( 175852 ) 2024/05/30 23:53:50 2 00 「人災だった」裁判長の厳しい言葉 遺族は涙 那須雪崩事故毎日新聞 5/30(木) 20:52 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/d394be1afe141ed79c053771bc8be469ff00c050 |
( 175855 ) 2024/05/30 23:53:50 0 00 判決後の記者会見で、涙を拭いながら話す高瀬淳生さん(当時16歳)の母晶子さん=宇都宮市の栃木県庁で2024年5月30日午後4時44分、今里茉莉奈撮影
「自然災害ではなく被告らによる人災で起きた事故だと示された」。栃木県那須町で2017年3月に起きた雪崩事故を巡り、業務上過失致死傷罪に問われた教諭ら3被告に実刑判決を言い渡した30日の宇都宮地裁判決。被害者参加制度を利用した遺族らは「学校安全に警鐘を鳴らす画期的な判決だ」と評価し、控訴しないよう求めた。
【写真で振り返る】救助され、下山する高校生たち(2017年3月)
高校生ら8人が雪山で命を落とした惨劇から7年あまり。公判は1年半以上、18回に及んだ。遺族らは毎回のように法廷へ足を運び、裁判に耳を傾けてきた。この日、開廷前には50席の傍聴券を求めて市民ら306人が長い列を作った。3被告はスーツ姿で、入廷時には遺族側に一礼して着席した。
1時間半に上った判決公判の中で、犠牲になった県立大田原高の生徒らの名前が読み上げられると、法廷の遺族らはハンカチで目を拭い、すすり泣く声も聞こえた。滝岡俊文裁判長は判決理由で「相当に重い不注意による人災だった」と厳しい言葉で指摘。3被告は判決後、報道陣を避けるように無言で車に乗り込んだ。
◇「ささやかな一生の幸せ、消えてなくなった」
「裁判長から『人災』という言葉が出てきて、すごく感動した。今後、このような事故が起こらないようにしてほしい」。判決後に宇都宮市内で開かれた記者会見には、事故で亡くなった生徒ら4人の遺族が出席し、待ち望んだ判決への思いを語った。佐藤宏祐さん(当時16歳)を亡くした父政充さん(55)は、被害者の追悼式に被告らがずっと欠席していることに触れ「罪を認め、真の意味での謝罪をしてほしい」と述べた。
高瀬淳生さん(当時16歳)を失った母晶子さん(57)は「判決が出るまで毎晩、寝付けなかった。裁判所が下した決断を真摯(しんし)に受け止め、控訴することなく刑に服してもらいたい」と涙を拭った。山岳部の第3顧問だった教諭の毛塚優甫さん(当時29歳)の父辰幸さん(72)は「量刑は非を自覚して反省するためのものだ。あの日から息子とは会えず、ささやかな一生の幸せは消えてなくなった。そのことを3人は分かってほしい」と訴えた。
同席した遺族側の石田弘太郎弁護士は「判決では、故意ではないが相当重大な過失だと書いてくれた。量刑としては妥当だと思う」と判決を評価した。
登山講習会で起きた事故を巡っては、部活動のあり方についても議論の対象になってきた。奥公輝さん(当時16歳)の父勝さん(52)は「この事故は学校安全の教訓とならなければならないと訴えてきた。学校安全に関わる画期的な判決だ」と歓迎。一方で「事故をもって部活動に反対だというわけではない。安全を確保して盛んにやってほしい。中止の基準なくやることはやめてほしい」との考えを示した。また判決を受け「(裁判中は)思い出に浸ることができなかった。これを一つの区切りとして息子の冥福を純粋に祈りたい」と話した。
栃木県高校体育連盟の大牧稔会長は「二度とこのような痛ましい事故を引き起こすことなく高校生のスポーツ活動が安全を最優先に行われるよう再発防止や安全対策の徹底に取り組みたい」とのコメントを出した。【藤田祐子、今里茉莉奈、有田浩子】
◇栃木県教委の反省と再発防止策は
教育活動の一環で行われた登山中に起きた雪崩事故を受け、栃木県教育委員会は反省と再発防止策をまとめ、今年3月に公表した。教育現場を監督する組織として危機管理意識の欠如があったと認め、現場の教諭だけに判断を委ねず「組織全体で生徒らの安全の確保に取り組む」としている。
雪崩事故は、栃木県高校体育連盟(県高体連)主催の「春山安全登山講習会」で起きた。県教委がまとめた文書によると、教育活動で登山を行う場合、地元の山岳関係者の審査を経て県教委が計画を承認するプロセスが取られてきたが、この講習会は県高体連主催との理由で審査を経ていなかった。また、生徒を派遣する学校側も活動計画や危機管理体制を十分に把握できておらず、実施するか中止かの判断を現場に委ねた。
こうした反省を踏まえ、県教委は「活動の是非を組織的に判断できるよう、指導が必要だった」と責任を認め、再発防止に向けた仕組みづくりを進めている。降雪や天候悪化の際に安全をどう確保するかを計画に細かく盛り込み、引率する教諭は経験や勘に頼らず計画に基づいて判断する運用を徹底している。
雪崩事故を巡っては、一部の遺族が損害賠償を求めた民事訴訟で、昨年6月に宇都宮地裁が県や県高体連に計約2億9000万円の支払いを命令。判決は「雪崩の発生を予見し、講習会を中止すべき義務があったのに怠った」と認定し、双方が控訴せず確定した。【池田一生】
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( 175856 ) 2024/05/30 23:53:50 0 00 ・禁固刑ということは教員免許も失い当然職も失う。人生終了。 この顧問が、どんな経緯でこの部活動を引き受けたのか分からないが、 意に反して受け入れ、この事故に遭遇し、この判決を受けたのであれば、 あまりにも気の毒だと思う。
そして教員になんてなるもんじゃないと心の底から思う。
・亡くなったことは気の毒だと思う。 でも、顧問教師を責めるのはどうなの? 罪を求めるなら、任命した校長、 さらに言えば文科省にも追求しないと。
だって、そこが任命権者だから。
東北の震災もそうでしたよね。 高台に避難させた教師を責めた。 その教師だって亡くなっているのに。
おかしいよ、何でもかんでも学校や教師に 責任を押し付けるのは。
・人災です。 ただし、教員による人災ではありません。
部活を中途半端な位置付けのまま運用させ続ける政治家や行政による人災です。 部活は職務ではない。そこに対する手当ても大してない中で、善意でやっている。それなのに起きた事故。 禁錮刑ですから、教員免許は失効しました。職務外の労働を構造的に強いられた結果、その事故の全責任を被せられ、免許を剥奪されたのです。 これは山岳部だけでなく、全ての部活動に繋がっています。
教育行政や政治家にこそ問われるべき判決のはずです。
・これからは先生も下手に部活なんてやらないほうが良いね。生徒が登山したいと言い出したら、まず初めに「付き添う教員に責任を追及しない誓約書」を提出させたほうが良いと思う。自己責任で登らせて何かあっても生徒とその親に解決させれば良いんじゃないかな。
教員が部活動に携わらないことを勧める良い機会だと思う。
・この災害で亡くなられた被災者のご冥福をお祈りします。 ただ雪山では緩斜面や樹林帯であっても雪崩の起きる可能性はあります。ですから気温の変化などにも注意して登攀します。しかしベテランでも緩斜面で雪崩に巻き込まることもあります。つまり雪山の斜面では安全な場所はないと言えます。雪山登山をする人はこのことを覚悟してピークを目指して登攀します。 そうしたことを踏まえると今回の引率教師の実刑判決はあまりに厳しいと思います。裁判長などの雪山の知識のなさが伺えます。
・大切なお子さんを亡くした遺族を思えば、判決はある意味妥当だと思います。 ただ、事故の責任を現場にいた引率教師にだけ負わせることには疑問を感じるというか、山の天候の急変はプロでも完全には読みきれないし、ましてや部活動の顧問は山のプロではなく登山経験のある素人に近い人たちです。正確で完璧な判断ができたかどうか。 もちろん、教師には生徒の安全を守る責任がありますが、顧問が引き起こした人災と断罪するのはいささか短絡的すぎる気がします。
・ほぼ毎週登山してる者です。雪山ではない夏の山でも夜は寒くなり低体温で死にます。この事故で引率した先生は登山素人であり、しかも雪山ですから完全に学校側の責任です。若干話がズレますが、教師は人材不足であると承知してます。私の中学時代も英語を教える先生が居ないから社会科を教えている先生が得意でもない英語を教えたりしてました。100歩譲って教室内で教鞭をとるのは良いとしても、命にかかわる野外での教育や指導は専門の先生でなければなりません。ちなみに那須岳では一年前にも急に風が強くなり気温が急激に下って高齢者が低体温で亡くなったと思います。冬でもなく春や夏間近でも簡単に死にますので、知らなかった人は認識して頂きたいです。
・あえて書きますが、部活動、特にスポーツは学校でやるべきではない。教員を顧問にして指導や安全管理をさせ、何かあれば責任を負わせるなど、絶対におかしい。生徒・学生も、やりたければ自己責任でスクールに通うべき。やる気と才能がある子で費用が払えないなら、何らかの補助制度があってもいい。一般的な体育会系の部活に代わるものはそうして欲しいが、山や海・川など自然を相手にするスポーツは、何かあっても全て自己責任であるとの一筆が必要。ついでに言うと、大人の登山も、山をなめた人間がよく捜索されているが、救助不要の一筆が必要。言い過ぎました。ゴメンなさい。
・親だけど教員にそこまで責任を負わせるって違和感ある。教員にしても将来ある生徒達を目前で失った悲しみは軽々しいものではないと思う。学校でないにしても再び教育現場に戻れる社会であって欲しい。 危険な環境を必要とする活動こそ、もっと公的な専門組織で安全対策を担わないと、つまらない教育で子ども達の多様性が失われてしまうのではないか。
・この裁判の第一回公判を傍聴しました。それまで裁判傍聴をしたことはありませんでしたが、この事故に関しては個人的にどうしても納得がいかない部分があったので。運良く抽選に当たり傍聴しましたが、その第一回の時から既にこれを無罪とするのはあまりに無理がありすぎるのではないか?という印象がありました。それだけに今日の判決はとても納得しましたが、ここまでハッキリとした判決が出たことはちょっと驚きです。 そもそもこの刑事裁判は事故からかなりの時間が経ってから起こされたものでした。それ以前に民事もありましたし、裁判に至る前に県教委と遺族とのあいだの話し合いは何度も何度も行われていました。にも関わらず刑事裁判の訴えを起こされたのは、それだけ話がこじれたからです。第三者である私の目から見て、これまでに県教委が示した言動はあまりに誠意が欠如していると思わざるを得ないものばかりでした。それも踏まえた判決かと。
・殆どの教員が、手当も無くボランティアでやっている、部活動の顧問で事故が起きた責任を教員個人に負わせるのはやり過ぎだと思います。刑事責任を負わせるとしたら個人にでは無く、学校や運営している法人や教育委員会などの組織の責任にしないと、部活動の事故で個人の刑事責任まで追及されたら、怖くて誰も顧問など、引き受けられなくなると思います。
・未だ地裁だし、刑事事件なので控訴するでしょう。上級審でどのような判決が出るのか? 一つ言えることは、登山、特に雪山など自己責任の範囲で行うべきで、間違っても教育で手を出すべきでは無いということでしょう。 野球でもファールボール、サッカーやラグビーでも接触プレーなどで危険が存在する以上、100%の安全は中々に難しい。 教師側の負担も考慮した上で、リスクアセスの上で止めた方が良い部活は取りやめる勇気が必要では無いでしょうか。
・亡くなったことは、大変気の毒であると思います。 部活動という括りの中で、教員はどこまで責任を追及されるのでしょう?どのようなことをするにしても、結局は大なり小なり危険はつきものです。プロですら判断を間違えることはありえますし、それを教諭に判断させることには疑問を感じます。 結果が全てだという考えもありますが、それを言ってしまえば誰も部活動の顧問なんて引き受けなくなってしまうでしょう。 学校教育の一部に部活動があるという考えはやめて、何かしたいのであれば、プロが指導するクラブでの活動とする考えも必要な時代なのではないでしょうか?
・まず、ご冥福をお祈りします。 学校の部活動の問題です。さて、教員の成り手がないのは、部活動もあります。 この件に限らず、色々な事故が起きてます。命を落としたり、障害を負ったり、様々あります。 顧問に全ての責任を負わせるなら、部活動なんて無くなればいいと思う。顧問も、家庭を犠牲にして指導してる方が多い。この件に関して、専門家の意見がスムーズに反映できる、あるいは、顧問は、全て専門家であるべきだろう。 予見が全て出来るなら事故はない。しかし、万全な体制で望まなければならない。 誰も、顧問したくない。保護者は、金を払い、専門家の元に指導を仰ぐべき。これが、事故の抑制の第一歩! 部活動、無くなります。
・自分も子どもたちを引率する立場にいたことがある。入念に下見もしたし、天候が急変し危険なら途中で中止にもした。慣れではなく、責任(なすべきことをする)を自覚し丁寧に物事は運ばないといけないと思う。これは自分も事故に合わないためでもある。 なすべきことをやっていたんだけど、結果が伴わないならば、裁判所も人災なんてわざわざ言わない。 話は戻るが、行事が終わって自分が家に帰った時のほっとした感は言葉で言い表すことができない。
・命が最も大切でなければいけない。
だがモンスターペアレントや生徒が多くなる中、教師は非常に立場が難しい。 合宿や修学旅行に行けば当然旅費はそれぞれ家庭で負担しており、現地で何かしらイベントが中止になれば文句を言う親も居て当然。思い出も無くなる訳で。
体験や思い出のため、ましてや旅費まで払わせているから、何とかイベントを実施してあげたいというのは教師なら共感するのではと思う。 今回の事故はあまりにも悲惨だが、罪を背負わされた教師達も非常に可哀想だと思う。
・高校の頃山岳部でした。 春山合宿でまだ雪深い山に入り、アイゼンやピッケルの実地研修を先生から教わりました。 テントで寝る部員もいましたが、国体選手級の部員はビバーク想定で雪洞を掘り夜を過ごす者もいました。 下山時には体力がある部員が、バテた部員をサポート(時にはおんぶ)です。山は厳しいですね。 先生は部員に、随時的確な指示と対応をしていましたが、あのとき雪崩が起きていたら…と思うと恐怖だったと思います。 生死の危険と向かい合わせの部活の先生と部員は、普通では考えられないようなコミュニケーションで成り立っていたと思います。
ご遺族以外の皆様、どうぞ先生ばかりを責めないようにお願い致します。
・学校の先生が登山の専門家ならともかく、罪が重すぎると思いますね。 部活動は専門家では無い先生達がいる中で、全ての部活動の危険を先生に求めるのは無理があると思います。 それならば部活動の全ては外部に委託し、お金はかかっても専門家を雇うべきかなと、余りにも先生達の負担が大きいと思います。
・禁固刑は厳しいと感じる。部活は教員から専門家に委ねられる時代に移行すると思う。高い費用は当然だけど保護者が負担していくと思う。ブラックな職場環境で、熱心な一部の教員に委ねてきた部活の体制は変更するべきだと感じる。 もっとも、今回の事故は重い注意義務違反している事案なので、一般化はできないかも知れないが。とはいえ、2年の禁錮は重いと感じてしまう
・本当に、難しく、繊細な判決になろうかと思う。 教師として、指導者としてって問われるとは思うけど、こんな命の危険を伴うクラブ活動で、教師にここまで責任持たせてもと思うし、そもそも、この部自体のあり方が、安全だったのか…
いち教員に専門的な部分まで責任を持たせるなら、それなりな専門的な研修をきちんと修了しとかないといけないし、組織も責任をきちんと負うように、リスクマネージメントはしておいて欲しい。
・とても悲しい事故でご遺族の悲しみ辛さは理解出来ます。私は海でスポーツしますが100%自己責任です。知り合いで命を落とした方もいます。 (父勝さん(52)は「この事故は学校安全の教訓とならなければならないと訴えてきた。学校安全に関わる画期的な判決だ」と歓迎。一方で「事故をもって部活動に反対だというわけではない。安全を確保して盛んにやってほしい。…)部活動を支えるのは凄く大変な事です。金銭的にも、肉体的にも、家族を犠牲にしないと活動出来ないのでもちろん精神的にも。悲しみには共感出来ますがこの状況で、責任追及して教職から引きずり降ろさないといけませんか?沢山の方を犠牲にしてしまった事は反省して欲しいですが、仕事を失って実刑判決受けなければならないのかはよく考えて欲しいと思います。今後誰もその責任を負わなければならない立場に立ちたくないと思ってしまうのでは?と思います。
・現在部活動の顧問をしている教師は日本に数多くいると思うけど、この判決を見てどのように感じるんだろうか。 もし自分が教師なら明日にでも顧問を辞めると思います。 今後も部活動で生徒が亡くなるというのはあり得ることですし、その責任を問われて人生が終わることは避けたいからです。
今後教師を目指す若者に対しては、この事件とこの判決を伝えた上で、それでも教師を目指す覚悟があるかどうかを問うべきだと思います。
・遺族には気の毒ではあるが、そもそも組織的な責任はないのか。教育委員会、校長です。このような特殊なクラブを経験があると言えども教員にすべて責任とするのは疑問です。このような組織的事故は教育委員長。校長も同罪です。これにより、教員の部活動顧問は廃止し教育委員会のもと専属コーチ制度に改革すべきです。教員は無償で責任は負うなどおかしいです。7年もかける裁判、判決もおかしい事ばかりです。被害者も気の毒ではあるがこのような体制を認めた教育委員長、校長にも責任を求めてほしい。
・命の危険がある活動を部活動にするべきじゃないですね 登山部は全て廃止でいいでしょう。部活でやるならトレッキング程度にするべきで、登山をしたいのであれば個人で他の所に所属すればいいのではないでしょうか。 野球であろうとサッカーであろうと命を落とす人はいますけど、その危険度は全然違いますよね。そういった危険度のある部活は廃止したほうがいいと考えます。 不幸があればそれに関わった人、全員が救われなくなります。そこまでリスクを背負ってやるべき部活ではないと感じます。
・今は過去の経験が生きないような災害も起こりやすいので、学校単位の山岳部やスキー部は廃部にしてはどうかと思います。 学生時代にスキーや登山をしたいなら、学校外の訓練された指導者のもと、契約書を交わして習わせるぐらいしないと、今は何が起こるかわかりませんよ。熊に遭遇する可能性だってあります。 自分も学生時代の夏休みに、キャンプや合宿の引率ボランティアをやったことがあるけど、昨今の急で激しい豪雨などを見ると、今の引率者はリスクが多すぎて大変だろうなと思います。
・部活動の指導がやりたくて教員になったという方もいますが、殆どの方が仕方なくやっていると思います。 本来任意なので断る権利があるはずです。少しでも嫌だと思ったら断りましょう。こんな風に責任問題になります。 指導者不在で廃部になった方がマシだと思います。
各家庭でスポーツをさせたい場合は、お金を払って信頼できる専門家にコーチを依頼すべきです。
・己より大切なお子様を亡くされた、ご遺族の念願が叶いましたね。
しかし、一つ世間が考えねばならぬことが。 「更なる安全は求めるが、中止にはしてほしくない」 この姿勢が、どれだけ教育委員会の学校任せを加速させ、現場を疲弊させるか。
ご遺族の中止を求めるのではない想いは分かるが、判決で教師たちは罰を受けることになった。その想いの方は叶った。 批判覚悟で(そこまで重いものをご遺族のみに背負わすのは違うが)、二度と行わないことを強く求めるほうが、これからにとって一番良いのではないか。 そういうことを提案する人はいないのか。 そうすれば、本当に二度と、同じ事故での犠牲者は出ないのだから。
・この判決が出れば、教諭は部活動の顧問は怖くてできないし、責任も取れないから、教諭が顧問になる頻度は減る。そして、学校の部活動は無くなっていく。 ところで日本では2005年位から司法制度改革により、弁護士の数が増えた。当時でアメリカのような訴訟社会になると懸念したが、まさに今の日本は訴訟社会になってきている。
・亡くなられた生徒さん、ご遺族の皆様には心からお悔やみ申し上げます。 しかし、本当に人災でしょうか。故意に雪崩を引き起こす何かをしたなら人災ですが、そうでは無い。予測が出来ないから「事故」なのではないでしょうか。 天災で教師や顧問に懲役を科すのは酷だと思います。 これでは雪山に係わらず訓練なんて誰もできない。感情論で人災と判断するのは違う気がする。
・裁判長の人災だったという発言や、遺族の方々の思いが通じたような形になった事は、長い間、公判を行って審理を尽くした結果だと思います。佐藤宏祐さんのお父さんが3人の被告に対して「罪を認め、真の意味での謝罪をしてほしい」とおっしゃったことは、正しくその通りだと思います。 今後、二度と雪崩事故を引き起こさないようにするためにも、個人的な主観では無く、降雪や天候悪化の際の危機管理を組織として決めておくことが必要だと思います。
・現在多くの部で専門知識のない教員が指導に当たらざるを得ない状況…しかも、1人が複数の部の顧問をするのが当たり前。 でも、この判決を聞くと、今後は絶対に部活の指導は断るべき、という風にしか思えません。もし教員全員がそうしたら、各種の大会はもう運営ができないでしょうが、税金を投入して人を雇ってもらうか、民間に完全委託して、知識のある人に完全に任せるのが安全にためにもいいはずです。
・亡くなられた方には御冥福をお祈りいたします。 ただ、事故に絶対に巻き込まれたくなければ、間違いなく危険が伴う山岳部に入部させないようにするなどの親の責任はしっかりと果たされたのですかね。結果が出てから後出しで担当の教師だけを責めるのはどうかと思います。 学校の行事とはいえ希望者ですよね。 そこまで簡単に予測できるのなら我が子を行かせるとき親は自分で調べて危険を予知し、止めなかったんですかね。 もう、先生方は危険な運動部の顧問を止めたほうがいいですよ。頑張ってやったにもかかわらす、たいした残業手当も出ないのに、徹底的に責められ実刑を受けて全て失いますよ。誓約書を取るなどという意見もありますが間違いなく運動部の顧問なんて止めたほうがいいです。危険極まりない山岳部じゃなくても少し暑いたけで倒れられたら終わりです。
・私は、40年近く山登りをしているけど、 冬山を素人だけで登るのは、 飲酒運転と同じくらい危険ですよ。 絶対しちゃいけないこと。
それさえ知らない人も多いんだけどね。
今回の出来事を人災というのなら、 顧問の先生に、 専門的な知識や実技を持たせない、 学校や教育委員会、文科省の責任でしょう。
全てのスポーツ競技には、 死に直結する危険があることを理解して 学生たちに指導する環境が必要なんじゃないかな。
登山だけじゃなくて、 格闘技やロードレース系、海洋系スポーツ、 身体がぶつかるような団体競技は 素人だけでは、やらない方がいいよ。
・この判決は教育現場に与える影響が非常に大きいのではないか。登山などの危険が伴う行事だけで無く、体育の事業や部活、修学旅行などで事故が発生すると教師に有罪判決が下る恐れがあり、そういったものが縮小される可能性があるだけで無く、重すぎる責任に教師を選択する人が減るかも知れない。 教師個人に罰が与えられたこの判決は余りにも厳しすぎる。控訴するべきだと思う。
・登山歴25年、首都圏の登山用品店に勤務している者です。この件で亡くなられた生徒の皆さんのご冥福をお祈りします。
中〜大学生の学校登山、山岳部への入部などで毎年多くの生徒さんと親御さんを相手に登山用品を販売していますが、行き先も知らない、情報を集めようともしない、知識も道具も準備を疎かにしている方が多いことに驚くばかりです。あまりに他人事で、連れていってもらってる気質の方が多いなかで、事故があったときばかり誰かのせいにするのはいかがなものかと感じる今日この頃です。
・教諭らは上告することは間違いないが、もし仮にここで遺族の望み通り判決を受け入れた場合、この高校の山岳部は即時解散になるし、他校も山岳部の活動は停止せざるを得なくなる。遺族らの溜飲を下げるために、全国の高校や大学の山岳部員らが活動停止に追い込まれ、誰が得するのか?我々は後知恵で時系列に誰がどういう行動を取っていたのかを知ることができ、そのすべての情報を元に「正しいと思われる行動」を見極められるわけだが、あの当時の互いの通信状況、生徒たちの登頂を熱望する熱意、本当に様々な要素が絡んでいるわけで、教諭らの行動に刑事責任を追わせ、職を失わせ、罰することが正しいとは到底思えないし、あの場面で起こった雪崩を人災に認定するなんてまさに「画期的」な判決であり、日本中の高校・大学の山岳部の教諭が「あほくせぇ。やーめた」ってなるだけですね。
・厳しい判決と思った。教員が部活とか見ているけど 詳しい知識があったのかな。詳しい先生も入れはど素人の先生が部活を担当しているケースも多々ある。園児が送迎バスで置き去りで死亡するニュースを見るが送迎バス事故の方が罪は重いと感じた。雪崩注意報か、雪崩警報ならまた違ったのかとも思った。山の天気や気象条件は変わりやすいし、大自然には人間は勝てない、雪崩警報なら部活中止とか、注意報なら部活は危なくない安全な場所で雪崩が仮に発生しても雪崩に合わない場所で短時間で止めるとか、具体的なルールはあったのだろうか?裁判長は相当重い人災とか、大切なお子様を亡くされた辛い気持ちもわかります。その反面教師はどうなんだろ事故を起こしたくて起きた事故ではないし、亡くなられた教師もいる。素人の教師が予見出来だろうか、疑問に思えるし謝罪がなかったかな?痛ましい事故はなくなって欲しいです。
・この判決を期に、部活の顧問等は一切受け付けなければ良いと思う。
気の毒な事故とは思うが、顧問に責任を押し付けての判決は気の毒としか思えない。
家庭を犠牲にして顧問を引き受けての結果は気の毒でしかない。
勿論、子供を失った親御さんの気持ちは図りしれないが、自然相手の事で、親の立場なら何故行かせたのか?
当然事故等想定出来たのは親も同じだと思うが
この事故については全てが被害者だと思う。
亡くなった方の御冥福をお祈りしますが事故は事故と割り切る事も必要ではないのか?
・亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。 その上で、雪山は雪崩が起きる事もある。 海や川で泳げば溺れたりする事もある。 運動会だって熱中症のリスクもある。 そろそろ学校は教室で授業だけを受ける場のみにしても 良いのではないかと思う。 それでは子供が可哀想と言う気持ちも分かるがね。
・また教員のなり手を減らし、現場の首を絞める結果となりましたね。 そりゃ引率教員の責任にしておけば簡単だし、責任を追うもの以外の人は他人事なんだから。 どんな場面にも危険やリスクは必ずある。教室で授業していても、どこかに危険は潜んでいるわけで…それを予見できる人がいるならやってみて欲しい。 亡くなった遺族の思いは計り知れないかもしれない…だがその怒りや追求、ましてやマスコミの一方的な報道を引率教員だけに向けるのは絶対に間違っている。
・この地裁の判断は違う気がする。 亡くなられた8人の遺族の方々の気持ちは分かるが、怒りや悲しみなどの全てを教師にぶつけてる気がしてならない。 結果的にそれが裁判長の判断にも繋がったのかもしれない。 だけど中立的な視点から見るに、執行猶予無しの実刑は酷すぎる気がする。 実刑になれば教員免許は剥奪だし、仮に判決が確定し刑期を全うして出てきても、職があるかどうか。 お互いが納得できる判決を出してもらいたかった。 自分が教師側の立場だったら、控訴する。
・確か、天候の崩れと雪崩の予報も出ていたのに、予定は変えたものの、ラッセル訓練か何かを野外でやることにして、雪崩に巻き込まれてしまったのだった記憶。雪山登山を行う指導者や監督者なら、アバランチ講習など受けるべきだし、雪崩の予報が出てたなら、野外活動は中止にすべきだったのだと思う。
・計画そのものを中止すべきだったというのはあとからは言えるしその通りだし、今後、リスクがわずかでもあれば雪山における活動を学校の部活指導としてやるのは一切やめるべきと言える。しかし、今回においては、悪天候で縮小した計画に対して、現場で生徒の希望がありさらに上の雪崩発生部位を目差したという報告がある。経緯からも教諭を実刑というのは全く適切な判決ではない。
・痛ましい事故だった。 この判決はだと思う。しかしね、子供の親側も学校に任せていたのは間違い。危ないか否かの判断を誤った。第三者はこの事象をどう見て、何を考えるのかが重要と考える。 個人的な意見を言わせて貰えば、 学校の教師は信用出来ないので、野外活動に行かせるかの判断は最終的には親が決断しなければならない。 今は特に信用出来ない時代なんです。何故なら人間性を疑う人しかいないからです。従って、子を持つ親は学校任せではなく、自ら判断しなければならない。その判断が誤れば何かしらのアクシデント、またはそれ以上の最悪な結果を招くという事を想定しなければなりません。その責任の一部は親側にもある事を忘れてはならない。子供を育てるという事は本当に大変なのです。
・判決自体は妥当だか、 高校教育の延長の部活での出来事で 教師がボランティアに近い所で 対応するのには限界があったかと思う。 これも含め非営利団体として 専任の監督者や安全管理者を 地域で用意し、 学校スポーツからの脱却をしたら良いと 思う。
・今から28年前、札幌市内から北海道ニセコアンヌプリに学校行事で夏山登山しました。指定ジャージで水筒、タオル、スニーカーで学年全員楽しく登りました。途中から手をつかなければいけないような岩場、角度、周りには霧が立ち込め、夏靴は滑るし、12月くらい寒くて。クラスごとに登っていたはずが今はどのクラスと混ざっているのかもわからず、どこが正しい道か軽くパニック。先生方が声を張りながらも明るく危機感を持たせず、はぐれないように集めながら登頂を目的としない行動をとらせてくれました。 あの時のことを思い出すとふわっと怖い気持ちになれますが、無茶に登らせない判断をしてくれた。とても感謝しています。
変わらず北海道在住で素晴らしい山々がありますが、あれから登山しようと思ったことは今もありません。
・ゲリラ豪雨や線状降水帯の天気予報が出ているのに通常登校や通常通勤させる日本の慣習って、そもそも危機管理がない国民性ですよね。電車や飛行機が止まれば旅行や仕事に影響って文句を言う始末。大雪警報が出ているのに普通に通行して渋滞作って数日身動き取れなくなったり。 現場にいる人間だけではなく、学校なり、親なり、関係者なり、今日の天候で本当に大丈夫なのか?って心配して一言確認するような行動を取れるような世の中になればいいね。
・命を落とされた生徒並びにそのご遺族には申し訳ないが、判決結果にはかなりびっくりしている。詳細な事情は知らないが、「人災」という意味がよく分からない。雪崩は紛れもなく「天災」ではないのか。生徒を死なせてしまったとはいえ、また、自然を甘く見たところがあったかもしれないとはいえ、教育活動の精励中に発生した「天災」事故で顧問教諭が実刑とは驚いた。確定判決ではないが、これではますます教員の成り手がなくなる。
・雪崩の事故が人災とされたケースは過去にも多い。雪崩はある程度予見できる自然現象だから。 でも、学校の部活動の引率教師にそれを求めるのが妥当かどうか。 そろそろ日本の中学・高校で行われている部活動の有り様について真剣に考えた方がいい時期だろうね。
・突然若い命を亡くされたご遺族にはお悔やみ申しあげますしどれほどの無念か考えてはいます。 ただそれを踏まえても今回の判決は違うと思います。 この事故については記憶はありますが詳細や真実までは私はわかりません。確かに現場責任者として責任はもちろんありますし杜撰な判断だったのかもしれません。 しかしこの様な案件を現場教師にだけ禁固刑にするのなら、私が教師の立場なら明日からでも部活顧問は辞めます。当たり前でしょう、たいして手当もない、自分のプライベートの時間であるはずの時間まで部活に使う、自分の家族や親兄弟、友人知人との時間を割いてまで最悪禁固刑まである事に誰が費やすんですか? 明日から日本中の先生方は部活動辞めていいと思います。 この事故含めこんな世界で先生だけに責任押し付けるのは絶対間違ってる。文科省の責任、国の責任、それとそれぞれ地域の教育委員会の責任は絶対にあるはずです。
・事故の7年前に行われた同じ講習会でも雪崩が起きていたが報告もされず文書での情報共有もされなかった。重大インシデントのようなもので危機管理の考えが希薄だったと思う。 とは言え、いくら危機管理を徹底しても雪山でのリスクは相当高いはず。完全に事故は防げない。やはり雪山での部活動は、仮にそれが雪山でのリスク管理を体験・修得することが主眼だとしても、そもそも無理だと思う。
・部活の顧問は、本当にリスキーですね。実際、私も中学の部活動中に、命を失いかねない大事故にあいました。中学に入学して早々の仮入部期間中に、飛んできた砲丸投げの砲丸が頭に直撃して、頭から大出血しました。死ななかったので、当時の顧問の先生を訴えたりとかにはならなかったですが、死んでたら顧問の先生が業務上過失致死罪になっていたかもしれません。。そして今の自分の仕事(保育士)も、真摯に安全に配慮して日々業務にあたっていますが、事故が起きれば、犯罪者にされるリスクがあります。保育の仕事は好きですが、そのリスクが恐ろしくて、自分の身を守る為にも、辞めるべきかと悩むことはあります。
・正直に思う所として子を持つ親としたら簡単に責める所は教師しかないと思うからそこに責任の所在を持って行くのが簡単だからそうすると思う。ただ教師の身にしたらボランティアで参加してるようなものなのにこうなっては前例が出来てしまい部活動の顧問、引率なんて誰もやらなくなりそうです。この裁判長の人災はていのいい人切のように聞こえます。
・ちょっと気象をかじってたら、雪崩は予見できたと思う。 気象に詳しい人に意見をもらうとか、今はネットで気象庁で色々データを見れる。 わたしは東海豪雨を体験したが、当時スマホもなくインターネットも普及したばかり。 当然雨雲レーダーも見れない。 線状降水帯の言葉もなかった。 突然バケツをひっくり返したような土砂降りで、いつまで続くのか恐怖でしかなかった。
・色々学校側にも不手際があったようですが、現地で何かしら雪崩を誘発するような 行為を行ったわけでもないし、原告らは自ら進んで生徒を連れ出したわけでも ないし、どんな山にでも雪崩や滑落の恐れはありますから、引率者に有罪判決 というのは違和感を覚えますし、禁錮とはいえ実刑というのはいくら何でも 厳しすぎるのではないですかね
・雪崩の発生を予見すべきだったということでしょうか?雪山という一般的な危険性の認識の問題と、雪崩発生という具体的な危険性の予測義務の問題を混同していないでしょうか? この前は、ビルの6階以上は密室ではないというような判決もあった記憶があります。 最近、裁判所が感情論に流されているような気がしてなりません。「情緒法」的な発想は厳に慎まれるべきでしょう。
・どうなんでしょう。 私も高校で柔道の指導をしていて、怪我が多いという事で、廃部になる高校が増えて来ます。 登山部(山岳部)も、この判決が確定した後は、責任がとりたく無いと言う事で、廃部になるんでしょうかね。 その方法で良いのでしょうか? 多様性と言われている今の時代、トカゲの尻尾きりにならない事を願うばかりです。
・これは人災と言う裁判の決定は当然と言えるでしょう。雪山の知識が浅い経験も乏しい先生が指導した事による人災です。 知識のある経験の豊富な方が指導すべきでも当時雪崩の注意報が出されてたにも関わらず実施した。経験が浅い先生でも生徒の命を預かる教師なら中止はできたはす、 コメントの中には教育行政、政治家に問う事だと言ってる方もいますが。この事故は直接指導した教員に問題があったと思ってます。生徒の命を預かる立場として無知で疎かな判断を下した事ですよ。 1人でも中止を訴える教員がいたらこんな悲惨な事故は防げた事故のはず、実刑判決はやもえないでしょう。
・雪崩に関しては本当に難しいと思う。 雪崩に細心の注意をはらっているプロの世界的に有名なプロのスキーやスノーボーダー、登山であっても雪崩で亡くなっている。しかし今回の事故は確かに天候や条件が危険な状況であったのは間違いない。
・亡くなっている、若者や教師がいるので軽はずみには述べることは難しいが、 安全は何よりも優先する と言うことに充分心掛けて行わなければいけないが、野外で活動する限り危険とは隣り合わせであることも事実で、 これを引率者の責任にしてしまうと、今後の活動がこじんまりしてしまい冒険的な活動が出来なくなってしまう傾向となってしまいそう。
コメントを書く上で、私は子供を亡くしていないので中途半端にはなってしまいますが、連れて行ってもらう以上、引率の先生に全てを委ねるしか無いような気はします。
・亡くなった方々や遺族の方々は大変気の毒だと思います。 私は登山をやりますが雪崩は自然が起こすものです。予見するのは簡単ではないと思います。 遺族の方が「これを教訓に」と発言されていましたが、そうであればこの判決を機に「顧問なんかなるもんか」という教師が増えると思います。
・先生と生徒のためにも、部活なんて無くした方がいいと思うが。禁固刑だと失職では? スポーツでも何でも、やりたければクラブチームへ。 なんでもやるには金がかかるようにしないと。 先生の負担軽減もあるが、生徒や先生も犠牲になり、素人先生が犯罪者になる仕組みは無くさないとね。 コーチ業とかの雇用や副業にもつながる。 授業料免除の動きもあるし。
・お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。ご遺族の無念さ計り知れず、お悔やみ申し上げます。
その上でこの記事を読み、誠に勝手ながら私は自分のもつ部活の今年度の夏合宿を辞める決意をしました。全くの門外漢ながら強豪校に赴任し、管理職の求めを受け顧問を引き受けました。生徒保護者OB歴代の顧問の強い要望と長年続く常宿に飾られた合宿写真。無我夢中で指導に取り組み、コロナ明けの昨年夏より合宿再開しました。もう無理です。安心安全に十分注意して、説明会を行い承諾書をとって実施して、、、。命を預かる責任をもって最善を尽くしていますが、このような件があれば、もう私には無理です。実刑になったからではなく、事故があったからでもないんです。家庭を犠牲にして、生徒の成長や充実感に応えてきたつもりですが、もう気持ちがいっぱいいっぱいになります。辞めたいといって辞められないし、どうすればいいのか。
・横道にそれた事になるかも知れないが。 事故が起きた時に教員や指導者に対する批判ばかり強調されるのには 昭和20年代生まれの老人として、とても違和感があります。 教員・指導者の方々は生徒や部員のために時間を割き、時には自分の生活も犠牲にして活動されてきた経緯があるはずです。 そういった点は論外であり、あくまでも結果と言いたいのだろうか。 惰性で登山を計画実行など誰が行うだろうか、与えられた条件のなかで最善と思われる策をとったが事故は起きた。 事故の後からは、プロセスの瑕疵ばかりを後講釈のように追及されて 針の筵に置かれているような・・・。
・ランニングと山登り歴20年です。息子と娘は二十歳を過ぎ、夫婦共にあちこち山に登ってます。 この件に関しては、自分の子どもをトレイルランナーに育ていれば危険回避能力を備えてると思いますが、学校の部活動だけの教科書な知識で冬山登山は素人では絶対無理です。 多くは語りませんが、結果的に無謀だった事をムダにしない活動にしてもらいたいです。
・亡くなられた方々にご冥福をお祈り致します。 そしてこの件を期に教員免許を取得する方達は今後減るでしょう。 確かに雪山での判断を誤った 「人災」。 禁固刑に成り教員免許も剥奪。 亡くなられた方と教員は同時に人生が180度変わりました。 部活を始め、全てに置いて何かあった場合、教員が責任を背負うとなれば、この先教員、教師を目指す人達は居なくなるだろう。 その位に考えさせられる事だった。 それでなくても実際に教育の場で教師に対するモンスターハラスメントは起きているのだから。
・雪崩を人災というのかどうかも個人的には怪しいと思う。確かに今回の場合、寒さなどで緊急時の対応ができなかったり、事前の準備が不足していたなどはあったのかもしれない。 ただ、今回の場合は雪崩という自然災害である以上、やむを得ないこともあるだろう。 過去にも地震にあって高台に避難したが、それ以上の津波がきて亡くなった際にも、教員が非難されている。教員はあくまで教師であって、万能な存在でもないし、勉強以外ははっきり言って専門外の場合が多い。 生徒たちだけにいかせてほったらかしたわけでもない。監督責任があったとは言え、部活動の一環として付き添った結果、雪崩に巻き込まれて、色々とトラブルがあり迅速な対応ができなかった。だからといって、教師だけに責任を押し付けるべきではないだろう。それならそんな危険な目にあうかもしれないものは全ては控えるべきだ 。教師だって生徒を失って被害者のようなものでもあると思う。
・神戸のJR列車転覆事故でも確か20人程度の犠牲者だからね。
改めて8人の尊い犠牲の意味は大きいと思います。
その命の価値は例え先生方の業務時間中の悪気は無かった事故かもしれないが、責任を償うという意味、それを回避できたのは引率の方々のみという観点からもで実刑は妥当かと個人的に考えます。
命を失う課外活動などは、過失ゼロの交通事故のような出来事以外はほんの僅かな確率でも行わないほうが良い。
・亡くなられた生徒さん親御さんには、お気の毒です。 ただ、顧問の教師さんたちに実刑判決だなんて、どうなんだろう。 雪崩を予見できたということだけど、その活動に参加させた親の責任は全くないのだろうか。 教師や学校ばかりに責任を押し付けるのは、どうなんだろうと思う。 顧問になりたくない教師も、益々増えるんじゃないかな
・部活動って、教員の希望が通る訳ではないんですよ。ある程度、経験なんかを考慮してもらえますが、全くの素人が就くことも多いです。まあ、ストレスですね。生きがいとして取り組んでいる方もおりますが、こういう判決がくだることも考えると、教師の過失があったんでしょうが、教師が部活の顧問を当たり前にする時代じゃない気がします。
・神戸のJR列車転覆事故でも確か20人程度の犠牲者だからね。
改めて8人の尊い犠牲の意味は大きいと思います。
その命の価値は例え先生方の業務時間中の悪気は無かった事故かもしれないが、責任を償うという意味、それを回避できたのは引率の方々のみという観点からもで実刑は妥当かと個人的に考えます。
命を失う課外活動などは、過失ゼロの交通事故のような出来事以外はほんの僅かな確率でも行わないほうが良い。
・亡くなられた生徒さん親御さんには、お気の毒です。 ただ、顧問の教師さんたちに実刑判決だなんて、どうなんだろう。 雪崩を予見できたということだけど、その活動に参加させた親の責任は全くないのだろうか。 教師や学校ばかりに責任を押し付けるのは、どうなんだろうと思う。 顧問になりたくない教師も、益々増えるんじゃないかな
・部活動って、教員の希望が通る訳ではないんですよ。ある程度、経験なんかを考慮してもらえますが、全くの素人が就くことも多いです。まあ、ストレスですね。生きがいとして取り組んでいる方もおりますが、こういう判決がくだることも考えると、教師の過失があったんでしょうが、教師が部活の顧問を当たり前にする時代じゃない気がします。
・引率した教員による人災か。 高校教諭で雪山登山に十分な知識がある人は、限りなく少ないだろう。 ボランティアのように部活顧問をし、休日返上し、おそらく独学、大変な職業だ。 亡くなった生徒さん、引率教師、正直どちらも被害者のような気もする。 これきっかけに部活は教員メインより外部講師メインにする流れがさらに加速して欲しいなと思う。 高校教師で運動部顧問とか、相当ブラックで過酷な仕事だと思う。
・古いデータで、申し訳ないが、令和元年度に、JSCが医療費給付を行った災害件数は、小学校・中学校・高等学校合計で886,428件(小学校333,137件、中学校303,550件、高等学校249,741件)あり、そのうち、体育活動中(体育の授業及び部活動)に起こった災害は513,166件(小学校87,308件、中学校223,527件、高等学校202,331件)これだけ怪我が発生してる事実がある。この怪我等に対して全て予見できるものとすれば、当時の先生は授業中である事を考えれば、全員業務上過失障害罪 という事で立件出来るという事か?
・亡くなった生徒さん達のご冥福を心よりお祈り申し上げます。それは大前提です。
そこで、当時の指導教員に全て責任を押し付けるのはどうなんですかね。 部活と授業中は違うように思います。 過酷な労働環境の中で指導を間違えた。
初めから葬儀にも出席して(校長や教育委員会の責任者と共に)土下座してでも倫理的な行動をしていれば裁判官や遺族の考えも変わったかもしれません。責任逃れを見透かされての結果のように思います。
自身の保身に走り結果的に守る事が出来なかったことになります。
・人災ということは免れないでしょう。しかし、雪崩の予測をどこまで教員に求めますか?そんなこと無理です。 それなら、そもそもこの行事の決行を許可した校長、教育委員会の責任を問われるべき。 こんな判決出すなら、教員を志望する若者はもういなくなる。そして、学校から外に出ての活動は何もできなくなる。誰も部活動の顧問はやりたくなくなる。 亡くなられた生徒さんのご遺族の悲しさ、悔しさは計り知れません。しかし、教師もなくなっています。 ある意味命がけの仕事なのだということを知ってもらいたい。それで事故が起きたら実刑…やってられない。
・第一審で実刑判決を言い渡された場合、その時から保釈は効力を失い、もとの勾留が復活するので、その日から、刑事施設に収監されることになります。 そして、保釈の請求も、実刑判決の言い渡しの日からできるようになります(再保釈といいます)。
ネットにはこう書かれているが、記事には実刑を言い渡された被告3人はタクシーに乗り込んだとある。 元々勾留されていないにしても実刑判決を受けたのに、なぜ収監されないのか?
・毎年、冬山で遭難したり、滑落したりして多くの犠牲者が出ている 海なら天候が悪ければ遊泳禁止にもなる なのに、多くの人が生命をおとす冬山登山は許されているのだろう? 捜索隊や救助隊の2次被害だってあり得るのに… 自己責任と言っても事故に遭えば、誰かに頼ることになりますよね
・冬山やりますが例えばピッケル一つにしたって練習していないと滑落中なかなか止まらず何百メートルも落ちていきます。その練習も小さな雪庇にわざと乗り崩して自ら落ちるのです。迅速に身体をひっくり返して上半身の体重をピッケルに乗せる練習です。学校の部活ではリスク取りすぎになると思います。3シーズンだけにとどめたほうが…
・生徒だけで登らせて雪崩にあわせたなら人災でしょう。 先生が引率して登山しているんだから先生自ら危険と感じながら無理やり登ったりはしないと思う。 それにこの講習ははじめ別の山で行う予定だったが、危険を感じ雪崩のおきたスキー場に変更され行われており先生たちは危険回避行動をとっている。 裁判官は知識を持っているなら危険を認識できたといっているが、逆を言えば先生たちは知識を持っていたからこそ登ってもいいと判断したが雪崩に巻き込まれたともいえる。 先生の過失は生徒たちに冬山の危険性、怖さと雪崩はいつ起きてもおかしくないというもとの行動をとることを生徒に理解させきれなかったことだと思う。
・こんな訓練をさせた教育行政に責任があるのではないか。危険であるかの認否はある意味想定外であろう。何らかの落ち度があったから人災、死亡に至った要因は天災。天災がなかったら、感謝されていたかも知れない。遺族の心情も分かるが実刑が妥当かは判断しかねる。
・教員個人の責任をいうとき、登山部という部活動の特殊性がある。天候や指導者の習熟度が生命に関わってくる。事故後の県教委と遺族の話し合いも平行線だったと聞く。亡くなった遺族の心情を考えると、早く決着して報告したいという気持ちも理解できる。単純な問題とは言えないですね。
・登山が部活動で雪崩は天災で有った。部活動顧問の先生が単なる教師だけなら天災で終わるのでしょうが、登山家で有り天気で山の状況を予見出来る知識は有るはずだし、持っていなければならないでしょう!雪の状況も新雪が降った後は雪崩が起きやすいと聞きます!子供達にせがまれたにしても「雪崩の危険性が有るから中止します」と一言言ってれば事故は起きなかったと思います。人災と判決は下ったが過失致死傷害罪で2年とは短い気がします!慰謝料の支払い命令も出てますが、ちゃんと払われる事を確認して欲しいですね!
・本当に無念ですけど。 自然界の中でみんながあり得ること予想できたのか? 専門家でも結局は判断つかなかったんじゃないかと思う。 こう言う事故って本当に難しい、 この事故でまた失うものが増えればまた 雪山は禁止になるだろうし、スキーもたくさんの制限、スポーツもそうなりかねない、学生の合宿や他 も専門家に聞いてやるのか?専門家がOKだしても事故起きたら専門家が攻められみんなしないだろうし予測は難しい
・弁護士のダブルスタンダード的な発言は偽善者発言だと感じました。 確かに学校サイドの過失も相当あるとは思いますが、こういう危険を伴う部活動をやるなという判決には変わりない。 安全を確保して盛んにやってほしいと言っているが、人のやることに安全の確保というのは熟練していても難しい物。 つまりこの弁護士がいったことは盛んにやってほしいというのは偽善であり、実際は教師にその安全負担を強いる上に、負担の嫌がる教師が多くなれば盛んになどとやるはずもない。 やりたくない物をやらされて実刑受けるくらいなら顧問なんてやりたくないとなるのは当然のこと。 これからはお金を出して部活の顧問を雇う方向に行かないと教師の責任と負担ばかり増える
・単に引率教諭と呼ぶと、あたかも素人集団に聞こえますが、3人は登山歴が22年ないし35年と長いベテランで、登山専門部会のメンバーで、春山安全登山講習会の講師を何度も務めていた経験値の高い人物。 総勢9人の引率教員が全員、部活顧問を押し付けられたような、雪山の初心者と言うわけでは無いようです。
その豊富な知識と経験が全く活かされず、委員長に至っては無線機も持たずに、事故発生時には宿で旅費計算をしていたらしい。 降雪の酷い悪天候ならば、講習内容を平坦地での雪上訓練等に変更する、その程度の判断は経験者ならば出来て当然。
それほどの杜撰さが有ったからこその有罪判決なのでは無いでしょうか。 裁判官が「人災」と言ったのはそういう事です。
・そろそろ部活動等は外部から雇ったらどうでしょうか、そもそも教員はやる事が多いのに部活動でプライベートが潰れる事も多いでしょう。 そのせいかやたらと厳しい教員もいますし。 外部から雇うお金は別にこちら保護者側が全額とは言わずとも出してもいいです!!!!子供達が安全に部活動に携われるのであれば教員じゃなく顧問、コーチ雇って下さい。
ご遺族の方、やり場のない怒り悲しみ苦しみをよく耐えてきましたね。きっと喪失感だけは一生消えない。人の命は戻ってこないから。ご冥福をお祈りします。
・他の方もおっしゃっていますが、亡くなった方への補償はきっちりすべきだと思いますが、教師にすべての責任を押し付ける判決です。これでは学校でスポーツの指導をする教師はなくなるでしょう。遺族の方への感情論で判決を出していたら日本社会全体で、多少の危険は冒してもトライしていくチャレンジ精神は今後皆無になってしまうでしょう。
・通常の部活動での事故であれば、 故意や、あきらかに重大な過失がなければ 顧問教師の責任が問われることはない。 書き込みで「部活指導をする教師はいなくなる」 という受け止めは一般的にはそうと思える。 しかし、今回の判決内容や 先行した民事裁判の判決内容を読めば、 被告の3教師が、生徒や同僚教師への 安全をないがしろにしていた責任は免れないと感じた。 無線を持ちながら応答もしていなかった ことで対応が遅れたことは判決でも指摘された。 旅館で経費精算やっていたという書き込みさえあるよね。 現場の先生たちには委縮してほしくないが、 重大な過失の責任はやはり取らされるべきだと思う
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