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カスハラ問題で引用される「お客様は神様です」の誤解 三波春夫さんの真意は別次元

GLOBE+ 5/31(金) 6:03 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/26a511dc3578a86950716b002793b432ec85bb87

 

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国や社会では、顧客からのカスタマーハラスメント(カスハラ)対策が検討されている中、「お客様は神様です」というフレーズが客の立場を強調するために使われることが一般的だが、これが誤解されて広まったと三波春夫の長女が語る。

実際には、「お客様は神様です」という言葉は三波春夫がオーディエンスに感謝を表す心境を表現するものであり、その言葉を通して完璧な芸を提供する姿勢を示していた。

しかし、間違った解釈が広まり、「お客様は神様」の言葉がカスタマーハラスメントの問題に関連して否定的に語られるようになった。

三波春夫は生前、厳しい経験から自分の芸に対する真摯な姿勢を持ち、その考え方を広めたいとされていた。

(要約)

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三波春夫さん=三波クリエイツ提供 

 

店員や従業員らが顧客から無理難題を言われたり、暴言を浴びせられたりするカスタマーハラスメント(カスハラ)が社会的な問題となり、国なども防止策の検討を始めた。ところで客の立場が強いことを表現するのに、しばしば使われてきたフレーズがある。「お客様は神様です」。戦後の昭和を代表する歌手、三波春夫さんの言葉だが、本来の意味からはかけ離れ、誤った解釈として広がっているという。いったいどういうことか。三波さんの長女、三波美夕紀さんに聞いた。(聞き手・関根和弘) 

 

【画像】「お客様は神様です」と言った三波春夫さんと、それを広めたレツゴー三匹のスナップショット 

 

1923年(大正12年)、新潟県長岡市(旧・三島郡越路町)生まれ。13歳のとき上京し、米屋や製麺工場などで住み込み奉公し、16歳で日本浪曲学校に入学。東京・六本木の寄席で、南篠文若の芸名で初舞台を踏む。20歳で陸軍に入り、満州で激戦を経験。終戦から4年間、現ロシアのハバロフスクやナホトカで抑留生活を送る。帰国後、浪曲家として舞台に復帰し、1957年(昭和32年)には三波春夫として、「チャンチキおけさ/船方さんよ」で歌謡界にデビュー。「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」など、ヒット曲多数。2001年(平成13年)4月、死去。 

 

三波クリエイツ代表取締役 

 

1958年(昭和33年)、三波春夫さんの長女として東京都に生まれる。6歳から日本舞踊を習い、19歳で俳優デビュー。その後も舞台やテレビで活躍後、31歳で三波春夫さんのマネージャーに転身。同社は三波春夫さんに関する業務全般を手がける。 

 

――「お客様は神様です」は、客の立場の強さを表現する言葉として使われているのをよく耳にします。客が店などにクレームをつけるときの言い訳に使われた例もあるようです。ところが本来の意味は違うそうですね。 

 

「お客様は神様です」というフレーズは昭和36年ごろ、三波(父)がある地方公演で口にした言葉が発端でした。 

 

会場がお客さんの熱気に包まれる中、司会の方から「お客様をどう思いますか」と聞かれたとき、「お客様は神様だと思いますね」と答えたのです。客席が大いに盛り上がったことから、その後も各地のツアーの主催者から同じ発言を求められるようになったそうです。 

 

やがてトリオ漫才のレツゴー三匹さんがそれをまねるようになって、世間ではやるようになったのですが、三波の真意とはかけ離れ、「お客様は神なんだから、何をされようが我慢してつくしなさい」というような間違った解釈で広まっていきました。 

 

三波自身、生前にこの言葉の真意について説明していますが、これは自分の完璧な歌を、芸をお客様と視聴者にお届けしなければならないという心構えを表したものでした。 

 

三波は自分の芸について求道者のように厳しい人でした。「歌う時に私はあたかも神前に立って祈る時のように雑念を払ってまっさらな心にならなければ完璧な芸はできないのです」という信条でした。お客様を神様とみて、神前で祈る時のような気持ちで歌を歌う、これが「お客様は神様です」の真意です。 

 

皆さんも神社に初詣に行って、例えば「今年もよい年でありますように」とお祈りなさいますよね。雑念を払って。あるいは「お天道様が見ている」という言葉もありますね。それと同じく、三波も、いつも敬虔(けいけん)な気持ちで舞台に立っていました。 

 

 

――誤解された形で伝わり出したのはいつごろからだったのですか。 

 

三波の生前からありました。三波と一緒に車で移動している時、道路沿いの薬局で天井から「お客様は神様です」と書いた短冊を店内に飾っているのが見えました。その状況からして、三波の真意とは別の意味で使われているのがわかったのですが、私が「いっぱい書いてありますね」と言うと、三波は「そうだね」と言ってほほえんでおりました。 

 

思えば、その頃はまだ、言葉通りに「お客様を大切に思って仕事をしよう」という真っ直ぐな思いの方が多かったと思います。ファンの方から「お客様は神様です」と色紙に書いて欲しいと頼まれたこともよくありました。お店をやっていて、「カウンター越しにお客様と向かい合っているので、私の後ろに色紙をはりたい」とおっしゃって。それをご覧になったお客様も「そういう気持ちでいてくれてありがとうね」と喜んでくださっていると、後日うかがっておりました。 

 

それが次第にお客の立場を過剰に強く表現する言葉として使われるようになり、カスタマーハラスメントが社会的な問題になるにつれ、今度は「『お客様は神様』ではない」などと、この言葉が使われ始めたのです。三波が亡くなって6、7年たってからだと思うのですが、もうこのころには、三波の言葉だとはご存じない方も多く、言葉そのものが独り歩きしていました。 

 

――お父様がもし生きていらっしゃったら、ご自身の言葉が誤解されて伝わっていることについてなんて言うと思いますか。 

 

「致し方ない」と言うと思います。三波はこう言っておりました。「歌手の喉から出た歌は、もうすでに社会の財産なのです」。社会の財産ですから、どう歌われようが、カラオケで歌って頂いても、鼻歌で歌って頂いても、それはもう皆様次第ということですね。歌とこの言葉は同類ではないですが、世の中に出回ったものは世の中が動かしていくものだと悟っていた人でしたので。 

 

ですが、私はせめてこの言葉の本当の意味を知って頂きたくて8年ほど前、三波春夫オフィシャルサイトに説明文を載せることにしました。それでも一度広まった誤解はなかなか手ごわいもので、今回のようにご取材頂く機会に発信できるのは大変ありがたいですし、先日もテレビのニュース番組で東京都によるカスハラ防止対策が取り上げられた際、「お客様は神様です」が誤解されて伝わっていることや真意について触れて頂いて、とてもうれしかったです。 

 

カスハラを起こすような、心荒ぶる人がいらっしゃるのは、礼儀というものを日本人がどこかに忘れてきてしまったのではないかと思います。礼儀はあらゆることの根本だと思うのです。「ありがとう」「こんにちは」のあいさつも、言葉遣いも、人との距離感も、礼儀が身についていれば自然にできることですよね。人の心を大切にする気持ちをもっと取り戻せればいいですね。 

 

 

――「お客様は神様です」に込められた、お父様の芸に対する厳しい姿勢はどこからきていたのでしょうか。 

 

やっぱりシベリア抑留の経験は大きかったと思います。三波は生前、取材を受けるたびに「戦争体験とシベリアは人生の道場でした」と語っていました。 

 

三波は新潟の寒村で生まれました。浪曲と歌が大好きで、自分が歌うと近所の方々がみんな笑顔で喜んでくれる、「歌はいいなあ」と思ったのが芸の道の原点でした。13歳で上京して住み込み奉公で働き、16歳で浪曲(浪花節)の世界に入りました。芸を磨く日々を送っていた20歳のとき、召集されて陸軍に入隊し、満州に渡ってソ連軍との激戦を経験しました。自分の腕の中で「お母さん」と言いながら死んでいった戦友、すでに命は終わっているのに敵に向かって鉄砲を撃ち続けていた戦友。耐えられないような戦争の無残を知ったのですよね。 

 

終戦後、4年間の抑留生活を送ったロシア極東の捕虜収容所では、懸命に生きようとするも、仲間たちが次々と亡くなっていきました。 

 

死と隣り合わせの自由が許されない生活。人間の極限状態の中。だけれども、皆から望まれ、そして皆が生きる希望を希望を失わないように、時間を見つけては浪曲を語っていたそうです。そこで思い知ったのが、人間が生きていくためには娯楽は絶対に必要なんだということ。帰国後、芸の世界に戻ってからは亡くなった仲間の分までしっかりと生きなければという思いで、芸一筋に、そして自らの人間性を高めたいと努力の日々を送ったのです。 

 

収容所では、共産主義という思想は別にして、「考える」ことの必要性を教育されたのはよかったと言っていました。「自分はどう生きるのか、芸に携わるものとして何を学ぶのか、大衆に何を届けるのか」という視点が帰国後、生涯にわたって役に立ったのだと思います。 

 

浪曲には色々な登場人物のせりふが出てくるのですが、三波は考え抜いた上でその人たちのせりふを書いていました。聴き手の心に届く人間の本当のせりふ、ストーリーを書きたい、と。 

 

ですから大変な読書家でもありました。母が「作家さんと結婚したみたい」と言うぐらい、本をかたときも離さず勉強し、常に作品を書いていました。 

 

三波は酒もたばこもやりませんでした。夜に繁華街に繰り出すことはなく。ですから多くの作品を残せたのだと思います。「元禄名槍譜 俵星玄蕃」に代表される「長編歌謡浪曲」というジャンルを確立したのは特筆頂けることと思います。 

 

三波にとってのお客様はオーディエンスであって、カスタマーではないのです。オーディエンスに喜んで頂きたいと日々研鑽を積み、芸一筋に生きた三波の歌にかける心意気は、生前の歌う姿に見て取って頂けるかと思います。昨年生誕100年を迎えたのですが、それを記念して発売されたDVD「決定版 三波春夫映像集」もございますので、三波春夫が歌い語る日本の良さ、日本人の素晴らしさをお楽しみ頂けたら幸いでございます。 

 

朝日新聞社 

 

 

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(まとめ) 

この記事では、三波春夫さんの「お客様は神様です」という言葉をめぐって、過度なサービスやカスハラの問題、商売側と顧客側の関係性の変化などについて様々な意見が出されていました。

一部の人々がこの言葉を誤解して振る舞いをすることで問題が生じている一方、本来の意味や背景を理解して尊重し合うことが重要だという指摘もありました。

また、客と店員は対等であるべきであり、お互いに感謝の気持ちを持つことが大切だとの意見もありました。

サービス業や客商売の現状や課題について考える機会となるコメントが多く寄せられていました。

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・三波春夫さんの真意が良く伝わってくる、いい記事だと思いました。 

自分らより上の戦争世代の人達は、今では想像もつかない戦争経験 

をし、戦後の高度成長期を支えてきた。そして娯楽のない時代から 

歌や笑いで飛躍的な発展に貢献した。それを提供する側も受ける側 

もお互いが「ありがとう」って感謝があったと思う。 

 

「礼儀というものを、日本人がどこかに忘れてきてしまったのでは 

ないか・・・」なんだか、自分にもあるかも知れないって、思って 

しまいました。 

 

 

・この言葉より、アメリカから導入されたであろうカスタマーサティスファクションが顧客第一主義として広がったことが影響しているのではないか。要するに売る側、サービスする側が、売上げ拡大の手段として過度に謙ってしまった為に現状の関係性が生じたのではないか。その過程では確かに「お客様は神様です」が作用しているのだろうが、何より問題は、日本人の利に聡い貪欲さにあるような気がする。商売といっても、それぞれが社会の中で果たす役割と考えればいいような気がする。 

 

 

・多くのサービス業が直面するカスハラだと思いますが、本来はサービスに対する対価を払って納得してサービスを受けている状況であり、対等な関係であるべきだと思います。更なるサービスを受けるのであれば、更にフィーを支払ってその高いレベルのサービスを受ける。デフレ社会が招いた企業側のミスリードで、無料のサービスに突きあがってしまった顧客を大量発生させてしまっている現状ではないでしょうか?サービスにはコストがかかると言うことを今一度、企業も従業員も認識することと、顧客もお金を払ってそのサービスを受けさせて頂いているという「感謝の気持ち」が必要になる時代になっていることを再認識する必要があると思います。 

 

 

・一方で日本特有の過度なサービスで顧客側を甘やかして来た事も、カスハラを生んだ一因のような気がする。 

ビニールをビニールでくるむ過剰包装、店前までの見送り、『◯◯◯になります。』などと言った不適切な敬語利用など、お客を心地よくなるよう必要以上に企業や店舗が研修を行って来たことも事実ではないだろうか? 

過度にサービスた事で顧客が勘違いしてカスハラ対応に追われるなんてこんな本末転倒な話はないので、これを機会に自分も含めた社会が考えていく課題だと思う。 

 

 

・お客様を神様だと思うのは、あくまでもお店の方針、悪く言えばお店の勝手であり、お客の自分が神様だと勘違いしないようにする事が大切だと思います。 

 

また、最近はお客様は神様という言葉の存在そのものが批判の対象となる事もあり、お店の側がそれを拡大解釈してしまい、こだわりの商品を提供している自分たちの方が神様だと勘違いしている風な炎上もよく見かけるようになりました。 

 

極端な考え方をするのでなく、人間は皆お互い様、お互いを尊重し合わなければならないという簡単な話を理解する必要があると私は思います。 

 

 

・このフレーズを世の中の一部が勘違いしたことから、ある程度は元々ひどい対応をしていたサービス提供側の意識が変わった良い面もあるが、馬鹿な客 

が自分の都合の良いように解釈したり、どっかからでてきたマナー講師が接遇とかいう傍から見たら値段に見合わない過剰なサービスをすれば集客に繋がるというような意識付けを企業が真に受けて取り入れたりTVがそれを取り扱ったことから世の中がおかしな方向に加速したのはあると思うね。 

 

 

・私は店と客は対等だと思っている。 

クレーマーになるのはいけないが、クレームは店のためにすることでもあるから、正しいクレームもあると知って欲しい。 

 

スーパーで袋に入った果物を購入した。 

帰宅してすぐ開封すると、外側から見えない位置にたくさんカビが生えていて、全く食べられない状態だった。 

すぐ購入した店に連絡し、起こった事実を伝え、今後の管理方法を見直して欲しいことを穏やかな口調で伝えた。 

店はすぐ新鮮な果物と交換してくれた。 

そのため、現在もその店を利用している。 

 

あった出来事を正確に伝え、店側も正しい対応をすれば今後も良い関係が築ける。 

これが本来のクレームだと思う。 

 

一方で直接店には報告せず、写真に撮って一方的にSNSで「〇〇の店で買ったけど腐ってた」などと広めたり、店を脅して必要以上の対応を求めたりするのは店の不利益が大きすぎるため正しいクレームではないと思う。 

 

 

・よく読ませていただきました。 

 

出てしまった言葉が1人歩きしやすい性質の言葉だったことは、良くはなかったと思います。 

 

なぜその場でお客様が盛り上がったのか、考えなかったのでしょうか? 

テレビという媒体でも広めていらっしゃいましたよね。 

 

ご自分の思う心持ちに皆が賛同してくれる事に酔ってしまった部分もあると思います。 

 

戦中をとても苦しい悲しい思いをして来たほど、自分の気持ちが大衆に受け入れられる事は大いに自尊心を満足させられただろう。「人のために」「死んで行った仲間の為に」という気持ちが自分を支えて来たのだからそれは仕方ない。 

 

しかし、発言する前に、自分の気持ちのままを人が捉えるとは思わない事も大事。 

 

「お客様は神様」ではありません。 

「お客様はお客様」です。 

 

互いに取り引き合う大事な関係を繋いで行くにはどうあるべきかを考えないとね。 

 

 

・客も店員も本来は対等で、対等だからこそお金を払って等価交換でサービスが受けられる。 

同様に、下請けと元請けのバランスも同じ。 

これから各社人手不足になるわけで、従業員を守るためにも、もっと厳しく対処をして良いと思う。 

 

 

・この記事で初めて知りました。三波春夫さんのいつも笑顔で心地よい歌唱の背景がシベリア抑留だった事分かり、納得と改めて日本じゅうを明るくされたことに感謝の気持ちが湧いてきました。「お客様は神様です」は歌い手であり芸を完璧にする為の三波春夫さんの心構えを述べられたということなのですね。我々オーディエンスだったり、商品やサービスを受ける側も、「歌って頂いて、売って頂いて、サービスしていただいて感謝しています。」と様々な送り手を神様として心構えをすると、更に日本は素晴らしい国になるのではと思いました。今から実践します。 

 

 

 

・お客様は神様ですと言われる。すると、いやいや何もそんなお引き立ていただかなくてもと応えて、双方照れ笑いが出来る話となる。ところが、そうなんだオレの方が神様で偉いのかって捉える層が居り、そいつらが時間を減ることで増えていき広まり結果こうなった。侘び寂びの分からんのがそういう風潮に仕立てあげた。いつもそう。気の利いた人は洒落てモノを言ったりやったりする。これを、洒落の分かる人は機転を汲んで面白おかしく捉えることが出来る。ところが、鈍い人や頭の悪い人、機転の利かない人は、そこに込められた意図を汲まず、その場の己の都合よく受け止める。結果、やった側と受け止めた側との間に誤解が生まれる。毎度毎度そんな精神的な齟齬が生まれトラブってると、どうにかしましょうって話になり、世の常で程度の低い方に合わせるようになっていった…。こんな程度のことでも、空気(真意・現実)を読めるか読めないかは大きいという話よ。 

 

 

・一つ経験談を。 

メーカー勤務で、得意先である洋菓子店へ既に送り込んである販促什器のセッティングに行ったところ、70代のオーナーシェフがセッティング済で、御礼を言ったところ「とんでもない。お客様にやらせるわけにはいきませんよ。こちらこそ素晴らしい什器をありがとうございます」と言われた。自分のことを単なる仕入先ではなくてお客様としても接してくれていることが嬉しかった。 

他の洋菓子店は「おたく(メーカー)が送って来たんだからセッティングしに来てよ」って言うところが多いのに。 

 

 

・まあ三波春夫の言葉の曲解に限らず、現実にはたくさんの問題があるにも関わらず、例えば市役所のすぐやる課や、客商売の経営者がお客の要望にはどんなことで応えることをモットーとしたり、顧客の苦情は宝というような経営者など、内容を問わないカスタマー第一主義を良しとしてそれを持てはやす風潮は長い間続いてると思う。 

今でも政治家は選挙演説で、「皆様、一人ひとりの声を真摯に聞き政治に反映させる」などそんなことできるはずもないのに、大声でがなりたてている。 

 

カスハラ問題が出るとお客様は神様です・・・のセリフの流行が一因のようによく言われるが、カスタマーの要望内容の正当性は一切問わないことが素晴らしいのだ、という風潮は根強くあるしそこから是正しないと勘違いするカスターはなくならないよ。 

 

 

・家庭での教育、しつけの質の低下が大きい要因ですね。 

「子は親の鏡」言葉の通りです。 

こどもは大人の振る舞いをみて自然と学びます。 

一番近い大人・・・たいていの場合は親ですよね。 

親としての振る舞いを意識せず、自分勝手な行動をしてしまうと、こどもはそれを良しとします。そのこどもが大人になり、またそのこどもが・・・ 

もちろん大人になる途中で改善することあるとは思いますが、無意識の部分に関してはそのまま成長すると思います。今後は社会が毅然とした対応していくことが必要ですね。事象を見定めたうえで、客側に問題がある場合には、労働者をしっかり守って欲しいですね。 

 

 

・芸能は神様に捧げるものだから、自分はお客様を神様に見立てている。だから、お客様は神様です。これが本来の意味ですね。昔、三波春夫がテレビ番組で言っていました。レツゴー三匹のギャグは、「お客様は神様です、三波春夫でございます」と言った後、両側の人から叩かれるというもの。これ、流行りましたね。このギャグが流行った事で、お客様は神様ですが定着したと思います。あくまでもギャグとして定着したから、三波春夫の真意は伝わっていないのだと思います。 

 

 

・言葉が発言者の意図と 

違うように解釈されるのは 

よくある事です。 

 

発言の受け手側に 

誤った解釈が無いように 

本来は丁寧な解説が必要ですが、 

『お客様は神様です』 

この言葉を見るだけでは 

発信者の意図とは違う解釈を 

されても仕方がない。 

 

しかし接客の現場では 

この解釈を振りかざしたお客が 

過剰な振る舞いをしている現実。 

 

出来るだけ早く 

法によるカスタマーハラスメント対策を 

整備する事が必要ではないかと感じます。 

 

 

・戦後、七代目三津五郎が進駐軍のパーティの余興に呼ばれて歌舞伎舞踊を踊った。そのとき、パーティは喧騒を極め、誰も三津五郎の踊りなどに関心を払わない状態だった。それを見た息子の、後の八代目三津五郎が、「あんなお客さんの前で真面目にやることはありません」といったら、七代目は「どんなときでも、神様の前で演ずる心持で勤めるのだ。」と窘めたという。 

 

これが、芸能の真髄だと思う。三波春夫もまた、おなじような芸能観を共有していたのだ。これを、お客の側が曲解するようだと、進駐軍の客と変わるところが無い。 

 

 

・お客様は神様です。って店側が思う分には良いと思いますが、客なんだから!って客が勝手に自分の立ち位置を決めるのはどうかと思うけど…比較的リーズナブルな店に出入りする人の方がそう言う傾向が強い気がする 

 

 

・サービスはコストを伴うものなんですよ。超一流ホテルならお客様の大抵の困りごとは気持ちよく対処してくれるし気分を良くする接待がしてもらえる。レクサスもそれを見習って過剰とも思えるサービスに努めた。そしてそのサービスは価格に反映されている。そんな付加価値がつけられない一般のお店や商品に一流ホテル並みのサービスを期待するのが大間違い。神様になりたいのなら、まず自分がそれだけのサービスを受けられる対価を支払っているのかをよく考えるべき。 

 

 

・飲食店やホテルでの対応は、日本ではどの地域でも親切だ。ホテル側、お店の前まで出てきでお辞儀をしながら「有難うございます」と言うのは日本くらいだ。中国や韓国に行った人なら向こうの人たちの対応はどんなものか、よく分かっているはずだ。日本は、客も店員も善人ならとても良い習慣だが、片方が悪人ならトラブルになるか不愉快になるかする。日本人ももっと双方が対等な取引・売買契約の意識が必要だ。 

 

 

 

・本当かどうかわからんけど子供だった50年以上前に学校の先生から聞いた逸話。三波春夫の住んでる町の町内会が盆踊りで歌って欲しいと頼んだら、私は無料で歌いますが、プロのオーケストラを付けて貰うわないと歌え無いので、それに50万円とか100万円とか言われて断念と言うものだった。プライドが高い嫌な奴と言う意見も有るだろうけど、人前で三波春夫が歌うからには盆踊りでも最高の歌を聞かせたいと言うプロ意識の高さとも言えるね。 

 

 

・この記事に関連して、法律で「そんなのあるんだ」と思ったものがあります。 

企業や会社、あるいは商店側の「売る自由」です。 

言ってみれば、店側にも「嫌な客」には商売を断れる。ということですね。 

カスハラにも通ずるところがあるんじゃないかと思うんですが、店は誰に対しても、どんな人に対しても 

 

「売らなきゃいけない」わけではない。 

 

相手にしてられない客は客ではない。と断じても良いんじゃないか。 

それこそ、店頭でスタッフ一人割かなきゃいけない状況になった場合。 

警察呼んでも良さそうですよね。 

 

 

・「お客様は神様です」は 

演者、店、ホテルなど、商品やサービス提供側の言葉(心構え)であって、客側の言葉(心構え)ではないと言う事。 

 

対価を払ってサービスを受けてくれるのだから、より良いものを提供したい、そんな気持ちでお客様に向き合いましょうという心境を表した比喩のようなもの。本当に神様っわけじゃないけど、特にパフォーマンス関係においては価値をつけ難い感情の要素が強いと思う。 

 

 

・「お客様は神様です」 

 

この言葉は、売り手が意識する事であって、買い手が威張って言うのではない、という事でしょう。 

 

重く受け止める言葉です。 

 

現代において、売り手と買い手は対等な関係ではあるが、商品やサービスが高い次元で維持できるのは、「お客様」のおかげ、という謙った姿勢と感謝の気持ちがあるからでしょう。 

 

今では、ほとんどの人が、モノ、サービスを提供する「商売人」であり、かつ「お客様」の両方の立場であるから、「お客様は神様」という意味をはき違えて使用してしまうのかもしれません。自分がそうしているから、相手に対しても求める。それが、エスカレートしたのが、「カスハラ」だと思います。 

 

「神」という言葉が、人智を超えた存在、信仰の対象となる存在という意味に捉えられるので、この言葉自体が、憲法第14条「すべて国民は、法の下に平等であって」の趣旨に照らせば、現代では適切でないのかもしれません。 

 

 

・長らくデパートに勤務したので、今で言うカスハラまがいの顧客には遭遇した。 

但し催事等やセールなど売る側にも荒っぽい言葉使いや横柄な態度の人がいたのも事実。 

多くはデパート社員ではなく、派遣店員やメーカー社員だったが顧客からは見分けは付かない。 

クレームやお叱りを受けたが、当時は神様というより、先生のように教えて頂ける存在と教育されたと思う。 

世の中を見るとファミレスのロボットやコンビニ、スーパーのセルフレジなど対面販売の機会はどんどん減っている。この言葉も最早死語になってはいまいか。 

 

 

・こういうこと適当に書くのはどうなんだろう 

自分はアメリカで航空会社やホテルで働いていたが、顧客とは対等の立場であり、会社は顧客から社員を守るという前提がどの会社にもあった。 

社員が通る通用口や休憩室にもそういったポスターが貼ってあったし、自分が日本人の顧客から罵倒された時も、上司がすぐその場から解放してくれた。 

日本でもカスハラの定義を決めることばかり考えず、どうしたら会社が社員を守れるかということにフォーカスしたほうがいいと思う。 

 

 

・私自身、サービス業に40年以上携わっている者としたら、この記事を読んで、「そりゃそうだ」と納得いくものでした。 

 

実際にTVで三波春夫さん自身がお客様へ向かって言っている時も聞いた事が有り、最近のカスハラの根本に、この言葉が有るのは分かってはいました。 

サービスを提供する側がそういう気持ちを持ってサービス提供をするべきなのに、お客様側が、逆に接客する人達にそれを求めてしまうのは違うとは思う。 

 

最初からあまりにも横柄で、言いたい事言う人(敢えてお客様とは呼ばない)が、ごくごく稀にいますが、こちらはサービスの対価で有る代金を受け取り拒否した事が、過去に三人いらっしゃった。 

払うと言っても受け取りませんでした、「あなたは客じゃ無いですから」と言い放ち。 

 

 

・サービス、その物の対価。 

安価なら、それなりだし 

高価なら、それ以上のモノであってほしい。 

ただ、客にはそれぞれの価値観がある。 

なので、その店が誰をターゲットにして 

どんなサービスなのが、明確に発信し、 

消費者も調べて自己判断て決めればいい。 

ただ、コンビニとか、日常的に利用する 

小売は難しいかな 

やはり、どちら側になろうとも、お互い気遣いできればいいのですが 

 

 

・こうした考え方は我々日本人の精神的支柱と思っています。 しかし刹那的で日々自分のご機嫌にだけ執着する、情緒の成育が望めないであろう一部の人々にこうした心の境地をいかに解説しても残念ですが伝わりません。  

手を出せて身体に染み入らせればどれだけその人の育てになるかと思いますがそればできない。ならばもう同じ人間と思わない方がきっと気持ちが楽でしょう。 

 

 

・航空会社のプレミアムラウンジやレクサスの店舗に行くと、若い女性スタッフが跪いて応対する。私はそんな大そうな接待をされるつもりもないしされたくもないので「立ったままでいいですよ」と声をかけるのだが、ここに今の日本人の腐った根性が垣間見える。 

「お客様は神様」扱いが定着してそれを望む客が多いことの現れであり、応対する方もおもてなしのつもりなのだろうが、何か見当違いな感じがする。 

そんな接待が必要なら銀座の高級クラブでも行けばいいし、ただお金を払ってくれる人に靡いているだけだと気付かないのも鈍感である。 

本来は客とスタッフは対等であるべきだし、礼儀正しく丁寧な対応は見ていても気持ちがいい。 

 

 

 

・一番見て欲しい老人が、このような記事を見ないからね。 

「お客様は神様です」が独り歩きしているというけれど神様の前で奉納するような清らかな気持ちで演じたいと言う意味に捉える方が難しく。今後もイキった老人達のカスハラは続いて行くのでしょう。三波さんが悪いわけでは無く 

誰かがわかった上で悪用したとも言えますね。最近ではお店が神様ですという 

お店も増えてきましたので、いずれにせよ立場の上下関係関係無く敬意をもって接することが基本中の基本だと思います。 

 

 

・今現在は派遣として、長年百貨店で仕事しています。昔から所謂いちゃもんに近い形のクレーマーはいましたが、近年の高齢化に伴い激増した感じ。やはり頭の中に「お客様は神様」を擦り込まれた世代かなと。(勿論、若い方も居ますが客層がそもそも年配層) 

カスハラという言葉が世に出て来てくれて、コレによって少しでも理不尽な、嫌な思いをしなくて済むように変化して欲しいです。 

 

 

・私は営業職をしていますが、最近よくこのようなフレーズを聞きますね。 

お客様は神様ではなくとも 

自分や従業員やその家族が生活していく上でなくてはならない存在であることには変わりありません。 

神様じゃないからと言いてなんでもありにはならない。 

感謝の気持ちや思いやりの気持ちを持つことは双方に必要なことだと思います。 

 

 

・客商売やサービス業からしたら、 

客がいないと成り立たないから、神様という言い換えはわかります。 

 

お客様は神様という言葉が悪いわけじゃない。 

 

現代は、客側も、働く側も、 

相手をおもんぱかる心が減っているだけ。 

 

客側も、何様かという人も居るし、 

 

サービス側も、マニュアル通りに時間が過ぎればいいとか、ちょっとした配慮がなく、ただやってます。的な働き方をする人が増えている。 

 

どちら側も、自分が中心になると、 

問題が起こりやすい。 

 

現代の課題ですよね。 

自分ファーストの意義を、深く考える必要があると思います。 

 

 

・あくまでも個人的な感覚。 

昔は店と客の立ち位置はもっと近くて、客と店員の言い合いなんてよく見かける光景だった。いわゆるお客様は神様的な接客は百貨店くらい。 

 

それが90年代後半からのデフレで価格の引き下げ競争が激化して、これ以上の値下げは無理となって来た時、店員の接客態度を中心により良いサービスを企業がアピールするようになった。 

同じくらいの頃から、お値段以上の良いサービスや従業員のへりくだった態度を当たり前であるというニュアンスで、テレビなどメディアで「お客様は神様と言いますしね」というコメントをよく聞くようになった。 

 

この辺で曲解されて広まったんじゃないかな。 

 

 

・素晴らしい記事。 

 

自分も飲食でサービス業の者ですが、定員側が強く出られないのをいいことに強気で不当な要求や振る舞いをしてくるお客様に何度も遭遇した事があります。 

恐らく立場が上と勘違いされてるのだと思いますが、あくまでお客様と従業員は対等の立場です。施設利用や食事の対価としてお金を払っている取引相手というだけの話。本来お店側か設定した値段以上のサービスの要求をし、お店側がそれに応えられない場合、取引が不成立=取引相手として相応しくない=お客様と従業員との関係ではない、となる。お帰り頂いても問題はないはずである。 

ただ、記事にあるようにより良いサービスを提供しようとする姿勢は、なるべく気持ちよくお店を利用して頂こうと考えるお店側の善意や誠意、仕事に対する理念から出てくるもので、それが「お客様は神様です」という言葉の本質。決してお客様から自分勝手な要求をするために使う言葉ではない。 

 

 

・サービス業をやっていますが、お金払ってるんだから自分が納得行くまで無理な要求でもサービスしてもらうのは当然と思ってる客が一定数います。基本的に店側が公表するサービスにお客さんが納得した上でお金を払うのだから、店と客の関係にそれ以上もそれ以下もありません。文句を言ってくる客は大体パターンがあるので、すみませんがうちのサービスでお客さんのご要望にお応えするのは不可能です、とはっきり告げて今後ご来店いただかないように話を誘導します。 

 

 

・慣れたステージでも 

客にとっては今回が初見の方も多い。 

となればファンになるかはこの一番にかかっている。 

当然気が抜けるものではない。というプロの心得と思っております。 

 

天網恢恢疎にして漏らさずともいえましょう。 

これはお客さん側としても同じこと、 

二度会うことはない相手だからと横柄な態度をとれば 

思いもしないタイミングでしっぺ返しがきたりするものです。 

 

 

・お客様は神様というのは本来店側と客側がお互いが礼儀を感じてお店側は利用してくれてありがとうという風に感謝をし客側も美味しい料理と対応をしてくれてどうもありがとうというバランスが成り立ってこそのことだと思う 

しかし最近はお金を払っているから利用しているからしっかり対応しろみたいに上から目線の客が多く気に入らなかったらカスハラみたいに徹底的に攻撃したり潰そうとする 

もはやお客様は神様ではなく悪魔という風になってしまっている 

今の時代、今一度敬意と感謝を少しでも感じるべき時なのかもしれない 

 

 

・三波自身、生前にこの言葉の真意について説明していますが、これは自分の完璧な歌を、芸をお客様と視聴者にお届けしなければならないという心構えを表したものでした。 

 

三波は自分の芸について求道者のように厳しい人でした。「歌う時に私はあたかも神前に立って祈る時のように雑念を払ってまっさらな心にならなければ完璧な芸はできないのです」という信条でした。お客様を神様とみて、神前で祈る時のような気持ちで歌を歌う、これが「お客様は神様です」の真意です。 

 

 

 

一部分の言葉だけが切り取られて、間違った解釈が世間に広まったという典型例だ。 

 

一度広まった、誤った解釈を元に戻すのは大変だと思う。 

 

 

 

・体験談で言うとあるカード会社に一括返済をお願いして今月の請求もなしでと依頼。全て払い終わった後に今月の請求がきた時は驚いた。 

すぐにカスタマーセンターに連絡したが、謝罪もなく言い訳ばかりだった。こちらはお金の問題なのでやり取りを録音しといた。さすがに厳しく伝えたが、カスタマーセンターの対応向上と教育もしっかりしていただきたい。 

 

 

・三波春夫さんの真意とかけ離れた、お客様は神様という考え方がデフレマインドが染み付く日本人の考え方に影響を及ぼしているのかもしれません。お客様は神様だから値上げが許されるわけがない、お客様は神様だから言われた通りにしないともう買ってもらえないかもしれない、とか。よく言われる下請けいじめとかもそんな感じですね。 

 

売り主と買い手はあくまでも売買契約を締結した上で対等な立場であるべきなのに、そのパワーバランスが著しく崩れているのが今の日本だと思います。徐々に風向きが変わってきていますが、企業に任せるだけでなく我々一人一人のマインドを変えていくことが必要だと思います。例えば自分がお店で支払いを終えたときにありがとうの一言でも言ってみればそういう意識はなくなっていくのではないでしょうか。 

 

もちろん三波さんには何の非もなく、勘違いして受け止めたその他大勢の責任であることは言うまでもありません。 

 

 

・お客様は神様と思ったのは、学生時代に接客のアルバイトをしていた時、高圧的で文句が止まらないお客様に出会って、半泣きで接客した後に、あなたは悪くないよ、大丈夫。と優しくしてくれたお客様。3割怖くて高圧的、6割何もなく普通でスルー、1割がすごい優しくて大変ね、ありがとうねとこちらが申し訳なくなるぐらい優しいお客さんだった。1割の人が空いてるレジもあるのにわざわざ並んで私のところに来てくれるの嬉しかったな。顔見知りになって、ちょっと雑談したり私の癒しで神のようなお客様でした。 

 

 

・日本は過剰ともいえるぐらいサービス精神が旺盛です。 

私が高校生の頃、某ファミレスのバイトをしましたが 

高級レストランって感じぐらい厳しくしつけられました。 

今となってはいい思い出ですが・・・ 

 

とは言え、今の高校生の子に 

あれぐらいの教育をしてしまうと 

すぐに辞めるでしょう。 

 

客側も神様レベルを求めるのであれば 

そう相応の対価を出すお店に行けばいいのです。 

 

 

・言葉にはその立場の人が絶対に言ってはいけない言葉が有ると思っている。 

例えば 

 

自分自身は絶対に人を助けたり手伝う事が無いのに、他の人が渋々手伝った時に「助け合いの気持ちが大切だから」とか言って感謝の言葉も言わない。 

 

子供が悪さしているのを見ても注意する事も辞めさせる事もしないで店側に被害出してるのに「子供のやった事だから大目に見ないと」とか言って弁償しよとすらしない。寧ろ踏み倒そうとする。 

 

これと「お客様は神様です」は同類だと思う。 

客をもてなす側が言うのは良い言葉だと思うが、客側がコレを言うのは絶対に違うと思う。 

 

 

・三波春夫さんのチャンチキおけさは小学生の頃に良く聞きましたが歌詞の内容を理解出来ては居なかったと思います。大人になってから聞いたら、本当に心に滲みる良い歌なのが分かります。昭和30年代の浪曲は針仕事をする母の側でラジオから聞こえて来る広澤虎造さんの壷坂霊験記を聞いて頭の中に映像が浮かびました。ラジオの浪曲は声だけなのに聞いて居て理解出来たのです。その浪曲をTVで披露したのが三波春夫さんです。忠臣蔵の討ち入りの雪の場面や緊張感等も臨場感たっぷりに聞かせて下さいましたし、あの良く通る声が独り語りの浪曲なのに様々な登場人物が見えるのです。唯一無二と言う言葉が有りますが三波春夫さんはその方だと思います。今その後を継ぐように、三山ひろしさんが三波春夫さんの俵星玄蕃を演って居るのをTVで見る機会が有り、こうして三波春夫さんの芸術が受け継がれて行くのも良い事なのだと感じます。 

 

 

・飲食業(カフェ)に長い期間従事しています、コロナが薄れてきてから特にですが予約席として用意していても席の変更やアレルギーでないのに食材の変更、チーズやにんじん、チョコが苦手だとかでアフタヌーンティーの内容まで変更してくれと言われる事も多々あり。 

サンドイッチにマヨネーズ抜き程度なら快くやりますが、沢山の具材のサンドイッチのなかからタマゴのみ入れてとかパンケーキから砂糖や生クリーム抜きとか、結構自分好みに伝えてきます。 

フレンチ料理店ではないです、普通のカフェで。 

こちらとしてはできる限り要望にお応えしようと思っていますが、あまりにも無理難題を平然と伝えてくる姿勢に嫌気のさすときもあります。 

特に年配の女性客の期待値が高すぎてその要望に応えられないとクレームになる事も、 

店側が出したいメニューを提供できなくなりますし、サービス業の在り方も考えさせられます。 

 

 

・人が欲しているコト・モノをその人に代わって提供するのがサービス。 

その対価として報酬が発生するわけで、どっちが上とか下とかそういう話ではないはず。 

当然ながら欲している以上の価値を提供されれば、相応の対価を支払うのが本来の姿だけれど、そこは付加価値を双方がどのように捉えるかによることで、一方の都合で強制するものではない。 

 

 

・モンスターカスタマーがネットの口コミやSNSという最悪の武器を手にしたことによって状況が悪化したと思う。 

多くの人がGoogleマップや口コミサイトで評判を確認するようになっている今、こういったモンスターは店にとって悩みの種だろう。 

強く出れば、関係のない客まで来なくなってしまう可能性がある。 

チェーン店なら、上部組織が守ってくれるわけでもないから評価を落とさないために誰誰諾諾と従うしかない。そうすることでさらにモンスターが増長してという悪循環。 

さらに最近は動画を撮って投稿する者も現れてそれもすぐに拡散する。前後関係の分からない切り取りで批判の矢面に晒される、また従業員の顔まで晒されるということも起こり得る。 

そろそろ神にも天罰が降るように法整備を進めるべきだと思う。 

 

 

・商売仲間が「不機嫌は静かな暴力」と言ったことがありました。成程と思ったものですが、三波春夫氏の「お客様は神様です」も真意が分かると、やはり成程と思いますね。氏の言葉の根底に、人としての品位を感じました。それに引き換え、この言葉を自分に都合よく使う方々の品のないことが浮き彫りになりますね。とても良い記事でした。 

 

 

 

・自分は客商売の店を経営しています。本当に唖然とする様な一般常識では考えられないような事が結構あります。お客様は神様ではなく店対客なだけで本来は対等なのです。欧米ではこの考えで、この店が嫌なら帰れ、という意識です。日本はおもてなしの度が過ぎて真面目すぎるので、これだけ平等と騒がれているのなら、もう少し対等であっても良いと思います。 

 

 

・最近はどこに買い物に行っても店員さんはサッパリしてるし機械的な対応が多い気がします。悪いことじゃないし業界にもよるのかなと思うけど、機械的な対応の方がいい場合もあればその逆もあると思います。そこが噛み合わないと客側がどうしても上からになってしまいますよね。最近先輩がカスハラっぽいことしてるけど、その場にいれば止めるようにはしてます。聞いたんだから教えろ、答えろ、みたいなタイプの方ですが、私からすれば聞く相手はある程度見極めるべきだし、こちらも最低限のマナーや知識は必要だと思いました。わからないことでも簡単に調べられる時代なので。でもきっと先輩にしてみれば、なんで私が客なのに調べなきゃならないの?って感じなんでしょうね。 

 

 

・お客様が神様だとしても、カスハラしてくるような客は、神は神でも邪神の類でしょうね。勇者パーティ(警察とも言う)にお願いして、早々に退治してもらうのが良いと思います。 

 

そもそも大阪育ちの自分としては、もはや躾として買い物したらお店の方に「ありがとう」という癖をつけさせられてるので、客の方が立場が上という感覚は無いですね。お店の方は、仲良くすべき相手、そしてその方が「お得」。そんなイメージです。 

 

だいたい、冷静に考えれば、むしろお店側の方が立場は上だと思います。 

例えば飲食店。 

気に入らない客の料理につば吹きかけてもこっちにはわからない。 

物販店だって、店晒しの商品を出されたりしても、やはりこちらには分からない。 

それ以外にも、どんな嫌がらせされるかわからないのに、打算的に考えたとしても、よくも居丈高な態度を取れるなあと個人的には感じます。 

 

 

・正しい意見には耳を傾けて聞くことは大切だか、理不尽な声に耳を傾ける必要はない。 

昨今、声が大きい方が正義、騒げば何とかしてもらえると言う赤ん坊みたいな人が数多く見られ、間違った風潮になっている、 

カスハラなどへの対応方法も含めて見直す時。 

 

 

・この話はずいぶん昔に聞いた事がある。それでも世間は勘違いを訂正する事はなく今に至っている。まぁ、今は日本の神道にならってお客様は八百万の神の一つ何だろうと思っている。八百万の神の中には人に利をなす神様もいれば、疫病神、貧乏神の様な害をなす神様もいる。害をなすのであれば悪神は祓うのと同じで、お客様が悪神ならそれなりの対応をするのは当然。 

ちやほやと利をなす神様の様に扱って欲しいなら、お客様も利をなす神の様な行動をしなきゃしてもらえんよね。 

 

 

・お名前は忘れましたが、ルパン三世のスタッフの方の話です。 

 

 三波さんが、劇場版「複製人間 ルパンvsマモー」のエンディング曲「ルパン音頭」を歌うことになりました。 

 そのレコーディング(録音)の日。演歌の大御所の三波春夫先生がアニメの曲を歌ってくださるということでスタッフ一同緊張するなか収録スタジオで待っていたところ、三波春夫さんは写真のようなきらびやかな演歌衣装で登場したそうです。 

 これにはスタッフ一同びっくりしたとか・・。 

 

 

・前にレンタカーでオフロード走ってメチャクチャにした事件があったけど、基本的に金払ってるから何やってもいいという身勝手や迷惑に繋がっていると思う。 

逆の立場になって考える能力がない、次に使う人のことを考えないんです。 

台風の日に出前頼むやつも、台風だから出前頼むという発想と、台風だから配達する人のことを考えてやめとくというのも同じこと。 

 

 

・そもそも、日本では場の空気を壊さずに円滑に事を進めるため、『とりあえず謝る』習慣がある。 

事業者は法的にも道義的にも問題がなくても、苦情やネットでの炎上を恐れ、先回りして謝ることが当たり前になっていた。いまでは小さなことでもクレームを入れる風潮が強まり、謝り方がどんどん過剰になっている。 

客商売とはいえ、毅然とした対応をしたらよい。時には怒っていいとも思う。 

「お客様は神様です」なんて勘違いして、とあえず謝るということが、モンスターカスタマーを生む土壌になっていると思う。その姿勢を変えたい。 

 

 

・売買が成立した段階で販売者と客は平等だ。 

そのうえで「神様」づらしたいなら最低1万円は払うべき。 

10万円の商品であろうがその10万円は商品の価値であり、「神様面」の費用は含まれていないことをこの際に認識しておくべきである。 

私は毎日スーパーに言っているが1000円の買い物でもレジの女性に「ありがとう」と感謝をしている。 

 

 

・日本人は逆に自分ならこうされたい 

こうはされたくないと考え 

おもてなしの心を掴んで磨いて来た 

人それぞれ不器用なりに自分なりに 

アレンジもされて個性もええ味に変えて来た 

人様が喜ぶ言うのは自分もその立場なら 

喜べる嬉しいと感じやりがいも生まれる 

お客様は神様かて自分も常にお客様なる立場やからな 

神様は結局自分でもある言う事や 

やられたら嫌な事はやらないが日本人の心やな 

 

 

 

・客が神様というのがなんともカルト的な発想。 

サービス業をしていく上で来てくれるお客様に敬意を払い、感謝の気持ちを表すのは大事ですけど、だからといって舐められたら駄目なんですよ。 

特に自分で開業していると、その商売をするにあたって相応の額を投資してきているわけだからそれを「何でもしてもらえる」と勘違いされるのは自身の正当な努力の形を侮辱されているのと同じです。 

そしてその手の客は自分に利がある時だけしか来ずリピーターとしてつかないです。 

サービスはこちらが誠意を込めたものに対して対価を受取り感謝を述べ、客からも感謝されてお互いギブアンドテイクが成り立つから信頼性が構築されていくものです。 

してもらうことを当たり前としてしか見てない、「ありがとう」の一言さえ言えない人間相手にまでこちらから頭を下げて来てくださいとは言いたくはないですし、サービス業をやってる人の大半の本音はそうだと思います。 

 

 

・三波さんの真意とは違う意味で普及してしまったことは、以前よりよく指摘されてきたことであり、「お客様は神様」が否定されることが多くなっている。 

しかし、私は顧客満足度(CS)にもつながるこの考えは、あくまで販売サイドの意識として、とても重要な考え方であると思う。 

問題となるのは、「お客様は神様」であるとお客サイドがうぬぼれてしまうことにある。(悪態をつくところで、もはやお客様でも無い。) 

それに、世の中、様々な人間が経済活動を通して相互につながっており、誰かが誰かのお客であり、自分が神であるという不遜な考えをもてるはずはなく、相互にリスペクトするべきものである。 

カスハラについていえば、「お客様は神様」の影響も確かにあるが、あくまでも個人的な感想としては、いつの時代でも悪態をつく者は一定数いるものだと思う。 

 

 

・カスハラ行為がいけないことは言うまでもないし、この記事で詳しく的確に述べられている通り三波春夫の名言が歪められてひとり歩きする現状は憂うべきことで、国民みんなが我が身を振り返って襟を正す時であると思う。 

だが同時に気になるのは、日本人にはすぐ《極端から極端に走る》《一方づく》悪癖が昔からあるため、この件も《逆の極端》に走ってしまう危険性が否定できないと思っている。つまり、「カスハラやめよう」「お客様は神様ではない」のコンセプトが世論の大波になると、またそれがひとり歩きするのが日本人のダメなところ。そして今度は「店員様は神様」になり、客側の当然の要求や異議までも全て「モンスタークレーマー、カスハラ」として排除されかねない。それは勘弁だ。 

太平洋戦争中は「一億一心」に異論を唱えれば「非国民」にされ、敗戦後は一転「一億総ざんげ」の同調圧力。そういう「実績」のある国だからな。 

 

 

・問題は日本経済の停滞を背景にして安易なコストカットを繰り返す企業が氾濫していることだと思います。確かにお客様は神様ではないが、サービスや商品が痩せていくのはそれとは別の次元の合理的な理由で行われていることです。JRが「カスハラには対応しません(キリッ)」と声明を出したのを「よくぞ言った」と称賛する風潮がありますが、背景には利益改善に追い詰められた経営状況と、利用者側の高齢化と民度低下で運営コストが平成よりも上がっていることが諸悪の根源なので「お客様が神様かどうか」の前にそれを支える政治や経済がまともに機能しているかのところを国民として見失わないようにしたいです。 

 

 

・ここ最近取り上げられるようになっただけで、昔からカスハラはあったよ 

SNSとネット普及のせいで(預かり知らぬ遠くの世界の問題から)身近な問題として伝わりやすくなったのと、それもあってカスハラが問題行動だと認知されるように社会が変わってきたというのが大きい。 

 

 

・カスハラというと客の態度だけが問題視されるが、その客の態度を引き出した店側に問題が全くないわけではない。要はどちらも程度の問題であり、客はキレずに店側のおかしな点を丁寧に説明し、店側も丁寧な接客を心がける。接客などがいい加減で感じの悪い店は、ほっといても、客が自然と足を運ばなくなる。今の時代、客が感情的に訴えることは店側に完全なアドバンテージを与えてしまうので、理不尽があったなら冷静になり、二度と店の敷居を跨がなければいい。 

 

 

・もともと日本人て、サービスに対し、あれこれ言うのは野暮、プロにおまかせしますという態度が一般的だったように思うが。若い頃観たアメリカ映画の中で、客がサービスに注文を付けるシーンがあったが、日本ではありえないと思ってた。従業員のほうも客は素人という態度で高圧的だったりする。 

ここで言うカスハラというのは、実際に経験したことがあるが、30分以上も怒りに任せて従業員を拘束するような客のことだろう。 

部下を長時間怒鳴りつける、子供のお仕置きをこれでもかとやり過ぎる癖のある人は要注意だ。 

 

 

・企業のスタンスやステートメントの発信強化と、客側の理解も必要だろうね。単価が高かったり医療や金融だったら影響度が大きいし、VOCは無碍にできない。 

逆に、薄利多売で健康にも影響がないのにやたら論理破綻でしつこいユーザーはただの営業妨害だから、そういう対応には毅然とした対応しますとかで、FAQとかに事例書いても全然いいと思う。そういう企業は電話チャネルなんてどんどん閉じてるし、いくらそんなのにおもてなしをしても、売上に影響ないことがデータ上わかってるし。 

 

 

・銀行券と商品やサービスを物々交換しているだけの事で上位も下位もないのに、勝手に自分が上だと勘違いしている人が多数いる。単なる取引なので店側に大きな過失が無ければ取引を無効にすることも可能で、立場は常に五分でお客が上なんてことはない。そもそも三波春夫が神様だと言っても彼は芸能人であり社会の仕組みを決める権限もないことぐらい普通の人でも分かるはずだし、そんな意味で言ってないのは今では有名な話。単に社会で鬱憤がたまっている人が憂さ晴らししているのが増えているのだとは思うが。 

 

 

・この話はずっと前から知っていたが、誰が言い出したとか真の意味はこうだ、と論議するのはナンセンスだと思う。 

「お客様は神様です」は完全に独り歩きしている日本文化となっており、三波春夫さんに責任はない。 

 

英語圏でも「customers first」とか「the customer is always right」等のフレーズがあり、意味することは概ね同じ、大昔から存在する経営方針の一つ。 

 

問題なのは、日本ではどこでもいつでも「お客様は神様」でなければならないとする商業倫理で、常識的に考えれば、神様と思えるほど感謝するのは、それなりに儲けさせてくれる高級店での客のみであろう。 

欧米の一般店では売り手と買い手は基本的に対等、互いに感謝するスタイル。(映画やドラマで観てのとおり) 

 

 

 

・言葉は独り歩きする。だから怖い。 

最近「ストライクゾーンが極めて小さい人」が増えている感覚。 「自分の決めたストライクゾーンでなければ、ストライクではない」的な主張を繰り返す。 サービス業でも、自分の考えている言葉使いと、ちょっと違うだけで咎め立てをする。日本語的には許容範囲なのに、無茶なクレームが増えている。明らかな「カスハラ」。  

昔「王様のレストラン」と言うドラマで、気の利いた一言があった。あるベテランのギャルソンが、お客に言い放った言葉で 「私は先輩のギャルソンに、お客様は王様であると教えられました。 しかし、先輩は言いました。王様の中には首をはねられた奴も大勢いると・・・又のご来店のない事を心より願っております」だった。 

「お客様は、神様では無くて、王様だ」と風潮を変える必要があるかも知れない。 

 

 

・この言葉はまさに広義の客商売に携わる商売人の心得。 

客の言葉ではないと思う。 

自分の商店に来た人間がいつどこで自分の商店の株主になるかわからない、いつどこでどんな世話になるかわからない。 

まさに神様のようなものだと思う。 

今の時代、「自分以外の人間は神様」ぐらいの謙虚さを持つつもりでいたほうがいいのかもしれない。 

 

 

・三波春夫さんは、素晴らしい人なんだなぁーって私は、思います。 

間違った解釈を多くの方が 

してしまっているにせよ。 

「お客様は神様です」と言う言葉が 

令和の今の時代になっても 

ネットで記事になっている事が 

三波春夫さんの凄さを感じます。 

 

「お客様は神様です」と言ったこの 

言葉を間違った解釈をして 

しまっている方が多いのかもしれない 

けど、時には、お客様の方が 

正しい事を言っている事に 

気がつく事も必要だと私は 

思います。 

 

ただ暴言や乱暴な言い方をして 

しまうお客様の態度は、 

よくないと私は思います。 

 

お客様が神様なのなら 

店員もまた神様だし 

 

そもそもお客様は神様でもなく 

店員も神様でもない 

 

「人間だもの」と、思う 

 

そして、人間ならお互いに 

間違える事も、あると思うし 

許しあえる事も、出来ると思う 

 

 

・私は接客業をしており立場的には店員としての意見です。 

 

カスハラはもちろん論外ですが、自分が客としてコンビニやお店を利用した際に明らかに店員のレベルが低いと感じることが多々あります。 

 

終始無表情な店員や「ありがとうございました」すらなく、軽く会釈するだけの店員などかなり問題のある店員が多いのも事実です。 

正直、一言いいたくなる瞬間もあります。。(さすがに言いませんが二度とその店は利用しません) 

 

あとは店員同士でニコニコ喋ってて、呼んだら急に無愛想になる店員とか… 

 

数年前から世間が店員の味方になってくれる風潮は嬉しいですが、それに甘えてる店員はだめだと思います。 

 

自分はそんな店員にはならないよう頑張りたいと思います。 

 

 

・先日、レジ打ちのスタッフが椅子に座って業務する事に対して記事になっていましたが、海外ではすでに座って業務しているし、ディズニーでも一部飲食ブースのレジは座って対応しています。 

そして最近、日本のスーパーでも座ってレジ業務する流れが出てきたけどまさにここが日本らしいです、『座って業務させていただいております』と、お断りの張り紙をわざわざ貼っている。 

値段もそうですが、限界まで安くしてお客さんに対して低姿勢でいつまでやっているのだろうと考えさせられます。お店とお客さんは同等の立場であるべきです。そうでなければサービス業で働く人はもっと減っていくことになる 

 

 

・事はもっと単純で、「サービスの内容を決めるのは売手」であって、「サービスを選択できるのが客」、というだけ。 

 

「自分の店のサービスを選ばない客を批判する権利が店側にない」ように、「店のサービス内容に客が文句を言う権利はない」(当然ながら両者とも人権侵害、反社会的、公序良俗に反する場合はこれには当たらない)。 

 

客は、イヤならサービスを受けなければ良いし、店に行かなければいい。 

客にはそれができる。 

 

例えば、ラーメン屋は衛生的で安全な食品を使って「ラーメンを提供する」のが本来のサービス内容であって、極端な話、味はもとより接客態度や店の雰囲気など、その他の要素は営業上の考え方に基づいた店側の配慮や努力に過ぎないわけで、そこを褒めるならまだしも、逆にふんぞり返って偉そうにそれをどうこうしろという権利など客には微塵もない。 

 

日本人は、ひとを使う事やサービスに対するコスト意識が欠落しすぎている。 

 

 

・テレビでのワンフレーズだけ流すのが悪いのもありますが、 

スーパーでアルバイトした時も店長さんからこの言葉を教えられました。 

小売業として客は大切なのでしょうが、お金を払って初めて対等になることを忘れてしまっていたのだと思います。 

 

 

・今更感がある記事。言葉というのは曲解されて正しく伝わっていくものではないので、当時はそれで良かったのかもしれないが、今の時代この話を理解して使えというのは難易度が高いでしょう。 

 

サービスは無料だと思っている人がいることや、低コストの売り物に対して高いレベルのサービスを要求するおかしな世の中なので、提供側ではなく利用側が理解することが先かなとは思います。 

 

 

・今さら遅いんですよね。僕は3月に失業しました。今は職安に通っています。職安で利用者の呼び出しにビックリしました。「137番のお客様」お客様やて。職探しに来ている人間に協力するのが仕事なのに、協力する側が利用者の事を「お客様」と呼ぶ。三波春夫の言葉が出発。国鉄分割民営化でその言葉を完全実施。今に至ります。職安も鉄道も郵便も役所も、「ありがとうございます」ではないのです。「世話したってる」位の態度でいいのです。ホテル、飲食店等の接客も、海外と同じでいいのです。海外のコンビニなどは、店員はスマホを触っていて、こちらから呼ぶとレジにゆったりと来る。そのていどでええのとちゃいますの?「お客様は神様です」この言葉が出発なのは間違いありません。 

 

 

・いつになく良い記事でした。 

真っ直ぐな思いでお客様を大切に思って仕事をする事、礼儀を重んじどんな相手も尊重する事が大事なんだと。 

カスハラをする人は結局自分が上の立場と思っている人かな。 

人は皆平等で従業員とお客様も平等です。(確かに態度の悪いスタッフもいますが) 

カスハラをしてしまう人は買ってやってるんだという気持ちから売っていただいてるという気持ちに切り替えてほしい。 

 

 

 

・昭和の時代は「お客様は神様です」は成立しました。今はまったく成立しません。それは昭和から生きているのでよくわかる。今の人たちには道徳がまったくありません。だから成立しません。日本には道徳教育が絶対必要です。今すぐに始めても目が出るまでに40年かかりますよ。子供だけじゃない、日本国民全員が道徳教育のやり直しをするべきだと思います。 

 

 

・俺はこのことは以前から知っていたが、客が金を払うんだから客は神様だろ?って考え方があまりにも多いこと。 

客は決して神様ではないし、物品の売買は商取引の一環であるから、金を出しても「売らない」と言われればそれまで。 

自分は客だからと店員等に横柄な態度をとるのはもってのほか。 

そもそも客も商売人も対等な立場であることを忘れてはいけない。 

 

 

・そりゃそーだ。お客様は人間ですから。 

ま、時代が変わり日本人も変わりましたからね。 

 

しかし「お客様は神様」に似た考えは西洋にもあり、とある米国企業はお客様の要望に対し100%応えるNOを言わない」と言う社是があります。 

 

今の日本の観光客が増えた理由の一つに素晴らしいおもてなしがあります。 

 

今後も日本が世界に愛される為には、時代を超えて「お客様=神様」を上手くアレンジし対応する必要があると思います。 

 

 

・あくまで、お店側がそういうつもりで接客します、って事ですよね。 

客側が「俺たちは神だぞ!」って言いだしておかしなことになってる。 

最近、「火のないところに煙は立たない」って言葉もおかしな解釈される場合が多く、何の根拠もない飛ばし記事であっても、「煙」が出たからには「火」があったはずと、叩くための根拠にされてしまったり(むしろそうなるのを狙ってる場合もあるが…)、言葉って難しいですね。 

 

 

・今は退職していますが、金融機関の本部で苦情対応部署に居たことがあります。今のように、カスハラなんて言葉はありませんでした(セクハラという言葉は有った)が、お客の方が偉いとばかり、言いたい放題でしたね。電話を受けるのですが、罵詈雑言、大声で罵るなんて当たり前。ひどいときには「殺すぞ」まで…電話の音が鳴るだけで、恐怖心を抱くようになりました。三波春夫の「お客様は神様」という言葉が浸透したせいだ、と三波春夫を恨んだことがありましたが、真意はこの記事にある内容と同じであると後に知りましたね。 

今でもそんなクレーマーが居るのかは分かりませんが、対応する職員の心が心配です。ホント心が折れます。人間不信になります。会社は守ってくれませんでした。法的な整備がなされることを、切に祈ります。クレーム対応部署の方々、ご自愛ください。 

 

 

・カスハラは今に始まった事ではないし、以前からあったはずだ。戦後日本人が年々優しくなって、その分ストレスに弱くなってしまったのかなぁ。優しくなった日本に今、海外から沢山の観光客が来日している。お客様は神様です。私は素晴らしい言葉だと思う。この言葉を否定し始めた日本の未来が心配。限度を超えたカスハラには毅然とした態度で対応し、三波春夫さんの志しは今後も尊重してほしい。 

 

 

・素晴らしいコラム。シベリア抑留の中でエンタメの必要性を知った人が行う芸と、今のエンタメ人が行う芸とは別物なんだろう。戦後の芸能や経済に生きた人々の思いの凄さを改めて感じた。 

 

 

・接客態度がとても悪い人はいます。 

挨拶もなく不機嫌な態度をしていることに対してのクレームは正当なクレームだとは思います。 

ただ、できないことに対してのクレームや正当な事に対しての理不尽なクレームには毅然とした態度でお客様に対応する事が今は大事だと思います。 

上がそれをきちんと認めてくれないと、従業員が疲弊して離職する事に繋がり人員不足になったり、やる気をなくす結果にもなります。 

ヘコヘコ謝るから調子に乗るのだと思っています。 

 

 

・「五月晴れ」みたいな感じですね。本来は旧暦で梅雨の僅かな晴れ間の事なのに、今では「こどもの日雲一つない五月晴れですー。」なんてTVで言ってる。 

残念なのは皆んながそう使い出したらそれでも良い 

本来の意味が変わろうが皆んなが思うイメージが合えばOKとなるところです。三波春夫ファンなので「お客様は神様です」の真意は存じてましたが今ではカスハラ対策の企業経営者まで「お客様は神様じゃありません」なんて言う始末だから多勢に無勢、仕方ないのかも知れませんね。せめて三波先生の矜持はしっかり胸にしまっておきたいと思います。 

 

 

・「理由があれば相手に何をしても良い」という考えが根本的にあるのではないでしょうか。 

 

カスハラもそうですし、有名人への過剰なバッシング、学校や職場でのいじめやパワハラ、煽り運転、もっといえば国歌や宗教の戦争まで、様々な問題の根底にある気がします。 

すべて「相手に原因があるので自分は何してもいい」と相手の人権を無視できるためでしょう。 

 

さらに深刻なことに、相手に原因(の一部)があることと、責任があることを混同している場合も多いです。 

ある結果に対して因果関係が全くゼロでなくとも、その責任はまた別の話のはずですが、原因があれば責任が必ずあると誤解しがちです。 

 

この「相手に理由が何してもいい」と「原因があれば責任が必ずある」を合わせると 

「相手が◯◯で責任があるので、私は相手に何をしても良い」となります。 

◯◯には何でも入ります。恐ろしいことです。 

 

 

 

 
 

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