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秋葉原「オタク離れ」が起きている? 「アキバ文化」象徴する店が消え街の姿が変わった

J-CASTニュース 5/30(木) 19:05 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/3d428293f99f62b8ead3bfe60959685caa4f7d53

 

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秋葉原では、2022年以降に多くの店舗が閉店や規模縮小をしており、街の風景が変化している。

かつて電気街からオタク文化の象徴へと変化していた秋葉原が、10〜20年前の魅力が失われつつあるとの声が広がっている。

有名な店舗の閉店や観光地化により、秋葉原の魅力が薄れているとの指摘もある。

一方で、推し活などの需要は変わらず、秋葉原以外でも関連イベントが開催されるようになったことから、特定のアキバ系コンテンツを求めるオタクだけが秋葉原に足を運ぶ必要があるわけではないとも指摘されている。

(要約)

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秋葉原の風景1 

 

 「秋葉原の見慣れた光景が変わったな~」という声が、SNSなどで聞かれる。実際、2022以降、東京・秋葉原で閉店や規模縮小する店舗が多く、街並みは変わってきた。 

 

 この種の投稿内容をよく読んでみると、「10~20年前の秋葉原は雑多で魅力があったが、それが無くなってしまった」というのが、真意であるらしい。かつて電気街、その後「オタク文化」の象徴だった当時の様子を知っている人たちが、街から離れてしまっているのだろうか。 

 

■閉店したガンダムカフェ、とらのあな、肉の万世 

 

 秋葉原で、2020年以降に閉店・休業した主な店舗を調べた。22年1月に「ガンダムカフェ」など4店舗、同8月31日に中古漫画販売「とらのあな 秋葉原店A」、23年12月6日にホビーショップ「イエローサブマリン秋葉原スケールショップ」、24年3月31日「肉の万世」秋葉原本店といったところだ。秋葉原のシンボル的な店が、どんどん消えている。 

 

 逆に、メイド喫茶から鞍替えした「コンセプトカフェ」は増えた。これは「特定のテーマを取り入れて全面に押し出す」営業をしているカフェやバーを指す。秋葉原のコンカフェ・コンセプトバーを検索できる「コンカフェちゃん関東版」に登録されているのは、219店に上る。 

 

 店が入れ替わり、秋葉原を象徴する建物が無くなっている。ニッセイ基礎研究所でサブカルチャーやオタクの消費行動を研究する廣瀨涼氏に取材すると、「『オタクの秋葉原離れ』は、あると思います」と話した。 

 

 その一因として、2010年頃からのJR秋葉原駅周辺の開発で、画一的な駅前になったことを挙げた。 

 

 「再開発前にあった『秋葉原ラジオ会館』のような独特の雰囲気が無くなり、『秋葉原に来た!』というオタクのアイデンティティーを感じることが減ったことが、原因の一つとして挙げられます」と話す。一方、「秋葉原自体が観光地化したことで、街の変化と共に居場所や心地よさが損なわれたと考える人たちもいるでしょう」と解説した。 

 

 

 ランドマークのような施設が消え、通信関連や電子部品販売の小型店が次々と姿を消した秋葉原。こうした店を目当てにしていた人々の足が向かなくなっていると、廣瀨氏は説明した。 

 

 Eコマースの発展も影響しているという。インターネット通販の拡大のため専門店で買わなくても済み、必ずしも秋葉原にくる必要がなくなったことが挙げられる。 

 

 一方で、10~20代の「推し活需要」の点から考えると、テーマカラーの商品を買う「推し色消費」ができるコラボカフェやイベントが、原宿や東京スカイツリーで開催されることがある。このことから、次のように指摘した。 

 

「推し活を含めた『オタ活』全般をする人口は増えているため、関連の市場の規模が大きくなっている。また、秋葉原以外の地域でその需要が満たせるようになっていることもあり、秋葉原に対して需要を見いだしていたのはアニメ、ホビー、マンガ、アイドルなどのアキバ系コンテンツを消費しているオタクのみでジャンルによっては秋葉原に来なければいけない理由は、そもそもない」 

 

 

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(まとめ) 

秋葉原の歴史や変遷について多くの方々が意見を述べています。

20年前にすでに通販が主流化していたことや、ヨドバシの進出などが街の変化に影響を与えているとの声がありました。

かつてのオタク文化やジャンクショップの楽しみ方が減少し、観光地化や大手企業の進出によって街の個性が失われたとの指摘もあります。

ネット通販の発展や外国人観光客の増加など、多角的な要因が秋葉原の変化に影響を与えているようです。

一方で、オタク文化や個性的な店舗を求める声もあり、変化があったとしても一部で魅力が残っているとの意見もありました。

秋葉原が抱える課題や変化に対する懐疑的な意見もあれば、街の新しい魅力や楽しみ方を見出す楽観的な意見もあります。

時代とともに変化する街の姿について、さまざまな視点から議論が行われていることが伺えます。

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・家電やPCパーツも通販が主流になるのは20年ぐらい前には既に予兆があったし、しかもヨドバシが電気街の敢えて反対側に店舗構えたことで、人の流れが変わってしまった。 

 

さらに、オタクに目を付けたメイドカフェ・コンカフェ業者が空いたテナントに入り込んで、歌舞伎町よりも変な雰囲気の街になってしまった。 

小学校があるからあからさまな性風俗店は出来ないけど、ほとんど変わらないような店も多いし。 

 

時代の流れと言ってしまえば終わりですが、仕方ないですよね。 

秋葉原は利便性が良いだけに、これからも大規模開発されて無機質な街になるだけでしょう。 

 

 

・飴玉くらいの小さなコンデンサや抵抗器だけを並べた店主はなんでも教えてくれました、「この発光ダイオードにはどの位の抵抗を使えば良いの?」と尋ねると「100kΩカマシときゃいいよ…」って言う感じで、そう云うオヤジさんが居なくなって寂しくなりました、その時赤色ダイオードをタイマーの表示灯として使い初め、1日8時間365日、16年使えてます、明るさも変わりませんのでまだいけると思います 

 

 

・私は電子回路を作るし電子部品を売る店で働いてたけど、電気・電子関係の店が無くなり何やら良く分からない店になっていく姿を見て「これもいずれは衰退する」と確信してた。 

 

昔の秋葉原の家電は必ずしも安くなかった。 

品揃えも有名メーカーの製品を揃えてるだけだから、購入したい側としては範囲が限られてて今一つだったのは事実。 

電気・電子部品の店は修理屋さんとか趣味の人以外に客はいない。 

 

ある時期はパソコン店が繁盛してたけど、それもIBM互換機(DOS/V)の時期だけ。 

 

今はなんか良く分からない店が並んでる。(笑) 

 

オタク離れというか、専門店街へ行かなくても良い時代に突入したんだよね。 

逆に言えば専門店街の嘘が知れ渡ったとでもいうか… 

噂とか口コミとか「みんなが行くから」ではない時代になったんだろうね。 

 

 

・20年ほど前は毎週友達と行ってジャンクパーツを漁ったり新発売されたCPUやメモリを眺めて一通り見たらマイコンパーツや怪しい露店に行き、食事するところも少なかったので外でおでん缶食べながらタバコを吸いつつ、あーだこーだ議論する・・楽しかった想い出です。最近ふらっと行きましたがコンカフェやアニメ、フィギュアばかりで観光客に溢れあの頃の面影もなくセンチメンタルな気持ちになりました。 

ただ思い出は思い出として、経験として初めて入ったコンカフェは面白く、フィギュアも見て回ると凄い造形に惹かれ一体購入してみたり。時代が変わり新しい魅力を発信してるんだなぁ、と前向きに捉えて楽しみました。 

 

 

・大規模再開発というのは今流行りの多様性と真っ向から対立するものだと思います。 

多くの人間の需要に応じ時間をかけて最適化されてきた街をリセットし、ごく少数の人間の理想にすぎないデザインの街にしてしまうのですから。 

 

もちろん防災上の理由などから再開発は必要です。ならば道路広場などの整備だけをし、更地で分譲し後は自然の発展に任せるような計画が良いのではないでしょうか。せいぜい建築物のデザインの方向性を規定する程度で十分だと思います。 

 

 

・秋葉原にとらのあなが出来たのは1994年です。 

秋葉原が電気街からオタク街にシフトはその頃からでしょうか。 

そしてヨドバシカメラが2005年、秋葉原UDXが2006年に出来たことから、秋葉原が今の状態になる流れが徐々に始まったという気がします。 

ヨドバシカメラと秋葉原UDXがあって、電子書籍が浸透するまでの間が、秋葉原が一番便利だった時期のように思います。 

 

 

・最近、露骨に外国人観光客とコンカフェの呼び込みが増えてて、以前の秋葉原の雰囲気とはまるで別物になってしまって落ち着いて歩けません。特に個人的には、お気に入りだったラーメン屋にいつの間にか外国人観光客で行列ができるようになってしまって(いつ行っても20人は外に並んでる)、気軽に立ち寄れなくなり残念な思いです。お店が繁盛するのは喜ばしい限りですが、憩いの地を荒らされたような気分です。 

 

 

・「レトロゲームセンター(秋葉原Hey)」くらいしか「秋葉原じゃないと出来ない事」が少なくなっている感は確かにある。 

しかも、それですら、高田馬場ミカドなど、秋葉原以外の場所で力を入れている店舗で堪能できる。 

ヨドバシAkibaとかの超大型家電量販店に至っては、全国各地に巨大店舗が出来て「あえて秋葉原に行かなくてもいい」状況になっている。ヨドバシの通販も届くのが非常に速いですし。 

 

 

・オタクの聖地だったのは20年位前まで。その頃は個人店や個性の強い店など、良くも悪くもカオスが混在していた町でした。 

小さな店が淘汰された結果、今では観光地としての意味合いの方が強いです。 

表通りにあるのは大手の店ばかり。ポケカ専門店も増えましたね。 

そして大手の店はオンラインショップがあるのが当たり前。わざわざ秋葉原に行かなくても、欲しいものがあるなら、ネットショップを利用すればいいだけです。 

秋葉原の規模が大きいだけで、地元に専門店が集まっているエリアがあるなら、その地域で利用出来るサービスの差は殆どありません。 

観光客を目当てに出店したグルメは色々と楽しめますが、何度も行く程の魅力のない地域になってしまったと思います。 

 

 

・いわゆるサブカルの街の役目は女性向けやコスプレ、アニメ関連のリアルイベントに関しては池袋が完全に取って代わってるし、男性向けは通販で事足りる。あとは新宿や渋谷、中野に分散している感じ 

 

もう秋葉原は記号としてのアニメゲームの聖地としてインバウンドや観光客に支えられながら緩やかに衰退するのみだろう。それで何年かにいっぺん老舗の店の閉店が伝えられて、そこでゴッソリいかなくなる人が増えていくというここ10年位のトレンドが引き続き続いていくんじゃないの 

 

石丸電気のあたりも170メートルビルに再開発されるみたいだし、今後はよりオフィス街として生きていくんでしょ 

 

 

 

・勤め先が秋葉原に近いのですが、秋葉原が変わったのは、肌感覚では5,6年前だったように思います。まず、ゲームのDL販売やアニメのサブスク配信が主流になって、ゲームショップやアニメ関連ショップが廃れました。また、電車男ブームを味わった世代の店員さんや個人経営者の方々が年齢的な生活の変化などから秋葉原を離れて行き、賃料の高騰も相まって、ユニークな個人店が減って画一的な大手企業の店舗ばかりになりました。ラジオ会館やヨドバシカメラ、まんだらけ等はいまでも盛況ですが、オタク同士でコミュニケーションを取れるような場所はだいぶ無くなってしまいましたね。 

 

 

・名古屋の大須は秋葉原のように電気街からオタクの町が大きな流れですが、怪しいような異国風の飲食店と昔ながらの食べ物屋や衣料店も軒を並べています。おそらく50年以上店を構えているえているスカジャン屋、コメ兵のような中古店、別の通りは仏壇屋、織田家ゆかりの由緒ある寺も今風の演出。大須観音をはじめとする神社の向かいにはドンキ。 

電気街ができる前は廃れた感があったけど、現在は老若男女が楽しめる街として盛況です。 

秋葉原へ何度か行ったことがあり規模の大きさには驚きましたが、街を歩く年齢層に偏りがある気がしました。 

 

 

・昔はPC改造する時にアキバの店めぐったりしたけど、今はネット通販充実してますからね。問題起きた時のサポートも結構ちゃんとしてるしツクモネットショップだけで十分ですよ。先日マザボとCPUのチップセット買い換えた時もサポートに「ファンすら回らない」と状況説明したらチェックすべき項目教えてくれて、「CPU接続部のピンが一本だけ違う光り方してたらピン折れ」ってのが正解。1週間くらいで無料交換対応もしてくれてちゃんと動くようになりました。 

 

 

・20年位前のコミュニケーションはまだ出逢いが主流で秋葉原電気街近辺には、多くの同好者が集い週末の夜間各店舗閉店時間後も神田川沿いの公園などで熱く語り合っていた姿をこちらもテーマパーク閉園すぎの帰宅途中に度々目撃した記憶がございますなぁ(泣)今は自宅待機していてもコミュニケーションツールの充実で語らい可能なIT革命を感じております。 

 

 

・有名になると「観光地」化されるのは、多くの場所で共通します。 

 

「観光地」化というのは、大多数の人にとって魅力ある街造り、をせざる負えないので、かつてその街を象徴した、個性的な店、施設、人々は去っていってしまうでしょう。 

 

観光地は、「標準的」な品揃え、サービス、語弊がなければ、「多数派」が楽しむ場所にせざる負えないと思います。そのようにしなければ、観光地として機能しないからでしょう。 

 

個性的な街は、個性的な施設やサービスとそれを求めるコアなファンが利用して成り立っているのであって、有名「観光地」になった時点で、その街の、個性が薄れ、終いには消失する危険も孕んでいるということでしょう。 

 

かつて足繁く通った場所で、観光地になって、行かなくなってしまった経験を持つ方もいると思います。 

 

街づくりの難しさを物語る話です。 

 

 

・電気街とPCパーツの街からアニメとオタクの街になり、今は両方とも残りつつ世界的な観光地という感じでしょうか。 

先日歩きましたが、マニアックな店と呼び込みのメイド。歩いてるのは半数以上外国人でした。 

まあこれはこれでサブカルの聖地という感じでアリなんじゃないかと思います。減っていはいますがPCの店もアニメの店も残っていますし。 

ただこれ以上お洒落に寄ってしまったらマニアックな街の魅力は無くなっていく感じはしますね。 

 

 

・CD屋さんがどんどんなくなっていますが、かつて秋葉原にはクラシックやジャズのCDが買える専門店がありました。シンセサイザー等の電子楽器が買えるお店もありました。実物を探す楽しみがありましたが、ネットでなんでも購入できるようになり、時代の流れを感じます。これからも変わっていくのでしょうね…。 

 

 

・ラジオ少年だったころ、秋葉原に行けば一日中無我夢中で楽しめた。 

買い物をしなくても、秋葉原にいるだけで必要な情報や知識が吸収できていた。オタク的に何か分からないことがあっても、秋葉原の店のおやじに聞けばだいたい問題解決できていた。 

その後、街のコンセプトは変わっていったものの、オタクがそこにいて一日中充実した時が過ごせた街だったのは、オタクにとって必要な情報や知識が得られていたからだろうと思う。 

Eコマースが秋葉原の衰退を招いたわけではないと思う。なぜなら秋葉原の店のほとんどは、通信販売を昭和の頃からやっていた。ものを買うだけならわざわざ秋葉原に行く必要もなかったのは、今に始まったことでもない。 

オタクに必要な文化の発信を出来なくなった秋葉原は、ただの乗換駅があるどこにでもある賑やかな街でしかなくなったのだろうと思う。 

 

 

・鉄道模型のお店で言うと、イモン秋葉原店があったり、ポポンデッタ秋葉原店にグリーンマックス・ザ・ストアーがあったりと、新品を買うにも中古品を探すにもそれなり好都合とは言え、ポポンデッタは関東エリア各地にあるし、最近はネット販売をしているお店にサイトが多いので、車両工作派のマニアの方がグリーンマックスのお店を行く以外は秋葉原へ行くメリットは少なくなった様に感じます。場合によっては中野のサンプラザにある中古店に行った方が良いかもしれませんし。個人的には、かつて秋葉原の駅の裏にあったラオックスが鉄道模型を扱っていた頃は、秋葉原の街はマニアックな感じがしたのですが、ヨドバシが出来てからは全体的に一般にも開かれた様に感じました。観光地化したとはこういう事なのでしょうか… 

 

 

・ディベロッパーの方針なのかも知れないけど、食事する場所や電化製品や趣味のものに限らない品揃えの店が増えてきている。観光客や一般の人にとって、便利な街を目指しているようで本来のアキバとしての特色が消えつつあるのは残念に思うところではある。 

 

 

 

・イオンモールにアニメイトやパソコンショップが入る時代だからね。 

ちょっとした物なら地方のロードサイド店で買えちゃうし、こだわりたいならネットでないと買えないし。 

 

でも、中古パソコンやスマホの状態を目で見て確認してから買いたいとか、オーディオの音色を聴き比べてから買いたいとか、ゲーミングパソコンのパーツを店員に相談しながら選びたいとか、やっぱり秋葉だよなってシーンもまだあると思う。 

 

 

・よく言われることではあるが、ヨドバシ進出の以前と以後では町の雰囲気が大きく変わったと思う。あと世界的に有名な観光地になってしまったから外国人旅行客が増えた(それ自体は悪いことではないが)。 

 

ただ2000年前後の秋葉原だって80年代とは全く違う町だったし、こうして次々と姿を変えていくダイナミズムが秋葉原という町の本質なのかもしれない。 

 

 

・今はスマホショップにアニメショップ、大規模電気店、そして小綺麗なオフィスビルの街といった印象かな。それでも変わらず人は多いから、今は今で昔とは違う魅力があるのでしょうな。 

でも私は、昔のあの無数に立ち並んだ雑居ビルであやしい雰囲気の店たちが所狭しとPCソフトやパーツ、わけわからん電子機器を並べて売ってたあの感じがすごく好きだったな。いつ行っても何か新しいもの・面白いものがあって飽きない街だったね。まだそういった店は残ってるけどだいぶ減ってしまった。 

 

 

・1970年代の終わり頃、Apple2を見に行ったのがアキバに行くようになったきっかけです。 

あの頃はアキバがパソコンの街へ変わっていくときでした。 

アップル以外にもコモドールやアタリなどのアメリカ製パソコンの現物が見れてワクワクする街でした。 

ただ、今と比べると食べるところがほとんどなかった。 

今は、その点はすごく良くなったと思う。 

でも普通の良い子が行く街になってしまった。 

あと女性が増えたことも良いことかな。 

 

 

・通販の隆盛が大きいでしょうね 

後はメイド喫茶からコンカフェと言いますが、メイド喫茶が流行ってから風俗系の業者の進出でギリギリを狙う業態が増えてイメージ低下したり、色々あったので正常進化とは言い難い気がしますね 

 

闇市等からラジオ等の電子部品から家電やパソコン等と色々と変遷した街なので怪しい業者の影響さえ無ければ変化は受け入れていくものかも知れません 

 

 

・ヨドバシカメラも開店からかなり変わったよ。 

7階のゲームとホビーは改悪されたし、8階の書店がなくなったから、秋葉原の書店が書泉とアトレの中のだけになった。 

AKBの劇場も持つかどうかもわからない。元々電器店だったビルで1978年築だから老朽化が進めば建て替えが具体化されば劇場がなくなるだろうし、AKB48があるかどうかもわからない。、AKB48がなくなればメイドカフェやコンカフェらはほとんど壊滅的打撃は避けられない。 

後は石丸のビル含めた一体の50階建て超高層ビル計画。あのまま進めばそのまま建てられて完成すれば超高層マンションまでできて秋葉原は終わる。 

 

 

・秋葉原は、かつて電気街や「オタク文化」の象徴として知られていましたが、最近では閉店や規模縮小する店舗が増え、街並みが変わってきたようです。10~20年前の秋葉原は雑多で魅力的でしたが、それが失われてしまったと感じる人もいるようです。一因として、JR秋葉原駅周辺の開発により、画一的な駅前になったことが挙げられています。 

 

また、インターネット通販の発展も影響しているとされています。一方で、推し活やアキバ系コンテンツを楽しむ人々は増えており、秋葉原以外の地域でも需要が満たされていることも考慮すべきです。このような変化に対して、私は「オタクの秋葉原離れ」はあると思いますが、街の魅力を再評価し、新たな魅力を発見することも大切だと思います。 

 

 

・先日中古スマホを買いに久しぶりにアキバ巡りしました。初中古スマホだったので現物確認したいと思い二時間ほど歩きましたが値段も状態も納得できる品物を中央通り沿いの有名店で購入しました。 

 

数十年前自作PC作成のため週末に路地裏にもよく足を運びましたが、今は人大杉なのと情報過多で掘り出し物なんてどこにも転がってないと実感しました。 

 

値引き交渉受け付けない今のアキバなんてわざわざ現地に行く意味はなく、ネットで購入したほうが手間も時間もお金もかからずにすみますね 

 

 

・これだけ変革が激しい町も珍しいのでは。 

自分が生まれる以前は青果市場だったとの事だが・・・ 

その後、家電や電子製品の町となり、パソコンやジャンクの町になり、エロゲーやアニメやフィギュアといったオタクの町になり・・・再開発によって普通の商業地区になりつつある。 

普通の商業地区になりつつあるのは、オタク文化のアイテムが小売よりもネット通販の方が安価で手に入りやすくなったせいもあるように思う。 

 

個人的には、少々言い難い話だが・・・例の宗教組織がPCパーツショップなどを経営していた頃がジャンク店の多さ・面白さも含めて一番楽しかった。 

 

 

・とはいえアキバにしか売られてないグッズ商品あるのは事実だし 

そこらの中古ショップは貴重だからね 

 

らしんばんやらKBOOKSやらで購入したいし 

たまにAmazonの個人ショップ 

やメルカリでその手の商品見てから現地に行ってみると遥かに安かったりするし 

あとネット通販版のKBOOKSやらしんばんでも現地と通販の商品も違うから割と現地に行かせる仕組み考えてるなと思う 

 

 

 

・直に物を買いに行く層からはつまんなくなってしまっているんだろうね。 

自分は繁華街等には目の保養的に行く癖が有るので、秋葉原においても昔を感じさせる場所なら、最近初めて入ったラジオデパート。スーパーポテトやBEEP。 

洒落た感じの所を堪能したいなら鉄博跡地エキュート・2k540とか雰囲気が変わったとしても見所とか沢山有る。 

あと、秋葉原にしても都庁展望室にしても、外国人さんが本当に多くて世界万博に迷い込んだ感じがして楽しいじゃん。 

 

 

・ソフトターミナルシントクが閉店し、ディスクマップが夜逃げし、中古ゲーム裁判の影響でソフマップが中古ソフトやゲームハードの取り扱いをやめ、ガード下にあった自分で肉を焼くステーキハウスが消え、ヤマギワソフトが火事になり、石丸も縮小に次ぐ縮小の末にエディオンに改名…と、だんだん秋葉原に行く理由がなくなっていった。最後に秋葉原で買ったのは、三洋の古い掃除機用のダストパックだった。同じ建物がCDに埋もれて薄暗かった頃のことが忘れられない。 

 

 

・ここ数年でつまらない街になったことを感じてました。なんというか、大企業の店(チェーン店)が進出してきたのが原因のように感じます。不思議な店・変わった店が入れ替わり立ち代わりし発展してきた所に、潰れない・立ち退かない大企業がどんと構えたことで、流動性の低下やテナント料の高騰が起きて、小さな店がはいりにくくなったのではないでしょうか? 

あとは、下手な風俗街よりも性質の悪そうな店が増えたのも原因では? 

 

 

・昔は秋葉原の駅地下ビルに店が沢山あった 

改装で今はもうないけど、当時はほんとに色々な店が 

あって、行くだけでも楽しいところだった 

大学から近いこともあって、毎週末行っていた 

カレーのうまい店が多かったですね 

ラジオ会館も今見たくきれいじゃなくてもっと汚いビルだった笑 

そこにひっそりと色々な店ありましたね 

今では店頭に行ってもないガンプラですが 

当時アキバでは30%オフは当たり前で、35%40%オフで 

よく買ってました 

処分品で50%オフとか見つけるのも楽しみの一つでした 

PGでも、定価15000マークⅡとか6500円で投げ売りとか笑 

今の価格高騰を誰が予想しましかね 

いい時代でした 

電気街としてのカラーを出し続けていればと思うが 

AKBが一つの転換点でしたね 

今は、ヘンな街になってしまった 

最近はほとんど行きませんけどね 

肉の万世閉店は個人的に 

俺の中のアキバは終わったなと感じました 

 

 

・20年くらい前はソフマップのゲーム館とかディスク関係の館の上の方の美少女ゲームソングやPCゲーム揃えた階に通いつめたりメッセサンオーの女性向け館行ったり裏道の安いご飯屋で食べたり1人で楽しんでました。 

ゲーセンも確率機じゃなく技術取りだったので純粋に面白かった。 

今は駅前ちょっと歩いてガチャガチャの欲しいの狙いで探すくらいです。 

 

 

・変わったところもあるだろうけど、電気街は今もあるし、電気関係では秋月電子とツクモ電機には通販で20年前から今もお世話になっています。 

中国人が大量に炊飯器を購入する光景が5年くらい前にもあった。今もあるのだろうか?むしろ増えているかも。 

 

家電量販店にとっては、秋葉原に店舗があるというのは今もステータスなんじゃないかな。 

通販サイトの利用が増えたといっても、どうしても実際に見ないとダメな商品ってのもあるからね。 

あとは通販ではあまり扱えないプチアングラ的かつマニアックな商品なんかもあるし(2012年あたりにあったPT2とか)。 

 

でもまあ、TX開通などもあって交通の便は抜群にいいから、変化することはあっても衰退するということはなさそうだね。 

 

時代に合わせて、行きたいと思える面白い街であり続けてくれることを期待しています。 

 

 

・所謂アキバ文化自体が変わってきてるのが第一でしょう。 

複数ショップで特典合戦をしていた金曜のPCゲーム販売とかも、ダウンロード販売に移行したり、既存ユーザーが離れても新規ユーザーが入ってこない(これはプレイするゲームのジャンルが変化してるから)し、自作PCのメリットが減ってPCパーツのショップが減ったりショップはあっても取り扱い品目がガジェット系な商品ばっかりになってきてる。組み立て組み込み系の電子部品も通販で買えるし取り扱い種類も多いし安い。 

結果メイドカフェ・コンカフェやガチャガチャみたいな秋葉原じゃなくても良い店舗ばっかりになってますからね。 

 

個人的には電子部品に関しては外観が同じでもスペックが違うことが多々あるので、amazonなんかは素人や外国直輸入だと違うものが届いたりするので、やはり実物を見て買いたいので、残ってて欲しいというのはありますけど。 

 

 

・ジャンクや部品探しが出来る店が減ってきた20年くらい前の時点で、戦後すぐから続いた電気街としての役割は終わりました。今はネットで何でも入手できるし、オークションで部品取りジャンクも買えるし、世界中から珍しい古い型番の部品を調達出来るから、古いアナログ機材の維持も昔よりラクにできます。ただ実空間で宝探しをしたあのワクワク感はもうありませんが。 

 

 

・今から数年前、川崎方面への出張が何度かあったので、その帰り道に秋葉原は何度か行きましたが、オタク文化にどこか懐かしさと落ち着くなと思った反面、怪しい雑居ビルが多いし、どぶ臭いという印象も強かった。ビラを配るメイドさんはかわいいなと思ったけど、バックに怖いおっさんがいたらどうしようとか、メイド喫茶じゃなくて、高額な絵を売りつけるエウリアンでどこかに連れ込まれたら怖いと思い近づかなかった。雑居ビルのトイレはどこにあるか分からないので、UDXだったか、大きなビルのトイレを使わせてもらっていた。まどマギのフィギアが欲しくて購入したけど、嵩張るので帰宅ラッシュの電車で埼玉県まで持ち帰るのは一苦労だった。タムタムでプラモも買いたいなと思ったけど、電車の中でつぶされてスクラップにされては嫌なので結局買わないで買えるということが多かった。 

 

 

・オタクグッズのような特定の場所でしか手に入れられない物が市民権を得てどこでも手に入れられるようになった。文化の浸透、価値観の変化、流通の進歩これでしょうね 

 

人口が多い都市は20年も経つと街並みも人通りも変わるのが当たり前なので変化を分析し答え合わせしてもしょうがないかもね。昔話で盛り上がるための話題としてはとても良いかもしれませんね 

 

 

 

・漫画や家電等はネットで買える時代ですのでそこでしか味わえない体験型のお店に行く程度ですね 

この前はファイナルファンタジーのコラボカフェに足を運びました。6,7割のお客さんが外国の方でした。街中見ても海外のオタクの人は逆に増えてるんじゃないかというのが実感します 

 

 

・中高年は幾度も姿を変えた秋葉を知っている。アマチュア無線関連で通い、オーディオで通い、その間電子部品でも通う。パソコンの情報関連で記憶に残るのはオウム真理教の若い信徒が格安高性能PCを路上で売りまくっていた。その他模型や登山店などマニアックなファンが通っていた街。ゲームやフィギュア何々喫茶みたいなのが街を席巻する頃には近づか無くなった。街も綺麗になり言う通り味わいが消えたのも有ります。どんな街になるのかと言う不安も期待も既に通り過ぎましたね。 

 

 

・元々、秋葉原は少しずつ変わって行く町。(他もそうだろうが) オタクが流行る前だって店舗の入れ替えは多かった。 或るものが流行ってそれが増えて、続くものと、次の流行に取って代わられるものとで町並みが変わる。 

 

>秋葉原の見慣れた光景が変わった 

こういう事を云うのは、一時しか見てないステレオタイプ。 

 

 

・ラオックス、オノデン等の大手家電店が免税店特化に変わった頃から、アキバは変わったという印象です。照明のヤマギワなど特徴がありわざわざアキバに行くような店が次々と消え、電子部品も通販で何でも買えるようになり、わざわざ電車に乗ってアキバに行く必要はなくなりました。 

ヨドバシやヤマダなど、どこにでもあるようなチェーン店ばかりになれば益々衰退してゆくんじゃないでしょうか。 

 

 

・アキバはフィギュアの掘り出し物を探しに 

まんだらけやリバティや旧ラジ館などを冷やかしに行くところだった 

 

311の時も、まさに旧ラジ館内の海洋堂HLで呑気に買い物してた。揺れ直後に 

慌てて外に出たらビルがグワングワン揺れてるのを見て血の気が引いた思い出 

その後UDXで一夜を明かしたのもまた 

 

現在は何かしら感染しそうだし、 

外人向けぼったくり価格ばかりで冷めるしでとんとご無沙汰 

とはいえ、完全に小綺麗で小賢しい街になってしまうのは寂しいとも思う 

 

 

・最大の影響はコロナ禍。 

 

コロナ禍でまともなテナントがやっていけなくなって一気に引いて、風俗資本系のお店やバックにいるのが何なのか分からない、昔とは違う意味で怪しいお店がやたら増えた。 

 

多分、近年新宿への締め付けがより強くなり、そこから流れてきたのもある。 

 

中国資本系の店も増えたと思うし、外国人の多さにより、なんか、行くたびに秋葉原一帯はもはや日本じゃない気すらする。 

 

 

・通販もそうだが、秋葉原の店が外国人観光客向けにシフトしているという点が大きいかと。 

平日でも観光客で店がいっぱいになることも珍しくなく、これなら通販でいいかな?って思える状態になっていると思いますね。 

 

 

・自分は生まれも育ちも東京で、コロナ前までは秋葉原にもよく遊びに行っていました。ライト層なので頻度としては年に5,6回程度でしょうかね。ただしコロナ以降は一度も行ってません。正直な感想として感染のリスクを背負ってまで行くほどのものでもないかな、と。ネットや身近な場所でも同じものが手に入る時代ですので。 

 

 

・秋葉原はもともと 

「情報通信機器の街」と「家電量販店の街」の2面があった。 

 

そのうち家電量販店は、 

バブル頃からの価格競争の激化でやっていけなくなった。 

今秋葉原に出店している家電量販店は、 

その頃秋葉原の街で価格競争しなくて済んでいた 

渋谷や新宿が本店の「なんとかカメラ」だったり、 

地方に本社があるチェーン店だ。 

 

 

「情報通信機器の街」としては 

アマチュア無線からパソコンショップに移行したが。 

 

アナログ通信の時代はハンダゴテないと店やっていけなかったし、 

パソコンも普通に自分で組むのが流行ったりした。 

 

 

ヲタク文化というのも、開発者が出入りしてたことで 

プロの街ということが先行した。 

 

アニメ制作会社がCGのためにPC−9801を何十台と買っていく。 

それを組む技術を販売員も持っていた。 

 

AKBの古いヲタクでもIT開発者が多い。 

 

今は薄っぺらいヲタクランドになったと思う。 

 

 

・その昔のオタク黎明期ともなると一種のスティグマになってたみたいな話もあったらしいが、一般化して韜晦意識が無くなるにつれ地方にもそれらの需要に対応する「趣味の店」が増えて分散化したのかな。 

 

まあ個人的には一頃はジャンク漁りにちょくちょく行ってた位なんだけど、いわゆる「オタクの街」っていうサブカルチャー媒体のメッカみたいになってた頃から外国人旅行者さえ世界中から集めるほどになったとも聞くし、今は円が安くて旅行しやすい地域となった日本を、輸出されたオタク向けアニメに周回遅れで感化されアキハバラを目指す外国人旅行者の中には「えー今のアキハバラこんなんなってんの?」と思う人も出るのかな。 

 

コロナ禍前の沼津市界隈じゃ街中凄まじい勢いの「ラブライブ・サンシャイン」推しで、ファンらしい外国人がグッズまみれでウホウホしながら歩いてる姿も見たけど、いわゆる「聖地詣で」の外国人も日本各地に散らばるのかな。 

 

 

 

・昔は家電とオーディオの町だった。 

パンフレットを集めるだけでも楽しかった。 

その後、パソコンやテレビゲーム、アニメなど 

その時々のトレンドに合わせてマイナーチェンジを 

重ねていったが基本はエレクトロニクス産業だった。 

でも中央通りで違法な路上パフォーマンスが横行し、 

無差別殺人事件が起きたりドンキホーテでAKBが 

メジャーになってから完全にオタクの町と化した。 

家電はヨドバシか通販で事足りる時代。 

しかも国内メーカーが競争力を失ってしまった。 

それで町は怪しげな店ばかりが増える始末。 

再開発の影響で人は相変わらず多いが退屈な町になったね。 

中古ゲームを漁ったり石丸電気が幅を利かせていた頃が 

懐かしく感じる。 

万世にはラーメン屋もあったよね。 

ウリはパーコー麺だったっけ? 

 

 

・オタクの街という感覚は初めて訪れた数十年前に感じたが、たしかに今は薄くなったと思います。 

ただ、街は生き物だと思っているので、新しい変化で常に新しいお店や需要が発信されれば面白いと思います。変化してもやはり秋葉原は秋葉原だと思うので。 

 

 

・私事で昔話です。 

 

35年前の私は高校生で真性オタクでメガドライブとセガ・マスターシステムのカセットを求めてアキバに良く行ってた。 

ファッションは、霜降りケミカルウォッシュにボンタン型のジーンズをロールアップ! 

アウターは少し頑張ってMA-1だが、ヘタレなのでオリーブ色を選ぶ勇気がなくて、無難なの黒でダサさに拍手をかけていた。 

振り返るとこの時期が一番つらい。 

 

それから10年後にはすっかりお洒落になってバンドを始めて、シンセサイザーを求めてアキバに行っていた。飲み仲間との連絡ツールにPHSを買いに行ってことを良く覚えている。 

 

それから10年後に話のネタ作りのためにメイド喫茶に行った。 

それが最後のアキバだったよ。 

 

 

・昔の混沌とした雰囲気が好きだった 

秋葉原ならではの穴場や、ここでしか手に入らないもの 

電子機器やPCパーツショップの豊富さ 

通いたくなる魅力が有った 

 

 

・秋葉原によく行ったのは、トヨムラ・九十九・カクタ(&ニューカクタX1)、丸善などのBCLとアマチュア無線時代でした。 

その後はビデオ(ベータ)やレーザーディスクのソフトを求めて行ったものです。 

これらの店はほとんどが消えてしまいました。 

BCLラジオやアマチュア無線機、ベータのビデオデッキやレーザーディスクなどを今でも使っている私には寂しい限りです。 

 

 

・自分は勤務先が電車で2駅、アキバに歩いて行けるくらいの距離なのでよく行くけど外国人観光客だらけ、コンカフェの客引きは最近規制されて白線内にされてるけど、キャバ嬢の呼び込みと変わらんな、と思う、いわゆる本文中にある秋葉原らしさっていうのは、少なくなってきてるが、それでも、秋葉原でしかやらないイベントや、ホコ天もあったり、ランドマークとしての秋葉原の魅力は失われていない気がする。 

 

どちらかといえば 

カオスでプチレトロな雰囲気を味わいたいのなら、アキバよりも中野ブロードウェイのほうが良いかもしれない。 

 

 

・街の景色は変わりゆくものだとは思うし、かつては電気街、今はオタク向けのお店やゲーセン等々が減って行くのが時代の流れというのならそれは仕方ないと思うけど、それにしたって丸の内にコンプレックスでもあるのか?みたいな他所の街と似たり寄ったりのガラス張りの高層オフィスビルとか、隅田川の二番煎じみたいな神田川沿いのおしゃれなテラスだの小舟だのは別にいらないかな。 

 

 

・これは間違いなくあると思う。なんか雑多な小さい店が減り、どの街にもあるような店が増えた気がする。必要なものがネットで手に入るようになったのは大いに影響していると思う。 

 

 

・昔の、電子機器やオーディオやパソコンやゲームやホビーや輸入雑貨など、なにが売ってるか分からないが専門性のある奇天烈な雰囲気な時代の秋葉原は訪れてみて楽しめたが、 

 

メイド喫茶やコンカフェだけの街になってるなら、あんまり楽しくなさそうな街ですな。 

 

かといって観光する場所も無さそうだし、秋葉原駅の界隈にもう魅力を感じないな。 

 

 

・秋葉原と言えば石丸電気。LPレコード、ラジオ会館、ラジオデパート、ラジオセンター、ラジオストア…、etc もうなんだか分からないけどそれが面白かったんだよね。何があるのか、出てくるのか分からない魅力。今は全然行ってないけどその神髄・精神だけはまだ残っていると思いたい。 

 

 

 

・秋葉原が"アキバ"に変革していった初期の頃は、美少女・ロリ・萌え といった これまではタブーとされてきた異端的な趣味を 世間から白い目で見られながら嗜むのがひとつの醍醐味だった気がする。言うなれば 不良が派手な格好したり煙草を吸うのと同じで、イケナイものに手を出してる優越感みたいなものが確かに存在した。だが、今は萌え文化が社会全体に浸透しすぎてリア充やキラキラした芸能人まで皆が好んでオタクを自称するようになった。元来のオタクたちは唯一だったテリトリーを荒らされて面白くないしオタ離れするのも当然だと思う。 

 

 

・秋葉原や新宿、渋谷はゴチャゴチャした街の雰囲気がよかったんですよね。特に秋葉原は電気の街として世界一もっとも豊富な電気専門店が渦巻いていた。再開発で街の個性が消えてしまったのは残念でなりません。 

 

 

・そもそもオタクの街の前は電気系に強い街だった 

今でも電気系のコマゴマとしたパーツや資材が至急要る時は便利だったりする 

レアな資材も頼めば即日発注してくれて翌日工場から届く店が細々とやっていたり 

まぁ、けどそういう店もだいぶ減った印象 

そういうのを必要とする電気系統の技術者や職人自体も減ってるしな 

アキバも必要最低限な店だけ残って画一化してくんだろうなと思う 

 

 

・2000年代に秋葉初訪問しサブカルに魅了されたものです。 

その頃知り合ったおっちゃん達はしきりに「80年代は良かったー。」って言ってました。 

そして月日は流れ、青年だった私もオッサンになり「2000年代は良かったー。」っと20年前の話をしたくなる。 

昔を懐かしみつつ変化する街秋葉原の「今」も満喫することにしてます。 

 

 

・自分は90年代にはよくラノベとかCDを買いに秋葉に行ってた。 

品揃えが段違いだったから。地元の店じゃ見つけるのが不可能なものが、秋葉には当たり前にあった。 

で、その目的はamazonが一般化した時点で消えた。本やCDならamazonで何でも変えるようになった。 

 

たまーに行くのはPCパーツ見に行く時と、メッカとしてのゲーセン(SEGAとhey)で格ゲーやるときくらい。 

でもゲーセンは年取るとともに行かなくなって、PCもそこまでコアな興味がなくなった。 

結果として、メイド喫茶が流行り始めた辺りで秋葉にはほぼ行かなくなった。 

00年代中盤くらい? 

 

一口にオタクつっても、メイド喫茶に通ってたようなオタクと、元々秋葉にいたオタクって結構層が違うように思う。 

その意味で、オタク離れは20年前にはもう起こってた。 

 

 

・昭和のころ。国鉄、パチ屋、秋葉の電気屋(大手除く)と言えば、客を客とも思わず常にため口、上から目線で商売していた。だけどパーツ屋も無線屋もオーディオ屋もみんな知識豊富で買わなくてもいくらでも付き合ってくれ、気前よくカタログもくれた。中学生相手に高給な機械の視聴もさせてくれたっけ。昼飯は万世くらいしかわからなかった。懐かしい思い出だが、AKB劇場ができたタイミング以降乗り換え以外で降りたことないな。 

 

 

・アマチュア無線やってたから小学三年生から秋葉には行ってたが35年前はアマチュア無線と少しのパソコンとオーディオ。 

当時オタク系ショップは巣鴨か中野だけ。 

30年前になると、無線が淘汰されはじめ、25年前になるとほぼパソコンと同人ショップ。 

同時期にメイド喫茶でなく、コスプレ喫茶(ゲマズの最上階だったかな)ができた。 

そこからあれよあれよと、メイド系がのさばり初めて、パソコンは裏路地に。 

同人系ショップもなくなり、カオスな世界に。 

 

 

・子供の頃、ラジコンの新車購入など、ここ一番の時には秋葉原の専門店に行った。 

地元の店では定価のまま、プロポなど含めると全く手が出ない金額だったけど、1996年のある日、夢にまで見た京商エンジンカーのフルセットが忘れもしない本体定価+2,000円の¥24,800で買えたときは天にも昇る気持ちだった。 

中年になった今は物欲に任せてネットでポチポチ、買ったのにダンボールすぐ開けなくて忘れるとか、いろんな意味であの頃の自分に殴られそうな大人になってしまった。 

 

 

・25年近く前は、記事にあるラジオ会館をはじめ、石丸電気とか、ラオックスとか、まだ家電量販店の街だったのが懐かしいな。徐々に、アニメ・オタクの店が闊歩して、さらにAKBやらコンセプトカフェの街になって、また姿を変えようとしているらしい。そう考えると面白い街ですね、秋葉原って。 

 

 

・秋葉原は電気街から、オタクの街になり、サブカルの街になった。それが2010年ごろからインバウンドで、日本文化に触れたい外国人が行く街となってきた。当初こそメイド喫茶やラーメン店が注目を集めたが。外国人が集まれば、収益として薬局や化粧品店、免税店などが立ち並ぶようになり。いわゆるオタクは姿を消すようになった。それが「秋葉原の見慣れた光景が変わったな~」という声になるのだと思う。 

 

 

 

・商売や生活、時代というのはあるが、町全体が方向性変えたらそれはもう一過性の始まり。それがわかってたから、いずれは衰退するだろうなって思ってた。 

 

しかし、電気街時代は散々行ったなあ。会社も神田だったから帰りに寄ったりもしていた。用事がなくても行ったし、行くこと自体が好きだった。くだらんジャンク品買い漁るのも好きだった。 

 

あ、秋葉原の駅構内のスタンドで牛乳売ってる購買店まだあるのかなあ……行くたびになんか買ってたよ。 

 

 

・専門家の解説の温度感はだいたい合ってると思う。 

可処分所得が、減っている。 

オタクは趣味にお金を使うために貯蓄をしたいけど、生活に必要な食費、光熱費、住居費、天引きされる社会保険料増加の直撃で相対的な手取りが減っている。 

もともと趣味にお金を使うために余計な出費を抑えているのに、昇給よりも、生きるために必要なお金が増えるペースの方が早い。 

当然グッズも値上がりしている。 

だから買うマンガも絞るし、推しキャラグッズも厳選する。 

牛丼280円、ハンバーガー65円の頃が懐かしいです。あの頃から給料…全然上がってないな… 

 

 

・ステレオも冷蔵庫もテレビもクーラーも、はては除湿機まで結婚した時に秋葉原で買い揃えた。近所より安く、仕事帰りにはヤマギワとかでCDを物色し、洋楽、クラシック共に品揃えが良く感激した。 

 

2000年を越えたあたりから、オタクの店が増え、各種のパーツショップが激減した。メイド喫茶の客引きが溢れ、かつての家電量販店はごく僅かを残して消滅した。 

 

今は、模型のパーツを探しに、年一、二回行く程度 

 

 

・秋葉も、もう長いこと行っていない。ラジオ会館にK-BOOKSがあった頃が最後だろうか。家電もあちこちに量販店があるし、同人誌なども今やネットで大抵の物は買える。時間と手間と費用をかけて行く必要性は希薄になっている。これからどうなって行くのかは興味があるが、年寄りの関心を引くようなものは現れないだろう。 

 

 

・僕が若いころは、秋葉は完全に家電の町であり量販店や 

ダイオードなどの部品屋とかジャンク屋も多かったね。ソフマップ全盛の時代かな 

でも秋葉は時代とともに変わるんだよね。戦後のどさくさな時代は 

上野みたいな闇市が主だったろうしね。秋葉は時代とともに変化するからいいんだろうね 

 

 

・店が消えたのもそうですが、観光客向けの店が増え、それに比例して観光客が増えたのも一因だと思います。 

2次元オタク向けの街に特化していたときはまだ良かったです。無秩序な感じに見えても、道路や店の通路は秩序がありました。みんな自然と人の流れを作っていたからです。 

その後観光客が増えると、道一杯に広がって歩くわ前を見ないわでかいキャリーケースを引きずるわで秩序がなくなり、歩きにくく買い物しにくい街へと変わっていきました。あの狭い店の中でキャリーケースを持ち込まれる光景を想像してみて下さい。あっという間にグリッドロックです。 

もう昔懐かしの秋葉原は戻ってこないのでしょうね。オタクの街から、無秩序な観光都市へと変わってしまったのですから。 

 

 

・2000年頃はジャンク屋とか 

ラジオデパートとかよく行ってました。 

バイクの駐車禁止が厳しくなった頃から 

いかなくなりそれっきり。 

今は駐輪場整備されたようですが 

カオス感が無くなったのと 

(コンカフェとか別の意味ではカオスですが) 

部品調達は秋月とか通販で済ませられるので 

行こうと思わないですね。 

 

 

・アキバを代表する電気屋がなくなって、ヨドバシがランドマークになった頃からもうオタクの街じゃないよ。電子パーツやPCのパーツを小さなお店で探すのが楽しかったなぁ。。。ラオックスだってオタクが行っても楽しい店だった。 

 

 

・秋葉原に限らず、一定規模以上の商業地にマンション、特に分譲は要りません。住宅が所構わず建つと活気は無くなる上、固定資産税や都市計画税の軽減措置を受けているのに、騒音など文句ばかり言って商売の邪魔、かつ、街の発展を妨げているとしか思えない位、堪らないですね。 

 

 

・秋葉原は「アキバ」という名称が定着してから変わったと感じている。 

秋葉原の魅力はパーツ(ガジェットではない)の怪しさにあった。 

マジコン、フリーのB-CASカード、飛ばしのケータイ、無料のOfficeソフトやWindowsXPなどなど。 

 

今メイドが立ってる裏通りは、昔ヤクザや中国人が怪しいソフトやSIMカード、裏DVDを売っていたエリア。 

出会い系で女に身元がバレないように飛ばしのケータイ(パカパカ)をよく買っていた。 

ヤクザがプリペイドカードをおまけで付けてくれた。 

 

今のアキバを見て「メイドカフェやエロが増えてイメージが悪化した」というコメントを読んで、冗談だろ(笑)と感じる。 

 

 

 

・記事を読んだが、秋葉原の「今」がどうなったのかが書いてなかった。 

昔はパソコン屋ばっかり立ち並んでいて女性の私には近寄りがたい雰囲気だったが、それはそれで街の個性として趣があった。 

最近は地方都市でもチェーン店ばかりで似たような街並み。 

秋葉原から個性がなくなってしまうのは寂しい。 

 

 

・パソコンが今みたいに普及する前の秋葉原を知ってて、店内に中古の電化製品とかごちゃって置いてあって 

メガネかけた小太りのやたら電化製品に詳しいお兄さん達とかいたなー 

女子には電化製品の使い方とか丁寧に詳しく教えてくれてありがたかった 

ああいうお兄さん達、今すごい人になってるんだろうなと思うけど 

 

 

・アキバがヲタクの街ってのは平成中期〜後期辺りまでだと思う。 

 

昔、ゲームでアキバズトリップって秋葉原を舞台にしたゲームがあったが、まさにあの時代の頃がヲタクの聖地って感じだった。 

街中には今と違いエロゲ広告とか普通にあったし、それからAKBが現れて最高潮に達しメイドカフェも増え始めてヲタク一色になったが、令和入った辺りから流れが変わり、露出激しいエロゲ広告あれば抗議が入り撤去したり、最近はメイドカフェもボッタクリ店が増えコンカフェといったとにかく多額のお金を必要とする店が増え、通り魔事件もあったりで普通の人が気軽に行ける街じゃないってイメージがついてしまった。 

 

そして、コロナ禍が明けて外国人が増え新しいビルも増える中で有名だった店がどんどん撤退し入れ替わったせいで今の秋葉原はよく分からない街になったというか、新しい街に移行している最中って感じなのかな? 

 

 

・初めて行ったときはまだジャンク屋なんかもあったが、アニメ専門店が増え始めたあたり。 

 

AKB劇場のあるドンキは、かつてミナミムセンという電気ショップで、そこで初めてのパソコン買った。まだブラウン管のパソコンだった。 

 

当時は飲食店もあまりなく、缶入りのおでんが名物だった記憶。 

 

食事する時は、となりの末広町駅まで歩いてたなあ。 

 

 

・秋葉原の変遷 

1 ファミコンなどのゲーム 

2 PC 

3 アニメ、ホビー 

こうしたモノが流入する度に店の態様も変わって、昭和の闇市を想起させるような店も無くなってきた。 

(国際ラジオとか父親に連れられてきたなぁ) 

街並みもずいぶん変わって(「やっちゃば」もなくなりましたネ) 

まぁ、それはいい 

その時々のマニアックな層を満たしてきたのだから 

流入の4 

4 インバウンド 

これが街を決定的に変えた 

この街で生計を立てている企業や個人の方々がおられるので否定すべきではないのだが 

インバウンドで秋葉原は大きく変わった 

ネットの発達と相まって、マニア層には用の無い街になったね 

マニアにとってのスピリチュアルな街、とまではいかなくとも、そんな店すら無くなってしまったな 

「サブカル」を謳った観光地として今後も栄えるのだろう 

それはそれでいい 

我々が愛した秋葉原はこの次元から姿を消しただけだ、悲しむことは無い 

 

 

・道歩いてると外国人ばっかりだな今の秋葉原は。 

外国語の表記も至る所に貼ってあるし店も明らかにそういう層をターゲットに商売してるなと感じる。 

裏の方に行くとPCのパーツとか売ってる店があって少し前の街の雰囲気を感じることはできるけど 

 

 

・90年代、改札を出るとサトームセンのBGMが聞えてきて「ふっ、また秋葉原に来てしまったぜ」という気分になってた。 

今は電化製品と無関係な色モノが多くなってしまい何だかなーという感じ。 

少数ながらアマチュア無線・純オーディオ・電子部品屋も残っていて見てると楽しくなる。 

ネット通販が秋葉原を変えてしまったのだろう。 

 

 

・UDXができてからディープ感が薄れていく一方だけど、清楚なオフィス街とアングラなサブカルが同居してごちゃ混ぜになってる現状も悪くない。 

何でも境界線なく受け入れてくれる街みたいな。 

パリッとしたスーツ着てる兄ちゃんや姉ちゃんが、実は裏でコアな趣味を持ってるんだろうなぁとか思ってる。 

 

 

・HDDまでのカーナビは地元で買わずに旧ラジオ会館で買っていた。 

旧ラジオ会館の地下に駐車場が有ったので便利だったが、 

ナビ買わない時は安いコインPにとめてたのを思い出した。 

東映が縮小したらしいが、2年ぶりにアキバ見物に行ってこようかな。 

 

 

・2000年代より前にアキバに通っていた身としては、メイドカフェが流行った時点で知らない街でしたね・・・。 

90年代は虎の穴も裏通の雑居ビル、怪しいオッサンが紙袋でコピーソフト売って、中央通りはバイクの路駐だらけ。今と全然違いますよね。 

まあ、アキバは生きている街なんだと思いますよ。大袈裟かもですが変わったんじゃなくて『男子、三日会わざれば刮目して見よ』的な街だと思っております。 

 

 

 

 
 

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