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シャープの亀山工場は「世界の亀山モデル」として液晶テレビの製造を象徴していたが、シャープは大型液晶パネル事業からの撤退を決定した。

液晶テレビの成功からの衰退までを振り返り、亀山工場従業員の思いや今後の展望が語られている。

(要約)

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「液晶のシャープ」の象徴だった三重県亀山市の亀山工場 

 

 5月14日、シャープはテレビ向けの大型液晶パネルからの撤退を発表した。子会社である堺ディスプレイ(SDP)が運営する堺工場(大阪府)は、9月末までに生産を中止するという。2000年代、「液晶のシャープ」として躍進を遂げ、「世界の亀山モデル」で市場を席巻した会社の衰退に、元シャープ社長・町田勝彦氏や現役社員は何を思うのか。【全3回の第2回】 

 

【写真】シャープの大阪・堺工場から初出荷された液晶パネル 

 

「液晶のシャープ」の象徴だったのが、三重県亀山市の工場で製造される「世界の亀山モデル」だ。経済ジャーナリストの大西康之氏が語る。 

 

「1998年に町田社長が『すべてのブラウン管テレビを液晶に置き換える』と宣言したところから液晶への注力が始まった。ソニーや日立がブラウン管の高画質・大画面化で訴求したのを尻目に、壁にかけられるほどの『薄さ』に価値を見出したのが『アクオス』。ブラウン管より画質が劣るのに売れたことにソニーの技術者たちは唖然としていた」 

 

 液晶テレビは競合するプラズマテレビを圧倒し、売り上げを伸ばした。「亀山モデル」はブランド化に成功し、同社は2008年に最高益を叩き出す。 

 

 だが、2009年に大型液晶パネルを大増産すべく堺工場を稼働させた頃をピークに綻びが見え始めた。 

 

「韓国のサムスンやLG、続いて中国企業が参入すると、液晶パネル開発はスケールメリットの勝負に変わりました。機能や品質よりコスト勝負に変化するスピードが、シャープの想定を大幅に上回っていました」(同前) 

 

 亀山工場は堺工場の稼働により主にスマートフォンや携帯ゲーム機など向けの中小型液晶パネルの生産にシフト。テレビ向けパネルの生産は2018年を最後に停止している。リーマンショック以降は赤字経営が続き、2016年に鴻海傘下に入ることで息を吹き返したが、液晶事業は今も低迷したままだ。 

 

 今回、亀山工場も「規模縮小」が発表された。かつて、“企業城下町”として栄えた亀山市では、地元のタクシー運転手がこう話した。 

 

「20年くらい前の全盛期は本当にすごくて、従業員が住むマンション群もできた。それが今は誰が住んでいるのかわからないほど廃れています。交通量もぐんと減って、見る影もなくなった」 

 

 

 亀山工場の従業員にも話を聞いた。ある若手社員はこんな思いを語った。 

 

「子供の頃、『世界の亀山』と呼ばれていたのをすごく覚えています。パネル事業の縮小は悲しいが、少しでも長続きさせられるよう頑張りたい」 

 

 一方、長く亀山工場での仕事に従事してきた50代社員の表情は暗い。 

 

「液晶のシャープ、世界の亀山なんて昔の話。(2009年に)堺工場ができた時でさえ、『なんでやねん』と思った。テレビのパネルなんて儲かるわけがないと思っていた」 

 

 液晶事業の縮小で、「一部の人材をソニー系の半導体工場に出向させることも検討中」とも報じられた。絶頂期においては競い合う“仇敵”だったソニーへの出向は気が重いのではと思いきや、当の本人たちは冷静だった。 

 

「ソニーへの出向は数十人規模という話。新しい場所で学べるチャンスとポジティブに捉えたい。私は行くことになっても構わない。ある程度能力があって、他社でスキルを上げて会社に貢献できそうな人が選ばれるようです」(別の50代社員) 

 

 この質問を投げかけた別の40代社員の言葉が寂しくも印象的だった。 

 

「こうなることは何年も前から分かっていたことなので、転職する人はもうとっくにしている。今残っているのは『シャープで働きたい』という気持ちの強い人ですよ」 

 

※週刊ポスト2024年6月7・14日号 

 

 

 
 

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