( 174040 ) 2024/05/25 17:14:31 0 00 Photo:PIXTA
● 物価上昇でも24年1~3月期成長率はマイナス スタグフレーションなのか、物価と賃金の好循環なのか?
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先日、公表された2024年3月の実質賃金の対前年同月上昇率はマイナス2.5%だった(厚生労働省「毎月勤労統計調査速報」、従業員5人以上の事業所)。減少は24カ月連続で過去最長だった。
一方で消費者物価上昇率(除く生鮮食品)は23年度平均で2.8%、歴史的なインフレが収まらないために、賃金を引き上げても物価上昇に追いつかないのだ。
実質賃金が下落しているため消費が増えず、その結果、実質GDP成長率がマイナスになっている。内閣府が5月16日に発表した24年1~3月期の1次速報では、実質GDP成長率は前期比0.5%減(年率換算で2.0%減)だった。
個人消費は前期比0.7%減で4四半期連続のマイナス。4四半期連続の減少は、リーマンショックのあった09年1~3月期以来だ。
物価が上昇して経済成長率がマイナスになっているのだから、これはスタグフレーションだ。つまり日本経済は深刻な事態に陥っていることになる。
ところが、現在の日本経済について、これとは全く正反対の評価もある。物価と賃金が上昇しているので、「物価と賃金の好循環」が実現しつつあるとの見方だ。日本銀行はこの立場で、好循環が確認されることを前提に金融正常化を進めるとしている。
スタグフレーションだとする見方が正しいのか、あるいは、日本経済は新しい局面に入るという見方が正しいのか?
● 実質賃金、今夏にプラス化でも 90年代の中頃以降、傾向的に下落
日本経済の今後については、さらに積極的な見方もある。今年の春闘での賃上げ率が高かったため、名目賃金の伸び率が4月以降は高まる。そのため、実質賃金の上昇率も今年の夏ごろにはプラスになり、日本経済はこれまでとは別の新しい局面に入るのだという。
物価・賃金の上昇メカニズムの議論をするに先立って、まず注意すべき第1点は、実質賃金下落はこの2年間だけの問題ではなく、長期的な問題であることだ
図表1に見られるように、実質賃金指数は1996年をピークとして、その後、傾向としては継続して下落している。
年ベースでいうと、対前年上昇率がプラスになったことも2000年以降で6回あった。過去10年間を見ても、16年、18年、21年がプラスだ。ただし、それらは例外であって、傾向としては下落が続いていたのだ(なお、21年に伸び率がプラスになったのは。コロナ禍による落ち込みからの回復という特殊要因によるものだ)。
月次ベースでいえば、対前年上昇率がプラスになることは2000年以降、何度もあった。重要なのは個々の年や月の状況ではなく、下落傾向が続いていることなのだ。
だから、仮に今年の夏ごろから実質賃金の対前年上昇率がプラスになったとしても、それが長期に続く傾向的な変化にならなければ、意味がない。
数カ月だけプラスになっても、それだけでは実質賃金が下落を続けている状況を変えることにはならない。それは、日本経済の構造が変わったことを意味するものではないのだ。
真の問題は、ある月の上昇率がプラスになるかどうかではなく、賃金と物価の上昇をもたらすメカニズムだ。これまで実質下落をもたらしてきたメカニズムが、いま変わりつつあるのかどうかだ。
● 消費などの需要増による物価上昇ではなく 世界的なインフレと円安でコスト上昇
1990年代中頃まで実質賃金を上昇させてきたメカニズムは、次のようなものだったと考えられる。
資本装備率の上昇、新しい技術や事業活動の導入によって労働の生産性が高まった。これによって賃金が上昇し、消費者の所得が増加した。そのため生産物やサービスに対する需要が増え、物価が上昇した。
このように、物価が上昇したのは需要が拡大したからだった。これは「デマンドプル」と呼ばれる物価上昇だ。
それに対して、2022年以降の物価や賃金の上昇は、このようなメカニズムによって起きたものではない。
まず、物価上昇は輸入価格の上昇によってもたらされた。輸入価格の上昇は資源価格上昇などによる世界的なインフレーションと円安によってもたらされた。原価の上昇は、販売価格に転嫁された。取引の各段階で転嫁が行われ最終的には消費者物価が上昇した。これは「コストプッシュ」と呼ばれる物価上昇だ。
物価が上昇して賃金が不変であれば、国民の生活水準は低下する。これを防ぐため、賃金を引き上げる必要が生じたのだ。また、円安によって円建ての輸出価格が上昇したので、企業の粗利益が増え、賃金引上げが可能になった。
● 賃金上昇を価格に転嫁すれば コストプッシュのスパイラルが起きる
政府はいま春闘の高賃上げが中小企業にも広がるためにコスト上昇を販売価格などに転嫁するよう中小企業に指導している。また中小企業庁は、取引先への転嫁が進んでいるかどうかを調べる「Gメン」を増員した。公正取引委員会も、優越的地位の乱用の恐れがある企業を調査する専任の部隊を設けた。
しかしこれは、生産性が上がっていないもとで、コストプッシュ型の物価・賃金の上昇が生じるようにするものだ。
賃金が上がれば消費者物価が上がる。ところが、そうなると実質賃金が下がってしまうので、さらに賃金を引き上げなければならないことになる。
これは、経済活動の拡大を伴わないスパイラル的なインフレーションを引き起こす。つまりスタグフレーションがもたらされる。
「賃金の上昇を販売価格に転嫁せよ」とは、「消費者の負担において賃金を上昇させよ」ということであり、極めておかしな話だ。
なぜこのようなことが望ましいとして政府がそれを進めようとするのか、全く理解できない。
無理矢理に名目賃金を引き上げ、それを価格に転嫁させる。そうすれば実質賃金が下落するから、名目賃金をさらに引き上げなければならなくなる。これが「物価と賃金の好循環」だと言う。
しかし、繰り返すが、これはコストプッシュ・インフレーションのスパイラルに他ならない。それは人々を豊かにするのでなく、経済を破壊する。
● 賃金と物価の好循環実現には 生産性向上と金融政策正常化が必要
日本経済が新たな局面になるために本来、起こるべきは、1990年代までの日本経済で起きたのと同じメカニズムが働くことだ。繰り返しになるが、資本装備率上昇と技術革新によって生産性が上昇し、それによって賃金が上昇することだ。これによって購買力が増えるので需要が増大する。そして物価が上昇するというメカニズムだ。
「物価と賃金の好循環」というのは、このような過程だ。それを実現させるためには、研究開発投資を始めとする投資や、人的資源の質の向上が必要だ。
ただし、金融政策も無関係ではない。それどころか、これまでの過剰な金融緩和政策は、日本企業の生産性を低下させた基本的な原因だったと考えられる。低金利は収益率の低い投資を許容し、円安は企業の利益を自動的に増大させるからだ。
賃金と物価の好循環を実現するためには、生産性の向上が必要であり、そのために金融正常化が必要なのである。日銀が言うように「賃金と物価の好循環が確認できたら、金融正常化する」のではない。それでは順序が逆だ。
賃金と物価の好循環を実現するために金融正常化が必要なのだ。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)
野口悠紀雄
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