( 180407 ) 2024/06/13 17:24:18 2 00 女子大会出場求める米競泳トランス選手の訴え棄却 CASAFP=時事 6/13(木) 10:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/41f30654d794c81ef8edb545bad591e90b8bf610 |
( 180410 ) 2024/06/13 17:24:18 0 00 米ペンシルベニア大学(当時)競泳女子のリア・トーマス(2022年1月22日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】ワールドアクアティクス(World Aquatics、世界水連)は12日、米国のトランスジェンダー女子選手リア・トーマス(Lia Thomas)が女子エリート大会に再び出場する資格を求めて起こした訴えを、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が退けたと発表した。
【写真】セメンヤからトーマスまで ジェンダー規定変えたスポーツ選手5人
トーマスは、男性として思春期を過ごしたトランスジェンダー女子選手の女子エリート大会への出場を禁止する、2022年の世界水連の決定を不服としていた。
全米大学体育協会(NCAA)の最高峰レベル大会で、初めてタイトルを獲得したトランスジェンダー選手となったトーマスは、この規則が差別的なものであると主張していた。
その中でCASは、トーマスには世界水連および米国水泳連盟(USA Swimming)のエリート大会において、「当面の間」出場する資格はないとの判断を下した。
AFPが確認した裁定文の中でCASは「競技者(トーマス)は、米国水泳連盟の方針における『エリート大会』に参加する権利を申請しておらず、ましてや認められていないことを留意する」とし、「彼女は現在、『エリート大会』に該当しない米国競技会にのみに出場する権利がある」と記されていた。
したがってトーマスは、「世界水連の大会に出場する資格を争う権利がまったくない」ため、規則に異議を唱えるほど「十分な影響を受けなかった」とCASは結論付けた。
世界水連は「女子スポーツを守るための取り組みにおいて、大きな前進」とこの判断を称賛している。【翻訳編集】 AFPBB News
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( 180409 ) 2024/06/13 17:24:18 1 00 (まとめ) - この議論の中で一般的に、生物学的な性別に基づいてスポーツ競技が分けられていることや、身体的な能力に差があることが強調されています。 - トランスジェンダー選手が元男性である場合、女性の大会に出場することは不公平や安全の面で問題視されています。 - トランスジェンダーの選手が公正に競技に参加するためには、別のカテゴリーや専用の大会を設けるべきだという意見も見られます。 - スポーツ競技の公正性や安全性を重要視する声が多く、トランスジェンダー選手が参加する際には周囲の影響や公平性を考慮する必要性が指摘されています。 - 一部の意見では、男女分けなしの性別フリー大会を提案するなど、新たな取り組みによる解決策も示唆されています。 | ( 180411 ) 2024/06/13 17:24:18 0 00 ・人間は何をもって性別が決まっているか。それは生物としての物理的なつくりによって決まっている。けっして自らでそれを変えることはできない。精神的に男でありたいとか女でありたいとかで自らが決められるものではない。それをもってスポーツの場において競技的にイコールコンディションで戦うことを前提にしている場合、選手はそれに従う事がルールだ。競技が性別で行うことを前提にしているなら従わなければならない。判決は当たり前でごく正当なものだ。
・生物学的な男女差が最大のスポーツだと思う陸上競技では、以前は、女子種目に出場するには遺伝子的に女性であることの確認・証明が必要だったように思います。優秀な記録を出した高校女子選手がこの確認で遺伝的に女性でないと判定され競技から去った例があったように記憶しております。これにより。事実上、男女無区分(オープン)と女子の2つの種目となっていました。性別確認と公表には大きな問題がありますが、競技エリートの大会では男女無区分(オープン)と女子限定の2つに分けるのが望ましいと思います。
・男女で分けられているものは、もともと身体的な特徴で分けていたのだから、そこに心がって言い出すのが間違いなんじゃないかと思う。 心が女性、体が男性でも子供のころから男性に間で生活していたら、それが普通になっているだろ。 逆に体が男性の人が女性風呂に入ってくる方が、周りの女性には違和感しかないだろ。 どっちが影響が少ないか天秤にかけたら、身体的特徴で分けた方が大多数が幸福になると思う。
・気持ちだけが女性で身体能力は男だったら、男女の区別があるスポーツ界は無茶苦茶になってしまう。女子の世界記録がすべてトランスジェンダーが占めてしまう可能性もあり得る。トランスジェンダーだけの大会を考える所まで来ているのではないか。
・もしも認める判決にしてしまったら、さらなる悲劇が起きただろうと思う。いろいろな悲劇が。独裁国家などで無理やり性転換させられるとか、それでも優勝できなかったらどうなることか。無理やりドーピングさせられるような体制下では現にそうだろうし、敗戦して帰国して不興への制裁上乗せのために女子刑務所ではなく男子刑務所に送られたら地獄も地獄の果て命がない。さらなる人間同士の地獄を生み出さない判定で決着してほんとうによかった。スポーツは「公正」「健全」「平和」を推進するものであってほしい。
・女子大会出場を求めてるのって自分は男だから女性選手よりも泳ぎが早いし、女性よりも体力も力もあるから、もし女性選手として出場したら良い成績が残せるって分かってるのもありそうな気がする。 女性選手として女子大会出場を求めた訴えを棄却した大会の関係者の方々を心から尊重したいです。
・他の選手が可愛そうだよね 女性選手は公平に己を鍛えて参加している中で違う不純物が紛れ込むのは不公平と言いたいのに 言ったら言ったでフェミニストから叩かれ フェミニストは我々は世界の声だと正明を掲げ続ける
純粋にスポーツで頂点目指したいだけなのに政治がスポーツフィールドを侵す
嫌な世の中よ、排他的と言われている日本だがこればかりは世界に染まらないでいただきたい
・女子の大会に参加させろという主張には納得できませんね、そりゃ身体能力において差がありあまりにも不公平。べつにトランスジェンダーの方をどうこう言う気はないですが、この場合はトランスジェンダーのクラスを別に作るか、女子の大会に出ても記録を女子記録ではなくトランスジェンダーの公式記録として別にするように主張する方がいいと思います。
・こういう選手の為に、男子選手とは別の更衣室を用意するとか そういう方向でのトランスジェンダーへの対策は必要かと思いますが 運動能力は明らかに男性と女性では差があるので、女性の大会に男性の身体で生まれた選手が出るのは認めるべきでは無いでしょう
・実際の性別と心が異なるのは辛いだろうと思う そういう人もいることは理解している
だけど、どんなことに対しても 『気持ちは女性なんだから普通の女性と同じく扱って!』は 度を越えたらわがままでしかないと思う
どんなに男性並みの耐力や筋力がある女性でも女性は女性 男性には敵わない
昔よりも公にできる環境にはなったけど 何でもかんでも”平等にして”というのは無理がある
・精神的な事や心のことはわかりづらく判断が難しい場合があると思いますが、外見や体の事はある程度共通の認識ができると思います。 ホルモン値などで判断もできるみたいですが、やはり、ホルモン値以外の根本的な体つきで不利有利がつくのではないでしょうか? ましてや、スポーツの勝負でのことですのでこの判断は致し方ないと思います。 本人は悔しいかもしれないですが、その他の人達が納得できない状態で優勝しようものなら、それこそもっといろいろ言われて大変になり誰も幸せにならないと思います。
・性別とは生物としての生まれ持った雌雄の体の違いのことです それは本人の気持ちには左右されない事実だと思います 生物学上の男性が「自分を女と思うから」で女子の部に出るとか、ボクシングなら90kg以上ある人が「自分では50kgだと自認してる。バンタム級に出させろ」というくらい道理が通ってないと思います 訴え棄却は至極当然だと思いますが、その当然の結果に至るまで一体なにやってたんだと感じます
・スポーツにおいて女子に含めるのはあり得ない。気持ちの上でどちらかは全く関係なく、生まれ持った体の構造が違うからです。 こんなことは大半の人間は理解していますが、一部のこういう人のせいでよりトランスジェンダーへのイメージが悪くなります。 トランスジェンダーの枠を作って競技するのが一番良いかもですが、競技大会だって運営するには費用が必要になる訳で、みんなが見るか分からない枠を一つ増やすのも容易ではないですね。
・男女で身体能力には性差がある。誤魔化しようのない陸上競技だと女子トップが男子14・15歳の記録でも勝ち負け。 それまで競技をやってきた人ならその差が分かると思うんですが。そこで勝負を挑んだらフェアでないと思わないんでしょうかね。 ただ純粋にその競技が好きなトランスジェンダーの方もいるだろうから記録会の出場は認めてあげるべきだと思います。また今後トランスジェンダーの競技者が増えるなら専門カテゴリーを作るべきでないでしょうか?
・認められるわけがないだろ。 骨格も違えば筋肉の付き方や質量も違う。 それに伴って根底にある運動能力が違うんだからいくらトランスジェンダーで心が女性だからと言っても同じように扱うわけにはいかない。 昨今の風潮もおかしな方向に向かってる気がする。 人権を盾にすればなんでもまかり通ると思ってるんじゃないかね。
・トランスジェンダーとして公的な性別を変えるのは権利であり自由です。 ただし一般的なスポーツなど身体的な男女差が激しいものに関して出場の機会が限られるのは現状仕方ないと思います。 逆にeスポーツやテーブルゲームなどは性別差なく競技ができるので、全てにおいて不公平だという訳では無い点も考慮して欲しいです。
・男子・女子に加えトランスジェンダーのカテゴリーを増やすと記録の扱いや競技運営が煩雑になり難しいという意見もあるが、別枠を設ける必要はなく「男子」を「無差別(オープン)」に変えればよいだけである。競馬のダービーに挑戦する牝馬が実際に存在するように、女子選手として堂々と男子に伍して競技に挑めばいい。更衣室については単に別室を設けるだけで済む。
・男女の大会別はボクシングの体重による階級と同じ。 体は100kgあるけど心は53kgだからバンタム級に出場させろという許されないし、そんなボクサーはいない。 男女の大会別は、生物学的男女で分けるべきと考えます。 というか、女性とそれ以外のオープンクラスでいいと思います。
記事については、至極当然の結果だと思います。
・ボクシングや柔道が階級で分かれているのは、基本的に身体が大きい方が有利に働くから。本人の努力ではどうにもできない身長の差等があるから設けられていると思う。それは差別ではなくて区別。 人間は男女で根本的な身体のつくりが違うし、そこを区別することは何も問題ない。上の例で言うと、僕は自分の意思とは関係なく身長が高くなってしまい体重が60kg以下にはできないけど、そうなることは望んでおらず気持ちは小さいままだから50kg以下の階級で試合に出たいと言っているの同じ。 勿論私生活で生きづらい思いをしているのはわかるけど、それをスポーツに持ち込む必要はない。ルールはルール。感情は抜きにして考えるべき。
・生物学的に男性だから、生物学的女性に比べたら、圧倒的に有利になってしまうのでかわいそうだけど公平性にかけるという視点で、女子の部に出るのは無理だよね。。 わがままを通して!と柔軟な配慮はお願いします。は、ちがうよね。 着替え場所を男性とは違うところとかはすぐにできる配慮だと思う。水着も世界基準で男性も女性の水着を着て良いとかはできると思う。
どうしても男子と並びたくないなら一人で泳いでタイム参考に順位をつけてもらうとか、(それもレーンや他の選手の泳ぎが精神的に影響を及ぼす可能性はあり、レースとして公平性にかける場合はあり、障害をお持ちでない方もそれを選択できるようにする必要はあると思う。) 女子の大会に出るというのではなく性同一性障害と診断されているのであれば、同じ障害をお持ちの方と大会を開催してそちらにエントリーするのもいいのではないかと思う。
・心が女性だとしても、体格やつくりが違うから遠慮するというのが一般的ではないのかと思う。出たいのはわかるけど、でることによる混乱は避けないといけない。 寧ろ男性の大会で頑張って欲しい。 トイレでも同じ。心は目では見えないのだ。 だからこそ見た目で選択して欲しい。
・同じ仕事をしているのに男女で違う給料が規定されているはおかしいと思う。性別ではなく人間を判断してほしいので、履歴書には別に性別欄はいらないと思う。
でも、お風呂やトイレは身体の構造の違いによって分かれていてほしい。スポーツ競技は身体の構造の違いから差があるので、分かれていてほしい。
違いにはあっていいものとなくてもいいものがあると思うんだけど、スポーツ競技とお風呂トイレ更衣室は身体構造によるちがいがあっていいと思う。
・こう言っては申し訳ないんだけども… 女子選手の中には、本来の身体的機能が働かなくなるような運動量で身体を鍛えている人がいると思うんだよね。 そう望んでの事ではなく、負荷をかける事によってホルモンバランスが崩れるなどして、そうなってしまうのかな?と思うんだけど… そうまでしてスポーツに取り組んでいるんだよね。 それを考えると、何だかおかしな感じになる気がする。
・身体男性で心女性の人が女性大会への参加を希望する話はよく聞くが、身体女性で心男性の人が男性大会への参加を希望する話は全く聞かない。それは、不利なことが分かりきっているからだと思う。男性身体で女性大会に出て優秀な成績を残して、そりゃあ国によっては五輪の金メダル1枚で家族一生安泰な年金がもらえるけれど、そういう国があるからこそ「トランスを盾にして何かズルイよね」としか思えない。身体性別での参加が嫌なら、いっそ大会にトランス選手枠を設ける方向で活動したらいいのに。
・どうしてもと言うならトランスジェンダー専用の大会をするしかないだろう。身体はしっかりとした男性でしなやかな女性の大会に出たいというのなら体格がそもそも違うしハンデになろう。
周りへの不公平感を考えると個人の私女性だからが大事なのか、周りのみんなの公平が大事かと考えると自ずと答えは出るだろう。
しかし、その選手に対して差別するものでは無いのだからこれもまたルールのひとつであろう。
・トランスジェンダーやLGBTQへの私自身の考え方は柔軟な方だと思いますが、スポーツ・トイレ・更衣室・温泉や銭湯などの公共の施設や催し事で、管理側や主催者側が「男性・女性」と別を設けているなら、それは遺伝子の性別「Y染色体・X染色体」で分けるべきだと思います。
トランスジェンダーやLGBTQの権利が主張される一方、従来から存在した男性・女性を分けることで確立されてきた安全やそれぞれの権利が無視されているように感じます。 少数の意見や考えに柔軟に対応していくことは必要ですが、性自認以前に身体的能力差がある以上、この場合は認められるべきではないでしょう。それこそ女性の権利を奪う行為です。
・そもそもスポーツを男女で分ける理由が、性別による不公平の是正だと思う。 ここに、心の性別は含まれない。 心が女性で女性として在りたいというのは理解できるが、それでは明らかに不公平である。だから棄却されて当然だと思う
精神的に子供だからと身体的には大人が、少年野球に参加したいといえば認められるか。ということに近しいのではないか。 あきらかに不公平で認められない。精神的な基準での区別ではないと言う事の証明だと思う
・DNAが上書きできない以上、本人の性自認とは無関係に生まれた時の性別により、スポーツ競技に参加を認めて競技を実施するのが公平性を担保する意味で至極当然である。相対的に男性は女性よりも筋力がある。元男性が女性の競技に参加すれば、最初から有利であり不公平。またスポーツで名を上げるためにあえてトランスジェンダーを偽る人間が出現する可能性もあり、絶対にスポーツだけは元の性別でしか参加を認めてはならない。
・トランスジェンダーの人は心身に違和感を持ってずっと生きてきて、ようやく自分の違和感から解放される、自分の心と同じ性別に出来る、そのことについては全然、応援する。 でも身体をどう変えても筋肉は男性の筋肉でそこは変えれない。鍛えれば鍛えるほど男性の筋肉として成長するので、そこを女性として戦えば大会記録を更新していくと思う。 権利を求める自由はあるけども、これは差別とかでもなく”理解すべき”事柄だと思う。 これが例えば、絵画展とかで女性部門で出してくれというのであれば良いとは思う。感性だから。 なのでトランスジェンダーの部門を作るのが一番の解決策ではないかなと思う。
・トランスジェンダーの競技参加についてもうこれ以上何も議論する必要が無いです。つまりトランスジェンダー女性は男性側で参加すれば良い。これだけです。女性側で参加するかしないかの議論は全く必要なくて、かつトランスジェンダー用の枠を作る必要も無いです。生活は女性で過ごせるのと、記録が求められるスポーツの世界では一線を画すべきです。配慮するべきところと明らかな性別による差をはき違えないようにした方がいいです。
・これを認めてしまえば、一定以上の身体能力と競技センスがある男性が「実は自分の心は女性なのです」と言って、生物としての男性の筋力を有して女子競技にエントリーし、本来の競争よりも比較的容易に金メダルを狙うことが出来るようになってしまう。 オリンピックをはじめ世界レベルの大会のメダルといえば、人生を賭けて目指している競技者も多く、金メダリストともなれば、その後はそれだけで暮らしていける可能性もある。 そういう崇高なものだから「ジェンダーを悪用する人はいないだろう」と考える人もいるだろうが、そういう価値のあるものだからこそあらゆる手段で勝ち取ろうとする人や団体が現れるのだということを念頭に置いてほしい。
・心が女性であっても、体格や筋肉量などが男性であれば、どうしても肉体差がある為参加できないのはわかる トランスジェンダーのみの大会を作るのもありだろうとは思うが、それは今後カミングアウトが増えてこなければ難しいだろうとは思う 男性でも女性より泳ぎが遅い人もいれば、女性でも男性より足が速い人だっているのだから、男女分けなしの性別フリー大会を作ったほうが早いかもしれない 男性に勝ちたい!って女性も、男性だけの大会だと結果が出せない自信がないって人も、本当の性別を偽りたくないって人もみんなで競い合える大会になるのではないか。 ただ、一定の実力以上だと参加できないとかでないと、常に上位が変わらない可能性があるから、その辺は難しくなりそうではあるが。
・元男性のトランスジェンダー選手はそれは女子の中に混ざって泳ぐなんて、おかしい。絶対に、力が違う。決定は正しいでしょ。トランスジェンダー枠を作れば良い。差別ではない。障害者が、健常者と力の差があるように、元男性のトランスジェンダーとは力の差がある。筋肉量も違う。もし出場するなら、筋肉を一般女性と同じ大きさにそぎおとしてから出場すれば良い。
・スポーツが男女で大会わけているのは、身体能力の差があるからだから 性自認云々関係なく男性の身体能力を持つ人が女性の身体能力の大会にでたいというのは女性アスリートの存続に関わるレベルで受け入れられないよ。
・多くの日本人基準で見れば極めて当然と思える判断だけど、欧米では近年この手の論争が絶えず、実際に生物学的には元男性のアスリートが女性の大会に出場してメダルを獲得する事例は多々あるようだ。
しかし、そもそも男女で競技を分けているのは生物学的な違いによる身体能力差に起因するものであり、その本来の趣旨を考えると、特に男性から女性へのトランスの場合に女性の大会への出場を認めるのはあり得ないだろう。
トランスに配慮したとして、内面の性を尊重しつつも、男性の大会への出場機会が確保されれば、別段競技参加への機会を奪うことにはならないので、理不尽な差別は起きていない。
どうしても女性の大会に出場したいなら、周囲を納得させるのはトランスのアスリート側の義務であり、説得が必要だ。
そこには反対意見あるので、両方に耳を傾けて判断する必要があるが、女性側の拒否の理屈の方がまだ納得ができるのが現状だろう。
・スポーツの性別に関しては、染色体で分けるべきだと思う。精神の性別はどうであれ、身体の作りが違う以上分けるべき。何のために男女パラと分かれて競技しているのか、今一度考えて欲しい。マイノリティの意見ばかりが通ってしまえば混乱が起きるのは当然と思う。
・身体的な特徴と本人の性同一性の感覚が違うからと言って、身体的な区別がある競技において、身体的に異なる出場を求めるのは違うと思う。 男女で区別されている競技は、身体的に異なるハンデを平等にするものだから、これを崩してはならないと思う。 身体的には大人でも、精神的には子供だという診断書等があればジュニアの大会に出場しても良いという事になるのだろうか?
・そもそもスポーツ競技においてなんで男女別に行っているんですかね。それは生物学的な性差で能力に差があるからではないんですかね。 トランスジェンダーってのは社会的文化的側面で存在する性差において生物学的な性と違う方に親しみを感じる人ってことですよね。 個人が他人に迷惑をかけない範囲で男性(女性)が女装(男装)することを問題視する人はあまりいないだろうけど、更衣室や公衆浴場、そして競技においては周りに影響を与えるので控えるってのがいいんじゃないかなと思うんですよね。
・マイノリティを支援するのは大切だ。 でもだからマジョリティを虐げていいわけではない。 マイノリティがマイノリティである権利を行使するのであれば、私は私がマジョリティである権利を行使する。
生物学的に女性であるという括りで催される大会において、生物学的に筋肉や骨格の違いによってトランスジェンダーの結果が有利になるのは開催するまでもなく明らか。
平等と公平の意味を履き違えないでほしい。
・さすがにトランスジェンダーとはいえ、もともと男性として生まれてきたのだから体力的に女性と差がある可能性はあるわけで。それを全く同列で結果を競うことになれば不公平が生じるかもしれないし、出られない大会があるのはある程度仕方がないと思います。
・差別はいけないことだが、運動能力を競う場合、これは、別の意味でのドーピングとも言えるかもだから、スポーツ競技に関しては、単純に、物理的に認めるわけにはいけないと思います。これは、トランジェスターの選手側も自覚しないといけないかも。 それよりも、トランジェスター選手だけの競技を行えば良いかも。
・そもそも男子と女子でカテゴリーが分けられてる競技の、その理由を考えれば自ずと分かるように気持ちがどうのという問題ではないのだ。体力差があり危険だったり不公平だから分けられてるのだからそれに従えば良いだけ。 それに不公平を感じたり不満があるならば、女子のカテゴリーへの参加を訴えるのではなく男女のカテゴリー分けを廃止する方向で訴えるべきだろう。
・以前から各種競技で同様な話しがありますが、元男性と元女性のカテゴリーを設けるしかないと思います。コンタクトのある競技だと元男性のフィジカルは選手生命処か、生命そのものに関わる脅威にほかならず。逆の場合も元女性にとっても同様に、男性のデカさ速さは脅威だと思いますし、記録を争う競技において男性の中堅処の記録が、女性ではトップレベルに値することが多いとも言えるのでは?あらゆる競技にスポンサーや賞金が存在する現代。特にプロフェッショナルアマの女性の方々にとって、元男性が女性として公式に参加認定されるのは、生活を脅かす事態でもあると思います。
・こういう問題は今後も増えてくると思う。いっその事ジェンダー専門の新しいスポーツ団体を作って各競技ごとに大会組織委員会を設けてジェンダー限定の競技会を開いてみてははどうか?取り組みが上手く行ってジェンダー競技者の出場機会が増え、独立組織として運営が見込める様であれば将来的にジェンダーオリンピックの開催も念頭に規模を拡大して行けば、ジェンダーに対するスポーツ競技者としての見方もこれまでと変わって来ると思う。各競技団体が率先して取り組めば解決出来ない問題では無い気もするが…
・トイレや更衣室を別にするとか、上半身まで隠れるようなウェアを許可するとか(すみません、水着のルールに関しては詳しくないので現状OKなのかもしれませんが) アタックできるとしたらその辺ですよね。
何故部門が分かれているのか、考えればわかると思う。
・当該選手には圧倒的な強さを持ってしまう事実をどう考えているのか聞きたい。 自身の思いが何でも実現するとか、制度を曲げても実現させるという思想は単純には受け入れられない。人は自身の持つものにより諦めるしかない局面があると思います。どうしても望むのであれば、努力や鍛錬で自身と対等にたたかえる新競技を創る以外なく、それはもはや最初の競技ではないでしょう。おそらく。 もちろん、そうであれば人生を考え直するのも一つの方法。固執することだけでは実現できないことはあるし、しかもそれを第三者の裁定とか法や規定で解決するという筋も良くないと思う。 この選手にはまず、他の選手と大いに対話し、自身の考えがどういうものか反芻し、理解が得られるものか行動することが必要だと思います。
・身体の性と心の性が違っても構わない社会を作っていく必要があって、社会制度や政治権利は心の性、スポーツ関連は身体の性で区別すべきだと思う
男女平等が原則な中でスポーツが何故男女別なのかと言えば、それは身体の性によって決定的な差が生まれているから
だから今回大会側の判断は妥当だと思う
・心が女性であっても生まれ持った体は男性 男女で筋肉量や骨格が違うんだから、差別的な意味ではなく、元々の性に合わせるべきだと思う でも、逆のパターンはいない気がする 実際にトランスジェンダーではあると思うけど、それ以上に有利になるからっていうのもあると思う
・元男性には申し訳ないが、コレを許可すれば女子の世界大会は元男性の女性が占有してしまう。男性と女性では筋肉の付き方が違ううえコンタクト競技になれば差は大きくなり危険かもしれません。マイノリティの保護も大事だとは思うけど極端な許容はすべきではありません。女子の大会ではなくトランスジェンダーの大会であれば問題無いかと思いますが。 私は男子ラグビー15人制の元選手だったので自分のやってた競技に当てはめて想像をすると恐怖でしかありません。 先ずは法整備とマイノリティのための大会を訴えるべきでは?と思います。
・なぜ性別ごとで競技が分かれているか考えると、体つき・筋肉量だと思うんですよね。 例え心が異性でも、筋肉量は同性と変わらないから、どうしてもそれがハンデになってしまう。 生物学的な性別で参加したくないのなら、男女以外の性別のカテゴリーを作るべきだと思う
・トランスジェンダーの尊重という観点では、この判決が「彼」ではなく「彼女」と述べている点からも尊重されている。 ただし、能力別に争うという観点からは、トランスジェンダー選手が生物学的女子の大会に出場できないのは仕方ない。出場機会を求めるなら、女子大会への参加ではなく、FtM、またはMtFのカテゴリの新設を求めるべきなのでは。
・自分が認識する性別と身体の性別が違うことへの苦しみは分かりますが、スポーツの場にそれを持ち込むのはちょっと… 更衣室を別にするくらいの配慮はあってもいいけれど、記録に関してはそれこそ「トランス男性・トランス女性」の部を作ってほしい。そうしなければ脂肪が少なく筋肉質な肉体を持つ男性が圧倒的に有利になってしまい、女性の記録が全てトランス女性によって塗り替えられてしまいかねない。
・この選手の気持ちは分からないでもありません。 でも、スポーツの世界ですから、その多くは肉体の差によって記録は影響を受けます。だから男女別種目になってると思います。 ワタシは性別変更を意識し始めた頃から、スポーツの選手活動(試合参加)はやめて、そのスポーツの普及のために活動しています。 自分の性別違和のために、余計な波風を立てるのは本望ではありませんからね。
・生物としてどこで線を引くかは難しいところだが、人権とは別に「エボラ」や「ペスト」や「天然痘」の患者を野放しにしてはいけないのと同じような理由で「生まれ落ちた時点」での「区別」をないがしろにしてはいけないと思う。
スポーツの世界では今までも今も女性であると言うだけで避けては通れない過酷な条件を乗り越えてきた者も少なくないのだ。 失神するほどの月経症候群・副作用の恐怖とも戦うピルの服用・競技によっては成長期の壮絶な減量・妊娠や出産に伴う体調不良や合併症に必要な休養期間やそれらに伴う引退・・・。
持って生まれた機能は無視できない気がする。 競技ではなくライフガードのように世の為人の為に出来ることを探してはどうだろう?
・男として生まれてきて、気持ちは女性だったっていうのは今の時代受け入れられなければいけないことだと思うし、自由に女性での生活を謳歌してもらったらいいと思う。 ただ、アスリートとしてならばいくら見た目や心が女性だとしても元々のポテンシャル、筋肉量なんかはどう頑張っても変えられないことだと思う。それはもうどうしようもないことで、女性として出場したいという気持ちはわかるけれども、他の選手の気持ちを考えれば難しいだろうなと。 どんなに頑張っても、女性と男性の運動能力の差はある。それはもうどうしようもないことなんだよ。
・これ系のニュース見るたびにいつも思うんだけど、「心と体の性別が食い違って生まれた」という不幸(あるいは不便さ)を、他の多数の人に不幸や不便を強いることで解決しようとしてるのがすごく変な感じがするんだよね。
たとえば私は一時期、痴漢が原因で満員電車に乗れなくなったけど(乗ると発作で過呼吸を起こすので)そういう私のために皆が電車の時間をずらして!とか、電車の本数を増やして!とか言わないわけですよ。 だって自分1人のために多数が配慮してくださいってのはおかしいでしょ。 全員がそれ言い出したら社会が回らなくなる。 不便だろうが大変だろうが、自分が早起きして空いてる電車に乗るとか、電車以外の交通手段を探すとかするわけよ。
私は「社会」に生きていて、その「社会」で生きてるのは私だけじゃないからだよ。
・「トランスジェンダー」である彼女は、女性として生きる権利を持っているということだろう。
だが、疾患があるわけではないのに妊娠、出産が不可能であるなど、彼女は全ての場面において「女性」というわけではない。
どういう場合に「女性」と認められるのか認められないのか。 スポーツにおいて男女別にされる理由を考えてみると、スポーツに必要な筋力等で自然的に男女差が激しいことから、男女を分けることになったのではないか。男女で分ける方が方が公平と考えられていると思う。女性の中でも筋力等のスポーツに必要な能力は違ってくるが、その違いを超えて競うことが不公平ということになれば、階級等で平等あるいは公平を追求してきた。
他の記事によると、彼女は「テストステロンは思春期の男性の筋肉発達を促進するホルモンで、トーマスは思春期後に性別移行したため、その体格が不公平な優位性を生んでいる」と批判されていた。
・当然の判決かと思います。この手の話でいつも思うのは、女子選手たち側の気持ちを考えているの?という事。自分の事は配慮しろと言うけど、じゃあそっちは周りに対して配慮しているの?と。根本の身体のつくりが違う選手に、勝利や記録をかっさらわれて、自分のそれまでの努力を踏みにじられる女子選手の気持ちは考えているの?と。はっきりいえば自分勝手。そう取られても仕方がない要求だと思います。
周りに対してトランスジェンダーとしての権利を主張するなら、同時にトランスジェンダー側も周りに対して配慮しましょうという、極々当たり前の話だと思うんですけどね。
・国際陸連ではもっとも厳しくて、選手のホルモンチェックをしていますね! 実際に男性ホルモンの濃度が高い女子選手が短距離走に出場出来なくなっています。 結果、出場可能な中長距離走に変更しています。 でも、重量挙げで性転換した(男性→女性)にオリンピックで出場を許可しましたね! こんな事を許したら、筋肉を創り挙げて性転換(去勢)して女性選手としてパワー競技に参加する事になってしまいます!
・真面目な話、以前は現実味がないと思っていたトランス枠が、本当に設立される流れかも。 女子競技でごちゃごちゃ言うよりも、 大会が成立するならトランス最強決定戦をやってほしい。
パラリンピックだって最初は批判があった。 でも苦難を乗り越えて活躍する選手のかっこよさに、感動があるから普及したわけですよね。 トランス最強が誰なのか知りたくなってきた。 キングダムの王騎みたいな人が活躍したら人気も出そうだし盛り上がると思う。
・今までは、男女差別と声高に叫んでいた界隈の方が、今度はトランスジェンダーに付いてしまった感があります。 これを認めてしまえば、何のために男女で分けているのか意味がなくなります。区別と差別の違いが分からないトランスジェンダーの方やその界隈の方への配慮は必要ないと思います。
・何故男女で分けてるかという事を考えるとこれは致し方ないね。性転換手術したとしても男性並みのスピードとパワーが出てしまう。 トランスジェンダーの選手もかなり増えてきてるようだし、そろそろ新しいカテゴリーを作って大会ができるのではないか。
・身体が女性と言うところじゃないと難しいですよね。 差別というかカテゴリーなので。 パラだって義足が健常者の足よりもすごい反発力のあるものだったら、オリンピックに出たいと言っても難しいでしょう。 ただ、ラインをどう決めるのかは難しいところ。 選手としてはみんな自分の限界に挑戦したい。記録を出して勝ち負けがあるなら勝ちたいと思う気持ちは理解できるし、カテゴリーが無いのはかわいそうでもある。 シニアのところなんかで90歳以上の部とか人数は1人とか2人になっちゃうし注目度も低いけど、分けて上げるのも良いことだとは思うけど、オリンピックに男子と女子にトランスジェンダーの男子と女子を追加するくらいなら、パラ種目も全部一緒にやった方が良い。 ただそうなるとプロ選手はかなりの拘束期間が発生してしまう。 オリンピックの価値がもっと高まるのであればありなのかもしれないけどね。
・生物学的な性なんて、厳密に言えば最先端の科学でも分かっていないことだらけ。性別について完全に理解不足なコメントが多いのが残念だ。議論のスタートにも立てていない。 思春期を男性として過ごしたトランス女性であれば、特殊な疾患だったり、思春期前からホルモンで男性化を抑えるような事をしてなければ、通常一旦男性化を経験しているから、その後女性ホルモンや手術などをしても、体力勝負となればやはり有利。真剣勝負の競技スポーツへの参加は慎重にならざるを得ない。ただ、スポーツを通じた交流目的での大会出場まで制限するのは差別につながる可能性があるから、こちらはこちらで慎重な判断が必要。
・まともな判断で良かった。男子スポーツ競技での活躍をお祈りします。 明確な性差が存在する女子競技のタイムに残ること自体も問題だし、本人がどういう目的で訴えを起こしたかは不明だが、このような事例を認めると際限がない。 アメリカ番組の討論でも議論されてたが、遺伝子に関係なく性的自認のみを認めるのであれば、言葉遊びで女性の権利だけを得ようとする人間が次々生まれかねない。 男が女子トイレに盗撮目的で侵入し、性的自認を盾にするような時代になったら厄介だ。
・スポーツにおいて男女の区別があるのは、生物学的な身体能力の差から考慮しています。生物学的に男子に生まれて、心は女子なので女性代表として出場したいというのはあり得ません。最近、ジェンダーの権利が認められてきていますが、何でもかんでも権利主張は行き過ぎです。スポーツ大会に参加したい権利はあるから、男子代表の枠組みにジェンダーも含むとしたらどうでしょうか。
・難しい世の中になってきた。 新しいもの、変わっていく事に対応できない人間は遅れている、ダメな人だって風潮がある。 トランスジェンダーもそう。私を含め、理解できなきゃダメだからなんとなく理解している人達が多いんだと思う。 性転換は認められてるけど、スポーツはダメってのは中途半端。それなら初めから公に認めなきゃ良いのにって思う。 1つ認めれば、次々に課題や問題が出てくるし、認められてるのであれば、今回のような主張も出てくるのは目に見えていたはず。 新しいカテゴリーを作るのが手っ取り早いけど、もし自分がアスリートでトランスジェンダーだったとして、トランス枠を作られたらやっぱり認められてないんだって思う。 スポーツは身体能力の問題もあるから複雑ですけどね。
・このトーマスさんは規則が差別的であると訴えていますが差別じゃなくて区別ですよね。 世の中はあらゆる区別の中で成り立っています。 この区別が無くなったら極端に言うと世の中無法地帯と化すと思います。 今回は新しいトランスジェンダーという区割りを作る必要性がでてきたという事だと思いますのでトランスジェンダー大会を開けばいいと思います。 女性が男性の大会へ出場する逆パターンの例がないところをみると この方はやはり別の所に目的があるのかなとも感じます。
・女子スポーツを守るという言葉に違和感を覚えます。普段から女性は守られる弱い立場ではなく男性と対等の立場だと言ってはいませんか? ならばそもそもスポーツをはじめとする全ての活動を男女というカテゴリで分断せず、全ての性で開催するのが妥当ではないでしょうか。
とまあ普段からフェミニストさんたちが言う意見を積み上げるとこのようなとんでもない話になるはずなのですが、ダブルスタンダードだからこうはならないんだよなぁ
・女性用の大会に出る必要性を感じません 別の枠として、大会を開催して競わないと身体的な能力で大会として成立しなくなってしまうと思うからです。 なので、男性用の大会、女性用の大会、ジャンダーの方々向けの大会と分けて開催する必要があると思います
・少し前に「探偵!ナイトスクープ」で男の子が女性に生きる決心をして、野球少年だった本人との決別のために最後に140キロのボールを投げるという感動的な内容でした。彼は女性になるために女性ホルモンの投与を始めるとのこと。この処置で男性の身体は女性特有な身体になると言ってました。男性が医学的に女性になると筋力も低下するのでスポーツ界でも女性と認めてもいいのでは
・トランスジェンダーの方には申し訳ないけど、元々の身体能力の差がやはり男女である分、いくら中身は女の子でも身体は男の子なら、他の女性選手は不公平を感じてしまうと思う。 とても難しい内容だけど、男女区別のない種目を作ってみるのは良さそう。
・スポーツは単純な肉体構造がその結果に大きな影響を与える。どれほど心が女だろうが、身体が男である以上、そこを同列に並べて競技に参加させるのはフェアじゃない。実際、性別は同じでも人種によっても当然差はある。この上更にその差を拡大する可能性を増やす事は認められない。
・肉体を使うスポーツの場に精神論は介入不可能である。手術やホルモン療法など精神的な治療を目的として医学的に手が加えられた人々の人権を尊重するのであればパラリンピックなどにそのような方々のカテゴリーを導入すれば良い。
・競馬と同じようなカテゴリー分けにすればすっきりするんじゃないですか。性別は牡馬・セン馬・牝馬の区別があり、牝馬限定レースは牝馬しか出走できないが、それ以外のレースは、牝馬・牡馬・セン馬のどの性別も出走できます。 だからダービーに牝馬も出走できます。人間のスポーツ競技も、女子限定とそれ以外にすれば 、女子でも、トランスでも、参加できます。時々話題になる、男女の賞金差も、これで平等になりますよね。
・大会への出場資格が無いなんてことは当たり前のことで、この裁定は本当にありがたい。 大会の不公正さの是正はもちろんだけど、更衣室での水着の着替えやシャワーなんかも一緒にされたりしてたみたいだから、この裁定でホッとしてる女子選手は、一部のトップ選手だけじゃないんだよね。 この裁定で、日本の温浴施設や公共のトイレとかに出没する、一部のおかしな人たちへの牽制にもなるといいんだけど。
・男性から女性になったトランスジェンダーだから、女性選手の大会で勝てる可能性は高い。 逆の場合は? 女性から男性になったトランスジェンダーだから、男性選手の大会で勝てない可能性が高い。 トランスジェンダーの立場からすれば、参加させてとは思うけど、女性選手の立場からすれば、生物学的な身体のつくりが根本的に違うから参加させないでと思う。一つの個性と見たとしても、パラリンピックがあるように、同じ土俵で戦うのは無理だと思う。
・いくら心が女性であっても元々が男性なら、筋肉の付き方とか体力とかを考えると女子選手がどうしても不利になってしまう。
公平性が保てなくなったら大会が成り立たなくなるし、これは当然の判断だと思う。
新たにトランスジェンダーの人の為だけの大会や枠を作るとなれば、大会によっては大会日数の問題とかも色々出てきそうだし、そうなると心は男性で体は女性という逆パターンの人達のことも考えなきゃいけなくなる。
今すぐどうこうできることではないし簡単にはいかないでしょうね。
・心が男性の女子選手が男子の競技に出ようとするという話はあまり聞きません。
そういう選手が出てきても予想ではあまり大きな問題にならずに出場を認めるのではないかと予想します。それは勝てない可能性が高いと予想されるからだと思います。
しかし、女性の心をもった男性の体では女性の大会に出させろというのは違うだろうと思います。きっと女性の心を持った男子選手は他にもいるのでしょうが、それは男子の大会に出ればいいだけであり、それが権利を侵害しているとは私は思いません。
・トランスジェンダー問題、個人を否定するのは良くないから、同性婚だったり性転換手術だったり、個人の範囲の問題はどんどんオープンに改正されていけばいいと思うけど、今回の問題や大浴場の女子風呂に入りたいとかも聞いた事あるけど、周りの大勢を巻き込む問題では、我慢も必要だと思う。
・一度でも認めた事が間違いです。 中学生の大会に高校生が出られない様に、女性の大会に男性は出られません。 それは精神的な区分けではなく単に肉体的な区分けですから、そもそもがジェンダーの問題では無いはずです。 アスリートにおいて、女子の世界1位の人が男子の100位にはなれるかもしれません。しかし、1位争いをする事は不可能なのです。 逆に男子の100位の選手は簡単に女子の1位を取れてしまいます。 その結果、これを認めるとスポーツに人生を掛けて来た女性達の機会を男性が奪う事になります。 骨格・筋肉・肺活量・内臓・ホルモンが根本的に違うので、同じ枠組みで競わせる事は全くフェアではありません。
・精神的に女性であるゆえに得るべき権限がある(義務も)と思いますが、女子競技への出場権は含まれるべきではないでしょう。 なぜならスポーツ競技で男女を区別するのは、精神的なものより、肉体的な違いが重要性が高いからです。むしろボクシングやレスリング等の体重階級のようなものに近い、と思います。 そう考えると、この棄却決定も宜なるかな。
・女性として扱われたい気持ちは分かりますが、競技に持ち込んでは駄目だと思う。 子供を育ててみて分かりましたが、男性と女性は赤ちゃんの時点で体が全然違います。 どんなに可愛くて軟らかそうな見た目でも、男の子は抱えるとずっしりしています。同じ月齢で同じくらいの体重だったとしても、女の子はふわふわ、男の子はガッチリ。骨や筋肉の質に明らかに差があります。あとやっぱり、男の子は力も強いです。 この方が女子のレースに出て優勝したら、それこそ色んなことを言われるのでは・・・。 とはいえ多様性の時代なので、別口で男女混合の大会ができれば良いのかもしれませんね。 そこで優勝したら、男も女も関係なく、名実ともに一番ですから。
・妥当な判断だと思う。トランスジェンダーの方といっても、元は男性の筋肉だし。それで優勝されても正直困る。 それが差別というなら、元から男性、元から女性、トランスジェンダーの男性、トランスジェンダーの女性の4部門に分ければいいと思う。
・性転換をした時点で、自分が有利になる試合や大会に参加するのは、既に公平性を欠くと思う。 性転換したら、性別を条件とする試合や大会に参加するのは諦めるか、男性から女性に生まれ変わった人達だけの大会、または女性から男性に生まれ変わった人達だけの大会に出るのが整合性があるし、筋だと思う。
・当然の帰結ですな。 この結論に至るまでに為された議論などは一般の人が思うよりも有意義だっただろうとは思うけど… 精神的な男女の違いなんていうのは乱暴な言い方をすれば趣味嗜好の違いでしかない。 趣味や嗜好は自由であるべきで、同性との関係を求めたり、自らの性別とは違う見た目になるように格好を整えることも自由であるべきだ。 でも生まれつきの男女で限界に差のつく競技に於いては趣味嗜好で判断するべきではなく、どうしても女子として競技したいのなら 『トランプジェンダー級』とか新たな階級を設けるべきだと思う。
・トランスジェンダーの人権を守るのと、スポーツの参加資格は別問題。 どんなに性転換手術を受けていようと、筋力や瞬発力といった部分はある程度維持される。 逆に女性スポーツの公平性が侵害される。 パラリンピックのように別の大会を作る事くらいしか解決策はないのでは。
・男性の体に女性の心だと主張するトランスの人がいた場合、その人の心は生粋の男性とは違うんだなとは分かりますが、その人の心が本当に生粋の女性と同じなのかは誰にも証明不可能だと思うんですよね。 それなのに、トランス女性の心と生粋の女性の心は同じだということにして、生粋の女性たちに不利益を強いるような取り扱いをやろうとするから揉めるのだと思います。 第三の性として別の枠を設けるか、生物学的な性に統一することをルール化するかしか方法はないと思う。
・タイトルを読んで、スポーツ界もまともな判断ができるようになってきたのかと喜んだが、記事をよく読むとそれはどうやら早合点だったようだ。記事には「 参加する権利を申請しておらず、ましてや認められていない 」事が今回の理由として書かれている。要は男性から女性へのトランスだから出場を認めなかった訳ではなく、必要な申請をしていなかったから認めなかったというだけ。ミスリードを誘うタイトルのつけ方だなと。
・LGBTQの議論は複雑で揉め事をたくさん生む。だからこそ明確なルール作りが不可欠であると思う。トランスジェンダーの権利ばかりがクローズアップされると例えば今回の例では女性選手側の権利はどうなのであろうか。女性同士の大会としてエントリーしているのではないだろうか。 話は飛ぶが、女子トイレとか女風呂とか、もしトランスジェンダーの主張を通せば女性側は嫌な気持ちにもなるであろう。トランスジェンダーまで含め全員が満足するルールは本当に難しい。
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