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知的障害があっても芸能人になれる? 「挑戦できる場つくりたい」専門事務所が相次ぎ登場

47NEWS 5/24(金) 10:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/5d63584ec1e1f86a121c03faaa553569d1029bbc

 

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知的障害者向けの芸能事務所が近年増えており、町田萌香さんや岩下絢音さんなど知的障害のある人たちが芸能活動を行っている。

障害のある人にも芸能界での活躍の場を提供し、可能性を広げる取り組みが注目されている。

障害者専門の芸能事務所や活動に参加する役者たちが、障害を持つことで得られる独自の表現や成長について語り、社会の意識変化を期待する声もある。

(要約)

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出演した映画の上映会で舞台あいさつする町田萌香さん=2月、東京都中野区 

 

「グローバル・モデル・ソサイエティー」の高木真理子社長(左から2人目)と、町田萌香さん(左端)ら所属モデル=4月、東京都中央区 

 

「グローバル・モデル・ソサイエティー」の所属モデル岩下絢音さん(左)と酒井萌さんを紹介する宣伝素材 

 

「知的障害がある人に演技指導できる人材や、必要な配慮をまとめた資料が必要だ」と話す「アヴニール」の田中康路社長=2月、東京都中野区 

 

「アヴニール」の田中康路社長(右)と演技について話す小籔伸也さん=4月、東京都新宿区 

 

「エレメンツ」に所属し、演劇への出演に向け稽古するダウン症のある丹下開登さん(左)=2023年10月(引地信彦氏撮影、パルコ提供) 

 

ダウン症のある所属タレントが出演した演劇「チョコレートドーナツ」のパンフレットを前に話す「エレメンツ」取締役の馬場巧さん=4月、東京都渋谷区 

 

 「知的障害者が芸能人になるなんて無理」。そんな社会の常識や固定観念を変えようと、知的障害がある人向けの芸能事務所が近年、相次いで登場している。身体障害者の場合は見た目で分かりやすく、メッセージ性も持たせやすいが、知的障害者は外見では分からない人も多い。せりふを覚えたりコミュニケーションを取ったりする上で配慮も必要になるため、身体障害とは違った難しさがある。それでも挑戦しようという当事者と芸能事務所が出てきているのはなぜなのか。道は開けるだろうか。(共同通信=市川亨) 

 

【写真】「めちゃくちゃ心配」された知的障害の女性が出産 「幸せです」と笑顔 

 

 ▽「世界で勝負できるモデルを育てたい」 

 

 「すてきな共演者の方々と一緒にこの作品に出ることができ、とてもうれしかったです」 

 

 今年2月、東京都内のホールで開かれた映画「わたしのかあさん―天使の詩―」の上映会。町田萌香さん(36)は主演の寺島しのぶさんらと舞台に立ち、そうあいさつした。 

 

 この映画は、知的障害がある両親の下に生まれた子どもの視点で親子の愛情を描いた作品。エキストラなどで知的障害のある当事者約30人が出演した。 

 

 町田さんもその1人。軽い知的障害があるが、181センチの長身を生かし、普段の仕事の傍らモデルや俳優として活動している。これまでに東京パラリンピックの開会式や舞台などに出演。「私を通して、分かりにくい障害のことを知ってもらえたら」と話す。 

 

 町田さんが所属するのが障害者向けの事務所「グローバル・モデル・ソサイエティー」(東京)。元モデルの高木真理子さん(62)が「障害があっても、世界で勝負できるモデルを育てたい」と2022年に設立した。 

 

 知的や身体に障害がある約20人が所属。月に1回開くオーディションには毎回10人前後の応募があり、希望者は多いという。 

 

 ウオーキングのレッスンなどを通じて知的障害者と10年以上付き合ってきた高木さん。障害児の親や世の中にこう言いたい。 

 

 「彼女たちだって、教えればいろいろなことができるようになる。何をするにしても、最初から『できない』と可能性を狭めないでほしい。やる気や使命感を持つと、人は変わる」 

 ▽障害を売りにするのは悪いこと? 

 

 「彼らは『どう見られるか』を意識せずに演技ができる。初めて見たとき、心を揺さぶられた」 

 

 そう話すのは障害者専門の芸能事務所「アヴニール」(東京)の社長、田中康路(やすゆき)さん(50)だ。 

 

 田中さんは障害者のドラマ出演などに関わってきた経験を生かし、2017年に同社を設立。現在は知的障害を中心に約50人が所属しており、舞台の自主公演や芸能スクールの運営などに取り組む。 

 

 

 「彼らの世界観を理解し、必要な点を配慮すれば、『これこそがエンターテインメントだ』というすごい演技ができる」と田中さん。「芸能界はその人の魅力を売り物にする世界。障害という特性を生かすのが悪いこととは思わない」と話す。 

 

 所属タレントの1人、小籔伸也さん(29)は中学生のとき、学校に行くのがつらくなり、「毎日の出来事をドラマだと思うようにしていたら、気持ちが楽になった」。それが芝居に興味を持ったきっかけだ。 

 

 その後、軽度の知的障害と発達障害があることが判明。今はアルバイトをしながら、アヴニールで演技のレッスンやボイストレーニングなどに励む。学園ドラマに出演するのが目標で、「『諦めの悪い俳優』になりたい」と話す。 

 

 ▽共演の役者たちに相乗効果 

 

 一般の芸能事務所が手がける例もある。俳優の小西真奈美さんらが所属する「エレメンツ」(東京)は、社内のプロジェクトとして、ダウン症がある人の舞台出演やダンス活動を支援している。 

 

 事業を始めたのは10年ほど前。「ダウン症の人たちが挑戦できる場があまりにも少ない。可能性を広げられる挑戦の場を作ろう」との思いからだった。 

 

 2021年の東京パラリンピックやダイバーシティー(多様性)を重んじる社会の流れが追い風となり、テレビへの出演機会などはここ数年増えてきているという。 

 

 取締役の馬場巧さん(48)はこう話す。「彼らは共演陣やスタッフに分け隔てなくハグしたりするので、現場全体で自然とコミュニケーションが生まれる。彼らの真剣な姿勢や成長する様子を見て、共演する役者たちが刺激を受ける相乗効果もある」 

 

 ▽福祉や慈善活動ではない 

 

 どの事務所も共通して話すのは「福祉や慈善でやっているわけではない」ということだ。所属タレントの起用には出演料を求める。ただ、事業の採算という点ではいずれも苦労しており、芸能活動だけで生計を立てている人はいない。 

 

 制作サイドには「どう接すればいいのか分からない」という戸惑いがあり、視聴者の中には障害者を「かわいそう」と見る人もいる。企業は「『障害者をお金もうけに使っている』と批判されそう」と“炎上”リスクを恐れて、起用に二の足を踏むケースが多いという。 

 

 

 各事務所はファッションショーの開催や、所属タレントのCM出演などを模索しているが、活躍の場が広がるかどうかは社会のさらなる意識変化にかかっているといえそうだ。 

 ▽取材後記 

 

 私自身、知的障害のある子どもがいて、メディアに身を置く人間として、知的障害者を起用する難しさはよく分かる。 

 

 伝えたいメッセージを限られた時間やスペースでいかに伝えるか。障害者が登場することに意味を持たせたいなら、車いすの人など身体障害者の方が分かりやすい。映像メディアなら、なおさらだ。 

 

 それでも「知的障害があっても、いろいろな可能性があるということを伝えたい」という各事務所の話には共感し、励まされた。もちろん、健常者だって「芸能人になりたい」と思ったからといって、芸能人になれるわけではない。ただ、少なくとも挑戦できる機会は障害の有無に関係なく与えられてほしい。 

 

 

( 173559 )  2024/05/24 14:57:22  
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(まとめ) 

 

- 芸能界でも障害者にチャンスを与える取り組みは良いとする意見が多かったが、その成功には周囲のサポートが重要だとの指摘が多かった。

 

- 障害者の多様な才能を活かすことの重要性や、尊重されるべきだとの意見もあった。

 

- 芸能界の厳しさやリスクを考える声もあり、適性や環境の整備が求められるとの意見もあった。

 

- 社会の理解やバランス、個人の自己判断能力についても様々な意見があった。

 

- チャンスの提供は良いが、選び抜けや周囲の理解も考慮すべきとの意見や、適材適所での活躍が重要との意見もあった。

 

- 活躍の場を広げることの意義や、差別や差違を超えた共存の重要性に賛同する声もあった。

( 173561 )  2024/05/24 14:57:22  
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・今は一般人のYouTuberでも芸能人ぶってるしね。境界線が曖昧だと思います。 

ただテレビで通用する人ってやっぱりレベルが高いというか、選ばれた人、勝ち残った人が出られるんだと思う。 

プレバト見てても、俳優や歌手やタレントの人でも俳句やアートの才能が凄い。 

演じる、話術、歌など本業以外にも才能があるから生き残れるんだなとつくづく思う。 

障害があるかないかよりも人より優れた才能があるかだと思います。 

 

 

・基本的には良い事だと思います。今でも障害や特性のある方が個性を活かして活躍されてケースも増えてきてますし。ただ、そういう方は搾取されたり、ネタや笑いを取るためと称してバカにされ笑い物にされたりといったケースも多々あると思います。色々な良からぬ誘惑も芸能界だと特に多いと思います。そういったものからちゃんと守られる環境が整っていたら良いなぁと思います。 

 

 

・とっても良い事なんですけれど、同時にとっても難しいと思います。知的障害は身内にはいませんでしたが、精神疾患、認知症は身内にいました。時々、彼らはとっても面白い事を言います。身内だから、それをお腹を抱えて笑う事ができる。すごい視点で笑わせてくれます。でも他人の場合、それができない。馬鹿にしてるのか?になってしまう。どうしても、そうならないようラフになれない、かしこまってしまう。その辺が難しいんじゃないかなと。 

 

 

・不登校支援の仕事をしていました。 

小学校低学年で知的障害と診断された生徒を二人担当したことがあります。 

確かに学力は劣っていましたが(不登校でもあるので)長く深くつきあっていると、すべてに能力が低いわけではないことがわかりました。ボードゲームが得意だったり、ダンボール工作でいろいろ作れたり‥かなわないことがたくさんありました。 

健常者と思っている人のなかにも特定のことができない人はたくさんいます(自分もそうです)自分を「普通」の枠に置いて障害者を特別視するようなことのないようにしたいと常々思っています。 

 

 

・知的障害を持ち有名になった場合には隙を狙い金銭や詐欺広告等様々な誘いが来てしまう事もあるでしょう。健常者ですら正常な判断力を失ってしまう状況もありますのでしっかりと後見人等が本人の活動のサポートをしてあげて欲しいです。偏見かもしれませんが親に任せきりも危ない気がします。 

 

 

・現在アメリカには低身長のとても人気のある男性俳優がいます。いくつかの世界的な賞も受賞されています。 

 その男性の場合は演技力が高いので、凄く評価が高いのです。 

知的障害や身体障害などがあっても、テレビドラマや映画などの場合その人に演技力があれば十分にやっていけるところではないかと思います。 

 

 

・障害者が、世の中から、隠れ住む必要はないと思う。ドラマやアニメなど、障害者がいない世界こそ、おかしな偏った世界だ。ビジュアル的にも、感覚的にも、画面を通じて、多くの障害がある人が、存在感を示して、世の人々が認識を改めるべきだ。実際にチャレンジするのは、いろんな困難があると思うが、頑張ってもらいたい。そしていろんな人が、一緒に頑張り、一緒に笑える社会の来ることを願う。 

 

 

・すごく良いと思える点と、すごく疑問な点がある。 

良い点は、兎に角障がいのある人にとって、希望に繋がる可能性が有ることと、一人でも成功者が出れば、障がい者に対するある種の偏見や無理解への打開策にもなり得る可能性が有ること。 

疑問な点は、障がいと一括りにしているように思える点。身体、知的、精神いずれも軽度、中等、重度的に分類されていて、重度障がいは本当に大変。中等も個人により、差もあるし、同じ中等で同じことをするとしても、出来る人と出来ない人がいる。 

まして、障がいはその時の環境によって軽快もすれば憎悪もする。 

本人が一番大変だとは思うけど、そのサポートをする人達や家族にもかなりの負担が掛かるかもしれない。 

また、自己判断が危ういケースなどでは、セキュリティ的な面や金銭的な面でのリスクを誰がどうフォローするのか?と言う問題もついて回ると思う。 

 

かなり慎重な準備が必要だとおもうな。 

 

 

・欧米ではグレーテストショーマンのように多少倫理観は問われるにしても、それでも自ら金銭を手にして家族がいたり人間らしい生活を営めた人も居たみたいだから知的障害のある方達がより生き生きと表現出来て金銭を手にして営める一助になるのはいいことだと思う。あとは、障害者を扱う以上必要な補助体制を整えるのも確保して欲しい。 

 

 

・芸能人の定義によるかと思います。本来、芸能人は芸に秀でた方がそれを披露することで食べて行くものなので、音楽、演劇、踊りなど、それらの分野で活躍している方が呼ばれるものかと思います。いつしか、それがテレビ等に出演することと同義になってしまいましたが、記事にあるように「障害者が障害者役で映画に出る」というのは芸能人ではありません。障害も知的、精神、身体と色々ありますが、それらに関係なく芸に秀でていて活躍していたら立派な芸能人です。でも歌にしろダンスにしろ、障害の有無に関係なく、プロレベルになるのは非常に難しいわけで。だから、障害をお持ちの方に夢を与えることには意義があるかと思いますが、自身の活動や才能の結果、マスコミに注目されるべきということを忘れないで欲しいです。テレビなどに出て注目されることをゴールとするのは違うと思いますし、お騒がせユーチューバーなどと動機は変わらなくなってしまいます。 

 

 

 

・障害によりけりで、症状にもよると思います。 

近所の方で攻撃されたととり、言っても無い事をさも言われたかのように被害妄想がかなり強い方がいます。 

その時の状態感情の起伏によるかもしれないけど、 

対応が凄く疲れるし、困る。 

周りもよほど覚悟はいると思うし、ストレスは必要以上にどちらにもかかると思います。 

 

 

・本人の意思でやりたいことが出来て、収入が得られるなら生きていくには必要なのだから良い事だと思う。 

無理矢理やらせられているのとは違うのではないか。 

今障がい分野では自立していける様に本人達は勿論、施設側も職員達も必死に出来る事、やりたい事を模索して少しでも本人の自立と収入増に取り組んでいる。家族の方もいつまでも見ていてあげれるわけでも無く、親亡き後を考えても自分でやれる事を見つけて生活しながら生きて行く事は大きな意味を持つと思う。 

そう言った意味でも色んなことにチャレンジ出来る環境があるのは良いと思う。 

 

 

・自分は現代でいうところの発達障害で数字への認識力が極端に低い為に高校への進学さえ出来ませんでしだ運が良く顔とスタイルだけは良かったのでスカウトされコマーシャルタレントみたいな事をさせて頂きアイドルの候補生みたいな事までさせて貰いました 

人気は出ないまま自然消滅みたいに消えてしまいましたが楽しい青春の思い出です 

同期の連中で活躍してる姿を観ると嬉しくなります。 

是非チャレンジして欲しいと思います 

 

 

・芸能人と言う言葉から一般的に想像されるのはテレビで見たことがある。や、名前と顔が一致する。事かと思うのですが、実際にはこの状況にまでなる為には個人の才能や努力だけでは不可能です。 

 

プロスポーツで例えると分かりやすいですが、プロの選手としての力を伸ばすコーチが必要で、同時にその選手を売り込むマネージャーの力が最も必要となります。 

 

その為 

挑戦する場を作りたいと言う思いが 

芸能人としてと言うよりは、もっと噛み砕いて具体的にして行けば決して叶わない事ではないと思いますし、素晴らしい事だと思います。 

 

 

・んー、色んな人に色んな可能性を、っていう観点で言えばいい取り組みだと思うけど、適材適所というものがある。障害があるなしの話ではなくて、「パソコンできない→事務は難しい」「運動できない→スポーツ選手は難しい」「肢体不自由者→ドライバーは難しい」とかと同じで、「コミュニケーションが取りずらい→エンタメは難しい」と思われても仕方がない。しかも、今回の件でいえば、努力で越えられない壁はある。芸能事務所を立ち上げるくらいなら、そういった障害のある方が活躍できる職場を斡旋できるような会社を立ち上げるとかの方がよっぽど現実的ではないかね。 

(すみません、別に障害者の方を否定する気は全くありませんし、文章を簡単に書いただけで知的障害者全員がコミュニケーションを取れないと思っている訳では無いのは申し添えておきます。) 

 

 

・障害の程度と、どこまでがいいのかという適材適所の難しさが並行する。 

周りにもいる、所謂発達系のグレーゾーンの方は仕事でも適応しながら、働いて生計を維持して日常生活を暮らしている。 

自分の職場の、ある方はコミュニケーションはやや難しいところはあるが、計算能力が飛び抜けて高く、七桁くらいなら掛け算すら電卓を使わずスラスラと記載してくれる驚きの能力がある。 

一方、エンターテイメントの芸能人は、海外だと有名なのはトムクルーズ。 

文字が読めないディスクレシアらしいが、セリフや脚本は代読してもらい聞いただけで覚えられるそう。 

多様性が求められる今の社会で、そうした長所を生かせれる場があればとても良い事だ。 

しかしながら、バラエティーなどお笑い要素が強い日本では、こうした方々をコンプラ等も含めてどういう風に活かせれるかは、例えばイジリなどいう感覚的な部分の要素など、過去の例も含めて極めて難しい。 

 

 

・色々な人にチャンスが与えられるのはいいことだと思う。ただ精神障害者というとこのみを、その人の個性として打ち出してもなかなか指示はされないかもしれません。 

 

2000年代に「オネェ」という枠でゲイの人たちがテレビに出ていました。しかしその人たちはそれぞれの道でプロフェッショナルであることが多く、ゲイというだけではないアイデンティティを持っていたため面白みがあったのではないかと思います。 

 

精神障害のお待ちのかたも、その障害を理由に芸能の仕事がさせないのがもったいないと思えるような人が、正当に評価されて活躍できるようになればいいと思います。 

 

 

・「とても良いことですが、難しい」と言うご意見がありますが、 

私は、難しいけど、とても良いことだと思います。 

難しいのは、健常者でも障害者でも外国人でも同じです。また、芸能人になれても、売れて人気者になるのはもっと難しいです。さらに長く活動し続けるのはもっともっと難しいです。それはみんな同じです。 

とにかく、挑戦できることが大事だと思います。 

 

 

・障害があるから芸能人、ではなく、芸能の才能がある人に障害があるというくらい才能があるなら可能性もあるかもしれません。これは知的障害の有無関係なく軽い気持ちや何の見通しもなく入るには厳しい業界かなと思います。でも挑戦するのは素晴らしいので、ぜひ実現する姿を見せてほしいです。 

 

 

・軽度知的障害児の親です。 

門戸を広げること自体は良いことだと思います。 

ただ心配なのは、犯罪被害に合わないよう、決め細やかに支援することが必要だと思います。 

健常者であっても、優位な立場を利用した性被害に合うことが芸能界では一般社会よりも多いのだと思います。 

知的ハンディがあれば、なおのこと危ないと思います。 

それ以外にもお金を騙しとられるとか、様々な危険があるから、周囲が気を配らないといけないのかと思います。 

 

 

 

・誰にでもチャンスがあったら良いですね。世の中の理解がまだまだないなぁと感じています。 

だけど需要と供給から考えると、その障害が有利になったり不利になったり。有利になる仕事に繋なげるのは事務所の力量なのでしょうか? 

障害がなくても、小さい人、大きい人…個性は様々。商売は求められるのを待っているのではなく、売り込みも必要ですよね。 

 

 

・障害の度合いにもよるし、本人のやる気にもよると思います。 

知的障害の子供でも、算数や国語はできないけど、音楽や体育は他のこと同レベルもしくはそれ以上って子いますしね。 

 

お金のこととか、手続きのこととかをサポートしてくれる人がいれば、専門的なことには特化して働ける人はたくさんいると思うんですよ。 

 

知的障害とは少し違うけど、LD(学習障害)で台本が読めないとか、簡単な計算ができない…でも、芸能の仕事を頑張ってらっしゃる方が先人にもいますしね。 

 

知的障害の方って、いわゆる普通の仕事が難しい。だからこそ、歌手とかモデルとか、そこに働けるチャンスがあるなら働ける方がいい。 

 

 

・知的障害や自閉症を持つ子供がいる家庭の動画を、たまたまYouTubeでいくつか見たことがある。 

既に大人の体になった男性が、血が出るまで頭を壁や壁にキツツキのように打ち続けていて、小柄な母親が振り回されそうになりながら必死に押さえつけていた。 

現実を知らなかった私はショックを受けたけれど、きっと氷山の一角なんだろうなと。 

性欲を制御できず、処理を親が手伝う現実も割と多いと聞いた。 

きっと24時間テレビなんかで取り上げられるのは、ある意味で放送できる範囲の子たちっていうことなのかもと。 

 

一般人でさえ、表舞台に立つ仕事に選ばれるのは一握りだけど、障害を抱えているとなれば更に夢のまた夢なのが現実なんだろうと思う。 

 

だけどこの方のように、才能を持っている方が活かせる場が広がるのは良いことだと思う。 

 

 

・いいことではあるけど、障害にもいろいろあって、言葉は悪いが芸能の中の「使える障害者」と「使えない障害者」という線引きができてしまう。仕方ないことだし、障害ごとに、それぞれの適切やできることをしていけばいいだけではあるが、掬い上げることのできる面の少ないタイプは、どんな分野でも生きるのが難しいという事実があると思う。 

能力を発揮できることの素晴らしさは目立つが、殆どはそれができないタイプではないかと想像するので、世に出てきた人を傷害=障害者、と考えてしまう人が出ないよう障害に対する教育が必要だと思う。 

 

 

・昔の叡智なビデオやソフトな叡智なビデオとかに少女とか出ていたという話をよく聞きます。ソフト系では戸田恵梨香さんやきゃりーぱみゅぱみゅさんのように成功される方も多いですが、大多数の人は健常者でも親に搾取されたり、悪い奴の餌食になっております。知的障害者も食い物にされていた悲しい過去が有ります。どうかちゃんと報酬を払っていただきたいと思います。 

 

 

・モデルはいけると思ってる 

障害関係なくモデル向きなルックスに恵まれた人はいるし、良いと思ってる 

演技などは難しいものもあると思う 

でも知能よりも感性を大切にした仕事ってたくさんあるんで 

障碍者と健常者を別々に考える枠組みはどうかと思うけども 

同じスタートラインに立って、特別扱いしないのが本当の意味での尊重ではないのかなと思う 

 

 

・標題だけ切り取ると、何か少しだけ違和感があります。知的障害があったら芸能人になれないなんて、誰かが決めたわけではないですからね。個人的には、そもそも芸能人という存在をそんなに特別視してないので、採用したければ採用したらよいし、なりたければなれば良いと思います。しかし、本当にフラットにみるなら、結局需要があるか次第だと思います。社長が言うように、芸能界はその人の魅力を売り物にする世界です。その人にしか出来ない演技や活動などあるでしょう。ただ、その需要が実際にあるかどうか、それで食べていけるかどうかとなると別問題だと思います。これは障害があっても無くても同じです。挑戦できる場を与える、社会を変える、というような表現は少し違和感があります。いっそ、障害を売りにするとハッキリ行った方がまだ潔いです。まぁ、そこまで極端な表現だと炎上はするでしょうけどね。 

 

 

・モデルやちょい役の役者なら 

軽い知的障害があっても周りの配慮と本人の努力があれば問題なさそうですよね。 

 

芸人やバラエティで活躍するタレントさんは 

頭の回転が速くないと無理だと思います。 

ボケに徹するとしても障害だと分かっていたら笑いにできないし。 

活躍するには空気を読む力が他の職業より断然いると思います。 

 

 

・チャレンジをさせたくないわけじゃなく、失敗したら傷つくんじゃないか?立ち直れなくなるんじゃないか?という心配からくるものもあると思う。 

 

多かれ少なかれ子供に対してそういう感情を親は持つものだし、障害があればより強く思ってしまうのもわかる。 

別に排除したいとか隔離したいとかじゃなく、むしろ「やさしさ」からくるものもあると思う。 

 

 

・正直こっちサイドがどうやって見たら良いのかがまだ見えてこないけど、それはこっちの問題なので演者さんの問題では無い。私たちがアップデートしないといけないんだと思うし、挑戦することは誰でも権利はあるし勇気もいる。そこに挑むのは格好良い事だと思う。 

 

 

 

・知的障害があるからといって、あらゆる分野においてダメなわけではないと思う。 

ただその各々の分野の基礎や知識がなくては難しい。つまり、普通が出来ていないとなあ。 

知的障害がある人は生活、という一番の基礎が疎かに、なりがちでしょう。せめて義務教育は受けないと。それは生活のヒントや処世術となる。 

芸は身を助けるとは言いますが言葉にするほど楽なものではない。 

芸術や芸能なら、その基礎的な知識やそこから応用をする能力や深く掘り下げていく知識やその勉強過程で広がる創造力が重要。 

つまり義務教育や教育にプラスされていく能力。 

つまり義務教育やその先の高校や大学の勉強がかなり役に立ちます。その総合が出来ない、学校ですら活躍出来ない、というなら、根本的なやり直しが必要でしょう。 

色々な能力がある。容姿、学術、美術すなわち芸術や運動や処世や喧嘩。それら義務教育の応用で総合の義務教育は大切。 

真面目にやること。 

 

 

・障がいか個性か病気かなどなど考え方は人それぞれ。 

でも当人が大多数のいわゆる「一般」と同等な扱いや同じレベルを求めるなら覚悟も必要。 

たまにいますね、なんでも主張は一人前で自分中心、障害がなんだといいながら、そのくせなにかにつけて周りの理解が足りないのが悪いだの、都合のいい時だけ障がいを武器や言い訳にしてくるひと。 

人も生き物も、障がいがあろうがなかろうか全員ひとりとしておなじではなくみんな違う。 

挑戦は大事だし自由ですが、良くも悪くも特別扱いは期待しないでほしい。 

 

 

・仕事とボランティア活動の世界とは、全く違うことは、理解した上で挑戦するのはいいと思います。 

 

仕事は、責任があります。 

関わる色んな人や会社のメンツや予定、利益などに配慮し続けてないといけません。 

それが実行できるなら問題ない。 

 

逆に、仕方ないから特別扱いしてよ。は、ダメだと思います。 

そうなると世間ブームに甘えているだけです。 

 

本気でやるなら、なんでもいいから頑張ったらいいと思う。 

 

特報扱いを求めるタレントや事務所の場合は、 

企業側としては、採用はしません。 

 

 

・いい事なのでしょうが、程度にもよるのでしょう。 

仮に仕事で人より指導が増えても構わないならそれは双方合意だろうし、見えない部分での交渉で不利な条件を提示されたりして判断できるのかなとか、強要されたりしている所の判断とか…ちよっと心配な所は家族や代理人等サポートしてもらえる体制があれば光ある出来事だと思う。 

 

 

・手足が長くてめちゃくちゃスタイル良くてキレイで 

びっくりした 

もしこれが知的障害が理由で生かせてなかったとなると 

こんなもったいない事はないと思う 

難しい事も多々あるとは思うけど 

これからも益々色んな子が 

多方面で活躍することを期待したい 

 

 

・芸能界で障害者の仕事があるなら、もっと積極的に起用したらいいと思う。日本のドラマや映画ではこれまで様々な障害者を扱ってきたのに、それを演じるのは健常者が多い。ハリウッド映画では、小人症で背の低い俳優さんなどが活躍している。過去に日本では低身長のプロレスラーがするコミカルな小人プロレスがあったが、「障害者を笑うようで見たくない」などの苦情により衰退したそうね。本人たちは、自分の力でお客さんや視聴者を楽しませ、それで収入を得ていたのに上記の苦情により、プロレスを辞めた人もいた。観客や視聴者が障害者を見下してあざ笑ったり、所属先が障害者から収入を搾取するのはダメだけど、障害者たちが自ら望んで芸能界・スポーツ界に入り、適正価格の収入を得られるなら(もちろん向き不向きはあるからオーディションは必要だと思う)積極的に受け入れるべきだと思う。 

 

 

・その人が知的障害かどうかはあまり問題ではなくて、芸能界って騙し騙されが起こりやすく、信用問題の基準が難しいことが大変なんだと思う。みんな絶妙なバランスでやってると思うし、だからこそ本人がしっかりしていないといけないと思う。知的障害の方はそこが難しいんじゃないかな。親でさえ裏切る世界ですから。騙されて搾取されたり悪者にされたりってことが起こらないといいね。心配になります。 

 

 

・テレビに出るのであれば老若男女様々な方から好感度が高くないと難しいと思います。身体障害ならまだしも、知的障害となれば程度にもよりますが不安にさせたり心配させてしまう事もあるんじゃないかと思います。共演するタレントさんの気遣いなどもあるでしょうしそれを暖かく見守れる人がどれだけいるかどうか。学者の方や言論人はテレビタレントの方たちを非常に頭がキレて回転が速いと言いますしわからないところでお互いをカバーし合うチームワークを発揮してます。一方的に守られる立場の人がそこにいるとそのバランスが崩壊するのではと心配になります。 

 

 

・アイドルになりたい、歌手になりたい、そういう希望を持つ障害者の方は割といる。 

多くは影響されやすく憧れやすい、子どものような感覚と理解の度合いにもよる。ただ、時々本気でそれを成し遂げようと努力する人もいる。 

でも周りは「障害者が何言ってんの」って絵空事のように捉えて馬鹿にする。馬鹿にはしないが「いい夢だね、でも…」と言って現実的な選択を進めようとする自分もいた。 

でも多くの人に携わるとわかる。この人たちも私達とおなじで可能性を秘めているんだと。芸能人はいないけど、周りが絶対無理だということを成し遂げてきた人たちをたくさん見てきた。 

言葉も話せない、字も読めない書けない最重度の人が一人で交通機関乗り継いで通勤して、職場では一人で仕事している。しかも一人暮らしだから。 

大事なのは周りが決めつけてチャレンジすることを妨げないこと。 

 

 

・社会的に露出するので、本人が望まなくとも見られているという意識が持てる方ならどんどん進出すれば良いと思います。 

 

一方で、主観的で申し訳ないのだけれど、現在でもごく一部の芸能人には見ていて不快さを覚える、テレビであればチャンネルを変えたくなるような方もいらっしゃいます。 

そのようにならないで欲しいなあと願うばかりです。 

 

 

 

・障害は障害だから、大変だとは思うが、チャレンジできる場は必要だと思う。 

一般的な社会人として難しいと思うのか、芸能界の自由が合ってると感じるのか。 

自由さは答えがないぶん、時に苦しくなる。障害あるない関係なく、是非とも自分で選んだ道だから頑張って欲しいと思います。 

 

 

・うちの娘がADHDです。幼稚園、アフタースクール、塾、暴れ回って、今まで呼び出しを受けなかった場所はないです。初めは妻と未来のエジソンを育てているんだと前向きになっていましたが、ちょっと度が過ぎていて最近は辛いです(自分もADHDで、医療者を辞めた過去があります)。このような活躍の場が出てくるのは本当にありがたいです。願わくば、この娘が大きくなるころには、医療者やアカデミー(アカデミーは分野によっては今でもたくさんの発達障害の方いらっしゃいますが)でも気兼ねなく働けるようになるといいな。 

 

 

・一芸に秀でるものがあるならチャンスはあった方がいい。ただ仕事で配慮がいるならそれを理解した有能なマネージャーが必要になるし、有名になると悪い人が近寄ってきたりヘイトを向けてくる人もいると思う。障害があることをオープンにしながら、それを売りにはしないってバランスが大変かもしれないなって思う。 

 

 

・持って生まれた若しくは後天的要因により与えられた決して超えられない壁はあるが 

 

人であれば多かれ少なかれそういう目には決して見えない部分があり 

その曖昧さを互いに補い合って共存しようとしている 

 

協力すれば生き易く繁栄もし易い 逆であれば今の様な破壊衝動に駆られ 

間違った方向への競争のもと孰れ必ず統合化された後に一瞬で崩壊する事態に直面する事が容易に想像できる 

この宇宙は多様な法則と環境のバランスで保たれているが 

 

 

・そのような選択を与える社会があっても良いと思います。 

ただ、実際の現場では、そのタレント・俳優などを使いやすいかどうかで登用するかどうかを決めているようなフシがある気がするので、知的障害の部分が、本来の才能の部分とは別にやはりネックになってくるのかな。 

 

 

・「逆に利用する」の考えまで行き着くには、幼少期から色々な葛藤があったと思います。 

 

けれどそう、利用できるものはなんでも利用して、自分なりの満足した人生を生きてほしいと人ごとながらも思います。 

人ごとだけど、もし自分の子供だったらそうであってほしいです。 

 

 

・障害者を差別するつもりは毛頭ありませんが、結局は、視聴者が求めるものに合わせざるを得ないのではないでしょうか? 

例えば、いい曲を作るシンガーソングライターがいて、実は障害者であったというのであれば何も問題はないと思いますが、そもそも障害者だから芸能人に起用していくということは逆に差別につながるのかと思います。 

 

「障害者を芸能人にする」でなく、「芸能人が障害者だった」というだけの環境が違和感ないのかなと思います。 

 

 

・日本においても、知的障害や身体的障害を持つ者が「芸能人」だった時代があります 

 

多くの場合、その「芸能」は差別的な「見世物」だった訳ですが、そんな悲しい時代があった事をしっかり理解の上で、この人達はこのような事業展開をしているのでしょうか? 

 

考えもなしに、軽い気持ちでチャレンジというわけにはいかない問題だと思います 

ニュースの陰で、必ず泣いている人がいます… 

 

 

・こう言う話しを聞く度に思い出す、伝承話しがあります。お面の「ひょっとこ」の語源は「火男」でそれが訛った名称で、昔、窯元やお風呂の火の当番などの火の見守り役として仕事をしてた障碍者の表情があの口の曲がり具合や目の向きを表したお面なんだと…。 

仕事って、芸能分野、一般社会の隔てなくやはり、他の方も言われている様に適材適所で、それは健常者も痛いほど感じているし、まして障害の程度の差からは仕事の向き不向きはあるのも差別とかでは無くて通常かと思います。 

海外では、すでにハリウッドスターとして活躍なさっている障碍をお持ちの方もおられますから、もっとサラッとその存在を知らしめても良いかなと。敢えて声高に言うのも主張し過ぎで少しイヤかな…と思う私は、実両親共に知的以外の障碍者でサポート側の立場でした。昭和40年代のそんな家庭は奇異な目で周囲から見られていると実感していたヤングケアラーでした。 

 

 

・まずとても良い活動の流れだと思います。 

しかし、どの程度の障害なのか…によると思うんですよね。その境界が変わるだけでやはり一定層からは受け入れられるのはかなり難しいと思います 

なんで我々はダメなんだ!なんでこの子は無理なんだ!と騒がれないように浸透していけば良いなと思います 

 

 

 

・少し記事とは関係ないけど、知的障害や発達障害がある方が支援学校卒業しても、高校卒業と同じ扱いにしてほしい。高校卒業にはならないみたいなので、専門学校とかは高校の卒業資格を取得しないと試験が受けられないみたいなので。支援学校卒業した人も高校卒業した人と同じ扱いになったら、将来の夢の幅が広がってなれる職業も増えると思う。 

 

 

・障害の有無ではなく必要なのは障害による問題点をカバー出来るかどうかの問題だろうな 

事務所がそれを出来るなら問題ないが、障害があるから大目に見てよという感じだとすぐに破綻すると思う 

例えば遅刻ばかりする人だとそれが精神障害に起因するものであっても使い続けられるとは思えない 

事務所が遅刻しないようにサポート出来るならば問題にならない 

 

 

・障害を持つ人々がメディアに登場することは、障害に対する理解を深め、偏見を減少させる効果があります。彼らの才能と努力が認められることで、障害者に対するポジティブなイメージが広がり、社会全体の意識改革に寄与するでしょう。ただし、彼らが単なる「障害者」としてではなく、一人のプロフェッショナルとして尊重される環境づくりが必要です。 

 

このような動きは、障害者の権利と機会の平等を促進する国際的な取り組みとも一致しており、日本社会における障害者の地位向上に貢献すると期待されます。結局のところ、障害の有無にかかわらず、すべての人には才能を発揮し、社会に貢献する権利があります。専門事務所の登場は、その権利を実現するための一歩と言えるでしょう。 

 

 

・この方の所属芸能事務所の社長が仰っている、「教えればいろいろなことができるようになる。何をするにしても、最初から『できない』と可能性を狭めないでほしい。」 

 

この言葉は、特別支援学校で教師をしている身内が、以前全く同じことを言っていました。学校でできるように教えても家で親御さんが『どうせウチの子はできないから』と決め付けて甘やかそうとすると。 

面談で「親御さんに自立できるように教えているのに、甘やかしたら学校を卒業したあと受け入れてくれる作業所や施設が無くなってしまう。親が先にいなくなった時に生きていけなくなりますよ」と説教をすることもあると言っていました。 

 

 

・症状が軽く、正式な診断が出ていないだけで、何らかの精神疾患や知的障害が疑われるような人は既にいる。 

常人と違う感性でウケる場合もあるだろう。 

ベテランで、実は○○を患っていましたとかも時々聞くので、挑戦することはいいことだと思います。 

 

 

・軽い知的障害 

軽い発達障害 

 

いづれにしても 

気づき、より生きやすくなるよう周りの大人の存在が重要やと思う 

犯罪を犯して捕まったあとの検査で上記障害が分かる人もいるし。 

知的ボーダーの問題を扱う本色々読んでると特に親の関わり方はとても大切。 

毒親といわれる類いの元に産まれてしまうと中々その子の人生厳しいと感じる 

 

 

・知的にハンディがある方の一部の方には、健常と呼ばれる方とはまた一味違った、明るさ、癒し、かわいらしさなどの陽のオーラを持ち、ムードメーカーになっている方がいます。そういう方の持つパワーで世の中を明るくしてほしい。 

 

 

・障害の程度の軽い人に限られると思う。知的障害ボーダーラインの人は、健常の人とあまり差はない。しかし、知的障害が軽くても自閉症の度合いが強い人や、知的障害中度、重度になってくると、健常者と共に働いたり、同じような仕事をするのは難しい。あくまで、ごく軽い人限定と示すべき。 

 

 

・発達障害や知的障害があったとしても、面白みや魅力にかえて活躍してる人もいる。 

芸能人みててもなんか普遍的じゃないな、っという感覚とか行動もあるし。 

芸能界はある種一般企業では使えないんじゃないかというパターンもあると思う。 

職業が違うから当然とはいえ他人の娯楽になり笑いを届けたりと一般企業とは仕事が違いすぎる。 

そういう意味で一般、普通にハマれない人は芸能界や芸術の道の方が生きやすいのかもしれない。 

 

 

・昔、プロレス興行で小人プロレスというのがあったんですよね。女子プロなどの前座で、小人症の人達がコミカルなプロレスをやって、非常に人気がありました。その後、人権団体に反対されて一時無くなってしまったのですが、あれは小人の人達の就労機会を奪う暴挙だったと思っています。彼らは体も鍛えていましたし、プロフェッショナルに徹していましたから。 

 

 

 

・昔、プロレス興行で小人プロレスというのがあったんですよね。女子プロなどの前座で、小人症の人達がコミカルなプロレスをやって、非常に人気がありました。その後、人権団体に反対されて一時無くなってしまったのですが、あれは小人の人達の就労機会を奪う暴挙だったと思っています。彼らは体も鍛えていましたし、プロフェッショナルに徹していましたから。 

 

 

・Eテレは障がい者にフォーカスした番組やってるしね 

社会進出しやすい施設の取り組みも増えてきた感じがする 

 

正直健常者の慣れや理解はまだまだ足りない 

そこは障がい者サイドからもっと積極的に能動的に出てくれた方が 

こんな世知辛い時代なだけに得策かなと思う 

 

 

・障害の程度にもよるんだろうけど 

基本的には良いと思います。 

神戸浩さんという俳優さんは好きです。 

この方も知的障害があって、喋りは独特だけど 

障害がどうとかより、神戸浩個人の芝居が好きです。 

あと濱田祐太郎さんはネタとか面白くて良いと思ったんだけどなかなか難しそうですね… 

普通に面白いと思ったんだけどな 

顔も可愛いし。 

 

 

・芸能人はそれこそ『芸』がありファンがついてなんぼの職業で、見たいと思ってくれる人がたくさんいて成り立つ職業です。知的障害がなくてもなりたいと思ってなれるものではありませんが、挑戦することは悪くないのかなと思います。 

 

 

・知的障害があってもなくても、恵まれた容姿や秀でたものがあれば活躍の場はあると思う。ただ、綺麗事ばかり言っても健常者よりもサポートが必要なことは事実でしょう。親が支えられればいいけど年を取って難しくなる。それと、感動の押し付けみたいな感じになったらもう終わりですね。障害があっても頑張ってる、みたいな取り上げられかたしたらそれこそ差別だし、健常者もめちゃくちゃ頑張ってますけど?となる。なんでもフラットに平等にって無理があると思う。当事者が平等だと思っても受け取る側がそう思うかは別問題だし。 

 

 

・今までも視覚障害があった歌手の竜鉄也とか、俳優で脳性麻痺を抱えている神戸浩など世間で活躍した人はいるので、 

才能のある人を伸ばしてサポートするのなら、こうした専門の芸能事務所は大いに意義がある。 

 

ただ、乱立すると今度は障害者を食い物にする輩が必ずと言っていいくらい出てくるので、マスコミや行政がきちんと注視する必要があると思う。 

 

 

・知的障害のない発達障害者です。 

子供の頃、養成所に入ってました。 

人見知りでコミュニケーションが苦手な私に 

習い事感覚で親に入れさせられた。 

ダンスや演技等のレッスンがあって楽しかったです。 

 

知的障害と言っても症状も色々、軽度だったらできるんじゃない? 

最近IQ 70で少年院出身で医師をしている方がいると知り驚きました。 

 

 

・芸能界とは言わず、障害があってもいろんな分野で活躍できれば良いと願う。 

ただ知的障害があると騙したり利用して搾取しようとする人が必ず近寄って来るので、周囲の強力なバックアップは必要だと思います。 

 

 

・小学校時代の同級生がキー局の女子アナになった。一昔前、テレビ全盛期のちょっとおバカキャラのタレント女子アナ。「こんなんでアナウンサーになれるの⁈」みないな空気だったけれど、少なくとも小学生の頃は全く違って、所謂地方都市の高級住宅街の学区で将来医者や弁護士になるような子達ばかりの中でも飛び抜けて高い学力、運動神経、家柄、容姿の持主。テレビのキャラはあくまで作られた物だったと思う。タレントとアナウンサーでは少々違うかも知らないけれど、有名人になる人ってのは頭2つ3つ飛び抜けてる人、という認識。違う人もいるかも知らないけれど。。 

 

 

・知的障害のある方が活躍の場を広めることは良いことだと思います。 

ただ、それをネタに色んな支援を受け儲けようとする輩も出てくると思う。 

やはり人は可哀そうとか同情や興味本位だけで見る人もいる。 

そうした事もありきになってしまうと思います。 

あとは本人やご家族しだいでしょう。 

 

 

 

・人って 頭がいいとか スポーツが得意とか 人柄がいいとか 色んな長所短所がある  

美しいとか可愛らしいとかも一つの才能だと思う 美しさも一つの才能としてしっかり認める社会の方が 真の多様性だと思う。 

 

 

・どの仕事も相手あっての事だと思うので 

授与があれば仕事はあるしなければ無いってだけだと思う。 

会社員ではないのだからやりたかったらやったらいいと思うし 

その人を使いたいその人をテレビでみたいと言う人が多くなければ出てこられないと思うので挑戦する事は自由だと思う 

 

 

・イギリスを始めとした欧州のドラマを観ていると、ダウン症の俳優さんや身体的障害のある俳優さんが当たり前に出てきます。それもレギュラーで。 

 

しかも、メインストーリーは全くその障害に関係なく、観ていてしばらくは障害者と気が付きませんでした。隠しているわけでなく健常者と同じ扱いなんです。 

 

日本では、心身の障害を取り上げたドラマでも健常者が障害者のフリをして演じたり、障害を殊更に強調して「さあ、皆で考えましょう」というドラマになってしまいます。 

 

欧州のように、障害が有りつつ才能ある俳優さんが当たり前に演じているドラマ作りが出来たら社会も変わるかも。 

 

 

・本来なら健常者も障害者も区別、差別なく社会生活送れるのが理想なんだろうけども、現実の差別は中々無くならない。特に見た目で分からない、知的、精神などは。芸能の仕事は目立つ為色眼鏡で見られることもあると思う。 

本人がやりたい事に挑戦出来る事はいいし、障害の理解何進む事を望みます、難しい事だけど。 

 

 

・そういうジャンルの芸能事務所があっても全然問題ではなく、職業選択の自由と憲法でも謳われている。 

しかし、需要がどこまであるのかは未知である。 

また、閉鎖された芸能界の体質の中で、ハラスメントや虐待の危惧もあり、一時的に視聴者からウケたとしても飽きられないようなコンテンツを更新する必要がある。「障がい者だから」は通じない日がやがて訪れる。と考える。 

 

 

・知的障害があろうが、人を笑わせる力、楽しませる力があるなら何でもいいと思います。 

 

でも「なんかぎこちなくて笑えないな」「違和感があって楽しめないな」と視聴者が感じても「細かい目くじら立てずに楽しみなよ」と客側に変化を求める前提なら、それは違うぞ。というだけです。 

 

健常者の芸人だろうと面白くなければ売れないだけ。同じ土俵で戦うと言うなら知的障害があろうが無かろうが関係ないです。 

 

 

・芸に障害は関係無いと思うけど、 

知的障害者に挑戦させる場所を作りたいから、それが芸能界ってのは少し違うと思う 

 

裸の大将の山下画伯のように、障害を持ってても素晴らしい絵を描く人だとか、凄い専門技術や芸を持ってるけど、障害のために活躍する場があまり無いような人にスポットをあてるなら大賛成 

 

 

・良い意味で凄いことだと思う。分け隔てなく色々なドラマや映画で活躍出来れば嬉しいなあ。 

人それぞれだけど、どんな演技されるのかなあと興味あるし。 その人の演技 を見てみたいってなるんよなあ。 

 

 

・一昨年くらいにやっていた聾唖者の役を、ある俳優がやってたけど、別に障がい者俳優がやっても良かったと思う。制作者が使わないだけです。健常者がいくら真似て見せても、動きなど違和感がぬぐえない。 

ただ意志疎通が難しい重度の精神障害は難しいでしょう。 

スターウォーズなどは、低身長俳優がやってますし。度合いや、キャラによっては可能なことです。 

 

 

・いいと思いますよ。 

しかし事務所がそれで金儲けをしようと考えるのであれば、きちんとフォローしてあげる体制を整えるのは必須でしょうが。 

障がいのある方は、思いも寄らないところでパニックに陥ることもあるでしょうが、それをカバーすることが必要だと思います。 

 

 

 

・怖いのは知的障害を悪利用してくる人がいることですね。芸能界なんて悪い人が沢山いますからそういう人たちから守れるのか、ということです。 

私は知的障害者の方々を支援している立場だったので余計に思います。騙されないでほしいけど知的障害ゆえに信じやすい。悪い人たちから搾取されてほしくないので。そのへんしっかりしてほしいと思います。 

 

 

・障碍者の方々の新たな道が開かれることは誠に喜ばしいこと。可能性も広がり諦めていた夢への希望も広がります。他方こういう事にはネガティブに捉える方も多いかなという懸念もあります。必ず「見世物じゃないぞ」とか「差別の助長に繋がる」とか言う方もおられるため、そのジレンマに負けず頑張っていただきたい。 

 

 

・知的障害もある程度成長して実は軽度の知的障害があるっていうのと、1〜2才からはっきり知的障害が診断つくくらいの場合とでは全然別物なので、 

どのくらいの程度の知的障害者を対象としてるのか気になる。 

 

 

・ゲーム業界におけるスイートベイビー的な存在になるかもしれませんね。こうした企業と取引実績があるとESGスコアが上がるので、株価の上昇材料として歓迎されます。 

素晴らしい。 

 

 

・見る立場を慮って障害者を排除してきたのかどうかわかりませんが、少なくても当方の考えは真逆です。すべてに言えることかもしれませんが、第一歩さえ踏み出せないでいる人が多くいること、そのほとんどが周囲の人たちによって「お前には無理だ」とか決めつけられて可能性の芽を摘まれている。 

大事なのは「本人のやる気と周囲の理解、失敗しても叱ったりしないこと」 

親など周囲の人間が、自分の持っているものさしですべてを判断してしまう愚かな考えで可能性を潰されてきた人たち、教育と言う政策に於いても、高校無償化さえなかった時代に生きていた人たちが貧困と言う理由で勉強する機会を失くし、それが国の損失になっていたかもしれない。 

ここに来て良くなってきているとは言え、まだまだ改善の余地はある。あらゆる分野で可能性を伸ばせることの素晴らしさに気づくべきだし、障害者は普段から社会の一員として見えるところで生活してほしい。 

 

 

・健常者と同じ事をいきなりやるのでなく得意分野から少しずつ挑戦するのが1番ベストでは… 

ただ皆さんの言う通りボランティアではなくある意味健常者以上のプロ集団の集まりなのでそこが難しいですよね。 

ただ芸能界て一般企業とはかなり違うのでそこから生じる隙間を狙ってみては… 

 

 

・失敗談の笑い話を聞かされても、笑えないような。 

話の内容より、それをやらかす本人に同情するような心がどこかに出てしまって、番組の質として下がってしまう気がする。 

 

たとえば、トーク番組で、 

「30回運転免許試験落ちたけど、最終的に取れました」 

という話があったとすると、 

これは健常者なら笑っていい話なのかもしれないけど、 

障害がゆえの結果なので憐みをもったほうがいいのか、 

これほど大変なんだね、すごい!と努力を評価するのか、 

危ないのによく取れたな、日本どうなってんだ、と背景を批判するのか。 

 

そうなるとプロデューサーも起用しにくい気がする。 

 

昭和の女子プロレスのミゼットプロレスみたいに、 

そもそもが笑わせるコンテンツなんだ、 

というのが全面的に出ていないと使いにくいと思う。 

 

 

・軽度や重度でも変わってきますし、 

周りの環境や本人の意思にもよると思います。 

 

可能性はあるとは思いますが、 

全員が全員ではないと思います。 

 

世に出なくても普段の生活で良くなることなら、専門事務所に通う価値も意義もありますし。 

 

無碍に諦める事もしなくても良いと思います。 

 

 

・芸能人を目指して努力するのは誰がやっても構わない。 

障害あってもなくても芸能の世界はとても厳しい。 

日本の人口が1億2千万、タレント名鑑が1万、実際にテレビに出てるのは200。すでに、60万分の1です。 

障害がない人が60万人に一人しかなれないです。 

全国の知的障害者は全国に110万だから、2人なれる。 

あまりにも多くなると逆差別となってしまうので、みんなと同じでいいと思います。 

 

 

・障碍者の社会進出というとノーマライゼーションがセットになるのだろうが、知的障碍者や身体障碍者がいた職場で働いていた時期は、健常者のスタッフたちは彼らとのコミュニケーションにかなり気を配っていた。 

もっと言うと、大変失礼になるが腫物に触るような感じで接していたと思う。 

具体的には、彼らが同じミスを何回もしたときに、普通であれば「同じミスを何回もするのは社会人として考え物ですよ」と言えるが、彼ら相手にも同じように対応できるか? 

 

もしノーマライゼーションを良しとするなら、障碍者だろうと特別扱いしないということになるはず。しかし、本当にそうすると職場の人権論者もどきから非難されるのでは? とか色々考えるわけ。 

結果として、彼らと毎日のように接する健常者スタッフはかなりストレスを貯めこんでいたね。 

 

芸能界が彼らを活用するにしても、周囲は今までにない問題を色々抱えることになると思うよ。 

 

 

 

 
 

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