( 179436 ) 2024/06/11 00:38:39 0 00 ・こうした書面に裁判所が過度に有効性を認めてしまうのは、悪質商法全般でよくある問題。 (統一教会が注目されているのも本来霊感商法絡み)
最近話題の水道詰まり対応業者のぼったくりなんかも、裁判所がそう言う状況で作った書面や払ったお金に 「ちゃんと伝えたので詐欺ではない」 「断る自由があったので強迫ではない」 などと有効性を認めてお墨付きにさせてしまうことから、悪質業者がそこにつけ込んでしまう。 そうなると、裁判所が悪質商法にお墨付きを与えている面もかなり強いと思っている。
国民生活センターなどが警戒を呼びかける悪質商法も、業者にお墨付き対応をする裁判所の判断が連続する限り、 国民生活センターも違法と決めつけるような言動が難しく、また警察も取締が困難。
裁判官は、自分が賢いから「悪質商法なんて拒否して当然」と考えるのかも知れないが、もしそうならそれは大きな間違いだと声を大にして言いたい。
・その念書が書かれた時は既に認知症だった可能性がある。 無いとは決して言えない。 診断は確かにその半年後だが、かなり重篤な状態になってから診断される場合も有り、僅かな診断時期の遅れは関係無いと思う。 特に急性の病ではないのでね。 本人に判断能力が無いと知って念書を書かせた疑いが無いとは決して言えない。 特にこの場合僅か半年後に認知症と診断されているのだから本人に正しい判断が出来なかったとするのが普通だと思う。
・認知症と複数の医師によって診断されたら、過去三年に遡って、その間に交わされた契約、約束事を、契約者の親族からの申請によって無効化出来る、支払った費用は全額契約者から返金される、返金が足りなければ保有資産を強制執行で売却できる、法律を作る。 これで大分と高齢資産家への寄付やぼったくり施工やイカサマ投資話は減ると思う。
・特殊詐欺にも通じるものなので、しっかりと基準を定めて欲しいですね。 念書を書いた本人のみの財産の範囲内であると、客観的にも認められるか、とかね。 不安に漬け込んで、あからさまに過剰で家族の金も持ち出させているのでは、学校でいじめっ子が被害者に家の金を持ち出させているのと変わらないね。 念書を書けばOKとはなりません。
母親が子供の生活費や教育等にかかる費用を宗教団体に渡すよう、唆すのかな。
願わくば、児童虐待や高齢者虐待を裁判所が擁護する国になりませんように。
・自民党の圧力が消えた途端、旧統一教会のやりたい放題が次々と暴かれるのは興味深い。自民党のバックアップを受けていたことで、この教団がどれだけ自由に行動できたかがわかるね。1億円以上の献金をさせたうえで返還請求をさせないための念書を強制させるなんて、悪質すぎる。特に、認知症の兆候が見られる人に無理やり書かせたというのは倫理的に問題があるし、反社会的としか言いようがない。旧統一教会のような反日的な団体は、日本から排除されるべきだ。この裁判が、被害者救済と同時に、今後の再発防止にもつながるような前例になることを期待している。最高裁には、こうした反社会的行為に対して厳正な判断を下し、被害者の権利を守ってほしい。
・素晴らしい。 支持します。
ただ、これは宗教弾圧だと思います。 中世ならいざ知らず、まさか令和の時代にこのような宗教弾圧が許されて良いのでしょうか? 報道機関も、ある亡くなった政治家を批判するために、 清く正義の宗教を叩いているようにしか思えません。 これが日本国民の大多数の意見であると思います。
・既存の宗教もお布施や寄付をお願いしますが、この手の悪徳宗教との最大の違いは、ごく普通の人や持たざる人からも巨額の献金を集めようとする点にあります。
神社やお寺や教会にも巨額の寄付はありますが、普通の人から何百万、何千万、ましてや億単位の献金を受けることは通常ありません。
そんな行為が頻発しているからこそ、悪徳だと言われるのです。
そしてやっている側も後ろめたいから、返還を求められるかもしれないと思っているからこそ、念書を取る訳です。
裁判所には是非ともそういう目線での判断をお願いしたいところです。
これが合法になってしまったら、第二第三の悪徳宗教が生まれるでしょう。
・日本の司法判断への信頼が疑われる事象か多々起きていたということである。 財務省での改竄事件では国はそれを主導した佐川理財局長への刑事訴訟が行われず税務局長へ移動させ、事件の内容を公開させようとした民事訴訟では争わずに認諾(訴訟者の訴え通り認める)し、税金からの一億円の賠償額が支払われた。敗訴を作り事件内容の隠蔽した。最近発覚した裏金などでも感じる事件を闇に葬る警察、検察だけでなく裁判官を任ずる司法・行政機構の全てに不透明な空気に左右されてしまう判断が起きている要素が存在すると思います。。
・念書があるからと言ってもその時の状況やその時の 宗教的な行動の制約金額の多さなどの状況を総合的に勘案して念書の位置付けを考えるべきだと思う。 念書があるから 機械的に返還の意思なしというのは 悪徳商法を擁護するような方向に行きかねない。 念書の有効性を法的にきちんと定義 し本人の現状の医師をきちんと 反映させないと 実生活において一生 宗教的な拘束がついて回ることになりかねない。
・私の民法の先生は、弱者をいかに救済するかが民法の理念とおっしゃってました。 そして、法律を単純に当てはめて、弱者をくじくような人には「あんな奴は(司法試験)絶対落としてやる」とも言っておられました。 最近の裁判を見てみますと、どうもこの辺りが欠落してしまって、庶民の感覚とずいぶん違うものになったものだと思わずにはいられません。
・旧統一教会がここまで力をつけてきたのも、政権与党の自民党との強い癒着があったからこそ。 自民党を政権から引きずり下ろすことによって、さらに明るみになることがあると思う。 安倍襲撃事件のように、暴力でしか真実が表に出ないのが現実。 本来、自民党と統一教会が裁かれるべきなのに、権力で弱者のみが裁かれる世の中を変えていくべきですね。
・三審制でなかったら教団側勝訴が確定してしまうわけで、ほんと三審制で良かったと思う。最高裁では、しっかり審議して、下級審での判断を見直してほしいと思いますね。 敢えて念書をとるということは、教団側もうすうすと高齢女性の判断力の衰えに感づいていたのではないか。だからこそ書面での言質をとったようにも思う。 裁判では医師の判断を仰いで、医学的な見地からも、念書の有効性をはっきりさせてもらいたいと思いますね。
・念書を書かせる、という発想に至った時点で教団側が不当搾取だと認識していて、それでも取り返されないように予防線を張ったとしか思えませんね。
いずれにせよ教団側の姿勢は「日本人は韓国に賠償すべきで搾取してもそれは正当な行為だ」でありますので、日本人の大戦時代の罪悪感に付け込んだ利益収奪団体、とても(信者の平穏を提供するという大義を掲げた)宗教と呼べるようなものではないと考えています。
まあこれも氷山の一角でありましょうが、長年にわたる政界との癒着も含め解明を急いでいただきたい、被害者が鬼籍に入る前に。
・正常な判断が出来ない状態という意味では、認知症患者も熱狂的盲目的信者も変わらないと思う。 そういう状態の方から、教団側になされた教団側の利益になること全てに対し、行為の見直しが出来る仕組みを残すべき。
・何かをした対価でなく 自分の意思で行う献金に、「返還請求などをしない」として「念書」を提出させる行為自体可笑しいと思わないのか? 一般的な感覚として一億円も献金するのも異常。 形式が整っていたら有効なモノではないだろう。 神社仏閣で賽銭して「返還しない念書」提出を求められたことない。
・宗教団体がお金に固執するのは統一教会だけでは無いでしょう。 全ての宗教団体は、受けた献金の中で生じた経費を差し引いたものを、献金者が求めれば返還しなければならないようにすべきです。宗教団体は営利団体では無いのですから、信じた人の心の動きに応じるべきです。
・既に別件で「正義に反する」として、地裁判決を高裁が差し戻している。 この件も、高裁判決が銃撃事件の直前に出ており、最高裁から差し戻されるのは当然の帰結である。
銃撃事件を肯定する訳ではないが「統一教会」の闇を炙り出した事は否めない。 政権与党の最高実力者の生命と引き換えにしないと、この闇が明るみに出せなかった事は日本の歴史上の汚点として残るだろう。
「オウム真理教」事件を何一つ教訓に出来ず、理由のわからない判決ばかり出してきた「司法」は、統一教会の違法行為を助長してきた事を猛省するべきだろう。
・念書を無力にするのも問題ではあるが、絶対的な効力を持たせるのも危険。 有効とするならば見直せるようにもしなければ、悪徳商法の餌食にされてしまう。 直近は司法の判断が大切だと思うが、政治屋さんたちももう少しこういう部分を考えて立法して欲しい。
・タバコもそうだが一度吸ってしまうと依存症リスクが高まる。宗教も同様で、最初に「まぁ嫌になったら止めればいいか」とたかをくくっても泥沼にハマる(ハメられる)。そもそも献金などを過剰に求める宗教には家族がいるなら入るべきではない。
・献金はあくまで個人の自由意志ではありますが、献金先の教会が数々の問題を起こし、教会解散請求まで出されていることを考慮したり、献金に親族の反対もあることや、個人献金としては額が多過ぎることを思えば、返還は予想されたことのようにも思えます。 献金はある目的のために行いますから、その目的が逸れて行われなかったり、意に反したりしたら念書の効力も制限されるべきだと思います。 下級審では、付帯的な事情も考慮せず、判断を最高裁に預ける意味で、念書も持つ法的拘束力を杓定規に適用しただけなのでしょうか。 教会存在の公序良俗などの点からも念書の効力の適用範囲を斟酌すべきだと思います。最高裁では下級裁判所への差し戻し判決となるように気がします。この判決が終局的に確定すれば、故首相をあやめた容疑者も高額献金の返還請求ができるようになるかも知れませんね。
・認知症でなかった可能性もあるから念書は無効に出来ないという判断なのだろうか。
それが争点ならば仕方ないと思うが、一方にのみ不利益をもたらす念書や契約の有効性は見直した方が良いと思う。 最高裁でこのような被害が再度起きないような判例が出来ることを望みます。
また、霊感商法被害者救済法が施行されたものの、穴だらけという指摘があるようなので政府には毅然とした対応を取ってもらいたい。
・『フランスでは「創価学会、幸福の科学、統一教会」はカルトとして扱われ禁じられてる』 日本でも、この様な宗教団体に入り、身ぐるみはがされた人が、後を絶たない 心のよりどころを求め、幸せになると信じた人達の、不幸が大半である。 国会で、日本での、宗教団体の有り方を、しっかり論議し、事細かに法の網を掛けることが、求められていると思う。
・常識的に考えて、一億円もの高額な寄付をさせること自体が異常で、まともな宗教団体なら寄付など要らないから信じたなら救われると言うはず。それを高額な寄付をさせること自体が寄付をさせることを目的とした団体としか思えない。司法の適切な判断を望みたい。
・献金させた上に念書取る行為は、事前に自己正当化を意図している事は明白。しかも賃貸契約や金銭貸借でもなく、宗教団体への寄付だから何らかの法的義務を伴う関係性は無い行為かな。裁判所も法文の一言一句の解釈に執着するのではなく、行為全体の関連性や整合性を考慮すべきと思う。 一審と二審の判決が積極的に統一教会の言い分を認めたのであれば、政治の影響力や判決によって炙り出される不都合な真実に蓋をするためと勘ぐる事もできる。 統一教会へのこうした寄進(であるかどうか知らないが)を隠れ蓑に、まさか自民党の裏金に紛れていたのではと思うのは考えすぎか?
・そもそも今回の裁判の内容が「念書」の有効性に限った裁判だけど、そもそもこうして個人的な献金に対して「念書」を書かせていること自体が教団の問題点だと思う。 いつか洗脳が覚め返金を求められる機会が出てきても大丈夫なように念書を書かせるとは、それほど悪徳な手法で献金をしてるという自覚を持ってるという本心が露呈していると思う
・そもそも念書を用意している時点で不自然だろう、ある種の強制的な資金の巻き上げを期待していたように見える、普通だったら念書までは用意しない根底に悪意があったように感じる
カルト宗教は一般的な宗教とは違い資金目的で存在している、昔のオウム真理教も東京で家電を売るお店を経営していたが、働いていたのは信者で全員無給だったと聞いている
今回の件も一般常識的な話ではなく宗教的な問題でもない、カルト宗教的な存在がやった行為と見て判断すべきではないか、いわゆる犯罪組織が何かをした時の行為と考えておけば、相手側の問題点も見えてくると思う
・最高裁はそもそも事実の争いではなく、下級審での法令の解釈や適用の誤りがある場合にのみ弁論が開かれ、そうでなければ弁論が開かれるまでもなく訴えが不受理又は却下されるのがオチです。 なので、この「最高裁が弁論を開く」の意味は凄まじく重く、高裁判決が逆転ないし大きく修正される可能性が非常に高いです。
・法律は解釈の仕方次第では犯罪者を守る法律でもある。テレビでヒットした必殺仕掛人が法で捌けぬ人間達を闇で始末する物語は時々、現代でも事件として挙げられるがこれを実行した人間は、金が絡む犯罪者となる。良い事はないが法律で守られる犯罪者もいる事は事実である。その為に悔しい思いをして人生を過ごさなければならない人たちも陰にはいる。
・こういうものは、一切認めてはダメだと思う。 払った方が損をする仕組みは、徹底的に排除するべきだろう。 ちゃんと取引をした上での無茶な客の要求も排除するような 双方が当時のやり取りを再現できるような資料を お金を受け取った側が一定期間保管するような仕組みが必要だ。
・> 遺族は「極めて悪質なやり方で取り付けた念書を盾に返金請求に応じる姿勢が全くなかったため、司法に訴えるしかなかった」、「実態を明かし、被害を回復させてください」と訴えました
これは一例に過ぎないのではないか? 同じような訴訟があるやに聞く。 法的な判断は裁判所に委ねるしかないが,それ以前に問題の深さを感じざるを得ない。 法による救済を望みたい。
・念書の有効性を認めた教団の勝訴判決は見直されて差し戻しとなり、献金の勧誘行為の違法性の事実認定に向けての争いが今後の焦点に成りそうですが、 来月の判決の内容しだいでは、今後の旧統一教会の解散命令請求の裁判にも大きな影響を与えるでしょう。 難しいのは「マインドコントロール」の証明です。これをどの様に法的に認定するかが国際的にも注目を集めているのです。 更に旧統一教会の如何わしい部分が、日を追う毎に明らかに成って参りました。是非とも明らかにして下さい。
・第三者から見て、団体に献金をして返金は受けない旨の念書にサインしたのであれば当事者同士の合意があったのでは?と推測してしまいますね。
強引な献金徴収や念書作成の強要があればその時に問題にすべきだったと思いますが、どれだけの時間が経っているのでしょうか?
これからは献金と念書のやり取りの様子が争点になりそうですが、客観的な事実判断をするのは第三者の裁判官ですので具体的な強要の証拠を示さなければ厳しいかと思います。
・世論的に非難が沸きそうですが、仮に被告が旧統一教会ではなかった場合はどうでしょう。 一般的に念書を書いた半年後に認知症を診断されたからと言って、念書を書いた時点では認知度に大きな問題がなければ有効です。でなければ、仮に一般企業に対して行った契約も、後からなんでもありになってしまう。 それに教団側が強制的にむしり取ったわけではなく、”あくまでも”献金は自己意思によって行われたのであれば、法的に問題はない。教団に誘導されても、行うのは原告本人です。 これらを踏まえると、裁判所の判断は法的に考えて当然だと思います。
感情論は無視していますが。
・事後法で裁けとは言えないけど、今後のためにも法整備すべき。
献金は自由意志という主張も分かるけど、収入の何パーセント超えると返還請求受けなければならないとか制限かけて、不十分かもしれないけどセーフティネット作ろうよ。 そもそも洗脳されてる状態でまともな意思決定できるのか疑問だし、宗教団体が税制優遇されるのって公益法人だからってことになってるけど、普通に傍から見たら該当しないのでは?
固定資産税かけると財力のない神社等は潰れるというけど、それなら収益○○超え以上は固定資産課税するとか法人税あげるとかいくらでも取り方あると思う。
公益だのなんだのいっても宗教なんて解散しますとなれば全部個人のものみたいなもん。 不公平感はどうしても抱くよね。
・司法には、お金を受け取る側の権利だけで無く、一般的なものの見方に立って整合性を判断して貰いたい。
人権団体、宗教法人、権威を利用して行うお金の流れは厳しく裁定して欲しい。
国民が皆さん真面目に悩んでる事柄であり、大企業の誓約書や大きな組織の覚え書き等で泣き寝入りする例を抑止して貰いたい。
・意思能力の問題で『念書』の効力が否定されるならば、それほど特殊な裁判ではない
宗教団体が特殊な精神的社会的関係性の中で信者との間で交わしたある種の特殊な契約(著しく一方が不利益を被るような)について、意思能力と関係なく有効性を否定できるなら、画期的な判決になる 具体的な不利益の告知がなくとも霊感商法に準じた扱いに出来ればベスト
・書類が揃っていたら法律では教団側が強いでしょうね。洗脳状態だったとかマインドコントロールされていたと言うのをどれくらい証明できるかですよね。でもそれもかなり難しい。 教団に寄付という形の物に書類を書かせていると言うのはおかしいと思いますがね。 例えば賽銭をするときに何か書類を書くとか絶対にないですからね。 書かせたという事は返して欲しいと言われる可能性があるから書かせたという事にならないのですかね。 まー大金を寄付した事が無いから書かせるのが当たり前なんですかねー 皆さん寄付にはご注意を
・宗教と寄付に関する話になるからいろんな感情が出てくるんだけども、一般的な商行為とか契約とかにおいて、身内とはいえ当事者以外の人間がそれをたやすく無効にできるとなると、それはそれで問題が多いんだけどねえ。 なので、これは宗教法人への寄付に限定して、契約行為の制限を設ける立法を目指すしかないと思うんだよねえ。 もちろん、契約時点で行為制限能力者であった場合にはその限りではなく。
・裁判は、英語でジャッジ、あくまでどちらが正しいかの判断。「念書」の法的有効性を問うよりも、1億円もの大金を、どのような環境でどのような立場の人から金を収奪しようとしたのか、しっかりと調べてジャッジしてほしい。裁判官の人間としての「有効性」が問われている。
・日本の司法を根本的に見直すべき時期がきています。今の裁判員裁判はその助走として、今後は裁判員が全ての裁判を行い、裁判官は、裁判員の判断に従い、裁判官は裁判員の補助役に徹するように、法改正すべきです。
・これは非常に興味深い裁判になりそうですね。 これが最高裁で無効と判決されると多くの宗教団体やその他組織にて大規模な返金運動が起きるでしょう。 おそらく小さな団体は破産するでしょうね。 一昔前の過払い金の様に、弁護士団体も注目しているはず。 でも、ここまでの動きが日本に出来るのであれば、裏金問題もうやむやにせずしっかりと裁いてほしかったですね。
・念書があろうがなかろうが、一億円を超える献金を80過ぎの認知症を疑われる超高齢者の単独判断を受け入れる旧統一教会の姿勢が問われる。わざわざ文書どころか、映像まで保存している事自体が違法性を問われたときのために準備した確信犯ではないか。最高裁判所はこれを無罪とするならば人間としての良心はどう捉えたらよいのか。 宗教団体だから何をやっても構わないのであれば、このように法律を逆手に取る理不尽な宗教団体が今後も出てくるのではないか心配である。
・何のために最高裁の判事が世間から隔離されているのか?世間一般の常識や感情や道徳を元に公正な判断を下すために他ならない。法律は厳正たるものだが法律の基盤は世間一般の常識や感情や道徳から成り立っている。 統一協会は法律に抵触しないグレーゾーンで覚え書きを交わしたのかも知らないが、これをYESとすれば歴史に残る判事として名を刻むことになる。
・勝訴じゃなくて裁判官お金をもらった間違いないと思います。このような他人のお金騙している組織絶対に法律で罰則と罰金強化しないといけないと思います。今の弁護士と裁判官法律よりお金のほうに大事ですからねお金をもらっていると自分ら生活贅沢なれる法律なら他人の事ですからね自分らなんにも利益ならないですよ。
・まともで普通の寄付やお布施なら、後々返還は求めない、などという念書にサインさせたりしない。信者の自由意思に基づく献金なら、その自由意思が変わることもあって、献金を取り戻すことがあって然るべき。 念書を取る時点で詐欺まがい、というか、詐欺行為と区別がつかない。 という普通の感覚を、最高裁判所は必ず認めるべき。
・制限行為能力者かどうかということだろうが、厳密に線引きする法律関係は難しいからなあ。やりたい放題だった統一教会を懲らしめるためという気持ちは分かるが、諸刃の刃にもなりかねない。 例えば、逆に詐欺師が認知症半年前に起こした事件の責任は問えなくなってしまう可能性が高い。また、認知症であると後付けすれば高齢ドライバーが引き起こす交通事故の責任も問えなくなってしまうのではないか?
統一教会の強欲には怒りを禁じ得ないものの、冷静な判断を失う被害者にも落ち度はある。どんな宗教であれ、生活を脅かすような大口の献金はするなよ、と家族が一致団結して判断能力の衰えた家族を守る必要もあると思う。
・念書などは公的かつ法的な拘束力は無い。 そもそも宗教法人であろうが 具体的な金額の開示の詳細がどこまで させるものなのかも疑問だし 今回のようにその経緯も含めて 金額に見合った法的な解釈に注目
・宗教団体は統一教会に限らず、この類いの寄付関係の問題は必ずあると思う。 身内の知り合いの一人暮らしの老人が、某宗教団体に紹介された家政婦に、そそのかされて財産を巻き上げられるところだったと言う。 その宗教団体の弁護士が付いて、手続きが進んでしまったすんでの所で、 身内が築いて止めたらしい。 新興宗教でも有名なのでそんなことは無いと思うかもしれないが、当り前にある。そうでなければ、駅近や住宅街のど真ん中に、大きな宗教施設など建てられる訳がない。 記事のように、認知症が入りそうな寂しい老人は騙される可能性が高い。 本人は当然だが、身内は得体の知れない他人が家族の家に入り込んでいないか、十分に注意する必要がある。特に小金持ち。 本格的に認知症になったら財布から抜き取られていたとしてもわからない。
・覆すのであれば、自らの権威を削ぐわけだから相当な覚悟をもって覆さないといけないと思う。そしてなぜ以前は違う判断をしてしまったのかを明らかにし、今後そのような判断ミスがないようにしてほしい。
・最高裁は書類のみの審理が原則で、弁論が開かれること自体が高裁までの判断変更を意味します。 少なくとも二審の教団勝訴判決は破棄し、高裁差し戻しで審理やり直しの判断が出される公算が高くなってきました。
・この女性信者は半年後に認知症。しかし、念書した時既にマンンドコントロールされて自由意志など存在しなかったのではないか。 また、何と言っても法律家が今の法解釈を墨守するあまり、人を救えない。 現実を見て救済するよう解釈することは正しいことだ。 フランスの反セクト法も、信教の自由は承知の上で、現実を見てそのような「やや危ない」法律を作ったと思う。 そもそも、信教の自由を人権の中の重要要素と見るのをやめて、人権と対立する場合があると認識することが大事だ。 もはや、統一教会が宗教の仮面をかぶった日本人からの金銭搾取と、政治へ浸透して日本を支配する野望を持った組織だったことを認識し直すべきだ。 法律の理念を守るより、日本国と日本人家庭を守る行動をしてほしい。 国家とは国民を守ることが第一の義務だ。でなければ放置国家である。
・統一家庭連合(統一協会)は非常に巧妙に日本人を操り、巧みに本人や家族、親族や友人にまで及ぶ甚大な被害を与え続けてきた。そのやり方について、司法は子細な知識、見識を持つべきだと思う。それでなければ今後も同様なことが繰り返されることになり、日本の司法が、日本国民を苦しめることになる。このカルト組織がきわめて長期に渡り国民から資産と自由を奪い取り食い物にしてきた事実を重く受け止めるべきではないだろうか。誤った司法判断は見直され、正されるべきだろう。
・合意していたら念書なんていらないてましょ。返せって言われるかのうせいがあるから、念書を作ろうという思惑が生まれたのだろうし。 合算で一定金額の寄付をする場合は、相続人にも念書を書いてもらうくらい事務手続きを徹底するなら理解できる。 でも、お年寄り1人に念書を書かせて、「いただきました」では、怪しすぎる。 マインドコントロール状態なら、教団側にやりたい放題やられている可能性も大いにある。 ゆうちょの保険の切り替えの問題とよく似ている。
・これで被害者を救済できなければ日本の司法の地位はゆらぐ。 旧統一教会を敗訴させ被害者を勝訴するのは国防です。 最高裁は愛国心と憲法に基づく法姿勢で詐欺同然の旧統一教会である世界平和統一家庭連合という反日組織から被害者を救済するのが任務であるはずですし、そうすべきです。
・だいたいにおいて、念書を書かせること自体が、将来的に裁判等を起こされることを念頭に入れているからであり、違法性を教団は認識しているからこそ念書を取っている。普通に考えて献金をして、念書なんかを書くなんて聞いたことがない。地裁も高裁も悪意をもって作らされた念書を全く問題視していないことに唖然とする。
・マインドコントロールされた状態で念書を書けば教団にとって都合の悪い内容にする訳がない。そもそも念書の効力は無く被害者へ返金すれば良いだけ。教団も政治家を巻き込んで社会的信頼を失墜しており、信頼回復も込めて係争中の賠償・返金には応じるべきと思う。
・統一教会だからなんでも無効にしろって勢いなのかもしれないが、念書や契約書を無効にできる余地があるなら既存の同意や契約はみんな見直し必要じゃないかね かつてグレーゾーン金利は事実上法解釈を変えたわけだけど同じことが起こるなら統一教会以外の念書もアウトになるよね
・そもそも論で言えば被害者は宗教によるマインドコントロールで お金を巻き上げられるわけだからその呪縛が解けた時点で 無条件でお金は返却しないといけない
・開廷して審議弁論になったことを考えても、教団勝訴について無効と付帯を付けた上での差戻しになるのでしょうね。 これは統一教会の念書だけを対象にしたものではなく、他の悪徳商法や訪問販売についての契約書にも影響を及ぼしますね。 もっと言えば、企業の契約まで影響を受ける判決になるかもしれません。 注目指定と思います。
・そもそもこの裁判はいつ提訴されたものなのだろうか?そこへの記載がないのが気になる。
安倍氏の死亡前に出た判決であれば、教団の悪質な商法が表に出て司法の判断が変わったと理解できるが、事件後に判決が出た裁判でいまごろ判断が変わったのは謎でもある。
・旧オウム真理教が同じことをしたときに、この献金・念書という一連の流れを認めるかというと認めないはず。この旧統一教会という教団の反社会性が認定された今、判決は教団有利ではなくなるかもね。 韓国発の反日勢力で、日本人や日本社会を資金源としており、著しく不幸な事象を生んだという証拠も安倍さんの暗殺をきっかけに出揃ってる。 有害なカルト認定されて、日本においての活動全てが公安の監視下に置かれて、布教、献金などできなくすればいいのに。
・司法は結果を報告してからニュースにしては?これでは世論ありき。このタイミングとなると都知事選を睨んでの報道かな? いずれにせよ、法治国家とはそういうもの。そこを二転三転させたら治安悪くなる危険性が高くなるのではと思いますね。
・一審・二審の判決が妥当と思います。もしこれを差し戻しでもしたら、日本の司法は崩壊したモノと見なされます。近頃の最高裁は世論即ち俗臭が漂い,とても「最高」とは思えません。素人裁判官の集団です。「法令無親」もって銘すべし。因みに当方は旧統一教会とは何の関係もありません。
・アベの蓋が外れて、こういう判断が出現するのは大歓迎。 ただ、過去にアベの圧力に屈して、司法判断を捻じ曲げてきたことを懺悔すべきですよ。法曹界全体の、連帯責任です。 総選挙と同時に行われる最高裁判事の「信任投票」も、今はまったく機能していません。そこもよく考えてほしいですね。
・あらゆる宗教団体は解散したほうがいい。個人の信教の自由に反するから。集団の宗教信者になった時点で、その宗教団体は解散すべきである。個人の信教の自由は、個人でのみ意味をもつからである。団体になった時点で、個人の信教の自由を奪っている。
・統一教会事件はまだまだ終わってないのに最近はメッキリ報道がらないに等しいのはおかしい。だから政治家の不祥事も時間が経過すれば国民は忘れると議員達が思ってもしかたない。重大な事件は長く取り扱うべきです。教会の悪事は自民党の力が大きい。自民党信者も目を覚ましてほしいです。
・当時は臭い物に蓋をされていた(SNSで疑義を突き付けるものもあったが、逆に擁護する立場の方々の圧の強さで戯言扱いに封印できていた)し、そもそも教会の脅迫がましいやり口は暴露されていなかった。一審二審の判決が覆ることで、日本が一つのスタートを切ることができると思っている。
・宗教が非課税法人であることが間違いで、課税すべきである。そうすれば、税務署が査察に入り、悪行も防止できる。なお、文化財や文化的価値のある庭園の維持管理は当然に非課税対象とすべきであるが。この際、非課税団体を見直すべきである。
・一旦は認めていたんだ、と驚きを隠せない。ため息しか出ない。献金で念書を書かせるなど、普通はあり得ない。後ろめたさがそうした行為をさせるんだろうが、書面がある=事実、という認定の仕方には問題があると思いますよ。
・旧統一教会へ信者が献金。もしかするとその献金の一部が自民党をはじめとする一部の国会議員へ上納というか献金てな事もあったかなかったか?!安倍政権になって政府機関の人事権を掌握してから三権分立が三権癒着なんて事はないと思うが、何だか腑に落ちない事が目に付く。最高裁がどの様な判断を示すのか見極めたいと思う。
・こうした事は問題だと思います。益々悪徳商法がまかり通ってしまうわけですよね。本当に取り締まる気持ちがあるのでしょうか?国は! また「選挙」となれば、無報酬で働いてくれるボランティア宗教団体と人員が必要ですから、旧統一教会のことを野放しにしているという状況を作っているわけです。
・洗脳して判断力を欠いた状態での念書など何の効力もない。
大体、NOを言えない状態まで洗脳し、だまくらかして、念書を書かせる行為自体が最大レベルの悪質行為であり、それ自体が既に犯罪レベルの話だろう。
裁判官は人間の心理をもっと勉強すべきだろう。この程度の判断が出来ない裁判官じゃ裁判所の正義は保てない。
特にカルトの洗脳(マインドコントロール)は恐ろしく人間の判断力を落とす。それは、酒に酔って悪事を働くレベルの比ではない。いかに洗脳による倫理観の破壊が恐ろしいかを裁判所などはもっと認識すべきである。
・そもそも「念書」というものは、追い詰められても逃げられないようにするための法的な方便でしかない。公務員と国会議員には全員「国を裏切りません。不正は行いません。公金を適正に使用します。もし間違いがあれば、人権と財産権を放棄します」と念書を書かせればいいのでは?
・本当ですね。他にもやってることは悪質でも、違法性となると事前に書面で承諾を得ているから裁けない事例がありますね。司法はもっと内容を見るべきで、判例だの、手順だので悪いことをやってる人を裁いていない。一般人の心象と法曹界の判断が乖離しすぎている。理論でこねくり回すのはやめるべきです。
・法の死角をうまく利用してきますね。 人の弱みにつけこんで、脅しなだめ集金する。 献金の上限と、一定の返金可能期間を設けることはできないだろうか。 あまりに高額な献金は、冷静さを失っている可能性もある。 それとは別に、宗教法人にも課税すべきと思う。
・NHKの報道によれば、女性の娘さんが帰省する時には教団関連の物品を教団支部に運んで隠していたそうです。
マトモな宗教活動なら娘さんに堂々と「統一教会に入信したんだ」と全てを見せられるはずですが、隠しているのは自分たちも後ろめたいことをやっている自覚があることに他なりません。
また念書にサインをするところをわざわざ録画するなど、集めたお金を返したくないという意図が透けて見えるような行為もあり非常に悪質に感じます。
一審、二審の担当裁判官は何を考えて女性の訴えを棄却したのか疑問しかありません。
・この判例変更は、岸田首相の国会答弁が契機となっていると思われる。 最高裁は、良いことでも悪いことでも、政権に忖度しているのですね。
なお、念書の効力について、一般の民事紛争(損害賠償請求等)に広がるのか、判決が待ち遠しい。
・そもそも信者が宗教団体の指示で署名した念書なんて無効でいいんじゃないの。どう見ても自由意志があったとは思えませんからね。まあ100%本人の自由意志があったことを宗教団体側が科学的に証明できれば、認めてやってもいいとは思うけどね。
・自民党がまた裏で統一教会と共に動き出したのでは、選挙に勝つ為なりふり構ってられない状況なのかも知れないですね。 与党は国民の被害よりまず自分のことばかりですから。 与党の本性が明るみに出て良かった!
・一般民からすると1億なん異常な奉仕だと思うんですよね…。
しかも本人の認知症と診断されたなら、尚更、教団側に正気はないと思う。これが教団が正しいなら、社会は悪徳が蔓延ると思います。
どうか教団側が敗訴になる事を願う。
・人を不幸にする宗教の存在意義を考えます。過去に隣に引っ越してきたので、交流しただけだと言いながら、孫まで選挙運動に利用してきた政治家がいましたが、決して許してはならない、忘れてはならないと思います。
・単純に考えて、「念書」などというものを扱っている時点で、普通じゃないですね。
普通のお寺なんかで、賽銭を上げるたびに「念書」を求められたら堪ったもんじゃありません(笑)
分かりやすく例えると、教団側による「自らの行為が後ろめたいからこその、トラブルを揉み消すための保険」としか言えません。
・その念書を書いた時点ではまだ認知症と診断されていなかったわけだから、微妙だと思う。 そのときに完全な意思能力があったと言えるか微妙だが、全くなかったとは言えない。 それに、寄付をしたのはそれより前だろうし、ずっと前から信者なんだろうし。
遺族としては不愉快だろうけど、本人の意思を尊重することも必要だろう。 遺産相続の裁判みたいなものだ。 生前に本人を説得して意思を変えることができなかったんだから、仕方ない。
また、弁論を開いたことから、高裁の判決を変更する可能性はあるが、変更すると決まったわけではない。
・まあ念書に関しては有効とするのが妥当かと。
これは法的にいえばそうなる。 裁判所が主観で判断をかえてしまっては法の下の平等という理念は損なう。
誰もが教団が悪いとか、宗教感のない自分も、統一教会は悪いのは明白ではあるけど、 法的有効性というのは話が別物。
・認知症寸前の患者に対し、命の生殺与奪権を握った状態で、被害者に対し脅迫的立ち位置で念書を書かせるなど、どこまで悪質なんでしょう。。。。。。 最高裁もどうかしています。同じ統一教会の方ということですか。この行為を行なう必要があるために、故意にアミロイド蛋白が蓄積する認知症にさせたのでしょう。同様の被害にあった人が何人もいたことを思い出しました。。自公立憲共産の政治家の人達、責任を痛感してほしい。
・こういうの認めたら、それこそ法の抜け穴として利用されてしまう。本来性善説よりの日本人はやられちゃうんですよ。だからこそ悪者がガックリするくらいの判例出してくれないと、抑止力にもならず、悪い奴が後を立たない。どうぞ、悪者には罰を、良い人には救いになる判決をお願いします。
・>>遺族は「極めて悪質なやり方で取り付けた念書を盾に返金請求に応じる姿勢が全くなかったため、司法に訴えるしかなかった」
と言われても、
>>1審の東京地裁は判決で念書の有効性を認め、「献金は自由意思によるものである」として訴えを退け、2審の東京高裁もこれを支持しました。
なんでしょう? 旧統一教会は問題があれど、問題があるからと正当な念書まで無効にしたら法の下の平等が成り立たなくなる。 犯罪者相手になら、何をやっても許される状態の国にはしてはダメでしょう。
・どっちでもいいし、宗教活動の献金も任意だし、別に献金はしてもしなくても救われるし、教団としてもどっちでもいいんでしょ。家族から「献金直後に認知症と確定診断されたから、正しい判断ができなかったから返してほしい」と言われれば一旦返せばよくない??物販じゃないんだからさ。
・誰のための裁判か、考えて判決をだして欲しい。法を振りかざすだけの裁判は、、問題にすべき。確か弾劾裁判なんてものもあったし、おかしい判決には気をつけないと。
・そもそも、念書を書かせるようなやり方をする時点で、何かトラブルがあっても有利に働くようにしていたのでしょうな。 それかマインドコントロール?
念書が有効か無効かは裁判次第だが内容確認しサインしている以上覆すのは難しいのだろうか…
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