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「セクシー田中さん」問題 芦原さん側との間に「ドラマ化の条件めぐり齟齬があった」日本テレビが調査報告書公表し石沢顕社長が謝罪

TBS NEWS DIG Powered by JNN 5/31(金) 17:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/ba13a0adbdfd9de3fca5ad958d747bc445bc6c1e

 

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日本テレビが放送したドラマ「セクシー田中さん」の原作者である芦原妃名子さんが亡くなり、日本テレビとの間にドラマ化の条件について食い違いがあったことが明らかになりました。

石沢顕社長が謝罪し、外部の有識者との調査結果を公表しました。

報告書では意見の不一致や制作期間の問題が指摘され、今後の対応策として原作者との直接の面談や早期に契約を結ぶことを提言しています。

(要約)

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TBS NEWS DIG Powered by JNN 

 

人気漫画「セクシー田中さん」の作者・芦原妃名子さんが亡くなったことを受け、日本テレビがドラマ化の条件について芦原さん側との間に認識の齟齬があったとする調査報告書を公表しました。 

 

【画像】日テレが「セクシー田中さん」調査結果公表 ドラマ化の条件をめぐり原作側とドラマ制作側に食い違い 日テレ社長「不安な気持ちにさせてお詫び申し上げる」と謝罪 

 

日本テレビの石沢顕社長は、「ドラマの制作関係者や視聴者の皆様にお詫び申し上げます」と謝罪しました。 

 

この問題は、日本テレビが去年10月から放送したドラマ「セクシー田中さん」をめぐり、原作者の芦原妃名子さんが制作過程での脚本をめぐるトラブルを明かし、その後、亡くなったものです。 

 

日本テレビは、きょう、外部の有識者とともに行った調査の結果を公表しました。 

 

報告書では、原作の変更の許容範囲について芦原さんと小学館の原作側と日本テレビ側との意見が一致しないこともあり、芦原さんから「キャラを破綻させるような安易な改変は作家を傷つけます」などの厳しい指摘があったと明らかにしました。 

 

芦原さんはブログで「ドラマ化するなら『必ず漫画に忠実に』」などを条件としていたと綴っていましたが、この条件があったかについては日本テレビと小学館との間に認識の齟齬があったとしました。 

 

また、このドラマの制作期間は初回放送までおよそ6か月でしたが、結果からみると、この期間では足りていなかった可能性があると結論づけました。 

 

一方で、ドラマの内容自体は芦原さんの意向を取り入れたものであったと思われるとしました。 

 

今後のドラマ制作にあたっては、▼原作側が映像化についてイメージできるよう演出などが書かれた「相談書」を作成すること、▼原作者との認識の齟齬をなくすため直接の面談を要請し意見を聞くよう試みること、▼トラブルを極力回避するため原作者や脚本家との間で可能な限り早期に契約書を締結することなどを提言しました。 

 

日本テレビの石沢顕社長は、「ドラマの制作関係者や視聴者の皆様を不安な気持ちにさせてしまったことについてお詫び申し上げます」「指摘された課題についてテレビドラマに関わる全ての方がより安心して制作に臨めるよう責任を持って取り組んで参ります」と述べました。 

 

TBSテレビ 

 

 

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(まとめ) 

ドラマ化される際には、原作者とのコミュニケーションを重視し、原作の意向を尊重することが重要だとの指摘が多く見られました。

特に脚本家や制作側と原作者の間での齟齬が問題視されており、誹謗中傷や原作者を軽視した対応が原因とされています。

契約内容や著作権に関する問題についても批判的な意見があり、今後のドラマ制作においてはより原作者の意向を尊重し、作品への愛情を持って制作する姿勢が求められているようです。

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・>今後のドラマ化にあたっては、▼原作側が映像化についてイメージできるよう演出などが書かれた「相談書」を作成すること、▼原作者との認識の齟齬をなくすため直接の面談を要請し意見を聞くよう試みることなどを提言しました。 

 

 

はて? 

今回のような行き違いを起きなくさせるための「必要条件」ではあるが「十分条件」ではないと感じます。 

最終的には、ドラマ化にあたり条件を明記した契約書を取り交わし、違反時の対応(ドラマ化取り下げや脚本家交代など)も明記することでしょう。 

そうしたくない理由でもあるのでしょうか? 

TV局は、原作の人気に乗っかって一から作るよりはるかにコスパ良くドラマを作れる。原作者の手元に入る謝礼はそれほどでもないとききます。 

人が1人亡くなっているのに、まだこの程度の改善か、とガッカリ感しかありません。これでは芦原先生が浮かばれない。 

 

 

・フラワーコミックスを見るたびに、巻末に芦原先生の名前を見つけると、「先生の新しい作品はもう見られないんだな」と悲しくなります。 

脚本家の方が、先生の我が子とも思う作品を変えてしまった事が事の発端。 

漫画って本当に作るのが大変なんですよ。ただイラストが上手なだけでは作れません。コマ割りも重要ですし、ストーリーもどう区切るかなど、かなり労力を使います。 

だから漫画をドラマ化したり映画化するのは、やはりその作品愛を持っている方に脚本やプロデュースをしてもらいたいと思います。 

 

 

・原作者が亡くなっているのに、調査は問題の核心に迫りきれていないのでは? 

本件については脚本家やCPの対応にも大きな問題があったはずだ。よく個人を責めるなという風潮があるが、この二人が原作者の尊厳を傷つけたのであれば、一体何があったのか追及して公表すべきだと思う。 

繰り返しになるが、人の死が絡んでしまうドラマ現場など存在してはならない。 

 

 

・原作はゼロから生み出されたもの。 

ドラマの脚本はそこから映像に起こす作業。 

そんな感じなんですかね?映像に起こす段階で原作に近しいものとするのか、万人受けするであろうものにするのかなど色んな改変があるのでしょうね。そこで原作者が納得できないものがでたのでしょうか。 

私はドラマしか知らないので、最近にしては面白いものだと思いました。観る気になれるものだった。そういう意味では万人受けかは分からないけどドラマとしては成功なのかもしれないですね。 

難しい問題だな。 

 

 

・この件、報告書の概要だけではなく、全文を読んでコメントする方がいいと思います。 

9話・10話のクレジットについて、脚本家が弁護士を立ててテレビ局と決定的に対立し、場合によっては1~8話の二次利用を認めないという態度でいたことは、特にSNSでの応酬となった経緯を理解するうえで重要なことです。 

 

未だに「脚本家の原作者蔑視」という視点でコメントしている人もたくさんいますが、そうではないということが明確になったのは、この報告書で注目すべきことの1つだろうと思います。 

 

 

・本来は脚本家と作者の認識の齟齬を埋められなかった局側の怠慢で終わるんだろうけど、今回の事の発端は脚本家の明らかな作者への中傷だから。 

テレビ局も出版社もプロデューサーから脚本家に至るまで、オリジナル脚本ではない、原作付きのドラマをやらせていただいてることへの意識改革まで踏み込まなきゃ終わらんだろ。 

 

 

・確かに原作者の意向は反映されていただろうけど。それは脚本家の解釈が原作と乖離していて、原作者が必死に作品の世界を守ろうとしたからでしょ。 

原作者の生前の説明によれば、局側での情報伝達・共有に疑問があったとのことだけど。なんでそういう不備が起きたのかまで追及したのか? 

 

ラノベのイラストなら担当さんが、この作品はこんな雰囲気だからこういうイラストレーターさんが合うと思うんですと候補を選んでくれるのに。 

そういう脚本家選びにまずしくじっている点のスルーも、ツッコミどころ。 

 

脚本家とその周辺の人たちがSNSであれこれ言っていたところが無視されてるのも、なんだかな。 

 

時間をかけた割には、奥深くまで追及したようには思えないんだが。脚本家と局の情報伝達はどうすることにしたの? 

 

 

・お亡くなりになってからですが。 

芦原先生の漫画を少しだけ拝見しました。 

ネットではありますが。 

登場人物いろんな人格ありますが。 

どれも人物背景が掘り下げられてて。 

とても描写が上手くて、良い作品だと感じました。 

いろんな人のいろんな気持ちを理解出来、優しく表現できる方と思いました。 

先生の尊厳が守られるよう、配慮出来ていれば良かったと思いました。 

 

 

・これって結局齟齬があったことそのものよりも、原作者を貶めて攻撃して我が子のような作品を、骨身を削って描きあげた作品を奪ったことが問題なんだよ。 

以後気をつけます、じゃ絶対なくならない。 

いじめる加害者は罪を認識していないから、同じ状況になればまた同じことをする。 

 

 

・契約上の問題点はあったのでしょうが、脚本家の方のSNSの使い方にも問題があった事を忘れてはならないと思います。 

先日も星野さん御夫妻の件で大問題になりましたが、芦原先生は誰にも守られなかったのですよね。 

 

 

 

・きなこさんの自殺の原因は脚本家の過ぎたる自尊心からの原作者に対する中傷とそれに乗っかったネットの住人の追い込みではないか? 漫画家さんは繊細に過ぎる人も多い中で「業界のノリ」とか「ネットの異様な言語空間」による自分の発言に対する反発や圧はかなり精神的に追い込むものがあったと思う。脚本家をはじめとする制作側は無論、作家を守れなかった出版社,担当編集も責任の重大さを知ってもらいたい。 

 

 

・いつの間にか既に風化しつつあるこの問題。結局、一時の報道熱で厳しい追及もあったけれど、常の如く有耶無耶なままになっていく。元の木阿弥。いずれ相沢氏もしれっと復活しているかもしれない。でも、芦原先生の命が失われてしまった以上、そんなことは許されない。根本的な解決はひとつ、芦原先生の遺書が公開される、それしかないと思う。 

 

 

・もともと漫画や小説のドラマ化は好きではありませんでした。 

原作とかけ離れたものになることが多いので(例えば三姉妹探偵団という小説のシリーズがドラマ化されたときには四姉妹に改変)観てがっかり、1話で切ることも。 

芦原先生の作品は繊細で、先生もきっと繊細で感受性の強い方なんだろうなと一読者として思っていました。 

だからこの問題で、脚本側のインスタを見て腹が立ち、先生が消息を絶った時絶望しました。 

どうか脚本の方々、オリジナルで勝負してください。 

原作付きのものを書く時はその後ろにある作者の方の想いを汲んでください。 

それを面倒だと思うなら原作付きの仕事は受けないでください。 

それが礼儀だと思います。 

 

 

・根本は原作を無視して自身の作家性を出したかった脚本家があまりに多いことが問題。放送作家をやめて脚本家を名乗りはじめた鈴木おさむのように原作なんて一切読まないという人間も多い。なら原作者が脚本をやれという橋下理論が招いた今回の結果。 

そのような屁理屈を一切許さず、それぞれの分野にプロフェッショナルがいて然るべき日本になっていって欲しい。 

 

 

・あれだけ時間をかけたけど想像どおりというか。原作者の意向を尊重する姿勢につながる文言が少しでもあればと期待したのですが。 

自社都合でどうにでも解釈できる表現にとどまりましたね。色々残念です。 

個人的にショックで原作の最終巻は買ってはあるがまだ書店のビニール包装のまま読めないで書棚にあります。少し前に一巻を手に取りましたがヒラリークリントンのくだりで涙腺が…。良い作品だったのに。同じ事がもう起こりませんようにと願うしかない。 

 

 

・齟齬ではなくて、誰が芦原さんのドラマ化条件や話を反故にしたかだと思います。そもそも、脚本家へどう伝えていたのか?原作とは違う形になり、脚本を芦原さんが引継ぐことになったのだから、日本テレビ担当者が脚本家に話をしなかったのか、脚本家が無視したのか、どちらかしかありえないと思いますよ。それで、時間がなかったとか間接的要因がプラスされるのだと思いますけどね。齟齬があっただけでは、なんでこれほどの時間を要したのという感じです。 

 

 

・シンプルに出来上がった脚本を原作者にチェックしてもらえばいいだけじゃない? 

 

それで納得いかなければ書き直しすればいいだけ 

 

好きにやっていいって言われた場合だけ 

そういう手順は踏まないでいいとか 

 

理想はネットフリックスのワンピースのときの 

尾田栄一郎の契約書みたいなものだと思うけど 

流石にあそこまでは難しいだろうからさ 

 

単純に、原作者が原作通りにお願いしますと言ったら 

脚本家は変なプライド持たないで 

原作通りの脚本かけばいいだけ 

それがプロ 

 

 

・3カ月もかけて調査して、「相談書」を作成するとか、原作者との認識の齟齬をなくすため直接の面談とか、本当に再発防止する気があるの?って感じですね。 

 

法的に効力を持つよう、契約内容に反映するくらいの対応が必要だと思います。 

 

 

・元々の発端は脚本家さんが原作者さんをSNSでの誹謗中傷と捉えれれてもおかしくない文章じゃないのか。第三者が読んでも酷い文章で衝撃的でした。そこを報道しない限りは解決しないんじゃないでしょうか。普段誹謗中傷はダメと言っておきながら原作者を攻撃しているような言い回しには驚きましたし不特定多数が見るSNSで呟いているのをみて怖いなと感じました。 

 

 

・この世界の事は分りませんが原作者の意志を無視して脚本家が勝手に内容を変更させる事が理解出来無い。自分の作品を広く世に知らしめたい、ビジネス的旨味を得たいと言う気持ちは有ったとは思うが、自分が生み出した作品を傷つけられたくないと言う気持ちが強かったのだろうと想像します。出版社にしろTV局にしろネタは原作者が生み出した物です。それを見つけて手を加えて世に出しているので、個人の作家との力関係が大き過ぎて意志を尊重する習慣が忘れているのか最初から無かったのか、契約と言う厳格な形式が導入される事を願います。 

 

 

 

・「齟齬があった」の表現は違うかと。双方に至らないところかあったような表現になっているが、現実は原作者の主張を軽く受け流してしまった小学館と日テレが一方的に悪いのではないか。小学館と日テレの過失割合が知りたい。その上で、誤った認識の脚本家が原作者を攻撃した。これはこれで良くないことなのできちんと謝罪してほしい。 

 

 

・テレビ拝見しました。呆れたの一言です。才能ある作家が亡くなるという大変重い事件を出版社とテレビ局とのミスコミュニケーションだったと片付けており再発防止もぼやけてました。今回の件での懲戒等の話もなくほんとに日本テレビの著作権についての認識不足とコンプライアンスの無さにとても悲しく大変憤りを感じました。結局、テレビ局の怠慢(作家からの注文を鬱陶しいと思う風潮)とやっつけ仕事として各方面との窓口を省略し「放送する力」を誇示していた。一方出版社はテレビ局に物申せず最悪なのは著作権や作家を蔑ろにしていたということです。作家、脚本家を外してテレビ局と出版社が好き勝手に創作したということです。何故お互いの仕事のやり方をもっと丁寧にしなかったのか?もっと初心に帰り耳を傾けていればこんな悲しい事件にならなかった。メディアの責は大変大きい。 

 

 

・この件で一番取り上げないといけないのは、余りにも改変の多い脚本家とのやり取りに不信感を抱いた芦名さんが最後に脚本を自ら書いた事について脚本家がSNSを使って誹謗中傷をし、更に自信のファンが芦名さんを結果的に誹謗中傷するような形になったものを黙認どころかいいねするなど、余りにもな惨状に仕方なく起こったことをブログに書いた芦名さんを更に誹謗中傷するようなことをした、というドラマ終了後の脚本家によるイジメだと思うのですが違ったのでしょうか。 

この記事だと「結果的にドラマは漫画に忠実に書かれていたけど作者は文句を言うだけ言って亡くなった」かのようです。 

 

 

・契約する際に、双方及び原作者を交え打ち合わせしているはず。契約書は細かく記載していなかったのだろうか?雑だったのであれば、今後は細かく記載すればいい。日テレは、弁護士を契約の際は同席させる位のことを取り決めては!本当は1社だけの問題ではない。協会同士で話し合うべき。人一人亡くなっているのだから、真剣に取り組むべき。 

 

 

・ニュースではドラマ制作関係者がより一層安心して制作に臨める体制を作るとことを目的としてって言っていたが、それって制作サイドは悪くないですよ。って言ってるのと一緒じゃん。原作者と制作サイドが安心しての間違いでは?問題の認識能力が欠如しているので、また同じことが起きるのでは? 

 

 

・原作者とドラマ側でどういう風にやりたいという意見を酌み交わすことが何よりだろうと思う。 

原作者は最初は原作通りにと思っていても、実はよくよく話を聞くと、ドラマ側の設定の面白さに気づくことだってあるかもしれない。でもそれはコミュケーションの先にしか生まれない。 

意図が見えない状態で、ただ自分の作品がただ壊されていくのを見るのはどれほど辛かっただろう。伝えたかったことがどんどん変えられていく。 

きっと投げ出したかっただろう。もう自分の作品じゃないと思ってしまえば楽だから。でも、楽しみにしてくれている読者さんを尊重して、頑張って何度も修正依頼をかけたんだろうな。 

今後、こういうことが起こらないように、切に願う。 

 

 

・何も学んでない気がしました。 

現在放送中の肝臓を奪われた妻も登場人物は一緒ですが内容が原作と違い過ぎる。 

何で内容を大幅に変えるのか意味不明です。 

違う内容にするなら、漫画原作をやめてオリジナルのドラマを作った方がいいと思います。 

 

 

・日テレの問題はもちろんだけど、間に立つべき小学館が彼女を守れなかった事もとても大きいかと。大企業たるテレビ局、出版社に対し一個人である漫画家が対等に交渉するのはものすごく難しいことだと思う。出版社が完全に漫画家の利益代表者になるのならいいけれど、現状そういう場合は少ないでしょう。30年も前の漫画だけど土田世紀の「編集王」を読んでもらうと、出版社がいかに漫画家を道具としてしか見ていないかがよく分かる。大企業だる出版社にとっては数字が第一になってしまうのは良くも悪くも仕方ない面がありますが。奇しくも小学館刊です。 

 

 

・要は 

今後は相談書を準備します 

(期日に余裕を持ちます) 

 

だけですか?こんだけ時間があってこれですか? 

新入社員の始末書でもまだ中身がありますよ? 

 

例えば…何故、場を設ける等ではなく、相談書という形式で、時間差が生まれかねない引継ぎのような形なのか。今回のようなSNSを通じたタイムラグの悲劇が何も生かされていない印象を受けます。仮に場を設けるが難しいのであれば、その理由や、相談書には具体的にどのような項目を設けるのか。期日に納品が難しい場合の対応はどのように想定しているのか等…気になるところばかりです 

 

 

・齟齬じゃなくて原作に忠実か、原作に忠実じゃなかったかしかないのに。 

問題の脚本家は嫌な感じで書いてたよね。 

あれはいじめのようだった。 

周りの人も一緒になってね。 

はっきりってSNSをやる脚本家は使わない方が良いのでは? 

不満があるなら、テレビ局を通じてきちんとお互いに言えるような環境を作らないと。 

 

 

 

・不安にさせてしまい…どころの話じゃないですよね。作家さんが亡くなってるんですから。 

誤解とかの話じゃなくて、今後こういう事が起こらないように、企画サイド、脚本家含めて、原作提供される方の思いを裏切らないように、当初取り決めたことはしっかりと守る、それでも方向性がずれそうになったら、しっかり話し合ってお互い納得の上で進行するようにして下さい。 

 

 

・「連載中の作品なので、原作に忠実に」「原作者側で脚本を確認して納得できなかったら訂正してもらう」この条件で実写化許可を頂いてた筈の制作側で「撮影済、キャストも準備終わってるから変更不可能」という回答が出るのがそもそもおかしいんじゃ無いかと。 

原作者さんの意向をしっかり組むなら、原作者さんの納得できる脚本が出来上がってから撮影に入るべきだったのに、これまでの様に「始めてしまえはこっちのもの」と言う身勝手な算段があったんだろうなと思う。 

再発防止と言うけど、キャストありきの制作体制や余裕を持った制作期間を作る等の見直し等まだやるべき事は多々あるのでは?と思う。 

 

 

・「原作者との認識の齟齬をなくすため直接の面談を要請し意見を聞くよう試みること」 

現在放送中のアクマゲームの原作者が、ドラマの感想として違和感があるとXで投稿し、バズってましたが、これから意見は取り入れられるのでしょうか? 

視聴率獲得するための施策だと思いますが、できるならみんなが納得いくものを作り上げて欲しい 

 

 

・謝罪して終わりにしたつもりかもしれないけど、根本的な解決にはなってない様に思います。現に今放送中のアクマゲームでも、原作者の方が今回のドラマに関しておかしいと声を上げてる記事が最近出ていたぐらいです。 

勿論、3ヶ月という短い期間で完璧に原作と同じに出来るかと言ったら難しい部分もあると思います、しかしそれがわかっていての、原作ありのドラマ化だと思います。それなら初めから原作ありでのドラマを作らなくて良いのでは? 

そしてきちんと脚本家を育て、原作に頼らないドラマ作りをすれば良いだけだと思います。 

二度と今回の悲劇が起きない様にこれで終わらず、日テレ内、関係会社、関係者それぞれがもっと真剣に考えて欲しいと思います。 

 

 

・今の映像業界は漫画に頼っているのに、原作へのリスペクトが足りないように感じます。 

性別、キャラクター、物語の変更、そして、中途半端な再現のせいで全体が安っぽくなっている。 

いっそのことドラマの枠を減らして、アニメ枠を復活させた方がいいのではと感じます。 

 

 

・脚本家の芦原さんへ向けた誹謗中傷は忘れられない 

ドラマ制作において立場のある人達が作者を追い詰めた 

傷ついたのは芦原さんだけではない(作品ファンや視聴者も) 

日テレ・小学館・脚本家・プロデューサー達には覚えておいてもらいたい 

 

 

・私は芦原先生がご存命の時のSNSでのあの声明を出された経緯を他のネットユーザー達と同様リアルタイムで見ていました。 

だからこの調査報告で淡白に書かれている箇所に色々引っかかる思いがあります。 

テレビドラマはベルトコンベアーのように何年先も組まれた企画が順次動いていくので、傷付けられてきた原作者の方々は声を上げられなかっただけで数えきれない程いるのでしょうね。 

原作者と脚本家がリスペクトしあって、脚本家のオリジナル要素を後の原作シリーズに取り入れるなど円満な関係を保っている名作も沢山あります。 

それらの名作と何が違うのか何が足りなかったかは関係者は理解していないといけないはず。 

いち視聴者の個人的な意見として、芦原先生の訃報の一連の流れを観てこの先観るつもりになれないものがいくつかできてしまいました。 

セクシー田中さんの原作を結末まで読みたかったです。 

 

 

・契約だの相談だの書いているが、つまるところ原作者に対するリスペクトが欠けていたことに変わりはない。 

別に芦原さんがテレビ局のプロデューサーに売り込んで、どんな形にアレンジしてもいいからドラマ化して下さいと依頼したわけではないだろう。 

特に日本は著作権法についてもう少しシビアな形で法整備と運用をすべきだと思う。 

著作権保持者の意向を損なう事案に対して、国も相談窓口を設置するとか、弁護士を紹介するようなサービスがあってもよいと思う。 

 

 

・社長だけ謝るんじゃなくて、改変に携わった人全てが謝罪すべき。 

原作者を軽んじるのは、もうこれで終わりにして欲しい。 

 

本当にドラマ化するなら、まず話し合いましょう。 

例え時間が無くても、何とか時間作って集まって顔を合わせて話して欲しい。 

それでなくてもTV番組の視聴率は下がってるのだから単なるノルマをこなすビジネスとしてだけでなく、アーティストとして考えも考慮して話し合おう。 

 

 

・そもそも、作者の声を直接届ける機会が無いことに驚きました。 

原作者が、ドラマと原作は別物、すべてお任せ、編集部確認で良いって判断だとしても、作者本人が直接話す機会が無いとは思ってなかった。 

他局ですが私の好きな作品も、イケメンだらけ作品に変わってて、とてもショックを受けたことがあります。ドラマ自体はヒットしましたが、時が経ってから作者さんにも、周りから相当賛否の否が来ていたことを知りました。原作者が意見言えないのが当たり前の業界なんでしょうか。 

調査報告にも誠意を感じません。オリジナルを作るのが乏しいテレビ局がなんでそんなに偉そうなのでしょうか? 

 

 

 

・私も友達と作品作ってました。友達が原案担当で私が作画担当。 

私は売れなくてもいいからコツコツ自分が自信を持って素晴らしいと思える渾身の作品作りをしたい。妥協したくない。何年かかっても、素晴らしい作品を作っていればいつかは報われるんじゃないかとある意味お花畑でした。 

ただ、友達はすぐにでも収益に繋げたいという思いがあり、作品作りはなぁなぁに、プロモーションのことばかりアイディア出ししてました。 

友達の考えも間違いではないと思うようにしていましたが、結局中途半端な作品になるのが嫌で、私は描くのをやめました。 

芦原先生もとても信念を持って作品を描かれていたと思うので、キャラが話す一言一言やコマ割り、今後の展開など全て計算し尽くして、自分が本当に描きたい作品を大切にされてきたんだと思います。 

なので、視聴率重視、儲け重視がチラチラ見え隠れするような状況が許せなかったなのかなと勝手に思ってます。 

 

 

・「ドラマの制作関係者や視聴者の皆様を不安な気持ちにさせてしまった」「テレビドラマに関わる全ての方がより安心して制作に臨めるよう」って...視聴者への配慮は当然ですが、身内とも言えるテレビ関係者を中心に気遣った言葉に聞こえますが。この問題は原作者の思いを軽んじたことにあるんじゃないのか。原作者に対する謝罪や配慮の言葉はなかったんでしょうか。真摯にドラマに向き合う制作の方々は気の毒ですが、まず原作者に寄り添う言葉が必要なんじゃないか。切り取りではないですよね。 

 

 

・最終的な社長の締めがドラマの制作関係者と視聴者へのお詫びってのが何か世間の批判とのズレを感じます 

この件に関してドラマの製作陣への謝罪を真っ先に公式で出す必要あるのでしょうか? 

確かにドラマに関わる制作会社だったり脚本家や出演者など製作陣は大きな括りなのでしょうけど 

それは直接やり取りすれば良いのでは 

原作者が命を絶ってしまった事への核心には迫れて無い気がします 

 

 

・芦原さんは作品や主人公にに対して心から愛情を持ってられたと思います 

実写化するに当たっては原作者の意向を一番尊重するべきで齟齬があったとか時間がなかったとかは言い訳にしか聞こえません 

役者のスケジュールや放送側の都合を優先して原作者の気持ちを踏みにじった結果なのではないかのかと疑問を持ちます 

芦原さんが全てを受け入れられない時点で白紙に戻して実写化など中止するべきだったのではないかと思います 

 

 

・謝るのは、ドラマ関係者や視聴者じゃなく、まず芦原さんやご遺族や原作のファンじゃないの。 

なんかずれてないか。 

報告書も脚本家や演出家の確信に触れてないようだし、こんな遅くなったのも、世間が沈静化するタイミングを待ってたとしか思えない。「 

本気で反省する気なんてさらさらないのがよく分かる。 

普通の血の通った人間なら、今回の事を重く見て、漫画原作のドラマは当面やりません、原作者の意向にそうような体勢ができる準備をしますくらい言うよ。 

 

 

・脚本家がドラマを書けなくて原作漫画の人気にちゃっかり便乗してドラマ化する事が問題だ、という事が根本にあると思う。本当に原作が素晴らしいので実写化するのであれば原作に手を加える必要はないはず。テレビ化するにあたり脚本に手を加えるなら原作のタイトルを使うべきではないよ。 

今更だけど日テレや制作サイドが何を言っても、原作者がこの問題により命を絶った現実は消えないし無くならない。 

ドラマよりも原作を楽しみにしていた1人の読者として言わせてもらえば「続きを読みたかったのにどうしてくれんだよ日テレさん制作サイドさん脚本家さん」だよ。 

 

 

・人気漫画の忠実な実写ドラマ化にどういうメリットがあるのか。役者の演技がどんどん漫画化し、ドラマ自体の漫画化も進行するばかりに見える。原作とはまた違った角度から新たな発見を提供するような、音楽でいうところの「カバー」でなければ、単に質を落とすのみだろう。まず原作者合意が不可欠。その合意をもとに「カバー」を製作する気概がないのなら、始めから手を出すべからず。創造性のある放送作家を育てるべし。そうしないと日本のドラマの質がどんどん低下するように感じる。 

 

 

・百歩譲って原作者の希望がドラマ製作者に伝わらない間違いがあったとしても原作者がその希望を再度確認し要求した時点で製作者がそれを普通に受け入れて入れば悲劇は避けられたでしょう 

問題は脚本家がそれを不満と批判という形でSNSに公表し日テレもそれを止めたり批判せず原作者が追い詰められるままにしていたことです 

そしてその脚本家が初めから原作者を無視して自分の作品のように発信していたのも止めませんでした 

原作者を尊重せずまた何かことが起こっても誰も猫に鈴をつけないという体制を反省しなければ悲劇は繰り返されます 

 

 

・原作者→出版社→プロデューサー→脚本家という伝達ゲームの中である程度の齟齬はあるでしょうし、コミックから実写ドラマにするには制約も多いのである程度の改変も必要なのは理解できます。しかし原作者の「漫画に忠実に」という超シンプルな希望すら叶わなかったのはテレビ局側の「ヒットコミックのストーリーを拝借していつものひな型に嵌め込んで一丁上がり」という高慢なスタンスが見え隠れするし、そもそも原作を尊重する気が一切ないんだろうなという印象を受けました。 

 

 

・別の記事で小学館が文書で芦屋さんの用件を提示していなかったと見ました。これ真因だと思います。言い逃れできない。小学館の怠慢だと言わざるを得ない。言わなくても原作通りが普通だとコメントされてる方もいらっしゃいますが大人気となった花より男子も原作からかけ離れてましたし。でも神谷先生とドラマ制作側は良好な関係に見えました。ケースバイケースだと思うのでコミュニケーションをしっかり取っていく、今回の再発防止で問題ないと思いました。話それますが原作者への報酬は少学館は十分に上げて欲しいです。 

 

 

 

・ドラマ終了後、原作漫画を読んだが、とても文学性・哲学性の高い、人生のバイブル的な作品だった。それでいて、品のいいユーモアと温かさに満ちた素晴らしい作品だった。原作者さんは、最終回をどうする予定だったのだろうか⁈原作に比べて、脚色されたドラマは、文学性・哲学性も低く、ウケ狙いと思われる陳腐な場面も多く、原作より、かなり劣る。もっと作品を読み込み、その作品の持つ世界観、文学性・哲学性を理解出来る脚本家だったら、結果は違ったのではないだろうか⁈そして、局のスタッフにも恵まれていたなら、死を選ぶ事には絶対にならなかった筈。残念で、悔しくて堪らない。 

 

 

・あくまでもこれは日本テレビの姿勢としての話ですが、試みに関してはルール的なものであって、レギュレーションではない、単なる努力義務のようにも受け取れる提言ですね。 

 

一方で、版権元たる小学館の担当者は、原作者を守る立場でありながらそれが出来なかった。原作者とドラマ制作スタッフ(主にPだろう)との間に入って交渉、窓口役でもあるはずがいったい何をしていたのか。 

担当者個人を責めるつもりはありませんが、原作者と作品の版権を預かる会社として、今まで通りの対応で良いのか?と疑う部分はあって然るべきではないでしょうか。 

 

この事案は一概にテレビ局だけの問題でなく、版権元との契約についても見直すべき事案であり、テレビ局側だけが反省することではないでしょう。 

 

原作者を抱える版権元も、どのように考えているのかを説明することで、今後の作品作りに余計な不安を与えないようにすべきではないかと思います。 

 

 

・結局、脚本家が芦原先生へのリスペクトも無く、原作を下敷きにした自分の脚本(作品)としてドラマを作ってたからこうなったんじゃないのかな。 

原作付きの映像化は実写化にしろアニメ化にしろ、原作本がチェックのための付箋で分厚くなるような熱心さが制作サイドには求められると思う。そこまで読み込んで、そこからドラマの尺に合わせるために原作者との打ち合わせというかすり合わせをやっていくもんじゃないのかな。 

この作品の実写化はなんと言うか原作者が除け者みたいな印象。テレビのドラマの現場って原作者より脚本家のほうが尊重される傾向とかあるんだろうか? 

 

 

・ドラマ化までの経緯はもう芦原氏がSNSで説明されていて、日テレも同じような内容を早い段階で公表してたのでは? 

そのSNSから日を置かず原作者が命を絶ってしまったことに対して、日テレはどう関わったのかを知りたい。 

日テレだけでなく脚本家もプロデューサーも小学館も、芦原氏のSNSを受けてどう対処したの?あのSNSから全くコンタクト取ってない?そんなわけないよね。 

今後のドラマ制作で改めるところも大事だけど、原作者をリスペクトする気持ちを持つのは大前提で、ドラマ化してやったみたいに上からな態度が変わらなければ根本的解決にはならないと思う。 

 

 

・一般的にこの種のトラブルを回避するためには、きちんと契約書を交わすのが当然でしょう。法務部門の認識が著しく世間一般とずれていて、権利保護の感覚が相当鈍い会社だと思います。何より人が亡くなっているのです。テレビ局は抜本的に正義を取り戻す必要があります。 

 

 

・ドラマ化しなければ芦原先生が亡くならずにすんだのかも知れません。 

思うのですが漫画をドラマ化する上で最終話までいっていないものをドラマ化にするのは話の流れも変わるし読者としてはやって欲しくはありません。 

全然違う話をするのは止めて欲しいです。 

芦原先生の漫画を楽しみにしてました。 

もう続きも読めなくなるなんて思いもしませんでした。 

今後どんな展開があったのだろうと思うと残念でなりません。 

芦原先生が何を思って死を選んだかは本人しか分かりません。原作を忠実にと思うばかりです。 

 

 

・原作改変がとても受け入れがたいことでも、どんなことがあるにせよ死んではいけない、生きて闘うべき。言い方はおかしいかもしれないが亡くなってしまっては(死に追い込んだ日本テレビは)何を言っても単なる言い訳の域を超え 

ない。どんなに追い込まれても日本テレビには絶対(作品を)提供しないなど 

強い気持ちで生きるべき。 

 

 

・ドラマは原作に忠実に作られるべき、なのかどうかは疑問に思います。 

例えば原作が小説で、 

探偵物でパートナーの男性刑事が女性になる。 

金融物でパート1の宿敵が、2でもレギュラーとして出る。とか、 

原作が漫画で、 

途中から原作を追い越してアニメがオリジナルストーリーになる。 

など、映像化独自の設定を創って名作として残っているということはあったと思います。 

原作者もその作品たちのことはリスペクトしていたと聞きます。 

今回は、原作の方の意向がテレビサイドに伝わっていなかったようですが、作品への想いや結末への構想が強くあるのなら、映像化はしないほうがよかったと思います。 

テレビ局が強く推したのか、小学館が薦めたのか、誰かが原作者に全ての忠実に意向を組むと話していたのか…本当のところは分らないけど、やっぱりドラマとして映像化をする時点で、他の人が関わったら、別物になっえしまうのでは無いかと思います。 

 

 

・日本テレビ側の調査だけでは不十分だ。小学館側の調査も必要ではないか。 

 

原作者の意向が小学館を通じて、ドラマ制作の現場である日本テレビに伝わっていないのが一番の問題だ。 

 

この日本テレビの調査報告を小学館はどの様に思うのか。スポニチの報道によると、意思疎通に齟齬があるとか、原作者の意向が小学館から伝達されていなかったとある。 

 

原作者は小学館側に伝えてあるのに、なぜ、小学館から日本テレビに伝わらなかったのか。これが本件の核心部分だと思う。 

 

何故、原作者の意向を正しく日本テレビ側に伝えられなかったのか。小学館側も調査して、発表するべきである。 

 

 

・原作と制作に齟齬があったとしても1,2話あたりの脚本で既に指摘があったのでは?その時点であれおかしいぞと意向を確認し軌道修正するものでしょう?制作が修正したからいいだろうと目指す方向自体は変えずに突き進むのを原作者が必死で引っ張り寄せたという印象です。それを「最終的に意向にそった」と言えますか?軌道修正しなかった事の方が問題でしょう。制作期間等の問題があってもそれは言い訳にすぎません。間違っていても止められないというのはやはり企業としての体質や責任を問わざるをえないでしょう。 

 

 

 

・ニュースを見ましたが釈然としませんでした。 

視聴率を取れる良い脚本に出会えないから、人気漫画を実写化するという安易な考えとしか思えなかったです。 

原作者が一番大事にされなければならないはずなのに、原作者のみならず脚本家にものらりくらりとその場しのぎで交わし、撮影を進める為に嘘をついた事は、テレビ局の驕りとしか思えませんでした。 

契約書を作り、念入りな打合せや会議の上、原作者も脚本家もテレビ局も納得できるドラマ制作をしてほしいと思いました。 

 

 

・まあ、それらしい改善策が並んでいるが、TV局、出版社、脚本家の意識が変わらなければ、どれもこれも容易に形骸化しそうなもんなのでな。で、たぶんそのへんの人々の根本的な意識は変わらず、改善策は形だけみたいな状況が実際に起こるだろう。ただ、「契約書」とか「相談書」とか、文書の話が出てきてはいるから、作品を守りたい一次創作者はきっちりと文書を取り交わして自分を守るんだね。売れっ子で金があるんだったら、弁護士にチェックさせるのもいいかもしれない。 

 

 

・脚本家やスタッフが悪いとは言わない 

個々、自分の仕事をしたまでなのだろう 

私は趣味で漫画を描くんだが、ゼロから生み出すことのしんどさを未熟ながらも知ってるので、どうにも作家寄りにはなる 

だから、心を込めて苦労して生み出したキャラクター、物語をいじくり、それをビジネスにすることは本当にとてもデリケートで難しいことをしているんだという認識が業界で浸透してきているのかどうかが気になる 

 

物語ってのは 

生み出した人の感情がすごく乗ってると個人的に思うから、いちばん大事な部分変えられ辛い思いしてもビジネスだからと割り切れってほんと酷すぎると思う 

自分の心そのものを、他人が書き換えるような感覚なのではないか? 

 

 

・脚本をめぐり原作者が自死って前代未聞だ。 

ドラマは木南晴夏さんが好演していだだけに残念な結果になった。 

今回の事件を受けてどこのテレビ局も原作者とのかかわりで間に入る役職や部署をきちんと設定するようにしてほしい。 

芦原さんのご冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

・どうして、1番大事なエンディング部分に双方の認識の違いがあるのか。1番大事なところですよね。原作者からしたら、ラストなんて作品の大事な場所で、色々伝えたいことや終わりかた、そして伝えかたの考えがあったはず。ドラマで意向と違う趣旨のエンディングになったら、ドラマの視聴者らにはそれが1番最初に触れる「セクシー田中さん」のエンディングで、これが「本当の終わり方」になってしまう可能性があるではないか。で、実際違ってたんでしょ。脚本上では。それを、芦名先生が最初の約束に則って直したわけで。畑違いの作業を、自身でも心苦しく思いながらやっていたと思うんですよね。 

 

それを、安易に批判し責めた脚本家の方々がいるわけで。こういう状況を作り出して、許した制作側があるわけで。 

 

芦名先生だけがうかばれないよ、ほんと。日本テレビは企画したなら責任を持って、約束と原作、先生を守って欲しかった。 

 

日テレ許せない。 

 

 

・このような表現は酷かも知れませんが、残念ながらこれらの対策法では、あのような悲劇が再び起こり兼ねません。制作期間が倍以上の1、2年でも「齟齬」が生じていたと思います。 

今現在もアクマゲームの原作者が、ドラマ版の不自然なストーリーや設定に突っ込んでいます。こちらは飽く迄も原作者容認の上、今回の問題と内容を異にするものですが、個人的にはちっとも反省していないのだと思わざるを得ないです。 

一層1、2年は原作物を制作せず、その間に改めて原作物の取り扱いの方を煮詰めた方が良いのではとさえ思ってしまいます。 

 

 

・調査報告が出たのは良しとしても 

結果、作家の自ら命を断つほどならば 

やはりドラマ制作側に問題があったのでしょう。 

漫画家も画家も芸術家も音楽家もだけど 

作り出す人達にとって作品は唯一無二。 

有名画家の絵に誰かがこうした方が素敵でしょう?と筆を入れたら,もうそれは画家の作品と言えるだろうか? 

同じように、漫画家の作品をドラマ用として少しでも変えるならば、同意はしっかり取るべき事だと思う。 

中には気にしない!売れたら良いな、と思う漫画家もいるだろうし、芦原さんのように、忠実に,私の世界を壊さないで、と考える漫画家もいる。 

作品は作家の物、作家の気持ち、そこは絶対だと思う。 

そして,二度とこう言った事が起こらないようにして欲しい。 

 

 

・齟齬と言う体の良い言葉でごまかすと言うか、綺麗に納めようとしている感じがするのは私だけでしょうか? 

記者会見開いてもっと明確に表現して欲しいけど、そうすると脚本家なりプロデューサーなり攻撃する形になるから避けたんでしょうね。 

芦原先生のご冥福をお祈りします。 

脚本家さん、言葉で勝負する生活をしている以上言葉を大切にしてください。 

 

 

・やっぱり思う。 

被害者が、死んだらだめだよ、泣。 

 

一時はみんなの注目を集めて話題になるけど、風化してしまう。 

 

命を落とす時は何も考えられないのでしょうし、お辛かったでしょう。 

こうやって相手の気持ちも考えず、謙虚さゼロの脚本家だったり、視聴率さえ良ければ良いテレビ局だったり、 

原作者を、人の大事な心を置き去りにしてはいけないよ、本当に。 

 

 

・原作がある場合、脚本家は原作に忠実に再現して欲しいと思います。 

勝手に内容を変更するのは、原作者にもファンに対しても失礼だと思います。 

それが出来ないのなら、オリジナルの脚本で 

勝負すればよい話です。 

製作者側は、もっと自信と誇りを持ってドラマを作ってもらいたい! 

 

 

 

・齟齬があったことしか分からない。 

齟齬を起こしたのが誰かが重要です。 

 

原作者、出版社、プロデューサー、テレビ局、制作会社、脚本家と様々な立場、責任を持つ人たちが関与している。 

それぞれの責任を明確にし、誰が責任を果たさなかったかを明確にする必要があります。 

 

報告書に記された誰かが加害者として非難の的になるかもしれないが、唯一原作者の自殺について向き合うことであり、再発防止につながると思う。 

 

この調査結果では不十分です。 

これで調査を終えるのであれば、また似た様なトラブルが起きるだけだと思います。 

 

 

・この問題は昔からある。 

今回のドラマの原作者と脚本家だけでなく、映画化やアニメ化でも同じだし、原作者と原作者付きの出版社の担当者の間でさえ物語の展開で揉めたりもする。 

そんな揉めごとが逸話になって拡がったりして誰かしらが干されたり、原作者が出版社を変えたり、裁判沙汰になったといった話は枚挙に暇がない。 

ただ、今の時代、それでは済ませられないだろう。 

仲介を行う組織やコトが起きてしまった時に調査して対策を講じられるある程度強制力のある独立した第三者機関でも設けない限りテレビ局や出版社に未来はないと思うが如何? 

 

 

・契約書もなくビジネスを進めるというのがテレビ界では当たり前というのであれば、どれだけ社会常識が欠如した世界なのかよくわかる。もっともテレビ界に限った話しではないだろうが。 

日本の創作関係は契約書がないまま事態が進んでいるケースが多いように思う。つまり、漫画家と出版社との関係でもだ。 

あるいは契約書があっても、ろくに確認させずにサインさせるようなケースも多々見られると聞く。 

 

 

・改変自体が悪いとは言いません。しかし、改変が許される(受け入れられる)のは原作者の許可と原作の解釈に齟齬がない(原作愛がある)場合のみだと思います。 

 

また、原作者の許可も「改変OK」みたいな曖昧な口約束や覚書でなく、法的な拘束力を持つ詳細な条件を記した契約書を前提にするべきです。その際には原作者単身での契約書を無効とし、公益社団法人日本漫画家協会の様な団体あるいは著作権や映像化に際しての権利の専門の弁護士が仲介することを必須条件にするべきです。 

 

そうでなければ悲劇は繰り返します。 

 

 

・直接の原因は連載に加え脚本も書かざるを得なかったことで過重労働状態だったところへ脚本家が作者への不満をSNSで発信しそれが炎上したことに心が耐えられなかったことだと思う。 

だけど根底にあるのは単行本を売りたい小学館と良い原作がほしい日テレが映像化に乗り気でなかった原作者に半ばドラマ化を強要した、ってことがそもそも間違いだったのでは。どちらも安易で原作に対するリスペクトに欠けていた、それを本当にわかっているんだろうか。 

 

 

・脚本家と原作者のコミュニケーションがないのは問題じゃないのだろうか。 

本来、仕事をするうえで「どっちがえらい」ってのはないはずで、どちらかが一方的に仕事をないがしろにしなければ、こんなことは起きないはず。 

中には「改変されてでもドラマ化してもらいたい」という原作者もいるかもしれないし、今回のように「改変してもらいたくない」という原作者もいる。 

 

個人的にはテレビ局(映像制作側)のおごりが原因だと思う。 

何度か関わったことがあるけど、「やってあげてる感」とか「撮影なんだから多少の迷惑は黙って許せよ感」を感じることが多い。 

そして、なぜか若手にえらそう態度な人が多い。 

もちろん中にはすっごく良い人もいるんだけど、あまり多くない印象。 

入れ替わりが激しそうだから難しいのかもしれないけど、社員教育はもうちょっとやってもらいたいね。 

今どきあんなに非常識な人が多い業界はそうそうない。 

 

 

・小学館は原作者の味方ではなかった、ということかな。 

小学館と日テレの間に合った「齟齬」とは、小学館と日テレがなあなあな関係にあったんだろうね。 

要は、小学館は本気で日テレの改悪問題を解決する気はなかったし、日テレも原作者を小学館が丸め込んでくれると思っていたから、脚本家には何も伝えなかったんでしょ。 

小学館も日テレも、まさか「この程度のこと」で原作者が自死するとは想像もしていなった、というのが本音。 

勿論、原作をドラマ用に変えることを「この程度のこと」と考えているのも本音だろうね。 

 

 

・正直なところ、これだけ?って感じですね。 

時間を掛けて調査して、結果、齟齬があったと言われても。 

 

自ら命を絶つことになってしまった原作者はどれほどの苦痛だったでしょうか。 

自分の作品とその作品に関わる人やファンの方を大切にされて、それでいてドラマを楽しんでいただく為の努力も感じていました。 

メディア化するにあたって、優位性が原作者よりも制作側にあったと感じるし、原作者へのリスペクトが足りないんじゃないかと思うんです。 

そもそもそういう気持ちのない人が作るよりも作者と作品を理解して、作品の世界観を大切にすることが大前提だと思います。 

 

 

・原作者の方がなくなった件で言えば脚本家の言動のせい一択だと思うけど、その他の原因で齟齬やまとまりのない中でドラマ化を進めていったのはテレビ局と小学館のせいなのは最初からわかっていることで齟齬があることを今更出したところですでに承知の事実ですしね。 

どのようにして再発防止と今後ドラマ化に対してどういう姿勢で進むのかを話したほうが良かったのではないかなと思う。 

 

 

・原作が面白いと思ってドラマ化などすると思うのですが、既に原作が面白いと認知されてる時点で原作を超えるのは難しく、原作に忠実もしくは最大限にリスペクトした形の作品にしないと、原作者やファンは納得しないのでは?と思っています。 

原作人気あるからドラマ化したら視聴率稼げるだろうなどという安易な考え方で、原作リスペクトなど二の次なのではないかな…と勘ぐってしまいます。 

原作が面白くても、ドラマ化や映画化などで残念になった作品が他にもありますよね? 

作品を一から生み出す大変さは、テレビ局も知ってると思うんですけどね。 

自分の生み出し作品が意図しない方向に改変などされたら、ただただ虚しくなる気がします。 

 

 

 

・原作者が不満を感じるケースがあったという声も上がっており、無責任に言うのもどうかとは思うが原作者が生みの親であるという意識づけがなかなかできない業界だったのだろうと思う。もちろん実写化すれば顧客を拡大できるというメリットはある。だが、そもそもその原作者がいなければ実写化はできなかったわけで、なぜ実写化する側が強いのかが分からない。 

また、そもそもその作品に愛着がないのに、実写化しようという動きもあるのではないか。多少人気があるようだし先にうちでドラマ化しておこうとか、売り出したい俳優に合う作品だとこれかくらいでやっているのではないだろうか。だとしたら、原作者に敬意を払わないのは理解できる。 

最後に、この騒動からで申し訳ないが作品を読んでみた。面白い舞台ながらかなり繊細な心の描写もあり、登場人物がこれからどのような選択をするのかとても興味があった。残念である。 

 

 

・この会見声明はは日本テレビと芦原さんと十分な合意がなされていなかったが、日本テレビに落ち度は無いと言い切ったということです。 

やはり日本テレビが発注側としての驕りがあり、著作権などに対して軽く見ているということでしょう。 

これは日産自動車が公正取引委員から、強制的に下請け業者に値引き取引をさせたということで是正勧告をされたにもかかわらず、公正取引委員会の勧告を無視したと同じ事です。 

道理に反した行為が露見しても、居直っても何の社会的制裁を受けない日本の社会習慣に問題があるのは明らかです。 

 

 

・4ヶ月もかけた調査結果がこんな薄っぺらいものなのか。原作者側との齟齬が生じた原因が何であったか、それを公表しないのであれば日本テレビが調査したのかどうかも怪しい。 

自社の社員であるプロデューサーを守るために風化を待っただけに感じる。 

私が遺族であれば、自殺に追い込んだ原因が何であったか徹底的に調べる。小学館側からも調査をするべきだと思う。 

 

 

・初めからわかりきっていたけれど、日テレと、脚本家と製作チームと小学館の原作者軽視と、怠慢の何者でもなかったわけです。 

原作のコミックを読みしたが、セクシー田中さんは、とても重く、大切なテーマを、重くなりすぎないようコミカルさと優しい眼差しでバランスをとりながら、誰も傷つけられる人がいないよう細心の注意を払い描かれた作品に感じました。 

これは、確かに原作者以外の方が脚本を書き、勝手にオリジナルを加えられたら破綻してしまい、芦原先生が描きたかったこと、世に訴えたい事が全て台無しになってしまう危機感を感じるほどです。 

日テレ、脚本家、小学館が芦原先生を追い詰め、自分をこの世から消し去らせたのです。 

最低の企業と物書きもどきです。 

絶対に忘れないし、許せません 

 

 

・日本テレビだからこその解答。 

昔から続く読売新聞系列。 

その奢りは簡単に払拭はできない。 

日本テレビそして読売新聞、 

両者ともマスコミ最大手の奢りはどこかにある。 

これで本当に反省するかといえば、 

望みは薄い。 

政権与党に加担する体質同様、 

弱者や取引下請けに対しては強く出る。 

現在日本の現状を代表する大企業の性質が表出した結果と言わざるを得ない。 

 

 

・結果的に原作者の意向を取り入れたものが出来上がっただけで原作者が気を揉まずにそうはならなかった過程が問題 

作品の仕上がりではなく過程のドタバタがあったからこそ、脚本家が悪態ついてラストを書けなかった 

その過程に何があったのかをハッキリさせなければいけない 

 

 

・この記事だけだと不明ですが、プロデューサーや脚本家、編集者とのやり取りの詳細は明かされているのでしょうか。 

メールは残っているでしょうから、その一部を公表するだけでもこの事件の温度は伝わるかと思います。 

 

雑誌にメインキャストが登場していながら、芦原先生は俳優さんに会っていないとか、どこか原作者がないがしろにされていると感じることが多々あるので。 

 

 

・日テレの調査ですので、日テレの守備範囲でしか報告できないのでしょうが、原作者の意向が脚本家に伝わっていない(と仮定した場合)、その責を担うのは誰なのかが明確ではないように思います。引き金になったのは脚本家のSNSであることは想像に難くないのですが、脚本家に原作者の意向を伝えるのは依頼者のテレビ局でありチーフプロデューサーの仕事だと思うのですが、「齟齬」という言葉を便利に使いすぎのような気がします。 

 

 

・さて、小学館はどう出る。 

調査を進めているのではなかったのか? 

 

認識の齟齬があったのなら、小学館は原作者の意向を組んで日本テレビと向き合わなければならなかったはず。 

 

齟齬がずっと解消されなかったのは、日本テレビに強く言えない立場なのか、彼らも日本テレビ側だったのか、そもそも小学館と原作者の考えに齟齬があったのか。 

 

死去に際してのコメントにて「著作者人格権」を「当然守られてしかるべき」と表現していたが、それらは小学館が作家といっしょに守るものだろう。守らせるものだろう。「守られて」と他責な表現をしたこと自体が、コンテンツを扱う会社としての至らなさを表している。 

 

彼らも加害者であることは忘れない。 

 

 

・条件巡り齟齬というが、ドラマの内容自体は芦原さんの意向を取り入れたものであったとするなら途中で齟齬は解消されていなければ矛盾するのでは? 

 

あと一番の問題は制作陣の某氏がネットで盤外戦を仕掛けたこと。それとドラマ化に際しての契約が不明瞭…というか口約束やなし崩し的な業界の慣例も問題の根本だと思うのだが、長々と時間をかけた調査でこの内容。お気楽な企業だ。 

 

 

 

 
 

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