( 173182 ) 2024/05/23 00:16:48 2 00 袴田事件の極刑にこだわった検察 「メンツ保持」否定する幹部たち毎日新聞 5/22(水) 14:18 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/383f8f96b46afe7c6804becce2051acb0e6f91f2 |
( 173185 ) 2024/05/23 00:16:48 0 00 弁護団が主催した報告集会で弁護団長の西嶋勝彦弁護士と握手を交わす袴田巌さん=静岡市で2023年3月21日午後2時24分、二村祐士朗撮影
検察が選択した求刑は、56年前の確定審と同じ「死刑」だった。1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人を殺害したとして、強盗殺人などの罪で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審公判。無罪判決の公算が大きい中、検察側はなぜ有罪立証にこだわり、極刑を求めたのか。
【図でわかる】そもそも袴田事件とは
事件では2014年に静岡地裁が再審開始決定を出し、その後に東京高裁が決定を取り消したものの、最高裁が審理を差し戻し、東京高裁も23年3月に再審開始を認めるという異例の経緯をたどっている。
弁護側は「メンツのためだ」と批判するが、ある検察幹部は「虚心坦懐(たんかい)に証拠を見た結果だ。メンツのためであるわけがない」と語った。
検察側は2023年10月から計15回審理された再審公判で、袴田さんが事件を起こしたと主張する理由を次々に列挙した。
袴田さんの実家から「5点の衣類」の一つであるズボンと生地が一致する布端が見つかった▽袴田さんの左手中指にあった傷は事件時に負ったと考えられる▽5点の衣類の一つであるシャツの右袖に付いた血痕は、袴田さんと同じ血液型だった――といった具合だ。
別の検察幹部は「これだけの証拠があるということをしっかり提示した」と強調。最大の争点である5点の衣類に付いた血痕の赤みに関する弁護側の主張への反論だけに終始せず、防戦一方にならないように腐心した様子が見て取れる。
4人が殺害された事件の重みからすると、有罪立証を維持するのであれば死刑求刑は既定路線だった。
ただし、再審開始を認めた23年の東京高裁決定は、検察側が今回挙げた有罪立証の理由の多くを検討した上で「袴田さんを犯人と推認させるものではない」と退けている。
このため再審公判での有罪は難しいとみる検察関係者は少なくないが、閉廷後に取材に応じた静岡地検の小長光健史次席検事は「未成年2人を含む一家4人を殺害し、売上金を強奪し放火した極めて悪質な事案だ」と求刑理由を説明した。9月に言い渡される判決についても「十分検討して求刑しているので、その点はきちんとご理解をいただきたい」と述べた。【北村秀徳、岩本桜】
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( 173186 ) 2024/05/23 00:16:48 0 00 ・被害者がいるので犯人を捕まえたいという使命感はわかる。ただ、冤罪事件が起こるのが、本当に犯人を捕まえたいからなのか、犯人を捕まえたという実績のためなのかはわからない。私には実績のためにみえてしまう。 被害者遺族も真犯人が捕まって欲しいのであって、関係ない人が捕まることを望んではいないでしょう。警察、検察、裁判官はその事を肝に銘じて欲しい。
・疑わしきは罰せずという原則があるけど、今疑わしいのは警察の捏造ですね。 昔の捜査ではおそらくこういった捜査は茶飯事だったと思います。 警察は犯人をあげろとプレッシャーを受けただろうし、多少のことをやっても警察側が犯罪を立証されるという事が無かったのでしょうから。 事実がきちんと立証できないのなら「疑わしきは罰せず」しか無いと思います。
・素人目には証拠が無いに等しいのでは?と思ってしまいます。
>ズボンと生地が一致する布端が見つかった 服の生地なんか同じのいくらでもありますよね?
>袴田さんの左手中指にあった傷は事件時に負ったと考えられる 考えられるだけで証拠?
>血痕は袴田さんと同じ血液型だった 同じ血液型たくさんいますが…。せめてDNA鑑定結果出して欲しいです
>これだけの証拠があるということをしっかり提示した 証拠になるものありませんよね?
見苦しい感じを受けます。日本の検察はもっとレベル高いと信じたいです。
・人ひとりの命が関わる事柄に「メンツ」とは・・・。それが官僚機構というものの本質なのでしょうが。特に検察は体育会系気質が強く、上意下達が強い組織と聞きます。
長い年月を刑務所で暮らし、穏やかな老人の表情の袴田氏を見ると、とても人を殺めたとは思えませんが、真に証拠に基づいて極刑を求めるのであればやむを得ません。しかし、法律は官僚のメンツ保持のためではないはずです。国民の幸福のために善用してもらいたい。
「過ちて改めざる。 これを過ちという」 2,500年も前に孔子は言っています。
・色々な業界で働いた経験から、役所は独自のマイルールを最優先する組織です。効率、費用対効果なんか関係なし、時には法律より重要視して行動します。私にとって、公務員だけは子供になってほしくない職業です。例え生活や身分を保証してくれようとも御免です。
・事件当日、家族から距離をおかれていた長女が珍しく久しぶりにたまたま実家に帰っていましたが、向かいの祖父母の家で寝ていた為に難を逃れたそうです。 暴力団関係者と交際しており一家から勘当されていた長女が袴田さんの釈放の翌日に死亡が確認されたのも不審に感じられます。まるで口封じされたかのように思えてなりません。 専務一家が4人とも死亡すれば、遺産は長女が相続することから狙われたのかもしれません。 解らないのはこの状況で検察・警察が徹底的に袴田氏を全力で犯人に仕立てようと奔走していることです。 何か裏があるのでしょうか。
・証拠ですら正確性を欠いている。 どれを根拠に有罪を求めることが出来るんだ。 無罪となったら、検察は、一から出直さなければ日本の司法制度の信頼性が揺らぐ。 何時まで経っても変わらない検察は、トップの責任を追及すべし。
・袴田氏の有罪立証に関する疑問はもういいでしょう。その話は出尽くしていると思います。しかし、袴田氏は何という人生だろう。ある日突然殺人犯として逮捕され、拷問のような取調べで自白を強要され、死刑判決を受け、拘禁反応で自分が誰かもわからなくなるほどに追い詰められた。日本人の平均寿命を超える年齢になり、ようやく社会に出てこれたと思ったらこれです。どんなに金銭を積み上げたところで袴田氏の人生を取り戻すことは不可能だけど、せめて無罪判決と賠償金で、残りの人生を一日でも長く、健やかに、穏やかに、できる事なら楽しく生きてほしいと思っていました。それが、この期に及んで検察は死刑求刑の上、メンツのためではないとは!メンツのためだと認める事すら検察のメンツが許さないのですね。恐ろしいのは、冤罪が強く疑われる死刑判決はこれ一つではなく、いくつもあるという事です。警察・検察の体制が刷新されるのはいつなのでしょう
・裁判官も検事も弁護士も60年前のことは、直接は知らず、 「一体、何の判断・決定をするのか?」 がよく分かりません。代理の代理、伝聞の伝聞みたいな話です。
50年かけて再審を始めて、10年経って判決が出るとして、 「袴田さんの名誉は、判決で回復されるのか?」 それもよく分かりませんね。
「捜査が完璧でないと、何10年も問題が続く」 この訴訟の本質ではない、この冤罪の教訓だけが残る気がしますね。
・昨今検察の求刑に疑問を抱く事が沢山あります。一般国民はどうでも良い微罪で起訴したり逆に政治家が絡むと不起訴が多かったり。裁判所の判決も冤罪を見破る事も出来ず検察追随での判決で時には軽微な罪が重大な殺人事件より罪が重かったり刑罰のバランスも悪い。今回の袴田事件の再度死刑求刑は検察も死刑を勝ち取れると思っての求刑とは到底思えない。まさしく検察のメンツ。そんなメンツはいらない。地裁での判決が出ても上告し裁判は今後も長期化するであろう。そうなれば被告は年齢的にも残念ながら生きているうちの確定判決には至らない。結果は有耶無耶で終わる事になるだろう。検察はそれを狙っているのかと思わずにいられない。
・同じ血液型だったというが、それもでっちあげの証拠だともいうし、冤罪か有罪かの判決を求めているのに時間の被害者と血のつながりがあるかもしれないが、現状まったく関係のない人を遺族として法廷に立たせようとしたり、検察側の必死具合は呆れるほどですね。
本人が高齢者である事をいい事に、犯人だと決めつけて冤罪のまま殺そうとしている事はどうかと思います。
・高検、最高検とも調整をしての死刑求刑だろうが、それにしても、やりきれない。 現場の検事は、本当に死刑求刑が必要だと考えているのだろうか。既に亡くなっている検事の先輩に忖度しているのだろうか。 それにしても、罪は作られるということが、これでよく分かった。
・日本はこういうことが多いですね。 減点主義の弊害だと思う。 間違えたらもう終わり、って風潮だから、 一度決めた方針を撤回できなくなるんだよ。 昇進にも影響するだろうしね。 減点主義で人を評価するからこういうことになる。 本来なら加点主義で人を評価するべきなのに。 いじめ問題にあたる学校現場や教育委員会なんかもそうですよね。 「ごめんなさい間違えてました撤回します」、と簡単に言えるような風潮だと メンツのために無駄なことをする必要もなくなるのではないかと思う。
・昔、国道の路肩に倒れてる方を助けようと、車を止めて通報したら、第一声、どこであたったんや!と怒鳴られた。そして、間違いを認めず謝罪しない。 そりゃ誰も通報したくなくなるわな。 こういう体質があるから、誰も協力したくなくなる。関われば疑われる。 もちろん、凶悪犯に立ち向かわなけばならないのもわかるが、奴らは自分たちの「感」が正しいと思ってるところがダメ。ベテラン刑事の感なんてのは冤罪の代名詞みたいなもの。
・最近司法のニュースにバイアスという言葉が出始めた。逆に言えば司法関係者はバイアスについてこれまでまともに向き合って来なかった事を意味する。状況証拠から割り出した容疑者、こいつが犯人と思ってしまう確証バイアスが働きやすい。特に証拠集めに苦労したり、世間を騒がせた事件ならなおさらだ。一度信じ込んでしまうと、無罪を示す決定的証拠がでてきてもそれを信じまい、無罪の証拠は必ず間違いがあるはずだとなる。 航空業界や医療業界などでは、もはや当たり前の事ではあるが、もっともその考え方が常識として本格的に普及し始めたのは航空業界で1970年代、医療業界では今世紀に入るか入らないかくらい。日本の警察や司法ではまだまだだ。 事件当時の警察や司法ではこいつが犯人に違いないから、証拠を捏造してスムーズに処罰するって思うのはある意味無理もないところがある。しかし認知科学の進歩した現在時の検察官はいまだ旧態依然だ。
・この裁判も当然批判されるべき事象だが、その事以上に日本の裁判で批判されるべきことは、立件された事件の有罪率の高さである。どうも裁判官は、検察官の方ばかりを見ているようで、よもや立件された事件が冤罪などと微塵も思ってない気配が、有ります。その事がこのような冤罪を生む要因になっているのでしょう。
・袴田さんに関しても、日本は国連から言われて釈放になったんだよね! 今回も判決が注目されてるみたいだね。 また、日本が恥かかないように、法律関係のお仕事の方は、自分を戒めないと。
・検察は証拠から判断をして真犯人かどうかは関係ありません。 警察が集めた証拠が変われば結果も変えます。 判決が無罪になれば、集めて来た証拠が悪かったという論理です。 証拠の信憑性を見抜く力は50年前と何も変わってないという事です。
・袴田さんが本当に犯人ならば、こんなに長い間「自分はやっていない!」と主張し戦い続けられる訳はないだろう。 やっていないからこそ、自分の無実を訴えて戦い続けられたと思う。 早く無罪を勝ち取って、心の重荷を下ろして、残った人生を充分楽しんでいただきたいと思います。
・袴田事件は、1966年に起こった家族4人を殺害し放火した事件ですが、もし無実だとしたら58年も無実で刑務所にいたことになります。ひょっとしたら真犯人がいたとしても、死んでいる可能性もあると思います。事件当時には、何人も犯人候補者がいたと思うし、血痕で罪を被せることも出来ると思います。人を4人も殺害すると、普通の精神状態では、いられないと思う懺悔の気持ちや殺害した時の表情がこびりつき耐えられないと思います。無実で殺人事件の犯人にされ58年も刑務所にいた人の気持ちを考えると----
・Wikiによれば
「袴田への取り調べは過酷を極め、炎天下で1日平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取り調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせるなどした。 睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせるなどして一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限が迫ると取り調べはさらに過酷になり、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事たちも当初は3、4人だったのが、のちに10人近くになっている。」
無茶苦茶じゃん。
・袴田さんの冤罪を証明することも重要だが、4人も殺した殺人犯がずっと野放しになっている件も非常に気がかり。 それこそ真犯人を検挙できれば自動的に袴田さんの無実も証明できるはずなのだが、現状それができていないという事実もまた、警察や検察は重く受け止める必要があると思う。
・検察は死刑に求刑する以上は、明確な証拠を示して多くの方が納得出来るようにするべきだと思います。 血痕の血液型が同じだけでは証拠として弱いと思います。DNA検査によって袴田氏のものだというような証拠を提示すべき。 そうでなければ、5つの犯行衣類による調査からも不自然な点が多く、冤罪の疑いを覆すことは出来ないと思います。 したがって、袴田氏は証拠不十分により無罪が妥当ではないかと思います。
・1966年の一家殺害事件ですよね。 こういった冤罪事件について聞くといつも思うのは、まず当人の本来過ごせるはずだった人生の補償は誰がどうとれるのか?ということ。 警察も司法も万能ではないのだから、冤罪を完全に防ぐことはできないとはいえ、ひとりの人間の人生を滅茶苦茶にしてしまった事実は重く受け止め、本来ならば罪を断じてきた方にも何らかの刑罰があってもいいはずと思える。 冤罪が確実であれば、当然本来の犯人は何ら罪を問われずにのうのうと生きている可能性も高い。「へっへ、上手い事したぜっ!」位に思っているかもしれない。 つまり、犠牲者やその遺族は正義を見なかったことになる。 怪しい奴を見つけたから、とにかく「こいつが犯人です」で終われば手間も経費も掛からないだろうが、そんな世の中はだれも望んでいないだろう。
・犯人と決めつけ有罪、死刑なんて事当たり前の時代ではなかったのかな。冤罪を認めない検察の体質の見直ししては。メンツの問題ではなく無罪の人を長年拘束したり、死刑にしたりしたら、検察、裁判官の責任、国家賠償の問題。自供を脅しで取り付け、死刑判決はどうなのか。 現行犯も含め、殺人を平気で行う人や複数人殺したなら、しっかりした証拠がある人等を除き死刑は慎重な判断を要すると思う。
・法律の限界。被告人が殺害をやったかどうかは、誰にもわからない。司法は証拠主義なので、証拠、証人が重要であり、事件の有無などは問わない。再審はもう証拠は出てこないので基本的には有罪にはできない。これだけのこと。警察、検察にしてみれば、無罪となれば、犯人を探さなくてはならない。しかしそれは不可能である。検察としては有罪にしたいでしょう。メンツと言えばそうだが、有罪にできなければ、一体これまでの莫大な諸経費、時間は無駄になるだけ。やはり、有罪に持っていくには、それ相当の客観的、絶対的証拠をあげるしかない。これがなければ、検察に負け。犯罪の有無というより、証拠能力の問題ですね。何より被害者遺族はいたたまれないでしょうね。無罪確定なら、じゃあ真犯人はどこにいるのってことだからな。冤罪問題は難しい。不条理に働くのでね。
・袴田さんが本当に犯人なら罪状に対して死刑が適切なのでそう求刑しただけだとは思う。
ただ争点は冤罪の可能性。これちゃんと結審できるのかな?疑わしきは罰せずの原則で無実の証明できずとも、犯人だという証明も出来ないなら無罪というところに落ち着くのかな? いずれにせよ科学捜査の限界な気もするし司法当局及び検察は謙虚にこの事件を取り扱って欲しい。
ちなみに帝銀事件の犯人とされた人は冤罪の可能性を司法関係者が感じてたからなのか、39年間死刑執行されないまま獄中死している。これはGHQが絡んだ闇深い事件ゆえ再審もできなかったのかもしれない。
・証拠でっち上げの議論がある中、証拠でっち上げがある訳がないで片付けた有罪判決。 ある訳がないに関しての意思表示=合理的な説明があったのでしょうか。 もしかしたら何かの力が働いているのか? だとしたら大問題で、怖い国と言う考えを国民に与えるだけに過ぎない。 私は証拠の血の付いたシャツ(白い布状のもの)が一定期間後に色がほぼ変色しない赤いままは考えられないと考えています。
裁判官の判決には全く理解できず、怖さを覚えます。
・単純に日本の司法が崩壊してる事を露呈しているだけ。 これを冤罪と認めない限り今後も何かしらの冤罪は生まれ続けるでしょうね。 間違いを間違いと認める事は確かに難しいと思うが時代背景を考えたら現在とは掛け離れた捜査方法や取り調べ方が問題なのであって現在の検察官とは在り方そのものが違うでしょう。 人一人の人生を狂わせた判決を覆してこそ現在の捜査機関の進歩であり司法も正しく冤罪を裁くからこそその存在意義を示せるのではないでしょうか。 生まれてはならない冤罪を今を生きる法曹がどう判断するのか見ものです。
・自分は実際に様々な証拠や状況などを精査しているわけではないので、検察と弁護側、双方の言い分を否定することはできない。それこそ外野の感情的な考えや好みになってしまうからだ。なので制度がある以上、あとは裁判官の判断に任せるしかない。 その上で、日本の捜査には基本的な部分で重大な欠陥があると思う。それは取り調べについてだ。世界の警察では犯人に自供を促すテクニックがあると聞く。そのような誘導尋問は、ある意味必要なとのではあると思う。しかし、やってもいないものをやったと力ずくで強要するのは間違っている。 取り調べについては弁護士の立ち会いを認めるべきだし、可視化して透明性を高めるべきだ。 供述はあくまで証拠を集めるための手段とすべきで、自供自体を裁判の証拠とすべきではないと思う。 強要された自供は絶対に証拠とはなりえない。その部分で日本の司法制度や捜査方法は遅れているし、間違っていると思う。
・1950年代、1960年代と多くの冤罪事件を起こしている。犯人に仕立て上げ、自白を強要する。その自白に基づき証拠をでっちあげる。未解決事件を減らそうという意識が働いていたのか、何かを隠そうとしていたのか。先日NHKで放送されていたが、下山事件などは米軍が何らかの関与をした事件。証拠などはもみ消された時代。最近でも、伊藤詩織さん事件では検察がもみ消していたが、検察の隠蔽、でっち上げ体質は変わっていないのだろう。韓国のように検察の改善が必要ではないか。
・なぜこんな世論を煽るような記事しか書けないのだろうか…。 まず前提として裁判のやり直しであって、捜査のやり直しでありません。 仮にこの事件が違法捜査であったとしても、再捜査は無罪判決後に行われることになると思います。 再捜査を行っていない現時点において、検察側の主張を変えることはおかしなことです。 まずは再審で無罪を勝ち取ること。次に捜査が違法であったことを順番に行っていく必要があります。
・死刑か無罪かの裁判。今回の件は警察や検察側が嘘ついてるのバレバレなんですから、死刑を求刑した時点で恥ずかしくないのかなと思いました。 何の為にあなた方は検察の仕事をしてるんですか?と聞きたくなりますよね。
この裁判で日本の犯罪捜査や裁判のあり方、警察や検察の組織のあり方等全部見直す大きなきっかけというか明らかな分岐点になってほしいですね。
・検察側は過去の主張を繰り返すしかないのではないか。 結果的には無罪が想定できでも、現時点『無罪』には同調できないと思う。 結論が出来までの様子見。そのうちに、本人は死亡に至る。仕事をした感を残したいのではないか。大体が、会社組織と同じ発想だと思う。
・被害者のためにも遺族のためにも本当の犯人を捕まえてほしかった。 間違えたとしてもまた新たに捜査するのが本当に遺族のためになるが、もうこの事件に関しては無理なんだろうけど。
本当の犯人はもう亡くなってるかもしれませんし、生きているかもしれない。DNA捜査も進歩してるだろうし本気で捜査したら新たな発見があるかもしれないのに。
・袴田さんが本当に白なのか黒なのかそれを自分は判断できないが、袴田さんばかりにスポットはあたるが、被害に合われた方々としては、本当の犯人、真相の解明は何より望まれてることだろう。早く解決してもらいたい
・事件当時産まれてもいないような人が検察官になって死刑を求刑するというところに組織としての闇を感じる。これはディベートのゲームではなく、文字通り人の命が懸かっている。国や組織でなく1人の人間として本当に袴田さんを犯人だと断定できるのか、正義感の強さ故に検察官になったのなら今回の求刑は本当の正義なのか、個人的に問いただしてみたい。
・少なくても、警察のでっち上げの可能性を示す根拠がいくつもあり、本人も否定し、裁判官も無罪を主張する人がいて、それでもなお、死刑ってあり得ないと思います。「疑わしきは罰せず」ではないのでしょうか。
日本の検察は、組織として「おかしい」と思います。硬直した組織の見本みたいなものですね。国家が、一人の人の人生を奪う罪の重さを、検察官は、感じているのでしょうか。何も考えずに、ただ上の言いなりなのでしょうか。国会議員の方々に、検察の改革を切に望みます。
・高齢になり認知症の袴田さんに何をしょうとしている。もう十分に務めをしているじゃないか。お姉さんも無実を信じ戦ってきたじゃないか。もう、自由にしてあげて。警察も検察も人間の心を持ってるなら他にいっぱい未解決や裁判中の業務に専念した方が世の中の為になる。これ以上、袴田さんにこだわらずにそっとしてあげてくれ。
・無罪判決が出る公算が大きい中、起訴から半世紀後の後輩検察官たちは、先輩の過ちを訂正できずに終わったわけですね。 感情的な言葉を連ねて被告を糾弾した起訴状は、果たして「検察の威信を守る」ことに繋がるのでしょうか。威信は、真実を尊重する姿勢を通じて見せるしかないのでは。 やがて来るであろう無罪判決の日、検察がどういうコメントを出すかが注目されます。過去とプライドに囚われるか、それとも国民と未来に向かうか。
・当時の検察官が生きていれば出廷する袴田さんの法定を見に来るはずないし、ましてや当時の取り締まりの状況説明なんてしたら自分達の身の方が危ないと思うだろう。
結局は当時の人は袴田さんだけで刑が決まった訳だが、自分は正しい判断をした!と出て来れない当時の検察の方がいる以上、袴田さんの件は流して、これからは家族や兄弟と一緒に過ごせる時間にしてあげるべきではないだろうか?
・事件で最もショックを受けたのはボクシング界で、1960年代はボクサー=社会悪という図式だけが成り立っていた。そして大小さまざまな試合の場でボクシング界は袴田氏の再審請求を求め続けた。事件からあと2年で60年になるが、いまだに解決点は見えない。求刑が死刑となると裁判にかかわった人皆驚くばかりだ。判決は4か月後だが、その内容によってはさらなる紛糾もありそうだ。他にも冤罪を獄中で訴える人は多い。
・検察側は「虚心坦懐に証拠を見た結果」と主張していますが、果たしてそうでしょうか。事件から長い年月が経過し、当時の証拠の信頼性には疑問が残ります。特に、犯行着衣とされた「5点の衣類」については、捜査機関による証拠の捏造の可能性が指摘されています。
また、再審開始を認めた高裁決定は、検察側の有罪主張の多くを退けています。にもあるように、再審公判での有罪は難しいと考える検察関係者も少なくないようです。
それでも検察側が死刑を求刑したのは、単に「メンツ」のためではないかと私は考えます。しかし、冤罪の可能性が高い事件で、被告の人生を左右する死刑を求めるのは、あまりに非人道的ではないでしょうか。
私は、検察側には真実を追究する姿勢が足りないように思います。もはや有罪立証は難しいのではないでしょうか。検察側には、冤罪の可能性を真摯に受け止め、被告の人権を尊重する姿勢が求められると思います。
・報道では「一家四人が殺害された、いわゆる袴田事件」と常套句のように紹介されるが、被害者の名前も、年齢も、どうやって殺害されたのかも、報道されることはない。「一家四人」とひとくくりにされてしまってるが、本当にこれでいいのかと思うことがある。
そして、味噌タンクに漬けられた服の血痕ばかりがクローズアップされているのだが、本当にそれでいいのだろうかと疑問に感じることがある。袴田さんはどういう従業員だったのか、動機はあったのか、なかったのかといったことが報道からは何も分からない。ただ、弁護側と検察側が服の血痕について争っているところしか私たちに伝わってこない。
袴田さんが有罪なのか無罪なのか、私には分からない。しかし報道の姿勢が歪んでいないか?と私は不思議に思っている。
・あくまで袴田さんは死刑に処されるべきか、そうではないか。今回はそれを問うべきさいばんなのではないかな?流石に、ある意味ではここまで、負け戦なのに、検察側もそれを言ってきたということは、保身とかメンツとかではなく、刑事訴訟法そのものに対する誠意だと思うが。私は、冤罪はあってはならないと主張します。
・幹部達の話すことは本音だろうか、私は違うと思う。当初取調べや初公判を担当した検察官と直近の公判を担当する検察官は別人で、かなり過去の話となればかなり強引に起訴しても検察庁の意見は通って、数々の冤罪を生んでいたがこの事件も証拠となる衣類などを見る限りにおいても疑問を感じるのは私だけではないはずだ。検察は起訴に自信を持っていると話すのだろうが、検察の掟がそうさせているのではないだろうか?
・検察が被害者遺族や社会のために犯人を必ず断罪すると意気込むことはとても良いことですが、 断罪する相手は誰でも良いというわけではありません。 当たり前ですが ところで、 裁判で無罪判決が出たから、もう一度捜査を一からやり直した という話は聞いたことがないのですが 真犯人に罪を償わせることより 捕まえた犯人が真犯人かどうかを争うことが目的に思えてしまいます。
・誰も信じていないのに、どこに対して何のメンツがあるのかわからない。 DV男が被害者に好かれていると思う、あるいは思いたい歪んだ妄想に似ている。 一般市民の犯罪と警察組織の犯罪、どちらが多いんだろうね。実際のところは。 警察内部に防犯カメラを設置して情報開示して貰いたい。闇が蔓延りすぎている。 簡単なカメラ設置で随分変わると思う。
・検察側への不信感でしか無い 一体、何に固執してるのでしょうか? 正直、身内の方の犯行であったであろうと推察できます。 冤罪を認めない事で人生を棒にした方々への罪と賠償を考え欲しい。 当時の検察の方々がのうのうと余生を過ごしているのであれば…この方々やその家族も罪を償って欲しい
・検察が体制が腐ってるとしか思えない。先の裏金議員の件でも、当初は捜査すらしない方針を出したように、検察は正義感や法律、倫理観で動いているとは思えない。 法廷を撮影したテレビ動画では、数名の検察官は30代~40代に見えた。仮にそうだとしても、そんな若い検察官が58年も前の事件を担当して、仮に過去の死刑求刑の理由として上げた証拠に疑問を持ったとしても、それを口に出して言えるかどうかだ、組織の人間として、しかも上下関係が厳しい検察の世界で出来るか、冷静に考えれば到底出来るとは思えない。上層部の先輩検察官の顔に泥を塗るようなもんだから。彼らも、無難に検察官として出世したいなら、ここは死刑を求刑するしかない、出世と冤罪疑惑のある被告人の命を天秤に掛けて、自分の出世を選んだということだ。
私は死刑制度に賛成だが、こうも疑惑が深い以上は最高でも無期懲役、死刑は流石に極論で、この場合は反対だ。
・弁護士も検察も警察も。 有罪のものを無罪にしようと動くことも、無罪のものを有罪にしようと動くもそれぞれの考え方で動いていくことは構わない。 でも、それぞれ主張が通らなかった場合、それ相応のペナルティは受けるべきなんじゃないだろうか。ましてや、100%無罪となるのがわかっているのに極刑にこだわる。無罪の人に死を望む以上は、失敗したら己の命を代償としなければ命の重みが軽すぎる。
・この方が冤罪なら、真犯人は誰なのか、居たとしても既に亡くなっている可能性が高いですよね。この方からしたら冤罪か冤罪ではないかは重要だとは思うが、被害者家族からしたら誰が犯人で裁判でその報いを受けるのかというのが重要で知りたいのではないでしょうか。裁判の主目的が報道であまり取り上げられてないことに疑問がある。
・小野悦男無期懲役囚。 1974年の夏、首都圏で女性が乱暴され、殺害される事件が多発し、そのうちの一件、「松戸OL殺人事件」と呼ばれる事件の容疑で小野受刑者が逮捕された。取調べで自白しながら裁判で無実を訴えた小野受刑者は、一審で無期懲役判決を宣告されたものの、1991年に二審で逆転無罪判決を受けて確定。小野受刑者を一連の「首都圏連続女性殺人事件」の犯人であるかのように報じた新聞各社が紙面で謝罪し、事件報道のあり方が見直される契機になった。
ところが、その5年後、事態は再び一変した。1996年4月、小野受刑者は5歳の女の子にわいせつ行為をしたうえで首を絞めるなどしたとして殺人未遂などの容疑で逮捕され、さらに同6月、同居していた女性を口論をきっかけに室内にあったバットで殴って殺害し、遺体を燃やしたうえで首を切断するなどしたとして殺人などの容疑で再逮捕されたのだ。
・自白と無理に見つけてきたような物的証拠だけだから、和歌山カレーもそうだが、疑われやすい人物像が犠牲に選ばれたのか、裁判での判決はともかく、真相は本人と別人なら真犯人しか判断できない。もっとしっかりとした証拠が必要だった。自白偏重が招いた問題だろう。
・一家4人が亡くなられた事件は、本当に 哀しむべき重大なものだと思いますが、 永きにかけ死刑囚として 拘束されてきた袴田さんの人生を、 誰がどう責任を取るのか、冤罪での 可能性大のこの裁判は、国民も本当に 注目して司法のあり様をみています。 心痛み過ぎて苦しいです。お姉様の 気丈さをみると何とか良い解決へと 導いてください。
・検察は証拠証言自白を判断材料としての求刑です。裁判の正当性はあります。「袴田被告は無罪」を否定するものは間違いと世論を誘導すること、「袴田被告が有罪」の主張を大声で消し去ろうとする、一種の言葉狩りこの風潮の方が恐ろしい。袴田氏の無罪を主張することは勝手次第。かと言ってその有罪の主張を抹殺しようとするのは、言論の自由の侵害だ。裁判の行方とそれを取り巻く異常な声高に注目します
・前回の判決時に、証拠の捏造疑惑が出たから、 警察としてはメンツ確保のためにも、同じ求刑をするしかないでしょう。 捏造があったとしたら、もはやメンツだけには留まりませんが。
何にしろ、被害者がいる以上、どこかに加害者がいるはずです。 本件に関わらず、その方が真当な裁きを受けることを望みます。
・法曹のエリートに限らないかもしれないが、彼らには自分たちは常に正しいという認知バイアスがあると思われる(※ 一般的に無謬性の原則と呼ばれる)。 しかし、人間誰しも間違いはあり特に日本の場合自白頼みの立証が多い上に自白の過程が録音・録画されておらず密室での出来事となると、果たしてその自白は本当に証拠になり得るのか疑義を呈さざるを得ない。
検察の当事者は本当に証拠を吟味した結果と言うことかもしれないが、その証拠には上記の通りそもそも有意性に疑問があるものが含まれている。だとするとやはりメンツ保持では無いとしても新たに決定的な証拠が出ない限り推定無罪の原則に則るべきであろう。推定無罪の原則に添えないということであれば、メンツのためだろうの誹りは甘んじて受け入れなければならない。
・で、結局この事件の真犯人は誰なんでしょうね?検察は4人も殺した真犯人を野放しにして、尚且つ犯人ではない袴田さんの人生を台無しにしたわけですよね。 遺族にとっても袴田さんにとっても検察は役立たずだった。そしてただ自分達のメンツを守るために今も動いている。。 検察の方々には、毎朝起きる度に「私たちは国民のために働くのであって検察自身のために働くのではない」と10回叫んでから業務に向かって欲しい。そんな気持ちになりました。
・初めて証拠としてあげてる三点を見たけど、無理があるよね。
同じ生地って当時どれくらいの繊維があったか知らないが、現代に比べて少ないでしょう。それを袴田さんの衣類の生地と断定するには無理があるのでは?
傷も犯行の時におったものと考えられるって何をもって断定したのか?
血痕が血液型が同じって、同じ血液型の人は大勢いるわけで
・メンツ保持ではないだろう。今時そんなことしないも思うが。 裁判所の証拠は捏造という見解(裁判官だって個人であって、組織の一員)。 報道機関の無罪で決定の論調。 疑わしくは罰せす。それでも死刑求刑の検察。メンツではなく、やはり実行犯だと確信しているんだと思うが。 被害者遺族に負担がないことを切に願います。
・元検察関係者です。メンツのためだなんて何もわからないのに言わないでいただきたい。
検察は被害者のため、被害遺族のために全力で戦うのが仕事です。弁護側は被告人のために全力で戦うのが仕事です。
お互いしっかり使命と誇りを持って仕事をしています。
・今回の再審では、みそ漬けの犯行に使われた衣服の検証が行われた。驚いたことに検察側の証人も衣服についた血痕について、検察側の主張を認めていない。一人は否定し、もう一人は推測では有り得るというもので、全く科学的には検察の主張は退けられている。既に、再審請求では証拠の「ねつ造」が裁判所により指摘されていた。そのにもかかわらず、検察は死刑判決を求刑している。死刑に賛成の方は、是非とも袴田事件を考えて頂きたい。日本の検察は、えん罪事件について自らの過ちを認めたことがない。再審制度はあるが、検察が何度も異議を申し立てて、再審裁判ができない。証拠は全て検察がもっており、犯罪の立証に役立つものだけが開示される。再審制度を見直すべきだ。
・検察と警察はメンツを守ることよりも真犯人を捜索することの方が大切だと思います。袴田さんどうこうではなく、遺族のことを思うなら真犯人を何が何でも見つけようとすることが本来の姿勢だと思います。
・1番の問題は時間がかかりすぎてしまったことだと思うが 報道が偏っている様に感じる。 今は、冤罪前提で報道するので証拠品も【冷静に考えて】疑わしい。という形になる。 逆に、有罪前提であれば【これだけの証拠があるので】間違いない。という形になると思う。
報道を目にする人は、意識・無意識の違いがあれど自分の中の【無罪(or有罪)】を軸に、自分の感覚に近い情報を集めて、それを確信してしまう。
どちらに傾けることもなく淡々と記事を作るべきだと思う。
・無罪判決が出たとしても即時抗告なのかな。で高裁が棄却するまで続くのか。まだまだ時間はかかるね。
この間、NHKが主にBSで「えん罪事件」何度も特集している。大河原化工機や「布川事件」で再審無罪となった桜井昌司さん、杉山卓男さん(故人)と「足利事件」など、日本の警察機構や検察・裁判の余りに惨いでっち上げを報じている。一度見て欲しい。
・虚心坦懐(たんかい)に証拠を見た結果だと検察幹部は言っているようですがそもそも再審になったということは最高裁も高裁も検察の言い分は信任に値しないと判断した結果であり、それらを上回る覆す新たな物的証拠なりを持っていないならばそれは無理があると思う。過去のものを見直したらと言ってもそれはすでに裁判所で結論が出ている話でそれを覆す新たな物的証拠なりがなければ死刑求刑と言うのは筋が違うと思う。どう弁解しても面子としか思われないと思う。元死刑判決だから死刑求刑と言うのは分からなくもないが新たな証拠があって求刑ではないかと思う。要するにゴメンナサイが言えないだけとも思うし袴田さんの人生をメチャクチャにしたので損害賠償請求とかされないように裁判中に亡くなってくれればとでも考えているのではないかな?新たな物的証拠なりがあって判断、それが司法に関わる人の基本ではないかな?感情論やプライドとかではないと思う。
・この事件は56年前に先人たちが捜査の集大成として解決に導いたものです。長年の労苦と尽力の末に得られた証拠と結論を、再審の名のもとに覆されることは断じて許されない。事件の重みと被害者と被害者遺族の無念を忘れてはならない。これまでの捜査の成果を台無しにするような判決は決して許されない。
・ドラマ「アンチヒーロー」観てるのだけど。必ずしも検察、裁判官を信用出来るか?となるとYESとは言えない。日本の検察は起訴した限りは何がなんでも有罪にしたがるし冤罪だと判ると非常に厳しい立場になるようだし。だから途中で誰かが冤罪じゃないかと気が付いてももはやそういう主張は出来ない組織なんじゃないかな?という風に感じている。警察組織にも誤認逮捕という不名誉なことは避けたい空気を感じるし厳しい取り調べとか。証拠捏造とかあり得るとも思う。
・検察官が最高裁判官になりたいのは分かるし、査定する上司を敵に回したくない気持ちはあるだろうけど、「前例から逸脱しない」という逃げ腰でエポックメイキングはしない保守的な風潮がある限り、1人殺害でも死刑や、不起訴案件などは変わらないのだろう 日本の司法制度が発展しないのは、現状維持に努める最前線にいる人の責任でもあると思う
・味噌の中は低酸素で赤みが残ることもあり得るってケースは、衣服を平にして、漬けるように味噌を塗り込めても尚、希少じゃないかな? 丸めていれた衣服なら酸化するに充分な酸素は残ってますからね。 20年近く前に我家の愛犬が出産時のケットの「真空したビニール袋」が出て来て拡げたら、血液が調味料のような茶色でした。 疑わしきは罰せず、、、 我家の隣人が火をつけたのを目撃し110番通報、隣人は逃げ、センサーライトを解かされたのを確認しても、追跡もせず、放火未遂にすらしない田舎の県警もいるのに。
・糺すべきは検察の姿勢です。そもそも、起訴した事案が有罪になるか無罪になるかを評価対象にしている事が異様です。
更に、無罪になる可能性が高い場合には起訴を避ける通例も異様です。有罪か無罪かの決裁権は裁判所にあるのに、不起訴によって実質的に無罪判決と同じ結果をもたらすのは不合理で職権を逸脱しています。
判決が有罪になろうが無罪になろうが起訴するべき案件は起訴するが、例え疑わしいレベルでも証拠の捏造なんか間違ってもしない。それが本来の検察に求められる姿勢だった筈です。証拠を捏造し (前例多数) 、意地や面子に拘泥して起訴か不起訴かを決める (これも前例多数) のなら、既に「正義の味方」ではありません。
安倍政権による内閣府への人事権集中により、保身の為に政権与党の顔色を窺う「ヒラメ根性」が常態化したようです。今の検察は逮捕権と起訴権を手に入れ政権与党に飼い慣らされたヤクザ同様の組織です。
・詳細は分かりませんが、
・ズボンと生地が一致する布端 ・袴田さんと同じ血液型
これだけで犯人にされたら、さすがにたまったもんじゃないですよねえ~ まあ、今なら血液型ももう少し詳しく分かったんでしょうけど。
で、問題なのは、袴田氏が無罪だとすると、真犯人がいるってこと、といっても真犯人が居たとしてももう死んでるかもしれません。 それだけの年月が流れているということ。 もし仮にこれが冤罪で、警察の決めつけで行われたのであれば、真犯人を逃すことにつながったわけで罪深い。
・この事件、警察が証拠をねつ造した事、従って袴田さんがやっていないことを知りながら、犯人に仕立て上げたことまでは、既に再審の審理の中で明らかになっている。 それは即ち、警察は真犯人が別に居ることも知っていた事になるし、警察が真犯人を隠蔽しなければならない余程の事情が背後にあったため、無実の袴田さんに罪を着せたことも論理的帰結として明らかとなる。 検察=国としては、そこを認める訳にはいかないから、嘘だと分かっていても死刑の主張を続けるしかないという事。そうやって、国による組織的犯罪は永遠に葬られるのが刑事裁判の実態。 この件は、弁護団の頑張りに加えて、50年の長い年月の間に真犯人や隠蔽に関わった関係者がもうこの世にいないなど、隠蔽の必要性が薄れたなどの事情も相まって、真相が明らかになりつつあるものと思われる。 しかし、こうやって真相が明らかになるのはむしろ例外で、もっと深い闇は他にもある。
・真犯人を探すと言うロジックが完全に欠如している様に思える。一度犯人と決めたらそれ以外の事実も可能性も考えずに組織の対面しか考えずに進む。
検察が起訴したら絶対に間違いはないと言う、 これはある意味でかなり危険な思想に近い。
検察側の異常に高い勝率はその危険な思想をより強める。
起訴したら絶対に有罪、有罪に出来ないなら起訴しない。
そんな危うい姿勢では真犯人を有罪と言うか警察が逮捕した人間を 検察が有罪に持ち込めるかどうかで起訴有無の判断だと逆に勝てない 真犯人を逮捕しても検察は起訴しないと言う事になってしまいます。
・調書を読んだわけでもないので、いわゆる一般的な野次馬です。 事件から60年近く経っているので、 弁護側に無罪の証拠があるわけもなく、警察に強引な捜査や取り調べがあったことを糾弾するしかない。検察側にも有罪を再度上書きする新しい証拠などありようがない。 事件とは離れたところにある国家権力の横暴を許すなという反警察・反検察の思想。 疑わしきは罪せず、という便利な無罪論。 無罪としたときの真犯人に関する無関心。 死刑確定後の死刑執行の怠慢。 結局、袴田氏が無実(無罪ではなく)かどうかが曖昧のまま、高齢の袴田氏の死に依ってしか決着しないのだろう。
・免罪だったのかという問題と、再審の中で審理を尽くすというのは当然に共存する。
別に彼が間違いなく有罪だと思ってこんなことを言っているのではない
とにかくスタートで間違ってはいけない。 現状ではあくまで「再審」というだけのこと。無罪と判決がくだったわけではない。
もちろん有罪か無罪かというより有罪と断定することがうたがわしくなったということ、再審の立場は理解しているつもりです。
それでも、再審なんだから、審理を尽くすべき。検察側は有罪という立場にたって真実を探求することも別におかしいものではなく、むしろ再審=再度審理をすべきなのに、審理をしないのが当然だといったような、審理をなくすことの方が間違いでしょう。
・今更証拠の妥当性がどうではない。 証拠に虚偽のものがあれば本当は有罪であっても無罪になるんだよ。 捜査側の信頼性がないのだから。
虚偽と思われる怪しい証拠を提出しました。供述も無理矢理っぽいです。でも探したら正しそうな証拠もあるので死刑求刑します。 それは理解を得られません。
有罪だと信じるなら尚更違法な捜査をすべきではないし、そこを顧みないとまた同じことが起きますよ。
・当時の警察の体制、嘘でもなんでも犯人をあげればお手柄と言うのもあって、この事件証拠冤罪としか思えない。 罪を償わせた時間長いから、冤罪で無罪となると費用面も大きいんだと思う。 しかし、生きてるうちに、判決が出て欲しい。 被害者側の家族も、真犯人を捉えるチャンスを失っているかもしれないのだから。
・まず、前提として
袴田事件における「当時の」警察、検察はとんでもない間違いをしたんでしょう。 なので再審しましょう。ってのは当然の流れです。
ただ、被害に関しては人が4人殺されているので、現在の検察が負けると自覚していたとしても、死刑求刑じゃないと今後の殺人事件は被害者4人以上じゃなきゃ死刑求刑出来なくなる。なので「死刑求刑」自体は仕方ない事だと思います。 そして判決は死刑が覆り、無罪になるでしょう。
ただ…袴田事件そのものが58年前。 検察、弁護人、裁判官の全てが「当時を知らない」これでどう審理されるのかは興味深いですね。
・大昔のことでそれを知る人は殆ど亡くなっています。 それに対して我々がどうこう言う問題ではないような気がします。 犯人側の関係者は無罪にしたいでしょうし、被害者側はずっと袴田氏を犯人と思ってきたのですから簡単には変えられないでしょう。 司法の判断に委ねるしかないと思います。
・当事者本人が沈黙していて、検察の言う証拠たるもの全てを覆る新たな証拠がない限り、嫌疑不十分相当の理由がなく、少なくとも無罪とはできないと思います。袴田の親族や弁護士がそこの点を覆る根拠と検察の捏造の証拠を持ち出さなければ難しいと見ている。
・かつて裁判所の判断を受けた身です。 私は被害者側ですが、加害者である者はサイコパスのごとく平気でうそをつき、可憐な弱者を装いました。それまでに、たびたびつく嘘は事件にはならない程度なのですが、犯罪スレスレレベルです。 警察では加害者の話は矛盾するので信されませんでしたが、 裁判所調査員は、双方と面談をし、私は書類を書きましたが、判決文は、加害者の責任には一切触れておらず、まるでわたしが招いたかのような内容でした。ショックでしばらく鬱状態になりました。
冤罪に苦しむ人はたくさんいるのだな、と感じました。弁の立つ、見かけの良い者が有利なんです。
・60年近く昔の証拠でっちあげなど、本当にあったとしても、今の人たちは「昔はね……」で済ますのが普通の感覚のように感じる。
しかし、改めて今回死刑を求刑したのは「今現在の検察」だ。 多くの国民から「変わってない」「間違えを認めない」検察組織……そんなふうに捉えられる可能性が高いのではないだろうか。
「メンツにこだわっていない」というのは本当かもしれない。 非難を受けるようなことを、たぶん自分たちの得にならないことをしているのだから。
今回のことが、自分たちが悪く見られようとも公平に進めるという強い意志に基づくものであればいいのだが。
・検察メンツのために裁判を続けるべきではありません。 袴田事件は、警察や検察の強い悪意のもとで証拠捏造をした事等で無罪判決が出ています。 この裁判でも無罪判決が出た場合、袴田事件に関わった警察、検察、裁判所の責任は逃れられません。 検察トップは責任を取って当然退陣、関わった人物達は当然無期懲役以上にするべきだと思います。
・長い期間独房に入っていたから一概に言えないが袴田さんがウソを言っているのか本当の事を言っているのか心理学の専門家に改めて頼むべきでは?素人考えだけど、もし本当に犯罪を犯してあれば月日が経とうがあれだけ残忍な事をしていれば忘れる事も難しいと思う。
・当時の静岡県警は拷問で自白させ証拠を捏造して冤罪を量産していたことがわかっているそうですね。「布端」は捜査員がズボン製造元からもらってきたサンプルらしい、とか、そもそもそのズボンは被告には小さすぎて履けない、とか、「血痕」は血液型があっているだけで DNA 鑑定では違う可能性が指摘された、とか。「メンツ保持」でないなら、「どうせ無罪になるから少なくとも組織を守るための求刑を」ということでしょうね。でもこんなことで組織が守られちゃうならよほど問題です。
・アメリカの話。 DNA鑑定の普及によって、既に有罪判決が出ていた被告人が冤罪だという方向の証明もできるようになってきた。 モンタナ州で発生した性犯罪で、一旦懲役40年を言い渡された被告人が、被害者の下着に残っていた体液から、被告人と別人のものであることが判明し、冤罪が証明できた。
ところが、検察官はこれに異常に抵抗した。 「被告人は一人で複数のDNAを持つキメラだったんだ!」(一応あり得なくはないが、全世界でも極少数。案の定再鑑定で否定) 「犯人以外と性交渉をしていたからそれが出ただけで彼の犯行はあったんだ!(被害者当時10歳未満) 「被告人以外の第三者がいた!(被害者も犯人が複数人いたとは言ってない)」
推理小説真っ青レベルの主張を繰り返し、案の定判決は無罪。 「自分は無実の人を刑務所に叩き込んだなどと認めたくない」心理(認知的不協和)が、バカげた主張を検察官に繰り返させたのだった。
・もしも袴田さんが無罪なら、警察が証拠を捏造したとしか言えない事件だから 静岡県警や検察は面子にかけて袴田さんを死刑に持って行こうとするだろう。 一方で静岡県警が総力をあげで証拠を捏造したとは常識的には考えにくく、司法は公平な観点で審議すべきだと思う。
・昔は普通に冤罪が自白で横行していたのでしょう。そのお陰で真犯人は え?何で? と思いながらもその後も普通に生活を送ることができたという事ですね。 昔の検挙率がそりゃ高いわけだ。 でも現代は車泥棒など盗まれた車を探す気もなく犯人を検挙する気も全く感じられない。 質問もドアに鍵を掛けていたのかとか 鍵は付けっぱなしだったのではないか?とか は?って感じでした。 余程忙しいのか仕事を増やしたくないのか よくわかりません。
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