東大の義務、世界的研究が足りない 八王子も東京だから問題ない
・一極集中って割には大したことないな。 部分、部分では京大には負けてるよ。 国費が投入されてる割合ほどの結果は出せてないと思う。
・東京に京大があったら、京大に行きたかった。 京大は京都にあるから行かない。
東京の早稲田に行った。 自由と、できるだけ頂上に近い場所。
・> いまだ日本社会では無意識のうちに学歴が高いか、低いかでその人の価値を見定める傾向があります。
世界中一緒です。今だに学歴社会・信仰は日本だけだと思ってる人なんかいる? 日本なんか緩いよ、、
田中角栄はただの学歴コンプレックスじゃない?
・仮に東大を地方に移転したところで、東大跡地がタワーマンション街やオフィスビル街になってしまったらつまらないなあ。
・八王子に移転した大学は、田舎の学生がせっかく東京に来たのに、田舎は嫌だと言うので都心に再移転している。
・東工大の疎開移転先扱いだった千葉工大があまり偏差値よろしくないしなぁ 東大も移転してたらどうなってたか
・・・んでも東大も柏キャンパスとか、ものすごく不便なとこに作ったよね。 柏駅からバスで40分くらいなとこに。
・東大は移転しなかったが東京教育大学は移転した。それで良かったかどうかは分からんが。
・富士山大噴火して首都圏が半世紀から1世紀使用不能になってからなんだろうね!東大移転は!
・東大の筑波移転案とかあった気が
・なんだ 早稲田卒か
・こんなネタ、要らないです。
・移転は慶応でいいでしょ。東大は国を支える人材を作るんだから。慶応は別に血筋のいい学生以外は正直不要
・無駄な税金使うな
・放射性廃棄物埋めなよ。
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