( 176797 ) 2024/06/02 17:02:20 2 00 安楽死の前夜に母が見せた悔し涙…「心が張り裂ける思い」取材Dが見つめた最期の日に向き合う家族の姿マイナビニュース 6/2(日) 6:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ae89ec1222b2d4ab41b2359ecd378c92cb20912c |
( 176800 ) 2024/06/02 17:02:20 0 00 最期の瞬間を迎えようとするマユミさん(手前)と夫・マコトさん (C)フジテレビ
フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)では、スイスでの安楽死を決断した母親とその家族に密着した『私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録~』を、きょう2日に放送する。
【写真】最期の地へ旅立つ母と空港で抱き合う娘たち
取材したのは、フジテレビ入社8年目の山本将寛ディレクター。日本では認められていない制度で、議論すらタブー視される風潮にある“安楽死”というテーマに果敢に挑み、昨年制作した『最期を選ぶ ~安楽死のない国で 私たちは~』は国内外のメディアコンクールで受賞するなど、高い評価を得た。
今回のドキュメンタリーで取材したのは、安楽死を切望する一人の女性と、向き合う家族。極めてセンシティブなテーマだが、どのように撮影を進めたのか。そして、最期の日に向かっていく家族の姿をどのように見つめていたのか。話を聞いた――。
■苦しんできた母の決断を、家族は戸惑いながら受け入れた
夫と2人の娘と暮らしていたマユミさん(44)は3年前、子宮頸がんが見つかった。抗がん剤治療などを尽くしてきたものの、がんは再発を繰り返し、脳など全身に転移。耐えがたい苦痛の中で、彼女は日本では合法化されていない“安楽死”をスイスで実行するという選択肢を考えた。スイスでは“安楽死”は合法で、外国人にも許されている。苦しんできた母の決断に対し、家族は戸惑いながらも受け入れた。
最期の日を前に、夫婦水入らずのスイス観光を楽しみ、翌日、いよいよその時がきた。ベッドの横には夫、そして、スマホにはテレビ電話でつないだ娘たちの顔も。番組では、その看取りの場面や、その後の家族の姿も追っている。
■一度断った取材を受ける「安楽死について知ってもらえる機会に」
山本Dがマユミさんと最初にコンタクトを取ったのは、約1年前のこと。マユミさんがSNSに、スイスでの安楽死について投稿したのを見て取材の依頼をしたが、当時は「家族に迷惑をかけたくないので、受けられないです」と丁重に断られた。
やり取りは一旦終わったが、昨年10月半ば、マユミさんから山本Dに連絡が。それは、翌月にスイスで最期を迎えると決めたことを伝えるのと同時に、「取材を受けます」という内容だった。話を聞くと、今の日本の安楽死に関する制度について思うところがあることから、番組に協力したいという気持ちになったという。
実はこの直前、山本Dが制作したドキュメンタリー『最期を選ぶ ~安楽死のない国で 私たちは~』が放送されていた。その番組を見たというマユミさんは「自分は当事者なので、目を向けられないところもあったんですけど、こういう形で取り上げてもらって、安楽死について知ってもらえる機会が増えたのは良かった」と感想を話していたのだそう。このテーマに対して、山本Dが真摯(しんし)に取り組む姿勢が、彼女の心を動かしたのかもしれない。
今回、スイスでの撮影に入るまでの間、マユミさんががんという病気に打ち勝つためにたくさんの努力をしてきたことは、本人や家族の話、そして実際に接した人柄からも十分に感じたという。
「進行が速いがんだったので、どんどん転移してしまうのですが、それでも何とか治そうといろんな治療を試してきたんです。病院を変えてみたり、最新の医療でどんなことができるのかを調べたり、バリバリのキャリアウーマンとして仕事をしていた時のように、夜な夜なずっと調べていたと、夫のマコトさんも話していました。だからもちろん、最初から安楽死という方向に向かっていったわけではない。どんどん体が蝕まれ、痛みもひどくなっていく中で、娘たちのためにもという思いで、とにかく生きる努力をものすごくしていたんです」(山本D、以下同)
末期がんにおいては、痛みを和らげる緩和ケアという方法もあるが、「もちろん、それは選択肢の一つとしてあったといいます。でも、マユミさんの場合は頭皮がんがすごいスピードで大きくなっていて、自分の脳の中も同じようにがん細胞でパンパンになってしまうのを考えたらキツいなと話していたんです。脳に転移してから急に目が見えなくなってきたり、体の支障も感じていて、今の形ではなく命を延ばす緩和治療を、自分がしたいとは思えないと言っていました」とのことだ。
■仲の良い家族だからこそ「理解」
マユミさんは、山本Dに連絡を取った際、11月に安楽死をするという決断をまだ家族には伝えておらず、最初に実際に会うまでの間に、初めて向き合って話をしていた。
当時、高校3年生の長女(18)と小学6年生の次女(12)は、受験を控えていたこともあり、マユミさんも伝え方に苦悩。特に次女については、直接の会話だけでなく、直前までLINEで「ままは安楽死したいの?」(※原文ママ)と問いかけられ、それに答えるという形で理解を求めた。
夫と娘たちは、この選択に「納得」とまではいかないものの、最終的に「理解」「尊重」することになったが、山本Dのそれまでの取材経験では、家族全員が一定の理解を示すというのは、とても珍しいという。この一家がそれをできたのは、マユミさんの人柄が大きいと考えている。
「本当に友達のようにすごく仲の良い家族なんです。親としての責任をきちんと果たしつつ、同じ目線で話している印象があって、その表れとしてあだ名で呼び合うのが印象的でした。だからこそ、こういう形になったのではないかと思います」
何の罪もない仲むつまじい家族に、なぜこのような試練を与えるのか――そんな思いにさせられるシーンの一つが、最期の地であるスイスへ旅立つ母と娘たちの空港での別れだ。
姉妹は、悲しく暗い別れにせず、明るく送り出そう決めており、その手を離すまで気丈に振る舞っていたが、やはり実際に別れた後、涙をこらえきれなかった姿をカメラが捉えている。それでも、保安検査場を通って再び姿を見せた時には、泣き顔を見せなかったという。
「お母さんがいろいろ悩んで下した決断に対して、ある種の敬意を持って自分たちも接しようと決めていたんだと思います。だから、実際には心の中で、ものすごい葛藤があったと思いますし、受け止めきれていないところもあると想像しますが、それをお母さんに見せないという思いが、彼女たちを強くさせていた気がします」
■「娘たち返すことができないことが残念で悔しい」
愛する娘たちと別れ、夫と共にスイスへ降り立ったマユミさん。自分の意見をしっかりと持ち、今回の大きな決断をしてから家族の前でも弱音を吐かなかった彼女に、山本Dは“強い女性”という印象を抱いていた。しかし、最期の日の前夜に本音を打ち明けられた時が、今回の取材で最もつらかったと振り返る。
「娘さんたちへの思いを聞いていると、“娘たちは自分に対していろんなことを考えながら言葉をかけてくれて、それがすごく支えになってうれしかったんだけれども、自分は亡くなってしまうから、それを彼女たちに返すことができないことが残念で悔しい”と、涙を流したんです。ご家族からもマユミさんは全然泣かないと聞いていて、僕もそういう姿を見たことがなかったので、やっぱり家族ともっと一緒にいたい、娘さんたちにできることをもっとしてあげたいという思いが強くあるんだとすごく感じて、その時は本当に心が張り裂けるような思いで聞きました」
その翌日、マユミさんは自らの手で致死薬の入った点滴のバルブを開けた。愛する家族に見守られながら、穏やかに目を閉じ、最期の時を迎えることになる。
●山本将寛 1993年生まれ、埼玉県出身。上智大学卒業後、2017年フジテレビジョンに入社し、ディレクターとして『直撃LIVE グッディ!』『バイキング』『めざましテレビ』『Mr.サンデー』を担当。「FNSドキュメンタリー大賞」で『禍のなかのエール~先生たちの緊急事態宣言~』(20年)、『最期を選ぶ ~安楽死のない国で 私たちは~』(23年)を制作し、『最期を選ぶ』では、「FNSドキュメンタリー大賞」で優秀賞、フランス・パリで開催された日本ドキュメンタリー映像祭「Un petit air du Japon2024」でエクランドール賞(最優秀賞)、国際メディアコンクール「ニューヨーク・フェスティバル2024」でドキュメンタリー・Human Rights(人権)部門の銅賞を受賞した。また、『エモろん ~この論文、エモくない!?~』『オケカゼ~桶屋が儲かったのはその風が吹いたからだ~』といったバラエティ番組も手がける。
悩んでいる方の相談窓口があります。下記の公式サイトをご覧ください。
・電話:よりそいホットライン
・SNS:生きづらびっと
・いのちと暮らしの相談ナビ(相談窓口検索サイト)
中島優
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( 176801 ) 2024/06/02 17:02:20 0 00 ・胸が苦しくなるお話ですが、もし、自分が同じ立場だったらと考えるとやはり楽な方を選ぶと思います。自分の最期は自分で選びたい。主人も38歳で大腸癌が見つかり手術した後に肺転移し、セカンド、サードオピニオンを受け、少し階段を昇り降りしただけで呼吸が苦しくなり、緩和ケアにスィッチしました。きっと死期は早まったかも知れませんが、全く苦しまずに眠って42歳で亡くなりました。全員小学生だった4人の子達も私も最期を看取るまでに心の準備もできました。日本でも、もう一歩前進して自分の人生の最期を自分で決められたら良いと切に願います。それには、そのケースによってたくさんの事例があるので、全て同じではありません。そういった相談ができるような機関が必要になるでしょう。
・闘病の末に命が尽きることが決まっている時、どの時点で死にたいのか選択ができるのは良いことだと思う。 特に癌は部位によっては見た目が大きく変わってしまう。 葬儀の時にその姿を見られたくないという思いもあるだろう。 ただ、この記事の中の娘さん達の思いを考えると辛いですね。 特に次女さんはまだ12歳。 女の子として成長するにあたって、まだまだお母さんの支えが必要な年齢。 ご家族もよく頑張られたと思う。 その中でお母さんの選択を尊重し、送り出したことは今後のご家族にとっても「あれでよかったんだ」と心を納得させる大きな材料となることを願います。
・私もがん闘病中だから、この記事を読んだだけでも辛くなる。確かに安楽死は十分に議論されるべき問題だと思うけど、こんな悲しい別れがあること自体が辛すぎる。お嬢さんたちがもう母親に会えないってわかって空港から送り出さなきゃいけないなんて、どれだけ辛かっただろうと思うとやりきれない。80過ぎている家族を見送るのだって辛いのに、40代で見送らなきゃいけないのは辛すぎる。早くがんが治る病気になってほしい。
・癌治療は切ったり、放射線治療、抗がん剤がメインですが、ど周辺の正常細胞も同時に死滅させたり、吐き気、食欲減退、髪の毛が抜けるなどれも副作用を伴います。それにより体力が減衰し、それが免疫機能を低下させて処置後に残存したがんにとってさらに都合のよい状況になり、再発などのリスクに繋がることもあります。
がん治療の今後はバイオ医薬とCAR-T細胞両方がメインになるでしょう。これらは、患者身体への負担が少なく、がんを効果的に撃退できる期待があります。それらのバイオ医療のさらなる進化と実用化によって、がんが不治の病でなくすことを切に願います。
・安楽死は日本では現状選択できないということから、緩和ケアの重要性を日ごろ感じていました。自分はまだ幸い何も見つかってはいないけれど、痛みに弱く、痛みを想像するだけでも恐怖を感じています。毎日強い痛みに襲われなすすべもなければ絶望すると思います。緩和ケアについてもっと自分も学ぶ必要があるし、適切な緩和ケアが浸透する必要性も感じました。薬で痛みを抑えられるならまだ良いのかもしれないけれど、抑えられないのなら、、と考えると安楽死が選択肢に入るのも納得できます。
・この番組、以前も見ましたが、やはり家族の立場からしたら、本当は安楽死なんてしてほしくないとは思います。当然本人もできるならこの道を選びたくなかったに違いありません。しかし、お互いに想いがあり、話し合って決めた事。本人は迷惑掛けたくない、痛みから解放されたいのも強かったと思います。前回は、やはり生きる選択をして取りやめた方もいました。見ていてこちらも辛くなる番組でしたが、やはり真摯に受け止めなきゃならない内容でもありますね。
・とても辛い内容だけれど、見ます。
個人的には、日本も安楽死を認めて 欲しいです。 勿論、制度を悪用されない様に厳しい 条件や審査付きで。 私は子供がいないので、何かあった時や 老後に沢山の助けを借りないと生きて いけなくなったりした際に、自分の妹や 甥・姪達に迷惑を掛けたくない。 自分の最期は自分で決めて、幕引き させて欲しいです。 あくまでも、個人の見解です。
・読んでいて物凄く自分ならどうするだろうかと考えました。 膵癌を患い手術できましたが再発、転移する可能性が物凄く高い事、5年生存率が物凄く低い事、自分では理解し納得しているつもりでも実際は死にたくない。 40代ですが膵癌と告知され覚悟は決めた。 再発、転移したらもう治療はしません。 抗がん剤治療も2度やりましたが想像以上に辛かったから家族と話をし今後もう治療はしないと決めた。娘は泣いてましたけど今が大事だからと。安楽死。とても難しい問題ですが、望めるなら自分もその時は望みたい。
・緩和ケア病棟に入るのもスイスまで行って安楽死するのも経済的に余裕がないと出来ません。認知症の母が癌になり治療も出来ず、ホスピスも検討しましたが当然のことながら認知症があると受け入れが難しいと知りました。認知症で本人の意志確認が難しいとホスピスのためにお金を母自身のために使うことも兄弟が居ると難しかったです。認知症や重い病気になる前に、ホスピスや安楽死など死にかたを自分で決められる世の中を待ちたいです。安楽死が日本でも認められたら嬉しいです。でも介護者から安楽死を強要されるような無言の圧力を感じたり、逆に患者自身が被害妄想に陥る心配もぬぐえません。それでも安楽死の選択肢があれば心の御守りとなって逆に最後まで強く生きられそうです。
・こういう話ぜひ学校の授業でも議論してみてほしい。 子供だからと避けがちな議題だろうけど、中学生以上とかなら十分に考える力がある。もし自分だったらどうするだろうか、近しい身内が過酷な生活を強いられるような病気になってしまったらどう考えるか。 明るい話だけが勉強では無い、最近は核家族だし昔ほど兄弟の人数も多く無いこともあって成人するまで身近な人の死に触れたことがないという人も増えている。死に関する話を議論し合うのも大事なことだと思う。
・耐え難い苦痛の先に積極的安楽死が認められるとすれば、それは闘病の先の一筋の光明ではないでしょうか。残される家族の負担、そして何より、いよいよになれば頑張らなくていいと思える心理的負担の軽減には大きいものがあるかと思います。超高齢化社会を迎える我が国においても早急に法整備に取り掛かるべきかと。
・娘を2人持つ親です。同じ立場なら同じことをしていると思います。これをお決めになる間、どんなにか辛い時間を過ごされたか、そしてそれを受け止めたご家族の思い。ご自分の痛みからの苦しみ、それを支える家族への申し訳なさ、10年前に亡くなった母が、亡くなる直前まで、悪いねぇ、申し訳ないねぇと言い続けてきた気持ちと重なりました。痛みの中、下の娘が毎年楽しみにして出掛けていた七夕祭りから帰るのを待つかのように天の川を渡って行きました。安楽死が許されていない日本で、最後の時を別の場所で見送るその思い、政治家はもっと真摯に向き合い法律改正して欲しい。
・今母が脳腫瘍の末期です 治らないけど延命の為にやった放射線治療のせいでひどい認知症に…毎日何度も「頭がどんどんバカになっていく」と泣く母 頭が痛いと薬を飲んで眠る母 生きていられればいいという医者や周りの意見より、本人家族が望む未来があってもいい 安楽死を選択できる日本になってほしい
・がん治療について考えるターニングポイントの1つは脳転移ということが言えると思う。完治を目指して、懸命に闘病している人でも脳転移を告知された時点で心が折れるというか、この先の予後はほぼ確実に悪いということを嫌でも察することになるし、脳に腫瘍ができるということは自分が自分でいられなくなる恐怖を抱えることにもなる。脳転移までいってしまうと正直どうにもならなくなっていて、安楽死を考えてしまうのも分かる。
・辛い闘病生活にも関わらず、極限まで生きるための努力をし続けた方が選ぶ最後の道です。 その苦渋の選択は本人だけでなく、家族の誰もが理解し、やむを得ないと判断するのなら、選択肢の一つとすることはやむを得ないのでは。 家族の最後の日にお互いが寄り添えない苦痛がある今回の記事を拝見し、日本国内でも本人の意思を尊重することも検討していく必要があると考えます。
・親族の癌闘病の経験から、高齢者は合併症ですっと亡くなるイメージでした。 この記事の方のようにまだ40代なら、最後の時間が長く苦しいものになるのが予想されます。 苦しい中での安楽死の為、スイスまでの死での旅を思うと涙が溢れます。 本当なら日本で家族の手を握りながらの最後なら、まだ心は救われたはず。 日本でも癌やその他の難病で苦しむ人達に、死に方を選ぶ権利があっても良いと思います。
・朝からとても辛い気持ちになりましたが 見るべきと判断して録画予約しました。 とても難しい制度ですが、彼女が苦しみから解放されたであろう今、お疲れ様と伝えたいし 彼女の決断を尊重した家族を尊敬します。
・難しい問題だと思いますが、安楽死の問題を提起して、話し合ったり、考えたりすることは必要だと思います。 その上で、私は選択肢としてこうした幕の閉じ方があっても良いのではないかと思います。治療をして治る見込みがあれば別ですが、末期ガンであったり、難病が進行した場合ですと、予後が困難であり、そういた中で苦痛ばかりが押し寄せてくる世界は耐えられないと思う方がいて当然だと思います。尊厳ある生き方を求めても良いのではないでしょうか。
・ウチには緩和病棟は無いけれど、癌転移は若い人程広範囲に、かつ痛みも出てしまうとケアを見てる同業者から聞いている。 しかも医師が出す院内処方で見ると、これほど入れるのか?と心配になり現場に行くと、それでも疼痛を超える痛みを感知してしまう方も居るらしい。 深いレベルでの議論が必要な内容ではあれど、痛みに大部分を支配されてしまう人生になってしまっている方々の、一つの選択肢として国内でも考える必要はあると思う。
・仕事で病気の方と関わっている身として,とても考えさせられ,辛い内容でした。どうしてこんな仲の良い家族に,過酷な試練を与えるのでしょう‥。 このドキュメンタリーが,安楽死を肯定も否定もしないフラットな内容で,視聴者が考えるきっかけとなることを願います。
・医療従事者です。沢山の患者さんを見てきましたが、がんの治療は手術にしても化学療法にしても緩和ケアにしても本当に辛い。身体の痛みやだけではなく精神的な辛さも含めて。当事者ではないので本当の辛さは本人にしか分からないですが… 自分ががんと診断されたら、手術で根治が見込めると言われても「死」について考えると思う。 この方も診断されたときから自身の事、家族の事、死の事たくさん考え悩み出した決断だと思います。 残されたご家族がーとか色々な意見があると思いますが、自分のありのままでという多様性が言われる中、このようにご自分への別れも自分で決められることが認められてもいいのではないのか、と考えさせられました。
・亡くなった方からお話は聞けないのですが、私が知っている中での話ですが、亡くなった方が生前に話されていたことは、 ・少しでも長く生きたい。 ・苦しみたくないので早く楽にして欲しい。 ・周りには迷惑をかけたくない。など当然ですが様々でした。 少なくとも楽にして欲しい(安楽死含む)というご意見があるわけで、日本もそういった意見をくみ取ることが出来る制度を早く構築したほうが良いと思います。
・記事を読んで胸が張り裂けそうになりました。 でも、それで良かったのだと思います。現状の選択肢の中で最も幸せな方法だった思います。
私の親は癌で亡くなりました。 最後は激痛に苦しみ壮絶なものでした。 亡くなる数日前、担当医から電話連絡があり「通常の鎮痛剤の点滴ではもう効かないので強力な麻酔の使用を考えている。これにより亡くなる可能性が高まるが了解するか」と問われました。 私は涙声になりながら「すぐにお願いします」と答えました。 その数日後亡くなりました。
痛みを取り除いて下さったお医者様には感謝しております。 聞くところによると日本では安楽死の選択が出来ないので、最後はこのように麻酔づけの手法がとられるのだそうです。 多くのガン患者はこうして亡くなって行くのが日本の現状なのだそうです。 日本はこれからもこれで良いのでしょうか? 安楽死問題をもっと全国民を挙げて議論してほしいです。
・マユミさんのように末期がんで苦しんでいる患者にとって、安楽死は尊厳死を選ぶ権利を保証するものとなるでしょう。苦痛や絶望の中で生き続けることは、人間の尊厳を侵害するものであり、個人の自己決定権を尊重すべきです。
また、安楽死は医療倫理の観点からも支持されるべきです。医療の目的は患者の苦痛を軽減し、生命の質を向上させることです。しかし、末期がんのような状態では、苦痛の緩和が困難な場合もあります。そのような場合には、医療の限界を認め、患者が自らの死を選ぶことができる環境を提供するべきです。
日本でも一刻も早く合法化され、患者および家族の方々の負担を減らすべきです。
・安楽死について様々な意見もあると思うが、現在の医療を以ってしても治癒せず、僅かに生存期間を延ばすのみという状況は多い。穏やかに最後を迎えられれば良いが、苦痛を伴う場合や高額な医療費がかかる場合など本人も残された家族のことを考えれば望むものではないだろう。
一定の条件を満たし、複数回の確認作業をして尚も本人が希望し、家族の同意も得られるのであれば安楽死を認めるのも時代の流れではないだろうか?
日本国内でも継続的な議論や国民的なコンセンサスが得られるよう常にマスコミでも取り上げてもらいたい問題だと思う。
・涙が止まらない。 私も14年前に妻をガンで亡くし事ある毎に妻を思い出しております。 神は乗り越えられない試練は与えないと思っておりますが辛過ぎる。 奥さんは早過ぎる一生では有りましたが、素敵なご家族に恵まれて幸せな人生だったと思います。 残されたご家族にはお母さんの分まで幸せになって頂きたい。 ご冥福をお祈り致します。
・涙、涙が溢れ出てきます。同年代で子どもを持つ母、医師です。多感な時期に父を病で看取りました。選ばれた道はお母様の最期を尊重され、何て強い娘様、ご主人なのでしょうか。立派です。未来に向けてご家族の幸せを願います。これからも頑張ってください。お母様は必ず天から見守って下さっていますよ。医師として今まで多くの方をお見送りさせていただきました。色々な最期の形があります。延命も望めない、苦しい最期があるのも事実で、今の医療の限界です。本人の意思に基づく死の尊重について、十分な論議のもと、日本でも最期の迎え方の選択肢が増えるようになればと思います。
・緩和ケアが充実していない国ほど安楽死を望む割合が高くなるという調査結果があります。日本についてはいうまでもありません。そもそも日本は緩和ケアが開始されるタイミングが遅すぎるのです。完治が望めない病気であっても、身体の自由が効くうちに十分な緩和ケアを提供することで患者さんにとって有意義な時間を増やせます。 自分も緩和ケアについて勉強する機会がありましたが、衝撃的だったのは緩和ケア先進国ではどんな疾患であっても最初から緩和ケアが提供されるべきという考え方がなされていることでした。なので治療計画には常に緩和ケアが加味されています。日本の医療もこのように変わっていく必要があると考えます。
・医療が発達していない頃は、体が病に蝕まれたら飲食ができず衰弱して死んでいった。 今は「延命さえできれば」の医療で、痛みや症状に苦しみながらも栄養を与えられ、生き続けなければならない。 もちろん病を克服する割合も上がっているから一概に今の医療を否定できないけど、不自然に生きるよりは死ぬという選択肢を選ぶ権利がほしい。
私は幼少期に身内5人を亡くしており、特に母は長いこと入退院を繰り返していた。
「どんなに苦しくても、病に勝つか死ぬかまで戦わないといけない」という風潮が変わるよう祈る。
・日本でも一時期、安楽死や尊厳死に対する論議が挙がった事があったが、今は事実上黙殺されている。
身内をがんで亡くした時、医者に「眠る様に穏やかに最期を迎えられないか」と願ったが不可能と言われ、結局一週間苦しみ悶えて最期を迎えた。
他人の命をどうこうするのではなく、自分の命をどうするのかは自分が決められるべきだと私は思う。
日本では今現在も自分の最期の選択すらできず、苦しみ悶えて死ぬ方法しか選べないのは恐怖でしかない。
なんとか議論を再開する事は出来ないだろうか?
・子宮頸がんワクチンは色々と物議を言われていますが、この様なケースを見ると罹る率が相当軽減するなら、若い内に接種した方が良いのかと思います。それにしてもガンと言う病は厄介で憎いですね。特に若い命をむしばむ速さが高いので何とか治療が出来ないのかと思いますね。国はこの様な病気の治療や薬の開発にもっと税金を使ってください。悲しい事例を少しでも減らして欲しい。
・私の母は20年前に癌で亡くなりました 7年の闘病生活、入退院の繰り返し 私は就職のために実家を離れてたので 時々しか会えなかったのですが 大変な苦労と苦痛の日々だったの思います だから最後の日、母を看取ったときは 悲しいと言う気持ちより苦痛から解放されて 良かったなと思いました 治る病気や怪我は患者本人に希望を持ってもらえますが 入退院の繰り返し、治る見込みが期待できない 様態で患者さんが延命治療を希望しないときは 安楽死できる選択もひとつだと思います 介護する回りの気持ちより 苦痛に耐える本人の気持ちを優先するべきだと思います
・多感な時期に親を亡くしました。 親が長期間苦しんでいるのを見て意思疎通も会話もお別れの言葉も交わさずに亡くなるのと、親自身の意思で最期を決めて「ありがとう」「ごめんね」としっかり伝えて亡くなる。 もし選べるのでしたら、私の場合は前者でしたが後者であればどれだけよかったかと思います。 今でも苦しんでいる親の姿が夢に出てきて辛いです。
・人間には生理的に耐え難い痛みが存在する ましてや、生存確率が非常に薄い末期ガンの痛みは罹患した者でなければ分からない想像を絶する痛みであると聞く、最後までそんな痛みと戦う必要はないと思う。自身の終着駅は自身で決める。 それでいいじゃないか。 人間以外の動物はそれができないけど、幸いにも人間にはそれを選択できる能力がある。 こういう記事を見ると胸が詰まるけど、安楽死は無視できない問題。目を逸らしたくなる気持ちも理解はできるけど、正面から向き合い死生観を考えるべきだ。
・涙が止まりませんね。
最近癌を患っていて治療を続けていた身内がお医者からもう尽くす手段がないから緩和治療を自宅でするかホスピスに入るか決めてくださいと言われた。 確かに癌は広がっているがまだ意識もしっかりあるし話も出来るし自分で歩くことも出来るのに… と本当に信じられない思いでした。 信じられない思いはあれどそのための準備は進めなけれはをならず気持ちと行動のアンバランスな状態が結構辛かったです。
いつかは命は尽きますが本当に後悔のない人生を送らないといけないなと改めて思いました。
・随分と昔、親が入退院繰り返して亡くなりました。そういうこと繰り返してくると、見送る側の心の準備もできていたと思います。この方も足掻いた上での決断。ご家族も思うことがあると思いますが、見送る準備はできた上でのことだったと思う。安楽死でも、病死でも変わらないのだと思える。悔いがあっても納得できたならそういう選択もあってもいいと思います。
・私も家族も幸いまだ大病をした事がないので本当にご病気で闘病をしている方々のお気持ちを察する事は出来ませんが、もし自分が同じ様な病気を患ってしまったら選択肢の一つになると思います。残された家族はどんな別れでもとても辛いですが、見るに耐えない姿になり苦しむ時間も多くなる自分を見せるなら…と思ってしまいますが、逆に家族が同じ選択をしたら良いよとは言えないかも。などとても難しい事ですよね。お子さんもまだまだ小さいのによく乗り換えていらっしゃると思います。
・賛否両論あると思いますが私は安楽死に賛同します!ガン闘病で苦しむ家族も見ました!認知症で自分が誰なのかも分からず徘徊して他の人や家族にも迷惑をかけても本人は何も分からず!家族として疲労困憊した者として自分が同じ立場になったら家族に迷惑をかけたく無いので安楽死と言う選択肢があっても良いと思っています!
・私は数年前に他局で放送された安楽死の番組を録画していて、年に4〜5回観ることがあります。 それもやはりスイスでたぶん同じ団体がやってる所だと思います。 その時の方はガンではなく筋萎縮性の難病だったのですが、その方もバリバリのキャリアウーマンの方で若くしての難病を患い、肉体的苦痛は勿論だけど、「自分が自分らしく生きられない」ことへの精神的苦痛が大きく、自殺を試みるも力が入らなくて未遂に終わった経験があった方でした。
姉妹が毎日病院に通っていた為、 最期は看取ってくれる姉妹に対して 「毎日病院に来てくれたから、そんなに辛くはなかったよ、幸せだった」と言って逝かれました。 姉妹はずっとこれでいいのかと苦悩の日々もあったけど、最期のその「幸せだった」という言葉で気持ちがいくらかラクになれたということでした。 誰しも必ず訪れるその日。 看取られることは1番の幸せだと思う。 事故や事件だけは避けたい
・僕も昨年の交通事故で後遺症を背負い、趣味や夢を断たれて自殺は具体的に考えました。 安楽死の話は存じ上げておりましたので、ドイツ語とか勉強するかなと考えてましたが、まだ精神的な苦痛だけで、肉体的には苦痛は少ないと思うので、僕は今後強く生きていきます。 勉強になりました。 ご冥福をお祈りさせて頂きます。
・末期癌になると、ほぼ助からない完治は不可能と言われている 癌が色々な所に転移して身体中が癌細胞に汚される そういう状態で生きているという事は、相当の痛みと苦しみが24時間続く 内臓や皮膚や神経もやられているので、もはや自分自身は日常生活のクオリティーが落ちてしまい苦しみが続く マユミさんの場合は脳にまで癌細胞に充たされ目も不自由になったと言うこと もうこうもなると、このまま延命治療受け続けて少しでも寿命を延ばしたとしても、本人はそれだけ痛みと苦痛が続く時間が増えるだけだし、看病してくれる家族の負担も計り知れない それならもう安楽死を選択して自分は天国に召された方が良いという考えになる 自分も仮にそういう状況になれば同じような選択すると思う
本当に辛い選択だ 痛みと苦しみに耐えながら寿命を迎えるか、安楽死を選ぶかの究極の選択 何の罪もない善良な人が、こんなにも苦しむのは本当に残酷だ
・私の妻も癌で3年間の闘病の末、2年半前に旅立ちました。 コロナのせいも有り、本人の希望も有って大半は自宅での療養でしたが、それでも入院中には面会が出来ず、悔しい日々になりました。 最期の方で「何か望みは有るか?」の問いに「永眠だけ!」と言ったのがこの記事に被って切なくなりましたが、安楽死の問題はもう少し色々な条件を深く精査した上で、本人のための一番の選択が出来るようになるといいなと思います。 この方の選択は安易には言えませんが、「良かった」かな?と。
・癌で痛く苦しい思いをする患者さんを長年見てきた者としては、安楽死について議論すべきと常々思っています。そこに至るまでには相当なハードルがあることは必至ですが。 現在、緩和ケアはあるとはいえ、その中で死を待つ家族を日々見ていくのは本当に酷ですし、本人もキツイと思いますね。本人が強く望むのであれば、その家族も受け入れ、許容共感するための時間をもち、そして最期には家族全員で看取る。自分ならそうありたいです。
・私が23歳の時に父を51歳で肺癌で亡くし、今年5月に母を膵臓癌で亡くしました。全国の名医と呼ばれる人に診てもらいましたが力及ばず腹膜播種で息を引き取りました。亡くなる一ヶ月前は痛みが酷く、穏やかな母がナイフを持ってきて欲しい。と言うくらいでした。癌の痛みは想像を絶するものだと思います。命の形。みんな違ってみんな良いと思います。
・癌を含め色々な難病や不治の病に罹患する可能性は誰にでもあることなので他人事とは思えない。 多様性がよく言われる世の中になってきているが、こうした事もタブー視することなく議論して行くべきだと思う。
・いま、まさに親友が彼女のようにならないように戦ってます。ハイブリッドタイプのがんのようで、すでに3箇所に転移、あるいは原発不明状態です。抗がん剤を始めて一年半、先月は黄疸が出たために4週間入院しました。 それでも働きながら抗がん剤治療に耐え、週に4日は職場に行ってます。その職場でも病名を上司にしか伝えていないためにいじめに遭い、耐え難い二重の苦しみを頑張っていますがそれらはひとえに娘のため、今も歯を食いしばってます。 夜は抗がん剤の副作用もあり眠れず、声をあげて耐えてます。これ以上体の負担にならないよう鎮痛剤を飲まないからです。 私自身もコロナ禍にがんになり、希少タイプで抗がん剤はなく、早期に見つかったために切除して経過観察中です。 家族をがんで失い、その末期の苦しみも見てきました。近年はモルヒネ治療とか緩和治療もあるかもですが、尊厳死選択の余地も残してもらいたい心境です。
・私は定期的に子宮頸がんの検査をしていて初期に発見できたので手術しその後も問題なく過ごしていますか気がつくのが遅ければ我が身に同じことがおこったのだと他人事ではないと思いました。 安楽死は以前から問われてますが自分の選択として日本にもあって良いのでは?と思います。 延命するだけ苦痛が永遠に伴う病気も沢山あるなら日本も法整備を考えて欲しいです。
・ザ・ノンフィクションは毎週楽しみにしている番組です。 人の人生の側面を垣間見れて、見終わったあといつも何かしら考えさせられます。 しかし、今日はちゃんと見れるだろうか… この内容を読んだだけで胸が張り裂けそうになった。 自分も愛する夫と子供達がいる身。 心して番組観させて頂きます。
・今、番組表を見てきましたが、私の地域では見られないようでした とても残念です なぜ、帽子をかぶっているのかな?と思いましたが、記事の中の頭皮がんのせいですね 病気とは悲しいものです まだ、小さい子供さんがいての安楽死を望む方は、私は初めて知りました まだ、成人していない娘さんを残して亡くなることは、本当に無念だったと思います 病気があると、辛い症状から、こうでありたい自分があっても思うようにはいきません 精神的にも肉体的にも勿論辛いです そして、症状は日々進行していきます 安楽死が日本でもできれば、お守りや保険のようなもので、余命を頑張ることができそう。だとコメントにありました 保険に入るか入らないかは自分で選択すれば良いのです 誰でも苦しむのは嫌です 長く生きることだけが幸せなのでしょうか 勿論、論議は必要です 人ごとではありません すぐに自分の問題になることかもしれません
・癌や完治が見込めない病気というのはなってからでないと精神的な苦痛に関しては理解が難しいと思う。 死ぬことについて考えたことがあったとしても、病気になった時に置かれている自分の立ち位置ということも関係があるし1人の問題ではないから。 周りの協力があるとか経済的に余裕があるなど心配する要素が少なければ、緩和ケアでよいと思うけれど本人にとっての身体の痛みが精神状態に作用する。 第三者的には出来ることなら治療あるいは緩和ケアでという思いもある。 でも、いざ自分が同じ立場になったら安楽死を選びたいと考えるのではと思っている。 本人のみでなく周りにとってもつらい問題だし本当にこれでよいという正解はないかなと感じる。
・脳梗塞で左下半身付随で高次機能障害になってしまった父は段々動けなくなり、他人に介護されてまで生きたくないという考えの父は自ら命を絶ってしまった。そんな最期を選択するしかなかった父が無念。 簡単に死を選択するのはよくない。しかし自死でもこういうケースがある事を世の中の人にも知って欲しい。 安楽死が日本でも認められるようになる事を強く願います。
・癌は辛いですね。身内も癌でわずか40で亡くなりました。タバコ、酒もやらないのに肺癌でした。なる原因は分からないんですよね。亡くなる時は泡とか吹いて辛そうだったのを覚えています。本人は延命治療を望まなかったです。実験台になるのも嫌だと言ってたようです。昨年は主人が癌になりました。手術で助かりましたが5年間は再発の心配があります。検査代もずっとかかりますし。自分が癌になったらと思うとやはり生きていくのが辛いかも知れない。日本も個人の人生の選択肢を与えてほしい。
・決して完治しない病を患ったら私も死を待つだけの人生を家族に負担だけ掛けながら過ごすならし安楽死という選択をしたい。しかし実際に当事者そしてその家族の立場になったら安楽死を決断し家族の立場なら理解してあげられる事が出来るだろうか?どんなに痛くても苦しんでも命が尽きるまで子どもの成長は見届けたい。だけどそんな苦しむ姿を子どもに見せて辛い思いをさせたくも無い。子どもの立場からしても同じ。どんな状態でも一日でも長く生きていて欲しい。でも苦しむ母親を見ていたら早く楽にしてあげたいと脳裏には浮かぶと思う。
・元バリキャリで、脳にまでガンが転移してた、視力にも影響が出てたということなので、ガンで自分が自分でなくなってしまうことの恐怖、意識が無くなったり、人格が変わったり、まともに意思疎通ができなくなることへの恐怖が非常に強かったのかと思う。 そんな状態で、鎮静剤を打たれ、ベッドに縛り付けられ、たくさんのチューブに繋がれて生き続けることの空しさ、苦痛、その姿を娘たちに見せることへの抵抗感。 もう、極限状態だったのだと思うけど、それでも気丈に自分の運命を自ら選んだ精神力を尊敬する。 健康だと思ってる人でも、突然同じような状況になることはあり得る。そうなった時に、自分で選択が出来なくなる前に、自分で自分の運命を選ぶことができるように考えておくことも必要なのではないか。
・日本にも早く選択出来る日が来ることをほんとに望みます。病院で働いていると毎日に近いくらい思います。体が動かなくなり、意思疎通が取れなくなりそれでも栄養を入れ続けられ生かされる。その時には既に自死の選択はない。 相続等の諸事情により生かされている人を見ると本人的にはどうなんだろう?と思ってしまう。少なくても自分で判断出来るうちにこの選択肢があると自分的には少なくとも満足できると思います。 また精神疾患を抱えこの世界に対応しづらい方達にも選択肢の一つとしてあったらと思います。
・19年前に実母を肺腺がんで亡くしました。亡くなる1年前に声がれが目立つようになったため大学病院に母を連れていき、辛かったに違いない気管支内視鏡検査での肺生検で確定診断、ステージ3bで当時の医療では外科的治療不能で化学療法と放射線治療がレジメンでした。一時期は持ち直してがん細胞のマーカー値も主治医が驚くぐらいに下がり退院できましたが、その後の再発で不帰になってしまいました。生きようと前向きになっていた母の意思を尊重して緩和ケアまでは治療を最優先させましたが、末期の母の苦痛やモルヒネ、オキシコンチンでも疼痛コントロールが難しくなり、苦痛で半狂乱になることも度々でした。最後は意識レベルを麻酔で低下させて、そのまま旅立ちました。もし日本で安楽死が合法化されていたら、あの時の母の姿を思い出すと消極的でも選択肢としてはあったのではないか、いまでも自問自答しています。
・痛みや苦しみにひたすら耐え続けなくてはならない事も怖いですが、それ以上に恐怖なのが自分が分からなくなってまともな判断が出来なくなっても生き続けてしまう事です。 正常な判断が出来る事前に安楽死を選択する条件を提示しておき、それに該当する状況になったら尊厳死をさせてほしいです。 自分の最期を自分で選べるのなら、過度に不安を持つ事なく楽しく過ごせるし楽しく消費も出来ます。 超少子高齢化となるこれからの時代に、安楽死や尊厳死の話を避け続けてはいけないと思います。
・この方のように苦痛と共に余命が残されていない方もいれば耐え難い痛みと戦いそれが余命にまでは至らない方もいる。 後者に場合本人は生きている間ずっと痛みと向き合わなければならず今の日本の医療はそういう患者に対して非常厳しい。 痛みに対する診察診療どころか受診できる病院もほぼない。医者もそういう知識がないため普通の診察をされて終わり。 安楽死の選択は絶対あるべき。たとえそれを選択しなくてもそういう逃げ道もあるんだということが生きる力にもなる。
・身内ががんではない不治の病でした。闘病中、緩和ケアや麻薬による緩和を検討しましたが、地元ではがん患者が優先でがんではない不治の病の方は緩和ケアには入れない、麻薬等も使用できないとの事で最期まで苦しんでいました。その時安楽死を望んで居たのですが日本ではそれも叶わず… がん以外でも不治の病はあるし、ただ悪くなり死を待つしかない病には安楽死を選べたらと思います。
・ガンの種類によっては末期がんでも、亡くなる2、3週間前位までは自宅で普通の生活が出来ていたりします。
その2、3週間を緩和ケア病棟などで過ごさずに、安楽死という選択も有りだと考えます。
余命宣告1年以内を宣告されていて、稀に10年以上生きていますという人もいますが、そのような人は転移を繰り返さず悪化して行かないガンの人だと思います。
転移を繰り返すたびに悪化していくガンは、患者さん本人も非常に辛いと思います。患者さんの気持ちを思いやれば、安楽死の選択は間違っていなかったと思います。
・昨年の秋に妻を亡くしました。 大腸がんで見つかった時には肝転移していました。 それから約8年間100回以上の抗がん剤治療と腫瘍が小さくなれば手術を繰り返しましたが、最後は肝不全により肝性脳症が出てやり取りが困難になってきました。
1度も死の事を口にしたことがなかったし、余命も聞いたことがなかったことからも、生きることに一生懸命だった凄い妻でした。
私をはじめ家族も1日でも生きていてほしいと思っていました。 でも、脳症が出てからは目を閉じている時間がほとんどで、痛みもひどくなかったから、もう休んでいいよって感じることも。
これまでの本人のがんばりを見てくると、休ませてあげたいという気持ちにもなりました。
安楽死について簡単なことは言いたくないですが、いろいろな考え方があるのは当然だと思います。
・難しい問題ですが、個人的には安楽死の選択肢は有って欲しいと思います。 癌とかで症状の改善の見込みが無く、寝たきりでただ延命処置を受ける状態になったとしたら、治療と呼べるものではなく、本人にとって痛みだけの拷問に近い状態がずっと続くことになる。それよりは自分で終わり方を決められる方がマシだと思います。 命の扱いは勿論、財産や保険等も絡む問題になるので、遺書以上に厳格な手続きが必要でしょうが、本人の意識が明確な段階でその意思表示を行える選択肢は欲しいと思います。 自分も全身麻酔による手術を受けた経験はありますが、目が覚めた後の手術後の痛みがあっても治ると分かってるからまだ頑張れるのであって、治療の見込みが無く、痛みだけで体の自由も無くなるなら厳しいと思うし、それだったらまだ麻酔後のように眠るように亡くなる方が自分にとって救いになると思います。
・私の母親は70代で悪性髄膜腫になりました。 最初は手術により腫瘍を取り除きましたが間も無く再発しました。ガンマナイフやサイバーナイフの放射線治療をしましたがそれが原因で脳内出血を起こし、寝たきりになって7年。最後は髄膜腫が手術でできた頭蓋骨穴から頭皮を突き破り外まで出始め、その癌が脳幹他生命機能を圧迫して静かに亡くなりました。 寝たきりになって7年間、五感を失ったため意思疎通ができませんでしたが、もし会話ができたならマユミさんと同じく安楽死を希望しただろうし、終盤腫瘍が脳いっぱいになった時は家族もできることなら安楽死をさせたかったです。それくらい辛い状態でした。 マユミさんと私の母親は異なりますが、辛い気持ちは同じだったと思います。
・生まれてきた時点で死は永遠の課題だと思います。 私も進行性の難病を患い、スイスの安楽死について調べたこともあります。 私的には、興味深いのですが、わざわざ渡航して高額な金額を考えれば、残される家族のために少しでもお金を残しておきたいと言う考えもありました。 だから、自殺も考えます。 手は動くので包丁で大きな血管を切ろうとも考えてます。 日本でも、根治不能な病の場合は安楽死も選択肢の一つにしてほしいです。もちろん、厳正な審査を何度も繰り返して、本人の意思確認した上です。 反対する方の気持ちも分かりますが、進行性の難病を持つと夜も不安で寝れません。起きたら手が動かなくなってしまって自殺すら出来なくなり、介護生活をしてもらいながら死期を待つのは私は耐え難い。痒いとこもかけない、人の世話を受けるのが苦痛だと思います。生産性のない自分は生きてて良いのかと自問自答の毎日かと。
・自分が家族であった場合、本人のこれまでの努力や辛さを間近でみてきて 本人の意見を尊重したいとは思いつつ まだ 会話を交わすことのできる人を失う辛さ。
あと一言だけでも話したい。 あと一日でも一緒にいたい。 と やりきれない気持ちになりそうです。
ご家族の方の理解、本当に尊敬します。 この方を本当に愛していたからこそ出来た決断だと思います。
残された家族はまだこれから人生が続きます。
もし少しの迷いでもあったとしたらその辛さを抱えつつ生きていく事になると思いますが 奥様、お母様は本当に素敵な家族に囲まれて幸せな方ですね。
・話は少し変わりますが、友達を17で自死で亡くした時どうしてなんで思いとどまらなかったのと毎日思っていましたが。心と体の辛さってそのひとにしかわからないからそんな事でとか、まだ頑張って延命すべきとか他人が口を出してしまってはダメだなと思いました。この方もたくさん悩んで治療をして、家族が安楽死も前向きに受け止めてくれた。素敵な家族だなと思います。
・尊厳のある死とは何かを考えさせられました。 生き方を選ぶよう、死にも選択肢があって良いのではないかと思います。 誰でも自由に選べるというのは違うと思いますが、病などで本人が苦しまず、家族もそれを見て辛い思いをしないのであれば、選択肢にあって欲しいですね。 超高齢化社会の日本においては、今こそ検討が必要な時代なのではないかと思いました。
・緩和ケアの大切さと難しさを感じました。痛みをやわらげる方法で対応して、穏やかに自宅やホスピスで最期を迎えるかたもいました。病院にいても、痛みがとれにくくきついしんどいと言いながら最期を迎えるかたもいました。 まだ小学生のお子さまもいるなかで、お母様も辛かったことは想像に固くありません。 安楽死の可否についてはわかりませんが、ガンが治る病気になってほしいなと思います。
・仲の良い家族と別れるのは、お辛かったと思います。唯一の心残りではないでしょうか。 それよりも辛い癌。どんどん病に支配されていく自分を大好きな家族に見せたくなかったのではないでしょうか。
辛い病状で安楽死を選ぶのに、わざわざスイスにまで足を運ばないといけない現状。 末期がんは、あと何ヶ月、何週間、何日を死ぬためだけの辛さに耐えなきゃいけないのかという段階がきます。家族も本当に辛い日々を送ることになります。安楽死は治療の一環として受け入れたいし、はやく法整備してほしいと考えています。
・娘さん達に何もしてあげられなかったって事はないと思います。お母さんにとってご家族が大切であるように、生き様と死に様全てが残るご家族の皆さんにとっての宝物になっていくんだと思います。
全て帳尻は合っていく、自分の代じゃなくても次世代やその先で。いい事も悪い事も全てその流れの中の出来事だと思います。
・先月私の親父が発見されたときに末期の肺ガンだった。医者からもって10日もつか?ってところでした。もちろん治療もできずにそのまま酸素吸入のみ。 それま毎月のように病院掛かってましたが発見されてないってのが意味わからないのですが、今回医者が変り速攻変な状態だと詳しい検査した発見されました。 それからいつ逝くのかとの戦いとこちらは準備追われた10日間でした。 解ってるとはいえ、いざ亡くなりまだ体温が暖かいのを感じてじわーとなりましたね。 良かったのは本人が気づいてなかったのと息苦しさ以外は痛みもほぼ感じてなかったこと。それだけが救いでした。
・スイスまで行かなくても日本で安楽死ができれば、この日を迎えるのがもう少し遅くなっただろうし、家族全員立ち会えたんだろうな。法整備も含め日本では難しいけど緩和ケアの一つの選択肢としてあってもいい気がする。生きるために苦痛をできるだけ取る緩和ケアもあれば、苦痛を取り除いて安らかな最期が計画的に迎えられるようにする緩和ケアもあっていいと思う。
・痛み痒み等は本人しか知り得ない事なので安楽死を検討する時期に来ているのかもしれない 確かに家族の事を考えると可哀想に思えるが痛みで苦しんでいる本人を前に自分は何が出来るのかと思うと本人の希望に沿ってあげるのが一番の優しさではないのかと思ってしまう 何が正しいか何が間違っているかは未だに定かではないと思うが最終判断は本人に決めさせてあげたいですね
・個人的には安楽死や尊厳死を認めてほしいと思っています 家族としては長生きしてほしいという気持ちがあるのも分かりますが、本人の意志を一番に尊重してほしいと思います 癌になったことはないですが、想像している以上に辛く大変で治療のゴールが見えない毎日では精神的にも滅入ると思います
もし自分も大きな病になったときや年齢を重ね自立した生活ができなくなった場合には、このような選択があると良いなと思います
・どちらかと言うと安楽死は賛成ですが、安楽死を実行する医師の立場についても議論が必要です。安楽死を実行したり、可能の診断をつけるという事は、人の命の終わりを医師が判断するという事。一般人よりは死に近い職業にある医師だとしても、その精神的な負担は相当あるでしょう。患者の側からだけでなく、医師の側からも色々と検証が必要で、その精神的なケアも欠かせない物になるでしょう。
・もっと日本でも、安楽死の議論をする時代が来たはずです、蓋をせず前向きに議論すべきです、生きることがあまりにも辛い時は、そこから逃げてもいいんだよとなれば、前向きになれる人もいるかも知れない、全員が全員安楽死を選ぶわけでもないし、最後の砦があるという、このことこそが生きる力にもなるかと思う、日本でも認められる日を願いたいと思います
・一番苦しいのはもちろん本人で、肉体的・精神的にも相当辛かったと思う。ただ、家族の辛さも相当だと思うし、日本では認められていないハードルの高い方法にも関わらず、お母さんの意思を尊重してあげた家族の強い絆と愛を感じました。とはいえ子供達にとっても相当辛い選択だったと思うし、涙無しでは読めませんでした。 こういう話を聞くと安楽死も個人の尊厳を守るという意味では認められても良いような気もしますが、難しい問題ですね。
・私は母と妹を癌で亡くしました。 二人とも強い抗がん剤や放射線治療をし、手術後は元気だったのに 抗がん剤のせいか、どんどん弱って苦しんで 結局三年も持たなかった。 弱って痛がる姿は、家族も見ていて本当に辛かった。 なので私は癌になったら手術は受けますが治療はしません。 安楽死も、選択肢の一つに入れられるようになるといいと思います。 尊厳死という言葉がもっと浸透することを願います。
・読んでるだけで涙が出た。年頃で受験前のお子さんを残してというのはお母さんにとっても非常に辛かったと思うけど、癌の進行による苦痛を考えるとそのタイミングになったんだろう。 非常に苦痛の強い病気とか、体が動かなくなる病気とか、そういう状態になったときに、生きることも安楽死することも、、自分で選択できるような環境になることを望む。
・この方は進行性の早いがんで、手を尽くしての末の決断なので、仕方なかったのかなと思いますが、自分も今抗ガン剤を受けていて、病院から、副作用などが辛かったら言って下さいねと、緩和ケアの紹介をされました。 緩和ケアは、特に末期の人だけがするのではなく、初期の方であっても、治療中などの痛みや苦痛を取り除くために利用するものだと説明されました。 それまては治療できなくなったら緩和ケアを選ぶイメージでした。 治療中も適切に痛みを取り除いて、手術や抗ガン剤治療などでの苦痛がなくなれば、積極的にがん治療を受けることができるので、安楽死したいと思うほどになることが減っていくのではないかと思います。
・日本でも、自分の最期を選ぶ権利を認めてほしい。 病気に限らず、生きるのが辛くて、電車に飛び込むという手段を選択している人がどれだけ多いか。 飛び込んだ人達も、社会に迷惑をかけたかった訳じゃないと思う。 そういう手段をとらないと、自分で死ねないから、苦渋の選択だったんだと思います。 もっと日本でも、穏やかに自分の最期を選択できたら良いと思います。
・私が当事者だったらやはり同じ選択をすると思う 家族としては生きていてくれればいいかもしれないが、負担は大きいと思う 綺麗事だけじゃ済まされなくなると思う 自分自身もいつまでも辛い闘病が続くしデメリットの方が大きいと私は思う
父が突然死した経験から、死と向き合う時間があるだけマシだと思う お互い心の準備をする時間があるのだから
人は必ずいつか死ぬ それが早いか遅いかだけ 失うのは辛いけど受け入れるしかない
日本でもできるようになるといいと思う
・個人的には安楽死には賛成です。様々な問題があるのであれば、不治の病で苦痛が大きくなっている場合、せめて鎮静を本人の希望でもっと早い段階からかけられるようにして欲しい。
どうしようもなくなって苦痛の末、死の直前だけじゃなく。準備して、ゆっくり静かに旅立てるようにできるようになるだけでも、心情が違うのではないかなぁ。 身体の死を許してもらえないなら、眠る時ぐらい穏やかにいたいものです。 枯れていくように死にたい。今だと思うタイミングで眠れたら、幸せだなぁ。
わたしの父は癌で長い間闘病し、最終的に肺炎で亡くしました。死まではモルヒネ投与から半日ほど。 最期まで治療し、苦しんで。パンパンに膨れ上がった手足、忘れられません。
緩和ケアというのはどこまで認められるのだろうか...死のギリギリまで苦しむのではなく、せめて緩やかな死を選択肢として残して欲しい。
・以前にもこの番組以外でも取り上げられたいたものを見ていて、安楽死について非常に興味がありました。 この番組を見て、涙し、このコメント欄を見てまた涙しました。 同じ娘を持つ母親として、同感することもあります。苦しみは自分にしか分からないし、 もう周りに迷惑かけられないと葛藤する毎日だと思います。 あのホームビデオを見て、ずっと娘さん達に愛情を注いできたのだと感じました。
死の選択は自由だと感じますし、この方の意思は強かったと思います。
決意し、きちんと家族に引き継ぎ、残してます。
娘さんも、強く、優しい旦那さんだからこそ理解し、そして経済力があったからこそ安楽死を選ぶこと出来たはずです。 私自身も、家族も、出来るなら苦しまずに最期を迎える事が出来ればとそんな世の中であってほしいと願ってます。
・読んでいるだけで涙が出る。 夫と娘二人を残してなお安楽死を選ばざるを得ない苦しみはいかばかりか。 比べるのもおこがましいが大腸憩室炎の痛みも尋常じゃなかったし顔から頭に出た帯状疱疹の神経痛もたった2日か3日だったにも関わらずこの間の記憶が曖昧なくらい痛かったし10日位悶え苦しんだんじゃないかってくらい長く感じた。 そういうレベル以上の痛みが命尽きるまで何年も続くとなったらそれは安楽死の選択もあり得ると思う。 その痛みに耐える姿を見続けなければならない家族の為にも。 俺は安楽死制度を安直に実施すべきでは無いと思う部分も有るが協議検討はすぐにすべきだと思う。
・持病のある親戚が、重病の告知をされ自ら命を絶ってしまい、残された子は精神的にかなりのダメージを受けていました。彼女の気持ちもわかるので、お母さんの気持ちを尊重してあげようとは言ったのですが、安楽死の選択肢があれば、もしかしたらとも思います。 日本でも議論を進めてほしいものです。
・泣きました。ご家族も本当にがんばりましたね…お母さんの意思を尊重されて… 瀬戸際の時、最優先される刃牙は本人の意思だと思っています。残されるものはどんな姿形でもいいから生きていてほしいと思いますが…本人の望んだ事を尊重されたご家族。きっとお母さんが見守ってくれています。沢山の苦しみや葛藤、答えはすぐには出ないと思いますが、いつか穏やかな時間が訪れる事を祈っています。 考えさせられる機会をありがとうございます。
・生きたくて頑張ってもそれでも乗り越えることができず死を迎えるというのが本来の姿。医療が良くも悪くも発達したばかりに、苦痛の中でも生きることに執着しなければならなくなってしまった。だから人は悩み、苦しみも増えた気がする。医療によって救えたことが多くある一方で、医療によって苦しんでしまうこともまたあるのだと思う。
・素晴らしい番組のように思います(静岡なのでまだ見ていませんが)。医師など医療関係者や厚労省関係者や人権を考える人たちは、ぜひこの番組を参考に、今後を考えてほしい。私は、元生命科学系研究者で、移植医療関係も関係していたので、医療と人権には興味があった関係で思うのは、ここまでにならないように医学は発展しなければならないし、もしそうなった場合の社会の対応も考えるべきだと思います。
・以前NHKで同じようなドキュメントを観て記憶にあり、今日も夫と観ました。 闘病するご本人、そしてご主人も思春期のお嬢さんたちも、闘病を見守るのも、安楽死を受け入れるのも両方辛かったと思います。 下のお子さんがまだ中学生なので、同じ親として切なく感じました。 しかし癌に限らず心身ともに苦痛を感じる病気を耐えながら死を待つ辛さ、支える家族のことを考えると、安楽死も一択だなと思いました。国内でもいつか認められる日が来るのでしょうか…
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