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飯塚事件の再審開始認めず 元死刑囚の第2次請求 福岡地裁決定

毎日新聞 6/5(水) 10:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/cabdc6ce7bf4d0a4423a76bc6e3cbf5792f4e75f

 

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福岡県飯塚市で1992年に起きた「飯塚事件」で死刑が確定した久間三千年元死刑囚の再審請求が認められず、裁判のやり直しを求める弁護団が不服として即時抗告することを決めた。

再審請求の理由は、事件当日の目撃証言に関する新証拠だったが、裁判所はこの証言が無罪を裏付けるほどのものではないとして再審を認めなかった。

検察側は被害女児の目撃供述の信用性に疑問を呈し、請求棄却を主張していた。

元死刑囚の有罪が確定した理由は、状況証拠を総合的に検討し、被害女児の連れ去り現場や血液型の一致などを根拠にしている。

(要約)

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飯塚事件再審可否決定を前に再審を訴える弁護団ら=福岡地裁前で2024年6月5日午前9時43分、矢頭智剛撮影 

 

 福岡県飯塚市で1992年に小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で略取誘拐や殺人罪に問われて死刑が確定し、2008年に執行された久間三千年(くまみちとし)元死刑囚(執行時70歳)の第2次再審請求審で、福岡地裁は5日、裁判のやり直し(再審)を認めない決定を出した。弁護側が「新証拠」として提出した2人の事件当日の目撃証言について、鈴嶋晋一裁判長は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠とは認められない。再審請求は理由がない」と述べた。 

 

【写真で見る】社会に衝撃を与えた事件 

 

 死刑執行後に再審開始決定が出た例はなく、地裁の判断が注目されていた。弁護側は決定を不服として10日までに即時抗告する方針。 

 

 殺人罪に問われた久間元死刑囚は94年の逮捕時から一貫して無罪を主張。06年9月に最高裁で上告が棄却されて、その後死刑が確定し、再審請求の準備中だった08年10月に刑が執行された。09年10月に妻が1回目の再審請求をしたが、地裁が再審を認めず、福岡高裁と最高裁も支持した。妻が21年7月に2回目の再審請求をしていた。 

 

 第2次再審請求審の焦点は、確定判決で被害女児2人の「最後の目撃者」とされた当時20代の女性の新証言の信用性だった。弁護側は、女性が「見たのは当日ではない。当時も捜査当局に『その日に見たのか、はっきりしない』と説明したが聞き入れてもらえなかった」などと述べた供述録取書を新証拠として提出。女性の当時の目撃証言を基に連れ去り現場と時間を認定した確定判決は「誤りだ」と主張し、再審開始を求めた。 

 

 一方、検察側は「被害女児の目撃供述の重みを抱えきれなくなり、『記憶違いだった』と思い込むようになった。信用性はない」などと反論し、請求棄却を求めていた。 

 

 確定判決は、元死刑囚と事件への関与を示す直接的な証拠はないとしつつ、複数の状況証拠を総合的に検討。当時20代の女性の最後の目撃証言を基に、2人は「事件当日の午前8時半~50分ごろ」に「飯塚市の三差路付近」で連れ去られたと認定。その上で①元死刑囚の車と特徴が似た紺色のワゴン車が「三差路付近」と、衣類など遺品の遺棄現場の両方で目撃されていた②元死刑囚の車に血や尿の痕があり、血痕は被害女児1人と血液型が一致した――ことなどを認定し、元死刑囚を有罪と判断した。【志村一也】 

 

 ◇飯塚事件 

 

 1992年2月、福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が行方不明になり、同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体で見つかった。県警は94年9月、小学校の通学区域内に住む久間三千年(くまみちとし)元死刑囚を逮捕。一貫して無実を訴えたが、殺人罪などで死刑判決が2006年に確定し、08年に執行された。確定判決によると、元死刑囚は92年2月20日午前8時半~50分ごろ、飯塚市の三差路付近の路上で、登校中の女児2人を車に乗せて連れ去り、同9時ごろまでに首を絞めて殺害。同11時ごろ、甘木市の山中に2人の遺体を遺棄した。 

 

 

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(まとめ) 

日本の裁判や警察捜査において、状況証拠や自白に基づく判決や執行に対して疑問や不信感を持つ声が多く挙がっています。

特に冤罪の可能性や再審の必要性についての意見が根強く、公正な裁判や真実の究明を求める声が見られます。

多くの意見では、DNA鑑定の精度や新たな証拠の発見など、技術や裁判手続きの改善が提案されています。

また、推定無罪の原則や公正な裁判の重要性を強調する声も多く、司法システムの見直しが求められています。

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・交通事故の目撃調べで、あやふやに感じていることも誘導的に筋通りに作成されてゆくと感じたことがある。「〜ですよね」に肯定しないと一般論から入り、その一般論に対してそういうものかと頷くと「はいその通りです」と答えたことになっていたりする。危険な領域と実感した。 

 

 

・Wikiを見るとかなり詳しく背景が載っていますね。もちろんこれも、関係者しか知りえない情報などは載ってはいないでしょうけど…。 

 

直接の証拠はなく、状況証拠を積み重ねて逮捕、起訴に至ったのかなとみて取れました。DNA型の鑑定方式の過渡期で、捜査や裁判が進む時期に新たな鑑定方式ができたり、時代を語るうえで重要な事件だなと思いますね。 

DNA型、証言に元死刑囚が犯人とは言い切れない要素が見え隠れはするのですが、犯行に使われたとみられる車の特徴、中の鑑識の結果がオンリーワンに近い具合で。ここを覆す何か新証拠などがないと、再審まではちょっと厳しいのかな、という印象を持ってます。 

 

 

・取り調べは録画した方がいいと思います。誰しもが見れる必要はありませんがもめたときに裁判で使用できるようにしておいて損はないと思います。警察による冤罪の抑止効果にもなると思いますし。 

 

 

・真相はなんとも言えない1件だと思います。 

ただ仮に、真犯人が別にいるとしても、そういった疑いがある人物はいない。 

そして、福岡近辺で同様な女児を標的にした誘拐殺人事件は、元死刑囚の逮捕後起こっていない。 

一般人の自分にはそれは何よりだと思ってしまうな。 

被害者のご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・妥当な判決と感じます。私が目撃者であっても事件から何年も何回も弁護側から話を聞かれたら記憶が変遷していきそうに思いますし、そのプレッシャーから逃げたいと思うと思う。 

記憶が新しい時の話の方がまだ信用できるというのは裁判でなくても当然のことです。 

 

 

・予想通りです。ただ状況証拠は確かに被告に不利であるが決定的な物証もなく、本人は最後まで否定していた。またDNA鑑定に関しても疑惑が残る。何より不可思議なのは判決後わずか二年でアットいう間に執行された事である。冤罪の疑い等全くないのに何十年も生かされてる死刑囚等いくらでもいるのに。こうなったらこの前の何十年も追われてだけど自らの死を前にして自ら自首した元過激派みたいに死期をさとった真犯人が良心の呵責に耐えきれず名乗り出る事である。でもそんな事になったら大変だヨ。死刑反対派は鬼の首でもとったかのように騒ぎだすだろうし、法治国家としての司法が根底から揺らぐ。何しろ無実の人間を国が殺したんだから。 

 

 

・部分的な状況を追及すれば無罪の可能性も出てくる。ただし総合的に捉えれば久間が犯人であった可能性の方が高い。被害者2名のほかに、1名の女の子が久間との接触後に行方不明になっている事実もある。死刑も妥当で今回の再審開始が却下されたのも総合的に判断された結果だと思う。 

 

 

・1992年当時仕事で飯塚の小学校を行き来していたので忘れられない事件です 

犯人が逮捕された際には皆が久間元死刑囚のことを非難し死刑判決は当然であるという考えでした 私もその一人でした その後飯塚事件の真相を探るような数々の報道を見るたびにもしかして冤罪事件だったのかなと私自身は思うようになりました しかし事件が気になり改めて目撃者の証言や裁判記録を自分自身で確認していくと飯塚事件は本当に冤罪だったのかなという印象に変わっていきました こちらのコメントでも賛否両論あるようですが気になる方はご自身で色々な情報を精査されてみて下さい 私は今回の福岡地裁の決定を支持する考えになっています 

 

 

・目撃証言が間違っていたという目撃者の証言である。 

そのとおりであれば再審開始となるかもしれないが、「なんで今頃になって目撃者が証言を覆すのか。覆すのなら確定前にできたのに。」との疑問が出てくる。 

弁護団はそのような疑問を払拭するための活動をしたのだろうか。 

 

 

・時代背景的に冤罪の可能性は拭いきれないしDNAについても今と比べて精度がかなり悪いと思う。自分は死刑反対派ではないが極刑を言い渡すにはこの記事を読む限りでは少し疑問があると感じた。ただ、状況証拠とはいえ犯人以外に犯行不可能なのであれば判決は間違いないと言えるし当時の証言や証拠を今更ひっくり返すのも難しいし妥当な結果なのかな。 

 

 

 

・当然の結果です。 

 

この事件は、DNA鑑定が再審無罪になった足利事件と同じ型だったことから、マスコミが「東の足利、西の飯塚」と騒ぎ出し、あたかも冤罪であるかのように印象操作をしたが、実際は、足利事件とは証拠関係が全く異なる。 

 

実際に、冤罪が主張されるいくつかの事件では、日弁連が再審支援を行っている(足利事件や袴田事件については、日弁連が再審支援をしていた)が、この飯塚事件については、日弁連は再審支援をしていない。 

 

本当に、マスコミが騒ぐような冤罪の可能性が高いならば、日弁連が黙ってるはずがない。 

しかし、この事件については、日弁連は沈黙している。マスコミに煽られて冤罪説を信じちゃってる人達は、このことの意味をよく考えてほしいですね。 

 

 

・「目撃者は何日も経ってから証言しているので供述に信憑性はない。 

警察に車を見せてもらい誘導された!」と弁護団は言ってますが、 

 

警察に車両を見せてもらう前から大体同じ証言を同僚にしている。 

目撃した翌日には同僚に不審車両について話している 

 

そもそも目撃者は車に興味関心がある人なので車種に詳しい。 

遺棄現場だけで無く、誘拐現場でも同種の車が目撃されている 

 

他にも長々と目撃者の信憑性について議論されて結果的に「信頼できる」と認定されています 

 

目撃者の発言について疑うなら、目撃者の同僚が「証人が警察と接触する前から、証人は不審車両について語っており、その内容は公判の供述と変わりない」と証言してる事について、弁護団はまずはどう思ってるの語るべきなのに、意図的に無視している 

 

ところで、証人の住所がマスコミに垂れ流しな上、自宅に弁護士やマスコミが押しかけるのは(=圧力)許されるんですかね? 

 

 

・再審制度は、確定判決が出たあとに例外的に刑事裁判のやり直しを認めるものです。 

 

したがって、再審が認められるための要件として、弁護側は無罪を証明するための新証拠を裁判所に提出しなければなりません。 

しかも、それらの新証拠に「新規性」と「明白性」が必要なので、再審が認められるにはかなりハードルが高いものです。 

 

再審請求はかなりの数が出されますが、ハードルが高いが故に、大半は裁判所によって却下されます。 

人権派、死刑反対の弁護士が死刑回避のために苦し紛れに再審請求をすることも多く、冤罪の疑いが濃厚な事件に限って再審請求するのはいいと思いますが、必要か疑わしい事件にまで再審請求をすることは控えてもらいたいですね 

 

 

・昔の鑑定とか証言は現代の鑑定より質は悪い。直接証拠が乏しい事件は冤罪の可能性が多々ある事になるが、状況的に、記憶が違った、とか、どう考えても、とか、あれを見た、とか、は曖昧な表現になる。法曹の世界では、検察・弁護の作成した調書とか、証言・証拠が、裁判材料になる訳で、それが信用できないとなれば、その調書、証言・証拠が採用されない。なかなか判決を覆すのは難しいだろう。真実は神のみぞ知るのかも知れない。 

 

 

・証言を覆した目撃者の方は勇気のある行動だと思います。 

 

状況証拠の血液型は元死刑囚の家族の血液型とも一致していたそうです。 

 

科捜研の杜撰な鑑定を考えると尿反応すら怪しく感じます。 

 

一部、容疑者や家族の供述が変わったこと等から冤罪ではないと主張されている方がいますが、なんら変哲もない数ヶ月前の1日の行動を思い出せる方がいますでしょうか? 

 

真実は分かりませんが、個人的には疑問を感じざるを得ません。 

 

せめて、再審しても良い気がします。 

 

 

・今の時代であれば各所にある防犯カメラやドライブレコーダーなどの証拠、精度の高いDNA鑑定などと、操作技術の向上で冤罪抑止になると思うけど。 

 

当時の痛ましい事件としては世間の警察への目で「なにがなんでも犯人をあげる」というプロパガンダが警察に働いてもおかしくなかっただろう。 

本当に有罪か無罪かは今となってはわからないのかもしれないが、亡くなった子の遺族の心情、再診を受け入れられなかった被告の遺族、どちらも後味悪い結果なんじゃないかな。 

 

 

・今の裁判所及び裁判官は日本の優秀な検察が起訴した事件なのだからと推定有罪から裁判をスタートさせている。 

本来はこの検察が示す証拠、供述に対して本当にそうなのだろうかといった所からスタートしないといけないと思う。 

サラリーマン判事が増えた事は嘆かわしいというより怖い世の中と言わざるを得ない気がします。 

何か無実の罪で捕まったとして、裁判になれば公正な裁判所で無実が立証されるなどと淡い期待など絶対にしてはいけない。 

 

 

・再審には犯人足り得ない決定的な物的新証拠の大原則 

今回の目撃女性の証言は一度法廷で証言してからの証言を何十年も経ってから翻した証言はアテにならないとの判断ですよね 

元々この証言女性が被害者少女を目撃した時間てのは少女達が遅刻しなければ目撃できない時間帯です、二週間前まで遡っても被害者少女達が遅刻したのはこの事件当日だけなんで他の日では証言女性が被害者少女を目撃するはずが無いこの目撃女性の証言も違う日というのもおかしい 

更にこの証言女性は最後の目撃者というだけで他にも数分前に通学路で地域住民多数の目撃証言も有る…再審に至るには久間氏の車と思しき車の遺棄現場と拉致と思しき現場の目撃情報や所有車の血痕尿痕の理由、被害者女児の衣服に付着していた久間氏所有車のシート繊維片の理由、久間氏の何度も変遷するアリバイの証明、女性に現金を渡してアリバイ工作した件などから冤罪足りうる物証や証言を探すしかないね 

 

 

・この事件の第一審判決を読むと、認定に不合理な点はないように思える。批判をするなら、まずよく判決を読んでほしい。 

DNAのことも取り上げられているが、この確定判決は足利事件とは違ってDNAを決め手にはしていない。かなり慎重に判断している印象がある。 

今回の結論については、証拠の内容は不明なので、判断が妥当だったかは分からない。もちろん冤罪の可能性はあるが、時間が経ってからの新供述については「なぜ今更?」という疑問もぬぐえない。 

 

 

・この事件はもし冤罪だとしたらその当時のDNA鑑定の正確性の低さを露呈し、警察の信用性の急低下のみならず、再鑑定をしなくてはならない事件が膨大の量になるので頑なに再審を認めないという説がある。 

ただ、飯塚事件の前にも同地区では不可解な幼女の失踪事件や死刑になった久間さんのウワサもこの事件の真相をにじませるものであるのも確かである。 

 

 

 

・袴田事件もそうなんですが、「被疑者が犯人かどうか」を問題にしている人が多いのが気になります。 

被害者を殺害する瞬間が防犯カメラに映ってでもいない限り、真実を証明することなど誰にもできません。 

ですから「どう見てもこいつが犯人だ!」と思えたとしても、捜査に違法性があったり、科学的に裏付けの取れた証拠がなかった場合は有罪にしてはならないのです。 

個人的には飯塚事件には大した興味はないというか、正直どうでもいいのですが、中学生で習うはずの司法の原則を忘れてしまっている人が多いのは心配になりますね。 

 

 

・この事件にかかわらず、犯人と被害者がいる 

またこのニュースサイトも含め、過去の重大事件で苦しんでいる被害者家族への、インタビューも掲載されているが、犯人(被告)側家族が求める再審と被害者家族が対立してもおかしくないのに、その様な記事や行動ってどうだったのだろうか 

事件を解決しようとしている警察を、悪に駆り立てる風潮はどうなのだろう 

 

 

・新しい証拠が見つかっていればなぜ再審しないか、ほんとの犯人と事実があやふやにされていると思う。刑が執行されているなら、そうしたことは別の責任がある訳で、それも含めて明らかにした方が平和な世になると思う。仮に違う人を犯人としているなら、警察も裁判所も責任をキチンと取るべき。ルールがないなら、そのルールを作れば良いと思う。 

 

 

・何でもかんでも冤罪って叫べばいいもんじゃないと思う。この事件の4年前にも7歳の児童が行方不明になっている(未解決)。久間の家に遊びに行った後だ。それで、以前から目をつけられていた。まぁ、血痕や尿のDNA鑑定結果、繊維物、冤罪信奉者はそれらは捏造とか、いろいろ言うが、事件後半年で、車売却して、その前にシート外して水洗いしている。どう考えても不自然だろ。それでも相当量の血液の量と尿が検出されている。ひとつひとつを見てみると明らかだと思う。林ますみ事件の時も思ったが、ヒ素がある家ってどのくらいあるの?って。ひとつひとつを考えると冤罪というには天文学的確率になるんじゃないの。それでも冤罪って言うのなら真犯人見つけてみてって思う。 

 

 

・特に昔は取り調べは過酷だったのでしょうから、知能の多少低い、または気の弱い人などは言われるがままの調書作成に付き合わされてサインしてしまうことも多かったのでしょうね、まさに冤罪。 

今回の事件がどうだかはわかりませんが、まがりなりにも試験を受けて合格して警察官になっている人とに対して、被疑者側の人権も守らなければならないような気がします。 

 

 

・もし真犯人がいるとするならば、この地域の地理に明るく、被害者児童の少なくとも一人とは顔見知りで、その後この地域で同様の事件がないことから生活圏を変えた人物、または事件後死亡した人物ということになるのだろう。 

罪を逃れた性犯罪者が、その後改心して一切犯行を行わないとは考えにくい。 

 

 

・この事件が起きてから3年も経たない頃に同じ地域に在住し、被害者が通っていた小学校の生徒でした。 

 

この結果について「妥当な判断」と思ってます。 

今でも覚えてますが、元死刑囚が逮捕された前後(初公判前?)で当時の担任から「この元々死刑囚の事を知っているか?知り合いであればどの様な人物だったか?」と各学年のクラス毎に聞き取り調査が行われた事があります。 

 

その時、数人の同級生が元死刑囚を知っていると話した事。 

当時、同級生から後で話を聞くと「知ってるし話したこともあるけど、普通だった」と話してたので気にしなかったのですが、今にして思えばそれが逆に「知ってるからこそ怖い」という事だったのかなと思ってます。元々死刑囚は小学校の学区内に住んでいたので。 

 

数年前に起きた未解決の女児行方不明事件でも疑われた元死刑囚が逮捕されて以後、一切類似する事件が学区内で起きてない事がその証明だと思ってます。 

 

 

・一審控訴審の判決文読んだことある人どのくらいいるのかなあ。証言者はもう一人いて、同じ職場の人。数分違いで同じ道を通っている。その証言も踏まえての判断だろうな。 

「その日かどうかわからないけども」がポイントならば、数分違いでみた状況に齟齬がないのなら、証拠としての信頼性は揺るがないということかな。 

 

 

・もはや本当のことはわかりませんが、事件のことを詳しく知らなかったのでwiki見てきました。 

長男の友達と一緒に遊んだりしてるから面識あった。とされていて、長男そんな幼かったの?と驚きました。 

犯人じゃなかったとするなら、車に残った血痕、尿痕はどなたのものだったのでしょう。 

裁判でコロコロ証言変えたり嘘ついたりしてたら心証も悪くなるし何言っても信じてもらえなくなると思うのですが…。 

その前に起きてる女児行方不明事件も最終目撃者とのことで一緒に書かれてましたが、最早、被害者と犯人しか知り得ないので分からないですよね。 

警察に何度言っても聞き入れてもらえなかった。という件を除いても犯人じゃないです。とするには色々不利な情報が多いように思います。 

 

 

・こういったもめごとが起こらないように防犯カメラやNシステムの設置は必要ですね。 

特に防犯カメラはプライバシー侵害など反対していた弁護士会はむしろ冤罪起こさない為には必要と賛成するべきでした。 

今後もこう言った事件が増えたときに防犯カメラやNシステム、さらに車載カメラが必要ですね。 

 

 

 

・自動車事故の現場検証で、警察に本当の事を言っても信じて貰えず、先に現場検証を行った相手の主張を信じて「こうだろ こうだろ」と恫喝され、相手の主張どうりに、書かされた事があります。 

 

先日、無罪で捕まり、ガンの治療ができず亡くなった方の弁護をされた、ヤメ検弁護士が、本当の事を言ったら信じて貰えるなんて思っていたら駄目だと言ってました。本当、そう思います。 

 

 

・「疑わしきは罰せず」 

完全に黒ではないのかもしれない。 

ドキュメンタリーや裁判の経緯を知ると、この元死刑囚にも疑わしい部分はあったように思ったので。 

ただ完全に黒とはしきれなかったことや、なによりもDNA鑑定の切り取り=捏造は明らかになったのだから、再度見直しは必要ではないか。法治国家としてキチンと調べなおすべき。 

あのときは言いづらかったけど、今なら言える、そういう地域の方々もいらっしゃるかもしれない。今の技術だから分かることもあるかもしれない。 

それが困るから調べない、無実を主張しているにも関わらず確定後の執行が早めだったことも、「なにか警察、検察側に都合が悪い事があるのではないか?」と思わされる。自信あればむしろ調べ直してもらいたいだろうに。 

 

 

・自白を2次的証拠としないかぎり冤罪は今後も起こり続ける。 

自暴自棄、脅迫的取り調べなど無実であっても自白は出来る。 

 

何十年も経ってから自白内容は嘘、強要されたと言われたら、物理的証拠なんてとっくに無くなっているから、本当の犯人は逃げ得ということになる。 

 

 

・再審請求が棄却されたのは、当然だろう。目撃者の証言が最大のポイントなんだろうが、後から言い直しは出来ますで。地裁・高裁・最高裁と上がっていき、死刑判決が確定した。しかも死刑執行されている。冤罪だったら、大問題だ。弁護側は高裁に抗告するだろうが、また棄却されるのと違いますか。 

 

 

・被害者を最後に目撃した人の証言は証拠構造の一部ではあるけど、それが崩れたら全部が崩れるというような重要な根幹ではない。 

しかも、何十年も経ってから、あの当時はこうだったと言っているわけで、その証言を翻す供述内容自体の信用性も高くはない。 

それがメインじゃ、さすがに再審開始は無理でしょう。 

 

 

・「疑わしきは罰せず」という法の大原則が検察や司法のメンツのために踏みにじられている。本当に無罪の可能性がなかったのか、亡くなった元死刑囚の命の尊厳はもう少し慎重に守られるべきだ。 

 

 

・当時、仕事で遺体遺棄現場をよく通行していたので、この事件はよく覚えている。道路脇に供えられた花やお菓子、ぬいぐるみを見ながら、通過時にお祈りしていたのを思い出す。真相はわからないけど、死刑執行されたニュースをみて、早すぎる違和感を感じた。 

 

 

・この事件に冠するNHKのドキュメントを観た。鳥肌モノだった。 

ホントにどちらとも取れる。車を洗っていたことも、元死刑囚の家人の話を聞けば、そういう考え方もあるのかな…と。 

当時、取材した記者が、あの日、あの時に戻って何が起きたかを見たい、と言っていたが、タイムマシンがあるならば、そうするしか真相はもう分からない。仮に、真犯人がいて名乗り出たら別だけど。 

問題なのは、既に元死刑囚が執行されているということ。本当に冤罪だったとすれば、取り返しが付かない。大臣が頭を下げようが、金を幾ら積もうが取り返しがつかない。足利事件の菅谷さんも死刑判決だったなら、冤罪のまま執行される可能性はあったわけで。 

死刑制度について、本格的な議論が必要な時期かも。 

 

 

・警察の捜査は現場から証拠を集めて犯人を探る、公安は事前の情報で犯人を特定し慎重に念入りに証拠固めに入る。この飯塚事件は典型的な後者の捜査手法。初めからこの被告が犯人と決めつけ、証拠を捻じ曲げている。テレビでドキュメントを見たが福岡県の捜査一課長という人が、その以前にあった未解決類似事件がその後発生していないからこいつが犯人に違いないと呆れた主張をしていた。また有罪の決め手となったDNAは信頼できないとの判断も出ている。目撃証言も事前に警察官が証言者に話していたこともわかっている。なんで真実を認めようとしないのか。国際ニュースで中国とかロシアの国策裁判が報道されるが日本の裁判所も何ら変わりない。 

 

 

・テレビドラマの見過ぎかもしれませんが、警察、検察が自分たちに不都合な証拠は出さないで有利な証拠のみ出して、それを基に審判するとなると非常に有罪率が高くなると思う。逆に捜査権の無い弁護側が無罪の証拠を、見出すことも困難であろう。 

本件に関しては、状況証拠や科学的証拠の積み重ねの上での死刑判決、執行なので、こういう場合の執行に関しては、相当慎重を期するべきであると思う。 

勿論、通り魔とかの場合は、逆に速やかに執行すべきだと思いますが。 

 もし、この被告人が無罪と言うことになれば、それこそ、殺された女児二人も被告も浮かばれないし、真犯人がのうのうと生きながらえていることになるので、それは、たまったものでは無い。 

 

 

 

・一般論ですが執行により刑を全うしたのに元死刑囚などという不名誉な呼称を継続することの是非はいかがなのでしょう。刑を満了して出所した人に対して堀江貴文元懲役囚などとは言わないのに。かつて連続幼女誘拐殺人事件の死刑囚に刑が執行された直後の会見で当時の鳩山法相は被執行者を「宮崎さん」と呼称しました。感情論は別として、これが正しいと思いますよ。 

 

 

・当然、再審の可否に「既に刑執行済みである事実」を判断材料にされるべきでない。また推定無罪の原則を考えると犯人ではない可能性がわずかでもある以上は再審すべき。ただ、再審開始で結果無罪となれば死刑制度そのものを揺るがしかねないことを考えると再審の決定を出せる裁判官がはたしているのだろうか?と推察してしまうが・・。いや、いることを願う。 

 

 

・何時の時代でも疑わしきは被告人の利であることを警察は認めて、取り調べをしないと冤罪は起きるでしょうね、警察は疑わしいは警察の利で疑わられる方が悪いで調べるから怖い所です、証人の言葉など本当は怖いです。警察署の別室で何度も同じことを聞かれていると人によれば恐怖心を覚える事もあるのでは、 

 

 

・再審制度の問題もあるけど、 

事件から最高裁棄却(死刑確定)までの12年間、一貫して無罪を主張している被告に対し、2年で死刑執行というのも問題ありだと思う。 

せめて無期懲役にしておくべきだった。 

 

 

・珍しく死刑確定からあっという間の執行というのもちょっと(かなり)怪しい案件。 

明らかに議論を呼ぶような後ろめたい気持ちのある死刑判決の場合は、帝銀事件等々のように敢えて執行しないように思われるが、飯塚事件は逆パターンなのか?? 

捜査関係者や関わった裁判官が退職や死亡しない限り、なかなか動かないかもしれない。そういう忖度めいたことは、裁判官もどこか心の片隅にあるのか興味があるところ。 

 

 

・物証が無ければ自白させるしかないんだけど、強要してるかもしれない。ただ、ある程度強引に精神的に追い詰めないと確信犯の犯罪経験者あたりは、ゲロらなければ逃げられるとか計算してるだろうから多少仕方ない部分はあるかも。出来れば古畑任三郎みたいに、推理しながら言葉で心理戦してボロを出させるのがスマートなんだが、いかんせんドラマと現実は違うからね。 

 

 

・推定無罪の原則を完全に無視した当時の判決。こんな冤罪はこれ以前もざらにあったし、現在でも起こり続けている。つい最近では大河原化工機事件など。過去、無実で死刑になった人間がどれだけいるか考えただけでも恐ろしい。死刑になったひとはどれだけ無念であったことだろう。しかし当事者である警察検察裁判官のなかで罪の意識を感じてるものがどれだけいるだろうか。今のような人質司法が続けられてるような国ではこれからも犠牲者がで続けるだろう。先進国で国として死刑制度続けてるのも日本だけだ。 

 

 

・真実の有無に関わらず議論すべき証拠や証言が出てきたならば再審しなければ臭いものに蓋になってしまうのではないか?という疑問が残る。 

結果として刑が執行されてしまった後であっても真実を追求しなければ司法の意味をなさないと考える。 

 

 

・飯塚事件といえば、国がDNA鑑定を導入するにあたって、当時、完成度の低い、確立されていない機械を使ったことによる冤罪事件と認識してる。 

だからこそ、国は絶対的に冤罪事件として認めないし、認めたことによって、DNA鑑定そのものが、覆ってしまう。 

DNA鑑定は、最高裁判決で、最も有力証拠として認知できるとして判決をくだしてる。それがまだ、確立しきれてない、まがい物のだとしても、例外なく有力としてる。 

その裁判でDNA鑑定導入するにあたって被告人が犯罪を犯したのか、犯してないのかも分からず、ただDNA鑑定によって犯人とされ、犠牲となった事件。 

全ては現在のレベルで再鑑定すれば、全て解決するし、まるく治まる。 

その再審を認めないのであれば、飯塚冤罪事件として、世に周知されればいい。 

これは余談だが、この事件を知ったことにより、死刑賛成派のオレが、反対派になったきっかけである。この再鑑定を強く望む。 

 

 

・日本て、どちらかというと「推定無罪」より「推定有罪」に寄っていないかね 

状況証拠だけで有罪、かつ死刑判決って、のちのちこうなるし納得感が無い 

 

検察としては物的証拠を発見することにもっと注力するべきだろうね 

自白に注力するのは良くない手法だと思うよ 

 

今の時代は、防犯カメラなど、動かぬ証拠が集めやすいだろうけども 

それでも状況証拠と自白による裁判は「推定無罪」の原則で行われるべきかな 

 

 

 

・ドキュメンタリーで捜査にあたった刑事が最後にあの人を逮捕した以降この地域で同様の事件が起きなかった事が全てを表していると言うようなことを言っていた。 

つまり犯人は誰でもよく新たな被害者が出なければそれでいいと 

 人柱にされた可能性はあるし、そうでないかも 

いずれにせよ裁判官が判決を下すのだから責任はこの裁判に関わった全ての裁判官にのみ背負わせるべきで 

捜査関係者や検察のせいにしても仕方ない 

疑わしきは被告人の利益の大原則がまもられたどうかだ 

 

 

・いつも感じるのは、日本の司法は権威主義だなと言う事。 

一度判決が確定すると、よほどの新事実が出てきても絶対に再審をさせない。 

だったら再審制度は絵に描いた餅です。 

 

今回の最重要証言の事も、女性の話しにはうなずけるところもある。 

誘導して調書を作成されるなど、身近な友人も体験させられている。 

 

被告はすでに刑が執行されてしまっている。 

今更司法の権威を失墜させる再審開始など、したくはないという事等でしょう。 

 

でもそれでいいのかな? 

もし死刑が誤りならば、犯人は別にいることになるのですから。 

 

 

・袴田事件を引き合いに出す人も多いですが、あちらは捏造が常習化していた当時の静岡県警が後から証拠を作り出したのに対して、こちらは既に状況証拠が十分揃い過ぎていました。証言がコロコロ変わったことなどを見ても、ほぼクロなんじゃないかと思っています。 

 

ただ、DNA鑑定の精度が良くなかったのは事実で、有効な証拠とそうでないものを精査し直すためにも再審はあっても良かったんじゃないかなと思いました。DNA鑑定そのものが決め手になったわけではないので、判決自体は変わらなそうですが。 

 

 

・取り調べの可視化を導入すべき。 

人間の脳は騙され易いので、否定より思考を必要としない肯定を会話術で導く事は専門家なら簡単。 

ましてや死刑に関わる重要証言という特殊な環境下、素人の思考を操る事なんてそれこそ容易だろう。 

司法も人間である以上冤罪はなくならないのだから、システムとしてその可能性を減らす努力はするべきだ。さもなければ傲慢過ぎる。 

 

 

・飯塚事件の裁判記録を観たが流石に飯塚事件に関しては真っ黒すぎて再審する理由がわからない。これを批判している人たちはもっと飯塚事件を自分で調べて観ると私と同じ気持ちになる。もちろん冤罪は絶対にいけないが飯塚事件は真っ黒でしょう。 

 

 

・〉被害女児の目撃供述の重みを抱えきれなくなり、『記憶違いだった』と思い込むようになった。信用性はない 

 

他の記事では自身の供述で死刑囚の死刑が執行されたことへの自責の念がそうさせている、というような捜査関係者のコメントがあった。 

 

事件の真相は別として、捜査に協力した人間に対してあまりにも配慮に欠ける発言と思うんだが。人の死に関わる供述をさせておきながら、その重みは自分で割り切りなさいってのはすごく無責任だと感じた。 

 

 

・日本で死刑が早期に実行されなかったり回数が少ないのは帝銀事件の様に他に犯罪を犯していて刑務所に収監されても仕方ないが『帝銀事件の犯人では無い』事を法務部は知っていて死刑にはしなかった・同じ様な事例は自白が物的証拠より優先される時代では・殺人事件でも身代わりが出頭して自白すれば警察は『身代わり』に違いないと確信しても受け入れ事件解決とした・それ程警察の捜査はいい加減だ・だがそれらの犯人達を押し付けられ刑を執行させる刑務所の職員たちはたまったものではない・漏れ伝わる情報であの死刑囚は実は『無実』で死刑の執行ボタンを自分が押す事になり・そんな事が複数回繰り返されたら精神が病んでしまい退職する者も出て来る・警察のいい加減な操作で多くの人達が苦しんでいる・それが過去だけの話ならまだ救われるのだが 

 

 

・当時の目撃者の証言が検察によって都合の良い日付に変えられた。と証言しているのが信用ならないから再審しない。その理屈なら 当時の証言自体も信用出来ないはずなので 当時の判決に目撃証言がどの程度影響したかは再審すべき。 

 

 

・この決定は妥当である。まず、弁護側の証拠については遅延した証拠提出に問題がある。刑事訴訟法は迅速な裁判を規定しており、この条文規定に明らかに反する。さらに、前記証拠は、その資格及び能力にも問題がある。 

 裁判官が決定したのであるから公正さ及び公平さは担保されている。だから、この決定には従うべきだと思う。 

 しかし、一部の弁護士等は、ああだ、こうだと主張し、更に一部のマスコミや知識人も同調して批判や非難をすることが強く予想される。 

 己れの考えしか受け入れないのでは、なんのための裁判なのかと考えさせらてしまう。国民ならば裁判には従うべきである。 

 

 

・制度としては確かにそれなりの新証拠が必要なんだろうが、そもそもの有罪判決時点で曖昧な証拠が多かったり、別事案だが、例えば証拠の捏造等が疑われる場合には再審に踏み切るべきだと思う。 

公権力の捏造を民間でそれなりに証明までしないといけないのはハードルが高すぎないか 

判決に疑義→再審 

 

 

 

・事の真偽真実は我々にはわからないけれど、仮に無実であるという判断がついたとしても既に刑は執行済み。当然世間を揺るがす大問題へと発展するわけで、そのあたりも再審請求却下の一因ともなっているのでは。 

 

 

・絶対でない可能性がある事件の死刑囚はいつまでも執行しないが 

この事件は犯人が自白していないのに早く執行してしまっている(法務省にしては)のが良かったのか 

ただ結局は、客観的に法務省もDNAも含めすべての証拠から「絶対に犯人に間違いない」と判断したからだろうと思う 

 

 

・冤罪の可能性を断つことで過去の冤罪かも知れないことを明確にしないと言うたらたことは、司法がその可能性を認めたと言えるのではないでしょうか。 

 

本人がいないと言って疑いがある以上、再審をすることが司法の正義だと思うんです。 

 

どこまでも「冤罪で死刑に処された」としたら? 

それが我が身に降りかかったとき、無罪を主張しても再審もされずに 

「死刑執行」されたらって考えただけでも悔しいなどと言う感情では済まい。 

 

高裁、最高裁まで行っても同じか変わるか? 

 

 

・この事件を含めて再審請求する事件はたくさんあるけど、ほとんどが判決をひっくり返してる。 

 

当たり前に考えて、2、3年前ならハッキリ言い切れる話も、20年前の話になると記憶が曖昧になって歯切れが悪くなる。 

んで、裁判したら無罪になる。 

 

あと、当時被害者遺族の想いを汲む警察対怪しい加害容疑者の関係が、被害者そっちのけで、国家権力の警察検察対支援者が応援する無実の罪の死刑囚になってもうてる。 

死刑にするときも再審無罪にするときも、 

どっちもマスコミが煽ってるのに。 

 

こうなると、警察検察に、まあ勝ち目はないね。 

 

何度もこんなことやってる。 

 

 

・自分には事実はわからないが 

 

当時20代の女性の証言で有罪になった。 

その方が、証言を翻したなら、再審するべきだと思います。 

 

最新の技術で、検証するべきだと思います。 

  

この女性には、小池百合子都知事の学歴詐称問題を取り上げた北原百代さんと同じものを感じます。 

このまま、闇にほうむってしまっていいのか? 

 

ずいぶん悩まれ、苦しんだと思います。 

 

ちなみに、事実と真実は違います。 

事実は一つだけ、真実はいくつもあります。 

 

 

・他にも「世に放たれたら恐ろしい!」と思うような証拠しっかりある犯人は多数いるのに、なんでこんな曖昧な状態で執行してしまったのだろう? 

逆に本当は無罪だったのを隠蔽したように感じてしまう。 

万が一他に真犯人がいた場合、全員が国家権力の被害者になってしまう。 

警察も裁判官も万能ではないことはわかっているが、もう少し慎重になってもよかったんじゃないかな? 

 

 

・家族を信じたい気持ちは分かるけど、最高裁まで争って死刑が確定し、さらに再審請求でも一度は最高裁までの判断で認められなかったのだから、それを受け止めるべきなんじゃなきかなぁ。 

 

何度も何度も再審できるなら、三審制を取っている意味がなくなる。 

 

もし、本当に冤罪だとしたら、それは最高裁まで行って死刑を覆せなかった弁護士の責任だ。 

 

 

・女性の証言を含めた状況証拠で有罪となっているのに、その助成の証言が信用できないとして再審却下って何か変 

 

当時の車に残っていた血液や尿のサンプルは保管していないのかね? 

残ってれば今からDNA鑑定でもすれば明らかなのに 

検察(警察)は自己の不利になる証拠は残っていても提出しないだろうけど 

 

 

・急いで死刑執行したのは何故か?確信的証拠はないのに!目撃証言も車の型式を事前調査した警察が目撃者に誘導して証言させたとある。かなり疑わしい証拠だけで死刑執行は間違いだったと思う。警察内部でも彼は犯人ではないだろうとの人が多数いたとのこと。死刑にしてしまって取り返しがつかないから再審却下ではなく同じ過ちが無いよう再審して色々検証することが大切なことなのにメンツで却下したとしか思えない。 

 

 

・検察側が破棄したと言われている、DNAの付いた脱脂綿。これこそが、確定から2年と言うスピードで執行しなければならなかった理由かと。証人に対して、半ば脅す様に記憶を押し付けたやり方は、免田事件と同じ。 

これを再審決定すれば日本の死刑制度そのものが揺らぐから、久間さんは司法の生贄。 

 

 

 

・ドキュメントで見ましたが彼の妻は自分の子供のためにお父さんは無罪である事を証明し名誉を回復したいという強い願いがあるようです。様々な証拠や証言からして彼以外に犯人がいるという根拠となるものは無いように思いました。 

 

 

・この死刑囚が冤罪かどうか知る由もないが、死刑判決の根拠が 

 

①元死刑囚の車と特徴が似た紺色のワゴン車が「三差路付近」と、衣類など遺品の遺棄現場の両方で目撃されていた②元死刑囚の車に血や尿の痕があり、血痕は被害女児1人と血液型が一致した――ことなどを認定し、元死刑囚を有罪と判断した。 

 

とは、かなり緩くないか?車のナンバーも同定されていなければDNA鑑定もされていないわけだよね?「似た車で、中の血液型が被害者と同じだったから死刑」ってことだとすると、そんなんで良いの?って気はする。 

 

 

・警察と検察が必ずしも正義とは限らない、と思うけど。証言者はなぜ裁判の時に、日にちはハッキリしないと証言しなかったのだろうか? 

私だったら、曖昧な証言が決め手となって、もしかしたら冤罪かも知れない人が死刑になったとしたら、一生後悔するけどな。 

 

 

・そりゃ再審請求認める訳ないでしょ。 

もし、この裁判長が再審必要と思っていても言えるわけがない。 

なぜなら、この判決に対する司法と検察の信用が失墜するから(そもそも検察に信用はないが) 

再審イコール元死刑囚の家族から国への賠償請求となり、司法(国)が考える冤罪での人ひとりの命の価値が明らかになるだろう。 

 

 

・死刑囚の肩を持つ訳では無いが、当時から曖昧な点があったなら執行は待った方が良かったのかもな 

いや、もっと明らかな死刑執行待機の事件があるから 

サクサク刑が執行されているなら妥当だが現状違うのだから比較の問題で述べている 

 

 

・珍しく毎日新聞は、公正公平な記事を出したと思う。 

これまでの各社の報道では、「逮捕時から一貫して無罪を主張」と目撃証言においては多くの社が伝える一方で、死刑囚が犯行後車を徹底的に清掃洗車し手放した事や事件後捜査中の警官に刃物で切りつけた事その他多くの怪しい事案があるにも関わらずその頃他の冤罪事件と並んで飯塚事件も同様に警察の失態だと決めつけたマスコミの姿勢こそが問われて然るべきで。 

これこそが事件だと感じる。 

 

 

・基本的に直接証拠がないものを有罪としたことは、疑わしきは被告人の利益にかなっていない。犯人を逃してしまうのと無実の人を死刑で殺してしまうののどちらが社会のためか。素直に考えれば再審してみればいい。ところが、もし無罪にでもなれば無実の人間を殺してしまったことになるので、警察、検察、裁判所の立場がない。彼等は絶対阻止するだろうな。 

 

 

・無罪かは分からないが目撃情報は参考程度で証拠にはならない 

記憶なんていい加減だしよく似た人は意外と沢山いる 

凶悪事件で犯人をどうしても逮捕有罪にしなければならなかったのだろうが真犯人がいなかったことを願う 

 

 

・袴田さんの事件のような酷いケースもありますので、この事件も冤罪かとお考えになる方が多い事も理解できますが、よく調べれば調べるほど、冤罪と決めつけて良い事件とは、私には思えません。 

 

 

・この事件にかかわらず、裁判所の判断の流れが国の思うがままに行っている事態に極めて強い危機感を持たざるを得ません。 

国家権力のメンツが判断の最優先であるならば、三権分立はおろか全体主義国家への危険な道筋へと繋がりかねません。 

狭山裁判に象徴されるように、国家権力の恐ろしさは我が国の現実であります。 

裁判所の自立は空疎な希望であり、信頼は地に落ちたものです。 

 

 

 

・少し話が違うが、検察官が請求証拠に含まれない証拠を隠し持つのは非常に不合理である。 

加害者側が全ての証拠に対して開示請求出来るようにならなければ、証拠隠しが容易になる。 

 

国として冤罪を無くすことに注力するならば取り調べの可視化とともに全証拠の開示を法的に認めればいいだけだ。 

 

まあ、政治家は別に冤罪被害なんて自分に関係ないことを検察の反対を押し切ってまでやらないでしょうが、、、残念です。 

 

 

・日本人の隠蔽体質の象徴かな? 

 

恐らく、仮にホントに冤罪だった、として、この件の再審が認められるのは、国民世論が死刑廃止に一気に傾くか、外圧で否応なしに死刑制度廃止するか、のどちらかだろうなぁ 

 

前者は日本人の気質から見て無理ゲーだろうから、後者の事情で死刑廃止する際に「『外圧』のせいじゃないから」の大義名分作りの際に、この件の再審→無罪判決を出して、世論を一気に死刑廃止の方向にする、かと 

(実際、イギリスが死刑廃止した理由の一つは冤罪による死刑執行の発覚だし) 

 

 

・和歌山毒カレー事件は本件よりも無差別に多数の犠牲者を出し、被告は一審では訳わからん黙秘をして極刑出た途端に控訴、二審以降は無実を訴えた挙げ句刑確定後も再審請求を繰り返す事によって刑執行が躊躇われている。 

本件の場合2006年に最高裁で確定したが、当時は袴田事件や免田事件など凶悪事案の冤罪が騒がれ始めていた矢先の2008年、つまりたった2年後に刑執行というスピード感に嫌な違和感を感じた記憶がある。 

陰謀論かも知れないが、2008年当時は地元が福岡県の某首相の自民党末期政権。県警の冤罪汚点を防ぐ為と支持率アップの為に法相に捺印させたと見ているけどね。 

 

 

・もう死刑執行しちゃったのに、やっぱり無罪でしたとは裁判所のメンツが丸潰れだし生半可な新証拠では再審請求は却下するしかないでしょう。 

 

弁護側がよほど客観的に犯人である事を完全否定できる証拠を持ってこない限り再審は無理だと思う。 

 

 

・これは死刑廃止論者が長年ネタにし続けて来た事件。なんと執行してしまっている! 

 

司法ももう絶対後には引けない。 

 

再審を認めたら死刑制度が存置できない。拒否し続ける他はないだろう。。。 

 

私は存置派だが、やはりこういうことは現実に起こりうるのだということは、心に刻まなければならない。。。 

 

 

・私は,マスコミで間接的かつ部分的に報じられたことしかこの事件のことは知らない。なので,この地裁の決定が正しいのか否かを判断することはできない。司法批判をしている方々は,裁判所が取り調べた証拠の全貌を把握した上で批判しているのかな? 

 

 

・「疑わしきは罰せず」を日本の司法が貫いているかが疑問になる判断かな。 

 

もちろん、被害者を軽視しているわけではない。 

罰することに慎重でない司法は危険な社会に常に引き込みかねない。 

権力側がそれを安易に使うようになるからな。 

他人事でなく社会全体が拙速な処罰感情には気を付けねばならない。 

 

 

・えん罪というのはどういう意味なのか。真犯人は別にいて、その人間はヤクザで罰せられない理由がいろいろとあるから、同じ組織派閥の別の人間が代わりに罰を受けるということなのか?それとも2項対立にある宗教団体関係者らの間で「俺たちもあの時悪いことやったけど、そっち(ライバル)も別事件で悪事働いたよね。だったら、自分達の件も最高裁では無罪にしろよ」という揺さぶりで控訴するつもりでいるのか。どちらにしても、被害者にとっては心底不快な達です。。 

 

 

・目撃証言…検察の言う通り、発言の重みを抱えきれなくなることはあり得ますよね? 

恐ろしい事件も起こすまでは普通の人、近所の顔見知りだし、まさかあの人がって事はよくある話だもんね。冤罪なんじゃないかと過ぎるよね。だから物的証拠が欲しいわけだけど、確たるものが無いと真相は結局闇なんだよね。 

 

 

・コメント欄見ると冤罪だとする人と冤罪ではないとする人の両方の意見がありますね。それぞれ、テレビやネットからの意見の影響を受けているようですね。 

ただ、反権力的な考えの人は冤罪、保守的な人は冤罪ではないと言っているようであり、この事件そのものではなく、自分の思想によるバイアスが強くかかっているように感じます。 

こうやって、双方が双方に意見を押し付けず、自由に意見を言い合える社会が続くことは素晴らしいことだと思います。 

 

 

 

 
 

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