( 180447 )  2024/06/14 00:29:23  
00

「挨拶しない自由があるんじゃないか」大炎上してしまった渦中の20代男性を直撃! ネットでの批判に「私は挨拶をします」

集英社オンライン 6/13(木) 18:31 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/87df69cf478da101ed1f6af450b1092fad87f5b4

 

( 180448 )  2024/06/14 00:29:23  
00

月々さんは、SNSで顔出しを承諾した理由を話している。

彼の登場した動画では、挨拶の必要性に関する議論が盛り上がっており、彼は挨拶は重要だが強要すべきではないという考えを示していた。

挨拶には相互監視システムの維持やコミュニケーションの円滑化などの意義があると主張し、礼儀は内発的であるべきであると説明した。

挨拶が先行しすぎることや強要されることは避けるべきだと述べた。

一年半後、彼は挨拶を強要しない職場の方が良いと感じる一方、挨拶に関する議論はSNSで再燃しており、挨拶の重要性について改めて考える機会となっている。

(要約)

( 180450 )  2024/06/14 00:29:23  
00

「もう顔出しして散々叩かれたので」と顔出しを承諾した月々さん 

 

SNSで「挨拶は必要か不要か」論争が白熱している。とある動画をきっかけにXで大反響を起こしているのだが、この動画に登場している当事者に話を聞くことができた。 

 

【画像】大炎上してしまった20代男性・月々さん 

 

2022年10月14日にインターネットテレビ局ABEMAの「#アベプラ」で放送された一部分が今になってSNSで話題になっている。この日の「#アベプラ」は、“挨拶強要はアリ? ナシ?”をテーマに議論することになり、“挨拶の強要はナシ”とする20代の男性が、顔出しで番組スタッフからのインタビューに答えていた。 

 

この男性は、「挨拶するかしないかの基準も人によってバラついていると思っていて、挨拶しない自由があるんじゃないかと思っています」とし、職場ですれ違うだけの人や、ドアを開ける際などの、形式だけの気持ちのこもっていないような挨拶は意味がないので、する必要がないと指摘する。 

 

そして「どんどん常識って変わっていくんで、今の若い人たちが挨拶ってしなくてよくない? って思ったら、次の世代を作っていくのは若い人たちなので、そっちが正しいんじゃないかなと思いますね」と自身の考えを述べていた。 

 

この男性の動画が、なぜか今になってとあるユーザーによってポストされると、なんと2700万インプレッションを超えるほどの大バズに。ネット上は主に、男性を叩く声で溢れかえり、〈挨拶すらろくに出来ない奴はチームプレイが出来ないと判断せざるをえない〉〈挨拶できない人はお礼も謝罪もできないし、こういう人は残念ながら仕事もろくにできない人だよね〉〈あいさつしない人って仮に仕事ができるとしてもそれ以前に人として信用できない〉〈「おはようございます」って言うだけのめちゃくちゃ小さいコストで信頼とか人間関係とかのデカいリターンを得られる行為だと思う〉など、男性は時間差で集中砲火を浴びてしまった。 

 

ただそれと同時に、挨拶を不要に感じる人も一定数いる。挨拶そのものが不要というわけではなく、形式だけで何の気持ちもこもっていない挨拶や、朝からやたらと大声を強要される挨拶、メールなどでの「お世話になっております」「お疲れ様です」などの挨拶は不要ではないかという意見だ。 

 

「#アベプラ」に出演した渦中の男性・月々さん(@tkdk_moon)にコンタクトをとると、改めて挨拶についての意見、放送ではカットされてしまった真意を聞くことができた。 

 

 

「まず、釈明させてください。あの映像を見て、あたかも私が挨拶不要論者であるかのように誤解する方が多数いらっしゃいますが、私は挨拶をしますし、挨拶はすべきだと考えています。そのうえで、挨拶は必要だと思うものの、強要するものではないと思って、アベプラさんのインタビューに答えました」(月々さん、以下同) 

 

月々さんは、挨拶には2点の大きな意義があると主張する。 

 

「1点目は『相互監視システムの維持』です。田舎に行くとわかりますが、近所のおばちゃんや子どもたちは、ほぼ知らない人にさえ挨拶してきます。そして変な人がいれば、インターホンを鳴らしてまで知らせてくれます。この相互監視システムは田舎の過ごしづらさとして挙げられることがありますが、私はよい面もあると考えています。 

というのも、このような環境は、犯罪をしようと考える者にとっては困りものだからです。また、挨拶の返答の声の大きさなどから、相手の体調を把握することもできます。犯罪の発生を予防することや仲間同士で体調を管理し合うことは、健全な社会生活を営む上でものすごく重要なことでしょう」 

 

2点目は、ネット上でも散々声があがっていた「コミュニケーションの円滑化」だ。挨拶は理由なくどんな人にも話しかけられる行為で、会社などでこの積み重ねをすることによって、いざというときにスムーズに協力することができる……と、月々さんも同様の意見をもっている。 

 

このように挨拶には多くのメリットがあるが、それでも「強要するべきものではない」とするのが、月々さんの本来の意見だ。「そもそも道徳や礼儀とは内発的なものであって外発的なものではない」という考えから、この論を展開している。 

 

「道徳とは、『人としての“道”』と、『人としての“徳”』のことです。日本人が守ってきた“道”としては、アベプラさんからの取材でお答えしてカットされた神道がありますが、今回は武士道の観点からご説明します」 

 

 

「武士道、つまり、日本の男性たちが守ってきた“道”には、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義の7つの徳目があります。今回の挨拶の議題になっているのは“礼”の徳目に当たります。人と人が関わるときは礼儀が大事です。朝一に人と会ったら『おはようございます』。何かしてもらったときは『ありがとう』。間違ったことをしてしまったときは『ごめんなさい』。 

ちょっとした定型文かもしれませんが、ときには一定の動作を交えながら相手に気持ちを伝えることは円滑な人間関係を築く上で大事です。しかしながら、礼儀が先行しすぎることはよくないと説くのが武士道です。礼儀はあくまで思いやりの心が形となって表れたものでなければならないのです」 

 

礼儀が先行しすぎている人のよくない例としては、巧みに人をだまして世渡りうまくやっていこうとする者や愛想はよくても内実がともなっていない者などが挙げられるという。 

 

「次は“徳”の説明ですが、“徳”の対義語は“法”です。徳と法は対極にある概念なので、単に法を守ることが徳になるわけではありません。ルールがなくても行なわれる慈善行為こそが徳です。その意味で、挨拶は確かに重要ですが、他人に押し付けるようなものであってはならないと思うわけです」 

 

以上が今回、1年半以上の時を経て大炎上してしまった月々さんの意見だ。最後に1年半前と現在で、気持ちに違いはあるのか聞いた。 

 

「特にないですが、私自身、挨拶を強要する職場と挨拶を強要しない職場を経験した結果、やはり挨拶しない人を排除する職場よりも、挨拶しない人を包摂する職場のほうがみんながいきいきしているなと感じます」 

 

SNSでふいに巻き起こった挨拶論争。何はともあれ、挨拶の大切さを改めて考える機会になったようだ。 

 

取材・文/集英社オンライン編集部 

 

集英社オンライン編集部 

 

 

( 180449 )  2024/06/14 00:29:23  
00

(まとめ) 

異なる人々の意見から、挨拶に対する態度や考え方は様々であることが分かります。

挨拶を基本と考え、社会性やコミュニケーションに重要視する人もいれば、挨拶を自由にするべきだとする人もいます。

一方で、挨拶が相手に対する敬意や誠意を示すものであり、無関心や無気力に現れるのであれば、他者との信頼や人間関係に影響を与える可能性も示唆されています。

挨拶には損得勘定よりも、基本的な人間関係の一環としての意味や価値があるという意見が多数を占めているようです。

( 180451 )  2024/06/14 00:29:23  
00

・わざわざ探しまわってまで挨拶をする必要はないが、 

手動のドアを開けて待ってくれた前に歩いていた知らない人や 

道ですれ違う時に挨拶してきた人には 

挨拶をしたり返したりしたほうが良いと思う。 

 

 

・「礼」とは心を形や言葉に表して人間関係を潤滑にするためのもの。 

挨拶はお互い相手に対して悪意がないことを示して、よりよい意思疎通を行うにはとても有効だだ思う。 

一方で、心の中の思いを隠しての挨拶もあるだろうし、習慣や風習によって挨拶の仕方も基準も違う。相手の心を読まずに挨拶がなかったとか変だったとか形だけで勝手に相手の悪意を読んでしまうと、何のための礼だかわからなくなる。 

挨拶をする方も受ける方も本当に大切なのは「挨拶」という形の後ろにある心の方を感じることだと思う。 

 

 

・会社にいました。挨拶できない人。コミュニケーションが取れないみたいでどんどん孤立していき辞めていきました。挨拶が苦手な人もいるでしょうけど挨拶、お礼が言えるだけで周りと円滑にできるのでした方がよいのではないかと思います。 

感謝、謝罪、挨拶は社会の最低限必要だと思います 

 

 

・私の職場にも、朝来ても挨拶もせずに自分の机までスーと通り過ぎていく人がいます。 あれ?いつ来たの?と驚くし、何だか朝から嫌な気分になります。私が気付いた時は「おはようございます!」とこちらから挨拶すると、驚いた顔して会釈だけ。 30代の方ですが、何なんでしょうね。朝の挨拶ってヤル気スイッチ入るし、今日も皆さん頑張りましょう!よろしくお願いします、という気持ちにもなると私は感じています。 

色んな人がいるので、その人を受け入れてはいますが、まず仲良くなりたい人種ではありません。 

 

 

・どっちでも良い。しない自由もあるけど、受け取り方の自由もある。 

ただ経験上、自分の受け取りで方で思う事は、しない人は唯我独尊、自分勝手の人の印象が多かった。 

この方が当て嵌まるかは分からないが、合理的に考えると、挨拶は無くても良いでしょう。コンピューターに挨拶は不要のように。 

でも無用の要のように、一見不要と非合理と思う物でも、必要なものはあるでしょう。 

するもしないも本人の自由。 

だけど、それの反応も間違いなく自分に帰ってくる。それだけの事かな。 

 

 

・アラフィフですが、嫌味ではなく自由だと思う。 

元々、人の邪魔をしてまで存在感を出したいタチでもないので、相手が何か他のことをしていたり、誰かと話をしていれば、遮ることなく挨拶を控えたりしてきた。 

社会人になってからは、入った会社が大きくて20階くらいの自社ビルで、誰が誰だか分からないし、朝の挨拶だとしても、さっきした人か、まだの人かも分からなくなってきて面倒なので、基本やめてしまった。 

当時も、最初は「最近の若者は挨拶もしない!」とか言われたけど、まあ一緒に仕事をすることになった人とは会話することになるので、お前は本当に挨拶しないやつだったよなあ、とか言われながら、仲良くなれば問題なし。気にしなかった。仕事できれば、挨拶関係なく評価はされるし。 

今でも、そんな感じだけど、挨拶というのか、バス降りる時とか、買い物のレジとかは、礼を言ったり声はかけるかな。 

 

 

・挨拶って、 

 

元々は、相手に敵じゃないこと、不審者ではないことを知らせるツールだったのかなと思う。 

 

動物の世界だって、互いの匂いを嗅ぎ合って情報交換して、敵ではないことを知らせる(猫や犬が尻を嗅ぎ合うのもそのため) 

 

だから、我々人間も、挨拶してるのに無視されたら違和感というか、気持ち悪さを感じて、警戒するように脳にインプットされているんじゃないかな。 

 

そう考えると、挨拶しないことは、この社会では敵視されたり、警戒されたりする原因になる。 

 

わざわざ、そんなリスク負うのは賢いとはいえない。 

 

挨拶しない自由というけど、それはただの孤立だと思う。 

 

 

・「挨拶をしない自由がある」と思うならしなくてもいいけど、それによって自分が社会からどのように評価されても決して他人や社会のせいにはしないことですね。社内などで知らない人とすれ違う時も会釈だけでもするとしないとでは違うと思います。 

こちらから「おはようございます」と声をかけるとほとんどの方は「おはようございます」と返してくれます。ただし挨拶をしてもチラッと見るだけだったり、まったく見向きもしない人もごく稀にですがいるのも確かです。そんな時は「挨拶をして良いことはあっても損をすることなんてないのに、なんでしないのかな?」とは思ってしまいますね。 

どんなに時代が変わっても人と関わらずに生きていくことはできないのだから挨拶くらいは気持ちよくしたいです。 

 

 

・「礼儀が先行しすぎている人のよくない例としては、巧みに人をだまして世渡りうまくやっていこうとする者や愛想はよくても内実がともなっていない者などが挙げられるという。」って、かなり屁理屈な意見だよね。挨拶せずに、プイッてする人の方が余程人を蹴落としてやろうという気持ちの現れに思うがね。 

 

 

・挨拶は面倒くさい。だからこそ続ける意義がある。ただでさえ人間関係が希薄になってるからこそ挨拶は最後の砦。究極人間関係なんで無くせばいくらでも無くせる。仕事だって1人で出来る事も多いし、家族とでさえ顔をあわせることない日だって沢山ある。自分にとって都合のいい人とだけの付き合いしか無くせば、人としての視点や価値観はどんどん偏っていく。そして自分とは違う価値観の人間を忌み嫌うようになってしまう。他人の事を理解しようとは思わず、どんどん他人との分断が進む。たった挨拶1つ出来ないようではもはや人として生きて行く意味すら無い。 

 

 

 

・挨拶にも色々あるが、こういう考え方の人もいるんだなと思う。小学校の校門でみんな見守りの先生に「おはようございます!」と言う姿を見ると微笑ましく思うし、心がこもろうが無かろうがそれが人と人の潤滑剤になるきっかけになるかも、ちなみに私はコンビニやスーパーやバスとかで会計を済ませるときに一言ありがとうと言うのを心がけています。言われて不愉快になる人がいるのかな?挨拶をしない自由があると思う人はどうぞその信念を貫いてくださいいずれその見返りが返ってくるかもね。 

 

 

・僕は挨拶はしますね。お店で買い物してもありがとうといいますよ。ただこちらが挨拶しても返ってこないならこちらからは話さないですね。話す意味がないからですね。僕にとってはそういう人は合わないんですよね。日本にいる外国人の人達でもお店で買い物したらお礼とかしますよ。挨拶はどの国の人でも大切にしますよ。大切にしないのは日本人の若者くらいではないですかね。僕もブラジルのお店とか行きましたけどそこに買い物に来るブラジルの人たちみんな買ったあとにありがとうと言ってから帰りますよ。それがその人達の礼儀ですからね。それと挨拶したくないならそれでいいけどその考え方を他人に押し付けたりはするべきではないね。多分Z世代の一部の若者達の考え方なんだろうね。挨拶しなくて相手から無視されてもそれは自分がしたことにブーメラとして返ってきただけだしね。文句は言えないよね。 

 

 

・彼自身は挨拶をする人。だけど、形だけの挨拶なら無意味。本当に自身がしたいと思ってする挨拶でなければしなくていいと思うし、それもまたひとつの考え方であって、自由ではないか……要約すればこういう意見ですね。 

 

真の個人主義(自身に自己の考え方や感じ方があるように、他の人にも大切な自己があることを認め、尊重すること)ですね。形ではなく本質重視、強要ではなく自発性重視の、きれいな考え方だと思います。彼の考え方に共感し、賛成します。 

 

 

・挨拶は強要するものではありませんが、強く推奨すべきものと思います。 

以前、新聞のコラムでどこかの識者さんが「挨拶は人間の本能ではないから、教育しなければ身につかない」と書いていて、共感できるものがありました。 

 

挨拶しない自由、といいますが、その自由は、挨拶しないと損をするという負の側面も含めて語られるべきでしょう。 

挨拶が不要なものであれば、そもそも存在しません。 

人間が社会的動物として生きるために身に着けた必要な所作があって、日本においてはそれが挨拶なんです。 

 

自由を語るなら、法律を守らない自由だってあります。 

無論、その自由を享受した結果、法によって裁かれるでしょうが。 

 

挨拶という社会の常識も、また同じです。 

どんなときにどんな挨拶をすればよいか、それは子供の頃からの学校生活を含めた社会生活で身につくものですが、学生と社会人でその常識に断絶があるなら、やはり教育が必要でしょう。 

 

 

・「そもそも道徳や礼儀とは内発的なものであって外発的なものではない」とか武士道とか神道とか、この人よく挨拶一つでそこまで考えられるなあ… 

近所の人とか職場の人とか会ったら「こんにちは」とか「お疲れ様です」とかほぼ反射的に言ってたから、たかが挨拶一つでそこまで考察と言うか屁理屈と言うか考えるのが凄いわ。 

ま、でも「たかが挨拶一つ」、「されど挨拶一つ」。 

人間関係円滑に過ごす為には言った方が絶対いいと思う。 

たかだか3秒くらい、たった一言よ。 

 

 

・してもしなくてもどっちでもいいけど、自分の行動でこの先どうなるかは客観的に分析して、行動に対して責任をとる必要があるってだけだと思うよ。 

いつも挨拶しないしこちらの挨拶に返しもしないのに、仲良くしてくれないとか悩まないように。 

 

 

・損得で挨拶したこと無かった。 

職場ですれ違えば挨拶するし、 

ドアを押さえてもらったり、道を譲って貰えば 

ありがとうは当たり前だと思っていた。 

こういう人は1人で生きていけると思ってるんだろうな。 

コミニュケーションは必要と考えている。 

 

 

・前の職場で「あの人が挨拶しない」「私の挨拶を無視する」と言いつけ(?)て上司に該当の人を注意するよう促す女性がいました。 

そこまでする?って思いましたし、怖っとも思いました。 

でも私は基本的には挨拶はクッションになるから、使うほうがいいと思ってます。メールでも。 

 

次世代を担うのは若者だけど、だからって礼儀やマナーを無視したり、好き勝手やっていいわけじゃないと思います。 

簡単な挨拶(どうも、とかありがとう、とかこんにちは、とか)には気持ちがこもってないと決めつけるのも良くないし。 

 

 

・要は「気持ちが伴わない形だけの挨拶なら不要」「挨拶は各々の心遣いだから強制されるべきでない」って言いたいだけですよね?なんで、武士道とか徳と対義語の法(というより徳の対義語って法ですか?)とか引っ張り出してクドクド言わないといけないんですかね?そもそも武士道とか言ってますが、どれ程の人が普段その「武士道」を考えながら行動してますかね?武士道?は? 

 

人と動物の違いの一つは言語による明確な意思疎通。挨拶はそんな言葉を操る人の、言葉による意思疎通の準備運動みたいなもの。(また自身がその日にいる表明でもある)できない人間は人間社会において情けない事。そして又、その人の性格、精神状態を見抜く手段でもあるから、しないならそういう人間だと印を押されるだけの話。現に挨拶ができない人は人格に問題がある人ばかり。徳だ武士道とか論点をズレた話をしだして「しなくてもいい」という結論に至ること自体がおかしい。 

 

 

・信号のない横断歩道、車は止まって歩行者に道を譲るのは当たり前だけど譲られたら会釈する。 

感謝と言うかコミュニケーションだよね。 

お礼を言われて嫌な気持ちになる人はいない。 

止まって当然って感じを出すより会釈してどうもって気持ちを表した方が運転手も気持ちよく進めるし、今後もちゃんと止まろうって運転の向上にもつながると思うんだけどな。 

 

 

 

・挨拶するだけでお互い気持ちいいしそれだけで関係が上手く行くこともある。挨拶は一番短いコミュニケーション。それができないならその先もないと思うが…。 

ただ価値観は人それぞれ。本人が良ければそれを貫けばいいけどその結果どうなるかは責任を持って受け入れるべき。 

 

 

・職場では基本必須だと思う。 

ただ1人でも完全ノーミスで全ての仕事を捌いて、感情による匙加減が入る余地が無いくらいの凄まじい結果を挙げて評価を取るなら挨拶なんて無視すればいい。 

(そこまで優秀なら起業するか) 

別に24時間365日挨拶しろって言ってる訳じゃない。プライベートならそれこそ自由だから嫌なら無視すればいいし、最低限平日の朝と帰りの2回だけ我慢すればいいだけの問題だと思う。 

 

 

・昔いた職場に挨拶しない人がいましたが、普段の態度も最悪でした。返事しない、はい・いいえ言わない、一言誰かに言えば終わる仕事にすら何も言わない。無口な人ではないんですよ、社内全体に響き渡る声量で愚痴や文句を吐き出すから職場の空気は最悪。上司が注意しても辞めません。 

挨拶しない自由があるなら、挨拶しない人にそれ相応の態度で示す自由もあります。私も段々ドライに接するようになりましたが、そしたら私の態度を咎めてきました。自分は良くて他人は責める、って何様なんでしょうね。 

 

 

・会社において言えば、挨拶をしない人の共通点は、連携プレーができない。会議や、ミーティングにおいても他の人と働くことや協力することが苦手だと思います。 

 

挨拶しない人は大半、仕事が遅い。そしてミスも多い。プライドが高く新しいことを教わろうとしないから知識も少ない。 

 

会社では、そういう人もいるわけで、周囲がサポートしないといけないことがありますが、そういう人を助ける側の気持ちとして、挨拶をしっかりとしない人、礼節がない人を誰が本当に助けたいって思うの?って話ですよ。世の中、そんなお人よしばかりではありません。 

 

挨拶をしっかりできない人の似ているところとして、俺は自分一人でできるんだ。俺は人の助けなんていらないんだ、このように自分は特殊な能力を持ったすごい人と思い込んでいるから、他人は関係ないって思うんでしょうね。 

 

 

・別に人に強制するつもりはありませんが、自分も含め人は感情で動く部分が大きい生き物だと思うので、挨拶はした方が処世術としてプラスにはなると思います。最悪形だけでもいいので。挨拶しない人は現代社会ではコミュニケーションをとる気がない人とみなされ、人間性の評価はいくら他の部分が良くてもマイナスからのスタートになってしまうかと。 

 

 

・昔の武道では挨拶は師匠や目上の者が弟子や目下の者にするもので、下の者が上の者に挨拶するのは無礼という考えもあったと書物で読んだことがある。 

体育会系の部活や芸人仲間のような大きな声の挨拶ではなく、そっと道を譲って軽く黙礼くらいでも良いのではと思う。何よりも気持ちが大事かと。 

 

 

・挨拶の強要はしなくて良いんじゃないでしょうか。 

強要されるってことは顔も名前も知らない年配の他部署の人からたまたま廊下ですれ違って挨拶しなくても怒られるってことですよね。。いろんな強要をなくそうとしてるのに、なぜ挨拶は強要するのか不可解です。した方が良いのはその通りですが。 

 

自由には責任が伴うと高らかに言ってる人がいましたけど、義務にも責任は伴うのでネット特有の盛大な詭弁だなあと思いました。 

 

 

・したくないなら、しなくていいんじゃないかな。ただ、私は挨拶くらいはする。して損するわけじゃないし。 

こちらから挨拶しても返してくれない人もいる。返ってこないことに次第に落ち込み、返してくれない人にはしなくなった。 

でも、ある日テレビで、塞ぎ込む同級生の心を開かせた男子高校生が「挨拶が返ってこなくても、挨拶しなくていい理由にはならない」って言っていたのを見て、ハッとした。 

それからは返ってこなくてもしようと思うようになった。減るもんじゃないしね。 

 

 

・挨拶返してくれないことに怒る人がいるけど、挨拶してもらうために挨拶しているの?と思う。 

私は挨拶したいから、しているだけ。 

逆に、考え事していて気づかなかったりもある。 

ただ、職場で来客あれば挨拶はすべきだし、(会社のイメージとして挨拶する会社にマイナスイメージはない)、何かしてもらったお礼「ありがとう」やらかしたときの謝罪「ごめんなさい」は、挨拶じゃないからきちんとすべき。 

 

 

・自分40代。中学生のころ、伊藤忠のマンションに住んでたんだけど、ある時から「マンション内では挨拶禁止」となりました。家族で衝撃を受けましたが、だんだんそういったマンションが増え出したのを覚えています。 

私は今、中学生の子供がいますが、授業参観や保護者会でも保護者たち、全く挨拶しません。街でクラスメイトがいても子どもたちも無反応です。いるな…くらいには思っても反応見せません。うちの子は海外で育ったので、おー!っと声をかけますが、仲良い子以外はほとんど目で合図、保護者がそれを見ても無視、たまに「クラスの子?」くらいにコソコソ話して、からの無視。会釈もしない。とくに嫌いあってる様子でもなく、みんながそんな感じです。東京です。 

一度、担任にそんな文化のことを話したところ、そのことは教師たちでも話題になるとのことでした。 

なぜコソコソするのか、そんな保護者たちでも、何かの折にはよく喋るそうです。 

 

 

 

・趣味の習い事の講師をしていますが、遅刻してきた生徒に対して受講者がみんな口々に挨拶するんです。私の後ろ側から受講者が入ってくるので、それこそ私の頭越しにみんな「こんばんは」というんです。 

遅刻に関しては仕事や家庭のことで仕方ないとは思いますが、私の声を遮ってまでみんなが挨拶すると講習がその都度止まってしまうので大声で挨拶するのはやめてくれと言ったら年上の受講者から、そんなのはおかしい、挨拶するのは社会人として当たり前、と非難されました。 

挨拶はするのがあたりまえだからといって、いつでもどこでも挨拶するべき ではないと思うのですが。  

記事の挨拶とはちょっと違う話でただの愚痴ですスミマセン。 

 

 

・挨拶って入口の話で、その先に人間関係が繋がっている。 

その時は関係ないと思っていた相手と、何かの拍子に繋がることがないとは言えないし、挨拶を交わしたことから人間関係が始まって、人脈が広がることもある。 

挨拶をするしないは自由かもしれないが、ひょっとしたらたくさんのチャンスを逃しているかもしれない。挨拶をする職場で仕事が続かないとしたら、もうその兆候が見えているのではという気がしないでもないがね。 

 

 

・挨拶しないのは自由だけども、機械みたいですよね。朝、出社して機械に会っても機械は挨拶しませんから。「形式だけの気持ちのこもっていないような挨拶は意味がない」は同意。だからって「する必要がない」と決めつけるのではなく、気持ちをこめて挨拶すればいい。挨拶は共同体感覚だよ。人間は一人の力だけで生活はできず、必ず誰かの力を借りて互いに持ちつ持たれつで生活している。その持ちつ持たれつを感じるのが共同体感覚。困ったときはお互い様のね。共同体感覚があれば自ずと出てくるのが挨拶。 

 

 

・挨拶しないでも良いんじゃない? 

するしないは自由で良いと思う。 

挨拶は損得でするものではない。 

 

ただ、周りがどうなるかは覚悟していた方が良い。 

露骨に変わっていくから。。。 

それくらい挨拶は必要である。 

 

それでも良いなら、挨拶はしないで良いんじゃない? 

自己責任なんだから。 

 

挨拶って、されると嬉しいものである。 

「おはよう」って言われると頑張れる気がする。 

 

 

・そもそも、挨拶は強要されるものではない。 

人と人が出会った際にお互いに、お互いを認識してますよ、と知らせる為の行為で当たり前の行為。これをしっかり出来ない、やらないお馬鹿ちゃんがいるから、挨拶はしようね、と強要されてしまう。 

その強要に対して、しない自由もある、なんて、変なこじらせた意見を言うなら、それは批判されて当然かなと思います。 

 

気持ちの入っていない挨拶は不要? 

何言ってるんだろう? 

挨拶には気持ち入れるんだよ。 

気持ちの入っていない挨拶は不要なんじゃなくて、気持ちの入っていない挨拶は挨拶じゃないんだよ。 

 

 

・地方在住です。全然都会ではないのにマンションの住民で苗字まで知っている人は2件だけです。でも顔はほとんど知っているので挨拶だけはやっています。以前地震が起きた時に協力出来たので普段が大事だと思いました。挨拶は必要だと実感しました。 

 

 

・人としての「道」や「徳」を説くのであれば、そこに上下関係を絡ませてはいけないと思う。例えば部下や業者なのだから、自分が挨拶されて当然と考えている役職者は結構いるものだ。 

 

自分より早く出社した部下が目の前にいるのに、後から来ていながら、されるのが当然のように黙っている役職者を見ると、その心の醜さが垣間見え毎度不快になる。 

 

会釈も同じだが、社会的地位に本質的な意味があると本気で考えている人間には、そう言った徳を説いても通じないのだろうと思う。 

 

 

・挨拶は人との関わりの基本と物心がついたときから親に教わってきたので私は挨拶をする 

しない人はそういう基本がない人なんだなと思う 

別にしたくなければそれでいいが、そういう人とは極力関わり合わないようにするし、手助けもしない 

そっちが受け入れろと言うなら、こういう私のことも受け入れてくれよ 

 

 

・ずいぶん若者ファーストな考えの方ですね。 

子供の頃から「挨拶は基本」と家でも学校でも教育されたので、目上の人に先に挨拶されてしまった時は「しまった~!」という気持ちになりましたけどね。 

相手に挨拶される前に自分から挨拶するように心がけています。 

 

 

・私も挨拶は今の時代、強要すべきではないと思います。 

 

私はここ数年、挨拶をしなくなりました。 

何故なら、職場で挨拶しただけで自分に好意があると吹聴されたことがあるからです。 

タイムカードは同じ会社ならどの部署も共用で、そこで会った人には、挨拶をしていました。 

その職場で、盗難被害に遭いました。その時期、友人からお金を借りたと言っていた人がいたそうです。たまたまお金をおろしたばかりで、メインの財布やスマホがあって、鞄ごと盗まれ、とても大変でした。 

その日、私のアパート周辺を、白い軽自動車に乗った4人組が騒ぎながら、うろついていたのをよく覚えてます。 

 

なので今は、朝礼でみんなで挨拶する時や、着替えるロッカー、よく話す人に限ってます。 

 

 

 

・自分が以前勤めていた会社はむしろ40、50代の挨拶があまりなく、しない人は全くしなくて「感じ悪っ」て印象を持つ職場でしたけど。 

逆に若い子達はこっちから挨拶したら自然と挨拶してくれるようになって、話もするようになった。 

相手がどうこうの前に自分から近づいていこうとしないとね。 

 

 

・次の世代を作っていくのは若い人たちなので、そっちが正しいんじゃないかなと思いますね」 

 

徐々に文化は挨拶しない文化にかわってくるかもしれませんが、今の時点で若い人だけが正しいわけではない。 

 

 

・金をかけずにタダで出来る 

時間もかからない 

得があるか知らんけど損にはならん 

コスパ・タイパを重視するならこれほど効率的な事ないと思うけど 

個人的にはお互い気持ち良くいるための最低限の儀礼と思ってやってるし、コスパ・タイパなんてな気持ちでやった事はないが、少なからず挨拶もろくに出来ない人間に好印象を持った事はない 

 

 

・職場やご近所さんに挨拶しないって選択肢はなかったけど、自分から挨拶しなくても挨拶されたら会釈ぐらいしてもいいのでは? 

挨拶とはまた違う話だけど、牛丼屋で若い子がお釣りだけ取って食券取り忘れてたから声かけたら差し出した食券を何も言わず(むしろ睨んでた)取っていきました。 

食券がなくても牛丼は彼の下に届くんだろうけど… 

咄嗟に声かけてしまったけど、知らないフリしてそのまま食券は放置すれば良かったな。 

 

 

・強要は良くないと言う意味で言ったというなら、強要は良くないと言えば良かっただけ。 

ドアを開けといてくれた時などの「気持ちのこもってない」挨拶、とか言ってる時点で、何か違う気がする。 

 

それに「気持ちがこもっているかいないか」なんて誰にもわからないじゃん。 

それを、気持ちがこもってないのはお見通しです、みたいに言うからダメなんだと思う 

 

 

・別に挨拶したくなければしなくていいんじゃない? 

ただ、周りの人から相手にされなくなって、困ったとき助けてもらえないだけ 

職場とか学校のクラスとか嫌な人はいるけど、最低限の人間関係は作っておいた方が絶対にいい 

自分も人付き合いは苦手だけど 

 

 

・見るからに人とのコミュニケーションが苦手そう。苦手ということは多くの仕事ではスキルが低い。それを理解しながら挨拶はどうでもいいと言うなら、叩かれようが何されようが関係ないかと。コミュニケーション取りたくないんだから、他人など気にする必要が無いのに、矛盾している。結局単に頭が悪いだけということになる。 

私は挨拶する事もあればしない事もあるし、それで何か言われたことも無いし、言われたとしてもその場の対応を適当にとるだろう。挨拶が最も重要なシチュエーションと、そうでない場合を理解しているからだ。ちなみに、挨拶だけの人間も多い。中身が全て。 

 

 

・挨拶の意味は色々あると思いますが、一つは相手の存在を認め、自分の存在を知らせる事かなと思います。職場では例え自分より後輩、年下の人ばかりがいる部屋に入る時でも挨拶は自分からします。自分が入って行くのだからそれが当然です。 

マァ、どうしてもする必要がないと思うのであればいいんじゃないですかね?色々損はすると思いますが、覚悟の上で。 

 

 

・挨拶は人間として基本だと思っていましたが、とある職場で、先輩社員が挨拶をしない人で、愕然としました。そんな人がいるのかと。以来、そいつのことが大嫌いになり、「そっちが挨拶を返さないんだから、挨拶する必要もないだろう」と思うようになりました。何で挨拶くらい出来ないんだろう。 

 

 

・国士無双と言われる武将の韓信 

彼は居候先を追い出されて空腹で釣りをしてたら 

婆さんが飯をくれた 

 

その後、韓信は大将軍になり 

居候先に百銭、飯をくれた婆さんに千金の報奨を出した 

韓信の他者との逸話は他にもあるんだけど 

 

自由の責任は己で取るんだから好きにしたらいいと思う 

 

 

 

・国士無双と言われる武将の韓信 

彼は居候先を追い出されて空腹で釣りをしてたら 

婆さんが飯をくれた 

 

その後、韓信は大将軍になり 

居候先に百銭、飯をくれた婆さんに千金の報奨を出した 

韓信の他者との逸話は他にもあるんだけど 

 

自由の責任は己で取るんだから好きにしたらいいと思う 

 

 

・結局この20代男性が主張したいことは何なのか。良くわからない。挨拶は必要だけど、強要されるのは違うと言いたいのか?必要なんだったら、挨拶くらいすれば良いじゃん。 

強要って、挨拶しない人はコミュニケーションも取れない人だと思われるよって助言してくれているだけじゃないの。それでも挨拶しないなら、そりゃコミュニケーションが取れない人なんだから、その組織からは除外されるよね。 

尖ったことを言って目立とうとしたら、自分の想像より叩かれちゃって、それに反論できる理屈も無いから、必死に弁明しているだけにしか思えない。 

一人で仕事は出来なくて、職場の仲間の協力が必要。仲間の協力を得ようと思ったら、人間関係の構築が必要。そのためには挨拶は強力なツール。 

人とコミュニケーションを取りたくないなら、山奥かなんかで自給自足の仙人みたいな暮らしをするしか無い。 

 

 

・前の職場は挨拶しない人多かったな 

前の職場はフレックスだったからかもだけど自分がどのタイミングであいさつして良いか(自分は挨拶したい派)分からないのが辛かったかな 

挨拶をしない人は挨拶を返さないからね 

今は先ずは挨拶からだろって職場 

朝は挨拶から始まるのが気持ちいいよねって思うけど挨拶の声が小さいとかで「もしかして仕事出来ない人?」って評価の対象になってるかもしれない 

 

 

・なんだか言ってる意味がわからん。 

挨拶する自由しない自由は本人が勝手に解釈してやればいいが、「しない」にはなんかメリットあんのかね? 

通りすがりの小学生が「こんにちは~」って挨拶されると気持ちいいし、返してあげるよね。 

そういう気持ちの問題であって外食したって帰りに「ご馳走様でした」も言うし、店に入るのにドア開けてくれてれば「すいません」も言う。 

いちいち全ての挨拶に気持ちを込める必要性は感じないが、軽い会釈の一つも出来ないヤツに人間関係構築なんて出来ないと思うんだけどね。 

ご本人は挨拶する派っていってるけど、自分の周りに挨拶しないヤツばっかりでも受け入れるんだろうね。心広いね 

 

 

・大谷選手が戦う相手ベンチにも会釈をしているが自身は損得関係なくやっているのだろう。しかし、結果的に良いイメージで受けいられているのだから得だった。そんなもんだろ、いちいち考えずに挨拶しておけばそっちの方が楽。 

 

 

・挨拶なんて誰も強要されたくなんかないし、するべきでもないと思いっている。体育会系の部活などは強要されるかもしれないが、納得して入部しているんですよね。 

職場でも挨拶をするメリットの方がしないデメリットより大きいのでみんなしているだけでしょう? 

けっきょくTPOで使い分けているだけで、この男性も他の人たちも考え方がさほどちがっているとも思えません。 

なにが論点なのか解りませんね。 

ただ一点。こちらが「おはようございます」といっても無視をして知らん顔をしている人を暖かかく迎える必要は無いと思います。 

 

 

・人と接した場合は、どんな場所でも挨拶はするかなぁ。声を発しなくとも会釈とかね。 

 

気持ちのこもってない、形式だけの挨拶は不要なのは同意するけど、少しでも感謝や呵責を感じたら挨拶は自然に出ちゃうけどな。 

 

人と接して、挨拶すべきと言われる状況がそこにあって「気持ちがこもってない」ということが想像できないのよね…。 

 

全然知らない人でも「お!サンキュ!」とか思ったら、声出さないまでも頭は下げる。 

「お疲れ様」も、そう思うから自然と出るだけな気がする。 

 

記事にもあるけど、いかんのは「強要する事」だと思う。心が全く動いてないなら、別に不要かもね。でも、指摘されたなら他の人は心が動く場面なんだなってことは判るから、覚えておくといつか役に立つかもしれないとは思う。 

 

 

・高校生の時、とある運動部の人たちは先輩の姿が目に入ったら相手が自分に気づいていなくても大声で挨拶してたが、そういうのはどうかと思うけど。 

当たり前の挨拶をしたくない、する必要がないと本気で思ってるならそれでもいいんじゃない。 

たぶん、ほとんどの場合で自分にとって不利益でしかないだろうし、そういう道を選んだのは自分なのだから、それが原因で自分の評価が低いからと文句を言うのは筋違い。 

 

 

・面白い。この方真面目でしょう? 

わざわざ顔出して叩かれてまで議論されているのだから真面目。私なんか何も疑問にも 

思わず不真面目だから面倒だから、郷に従えみたいに馬鹿みたいにペコペコしています。 

無難で都合良くもあるから。挨拶しても無視なんかたくさんたくさんたくさん有ります。 

逆に挨拶したら睨んで来た人も居ました(笑)睨んで来た人は挨拶嫌いな人、 

でも話してみたら悪い人では無かった。 

確かに自由だと思ってますし、個人的には 

あまり気にしないですね。 

 

 

・気兼ねなく挨拶出来る人は、その場を支配出来る能力の高い人間。何処の大企業も社長は腰低くて、隔たりなく挨拶してくる人が多いでしょ?挨拶しない理由を探す方が難しい。出来ない人、しない人、はやはりそれなりのポストの仕事しか出来ないよ。 

 

 

 

・昔から挨拶が苦手で、ずっと悩んできました。感謝とか、謝罪はできるのですが、問題は「おはようございます」。特に会社。どのタイミングで言えば良いのか分かりません。同じ人に何回も言ったんじゃないかとか、お昼に初めて会ったときは何と言えば良いのかとか、色々考えてしまいます。親に相談しても笑われてしまうのですが。やはり人間関係はうまくいきませんね。挨拶恐怖症です。 

 

 

・仕事仲間に会っても挨拶せずスルーは、寂しい人間関係な気がします。 

信頼関係が希薄になりますね。 

挨拶さえ面倒になるなんて、悲しいですね。 

「私1人で生きて行けますので…」って感じでコミニケーションの良さを知らずに孤独な人生になる感じします。 

挨拶出来ない人って、コミニケーション能力が劣ってきそう。 

きっと相談相手は、AIなんでしょうね。 

 

 

・形骸化しては意味が薄まるのはそのとおり。その上で、いまだその形式を重んじる人が多く残り意思決定の立場にいる場所も多く残っているので、リスクを受けとめるつもりで行動を選択するのは良い。 

 

問題は、それを表面的にしか捉えられずに「挨拶しない人は仕事もできない」などという本来あまり関係のない部分で考えなしの決め付けをして悦にいるような浅い考え方が横行すること。そうした決め付けは排除の論理そのものであり、また社会を息苦しくしてもいる。 

 

 

・声すら聞いたことない人と何かやるのなんて無理だよ。 

ネット越しなら構わないけど、見える人間が挨拶というジャブもなしにオーダーしたりするのは無茶。 

会話の入口なんだよね。 

ハンバーガーとサイドメニューみたいなオーダーならコミュニケーションは不要だけど、ピクルスだのケチャップだの揚げたてだのと変則オーダーするならそれは会話だから。 

 

 

・>形式だけの気持ちのこもっていないような挨拶は意味がないので、する必要がない 

 

挨拶を気持ちの面だけで見ると意味が小さいように思うのかもしれない 

すれ違うだけの人、ドアを開ける際でも礼儀として気遣いとしていろんな見方がある 

 

朝からやたらと大声を強要される挨拶に関しては強弱の極論であって、朝から気怠そうな雰囲気よりも元気に挨拶するほうがいいという事かな 

 

メールなどでの「お世話になっております」「お疲れ様です」などの挨拶は前文としての手紙の書き方の基本だし簡略化されて楽なんだけどなあ 

いきなり主文から書く、用件だけ伝えるってのはメモ渡すだけのような別のツールに置き換えればいいだけ 

 

 

・たしかに挨拶は強要しない社会の風潮の方が良い。 

挨拶しない人間は礼儀も知らないしコミュニケーションも取りづらいし 

人間として器が小さいとか 家庭で躾もされず常識も身につけてない 

可能性があるとか、そういうおかしな人間を簡単にあぶり出せるからね。 

 

 

・よく言ってくれた!な議論だと思います。 

挨拶だけで人間性を否定されてるのを見てきて、ずっと心痛くなっていました。 

若い頃は、声が小さくてというか通らない声質で、自分では挨拶しているつもりでも無視されたとか感じ悪いとか言われて、挨拶に苦手意識があった。なのでできるだけ人に会わないようにしていた。挨拶くらい、という人は多いけど、めちゃくちゃ頑張って気合い入れて、一言目を言わないと伝わらない人もいる、ということも理解して欲しい。 

練習して練習してなんとか人並みには挨拶を言えるようになったけど 

自分にとって簡単なことだからって、その基準で人を判断するのはよくないと思う。 

 

 

・挨拶されて、嫌な気持ちになる人はいないだろうけど 

挨拶されて、嬉しい気持ちになる人はいるかもしれない 

逆に 

挨拶無しで、嫌な気持ちになる人はいるだろうけど 

挨拶無しで、嬉しい気持ちになる人はいない 

気付いたのに挨拶が無いってことは、無視してるのと同じだからねぇ 

なら、言ってもいいんじゃない?減るもんじゃないし 

 コンビニで買い物して商品受け取る際に客側が「ありがとうございます」って言うのと似た感じではあるな 

 

 

・挨拶はあった方がいいとは思うけど押し付けは不要。 

挨拶をしろと押し付けてくる人はどの会社にもいると思うけど、会社の中でこれまで会ったことも話したこともない人と廊下でたまたますれ違っただけで挨拶が必要ですか。 

0か100かで考えるのではなく、状況判断で挨拶すればいいと思います。 

 

 

・挨拶について、この考え方は良いと思う! 

挨拶を利用して、色んな視野から見て相手を知る。 

 

>このような環境は、犯罪をしようと考える者にとっては困りものだからです。また、挨拶の返答の声の大きさなどから、相手の体調を把握することもできます。 

 

 

 

・「必要な無駄」と「不必要な無駄」が有るんだよね。 

そして挨拶は「必要な無駄」にあたる。 

災害時に挨拶を普段からしている人としていない人では得られる情報量が明らかに差が出る。 

挨拶をするだけで話し掛け易さが変わるからね。 

 

 

・> 挨拶しない自由があるんじゃないか 

実際あるよね。挨拶しなかったということで文句言われたり懲罰を受けたりはしないよね。体育会系の特殊な環境はひとまず別として 

 

> 「どんどん常識って変わっていくんで、今の若い人たちが挨拶ってしなくてよくない? って思ったら、次の世代を作っていくのは若い人たちなので、そっちが正しいんじゃないかなと思いますね」 

個人が勝手にそう思うのも自由だが、それを常識と思い込むのは自由と逸脱してるね。正しいか誤りかの判断も、余計と言うか行き過ぎた思い 

 

当然、真逆を考える自由もあるから、その自由を認めて受け入れることも、当たり前だよね 

 

そうなると、結局上で言ってる正しい正しくないという思いは、間違い?成り立たない?ベクトル違い? 

結論:自由になろう 

 

 

・自由かなんか知らんけど挨拶をする人々がいるから世の中がスムーズに回ってる 

コミュニティを構成する側かタダ乗り側か、要は必要な人間か不必要な人間かの違いだから好きに選べば良い 

 

 

・自由だけど、挨拶する者よりもコミュニケーションの点で評価はされないって事は覚悟が必要。 

挨拶されて挨拶返さないレベルになれば、最低限のコミュニケーションもとれないと言うことで、評価を下げる。さすがにそんなことはないと思いたいが。最悪立場によってはハラスメントになるし。 

 

 

・「挨拶するかしないかの基準も人によってバラついていると思っていて、挨拶しない自由があるんじゃないかと思っています」 

 

こちらから挨拶しても意図的に無視する人には、先輩・後輩だろうが上司・部下だろうが無理してでも挨拶する必要は無いでしょう。大抵は自分から挨拶して来ない人ほど他人に対して「挨拶もしない礼儀知らず」と陰で言ってる訳で。 

同じ会社内であっても、業務上の付き合いすら無い人には最初はこちらから挨拶はしますけど、無反応で対応してくるなら次からは一切相手にはしません。 

 

 

・客商売の場合挨拶しないは論外。挨拶しないならその仕事に就く事はできない。たかが挨拶だけど職業の選択の幅も狭めてします。私人としてなら挨拶しないはお好きにどうぞ。それにしてもこんなこと人に言われないと分からない時点で、やはり挨拶すら出来なんだなと感心してしまった。 

会社とかでも挨拶しない人は評価が低いし、本人のいない裏でも、アイツ挨拶しないもんね・と批判されている。 

 

 

・以前の職場には「人を見て挨拶する」タイプの人が一定数いてました。 

同じ会社の同じフロアで働いてるのに自分の部署の人にしか挨拶しない人たち。 

挨拶する、しないをいちいち判断するって面倒くさくないんでしょうかね。 

私は誰かれ構わず挨拶する方が楽です。 

 

 

・挨拶とは、別に声に出して言えば良いものでもない、コミュニケーションにおいて 

直ぐに返せる状況やその方が言葉に詰まる場合もある。その為に会釈で返す方法もあり 

後は気持ちの問題だと思う。 

 

 

・心がこもっていない行動はする意味がない 

なんて中二病的なことを大人がいうのはどうだろうか。 

 

人の多い所を歩いていたら自然にお互いよけて進むものだが 

挨拶なんてそんなもん。 

相手に迷惑かけないようにでも自分が痛い思いをしたくないからでも 

どっちでもいいけど、要はぶつからなければいい。 

 

>挨拶しない「自由」 

個人の「自由」なんて、そこまで重要なもんじゃないし 

自由を語っていいのは他者に不自由を与えない場面だけだ。 

 

 

・しない自由、確かに自由だとは思うよ。 

でも、挨拶は礼儀であると子供の頃から教えられる日本では、しないことのデメリットの方が大きいと思う。 

自分の狭い経験の中でも、サラリーマンで挨拶をしない人で、仕事ができる人・上に立つ人に会ったことがない。 

だから、あぁこの人は、常識ないな、礼儀がないな、仕事ができないなってレッテル貼るのも私の自由だよね。 

 

 

 

・たかが一言で関係の円滑化が図れるなら安いものだと思うけどね。 

挨拶しても返さない奴もいるが、そういう手合いには「こんな奴相手ならこっちもそれ相応の対応で十分だわ・・・」と割り切れるわけで、相手を見極める手段としても有用。 

 

 

・この方を批判するのは違う気がする。 

発言も自由であるべきだし、挨拶するのも自由、しないのも自由な気がします。 

マナー、ルール、コミュニケーションを取るために挨拶は良い手段だと思いますが、仕事以外では挨拶しない人が増えてきている気がします。 

 

 

・人間は群れで暮らす動物である。挨拶は敵意がないということを表している。挨拶をしない自由はあるだろう。しかし挨拶をしない人を敵とみなす自由もある。 

 

 

・挨拶って人間関係を円滑にするツールだと思う。 

 

職場に挨拶しても小さい声で面倒臭そうに返してくる女性がいる。 

男性社員にはニコニコ顔で挨拶し、女性社員には無愛想。 

 

退勤後別の場所で会ったので、嫌だなぁと思ったけど一応礼儀なのでニコっと挨拶をしたら、超嫌そうに返してきた。 

 

思ったのは、あなたが好きだから挨拶してるんじゃないの、人間関係を円滑にするために声かけてるの。 

 

それ以来必要最低限しか話しない。 

 

 

・面倒なことを考えてますねー。挨拶ぐらい普通にしましょうよ。それが組織で働くということだと思います。挨拶をしない自由とか言うんなら、しなくていい職業につくしかないと思いますけどね。恐らく挨拶が不要な仕事は殆どないですけど。 

 

 

・そもそも、強要されてると思っていることが間違い。例えば同じ会社で違う部署の人に会釈はするものだし、コンビニやスーパーでもお礼は言うものと思う。無駄やメリットを挨拶の観点に持ってるだけで挨拶の仕方すら心も態度も伴ってないんだろうな。最近の若者はタイパやコスパなんて言ってるけど言ってる人で仕事できる人間いないよ。 

 

 

・午前半休で午後出社のとき「おはようございます」が使えないので、挨拶がしづらいシチュエーションがあることも事実 

挨拶しない自由があるなら挨拶する自由もあるわけで、挨拶しない自由をいう人間ほど挨拶されることが嫌なんだと思う 

挨拶されたのに挨拶をしない自分が嫌な人間と思われそうだから 

挨拶しない自由と言いながら、挨拶しない自分には挨拶しないでほしいと強制している感じ 

 

外国はもっと気軽に挨拶するわけで、常識って変わって若者が常識を作ると考えているうちに、その考え方が国際的にガラパゴス化しそう 

自分が若者で中心世代で常識を作ると思っていらいる人間ほど、自分より下の世代が出てきて新しい常識に対して厳しかったりする 

上の世代の常識や考え方に寛容になれない人間は、自分より下の世代に寛容になれるはずがない 

 

 

・挨拶しないって、物事が上手く行っている時には問題無いだろう 

でも何か困った事やトラブルになった時、普段から挨拶する人としない人の差が出てくる 

 

打算ではないが、協調って必要だと思う 

 

 

・挨拶したくないならしなくてもよい。 

 

まあそうですね。 

俺は挨拶する派だが、しない奴は早めに敵として警戒する識別材料になる。 

挨拶もできない奴で良い奴、仕事出来るやつを見たことないから敵認定で正解。 

その意味であいさつしないというのは助かる。 

 

 

・最近は『自由』を履き違えている人が多過ぎる。自由とはなんでも好き勝手にやっていいということではなく、社会的法則や規範に則ってその中で求めることのできる選択の権利である。社会的規範として「挨拶をしないほうがいい」を正しいとするような世界はない。しない自由はあるが、しなければ社会的に受け入れられる要素は大きく失われる。自明の理。 

 

 

 

 
 

IMAGE