( 178091 )  2024/06/06 18:32:06  
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・何を言ってるの? 

当たり前に明日も明後日も平穏な日々が訪れるはずだった人たちの命を突然奪っておいて、自分は刑がいつ執行されるか怖い? 

 

その生き地獄のような日々こそがご遺族にとってかろうじて救いとなるでしょう。帰ってこない命の代償として決して楽に死なせてはいけない。 

 

 

・死刑囚に命を奪われた方の恐怖はそれ以上であっただろうし、御遺族様の苦しみもまた、一生続くと思う。それに比べれば、生やさしい生活だとも思えるけれど、でも、このように日々怯えて暮らす死刑囚のリアルな声がきけることには意義があった。これで毎日のんびり暮らしていたら意味がない。気が狂うほど怯え、自分の死に向き合い続けて初めて、命奪われた被害者の命の重さに気づいて後悔できるなら、死刑は存続させるべき刑罰だと思う。 

 

 

・被収容者1人あたり年間約450万円の総経費がかかり、現在106人の死刑囚がいる。そして年間5億円弱の血税が使われている。何十年も執行されない死刑囚もいる。反対に何年も執行されない場合、できない何らかの説明を国民にすべき。できないのは冤罪の疑いでもあるのか?となる。この記事を読むと毎朝怯える日々で暮らすなら早期の執行が好ましいかも知れない。 

 

 

・人間には必ず見せしめをしないと理解出来ない人間が一定数居ます。動物ですから。 

議論は違いますが、核兵器がなければ、世界では絶えず戦争が繰り返し行われていると確信します。隣地問題しかり、自分さえ良ければいい考え方や宗教問題等、答えが複数ある場合、そこにはいざこざが発生します。 

人間自体が不完全生物だし、地球や生命を尊く思える人間が増える事を願う 

 

 

・冤罪でない限り2人以上の人を殺害した人が基本的に死刑になるわけで、 

毎日のように恐怖に怯えてるから可哀そうだとは思いません。 

でも死刑という刑罰は死刑囚だけでなく、執行する執行官への負担が重たい刑罰という事は考えた方が良い。 

3人で同時に執行のボタンを押し、誰がボタンを押したか分からないらしいが、 

それでもかなりの負担。それも毎日顔を合わせる囚人を殺す事を仕事にする人達の苦労は相当なもの。 

 

 

・死刑制度を問題視する意見もありますが、死刑判決を下されるだけの罪を犯しておいてどういう形であれ加害者が生きているのは、遺族にとっては精神をかき乱される程の本当に許し難いことだと思う。死刑を待つこの日々こそ、死刑囚が罪と向き合い被害者とその遺族へ償いを行える日々なのだと思います。 

 

 

・全く何を言ってるのやら?? 

死刑判決受けたということは、複数人の命を奪ったのでしょうから、朝食の味がわからない程度では生ぬるいかと。 

執行されるまでジリジリと来る恐怖に苛まれるのも、刑の一部だと理解できないのなら、更生は絶対にできなく執行を待つだけでしょう。 

 

 

・被害者の苦痛や、被害者家族、友人などたくさんの人の悲しみに比べたら軽いものじゃないかと思ってしまう私は冷酷な人間かもしれない…。 

 

もしも自分の家族や友人が被害者だったら…味を感じないどころか、きっとごはんも喉を通らないでしょう。これから先の人生に楽しみを見出せず、悲しみに暮れる日々が来ると思います。きっとまだまだ長いであろう人生、こんなに苦しいのならいっそのこと家族の元に…と考える日もあるでしょう。 

 

大切な人の命を奪っておいて、仕事もせず、寝る場所もあり、毎日食事が出来る環境で過ごせているだけで良いじゃない。何を言ってるのか。と思ってしまう…ごめんなさい。 

 

 

・死刑間違いなしの囚人は法定通り半年以内に執行されるべきだと思います。執行保留の囚人が多いのは国際世論だけでなく多くの事件で冤罪の可能性がぬぐい切れないからではないでしょうか。「警察・検察はいつも正しく間違いない」という思い込みは幻想です。袴田事件の冤罪のように警察や検察の悪意によってありえない判決が出されることがあります。裁いた裁判官が「無罪だと思いながら死刑の判決文を読んだ」と放送で証言するほどの悪質さですが、我々、思考停止の世論にも責任の一端はあるかと思います。 

 

 

・被害者に落ち度がないのに身勝手な犯罪を犯したのだから仕方がないと言う言葉しかない。 

文面の意味をどう受け止めていいか解りかねますが、この人達は反省をするためにそこにいるのではなく、報いを受けるためにそこにいるのだと思います。 

被害者の家族が年老いるまで待つのでなく早期執行がこの方々の救いでは? 

何年もかかって取り調べや裁判を行い出た判決です。 

遺族の10年を記事してあげてほしいです。 

 

 

 

・そもそも法規通りに半年以内に刑を 

執行しないから死刑囚にも余計に 

精神的苦痛を与えているのだと思います。 

片方で刑の執行が引き延ばされると 

いう事は被害者遺族にも精神的苦痛を 

与える結果にもなっていると思います。 

充分な審議を尽くした裁判の結果で 

あれば法務大臣は職務を忠実に実行すべき 

であると思います。 

 

 

・京都新聞は一体何を読者に伝えたいのか?甚だ疑問。 

自動車メーカーの認証不正については、その本質を見極めることなく、「不正」だけにフォーカスしていた。 

この記事も受刑者だけの立場での記事になっているが、殺人という罪を犯した人間の罰についてどう考えているのだろうか? 

 

報道は事実を客観的に伝えることが肝要であるが、その根底にある真実や状況を踏まえた上で記事にして欲しい。 

 

 

・もし自分の身内を殺されたら…その犯人を憎むし同じ事をやって返したい。と思う。死刑を廃止すれば犯罪を増やす事になりかねない。人の命を奪って自分は命乞いするのは間違えてる。死刑が正解か?分からないけど、人を殺して15年とかで仮釈放て有り得ない。ゲームじゃないんだからリセットしたらまた生き返るなんて事は無い。だからこそ死刑囚はいつ自分が執行されるのか?と言う恐怖にずっーと怯えて生きていけば良いと思う。そして執行される時に己の罪を深く反省するべきだと思う。 

 

 

・犯罪者の人権は相応に制限されるべきだと思います。償いと言うなら尚更です。 

 

性犯罪者なら性犯罪に繋がる権利や自由は認めない…とかね。 

殺人犯ならもはや人権や自由は認められないのがあるべきかなと。 

 

仕方なく発生してしまった犯罪に対しては厳しすぎるんじゃ…と言われそうですが、甘くすると「悪気はなかったんです」と動機をごまかしたり、計画的犯行が成功する余地を与えたりしてしまうので、一律に厳しくせざるをないと思います。 

 

 

・この記事は暗に死刑制度を批判している様に思えます。死刑囚が毎朝執行の恐怖に怯えとあるが全く同情も同意も出来ません。殺人を犯しながら自らは執行の恐怖に慄きキリストの洗礼を受けた所で罪が消えるわけではない。被害者遺族への手紙を受け取り拒否されたとあるが、遺族がまるで悪いかのような書き方には納得も出来ないし自分も遺族ならば同じことをするでしょう。死刑囚の心情など伝える必要などないと思います。十年間も執行していないからより恐怖が増す。法務大臣は速やかに執行するべきであり職務怠慢に他ならない。死刑囚100人ほどいるがは全て税金で生かされて多額の経費がかかっている。 

ならば生活に困っている方への補助にでも回した方がよい。 

 

 

・記者が抜粋したからかもしれないけど、死刑囚自身のこと、苦しみや被害者遺族に手紙も拒否されて気持ちを伝えられないよー、いつ執行されるか分からなくて辛いよー、という内容だけで、自業自得以外に感想がない。反省や後悔みたいなフェーズは過ぎたのか記事になっていないだけか、そもそもそういう心境でもないのか。。 

早く処刑した方が死刑囚にとっての救いになるんだな、という発見はあった。 

犠牲になられた方のご冥福とご遺族の心の安寧をお祈りします。 

 

 

・受け取り方は個人差があるとは思いますが、それも刑のうちの1つかと思います。あと、毎朝ってあるけど土日祝日とか役所関係が休みの時執行ってあるのでしょうか?死刑が行われるタイミングとか大体あるかなと思うのですが弁護士さんやご家族からそのような話は聞かないのでしょうか?死刑囚の人権について訴えたい記事なのかと思いますが被害者の事を考えると違和感を感じます。 

 

 

・突然命を奪われた被害者を差し置いて、 

毎日死の恐怖におびえているとか、 

いまさら何を言ってるんだろう。 

 

その毎朝の恐怖も含めての刑なわけだから、 

それを最期の日まで存分に味わってほしい。 

 

むしろ刑の執行まで、 

我々が払う血税で国から寝食を提供され、 

毎日シャバで労働する我々よりも規則正しく 

健康的な生活が送れることに感謝して欲しいくらいだわ。 

 

 

・凶悪犯罪に怯えて死刑の維持を望む立場としては、死刑囚が存分に恐怖を感じながら反省し、以前の自分を悔いて、事件前には感じなかった人間らしい感覚を理解するようになったというのは、理想的なことだと思う。 

反省している死刑囚の話を聞いて赦免してあげてほしいとは思わない。自分は死刑制度賛成派だが、即時執行ではなく、死刑を執行される前提でその前に反省してほしいと思っているから。 

この記事を読んでも自分は死刑囚への同情を引き出そうという意図は感じなかった。この記事で感情移入を求められ同情を煽られているように感じて苛立っている人は、優しい人だと思う。 

 

 

・理不尽に命を奪われた被害者の気持ちを思うと、食事の味がわからないだとか、般若心経を唱え、被害者のことを思っているとは言っても、反省はしてないのではないか。亡くなった被害者は食事することはおろか何をすることも出来ない。刑そのものは一瞬で終わるが、その日に向かうまでのいつ来るかいつ来るかと恐怖に怯える日々こそが償いの日々だと思う。理不尽に命を奪われた被害者は苦しむことさえ出来ないのである。 

 

 

 

・その毎日の緊張や恐怖も罰の一つだと思うよ。自分の身勝手な都合で罪も無い人に苦痛や恐怖を与え命を奪ってるのだから、被害者より苦しむべきだと思うよ。そして自分が他者に命を奪われるという被害者と同じ立場になる事によって自分の行なった行為の残酷性を身をもって実感するべきだろう。 

 

 

・大きな罪を犯しておいてなにを言ってるのか、と思う反面、すごく普通の感覚だと思います。事件を起こす前にこのような心境になれたら事件を起こすこともなかったのではと思ってしまいます。遺族にとって死刑執行は区切りになっても救いにはならないだろうし、唯一の救いは事件前に時を戻すことだろうと、それは無理ですが…。 

そう思うと事件が起きない社会、これがやはり1番大切だと思いました。 

 

 

・それだけの事をしてしまったという事です。朝食の味が分からない、日々死に怯えている、それでも、生きていられている。 

その間に家族や友人に、ひいてはこうして世の中に最後の言葉を残す事はできるだけ幸せでしょう。 

だってその人が殺めた人は、そんな事は何もできずに、わけもわからないまま命を奪われ、苦しんで死んだのでしょうから。 

死刑すら生ぬるいと思ってしまう。同じように自分の大切な人の命を奪われ、人を憎み、最後には自分も苦しんで死ぬ。くらいしても遺族の苦しみは晴れないし大切な人の命は帰ってこない。 

 

 

・般若心経を唱えているのは本当に被害者のためなのだろうか。自分のためなんじゃないかと思ってしまう。本当の意味で反省し、被害者に対して申し訳ないと思うなら、こんな手紙書いて辛いアピールするだろうか。結局、自分自分。死刑の恐怖に怯える自分のこと。 

被害者は何も悪くないのにある日突然何の予告もなく命を奪われた。死刑執行を待つ間、自分の死について考える時間があって、何より理由があって死ぬのなら、それだけことをしておいて恵まれているほうだと思う。 

 

 

・被害者の立場になれば、それは受け入れなければならないと思う。犯罪に故意か故意でないかはあると思うので、結果は同じでも違いはあると思うが、故意であったとき反省に至ったならそれを持って全てを受け入れるしかないのではと思う。それが罪の重さなのではと思う。 

 

 

・死刑とはその恐怖を味わうことも刑だからね、味わい尽くして欲しい。とはいえ本来その苦しみは確定後半年以内のはず、死刑囚にそれ以上苦しませるのは確かに良くないのでとっとと死刑執行してください。やらないなら私が判押して執行ボタンも押してもいいよ。出来ないのならその仕事退いてくださいよと思う。 

冤罪の可能性とも言われるが、それは裁判〜確定までで十分精査されているものと考える。半年以上伸ばすから変な弁護団や支援者が現れる。そりゃあ袴田さんとかは気の毒ですが、それはまた別の話です。 

 

 

・刑執行を怖がる前に、自分の犯した罪を悔いるべき。そして被害者が亡くなる前どんな顔して、どんな言葉を発し、怯えて抵抗した時のことを毎日片時も忘れることなく、病むほど繰り返し思い起こすがいい。 

罪のない被害者は無慈悲に殺されただろうから、それでも生かされてるだけ有り難いことだと気づくべき。 

 

 

・犯した罪相当の罰が与えられているのでしょうね…。罰を与えたところで、亡くなった人は帰ってきませんし、遺族にしてみたら、足りないくらいでしょうね…。 

 

この人は怯え、苦しまれてますが、 

そうでもない人もいると思うと、 

何の罰にもならないわけで…本人の受け止め方一つで、罰の重さが変わると思うと…なんともいえない気持ちになります。 

 

 

・私は今月の1日に15歳の娘をガンで亡くしました。娘は発覚から一ヶ月あまりで旅立ってしまいました。それでもたくさんの人に感謝し、幸せだったとたくさん伝えてくれ、最後の一日は少し苦しそうだったのでモルヒネで眠るように息を引き取りました。代わってあげたいと思うほどつらかったのですが娘は幸せだったと私たち夫婦に伝えてくれました。でも放火などの殺人でなくなる方は何の予兆もなく突然命を奪われてしまいます。これがどれほど無念か想像に難くありません。亡くなったご本人もご家族もそれ以上の苦しみです。死刑判決とはあくまで亡くなった人やそのご遺族の苦しみの緩和だと思います。死刑になったからといってなくなった方が帰ってくるわけでもない。それを心に刻んで執行されるまでひたすら自分の犯した罪を悔いるべきだと思います。 

 

 

・凶悪な事件を起こした人はそれくらいの償いをするのが当然の報いだと思うけど 

冤罪で死刑にされて同じような苦しみを味わなければならない人は気の毒でならない。 

 

なのでそういった人を救うためにも死刑廃止という考えも一理あると思うが 

そうなると本当に凶悪な事件を起こした犯人がいつまでも生き続けることになる。 

 

難しい問題だ。 

 

 

 

・だったら死刑になる様な事をしなければ良いだけであって、全く同情できません。被害者の方の気持ちを無視した自分勝手な言い分に聞こえます。とは言え、執行する側の事を考えると事件が新しいうちは怒りがあれど、時間が経つにつれ怒りより苦痛が大きくなるのではと思う。執行者の事と節税を考え、死刑執行まであまり期間が開かない方が良いのかなと思います。 

 

 

・死刑囚の目線でみれば、とてもお気の毒な状況ではあるが、死刑判決が確定するという事は余程の犯罪を犯している事を念頭におかないといけない。この方は自分の行いを悔いている点で少しは救われるが、これが被害者やその家族側の思いはその程度のことで許容できるはずがない。突然理不尽に殺された訳だから。 

 

 

・殺害された2人の犠牲者がいる事を思うと、死刑囚がどれだけ苦しもうが全く同情出来ない。 

死刑囚が反省し苦悩しても犠牲者が生き返る訳ではないが、遺族の方の無念が少しでも晴れたらいい。 

 

死刑囚と他の囚人の接点があるか分からないけど、こういう恐怖を感じている死刑囚の講演を、他の囚人や少年院に収監されている犯罪者に聞かせる取り組みがあれば、再犯防止に繋がりそうだと思う。 

死刑を宣告された犯罪者が、唯一できる社会貢献になると思います。 

 

 

・「死刑囚にも人権はある。だからまたせず早く執行を」という論調ならわかるけど、この記事が一体何を言いたいのかわからない。 

人を殺めた以上、しかもその理由が金銭目的という情状酌量できないものであった以上、被害者がこの死刑囚を赦すことなんてないよ。別に刑務所の中で償う必要も、悔悛する必要もない。 

出所を前提とした有期刑とは異なり、死刑とは命を以って償うだけの、本来ならそういう刑罰のはずだ。だから、冤罪の疑い等がなければ早急な執行が求められる。 

 

 

・これで良いと思います。この他にも凶悪な犯罪はあり、この死刑囚の事件を深読みしていませんが、人でないことをやってのけたのだからその報い以外の何物でもない。 

 

死刑囚は「日常のありがたさ」と書いていますが、殺意を持って他者のそれを奪ったのも自分。凶悪な犯罪を犯せばこうなるという抑止力としても死刑制度はある。死刑囚などになれば通常の人間扱いや暮らしも剥奪され、どういう取り扱いをされるか当事者でなければわからない。しかしそうした怖さより以前に、一般人(普通の人間)はそこまでのことはやらない。 

 

私の周辺にそうした犯罪に巻き込まれた人がいるわけではないが、後にいくら反省しても取り返せないことがある。だから私は死刑制度を肯定している。 

そのことはいくら書いても書ききれない。 

このような塀の中の心境を伝える記事は定期的にあっても良いと思う。 

 

 

・こうして怯えながらの日々の生活に不満を持つ人や、たまに人権を主張する者もいるけれど、本来なら普通に毎日平穏に暮らすはずだった人の命を奪って、被害者の人権をないがしろにしたのだから、加害者が多少の権利を制限されてしまうのは当然のことだろう。 

その緊張というか恐怖と同じくらい、もしくはそれ以上の恐怖を被害者も味わっているのだから、当然の償いだと思います。 

こうして辛さを痛感させて、自分の行った行為を後悔させるという面がある以上、この死刑制度は日本の司法において必要な制度だと思う。 

 

 

・メンタルの苦しさに関しては「仕方がない」と言うしかありません。 

それだけのことをしてしまったのですから、自分の苦しさは自分自身で受け止めてください。 

 

一方で、法務省は死刑囚に関する情報を、もっと公開すべきだと思う。 

世界的には死刑廃止に進む国が多く、公開すれば批判されることになるのだろうが、犯罪の抑止などの関係上必要であると考えるならそこをしっかりと説明するべきだと思う。 

 

 

・生きているからこそ、恐怖を感じられる。 

何の罪もない人の命を奪っておいて、何を言っているのかと思う。 

 

いっそのこと、死刑が確定した時点で執行日も決定すればいいのに。 

突然命を奪われた方の恐怖には及ばないとしても、それくらいあってもいいと思う。 

執行されたからご遺族の気持ちが晴れるわけでもないし、奪われた命が戻るわけでもないけれど、最後の最後まで悔いて欲しいと思う。 

 

 

・死刑という刑罰が残酷か、残酷でないかと問われれば残酷な刑罰であるに決まっています。国家が国家の名の下に命を奪う刑罰ですから。しかし日本国で死刑判決を受ける者は事実上悪質な殺人犯に限られています。つまり彼らは他人の命を残虐に奪った凶悪犯なのです。それでも彼ら死刑囚は彼らが殺めた被害者より遥かに恵まれていると言えます。自分が何故、何時、どういう方法で命を奪われるのか、を事前に知る事が出来るのです。死刑囚にある日、突然、恐怖と苦痛と絶望の中で理不尽に命を奪われた被害者の事を思えば今以上を望むのは厚顔無恥という物だろう。 

 

 

・10年以上も執行を待たせず、疑いようがない状態であれば、期限(確定から半年)内に執行することを普通にしないといけないかと。こんな長引かせることで、こんなに精神的にも追いつめられる状況を作り、それこそ人権的にどうなのか?という話になる。他人の人権を奪うなど、社会的に許されないことをして、確定した判決であることを、まさに心に刻む時間でもあるが、半年で十分。そして死刑執行が救済と思えるなら、それがいいかと。 

 

 

 

・死刑囚にはその刑を受けるだけの凶悪な犯罪を行った結果。いわば因果応報。死刑囚を擁護するような記事や世論操作には怒りを覚える。唯一あってはならないのが冤罪であるがその可能性はどれほどのものなのか?死刑囚の殆どはその刑を受けるに足る罪を犯している。 

刑が確定してから泣き言や救いを求めるのはあまりにも虫が良すぎるだろう。被害者や被害者家族の心情をよくよく考え来たるべき刑の執行を待つべき 

 

 

・働かなくても衣食住が保証されているだけでも恵まれている。 

死への恐怖は侵した罪の罰であると受け入れてほしい。 

死刑判決からきちんと決められた期間内に執行すべきと思います。 

10年以上、食事を与え、清潔を保ち、十分な睡眠ができ、手紙も書けるなんて、国は何を飼い慣らしているのかな。 

 

 

・執行の日までそういう緊張感を味わったまま生きていいのでは? 

犯した犯罪の代償として、更生の余地なしということで「死刑」判決を受けたのだから。甘々の日本の裁判所が「死刑」判決を出すなんて余程の事なんだということを認識すべき。 

しかし、死刑囚が執行を待つ間に外部と交流が出来るというのはいかがものかと思うよ。そういう自由を与えるべきではないと思う。 

 

 

・死刑って、単純に殺すだけではなく、「いつ刑が執行されるか分からない状態に置かれることで、命のありがたさと罪の重さを知る」的な意味があるんじゃなかったっけ? 

だからこれは正しい事なのでは? 

 

というか、キリスト教の洗礼を受けておいて、毎朝般若心経って、謎なのだが… 

多分、誰かに流されるまま般若心経を読むようになり、流されるまま洗礼も受けたのだと思う 

 

 

・確定から執行までの期日が決まっているのに、これは刑を執行してやらないほうが酷い。 

 

 

ところで、刑の執行を当日伝えるのは憲法違反だと訴えた裁判があったが、事前に伝えていた時期もあって、それだと日に日に本人の精神状態がおかしくなっていったことがあったから、当日告知になった。 

 

だったら、刑が確定したら、どちらか本人に選ばせれば良い。 

事前告知なら、一回一回の食事を、味わい、有り難く食べられるかも知れない。 

 

 

・強盗の動機は金に困っての犯行がほとんどであろう。 

しかし殺人は被害者の人生そのものを奪う凶行であり刑を免れようなどと思うことは筋が通らない。 

人の世に生きていれば時には理不尽な扱いや度を超えた行動に腹を立て憎むこともある。 

だが多くの人は自分の理性に忠実で人生をおくっている。 

死刑囚がなぜその凶行に及んだのか? 

執行までの日々は尊い命を奪ったことを悔いその罪と向き合う。 

それも受けるべき罰と捉えなくてはならないだろう。 

 

 

・死刑判決を受けるだけの事をしているのだから今の境遇に不満を言ってもどうにもならない。 

そりゃ、なにも出来ない事に対して不満はあるでしょう。生きている人間なんだから。 

でも衣食住が最低限保証され、人権侵害を受けていない以上は何一つ求める事は許されません。 

 

一方で、死刑執行に対するあり方も問題があります。 

法に則り速やかに執行すべきです。 

法務大臣は期限内に執行の許可を出すべきです。 

そもそも期限内に執行されていない事自体が違法です。 

 

死刑囚だから執行まで黙って待てという心情は分かります。 

それとこれとは別にして法律遵守で執行していない側の責任にも目を負けるべきです。 

 

 

・被害者やその遺族にとって、奪われた命に対して希望の光を見出すことはない。 

ならば、例え如何なる理由や過程があったとしても、奪った側に何らかの希望(安らぎ)の光が訪れることはなくて当然だと感じる。 

冷たいようだが、そう感じる。如何なる場合でも人権は平等にあるが、だからといって平常な人権であるはずがないとも感じる。 

 

獄中での極刑を味わうことがないよう、誰もが日頃から自身を戒め、全うな人生を送れるよう努力している。 

死刑執行の日、声掛けの瞬間が恐ろしくて仕方がなと泣き言を聞かされても、何もして差し上げることはできない。 

 

ただ、その声や手記などが悪意を持つ人たちの目に留まり、思いとどまったり、思い直す改心のきっかけとなることを期待するだけである。 

 

 

・自分はもし愛する人を奪われたら、犯人そのものよりその人が最も大切にしている人やものを奪いたいと思う。 

理不尽に大切な人を奪われた場合、死刑により法による復讐は一定できたとしても、この「理不尽」の部分を埋めてくれるものがない。いつ執行されるかわからないという不安に怯えながら過ごす恐怖ぐらいしか、被害者やその遺族が受けた「理不尽」を代替できるものはないんじゃないかな。 

 

 

・極悪犯罪などに対しては、やはり死刑が必要と思う。被害者遺族らの感情を考えると加害者が生きていることに耐えられないだろう。法務大臣は確定囚に対して速やかな刑の執行をすべきだ。在任中に印を押すことを嫌がった結果として長期拘留となって記事の内容に繋がる。無期懲役には特赦や恩赦があって外に出てくることもある。このままだと死刑判決の意味が薄れてしまう。 

 

 

 

・この記事の死刑囚に関わらず、おそらく人を殺めた数が一人くらいではなかなか死刑判決にもならないでしょう。 

理不尽に殺されていった方々のことやそのご遺族の心情を考えると、毎日刑に処される恐怖に怯えるのはしょうがない事と思います。 

死刑とは、刑が確定してから処されるまでの時間も含めた刑罰と考えるのが妥当と思います。 

 

 

・この死刑囚の気持ちを知って、むしろ今の死刑制度がしっかり効果を発揮していることを喜ばしく思う。 

被害者ご遺族からすれば、死刑宣告によって死の恐怖と闘いつつも、自らの罪にしっかり向き合った上で心から被害者に謝罪の心を持ってもらいたいと考えるのではないかと思う。だとすれば、その目的はしっかりと達成されているから。 

 

 

・私は被害者やそのご家族の心のケアこそ大事な事であると思っているが、加害者などは、刑が確定しその事実に間違いが無いなら、一刻も早く執行するのが、被害者のためはもちろん、加害者のためにもなるのではと思うのだが。 

 

 

・どこまで身勝手なんだろうと、涙が出てきました。食事の味がしない?食事する機会さえ奪われた被害者のことを考えたら口にできる言葉ではないでしょう。 

また、亡くなられた被害者やそのご家族ご友人などの悲しみ怒りは、あなたの毎日の怯えの何百倍も辛いことです。 

 

京都新聞もこのような記事を書くなら、ご遺族側の方々がどのように毎日色のない生活を送っているかも合わせて報道すべきです。 

 

 

・死刑判決に消極的な我が国において判決がなされたのなら相応の加害者ということ。死刑執行に消極的な法務省/法務大臣に対し不満を募らせていましたが、この記事を読んで初めて救われる気持ちがしました。精神的苦痛を強いていたのですね。税金で生かしている事に未だ納得はいきませんが、それでも自分の血税が死刑囚に日々精神的な罰を与えられているのだと知り得て安心しました。 

 

 

・日本では、国民の80%以上が「死刑」を指示しています。死刑囚の手記は身勝手です。毎日、起きてから寝るまで自分の犯した罪と向き合って下さい。遺族はもっと苦しんでいます。せめて、生まれてから罪を犯すまでの自分の身勝手な生き方を丁寧に振り返って手記にして欲しいです。必ず、犯罪を減らすことに貢献できると思います。 

 

 

・もう30年以上も前になるが不良少年3人が行きずりの人も含めて4人を殺害した事件が東海地方であった。少年達は少年法があるから死刑にはならないとタカをくってたようだか、裁判でのその不遜な態度が裁判官の心証を悪くしたのか、少年にも関わらず全員死刑の判決が下った。ところがそれから30年以上経つのに3人とも執行されてない。本人らは中年を過ぎて初老の年代になりおそらく被害者の遺族も存命でないかも。何故執行されないのだろうか?冤罪の可能性等皆無なのに。このまま執行されず三人が拘置所で天寿を全うしたら何のための裁判だったのだろうか。法治国家としての根幹が揺らぐのでは。 

 

 

・のんのんと執行の日を待つから問題となる。 

刑に対してはそれ相応の理由があるから仕方ない。しかし、被害者には経済的な損害も大きく有るはず。執行を待つ間はただ反省の日ではなく、重労働をしていただき少しでも被害者家族に賠償する必要が有る。 

加害者は刑を受けるだけでなく被害者への損害にも対応する必要が有るのでは。例えば詐欺で騙し盗った金額を返金してから刑を執行すれば犯罪者の数も減るかも。 

 

 

・ふん、死刑が確定するぐらいの犯罪だから、普通に考えれば複数人数を殺害している人物ですよね? 自分の罪の重さを考えたら、「毎朝緊張で朝食の味が分からない」なんてよく言えますね?? こういう戯言を言わせないためにも、法律の規定どおり死刑確定から半年以内に執行することを徹底すべきだと思います。何年も、10何年も、「毎朝、緊張で朝食の味が分からない」思いをさせることもなくなります。そういう死刑確定囚が何十人もいると聞いています。そういう朝を10何年も強いるなんで拷問に等しい、早く執行してくれ、と主張するのであれば、賛成できる。拷問のような毎日から解放してあげて、早く楽にしてあげましょう! 

 

 

・唯一言える事は、裁判員制度のように、死刑執行立会制度なる、一般人の死刑執行立会及び執行のボタン操作を行う者を選定しても良いのでは。 

 

死刑の選択はやむを得ない世論ならば、国民がその権利を最大限行使して、拘置所で執行を立会う事こそが、死刑存続に強い意味を持つと思う。 

 

 

 

・自身の罪が許されるかどうかは、本人が決めることでもない。 

その懺悔を見聞きした第三者の決めることでもない。 

恐怖も後悔も痛みも何もかも一つ一つ数えたら良いと思う。 

被害者、被害者の家族の痛みや苦しみ、それでも生きていかねばならぬ苦痛を、晴らすことも許されぬ歯痒さを、精神的に追い詰められる苦しみを、思い知ると良いと思う。 

 

 

・多分大多数の意見は、「なに言ってるの?被害者の事を考えたらそんなの当然」だと思うけど、他コメにもあるけど冤罪の可能性が無いのであれば、粛々と執行するべきなのかなと思います。 

死刑自体の賛否についても、議論するのはすればいいけど、現在確定している死刑囚については、死刑というと刑がある事を知っていて罪を犯したのだから議論の余地は無いと思います。 

 

 

・京都新聞は死刑廃止論者なのだろう。だからこうして度々死刑囚の苦悩みたいな記事を出している。 

だが、本当に苦しんだのは被害者であり、その遺族。加害者の家族も入るかも知れないが。 

死刑判決に慎重な日本の裁判所が死刑という刑罰を与えたと言う事は、それだけ残忍な罪を犯しただけ。 

他所の国が死刑を廃止しているとかに影響されず、日本の社会通念に照らし合わせて刑罰は決めれば良い。 

 

 

・冤罪の可能性がなければすぐに死刑を執行すればいいという考えです。 

もし自分が被害者の立場なら、犯人にはすぐにでも死んでもらいたい。 

反省や謝罪の言葉などいらない。 

 

また、死刑囚の生活を維持するために納税した税金が使われることも腹がたつ。 

労働もなしで衣食住がある死刑囚の暮らしをなぜ支えないといけないのか… 

 

でも、この記事の死刑囚のように、長い時間怯えながら過ごしているのであれば心がスッとするのも事実。 

いつ訪れるのかわからないその日まで怯えて暮らせよと思う。 

朝食の味がわからない…だからどうした? 

被害者とその家族は一緒に食卓を囲むことはできないのだから、味がわからない事などどうって事ないでしょうよ。 

 

 

・関連記事の中に死刑執行に携わる刑務官の話があるが、死刑に該当する受刑者が刑として死刑を受けなければならないのは仕方がないとはいえ、死刑を執行するのに関わる刑務官の精神的な部分は計り知れないものがある。 

凶悪な犯罪者にフォーカスが当たりがちだが、見えていない部分も考えると、死刑の執行方法に少し疑問も感じる。 

その方々の苦痛を考えれば、受刑者が「朝食の味もわからない」などと言わないで欲しいと感じてしまう。 

受刑者にも刑務官の負担を教えるべきだ。 

 

 

・本当に何を言ってるんでしょう 

 

それが最低限出来る罰だし、執行されてようやく罪を償えるんだよ法律的には、被害者遺族はそれでも癒されない、それと被害者の恐怖はそれの比じゃない 

 

死刑囚の方には、自分が犯した罪を懺悔し後悔し、そして被害者に心底から反省し悔い改めてほしいと思います 

 

そして、改心した後に怖がって怖がって執行されてください 

 

 

・他の方も書いているが、新聞社はどの方面に向けて書いているのか。死刑囚本人にはこの記事が届くことはまずないと思われるので、本人以外の方に向けている思われるが、なぜか死刑囚が可哀そうになるような文面であると思われる。罪の内容紹介も簡単すぎる。実際にどんな事件を起こし、どんな理不尽な理由で、全く罪のない人をどんなやり方で殺めた方とうことが冒頭の説明として必要。子供や若い方かたも含めこれからの未来を突然奪った人であること前提に記載して、それから囚人の話を書くべき。 

 

 

・孤独という刑罰も大変苦しいでしょうね。私も仕事もせず4ヶ月間一人暮らししたことがあって、もう誰でもいいから会話の相手になってほしいと切望していました。20代の頃に犯した罪から長い時間を経て、自身がいかに愚かだったか、未熟だったか思わない日はないでしょう。できることなら当時の自分に伝えてやりたい言葉というのがたくさんある。ただ、檻の中からでは「愚かな若者」への声は届かないのです。 

 

 

・それが極刑ということなんだと思います。 

それけの罪を犯した、と判断されたということ。 

 

冤罪の可能性がないなら、すぐに実行すればいいのにと思ってた、税金の無駄だと思うから。 

生き地獄を味合わせるという側面があったとは… 

 

こういう記事によって、極刑のさらなる怖さ、辛さを知る=犯罪抑止につながればいいのにと思った。 

 

 

・朝食を食べられるだけありがたいと思わないといけない。 

この人間の身勝手な犯行で、朝食どころか、人一人以上の犯罪を犯した訳でしょうから、同情の余地など全くなし。 

そもそも、死刑確定後からの執行までの期日が長すぎるのはいったいどういう 

意図があるのか?そこを、クローズアップしてもらいたいものです。 

 

 

 

・逆に拘置所で自殺してしまう犯罪者も多いので、死刑は恐怖ではなくむしろ逃げ道になっているのかと思った。 

60代にもなって死に対する恐怖心も克服出来ておらず、人を殺めても自分のことは可愛いという心の表れだと思う。 

般若心経を唱えようが、キリスト教会の牧師さんと話をしようが、内面は成長していない。 

 

死刑が確定した後、10年以上執行されないまま生かすのは税金の無駄ではなく、殺人を犯した人をそんなにあっさり死刑にしてしまうのでは懲罰が弱いので、犯罪者への抑止にはなると思う。 

また死刑が確定した後、袴田さんみたいに冤罪だったということもあるので、直ぐに執行せず、10年以上伸ばした方が良い。 

 

 

・残虐な犯罪を犯す前にこういう心境に辿り着くべきでした。 

人としてこの世に生まれた以上、人様に迷惑をかけず、日々労働に励みささやかな幸せを享受して 

時には辛い思いをし、しかし時間の経過と共にそれも晴れ、自分自身が成長していく場が与えられた 

恵まれた立場を、一時の快楽でそれを捨て去ることがどれだけ愚かなことか、日々反省でしょう。 

 

日本のように自由に行動、発言出来る人たちは世界を見渡すとそう多くはありません。 

そのため逆に自分の行動には責任がもたらされる。 

 

そこをよく考えて、余生を過ごして欲しい。 

ただこの人にもまだ出来ることはあるはず、同情をかうのではなく、再びこういう悲しいことが起きないように塀の中から訴えていって欲しい。 

 

 

・殺人を犯した死刑囚であろうといつ死刑が執行されるか恐怖と感じるのはごく自然なことでしょう 

人の命を否応なしに奪っておきながら何言ってんだと思いますけどね 

執行までの恐怖も刑罰の1つと考えることもできますがもっとハイペースで執行すべきだと思います 

 

 

・罪を犯した代償がどういったものか… 

 

いかに犯罪行為が割に合わないものかを 

人々に認識させる意味でも、 

こういった報道は犯罪の抑止効果が大きく、 

今後の犯罪減少に資すると思います。 

 

現行制度は、基本的にこのままでも良い 

のではないでしょうか。 

 

 

・別にこの死刑囚自体が特に一般人に同情してほしいとも別に思っていないと思うし、死刑制度どうこうってメッセージ性を訴えたいみたいな意図まで深読みするのは勘繰りすぎでは。 

ありのままの心情聞かれてそのまま言っただけだと思う。 

ただ起きたことは取返しはつかないし死刑も執行されるだろうけど、加害者が苦しんだうえで起きたことを悔いて最期までまっとうに生き抜きたいっていう心境になれたのは少しでもご遺族の方にとって救いになる終わり方になればいいなとは思う。 

 

 

・「キリスト教の洗礼を受けており、牧師と月に一度面会」とあるが、「一日の始まりと終わりに般若心経を唱える」とも書かれていて、どうやら神の救いに確信がない様子。ちなみに「洗礼」で救いにあずかるのではありません。①神の子であるイエス・キリストの(私たち一人ひとりの罪の身代わりの)十字架で流された血潮によって罪が赦されたこと、②そして、イエスは死んで葬られたこと、③しかし、三日目にイエスは死を打ち破ってよみがえられたこと、の三点を信じてください。神はどのような罪を犯した人にも罪の赦しと永遠のいのちを与えるため、忍耐して待っておられます。どんな人にも生命の終わりがありますので、生かされている「今」が信じるべき時です。 

 

 

・一応、刑事訴訟法では以下のように「判決確定から6ヶ月以内」に法務大臣が命令し、そこから「5日以内」に執行するように定められています。誤審のおそれがない場合は、余計な費用がかかるのでさっさとした方がいいと思います。 

第四百七十五条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。 

② 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。 

第四百七十六条 法務大臣が死刑の執行を命じたときは、五日以内にその執行をしなければならない。 

 

 

・この死刑囚の体験談は、殺人などの犯罪を抑止するために使えそうですね。特に「身勝手な冷酷さを責め続けている」というところです。刑務所で語らせることで、犯罪を犯しそうな人間に思い止まらせる効果が期待できそうです。 

 

 

・理不尽に殺害された二人の苦痛や恐怖、ご遺族の深い悲しみに比べたら埃より小さい苦しみ。 

確か、刑の執行が与えられた刑罰になるのでそれまでの収監は刑罰ではないので、割と自由な暮らしが出来るはず。 

作業で報酬も得られ、おやつを買うこともできると聞いた。 

十分すぎるほどの待遇、恐怖くらい感じないと意味はない。 

執行されるその時まで自分の所業を後悔し被害者達に心から詫びて欲しい。 

 

 

・1人殺しても日本の法律では死刑にはならない。明確な殺意を持って準備して複数人殺して初めて死刑になることを考えると殺されるだけのことをしていると思う。むしろ1人殺しても絶対に死刑にならない現在の法はおかしい。目には目を、は古典的な言い回しだけどこれ以上にない公平な裁き方であると思う。 

 

 

 

・ブラックな働き方が続き、楽しみが何なのかわからなくなりました。 

朝食の味が分からないことはありませんが、全てが悪くなっていく一方で、何のために生きているのかわかりません。働いていれば、飢えることはありませんが、それ以上はありません。 

犯罪を犯す気はありませんが、こんな状況がずっと続いていて、学習性の無力感に苛まれていることを考えれば、まだ刑務所のほうがマシなんじゃないかとすら思ってしまいます。 

 

 

・法律通りに執行していればこんな問題にならない。 

いつ執行されるのかわからない状況で10年も収監されているよりも、6か月以内に行われるとわかっていて刑に臨む方がよほど人道的だと思うけど。 

状況証拠だけでの判決なら、再審を考慮して執行を遅らせてもよいと思うが、物証も供述も揃って100%犯人で間違いない事案に対しては、確定後半年以内の執行を厳守するべき。 

これも結局、法務大臣たる政治家の怠慢。 

 

 

・判決から執行までに時間がかかる要因として、 

とりあえず延命のための再審請求を繰り返していることが挙げられる。 

延命のための活動をしていないのに、執行が遅れているのは、 

本来は6か月以内に執行すべきなので、気の毒なところもあるが、 

延命のための手続をしておきながら、いつ執行されるか怖いというのは 

矛盾した話に感じる。 

 

 

・この書き方からすると、死刑囚は被害者みたいなことを言っているように思います。今の日本の制度では殺人でも相当なことでもやらないかぎりはならないので、執行を待つ心境くらいの苦しみ以上与えないといけないと思います。 

 

 

・日本の社会らしい法律だと思いますね 

ハッキリと表現せずに、時間を掛けて理解するというか 

自ら命を絶たないようにとか、精神的な不安定とか 

ただ、しっかりと立ち向かう事に避けて来ている気がします 

今の社会で、執行日が知らされていないというのは 

?それで、本当に犯した罪を償わせようと出来るのだろうか? 

って思ってしまう 

宿題も課題も、子供に教えるのは期限を守る 

社会人としての大切さだと思う 

それは、子供であろうと大人であろう関係ない 

こちらも相対さないといけないのでは 

そして…遺族にとっても、かなり辛いと思う 

 

 

・被害者はある日突然命を奪われ、耐え難い苦痛の中亡くなったケースが多いと思います。遺族も一生苦しみ抜きます。毎日緊張で朝食の味が分からない?何を言っているのでしょうか。だったら税金も無駄だし早く執行してしまえばいいと思います。だって毎朝辛いんでしょ?被害者の立ち場になったら、命あるだけで感謝しないといけないですよね。 

 

 

・何も知らない死刑囚が多すぎる 

初めての経験で当たり前だからで良いのか。 

 

死刑囚、拘置所、刑務所などの情報が少なく、わからないことが多すぎる。実態を全て公開することは大事ではないか。 

 

刑罰の実態を最後まで知ることは、社会として意義が有る。 

 

加害者となって極刑の判決を受けると、どんな現実になるか知る、考えることは必要ではないのか。 

知ってたら留まる人もいるのではないだろうか。 

 

 

・死刑制度がある限り、それで罪を償うのが法治国家であると考えております。 

死刑が確定してから無駄な時間を税金で生活させるより、死刑確定後、30日で執行する等の法令を定めれば良いと思います。 

死刑になるだけの罪を犯したのであれば仕方ありません。 

被害者の立場からすれば、1日も早い執行を望むと思います。 

個人的には死刑制度には賛成です。 

 

 

・いつ死ぬか、判って生きてる人なんてほとんどいない。犯罪を犯していようが普通に生活していようが。この死刑囚がやった事がまさにそれ。健康でいても殺人犯がやって来ると死んでしまう。普通の生活している人はビクビク死に怯える事は少ないだろう。この日本で死刑になるには相当な罪が必要。冤罪の可能性で死刑を反対する声もあるようだが、死刑が無くなれば如何なる犯罪でも死ぬ事が無いというリスクが今まで以上に軽くなる。更に、殺人事件が地域に与える影響は小さくない。事件現場が繁華街だと活気は失われます。経済的にも被害に遭う人もいます。2度と起きて欲しくないと思い書いてます。秋葉原連続殺傷事件を間近で見ていた者として 

 

 

・刑訴法によると、死刑は判決の確定後、6ヶ月以内に執行される必要がありますが、この記事は執行されないことによる効果を実証したものだと思います。 

ただ、死刑囚を生かしておくのも税金の無駄なのでやはり早めに執行すべきだと思います。 

 

 

 

 
 

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