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「弱者男性」「チー牛」と差別される男性たちの実態…男性ならではの「自分を弱者だと認めるしんどさ」

みんかぶマガジン 5/27(月) 9:10 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/a28492b81f4ac6b85b630b798e0aa81caa560c2f

 

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『弱者男性1500万人時代』という書籍では、弱者男性の誰なのかについて述べられている。

弱者男性とは、独身や貧困、障害などの要素を持つ男性を指し、厳密な定義は数字だけでなく、男性全般の「弱者性」にフォーカスを当てた言葉とされる。

男性の約24%が何らかの弱者性を抱えており、一般的には想像以上の数だと述べられる。

弱者男性は周囲の協力が得られず、自助グループですら拒絶されることもある。

生活保護や福祉に頼る前に自殺を選ぶ男性の割合が高い事実も指摘される。

弱者男性であることを認めることが支援への一歩とされるが、その存在を認めることで不利益を被ることもあり、周囲の理解が求められる。

包括的支援窓口の普及や情報共有が必要とされている。

(要約)

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AdobeStock 

 

 弱者男性とは誰なのか。日本にとっての大きな問題であるのに、あまり注目されないその存在について、『弱者男性1500万人時代』(扶桑社新書)を上梓した、「エッセイストのトイアンナ氏が解説するーー。 

 

 あなたは、「チー牛」という言葉を知っているだろうか。 

 

 チー牛とは、牛丼屋で「三色チーズ牛丼を注文する若い男性」の自画像が、オタク、ネクラに多そうだという偏見から広まった言葉である。 

 

 チー牛、あるいは弱者男性などといった、新しい差別用語。これが男女逆転したとして、 

 

「もしかして俺、チー牛女としか結婚できない?」 

 

「弱者女性に優しくするのはリスクが高い」 

 

 なんて言葉がSNS上で投稿されたらどうだろうか。 

 

 恐らく炎上するに違いないが、それが男性へ向けた言葉だと、同意されたり称賛されたりして、誰も差別だとは言わない。これは異常事態だと言わざるを得ない。 

 

 弱者男性とは、独身・貧困・障害などといった「弱者になる要素」を備えた男性を指す。ただし、年収○○円以下など、数字によって厳密に定義されているものではない。弱者男性がネットスラングから誕生した言葉であり、数字で割り切れるような定義を持たないのだ。むしろ、あらゆる男性が持つであろう「弱者性」にハイライトを当てるため、この言葉が生まれたと言っていい。 

 

 書籍『弱者男性1500万人時代』では、小樽商科大学の池田伸介教授によって弱者男性の人口を推計している。その数、最大で1504万人。2022年時点での日本の人口は1億2494万7000人であり、男性は6075万人である。つまり、男性の約24%、4人に1人が何かしらの弱者性を抱えているのが実態である。多くの人が、弱者男性はそう多くない数字だと見積もっていたであろう。だが、決して少数ではない、ごく身近に存在するのが弱者男性なのである。 

 

 また、弱者男性の大半は自分のせいで弱者男性になったと考えている。自責の念が強いのだ。その背景には、何らかのせいにした途端、マジョリティにやり込められてしまうことがある。事実を述べたとしても「お前のせいだ」と言われ、結局は諦めてしまう。まさに、弱者が弱者たるゆえんであろう。 

 

 

 筆者は今年、500名の男性が持つ「アンコンシャス・バイアス」について調べた。アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)とは、日本語で「無意識の思い込み、偏見」などを意味する言葉である。これまでの経験から、自分自身では気づかぬうちに「こうであろう」と解釈してしまう。 

 

 アンコンシャス・バイアスは相手、自分など「人」に対するものもあれば、「もの」に対するものなどさまざまだ。なかでも「男性は仕事をして家計を支えるべきだ」と考える日本人はいまだ多く存在し、男性が課せられるプレッシャーの原因になっている。 

 

 この調査の結果、わずかな差だが強者男性のほうが、アンコンシャス・バイアスを強く持つことがわかった。ところが、ネットでは「女性差別をするのは弱者男性」と誤解されているのだ。これこそ、弱者男性=モテない男性=女性差別的とみなす、差別そのものではないだろうか。 

 

 弱者男性の多くは、人にと頼ることができないでいる。なぜなら、誰かに頼ったとしても拒絶されやすいからだ。自助グループですら拒否されることがあるのが実情である。たとえば、実際にひきこもりの自助グループでも40代以上の男性は避けられていたという経験談が『弱者男性1500万人時代』には掲載されている。 

 

 また、行政においても生活保護などで男性は「まだ働ける」と判断されて、拒否されやすい。なかでも比較的若い男性は、生活保護が受給できないよう職員が冷たい言葉を投げかけるケースもある。日本にはいまだ「男性は女性よりも稼ぐべきだ」「男たるもの、弱みを見せてはならない」といった風潮がある。これらも少なからず影響しているだろう。 

 

 それでも自分で自分を「弱者男性です」と言える人はまだ支援にたどりつきやすいといえる。どんな人にとっても、自分が「弱い」と認めることは非常に難しいことだ。そのハードルを越え「助けてください」と自らの弱者性を認めることで、ようやく支援の手が伸びるのが現実である。 

 

 もし、自分を弱者だと認められない場合、その男性は声を上げられずに死んでいく。日本においては自殺者の約半数が無職である。また、それと同程度の割合で身体や精神の健康に問題を抱えていることが分かっている。 

 

 つまり、心身に不調を抱えている人は、生活保護や福祉に頼る前に死を選んでしまいやすい現状がある。データによると、自殺者のうち67 %は男性である。つまり、男性は追い詰められたときに、より自死を選びやすいといえるだろう。 

 

 

 弱者であることを認めることで支援に繋がるのは事実である。ただ、弱者であることを見せても、いいことは何もないというのが悲しいかな現実なのである。 

 

 例えば女性の前で弱者性を見せたとしても、単純にモテなくなるだけである。「頼りない」「情けない」「キモい」などと冷たい視線を向けられ敬遠される。また、同じ男性に弱者性を見せたとしても、心ない言葉を浴びせられ、勇気を振り絞ったその気持ちを踏みにじられるだけだ。たとえ友人間であっても、自分の苦境について本音で話そうとせず、事実を隠す傾向がある。 

 

 例えば、NHK放送文化研究所が加盟する国際比較調査グループISSP が2017年に行った調査 「社会的ネットワークと社会的資源」によれば、50代・60代の中高年男性では「悩みごとを相談できる友人がいない」と答えた人が30%台いた。70歳以上ではその割合が実に50%を超えている。全体では約20%なのに対して高い数字である。 

 

 また、落ち込んだときの話し相手などで「親しい友人」をあげる人が全体で約40%なのに対し、男性50代以上ととなると20~30%程度にとどまる。この他、友人関係が希薄な男性ほど生活満足度が低い傾向も見られることが調査結果から分かっている。 

 

 まずは、「誰かに頼ろう」と思っていない人、思えない人にも頼るあてが見つかるよう、支援の窓口を広く知らせる必要がある。 

 

 一例に挙げられるのが、2021年4月にスタートした「重層的支援体制整備事業」は、その一例だ。重層的支援体制とは、さまざまな生きづらさを抱えている人に対し、窓口を一本化して対応する取り組みである。これまでは「生活保護はA窓口、精神障害はB窓口、ひとり親支援はC窓口……」とお役所の各部署を巡って、自分で調べながら支援をもらわねばならなかった。 

 

 しかし、生きづらさを抱える人はすべての窓口を調べ、しらみつぶしに回ることができない。そのため、支援が届きづらい状況があった。そのため、窓口を一本化することで支援を可能にしたいと行政も取り組んでいるのだ。 

 

 この「包括的支援窓口」は、現在どの役所にも設置されている。だが、現状ではほぼ知られていない。そして、弱者は自分で自分を追い詰め、死に向かってしまう。 

 

 何に困っているかを言語化し、適切な場所へ助けを求められるのは「かなり分かっている人」だといえる。本人だけでなく、周りの人も情報を持つことができるよう、包括的支援窓口の存在をもっと周知すべきだろう。 

 

 2024年4月24日発売の書籍『弱者男性1500万人時代』では、弱者男性についてあらゆる視点からトイアンナ氏が考察。弱者男性の存在を明らかにするとともに、統計データをもとに男性の弱さを浮き彫りにし、支援策にまで言及している。 

 

トイアンナ 

 

 

( 174644 )  2024/05/27 17:08:26  
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(まとめ) 

様々な視点から、男性の弱者や差別、社会的な課題に対する意見が述べられています。

一部の人は男性に対する差別や支援不足を指摘し、男性の弱者も存在することを訴えています。

一方で、個人の経験や自己肯定感の重要性を強調する意見もあります。

男性の心身の健康や自己受容の重要性について言及する声も多く、男性だけでなく、人々がお互いに支え合い、尊重し合う社会への願いが感じられます。

また、差別や格差が引き起こす社会問題に対して、より包括的なアプローチが求められていることが示唆されています。

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・そもそも、男女関係なく誰かに大切にされた経験に乏しい人ほど、他者に対しても大切に丁寧に接することが困難になっていきます。 

 

その上、「男は粗末に扱ってもよい」という理不尽な風潮も相まって、男性は相応の強いメンタルがないと冗談抜きで命に関わるレベルの弱者へと転落し、 

 

上記のように「他者から大切にされた経験の乏しい男性」の多くはコミュ力も自尊感情も欠如しているので、転落後の自力での再起は困難を極めます。 

 

弱者男性の中から時折現れる無敵の人が大事件を起こそうと、社会は「テロ被害」と「無敵の人を生まない努力に必要なコスト」を天秤にかけ、結局テロ事件が起こるのを傍観しているだけという現実。 

 

 

・江戸時代の実話として残っているのが、今でいう医療刑務所のような所で働いていたヒニンの八助という方。 

ある日、八助は数百万という大金が入った財布が落ちているのを見つけます。 

落とし主が困っているだろうと半日ほどその場で待っていた八助の元に現れた財布の持ち主は日本橋三越の手代で、金は商用のものでした。 

八助は固辞したそうですが、ぜひお礼にと手代は二割の金を彼に渡しました。 

八助はその夜、仕事仲間などを集めて一晩豪遊し、皆が寝静まった後に首を吊って自死します。 

自分のような身分では、この先出世も結婚もできないだろうから、今日ほど良い日は訪れないだろう。思い残すことはない。 

というような内容の辞世の句を残していたそうです。 

三越の主人が手代から八助のことを聞き、誠実な彼を雇おうと使いの者を送ったのは、八助が亡くなった翌朝でした。 

全く違う時代の話ですが、私はどうにもこの話が忘れられないです。 

 

 

・これは本当に深刻で、記事にあるように、「弱さを認めたところでなおも責められる」のが不味すぎる傾向だと思います。 

 

私も少し前までは、余計なプライドを捨てて助けを訴えれば彼らにも社会は優しくしてくれるのかと思っていましたが、SNSを見ると、弱さを認め救いの手を求める男性らに、女性らしき人たちや、威張り散らした男性らにさらに批判されるという、とてつもない光景が広がっています。そのような目にあった人のその先にあるのは、この世への失望、怒り、無敵の人化です。一人一人が重大犯罪をおかさなくとも、その1000万ともいわれる集団となって社会へ与える影響は計り知れません。今やSNSに渦巻く憎悪はただごとではない。 

 

強いものを憎んだら負けという歪んだプライドがあらゆる属性に蔓延し、その鬱憤の結果、弱者が責め立てられる。昔からそうなのかもしれませんが、それのSNSによる増幅は、人類史上なかった光景です。 

 

 

・カナダや米国の方で近年インセルによる銃乱射とか車で歩行者に突っ込んだりとかのテロ行為の増加が問題視されてきてる。秋葉原通り魔事件の動機を、非モテな事による鬱憤と憎悪にしたような事件。 

SNSでそう言った人への攻撃と同調をし続けてると、日本でもその内似たような事件が増えてくんじゃないかと思う。 

 

 

・何でも一言でまとめようとする風潮も世の中を難しくしているように感じます。 

「弱者男性」と言っても何に対する弱さなのか、その程度によっても様々で周囲の評価も大抵は「甘え」と取られる場合が多い。 

ただ世の中全般で観た時に、むしろ男女問わずほとんどの人は弱さも抱えていて単体での能力差なんて実は微々たるものでしかない。 

強者がそれを認めたくないのは多少仕方ないことでもあるけど、「程度の軽い弱者」が頑なにそれを認めないことが「弱い者が更に弱い者を叩く」ことで世の中を硬直化させているように思います。 

 

 

・「強者男性」というのが必ずしも「良い人間、寛容な人間」では無いのが哀しいよね。弱肉強食の生物の生業で弱者は滅びるか隅っこで細々と生きていく。 

人間が動物であることには変わりはないけど、それを変えることが出来るのが社会で人間の人間たるところ。これは永遠の課題でもあるな。 

 

 

・少しずつ広がっている違和感が一般化するまでには20年はかかるでしょうね。 

そしてそこでも氷河期世代が割りを食うわけで… 

 

一つだけお願いしたいのは、安楽死制度を1人100万円程の手数料で自由に行えるようにする事。少し頑張れば安楽死できる位の額面に設定するのがコツですね。 

救われる人もたくさんいるのではないかと思う。 

 

 

・世の中には頼ることが苦手ではなく嫌いな人がいることを知ってほしい。 

自分の弱いところを他人に見せたくないというのは動物として当たり前の本能だと思うんですよ。 

人からは底辺の負け犬に見えても、弱者は弱者なりの生き方でまあまあ幸せに生きてます。 

友達がたくさんいる人を見て羨ましいとか充実してそうとか思う人って実は意外と少ないのではないでしょうか。 

 

 

・極端な話、「弱者男性」や「チー牛」等の差別用語をなくして男女隔てなく支援やサービスを受けれれば良いんですよね。 

特にSNS等で平気で人に差別発言するユーザーは後を絶たないので、差別発言を言わない・言わせない雰囲気を作りつつ、助け合っていける環境を作ることが大事だと思います。 

 

 

・昨年、近所の小さな薬局で50代無職男による強盗事件が起きた。警察が駆けつけた際、男は現場で座って待っていたとのこと。 

状況からして金を奪う目的でないのは明らかで、男の中で何かが爆発した末の凶行だったように思える。 

具体的にどうすればいいのかは思いつかないが、こういう男性をケアする仕組みが整っていれば、犯罪も減り、それは結果として犯罪被害に逢う女性にとっても悪いことではないはず。 

 

 

 

・当該記事とは直接関係無いかもしれませんが 

「弱者男性」「チー牛」などに限らず最近他人に対する蔑称がやたら増えた印象があります 

他人を下げる事で自分より下の人間が居ると安心出来るのかもしれませんが 

他者を下げても自分の価値が上がる事はありませんから 

男性・女性に限らず他者を下に見て自分を安心させる本当の意味の弱者とならないよう 

自戒も含めて気を付けて生きたいところです。 

 

 

・集団があれば…いや人が存在する限り、比較対象がある限り強者と弱者に分けられる。強者と弱者に分けられ、その強者の中で強者と弱者に分けられ弱者の中で強者と弱者に分けられる。もうね、キリがないのよ。誰かと比べなければ、気の持ちよう一つで平穏が訪れる。もちろんしっかり仕事はするなど最低限の努力は必要だが。 

 

 

・私は女性ですが、弱者男性と呼ばれる方々と仕事をしています。彼らは自分の興味や好きなことには一途だし、真面目に頑張れる。 

問題なのはそれを搾取する社会だと思います。 

弱者男性と呼ばれる方々が自信をもって生きられる社会ができたら、少子化もなくなると思う。 

 

 

・自分は弱小会社の事務員だが、、、、そこそこ会社の歴はながく、社長の祖父の代からの会社だ。 

当時の話を聞くに、初代は色々性格的にも面白いような問題児達の工員や社員を面倒をみながら会社を切り盛りしたらしい。いまだに当時を語る老人がいる。 

今思うに、強者男性にもそういう弱者男性の面倒をみる余裕と器があり、弱者男性にも一種の愛嬌というか釣りバカ日誌の浜ちゃんのような、憎めない人柄の人がいたようだ。 

弱者男性が生き残るには、愛嬌と人柄。これに尽きると思う。 

妙にへりくだらず、かといって張り合わず、自然体でいる。弱者が故の人の痛みにも理解と共感があり、強者の一種の痛みにも配慮できるような人柄が必要。弱者には弱者の生き残り戦略があり、一律「男性」扱いしてしまい、どちらも厳しい社会に疑問を持っている。 

 

 

・若い時にワーキングプアだった事がある。 

何回か転職し、非正規にもなり、一念発起して最難関試験受験して突破してから今は世間的な分け方では勝ち組と言われるようになった。 

 

あのままだったら今頃私も弱者だったと思う。紙一重だった。今振り返ってみて思うのは、この世は行政も含めて誰かが助けてくれる訳ではない。自分で自分を救うしかない。助けてくれ!と言い続けて助けを待っている間に年老いて行くだけ。 

 

批判されるだろうが、私が実感した現実だかは仕方ない。多分、日本は余裕が無くなるから今後ますます助けは得にくくなるだろう。 

 

 

・残酷な事実だが、人間以外の野生生物は弱いと死ぬしかない。また、弱いオスはメスから相手されないから種を残すことができない。人間にも当てはまるこの残酷な事実。優しいだけでケンカもできない、金を稼ぐこともできない、タフさもない、自分を弱者とかいって殻にどじこもって自分の現状を変えようともしない。そうなると誰かを守ることもできないから、当然種を残したい女から相手にされない。そして、結果的にそういう雄が滅んで、人間の中の強い雄の種が生きのびていく。野生動物の種の原理が人間にも当てはまっているだけかな。 

 

 

・この社会は勝ち組、負け組の二種類しかないのだろうか。 

「チー牛」を頼んだだけで、何故、「弱者男性」と揶揄されるだろう。 

美味しいものを食べてるだけだと思います。ただ周り事は気にせず我が道を行く、これぞ多様性だと思います。現状に満足し人生を楽しんでいるなら、 

他人がとやかく言う必要もあるだろうか。 

 

 

・すき家のチーズ牛丼は美味しい。大昔からのファンだ。それを知って「お前はチー牛野郎だ」とチー牛の意味を理解せず発する人もいる。 

 

自分は強者、弱者で言ったら強者所謂勝ち組に分類されるがチーズ牛丼が好きだ。タバスコが一番美味しく味わえる食べ物と思っているのでもはやタバスコが好きなのかもしれない。 

 

それはそうと弱者強者関係なく同じ屋根の下、カウンターで向かい合い交差しながらチーズ牛丼を喰らい合うなんて素晴らしいじゃないか。 

 

汗を吸ったタオルで拭いたであろう汚れまくりのメガネレンズ、歪んだフレーム。剃りきれてない髭。整えられていない眉に寝癖か癖毛かわからない散らかった髪。そんな奴と同じものを食べられる環境なんて他には無いんだ。 

 

もう文章構成もめちゃくちゃだ。 

何を隠そう、綴りながらチーズ牛丼が食べたくなりソワソワしているのだ。早めのランチとしよう。 

 

 

・批判覚悟で言うと私の経験上ですと、強者男性よりも、弱者男性からの方が嫌な目に合うことの方が多かったと思います。 

弱者男性の場合、人当たりはソフトな人も多いので、寡黙だけど真面目ないい人だと思い信頼することがありました。 

ですが、付き合ってく過程で、経験不足からくる思い込みや、自信のなさを隠すために責任を相手(私)に転嫁したり、人付き合いが少ないがために相手(私)への依存度や甘えが強くなったり。いざとなると、全てを相手のせいにして逃げて、本人はスッキリしたり。 

私は悪人にされて大変でした。 

人によって強弱はあるでしょうが、男女関係でも友達関係でも、同じような経験があります。 

 

 

・女性優遇の根幹は学校教育だと思います。 

男性が優れている体育は男女別にして女性に下駄を履かせる。 

女性が有利な強化は男女平等でそのまま。 

教師と言う職に就く人が女性的資質を好む為、内申点含め女性優遇している。 

女の子が泣いたから問答無用で男が悪いとされた事がある。 

今の子供は変わってきたようだけど、大人は昔のままなのでこの先しばらくは変わらないと思います。 

 

 

 

・全ての要素を満たしている人は多くなくても、何らかの要素に当てはまる男性は多いかと思います。自分も低身長かつ一人っ子で、女性からは敬遠される弱者を自認してます。年収や雇用形態、適齢期から遅れたとは言え既婚であることは、いわゆる弱者要素からは外れるのかもですが、やっぱり自分で認めてても弱者であることを殊更に外にアピールってできないものですよね。男の世界では、弱者同士の逆マウント取り合いになったりとかしますし。個々のメンタリティの違いはありますが、女性に生まれたかったって思います。バイセクシャルなんですが、弱さを曝け出して男に甘えている時は本当に癒されますよ。女性になった気持ちです。対女性含めて、表の世界では、男としてはそれが許されないですから。 

 

 

・価値観の画一化、社会の単色化が遠因だよなと。多様性を謳いながら、そういう組織のなかで生活していると、強者と弱者に二分化されやすい。 

サラリーマンとしては弱者だけど農家としては最強とかあるように、本当の意味での多様性が進めば、弱者も減っていくかと。 

 

 

・よく、女性差別を表すのに 

「ガラスの天井」という言葉が使われます。 

見えないけれど出世に障害がある、 

という意味ですね。 

これ、今も解消したとは言えません。 

一方、男性には、 

「セーフティネットのない穴」 

があると思います。 

制度の不備や無意識的なメッセージで、 

女性にしか手を差し伸べていない救済、 

ありませんか? 

 

女性が出世できないのも問題ですが、 

人権って主に、社会の下層でこそ問われると思います。 

議員数とか役員数で比べるけど、 

議員や役員になれないくらいの女性は 

多分、それなりの地位には就けています。 

それ以上に、苦境にある男性にこそ、 

光を当てるべきじゃないでしょうか。 

自分を弱者と認められないから声も上がらない、 

だから放置するのか? 

それとも 

だから声を拾うのか? 

社会の度量が問われる面だと思います。 

 

まず、男性差別と女性差別を 

対立した問題みたいに見るの、やめません? 

 

 

・私はバブル絶頂期に高卒で中堅メーカーに就職したが、その後バブル崩壊によりリストラに遭い、そこからは零細ブラック企業を数社渡り歩いた。 

最後の零細ブラック企業では、月120〜150時間の「サービス残業」が常態化しており、最後はブチ切れて未払い残業代の支払いを求めて裁判を起こした。(勝訴) 

 

裁判と並行して職業訓練校で技能を学び、派遣として上場企業で2年勤めたがパワハラ上司に嫌気がさして勤務先を変えようと模索していたところ「今の上司の下にいてくれるなら」という条件で正社員に登用された。 

 

その後、組織変更でパワハラ上司からは離れたが、上場企業という事で周囲はみんな有名大学出身のエリートばかり。 

そんな中、高卒中途オジサン(まさに弱者男性だろう)は、出世できるはずもなく生涯ヒラ確定だが、かつてブラック企業を渡り歩いた経験があるから、日々感謝して仕事に励んでいる(笑) 

 

何事も気持ち次第でしょう。 

 

 

・見かけ上、顔は弱者で、体は筋肉ムキムキの、仕事をすれば意外にやるような男性も多くいると思います、例えば朝倉未来のような顔の人が、オタク風の服を着ていれば、舐められるなんてこともあるわけで、、逆をいえば弱者男性なのに、カッコいいスーツを着て、如何にも賢い顔をしていれば、地位の高い男にも見えたりします 

 

弱者男性は自己肯定感が低く、自信のなさそうな顔をしているが、それは育ちの影響もあると思いますが、殻を破れば強い人もいますし、強そうに見える男性でも、殻を破れば、脆く弱い劣等感の固まりで、まったく役に立たない人もいるので、見極めないといけません、もちろん見た目通りの人もいまが・・ 

 

 

・もともとネットスラングの「チー牛」は、男性の界隈で男性同士が貶め合う文脈で言われ始めた呼称なので、この記事の冒頭で女性にミラーリングされているのは随分なとばっちりだなと思う。この話題に女性は全く関係ないので。 

 

「弱者男性」にしても、弱者というからには「強者男性」との対比として生まれた呼称ですよね。 

 

「男性ならではの苦しみ」なんて言ってないで、まず男性社会で弱者強者というレッテル貼りをやめればいいのに。 

男の価値基準を「女にモテるか」(他人からの評価に依存する)に置くのもやめた方がいいです。 

自分で自分の価値を見出せない人間には、男女関係なく必要とされないと思う。 

 

別にしんどい思いしてまで自分が弱者だなんて認める必要はないことに気づくべき。 

他人を蔑称で呼んだり呼ばれたりなんて幼稚なフェーズから自らさっさと抜け出して、まず「男性」と言う前に「人間」として自分自身と向き合うべきだと思う。 

 

 

・そもそも行政の男性支援が明らかに足りてない。 

 

女性支援新法ができた一方、困難男性は透明化されたまま。 

ホームレスの男女比見ても明らかに男性だと支援が受けづらいことなんて明確。 

 

遺族年金の男女差だってあるし、行政の仕組みが【ちゃんと働いている・働けてる男性】の基準で作られており、困難男性の存在は透明化されている。 

 

自殺者も男性の方が多いのに、相談窓口は女性の方が多い。 

せめて行政支援くらいは男女公平に行って欲しい。 

 

昨今、【女性管理者を3割に!】みたいな結果の平等を是とした国の考え方がある。 

なら目安として女性ホームレスが3割程度になるまでは男性支援を拡充すべきだと思う。 

 

 

・>(チー牛、あるいは弱者男性などといった、新しい差別用語。これが男女逆転したとしたら)恐らく炎上するに違いないが、それが男性へ向けた言葉だと、同意されたり称賛されたりして、誰も差別だとは言わない。これは異常事態だと言わざるを得ない。 

 

この異常事態こそが、男らしさから降りられないということから来ているのだと思う。そして弱者男性という概念自体がこの状況を変えていく可能性がある。弱者男性の定義が広すぎて特定の対象に絞れないことから、逆に誰でも弱者男性を自称でき、「男ならそれぐらいのことで目くじら立てない」といった束縛から逃れ、おかしなことはおかしいとはっきり言えるようになっていくのではないか?そしてそういった傾向は始まっている気がする。 

 

 

・結婚することが全てではなくなった現代。 

こういう問題はいつだってあった。 

いつの時代だって起こる男女差の問題。 

そして男子の中でも女子の中でも、それぞれ階層が生まれて差別化。 

すべてが平等になることはない。 

人によって差があるのだから。 

ただし、機会の均等化だけは整えないと不公平かなと思う。これは社会の問題。 

 

 

・東大生には東大生ならではの劣等感があると聞いたことがある。 

現役でなく浪人した、文1でなく受かりやすい文2文3に落とした、早慶には落ちたことを言えない、高校が有名進学校でない、モテない、社会に出れば出世の早さ、年収差など。 

 

要するに他人と比較して優越感を持っているうちは劣等感からも逃れられない。 

 

 

 

・資本主義の競争社会であるが故に弱者が発生し、虐げられることは感覚的には理解できてもインターネット上などで直視してしまうとかなり苦しい気持ちになりますね。 

インターネットというかSNSはいろいろな格差を可視化してしまった結果、劣等感を感じやすい世界になってしまったな~と思います。 

 

 

・もともとすき家に行っても、チーズ牛丼は注文しない人間だったのですが、この言葉が悪い意味で使われるようになってから、「多分一生、注文することのないメニュー」になってしまいましたね。 

 

 

・行政においても生活保護などで男性は「まだ働ける」と判断されて、拒否されやすい。なかでも比較的若い男性は、生活保護が受給できないよう職員が冷たい言葉を投げかけるケースもある。>当然ですよね男女問わず働ける人は生活保護をもらおうとしてはいけない。職員の冷たい対応当たり前です。俺なら自分に出来る仕事はなんでもするよ。仕事なんて最初は出来なくても覚えたら出来るようになるし。この考えの俺はお金には困ってません。 

 

 

・誰しも自分が「万全」でない限り少しでも「弱い立場」の人間を軽く扱う傾向がある。マウントもそうだしイジメもそう。男性の場合は特に悲惨なのは女性からすると「弱者男性」はそもそも「居ないようなもの」という完全スルー対象なことだ。つまり構ってももらえないし目線も合わない・・ 

これは女性性が「強く優秀なオス」以外に目が向かないという本能が大きい。どんなに平等主義を信じる気の優しい女性でも見知らぬ弱者男性に関わる可能性はゼロだ。この解決方法は少ないが個人的に唯一あるとすればテストステロンを増やす行動なり治療ではないかと思う。テストステロンは男性ホルモンだが少ないと「気が弱い」「意欲が無い」「挑戦心ゼロ」みたいな「典型的な弱者オス」の特徴になる。これを生活やら栄養やらホルモン補充で底上げすることだ。恋愛雑学界隈(?)でもこの話は定番で、成功すれば急に女性との交流が増すという話(あくまで話)もある。 

 

 

・「自分を弱者だと認めるしんどさ」私はプライドがありませんし、それを認め受け入れてます。 

受け入れ認めると楽です。 

チー牛とは言われた事はありませんが。 

ただプライドは無い癖に自信だけはある、自身で決めた事はやり遂げます。 

 

 

・特に個人主義の盛行、自由恋愛社会においてリアルな実感を伴う言葉としてたちまちのうちに定着したというところでしょう。 

 

弱者であることでかえって便益を享受できることさえある女性とは事情が違い、弱者男性は透明化され平然と切り捨てられ、なんなら理不尽なスケープゴートの役割を負わされる事も日常茶飯事。なにせ強者男性やフェミニストの悪行さえ勝手に弱者男性の罪とされていることが珍しくなく、全く油断できない。 

 

そして本物の弱者男性は、確かに世間からも薄気味悪がられ透明化され、多少の気概を残すものは無敵の人と化し、気力なく親に依存できるものはニートとなり、どちらもないものはセルフネグレクトを繰り返し緩慢に死んでいくか、一気に自裁するかのいずれか。 

 

男性には強くなる以外の選択肢がない。そのままでいい、弱音を吐いていいなどの甘い偽言を真に受けた先には死や絶望しかない。 

 

 

・平成の頃からオタクとかオジサンみたいな属性の人は馬鹿にされがちだったし今に始まった話ではないんだけど、外国人差別も批判される。女性差別は言語道断となってきている中で、弱者男性だけは差別をしても批判されるどころか共感してさえもらえる現状はなんとも闇が深い。 

 

 

・私も双極性障害を患い、カミさんの扶養の範囲で働く、年収130万円の弱者男性だ。別段悲観していない。有り余る時間を読書に費やしている。当に晴耕雨読の生活を山形で営んでいる。 

趣味が昂じて、芝居から、演劇、そして、落語と出会い、それが、キッカケで、派遣社員であったにも拘らず、今のカミさんと結ばれた。 

いわば、勝ち組かもしれないが、肩身の狭さで弱者男性だ。心無い人々は、私を蔑む事に暇がない。 

それでも良しとしている。今、生涯数度目の乱読の季節を充分楽しんでいる、ビール片手に(笑) 

 

 

・色んな人生ありますから、「弱者男性」が産まれるのは仕方ないとして、 

 

その「弱者男性」がその「弱者」たるを用いて「強者」を叩こうとした時、 

「弱者男性」は「弱者男性」として完成してしまう、と思っています。 

 

わざわざ他者を羨みに行く必要なんか、無いと思うんですけれども。 

 

 

・民主主義である限り、格差はあるのかな。 

わたしの85歳の父の家は大変貧しく高校生までは靴を買えずに、雪の日も裸足だったときいて、どんなにか冷たくつらかっただろうと想像します。 

 

そんな父も社会人時代は高度成長期であり、今老後は年金で悠々自適とまではいきませんが、趣味を楽しんだり生き生きしています。 

 

バブル崩壊後、格差はますます広がっています。 

金銭面の格差だけでなく、精神面で病気になっているのに、働き続け、生きる気力を失い、死んだほうがマシとなっている人もまわりにいますし、わたしもそう思う日もあります。 

 

わたしは、まわりに助けていただき、現在通院しています。 

 

男女に関わらず、病院や行政にまず相談することが大切かと思います。 

 

真面目な人や責任感が強い人にはなかなかできないかもしれませんが。 

 

私の友は誰にも言わず亡くなりました。 

 

胸が締めつけられます。 

 

 

 

・弱者って言葉は苦手だけど、私自身カテゴライズされるとしたら弱者女性だろうな。 

この世を強者弱者と分けたら、生きやすさは強者男性>強者女性>弱者女性>弱者男性の順番な気がする。女性は派遣や専業主婦ですって言っても世間的にはそこまで咎められないイメージ。じゃあ男性はってなると男のくせに?って言われるもんなあ。 

男女差別は強者男性が使ってるって本当それだよね。強者男性の世界がベースなんだよね。 

 

 

・男尊女卑だと日本は世界から叩かれるが、女尊男卑だと叩く人はいない。 

欧州の過度なジェンダー活動家の言う社会は明らかな女尊男卑社会だけどね。 

今でも「ドアは先行して男が開けろ」とか「席は女性に譲るのが当然」など、奴隷かよ!って言いたくなるのが平等だと言い張る。各自でやるのは自由だ、しかし社会全体で義務付けする様な主張は受け入れられないな。 

 

 

・私自身障害者だけど、健常者に劣っているとは思っていません。 

4年前から公務員になれたし、給与もあがって、給料もけっこうもらえてます。 

障害年金ももらってるから、そのへんの健常者よりたぶんいい生活してます。 

共済貯金もしてるし、別に自分を弱者だと思っていない。 

弱者って誰なの?自分を、自分は弱者です。なんて言う人間がいるんだろうか? 

 

 

・男性らしさ、女性らしさはあって良いと思います。そうでない方を揶揄することが問題なのであって、少数のために全てを否定する昨今の風潮は間違いだと思います。 

 

 

・蔑称で他人を蔑んだところで、自分の心のさもしさが 外に明るみになるだけ。 自分の苦しい状況はあれど、 それを自分で こき下ろして けなしてたら本当に辛くなるだけだから目標を探しながらちょっとずつ自分の思うところを目指して登っていくしかない。 

 

 

・弱者男性に一番厳しいのは強者男性という皮肉 

そりゃ強者男性からしたら、子供を抱えて身動きが取れないわけでもないのに自己啓発もせず低収入に喘ぐ弱者男性が理解できないからね 

 

そして厄介なのが、この日本社会の舵取りをしてるのが強者男性で、強者男性が舵取りをしてる以上、弱者男性が救われることはない(存在が理解できないので) 

 

さらに面白いのが、弱者男性は弱者男性でこの社会を舵取りしてる強者男性には怒りをぶつけず、何故か無関係な女性に怒りの矛先を向けてるところ 

 

 

・記事を要約すれば自立出来ない男の事ですよね。一言で言えば、育て方の間違い。親の責任ですよ。 

 

申し訳ないですが自分の息子2名は完璧に自立して親さえ頼りませんよ。 

 

上の息子は高校に進学と同時に家から追放。大笑 

近くのアパートと借りてやり食事は自宅に食べに来るのを許可して洗濯掃除と自己管理は任せました。又、アルバイトを推奨して学用品は自己調達を命じました。大学も学費住居費生活費の全てもアルバイトして賄う様に突き放しました。やり遂げた奴は、もう40歳過ぎ、仕事を含め完璧。 

 

下の息子は知能は低いが人一倍ストイックな性格を診て小2で上海の私立学校に追放。 

中国語、英語の集中学習を命じて他の学科はスルーしても好とした。因みに奴は小学の高学年に成ると自分1人で航空機に登場し日本と上海を往復。勿論、イミグレもカスタマーも自分1人。今は言語の仕上げで関東の外語大学に行ってますが生活を含め自立してます。 

 

 

・チー牛に言おう! 

 

ランニングしろ! 

筋トレしろ!! 

 

それまで見向きもされなかったのが一変しましたよ。 

 

何かしら自信になります。 

 

街コン、アプリ、どれでも楽しめましたよ。 

 

ちな男子校で男兄弟、いとこも全て大人だから、ガチ男世界のものです。 

 

 

・プライドの高い人とは、一般に自己評価の低い人である。だから、他人からの評価によって傷つくのである。逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が「プライドの高い人」と周囲から認識されることになる。” 

(中井久夫 、『世に棲む患者』、筑摩書房、2011年) 

 

自己肯定感が高い人は、「外見が良くない」とか「年収が低い」とか「頭が悪い」とか「コミュ力がない」とか「友人がひとりもいない」とか「恋人がいない」程度のことで自分のことを嫌いにならない。仕事ができなかろうが、ミスをしようが、怒られようが、人に嫌われようが、怠惰な生活をしようが、絶対に自己嫌悪に陥らない。あるいは、自己嫌悪に陥っている自分すら、すべてをひっくるめて認めて愛することができる。 

 

他人や社会のいかなる評価にも動じない無敵の境地。それが本当の自己肯定感である。プライドではなく、自己肯定が、弱者には必要だ。 

 

 

・最近は「弱者男性」をやたらと取り上げますが違和感を感じます。色々な女性とも交流がありますが、男より女性の方が明らかに大変です。女性には生理がある事。男でも性被害を受ける事はありますが、確率的には圧倒的に女性の方が高い事。弱者男性は容姿に優れた女性を羨みますが、普通の生活をしている(望んでいる)方もおり、逆にナンパ・声掛けが多くて困っている人もいます。(私の知人女性はナンパ等は怪しい人がいるから全て無視しているとの事でした)男の場合は自らの努力で改善出来る要素が大抵はあり、自らの努力をせず、人生を悲観している・世の中に救いを求めるのは違和感があります。車社会の地方在住で、派遣社員とも一緒に仕事をする機会がありますが、正社員なら運転免許を持っているのが当たり前なのに、中には運転免許すら保有していない人がいるのには驚かされます。弱者男性と嘆く方はまずは自ら改善できる要素が無いか検討すべきです。 

 

 

 

・日本人は多分、愛情が浅い人種だと思う。 

暗い顔で俯いてる人を見かけて、 

「大丈夫?どうしたの?」と思ったり、声をかけたりする人は少ない。 

ただ「きも」「暗い」「やばい」と思う人が多いのではないでしょうか。 

今の時代余裕がないからとかではなく、性質として昔からそうだった。 

苦しくても、笑っていないと幸せはやって来ない。 

笑う門には福来たるとか、 

どんなに辛くても、明るく笑って、そして元気を装って、バナナの叩き売りのようにしていないと人は寄ってこない。 

どんなに苦しくても、嘘の笑顔、偽りの明るさ、元気さを周りに振る舞わないといけないなんて悲しい。 

それに、昔よく思っていたことだけど 

どうして分かってくれないんだろう?なんで伝わらないんだろう?自分の気持ちを理解してもらえたら…。でも、ある時気づいた。 

皆んな分かってたし、伝わってたし、理解していた。そのうえで分からないふりをしていたことに。 

 

 

・昔はオタクは馬鹿にされる対象だったけど、今は普通で逆に鬼滅とか何が面白いんだ?と書いただけで一般からも総攻撃をくらう。毎日のように美人がコスプレしてる記事が上がる。 

 

チー牛ってよくわからんけど、オタクがオタクに対して同族嫌悪してるだけな気がしたが、こういう偏見は廃れたと思っていたがまだあるんだな。 

 

こんなイメージ持たれてチーズ牛丼避ける客いたら、牛丼屋迷惑だろ。 

 

 

・勝手な思い込みや個人的な主観を取り上げてこのように記事にしてしまうこと自体が愚の骨頂といえます。全てではないですが、日本人が他者の目を気にしがちになってしまう礎をわざわざ生み出しているマスコミの方々の責任は重いのではないでしょうか。 

 

 

・「勝ち組、負け組」と差別する時代もあり、いつの時代も変わらんね。何と呼ばれようと構わないのでは。暇な人間の考えるものにろくなものありませんよ。大体出てくるのは、愚痴か、泣き言か、侮蔑、差別など。最後にはため息。暇を作らず、夜遅くになればさっさと寝るが得策です。 

 

 

・差別をしたい側は、自分も何かに不満を持っているから自分より下にいる人間がいるように思いたいのでは。 

それにより、自分はまだマシだと思いたい。 

そう思うと差別する人間は哀れですね。 

 

 

・気後れと気配りを始めた頃から少年は少しずつ女の奴隷になる 

そう歌ったのはSONIAの天地無用!だったか。 

ぶっちゃけ、男性の自殺数が女性より遥かに多い事からも日本は男性が生きにくい社会であるように思う。 

 

 

・そもそも勝ち組負け組ってなんなのか 

強者弱者ってなんなのか 

人間はまず等しいのではないのか 

何をもってして弱者だのと認めなければならないのか 

世間の価値観が何時も正しいとは限らない 

 

 

・「チー牛」は良く知らないが、「弱者男性」のほうはいわゆる「非モテ」を自称する男性たちが、自分で名乗り始めた言葉です。 

そしてそういう男性たちって、男性社会内での自分の位置は異様に気にするけれど、不思議なことに、女性から実際にどう見えているのか等の視点が全く欠如していたりします。 

 

 

・何と言われようが構わん。 

 

陰キャは罪か? ぼっちは罪か? 貧乏は罪か? 

それは完全に心の醜い人間が言う事だ。 

 

別にボロは着てても心は錦なんて、そんなきれい事は言わないが、しかし陽キャで友達いっぱいで、金持ってる人間ばかりが素晴らしいなんて断言など出来ん。 

 

人間って満たされると絶対慢心するからね。 

結果それで人を見下しマウントを取るような、心の醜い人間と化す事だってありますから。 

 

陰キャでぼっちで貧乏なくだらない人間だよ私は。 

心だって冷酷で決して美しくもない。 

 

しかし自らに自惚れ他人を見下す程、そこまでろくでなしには成り下がっちゃいない。 

自分がされて嫌な事は他人にもしませんから。 

 

底辺だろうと何と言われようが構わんが、そこだけは胸を張って断言するよ。 

 

 

・「弱者男性」や「チー牛」って、オタクたちの自虐ネタで広がった用語。 

それをメディアが悪い意味で真剣にとらえて、真面目に議論するのはどうかと思うよ。 

 

 

 

・マウント取るのでなく、本当の弱者はオジサンですね。周りからは常に「稼いで当たり前」という無言のプレッシャーを受け、一生懸命働いたら社畜と呼ばれ、オジサンというだけで昭和だの臭いだのキモいと言われる。若い女性からは騙して金を引いてもよい存在で、騙される方がバカ扱いされます。 

辛いことや困ったことがあっても相談できる相手など皆無だし、そもそも相談すること自体が恥ずかしいことだからできません。 

体調が悪くても休むことなく病気も放置です。 

そりゃ死にたくなりますよ。 

 

 

・ズレてるかもしれないが、チーズ牛丼云々の差別表現がそもそもピンとこないのでこの手の議論に乗れない。「チー牛」というフレーズがあたかもクリティカルな罵倒であるかのように扱われている現状にただただ困惑。 

 

 

・この世に勝ちも負けも無い。 

 

自分が勝ってると思えば勝ち組。 

 

それても負けたく無いなら勝てる様に努力すべき。 

そもそも日本に産まれた人は皆んな貴族やで。 

これだけのインフラが整備されて何不自由の無い生活。 

何に不満があるのかね 

 

 

・女性も弱者いますよ。風俗業界がセーフティネットになっていて表面化しないだけ。 

男性と違うのは、能力なくても病んでても、結婚して養ってもらったり、性産業で稼げるから、とりあえず餓死することはないかもしれない。 

 

 

・チー牛とか子供部屋おじさんとか 

弱者男性を揶揄する言葉は多いのに同じような境遇の女性を指す言葉って少ないよね… 

 

あと牛丼チェーンにとってチー牛って言葉は、営業妨害にならんのかな 

 

 

・男性を見下す女性が使う差別用語 

 

そういえば寿司屋で騒いだあの港区のラウンジ嬢も批判者に向かって『チー牛』って使って煽りまくって炎上してたのを思い出した 

 

 

・問題提起しているつもりなのかもしれませんが、結果的にはまるで差別用語のような言葉広めているのはこんな記事なのではないでしょうか? 

 

 

・ラーメン屋の前で1人でスマホ弄りながら順番待ちしてる人よりは、待たずにさっさと入れて食える牛丼屋に入る人の方がましだと思うわ 

 

 

・競走馬も同じ。 

繁殖牝馬になれる割合と種牡馬になれる割合、後者のほうが圧倒的に低い。 

結果の出なかった牡馬の種は需要がない。 

 

 

・記事を読んだ今も、 

チー牛って言葉が流行った時も疑問なんだが 

チー牛だから何って気がするんだが 

好きなもん食ってる連中に 

つまらんレッテル貼ったところで何が面白いのかも、傷つくのかも分からん 

 

 

 

・チーズも牛肉もタンパク質豊富だからむしろマッチョになりたいなら食った方がいい。 

たまご追加でなおよし。 

 

 

・女性で弱そうな男性のことをチー牛なんて言っている人や書いてる人を今まで見たことありません。書いている人は、ほとんど若い男性が自虐で自分のことや周りの人を言っている感じですけど。 

 

 

・自分も低スペック男性なんだけど、何故かたぬかなの言う収容所云々は理解出来た。所謂一つの弱男が全て居なくなっても世の中の大勢は変わらない。 

 

 

・チー牛何て言葉5年位前にネットで見た位で自分の口から言葉にしてる人見た事無いですがわざわざ記事にしなければそういう界隈の人達の中で完結して終わりでわ相手しなければいいのに 

 

 

・そもそもチー牛なんて言葉作ったのは女性ではないのでは 

牛丼屋で根暗やお宅が何食べてそうかなんて女性はわからないと思うけど 

 

 

・差別反対だ何だって言われる事が多くなった時代でもこれですわ。 

人間は他人を見下すことはやめられない。 

 

 

・すき家で「三色チーズ牛丼特盛、温玉付き」をなんの躊躇もなく注文できる男は、弱者男性ではない。むしろ強者だろ 

 

 

・自責を煽る記事、ネット記事を読みながら更に鬱屈する!ビックリマインドコントロール? 

 

〜⁠(⁠꒪⁠꒳⁠꒪⁠)⁠〜ふぅ~またくだらない事をと思うか?そうだよね~と更に落ち込むかの違い? 

 

 

・チーズ牛丼好きだったけど、 

チー牛って言葉できてから頼んだことない 

チーズ牛丼と弱者って関係ないのに酷いレッテル張りだよ 

 

 

・弱者を認めるのはしんどくない 

弱者として自ら蔑むのはしんどい 

弱者として堂々と生きれば少し楽 

 

見栄を張らずに力を抜いてどうぞ 

 

 

 

・安楽死と確実に苦しまずに死ねる方法がきちんと出来る様になってくれれば淘汰されてこんな話題はなくなっていくよ。 

 

 

・「チー牛」なんて言葉使ったことも使う気もない 

チーズ牛丼を食ってそうな奴というのがどんな奴か自分には想像できないからな 

 

 

・チー牛と弱男って全然違う概念というか、ニュアンスが違うというか、並べて語るようなものではないのでは。 

 

 

・弱者の男はもっと団結して社会を変えるべく動くべき。インフラを支えているのにないがしろにされている 

 

 

・天を仰げば遙か遠くまで空は続き、海を覗けば深海は光が届かない程深い。 

 

 

マウント合戦って、無意味だぜw 

 

 

・弱者を名乗るだけで援助を受けられる者と弱者を自認しても強者であることを強いられる者になっている。 

 

 

・20年前都内歯科医院に10年勤めましたが 

生活保護の患者さんは9割以上が男性でしたよ 

 

 

・とろーり3種のチーズ牛丼ってまだ食べたことがないが、美味しいのかな? しつこさは無いの? 

 

 

・趣味に没頭している人は、傍目にどう映ろうとも不幸ではないと思います。 

 

 

・チーズ牛丼がなぜ弱者への差別になるのか分からない 

チーズ牛丼って美味しいの? 

 

 

 

 
 

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