( 177850 )  2024/06/05 16:57:14  
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インタビューに答える前大阪府知事の松井一郎氏=大阪市内(須谷友郁撮影) 

 

始まりは平成25年の会合だった。旧通商産業官僚として1970年大阪万博を企画立案した堺屋太一さんから、こう提案された。大阪をもう一度盛り上げるために、国威発揚ではなく、今の時代に合った形の万博をやろう、と。 

 

【表でみる】大阪・関西万博の全体スケジュール 

 

現代は超高齢化社会。日常生活を支障なく送れる健康寿命と、平均寿命の差をいかに縮めるか。先進国を中心に世界共通の課題といえる。 

 

健康寿命が延びれば、国や自治体の社会保障費も抑えられ、それを実現する技術やサービスが経済を引っ張る産業の柱になる。課題解決のイノベーション(技術革新)を生み出す万博は、大阪・関西が強みを持つライフサイエンスを成長させる絶好機。ぜひチャレンジすべきだと思った。 

 

ただ万博は国が手を挙げないと誘致できない。平成27年、政界を引退した橋下徹さんの慰労を兼ねて開かれた安倍晋三首相、菅義偉(すがよしひで)官房長官との忘年会で、私は安倍さんに大阪での万博開催を持ち掛けた。 

 

当初、安倍さんの関心は高くなかった。すでに大阪と愛知で開催され、また万博かという思いがあったのだろう。そこで私はiPS細胞(人工多能性幹細胞)をはじめ、大阪・関西で進められている再生医療の研究開発などを引いて訴えた。 

 

「健康には世界中で高いニーズがある。世界の人たちに求められる技術とサービスを提供する万博をやりたいんです」 

 

そうしたら安倍さんも「それは新しい日本の産業の柱になる。チャレンジしがいがあるね」と興味を持ち、菅さんに「まとめてよ」と指示してくれた。それを聞いて本気だと確信した。 

 

当時はまだ東日本大震災のダメージが残り、万博誘致への経済界の反応は芳しくなかったが、29年の安倍さんの国会答弁で雰囲気が一変した。 

 

「国際博覧会の国家への誘致は、日本の魅力を発信する絶好の機会になる。オールジャパンの体制のもと、何としても誘致を成功させるという決意で、全力で取り組む」 

 

競合相手のロシアとアゼルバイジャンはいずれも強敵だった。日本が2018年の博覧会国際事務局(BIE)総会で誘致を勝ち取れたのは、健康を柱とするテーマへの各国の高い関心に加え、安倍政権の前向きな姿勢があったからだ。 

 

政権が医療・健康を成長戦略として主導していくスピード感と、世界で日本の存在感を示した外交力によって、ロシアとの決選投票を制することができたと思っている。(肩書は当時、聞き手 山本考志) 

 

 

 
 

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