( 176755 )  2024/06/02 16:08:00  
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一般ドライバーの車両に取り付けられた「ライドシェア」の表示(東京都江戸川区/写真:共同通信社) 

 

 今年4月に一部解禁された白ナンバー車による旅客輸送「日本版ライドシェア」。現時点では事業ホストはタクシー会社のみ、運用できる時間帯も限られるなど自由度が低く、タクシー不足の補完策という程度の意味合いしか持たないが、旅客輸送は第二種免許必須という“岩盤規制”に風穴をあけた意義は小さくない。政府は全面解禁の方向性に関する結論を先送りしたが、果たして日本にライドシェアは根付くのか──。自動車ジャーナリストの井元康一郎氏がレポートする。(JBpress編集部) 

 

【図表】日本版ライドシェアの導入を認める4区域の概要 

 

■ 一部解禁後もなぜライドシェアの動きは低調なのか 

 

 2024年4月8日に始まった日本版ライドシェア。第二種普通免許を持つプロドライバーが営業用車両で旅客を運ぶタクシーと異なり、第一種普通免許ドライバーが白ナンバーのクルマで旅客を運び、対価を得る。従来は「白タク行為」として禁じられていたが、部分的とはいえそれが認められたのだ。 

 

 この歴史的解禁から2カ月が経った今日、ライドシェアはほとんど話題になっていない。国土交通省によれば、解禁から5月5日までの28日間で稼働したライドシェア車は延べ2283台。1日当たりに直すと81.5台に過ぎない。こんなに少なければ、ライドシェア車の利用体験がごく限られたものになるのは自明の理だ。 

 

 稼働が少ない最大の理由は、日本版ライドシェアが実質タクシー業界の管理下に置かれていることだろう。国土交通省自体、ライドシェアがタクシー不足を補完するものと位置付けており、制度設計はライドシェアの本来の定義からはほど遠いものだ。 

 

 参入事業者として認められるのはタクシー会社に限られており、ライドシェアのドライバーになりたい人はタクシー会社と雇用契約を結んで講習や管理を受ける。 

 

 一方、ライドシェア車を利用できるのはアプリ配車のみで、タクシーのように道端で手を上げて利用する“流し営業”は認められない。事前に出発地と到着地が固定され、料金は事前確定。その料金水準はタクシーと同一だ。 

 

 運行地域や時間帯も厳しい制約を受ける。解禁エリアは東京23区+武蔵野市+三鷹市、神奈川、名古屋市、京都市など大都市が中心。運行時間も深夜早朝が主だ。東京や京都では辛うじて毎日運行が可能だが、多くは週末のみに限られる。 

 

 供給不足で利益を上げる機会は逸したくないが、既存会社の既得権益はビタ一文渡したくはないというタクシー業界の意向は心情的には理解できるが、ライドシェアを完全に下に見ているという点ではいささか傲慢に過ぎる。 

 

 

■ ライドシェアの本場アメリカでは「重大事案」も発生 

 

 日本ではライドシェア解禁が議論されるたびに競合するタクシー業界が徹底抗戦してきたという歴史がある。 

 

 「ライドシェア解禁を社会改革のひとつに位置付けるデジタル庁と、タクシー業界側の理論で動く国交省のすり合わせは本当に難しかったはず。 

 

 有償旅客運送にまつわる“岩盤規制”に風穴をあけるには、中身がどんなに粗末なものになってもいいから、とにかく一種免(普通自動車第一種免許。自家用車用)のドライバーが有償でお客さまを運べる特例ではない正式な制度を発足させることを最優先させるべきと考えたのでしょう。 

 

 もっともライドシェア拡大という話になればタクシー業界が再び抵抗するでしょうから、難しい状況は変わらないと思いますが……」(個人タクシー事業主) 

 

 実際、1日当たりの平均稼働数が全国で81.5台というのは深刻化するタクシー不足を補うのには全く貢献しないレベルだ。が、それでも一種免のドライバーが自家用車で有償輸送を行うことができるようになったというのは、一歩前進と言えよう。 

 

 この日本版ライドシェアが将来、日本のユーザーがメリットを得られるような形に進化していく可能性はあるのだろうか。法人タクシーの業界団体である「全国ハイヤー・タクシー連合会」のライドシェア全面解禁へのスタンスは、依然として“断固阻止”だ。 

 

 これは半分は業界のエゴだが、正当性も半分くらいある。世界最大のライドシェアプラットフォーマーはアメリカの「Uber(ウーバー)」だが、利便性の高さ、多様なニーズへの適応ぶりは確かに目を見張るものがある。 

 

 アメリカの空港に降り立つと、大体タクシーのカウンターの近くにあるウーバーの無人カウンターが目に飛び込んでくる。高級車、大衆車、エコカー、乗り合いなど多様なクラスがあり、カウンターのPOPには概算料金が記されている。高級クラスの料金はタクシーよりずっと高く、乗り合いは時間がかかる代わりに極めて安い。アプリで予約をすれば簡単に利用できる。 

 

 一方で、強盗や性的暴行、殺人、重大事故などの事案も少なからず発生している。アメリカでもドライバーがライドシェアに登録する際は身元調査が行われることになってはいるが、公共交通機関であるタクシーと比較すると甚だ不徹底という点も事あるごとに指摘されている。 

 

 また、商業ドライバーでないため運転のスキルはバラバラで、クオリティーも安定しているとは言い難い。利便性の高さから当たり前のように使われているが、トラブルは決して少なくはないのだ。 

 

 

■ 通院や買い物で街に出るだけでも高額なタクシー代がかかる地方部 

 

 日本ではドライバーの身辺調査はアメリカよりは格段に厳密になされるので、犯罪についてはそれほど神経質にならなくても大丈夫だろう。しかし、クオリティーの面ではライドシェアがタクシーに置き換わるポジションを得るのは容易ではないだろう。 

 

 筆者は体験として二種免のレッスンを受けたことがあるが、路肩へのスムーズな停車、法令上駐停車が可能かどうかの瞬時の判断、狭い路地での運転技術を見るための鋭角クランク等々、言うは易し行うは難しのオンパレード。 

 

 ちなみにバスの二種免に至ってはさらに難しく、お客さまが降りやすいよう縁石ギリギリに寄せて停まるのに失敗して発泡スチロール製の縁石を何度も踏み潰したりした。クルマを普通に走らせることができれば不特定多数の人を乗せてもいいというものではないということを痛感した次第だった。 

 

 日本版ライドシェアのドライバーの資格は一種免取得後1年以上という一点のみ。ライドシェアを副業にしようというくらいだから、実際には運転が好きで、腕にある程度覚えもあるという人が多数派だろう。だが、前述のように旅客を有償で運ぶクオリティーを維持できるかどうかは未知数。安全・安心という日本のブランドを維持するには、諸外国のライドシェアにはない何らかの策を講じる必要がありそうだ。 

 

 だが、問題があるからといって、ライドシェアの拡大を忌避するのが正しい選択ということにはならない。大都市圏ではタクシー不足の解決策として、地方部では公共交通機関崩壊の代替手段として、普及させる意味は大いにある。 

 

 特に普及が望まれるのは地方部だ。すでに特例措置として非政府組織や自治体を母体とした一種免による有償旅客輸送が行われているが、交通手段のない人口希薄地帯限定。地方の交通難民問題は実は交通手段のない過疎地ばかりでなく、比較的利便性が高いとされる中核都市にも広がっている。 

 

 財政赤字縮小策としてバスが次々に減便・廃止され、ライドシェアも認められていないという現状では、高齢者をはじめ自分でクルマを運転することができない人はタクシーに頼らざるを得ない。 

 

 だが、地方は都市部に比べて移動距離が長く、タクシー代が高額になりやすいという問題がある。通院や買い物などでちょっと街に出るだけでもタクシー代が往復5000円、1万円となることも珍しくない。いくら必要性が高いからといって、自分の収入よりも高額な交通費を払うことなどできない。 

 

 

■ 「交通移動権」を保障するためにも前向きな議論が必要 

 

 そんな状況をどう打開しているのか。実は地方ではタクシーの“実質値引き”が横行している。 

 

 お得意様を作り、メーターを途中で止める、待機時間も支払いモードにしてメーターが上がらないようにする等々、便宜を図っているのだ。交通の流れが良い地方道では、距離の割に旅行時間が短くて済むため、規定の料金をもらわなくても何とか採算が取れる。ドライバーはもちろん苦しいが、ない袖を振れないユーザーが利用を控えるよりはマシというわけだ。 

 

 そんな地方部こそライドシェアを積極的に拡充させていくべきだろう。クルマが必需品であることから、多くの人がクルマを保有している。どのみち保有コストがかかるのであれば、それを活用して、いくばくかの収入を得たいという人も少なからずいるだろう。 

 

 自前で車両を用意するタクシーのように事業のイニシャルコストが丸々かかってくるわけではないので、料金水準をタクシーより大幅に安くしても採算は十分に合う。利用者とサービス提供者はWin-Winの関係でいられる。 

 

 ライドシェアに利用が集中すると、タクシー事業者の商売は上がったりだが、収入を得る道はある。ライドシェア登録希望者の身辺調査、健康チェック、運行管理、講習・教育など、クオリティーを担保するためのサブプラットフォーマーへの転換を図るのだ。 

 

 こう言うと、バカにするなと怒る事業者も少なからずいることと思う。だが、考えてほしい。現在の地方部の法人タクシーは薄給激務で働くプロドライバーの“厚意”にほぼ頼り切っている状況だ。 

 

 「労働条件が悪過ぎるため、タクシードライバーの不足はひどくなる一方。若者はまずやらないし、燃え尽きて引退していく人も多い」(島根県のタクシー運転者) 

 

 政府の地方創生のかけ声もむなしく、従来のシステムでは社会を回せない自治体が続出していることを考えると、タクシー会社も余力のあるうちに事業形態の転換を図った方が将来展望を描ける。 

 

 このように、ドライバーの平均収入が比較的高く、純粋にタクシー不足が問題となっている大都市圏と、インフラを保つことが難しくなりつつある地方部では、ライドシェア導入に関する論点が異なる。 

 

 ライドシェア全面解禁に関しては、これからも法整備の検討も含め、いろいろな課題が浮き彫りになることだろう。だが、課題というものはとにかくやらなければ見えてこないものだ。安全・安心が制度設計のベースであることは言うまでもないが、過剰な“安全運転”では時を失うばかり。 

 

 まずやってみてダメなところをつぶしていくというやり方は日本社会が苦手とするところだが、人口減少時代に基本的人権の中核のひとつである交通移動権を保障するためにも、前向きな議論が大いに盛り上がることを期待したい。 

 

井元 康一郎 

 

 

 
 

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