( 177558 )  2024/06/05 00:39:02  
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小沢一郎氏は立憲民主党の政治資金パーティーの問題について批判し、政治家の信用回復を訴えている。

彼は政治資金パーティーの禁止法案について提案し、党内でパーティーの開催が計画されていたことに対して意義を唱えました。

彼は地元で事務所を構え、有権者の声を聞くことの重要性を訴え、全体主義よりも民主主義を支持しています。

また、政治家の誤りを正せる概念である「可謬性の哲学」を保守主義として捉えています。

(要約)

( 177560 )  2024/06/05 00:39:02  
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小沢一郎氏 

 

【岩田温 日本の選択】 

 

久々に野党議員から正論を聞いた。文字通りの「正論」である。 

 

まず、確認しておこう。 

 

【写真】鳩山由紀夫元首相と話し込む立憲民主党の小沢一郎議員 

 

立憲民主党は政治資金パーティーを全面禁止するための法案を国会に提出した。それにも関わらず、岡田克也幹事長や大串博志選対委員長ら一部の幹部が、政治資金パーティーの開催を予定していたことが発覚した。 

 

意味不明な選択である。国民が怒りの声をあげると、突如、自分たちのパーティーの自粛を決め込んだ。「朝令暮改」とは、このことを言う。 

 

筋違いで、場あたり的行動を繰り返す党のあり方に異を唱えたのが、立憲民主党の小沢一郎衆院議員である。彼の発言こそが正論であった。小沢氏は政治資金パーティーの存在を否定しない。政治には金がかかることを彼は熟知しているからである。 

 

地元に事務所を構え、私設秘書を置く。選挙のためでもあるが、有権者の声を聞くためでもある。地域の人々の声を聞かずして、何のための政治家なのか。 

 

不正で不透明な金のあり方には異を唱えるが、「政治と金」の問題をすべて問題視はしない。金のかからない政治を求めるならば、民主主義は不要だからだ。 

 

考えてみれば、全体主義に金はかからない。地域の人々の声など無視すればよいからだ。陳情も訴えもすべて不要。住民の意向など一顧だにしない。それが全体主義だ。為政者は権力を行使し、人々はそれに従うだけでよい。 

 

民主主義社会では、誰もが過ちを犯し、正す必要がある。誤りのない人など存在しない。その「可謬性(かびゅうせい)の哲学」こそが保守主義だ。 

 

小沢氏が否定するのは、意味不明な理屈に終始する政治家たちである。彼は言う。 

 

「信じられない。頭がおかしいのではないか。法案を出したのだから、その時点で(立憲民主党の政治資金パーティーの開催は)なしなのだ」 

 

誰がどう聞いてみても正論である。さらに、小沢氏は続ける。 

 

「世間から見れば、『パーティー禁止の法案を出したのに、党執行部が先頭に立って(パーティーを)開催するとは、どういうことか』となり、信じられない。法案が成立するまでパーティーをやるということは、『警察が来るまで、盗人をやれ』みたいな話ではないか」 

 

信なくば立たず。国民から、疑われるような行為は厳に慎むべきであろう。盗人猛々(たけだけ)しいような政治の世界を、一般国民は蛇蝎(だかつ)の如く嫌悪している。 

 

 

政治家は信用できない。噓しかつかないからだ。しかし、これでは馬鹿げている。国が亡びる。 

 

私が本当に愛するのは現実だ。現実を跳び越えた野望に意味はない。政治家は国民の信用を取り戻すべく尽力せよ。 

 

■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。大和大学准教授などを経て、現在、一般社団法人日本学術機構代表理事。専攻は政治哲学。著書に『いい加減にしろ!』(ワック)、『日本再建を阻む人々』(かや書房)、『興国と亡国―保守主義とリベラリズム』(同)など多数。ユーチューブで「岩田温チャンネル」を配信中。 

 

 

 
 

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