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「なんで私たちがお嫁になれないんだ」子どもに泣かれた施設元職員の苦悩「人生が終わりです」不妊手術を強制された女性の絶望 “旧優生保護法”巡り最高裁で審理開始

tbc東北放送 5/29(水) 6:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/50b9aa0df9e87ac93175b8cd555c1169e80f785f

 

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東北放送は、旧優生保護法下で不妊手術を強制された人たちが起こした全国5つの裁判について、最高裁が統一判断を示すための審理を今月29日から始めると報じた。

70代の女性原告は、不妊手術を受けさせられた経験について苦しんでいることを語った。

1948年から1996年まで施行された旧優生保護法は、障害のある子どもを「不良な子孫」と規定し、不妊手術を強制していた。

最高裁の判断が注目されている。

(要約)

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東北放送 

 

旧優生保護法のもと不妊手術を強制された人たちが起こした全国5つの裁判について、最高裁は統一判断を示すための審理を29日から始めます。裁判の最大の山場を前に、不妊手術を受けさせられ長年苦しんできた宮城県内に住む70代の原告の女性は、いま何を思うのか、取材しました。 

 

【写真を見る】「なんで私たちがお嫁になれないんだ」子どもに泣かれた施設元職員の苦悩「人生が終わりです」不妊手術を強制された女性の絶望 “旧優生保護法”巡り最高裁で審理開始 

 

■「子どもを産み育てる」生き方を奪われた女性 

 

およそ60年前に撮影された1枚の写真。徒競走の先頭を走っているのは飯塚淳子さん(仮名)です。このとき、中学3年生でした。 

 

飯塚淳子さん(仮名): 

「中学生らしいなという感じ。まだ子ども。(写真が)よく残ってたね、これしかないもんね」 

 

飯塚さんはこの翌年、「旧優生保護法」に基づく不妊手術を強制されました。16歳にして、「子どもを産み育てる」という生き方を奪われたのです。 

 

今は70代となりました。 

 

飯塚淳子さん(仮名): 

「普通に結婚して、子どもがいて、孫がいて、幸せな家庭。友だちのところに行くと、いつもうらやましいと思う。もう本当に旧優生保護法のことだけで、人生が終わりです。とても残念です」 

 

■「旧優生保護法」で残った“深い傷” 

 

1948年から1996年まで施行されていた「旧優生保護法」。障害のある子どもを「不良な子孫」と規定し、「社会全体のため出生を防止すること」を目的としていた、今では誤った考え方の法律です。 

 

この法律は、障害のある人などに対し、本人の同意なしに不妊手術を行うことを認めていました。 

 

飯塚淳子さん(仮名): 

「傷は今もあります(Q 深い傷か?)結構大きく。いくらか縮んではいるんでしょうけど」 

 

写真が撮影された当時、飯塚さんは石巻市の親元を離れ、仙台市内にあった知的障害者施設「小松島学園」で生活していました。 

 

■施設の元職員の苦悩 

 

当時の飯塚さんを知る、三宅光一さん(87)です。三宅さんは飯塚さんの写真見ながら当時のことを話してくれました。 

 

三宅光一さん: 

「そうそう、この子。きかねがったんだ~(気が強かった)、これ」 

 

 

男子を担当する生活指導員として施設で働いていました。 

 

三宅光一さん: 

「性格は良かった。私は助けられた、この子に。女の子が言うこと聞かないと、『あいつさっぱり掃除しないから、何とかしてけろ』と言うと『はい』って」 

 

小松島学園に当時在籍していた子どもたちは80人ほど。施設にはたびたび役所の職員が訪れ、子どもたちに不妊手術を受けさせるよう頼んできたと言います。 

 

三宅光一さん: 

「役所の人がしょっちゅう来る。『なんとか子どもを納得させろ』とか。私は子どもには言えなかったね。かわいそうで。泣きながら、『なんで私たちがお嫁になれないんだ』と言われるとどうもね。言えないんですよ、かわいそうで」 

 

■飯塚さんと施設のあった場所へ 

 

施設があった場所はいま、グラウンドになっています。飯塚さんに案内してもらいました。 

 

飯塚淳子さん(仮名): 

「建物が女子棟がこっちにあって、男子棟がこっちで向かい合わせになっていた」 

 

飯塚さんが施設で過ごしたのは、中学3年生の1年間。不妊手術を強制されたのは卒業後のことでした。 

 

飯塚淳子さん(仮名): 

「人生はもう帰ってこないので、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。こういうことさえなければ不幸にはならなかったと思う」 

 

■裁判で争った結果… 

 

1996年に旧優生保護法が改正されてから、20年以上にわたって被害を訴えてきた飯塚さん。2018年、国に損害賠償を求める訴訟を起こし、同じく県内在住の佐藤由美さん(仮名)とともに争いました。 

 

しかし、1審の仙台地裁、2審の仙台高裁は共に、旧優生保護法自体は違憲としたものの、飯塚さんら原告の請求を棄却。その理由は…。 

 

新里宏二弁護士(2023年6月1日): 

「20年の前に権利行使が出来たでしょという言い方になっている。被害に向き合わない、実態にそぐわない事実認定による判決で、非常に怒りを持って迎えている」 

 

飯塚さんらを阻んだのは、「除斥期間」。「賠償請求ができる期限」のことで、民法で「20年間」と定められています。地裁と高裁は、「手術から20年以上経っているため賠償請求はできない」と判断したのです。 

 

 

飯塚淳子さん(仮名)(2023年6月1日): 

「良い判決であってほしいと願っていましたが、残念でなりません」 

 

■全国に広がった訴訟、最高裁の判断は… 

 

しかし、飯塚さんらの提訴をきっかけに優生保護法を巡る訴訟は全国に拡大しました。上告にまで至った全国5つの訴訟を対象に、最高裁は29日、当事者に意見を聞く機会を設け、統一判断を示すための審理を始めます。 

 

飯塚淳子さん(仮名): 

「国がやった問題なので、とにかく今回が最後なので、きちんと責任を取ってもらいたい。謝罪もしてもらいたいし。二度と手術が起きないようにしてもらいたい」 

 

法律に人生を狂わされた原告らの叫びに、司法はどのような判断を下すのか。最高裁は今年の夏にも統一判断を示す見通しです。 

 

最高裁の審理の対象となる5つの訴訟のうち、高裁で敗訴しているのは飯塚さんらのみです。飯塚さんは全国で最も早く被害を訴えてきただけに、裁判の担当弁護士は、「飯塚さんだけが救われない判決は最も避けたいところ」と話しています。 

 

古い法律とはいえ、考え方の根底に「差別」があったのは確かです。司法の判断に注目です。 

 

東北放送 

 

 

( 175479 )  2024/05/29 18:14:45  
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(まとめ) 

これらのコメントからは、障害を持つ方が子供を産むことや育てることに対する懸念や難しさ、倫理的な視点、現実の負担、そして一連の施策や制度、法律に対する意見が示されています。

過去の優生保護法や現代の子育ての課題、障害者や子供の人権、社会的支援の必要性などについて考えさせられるコメントが寄せられています。

総じて、子供を持つ権利と子供を育てる責任、介護、社会的支援などについて熟慮が求められる複雑な問題意識が表れています。

( 175481 )  2024/05/29 18:14:45  
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・なぜこんな裁判になったのかな。 

この方と同じ位の年齢で知的障害の方のお世話をさせて頂いています。 

何回も結婚していますがお子さんはいません。 

どうやら避妊手術をしたみたいなのですが本人はきがついていません。 

毎日のように、子供が欲しかったという話をしています。 

子供がいたらいまみたいに施設にいなかった。子供に世話してもらっていたと言います。 

その方は、一見普通なのですが簡単な計算も出来ないのでお子さんはヤングケアラー決定だと思います。 

誰でも子供を育てる権利があるとは私はおもわないです。 

 

 

・猫のマンチカンは遺伝子の変異で手足が短い。この疾患があると腰や手足が痛くなったり病気がちになる個体もいる。犬だと短頭のフレンチブルドッグ。これらのペットは見た目の可愛さなどで繁殖されているが、固有の疾病が多く苦痛が多いので人間のエゴで繁殖するのはやめようという動きがあります。 

人間だと産む権利だけにフォーカスされているが、子供を一人前に育てるだけでも大変。それに子供に遺伝するかもしれない。 

綺麗事ばかりで、ペットの方が生まれる子孫に配慮されてきている。 

 

 

・旧優生保護法があった時代は、現代ほど医療、福祉が充実していなかった。 

そんな中で障碍者が子供を産めばどうなるかは火を見るよりも明らか。 

育てられず死なせるか、育ったとして親の面倒を看る一生となるだろう。 

 

産む権利がどうとか言う人は、子供の人権を無視している。 

 

時代背景を無視して違憲だ人権侵害だと裁判を起こすのはいかがかと思う。 

 

 

・たびたび問題だと言われているが、自分は問題ないと思っている。 

 

現実問題、障害のある人は自分の子ができたら、育てられますか?って点。 

祖父母にあたる人達に育ててもらう予定? 

それとも施設やデイサービスの職員に育ててもらう予定? 

子供を最初から児童養護施設に入れる予定? 

 

ここ数年でも施設入所の人が、子供を産みたい。ってニュースになっていました。 

産むなら、施設から出てくださいって。 

施設から出すなって抗議もあったようですが、職員が育てろって事?!と驚いた覚えがあります。 

 

祖父母が育ててくれたとして、 

子供が少し大きくなると、祖父母はそろそろ無理がきます。 

ヤングケアラーの誕生です。 

 

 

・やり方は確かに乱暴だったし、それによって傷つき、人生をめちゃくちゃにされたと思う人がいるのは事実。 

ただ、子育ては楽しく、幸せいっぱいの事と夢を見ているようだが、そうではない。 

親の立場から見れば、障がいがなくても精神的にも体力的にもしんどく、外部の助け(公的・友人・親等)は不可欠。 

子の立場から見たら、親からの適切な声かけ・支援を受けられず、二次障害の様に学習や生活に障害をきたす場合も多々ある。 

ヤングケアラーという「親のための働き手」として育つ子すらいる。 

 

健常者で子どもが好きでも、育てられるか考えて、収入・働き方・環境などで産めない人だっている。 

子を産むか「考える権利」を奪われたと嘆くのはわかる。 

しかし、子どもは産んで終わりではない。 

今の「倫理観」としては許されないが、子どもの権利や保護の観点はどうか? 

一部の「私はできた!幸せだ!」はさておき一般論として考えてしまう…。 

 

 

・障害の程度によるかもしれないけれど、周りのことを考えたら仕方ないと思う。 

知り合いの精神病で入退院繰り返してる方が若い頃に結婚・出産しました。 

とてもまともに子供は育てられませんし、案の定子供も引き篭もりに。 

介入出来る親が元気なうちは良いけれど、この後どうなるのか。 

結婚はしてもいいけど、出産はやはりしないほうが無難と思ってしまう。 

厳しい言い方になるけれど子供は親を選べないなんて話以前に身の程を知る必要がある。 

 

 

・現代でも障がい者の妊娠、出産について議論されるけど、 

たとえば妊娠前にきちんと仕事についていて「500万は貯金しました」とかならまわりも応援できると思うけど、 

お金もなく、介助が必要なひとの「出産したい」はその後の展望が見えなすぎて賛成出来ない。 

 

まずはお金の心配がなくなるようにしなければ、子育てはできないよ… 

 

 

・子どもを産み育てる権利と言うが、産むのは確かに権利として万人に等しく与えられたものかもしれませんが、育てるというのは、これは権利ではなく義務でしょう。何事も、権利を主張するのであれば、義務を果たさなくてはならないし、義務を果たさずに、権利だけ行使されても困るというのが、当時の判断だったんだろうと思います。育てられないのに、子どもだけ産まれて、子どもが不幸になるのを見過ごしてはおけないという、国としても苦渋の選択であったように思います。 

 

 

・ALSに似た全身が動かなくなる遺伝性の難病を発症した知人が居ます。 

子どももいるが、遺伝性である事を知ったのは子どもが出来てからで、遺伝確率は50% 

 

知っていたら絶対に子どもは作らなかったと言っていました。 

今は子どもに異変が無い事を祈りながら生きておられます。 

 

介護や介助の必要な出産・育児は産まれてくる本人の為にも自由であってはならないと思います。 

 

 

・私は発達障害の母に育てられました。 

どうにか大きくなってもう40代。 

ですが、苦労した事が多々あります。 

歯を磨いて貰えない(現在欠損の歯は5本)、皮膚の薬を塗って貰えない(重度のアトピー)、常識を教えてもらえないので、おかしな子と思われる。大きくなってからもしばらくは常識というものが分からない。 

学校の事でも分からない事があまりにも多く、子供が困り事を抱える。 

発達障害でもこのように苦労します。 

それより重い知的障害だった場合はもっとだと思います。 

いろんな苦労がありましたし、今も親の事で苦労しています。 

嫌がらせで作った法律では無いと思います。 

意味があった事も沢山あったのではないでしょうか。 

 

 

 

・自分自身子どもに恵まれて、育てる中で幸せを感じることは多いです。でも、育児ってすごく大変。自分以外の命を守るって、本当に並大抵のことじゃないと思う。そして、これから先幸せとも限らない。「子どもがいなかったから、不幸。」こういう極端な偏りがあるからこそ、旧優生保護法という法律があったんだと思います。自分自身の事しか考えられない。子どもがもし健常にうまれたら?小学生で親の知能を超えたら、子どもとしてはどう思うのでしょう。 

 

 

・保育関係だが育てられない人は子を産まないで欲しい。離婚して大変だと思うけど行事も来ないし忘れ物ばかり、ご飯も満足に食べさせてない親もいる。子を第一に考えられない親にも子が不安定で腹がたちます。 

サポートする祖父母や親戚がいればまだ良いが 自分の事も管理出来ない人が子を産んでも子が不幸だ。現実を知らないで命がどうだ、人権がどうだとか偉そうに発言する人。 

ボランティアで手伝って実際見てほしい。 

 

 

・私はこれは適法だと思います。 

自分の子を産み育てるということは本当にかけがえのない経験を自分にくれていると思います。 

ただ、絶対に間違えてはいけないのは子供は自分とは別人格者です。成人したらその子が1人で生きていけるように育てあげるのが子供を持つ人の目標にすべきことだと思います。 

自分の子だけど、自分とは違う人格がある人間。と思えない人は子育てすべきでないと思います。 

自分よりも子供の幸せを一番に優先に出来る人でないと子供を持ってはいけないと思います。 

 

 

・権利だけを主張されてもね…。 

産まれてきた子供を育てる、という責任は果たせるのだろうか。 

私はお陰様で健常に産まれましたが、成人になってから夫婦共々、遺伝の確率が高い病気になってしまったので敢えて子供を持たない選択をしました。 

結婚出来ないから、子供がいないから不幸、という考えもいかがなものかと思う。 

 

 

・平成前期に作成された 

不妊手術当事者の手記を読んだことがある。 

看護婦の「良く面会に来る、娘を愛する親ほど、 

娘が生理の度に、性器に触れられることを 

嫌がり、親が不妊手術に同意した」 

当事者女性の「生理が無くなる手術、 

と聞いたのに、赤ちゃんが産めなくなる手術 

だとは思わなかった」等とあり、衝撃でした。 

生理のケア、重度の障害者同士の妊娠、 

産まれた子供の権利や幸福など、 

不妊手術をさせられた方々だけの問題では 

おさまりません。取材に応じている一部の方は、 

受け答えや、成人後の社会生活等からみると 

今日では「障害者」に区分され無さそうな方もいますが、 

(この方は誠にお気の毒だと思います) 

そうでない方々の綺麗事ではない問題も 

確かに存在している(いた)のではないでしょうか。 

 

 

・今だからこそ問題になる話だなと思った。だが保育関連勤務だからこそ思うのは、ある意味この話は『昔は良かった』と言える部分がある。 

昨今、障害者の女性は性被害の被害者になりやすく、障害者の男性は性被害の加害者になりやすい。この二つを同時に防ぐには、1番手っ取り早い。 

健常者の保護者でさえ保育者から見ても「おい(ꐦ ^-^)」と思う人間は多く存在する中で、その健常者よりも確実に何かしら欠けている物があると社会的に判断されている障害者が、健常に子を養育するのは至難であるのは火を見るより明らか。 

 

当人達からしたら憤慨する話なんだろうが、周囲の人間からすると「そうだねひどいね」と簡単に同調できない。 

せめて知能指数測定などで判断できれば良かったかもしれないが、そんなまどろっこしい事はやってられないだろう。 

 

 

・この法律が問題になったのは優生思想的な側面が強烈だったことだけではありません。当時遺伝病と思われていたハンセン病患者にも強制不妊手術をしたことです。 

ハンセン病は遺伝性ではありません。 

結果として本来なら健康な子どもを持てたはずの方まで断種という深刻な人権侵害に遭われました。 

医学・科学がまだ発展途上にある以上、法律で一律に不妊手術を施すとこのような過ちはいくらでも起こり得ます。 

また障害者だからといって、その障害や病気が子どもに遺伝するかどうか、子どもを育てられるかどうかは法律で一律に決められることではありません。本人やパートナーを中心に、家族が相談しあって決めるべきことです。 

だからこそこの法律は廃止になったのです。 

 

 

・YouTubeで自分の世話も出来ない重度の身体障害の女性が、 

自分の世話をして、守ってもらうために息子を産んだとインタビューに答えていた。 

隣に居た息子の目は、光が消えてしんでいた。 

終始表情も暗く、「いつか幸せだと思う日が来たらいいな・・・。」と小さな声で答えていた。 

「え?今幸せじゃないの?」と一人だけ笑顔の母親に聞かれていたが、無言だった。 

2人の表情の差が恐ろしかった。 

 

障害があっても親になる権利はあると思いますが、 

それ以上に子どもは幸せに生きる権利と、自由に生きる権利があります。 

 

 

・福祉は慢性的な人手不足が申告な事はどう思うのだろうか。産んだけどサポートする人間がいないと成り立たないのでしょ? 

また親の立場からですが障害がある娘 息子を育てるのは並大抵な苦労ではないはず。 

なのに更に孫がもしまた障害があったら? 

親はまた今度は障害がある孫を面倒みる事を考えると 親だって人間だし幸せに生きる権利はある。 何処かで連鎖を止めないと。 

喜んでサポートする人間の方が明らかに少ないのだと思う。 

 

 

・今の時代は子供がいなくても、なんなら独身でも普通に生きていけるし1人で楽しめる娯楽も溢れてるけど、当時は「結婚して子供を産み育てることが女の幸せ」という価値観が当たり前の時代だっただだろうから「強制的に不妊にさせられた」という現実がどれだけ辛く悲しいものだったのか… 

「頑張って妊活したけど結果的にできなかった」とはわけが違うもんね 

 

だからと言って、子供を育てられる状況ではない人が安易に出産することもどうかと思うし、難しい問題だと思う 

 

 

 

・優生保護法の本質は、子孫を残させない事では無く、何も無い時代に、産まれた子を育てられずに殺すことを防止したかったんだろうね。 

 

今では違法、当時は適法。 

それが現実だろうね。 

 

あとは、戦後間もなく、何も無かった当時と比べれば余裕のある現在、彼らの為に多少の金銭を与えるかぐらいが争点かと。 

 

 

・病院の当直業務で、臨月まで妊娠に気付かなかった知的障害の妊婦さんを診たことがあります。パートナーはおらず、患者さんが妊娠に至った経緯も不明です。もしかしたら、強姦やグルーミングの被害にあったのかもしれません。 

旧優性保護法もいろいろ問題はあったかもしれません。しかし、存続していれば、少なくとも彼女とその子供はこのような不幸な目に合わなかったと考えると、複雑な気持ちになります。 

 

 

・仕事上、知的障害のある方と関わることがあるが、その一例でこんな例があった。知的障害のある者同士が夫婦となり子供2人産んだ。(生活保護者)産まれた子供は2人とも重度知的障害。夫婦は産んだものの子供の世話などできず、子供2人は幼い頃から施設で生活する事となる。その2人の子供が成人の歳となり、ある日、施設内で知的のある相手との間に子供をもうけた。産まれた子供は重度知的障害あり。そしてその子供もまた施設へ預けられる。 

これが現実。自分で育てられない者は障害者、健常者問わず産むべきではない。今でも、これからも少ない現役者で高齢者を支えていかなければならず、増税や健康保険料の引き上げが繰り返されている。障害を持って生まれて来ることが分かっているのに産ませるのは現役者の負担が増すだけだ。 

 

 

・当事者としたら大変つらいことでしょうが、親御さんを、そして当時の法律・制度を無碍に責めることは私にはできない。 

この方と同じくらいの歳のてんかんの女性の苦悩を聞いたことがあるからだ。 

本人「親より先に死にたい」、母親も「この子が死んだ次の日に死にたい」と言っていた。 

母親の言葉を別の障碍者のご家族に漏らしたら、その気持ちが痛いほどわかるとおっしゃっていた。お母さまの言葉は、ある障碍者の母親の言葉としてTVで放映されたものだろうとも。 

当時はそういう気持ちになってしまうほど切羽詰まった、苦しい思いを親が持ってしまう状況だったんでしょう。 

 

 

・娘の友達19歳が軽度の知的障害でマッチングアプリで知り合った方との子を最近産みましたが、早産でやはりその赤ちゃんにも障害があります。その子の親も車椅子生活の生活保護です。しかし、その子の親は産みなさいと言ったそうです。で、今はその赤ちゃん育てられないから施設で過ごしてます。酷な言い方だけど、子育てって産んで終わりじゃないし生活力も考える力も乏しい障害者の意見を聞いても、相手がちゃんとしてないと子育ては難しいかと思う。避妊手術的な事があっても仕方ない気もします。産んで育てられないから施設。その子は母親の愛情も知らないで育つ。まして障害あったら、苦労するのは全然関係ない人ですよね 

 

 

・悲しいのは分かるけど、 

妊娠が全てじゃない。 

 

むしろ、子育てしなくていい 

自由に生きられる幸せを感じるほうが 

次に繫がるのでは。 

 

妊娠したら、旦那が喜んでくれて 

お腹なでてくれて 

ゆっくり家で幸せ噛みしめるような 

こと想像していたら、 

 

意外とそっけなくて 

悪阻でも仕事は毎日あって 

休めなくて 

夜は授乳に備えて 

起きるようになり 

寝不足の毎日。 

 

お腹も膀胱も痛くて 

血が薄まるなんて知らなかったし 

初めての貧血。 

 

毎日の晩酌を楽しみに仕事頑張っていたのに、 

旦那は目の前で平気で飲んでくるし。 

 

◯してやる!って何度も思った。笑 

誰の子妊娠してんだ、好き勝手できて待ってるだけでいいなって。 

 

世の中には妊娠して逃げられる人 

心無いことされている人沢山います。 

 

不妊だからといって嘆くことありません。 

 

 

・旧優勢保護法がその時代の法律だったといえども、本質を突き詰めて考えれば「自分で稼いで養育できないなら親にはなれない」ってことで、それで「障害者は社会福祉で養育してもらう側だから親にはなれない」ってなったと思うんだけどな。 

今の時代でも、たぶん未来も「障害者だから、健常者なら」っていうことじゃないと思うんだよ。 

障害者は判断ができないことが多々あり、不妊手術という手段がとられてしまったのだろう。不妊手術が一概に悪いとも言えず望まない妊娠から母体を守る手段の一つだとは思う。 

 

 

・難しい問題だと思います。 

確かに子供を産む自由はあります。 

ありますが生まれて残された子供を育てていくと言う親の義務もあります。 

そう考えれば子供を産むと言うのはその子の生活を保証し教育しなければいけない、となるので単に個人の権利とは言えないと思います。 

自分だけで完結すること、自分のみが関係することならまだしも一人の人間の人生を面倒見ていかなければいけない。それは障害がなくても難しいことだから。 

 

 

・子どもを生む権利。難しいですが、こういった処置も必要な場合もあるのかなと思います。以前、小山内美智子さんのドキュメンタリー番組で「障害者こそ子どもを産むべき。面倒を見てもらえるから」と言う母に対し、息子さんが「自分が生まれてきてよかった思える日がくるといいなと思います」と言っていたのが印象的に残っています。 

権利と責任は相伴うものがあり、責任を放棄して権利だけ主張するのはどうなんだろう。 

私自身も妊婦健診に行った際、知的障害があって体重も自分では測れない、受付の方と会話もできず支援者の方?が同行して診察に来ていた、だいぶ若い妊婦さんを見かけました。おそらく避妊というもの知らなかったんだろうと思います。 

本人が大きいお腹を抱えて明日の方向を見てぽかーんとしている横で支援者の方があたふたとサポートしているのを見ると、産んだあと赤ちゃんはどうなるんだろう?と考えずにはいられませんでした。 

 

 

・正直昔は 

今のように命をつなぐ医療技術も、手厚い介護もなかったと思います。 

 

近所に多いんです。 

そういう方々がどんどん子供や孫を産んでしまい、 

みんな一緒に保護で暮らしているご家族が。 

全員生活保護です。 

なのでまたすぐに子供を産んでしまうのです。 

シングルのままだったり、 

にたような子だくさんの家系の方と結婚して離婚とか。 

 

必要な悪もあったと自分は思います。 

 

 

 

・身内に障害者のいるので… 

 

子供たちと話したことがあります。 

しっかり自立できるのであればいいけどほぼ介助じゃなきゃ子育てできないってレベルならこの法は必要だねと言ってました。 

 

いつも思うけれど日教組の先生からは障害者や外国人にも人権がある!と強く思わせるような授業をやる。 

そうじゃない先生でも気を遣っていたり。 

そうやって子供たちは余計な知識を身につくようになる。 

 

専門的な方は今でも少ないと思うからどうしても子供産みたい!って方は自分の家族に頼んでおけば誰も文句言わないと思います。 

ただ遺伝する確率が高いですけど。 

 

あるヤングケアラーの男性のインタビューを見たんですけど子供の意見を聞かない障害者をもつ親でした。 

男性のお子さんも親と同じ障害者。 

 

男性の人生はどうなの?と悲しくなりました。 

 

 

・どの程度の障害で不妊手術をしたのか詳しくわからないけど強制的は良くなかったですね‥ 

ただ、今とは時代が違うから、もし出産したとしても医療も今みたいに発達してなかっただろうし、ケアをしてくれるような物もなかったと思う。出産すれば元々障害があるなら体にも負担がかかるだろうし、産んで終わりではないですからね‥実際にちゃんと子育てができたのか?って言われたら、やはり子を持たない選択をする方がいい場合も多いと思う。ご自身じゃなく、周りが苦労する。 

 

 

・健常者である国民の多くが、普通に仕事をしていても、出費が嵩むばかりで金銭的に余裕がなく、自分の意思で子供を諦めている現実があります。それは、産まれてきた子どもに不自由な暮らしをさせたくないという思いからだと思います。誰もが望んで障害を持った訳ではないので難しい問題だと思いますが、産んだ後に育てられないなら、産むべきではないと思ってしまいます。ヤングケアラー問題もそうですし、障害のある方の支援は、どこからお金が出てるのかも考えて欲しいです。 

 

 

・こういうことは言うべきではないのだろうけど、正直、今も必要かなと思う部分はある。例えば、妊娠したものの、知的障がいがあってどうしていいかわからず自宅出産して死なせてしまうとか、外見ではわからないけど育てられないタイプは必ずいる。 

少子化だから誰でもいいから生みましょうということではないと思うし、高確率で遺伝する障がいもある。 

 

 

・重度の身体的、知的、発達障害があっても結婚する。妊娠、出産の権利はあるとは思います。自分で身の回りのことができない。着替えも入浴、トイレ等介助ないと無理な夫婦に子供ができたとして、同じように障害ある子。健常者の子供がどちらか。健常者の子供は生まれながら親の介護と介助をする。ヤングケアラーですよ。障害ある子も親もお世話できず、障害者施設や祖父母や親に兄弟姉妹にお願いする。祖父母も親もみんないつまでも生きていません。一人残される障害のある子はどうなるのか?当時は本人に言わず、避妊去勢を強制的にしたことは問題です。犬や猫は飼い主の都合で避妊去勢をしますけど。 

 

 

・知的障害の方は程度によっては子どもが育てられない。それは現実を見れば、その通りだろう。きれいごとは言えない。 

いっぽう、たとえばかつてハンセン病患者は隔離され、同意なく避妊手術を施された。ハンセン病は遺伝はしないのに。この件は誤った情報による後戻りできない避妊手術だった。 

現実的な判断の陰に、恣意的な許されない判断もなされうる、そこは気を付けておきたい。 

 

 

・自分が発達障害があると知ったのは、30代になってから。 

生きづらく、体調崩し心療内科で通っていた所、発達障害と言われた。言われた頃両親が亡くなり、子供の発達障害について知っていたのか?は聞けなかった。知らずに結婚出産しているけど、子供が発達障害あり、今まさに生きづらさを抱え、辛い思いをしながら何とか生きていく為、自信のなさを希望に変えるべく頑張っています。 

日々辛い思いを聞きながらだと、自分の思いばかりで産んで、この子は幸せなのだろうか…と悩みます。どこまでの区別はとても難しいけど、優生保護法が全部悪い訳では無いかなと思う。責任もって育てあげれない状況ならば、産むべきではないと思う。 

 

 

・知り合いの方で知的障害があるご夫婦がいて子どもが欲しいと言っていました。 

理由は老後寂しいし、自分たちの面倒を見てもらいたいからとのこと。お二人とも障害者年金をもらっていて、遺伝もあるから子供に障害があった場合はどうするの?と言ったら手当が増えるからなんとかなると。 

子供の人生があるし、面倒を見てもらうこと前提に生むのかわいそうなのでは?と 遠回しに言いましたが、老後寂しいの一点張りで話が通じませんでした。 

過去のやり方は強引だったとは思いますが、経済的、身体的、精神的に自立できない方の子育ては負の連鎖を生むケースが多く、正直難しいのではないかと思います。 

 

 

・知り合いの娘さんが知的障害がある様で、親が気付いた時には妊娠中期をこえていて相手もはっきりしないなか、産むしかない状況だったそうです。産んだはいいけど、赤ちゃんの世話をまともにせず、祖父母で育てようとしましたがやはり高齢ゆえ体調面で難しく、行政に相談し施設へ預けたそうです。自分の事もままならないのに働き自立し、子どもを育てるなんて無理だと思います。 

 

 

・すごく、難しい問題ですね。 

確かに強制的に不妊するのは自由を阻害すると思いますが、ではその障害者等の方が子供を作ってそれが育てられるかという問題も出てきます。 

もし育てなければ、誰かが育てなければいけないし、国とか自治体が行うのならばまたそれはそれで問題が出てくると思います。 

健常者であっても子供が育てられない方がたくさんいますし.... 

ましてや、障害のある子供が生まれるのならばその負担は健常者の何倍も何もかもかかると思います。 

少子高齢化ですので、子供が増えることは良いことですが、障害者が増えるのはまた違うと思います。 

本当に難しいですねー 

バスの運行中ですが突然立ち上がったり、大声を出すなどの障害者もいますし、時々大変な目に会います。 

健常者と同じように生活はさせてあげたいですが、安全な運行に支障が出そうな時が多々あります。 

 

 

 

・還暦過ぎの看護師です。私が学生の時、優先保護を教わり何も疑問と思いませんでした。教えてくれた先生も尊敬できる方で何年か前に優先保護のことで新聞に掲載されていました。 

当時それが当たり前でそれが正解とされていたことが、時代と共に間違いだったことはたくさんあります。 

その先生も時代の流れで悩まれていると思います。 

やはりどんな時代でもどんな相手でもきちんとその常識は間違ってないか立ち止まる事は大切かもしれません。難しいですが。 

 

 

・権利って言葉は難しいですね。 

自分の権利を守るために他人の権利を侵害するって状況は常に起こり得ますから。 

子供を育てる権利を取り上げられた方にとっては本当につらい事だとは思いますが、もしその権利を守るなら、自分の人生を自由に生きる権利を奪われる子供が生まれるかも、ということで・・・。 

どちらにも正解がないような気がします。 

出生率の低さも、根底はこれと一緒なのかな、と思いました。 

みんな、自分の権利を守りたいですよね。 

 

 

・仕事で関わった方の話ですが。 

ご主人は普通の方でしたが、奥様が知的障害者の方でした。お子さん2人も知的障害者。 

先日ご主人が病気でお亡くなりになりました。 

奥様は福祉担当の方へほぼ毎日「ATMの使い方がわからない」「お父さんがいないからわからない」と電話をかけてこられているようです。 

子を産む権利はあるかもしれませんが、育てる義務も同時に生じます。 

記事にはどのような障害があったのか書いてありませんが、やられた事。したかった事が特化して書いてあるような気がしました。 

子育てはきれいごとではすみません。 

まして、他人の手を借りなければ育てられない人はかなり困難だと思います。 

何でもかんでも主張だけして訴えればいい話ではないと思いますが、みなさんどうなんでしょうか? 

 

 

・施設で働いた時にいた方が、知的障害のある方でした。性被害にあって妊娠に気づかず、気づいた時には出産間近だったそうで、そのまま出産されたそうです。息子さんは施設に顔出しに来てましたが、軽度の知的障害をもっていて、行政の方にいろいろと手助けしてもらって生活しているとの事。 

息子さんにお母さんの現状を話しても、理解するのが難しく、最終的には行政の方にお願いする事が多いです。 

お母さんは旧優生保護法のニュースを見るたびに必ず、私も避妊手術してほしかった、息子の面倒もろくに見れずここまできた、息子が可哀想と言います。 

障害者が産むな、とは思いませんが、絶対的に誰かに頼らなきゃいけないと言う事、産まれてきたお子さんの将来のこと。 

考えなくてはならない事沢山あると思います。 

ひどい法律だ、とは言えないと思っています。 

 

 

・初めから道を閉ざされていると、扉の向こうにはきっと素晴らしい世界があるはず。と夢を持ちたくなる心境は分かります。 

私は結婚し、子供を持ちましたがその事で幸せだと、感じない時期がありました。子育ても夫に添うことも、自分には資格が無いと自分を責めた過去があります。私にとっての妻は内助の功を発揮すること。子育ては、立派に成長させること。と思っていました。私にはとても重荷でした。一人ならどんなに気が楽だったことかと。でも、夫がいて、子供を 

切望する記事の中の女性から見れば罰当たりの考えなのでしょう。 

自分が出来るか出来ないかは別として、やる前からストップ掛けられるのは、納得行かないのだと思いました。 

 

 

・悲しいかな、時代だよね。障害者を隔離することも平然と行われていた。村八分を恐れたのかもね。また、科学も未発達だったよね。今なら、産んでいいのかというとそうでもない。育てられなければ不幸になるのは子供です。周りの支えがないと育てられない環境なら難しいでしょうね。インクルーシブの考え方は否定しません。でも自立を目指すならインクルーシブは弊害になることもあるでしょうね。大昔は障がいのある子は長生きしないと言われていましたが、医学の発達でしっかり長生きできます。親はいつまでもいないのです。だからこそできる限り自立できるようにし立てることが大切でしょう。こんなこと言うと責められそうですが。 

 

 

・以前テレビで見ましたが 

障害者の2人が結婚し子供を産み、2人目が欲しいと言っていて障害者の母親、産まれた子供からすれば祖母は産まないで欲しいと懇願していました。結局はヘルパーさんやその祖母が子供の世話をしているので。。子作りも介助されていたそうです。 

子供が欲しい気持ちはわかりますがその祖母にも人生がある訳で疲れましたとインタビューで話していました。 自分で育てられないにも程度にもよると思いますがその方は周りが辛そうでした。 

 

 

・鬱になって、カウンセリングでADHDとわかったのが26〜7歳ぐらいの頃。今は36歳。 

ADHDが遺伝の可能性もあると知り、自分の体で子どもを作り産んで育てることは絶対やらないと決めました。 

私自身がADHDと知らずにとても苦労し、いじめられた事を子どもに体験させたくありません。 

 

ただそれ以外は普通の女性の体なので、お付き合いしてる男性がいるときなどは本能的に「赤ちゃんほしいな」と思うこともあります。 

生理も重いのでピルを飲んでいますが、比較的避妊効果のあるものを処方してもらっています。 

 

 

・知識や道徳の他にも、時代的な背景が大きいですよね。女性は結婚して子供を産み育てることが生きる目的であり幸せなのだと。そういう人生の目標を掲げていた時代。それを強制的に奪われた。何らかの保証がされ、謝罪を受け、世の中にこのような事実があったのだと認定されたとしても気持ちが晴れることはないだろう。誰か指針となる人に出会えたり、自らが人生の軸を変え、好きなことに囲まれ、自分の幸せを掴み取らない限りはずっと同じ。新しい時代の幸福の基準は人それぞれになった。この意識から抜け出せなかった時代に取り残されたこの女性らにとっては現代の方がより残酷な現実になるかもしれない。 

 

 

・行為能力が充分ではない人が子供を産み育てることによって本人と社会が被る不利益を考えて出来た法律だったと思う。逆に今は個人の権利を守る方へシフトした代わりに自己責任を前提としている。「親の言うとおりにしていればいいんだ!」と聞くと乱暴に感じるが、決して無責任ではないからこそ出る言葉の様に、この法律も本人や周りを苦労させない為に出来た親心的な意味があったのではないか。 

 

 

 

・難しい問題だなと思います。 

昔の法律は当時の考えではそれが正しく合法だったが、社会が変わる中で廃止や修正された法律はたくさんある。でも過去のことはどんなに理不尽でも当時の法に合わせて考えるのが原則であり、今回のも結果的に問題はなかったと言う結論になる可能性が高い。 

殺人事件の時効は今の法律だと無効だが、改正時に既に時効を迎えているものはもう問うことができないのと似たようなものだと思う 

 

 

・子供を作って産んで、で終わりじゃない。 

その後が長い。子を育て社会に通用する様に育て上げなければいけない。親がその義務を負うので、知的障害や重度の発達障害がある親ならばどうなるのだろうか?犬や猫と訳が違う。今譲渡会などで犬や猫をお迎えするにもいろいろな条件があるというのに。発達障害も遺伝があるという。もし生まれた子に障がいがあったらまたどうするんだろう。産んでうみっぱなしであとは自分のお世話もこのお世話も国や支援に任せようとするのだろうか?厳しい様だけどそれはあまりにも都合良くないかな? 

 

 

・今では間違った考え方かもしれませんが、旧優生保護法が出来た時代は仕方がなかったのではないかと思います。 

実際、障害を持つ人間が子供を産んだとして、きちんと大人になるまで育てられる人がどれくらい居たというのでしょうか。 

恐らく今で言う所のヤングケアラーになってしまうというのが関の山だと思いますよ。 

 

結局は子供が年を取って親が死ぬまで面倒を見させられるか、親子共々社会保障に頼る事になるのでしょうけど、戦後の誰もが貧しい時代にそれは難しかったのだろうと推察されます。 

 

 

・私は障害があって子供を産んでもいいけど健康に育てるのは難しいと思う。どんな障害でも、働いて納税しての後に子育てはくるものなのに主張してる人は自分自身を国に面倒見てもらってる。 

私は双極性障害があって両親も祖母も精神疾患で入退院を繰り返してました。私はほかに心筋症もあるので結婚してフルで働いてるけど子供はいません。 

正直、双極性障害は生きてて波があるので自殺願望すごくくるし、なんで祖母は父を産んで父も精神疾患なくせに子供もったんだろう。と呪ってます。父の勝手にくる精神の波風に子供時代は生きてる気がしませんでした。 

健康なら子供を産み育てる。これが基本です。 

 

 

・子供は物じゃない。子供を産んだなら手をかけて世話をして育てる義務がある。無償の愛を注いで、自分の欲望、時間は犠牲にして尽くさないといけない場面がたくさんある。自分自身で自活すらできない人が子供の世話ができるのでしょうか。それができない人に子供を育てる権利はないと思う。生まれながらにしてヤングケアラーの子が生まれて、その子は本当に幸せなのでしょうか。 

 

 

・冷たい言い方すると、自分が子供を産んで育てられるかのどうかの判断すら出来ない知能であれば周囲が強制避妊するのも致し方なかったのでは、と思います。 

出産は可能でしょうが、産んだ後に子育てがありますから。 

その辺の現実的理解が出来ない方達を納得させるのは無理でしょう。 

人情として可哀想という感情は生まれるでしょうが、おそらく犬や猫の適切な飼育ですら難しいレベルだったのではと思います。 

 

 

・産んだ子供はすぐに大人になるわけではない。成人させ親から離れ、社会に出て自立、納税義務を果たせる子を育てることが出来るのか、むしろそのつもりあっての出産子育て希望なのか、正直両親健常であっても全てが容易なわけではない。ヤングケアラー必至な可能性の方が高いなら、子どもは可哀想だし、場合によっては親子共々サポートが必要になる可能性が高いわけで、実際不妊手術というのはそれを避けるために国が講じた措置なのでしょう。それが良いか悪いかはわからないけれど、我が子の学校にも自立できる子を育てる前に親が自分のことで精一杯な状況の人がいる。もちろん子育てしている中で職場の都合や体調不良に襲われ不便をきたした人もいるが、諸々不登校側でくくられている場合が多い。 

この法がなくなっている今でも難しい問題は山積している中、親から巣立ち素敵な人生を歩む子を産み育てるつもりの親の意識確認くらいは必要な気がするのだけど。 

 

 

・可愛い方だっただろうし、きっと結婚もできたでしょうね。これは本当に残酷で可哀想だと思います。しかしながら、毒親の一部には軽度知的障害の方がやけに目立つ傾向があるのです。子供が親の面倒を見てくれる前に、まず自分が子供を育てなければなりません。これは普通の人でも大変なことです。貧困児童、虐待児童のボランティアをしている私としては、「子供が一定水準の知的能力がある親を持つ権利」のほうが勝ってしまいます。 

 

 

・夫婦共に知的障害者の知人がいます。第一子ができ出産しましたが、奥様のほうが障害が重く家事育児ができず、子供が泣いていてもゲームに夢中、雨が降ろうが洗濯物は取り込まないそう。旦那様は仕事から帰宅して家事や育児をやらなければならない状態。 

それなのに、第二子まで生まれ現在行政が入っているそうです。ちなみに子供二人も知的障害児だったようです。 

やはり、誰でも出産する権利がある訳ではないと感じました。 

 

 

・知的障害の母子がいます。随分若いころに産んだのだろうと思うけど、先日その母の父親にも障害があることを知りました。知的障害は遺伝するのだろうか? 

今、その母子は生活保護を受け障害者を援助する機関の人が定期的に訪問。 

子供は障害者ばかりが働いているところで仕事をしていますが、送迎付き。 

男の子です。性の問題もあるだろうと思ったら案の定、心療内科の定期的な訪問を受けています。要は暮らしのすべてが健常者が納めた税金です。この母子の自立は一生無理だろうなと思うけど、男の子は結婚して子を持ちたいと思うのだろうか? 

 

 

 

・ヤングケアラーなんて言葉が認知されていなかった30年ほど前、友人に障害のある両親を持っている子がいて、その子は母親の仕事が終わる時間になると、母親を作業所に迎えに行くと言って、小学生の頃からいつも学校が終わると急いで家に帰っていた。 

食事の支度は遅くに帰ってくる父親が作っていると言っていたけれど、いつも学校で眠ってしまっていて、家で夜母親が奇声を発するから眠れていないのだと聞いた。 

ご本人達が「子どもを持つ自由」を主張する気持ちは理解できるけれど、では、生まれてくる子の人権はどうなるのか。 

難しい問題だと思います。表面だけ聞こえのいいように親側の権利だけで議論してはいけない問題。 

 

 

・時代の変化で法はかわる。当時合法だったものが非合法になったり、非合法だったものが合法化されたりする。また、社会や科学の発展により、新しく制定されるようになったものなど、初期は次から次へと法は変化していく。 

そういう意味では、今、どうなのかがポイントだと思うし、過去の出来事に対し今の法律を当てはめて議論するのも難しいところだと思う。公害法のように、どうしても必要な事後法なら、遡及適用の条文をいれるだろう。 

 

 

・私が小学生だった35年ほど前、軽度知的障害持った近所のお姉さんが妊娠を繰り返してた。周りはお腹が大きくなってから気付くので、何人かは出産まで行ったみたい。 

 

この方の家族はそういう不幸を減らしたかったという思いがあると思う。 

別の一時的処置で済ませられれば良かったかもだけど、それはそれで愛情なんだよ。 

 

 

・だいぶん前に見たのですが、両親とも身体多少の知的にも障害がありました。ほぼ動くこともできないのに子供が欲しいと。 

無事妊娠出産してましたが、自分たちも子供も全て人任せ…。赤ちゃんが泣いても「赤ちゃん泣いてるねぇ」で終わり。全部介護士さんがお世話してくれてました。 

こんな私たちでも妊娠できて子供が産めましたと言ってましたが、なんか違うと思いました。 

子供は産んで終わりではないんですよね。 

今この子はもう成人に近い年だと思います。何をしてるんだろう、幸せだろうかとこんな報道を見るたびに思い出します。 

 

 

・軽い知的障害を持つ娘がいます。 

将来結婚してどうしても子供(私にとっての孫)を持つなら、まず娘夫婦には少なくとも夫婦が暮らしていける金銭的・身体的の自立はしてもらう。私たち親夫婦が元気なうちにできるかぎりの介入をして成人まで育てる。私たちはできる限りのお金を孫に残す。孫には娘夫婦の世話をさせない。 

条件のどれか一つでも欠けるようなら不可能です。今後私たち夫婦の具合が悪くなるようならまず無理。 

娘以外にもきょうだいがいますが、そちらに負担をかけるのも絶対にさせない。娘は大切な我が子ですが、大切だから誰の人権も奪わせてはいけない。 

 

 

・障害があるけれど自立して生活できる人と、頻繁に他者の世話が必要な人とでは違う。子育てには経済力も子どもの安全を守る力も、社会と交流したり反抗期を受け止める精神力もいる。 

知的障害者同士が結婚して重度の知的障害児が産まれて、施設へ直行というケースを何例か知っているので、現実を知らない人達の理想には疑問がある。 

 

 

・色々意見がありますよね。立場が変われば様々な言い分があります。生まれてきたこと、生んだことが罪かのような意見も見受けられますね。 

でも同意なしの手術はやはりダメだと思います。勝手に人生の選択肢を奪う行為です。本人が望んでそのように生まれたわけではありませんからね。そういう方を社会がどう支えるかが課題ですね。 

 

 

・もしこの様な方達から子供が産まれたとしたなら、その子供は親から育児放棄されて死んでしまうか親の事を介護する(ヤングケアラー)になってしまう確率が健常者と比べて高くなってしまうのは明らかですよね。 

子供を産む権利がーって言うのもあるかもしれないけど、子だって親を選ぶ権利はあるはずです。自分は優勢保護はそういった悲惨な二次被害を防ぐ意味では賛成です。 

 

 

・無理やり手術が行われた事についてはきちんと議論し、賠償もあっても良いかもしれませんが。 

 

まず第一に健常者、障害者とはず、親が育てられるのかを考えた上で子供は作るべきでしょう。 

親となりうる者がその判断が出来ないなら、まわりが手術までとは行かないが、規制するのはありだと思います。さらに先天性の障害者であれば、子に障害が出る可能性も多少上がるでしょう。自身が明らかに誰かのフォローを必要としている場合、親族の協力を得て子育て出来ますか?仮に障害児が生まれてしまったらさらに育児は難しくなる。そこまで考えられた上での訴訟なのでしょうか。 

 

私自身、先天性で身体に軽度ですが障害があります。それ故に、自分より重い物を持った子が生まれたらどうしよう。相手にも申し訳ない、、育てられるのかな、とそちらの方に不安があります。 

 

体にメスと言う以外は、どちらにしても悩ましい問題なのでなんともです。。 

 

 

・男性で知的障害がありパイプカット済、性格が明るくて顔も普通だったのである職業の女性からモテモテだった人を知ってる。旧優生保護法「 で 」まで女性の権利を主張したいのか…自分がお世話される立場で誰が子供を育てるの?これは時代云々や個人の権利の話ではないと思うし、過去のこの法律は別の角度からみたら障害者を護る法律だったのでは…と個人的には思っています。 

 

障害があっても妊娠や出産に対して問題がなかったら人工授精で子供を産ませる事が可能、それを取り上げても本人は理解出来ないという悲劇が起こってしまう。現代の隠れた部分の性搾取だけでなく、今後その辺りも狙われるかもしれないという…次の時代の心配をしてしまいます。 

 

 

 

・中度の自閉症の義理の息子(18歳)と暮らしています。店で希望の物が無いと店員さんに喚き散らすし、学校で友達が1人もいない為帰宅すると家族みんなに八つ当たりの暴言を吐きます。 

壁を殴り穴を開けたり。同じ事を2〜3時間勝手に話し続けます。相手が聞いていなくてもです。なのに、将来は結婚したい子供が欲しいと言います。これまでアルバイトさえした事がないのに。お金もどんぶり勘定で、台所も自分のための食事作りに2時間も3時間も使うので、家族の為に私が料理をする時間を平然と奪います。専用の施設があるのに夫は入れようとしません。一生一緒に暮らすつもりみたいで、私はストレスから体調も崩しました。この様な身の回りの状況もあるので旧優生保護法には反対出来ません。 

 

 

・難しい問題ですが、仮に不妊手術をしなかった場合、妊娠出産はできると思うが、果たして子供を育てることができたのだろうか? 

出産して終わりではなく、そこから育てていかなくてはいけない。大事なのはそこだと思います。 

現代では、健康で自立している成人男女でさえも結婚して子供を持つことに躊躇う時代です。自分一人生きることで精一杯の世の中で、果たして子供を育てる余裕が自分にはあるのだろうか?だと思う。 

厳しく言えば、自分の生活も誰かに頼らなければならない状況の中での妊娠出産、子育てはかなり厳しいと思う。社会はそんなに甘くはないし、産まれてくる子供だって言い方悪いけど可愛そうだよ。 

昔なんてなおさらだと思う。福祉制度は今より整ってないし、利用できるサービスもほとんどない。 

そんな中でどうやって育てられるという見解が持てるのだろうか? 

 

 

・妊娠の意味もわからないような女性が、よくわからないまま妊娠して、その人のお母さんが悲しみながら何回も墮胎させる、その女性は墮胎のこともよく理解してない、みたいな話を読んだことがあるので一概にも悪い処置とは思えない。 

ただ暴力的に引っ張って処置されたならそれは怖かっただろうし、もっと薬とかでわからないようにできなかったのかな、とか思う。 

残酷だけど、生まれた子供がヤングケアラーの悲惨な目に合うよりいい。 

 

 

・どんな障害を持っているかにもよると思う。 

少しのサポートで育児ができるならそこまでしなくてもと思うし、自分の世話もできない育児もできないでただ産みたかっただと仕方なかったのかなと思う。 

子供のちゃんと育ててもらう権利も守られてほしい。 

 

 

・障害の程度だったり、その人の環境だったり 

いろんな要素を検討する必要もあったのじゃないか 

とも思うし、色々考えなきゃならないとは思うけど 

やり方として、「強制」ってのは、どうかと思うけど。 

子供を産みたいと思ってる障害を持ってる人の方が 

なんどかんだしっかり育ててると思うけど… 

障害の無い人が問題なく完璧に子育てしてるかと 

言った時に必ずしもそうでは無い 

親は経験を元に子供を産み育て 

また生まれた子は親の背中を見て育つんだから。 

少なくとも本人や家族に了承して貰うことが 

大事だと思うけど。 

 

 

・親兄弟に助けられながらでも良い親になれたかも知れないですよね。軽度なら家事もこなせたりしたかも。 

 

健全な精神こそが親として1番大事と今なら思うのですが。未熟な人も増えてるしね。 

あと人口爆発みたいな心配も背景には有った時代。個人より社会が優先されてた。残念ですが。 

  

ただ皆さん昔ほど子どもに頼れてはいないように見えます。年金に支援や処置の補償費?などを乗せて貰って、少しでも充実して過ごされて欲しいです。 

 

 

・子供を育てる権利があるのは、立派に子供を育てることのできる人だけです!全ての人に子供を育てる権利があるわけではありません。 

当時の日本は戦後まもなく障害者が一人で生きていくことはできなかった時代です。障害者が一人で生活できるようになったのは、ケースワーカーなどが発達した平成中期ころからではないでしゃうか。 

ですので、それ以前の時代は、障害者の方は子育てはできない時代だったと思います。 

 

 

・この記事では、この方にどんな障害があるのか分からないのでなんとも言えない。 

軽度知的障害の人が誰とでも行為をして毎年のように父親のわからない子供を妊娠してくる事も産婦人科では少なからず目にします。本人も望んでいるわけではないけど難しいことは考えられずまた同じ事を繰り返すんです。誰にでも持つ権利はあるけど、その後は綺麗事ではなく税金による福祉の多大なサポートで成り立っている訳で、普通の人も生きていくのに精一杯の戦後の中では仕方ない話だっだと思います。 

 

 

・この最高裁での結果が「判例」になる。 

コメントの多くは、「もしも自分の子供が施設に入るほどの知的障害者なら」と言った視点に立っていると思われるが、これまで起こされた全ての裁判は一審二審共にを見ると「違憲」ということは共通している。 

コメントをざっと見る限り、この意味で裁判官と一般市民の意見は大きく異なるようだ。裁判員制度がスタートして随分経つが、こうした裁判こそ一般市民の声も聞くべきなのじゃないかとちょっと思った。 

一方で、今回争われるのは不法行為(この場合は強制手術)に基づく損害賠償権の時効が成立しているか否か。 

法律上は不法行為から20年が経過すると損害賠償権は時効にかかり消滅するが、大阪高裁や東京高裁の裁判では「それではかわいそうだ」として時効を認めず国に賠償を認めたことから、まとめて最高裁大法廷での審理となるようだ。 

 

 

・何が違うのかが分からないが、知り合いや親戚には夫婦ともに軽い知的障害の人、ろうあ者の人、盲目者の人がいて、子、孫までいる人もいる。 

時代、年代も合致するが、その人たちは結婚、出産もしれこられた。違いはなんだろう。そこも大きく取り上げてもらいたい。 

 

 

 

・遺伝子操作で国が生まれてくる子供全員を健常者にできると見越すほどバイオテクノロジーが進展しているとすれば、 

親となる人物が障害を持っていようがどんどん出産してもらって、頭数を増やしたいと考えるのでは? 

 

健常者として生まれてきても、事故などで思いも寄らぬ状況に陥ることもあるし、 

その事故すらも権力で仕掛けることができるとなれば… 

 

問題なのは、それをジャッジする側が個人的見解を軸に決定できると踏ん反り返っているような気がすること 

一億総健常者出生を目指しているにしても、それに該当しない人の意見が反映されていなければただの高慢 

話が通じないのはする前から想定できることでも、話ができない裏側に後ろめたい理由があるからなのでは? 

 

 

・難しい問題ですね。当時の状況を鑑みてもやはり問題のある法律であったのか。今となってみれば人権を侵害している法律であるようにも思えます。 

 

しかし、こうやって議論の末により正しい未来が作られていくというプロセスをたどっていると考えるべきなのではないでしょうか。 

 

旧優生保護法が正しく使われなかった方々には同情をいたします。これに対しては国が現在の解釈にしたがって補償を考えるべきなのでしょう。 

 

 

・いろんな方のご意見を読んでいて、私も障害がある方の避妊に反対とは思わない。 

強制的に不妊にされるのが問題なんだろうけど、 

 

子供がほしい→子供が親の面倒をみる→ヤングケアラーか 

子供がほしい→自分では育てられない→施設か自分の親にHELP 

って結局、自分達では到底できない事ばかりで行政なり子どもや親におんぶに抱っこ。 

 

健常者だって子どもを生み育てるのは大変なのによ。手放しで賛成なんて言えるわけない。 

 

 

・訴え、つまりは裁判となると世間の機運とかで同じ話題でも判決が変わったりするから難しいよね。 

少なくとも今なら勝てる、話を聞いてもらえると思ったタイミングで行動を起こしたんだろうけど、それがたまたま20年という規定と合わなかった。 

かといって訴え出るのが早すぎても多分違憲判断すら出なかった可能性がある。 

 

ただ規定は規定だし個別のケースで例外を作るわけにもいかんから、これからこのような事がないようにと働きかけるのが落とし所なのかなと思う。 

 

 

・不妊治療は本人の同意が大前提だが、本人が理解できない場合どうするんだろ 

また、仮に子供が生まれたとしてその子供の権利保障はどうするのだろうか 

 

不妊治療は基本的人権の侵害だが、それが違憲だとして全てがハッピーエンドなる話ではない。また新たな大きな問題が生まれる 

 

 

・難しいね。 

強制はあかんと思うが、じゃあ生み「育てる」ことができるのかどうかという問題。 

 

障害者の親御さんの悩みは自分がいなくなった後、その子を守ることができないこと。 

 

最初から誰かに守られるべき人が、誰かを守ることができるのか? 

障害の程度にもよるし、のりこさんのように立派にされてる方もおられるので、何とも言えんが。 

 

まあ不妊手術とかは基本的に不必要なものだと思うけど。 

身体的にも妊娠発覚後の判断でも良いのでは。 

 

 

・賛否分かれるだろう問題ですね。軽度の障碍者同士であれば「何とか」という思いはあるが、中、重度の障碍者同士若しくは健常者との間で「育児」となると一人の問題ではなくなる。結局誰かの負担になるし、将来は生まれてきたその子が「ずっと」両親の世話に負われて不自由な思いをせざるを得ない。自由と権利ばかりで片づけられる問題ではないし、当時だって「苦肉の策」だったのではないだろうか。 

 

 

・ヤングケアラーの問題をあげてる人がいるけど、こういう違法であるとの判断もできて裁判にも臨めて、結婚の選択もできる人たちなら日常生活もおくれてるんじゃないの?。そういう人達にまで不妊手術を強行するのはやっぱり可哀想に思う。 

健常の人たちだって虐待はあるし、アル中とか心神喪失で子どもに負担かけてる人達の話を聞くと論点はそこじゃないような気がする。 

 

何であれ強制的な手術とかは命の危機でもない限り同意なくやってはいけないと思う。 

 

 

・どんなプロジェクトでも、必ずミス、エラーは発生する。そして、エラー発生率0%を目指すより、一定の目標割合に抑えつつ、前に進めた方がより効率的に物事は進むし、発展性がある。 

 

知的障害者は集団の中で必ずある一定の割合で生まれてくるものと聞いている。それは種の継続における一定のエラーとも取れるし、進化の可能性とも取れる。 

 

どちらにしても、この発生率を0%に抑えるのでなく、ある一定の目標値に抑えられるよう全体で調整すべきと自分は考える。 

 

彼らに健常者と同じ生活ができる権利を全面的に与えて自由に子作りをさせるのでなく、本人に自覚なく社会で上手く誘導して、この目標に収まるようにする。 

 

その上で知的障害者は種全体の問題なので、日本社会全体で支えれば良い。支えるための予算に収まるよう発生目標はこのささえるための予算に収まる数値となる。子供達も含めて手厚く保護する。 

 

 

・確かに法律としては間違っていたのだと思う。しかし、やはり障害の、大なり小なりにおいて誰が養育していくのかその人が難しい部分を誰が支えるのか、永遠の、テーマではやいめしょうか。ただ産めばヤングケアラーになるし子供が居ても子供も障害持つ可能性が他の人よりリスク高いかもしれない。それでも産みたい。それは各個人の、自由だけれど、障害ある子供さんにも今は広い世界選択肢も広がったけど、子供が居ても子供は親の思い通りにはなりませんしね。。 

 

 

 

 
 

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