( 176147 ) 2024/05/31 17:14:03 2 00 全国で5万店以上あった「魚屋」=鮮魚専門店が1万店を切った。激変する日本の水産流通東洋経済オンライン 5/31(金) 5:51 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/93df8fb068e105951e098630eabb6f421f8d24ec |
( 176148 ) 2024/05/31 17:14:03 1 00 日本の漁業は衰退しており、鮮魚専門店の数も1万店を切る状況となっている。 | ( 176150 ) 2024/05/31 17:14:03 0 00 鮮魚専門店数は今や全国で1万店を切った(写真:PIXTA)
日本の漁業が危ない。生産量はピークの1984年から7割減。輸入金額も増え、海外勢に買い負けている。持続的な漁業を確立しなければ、消費者もおいしくて安全な魚を食べ続けることはできない。 『週刊東洋経済』6月1日号の特集は「全解剖 日本の魚ビジネス」。特集ではデータによる漁業の「今」や、漁師の実情、企業による養殖ビジネスの最前線リポートなどを取り上げた。
【グラフで見る】「魚屋」=鮮魚専門店数の推移
ここでは激変した日本の水産流通について、北海学園大学の濱田武士経済学部教授が解説する。
日本漁業の発展プロセスにおいて、卸売市場が核となった市場流通が果たしてきた役割は大きい。多様な魚が水揚げされ、卸売市場に持ち込めば何でも販売してくれるし、われわれの食を潤わせてきたからである。
だが今日、その役割に陰りが生じ、市場外流通が拡大している。
漁業生産の現場は漁獲量や魚種構成が日々変動する。水揚げが集中する時期もあれば、しけなどで出漁が限られる時期もある。農業も天候に左右されるが、漁業はそれ以上に自然の影響を受けている。魚の鮮度落ちは農産物より早く、ストックできないことから、漁業者は水揚げ後すぐに販売していくほかない。
市場流通はその特性に合わせ、需要先に素早く流通させる仕組みとして機能してきた。
■産地と消費者の2大市場がある
市場流通は次のようになっている。
全国の主要漁港には産地市場が設置されており、水揚げされた魚がすぐに産地市場の卸業者に販売委託され、競りを通じ高値をつける仲買人に販売されている。仲買人は買い付けた魚について、各地のニーズに合う魚を発泡スチロール箱に詰め、消費地市場へトラックで輸送する。
その荷を受けた消費地市場の卸業者は、競り・入札・相対によって仲卸業者や売買参加者に販売し、消費地市場へ買い付けに来る小売業者や外食業者に販売する。産地と消費地で2段階の卸売市場を介したネットワークが全国の漁業者と消費者をつないでいるのだ。消費地市場しかない、青果や花き、肉の市場流通と異にしている。
卸売市場はさまざまな産地から多様な生鮮品を集荷し、需給バランスを考えて相場形成を図り、短時間で大量の生鮮品を販売。出荷者が取りはぐれないように代金決済を短期間に済ませている。
生産者自らが営業活動して商品を小分けし販売するとなると、短時間で終えることができず、代金回収リスクが生じるうえ、高い価格で売れたとしてもコスト割れする。小売業者や外食事業者自らが生鮮品を必要に応じて、各産地から直接集荷するとなると時間を要し、仕入れコストは高くなる。
にもかかわらず市場流通は多段階で、生産者の売値が安いのに中間コストが高く、「消費者は高く買わされている」と主張する人がいる。流通の量や時間、コスト、リスクを踏まえると、それは的外れな話だ。むしろ市場流通は生産者にとっても実需者にとっても安上がりの仕組みなのである。
■鮮魚店が客に魚の知識を伝えていた
だが水産物の卸売市場の経由率は落ち込み続けている。1980年には80%を超えていたが、落ち込み続けて近年、50%を下回るようになった。これはなぜなのか。
水産物とは、いわゆる鮮魚(生魚)や加工品、冷凍品に分類される。中でも市場の流通機構に強く依存し、わが国の中で水産物消費を牽引してきたのは、鮮魚だった。しかし、この鮮魚流通がだんだん縮小してきたため、卸売市場の経由率が落ち込んでいった。
実は「現代日本の魚食文化」は、もともとあったものではなく、市場流通とともに拡大してきた。その中で鮮魚の需要を喚起してきたのは鮮魚店であった。
鮮魚店は毎日早朝に地元の消費地市場に出かけて、そこで地元の消費者のニーズに合う魚を、仲卸業者から仕入れている。旬でない魚や見慣れない魚は安い。そうしたものでも仕入れ、どうすれば美味しく食べることができるか、仲卸から聴いて研究する。このような蓄積があって、店舗では来客に魚の知識を伝えながら、鮮魚需要を喚起してきたのである。
家計の食材別消費動向と鮮魚店数の推移を見ると、1980年代前半の家庭内における魚介類の消費は肉類や野菜・海藻を上回り、最も高かった。鮮魚店の数も5万店超で大きく減っていなかった。市場流通の末端で鮮魚店が魚の需要を喚起し、現代の魚食文化を育てたのである。
■店に並ぶのは、切り身など加工品、定番の冷凍品
ところが1990年代に入ると、鮮魚店が街中から消え、近年は1万店を切る。スーパーマーケットが台頭し、ショッピングモールの出店攻勢によって、ローカルな小売店の環境は激変。大型店に客を奪われてしまい、鮮魚を扱う専門小売店から消費者が離れていった。それでも大型店で鮮魚需要が喚起されればよかったが、鮮魚店のような対面販売は行われなかった。
店頭で売れ残りリスクを回避するため、商品棚が埋められたのは、主として価格訴求力のあるマグロやサケ、サバなど定番の冷凍品や、バックヤードで調理された切り身や刺し身をパッケージ化した加工品だ。冷凍在庫が可能なこれらは消費地市場に頼らず、メーカーから安定的に直接仕入れればよい。こうして鮮魚売場に需要喚起の場はなくなり、卸売市場の経由率は落ち込んだのだった。
世帯状況の変化も関係している。長引くデフレ不況で可処分所得が減り続け、消費志向もモノからコト、情報へと変わる。核家族化で単身世帯も増え、家族規模が小さくなって、料理の機会は減少。生鮮品の素材よりも総菜や調理済みの食材を買う機会が増えた。
鮮魚においては生ゴミが出るし、消費者が求めるタンパク源として水産物にこだわる必要はない。魚と比べて非可食部がない肉のほうが、摂取カロリーとの関係で見ればコストパフォーマンスがよい。
鮮魚店が街から消え、家計における魚の消費は大きく減り、最も消費金額が少ない食材になった。料理屋やすし屋など外食分野は魚の需要を喚起しているが、鮮魚市場の拡大を牽引するまでの力は持っていない。産地の魚価の形成力が弱まるのも無理がない。
1990年代からの円高やデフレによる内需縮小が決定的となり、食品市場は輸入食品が氾濫して過剰供給状態となった。魚価への下げ圧力も強まり、漁業者だけでなく、卸売業者の廃業も加速した。ただ、近年では円安基調が強まり、インバウンドにも日本食ブームが広がっている。皮肉にも日本の消費地市場から鮮魚、それも高級魚が海外へ輸出される時代だ。
市場流通は鮮魚が生命線。それが多様な魚種を供給する日本漁業を支えてきた。鮮魚流通の復興があれば、漁業の未来は明るいが、残念ながら予兆はまだ見えない。
濱田 武士 :北海学園大学経済学部教授
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( 176149 ) 2024/05/31 17:14:03 1 00 魚屋が減少している背景には、大手スーパーマーケットの台頭や生活環境の変化が挙げられます。
一方で、鮮魚専門店が工夫を凝らしたり、特定の地域や需要に合わせて取り組むことで存続や成功を収めている店舗もあります。
今後も、消費者のニーズやライフスタイルの変化に応じて、魚屋のあり方や販売スタイルが変わっていくことが予想されます。
(まとめ) | ( 176151 ) 2024/05/31 17:14:03 0 00 ・以前から、地元個人店のスーパーが閉店して来て代わりに大手チェーンのスーパーへ行く事が多くてなった。以前では変わった魚が並んでいたが、大手スーパーでは見慣れた魚達のオンパレードで、質と量で勝負されているが、毎回同じ様な魚を買う事が多い。市内に唯一、一軒だけ個人店の魚屋が品数は多くは無いが、新鮮な地元の珍しい魚を扱っていて行く都度楽しみにして買っていたが、このお店も先週、閉店してしまった。魚離れなんだろうか?需要が少ない為か、商売がし辛くなって来ているんだなと感じた出来事だと思うのと、今後何処で魚を買おうか迷う事態になったと感じた。
・昔と違って魚をおろせない人が増えているので、マル一匹の状態で売っている魚屋は敬遠され、最初から切り身がパックに入っているスーパーで買うようになるでしょうね。 今後は養殖されある程度サイズが整った魚を、切り身に加工して売る形式が主流になると思います。 肉はブロックや薄切り等調理しやすい形状まで加工されているので、魚も同様にしないと売れないと思いますよ。
あと、冷蔵はされているとはいえ魚がそのまま店頭にむき出しで陳列されているスタイルは、現代の人には受け入れられなくなってきているのかもと時々思います。
・この辺の仕組みは分かってない人が大半だからな。 日本全国、一定の鮮度を保った魚をまとまった量で流通させられるのは産地側の大卸、仲卸といった中間業者の力。 腕の立つ料理人でも、魚は魚屋に任せていることが多い。産地側の卸の目利きが鋭く、消費地側に入ってきた魚をもはや自分で目利きする必要がないからだ。
ただ卸の力が強すぎるせいで、売りにくい魚は最初から流通から外れたり漁師の取り分が減ったりする弊害もある。 完璧なシステムは存在しないということ。新しい時代には新しいシステムを構築していくしかない。
・生協の宅配を頼んでいるけど、アジはノルウェー産などもあり、日本近海産と違ってゼイゴが大きく、油のノリが凄い。サンマは近海では獲れなくなってきているし、昭和終わり頃の小学生当時の社会科では、釧路港の水揚げは45万トン、今は半分も無い。 魚自体も獲れなくなって、食べる人も減ってきているのも大きいと思う。
・これは危機感を感じている。 というよりも、いわゆる町の商店街がシャッター通りになっていて その中にある一つの店である魚屋さんが消えていくという方が正しいだろう。 そうなると、米屋、電気屋、魚屋、酒屋 といった小さい個人店が姿を消していく現状を見ないといけないのでないか・ 最近、魚を買う場合は少し大きめのスーパーに行けば買えるけど そこまでいかないといけない。 当方は家から10分程度のところにあるから問題はないが 地方に行くと、車を飛ばして20分といったところもある。 そういった人達のためにネットスーパーがあると思うのだが その店に行けば、周りの人とのコミュニーケーションも取れると 治安も安定することが多いから、魚だけでなく幅広い視野で見てほしい。
・最近は肉より魚の方が割高だし、食卓にのせるのにも手間がかかる。 ただ、肉屋も同様に減っているとは思うが…
魚は本体より、切り身、多様なパック、惣菜等々で購入することが多くなってきた。そういったものに強い、スーパーや量販店による影響は大きいと思う。 逆に今、残っている魚屋はその辺にも力を入れているはず。
魚屋、肉屋、野菜屋、果物屋、干物屋、漬け物屋… そんな専門店を回って買い物ができた、地元の商店街が懐かしい。
・何でもそうだけど魚は特に目利きが必要。同じ価格帯でもスーパーと鮮魚専門店では味がぜんぜん違う。多分スーパーで仕入れをする人はジョブローテーションとかがあって、魚の仕入れ専門ではないのだと思う。鮮魚店以外では魚を出す料理店の主人は目利きだと思う。
・魚が捌けない人も多いですし、何より昭和の時代と違って高い。 調理をするにしても、アラや内蔵などの生ゴミはすぐに匂いますし、焼いてもグリルからの匂いがなかなか抜けません。
子供時代の記憶ですが、天井からぶら下がる虫取りとあちこちに置かれた線香と大量のハエ、威勢の良いおじさんの掛け声を思い出します。 (今の子供達が見たら卒倒しそうですね)
令和の時代には合わないのかもしれませんね。 青白問わず魚は大好きなので、寂しい限りです。
・近所の魚屋のご主人と時々話しますが、 「お客さんみたいに魚丸々買って自分でさばくお客さんは今じゃ珍しいんだよ」「魚を自分で焼く人も減った」と言われます。 この魚屋さんは刺身、切り身、焼き魚、煮魚に揚げ物、貝の串焼きなども常備されております。完全に魚系お惣菜屋です。 「ほら、見てよ。最近じゃイワシを1ケース買ってもこのままじゃ売れ残るんだよ」 スーパーの鮮魚は便利ですが仕入れからの日数も魚屋より1~2日多く経過していますから、新鮮なものを食べるなら今でも魚屋ですよ。東京でも1駅に1店も魚屋無いのが残念で仕方ないですよ。 私は朝、仕入れてきたイワシを魚屋で手に入れ、自分でさばいた刺身と塩焼きで食べる訳です。こんな贅沢ありませんよ。
・ある地方市場に多少携わっています。30年程変化を見てきましたが、まずは漁師さんの減少。60代が若手と呼ばれてます。そして魚の減少。市場ではスーパーが買参権を取得したことで仲卸から買う必要がなくなり、仲卸の衰退、廃業と続いています。スーパーも大手資本のスーパーと合併を繰り返し、市場外取引が主流になってきています。大手スーパーは売場の魚の鮮度よりロスを抑える対策を考えています。ただ魚離れと言われて久しいですが、なくならないのはやはり日本人は魚好きな民族です。
・親類がさいたま市内で今も鮮魚店を経営していますが、いまや売り上げの内、個人客は10~15%程度、残りは、病院の入院患者の方々の給食用の食材だったり、介護施設の食事を担当される給食業者への納品で占められています。当然、先方の要望に合わせて、三枚におろしたり、骨取り等の下ごしらえは済ませた状態で納品されます。仕入れは御要望のモノで目星はついていますし、その点は手間はかかりません、下ごしらえの手間がかかっても、スーパーが当たり前になる前のほぼほぼ個人客の売り上げで占められていた頃(数十年前)の売り上げよりも現在の方が、多くのお得意様がいるため大幅に高いとの事です。
・魚は魚屋、肉は肉屋、野菜は八百屋で買うのがモノが良いし1番お得で記事の通り発見もある。でも共働き世代が増えれば買い物は週1スーパーでまとめ買いになちゃうよなぁ。 でも和歌に詠まれていたり、浮世絵に書かれている魚を頭に浮かべながら走り・旬・名残を感じていただくのは楽しいよね。
・各種食材の冷凍技術や加工技術の進歩。 販売形態は大手スーパー、販売店に集約され、生鮮品類も店頭販売時にはパックに加工されて、鮮魚を始めとした食材が実物の状態で売られることが少なくなりました。 その様な販売形式に馴染んだ今の世代の方々は、魚を直接さばいた経験がない人が増えています。 販売形態の変化と、それに伴う消費者層の変化が鮮魚専門店の減少に拍車をかけている要因の一つだと感じます。
・子供が魚を捌くのが好きだったこともあり、近所の魚屋さんにはお世話になっています。
息子と一緒に買いに行くこともあれば、私一人で行っても、「捌かなくていいんだよね?」と声かけしてくれます。 会話を楽しみながら、旬な魚やおすすめの魚を買うことが出来るので楽しいですね。
魚を選んでお願いすると、刺身の盛り合わせ他、つくってもらえるのも楽しみの一つです。普段単品では食べられない種類も食べられるなど経験になります。
私たちだけでなく、お父さんと保育園くらいの息子さんが、今日はどれを買おうか?と相談している様子、微笑ましですよ(へっへ)。
記事を読んだので、今週末息子と魚屋さんへ行こうかな。
・お魚が売られていても、切り身や、刺し身になっていなければ、買う人は少ないのが実情じゃないかな。 お魚を捌くっていう、手間がかかるからな。 資本がある程度ある、大手スーパーが綺麗に並べて売ってしまう。
お魚の種類も知識も無いままに、おいしいおいしいで消費者が食べ続けていたら、ある日とんでも無いものを食べさせるんだろうな。 回転すしがそうだよね。深海魚系とかね。
それで良いっていえば良いんだろうけど、消費者が便利さだけに頼っていると、消費者の選択肢が徐々に削り取られて、ある日突然に、何これ。っていう事態になりかねないね。
賢い消費者でありつづけるには、多様性の環境はとても大切だな。
・昔は実家の近所に鮮魚専門店が2軒ほどあったが、今はどこにも見当たらなくなった。流通がスーパーのチェーン店になり、その中に鮮魚店が移った頃までは、店主に魚を選んでさばいてもらうことがあったが、代替わりしたりして当時のスーパーも無くなってから、店内で注文してさばいてもらうこともなくなった。より売り上げが上がるものを店側が提供して販売しているのだから、時代のニーズと思う。
・どっちの店へ行きたいかという話。
昔ながらのある市場では、新鮮な魚を1匹丸々販売してますが頼んでも捌いてはくれません。対応もぶっきらぼうで、一見さんお断り感満載。そのくせ蟹を売る時だけやたら愛想がいい。
一方別の鮮魚店だとお願いすれば捌いてくれるし、地物の珍しい魚を刺身や惣菜にして販売したりもしてる(それがウリで繁盛している)。地元じゃなくても気さくに話してくれて、オススメだったり近所のおいしい店も教えてくれます。蟹は置いていません。
生き残るかどうかは魚屋さん次第かな。
・昔は行商のおばちゃんたちがいたり、って時代もありましたが、 人口減少、商店街の減少ってのもあるんでしょうね。 うちの近所の魚屋さんは丸の状態もありますが、 やはり刺身のリクエストが多く9割以上が刺身の購入です。 イワシなんかもすぐに捌いていただけますし。 時代の変化に対応して、刺身需要に対応しているようで、 地域の懇親会用なんかも対応しているようです。 近くにコンビニはあってもスーパーがないので、 特に週末は利用者は多いのでなんと維持しほしいですが、 家との併設なので後継者が悩みの種だそうです。
・魚に限らず野菜も肉も個人店は減っているだろし、市場外流通も増えているだろう。 大手が市場外で直接産地と大量に取引すれば、スケールメリットで安く仕入れられるし、市場経由の手数料も省ける。 安くなれば、客はそっちに流れるし、個人店はどうしても対抗できない。 価格でしか物事の価値を判断できない国民ばかりでは、力があるところにさらにどんどん力が集まる。寡占独占がどんどん進むだろう。 需給で価格を決めるという市場原理が働かなくなると、それはそれで怖いよね。
・徒歩圏内に商店街があり 八百屋、肉屋、魚屋でそれぞれ買物しています。 八百屋と魚屋は時期によって並ぶ商品が違うので 魚屋で下見後、八百屋→肉屋→魚屋で買物しています。 魚屋で下見をしてからじゃないと献立が大きく狂うことがありますが 調理方法も教えてくれるし 旬な魚が食べられるのは幸せです。
・スーパーで仕入れが一番難しいのが鮮魚だといわれている バイヤーが発注したところで市場に希望した魚がなければ納品できない 鮮魚が店に並ぶことは少なくて切り身か冷凍になるのは流通上仕方がない 最近はネットでの注文も可能になり産地直送もできるようになると、昔ながらの魚屋の商売が難しくなる 都市部で生き残っている魚屋は飲食店と併設しているものが多くて、魚の小売りだけでは店が成り立たないのかもしれない 昭和の頃は魚は一尾ものが結構売っていて魚の種類も豊富だった 最近はスズキ・イサキ・舌平目というのがなかなか購入できないので、こういう魚の料理は諦めている
・30代ですが、魚屋さんの衛生状態があまり良いように見えないことも、魚屋さんを敬遠する原因です。スーパーや料理屋も裏ではどんな衛生状態か知らないので、表面上だけの上っ面な意見と思われるかもしれません。しかし、スーパーでラップとトレイに包まれて売られている魚と、魚屋さんで氷に乗せられてはいますが露出して並べられている魚を見ると、実際の新鮮度どうのの前にスーパーの魚を選んでしまします。魚屋さんの周りはどうしても匂いは出るのでハエも飛んでいますし、コロナを経験した後は尚更人前に露出して売られている食品に抵抗を感じてしまします。精肉店のようなスタイルでショーケース内にガラス張りで陳列されていて清潔感のあるお魚屋さんであれば、購入したいと考える若者も増えるのではないでしょうか。
・小売店が他の業種同様に、イオンなどの大型店舗に淘汰されてしまっただけで。
流通そのものが変わっているとは感じない。
チェーンの鮮魚店もいくつかあるし、モール内への出店もちらほらある。
下処理していない魚をそのまま買うのを敬遠する方がいるのも事実だが。 魚の種類によって、適した料理があるので、その知識がないと駄目とはいっても、手元のスマホで簡単に調べられる。
近所のイオン系のスーパーは、特に鮮魚店が入っているわけではないが、そこそこマニアックな魚が時折店頭に並ぶ。
誰にも手に取られず残った、売れ残り品を格安で手に入れて、おいしくいただいている。
その中でも、いちばん印象に残っているのはマナガツオ。茨城でお目にかかるとは思っていなかった。
・コロナ禍で夫婦で海釣りを始め、刺身、塩焼きに飽きてアクアパッツァやソテー、フライなど洋風にも挑戦しています たまたまアジ、サバ、シマアジ、ワカサ、ソウダガツオ、黒鯛、メジナ、カワハギなど多様なサカナが堤防から釣れるので、大量に釣れると干物、みりんぼし、水煮やトマト煮を真空パック保存したりとドンドン新しい世界が広がっていき楽しい 魚をさばくのも、今では慣れてしまった
釣れない時期や天候が悪い時は魚を買いに行くことも以前以上に増えた 魚の料理も肉料理に負けず創造力との勝負なので、やり始めるとハマってしまう
タモリさんのサバサンドの応用で、サバフライにサルサソースでハンバーガーにしたら絶品でした
でも今は魚を捌ける若者をほとんど見かけないからなあ
・商店街全般にいえることなんだけど、フルタイムの共働きでは、買にいける時間にはもう店閉まってるんだよね。夕食の食材買うにもスーパーしかやってない。作る時間も多く取れないし食べるの遅くなっちゃうから、魚そのものを買うより切り身の西京漬けとか半完成品みたいなの買っちゃうよね。お母さんが16時から買い物にいって食卓に料理を並べるまでの全部をしてくれる昭和とは時代が違うんですよ。
・最近のお宅の小綺麗なキッチンは魚を捌いて調理することを想定してないんですよ。 流しはシンクに名を変えて、ウロコ取りはおろか内臓処理なんて絶対にお断り。ガスコンロもガラストップのIHヒーターになり、焼き魚の臭いや油煙はおろか揚げ物さえもご法度にしている家庭も少なくない。 キッチンはいつもピカピカであることが最優先で、レトルトを温めたり買ってきた総菜を盛り付けるための場所なのです。 若い人だけでなく、かなり年配の人も含めて魚料理が得意という女性にあったことがない。 これらの人たちのお陰で、地物の魚を丸ごと目にすることが本当に少なくなった。地元の小魚って旨いんですけどね。 身土不二が一番です。
・随分前になりますが、 鮮魚専門店だった時代があります 鮮魚組合の役員をしていたこともあり、 組合員を招集して、魚の捌き方や魚料理の講習会を兼ねて 一般の主婦層をターゲットにして会合を開きました 大好評で終了しましたが、 現実は地元の魚屋さんには、その後来店があまり無く スーパーの鮮魚売り場に、相変わらず行く お客さんばかりの様でした 八百屋さんや電気屋さんと同じで、 近所の専門店が閉店すると、一瞬困ったかのような 雰囲気があるけど、スーパーやコンビニ、大型店があるので 不自由じゃないみたいですね 商売しながら楽しかった近所付き合いが懐かしいですね 寂しい時代になりました
・私の町には住宅街にポツンと一軒のいわゆる魚屋さんがありますが、駅から近いわけでもなく近くに商店があるわけでもないのに土日になると10~20人くらいの人で行列ができています。 中でどんどんお刺身を捌いていき、それが飛ぶように売れていますよ。 結局はお店の努力と工夫しだいなんだと思います。 商店街の中にあって何もしなくてもある程度は売れていたので、創意工夫の観点を怠っているだけのようにも思います。 スーパーが出来たらスーパーに部分で勝負すればいいだけですよ。
・店舗数は減ってても、今生き残ってる鮮魚店はそれなりに工夫してるところが多いいんじゃないかね。 昔のように商店街に店構えて魚を買うといえばそこで買うといった商店街の流れに依存してるような店は減り、 丸ごと一匹売りつつもその場でさばいてくれるような店とか ちょっと変わった魚を仕入れてレシピをセットで売るみたいな工夫を凝らした店は普通に人気あると思うけど。
・確かに魚屋さんってあまりというか、全然見かけない。 そういえば昔、世田谷の桜新町に人気の魚屋さんがあって、夕方は主婦で賑わっていたけれど、今もあるのかな? 私は魚が好きだが、子供は魚を出すとあまり良い顔をしないので肉を出すことの方が多い。 友達に聞いたら、ほぼ毎日肉しか食べず、魚なら鮭しか食べないと言っていた。 近所のスーパーで日常的に食べられる魚といったらごく限られていて、すごく美味しいというほどの物はないような気がする。 いつも行くスーパーで、美味しい魚が手頃な値段で手に入ると良いのだけど。
・郊外のイオンに行けば何から何まで揃うんですから駅前で魚だけ買う事は無くなった、これが減った原因でしょう パックに入った切り身を買って帰って焼いて食べる
昭和の頃は大型スーパーなんてのは無くて生協があっただけ、個人のお肉屋さんや魚屋さんで挨拶したりお喋りして安く負けてもらったり脂の乗ったお勧めとか調理方法を聞いたりと人情味があったのは懐かしい思い出です。
・海の町育ちということもあってか、子供の頃は魚は週に3~4回はあった。 小・中学生の頃は自分でも釣りに行っていたし、近所のおじさんから貰ったり、友達の家に遊びに行ったら魚貰った事も。 祖母の家の前を通れば魚を持って帰らされることもしばしば。 自分は魚が大好きだったので、とてもうれしかった。 今は県外に出ているが、魚を家で食べるのは月に1度程度になってしまった。 その代わり、家族で回転寿司などに行って魚を食べる。 子供の頃、近所のスーパーなんかは、釣れた魚を持っていくと買い取ってくれたし、食べる分を残して売って、そのお金でエサや道具を買ってやりくりしていた。 大人になって、魚を自由に食べる機会は減ったなー、と感じる。 釣りたてのアジとかその場で刺身にしたり、釣れた魚をなんでも刺身にしてみたり。今思えばとても贅沢だった。
・小さなお料理屋さんなどが仕入れで使わなくなったんですかね。 少量のオーダーでも定期的に配達してくれたり、 産直品を即日翌日に扱う、問屋さんや企業体が増えたってのもありそう。
個人だろ大型の鮮魚スーパーや、 スーパーマーケットの鮮魚コーナーが充実してますからね。 駅や商店街から少しはなれたおさかな屋さん、住宅街で移動販売をしていたり、お寿司を販売したり個人向けにやっている所は残っているイメージ。
ちゃんとすみ分けはできているように感じるかな。
・魚に限らず大規模小売店が規格サイズの商品しか仕入れないため、多くの規格外品は市場に乗らず加工品用か廃棄に回ってしまう。 そのため少ない規格品しか流通させないので価格も高価になっている。 専門小売店では曲がった魚、曲がったきゅうりなど大きさや形が不揃いの商品を安く販売していたが、市場の扱いが規格品中心となり安い不揃いの商品がセリに出る事も少なく、仕入れが難しくなった専門小売店は減少する負のスパイラルに陥っている。 食料の自給自足率向上と安価な安定供給のためにも規格外品の流通量を増やし、規格外品を扱いやすい専門小売店を存続させるのは必要。
・肉の方は、ロピアのように肉屋から発展してスーパーマーケット化したチェーンや、ニュークイックのように肉屋の専業チェーンも存在するが、鮮魚業界は流通の仕組みの複雑さが障壁となって大規模化が遅れていたと言える。最近どんどん増えている角上魚類に期待したい。
・終電間際の帰宅で駅前は既にシャッター街で買い物できないし、お店が開いていたとしても日付け跨いでいて出勤時間まであと6時間くらいの時間に台所で何かしようとか思わない。 週末や祝日も副業で出勤は多少遅いが、帰宅時間はそう変わらずお湯を沸かせば済むものになる。 時間があれば買い物してさばの味噌煮とか作りたい。昔作ったのは噛むと奥歯がキチキチいう固い仕上がりで美味くなかったが量的には沢山食べることができて満足した。
・野菜、肉、魚など食生活で欠かせないものが気候変動や漁獲量制限などにより安価で手に入れるのが難しい時代になりましたね。厚揚げや豆腐、もやし、ちくわ、魚肉ソーセージ、シーチキンなどの缶詰類、納豆が今や食卓の中心になっていますね。
・・冷凍技術の飛躍的な進化と運送網の発達 ・小売り、寿司チェーン店など大型販売店の仕入れ力向上 ・都市でも地方でも街中の小売店の激減
中間流通が変わり、消費者が購入する販売店の種別が変わり、大型店による大量仕入れを支える冷凍技術や運送網も劇的に変化しました。小売店も消滅しつつあり、中間流通も変わっているのだから、従来通りのビジネスが継続できると考えることには、ムリがあるように思います。魚を食べる文化を日本人に残すことに主眼を置くのであれば、クックパッドなどでレシピを簡単に共有できるようにしたり、料理そのものをYoutubeで共有したり、〇〇販売会などのイベントで実際に魚料理を見たり食べたりする場の育成に、力を入れるべきなのでは?と考えます。
・生活・食事形態の変化で鮮魚市場がピンチなのに、更に追い討ちをかけるような気候変動による漁場の変化や魚種の変化。資源保護の為にも、養殖技術の進化に期待する。漁業者の受継がれた伝統・知識も大事だが、データー分析による進化も必要だと思う。
・スーパーで仕入れを統一して効率化。パッケージも。結果、消費者が購入しやすくなっているのでは。魚の知識を教えてもらったところで、魚屋で調理されていない魚を、ポリ袋に詰めて持って帰り、自分で手間をかけて、、、、、そりゃ淘汰されるでしょう。問題提起したところで、じゃあと言って今のシステムのまま魚屋で買う気になる消費者はいないでしょう。嘆いてないで努力してください。苦労話を聞かされても、そちらの都合に合わせて保護活動する必要性は感じない。
・中小スーパーの鮮魚売場って、スーパーの鮮魚部門ではなく、地場の鮮魚店と契約している所が多い感じがします。 昔ながらの鮮魚店は、特徴が無ければ総合スーパーにコストで打ち勝てないので生き残れないのは仕方無いと思います。 それでも力があれば残れているので、変化から逃げては消えても仕方ないと思います。
・ここまで世の中が変わって家族構成や共働きでライフスタイルまで変わっているのに同じままって方が不自然だと思う。 自然の恵みには限りがあるのに、昔は人口爆発は良くないって認識だったのに最近では温暖化ばかり話題で人口問題には誰も触れない。むしろ減る事が問題だってなっている。世界的には減らして労力をロボットへ置き換えすべきなのに国力の問題で誰も減る事を良しとしない。 人口が減れば自然と温暖化問題も解決しやすくなるのに。
魚の水揚げに関するコスパは上がっているのだから、需要と供給の問題で自然の魚を増やすか人口を減らすかしかない。
・私事で恐縮だが、以前は近くに馴染みの魚屋があって、自分で鯖や鯵を〆たり、皮付きの鰹でタタキを作ったりとか、調理手法も含め、色々相談に乗ってもらっていた。子持ち鮎の番茶煮とか、あいなめの焼き霜とか、自分の知らない料理のヒントももらった。年末の魚の買い方とかの知恵も教えてもらった。
ところが、その魚屋が再開発でなくなってしまうと、もう、いけない。スーパーの中にも魚は売っているが、以前のような買い方は出来ない。自然、自分の料理も貧弱になる。毎日の晩酌も寂しい。
世の中の流れで失うものは大きい。だんだん世の中がつまらなくなってくる。
・昭和30~40年代は、スーパーマーケットが出来始めた頃で、 それまでは、魚屋、八百屋、豆腐屋、肉屋、米屋、駄菓子屋などなどに買い物に行き、 冷蔵庫が普及し出したのも、この頃の様に記憶してます。 スーパーマーケットが普及し、大型施設も出来、 個人店が廃業して、現在では個人店は街中にわずかに残る程度では! 個人店が減少しているのは魚屋だけでないです。 食品の流通は大きく変わってます。 家庭に冷凍庫も普及しており、冷凍食品も多くなってます。 魚は肉より、高級食品となって来ており、流通の激変は時代の流れ、 でも、個人的には、毎日、冷凍イワシを6匹、頭も骨も食べてます。 カルシウム、DHAと体に良いと思ってね! マグロ、蟹、ウニなどの高級食材は無縁ですけどね、 個人的には、今は、暮らしやすいと思います。
・買い物カゴを手にして徒歩で魚屋さんに行く人は少ないでしょう。 当然、大型駐車場があって他の買い物もできるスーパーに行きますよね。 特別に安価で、特別な種類の魚を、特別に鮮度良く売ってるなら行くけど、普通に食卓に並べるなら、スーパーのパックされた魚で良い。 それに魚離れも有るし、ヘタするとお肉の方が安価だし。 仕方ない。
・子供の頃、魚屋さんが魚を捌いて経木という紙のように薄く削った木の包装紙に包んで、更に手早く新聞紙に包み客に渡してくれたことを思い出す。肉屋もそうだった。今はみんなスーパーの白トレーになってる。魚屋に店先もいろんな海産物や貝類、魚類が氷と一緒に置かれていた。あの頃が懐かしい。
・魚介類でも農産物でも生産者から問屋が購入して市場を開き、小売店が 買い付けに来ていた。流通費用を下げる為に大型店が漁協や農協から 直接大量買い付けを行うようになった。その後は更に安くするために 農家や猟師と契約して買い付けするように。当然、市場の品揃えや 販売価格は競争に勝てない物が出始める。小売店は同じ品質で同じ 種類の品を扱ったら、大量買い付けの大型店に負ける。 ここに増税と所得減少が加わり、更に漁獲量減少などによる価格高騰が 被さったので買い控えが起きた。 高品質で確かな味の魚介類は出回らないし、入手も困難になり、 同じ様な安価の魚介類だけが並んだら、小売店で買う人は居ない。 よって、淘汰されて消えていってる。 今でも残っている生鮮食品の小売店は共同仕入れとか、猟師や農家や 漁師に仕入れの伝手がある所のみ。それも後20年程で崩壊する。
・地球温暖化と乱獲によって魚そのものの数が減ってきていると思います。このまま温暖化が進み海水温が上昇すると海水が酸性化してサンゴが壊滅します。すると魚が養えなくなり海から殆ど魚が居なくなると言われています。 漁業は一旦仕切り直しして、陸上養殖を中心にした水産業に変化させていく必要があると思います。現在、養殖技術は進歩の一途をたどっており、例えば砂無しでアサリを育てたり、ウナギの稚魚であるレプトケファルスの人工ふ化に成功したり、マグロの養殖が可能になったり、また好適環境水というものを使い海の魚を淡水で育てたりすることも可能になっています。養殖で育てるとフグの毒がなくなるなど新しい知見も生み出されています。更には、コンテナ一つ分くらいのスペースでエビなどを養殖する技術も開発され、都会のアパートの空き部屋などを養殖施設に改装する動きも見られます。養殖の可能性は無限で宇宙での養殖も計画されています。
・街の魚屋さんは地域密着で学校給食とかに卸して使われてたりもするよね。パンとか豆腐屋なんかもそう。なんかコネが無いと拘りがある人、昔からの常連さん以外はスーパーに全部持ってかれるよね。関係ないけど角上魚類て所めっちゃ良さそうで気になってる。都内にもあるし行ってみようと思う。
・この流通小売の問題は、鮮魚に限った事じゃないよ。 昔は、商店街が潰れても企業努力がスーパーに及んでない方が悪いと思ってたけど 卸市場卸売業者から小売まで、流通と購買をインフラとして捉えた時に、現在は持続可能性を失ってる。 そして、スーパーや複合施設が破綻もしくは撤退した時に、テクノロジーが発達した現代なのに貨幣での売買が不可能な地域が出現して貨幣社会の崩壊を危惧してる。
大型小売が自社の流通を持ち 地域の中央卸売市場の規模は、どんどん縮小している。鮮魚以外にも他の生鮮食品も同じ状態です。 これが、繊維や日用品の問屋街も無くなりつつある。
新しい小売の形態が成り立てれば良いが、生産者から直接取引するにも、郵便や宅配便などの流通業界も持続可能性を失いつつある。
人口規模や経済規模に合して、社会のインフラとして柔軟な流通小売の形成が早急に求められるところまで日本社会は来てしまった。
・私が海釣りを趣味としていて、新鮮で美味しい魚を食べる喜びを味わい尽くしているので、我が家は私が釣った魚か、漁協直売市場に遠征して買った魚をよく食べています。 しかし、我が家のようなケースの世帯は少数派なので、手間隙かけて魚料理する世帯は減る一方、結果に魚離れも進む流れは止めようもありません。 物価高で魚はますます売れないから、町の鮮魚店の減少も仕方ないでしょう。 いずれ近い将来、魚はマニアックな食材扱いになるように思います。
・魚、良い事ずくめなんだけどなぁ。 歳行くとお肉ばかりだと飽きてしまうのです。 あと肉と比べて脂がサラサラですので、健康にも良いのはよく言われる事ですね。 釣りとかも良いですよ、新鮮なイワシの刺身はまさに絶品。釣ったアジをアジフライにすると食感と旨味がまるで違います。その辺のお店では食べられない味がしますよ。
・魚屋が本当に無くなって困っている、跡取り問題もあって、若く腕が良い魚屋の息子さんは稼げる東京に行ってしまったりする、最近、行きつけだった魚屋さんは色々リクエストに答えてくれて昆布締めや押し寿司、海鮮丼も作ってくれた、毎日、河岸に行きほぼその日の分しか仕入れないので近海物で鮮度も良く、魚の捌きも沢山知っていた、数年前に突然亡くなり、跡取りもなかったのでそのまま店は終わってしまった、このような魚屋、何時出会えるだろう。
・魚屋減りましたね、精肉店も減ったけど焼肉屋も運営しながら頑張ってる所も少なからずあるイメージです 魚に関してはスーパーでも調理場があって調理前の魚が並んでるところに足を運ぶようにしてます
やっぱりその道の人に旬や食べたかを聞きながら食べるほうがおいしい
・アニサキスが胃袋に入ってからの恐ろしさをマスコミが取り上げたことで、冷凍もの以外は食べる気がしなくなりました。鮮魚であることを求めていません。地球のどこで捕れようが一旦冷凍されてアニサキスが死んだものを食べる方が安心です。冷凍ものでなければ煮るか焼くかしてから食べます。生食はしません。というような私のような日本人が増えているのではないでしょうか。 日本近海で魚が捕りずらくなったのは、外国の漁船が日本近海で魚介類を捕りまくっているからでしょう。
・週一ぐらいで魚を食べているが、魚は調理に手間がかかるし割高というのはわかる。 焼いたりすると匂いが家中にこもるし、骨や頭などゴミがでてそれも臭うのでゴミ出し日など考えて前日に食べたり…
それでも魚を食べるのは一応食のバランスみたいなのは考えるから まるっきり食べないとなるとそれでいいの?とは思う。
大して魚の売上に貢献していないけど、こんなふうに魚屋さんが消えちゃうのは、考えさせられますね。
・近所に魚屋はもはやない。
スーパーはパック売りしている所が大半で、剥き出しの魚を並べさばいてくれる店はごく少数だ。ピカピカの魚が並んでいるところへ行くとテンションがあがる。さばいている様子に、良いものを売る誇りを感じる。
・魚屋に限らず個人商店が激減してる 特に魚屋は鮮度が命なので毎日の仕入れの負担があるのだろう 肉屋は魚屋ほどで無いのか残る率が高いような気がする 良いか悪いかは別としてスーパーのような規模が大きくないと今の競争力のある価格では利益がでないのだろう 逆を言うと昔の個人商店の利益率は今より相当高かったと思う
・小さい頃の食事が影響しているだろう。 回転寿司のネタは、見た目から美味しそう だとおもわずにいる。 ファーストフードのハンバーガーを食べ スナック菓子に慣れていくとあんまり食事 にも気にしないと思う。
小さい頃からアトピーや油脂が強い食品で 吹き出ものや痒みにずっと悩んでいたので なるべくファーストフードは避ける生活です。
魚も美味しい店が少なく鮭の切り身を焼く程度 です。
簡単に調理出来る方法を提供して貰えば購入 するのですが、値段次第です。
・確かに以前はちょっとしたスーパーなら、野菜生鮮売り場に魚屋さんや肉屋さんは専門店がテナントで入っていましたね・・・ 広く大きいオープン冷蔵ケースに氷を敷いてドーンと魚が並んでいた覚えが有ります。 購入してから捌いてくれていましたね・・・ 子供ながらに魚と札を見て覚えていましたね。 あーゆー売り場は残って欲しいもんです…食卓に並ぶ機会も増えそうなのになぁ・・・
・祖母が鮮魚店をしていました。高齢の為、店を閉めましたが、早朝の市場で競りを見て色々な魚がおり、ワクワクしたのを覚えています。 今はスーパーで切り身の物や、味付けしてある物、骨抜きの物など加工してある物がありべんりです。ただ、魚の種類は少ないと感じます。旬の色んな魚がいるんだけどな。少し淋しいです。今でも市場などでとろ箱の物を見るとワクワクして、買ってしまいます。子供達にも この魚はこんな顔で、こんな体をしている と家でさばいています。
・・一部の魚が獲れなくなった。全体的な漁獲量も減っている。 ・漁業をやる人口が、高齢化と継手がなく衰退している。 ・鮮魚を専門で扱う店が減った。 ・家計の鮮魚に対する支出が減った。
・一方で外食の鮮魚は好調。
ってところでしょうか。 確かに家庭で魚を捌いたり刺身を切ったりするのは少ないのかも。 生の魚介は、スーパーのパックか、回転ずしか産地の海鮮丼くらいなのかね。
煮魚とか焼魚は若い家庭ではあまり食卓に並ばないのかもしれませんね。
・個人的には日本の魚は安全で、味も良く、何と言っても世界に誇れるのはその保存技術と養殖技術でしょ。
この保存技術と養殖技術を使えば、世界中に鮮度良く美味しい魚を輸出できるので成長産業にできるはず
問題は古い商習慣と流通経路と、中小仲卸で構成されている構造だよ。 大規模投資ができる状況にない、良くも悪くも産地密着で分散型の構造
これこそ、政治と役所の出番なんだけどね。 大胆な投資と規制緩和と誘導で、漁業を輸出産業の柱に成長させてほしい SHUSHI人気を利用だけ見ても成長ポテンシャルは大きいよ
・調理に手間がかかるからなあ。 面倒という気持ちが先に来る。 それでも遊びに行けば市場に行ってお魚を買ってきたり、地元のお魚が食べられる食堂には行くんだけど・・ あと、お魚がすんごく小さくなってる。 食べるとこがなさそうな小ささ。 手のひらサイズののどぐろとか。 乱獲も影響してると思うけど。
・鮮魚専門店の方が旨いし融通が効くからいつも使ってる。
魚を見てお勧めを聞いてお願いしたら、刺身や切り身にしてくれて「後で持ってくよ~」と言ってくれて、自宅まで届けてくれるので有難く買い物している。
支払う金額はスーパーの陳列棚のより高いが、それに見合った品物だからむしろ安いと感じる。
・魚自体が売れなくなっていますからね、私がスーパー業界に入った80年代後半は生鮮3部門で1番売れていたのは鮮魚でした。 90年代初めには青果に抜かれ90年代後半には精肉にも抜かれ、今では惣菜にも抜かれています。 ちょっと前までは生鮮3部門で売上を競うなんてやっていましたが、もう鮮魚の売上げは青果の半分近くまで落ちました。 スーパーでもこんなですから魚屋さんは厳しいでしょう。
・実家は田舎の小さな小さな鮮魚店(野菜なども少し)でした。父が毎朝片道2時間かけて国鉄で漁港のお店に買い出しに行き、地元の市場では母が買い付けしておりました。 氷の上に魚を並べ、お客さんの要望(焼く・煮る)によって切り身にし、刺身・寿司だねの要望に合わせて造る方式です。 経済成長も背景にありましたが、午後には買い物の主婦の皆さんで、すし詰め状態もしばしば。 一方、鮮度を維持するなどの管理のため、長時間労働は避けられません。 スーパーが進出してきたときに、小さな小売りはもうもたないと判断し、すっぱり店をたたみました。もう50年近く前のことです。 今ではこのような魚屋は少なく、対面で魚を買ってその場で捌いてもらうのは大変贅沢なことになってしまいました。 おかげさまで魚を見る目が肥えていて、家人が買ってくる魚に文句をつけては怒られています。 今の日本では、消えゆく懐かしい風景です。
・うちの近所のスーパーでは、カレイの切り身も一切れ400円する。いわしなど安いが、大量にパックに入っていて、家族分と合わない。結局、値段や、数、鮮度の悪さを見ると、見るだけで買わずに、肉料理になってしまう。刺し身も高くて家族三人分では量が足りない。そういうマッチしないことがあると、買うのにためらって、魚を食べたくても買いにくい。だから、塩干物ばかり買ってしまう。
・日本人の、食生活の変化によるものではないか安直にハンバーグやサンドイッチ等で済ましてるし、今の母親の母親もあまり自宅で魚をさばいてまでの料理はしてないので子には教えていない・・町の料理屋でも料亭以外は余り地魚は扱ってないしね・・自分で釣って食べるしかないか・・そういえば、漁師さんも大分減ってるね・・近海物の魚がどんどんと減ってきてますね。
・流通や消費者行動の変化で専門店が消滅しているのは鮮魚店に限らない。憂うべきは漁業就業者の減少の方だ。専門店はスーパーに比べて値段が高いし、頻繁に通わないとどこか後ろめたさが伴うデメリットもある。女性の社会進出に伴い、専門店が閉店後の夜の買い物をしたり、週末のまとめ買いで鮮度などとは言っていられない人たちもいる。
・流通や消費者行動の変化で専門店が消滅しているのは鮮魚店に限らない。憂うべきは漁業就業者の減少の方だ。専門店はスーパーに比べて値段が高いし、頻繁に通わないとどこか後ろめたさが伴うデメリットもある。女性の社会進出に伴い、専門店が閉店後の夜の買い物をしたり、週末のまとめ買いで鮮度などとは言っていられない人たちもいる。
・なんでもスーパーの責任にする必要はない 鮮魚店がスーパーにテナントとして入っているケースも多い 単純に家庭で料理をすること自体が減ったことに由来するのだろう あるいはスーパーなどで提供されている刺し身などで需要が満たされている そういった環境を壊して鮮魚店復活を願うのなら一般の消費者が家庭で鮮魚を 調理しなければならない環境を無理に作るしか無い たとえば鮮魚店での刺し身加工・販売を禁止するとか
・私は魚は昔から行きつけの鮮魚店で買っています。やはり全然鮮度も味も違います、価格も寧ろスーパーより安いです。安くて新鮮で美味しいし対面販売なので調理方法のアドバイスもしてもらってます。
・魚屋に限らず、八百屋や花屋、昔は小売店が集まって商店街が町々に歩いて行ける距離にありました。車文化が郊外に大型安売り店を産んだ結果、商店街は淘汰されました。車とは縁が離れた老人は生活難民となっています。見た目便利と価格崩壊が難民を産んだのです。便利は時として不便を生むのですよ。
・個人商店が減るのは、例えば地方の鉄道やバス路線が経営悪化して廃止になるのと同じ現象とみることができる。気が付いたら居住地近くに商店は無く、限界集落などと陰口をたたかれないように、地域で個人商店を大事にすることが大切だと思う。便利とか合理的という言葉の裏側にある地域経済の衰退は他人事ではありません。
・肉は肉屋、魚は魚屋で買いたい。 魚屋さんでも切り身が多くなって調理前の魚が減っているのが残念で時間があればわざわざ遠くまで買いに行きます。 スーパーでも良い魚があるけど専門の魚屋さんがやっぱり美味しいです。
・鮮魚店は本当に少なくなった。 23区に住んでいるが徒歩圏内7~8軒あった魚屋は今や1軒。 懇意にしていたシータイガーのエビフライや鯵を酢で〆、火曜と土曜にマグロの特売(売れ残るの嫌で築地で安く仕入れるらしい)してくれた魚屋さんが閉めた時には本当にがっかりした。 あんなに努力していたのになぜと思ってしまったが跡継ぎがいなくて体力の限界と話していた。 確かに・・・残っている1軒以外跡継ぎが居なかった。
・今回の記事の切り口として取り上げられていない点で、 一つ知りたいことが有る
肉や魚の価格の推移 自分の勝手な主観では、子供の頃は肉は高級品、 魚は安いと言うイメージが合った だから子供の頃から魚を食べる機会は多かったし、 食習慣に根付いているから今も魚を好んで食べる
最近魚は不漁でどんどん値上がりしているようにも感じる そのあたりは影響ないのかな?
・子供の頃、魚屋で3種類ぐらい刺し身にしてもらって美味しかったなあ。 イカなんて今ちょっと食べられないような味わいで、大好物だった。
スーパーの刺し身も美味しいけど全然違う。 裕福ではない家だけどよく食べていたように思う。 今魚屋で刺し身をしてもらうとすごく高いし…
あの当時はいいもの食べてたなあ…
・漁師町に住んでいますが スーパーに行くと漁港から直送の新鮮な魚が安く売ってるので 魚屋ではなくスーパーで買っています 以前 魚屋でマグロのぶつ切りが安かったので買おうとしたら露骨に嫌な顔されて その魚屋 もう無くなったけど やっぱりスーパーの方が買いやすい だけど数年前と比べて魚が捕れないらしく 魚があまり売ってないです
・スーパーの鮮魚売り場の値札を見れば、そこのスーパーで鮮魚を扱う場合もあるが チェーン店でも地場の魚屋に任せるケースは存在するこういうチェーン店に 任される魚屋は生き残れるだろうね
こういう大口を持ってない店舗でのBtoCオンリーでは淘汰されても仕方ない BtoBこそ生き残りのカギであろう。
・確かに市場や商店街の閉鎖とともに露店の鮮魚店を見かける機会は減ったし、鮮魚を買う機会も減った。 総菜や加工品の魚を食べていても、多くの種類を食べている実感はない。 旬の魚や調理方法など、食文化の縮小が心配だが、現実的にはどうしようもないのか。
・魚屋が減っているのは魚が大手に買い占められているからだよ。
スーパーや回転すしはその資本に物を言わせて市場の卸や 漁業関係者に大量に魚を購入する契約を結び魚を大量に確保する。 中国資本の業者も水産資源を確保しに来ている。
そうなると一般の魚屋が仕入できるものは、大量購入を逃れた あまりものになる。
近年の日本近海での漁獲量は温暖化や中国の乱獲により減少しており 魚資源の奪い合いが起きていて、魚屋が仕入れられるものの量・質ともに 落ちてきている。
若者が魚より肉を好むこともあり、商売の行く末に不安を与えることになっている。
少子化の現在、若者がもっと魚を食べるようになってくれれば、 魚屋も商売を続けるように頑張るのだろうが。
・鮮魚は生ごみに困ってしまう。骨を砕いてくれる機械が安価で売っていれば、それを使ってコンポストに入れて肥料にできるけど、そんな安価な機械はないし、生ごみで出すときは夏などはすぐに臭くなって、外に出したくなるけど、そうすると猫が漁ってめちゃくちゃになるし。結局、缶詰や刺身や寿司などの加工品に手が伸びてしまう。
・近所の鮮魚店、廃業しちゃったんだよな・・ いつも給料日にはちょっと贅沢にお刺身を買ってた。 店主の奥さんに事情を聞いたら、自宅なので経営は成り立ってたけど、歳もとり跡継ぎがいないこと。毎日仕入れにいっていた築地の市場が豊洲に移転して、時間的に難しくなっこと。が理由だと言っていた。 店主とのやり取りも楽しかっただけに残念。
・近所の大型スーパー内の鮮魚コーナーは専門店が契約して入ってる。 ウルメイワシの骨を大半取って開いてるのは大したもの。 私は捌ける方だが、これほど綺麗にできない。 それにここまで技術身に付けるぐらいなら、別の調理法を選ぶ。
イワシは獲れてるものの、消費者はそれほどイワシ食べてない現実。 鮮魚店のこういった技術や売り方が役立つかもしれんよ。資源保護になるのだ
・関西圏で育った海沿いには50ほどの漁協港湾、数か所港湾 運河沿いに小規模の魚卸売り市場漁業者がここに持ち込むとセリ時間に仲買人が買い付け、それが終わると漁業者は前日セリに出した金額を現金で頂く仲買人は町の魚屋、飲食店少量を荷車で町内を売りまわる専業移動販売に卸すそのルートが崩れ始めたのがダイエーの仕入れ、大手商事会社の1隻丸ごと卸、仲買抜きでごっそり持ち去る流通の乱れが、生産者よりその方たちの利益は大きな利益を生み出す、友人もライフ内テナントで魚やを、仕入れは大阪中央市場、ここにはなんでも仲買から変える、が地域競合店に敗れて廃業、大手卸市場3か所は盛業とはいいがたいが流通の変化で、 減衰している。時代の流れで変化を読み取る仲買人は生きていける。仲買人は 生活が懸かっているので懸命に卸値を維持しながら多量買い付け人を見つけ出すのが仕事、町中の魚屋が無くなったのは事実。露地野菜も同じ。
・潰し効かないんだよね 極端な例 八百屋はコンビニ化も出来るし 肉屋はお惣菜などに手をを広げる事も出来るけど 魚屋は弁当屋さんくらい 弁当屋は弁当屋で魚屋の兼業で出来るほど楽じゃないから お刺身盛り合わせくらいしか広げられない そのお刺身もりも回転すしや宅配寿司にシェア奪われた今 余程突き抜けないとやっていけないよね
・もう魚が高級品になりつつあるから気軽に食べられない部分が大きい、100g単価で見ると肉を買った方が安いし最近は魚を食べたくても何か遠慮してしまう自分が居るので悲しいかな節約志向の中での選択肢が魚は除外となっているので回転寿司で魚の切り身を食べるぐらいしか機会が無いのが本当に切ないね
・都市から鮮魚店が消えたのも、スーパーに解凍マグロが並ぶのも、どちらも単に経営上の理由だよ。魚はね、廃棄率が高いんだもの。
一方、角上魚類の盛況は鮮魚需要が減っていないことの証明に他ならない。
濱田武士(55) 経済学者 大阪府吹田市生まれ
子ども時代、自宅近所に商店街があったのだろう。 外食の少ない家族で、たまに行ってもデパートのレストランとか。 だから母親は洒落た料理など知らず、その時代は多くの家庭がそうだった。 母親は食べたことのない魚料理を魚屋で教わった。
そこを出発点としたら鮮魚店が街から消えたことが魚の消費を減らしたように見えるんだろうな。 でも、あの頃とは違うんだよ。
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