( 175780 )  2024/05/30 16:42:17  
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時給20ドルへの引き上げを祝う集会を開く米カリフォルニア州のファストフード従業員(写真:ロイター/アフロ) 

 

 コロナ禍で米国の雇用環境は大きく変化、「売り手市場」を背景に賃金上昇が続く。 

 カリフォルニア州ではファストフードチェーン従業員の最低賃金が20ドル(3000円超)に達した。 

 働き手には朗報だが、政治家の「人気取り」による人工的な引き上げは、悪影響をもたらす懸念もある。 

 (水野 亮:米Teruko Weinberg エグゼクティブリサーチャー) 

 

【グラフ】日本では考えられないくらい急ピッチで上がる米カリフォルニア州の最低賃金 

 

■ カリフォルニア州の規定より4ドル高い最低時給 

 

 米国では賃金の上昇が続いている。 

 

 カリフォルニア州政府は2024年4月1日、米国内で60店以上を展開するファストフードチェーンの従業員について、最低賃金を時給20ドルに引き上げた。同州では、労働組合の政治的影響力が強い特定産業には、一般的な最低賃金を上回る時給が設定されており、州が定めた2024年の最低時給16ドルを4ドルも上回る水準となった。 

 

 時給20ドルは、現在の為替レート(1ドル=156円)で換算すると、日本円で時給3000円を軽く超える。円安ドル高が進んだとはいえ、日本視点では、米国の賃金上昇のすさまじさを感じさせるエピソードだろう。 

 

 新型コロナ禍以降、米国の雇用環境は大きく変化した。ロックダウン措置による一時的な事務所や店舗の閉鎖により一時的に解雇された従業員は、コロナ禍が明けても元の職場になかなか戻らない。リモートワークの導入で「ライフワークバランス」が浸透し、職場から遠い場所に引っ越した従業員は、オフィスワークに戻れないという現象が起こった。 

 

 2021年から2022年にかけて、求人数が雇用者数を大きく上回り、空前の「売り手市場」が形成された。手厚い待遇を提供しなければ企業は従業員を集めることができなくなった。こうして賃金は上昇していった。 

 

 米労働統計局のデータによると、ロックダウン措置直前の2020年3月時点における米国民間部門の報酬額は前年同期比で2.8%増程度であったが、その後上昇を続け、2022年6月時点では5.5%増を記録した。 

 

 筆者が住むカリフォルニア州ロサンゼルス都市圏の報酬額は米国全体より高い上昇を記録している。 

 

 

■ 日本の最低時給はロサンゼルスの3分の1 

 

 2020年3月時点では3.5%の上昇であったが、2022年9月には5.8%増まで上昇した。2023年以降は落ち着きを見せているが、それでも2024年3月時点では米国全体が4.1%増、ロサンゼルス都市圏が4.4%増となり、コロナ禍前の水準を大きく上回っている。 

 

 賃金上昇が続く要因の一つとして、カリフォルニア州政府や州内の都市が毎年改定している最低賃金の引き上げがある。最低賃金は、基本的には物価上昇率に基づき引き上げられる。ゆえに物価上昇が激しい昨今、最低賃金が急速に上昇しているのだ。 

 

 その結果、カリフォルニア州の最低賃金はコロナ禍前の2019年時点で時給12ドル程度であったが、2021年には13ドル、2023年には15.50ドル、そして2024年には16ドルに引き上げられた。 

 

 州内の都市では、州全体を上回る最低賃金が導入されているところがある。ロサンゼルス市では2019年時点で13.25ドルだったのが、2021年に15ドル、2023年に16.78ドルとなった。そして2024年6月には17.28ドルに引き上げられる予定だ。 

 

 日本でも最低賃金は2023年10月の改定で大幅に引き上げられたが、それでも全国加重平均額は時給1004円(1ドル=156円換算で約6.4ドル)と、ロサンゼルス市に比べると実に3分の1程度にとどまる。 

 

 カリフォルニア州内のファストフードチェーンで働く従業員は50万人超にのぼる。20ドルに到達した最低賃金のアップは当然のことながら朗報であり、こんな急ピッチでの賃金上昇は日本の感覚ではうらやましく感じるかもしれない。 

 

 だが、いいことばかりではない。当然、企業は対策を施すことになるからだ。 

 

■ バーガーキング、タコベル…軒並み値上げに動く 

 

 まず職場で離職が増える可能性がある。最低賃金は、単に企業が採用に際して提示する給与条件に影響するだけにとどまらない。すでに働いている従業員のあいだでも同時に賃上げを求める声が出てくる可能性がある。 

 

 労働者の「売り手市場」の状況ではその傾向はますます強くなる。従業員からの賃上げ要求に迅速に対応できず、結果として離職者の増加につながるケースも出てくる。 

 

 さらに商品の値上げである。 

 

 ある調査によると、最低賃金引き上げのわずか1カ月で「バーガーキング」は2%、タコスのファストフードチェーンの「タコベル」は3%、メキシカンファストフードの「チポレ」は7.5%、ハンバーガーチェーンの「ウェンディーズ」は8%と、それぞれ値上げしたと報じられている。言うまでもないが、商品の値上げは消費者である働き手自身にも跳ね返ってくる。 

 

 商品価格を維持する代わりに雇用や一人あたり労働時間を減らすといった対応も考えられる。ピザチェーンの「ピザハット」は、最低賃金の引き上げが決まってすぐに州内の1200人を超える配達員の解雇を発表した。また、同社のいくつかのチェーン店でデリバリーサービスを廃止したことが明らかになった。 

 

 同じくピザチェーンの「エクスカリバーピザ」は、4月に73人の配達員を解雇した。ただし、「当社はデリバリーサービスを第三者に手渡すことにした。ゆえに解雇というよりは雇用移転と見ている」とし、さらには「多くのレストラン経営者は経営コストの上昇を受けて同じような対応を採っている」と付け加えている。 

 

 労働者ではなく技術に投資する企業も出てこよう。 

 

 

■ 「知事はカリフォルニア州を破壊している」 

 

 来店客によるセルフ注文端末の「キオスク」や自動でハンバーガーを作る「バーガーボッツ(Burger Bots)」などの設備に投資すると同時に雇用を減らすフードチェーンが増えていくかもしれない。 

 

 このほか、賃金の上昇分を、従業員の福利厚生カットで補おうとする企業が出てくる可能性もある。 

 

 影響は、ファストフード以外の業種にも広がりそうだ。 

 

 筆者の知り合いのレストラン経営者や食品メーカーは、ファストフードの最低賃金引き上げが州議会で承認されてすぐに「賃金を上げろ!  さもなければファストフードに転職する」と従業員に脅されたという。 

 

 通学先の大学の図書館でアルバイトをしている筆者の長女もこのニュースを見てすぐにマクドナルドの求人状況を調べたそうだ。まったく関係ない産業にもファストフード発の賃上げの波が押し寄せる。けっして対岸の火事ではないのだ。 

 

 先日、FOXニュースで、ロサンゼルスにある小規模なレストランの女性オーナーが悲痛な叫びをあげているのを見た。 

 

 「私たち小さなレストラン経営者はなんとかパンデミックに打ち勝った。と思ったら今度は最低賃金の急激な上昇だ。私も含め、多くのレストラン経営者が生き残れるか分からない」 

「多くの従業員が解雇されることになろう」 

「人々は目を覚ますべきだ。サーカスを見に行って、ファンシーな手品を見せられているあいだに誰かがポケットから金を盗まれているのと同じだ」 

「ギャビン・ニューサム州知事はカリフォルニア州を破壊している」 

 

■ 政治家のアピールに使われる最低賃金引き上げ 

 

 ここへきて、ファストフードチェーンの従業員だけでなく、州全体の最低賃金を20ドルに引き上げるべく、各団体による政治家へのロビイングが活発になっているようだ。当然の反応といえよう。 

 

 最低賃金の引き上げは政治家にとっては簡単かつ明確、何より選挙民にアピールできる政策といえよう。生活に苦しむ低賃金労働者も必死にこれを訴える。 

 

 しかし、いわば「人工的」に引き上げられた賃金は、その水準や内容によっては経済的合理性を伴わず、巡り巡って労働者が以前より苦しむ結果につながる可能性もある。 

 

 今回の最低賃金の引き上げの影響は、今後どのように広がるのだろうか。 

 

水野 亮 

 

 

 
 

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