( 174409 )  2024/05/27 00:17:23  
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(まとめ) 

文章からは、現代社会における「ハラスメント」に対する厳しい規制や言葉の使い方に対する違和感、コミュニケーションの難しさ、ストレス社会における人間関係の複雑さが反映されています。

ため息や微妙な行動までがハラスメントとされる風潮に対する疑問や批判の声が見られ、人間関係の複雑さやコミュニケーションの難しさに対する不安やストレスが感じられます。

自分の気持ちや他者の気持ちを理解し合うことの重要性が強調されていますが、その実践が難しい状況や苦悩も表現されています。

( 174411 )  2024/05/27 00:17:23  
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・他者を少しでも不快な気分にさせる事が「ハラスメント」認定されるのであれば、ありとあらゆる行為が「ハラスメント」になりかねない。 

 

ため息を故意に繰り返しているのであれば、「ハラスメント」ないしは「業務妨害」になるだろうが、故意でなく、回数が少なければ大きな問題ではない。 

 

もしかしたら、「ため息」に似た、その人特有の癖の可能性もある。癖は直す事は難しい。 

 

「ため息」を繰り返しているならば、理由を尋ねてみてはどうだろうか。当人が悩んでいるのかもしれない。話を聞いてあげる事で、ため息が止み、本人の悩みも緩和されるかもしれない。人間関係も良好になるだろう。 

 

どうして、ハラスメント認定して、他人との関係を悪くする方向に考えてしまうのだろうか。行き着く先は、他者との関係断絶である。 

 

これは自分自身にとっても、生き辛い社会である。 

 

 

・ストレスを逃がす意味でも本人の為にはため息はついた方が良いらしいです。 

でも、周囲に聞こえるようにあからさまに大きくため息をつけば嫌味にしか取れませんし、しょっちゅうため息ついてる人なんてその場の空気を悪くするだけです。それに口臭がキツイと二重で迷惑なんですよね。 

私は胸が詰まって苦しい時にふーっとため息を吹くように吐いて精神を保つようにしているのですが、周りの誰かに誤解されないように一応気をつけています。 

 

 

・ため息がハラスメントになるなら、議事進行中に議員が居眠りしたり、読書したりするのは登壇者の話を無視する行為として、ハラスメントに当たらないのだろうか。モラル崩壊としては問題になっているが。 

また、人によってはため息に限らず、無くて七癖で、自然と頬杖ついたり、こめかみを手で抑えたり、喉を鳴らしたりといった癖が出る人は多い。 

こういった癖っぽいのもハラスメントとか言われると普段の業務に集中できないだろう。 

それにそういったハラスメント認定の線引がかなり困難だと思う。 

以前に匂いのスメハラの記事も出ていたが、こちらの方が余程影響が大きく、対応も難しいのでは無いだろうか。 

 

 

・相手を故意に傷つけようとか悩ませようとするのがハラスメントかと思ってましたが、最近そうじゃない事例までハラスメントいうので、なんだか普通に生きていることでさえ相手を不快にさせてるんじゃないかと思ってしまいます。 

なんかコミュニケーションが取りにくい世の中になりました。 

新型コロナ感染症のある意味副作用の様な気がします。 

 

 

・叱った後わざと大きなため息するのは、性格悪いな 

でも普通に出てしまう事あるよ 

私は一時期ストレス凄くて、無意識にため息を沢山しているから大丈夫かと仲良い先輩に指摘されて、気をつけた事があります。 

学生時代片想いし恋煩いして、好きな人の事を考える度にため息止まらなかったな 

なんでもハラスメント生き辛い世の中ですね 

 

 

・心の動きを表に出してはいけないわけだ。 

そのうち笑顔も「ニコハラ」だなこりゃ。 

 

言葉にした途端、概念が具体化して現実に取り上げられるようになる。 

フキハラ、なんて言葉を面白おかしく作り上げるから、これまでモヤっとした気分で済んでいたものが、ハラスメントの地位を得ることになる。 

 

言葉の力ってのは凄いから。 

いや、名前を与えられなければ、それを具体的に認識できないという人間の能力の限界を示すものなのかな。 

 

きっと、名付けが上手い人はその能力が高い。有吉さんとか。 

 

 

・パワハラ、セクハラ、すべてのハラスメントは個人の受け取り方の問題です。行き過ぎは良くないがなんでもかんでもハラスメントだという世界も生きづらいと思う。人間関係の問題で昭和の時代にセクハラとかパワハラだと思っていた人はどれくらいいたのか?その時代は今よりも人と人との繋がりが濃く、信頼関係があったと思う。その時代に上司から涙ながらに説教されたことは心に響いたし、今でも感謝している。そういうのがなくなった現代はみんなが自分のことしか考えなくなったし、部下のためにリスクを恐れず叱ってくれる人も少なくなったと思う。 

 

 

・ちょっとハラスメントの安易使用が過ぎるなと思いました。ただ、受け取る側によっては、一般的には「ほんの少し」の不快表現が表現者の思う何倍にも心理的にダメージを与える可能性があることくらいは知っても良いかなと思います。 

 

自身のの若い頃は、正直この事に気づきにくく、また優先度が低かったように思えます。そんなんで傷つくの?と戸惑ったことが多かったです。それが、恋人同士の関係や職場スタッフとの関係等で、自身の表現に対して様々な反応を得たことで、少しずつ自身のことば遣いや声のトーン等に気をつけられるようになりました。今でも勉強中ですが、誰かと対等な関係を続けたり部下をサポートしたりする上で、ネガティブ表現のコントロールは必要不可欠なもののように思えます。 

 

 

・確かに、叱責する側のため息はされた側にはハラスメントと捉えられる事もあるとおもうが、もしそれが注意散漫な自分の行為、ミスが理由だとしたならば‥ 

 

誰しも失敗はある‥が、それに対しての上司や同僚の反応を(度合いが過ぎればパワハラですが‥)過度にとらえすぎるのも良くないと感じます。 

 

失敗の反省と今後の取り組み(上司や同僚にどうすればいいか?を聞くなど)を見ている人はいると思います。 

嫌な態度をとる人は社会にでれば、当たり前に出会います‥その度にパワハラだと落ち込むより、受け流したり逆にこの人のある程度の付き合い方を身につけた方が後方の人生に生かせると思いますよ、私は生理的に無理な人は避けてあまり関わりを持たないらように過ごしています。 

 

 

・ハラスメントの境界線がどんどん外延化することで不愉快な気持ちを減らすことができても、その代償として随分息苦しい社会になると思う。そこで溜息をつくと何を言われるのか心配しないといけない時代か。 

このような境界線を拡げる動きが人事・労務問題のコンサル業界、或いは弁護士界隈による恣意的なものでないことを願う。 

 

 

 

・これ、悩みますね。 

本人は理解しようと思って上司に質問するんだけど、 

なかなか理解できずにいると、「はぁ、もういい!」と大きくため息つかれたことがあります。これはかなりストレスです。 

 

その一方、かつて自殺してしまった友人は鬱病で通院していたころ、 

頻繁にため息ついてました。 

この二つは全く別物だと思いますが、胸につかえた重いものから逃れたくてため息をついている人には気遣ってあげないといけないですね。 

 

 

・4月以降人員不足が理由で仕事が極めて多忙な状態が続き、よく眠れなくて体調が思わしくない日もある。にも関わらず、自分の関与していない所から新しく余計な仕事が飛び込んできてストレスの掛かり具合も普通ではない。上司に窮状を訴えても「仕事なので仕方ない」の一言で片付けられる。そんな状況が何週間も続き、解消される目処も立っていないので、意図せずしてため息が出てしまうことが少なくない。 

 

そんな状態でこれをハラスメントだの何だのと言われたら流石に心が折れてしまうのだが。 

何でもかんでも好き勝手ハラスメント認定するのはやめていただきたい。多くの人は好きでため息をついている訳ではない。もしかしてそのため息はSOSのサインかも知れない。 

 

 

・ハラスメント、昔はそんな言葉はなかったけど。 

溜息までもそうか・・昔のサラリーマンはハラスメントの連続でした、「仕事できてないのにもう帰るの」という上司の言葉、中身のない付き合い残業、夜遅く帰る電車もなくなりタクシー帰宅(自腹)、残業代もつかず出費過多になる事態でむなしい時間を過ごしていました。(今で言えば企業犯罪)、現在はブラック企業とか、セクハラ、パワハラとか随分環境が変わってきていますが、一方では人それぞれの仕事への真摯さ、真剣さが欠けてきているようにも思えます、安易にハラスメントがあり過ぎていて本来は個人の仕事への向き合い方に尽きると思うのですが、厳しい指導は愛情があればやり過ぎでもハラスメントにはならないと考えます。今の政治家たちはそんなこともわかっていなくなにも出来ない自分本位の愚か者たちです。 

 

 

・落ち込む自由ぐらい与えようよ、という気がしますけど。 

これもハラスメントなんだったら、楽しそうにしてるのも沈んでる人からすれば「タノハラ」になる。 

人は他者から何らかの影響を受けざるを得ないし、その中でネガティブな影響を受けることもある。自分が他者にネガティブな影響を与えてしまうこともあるかもしれない。 

ポジティブな影響しかないほうが良いのはたしかだけど、そんなことはそもそも可能なのかという話だよな。 

ネガティブばっかりだと周りも参るけど、程度の問題だと思う。 

 

 

・例えば、会話中に人の顔をみて、ため息や舌打ちされる、少しイラっとする気持ちも理解できなくないけど、その人が一人でいる時につい無意識にしたため息だけでイライラしたり、指摘する心の狭さ、余裕の無さの方が遥かに問題だと思う。 

 

そして何よりも、「それハラスメントだから」と指摘するのが、一番周囲の空気を悪くすると思うのですがね。 

 

 

・とにかく誰かが少しでも不快に感じたものはハラスメントとつけて周囲に賛同を得たい人達が多すぎるような 

SNSによりそれがすぐに広まって、なんでもかんでもハラスメントとつけて自分達がいかに正当性があるかを語り、他者を悪者にする 

もうそれはハラスメントハラスメントですよ 

どんなに気を付けていても、どんなに真面目な人であっても、他人を不快にさせてしまう可能性はそこらへんにあるわけで 

他人と関わらないと生きてはいけないんだから、ため息や不機嫌な顔が何度か繰り返されてるからといって、そのくらいでそれはハラスメントと言われてしまったら、もう全ての感情は表に出したらダメだって事になりそう 

そのうち、笑顔ですら、こっちを見て笑ってくるのは不快ですとか言われてセクハラの部類になっちゃうんじゃないだろうか 

 

 

・自分も溜息を仲間内や仕事場で吐かれるのはすごく苦手です。やはり自分のモチベーションにも少なからず影響しますから。適度に吐かれるのは我慢できますが数分おきにこれが続くと陰鬱とした気持ちに少なからずなります。 

若い後輩には「あんまり人前でやると相手が気を悪くするかもしれないから注意しろよ」とか言ったりしますが、後輩からしてみればおそらくその指摘が溜息案件なのでしょうかね。 

 

 

・ハラスメントの種類が増えすぎている! 

パート勤務だが、働き方に難のある(やる気がない、寝不足だから帰る、指示されたことを拒否などなど)のパートの人に、社員が何にも注意ができない。ハラスメント教育を受けさせられすぎて、言葉を選んでいるうちに容認している状況に。ダイエット中の人にお土産のお菓子を勧めるのもハラスメントだっていう教育!怒られ慣れてない年代の人たちが増えてきたから余計にたちの悪い環境。でも、あからさまにため息つくのはハラスメントと言われても仕方ない。それはやってるほうも嫌味って分かってるはず。弱者を守るつもりなんだろうけど、上の人の立場が弱くなる。学級崩壊と同じかな。 

 

 

・つい出てしまったため息のことを問題にしているのではないと思うんですよね。わざと相手を傷つけることを目的として大きなため息をする人っていっぱいいるんですよ。誰でもこういう人の遭遇したことがあると思うけどな。このタイプは本当にハラスメントだと思う。 

 

 

・本当に人付き合いというか人と話すことが嫌になってきています。 

ちょっとでも気に喰わないと、何かにつけてハラスメント認定。 

仕事も辞め、友人も残すところあと二人。その方々も年数回会う程度。 

そう遠くない未来にそれも無くなるでしょう。 

買い物も基本フルセルフレジを利用。 

こちらは何も悪いことしていないけど、例えばレジ袋の有無を聞かれたりとかのちょっとしたことで店員と言葉を交わすのですら恐怖を覚えます。 

本当に息苦しく生き辛い世の中になってしまいました。 

 

 

 

・「観察力なさすぎて安堵のため息と不機嫌なため息の区別ができない人がフキハラと叫ぶハラスメント」とか、「メンタル弱過ぎて色々観察が及ばずあらゆるものをプレッシャーと感じ、からの〇〇ハラと叫ぶハラスメント」等の対策は誰かしてくれるのかな? 

 

不機嫌な人がため息ついてたら、一例として心の中で「不機嫌なんだね。特別な仕方でかまって欲しい時はその方法とタイミングを口頭で教えてね。それまでは気にせず仲間と朗らかに語らう時間を思う存分楽しむから」とでも思っておけば良い。 

 

一々煩いのはお前なのかもと少し思ってみるのも一興な人は割と居るだろうか… 

 

 

・まず、「日本ハラスメント協会」なる団体があることに驚きました。 

 

人と人とが同一空間にいれば、不快に思うことは必ず発生します。その不快を全て「ハラスメント」と呼ぶのなら、人間は常に誰かのハラスメントを受けていることになると思います。 

 

本来の「ハラスメント」というのは、悪意を持った嫌がらせのことです。ため息は嫌がらせではなく人間の一般的な生理的行動です。 

そのうち、スポーツの試合でガッツポーズしただけでハラスメントだと訴えられそうです。 

 

私たちは、日本が異常な世界になっていることに気づくべきです。 

ただ、こういうマスコミたちが面白がってあおっているようにも感じます。 

 

 

・溜息ではないが異性へ告白もできない世の中になってきている 

告白したら「セクハラだ」と言われて退職したって聞いたことがある。 

ハラスメントは相手次第で曲解せれれば「・・・・ハラ」とされる 

自分がハラスメントを受けていると自覚したらまず自分自身を見つめ直し、それって本当にハラスメント?って思ってほしい。 

それでハラスメントと自己認定したなら徹底抗戦していいと思う。 

 

溜息は病んでる人ほどする事が多いのは事実でハラスメントを受けて居ると自覚した後に本人が悩み苦しんで実は自身も溜息をついている事も結構あるそう 

だ、溜息は意識してすものではないのです。 

上司が溜息をつくって事は殆どの場合対応を苦慮しているかもしれません。 

 

以降は私の経験ですが最近の若い方はミスを繰り返しても自分は悪くないと思っている傾向があって認めないため治せず自身しか見ていないで返事すら返さない、部下ガチャ失敗。 

 

 

・他人の行動に対して、「ため息」を突いたということであれば、その人に対する評価みたいなものであって、その妥当性が問われることとなるが、ハラスメントの可能性も十分にあるはず。 

 

ミスばかりする部下に対して、上司がため息をついたということであれば、普通はハラスメントとはならないのでは?その頻度とかミスの内容の程度とかによると思う。 

 

 

・自分は上司の舌打ちがすごく苦手。大勢でいる時の舌打ちはクセなのかなと思うけど、二人きりで残業が仕方なく長引いた時などに、さっさと帰れよ的な雰囲気を醸し出して、でも言葉にしたくないから、チラッと見て舌打ちを繰り返す上司。自分より偉い人には絶対しない。中途採用の部下にだけする。人事に相談したいけど、つまらない事なので我慢するしかない。 

 

 

・こんなことまでハラスメントになるならもう何もできないではないかと思う反面、たしかにため息で周囲の空気を悪くしてしまう可能性もあると思う。ただ一貫して思うのは、一方的にある行為をハラスメントとして非難するのではなく、互いに少しずつ妥協し合うことが重要ということだ。 

 

 

・ため息をすることでストレスを少し解消したり気持ちが落ち着いたりなど健康上プラスになるみたいだね。人間誰しも嫌なことがあってため息をつきたくなることなんてあるのだからこれをハラスメント扱いするなんてとんでもない。 

 

 

・不機嫌になるなと言われても、何度繰り返し説明しても同じことを質問してくるおじさん、マニュアルに載っている基本的なことを調べもせずに聞いてくる後輩、処理ミスの尻拭いをほぼ丸投げにしてきて悪びれた様子もない同僚。 

ため息すらつかせてくれないと心が壊れそうな時ありません? 

笑顔で大丈夫ですよって言えるのも限界があるんですよね。 

上司に相談してもことなかれ主義で励まされるだけ、他者に期待することはもうないですけど、あまりの酷さに怒りの感情を持つことくらい許してほしい時ってありません? 

 

 

・何でもかんでもハラスメントですよね。そのうちハラスメントハラスメントなんていう言葉も出て来るんじゃないかというくらい。ハラスメントという言葉は元々嫌がらせという意味なんだから、そこを踏まえて使ってほしい。 

 

 

・息を抜くことで、からだはリラックスするんだよ。 

ため息は、無意識のうちに行うからだの自衛手段なのでは? 

 

なんでもかんでもハラスメントにしちゃうと 

健康な人も、ストレスフルになって、からだをこわすだろうし。 

まじめな人はがんじがらめになって、死んじゃうよ。 

 

たとえば我が家の上の家なんて、 

何キロもある重たい木製のキューブを転がすような音を四六時中させてる。 

 

「少し音を立てるのを控えていただけませんか」と言いに行ったら、逆に 

「ハラスメント」扱いされかねないかも、と思う。 

 

「普通の人なら気にしない音を、あの人は気にして、クレームをつけてきた」 

と吹聴されれば、 

未明から深夜まで、本当にこちらがその音に悩まされていたとしても 

悪者にされかねない。 

 

みんな肩ひじ張って、目を吊り上げて生きているみたいだ。 

じつはため息をひとつつけば、すんじゃう話なんじゃないの? 

 

 

 

・何でもかんでもハラスメントと表現することに違和感を感じるのは私だけでしょうか?そのうち席を立つ際に音が出たらそれだけでもハラスメントとか言われそうな気がする。ハラスメントの本質は特定の個人に対して通常とは違う対応をすることによるものなのかなと感じましたがいろいろな考え方や意見を聞いてみたいです。 

 

 

・昔はやる気ないなら帰れと言われて、ハラスメントとはならず、場の空気を悪くする奴は言われてもしょうがないとなっていた。言う方も言いたかないが、そうしないと仕事や周りに影響するからね。 

ハラスメントって、言われた方がいうかんじだけど、言う方もハラスメントと感じる事もあるんじゃないかしら。 

 

 

・ため息も自由につけない社会の方が、文字通り息苦しい気がします。 

 

パワハラ、セクハラ、モラハラ、カスハラ、スメハラ、マタハラ、ホワハラにフキハラ…。 

もちろん本当にいけないなものはダメにせよ、その全てを気づかって人間らしい生活が送れるでしょうか。他人の気分を害さないよう、こわごわ接する関係ばかりを築いて楽しいでしょうか。 

 

何でも「ハラスメント」をちらつかせていつ訴えられるかとびくびくする社会。「ハラスメント-ハラスメント(ハラハラ)」という言葉を作ってほしいです。 

 

 

・呼吸の仕方までハラスメントになる社会自体に、ため息モノだよ。確かに、意図的に相手に圧をかけるニュアンス込めたり、タイミングを敢えて狙ってるならパワハラになるのかな。 

まぁでも他人の目がある中でため息ついたら、どうやったって不満・ストレスありますよアピールになるよね。だから私は、ため息を人前でできる人はかまってちゃんだとは思ってる。 

 

 

・一部の世代の不満から具現化したハラスメントか。 

オンライン授業テレワークには慣れたが対面でのコミュには不慣れなまま。コロナ弱毒後仕事が現場回帰の流れになりいよいよリアルで職場にでた所で生のため息に晒されて心が折れそうってところか。 

会社は若者に辞められても困るし社内教育としてコンプラ研修、ビジネスマナー講座を受講させる。今まで無かったニーズに周辺産業は沸くよね。まあ金儲けはいいことだ。 

ただその若者に阿ったビジネスは、ヒトの心証の素直な表出したため息を封じる方向に働きかねないビジネスとは「持続可能」な物なのか。 

業務によってはオンラインでも結構だが結局仕事とはヒト対ヒト、家族でも仕事仲間でもリアルな関係は避けられない。その漏らしたため息が何なのか、相手の心情を慮るスキルは軽んじてはならない。その心のスキル磨きをする機会を逸した人々の関係性はどうなってゆくのだろう。 

 

 

・ハラスメントという言葉が当てはまるかどうかは疑問だが、職場の隣の席の人がかなりため息が多くこちらまで気が滅入りそうになったことがあった。 

初めは心配で「大丈夫ですか?」と声を掛けていたが、本人によると癖なようで。癖なら仕方ないと思いつつ、かなり気にはなりました。 

 

 

・何でもかんでもハラスメントと呼ぶ時代になってしまいました。 

そのうちヒール(靴)の音がうるさいという歩行ハラスメント(ホコハラ)や、食事の咀嚼音がうるさいという噛みハラみたいなものまで出てきそうです。 

 

 

・人を困らせることや嫌がらせのことをハラスメントと呼ぶのであれば、確かにため息もハラスメントになることはありますよね。 

で、ため息をハラスメント認定してどうしようというのですかね? 

 

ため息ってどちらかというとくしゃみとかゲップとかおならなどと同じ生理現象に分類されそうですが。それを相手の尊厳を奪うような行為のマタハラとかパワハラとかモラハラなんかと同列で「フキハラ」として扱うのはちょっとおかしな方向に進みそう。。。 

 

例えば職場で咳している人がいたら早めに薬飲んで休んだ方がいいよと伝えたりするように、ため息ついている人がいたら何かに悩んでいるのかな?と気に掛けるようにした方がいい気がしますが。 

 

何でもかんでもハラスメント化して問題提起しようとするここ最近の風潮にちょっと違和感を覚えます。 

 

 

・仕事のことで叱ったらハラスメント 

ため息をしたらハラスメント 

相手に少しでも不快な思いをさせたらハラスメントと言われる 

こんなんじゃ薄っぺらいうわべだけの付き合いになるだけ 

なんでため息をされたか本当に自分に対してだったのか 

相手の気持ちを汲み取ることでコミュニケーションは生まれていくと思う 

そうしたことを放棄し不快だから気分が悪いから精神的に傷ついたから全てハラスメント認定し面倒くさい人間関係はお断り 

確かにそれだと楽でいいだろう 

しかし人とのつながりはそういうものではないと思う 

窮屈な時代になったものだ 

 

 

・コミュニケーションにおいて、ため息は否定・侮蔑など様々な感情が混じった表現だと思います。リスペクトする相手にため息を漏らすっースはないんじゃないかと思います。 

逆に相手にため息をつかれると、それが浅くても深くても、会話を全否定されたようで深く傷つきます。 

今でもため息を相手に向けてつく人がまだいるんだったら即刻辞めるべき。なぜならため息って自分の不満を解消する自己満足が目的ですよね。本当に有効な会話をしたいなら、ため息は百害あって一利なし。相手にため息をつく人間で、まともな人間にあったことがありません。 

ことわざにある先人の知恵を学びましょう。 

 

 

 

・溜息なんて一種の生理現象みたいな物の様なきがしますけどね。 

 

それよりも、なんでも「ハラスメント」に数えてる方がよっぽどストレスになる。簡単に言えば、仕事だけじゃなくて生活基準の物までストレスフリーにしていって個々が如何に「快適性」を確保出来るかって事ですよね。 

 

ただ、これの厄介な所は、ハラスメントが「弱者の為」って事が前提になっている事。 

 

つまり若い新人や、男女で分けると「女性」がって事に偏りがちになって、その弱者となる人達がどんなに間違っていても、上司や男性側が責を負う羽目になり易いって事。 

 

片方が快適になれば、片方は必ずストレスを溜める図式は何も変わらず、どんどん酷くなる。 

 

言ってみれば「オジサン」「男性」だけじゃないですよね。結局男女限らず若い世代も経験や歳を重ねたら同じ目で見られる。そしてその立場になれば同じ事をする。 

 

 

・なんでもかんでもハラスメント認定するほうがハラスメントだろう。「ハラスメント・ハラスメント」っていうのかな?パワハラ、セクハラなどやってはいけないことはもちろんあるが、マルハラとかまでいくとこれは過剰反応。逆にハラスメント行為を行っているのではないかと思う。 

 

 

・自分はされるけど他の人にはどうか?周りに聞いてみるといいと思うんです。 

意外と、私にもそうだよとか、あの人いつもそうだよとか、気にし過ぎって事もあるし、ため息は出ちゃうときは出ちゃうから、ワザとかどうかって所じゃないかな?その人にだけ、悪意のあるため息だったら威圧感があるから問題だと思う。 

 

 

・溜息に関わらず、特定の人や状況に対して、不機嫌な態度で表す人っていますね。 

言語的なコミュニケーションができず、相手に伝える能力のない人なんだと思います。 

同レベルになってしまいますが、タイミングを見計らってその人の前で溜息をついてみたらいいかもしれないですね。 

溜息合戦のコラボになったら笑いに昇華するかもしれないし。 

 

 

・一人であれこれ考えているうちに、思わずため息が出ることはある、それまでハラスメントと言われればねえ。 

人の言う事を聞いている時に、わざとすることはありますよ。 

その場合は不機嫌になってもらわないと困る。 

ため息をつきたくなるようなくだらないこと 的外れなことをを言っている、という事を相手に判らさなければならない。 

 

 

・ため息ぐらいでハラスメントだと言われる事が、逆にハラスメントではないだろうか?上手く行かなかったり、疲れた時には誰でもため息はつくだろう。ため息をつく自由は個人の自由で、むしろ、ハラスメントだと言われる方がハラスメントを受けていると思う。 

 

 

・ため息さえハラスメントとか言われたら上司もストレス溜まりますよね。しかし今は何でもかんでもハラスメントとか言い過ぎじゃない?メールで丸を付けたら「マルハラ」、体臭や芳香剤で「スメハラ」とか。怒鳴るとかネチネチ長時間叱責するとかならともかく、舌打ちやため息さえダメとか。 

 

 

・ため息くらい自由に出させてくれよ、と思います。 

 

真偽は分からないが、ため息をすることでした本人のストレスを解消することができるそうな。 

仮にハラスメントということになって、その人がため息すらできずにストレスをため込んで病んでしまう…ということになってはそれこそ、です。 

 

最近の風潮だが、「ハラスメント」という言葉を気軽に使いすぎでは? 

 

誰もが嫌な思いをしないで生活できる、というのはあくまで理想論です。 

 

それこそ非常識な行動に対しては「ハラスメント」と言ってもいいかもしれないが、ため息ってそんなに非常識な行動ですか? 

誰しもが無意識でしてしまう行動に対しても「ハラスメント」と断じてしまっては、普段の行動自体が制限されてしまうようなものだと思います。 

 

 

・大河ドラマ見てて、今の時代、平安時代の貴族に似てるなとふと思いました。 

鎌倉武士や戦時中の兵隊さんからしたら、貴族や我々世代はしょうもないことで気をもんだり、落ち込んだり、大げさに騒いでるように見えるでしょうね。 

こりゃ、いくら優しく平和な時代になってもキリがないなと思いました。 

 

 

・自分の意見を言わない後輩がいます。 

主体的に動かない後輩がいます。 

日々の業務の責任はほぼ自分がおっています。 

ハラスメントとか言う前に、自分の意見言って考えを相手に伝えて下さい。だいたいこんなコト言ってるの相手とちゃんと話せない方が言ってる感じがする 

 

 

 

・絵から見るに「タイミング」の事だろうか? 

 

この場合はやはりため息出るのが当たり前でハラスメントでは無いと思うね 

 

学校じゃないんだから職場である以上、相手の仕事をしているタイミング見て 

声をかけないと。 

 

駄目ならメモを静かに置くとか工夫だよ 

 

結局、仕事出来ない人が「ハラ」つけて出来る人を攻撃しているのと同じ 

出来ない方に合わせてたら会社潰れるわ 

 

勘違いしないでほしいね。 

 

 

・そのうち、 

席を立ったらタチハラ、 

トイレに行くとトイレハラ、 

悩んだ表情をするとナヤハラ、 

昼ご飯を1人で食べてたらメシハラ 

とか出てくるんですかね。 

 

あまりに何でもハラスメントにすると逆に会社の生産能力が落ちて、ボーナスなしとかになりますよ。 

 

 

・パワハラやセクハラの様に個人の人格・人権を否定したり、社会的な立場を利用して高圧的な態度をとるなどのことは駄目であることは理解できます。たた、こういうことまで言われると、喜怒哀楽の表現をすることまでダメなのかと思ってしまいます。 

ため息をすることで、自分の中の怒りを抑えたり冷静に話することにもつながり、変に我慢すると健康にも良くなく、ストレス要因になるのではないかと思います。こういうことまで言われること自体ハラスメントにはならないんですかね? 

 

 

・だいぶ前の話だけど、通っていた教習所の教官が運転教習中に隣でずっとため息をついている人だった。 

別に会話に対してのため息ではなく、会話に関係なくずっとため息をついていた。 

すごく嫌な気分だったな。 

今は県立なのに見事に廃校になったけど。 

だから、人前なのに平気でため息をつける人って嫌だなって思う。 

 

 

・私の前の職場の上司は私に何かネガティブなことを言うときは咳払いをしてから話し出していました 

咳払いがあるとお、くるか!?となったことを思い出しました 

いやぁ私も若かった、明らかに私に非があることでも上司に対していい感情を抱いていなかったので真っ向から言い返してましたから(笑) 

 

「何かあったら私が責任取りますから、黙っていてください!」と啖呵切ると「君の立場で何の責任が取れるつもりなんだ!?軽々しく責任なんて言葉使うんじゃない!」と全力で言い返されて「それはその通りですわ」と何も言い返せなくなったことを思い出してしまいました 

 

 

・> 企業の対策を支援する「日本ハラスメント協会」 

 

調べると類似した名前の「日本ハラスメントカウンセラー協会」や「日本ハラスメントリスク管理協会」、「日本カスタマーハラスメント対応協会」といった団体があり、資格ビジネスを行っていたりコンサルタント(何をコンサルティングするのだろう?)をやっていたりしている。 

 

何でも商売にするものだなぁと感心する。 

 

 

・ため息は不快ですね。仕事中に側で何度もやられるとまるで自分があきれられてるみたいであまり良い気分じゃないです。&喫茶店などに入った時にまったく知らない隣に座った人が頻繁にため息(まるで共感してほしいかのように)をつく時がたまにあるんですが不幸がうつりそうでちょっとだいぶ嫌な気持ちになります。嫌な事があっても逆に明るく振る舞おうとする癖がある私にとってはちょっと無防備すぎて信じられないです。 

 

 

・ため息って言われるけど、仕事していて圧が強くなり過ぎたときに抜く感じでしていたことがあった。 

幸せが逃げますよってよく言われた。 

その頃は月の残業100時間で1年半、周囲に気を遣う余裕なかったな。 

ハラスメントなんだな。昔はしていたけど、もうため息しているって言われなくなったな。 

 

今、しょっちゅう舌打ちしている人なら職場にいる。 

 

 

・上司や親が不機嫌だったり態度でイライラを出していたら、部下や子供は気を使うし疲れて、職場や家庭が居心地悪くなるのは当然だろう。 

上の立場の人間が下の立場の人間に対してイライラや不機嫌をあからさまに出して不安にさせたり萎縮させて不快感を感じたらそれはハラスメントですよ。 

 

 

・部下の持ってきた書類がまったくイケてないとき、本人の目の前でため息をつくことはないが、あまりに修正が多くて思わずため息が出ることはある。それを本人が遠くから見ていて「ハラスメントだ」なんて言われたら、たまったもんじゃないね。 

 

 

 

・引き出しの一番上、ペン皿になっているところまでを 

開けたまま作業していたら、 

となりの男性がブルブル震えたかと思うと、 

私の引き出しに手を伸ばしてきて、いきなり 

バーンとひきだしを押し込んだ。 

その人にとっては、引き出しは常に閉まっているべきものだったようで。 

その後、じつはもう20年ぐらい経っているけど、 

いちども開けっ放しはしていない。 

そういうことが気になる人もいるんだ、と反省しかしてません。 

全部、相手が悪い、じゃなくて、その一部は勉強になったな、という場合もある。 

 

 

・鉄道会社のカスハラ対応が、最近話題になっていますが、 

もし電車が遅れたとき、鉄道係員の前でため息を吐いてしまったら、 

わざとでなくても、意図的でなくても、無意識でも、 

カスハラになってしまうのかもしれない。 

 

周囲を気にしながら、張り詰めた生活をするのも、 

はっきり言ってしんどいと思う。 

 

 

・何でもかんでもハラスメント、ハラスメントはうんざりだな。神経過敏過ぎるだろう。 

 

確かに仕事を頼んだり、ミスの修正などをした時の反応として、あからさまに嫌そうな顔をしてため息をついた等なら、批判するのも分かる。 

 

だが、無意識にやっている人もいるし、電車内の赤の他人のため息まで拾い出していたらきりがない。 

 

誰かがちょっとでも不快に思ったらハラスメントと叫ぶのなら、全員が加害者になりうる。例えば、夫婦や恋人同士で仲良くいるだけで『婚活に苦しむ一人ぼっちの私に対するハラスメントだ』とかなりうる。人は無意識に誰かを傷つけることから逃れられない。一々、些細なことでギャーギャーハラスメントと喚く幼稚さは排除してもらいたい。馬鹿馬鹿しすぎる。 

 

 

・自分が嫌と感じる行為=相手が自分の事を嫌だと知って欲しい行為 

意思表示なんだろうね。言葉で伝えてもハラスメント認定されるし、態度で伝えてもハラスメント認定。人対人なんで嬉しい事も嫌な事も普通にあるだろうに。 

 

 

・ため息ってマイナスイメージ強いし、 

相手からすると、やっぱり悪印象しかないんだけどね、 

実は、ため息をすると一呼吸置くという作用があるらしい。 

(論文に基づく実証実験もされてる) 

 

つまり、ため息を吐くって事は 

相手を叱る前に一拍空けて自分を 

落ち着かせて、律してるって事。 

 

 

・ため息を禁止するよりも、 

ため息を気にしないような図太い人間に育てるように教育した方が、 

人間らしい社会になるのではないでしょうか。 

 

なぜなら、 

自由を抑圧することばかりになって、自由が原則ではなく、規制が原則の共産主義社会のような息苦しい社会になってしまうからです。 

あれもだめ、これもだめ、規制を求める少数者にあわせて規制を増やしていたら、多数者いじめの社会になってしまうと思います。 

 

 

・子供のシャボン玉遊びは昔は微笑ましい光景でしたが、今や迷惑行為。 

さまざまなことが整備され、街もきれいになることで、今まで普通だったことが不快や迷惑に感じるようになる社会です。 

また機械化やネットの発達で人同士の生のやりとりもどんどん減っている。 

こうした環境で「〇〇ハラ」の流れは、もう止まらない。従来のお互い様という概念は消え去り。不合理は嫌悪排除され 

「我慢しない。耐えない。」「他人の行為や癖などを許しにくい」「子供の行為を許容できない」「衰えた高齢者の行動も不快」「全てが管理記録され」「あらゆることが合理的にルール化され」「人同士が極力接触しない」 

そんな社会へと向かっていくことになるでしょう。もう元には戻らない。 

会社や町内などの面倒な付き合いもなくなる。家族世帯も減っていく 

人口も遺伝子情報で選別管理され人工的に適正に増やしていくようにするしかない。 

まさにスーパーシティですね 

 

 

・何にでもハラスメントと付けるのはやめて欲しい。あれもこれもハラスメントに当たるのか?って苦しくなる。そうやって考えすぎて苦しむ人もいる。ため息くらいつかないとやってらんない。 

相手に暴言吐いたり手を出すよりマシじゃないですか。ため息程度で察してくれ。て思うことある。 

 

 

・日々の仕事で大したことが有る訳でもないのに、席に着くときにため息。もう癖になってるんでしょうね。見ていればわかるので、そんなのは気にしません。相手も人間ですから癖はあるんです。それより、なんでもハラスメントにしたがる風潮やめてほしい。これって言ったもん勝ちなんですよね。で、それを鵜呑みにする人(菅理職)が多いこと。双方の意見を公平に聞くとかいって、全くそんなことないのが実態です。 

 

 

・この日本ハラスメント協会という所は何の権限があってハラスメント認定してるの? 

しかも記事でも企業の取り組みがされていないとまで言っているし、企業が取り組まなきゃいけない空気まで作ろうとしている。 

一時期のマナー講師みたいに、一部のルールみを全体に適用して縛ろうとしているだけに思える。 

 

 

 

・ちょっと昔は、スチール机を蹴り込む人、絶叫し罵倒し近所迷惑だろというくらいの上司、パソコンのモニターぶん投げる上司などいたものだ。 

(ちなみに壊れたモニターが、なぜか置いてある) 

 

ため息など小さなハラスメントから、大きなハラスメントまで出揃った上で選別されるのだろう。 

 

 

・これが高じると『それ、ハラスメント』って指摘する行為そのものがハラスメントに成りませんか?言われた方は耐え難いストレスにさらされますよ。直ぐに指摘されるのでは?と思わせるまで追い込んだ場合も同様です。最終的には人と人との関係は、最小限の言葉で個室生活になって行くかも知れません。人間関係って何でしょうね?訳が解らなくなってきました。 

 

 

・これ見よがしに、わざと聞こえるようなため息はハラスメントと感じる事はあるかも知れない。 

実際ため息つく方は相手対する小さな抵抗、言いたくても言えない言わないケースでのストレス発散のつもり。 

周囲を巻き込むようなため息にならないよう自分も気をつけたい。 

 

 

・自分 太ってるんですけど立ち上がる時とか 難しい動作した時 

腹に圧迫を感じて 

ついつい ため息が出ますわ  

これをハラスメントにされたら 息するなって言われてるのと一緒ですわ 

息するな 周囲の空気悪くなるって 責められたら 悲しいけど 

責められるのはハラスメントにならなくて ため息した方がハラスメントに 

なるんですかね~ 

 

 

・「嫌だけど」なんでもかんでもハラスメントって言うのはやめて欲しい。 

 

外を歩ていて通りすがりにため息つかれるのは、けっこう嫌。 

なぜ、このタイミングでそんな大きなため息をつくのだろうと思う。 

たぶん、咳払いに代わる「どけよ」とかそういう合図だと思っている。 

 

 

・市議会議員してます 

 会議録を取る謂わば正式な委員会で、真面目に発言している際に、隣に座っている意見を異にする議員があからさまに発言を遮るかのように“はぁ〜ぁ“と大きなため息 

 発言していた議員は発言を止め、間を置いて“人が発言している時にケチをつける様な溜め息はやめてもらえませんか。“… と嘆願 

 そしたら“私は息をしているだけでです!“と机を叩いて委員会室を退出し、その後会議には参加しませんでした。 

 確かにハラスメントですよね。 

 特定の考う方を持つ集団に所属されている議員ですが田舎の市議会議員にはこの様な方々もいます。 

 

 

・そうですか。これは管理職や後輩がいる方は大変ですね。よほどの役者でいないと。 

 

自分だったらどうするか考えました。ため息を"はぁ~"と出すところを鼻から"ふー"と出してハラスメント回避するかな。 

 

笑う、泣く、口をへの字にする、口を尖らせる、目を曇らせる、耳を塞ぐなど、一度世の中のあらゆる表現をハラスメント認定するのでしょうか。 

 

そうして、"相手のネガティブな感情を読み取ってしまっても、挫けないメンタルを身に付けようね"となるのに、100年くらいかかりますか。 

 

 

・AIはため息つきません。 

ですが人はため息で心を整える事も多いのです。 

本当は「そうではなくこうだと思う」など色々と言いたい事を此処は我慢してため息で不満をのみ込みそれをセクハラと言われると本当に世の中が生きづらくなる。 

何でもかんでもセクハラとか決めつけるのはおかしな世の中を作る事になるのでは無いでしょうか? 

 

 

・ハラスメントはマウンティング行為だとはっきりさせるべき。何をするかが重要なのでない。やってる側は本能的にやっているのであって、理屈がしっかりしていないと気づかせることは出来ない。 

 

 

・そういう拡大解釈は人間関係をギクシャクさせるだけで、何の解決にもならない。 

人間はそうやって快不快を表しつつ、程度を超えないラインを保つもの。 

何でも不快な事をハラスメントにしたら、みな画面越しにAIに発言や表情をチェックしてもらってから相手に伝えることになるだろう。 

 

こういった風潮の先には「人間性の全くないコミュニティ」が待ってる。 

これらは法でなく、モラルで叩くべき事。 

「そういう態度は社内の和を乱すよ」という扱いでまとめるのが、日本人としても最良だろう。 

 

 

 

・なんでもハラスメントと言えばみたいな風潮になってると感じる。 

たしかに、相手に対して一方的に嫌な思いをさせるためのため息はダメと思うが、 

大抵の場合はその背景があってのため息と思う。 

 

そのうち、深呼吸、あくびなどもハラスメントとか言われそう。 

最終は〇〇ハラスメントというのがハラスメントとかになるのかな 

 

 

・使うタイミングとか相手によるかな。 

確かに叱責された後とか話を理解できなかったときとかにため息つかれると凹んだりはしますが、ため息という行為そのものだけをハラスメントにするのも無理があると思います。 

まあ先日のマルハラよりはまだわかりますけどね。 

 

 

・ハラスメントって言われる方もハラスメントなのでは? 

ハラスメントに気をつけなながら生きづらくなってしまう。これもまた一種のハラスメントですよね。こんな記事がいちいち出回ってしまうから世の中はダメになるのでは? 

これでは日本での自殺者数は減るわけないですよね。 

 

 

・「行った当人に苦情申し立てをしにくく、しても周囲からの社会的圧力によってもみ消される恐れがある行為」くらいをハラスメントと呼ぼうよ。 

 

ため息はパワーハラスメントの一手段として使われることがあっても、その行為それ自体は「ため息はやめてください」と苦情を言えるでしょう。 

 

 

・評価ハラスメントも最近は気になります。特にメルカリなどは個人情報が書き込まれない限り評価の削除をしない制度には問題を感じます。 

相手の主観や思い込みや嘘八百も多くHSPの人はカウンセリングにかかるほど悩まれていました。 

 

 

・上司相手には絶対にできない行為。それはため息と舌打ち。 

でも部下には堂々とできるからねぇ。そう考えるとハラスメントになっちゃうのかな。 

あらゆる行為がハラスメントになるじゃんとか言ってる人いるけど、上司相手にため息をやってみればいいと思う。まぁ、会社に長く勤める事ができない人なら普通にやりそうだけど。 

 

 

・〇〇ハラスメント、セクハラから始まり、今はすごく増えました。弱い立場の人が攻撃を受け精神的に追い詰められるのは防がなければならないし守る必要があるとは思うが、今はその解釈が過度に拡大されてはいないか。 

学校で教師が子供を叱れないどころか家庭でも。職場でうっかり注意も出来ない。もちろん正しい叱り方、注意の仕方を学ばなければならない時とは思うが、こんな世の中を皆望んでいるのですかね。 

 

 

・そもそも「ハラスメント研修」とか「部下への指導研修」みたいなやついらない気がする。人は十人十色だし、研修でこうしなさいみたいに先入観を持たせて仕事をさせること自体令和の時代に合っていない。 

 

 

・社会で共存する上で我慢は必要。 

〇〇ハラスメントは受け手が感じたらハラスメントと言われる。 

そんな自分勝手な解釈が尊重されるなら1人で生きてくれないか?と言いたい。 

一部本当に悪質な物は別の言い方で非難すべきで最近の何でもかんでもハラスメントでまとめるのは結局自分達が自ら生きにくい世の中にしているのではないかと思う。 

 

 

・「ため息はハラスメント?」「フキハラ」だとか怪しい造語で、あたかも被害を受けている人の「わがまま」であるかのように矮小するのは、どうなんでしょうね。普通に「ハラスメント」でいいし、「予防法」も何も「咳払い」「ゲップ」と同様に「人前ですることによって身体的理由以外の別の意味を付加する」他者に不快感を与える行為であることは確かでしょう。お客様の前でできるのか、社長の前でできるのかを考えれば、誰でも理解できるでしょう。一部非常識な日本人の言動をタイトルにして、インプレ稼ぎみたいなことやってると同業者からも信頼されなくなりますよ。 

 

 

 

 
 

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