( 177064 ) 2024/06/03 15:58:00 1 00 - 「氷河期世代」からの投稿では、働く世代と高齢者の関係や経済についての考察があります。
- 老若男女を問わず、人々がお互いに助け合うことの減少や社会的つながりの希薄さ、個人主義の台頭などが指摘されています。
- 過去の時代と現在の社会状況の比較や、経済や労働における価値観の変化についての議論が行われている一方で、高齢者の社会的役割や人間性、助け合いの重要性についての意見も述べられています。
- さらに、日本独自の文化や経済構造、労働環境、さまざまな人々の価値観などに関する意見や疑問が複数の投稿から浮かび上がっています。
(まとめ) |
( 177066 ) 2024/06/03 15:58:00 0 00 ・氷河期世代だけど、圧迫面接やらブラック労働、派遣労働解禁、極めつけは絶対に達成できないレベルの高いハードルを設けた成果主義で、一切給与が上がらずにひどい扱いをたわけだが。若い経済学者が生産性のない人を切り捨てる提言をするのもその延長なのでは?会社は経営者と株主のためのもので、労働者はAIに代わるまでのつなぎに過ぎないと割り切ったら、きっとこういう考えになるんじゃないか。
・自分の立場から見ると、高齢者イコール何も役に立っていない人ではありません。
息子夫婦に子供が生まれて、祖父母が誰も居ないよりも、何かの時に祖父母に頼れた方が、息子夫婦は安心して子育てすることが出来ます。
2世代同居して、子供夫婦の子育ての支援をしている高齢者も少なく無いです。 自分も親達には子育ての助けをしてもらいました。
子供夫婦が離婚して子育てを出来なくなって、祖父母が家に引き取るという例も身近で何件かありました。
実際に高齢者が子供夫婦を支援することは無くても、何かあった時の安心感というのは与えてくれるものです。子供世帯に何かあった時の非常要員として祖父母は貢献してくれていると考えます。
・飲み会、接待、社内行事などが好まれなくなり、職場の付き合いが減った。 親戚付き合いも近所付き合いも減った。 核家族化や少子化で家族のつながりも減った。
そうして自助・共助・公助の中では共助が薄くなり、右派が強調しがちな自助(自己責任)が重くなると同時に、左派が強調しがちな公助(国や自治体の負担)も重くなった。 少なくない国民が「煩わしい人間関係に振り回されたくない」と望んだ結果でもあるから、仕方がない部分もあると思う。 昔は良かったと懐かしんだところで、今さら後戻りはできないだろう。
・バブルの頃に聞いたことがないのでは無く、それが最後だった、と言うべきだろう。 高度成長期からバブル迄は波はあっても成長つまりパイが増えていったので増えた分の取り合いだった。隣の芝生は青いと言っても自分が頑張ればいつかは自分も、と頑張った。 パイが拡大しない/減少する時代が長く続けば人のパイを奪わないと自分は豊かにならない。 隣の芝生が青ければそれを奪う足を引っ張り引き摺り下ろすように発想が変わってきた。 政府はそれを緩和しソフトランディングを図るのでは無く、逆に格差拡大し日本の力を成長分野に傾斜配分、他を切り捨て一点突破で成長維持を狙って失敗し格差拡大の助長と言う結果を招いただけだった。
・「金、金、金、金こそ全て」と豊かにするどころか切り詰めていくことを「意識高い」として持て囃した結果だろう。即物的な拝金主義に陥った結果、増やすことをせず、様々なものを「無駄」と切り捨てることをよしとすれば、豊かになどなるはずもない。あまつさえ、本来の価値をも削り安価に市場に出そうなどとすれば、優秀な士業を担う人材が育成できるはずもなし。コスパタイパの思想などはその最たる例と言える。少しは経済界、経済学は猛省してもらいたい。
・若い人もお年寄りも、生産性のある人はあるし、無い人は無い。 存在価値は年齢では決まらないと思います。 私は高齢で痴呆が酷く家族に迷惑がかかるなら、安楽死を選びたい。 健康なうちに自分の将来を選択できるような制度があれば良いと思う。 それと、時代のせいにして良いのか分かりませんが、最近は、理屈では表せない人情や思いやりの心が無くなってきているのではないでしょうか?
・金や経済や効率ばかりを追い求めた結果が今なわけだが、最近の記事を読んでいると、若い人達の中には金に支配された世の中に見切りをつけ少ない収入で生きている人が増えてきたように思う。「貧乏くさい」ではなく「貧乏」を良しとする人々。今の金欲にまみれた社会に興味を示さない層が出てきた事で少しは社会も変わってくるんじゃないかと内心期待しています。
・人の価値は生産性、社会的有用性だけではないよね。退職して生産性が無くなったからといってその人の価値がゼロになるわけじゃない。存在価値っていうのがあるから。専業主婦の女性だって家事育児だけが価値じゃない。お婆さんになって家族のために食事を作ることもできなくなっても、存在価値はあるからね。そういう認識を持つことが大事だと思う。
・1990年代前半くらいまで地方の実家にいましたが、中学までは地元の祭り、子ども会による廃品回収やゴミ拾い、地区対抗のスポーツ大会体育祭、家業の手伝い、自身の習い事とかで土曜が半ドンということもあり学校以外もかなり忙しかったです。高校以降は遠くの高校に通ってたこともありしなくてよくなったので楽になったのを覚えてます。大学以降はそういう地域と関わる行事がなくなって楽だと思いますが、地元に将来帰るならと考えると人が減ってるから行事も減っていると聞いてますが憂鬱ですね。
・停滞を招いたのは政治の責任。政治家の皆さんから世代交代で国民に範をお示しになられてはいかがでしょうか。そういうことであれば我々もそのつもりで生活するようになるでしょう。 地域のきずなもなくなるし日本は外国から来た方の感じとして冷たいということだそうですから、心の余裕を皆さん持てなくなってきているという事じゃないですか。 それもこれもみな政治家の行う政治でみんなが意気消沈しているという事ではないでしょうか。
・相変わらず成田祐輔の発言には求心力がある。 これはすなわち「確かにそういう面もある」の裏返しであり、それに反論するにはこの記事のように非常に長々と文章を重ねなければいけない。 真理はいつも短文だ。
かの発言の真意は別なので割愛するが、貧乏くさくなったのは単純に「金銭的な価値でしか物事を判断しなくなった」ということだけだ。 会社では如何にコストを下げるか、プライベートでも如何にコスパよく過ごすか、といったところに日本の資本主義は邁進してきた。 その反動が今、もの凄く大きな揺り返しとして日本を覆っている。
・ある意味「贅沢」が「当たり前」にシフトして社会全体の要求水準が上がってきたからだと思います。
筆者の言う通り、戦後の「みんな貧しい」状況であれば、比べる相手の要求水準が低いため、そこまであくせく働く必要がなく心に余裕が生まれます。
ところが、文明が進み豊かな社会が形成されると、一昔前の贅沢が標準になってくるため、「普通」を手に入れるために必死で働かなければなりません。
結果として、心の余裕が失くなるのです。
打開策として、今当たり前とされていることが何故当たり前となっているのか考えるのが有効だと思います。
当たり前が実は贅沢だったと自覚できた時、自然と感謝が生まれます。
それを大多数の人間が実践できたとすれば、多少は「貧乏くささ」が減るのではないでしょうか。
・どの時代でも、それが日本人で一時代だけ切り取りは出来ず、次代の流れの中で経験した大人や子供がその時代に合った生活しているだけだと思う。 大地震が起きたときには、誰かれなくその場所に遭遇した人たちは老若男女関係なくまずは行政を頼る前に協力し合って知恵出してみんなでなんとか切り抜けようと努力することができる日本人はやっぱり素晴らしいと思う、逆に政府も行政も頼りないところがあるけど(頼りないと思っているだけかも)。そのときに「自分だけ」と言う人は少ないと思う。 政治家が国民みんなで見れる豊かな国のかたちや目標や未来を時代々々で創造さしてくれたらいいけど、政治家や一部の成功者だけが陰で儲ける「貧乏くさい」ことするからシラケてきていると思う。貧乏の元は政治家や一部の成功者かも
・生産性の高い人は大事にした方がいいし、生産性がなくなっても尊厳は守られるべきだ 今はこのバランスがやや高齢者に寄りすぎてるんじゃないかとは思うよ それはまだ社会で権限を持ってるシニア層も含めてそう思う 世の中の変化に対応するスピードが遅いし、 何より後何年も働けるかわからない人に意思決定を任せるのは違うんでないかな 長期的な施策がうてないよね
・高齢者の比率が変われば敬老の概念も見直されるのが当然でしょ 子供が大量にいた時代は子供が大事にされなかったが今は貴重品のように扱われる 高齢者も昔は希少だったから生産能力なくても大事にされたのでしょうが高齢者が大半を占めるような社会ではそういかなくなる 過激なことは言わずに医療費一割負担のような過剰な優遇措置の撤廃などを推し進めるべき
・コンピュータ化、省力化などをやれば人間は生産的なことに専念できる、と言われてきたがより追われるか切られるかという状態にされてきた、他人のことを考える余裕なんかほとんどない、でもいつも生活が苦しい困っているといいながら、趣味やどうでもいいグルメに使うカネはちゃんと持っているようなのも多い、少子化や防衛などの予算を使うのは賛成でも自分が負担させられるのはイヤとか、内部留保に励む企業と同じで殻に閉じこもって目だけ出して周りを監視している国民が増えたんだろ。
・我が家も「貧乏」だった。 だが、思い起こしてみれば「貧乏くさく」はなかった。 必要なことにはお金を使うことが出来た。大学にも行かせてもらった。 (もちろん、それまでに我慢することも多々あったが) 今だけ、金だけ、自分だけ・・・そんな世知辛い世の中になりつつあるのか。 年配者である、我々、爺婆の責任でもある。 豊かな日本を、もう一度作り直す時期が来たのかもしれない。
・とても鋭い記事だと思う。 どの界隈も我先にと人を出し抜いてでも自分の取り分を多くしようとし、その一方で取り分の少ない人のことを批判し蔑み始めた。前者だけでも問題ではあるが後者が加わったことが最も多くの人にダメージを与えた要因といえよう。
思うに社会に冗長性がなくなりすぎたんだろうな。 本来人は生き物だから今日食べる分があれば生きていける。季節の野菜や木の実とその日にとれた魚や小動物だけあれば良いはずなんだよね。
でも恐ろしいのはその「今日食べる分があれば生きていける」と提唱してる人の中にも人を出し抜いて搾取する人が現れ始めたこと。耳障りの良い甘い言葉を囁いて人からなけなしの貯金を掠め取る輩が文字通り「どの界隈にもいる」ことを意識しないといけない時代になった。
・「豊かなはずの国」で豊かさを実感できない(主に現役)世代が、「生産性のないモノ」への福祉の為に、過度に負担させられていると感じているからでは無いでしょうか? 一例を挙げると、要介護度5の高齢者が介護サービスを受けると、本人負担1割を除いた国保連に請求される額が、大体月25万くらいになります。年収500万のサラリーマンの健康保険料1年分です(企業負担分と合わせると半年分)。今の80代以上は現行の介護制度で(改悪されつつはあっても)逃げ切れるでしょうが、50歳以下は無理でしょうね。負担ばかり多く恩恵はありません。 「生産性のないモノ」が少数であった時代であれば、やや過度な福祉であってもそれを支える層に負担感が無く不満も出なかったでしょうが、今はそうではありません。
・昭和30年代、40年代は貧しくても周りも貧しくて子供も多かったので楽しかったが、それは自分が子供であって、大人でなかったからの感想だと思います。 今は情報通信が発達して、小さいな声(苦情)になびいて、あれは駄目、これは駄目ばかりで、段々と生活活動範囲が狭くなっていると思います。
・助け合いは、日常ではもう無理と思う。 もちろん、一部にはボランティアとかしてる人もいるけど。
なんでもお金で解決、が貧乏くさく見えるのかもしれないけど、助けが必要な人の割合が高くなってどうしようもない。 人間、体一つしかないし、一日24時間でやれることには限りがある。
ついでに本音でいうと自分は、本当に貧乏よりは、貧乏くさく見えるけどじつはお金持ち、のほうが良いです……
・「生産性」という言葉だけでリタイヤ後の人達のことを社会のお荷物のように揶揄するのは記事の若いセンセーやコメント欄でも見かける。 しかし、多くの高齢者は子・孫たち・地域の若者との会話やふれあいで自然に言葉や会話の重要性・社会常識を学ばせている面があると思う。 何かモノを作り出すことだけが生産性ではなく、目に見えない生産性もあると思う。
筆者が指す通り、現在の社会の閉塞感が高じて、若者や壮年層にはリタイヤ後の高齢者が前途を邪魔しているという意識が強いのだろう。
勿論、60後半から80代の高齢者が高度成長期からバブルまで楽しい時期を過ごしてきたのは事実だがその中の一握りの経営者層や政治家層の誤った判断で「貧乏くさい」国にしてしまった反省も持っている。
筆者は抑えた表現の中にも現在の「世代間の罵り合い」の無意味さを指摘しているのだと思う。
・貧富の差が拡大しすぎたからね。
「豊かなはずの国」で本当に豊かさを享受できているのは一握りの富裕層だけ。苦労知らずの金持ちは綺麗事を言う。
その裏にいる余裕のない貧困層はそんな事を言っていられない。富裕層の綺麗事のために実質負担を背負わされ「貧乏くさい」のではなく、本当に貧乏だからそういう価値観が広がっている。
・要は、西洋の諺の引用ではありませんが、 「金の卵を産むガチョウのお腹の中に金塊が眠っているだろうと思ってお腹を割いたら、ガチョウは死んで、金塊も得られなかった。」 という事でしょうか? しかし、昔の我が家は高級なピアノもバイオリンも無くて、それこそ授業以外の楽器と言えば現在の鍵盤ハーモニカよりも安い2段式の半音付き教育用ハーモニカしかありませんでしたが、結構面白かったですよ。 それに近所付き合いも昔は隣の家は家族同然でしたから。
・日本には創業100年以上の企業が40,000社以上あると言う。これは世界一でありダントツだそうだ。これらの長寿企業の生産性はどうなのだろうか?日本企業の理念の多くは『世の中の役にたつ若しくは貢献する』であって『貢献した分利益を得る』とある。よって長寿企業は存続可能な利益を得るだけの貢献を持続して来た事になる。
単純に最大瞬間風速だけを論じては継続可能な企業活動は語れない。特に日本の場合は。日本は資源もなくマトモに白米を食べれる様になったのは戦後の話だ。僅か数十年の間に金持ちなのではないかと勘違いする様になってしまったのは大きな間違いだ。基本的に貧しい国だと言う事は決して忘れてはいけないと思う。
・逆の発想なのだが、日本人および日本社会って有能な生産性の高い人に対してのリスペクトがないからいけないのではないかな?日本人特有の能力結果平等主義が悪い方向に出ているような気がしてならない。 当然生産性の高い人たちはそんな社会や人々の気持ちを敏感に感じ取る。そして容赦ない仕打ちを加える。そうなっていないかな? まずは実績を上げ社会に貢献できるものに対するリスペクトを国民個人単位で示すことが先決だよ。国が社会が滅ぶよ。このままじゃ。
・結局情報という「言葉」を処理し切れていないのが我が国ではないか?(もっと下のレベルがいるが、下を向いても解決はしない) そうやって処理しきれない言葉をどんどん増やしてそれにがんじがらめにされているから貧乏くさいのでは?
じゃあ、視点を変えるとその情報がないと人々が途端に不安になるとも思う。言葉を急に欲するようになるので全くなくすのもバランス上ダメだと思う。そこに必ずねじれが出るからね。
生産性だけ追えば解決するかと言えば必ず失敗すると思う。なぜならどう追うという部分が解決していないから。今まで生産性より動くことを主体にしてきた我々が急にそっちに振れと言ってできる訳がないし、なのに以前のように生産性という言葉に動こうとするから余計に矛盾が出るという事だと思う。 まず立ち止まる事も重要な気がする。その間の上昇を無駄にしてでも次の収穫には重要なプロセスと思う。
・成田先生の発言が誤って捉えられているね。膨れ上がる社会保障費の増額の解決策が、ある程度の高齢に生った時に自分で人生を終わらせることができるだけのがカッコいいという風潮ができないと無理という意味合いだったが。 日本の社会保障の肥大は明らかな問題、高齢者向け医療についての見直しが必要なのは間違いない。
・日本人は争いを好まず和を重んじるのでよくまとまっていると思われているが、個人が未熟なまま群れあって依存しあっているだけで、別に仲が良い訳ではない。だから集団の中ではすぐイジメやパワハラ・セクハラが横行し、集団になじめないものは排除される。自立した個人が主体的に信頼しあって結びついてるわけではないから、足の引っ張り合いばかりしている。わかりやすいのが自民党の政治家達。自民党はもうダメだと批判されるが、彼らの有様は日本の社会の縮図でもある。
・生産性の無いものを生産性のあるものに変えようという発想が今の日本には無い。 例えば仕事も適正不適正があって、不適正な人間を切って捨てるばかりでその人間を育て直そうとか新たな環境に身を置かせて新たな可能性を見出そうとかそういった柔軟な考えがないのと、実際にそれができるだけの余裕も少ない。 日本は少子高齢化が進んでいると言えまだまだ人口が多い国ですから可能性を追求していけば優れた人材は出てくると思うんですけどね。 自己責任と無駄という言葉で有能な社会人として育ち切る前に芽を潰しまくっているような気がします。
・1980年代終盤のバブル真っ盛りの頃に、ゴルフ会員権を持つ私の友人達に、買った時よりも高く買うので売りませんかとの電話が、ひっきりなしに架かってきたと言う。
私の友人達は自分がゴルフを楽しむために会員権を持っていたことから、売る事は無かったようだけれど、世の中のお金目当ての方々は、売ります・買います出来て値が上がるものならば、土地であれ何であれ、それこそダボハゼの極く買い漁っていたなぁ・・・!
バブルが弾ける前に売り抜ければ、自分は大儲け出来るとの判断だったのだろう。
今だから笑い話になるけれど、当時の日本全体の地価総額がアメリカのそれの何倍にもなると宣わる、経済評論家を名乗る輩が数多いたことだろうか?
その頃、影も形も無かったNVIDIAの時価総額が、トヨタのそれの何倍にもなっているのだけれどね!
・高齢者は経済学的に社会的有用性があるのか?という質問に私は「ある」と答えたい。 高齢者であろうと人は生きていくために衣食住の消費が必要であり、そのために地域のあらゆる種類の売り上げに貢献することになる。その結果地域社会の小売店が安く広く存在できて、子育て世代、働く世代にとってもメリットを生み出す。消費の母数が大きいので商品の種類が増え選択肢が増えることになる。インフラの維持のためにも欠かせない。 簡単な話だ。同じ広さの地域の水道システムを維持するのに1万人で維持するのはきつくても10万人で維持するなら容易であるのは明白である。 スーパーもそう、1万人の商圏と10万人の商圏は全然違う。高齢者は生きているだけで社会の経済に貢献できているともっと胸を張ってもよろしいと思います。
・まぁ、高齢者の種類によるよね。子供や蓄えを残てきた老人と若い頃から結婚も貯金もせずに遊びほうけ,年をとって生活が破綻し行政の力を借りなければ生きていけなくなった老人。後者を大量の税金をつかって救うのは正直どうかと思う。 昨今の多様性だなんだかんだを認める風潮は本当に危ないと思うよ。最後にどうしようもなくなった時,子供の存在は非常に重要になるからね。子供を作らず独身で。。ってのも認められてきてはいるけど,いつかは年をとるわけだから,そう言う人は老後に1人でどうするつもりなんだろうと思う。
・GDP1位と2位のアメリカ人や中国人は互いに助け合っているだろうか?貧富の格差は日本以上であることを考えると、日本以上に互いに助け合っているとは到底思えない。インドやドイツにしても同じことである。 この方が主張する貧乏くささの一部とは経済(経世済民)合理性のことであり、国富を守り、国家を持続可能にするには必要なものである。国家予算には限りがあるのだから、優先順位をつけ配分され、配分を得られない人々は結果的に切り捨てることになるのは当然のことである。 放漫財政で滅んだ国は歴史を見れば枚挙に暇がない。そうなるよりは貧乏くさい国家運営をした方が良い。
・生産性や社会的有用性が無ければ去れ、そういう人は自分はどうだろうか考えてみてほしいです。ブラックなやり方でかえって生産性落としてませんか。 また、自分が生産性の無い人間になったら、去る覚悟があるのでしょうか。今はある!と言うかも知れませんが、その立場になったら、余裕ないので助け合いくれとなるのが大抵だと思いますよ。歴史的に見ても。強い時は、なんとでも言える。
・それこそバブルの後遺症でしょう。人間を金の尺度でしか考えず、コストと見做すようになったのはあの時代から。その時代に社会人として成長した人間が今の企業のトップとして君臨している。社員をコストとしか見ないから自由に損切り出来る派遣を重宝がり、労基法や最低賃金法を順守してはグローバルで闘えないなんて言って給料を出し渋る、そんな企業ばかりだ。だから日本は安くなり、外国人も日本に働きに来なくなった。そんな中、バブル時代を一番謳歌した現在の高齢者連中は敬老が足りない、自分達を敬えとカスハラやりたい放題。そりゃあ、姥捨て山の復活を望む怨嗟の声も増える筈さ。
・この通りなのでしょうね、同じ年代の人間から見れば良く分かるのですが、今の世代には理解不能でしょう、これに近いコメント言えば昭和時代が云々で批判されるような反応ですからね。 この記事にも有りますが、有る時期から貧乏だけど人間的な生活が変わって今の時代の下地に成って、簡単に言うとデジタル時代の幕開けと相まって今の社会の流れに成っているのでしょう。 一番感じるのは、デジタル時代に成り読書関係が激減して、思考力や想像力が育っていない現代人、結果的に人間性が育ちにくい社会に成って来たのが一つの原因で、無条件での欧米追随等、政治家の問題も小さく無いでしょう。
・寛容性を失い日本人はどんどん貧乏くさくなっていった、確かにな。
何事においても優秀な人間なんてどれほどもおらず、誰にだって長所と短所、得手不得手がある。生まれた場所や家庭環境も様々で優劣はつけられない。なのに何かの局面で点数が低かった人を冷遇するようなやり方は、まるでアリの集団から働かない待機アリを排除し続ければ少数精鋭の屈強な集団となるどころか逆に脆弱になっていずれ全滅するのと同じだ。
例えば派遣社員や非正規公務員、外国人技能実習生などに低賃金労働を押し付けて、その他の既得権を守ろうなんて労働慣習はその最たるもので、考えが浅はかすぎる。実際、内需は停滞し、日本人は貧しくなるばかりだ。
・生産性の無いものを切り捨てるのには理解できますが それはどの基準なのだろうか? 集団自決出来る勇気と体力のある人は生産性も残っているでしょう。 問題は、その境目にある人をどう利用できるか? それを考えられない人はリーダーになる資格はないでしょう。
デジタル社会だからこそ、高齢者の教えを乞うべきではないだろうか? 何でも情報が手に入る時代ではその優先順位がおろそかになってしまう。 先人から受け継がれた人としての教えを伝えて優先順位を整理する必要があるのではないだろうか? わかりきってる事ではあるが、身に沁みついてない事を教えるのは先人の役目。それを切り捨てていい社会は日本には無いでしょう。 またそういう社会にしないよう努力すべきでしょう。
・社会(文化を含む)が崩壊するのは最適化が進むからだと思う 個人が参入できるような状態ではない チェーン店とか組織化することによって、企業という形をとって成人したら企業で働くという概念があるからこそ、サービスや商品を低価格で提供できるとともに収入も見込めない。 高齢者の集団自決をしなくても淘汰はされている 自然淘汰、病気とかでお亡くなりなる 経済淘汰、生活ができなくなって自殺 社会淘汰、社会が息苦しくて自殺(いじめとかで精神的に追い詰められる) これらって自然淘汰以外部分は社会に起因するもの だから文化とか捨てることになっても移民を受け入れようという人が出てくる でも最適化された社会を維持しようとしても、たぶん崩壊すると思う。 基本的に崩壊が避けられないなら、大国の州なり自治区なりの選択肢もあるんじゃない?と個人的には思っている。
・社会(文化を含む)が崩壊するのは最適化が進むからだと思う 個人が参入できるような状態ではない チェーン店とか組織化することによって、企業という形をとって成人したら企業で働くという概念があるからこそ、サービスや商品を低価格で提供できるとともに収入も見込めない。 高齢者の集団自決をしなくても淘汰はされている 自然淘汰、病気とかでお亡くなりなる 経済淘汰、生活ができなくなって自殺 社会淘汰、社会が息苦しくて自殺(いじめとかで精神的に追い詰められる) これらって自然淘汰以外部分は社会に起因するもの だから文化とか捨てることになっても移民を受け入れようという人が出てくる でも最適化された社会を維持しようとしても、たぶん崩壊すると思う。 基本的に崩壊が避けられないなら、大国の州なり自治区なりの選択肢もあるんじゃない?と個人的には思っている。
・昔は良かったという趣旨のコメントしただけで叩かれる。高齢者だって、最初から高齢者だったわけではなく、現役時代に働いて納税して、今があるのに、空を全く考えないひとが増えた。 物質的な豊かさと精神的な豊かさは全く違うし、田舎の人的交流はプライバシーの侵害とは紙一重。 この方の意見もかなり極端な印象を受けるけど、そのあたりを考えてコメントしないと、昔の生活や田舎の生活を全く知らない読者もいるのです。
・必要がないものは不要 というのは当たり前なのかもしれないけど 元々地球上に生物として命を得ただけの人類が 資本主義的な社会の中で働きが悪い、生産性が低い、稼げないからその存在が無駄!とまで言われなきゃいかないものなんだろうか 働け!稼げ!子ども産んでも預けて仕事行け!とあらゆる年代にいう時代。
火の番しながら何か作ってたら仲間が獲物とってきてくれてた石器時代の方がまだ人道的なんじゃないかと思う
・かつては姥捨て山なんてものもあったそうだが、同時にそれを窘めるような説話も各地に残されている。恐らくは、姥捨て山に高齢者を捨てても何も解決せず、むしろ悪影響があったのだろう。 高齢者医療の切り捨て例としてスウェーデンの例が良く持ち出されるが、それで特に医療費事情は改善していないし、あれだけ移民を受け入れても少子化の傾向は続いている。人間すぐに「悪いのはあいつらだ、あいつらがいなくなれば良くなる」って思想に流されがちだよね。
・生産性がないと切り捨てられた人には、本当は能力があるのに勝手にないと判断された人がたくさんいます。 頭が固くて人の能力を開発し、伸ばすことができない経営者や管理職こそ生産性がないのです。 今は転職先が見つかりやすい状態ですから、無能な人に使われるより早めに転職するのがゾンビ企業を淘汰させることにつながり、社会的にも有益です。 ただ、自分の無能を棚に上げて他人を貶める人にも一応人権はありますから、生活保護などの福祉を受ける権利はあります。 このような人に企業の地位を認めて多額の報酬を支払うより、彼らが企業を去って生活に困窮した場合は福祉で面倒を見る方が社会的コストは低くなり、生産性も上がるのではないでしょうか。
・高齢者は去れとは思っていないけれど、自分が高齢者になって感じる事は、今の世の中長生きし過ぎかなあと思う。自分は量より質の人生を送りたいので、80歳くらいで自然に逝くのが理想だけど、無駄に長生きしたらこの先どうなるのだろうと不安に感じる事がある。
・戦後に精神性を軽んじた結果が現在である 目に見えないものや宗教的な価値を語ると 胡散臭い目で見られ鼻で笑われる。 物質的豊かさは限界に近づいているのに まだその価値に縋ることしかできない 絆やら希望は手垢がついた言葉だが 学術語なら共同体や連帯が今日本には 一番大切だが世間では逆の方向に向かっている
・「生産性」の文言が結局いかに金を稼いだかのように使われていてとても違和感がある。老人は社会保障費を多く使うから生産性が悪いと見えても実は地域コミュニティ維持の側面では若者より生産性が高いだろう。 そしてそもそも金銭的生産性だけを重視するならロボットやAIに24時間365日任せられる仕事は任せた方が格段に生産性は高い。 だったらそもそも人間は必要なのか?社会や文明や国家が何の為に存在していてどのように発展してきたかを忘れているのではないだろうかと強く感じる。 弱者は邪魔でお荷物でコストだから切り捨てる…そんな思想が行き着く先は大体予想が付く。そして一番不思議なのはそんな考えを持っている人々は自分は決して弱者側にはならないと考えている節がある点だ。
・昔は定年も早く定年したら新しい人に引き継ぐ事ができていたから上手く回っていたが、今の丁度記事を書いた人達が引退しなくなって昔の成功体験を元に今の社会を動かそうとしてしまっていて中々若者にチャンスが来ない。やはり60歳もしくは65歳で引退してもらうような法律を作らないとこの歳の人は周りから現役で働いている事を褒められるしまだ自分は若いとか若者には負けないと思い込んでいる。職人でも経営者でも政治家でもキチッと引退して引き継いでいければ良かった。 この世代の人の上の人はちゃんと引き継いで引退していった。波平が56歳?くらいなのを見たらわかる。見た目が若いだけで中身は古いから現代に着いていけてないのに引っ張ってしまい若者を巻き込む。選挙権も65歳で終わりにしたら日本は大きく変わる。自分達が子や孫の利益を吸い上げて生活していると認識して自ら引退していってほしい。
・全く逆です。日本人は非常に裕福で、特に足りないもの、どうしても欲しいものはあまりない状態です。 ところが心は満たされません。 幼少時代は貧乏だったけど、子供達が集まって、色々な金のかからない遊びやハメを外したりしたのが楽しかったのです。ところが今は遊ぶことさえできないのです。 こうなると金持ちは貧乏人や出稼ぎの外国人を見下し、悦に入ろうとします。ただ、それだけでは満足出来ず、次は身近な誰かを支配しようとするのです。今の総理大臣なんてその典型でしょう。心の中はこれだけ。
ほれ、優秀な私がいなければ、あなたがただけでは何も出来ないのです。
哀れとしか言いようがありません。
・何でも経済優先の考え方がダメなんだと思う。昔の日本人は義理や人情、御縁と言ったものを大切にして来た。そして、縄文時代が続く長い歴史を生き来た。たかが、数百年の歴史しか無いアメリカより、よほど懐が深い思想があると思う。いつまで、アメリカ式のマネーゲームが続くとは思えない。
・結局この人は何が言いたいのかよくわからなかった。 「貧乏くさい」国になって残念ということは分かるが、そこに対する解決策や改善の道筋みたいなことは特に記載がない。(それを求めることが「貧乏くさい」のかも?) ただ昔は貧乏くさくないというが、高度成長期前はそもそも物質的にも技術的にもそこまで差がつきにくい状態だったから他人を羨むことがなかっただけで、当時の人だって今の環境下にいれば貧乏くさくなってたと思う。 実際、数年前まで幸福度ランキングで上位だったブータンだって情報が届くようになれば結局幸福度は下がるわけだし。
どうしてもこの世代の昔は違った論って参考になるポイントが無いんだよな…
・日本は昔から自然環境は豊かです。 ですが、「経済的には」ずっと貧しい国でした。 筆者はこの認識がありません。 何か勘違いしているとしか思えません。
太平洋戦争中、イギリスやアメリカに比べて、あまりに劣った兵站に愕然とした兵士の証言は幾つも残っています。 開戦前に既に国力差はどれだけ日本に甘くしても、アメリカの10分の1以下。
その旧敵国アメリカに、そして朝鮮戦争に助けられて、「一時的に」豊かになったので、トリクルダウンで、一億総中流に。 それを勘違いしただけです。
人口ボーナスは無くなり、加工貿易では稼げなくなりました。 豊かな自然環境は確かに今もありますが、海外の金持ちに徐々に買われている状況です。
日本国が豊かなのと、日本人が豊かなのは、別の話です。
日本人は貧乏だから、「かつてのように」高齢者に十分な医療や介護を施せなくなりつつあります。それ故の「集団自決」論の登場ですよ。
・働かずに国からお金を貰って生活している人の人数が増えれば、国が疲弊していくのは、当たり前の話です。 特定の誰かを非難する意図があるかは別の話で、事実は事実として受け止めるべきでしょう。
大切なのは、事実を受け止めた後で、どうしていくかです。 高齢者の集団自決が不謹慎というのは、その通りです。ただし「不謹慎だ」で思考停止して貰っては困ります。少子高齢化という目の前の問題は、放置していて良い訳ではありませんので。
社会保険料の納付期間延長は、その解決策の一つです。働ける高齢者に、悠々自適な老後を送って貰える余裕など、今とこれからの日本には無いのが、現実でしょう。都合の悪い現実とも、向き合っていく必要はあるはずです。
・日本の経済力が強かったのはここ200年ではほんの一瞬でしかない。戦前は貧しい国だった。宝くじで大当たりして我を忘れて浮かれ一瞬で使い果たしたようなもの。もうもとには戻れないと、その責任を押し付ける対象を探し、夢よもう一度と言ってるだけでは。
・貧乏くさくなるって事じゃなく貧乏になっているからでしょう。リアルに。 1991年と比べて平均年収は約470万から430万に下がり、可処分所得も20%程度減っている。政府の再配分は金持ちに分配し、預金額は増えるという悲惨な状況なので、貧乏くさくもなるでしょう。 お金でざっくり計算するとボーナス無しで考えて、1991年だと470万割る12ヶ月で、月額39万。これに対して今は430万割る12ヶ月で36万になり、可処分所得の20%の低下で約29万です。元の470万も今の額も控除分を引いてなく、ざっくり差額での計算ですが、これだけ減れば、国民も疲弊するし、貧乏くさくもなると思う。同じ日本人が外的要因もなく、貧乏くさくなるなんて無いと思うので、単純に自民党と財務省の政策の問題です。 だから変えないと改善は不可能ですね。
・長い間居座り続けているのは政治家なのでは?世の中の状況は変わりつつあるのに過去の功績をいまだに自慢し、世間ではハラスメントが常態化していて問題になっているのに年寄りの議員さんたちはきつい物言いで都合が悪くなると逆切れ・・・ 年寄りの政治家たちは将来のことなんてさほど考えていない。老い先短いし、経済的にも十分潤っている。将来のことを話し合っているように見えて、他人ごとでは? 政治家も定年を設けて将来のことを本気で考えなければ自分たちの身に降りかかってくる年代の方たちが活躍していかなければよいアイディアも浮かばない。どんな世界でも経験を積んだ年寄りたちは一線から身を引いてサポートに回り、アドバイスを送る立場になってほしい。それが若い人たちの支えになると思います。
・貧乏くさいんじゃない、逆ですね。
いまの日本はどんどん貧乏になっていってる。その理由は何か?突き詰めて考えたら「もてなし」などに象徴される日本の生産性を無視した非効率な社会やビジネスの考え方に問題があり、それが高齢化が加速していくことでますます変えにくい状況になってきていることがあるところなのだと思います。
そういう意味では社会の効率化と生産性改善を阻む存在である高齢者に一言言いたいケースや、生産性を阻むものをバッサリと切り捨てる声が日本社会の中に出てくることは不思議ではないと思いますけどね。
むしろ日本のことを「豊かなはずの国」と思い込んで日本が変わっていくことの邪魔をして日本が没落していくことをただ見ているだけの人のほうが問題多いと思いますけどね。
もちろん、何もしなければラクですから変わらないほうがラクだと思いますけど、その先に起きることも考えてみないとね。
・生産性がない人には生きる価値がないという根本は、「働くことが生きがいであり正しい」という思想がもとにあるから。一部のキリスト教やユダヤ教のように「現世や前世の罰を原因として贖罪の為に働け」という思想であれば、働く生産性と生きる目的とは分離される。
日本では「豊か」という概念を、金銭的なものだけで考える「自称・経済学者」が多いからだろう。ただし「生きがい搾取」「生きがい洗脳」を行う各種団体や宗教も、どうかと思うが。。。
・>冬の夜は大人たちが「火の用心」と言いながら、町内を巡回し、日曜の朝は総出で「どぶさらい」をした。子どもたちはさまざまな工夫を凝らして遊びを発明して、日が暮れるまで路地や神社の境内で時を忘れて遊び続けた。貧乏だったけれど、子ども時代の私はまったく不幸ではなかった。
ただ親に聞いた話だとただただめんどくさかったと言ってたw 今はいやといえるまともな世の中になっただけで、 昔はいやといえない空気感があってよっぽど不自由だった。
その時代の子供もスマホがあれば今と何も変わらない遊び方になる。 昔がよかったという人は、すでに昔の人で、現代から置いてかれてる人。
今の若者はーとか言う親父は、壁画の時代からいたんだからね。
・取り敢えず、我々氷河期世代は老齢世代になっても余裕は無く、死ぬまで働き続けなくてはならない。 老後などと言う言葉は消え去り死語となり、死なないので働く、という有様でしかない。 最終的には数え切れないほどの孤独死と事故物件だ。(まあその頃には侵食してきた外国人が安く借りるだろうが)
老齢世代になったら、親戚や世間様に迷惑をかけなくても良いように、安楽死制度を是非。 自死しても孤独死でも迷惑ばかりだからな、安楽死でも税金ある程度使うことになるだろうが、他よりは圧倒的に良いだろうさ。
・リベラルの成れの果てという感じでしょうか。 年金は賦課方式です。現役世帯が支えています。誰かが働いて納税しているから、福祉に予算が回せるのです。 福祉は金です。大きい福祉は金がなければ何もできません。 この事実を無視して権利ばかり主張しても、何一つ解決しませんよ。その主張を聞き入れる方には精神的経済的余裕が必要です。 まずは稼がないと。稼ぐことに真正面から汗をかくべきですよ。
・日本はむしろ綺麗事や感情論がほとんどで臭い物に蓋をしてばかりいる。成田さんも言葉を選ぶべきだったのは否定しないが、感情論抜きにして、時代に付いて行けなくなり、考え方に柔軟性もないような人達がいつまでも権力の座に居座っていると生産性が下がるというのはごもっとも。老人に都合の悪いことはタブー視する風潮だが、あながち間違ってはいないのだから仕方ない。
・時代の変遷の中に、豊かだとか貧困だとか言ってる人って、人生に参加できない人かな。○○学者が一番生産性がないのでは? 今は、豊かなはず でも 貧乏臭くでもなく、政治の腐敗があるだけで人々は自分というものをじっくり見つめて賢明に懸命に生きている。
・>ある時期から日本人は「貧乏くさく」なった それは高度成長期を楽に過ごしてきた者の感想でしょう。その高度成長期さえ一般家庭では「おまんまを残したら目が潰れる」といってご飯粒のひとつさえ大事にしていたのだ。バブルが弾けて社会全体がコスト意識を持って生活し始めたのは、企業の生き残り戦術が広く一般に浸透したからに他ならない。それは経済活動がそうせざるを得ないほど追い込まれたゆえの必然であり、みんなが心から貧乏くさくなったわけではない。経済を立て直せばいくらでも改善できる。
・何が人生100年時代だよ。支える世代の身になってくれ。氷河期世代の私達は古い世代にいいように使われて切り捨てられてきたのよね。私たちも後20年位老体に鞭打って働くのだよね。私よりも若い世代やうちの子供の世代にもこれ以上負担をかけたくないのだよ。後がつかえてる。切り捨てどきだと思う。集団自決上等や。ある程度の年齢になったら苦しまずに自決できる制度を作ってください。私もその方が気楽だわ。間に合わない老後の準備に頭を抱えなくて済むからね。
・浮力・揚力が得られない状況で、即効性のある方策を捻り出せと言われたら、優先度に従って積み荷を棄てるしか無いでしょう
と云う話 気長に待てるなら話が変わるけんだろうけど、それを期待した結果が少子高齢化や不良外国人と汚職議員の蔓延るって地獄 どれを間引けば話が早いの?って事を聞かれたままに答えただけであって、そのものズバリを言わないまでも言葉を変えて何とかご退出願いたい旨はあったでしょうよ?
昆虫並みの合理性を持たない不完全な状態を人間性として肯定するなら、それに殉じて緩やかに滅びるしか無いよね?
・「高齢者の集団自決」は発言者の意図と異なる解釈をされており発言の切り取りだと思います。 高齢者の生命そのものを問題にしているのではなく、 際限なく増える社会保証費の問題に正面から向き合う必要を説いていると考えています。
・そういう考えが害悪というのです。
戦争は悪と言うけれど発展に置いては成果はあった。またお互いの資産や思想などを奪うため否定するために、起こった事は貧乏だったからでしょうか?
この記事のように黄金の国と呼ばれた日本は鎖国(一部の国との交易)でも平和が成り立ってきた国。
使えるものは親でも使うというように日本の歴史では(貧乏から)再利用など(貧乏くさい)が普通に行われてきた。そこは否定するところではない。
問題なのはバブル期を生きた人(年配者)たちがバブル期から抜け出せてないこと。とくに(政党)政治家。 あればあるだけ使う。金は湧いて出るものではない。
もし本当の意味で貧乏くさいと思うのなら、年配者は…例えば年金は月14万円ですが10万円でいいです。なんていえますか?
年配者に若者たちはもらえている分、主に氷河期世代にしわ寄せが言っていることに気がついてますか?
・高齢化して現役世代が苦しんでいる。
そして、人口の多い世代はリタイアすることさえ許されないような、定年延長や高齢者の基準の引き上げを現実に見ている。
現役世代が辛いと感じているのは事実で、国力がどうとかもはや関係ない。 その国力を支えることが難しいと感じているんだよ。
貧乏で良かったころまで税金を下げて欲しい。 当時はボーナスに所得税はなかった。 今は、退職金にまで手をつけようとしている。
無責任にかっこいいことばかり言うな!
・話の腰を折ってしまうのだが、仮に年金受給者が今すぐ半分になったとしても、政府の搾取は何一つ変わらないと思う。今の状況ですら抑えてるくらいでしょうから。 又年金受給者であっても消費者ですから、経済状況が好転するとも思えないんですよね。
・「高齢者の集団自決」 生産性のない者は去れと現役世代が声を大にしている様に書かれているが本当にそうだろうか? 私はこれは新たな優生思想であってマスコミが騒ぎ立てることで助長しているだけではないかと感じてしまう。 この国は金銭的に豊かな方が豊かで幸せを享受していると勘違いしているのではないだろうか? 成功するためには誰かを蹴落とす。それが当たり前となり、常に自分を他者と比較して生きる世界が幸せであるはずはないと思う。 日本は心が貧しい国に向かって進んでいるのだと思う。
・別にとある若い(くもない)経済学者は「生産性」の話をしたわけじゃないと思う。
>食文化もエンターテインメントも伝統芸能も世界標準を超えるものがいくつもある。「国力そのもの」には十分な厚みがある。これを国民みんなが大切に使い延ばし、守り育ててゆけば、あと百年くらいは「豊かで暮らしやすい国」として存続させることは難しいことではない。 それを利権のためにさせないのが利権をもった高齢者だから、高齢者の集団自決と揶揄したのでしょう。
実際、この経済学者は世界的な水準から考えても決して若くなく、この記事を書いている学者は後期高齢者です。そんな彼がぜんぜん若くもない学者に教授の席を譲るでもなくこうやって大手のメディアにいつまでも寄稿して、「自分たちは大事にされるべきだ。お前らがおかしい」と批判してるわけだ。もちろん記事を依頼してる人も問題。 この構造こそがその経済学者が訴えてる日本の歪みですよ。
・ホロコーストは人種差別を根底とする思想の結果であって、実際にはユダヤ人は多くの優れた学者、科学者、芸術家、実業家を排出しており「劣っている」という認識そのものが間違っていたため結果が伴わなかっただけ 優秀な人種を排除して国運が高まるわけがないのは当然のこと
一方で日本において実際に能力が衰え枯渇し古い成功体験に縛られている高齢者が社会の中枢に多く居座っていることは社会に不利益を為すことは事実 さすがに高齢者の集団自決を支持するものではないが、退いてもらう仕組みは必要と思う
ホロコーストの件とは完全に前提を異にしており同列に比較するのは飛躍が過ぎると言わざるを得ない
・結局 子育ての金と時間で遊んでいながら、老後の社会保証を他人の子供におんぶにだっこって人が増えたので回らなくなった。
俗にいう負担の公平という観点から見ると、子育ての時間とお金についてが、完全に抜けている。
そして、子育ての金で老後を豊かに暮らす老人は、生産性以上に消費者層としての役割を担っている。
誤った選択が起こらないよう過去の失敗を参考にすべき。 日本はバブル崩壊時に引き締め政策を行ったが、アメリカはリーマンショック時に緩和することで乗り切った。 ※中国もバブル崩壊と言われているが、上記の事例を参考に乗り切るだろう。
同様に、過去の事例を正確に判断すべきだ。
・まずはますこみが占領軍やとくあや利権村の支持された通りに記事を書くのをやめるところから始めるべきね
この国は地理的に有利だし、その分無駄な犠牲が無いだけ豊かである
海外の人の指摘を見ればそれは明らかである それすらも不意にしようと支持されて努力している連中がいる
ますこみは基本ダブルスピークを使用している 豊かと貧乏という言葉を同時に使っている時点で明らかである
こうして言葉の意味を少しでも失わせ 読者から情報への関心を奪い 無知にすることが目的である
・これだけ社会保障費の負担が増えるとヘイトが向くのも仕方ないかなとは思う 自分の生活もギリギリで色んな物を諦めながら何で老人を支えなきゃいけないんだよって気持ちはどうしたって出る しかも今の老人って、言ったら逃げ切り世代で自分達が老人になる時はもっと悲惨になるのが目に見えてるので余計に
・生産性が低い奴は去れ、去った生産性の低かった人々は国内で無職となり生活程を受けるようになる、そんな人がどんどん増えて行くとどうなるか 生産性が低くてもコツコツと頑張ろうが正解なんですよね 様々な職業があり多種多様な技術が受け継がれ守られるそんな国だったはずだ 日本が共産化してるのは全員が同じことをしなきゃダメみたいな風潮が出来た事だ、個性を大事にと言いつつ少し変わった物や人を集団からはぶき出す 陰険ないじめはそういった退廃的な空気から生まれると私は思う 貧乏くさいのは個性が無く皆が同じものを纏ってるからだ
・こういう観点も真実だな。 例えば、今は生活保護を受けるのを当たり前だと思っている人が大半だろうけど、私が子供の時には恥ずかしい事という意識が強かったと思う。
・この人さ、自分がやりたくないこととか割りに合わなくて見向きもしないこととかを、生活が苦しい年配者とか学歴が無くて仕方なく働いてくれてる人が居るから、世の中が回ってるって知らないのかな? 上っ面だけ見て見下すのは違うと思う。
・さりとて、貧乏くささがいやで、見栄を張って、有害無益な方を無理して受け入れるのも違うでしょう。
中間でどっちでもない人が緩やかに穏やかでありつつも刺激を持って活きて生ける社会にするには、国防とかそう言うのをある程度高めて、足の引っ張り合いから距離を取るのも大事でしょうね。
日本の国力が落ちたとか言っても、自分自身の歳と共に感じてきたものと同じで、衰える時期もある。
少し前まで皆んなで衰退しようってやってた結果が今出ているだけだし、言うほど皆で衰退しようってやった世界観で、素直にそう思った一部の人々が好き勝手して公共を使い倒して、持続不可能な状態にしてるだけにも見えるよ。
見栄がはれなくなってきた。それを受け入れて、若者がそう言うのを見えないなりに頑張っているのをどう活かせるようにするか?が重要な気がするけれどもね。
・成田悠輔の極論は日本よりアメリカのメディアで話題だった。ニューヨークタイムズも取り上げていたし、スタンフォード大学へ質問状も出した筈。要は経済学的用語では無く、「第二次大戦やら昔の切腹やらを想起させるオドロオドロシイ日本の知識人の言説」という脈絡で米国では思われていた様に思う。それに富の分配や格差を富裕層と貧者という認識では無く、高齢者と若者等という切り口や認識も特殊日本的であると思う。
・ここ数十年で思うことは、無理矢理国を 豊かにしようとしても、反動の方が大きい ってところかな。
前提となる「昔の成功体験をなぞれば 豊かになる」ってストーリーが 通用しなくなったってのも 大きいとは思うけど。
・豊かさとは、経済性を重視し無駄を排し希求する先にあるのではなく、無駄に思えるものも楽しみ、またそれを許容した先にあるものなのかもしれない。
・防衛費の倍増を揶揄しているけど、周辺国の軍事費が倍増どころでなく増えていることを無視している バランスが崩れると、囲まれて軍事演習されたり、芸能人が一斉に政治的意見を表明させられたりするんだけど、見えていないのかな
・「そんなに怠けて生活してきたわけではないのに、人と比較して平均的な暮らしをしているとは思えない」という環境に置かれた場合、損をしていると感じる人は多いのではないでしょうか。 自分は現代日本人しか知らないですが、人は得をするよりも損を避ける傾向にあるように思います。損が避けがたい場合は、損をする理由を探して納得したくなってきます。自分がバカだから、病気だから、誰かがズルをしているなど、本記事の貧乏くさい言動に繋がります。マスコミはこの心理を使って誘導するため、損の強調や炎上案件の紹介ばかりしているのです。警鐘も悪く解釈すれば、このままでは損をするぞ、である。 大事なのは普段の生活に損を感じさせないこと、感じないこと。他人に脅かされないという安心。
・そうは言うけど、保身と自己の権益保守のためにその学者の世代を社会から締め出し、ブラック労働を押し付けて自己責任だって言ったのは今の高齢者世代でしょ。
じゃあその人らが社会や他人のことなんか考えねーよ、って言ったところで誰が責められるんだって話だよ。 それでもその学者は少なくとも社会や後世代のことは考えてるだろ。
高齢者が自分らだけの「豊かさ」を守ろうとして、後世代に問題を押し付けてる現実を認識しろ、落とし前をつけろ、って言ってる話に過ぎないのに酷いだの貧乏臭いだの話をすり替えるんじゃないよ高齢者。
・高齢者のわがままに対応するためにお金がかかり、その負担が現役世代に重くのしかかっているからだろう。 引っ越したくないという高齢者しかいないぽつんと一軒家に、なぜ電気やガスを供給しなければいけないのだろうか?
・成田祐輔氏が指摘したのは、明らかにコミュニケーション能力や判断能力の劣った人達が、権力をもって社会の新陳代謝を妨げていることだったと記憶しているが? 彼は生産性云々などと言ってはいないし、そもそも、生産性を上げることが社会や人にとって幸福な事という認識も持っていないと思うが?
それを踏まえると、この記事の内容はストローマン論法というか、ポジショントーク的だと思う。
・この国が豊かだと思っている時点で馬鹿だと思う。 少子化が進んでいる上に、稼ぐ産業がトヨタしか見当たらない現状では、貧乏くさいに決まっている。 まあ、若い人から見ると、自分たちのことで必死で、高齢者なんてどうでもいいと思っているのだけど、 それも、この記事の執筆者たちの世代が、次の世代に対して行った教育の結果でしかない。
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