( 176636 )  2024/06/02 01:37:06  
00

・無駄に甘やかしてもダメ、無駄に厳しくしてもダメ、じゃあ適度って何?って毎日思いながら子育てしてます。 

同じ親から生まれていてもきょうだいは当然それぞれ個性があるし、親とて人間ですし疲れ果てる日も、体調が悪く心や時間に余裕がない日もあります。 

親の関わりの重要性なんて素人にも分かるし、その時その時にベストを尽くすだけ。 

子をダメにしたい親なんていない(と思いたい)けど、なかなか思い通りにはいかないものです。 

 

 

・親から叩かれたり説教されたりして育ちました。私はまだ30代ですが、両親は天国に早々に旅立ってしまいました。でも両親がとっても大好きでした。悪いことをしたら怒られる、時には叩かれる。楽しいときは家族一緒になって大笑いして過ごし、ちゃんと良いことをしたら褒めてくれました。子供の頃、このまま時間が止まらないかなと思うくらい楽しかった。私は叩かれたり、説教されたりして育ちましたが、精神的にはけっこうタフだと思います。周りがパワハラと騒ぐ上司相手にも全然怯まなかった。なぜなら怒った父のほうがもっと怖かったから…親から説教を一切経験していなかったら、社会にでてからも強く生きていけるのか…理不尽なことたくさんあるよ〜 

 

 

・もともと人類は生物学的には群れで教育してたんだよ。 

群れの中でルールを学んで社会性を覚えていた。 

それが核家族化とかが進んで個人の責任になっていったら、 

初めて親になった人はなかなか育て方にも迷いが生じやすい。 

もともとの習性と違った事をやっているんだからね。 

昭和の初めは近所のおばあちゃんとかまでが 

親が出かけている間は家に上がらせてくれて 

一緒にお菓子を食べながら遊んでくれていたという文化があったという。 

 

 

・3歳から4歳の敏感期が、人格形成において重要な時期なんだろうと個人的には考えている。同じく内容の説明を大人がして、子どもが理解できる時と、できない時のアンバランスな時期があるので、定着しきれない伸び代のある時期なのかなと思う。子どもによっても性格が違うから、外向的内向的繊細や大雑把な性格によって、シチュエーションや説明の方法もかえていかないと、子どもは理解した振りを学んでしまう。ただ、共通しているのは、諭されたことをアウトプットできるか。言語化させるための基礎が、上記の3歳から4歳時期かなと個人的には経験から思ってる。アウトプットできるようになれば、そんなことまで考えていたのかと驚かされることもある。子どもの可能性は無限大なんだろうな。あくまで個人の感想です。 

 

 

・子供が社会性を身につける為にも、親がその手本でなければいけない。 

 

地域のイベント、自治会、PTA、ママ友など、子供を取り巻く環境は学校以外にも多々存在する。 

 

例えば、子供が学校の宿題や、翌日の準備物を忘れた場合、親同士で、信頼できる他者が存在すれば聞くことができる。 

また地域との繋がりを持つことで、子供を気にかけてくれる大人の数が増える。 

 

結果として子供に対して、人は社会の一部であるという事。そして社会に馴染むことで得られるメリットと馴染まずに生きる事でのデメリットを伝える事ができる。 

 

子は親の鏡。 

親ができていなければ、子供ができる訳がない。 

 

最近は人との繋がりが薄く、また繋がりを持つのが難しい世の中になっているが、だからこそ、子供に望むだけでなく、まず親が示すためにも、親自身が正しい社会性を身に着けなければならないのだと思う。 

 

 

・アドラーの言う共同体感覚は解釈がなかなか難しい。ただ「嫌われる勇気」には哲人の「あなたは世界の中心ではない」という言葉が出てくる。自分を中心に考えれば自分の所属する家族とか会社とかが共同体としてイメージされるがアドラーは世界全体のあらゆるものを共同体と考えその片隅に自分がいると考えている。自分を存在せしめるすべてのものをリスペクトするという感覚なのかもしれない。「甘やかされた子」「憎まれた子」は自分を中心とする世界しか見ることができない。その意味で共同体感覚が欠けているということかもしれない。 

 

 

・ソーシャルディスタンスにマスク 

不要不急の外出を控え他人との接触を避け 

集団行動は控え行事は中止 

そんな子供達に「共同体感覚」は培われてるんだろうか? 

家でどう育てたかも大事だけど 

ここまで徹底的に外部との接触を遮断された子供達に共同体感覚を求めるのは違うと思う 

 

 

・こういうのほんと机上の理想論だと思う 

正直子供の特性というか性質にもよりますよ 

育てやすい子育てにくい子 

親だって1人の人なんだから迷い迷いやっていっていいと思う 

怒らず諭す、アンガーマネジメントというけれど腹立つもんは腹立つしやっちゃいけない事した時は諭すよりも声をあげて怒った方がいい時もあると思う 

というか諭してどうにかなってるならみんな既にやってるよ 

やり尽くした果ての果てにいて途方に暮れてんのよ 

育児中は人生に疲れてもう今死んじゃっても別にかまわないやと思いながら今を生きてる人もいるくらい過酷だと私は思う 

これを夫なり妻なりパートナーが一緒に考えて方針決めて協力して出来るならいいけど何故か片方だけの負担が重くなりがち 

そりゃ子供産みたくもなくなるわなと思っちゃう 

 

 

・若い頃の自分だったら、このような記事に共感したのですけれど。 

 

ブラック企業で働いた経験から、ろくでもない共同体がこの世界にたくさん存在することを知りました。 

 

共同体(ブラック企業)を維持することは、それより大きい共同体(社会)にとって悪いことだと考えています。 

が、現実はわりとそうではないようです。わりきって生きて行くしかないと思いますが。どうしたものでしょうかね。 

 

 

・諭して理解できる子なら始めから皆やってる。稀にそういう子もいるだろうが、大抵が個性全開だろう。 

 

うちは力でねじ伏せられて、1番ダメな父が1番偉いという家庭。母は顔色ばかり見ている。中学入って、ビートルズがいいと聞いて、英語で歌えるように練習していたらそんなのやっても無駄だと言われ、福山雅治のポスターを貼ればこんな男のどこがいーんだ?と言われ、失敗したときはとことん言われ詰めが甘いと言われる。捨てたくないと言っても、捨てろと言われ、捨ててから少し経つと、捨てろとは言ってない、早まったな!とおちょくった言い方をしてくる。 

株で失敗して、いつも母と喧嘩。まだ使えるゲーム機も投げて壊された。 

機嫌がいい時は気持ち悪いくらい優しいから、ちょっと気を許すと、また裏切られる。 

今流行りの毒親だったんだなーと思う。 

 

我が子にはそういう思いはさせたくないけど、知らぬ間に出ていそうで申し訳ない。 

 

 

 

・なぜ叱られるのかな、ってちゃんと解明して伝える方が良い。 

注意されてる理由がわからんって33歳の独身男性がいます、私はその男性に注意した人の気持ちを詳しく説明したら理解した。 

人間、大人になってもわからない人がいるもんだなぁとおもいました。 

ただ、その男性はあまり社会性がないです。正社員で働いたのもわずか一年にみたいで、たぶん発達かな?と。 

でも、きちんと伝えたら理解します。 

親御さんも大変だとおもいます。 

 

 

・罰を与えられたことも、叱られたことも、説教されたこともない人が、ペナルティがあったり叱られたり説教も多い(お客様に叱られることもあるし、理不尽な苦情対応しないといけないこともある).社会でやっていけるのだろうか。 

 

 

・>親の一番初めにする大きな仕事は、自分の子どもに「信頼できる他者がいる」という経験を与えることだ 

 

そりゃ、無理でしょう 

だって、親自身が信頼できる他者がいない状態なんだもの 

子連れで困っている時に、誰かに助けてもらって、親が泣いてしまうなんてことが、ザラにある現代ですよ 

親が孤独な状況で放置される限り、少子化は止まらない 

周囲の他人が、自然と手を差し伸べることができる環境を作ることが必要 

それが親の心の支えになる 

周囲の他人にも、手を差し伸べる余裕がないのが現実で、少子化の原因のひとつがそこにある 

優先レーンとか金のバラマキなどは、子育て支援じゃなくて、子育て優遇 

それでは、手を差し伸べる人が減る 

逆効果でしかない 

 

結局、すべての国民の心が豊かにならなければ無理なんです 

 

 

・>私は、相手に変化を促すときも、その子の児童期初期の状況を知ろうとし、「説明」や「説得」を用いる。 

 

記事では体罰や説教がいけないと言ってるだけで放置するとは言ってない。説教と説明,説得の何が違うのか?説教は上から一方的で出来事の解決策を示す物ではなく相手への攻撃が主になる気がする。説明,説得は子供の意見を聞き具体的に解決策を提示する。相手の行動に注目した物で相手のパーソナリティを傷付けない。 

学生時代の先生で話をちゃんと聞いてくれる先生のクラスは穏やかで卒業後もクラス会が続いたが、上から一方的に説教する先生は生徒の話も聞かないで怒りまくる。最初は大人しくしてたが最後は学級崩壊みたいになった。 

 

 

・社会の一員であるから、他者とは良い関係を築かないといけないというのが根底にあるように思います。 

そして、自分が認められて自由に意見できる状況を子供の時に経験できたことが、他者を受け入れることにつながると、そんな事を言いたい記事じゃないでしょうか。 

 

 

・子供は叩かないと駄目なんだよ。 

ガキに理屈は通用しない。 

子供はいいか悪いかじゃなくて、 

自分が面白いかどうか。楽しいかどうかだから。 

勿論中には叩く必要がない子もいる。 

しかし、大抵の子供は悪い事をしたら、 

叩いて、本気で怒って、怯えさせる。 

これこそが親の役目で、最も重要だと思う。 

 

 

・親のアレコレを思い出すと複雑な気持ちになりますが。 

双生児研究によれば、親の影響って20%くらいらしいですよ。 

100%遺伝子が同じ一卵性双子は、全然違う家庭で別々に育てられても、同じ髪型の同じ職業で同型のメガネをかけた中年になってたみたいなことは、まあまああるっぽいです。 

だから、「憎まれて育つと、仲間がいることを知らない。」って言うのも話半分くらいですよね。 

別に信頼関係を築く相手は、親じゃなくて、友人とでも、先輩や後輩、弟子や子供とでもいいわけで。ある程度以上、自身の遺伝子的能力によると思います。 

もちろん、子育て方法がおかしい両親の子供は、そういう遺伝子を受け継いでいるから、やっぱりちょっとおかしいかもしれませんが。 

 

 

・これ加減が本当に難しいと思う。 

褒めて育てるのを目的とすると、子供は承認欲求が強くなる上に、親は自分を叱らないと思えば表面だけ良く見せるようになり、親の前や教師の前では問題がなくても、いざ友達の輪の中や社会に出た時には問題を抱える事が多いと思う。 

 

なぜダメなのか、どうしてそれをしたらいけないのかを説明できる親がいいのだろうけれど、子供の特性の中には「反発心」という気持ちも健全な子ほどあって当然だしねえ。 

 

「親は嫌われるのが怖い」という気持ちで友達感覚で接してても、大人になってから苦労するのは目に見えてるし。。。 

 

「褒める」「怒る」「伝える」上手く効果的に発揮できる親なんてそういないかも。 

 

親なんて見守ることしか出来ないと思うようになった。 

案外と親は無力である。。。 

 

 

・アドラーに大変共感を覚えました。 

私の両親は厳しく体罰も凄かったです。 

その為か私は被害者意識が強く協調性がありません。人を信用する事も出来ません。 

自己肯定感も低いです。 

今、ある依存症に罹患し大変苦しんでいます。 

 

 

・昨日読んだ記事、 

光上せあらさんが、子どもは大らかに育てたい、と、 

公園の水道で水遊びするのを良しとする、 

これへの賛否がありました。 

私は、否なんですよね。 

子育ては大らかに、これは同意できます。 

でも、公共の場所で、公園の水道は遊具ではないし、 

そこをビシャビシャにしてしまっては 

他の人が使いにくくなります。 

この方は、自分は気にしない、と言っていますが、 

多様性がないんですよね。 

気にする人もいるし気にしない人もいる、 

ならば、気にする人も気持ち良く使えるのが 

配慮というもの。 

大らかさも、自分の子どもに対してだけではなく、 

違う価値観の人に対しても向けているか? 

つまり、気にしない自分だけでなく、 

気にする人の事も念頭に置くのも 

これまた一つの、大らかさだと思います。 

 

大らかに育てたい、でも他人の事は考える、 

そんな子育てが理想だと思います。 

 

 

 

・いかなる時でも体罰はいけない。 

それは分かるんだけどヨソの子供をからかうなど。 

そういう事をしてはいけないといくら口で説明をしてもしてもしても、 

分からなくて(分かろうとしなくて)、 

いい加減にしろと手を挙げた事がある。 

その後、人をからかったり、イジメをするような事は無くなったけど、 

口先だけであの子がイジメをやめれたとは正直おもえない。 

子供は可愛い、けど、時に残酷なのも本当。 

理想は体罰をしない事だけど、 

いくら口で説明をしてもしてもしても、 

真剣になれない子がいるのも本当。 

いかなる時でも体罰はいけないと言うのであれば、 

刑務所だって必要ないのでは? 

とか言うと屁理屈言うなってなるのかしら。 

 

なんだかなーだわ。 

 

 

・長々と書いているけど 

『社会の一員であるように育てる』 

本当にこれが大事である気がする。 

 

いずれ社会で働けるように育てる 

これをどんなに意識していたって 

外での様子をずっと見ていられない。 

人との接し方だってずっと見ていられない。 

 

口でいろいろ言ったって、聞いてない 

結局は自分が示すしかないんだよなぁって…… 

 

思いやりってどうしたら身につくの? 

この子は社会で働ける?親がこんなに未熟なのに…… 

 

たくさんたくさん悩みつつ手探りしつつ 

気付いたら終わってました。 

 

 

・望まれない生まれで父親から虐待され、4歳で母子家庭になり貧困で放置状態、学校に入ってもいじめや差別。 

共同体感覚を持たないまま育ったけど、いい人のふりをして周りを観察して合わせて過剰適応してきて壊れてPTSDと鬱に。 

音楽演奏や芝居で、一時的にだけ共同体感覚らしきものを感じたことはある。 

 

 

・子供を育てるのに叱らない、放置状態をたまに見かける 

イタズラをしても、何を言っても親は何も言わないし、子供に言い負かさせてるように黙るヤツまでいる 

それで子供が理解できるのだろうか 

かと思えばキチンと子供に言い聞かせたり、ヤラカシたら何をしたかを話してる親もいるが、やはりしっかりした子供になってることが多い 

以前のユトリ世代が親の世代なんだろうが、結果がでたと思うよ、ユトリの 

ただ、他人にどのようにガツンとイワれるのか、頭を打った時の相手が親ならまだ愛情もあるやろうが、他人はそこまで優しくないよ 

 

 

・育て方って括りだと ASD気質を持つ子の親に気の毒。 

育て方云々より、ASDの子は悪気なく他人の気持ちに寄り添うことが難しいし、雰囲気で状況を察することも難しい。興味があるのは「人」より「物」。 

 

他人には「共同体感覚」とやらは育ってない子のように映ってしまうよ。 

 

 

・本当は親も子も失敗を繰り返し成長してこそ人生の厚みになると思う 

現実は成功の厚みのみ重視される 

子育てしてみて失敗をすごく恐れてしまう 

産まれた時から始まり段階的に優劣が決まって行くと感じるのは親だけじゃないはず 

 

 

・本当 つらいぜちくしょう。 

このちくしょうをまた子供が言葉としてつかってしまう、、、 

今7歳の息子の幼少期に私が病んでいたのもあるし、私が自分の幼少期にあまりにも我慢させられて愛情不足で育ったのもあるしで 

息子を適切に叱ったり我慢させたりができなかったでした、、 

彼が欲しいものを与えた結果 我慢できない子になってしまった、、、 

そして余りに余る不安の中で育てたので 

発達障害っぽい感じに、、、 もともとそうだったんじゃないの?といわれそうだけど 

多分違うんだ  もっと適切に 今ここにいる人が穏やかの中で育てたら息子はこうなってないと思っていて 

もうこう言う思考がそもそもあれなんでしょうね  とほほ 挽回がんばりますつらいけど 

間に合うんだろうか 

 

 

・甘やかしても厳しくしても、どうしても自己中な我が子。どうしたら良いのか色々試したけど効かず、他の兄弟と全く性格が違う。ある程度生まれつきの性格もあるのでは。そうとでも思わないと、自分は何てダメ親なんだと落ち込んで出口が見えない泣。どうしたらいいのかな 

 

 

・甘やかしと過干渉は違っていて、しっかり親に甘えられることは、自分の存在への信頼感からの他者への優しさが生まれると思います。 

 

 

・今子供を育てるのは大変だ。えらそーなさまざまが上からいろいろ圧をかけて 

 

あー!!うっとおしい。とババは思ったりする。 

 

親は子供を可愛がるし、保育園や幼稚園や学校は他者の中で生きることに慣れてゆく。それだけでいいじゃん。で、ババはときどき孫をベタ可愛がる。 

 

親に圧をかけ、学校を悪と言う、専門家とマスコミがほんとうにうざい。 

 

 

 

・一人っ子を育てています。 

ダメなことはダメと教えていますが、甘やかしてる面もあるかと思います。 

かと言って厳しく育てるとよくない、などとも言われていますよね? 

子育てを相談できる人もいないので滅入ることもあります… 

 

 

・私の周りは自己中心的な人の方が得をしています。 

結局、人のために行動しなさいとか人に優しくしなさいとかは誰かの都合のいい人間になってしまうだけなのであまりおすすめできない。 

 

 

・親以外の大人と接する機会が減ったよね。祖父母すら別居だし。そう言うのもあると思うよ。しっかり外でも叱られてきた方がいい。 

 

 

・○○してはいけない。 

で終わる話は好きではない。 

こうすればいい。まで書いてほしい。 

 

でもまぁ書かれていて、その通りにしても 

みな同じにはいかないでしょう。 

 

私はそれでいいと思う。 

 

十人十色。 

それでいい。 

 

自己中心的な子がいても他にいいところは絶対あるから、要は全てバランス。 

 

 

・興味深かったのですが、甘やかされたの定義は何なんでしょう? 

具体的にどのように育ったら、の前提が欲しいですね。 

 

 

・三人子育てしたけど、こんな奇麗事でどうこうできるほど「個人差」は甘くないってことは分かった 

 

 

・でも自己中心的とは言いすぎだけど自分軸で自分を大事に生きろの時代ですよね 

他人のためにという時代じゃなくなった感じ 

バランス難しい 

 

 

・アドラーとか言う人にイチイチ言われなくたって、うちの父ちゃん母ちゃんの子育ては立派だったぜ。 

 

 

・人の話を聞けない子供に諭して教えることが出来るのか? 

時と場合のゲンコツは容認されていいと思うけど。だめなんですかね。 

 

 

・この空気感、子育てが楽しく感じられなくなるわけだ。 

 

 

 

・>社会に出ると役に立たなくなる人がいる。 

 

イヤな言い方する奴だな。 

 

 

・「机上の空論」って言葉がぴったりだ。 

 

 

・なんか、アメリカインディアンの教え11か条に似てるね。 

 

 

・役人とか官僚とか? 

 

 

・「個人の意思は尊重しよう」 と、やいのやいの盛り上がっているクセに 

好みでないものは攻撃しまくり 

 

なーにが「個人の意思は尊重」しようだ? 笑わせるなよ 

 

あぁ 甘やかされて育った大人の所業か 

 

 

 

 
 

IMAGE