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国立大学の学費「3倍値上げ」は「日本の衰退」を象徴する議論…なぜ公的教育を抑制しようとする?

ニューズウィーク日本版 5/30(木) 6:40 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/33f11dc49e3202069e211243cb6cce9f48115096

 

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文部科学省の審議会で、国立大学の学費を大幅に値上げするべきという提言が話題になっている。

伊藤公平氏は国立大学の学費を約150万円に引き上げるべきだと主張し、資金不足による高度な教育の必要性を訴えている。

しかし、学費を3倍にまで値上げする提案には反対や違和感の声も上がっている。

日本の高等教育における家計負担割合は7割近くであり、進学が負担できない世帯も多く、様々な意見が出ている中、公的教育への制限や抑制の動きも顕著になっている。

(要約)

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NED SNOWMAN/SHUTTERSTOCK 

 

文部科学省の審議会で、国立大学の学費を大幅に値上げすべきという意見が出たことが波紋を呼んでいる。慶應義塾トップの伊藤公平氏は、中央教育審議会(中教審)の特別部会において「教育の質を上げるためには(中略)、国立大学の学費について現在の53万5800円から約150万円に引き上げるべき」と提言した。 

 

●日本だけ給料が上がらない謎…その原因をはっきり示す4つのグラフ 

 

同氏はメディアの取材に対しても「経済的に困窮している世帯には奨学金や貸与制度の拡充で対応すべき」「(国立大学の学費が安いことは)一種の不当廉売ではないか」とも主張している。AI(人工知能)など高度な教育を行うためには資金が必要というのがその理由だが、大学無償化の議論が出ている最中に、逆に学費を3倍にまで値上げする提言に違和感を持った人も少なくない。 

 

現実問題として、日本の高等教育における機会均等は劣悪な状況となっている。高等教育における家計の費用負担割合を比較すると日本は何と7割近くに達しており、典型的な弱肉強食社会であるアメリカに近い水準となっている。 

 

つまり、日本では高等教育の学費のほとんどを自己負担する必要があり、逆に言えば、世帯に負担能力がなければ大学に進学できないことを意味している。 

 

■奨学金のみを高等教育の機会確保の原動力にする日本は危険 

 

一方、欧州各国は家計の負担割合が10%以下という国もあり、高等教育を受けるに当たって家計はほとんど費用を負担する必要がない。 

 

もっともアメリカは大学進学に際して相当な経済力が必要ではあるものの、豊富な奨学金制度が用意されているので、無償で大学に通える学生も多い。アメリカは世界でも突出した寄付大国であり、こうした文化がまったく根付いていない日本において、奨学金のみを機会確保の原動力にするというのはあまりにも危険である。 

 

これまで政府は、明確な形では大学無償化政策を実施してこなかったとはいえ、昭和の時代までは国立大学の学費を極めて安く設定することで、事実上、無償化に近い効果を得ていた。 

 

だが国立大学の学費は年々、引き上げが行われ、現在では私立大学と大差ない水準まで高騰している。大学教育は完全に豊かな世帯だけが享受できるものとなりつつあるのが現実だ。 

 

日本という国は資源に恵まれておらず、人材育成だけが豊かさを担保するというのは、明治の近代化以降、全国民に共通する価値観だった。格差をゼロにすることは現実的に難しいとはいえ、可能な限り機会の平等は保障されるべきとの考え方に異論を唱える人は、少なくとも30年前まではほぼ皆無だったといってよい。 

 

■公的教育を受けることを制限・抑制しようという動きが顕著に 

 

だがこうした価値観は音を立てて崩れ始めている。ある首相経験者が国立大学出身の市長に対して「人の税金を使って学校へ行った」と批判し波紋を呼んだことがあったが、公的教育を受けることを制限・抑制しようという動きが顕著となっている。 

 

日本はモノ作りの国であり、その技術力は国立大学における工学教育によって担保されてきたといっても過言ではない。今後、大学進学の門戸を狭めれば、日本の技術力はさらに低下の一途をたどることになるだろう。 

 

大学の全無償化など思い切った決断をしなければ国力を回復できないような状況のなか、逆に大幅に値上げすべきといった意見が出てくること自体が、今の日本の衰退を象徴している。 

 

 

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(まとめ) 

日本の教育に関する意見や論点は多岐にわたっており、主な論点は以下のように整理できます: 

 

1. 学費値上げによる大学への負担増に対する批判: 

- 国立大学の学費値上げ案に対する反対意見が多く、将来の人材育成や教育機会の公平性に影響を与えると懸念が高い。

 

- 学費値上げによる経済的格差の拡大や、学校選択の自由の剥奪、教育機会の不平等が懸念されている。

 

 

2. 大学の役割に関する議論: 

- 大学は研究機関としての役割や教育の質を重視すべきとの意見。

 

- 基礎研究への投資や研究者の育成、社会への知識還元が重要であるとの指摘がある。

 

 

3. 私立大学の整理・給付金削減に対する提案: 

- 優秀な人材を育成するために、私立大学の削減や不要な補助金の見直しを行うべきとの主張がある。

 

- 教育支援の効率的な方法や奨学金制度の見直しが求められている。

 

 

4. 教育制度全般に対する提言: 

- 教育を受ける権利や教育機会の公平性を重視し、国立大学の無償化や奨学金制度の充実が必要であるとの意見が多い。

 

- 大学進学以外の進路や職業訓練校の充実、教育の質向上についても検討する必要がある。

 

 

これらの意見や議論を踏まえて、効果的な教育政策や人材育成策が国や各教育機関で検討されることが求められています。

( 175801 )  2024/05/30 17:05:57  
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・この国の人材育成に関する考え方が迷走し過ぎていると思います。 

高校無償化を謳いながら、その先の大学における費用負担の大幅増を求めるなど、何がしたいのか理解に苦しみます。 

人材確保として博士の大幅増も目指すとのことですが、経済的理由により学部進学の道を諦めさせる様な事を行い、幅広い層からの優秀な人材の確保を難しくするなど言語道断でしょう。 

現在必要なのは、かつての国立大学のようにほぼ無償に近い環境での教育環境の提供であり、経済的に苦しくとも共通テスト及び2次試験を実力で突破出来る優秀な能力を持つ若者への門戸開放でしょう。 

武田信玄ではありませんが、人はこの国の宝であり、特に優秀な人材の育成は国費で推進すべきでしょう。 

人材育成とその後の確保策は我が国にとって急務ですが、この様なことではますます人材の枯渇が促進され亡国を招くものと危惧しています。 

 

 

・経済的な格差をさらに拡大させることになると思います。 

優秀な学生でも裕福でなければ大学に行けなくなるでしょう。 

 

現在でも一般家庭では「医学部に行くなら国立じゃないと無理」「理系で私立は学費がきびしい」というのが実情ではないでしょうか。兄弟がいたらなおさらです。 

 

それに入学前段階での経済格差も広がっています。私立中高、塾、大学受験前に教育費をかけられる家庭が難関受験に有利で、高年収家庭の割合が増えている記事など最近よく目にします。 

経済的理由で優秀な学生が進学できないことが増えたら日本の損失です。 

教育機関について経済的な受益面だけで判断してはいけないと思います。 

 

極論すれば「私立の学費に合わせて、義務教育でない公立高校の学費を年間100万円にしろ」と言ったら賛同がえられるでしょうか? 

論理的には変わりませんよね。 

 

 

・年間50万円の学費で国立大学で学べる国は世界でそんなに多くないでしょう。しかも授業料は相当な長期間改定されていません。 

 

現在、学費外の収入(国の拠出など)が8割ほどと脆弱で、教授や職員、設備整備費、研究活動費などを賄っています。 

 

しかも、ご存知ない方も多いと思いますが、上位の国立大学ほど高所得家庭の出身者の比率が高いです。 

 

実際、優秀な低所得家庭の出身者の数は少なく、国立大学なら大学に寄せられる多くの給付型奨学金制度で十分にカバーできます。そこそこの大学の大学生をやったことある人ならどなたもご存知でしょう。 

 

国立大学の学費改定は、大学運営基盤の強化のためのみならず、こうした隠れた経済的不公平の解消にも役立つと考えています。 

 

限られた予算で効果的に教育支援を増やすには、少子化の中でも拡大し続ける私学への助成を定員適正化や法人統廃合で歯止めをかける必要があると思います。 

 

 

・国立大学の授業料を3倍に値上げと言ったのは、慶應義塾トップの伊藤公平氏。 

 

少子化の時代、どこの大学も学生の奪い合いを行っているが私立大学は授業料で国立にかなわない。私立大学の存在を守るために国立の授業料を引き上げろと言った。 

 

しかし、私立大にも魅力はある。 

その魅力が授業料に見合うものであれば、私立大の年間授業料150万円を払ってでも学生は入学する。 

私立大が、授業料に見合う魅力的な授業を行うことが大切である。 

 

 

・海外や慶應義塾大学の様に寄付金集めて、運営する私大は、日本に定着し難い。 

Fランの大学削って、国立と保育園に削った金を突っ込む。 

優秀な人を金が理由で大学にいけない状況を無くさないといけない。 

特に名古屋大学、東海3県からしか集まらない。 

しかし土地も東京に比べて安いから生活費も安く済む。 

、日本中から優秀な人を集めるポテンシャルはある以上頑張って欲しい。 

 

 

・偏差値的には問題ない娘。家庭の所得が非課税に毛が生えた程度の我が家では、国公立大へ奨学金を借りてやっと行ける。その国公立大が私立と同程度になってしまえば、大学進学の道はなくなる。中学生からやりたい目標を定め、大学も学部も決めて頑張っていた娘に、こんな理由で大学進学をあきらめろ、なんて、言えない。お金ないから塾にも行けないけど、必死にやってたのに。地方民なので、地元ではやりたいことができる学部を持つ大学がないので、県外は必須。生活費も今まで以上にかかるのに、、生まれの環境ガチャを引き当てて育ってきた人たちには分からないんだろうな。 

 

 

・国立大学において研究・教育資金の基礎となる運営費交付金は年々減らされ続けています。これをしているのは先進国で日本位ではないでしょうか。安定財源(国からの貨幣供給)がなければ学費を増やすか外部資金(競争的資金)を増やすしかないです。しかし外部資金獲得にも、研究者にそのためのノルマが課せられ研究そのもののコア時間は減少し、少しでも効率の悪い研究はスクラップにされるなどの弊害も出てきます。 

実体経済(失われた30年)もそうですが、必要以上に政府支出(交付金含む)を絞りすぎた結果、経済も研究(教育)も退化しているのではないかという気がします。もう少し国が積極的に支えないといけないと思います。 

 

 

・私学助成金を見直し縮小や留学ビザのアルバイト禁止などを行なって、まずは多くなり過ぎた学校や大学の数を縮小すべきです。ただし、国公立大は完全無償化を目指すべきです。それ以外にも、日本人学生への奨学金制度をより充実させるべきです。 

 

 

・伊藤さんの提言の真意は、 

「もっと慶応に有利になるようにしろ」 

ということ以外ないのでは。 

世界の中での日本の地位は昭和時代のほうが高かったと思うので、 

平成以降の大学教育改革は失敗だったことをまず認めたうえで、 

それを反省した方向に舵を切りなおさない限り、さらに沈んでいく可能性が 

高いと思う。 

 

 

・私立大学に入学する場合、入試では少ない科目数となることがほとんどです。しかし国立大学に入学する場合は、二次試験の科目数は少なくても、共通テストで5教科(今後は更に情報も追加される)を受けなければならないです(推薦やAOといった入試方法もありますが、今回は割愛します)。 

 

文系であっても理系科目を、理系であっても文系科目を勉強しなければならず、総合的な力が求められるという点などからも、国立大学の学生は優秀な学生が多いと言えるでしょう。 

もちろん、必ずしも私大生よりも国立大生の方が優秀ということではありませんが、入試の科目に関しては、国立大生が一定の評価を受けるでしょう。 

 

そのような優秀な学生の学費を何故上げなければならないのでしょうか? 

多くの科目を勉強して試験を突破してきた優秀な学生たちだからこそ、安い学費で学べるようにすべきだと思います。 

 

 

 

・議論の方向性が全く逆かと。 

むしろ低レベル私大への補助金を絞り込んで、国立大学については学費軽減を検討しても良いくらいですね。 

学生にある程度維持の学力レベルが担保されている大学に投資を集中すべきですね。 

 

先ずは国公立大の学費を軽減して、私大進学者については学力に応じて学生個別での給付型奨学金を拡充する方が妥当ですよ。 

 

 

・便乗値上げしたい私大の思惑が背景にあるのだろう。 

 

保護者世帯の年収にも配慮すべきだと思う。最近の変動ではなく、学費が現在の金額になった1990年代との比較で論じてほしい。 

 

元々、OECDの中で高等教育への公的負担が少ないことが問題視されてきた。インフレ対応は国からの拠出で対応すべきだと思う。 

 

 

・無償化といい人材が出るか出ないかは関係ない。日本の大学は簡単に卒業させすぎだと思う。もっと入ってから学年が上がるのを難しくする事が卒業生のレベルを上げる事になる。 

それと誰でも入れる大学に意味はない。 

国立大で研究費にお金がかかるなら国に出してもらうのがスジだから生徒から取るのは間違いだと思う。 

後奨学金は貸付を無しにして返さなくていいものだけにして、その代わり学力が優秀な生徒のみにしないとダメだと思う。 

駄目なヤツらにどれだけ機会を与えても意味がない。それを利用して後から返済で困って払えなくなってから文句を言うことになる。 

借金する人の特徴で借りる時は先を考えずに借りて返すのが苦しくなると取り立ての人が無理矢理とか言って相手が悪いかの様に言う。 

国立大は20万か30万くらいにならないともう親孝行でもない。 

誰でもいいからこの国の大きなヴィジョンを描いて国を進めてほしい。 

 

 

・一私学の学長が日本全体のことを考えて発言することも当然あるとは思いますが、まず最優先するのは自分の大学のことだと思います。日本の行く末を考えた発言のように受け止められていますが、むしろ慶應義塾大学の行く末を最優先に考えたうえでの発言なのではないかと思いますよ。つまり、少子化で、将来慶應ですら学生の確保が難しくなるだろうから、国公立が私学と同額の授業料にすれば、慶應にも学生を引っ張ってこれるという算段に基づく発言なのではないかと思います。慶應と言えども、それだけ私学は将来が不安ということの裏返しなんじゃないかと思います。慶應と縁のない人がそんなに深く考える必要はないと思います。 

 

 

・_平等を重んじ過ぎた。公平を考えるべき。 

 国立は安く有るべきだし、国立にもっと税金を使うべき。 

 殆どの人が大学に行ける日本が平成以降の日本が変。学業落ちこぼれは、中卒・高卒で速く職業技術を身に着けて技術者エリートに成るべきであり、学業は一旦諦めるべき。 

 Fランク大学とか、問題続きの日本大学とか、に税金を使うのは可笑しいし、税金は限りがあるので国立に選択と集中をさせる方が効率的。 

 ビニル・プラスチックが石油から出来ていることを当時の環境大臣になってから知ったり、牛のゲップが温室効果ガスのメタンを出すことも知らずにステーキアピールをする当時の環境大臣が、一流と言われる私大卒業してるのが可笑しい。自分の専門分野でしょう。際立った業績のない私立に税金をばら撒く必要はない。もっと大学を減らすべき。 

 

 

・そもそもですが、18歳人口に対して大学の数が多すぎるのだと思います。 

かつては偏差値50以下では大学進学できなかったのに、現在は国立大学でも偏差値50以下があること異常です。ましてそれは一般受験の偏差値であって、学力検査を受けずに面接やプレゼンのみで入学してくる学生も多くいます。 

平均以下の学力で大学進学できるって、冷静に考えると不思議ですよね。 

 

国立大学、私立大学それぞれの良さはあるので、高等教育を受けるに値する学力を検査して、相応な大学にはお金をかける、それ以下は自助努力で大学運営をしてもらい、そこに自然淘汰があっても仕方ないと思います。 

 

 

・いつの間にか「学業に励むために大学に行くこと」から「大学に入ること」が目的になってしまった。何のための大学か分からない学校もあるし、現状の大学数が多すぎる。企業もとりあえず「大卒」という肩書だけでふるいにかけるし、そういった弊害が顕在化してきている。必要のない大学を救う必要は無いし、大学に入ることより学業に励んで卒業することを重視するようなカリキュラムにする必要があるんじゃないか。入学しても勉強しなければ卒業できないとなれば、そこでふるいがかかるし、それこそ「大卒」の肩書に意味が出てくる。 

 

 

・そもそも大学と言うのは研究機関でもありさらに上の学問をしたい人が行くところである。高校までの学力が無い人が行くところではない。公平・平等と言うのを何か勘違いしていないだろうか?そもそも受験とは学力の優劣を試す試験でもあり魅力がなければ受験生も集まらないのは当然のことであり学費云々の議論はピントがずれている。ましてや貧困層でも優秀な人は大学に行ける教育の機会を与えることは憲法で言う教育を受ける権利に合致している。そういうことからも国公立大は貧困層にも教育を受ける機会を与える受け皿にもなっている。伊藤氏はそういった社会のことは何もわからず自分のことしか見ていない経営者でもなく研究者でもないと思う。民間企業も自分たちの魅力を高める企業努力をしている。他人を陥れて自分を上げるという思想は言語道断であり経営者ではない。慶応も学生が是非行きたいと思うような魅力を高めればよいだけ。金ではなく教育者の質と 

 

 

・誰でも入れる大学いわゆるFラン大学へ交付する税金を、国立大学へ交付し学費を安くするべきではないか。大学へ行くべきでない人間は高卒で働き、優秀な人間は貧乏な家庭で生まれても負担なく高度な教育を受けさせるのが、国力回復につながると思う。 

 

 

・30年程前に大学生でしたが、通っていた国立大学でも半期で約20万円掛かりました。 

4月に入学年度別の授業料が貼り出され、5月10日までに出納課に現金納入でした。 

医学部があったので、12年前の入学生の学費が、半期10万円以下だったことに衝撃を受けました。当時でも、12年で倍になっていたんです。 

更に驚いたのは、ゼミに入ってから中国からの国費留学生は、「大学の授業料は免除」な上「給付金(返還不要)」を日本政府から貰いながら修士、博士課程に通っていました。 

金銭的に厳しくて、国立大学に入り、バイトをしながら勉強していたので、お金を貰いながら無料で修士に通えるのは羨ましい限りでした。 

 

 

 

・大学教育の質を上げるには学費値下げが一番ではないか。それによって能力適性のある学生が国公立大学に集まりやすい。また,乱立していている私立大学が精選されていく(学費が高い無名な私立の応募数が減る)。今回の政策は学生募集に苦労している全国の私立大学からの圧力ではないのか?子供人口が減少して年々大学受験生の総数が減っている事実を忘れてはいけない。受験生を取り合っている現状で,今やだれでも入れる(応募が定員以下)大学も生じているありさまです。これを機会に大学数を減らしていってもいいんじゃないですか。 

 

 

・日本は大学の数が多すぎないのかな? 

猫も杓子も大学に行くがすべてが大学レベルの教育をしているとは思えない。 

一定レベル以下の大学はつぶしても良いと思う。そのうえで、学費を減らす。無料にしてはどうか。つぶれた大学はどうするのか?実践で使える職業訓練校にすればよい。国が行う職業訓練校はテキストに書いてあることしか教えない。4年かけて即戦力の人材を育てるべき。 

 

 

・国立大は比較的年収高い家庭の子が多いのは分かる。 

ただ国は年収600〜1000くらいの単なる中間層を高所得層と位置づけて奨学金対象外、私立高校無償化対象外。 

国立大でも学費捻出は大変。 

方や指定校推薦でそこら辺の私文でも、親の所得や、今は多子世帯の長子であれば無償化ってのはどうなの。 

 

 

・投資をやめた国や企業には発展性はないと思います。 

国は随分前から研究に特に基礎系に投資をしなくなりました。目先のわかりやすい成果ばかりに囚われています。 

国立大学は人材への投資です。 

学力で門戸を狭めるならわかりますが、財力で狭めるのは意味がわかりません。 

投資をやめた時点で今以上に発展する可能性は限りなくゼロです。 

 

 

・大学は教育機関だが、同時に研究機関でもある。 

資金を集め、優秀な研究者を雇い、最先端の研究成果を世界に発信し続けないと大学の存在意義が無い。そういう意味では学費の値上げも必要。小中高と同じような「教育を受ける」視点だけで見てはいけないと思う。 

各家庭が払う教育費が受験産業じゃなく学校に届くような仕組みが必要じゃないかな?あと、せめて国内生と留学生の学費は差をつけるべきだと思う。 

 

 

・加谷さん、ご指摘の通り。まずは国立大の運営費交付金を毎年計画に従って減らしていくのを、止めさせた方がいい。これは、小泉竹中に始まる流れのもとで、甘利や教育ナンチャラ会議の主導で進められた、アメリカの模倣路線。財政健全化を目指す財務省のコスト削減路線にもマッチしていた。その割には五輪だ、万博だで、何兆円も溶かしてけどね、、、 

 

その結果、もとから先進国中最低レベルの教育研究への政府支出はさらに削るべきコストファクター扱いになり、投資とは考えられなくなってしまった。広く国民の利益を考えるというより、大学も民間同様競争させればいいという、一部の偏った思い込みの暴走状態。その間に、日本の大学は疲弊し苦戦が続いている。挙句、学費は上がるは、日本の大学に見切りをつける人材まで増えてしまっているわで、ろくに成果になど結びついていない。文科省でさえデータで失敗を示唆し始めている。いい加減、方向転換の時期。 

 

 

・福沢諭吉が帝国大学に対して同じようなことを主張していました。 

私学の経営が成り立たないので、国は余計なことをするなということですね。 

 

かつて小さな政府や新自由主義と言っていた方たちと同じです。 

資本主義なので市場に任せればよいと。 

 

ただ資本主義というのは、その実何の思想もないものです。 

政治はじめ人間の社会活動の改善に対してまったくの無力であることは、もう既にそれはこの世界の現実で証明されたものであると思います。 

 

高等教育を経済的に恵まれた、限られた人たちのものだけにすることは、社会の退化を意味します。 

参加者が少ないものが、優れた結果を出すことはまずありません。 

 

少し話は違いますが、学生スポーツなんか分かりやすい例でしょう。 

メンバーが多いとそれなりに優秀な人も集まって、更に伸びていくものです。 

私はそんな肌感覚でいます。 

 

 

・学術研究機関である国立大学に科研費を集めないと…日本の科学技術力が低下します。私立大学への給付金をやめて国立大学に予算を集中させるべきです。ぶっちゃけ私立大学はビジネスとして教育産業をやっているわけで…平たく言うと教育をネタにした民間の商売です。税金を補填する理由がありません。私立大学は科研費などをあてにせずに指定校推薦や総合型選抜、内部進学とかの学力試験なしに入学してくる生徒の学費を一般入試で入学してくる生徒の倍にしてビジネスをすれば良い。国の将来を左右する学術研究をしたい学生は国立大学を目指せば良い。そして国の将来を支える学生を国として支援する為に…国立大学の学費は昔の様に格安であるべきだし、給付型奨学金制度ももっと充実させるべきです。国立大学は志を持って本気で勉強すれば誰にでも合格のチャンスがあります。 

 

 

・イギリスのブレア首相の有名な就任演説に「国策で重要なことが3つある。それは1に教育、2に教育、3に教育だ。」というものがある。 

福沢諭吉の学問の勧めのなかに「子供はみんなの宝なのだからみんなで育てなければならない。」というものがある。 

優秀な人材を育てることは最重要国家戦略だ。その負担をほとんど恩恵を受けることのない保護者に押し付けるのは筋違い。日本が世界で最低レベルの教育予算であることを周知させる必要がある。 

 

 

・せっかく階級を形成したので、下克上されるのがこわいのでしょう。 

学費を上げ、奨学制度を複雑化し、貧困層からは人材輩出をさせないという意思が明確です。 

御用学者は、声高に「学力と家庭の経済力の相関性」を叫びます。 

そこに絶対性はなく、あくまで傾向性に過ぎないにも関わらず、です。 

千人万人に埋もれる、貧しくとも志をもち、勉学に邁進する若者を活用することは、国家のためでもあるはずでしょう。 

少なくとも旧帝大、無理なら東京と京都だけでも、無償化すべきです。 

 

 

 

・授業料値上げの深刻な作用は、「学生たちの自由が奪われる」という政治的なものが大きい。 

 

1970年、国立大学の授業料は年12000円=月1000円。学習塾のバイトが時給500円。2時間バイトすると、月謝が払えた。 

今は国立大学の授業料は54万円。これがさらに上がる。格安の学生寮も激減した。 

 

値上げにより、親や学生ローンへの依存度が上がった。かつては「自分で金出すから」と進路を自己決定することができた。それができない。家賃が払えない場合は、実家から通学し親の監視下におかれる。 

親たちは巨額の「投資」を強いられ、回収することに必死になる。学費を出してもらう学生は、金主の親へ「感謝」し、「恩返し」のためにカネになる「実学」が求められる。奨学金を借りる学生は、返済のアテを考えながら、バイトに追われながら、生活をおくるハメになる。 

 

こうして、学生運動は消滅し、真のモラトリアムは奪われた。 

 

 

・注意しないといけないのは、この意見は審議会の総意じゃなくてあくまでも某有名私立大学長の発言だということ。他の人が賛同したかは別問題なのね。 

 

しかも理由は懐具合が苦しいからではなく、国公立が安いから私立よりそちらを選ぶ高校生がいるのは競争面で不公平だ、という向きが強い。 

値上げして奨学金制度を充実させればいいとか言ってるけど、学生数が減って資金が枯渇しかねないことを見越しているようにも思われ。 

 

要するに、相手の足を引っ張りたいがための主張にしか解釈できないのよね。本気で三倍値上げしたぶん奨学金制度を充実させればいいと考えているなら、あまりにも人の心の動きを無視した、自分本位で浅い見通しの見解だよ。 

 

 

・定員割れの私立大を整理することが最優先では? 

私立大側の人間が決して言うことではないでしょうがね。 

研究費をダシにしていますが、私大と国立の学費差があるから私大の経営が厳しいんだと言うのが透けて見えます。それは私学側の奨学金で考える話だと思いますよ。(私学への補助金よりも先に考える話) 

 

国立側にしても今になって「儲かる研究」とか言い出しますが、基礎研究をないがしろにしては応用もへったくれもありません。基礎研究が多い国立大学は研究と教育は別立てで考えるべきです。 

あまり国立側研究者も特許とか金儲けには興味が薄かった(逆に銭ゲバと言われた)過去もありますからそれは反省すべきでしょう。その基礎研究に対する応用はその対価を回収するようにしないといけませんね。 

 

 

・なんか無駄に生活保護批判している人がいるが、なぜ学費と生活保護が天秤にかけられているのだろうか。おそらく生活保護の現実を知らず、生活保護=ズルという考えが根本にあるんだろうけれども、、結局、目に見えて世の中の役に立つかどうかの発想でしかない。大学の研究って、特に今疎かにされている基礎研究って役に立つかどうかを超えたところの研究だから、こういう発想の人が多い限りは日本の高等教育の行末は真っ暗だと思う。 

 

 

・本記事でいう公的教育の抑圧とは、授業料無償にすれば解決するわけではない。 

 

〉大学の全無償化など思い切った決断をしなければ国力を回復できないような状況のなか、 

 

大学の本質が何かの議論なしに何も改善しないでしょ。既存の知識を深く理解した者が、到達できる研究領域をさらに発展させるのが大学であって、基本的に大学教員がそれを担う。そこで学ぶことで更なる高みを目指す次世代の研究者を育成したり、そこで学んだ高度な知識を活用して社会に還元する人材を育成したりするのが大学教育。どこ卒業とか、どーでも良い箔つける場所じゃない。 

 

すぐ大学無償化とかカネの話にすり替えて、もっと本質的な話をせずにコタツ記事ばかり載せるのもなんだかなぁ。 

 

 

・アメリカに20年住んでいた。 

今客観的に見て2つの国を比較すれば、個人的感覚を多く考慮するのは当然として、アメリカの方が良い国だと思う。。 

だけどその中で日本社会には宝石のような存在がある。 

それは国立大学。 

全国各地に均等に存在し、主に学力で選抜されるので人々に平等なチャンスを与え、社会的評価が高く、そして最も重要なのは学費が安いこと。 

こんな素晴らしい教育システムがある国は日本以外にどれだけあるだろうか? 

日本はいろいろ問題がある国だけども、国立大学は世界に誇る最後の砦だ。 

逆に言えば、これが無くなったら。。 

もう日本社会は本当に崩壊するよ。 

 

 

・慶應義塾トップの伊藤公平氏は、中央教育審議会(中教審)の特別部会において「教育の質を上げるためには(中略)、国立大学の学費について現在の53万5800円から約150万円に引き上げるべき 

などと、おっしゃっているらしいですが、この人こそお辞めになった方が良いと思います。 

自分の学校のことしか考えずに、国のこれからの未来な事など何も考えず少子化によって、子供が私学に行く子供が減って国立大学にばかり行かれては、潰れてしまうと言うことなのでしょうが、それこそ私利私欲の意見であって、目先のことしか考えず、国を潰してしまう意見だと思います。 

 

 

・仮に値上げをして、各大学に割り振られたとして 

具体的な使用用途が決まってなければ、 

急に降ってきた大金の使い道を、急に決めて 

使い物にならない(使い手不足)装置やら 

なんだかんだと正当な理由をつけて購入したことで私物化するのが見えている。 

大学に限らず、高校も同じ(公的資金が当てられるところも生徒からの学費で賄っているところも) 

 

時間と労力をかけても、 

学費を増やしたときの用途具体案無くして進めては勇み足。 

人間は基本的に、偏ったロジックで自分の利益優先で考えることを障害の一つとして見ておくべき 

 

 

・教育に力を入れるのは当然のこと。 

これから少子化で大学が定数割れに成る。 

優秀な大学、学生に税金を注ぐ必要がある。 

反対に低レベルの大学、学生に税金を注ぐのは無駄。 

そういう大学は自然消滅させるのが良い。 

高校までは無償化させても良いが、 

高校までに進路相談を充実させて大学以外の進路を充実させる。 

職業訓練学校とか、高校も5年制の専門学校をもっと作った方が良い。 

 

 

・国立大学の授業料を上げる前にやらなければならないことがあるだろう。日本人が入学してくれず学生の8割以上が不法就労目的の留学生の私立大学などは補助金の無駄使いだからさっさと廃校すべき。定員割れしている地方のFランク私立大学も廃校にして、少子化に見合った数に私立大学の数を減らさなければならない。そもそも、いずれほぼ全ての高校生が大学に進学できる状況がおかしい。大卒がホワイトカラーにばかり集中したがり、モノづくりや社会インフラが人で不足なのは、本来大学進学する価値のない者までが大学に行けてしまうことに原因がある。くだらない私立大学に補助金をばら撒くのではなく、経済的に困っているが能力が優秀な学生が大学に通い続けられるような経済的補助にその金を振り向けるべきである。もっとも、Fランク大学の経営者ほど多くの政治献金を献上して政治家を繋ぎとめているからどうしようもないんだが。 

 

 

 

・そもそも論として。 

どうも日本とヨーロッパ諸国とは教育投資の考えが違うようだね。 

日本では教育費は個人負担が当たり前という考えが支配的で、特に高等教育は自分の将来利益を得るための投資と考えられている。 

しかし、ヨーロッパ諸国では、大学まで教育全体が公共サービスであり、教育投資はその成果が個人の利益だけに還元されるのではなく、社会全体にも還元されるものと考えている。だから、大学の授業料がゼロの国もある。 

日本は「教育立国」「人材立国」「科学技術立国」が生きる道だ。 「教育は国家百年の計」や「米百俵の精神」なんて言っているのだから、教育への公的支出がOECD諸国の中で下位グループではいけないね。 

 

 

・公的教育を受けることを制限・抑制しようという動きが顕著になっているだけでなく公立学校教育も問題が多くなっている。 

学校は講師がいないので現場の負担が多くなり、免許は更新制度以降、価値があるのかないのかよくわからなくなった。 

 

大学は一部の人のものとし、公立学校を衰退させて、お金持ちだけが良い教育を受ければいいという合意が文科省や中央教育審議会にはあるのだろう。 

そんなことは口に出してはいないが、今の流れを見ていると考えていることは教育格差のある国を作ろうということ。 

 

一部の金持ちが良い教育を享受し、一般人はそこそこの教育で良しとする。 

経済格差もこれに連動していく。 

 

 

・無駄な私立を大量に潰せば良いだけでは? 

数が大きく減った残りの大学に補助金を集中させたり、受験費で荒稼ぎ出来るのでは? 

大学進学が高嶺の花みたいな扱いになれば、大半の一般家庭は最初から大学進学の費用を考慮せずに子育て出来るようになるから、出産子育てに対するハードルが一気に下がって少子化対策になるかもよ 

 

どうせ極端な値上げを提案して、結果として3〜5割の値上げして、慶應含む難関私立との差を狭める事で就職時の強さとか、特待制度をアピールして優秀な学生を集めやすくする狙いな気がするけど、そんな小物に国が左右される辺りが、まさに「衰退してんなぁ」って感じがする 

 

 

・慶応は私立だから、学費を下げる事が出来ない代わりに国立大の学費を上げさせて、自分のとこから学生が国立に流れるのを阻止しようとする考えなのでしょう。 

裕福な人間は一握り。一般家庭で私立大学へ行かせるのは家を建てるのと同じ位の大きな負担。あげくには奨学金で行き詰る学生も多く居る。 

優秀だけど、家が裕福では無い人の為にも、更に国の為にも国立大の授業料は下げても上げてはならない。 その為の税金使いには誰も文句は言わない。 

 

あとは海外からの留学制度での厚遇は止めるべき。 税金使って教えても、日本国には何のメリットも無く損するだけ。 留学はいいけど、授業料はしっかり取るべきと考える。 甘ちゃん日本も、ここらで襟を正す時期です。 

 

 

・伊藤塾長のプロフィール 

>慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1989年に慶應義塾大学理工学部計測工学科を卒業。 

>伊藤忠商事創業者初代伊藤忠兵衛の来孫。父方の曾祖父に伊藤竹之助元伊藤忠商事社長が、母方の曾祖父に加藤武男元三菱銀行頭取がいる。 

 

なんというか、幼稚園から慶応という貴族社会の中だけで育ってしまうと、自分のいる外の世界の感覚がわからなくなって、結果として感覚がズレてしまうということの好例だと思う。 

「教育格差」とか、「東京以外の地方のこと」とか、知識としては知ってるんだろうけど、まったくリアルな感覚は想像もできないんだろうなと思う。 

こういうことを書くと「嫉妬してる」とかしたり顔でコメントする人がいるだろうけど、国立大学は広く国民全体のために存在するわけだから、なるべくバランス感覚のある人に行く末を議論してほしい。 

 

 

・この問題はやるべき事は簡単だ。教育に対してはっきりメリハリを付ければ良い。国立大学は無料、私立大学は公的な補助はゼロとすべき。何故か国立の学費を上げて私立に多額の助成金を出すから話がおかしくなる。そもそも日本がおかしくなってきた歴史と国立大学の学費上昇は明確に関係してると思うが。 

 

 

・なんだかんだ言っても、ほとんどの学生は「学歴を得るために大学へ行く」のが実態です。 

義務教育でもない彼らの学歴「購入」に、全国民から徴収した税金を投じる必要は1円もありません。 

「受益者負担」の原則で、学生から徴収するのが筋です。 

アメリカの一流大学はほぼ私立。高い学費も取りつつ、企業や篤志家からの支援も得て一流の教育を行っています。税金は国防など国民の安全保障に使われています。 

低所得層には、奨学金など各種補助がすでに用意されています。 

研究は、研究機関の研究プロジェクトに助成すればよいのです。 

大学の学生教育に税金を投じるべきではありません。 

「大学を無償化しろ」と言うのは、政治家の人気取り。もし無償化するなら、私大も無償化するのが筋。その財源が今の日本にあるか?  

無いなら受益者負担の原則で学生から徴収するのが筋です。 

 

 

・教育の質を上げるのだったら、公立小学校、 

中学校の見直しを行い、私立中学の受験生を 

減らしていくのが良い流れではないでしょうか。 

地域格差をなくすためには、どこの都道府県 

にもひとつはある国公立大学の学費をむしろ 

下げたほうが良いくらいです。 

 

 

・日本の技術力は教育機関というよりは職人の探究心の賜物と言った方が合ってる気がする。 

教育機関で平たく学力を上げるよりも奨学金制度を充実させて選りすぐりの一部が研究する環境を整えるのが有効と思う。 

 

 

・そもそも近年は国公立に行くだけでも塾が必須になっていて、この時点で年収が真ん中より下の子は目指すことすらできない。その一般家庭すら増税のキツさで国公立大へ通わせ続けれるかも危うい中、こんな乱暴な議論はおかしい。ならば、外国人留学生の実質学費無料や、大した事ない私立大への補助金を先に見直すべきではないのか。 

 

 

 

・大学にとりあえず行くという風潮が問題。 

就職や社会貢献につながらない大学を無償しようという流れも疑問。 

国を支える人材育成の場として国立大学があると考えており、値上は論外に問題と思う。 

日本の将来を考えてほしい。 

 

 

・アルゼンチンは大学を無償化していましたが、結局そんなことをしても喜ぶのは向上心が無く淡々とルーティン業務を回す大学の関係者だけですね。 

 

あくまでも経営の思考回路で継続的に優秀な人材の母数を増やし、費用対効果の観点で教育というサービスを磨き続ける必要があるからです 

 

 

・高等教育に制限を掛けようって人らは、一体日本をどういう社会にしたいと思ってるんだろうね。確かに高等教育の恩恵を一次的に受けるのは教育を受けた本人だが、人材を育成しないと日本の社会として衰退するのは記事の通りでしょう。一部の既得権益者の為に搾取出来る労働力しか必要無いと思ってるのならしょうがないが、それの行き着く先が安定した社会の崩壊でもそれを良しとするのだろうか? 

 

 

・慶應義塾の意見が入って変えるのは卑怯だろう。慶應義塾の卒業生には社長になった人が多く,慶應義塾にはお金が集まりやすく,実質在学中授業料無利子全額貸出制度の運用が可能。 

これに相当する運用を始めた平成10年頃以前には東大に絵にかいたような「苦学生」はいたようだが,以降は(慶應に行くようになったらしく)苦学生がいなくなったと当時の東大在学生から聞いている。 

すでに,優秀な学生を東大じゃなくて慶應に誘導するシステムを30年近くやっているわけだ。今や,入学しないと奨学金がとれるか分からない東大と,入学前に奨学金審査結果を知ることができる慶應(慶應義塾サイト参照)。さらに,東大の学費を慶應に近づけるUPをしたら,東大合格相当の受験生を慶應がマネーパワーで青田買いできるようになってしまう。 

東大・公教育の位置づけ,教育内容に対する適正価格の議論以前に,慶應義塾の意見が入ってしまうシステムが大問題。 

 

 

・出産費用もそう 

無料とか無償になったら 

大幅に値上げする… 

結局、無償でも無料じゃないし 

無償と言いつつ、半分弱は学費払わないと行けないのに、値上げしたら元々の金額より上がるんじゃない? 

それも、無償の中に入れると 

無償は無料じゃないから 

やっぱり、払う学費は元の金額に戻るって事 

 

子供も減るし、大学側としたらもっともっと値上げしたいはず 

 

 

・単純に学費を値上げすれば良いと言う話ではなく、学費の内訳で、それが何に使われているか、適正なのかを精査すべきでしょう。これがなければ国が増税する際と同じ思考で、少子化と相俟って際限なく値上げが続くだけです。確か私学はかなりの割合で広告費だと思いましたが。 

 

 

・正直、誰でも彼でも大学に進学する風習は間違っていると思う。本当に優秀な若者が無償で進学できるよう、大した意味も見出ださずに進学する者から多く取って給付型の奨学金に回せばいいと思う。 

 

 

・生活保護を含む低所得者向け支援の1割でも頭脳が優秀な若者の支援に向けられれば、こんな議論は起こらない。僕は弱者救済を否定しないが、日本の未来を救うほうが遥かに大事だと思っている。 

 

 

・大学教育は、国民に必要な教育ではないでしょう。 

この記事で言われるような高等教育とは 

高等学校の教育だと思います。 

国民教育として最低限の義務教育に加えて 

質を上げる教育は、高等学校の教育であって、大学教育では無いのでは。 

そもそも、大学は教育機関というより、研究機関に近いものです。しかし、私立大学の数が増えすぎて、経営的側面、商売的側面から、大学が教育機関のように振る舞っているので、皆が大学も必要な教育だと勘違いさせられてるのだと思います。 

 

 

・奨学金を使えばよいって。なんなの? 

奨学金は借金でしょ?一部の無償の人を除けば、卒業後の返済に難儀する人が多いっていうのに。その返済のために結婚も躊躇するって話も聞きました。ますます少子化を推し進めるつもりですか? 

高度な教育にお金がかかるなら、もっと減らすべきところから減らして教育に回せばよい。何とか交通費なんているのですかね?国会議員さん。交通費いらずに利用できることもあるって聞いたことありますけど。 

 

 

 

・目的を履き違えてるんじゃないでしょうか 

国立を3倍にするのが目的ではなく、公平な目線で大学を選定するのに、国立については施設費や教員の給与の実質額を正確に算出すれば授業料を3倍にする必要があるということではないですか。 

私大を整理するにも、今みたいに全大学に補助出したり、公立だからといって国立を安くするんではなく公平な目線で利用者がこれから生きていく上でお金払うだけの価値のある大学かを吟味して選んでもらい、選ばれない不要と思われる大学を淘汰する必要があるんです。 

少子化で税金も多く出せないからキチンと整理する必要があるんですよ。 

 

貧富の差の解消は奨学金を充実させたら良い 

 

安いからということでお金を持っている人が国立行っており、本来の質で勝負していないことが問題なんですよ 

 

 

・ニューズウイークにしてはかなりまともな記事だな。 

まず 

・GDPに占める教育機関への公的支出の割合(2019年時点)を発表し、日本は2・8%と、データのあるOECD加盟37か国中36位だった 読売新聞2022・10.04 

日本は国力に対して教育にお金を使わなささすぎる。 

 

・記事にあるように、日本の奨学金制度があまりに貧弱、貸与奨学金という名の、利子まで取る借金、EU諸国は授業料が格安か無料、奨学金は返済不要の給付が基本、アメリカは授業料は高いが奨学金制度が充実している。 

 

・日本は実質給与が1997年消費税5%増税から上昇せず、国立大学の授業料の異常な値上げ(1950年の国立大学の年間授業料を今の物価に換算すると3万69円!)経済の低迷と授業料の値上げ、ここにきて外圧のかかったスタグフレーション 

 

教育投資と国力の発展には相関がある、抜本的に見直さないとこの国は黄昏の国になるだろう。 

 

 

・まず、教育水準を上げるためにという理由で、なぜそれを学生側が負担しないといけない? 

国家が人材を育成するって発想が無いのは何故? 

 

で、小中高みたいに、各市町村に大学がある訳じゃ無い。 

つまり、地方の学生は自宅外通学をしないといけないから、自宅通学者と比べると、少なく見積もっても5万円/月は生活費(食費除く)がかかる。 

そもそも学生寮完備の大学ってあるのか? 

 

あと、奨学金は借金。 

給付型はかなり特殊な家庭でなければ、認定されない。 

 

 

・大学・学校の話し以前に、 

もっと「職業」「仕事」について、小さな時から 

教えていかなければならないじゃないかなぁ? 

 

将来◯◯になるなら、こう言う事を学ばなければ 

ならない。とか、◯◯に興味があるなら、この学校のこの学部とか… 

 

漠然とでも良いので、将来の仕事から逆算して 

学校や進路を決める事を教えてあげないと。 

 

何をしたいのか?分からないまま、偏差値の基準だけで、進学する人が大多数じやね? 

無意味にFラン大学に進学するよりも、 

有意義な進路・選択肢は、いくらでもあると思うけどなぁ〜 

 

 

・待て待て。この記事は多くの人が大学に進学する前提で話が進んでるが、大学ってそんな気軽に行けるような機関であるべきなのか?選りすぐりの人が大学にて高等な教育を負担なく受けられるようにする環境は整えるべきではあるが。 

 

 

・あのさ、資本主義って何がもてはやされてるか?何が共産より良いのか? 

そりゃ、才覚があれば下剋上可能って部分だ。むしろ資本が利益を生むって部分は資本主義の負の部分で、下剋上による個人のやる気の引き出しこそが資本主義の利点だ。 

しかし、まだ学習途中の学生に、いきなり才覚を活用しての商業活動を求めるのは間違っているし、教育に費用を求めたら、格差固定、つまり下剋上できない社会になる。 

国立大学は限りなく学費ゼロで、学習意欲と学習能力のみを求められる世界でありつづけるべきだ。それが未来の国富の創造につながる。 

 

 

・一般的に、難関と言われる大学ほど、親の年収が多いと言われる。学費と国の衰退は、あまり関係がないと思う。アメリカの有名大学は驚くほど学費が高い。値上げしても給付型の奨学金を充実すればいいのでは。 

 

 

・国立大授業料は短期間で物価の上昇率以上に上がった 

昭和50年度3万6千円 

平成元年度は34万円 

令和の今が53万円 

 

OECD Education at a Glance Financial resources invested in educationの国別国公立大年間授業料平均額比較(国立大 公立大)によれば日本の国立大学授業料は国立大だけで見れば世界一高額、国公立で4位 

他国の国立は日本の半額未満か一律無料 

 

短期間での授業料値上げは財務省建議や経済財政諮問会議でも提言され、受益者負担主義に政府が乗っかったため 

国立大の教育を個人投資と捉えた 

 

欧州連合教育サイトEurydice国別教育国公立大授業料の記載では独仏など欧州連合の11カ国が一律授業料無料 

EUの他国も国公立大授業料は日本の国立大の半額未満 

財源は高い税金負担 

国公立大学を社会資本で公共教育機関と捕えるのが欧州連合 

 

 

・親の本音を言わせてもらうと、大学の授業がそんなに役に立ってないかもしれないと疑問を抱きながら、日本は一応学歴で新卒一括採用してるからそれに乗り遅れないように仕方無しに馬鹿高い学費を払い続けてます。 学生時代、何割が真面目に勉強し、研究し知識を身に着けたであろうか。 

教授がいとも簡単に今日は休講とか言うのもどうなんだろうか? 大学のスタッフの年収も高いと聞く、誰の為の何のための大学なんだろうか? 

 

 

・元々偉い人達優秀な人達は、国民に優秀な人を増やしたいとは考えていないのでは。社会の仕組み自体が優秀な人を増やそうというよりは、落ちこぼれをいかに増やすかという考えで作られてる気がする。 

 

 

 

・物価が上がってるから、国立も私大も連動してあげましょうってのなら分かりますけどね。自分が学生の頃に比べて、例えば本代なんて倍くらいになってるので、普通に連動させると、どちらも学費は倍なんでしょうね。 

 

 

・教育に力を入れない国は国力が低下します。 

日本が経済大国になれたのも、貧しいなかでも教育に力を注いだ結果です。このまま教育に予算つけないで、軽視していると、そのうち韓国どころか他の東南アジアなどの国に抜かれます。そうなると日本の国は何で食べていけばいいのですかね。自然に車が出来たり電化製品が開発される訳じゃないんです。幕末や明治に列強各国に支配され植民地化されなかったのも日本の教育水準が高かったからです。 

絶対に教育を疎かにしてわいけません。 

 

 

・殆どタダの授業料で優秀な生徒を釣るシステムを造り、国立大学の権威を保ちたいのは文科省の玉手箱であった。貧困家庭の子弟が勉学において不利な環境に置かれては貧困の連鎖になると人工的に主客転倒を正当化した。その裏には金持ちの子弟は授業料の高くレベルの低い私立大学に行かせバランスが取れるとの概念があった。即ち機会の平等ではなく結果の平等を画策した。東大を例に取ると裕福な家庭が殆どで所得は慶應や早稲田のそれを上回っている。中高一貫校や塾費用が十分だからである。又100近い国立大学に優秀な人材がそんなに多数いる訳はないし単に全人大卒を造る大衆化路線でしかない。早慶でもスカラシップで優秀な学生は勉学は可能。一方実態は文科省を初めとする中央省庁の天下り先として国立大学は必要なんだろう。財務省にとっては財政投資の高速道路公団や住宅公団などより国立大学は効率が悪い。安い授業料は誰かが負担している事を知らねば。 

 

 

・日本の衰退とか以前に考えてほしい。年間150万円、多分教科書や交通費含めると180万円は掛かる。月間だと15万円 この金額も自宅から通学の前提、一人暮らしの場合は更に10万は掛かる。 子供の数にもよるが世帯年収最低1000万&住宅ローンは終わっていないと無理で、その世帯が総世帯の何%が当該するのだろうか? 

 

 

・至極最もな意見であり、高等教育無償化を議論すべき時に慶應学長の妄言は耳を疑わざるを得ない。 

 

私立大学にも多額の税金が投入されており、少子化が進む中、高等教育の無償化を進める上でそれに見合わない大学は淘汰されるべきであり、学生や税金を負担する国民にとってはその方が利益、公益になる。 

 

国立大学の学費云々は、その様な議論から目を逸らすための方便に思えてならない。 

 

 

・アメリカは公民権法以来、ずっーと機会均等を唱えていて先日のバイデン一般教書演説でも 

 

【全ての米国人に公平な機会を!】 

 

をスピーチした。もちろん違法移民も含めてだ(民主党は)。国民がアメリカンドリームを求めるチャンスを議会が保証している。その意思があれば奨学金を申請する。 

 

>可能な限り機会の平等は保障されるべきとの考え方に異論を唱える人は、少なくとも30年前まではほぼ皆無だった 

 

はい。でも30年前は大学進学率が30%だった。70%の中には元々職人、漁師、工員など第一次産業、第二次産業のブルーカラーを選んだ国民もいるが、貧乏屋の女性、難病、精神発達障害、身体障害、孤児、宗教二世、ヤングケアラー、等不本意ながら進学を拒否された国民も多い。この記者自身がアンコンシャスバイアスに気づいていない。 

 

実際、山上容疑者、ヤングケアラーの風間トオルなど機会均等ではない。氷山の一角。 

 

 

・無学な両親は子供の教育に対しても文化芸術に対しても、病気に対しても覚えがなく、知識教養もなかった。ただ、子供には学をつけたい、大学に行ってほしいとの思いはあった。その教育のおかげで、今子供達は食べていけていると思っている。知識はないが知恵があり、回りを見てお互いが監視し合うような社会だった。その同一性や共感力が崩壊しつつある今、国立大学が目指せなくなるのは絶望でしかなくなる。 

 

一口に大学と言っても授業中に歩き回り、大声で私語を交わす大学もある。金儲けのためだけにある、いわゆるFラン大学を失くして、私学助成金を国立大学へ向けてでも学費は安く維持するべき、政治家の裏金、政党助成金を振り分けてでも維持するべきだと思う。 

 

 

・文科省に予算つけろよ。公立学校の教員が足りないのも、国立大学に金がないのも、基礎研究が衰退してるのも、かなりの理由で文科省に金がないからだと思う。ラピダス一社で7000億円出す余裕がある。わけのわからん子育て支援政策のために社会保険料も増税もされる。でも文科省には何も予算がつかない。日本は異常だと思う。日本の衰退のかなりの部分は文科省に予算つけることで回復するように思う。 

 

 

・そもそも論だが、国立大学を法人化してあるのだから、学費は大学側で設定して良いはずである。なぜ国立大学が学費をあげないといけないかというと、国が大学への研究費などの予算を削ったからだ。少子化と高齢化が今後も進む社会で、どこに予算をつけるかは明白。 

国立大学を選ばず海外の大学へ進学する若者が増えれば、ますます日本は衰退する。 

 

 

・慶應の学長が国立も値上げと言った時に、慶應の学長ともあろう方が、国立に値上げしてもらわないと良い人材がうちには来ないと思ってる情けない考え方な方だと思いました。私立は私立なりの闘い方をすれば良いのに、もっと自分の大学を魅力あるものに作れば良いのにと思いました。 

国立は私立と違い、貧富差があっても学びたいと思った向上心のある子が通える場所だと思います。私立に奨学金で行けば良いという話もあるけど、今の私立は奨学金で行くには社会人になってからが大変だと思います。ましてや、偏差値の高い慶應の様な私立に行くには、地方の方なら授業料にプラスして1人暮らし費用も準備しないといけない。それでは社会人になってから奨学金貧乏になってしまう。そんな風にさせたいのですか? 

だから、私としてはなるべくお金の事を気にせず、日本の未来を担う若者には勉強してほしいと思うので、出来れば国立ぐらいは無償化にして欲しいと思う。 

 

 

 

・私文の英国社マークシート入試に違和感。数学やらずに大学生は日本くらい。国公立大学の文系みたいに数学は必須にすべき。しかも国公立大学は、共通テストで英語リスニング課したのに、私文には殆ど課されなかった。それをみて、所詮私文は、金儲けで私立大学が設置していると感じた。私立大学出身者が、地方国公立大学の大切な理系も衰退させるような意見を提言し、国が衰退していくのは理解出来ない。本当に、日本が駄目になりますよ。 

 

 

・教育費無償だの給付型奨学金だのといった議論が出ている最中に国立大学授業料値上げと言う議論がでていることにすごい違和感です。裕福な家庭の子が国立に言っているとかいう議論もありますが、18歳の大人に親の収入は関係ないでしょう。せめて理系学部だけは授業料値上げを見送るべきでしょうね。本当に国家が衰退しますよ。 

 

 

・私大側はここまで国立へ踏み込んだ提言をするのであれば、 

・定員割れが続く私大への補助金廃止 

・新規大学設立の停止 

・経営の行き詰った私大の公立化移行禁止 

 

これくらいは同様に提言するべきだ 

 

 

・問題は公教育が重要かどうかではない。国公立大学の学費が安いために、私立大学との間での公正な競争が行われず、私立大学の経営が不当に抑圧され民業の圧迫になっていることである。 

 国公立大学は安価であるべき、ということなら、すべての大学を国公立大学にするか、私立大学への助成を大幅に増やすか、私立大学の学生に対する奨学金を大幅に拡充するべきだ。 

 それと、こういう話題になると、例レベル大学に対する助成を止めるべき、と主張する人が出てくるけど、中高校の復習をしたり基本的な社会常識を教えるような教育こそが日本の社会を向上させる、ということを考えて欲しい。 

 

 

・私立大学の学生を確保したいがための学費引上げですね。文科省には天下り確保。そんな事で国民の負担を増やすな。 

私立大学は潰れろ。今が多すぎるんや。 

だいたい、私立大学は入学金、学費の他、寄付金まで集る。そりゃあ施設が豪華になる。 

その結果が大学進学率6割で、平均以下の学生がカネさえ払えば大学生という物を買えちゃう。誰が勉強を真面目にやるんだよ。今の大学のあり方が学生の質を下げているんだ。国公立大は学費を下げろ。 

 

 

・国立大で3倍の値上げしたら、わざわざ国立大行かないよね。ただでさえ負担のある共通テストの勉強して、さらに2次の勉強をして、ホント大変。センター試験の時と違って共通テストは2次テストと傾向が解離しているから、負担は相当なもの。 

 

 

・学校教育をビジネスと捉える者に国立大学の学費云々を触れて欲しくないな。国立大学は、国家、地方のリーダーを輩出する機関だと思う。だから国庫で人材を養成する意味があるのだ。 

 

 

・勉学の機会は貧富の差なく与えられるべきです。国立大学は無料にしてもらえたらいいな。ついでにいうと、私立大学は個別対応なので、慶應義塾は大学高校中学幼稚舎、全て学費三倍にするのは良いのではないでしょうか??トップの方が言い出したことなので。 

 

 

・今や東大生の家庭の世帯年収は全大学トップですし、国立大学生の家庭の方が私立大学生より裕福なのは統計にもでているとおりですね。 

学費を3倍にするのは暴論だと思いますが、ある程度の学費値上げはやむを得ないと思います。 

コメントには、Fランへの助成金を無くせとの意見もありますが、人が嫌がる介護や、保育、看護などの人材育成はFラン私立が担っている場合も多く、軽々しく書き込むべきでは無いと思います。 

 

 

・優秀な学生だけにとことんお金をかける国は多々あっても、日本は平等格差を前面に出す分、基準が優秀な学生じゃなく、親の収入が基準になる 

ただの大卒になるだけの大学や学生に税金を投入してる国は日本くらいだろうね 

 

 

 

 
 

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